「意味合い」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 意味合いとは

2019-03-21

アメリカが顕著だけど

何であんなに自信があってオープンマインドか。

宗教人種もあるし、もともと教育よりもアイデンティティ確立に重きを置いてるので。

成人式意味合いもしっかりしてるし。

大人として―――――――――――ってのが

いつまでも子供からとか。もともと自己確立教育ってのがないんだよ。ジジイが。

クズだし。

戦争時代は己の力の自己でどうのってので無敵の日本軍の半分にはなったしね。

2019-03-18

[]お約束

未成年ですが女の子なんで多少なりともおっぱい有りますよ。

みたいな意味合いで、胸の下部に影を必ず入れる事。

90年代アニメに良くある「ロリ巨乳」を生んだ設定資料内の指示。

今思うとイカ娘原作の影もお約束影だったんだ。

そのせいで俺みたいなイケないやつも生み出してしまったけど

2019-03-16

[]せんべろ

せんべろは、「1000円でべろべろに酔える」ような価格帯の酒場俗称

概要

一般には作家中島らも編集者小堀純が、共著の著書『せんべろ探偵が行く』(2003年ISBN 978-4163595009)で使い始めたのが最初と言われている。また、1980年代頃に中島らもの身内言葉から全国区に広まったとの記述もある。[1]

1000円でべろべろに酔えるという価格帯の酒場俗称ではあるが、実際には1000円でちょっと気の利いたおつまみお酒2~3杯飲めるという意味合いが強く、発祥と言われている『せんべろ探偵が行く』(2003年ISBN 978-4163595009)でも、そういった酒場が多く紹介されている。

低価格で酒やおつまみ等を提供するという性質上、該当する店には居酒屋立ち飲み、角打ちなどが該当する。

2007年サブプライムローン問題発覚、2008年リーマン・ショックなどを背景とした景気低迷の中で「一般的な低価格居酒屋チェーンよりもさら格安で飲み食いができる店」として注目が集まるようになり、近年雑誌等で特集が組まれるようになったほか、「せんべろ」系居酒屋を専門に取り扱う書籍複数登場している。

せんべろ - Wikipedia

anond:20190316085014

一丁上がり、と同じかな。炊き上げるは、炊飯完了みたいな意味合い

面白いんだけど、この上がりはもともと「お茶」のことだっていう説がある。

英語でcook upというとでっちあげるみたいな意味合いなるみたい。

けものフレンズ2』9話のダメな点&俺ならどういう話にするか

けもフレ』も『けもフレ2』も5分で切った俺だが、2の9話がまた物議を醸してると聞いて興味が湧き、今回はじめてちゃんと見てみた。あーこりゃダメだなと思った。イエイヌ不憫すぎる、ボロボロになるまで守ってくれた彼女を放っておいてサーバルと談笑に興じるキュルカスまじキュルカスなど既報どおりの印象を持ったが、単純にクオリティが低いとも思った。

イエイヌに対して無関心なのが単純に物語としてダメ

イエイヌに対して登場人物みんなが本当に無関心だ。なぜキュルルをさらったのか、その後どうしたかったのか、どうしてボロボロになってまでキュルルを守ろうとしたのか聞きもしない。その無関心っぷりはイエイヌと別れた後、存在のものを秒で忘れるんじゃねーのと思うほどだ。

その象徴が「おうちへおかえり」という言葉を望んだイエイヌに対し、首を傾げながら表情をまったく変えずにオウム返しするキュルルである

キュルルは間違いなくイエイヌがそう望んだ理由理解していない。それどころか「なぜそんなこと言わせようとするんだろう」とすら考えない。本当に、一ミリも、イエイヌに興味を持たずに終わる(その証拠に、イエイヌ目的事情彼女一方的説明するだけでキュルルから尋ねることはついぞなかった)。

これはキュルルがカスだとかbotだとかの以前の問題で、ここまで感情のやり取りがないと物語が成り立たないレベルで致命傷だ。だから必然的視聴者として感じ入ることができない。これは例えばたった一言ボロボロになってもキュルルを守ろうと立ち上がるイエイヌに対し「どうしてそこまで……」と声をかけるだけで話が違ってくる。それがあれば例えば「だってそれがイエイヌですから!」と信念を示すこともできる。いや、画面ではまさにそういう意味合いを持ってイエイヌは戦っているわけだが、それに対するキュルルの興味・理解共感がないからただただ虚しいシーンに成り下がっている。意味ある物語を作ろうとするなら相手への無関心・無理解絶対に避けなければならない。

イベントとその結果がつながってない

ついでに言うなら「ビーストに襲われる」ことと「イエイヌが別れを選んだ理由」が直接つながってないのも出来が悪い。イエイヌがキュルルとの別れを選んだ理由は「キュルルさんを引き離すような真似をしてすみません。仲間を失う気持ちはよく知っていたはずななのに」にあらわれているが、これはビーストと戦ったことやボコられたことと直接関係ない。ビーストボコられたところからつなげたいなら、「私ではキュルルさんを守れませんから」を理由にすべきだし、キュルルとサーバルカラカルの絆を理由にしたいならキュルルと仲違いしたカラカル(&サーバル)が戻ってくる理由スケッチブックの返却ではなくビーストの唸り声を聞いたからにすべき。ケンカしたのにキュルルに危機が迫ると知るや取って返すふたり、キュルルを守るために傷つきながらも強敵撃退する、という流れにすればあの3人の絆をイエイヌ理解でき「引き離すような~」というセリフにつなげることができる(その布石としてキュルルを悪く言うカラカルイエイヌが不満を持つ、外は危険からと言うイエイヌに「ふたり危険なのに家でじっとなんてしてられないよ」とキュルルが言うなどあれば尚良い)。

