はてなキーワード: 人足とは
基幹システム系のコンサルタント兼エンジニアみたいな感じで独立したんだけどマジでなんでみんなこれやらないの?って思うレベル
ざっくりいうと土日休み、労働時間毎日約3時間、フルリモートで月150万くらいいただけている。
働き方としてはプロジェクトによるがほぼフルリモート(週1,2出社案件もあり)でだいたい3か月更新の業務委託契約。
業界全体が高齢化していて人が足りていないってのがベースにあるんだけど、月単価で100万~200万くらい。
ハイレベルな人は月300万とか500万もいる。自分はけっこうザコなほうだけど全然やれてる。
まぁ普通にやってれば案件が途切れることはないし、1案件が1~3年くらいの長期なのでまぁまぁ安定的。
忙しさの波はあるけど1日の実働は2~3時間、多くて6時間とかで何もない日もある。現にいま真昼間だがヒマなのでこうしてはてなに書き込んでいる。
あまりにヒマなので別の案件を掛け持ちしているが、そっちでも月に50万くらいもらえる。
結構アレだなぁ、と思う日記があったのでちょっとツッコミをしてみる。
私は2桁年ほど漫画やイラストに携わって細々と生活しているクリエイターの端くれだが、正直言ってこの1ヶ月の絵描き界隈の道化っぷりにはひたすら「呆れ返る」以外の感想が持てない。
↑Xの話をしていると思うのだけど、「絵描き界隈」と主語を大きくしているように思う。まあ、Xが絵かきにとって一番大きなコミュニティとは思うけれど。
「11/15にX(元Twitter)の規約が変わる、私達はAI学習に否応無しに同意させられる事になる」
そんなポストが大バズリしたのがつい先月。
実際には、Xのプライバシーポリシーには元々「投稿者のポストをXのAIトレーニングに利用する事に同意する」旨が2023年9月時点で既に記載されている。そもそも日本の法において、学習そのものを拒否する権利は最初から無い。
しかし、その自明であったルールが「聡明な」反AIさんによって「新発見」され、反AIさん達は空が落ちてくるかのように大騒ぎ。
↑「今更そんなことを騒ぎ立てるなんて、情報が遅いねぇ」程度の嫌味ならわかる。ただ自分としては知らなかった人間もそりゃあ居るだろうなくらいに感じていた(利用規約とか改定とか読まない人間も多かろう、特にXを頻繁に見るような人間でないなら今回のバズリで初めて知った人もいるだろうなぁくらいの意味)。
AIに反対してるくせにそんなことも知らないのか、という意見なら一理あるかもしれないけど、2023年9月以降にAIに反対することを決めた人間は最初の改定を知らなくてもおかしくないように思う。
だから空が落ちてくるかのように云々は、新しく知った人が中心になって騒がれているのだから主語は「反AIさん」ではなく「9月頃にあった規約を読んでいなかったので、初めてその規約を知って危機感を持った絵の生成AIに反対する人間」が正しいと思う(長いから略したくなる気持ちはわかるが)。
そもそも深層学習の構造を考えると、億単位の画像を学習している基盤モデルに自分の作品が数十枚食われた程度で、個人の絵柄が再現できるはずもない。そのため当然、特定の作家個人の創作活動が脅かされる事もない。
↑狙い撃ちLoraの話を後半でしているのに「特定の作家個人の創作活動が脅かされる事もない」と主張をするのはちょっと無理があるかなと思う。となるとここは、それこそ後半でも語っている通りまだAIについての知識が浅いのだろう。
それは1年以上前から自分の作品がAIに既に食われ続けているという事実を鑑みれば、今後も影響が無いことぐらい少し考えれば予想もつくだろう。
↑例えば狙い撃ちLoraは作家に悪影響を及ぼしているのでは?あとソースは忘れたので無いものとして扱って貰って構わない意見だが、一部絵描きの名前をプロンプトで指定できるという仕組みがどこかにあったように思う。
……と、思っていたのだが。
「自分の絵がAIに好き勝手されるのは嫌だ」(人間も好き勝手二次創作して金稼ぎしてるが?)←そも二次創作の場合では一次側に拒否されたり、差し止められる事がある。その事を考えると「好き勝手」「金稼ぎ」は少々悪意のある表現だろう。二次創作ではなく勝手に着彩されるとかトレスのほが絵かきの感覚に近いのではないか。
「AIを許容してると思われるのが嫌だ」(そんな個人の主義思想で差別するような人間の集団にいるの?付き合う友達選んだ方がいいですよ)←多分絵描きの友達が少ない、それか本気で本音を語り合える友人がいないんだろうなと感じた。それは勝手な感想だから流すとして、現状絵の生成AIについて静観していた否定寄り中庸派の人がそう言っていただけでは?と思う。自分の立場を勘違いされたくなくて出た言葉なのでは?と。まぁここは自分がそういう立場の人間ばかり見たというだけの話だとも思うが。後半を見るにこの方はそういう集団から抜けた人なのかなと思いついた。
などなど、AIアレルギーと思しき絵描き達の断末魔と、それら1つ1つを数千リポストまでせっせと拡散して「自分達はこんなに苦しんでるんだ」「こんなに多くの人達が賛同しているから自分達は正しいんだ」とアピールする人達。
↑淡々と言えばいいのに、変なところに悪意が漏れている。群れたって何の意味もないのに、程度の意見で良いように思う。
ある者はGlazeやらNightshadeやらで絵を汚すことで安心(=プラセボ効果)を得ようとし、
↑別にXに上げる絵を汚しても(自分はそこまで汚れてるとも思わないが)、学習のされにくい他サイトにオリジナルの絵を上げればよいのだから別にこれを愚かとは思わない。安心のためにやっている人間も居るだろうが、そもそれは悪いことではない。
ある者はXに見限りをつけて他のSNSを探し始め、
ある者は「何故私達が出ていかないと行けないんだ」(お前達がそうしようと決めた事なのに?)と恨み言。
私は、彼らが自分の絵を汚す事で安心や自己肯定感が得られるなら別にそれでも良いと思う。
このへんはファッションと一緒かもしれない。自己満足でしかなくとも、ちょっと高い服やネイル等を身に着けることによって「自分がこの場に居ても良い」という確信が得られる。そうして得た自信や承認が、例え虚栄であろうとも人生をプラス方向に持ち上げていく、そういった側面は少なからずあると思う。
ただ、私が観測する限りにおいては、それら学習阻害技術なりウォーターマークなりが具体的にAI学習の何に対してどういった効力を示すのか、などの技術面を踏み込んで理解している/しようとする絵描きはほぼ居なかった。
↑https://qiita.com/miu200521358/items/5140ce700a9481aa15e3とかを見ればそれを調べてる人もいる。まだ知らない人たちに教えてあげればいい。例えしようとしていなくても、知らせることはできるのだから。
ただただ何となく「それをすることでAI野郎が離れてくれるおまじない」程度の、Xでバズっていた誰かの噂話を鵜呑みにすることでしか技術を理解できない、その程度の浅いリテラシーの人達ばかり。
一部の絵描きは「何で苦労して描いた絵をこうして汚さなきゃいけないの」と被害感情をむき出しにしながらノイズを乗せている体たらくだ。辛いなら汚さなきゃ良いのに。
↑多分自分はリテラシーが高い側だと思っているんだろうけど、そうでもない。「辛いなら汚さなきゃ良いのに」には少し共感するが、それも他サイトに誘導して見てもらえればいいだけの話だと思う。
本当にAIを自分の生業を脅かす技術だと思うなら、何故敵のことを正しく知ろうともせず、自己流で対処しようとするのか。
無学の人間が無い知恵を絞って対策を講じても、的外れにしかならない。
↑自分は知識があると思っている無学の人間が、無い知恵を絞って批判をしようと、的外れにしかならない。自己流で対処というのはどういうことか、敵を知るとは何を指しているのか、何故あなたの観測した絵描きという限られた範囲の話でここまで悪意を噴出させられるのかがわからない。仮に正しい対処をしている人を見つけても、結局この方は認めないだろう。「間違っている」というばかりで、正しいことを広める努力は特にしていないだろう(してたら申し訳ない)。勝手な決めつけをしたあとで言うのは説得力に大きく欠けるが、相手をあまり決めつけで愚かと思わないほうがいい。あなたの観測した範囲の中にも、対処法を探ったり生成AIについて正しく勉強をしている人もいるかもしれない。あなたなりの「正しい方法」とやらがあるのなら周りにそれを伝えれば良い。愚痴が吐きたいだけの人には重すぎるかもしれないが。