実のところ似たようなことはどれもやってるのだが、必要セリフ演出をことごとく欠いているためそれっぽいけど全く違う醜悪ななにかに成り果てている。

俺ならどうするか

創作者のはしくれとして俺ならどうするかについても述べておく。

まずイエイヌのやっていることは代償行為である。キュルルはヒトだが本当の主人ではない。彼女には帰りを待つべき主人が別にいる。しかし主人が帰ってこないため、キュルルに偽の安らぎを求めており、そんな「弱さ」を彼女は抱えている。1人&2匹との出会いによってイエイヌは主人の帰還を信じる「強さ」を手に入れ、キュルルたちとの別れを選択する――という点を軸にする。1人&2匹との出会いイエイヌ心の問題解決するのがポイントだ。

具体的には以下のような流れ(※筆者はガチでこの9話しか見てないのでキャラに違いとかあるかも)。

ところでこれはまったくの余談

けもフレ』5分切りを豪語する俺がひとつだけちゃんと見た『けもフレコンテンツがある。それはJRAとのコラボ動画『けいばじょう』。

内容は他愛のないもので、「おおきなたてもの」のそばを通りすがった一行は、その中でサラブレットのフレンズ出会い、「おおきなたてものであるところの「けいばじょう」を案内してもらいつつ最後はかけっこ勝負をする。時間にして3分半ほどと短いが、俺はこの動画が好きである

その理由の大部分を占めるのが3:10から流れるたった5秒の映像だ。

サーバルのかけっこ相手であるあおかげは、その直前、客席(スタンド)に視線を向け、耳を澄ませる。聞こえてくるのはかつてこの競馬場を埋め尽くした大歓声だ。今は失われてしまった、華やかで賑やかだった頃の残響感傷に耽るあおかげの後ろ姿に胸が締めつけられる。彼女は何も語らないし表情すら画面に映らないが、この場所が或るいはかけっこが彼女にとっていか大事か、そのワンシーンで伝わってくる。

向き直ったあおかげの顔にセンチメンタルな色は微塵も残っていない。「本気でいくよ」「負けないんだから」。完璧である

2019-03-14

anond:20190314185529

ゾーニング本来は「区画整理」だから「この町にお前たちの居場所はない」的な意味合いを持つ。

「このコンテンツにはドラッグを想起させる人物が出演しています。表示しますか」

こういうやつはクッションと呼ばれるものだったのではなかろうか?

ひょっとするとクッションがさらに先鋭化してゾーニング進化したのかもしれない。

2019-03-13

出生前診断我が家場合

33歳で妊娠した。初めての妊娠だ。

夫と話し合って、とりあえず出生前診断は受けようという話になった。堕胎視野に入れるなら法的に堕胎ができる週数が決まっているので、そこから逆算して出生前診断を受けられる週数もまた決まってしまい、そしてそのタイムリミットが近かったからだ。

から、とりあえず受けておいてその後のことはその時また考えようという話になった。

出生前診断を受けるにあたって、遺伝子カウンセリングというものも受けた。

聞き取り調査遺伝的なリスクを探し出すのと共に、出生前診断でわかることというのも説明してもらった。

まずはクアトロテストを受けることにしたが、かなり意外だったのが、偽陽性の率が高いということだった。具体的な数値ははっきりと覚えていないので医療関係者確認して欲しいのだけれど、このテストは陰性であればこのテストでわかる一部の病気に関してはまず安心していい、という程度の意味合い検査で、陽性になったか病気が確定するという類のものではないし、陰性であってもこのテストではわからない先天的病気が現れる可能性がある。本当に病気を持っているのかどうかということは、羊水検査をしなければ確定はしないとのことなのだ。

それでもまずはクアトロテストを受けてみようという話になった。

クアトロテストは私の血液だけで受けられる、胎児にとっては安全テストだ。

その結果が出るまでの間、夫と話し合った。

まず私の気持ちとして、何かあっても堕胎絶対に嫌だ、ということを伝えた。私にとっては、子供病気があったとしても堕胎する罪悪感と比べたら育てていくほうがずっと良いという気持ちがあった。

幸い夫はその考えにすぐに理解を示してくれた。

それはそれとして陽性が出た場合、次の確定診断である羊水検査に進むかどうかも相談した。だが、羊水検査は非常に低い確率ではあるが胎児危険が伴う検査であることを考えると、何があっても産むという決心をした以上受ける意味を感じなかった。もしそれを受けることで胎児に何か起きたら、と考えると絶対に受けたくなかった。

これも夫と同意が取れ、では今回受けたクアトロテスト子供に何かあるかもしれないという心構えをするための検査だという位置付けにしよう、という話になった。

そしてクアトロテストの結果を受け取りに行った。

結果は、陽性だった。

だが、事前に取り決めた通りそれ以上の検査は望まなかった。

遺伝子カウンセリングをしてくれた医師の方に、子供病気を持って生まれても良いように調べものを始めます、と伝えると、「この検査本来そういう目的のための検査だった」という旨のことを言われたのが今でも印象に残っている。

それから妊娠継続していく間、不思議なほど楽天的だった。病気を持って生まれた人たちのための団体運営するウェブサイトなども見て回ったが、明るく過ごしているらしい様子を見て、多分大丈夫だろうと思ったりした。悲観的にも無闇に勇壮にもならなかったのは本当に不思議である

そして結果が出てから半年後、子供が生まれた。一目でわかる病気は持っていなかった。

この文章を書けているのは、結局子供病気がなかったからだと思う。もちろん、私の場合はこうだった、ということ以上を語るものではない。

でも、もしクアトロテストではなくNIPTを受けていたとしたら?年齢的にNIPTは受けられなかったが、もっと高精度で偽陽性の率が低いのに陽性だと出ていたら?その時私はどう思っただろうか。

それは、今となってはわからない。

2019-03-10

Twitterむいてねーよ

どうでもいいことつぶやく度に、いいね!してくる人が3人ぐらいいる

正直なんだかわからないけど面倒。

フォロワーなんてリアルで会う人しか居ないし人数的にも300人も居ないのに、そのうちの3人ぐらいが毎回毎回「お腹空いた~」とつぶやこうが「眠い」とつぶやこうがなんだろうが必ずいいね!してくる。

なんだ、義務なのか?存在証明なのか?