「マスクなんて意味がない」「コロナワクチンは人を殺す、イベルメクチンを使おう」
そんなエセ科学で吹き上がる陰謀論のデタラメを、かつて私達は知識を以て一蹴してきた筈なのに、今では絵描きとその信者達が同じ穴の狢となっている。根底は感情論でしかないという点でこれらは同一のものだ。「ワクチンが嫌い」「技術者が嫌い」「AIが嫌い」
↑根底は感情論、の何がいけないかを示していない。感情論であっても、「マスクには意味がある」「コロナワクチンは人を救う」からそれを激しく推奨するという感情論があったとするならそれは正しいと褒められるべきことである。この方は生成AIへの知識がほんの少しだけあり、かつ周囲の人間を自分より知識がないと見下しているから、自分の意見に沿わない人間を「愚かである」「(自分の意に沿わない)感情論である」と言えるのだろう。だから同じ穴のムジナであるのは(一連の行動がまだ正しいことであるか判然としていない今であれば)あなたかもしれないことは注意すべきである。
そして、正しい意見の啓蒙にさえ「冷笑系」とレッテルを貼って、冷笑されたと被害者アピールの火種に焚べ、エコーチェンバーの中に閉じこもる。
↑こういう人間は実際にいる、がこの方はそれを全てだと思ってしまっている。正しい意見とやらがどんなものかはわからないが、この方にとっては正しいもので、それを拒否している人間を見て激しく失望したのだろう。自分にとっても、そういった耳を傾けない自分の殻に閉じこもった人間は好ましくない。
ああ、今日もまた「ぼくの考えた最強のウォーターマーク」が木っ端の絵描きから上がってくる。
それを使うことで学習阻害効果がどれだけあるかどうかの比較検証は?
そんなのある訳がない。これは洗剤のCMじゃなくてただのおまじないなんだから。
↑https://qiita.com/miu200521358/items/5140ce700a9481aa15e3をみればいい。そんなのある訳がある。おまじないだとおもっている人間は誰なのか。
「もちろんやる訳がない。AI無法者は会話の通じない土人達だからな」
「何故AI使用者をモラルが低い、会話の通じない者と断じるのですか?」
「俺のタイムラインじゃみんながそう言ってる!俺も生成AI使用者を犯罪者と罵ったら著作権がどうこうで激詰めされた!」
「著作権違反行為ではない行為を端から犯罪扱いしたら反発を食らうのは当然では?」
「うるさいうるさい!俺達から何も奪うな!AI推進者は全員敵だ!俺達だけが正しいんだ!!」
ああ、私と相互フォローになってくれていた、素敵な絵師サマの先生の中に、こんなにも愚かな思想の持ち主がたくさん紛れていたなんて。自分の人を見る目の無さが恥ずかしい。(全員ではない。数百人フォローしていた中での体感5~6割ぐらいだが……女性の絵描きの方の界隈ではもっと多いだろうね)
↑これで失望したのだろう。まあ著作権違反については議論の余地があるとして、この方は周りの意見に流される人間を軽蔑しているようだ。
完全な決めつけだが数百人フォロー云々の下りは半分嘘だろう。過激な反対派が10人足らずいてそれ以外の反対派も少しだけ見て足して5~6割とみなしたか、そもそもアカウントを過激な反対派の人以外ほぼ見ていないかのどちらかだろう。
過激な人の言動は確かに自分もどうかと思う部分はあるが、数百人のうち5~6割がその愚かな思想とやらを持っているとは思えない。多分この方の体感的には本当に「たくさん」だったのだろう。
私自身の絵描きの視点として生成AIを考えると、生成AI及びAI作品はライバルではありこそすれ、クリエイター業そのものを脅かすほどの力はないと考えている。
↑自分は絵の生成AIはライバルではなくノイズだと考える。クリエイター業はクオリティの面で脅かされるのではなく、生成物の物量と誰でも触れられるという手軽さで脅かされる。個人の作品に触れづらくなり、触れる必要もなくなってしまうという方が正しい。
pixivなどを見るに顕著だが、生成AIの登場後に作品数は急増した。今はAIタグというものがあるが、それをつけていない作品もちらほらある。これが続くと、供給量と需要が釣り合わず、作品は誰かに探されなくなり、探されないうちに埋もれてしまう。
クオリティではなく数が問題で、作品の展示場をゴミまみれにするという意味では商売敵というよりただの敵である(ゴミと感じるかどうかは人によるが展示場に参加した人間にとっては不愉快だろう)。
作品ではなく使う人間と、その人間が生み出せる数こそがクリエイター業の人間にとっての脅威になると、自分は考える。
誰にも見てもらえないなら、どんなに素晴らしい作品も評価されないのだから。
恥ずかしながら私はまだまだAIについて無学のためCNの使い方すらまともに理解していないのだが……少なくとも自分で使った時は決まったキャラクターやシチュエーションを安定して生み出すことはなかなかに難しく、描き手が表現したい物語を過不足なく表現するにはかなり制御が難しいツールだと感じた。ランダムなアイデア出しにはかなり便利だけどね。
↑ここでAIについて無学と言っている。いままでのこき下ろしはなんだったのか。
DLSiteにおける販売数などを見ても、AI主体作品はまだまだ下火で、手描きのイラスト集と比べて1~2桁は販売数が下回る。2年前からずっと、手描きの価値は毀損されてなどいない。私自身、収益も減ったりはしていない。
↑なぜ今しか見えていないのか、生成AIが誰の反感も買わず受け入れられるようになってからでないといずれ収益や価値に影響が出ると思えないのだろうか。
今AI作品が下火なのは、生成AIに対する問題点が完全に払拭されていないからである。現状ではグレーな行為だと認識されているからまだクリエイターへの影響が軽微なだけであると自分は考える。
タグなどを用いて徹底した棲み分けが行えない場合は、現行のクリエイターが殆ど滅びるだろう。
ただ、少なくとも革新的技術であることは間違いないんだから、「無断学習」などというよくわからないレッテルを貼って排除するべき存在ではない。ましてや法を侵さず生成AIを使用している者まで問答無用で簒奪者という扱いにして社会から排除しようとするのは、暴力や差別に他ならない。
↑これも分かる。簒奪者扱いをするは良くない。ソフトの倫理面に問題はあれど、現状ではまだ規制されていないのだから。ただし、革新的技術であることと保護すべきかどうかは別の話である。ソースは忘れたので無価値に等しいが、欧州では規制の流れができつつあるそうだ。そして保護するべきかどうかを決めるのは個人というより社会や時流であり、今はその主張を自分の意に沿うよう引っ張ろうとしている個人が多くいるだけである。我々は意見を主張しながらも、決定に従うほかない。だから現状では否定派肯定派の正しさとやらは存在しない、未決定なのだから。当然倫理は守るべきとは思うので、社会から排除しようという風潮自体は好ましくないが、それにしたって決定に従うほかない。明日にはひっくり返るかもしれない決定に。
インターネットに転がっているものを無断で学習し、個人を特定できない形に組み替えて再利用するのなんて、AIだろうと人間だろうと当たり前にやっていることなんだから。
↑AIと人間の学習は違うものである。@VoQnさんのポストでも遡ると分かる。
生成AIには確かにまだまだ法的な課題もある。狙い打ちLoRAと呼ばれる特定作家個人に絞った学習モデルや、ディープフェイクなんかがそうだね。
しかしそれらの問題を掲げた時、私達が論ずるべきは「それらの問題をどのように規制し、どうすれば安全に生成AIを社会利用できる仕組みを構築するか」のはずだ。