別にいいんだけど、「みたよ!」の印なら別にせんでいいしスルーしてくれと思う。

共感したよ!的なのとかよかったね!の意味合いならいんだけど。

もしかして「お前のつぶやき多いよ!」だったりする?それは流石に凹むぞ?

こう思ってるんだけど、これをTwitterに書けない悲しみ。

長年やってるけどこんな事気にしてしまう私は多分Twitter向いてないんだと思う。

でも独り言を言わないですむし、人に話したいけど一方的でいい意見かいらん、って事を人形相手に喋らずに済むので好きなんだけどな

鍵付きで一個つぶやくようのアカウント作りゃいいのかもしれないけど、流石にそれするぐらいなら人形にしゃべる。

どうも便所の落書き感覚で使うとなんだかやりづらい。

人形買うか。

2019-03-08

ゼロ嫉妬魔女人格の1つはレム?

最近ゼロ見直した。

前に見たとき嫉妬魔女はレムではと思ってたので、その時の考察と見返した今の考察を。

基本全部推測なので、”かも”とかが多いです。

色んなパターンの羅列なので、それぞれの考察矛盾もあります

[前に見たとき考察]

とりあえずエミリアだとひねりがなさすぎ。仮にエミリアとしても別人格はだれか。

アニメ完了時点までだと、スバルを深く愛しているのはレムと次点エミリア

"愛"の言葉を口にしたのはレムのみ。

嫉妬は愛の裏返し。深い嫉妬の裏返しは深い愛。

アニメ完了時点では嫉妬するとしたらエミリアよりレム。

Wikipedia情報だと、レムは白鯨戦後名前記憶を奪われ抜け殻状態で深い眠り状態らしい。

どこかで名前記憶精神が戻る展開はあるだろうけど、ただ戻る展開より、例えば誰か他者の体に定着なんて展開もあるかも。

その場合、ペテルギウスが伏線的なものになるかも。

何かしらのイベントまたはレムの意思により、他者に定着。

特にレムの意思が加わるなら、かつ愛が嫉妬にどこかで変わるなら、スバルの1番エミリアベスト対象になる。

例えば、名前記憶を取り戻すイベントか何かで、とりあえず、その場にいたエミリア精神を定着させるしかないとか、エミリアと同居するうちにエミリアへのスバル気持ちを目の前で見、直に感じて嫉妬へ変わっていくとか。

[最近見た考察]

タイトルについて

1. Reと":"とレム(Rem)

Windowsバッチファイルで"REM"はコメントアウトに使われる

":"も2つ続けるとコメントアウト

"RE:"でなんとなく":"2つ分(=REM)と見えなくもない。レムを隠喩してるかも?

2. Reとゼロ

ゼロは無 => Re:ゼロ => Re:無 => レ:ム?

● その他、レム以外の考察

1. コメントアウトだとすると

REM ゼロから始める異世界生活

コメントアウトされた、本筋からは消されたが筋の書き手には記憶に残っている"ゼロから始める異世界生活"、つまりスバル記憶からは消されたスタート時点より前のゼロ地点がある?

Reには繰り返しの意味もある?ループ

2. Windowsバッチファイルで":"1つだと、その場所へ移動、セーブポイントみたいな意味がある。

":ゼロ"だとゼロ地点へ移動みたいな意味。Reを再びとすると再びゼロへ移動。

死に戻りそのものとも考えられるけど、ゼロ意味からすると、やはり話のスタート時点がすでに繰り返しなのではと思います

3. Re, :, ゼロなどの意味合いの組み合わせで他にもいろいろ考えられそう。

例えばREM(コメントアウト)しようとしたがRe:(地点移動の繰り返し)になった"ゼロから始める異世界生活"とか。

[補足]

1. 英単語サテラに近しいのはsatelliteあたり。衛星の他に従者、お供、〔権力者の〕手下、子分

近しイメージはやはりエミリアよりレム。隠喩としてならスバルあたりも

2. GLAYの曲に「Satellite of love」という曲がある。

2010年リリース

ゼロ小説投稿サイト小説家になろう』にて2012年4月より連載スタート

創案、書き始めが1年程度前として、曲が普及、作者が認知、参照するのに1年程度というのは、ちょうどタイミングはいいくらいな気がします。

サテライトからサテラでもいいけど「"サテ"ライトオブ"ラ"ブ」の全体を略してサテラと略せるような気もします。

それっぽい部分を以下抜粋

アナタには歪んだ世界

教えてよ 教えてよ 教えてよ

サテラを想起させるような?

ささやか幸せを守るため

大切な夢までも無くしたのね?

→ レムと逃亡Ifを想起させる気がする?

繋いだその指を離さないで…

せめて今日明日を聞かせて

どうかお願い…

指切りシーンを想起

パートナー呼び方が定まらない

結婚して一カ月が経とうとしているが、パートナー呼び方が定まらない

かに話しをする時

今まではパートナーのことを「彼女」と言っていたが、結婚後はなんて言えばいいもの

「嫁」と言うのは調子に乗ってる感じがするし

そもそもパートナーのことを「嫁」と言うのは日本語的に違うらしいし)

奥さん」と言うのも他人みたいな感じがするし

そもそもパートナーのことを「奥さん」と言うのは日本語的に違うらしいし)

家内」と言うのも堅苦しい

「妻」と言うのも小っ恥ずかしいし

かみさん」と言うのも熟年感があるし

女房」と言うのも熟年感があるし

連れ合い」だとただ一緒にいるやつみたいだし

「ばけべそ」だと怒られそうだし

相方」だとダサい

なんて言うのがいいもの

結局いまだに「彼女」と言っている

英語で言うところの「She」意味合いも含む)