↑同意するが、主語は「絵や動画の生成AI」であり、生成AIではない。それ以外は絵の分野から論じても意味がない。
過度に互いの派閥を敵視しすぎるというのは問題だと自分も思う。が、絵かきの中には食い扶持を減らされると思う人間も居るだろう。そしてその可能性は的はずれなものではないと考える。
排斥はいけないことだが、それを行う人間の感情はどうしたって消せないものだ。
もっとも、話し合いが成り立たないのは陣頭に立つ人間がいないからだと思うが。
個人個人が話し合っても意味はない。チラシの裏の落書きに過ぎないからだ。界隈だの派閥だの言われてはいるが、その実意見を発表する人間が居るだけで、誰も責任をとろうとしていないのだから価値ある疑問にも回答にも意味がなくなってしまう。
だから我々が個人としてするべきなのは、然るべき機関への署名提出や意見提出であって、レスバではない(この日記を否定したくて書いている自分が言えた義理ではないが)。
例えばスマホだって本邦では年間数千件の盗撮被害が発生しているが、それら問題を以て「スマホorカメラを世から根絶しよう」なんて言い出したらただの狂人だ。
しかし絵描き達は、あろうことか「どうすれば生成AIを根絶できるか」「どうすれば絶対に学習されないか」といった妄言を唱え始めた。
残念だけどそれはもう、歩いて月まで行くぐらいには無理な願いだ。イラスト生成に限らず、翻訳、検索機能、ChatGPT等、大規模言語モデルによる生成技術は既に社会の根幹を為すインフラの一部になっている。
↑イラスト系以外の生成AIも規制しようとしている人がいれば、それは生成AIへの拒絶反応だと思うが、現状イラスト系に対して学習を阻害するというのはある種効果的である。
この阻害をスタンダードにしてしまえば、例えば新規IPのキャラは生成AIで生み出しづらくなるだろう。その妄言とやらが案外的を射ていたりするものである。
「あの女は君にほれているのか」
二人のあとから続々聴講生が出てくる。三四郎はやむをえず無言のまま梯子段を降りて横手の玄関から、図書館わきの空地へ出て、はじめて与次郎を顧みた。
「よくわからない」
「そういうこともある。しかしよくわかったとして、君、あの女の夫になれるか」
三四郎はいまだかつてこの問題を考えたことがなかった。美禰子に愛せられるという事実そのものが、彼女の夫たる唯一の資格のような気がしていた。言われてみると、なるほど疑問である。三四郎は首を傾けた。
「野々宮さんならなれる」と与次郎が言った。
「野々宮さんと、あの人とは何か今までに関係があるのか」
「知らん」と言った。三四郎は黙っている。
「また野々宮さんの所へ行って、お談義を聞いてこい」と言いすてて、相手は池の方へ行きかけた。三四郎は愚劣の看板のごとく突っ立った。与次郎は五、六歩行ったが、また笑いながら帰ってきた。
「君、いっそ、よし子さんをもらわないか」と言いながら、三四郎を引っ張って、池の方へ連れて行った。歩きながら、あれならいい、あれならいいと、二度ほど繰り返した。そのうちまたベルが鳴った。
三四郎はその夕方野々宮さんの所へ出かけたが、時間がまだすこし早すぎるので、散歩かたがた四丁目まで来て、シャツを買いに大きな唐物屋へはいった。小僧が奥からいろいろ持ってきたのをなでてみたり、広げてみたりして、容易に買わない。わけもなく鷹揚にかまえていると、偶然美禰子とよし子が連れ立って香水を買いに来た。あらと言って挨拶をしたあとで、美禰子が、
「せんだってはありがとう」と礼を述べた。三四郎にはこのお礼の意味が明らかにわかった。美禰子から金を借りたあくる日もう一ぺん訪問して余分をすぐに返すべきところを、ひとまず見合わせた代りに、二日ばかり待って、三四郎は丁寧な礼状を美禰子に送った。
手紙の文句は、書いた人の、書いた当時の気分をすなおに表わしたものではあるが、むろん書きすぎている。三四郎はできるだけの言葉を層々と排列して感謝の意を熱烈にいたした。普通の者から見ればほとんど借金の礼状とは思われないくらいに、湯気の立ったものである。しかし感謝以外には、なんにも書いてない。それだから、自然の勢い、感謝が感謝以上になったのでもある。三四郎はこの手紙をポストに入れる時、時を移さぬ美禰子の返事を予期していた。ところがせっかくの封書はただ行ったままである。それから美禰子に会う機会はきょうまでなかった。三四郎はこの微弱なる「このあいだはありがとう」という反響に対して、はっきりした返事をする勇気も出なかった。大きなシャツを両手で目のさきへ広げてながめながら、よし子がいるからああ冷淡なんだろうかと考えた。それからこのシャツもこの女の金で買うんだなと考えた。小僧はどれになさいますと催促した。
二人の女は笑いながらそばへ来て、いっしょにシャツを見てくれた。しまいに、よし子が「これになさい」と言った。三四郎はそれにした。今度は三四郎のほうが香水の相談を受けた。いっこうわからない。ヘリオトロープと書いてある罎を持って、いいかげんに、これはどうですと言うと、美禰子が、「それにしましょう」とすぐ決めた。三四郎は気の毒なくらいであった。
表へ出て別れようとすると、女のほうが互いにお辞儀を始めた。よし子が「じゃ行ってきてよ」と言うと、美禰子が、「お早く……」と言っている。聞いてみて、妹が兄の下宿へ行くところだということがわかった。三四郎はまたきれいな女と二人連で追分の方へ歩くべき宵となった。日はまだまったく落ちていない。
三四郎はよし子といっしょに歩くよりは、よし子といっしょに野々宮の下宿で落ち合わねばならぬ機会をいささか迷惑に感じた。いっそのこと今夜は家へ帰って、また出直そうかと考えた。しかし、与次郎のいわゆるお談義を聞くには、よし子がそばにいてくれるほうが便利かもしれない。まさか人の前で、母から、こういう依頼があったと、遠慮なしの注意を与えるわけはなかろう。ことによると、ただ金を受け取るだけで済むかもわからない。――三四郎は腹の中で、ちょっとずるい決心をした。
「ぼくも野々宮さんの所へ行くところです」
「そう、お遊びに?」
「いえ、すこし用があるんです。あなたは遊びですか」
「いいえ、私も御用なの」
両方が同じようなことを聞いて、同じような答を得た。しかし両方とも迷惑を感じている気色がさらにない。三四郎は念のため、じゃまじゃないかと尋ねてみた。ちっともじゃまにはならないそうである。女は言葉でじゃまを否定したばかりではない。顔ではむしろなぜそんなことを質問するかと驚いている。三四郎は店先のガスの光で、女の黒い目の中に、その驚きを認めたと思った。事実としては、ただ大きく黒く見えたばかりである。
「どうして御存じ」
三四郎は返答に窮した。女は頓着なく、すぐ、こう言った。
「いくら兄さんにそう言っても、ただ買ってやる、買ってやると言うばかりで、ちっとも買ってくれなかったんですの」
三四郎は腹の中で、野々宮よりも広田よりも、むしろ与次郎を非難した。
二人は追分の通りを細い路地に折れた。折れると中に家がたくさんある。暗い道を戸ごとの軒燈が照らしている。その軒燈の一つの前にとまった。野々宮はこの奥にいる。
三四郎の下宿とはほとんど一丁ほどの距離である。野々宮がここへ移ってから、三四郎は二、三度訪問したことがある。野々宮の部屋は広い廊下を突き当って、二段ばかりまっすぐに上がると、左手に離れた二間である。南向きによその広い庭をほとんど椽の下に控えて、昼も夜も至極静かである。この離れ座敷に立てこもった野々宮さんを見た時、なるほど家を畳んで下宿をするのも悪い思いつきではなかったと、はじめて来た時から、感心したくらい、居心地のいい所である。その時野々宮さんは廊下へ下りて、下から自分の部屋の軒を見上げて、ちょっと見たまえ、藁葺だと言った。なるほど珍しく屋根に瓦を置いてなかった。
きょうは夜だから、屋根はむろん見えないが、部屋の中には電燈がついている。三四郎は電燈を見るやいなや藁葺を思い出した。そうしておかしくなった。