そのうち収まりがいいのが見つかって慣れるのかもしれないが、今いいのが無いだろうか

みなさんどうやってその呼び方にしていったのかが気になるところ

2019-03-06

ABアンソロCA描写が混入された件について

私は元々文字書きですが現在は読み専の者です。

今回の件については大方把握しているつもりなので今回筆を取りました。問題点を纏めていくので長くなると思いますが、お時間御座いましたらお付き合い頂けますと幸いです。

ただいまTwitterにて物議を醸している「ABアンソロCA描写が混入された件」についてですが、些か情報が独り歩きしてるように思えます

まず最初にこのアンソロCA描写が混入されていたと愚痴を漏らした方がいる事は皆さんご存知だと思います。ですが、彼女は「別CP描写があるのなら記載をして欲しかった。それなら手に取ったりはしなかったのに。」こう嘆いていただけです。

口汚く罵った訳でも、返金しろとも言っていません。また、問題のページを晒したのも彼女ではございません。

これを勘違いし、愚痴を漏らした方を袋叩きにしていた方がいたのを遠くから見ていました。

この方はただ、注意書きも何も無かったアンソロを手に取り自分と同じように悲しむ人が増えないようにと愚痴と一緒に注意喚起をして下さっただけです。

何も調べもせずこの愚痴と共に注意喚起をしたアカウント画像を上げたアカウントと同一視していた方も多く見ました。意見をするのならまず物事本質理解してからにしては如何でしょうか。

次に、このアンソロ問題点は「ABアンソロである事です。ABアンソロと書かれていたのならAB要素しかあるはずがない、普通にそう思うと思いますイベント中通路にて通り掛かっただけの私もそう思っていました。

また、混入されていたCA描写と言うのが

現在Bと付き合ってるAは昔石油王のCに飼われていた。「綺麗になったな。Bの代わりにお前が戻ってこないか」Cにそう言われたAは「貴方には遊ばれて捨てられた」と発し、Bに近付くなと牽制した後「昔はあんなに素直で可愛かったんだってBが知ったらどう思うんだろうな」と言うAのモノローグと共に首輪に繋がれた若い頃のAが裸でCと抱き合いキス寸前という絵(アンソロの告知アカウント曰く"美しいイメージ")でその漫画は終了となっている。』

文面に書き起こしてみたものの、このような内容をABアンソロの中で描かれていた事自体理解に苦しみます

漫画の作者はこの内容は万人受けしないことは「またまた地雷の人がいるかもですね」と発言(現在ツイートは消去済)しており、本当だったら注意書きをしなくてはいけない事も理解していたであろう事は明白です。

また、注意喚起をしたアカウントの方やジャンル内の者が返金を迫ったと勘違いした方がいらっしゃるようですが事実は違います

アンソロの告知アカウントで「返金対応検討します」と記載していただけで、実際に返金対応が決まった訳でもありませんし同情的に「返金してあげて欲しい」と言っていた人はいましたが返金しろ!なんて威圧的に声を上げていた方はまずいらっしゃいませんでした。

CA混入に関しての弁解や返金対応検討するなどの文面も共催の方が上げたものであり、聖地での同人イベントに赴いた主催の方はずっと黙りというのも如何なものかと思います。(3月6日現在の話です)

それに加え、同一記事内に未成年(中学生)に売り子はさせていない。運搬作業を手伝って貰っていただけとの文面がありましたがR18本頒布サークルでは未成年の同席、立ち入る事も禁止されています

こちらに関しましては赤ブーサイト初心者FAQサークル申し込み その他・全体」の「高校生以上のもの代表者となり、中学生を引率して参加することは可能でしょうか」という欄に書いてありますので是非目を通してみて下さいませ。

そして当ジャンルの方では無い、少し発言に影響力をお持ちの御方が固定は自衛しろ地雷があるかどうか立ち読み確認しろ!と仰られた方もいらっしゃるようですね。

実際春コミに赴いた立場からすればそんな事はまず不可能です。400ページもあり専用の箱に収まっている本から、あるかも分からない要素を探し出すのに一体どれだけの時間が掛かるのでしょうか。

漫画小説も込みのアンソロです。ただでさえ壁もそれ以外のスペースも混雑していたABスペでそんな事をすれば顰蹙を買うに決まっていますよね。

それを出来るだけの図々しさをお持ちの方は是非確認すればいいと思いますが、ただでさえ満員電車かと言わんばかりの混み方をしていたABスペでそれをやるのは私はお勧め出来ません。

また今回はABプチオンリー開催という事もあり、ABアンソロジーに期待していた方も少なくはないと思います。そんな中アンソロジーにCA描写が、何も注意書きも無く混入していたら愚痴を言いたくなる気持ちもわかりますし、同じAB好きに伝えないと注意喚起をする気持ちもお分かり頂けると思います

それに純粋な疑問なのですが、どうして「CA描写があります」という9文字を付ける事を怠ったのでしょうか。

この漫画の作者様が仰っていた言葉通り、この内容はABが好きな人には正直受け入れれないものだと思います。作者様側やアンソロ参加者の皆様を守る意味合いとしても、この労力は怠ってはいけなかったものだと強く思います

これらは40人もの大人数で作り上げたアンソロです。他の参加者である作家様達が締切までに頑張って書き上げたもの台無しにしたのは地雷だなんだと騒いだ固定なのでしょうか?

かに絶対に悪いとは言いきれませんが簡単な労力すら怠った側に非が無い訳がありません。だってその注意書きがあれば苦手な方は避けられますし、このような騒ぎには絶対にならなかったのですから

そうすれば作者様方も懸命に生み出したであろう作品達も守れたはずであることを理解していない人が多過ぎると思うのです。

この件が発覚した後も暫くはTwitterアンソロ告知ページにはモブAのタグも注意書きも無く、有志の方がタグ付けをして下さったと聞きました。

それを記載する事が、アンソロ頒布する側に何か都合が悪い事でも起こるのでしょうか。

アンソロは作者達が好きに作るものだ!買う側の意思関係ない!そう仰るのでしたら、尚更棲み分けの為にもタグ付けや注意喚起をしっかりなさって下さいとしか此方側からは言えません。

そして当の注意喚起をしたアカウントの方ですが、謂れもない誹謗中傷を受けジャンルを離れてしまいました。

こんな後味の悪い結果を迎えてもまだ、自衛が出来てない固定が悪いと声を大にして仰る気持ちがおありですか?

人を不必要に責め立て、攻撃する前に今一度冷静になり事実確認する事が大切だと思います

もちろん、私の記事だけでは信憑性に欠けると思われる方も多いでしょう。また固定派擁護が喚いてるよ程度にしか思われないかもしれません。

しかし一方の意見だけを鵜呑みにする事ほど愚かな事はありません。どうか、多方面から物事を見つめ本質を見極めてから発言して下さいませ。

匿名でのブログですが、これにて締めとさせて頂きます。ご拝読頂き有難う御座いました。

追記あり婚活疲れたのでオカマ結婚したい

別に同性愛者ってわけじゃないけど、

婚活してしててそんなに条件絞ってるわけじゃないのに、介護して子育てしてセックスできるママ探してる人とマッチングばかりしてうんざりしてる。

全部ワンオペでって。

別に高望みもしてない地味なアラフォーなんだけど、ここまで言われるもんかな?おまえの面倒見るくらいなら、同じ大型なら犬の方が癒されるのでましですって思うので、一生独身だろうなって思ってるけど。

もう、結婚したいと思うのが女性オカマになってきた。まだ同姓婚ができないので、アラフォーのおばさんと結婚してもいいオカマのおじさんいませんかね。

オカマのおじさんにも選ぶ権利があるのは知ってますよ。でも、本当に疲れたんだ。

面白いテレビを見たときとか、ご飯がうまく行ったときとか、そういうときに何気ない会話をする人が欲しいんだ。


追記

こんな内容なのにそこそこのレスをいただいてありがとうございます

勢いで書いたので、言葉足らずだった。

ほかの方のレスにも書いてあった通りのことがまさにって感じなんだけど、

こっちは婚活相手の両親と相手介護も含めて面倒見る覚悟はあるので、

私の方も一緒に支えあう覚悟をしてほしいって気持ちです。

でも、探してみるとそういう人片方に負担を強いる癖に

自分は一ミリ金銭的にも肉体的にも精神的にも負担したくないっていう人ばかりで

疲弊してしまってます。それでいて敬ってほしいっていう感じで。

まともな人に会う前に心が折れる

追記その2】

こんな愚痴の吐き出しに様々な意見を下さりありがとうございます

そして、オカマという表現安易に使ってしまってすみません

お叱りごもっともです、大変申し訳ございません。

しんどいからといっていきなり傷つける言葉を使ったにもかかわらず、

お断りやお叱りの言葉でも優しく感じることができました。

こんな私にまでお気遣いありがとうございます

否定されたとしても優しくされたかったんだと思って少し泣きました。

オカマゲイの方やトランス女性の方と思っていたわけではなく、

そして、男性よりもと妥協したわけでもないです。

男と結婚するよりゲイとしたいとかトランス女性としたいとか

男性側に妥協してやるんだありがたく思えという態度で接せられるくらいなら、こっちだってむちゃくちゃ条件をしぼってやるぞ!!女性物理的・精神的にも加害しない女性的な部分があり女性嫌悪感を持っていない、人間だと思ってくれる、性的役割女性求めない男性というドラマ漫画にいそうなタイプオカマ像が理想だぞ!どうだ、いないだろ!

無理ゲーだろ!というやけくそからでした。

決して、ゲイの方ならチャンスありそうとかは思っていないです。

オカマという発言についてもゲイでない、トランスでもない、ファッションの一環とか、女装が好きとか、ゲイだけど結婚という契約世間的にしたいけどとか、断定した意味だとそれしかなくなるので広義の意味合いを持たせたつもりでした。