「妙なお客が落ち合ったな。入口で会ったのか」と野々宮さんが妹に聞いている。妹はしからざるむねを説明している。ついでに三四郎のようなシャツを買ったらよかろうと助言している。それから、このあいだのバイオリンは和製で音が悪くっていけない。買うのをこれまで延期したのだから、もうすこし良いのと買いかえてくれと頼んでいる。せめて美禰子さんくらいのなら我慢すると言っている。そのほか似たりよったりの駄々をしきりにこねている。野々宮さんはべつだんこわい顔もせず、といって、優しい言葉もかけず、ただそうかそうかと聞いている。
三四郎はこのあいだなんにも言わずにいた。よし子は愚な事ばかり述べる。かつ少しも遠慮をしない。それがばかとも思えなければ、わがままとも受け取れない。兄との応待をそばにいて聞いていると、広い日あたりのいい畑へ出たような心持ちがする。三四郎は来たるべきお談義の事をまるで忘れてしまった。その時突然驚かされた。
「そうか」
「うれしいでしょう。うれしくなくって?」
野々宮さんはかゆいような顔をした。そうして、三四郎の方を向いた。
「ぼくの妹はばかですね」と言った。三四郎はしかたなしに、ただ笑っていた。
「ばかじゃないわ。ねえ、小川さん」
三四郎はまた笑っていた。腹の中ではもう笑うのがいやになった。
「美禰子さんがね、兄さんに文芸協会の演芸会に連れて行ってちょうだいって」
「里見さんといっしょに行ったらよかろう」
「御用があるんですって」
「お前も行くのか」
「むろんだわ」
野々宮さんは行くとも行かないとも答えなかった。また三四郎の方を向いて、今夜妹を呼んだのは、まじめの用があるんだのに、あんなのん気ばかり言っていて困ると話した。聞いてみると、学者だけあって、存外淡泊である。よし子に縁談の口がある。国へそう言ってやったら、両親も異存はないと返事をしてきた。それについて本人の意見をよく確かめる必要が起こったのだと言う。三四郎はただ結構ですと答えて、なるべく早く自分のほうを片づけて帰ろうとした。そこで、
「母からあなたにごめんどうを願ったそうで」と切り出した。野々宮さんは、
「なに、大してめんどうでもありませんがね」とすぐに机の引出しから、預かったものを出して、三四郎に渡した。
「おっかさんが心配して、長い手紙を書いてよこしましたよ。三四郎は余儀ない事情で月々の学資を友だちに貸したと言うが、いくら友だちだって、そうむやみに金を借りるものじゃあるまいし、よし借りたって返すはずだろうって。いなかの者は正直だから、そう思うのもむりはない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大げさだ。親から月々学資を送ってもらう身分でいながら、一度に二十円の三十円のと、人に用立てるなんて、いかにも無分別だとあるんですがね――なんだかぼくに責任があるように書いてあるから困る。……」
野々宮さんは三四郎を見て、にやにや笑っている。三四郎はまじめに、「お気の毒です」と言ったばかりである。野々宮さんは、若い者を、極めつけるつもりで言ったんでないとみえて、少し調子を変えた。
「なに、心配することはありませんよ。なんでもない事なんだから。ただおっかさんは、いなかの相場で、金の価値をつけるから、三十円がたいへん重くなるんだね。なんでも三十円あると、四人の家族が半年食っていけると書いてあったが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑った。三四郎にもばかげているところがすこぶるおかしいんだが、母の言条が、まったく事実を離れた作り話でないのだから、そこに気がついた時には、なるほど軽率な事をして悪かったと少しく後悔した。
「そうすると、月に五円のわりだから、一人前一円二十五銭にあたる。それを三十日に割りつけると、四銭ばかりだが――いくらいなかでも少し安すぎるようだな」と野々宮さんが計算を立てた。
「何を食べたら、そのくらいで生きていられるでしょう」とよし子がまじめに聞きだした。三四郎も後悔する暇がなくなって、自分の知っているいなか生活のありさまをいろいろ話して聞かした。そのなかには宮籠りという慣例もあった。三四郎の家では、年に一度ずつ村全体へ十円寄付することになっている。その時には六十戸から一人ずつ出て、その六十人が、仕事を休んで、村のお宮へ寄って、朝から晩まで、酒を飲みつづけに飲んで、ごちそうを食いつづけに食うんだという。
「それで十円」とよし子が驚いていた。お談義はこれでどこかへいったらしい。それから少し雑談をして一段落ついた時に、野々宮さんがあらためて、こう言った。
「なにしろ、おっかさんのほうではね。ぼくが一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡してくれろ。そうしてめんどうでもその事情を知らせてもらいたいというんだが、金は事情もなんにも聞かないうちに、もう渡してしまったしと、――どうするかね。君たしかに佐々木に貸したんですね」
三四郎は美禰子からもれて、よし子に伝わって、それが野々宮さんに知れているんだと判じた。しかしその金が巡り巡ってバイオリンに変形したものとは、兄妹とも気がつかないから一種妙な感じがした。ただ「そうです」と答えておいた。
「ええ」
よし子はまた大きな声を出して笑った。
「じゃ、いいかげんにおっかさんの所へそう言ってあげよう。しかし今度から、そんな金はもう貸さないことにしたらいいでしょう」
三四郎は貸さないことにするむねを答えて、挨拶をして、立ちかけると、よし子も、もう帰ろうと言い出した。
「さっきの話をしなくっちゃ」と兄が注意した。
「よくってよ」と妹が拒絶した。
「よくはないよ」
「よくってよ。知らないわ」
兄は妹の顔を見て黙っている。妹は、またこう言った。
「だってしかたがないじゃ、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかって、聞いたって。好きでもきらいでもないんだから、なんにも言いようはありゃしないわ。だから知らないわ」
三四郎は知らないわの本意をようやく会得した。兄妹をそのままにして急いで表へ出た。
人の通らない軒燈ばかり明らかな路地を抜けて表へ出ると、風が吹く。北へ向き直ると、まともに顔へ当る。時を切って、自分の下宿の方から吹いてくる。その時三四郎は考えた。この風の中を、野々宮さんは、妹を送って里見まで連れていってやるだろう。
下宿の二階へ上って、自分の部屋へはいって、すわってみると、やっぱり風の音がする。三四郎はこういう風の音を聞くたびに、運命という字を思い出す。ごうと鳴ってくるたびにすくみたくなる。自分ながらけっして強い男とは思っていない。考えると、上京以来自分の運命はたいがい与次郎のためにこしらえられている。しかも多少の程度において、和気靄然たる翻弄を受けるようにこしらえられている。与次郎は愛すべき悪戯者である。向後もこの愛すべき悪戯者のために、自分の運命を握られていそうに思う。風がしきりに吹く。たしかに与次郎以上の風である。
三四郎は母から来た三十円を枕元へ置いて寝た。この三十円も運命の翻弄が生んだものである。この三十円がこれからさきどんな働きをするか、まるでわからない。自分はこれを美禰子に返しに行く。美禰子がこれを受け取る時に、また一煽り来るにきまっている。三四郎はなるべく大きく来ればいいと思った。
https://togetter.com/li/2417354
これ、いろいろはてなブックマーカーも語ってるけど、一番腑に落ちたのは
東京・熊本あたりの人足を剥がすのに掛かるカネが高い、というコメだった
ちょっと前の関西でのライブやコンサート興行の「無理ぽ」レポートとかもあったじゃん?
興行現場の音響さんとかの人材は首都圏に集中してて、その人らを地方に呼ぶために掛かってる交通費宿泊費(特に宿泊費)がクソ高くなってるので
首都圏開催のほうが割がいいすぎてやれない、って
発注側に提示するカネは、大需要地に集中してる人足を移動させて工期中は定着させる交通費・宿泊費込みで
その全体費用の中での割合では人材獲得のためのちんぎん割増は微々たるモン、ということなのではないかと
地方が負えるキャパ(≒人足数)を超えた建築を着工しようとしたらヨソから引っ張ってくるしかないわけだから、3,4倍の多くがそこに吸われてるというのは腑に落ちる話
人足集めに苦労してるとかと違うか