タイトルにするには長すぎたし、勢いで書いたのでうまく説明できなかったのと、どうせ反響ないと思っていたので省いた部分でした。もう少し説明するべきだった思います

気づいてくれた方もいましたが、大多数の方をむやみに傷つけてすみませんでした。

いくつか指摘の通りなんですが、私は元々ぼんやり男性的な部分嫌いなところがあり、婚活悪化したと思っています

アラフォーメリットのある婚活は無理だよってご意見理解しています。でも、ここまでか・・・と思ってしまったんですよね。

元々アラサーから婚活を始めいて、最近までお付き合いをする男性もいました。

ただ、スタイルも背格好もよく似た年下の女性に乗り換えられたことがあって。

よく理想男性はいないのだから、育てるんだよって言われても

育てた末に年下の人に持って行かれるのかとか

今はアラフォーとはいえ、少し前までアラサーだったので

仕事をして毎日風呂はい男性くらいなら婚活の場にいるだろうと思って婚活再開したら、

顔も洗ってない歯も磨いてない仕事してないお風呂入ってないみたいな男性ばかりで

さすがに育てるにしても新人バイト仕事教えるのも大変なのに

大人赤ちゃん育てる体力無いな・・・婚活やめたいな・・・と思ってしまいました。

結婚はゴールでは無いことについて

どうしても結婚したいというわけではなくて、でもパートナーはほしいと思っていました。

同性なのもダメではなく、同性と同居って楽しいだろうなと思いますもっと年齢を重ねた時に同性同士で暮らすのもいいと思いました。

ただ、同性だと相手か私に何かあったとき何もしてあげられないんですよね

遺産がどうかとかじゃなく、病院の入退院手続とか葬儀手続とか、

ずっと一緒にいたのに配偶者じゃないか

血縁者の許可がないと何にもしてあげられないし、何も残せないんですよね。

そういう一緒にいたい人がいた時に、

一番強いカードとして婚姻てしておきたいと思いました。

でも、これってそういう友達とか仲間とかパートナーがいた上の結果ですね。

よくよくなんで結婚したいのか改めて考えたらこれなので、

特に今、そういう相手もいないですし、これからも出来ないと思いますので、

一人で終末を迎える準備を続けたいと思います

婚活を休んで趣味をみつけては等について

ありがとうございます大丈夫です。

友人も多いですし、趣味も充実しているので毎日楽しくすごしています

TwitterSNSで繋がって楽しくすることも多いです。

なので十分楽しく過ごせています難易度の高いことに挑戦したりと楽しいです。

でも少しルーチンワーク的になっていたのかもしれません。

ちょっと新しいこと、新しいアプローチなど考えてみます

今はまだ同性同士で婚姻は認められないですし、

同性婚が認められる世の中になっても、

契約婚ともちょっと違う同性の友達婚が許されるのはまだ先だろうな思います

もっと息をしやすい世の中になるといいですよね。

というのは流石に話がずれ過ぎですね。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

2019-03-04

anond:20190304011956

それは災害救助という分野での予備自衛官OB的な存在としてという意味合いでですかね

だったら人数の分布としてさすがにそれは希望的観測が過ぎるしそうでなくても当時の訓練として知識としてレスキュー災害救助隊の錬度からしても自衛隊災害派遣隊であればレスキューなんか目じゃない知識を持って高い意識が周知されていたはず、というのはやはり説得力に欠けるように思うしそれを根拠比較とやって分母を大きくして批判的に選択への罪悪感的なものを刺激するのは何にしても単に反感を買う因子の方が大きく賛同を得るには拙いやり方だなと思う

自分共産党立場思想もハッキリとしている分嫌いではないけど(大阪で対維新自民と組むみたいになってたのはどうかと思ったけど)民主主義の中でその政策が選ばれないのは当然その有用性や現実性説得性の面での主張の不備にも責任があるように思うし(政策自体の不備ではなく)実際共産党議員さん自体選挙において現実的311以前以後に争点として強くそこを据えて推し進めて詰めて来たかと言えばそうでなく政策をやる当の議員さんがそんなで実際国や命に関わる大きな事を変えるというのに有権者はいそれで、となるわけはないように思う

そういう意味ではもしかしたら共産党がしっかりしていれば自衛隊が無くなりはしなくても阪神淡路東日本の後に災害派遣の要素の更に強い部隊が別の形で出来ていた可能性もあったかもしれない

そこで国民自衛隊を捨てられなかった結果だ、というのはむしろから政策立案側の共産党議員さんが追う責任を無いものとしている、然も丸投げのようでそういうところなんだと思う

本来ならあなたのような支持者であり大事な票を入れた人こそが(違ったらごめんね)代表たる議員さんに対してむしろなぜそこをちゃんと主張しないのだと不甲斐なさに憤るべきなのに、と思う

いやほんとまともに投票も行ってない上ほんとクソ知識なんで言えた義理でもないんだけど

2019-03-03

銃やライフルが嫌だ。種子島がいい。

伝統的な意味合いがある言葉がすでにあるのに、銃のようなそっけない単語ライフルなどとカタカナ英語を使うのが嫌だ

種子島がいい

2019-03-02

anond:20190302222532

ももっと気軽に憎悪表現を使えばいいよ

「こいつ頭おかしいよ

とか

精神病院いけ

とか

「お前アスペだろ

とか

みんなが気軽にバカと言えばおはよう程度の意味合い日本語として進化する

大人”の意味自分で決めるものだよ

男性よりも女性の方が早く大人になるとかい意見がある。

例えば男の子中学生高校生になってもゲーム漫画に夢中なのに比べて、

女の子小学校に上がるころには、恋愛などの人間関係の遊びに興味が移ることを指して

そういう意見が作られるのだろうが、いやいや、人間関係に興味が移ったからって、

それがどうして“大人”になるんだよ。

 

そもそもの話だが、精神的な意味合いでの“大人”という言葉は、

愛や自由正義と同じく抽象的な概念から、人それぞれの定義存在してもいいのだ。

例えば俺にとっての“大人”の条件は、下記の二つだ。

1.権力暴力に屈せず自分正義価値観を貫くことができる

2.他人のために生きることができる

これだけ。俺の定義で言えば、無職だろうが小学生だろうが大人になることができる。

逆に、60年とか70年とか生きてもガキのままのくだらないやつらも大勢いるってことだ。

経済的に自立したら大人だとか、子供を育てたら大人だとか得意顔で言ってる奴ら、

本当にくだらない。自分言葉を持たないで大人も糞もあるかバーカ。

 

俺に言わせりゃ女はガキだらけ。

自分を持たないガキだから、みんなでトイレに行くし、自分他人を比べなきゃ気がすまない。

グルメファッション芸能人ゴシップしか興味が無く、文化が無い。美術に向いてない。

恋人や夫のスペック他人勝負しようとする。下ネタや人の悪口を言うのが大好きだが、

それらを聞くに値するユーモア昇華させる実力が無く、平凡な下ネタ悪口しか言えない。

馬鹿主体性が無いか先駆者ではなくMeTooしかなれないが、なぜか先駆者よりも声がでかい

スポーツ実況やアンカーといった知的労働には就けないことが分かっているのに女子アナを目指す。

イベント男性声優しか拍手や声援を送らず女性声優を平気で無視他人を減点法で採点する。

aikoや尼神狩野容姿を褒め、吉岡里帆宇垣美里容姿を貶す。公文書偽造よりも生活保護を憎む。

被害者になったときに異常な攻撃性を発揮し、加害者人格人生を徹底的に破壊しようとする。

女のほうが大人だとか寝言を言うなよ。女は男よりも動物的で、人情理解できないんだよ。

2019-02-28

人を嫌わないということ

自分は、人を嫌いません。というと、周りからよく疑いの目を向けられます。いい子ぶっているのではないか、実際は人を嫌っているのに、自分自分否定しているのではないか、嫌いと言う言葉定義を知らないのではないか

  

 自分からしては、なんで周りの人は人を嫌うのだろう、と逆に疑問を感じます。人を嫌っても、何もいいことなんてありません。人を嫌ったところで、自分人生バラ色に変わるわけではありません。嫌いな人が苦しんでいることに喜びを感じる方も多いかもしれませんが、そのことが自分の役に立つわけではありません。その人がなにかみんなのためになにか貢献して、失敗している場合、むしろ自分への影響はマイナスです。

人を嫌うことにメリットを感じないように思うのは自分だけでしょうか?むしろ、嫌いな人が回りにいる、ということで自分の心が灰色になるのではないのでしょうか?人を嫌っていないのでよくわかりませんが。自分高校生ですが、嫌いな人と高校生活ずっといっしょに過ごすというのは、少し地獄じみている気がします。

毎日嫌いなもの食卓に並んでいたら、誰だって嫌ですよね?嫌いな食べ物を捨てるよりは、その食べ物を好きになったほうがいいのではないでしょうか。

  

 また、嫌いな人のことをみんなで話すといったことをしている集団もいますが、その行為意味あるのでしょうか?みんなで話すのは楽しいことですが、嫌いな人のことをみんなで話しても、より憎しみが増幅されて終わりなのではないでしょうか。

そもそも、人を嫌いになるほどのエネルギーを皆さんは持て余しているのでしょうか?周りの人を嫌って、そんなことに時間を費やしている暇があったら、勉強するなりしたほうが良いと思うのです。

人を嫌うことで得るものは、ストレスぐらいではないでしょうか。

  

 人を嫌わない、それは難しいことかもしれません。人生経験の少ない高校生からみても、社会は広く、いろいろな人がいます日常的に人を殴ってくる人、常に独り言を喋っている人、周りの人を巻き込んで現実逃避する人、例を上げればきりがありません。自分でもそういった人のことを苦手に思うことはよくあります。ですが、それが人を嫌いになる理由になるかと言われたら、ならないと思います

自分は彼らによって迷惑を被ったのは事実ですが、自分も同じく他人迷惑をかけていますし、迷惑をかけられたから恨んでいるようでは、迷惑で得たストレスを増幅していくただのドMになってしまうと思うのです。

  

 それにむしろ自分が彼らから良い経験を頂いたのも事実です。明らかに通常は得ることのできない経験をさせていただきました。その得た経験は、直接なにかの役に立つわけではありませんが、きっといつか人生を振り返ったときに、思い出として残るでしょう。

せっかくの80年ぐらいの短い人生(もしかしたらもっといかもしれない)なのですから、できるだけ珍しい経験をして死にたいと思うのは、ふつうのことではないでしょうか?折角の短い経験で得たものなのですから、悪い思い出よりは良い思い出のほうがいいでしょう。






でも、その人を嫌わないということに、違和感を覚える自分もいるのです。






 人を嫌わないということに、その裏に隠れた事実を覆い隠していしまっているのではないかと。その人が本来やっていたよろしくないことすらも、すべて肯定してしまっているのではないかと。何もかも肯定して世界から目を背けて生きているのではないかと。

  

 これは自分に対しても言えることです。自分は、人を嫌わないということで、何か自分に対して言い訳をしているのではないかと。

昨日も、ある人から言われました。「無理して嫌わないようにしているみたいで、キモい。」その場ではごまかしましたが、確かにその言葉正鵠を得ていました。

  

 自分は人を嫌わないということを言い訳に、歪んだ人間関係を構築してしまっているのです。常に人を馬鹿にして(もちろん自分では冗談のつもりです)、常に人を貶めて、それだけでしか自分相手との会話を構築できない、歪んだ人間関係を。最悪です。基本的に何かあれば人を馬鹿にして、会話に困ったら人を馬鹿にして、ただのコミュ症を汚い言葉で覆い隠しただけの、最低の自分がそこにはいました。

周りの人が普通の会話(なんでしょうね?)をしているのを見て、どこか羨望を感じているのも事実です。人を嫌わないのを言い訳に、何も改善のための努力をしていないのに。

人を嫌っていないから、人の悪口いくら言ってもOK。少し前まで自分はそんなふうに考えて行動していました。自分自分に甘えすぎていたのです。

  

 同時に人を嫌わないために、少し苦労しているのも事実です。自分のことを常にからかってくる人が、自分のことを常に見下している人が、失敗しているとき、苦しんでいるときに、良くないと思いつつ、やめないといけないと思いつつ、心の奥に、かすかな喜びを感じている自分がいました。

その気持ち自分から生じたものであるが故に、嘘ではないことは確かです。しかし、それを認めることによって、自分の信念である、人を嫌わないが壊れてしまうのではないかと恐れ、その気持ち否定してきました。

でも、同時に、そこまで自分に嘘をついていきたいのか、と思う自分もいました。自分に嘘をついて、自分に嘘をついた自分自分と認めてもよいのか、と。嘘にまみれた自分は、もはや自分とは言えません。その2つの考えに挟まれて、どうしてもどうすればいいのかと悩んでしまます

  

 また、自分は人を嫌わないということで自己満足に陥ってまっているのです。

 人を嫌っていない自分ってすごい。人を嫌っていない自分って優しい。人を嫌わない、その自分の信念みたいなものを笠に着て、裏側で自己満足している。最低です。これなら人を嫌ったほうがマシかもしれない。そう思うことも多々あります。 そして、人を嫌わないことの裏側で、自分は人を無意識にでも道具として扱ってしまっているのです。人を嫌わない、そのためだけに人と腹を割って話していない気もしますし、人を嫌いになりそうな場面に出くわしたら、そっと目を閉じている。もはやなんのために人を嫌わないのかわかりません。本末転倒です。

  

 そもそも、そんなことをしてまで人を嫌いにならない必要はないのではないかと、最近思うようになりました。あまりにも、人を嫌いにならないことによる違和感が大きくなりすぎて。でも、未だに人を嫌いにならないことをやめていません。

  

 自分は、嫌われるのが怖いのです。陰でコソコソと悪口を言われるが。自分が知らないところで、自分が嫌われるのが。自分を知らない人が、自分と合わず自分を悪い人だと思うのが。自分は、人から評価に過剰すぎるのです。自意識過剰自分は、自意識過剰の極みのようなものでした。

 それゆえに、自分が嫌われるのが怖いから、人を嫌わないのです。「自分が嫌なことを人にしてはいけません。」自分は、小学校で教わったことを、未だに信じ続けているのです。自分が嫌われるのが怖くて。周りの人が嫌われるのが怖くて。自分は浅はかにもこんなことを始めたのでした。

 ですが、今はその目的はあまり原型をとどめていません。今の自分はどちらかといえば自己満足意味合いのほうが強いのです。




きっと、この世界理想存在しないのでしょう。優しい世界存在しないのでしょう。だから自分は、優しい世界を作りたかった。

でも、自分は優しくはなかった。利己主義自意識に満ち溢れたただの高校生だった。

この優しくない世界で、自分はどう生きるべきなのでしょう。答えがないが故に、自分は答えを探して、今日自分は答えのない日常彷徨っています

女性を消費するって言葉の氾濫

本来被害を受けた当事者への共感を伴った義憤によって分母を大きくする事で加害側への責任サイズを正当にしそこに個人に納まらない社会においての蔑視観念の影響が認められるなら啓発としての批判的働きも含めというような概念で本当は消費できない存在をそのように扱うことへの糾弾皮肉意味合いを持った言葉なのに今では性的な消費という言葉拡大解釈させて女性という概念への被害を叫ぶ事で属する自身をも直接的被害者としてカウントさせ正当化させるための単なる利己的なツールと化してもきているようで辟易する

加害者責任制裁を求めるのも当事者である被害を受けた女性によりも集塊した個々の怒りに対して望むような傾向が見られるし主観の域を出ない個人感想主語を"女性"とすり替え同調を誘う事での自己正当化また溜飲を下げるための手段非難のための免罪符としても使い勝手良く氾濫してしまって意味性としてはむしろ正当性が削がれていっているように思うしそこに危うさも覚える

その言葉は多くを包含する女性という概念の下で主観的なものに左右される消費への定義を振るうものであるのに消費という単語が持つ即物的客観性を含んだ印象のためにさもそこに共通する絶対的基準存在するかのような錯覚を起こさせ個々に主観を反映させたそれを自身正当性担保としたならそこに齟齬や違和は当然生まれるし実際見ていると女性間でさえ性的価値観の差や意識差においてその寛容さ奔放さを自身との相違でもって本来は違って当然で双方が尊重し合うべきものであるあくま相対的ものしかないそれを性の消費へ加担しおもねるものだというような非難へ繋げていて(エマワトソントップレス写真問題が分かりやすい)それは女性選択できる性的自由度の幅を狭めるようなもの全体主義的というかほんとどうなってんのというきもちになる

それは加害者としてファンタジー現実区別がつかない人間だけでなくそ性的対象にも原因を求める痴漢自衛論的な発想でそんなものでも"被害を受ける女性性"を盾にすれば正当性を伴ったあまりに大きすぎる分母の代弁者として振る舞えるそんな客観的正当性を欠くような類の安易な乱用が許されるガバガバな現状はともすればそのまま安易女性性が消費できるものだと定義認識されかねずそれはいわゆる二次元キャラクターなんかに対して更に顕著で代弁し得る被害者がいない分自身がその対象を受け入れられない不快に感じたそれを消費されているとして被害を主張し嫌悪不快感の赴くまま狭く特殊世界性的意図や人によってはポジティブ性的さと捉える類のまた場合によってはそんな意図自体から無いようなものにまでその責任を取らせるため拳を振り上げ本来は絵や漫画に限らず性的なまたは偏った視点による都合のいい理想像としてそのために用意されたもの次いでそれらへの一方的性的視点現実女性は全くの別物で前者に後者を反映させる事はあってもその逆は原則的に無いとすべきところをむしろ進んで混同を招くかのようにそこに消費できる女性性が存在しているまたその性的な偏った視点が消費され得る現実女性性を含むものとするそれこそ現実に生きる女性への冒涜でそれは特殊嗜好やそこへ向けた性的娯楽表現社会における女性男性定義するような性的玩具女性性を認め性的な消費だと言うような話でその辺の誰かが言ったおっぱいエロいって発言が胸を象徴としての性的な興味の個人的な発露なのかフェティシズムとしての限定的性的嗜好によるものなのか対象ポジティブ性的魅力の客観的優位性を語るものなのかそれとも女性性的な消費物としてしか捉えていない事での無意識発言かなんて場合によっては当人にも分からないのに性的さや性的な魅力へ惹かれるそれ自体を消費だとするそれは傲慢以外何なんだという話でもの区別がつかないのかと思う

私はそれこそそんな身勝手に"女性が消費される"なんて言葉が使い回されるそれに"女性という概念が利用され消費されている"という気持ちになる(皮肉

いや実際性的ものに限らずそんな類の感情にまで体よく使えるそれこそ消費という言葉の現状へ思う事でもある

言葉自体を使う事被害を訴える事共感や怒りそれ自体社会の在り様を問う事疑問を持つ事嫌悪感や不快感その苛立ちをどうにかしたいという気持ち許容しかねる性的価値観被害者がいなくても"女の子"とされるものの後ろにいる人間への非難めいた感情やその影響への懸念やそれを示す事それが問題なんでも悪いわけでもなくそれが本当に正当性のあるものかそのマイナス感情自分帰結するものではないかその対象個人的なものかまた属するグループの特徴か社会に反映され得るもの社会を反映したものかを考える必要を欠かせたまま通用させてしまいかねないその責任感の無さから軽率さでお手軽にやってしまえるそこが言葉の持つ重さに対してあまりにもに思えるしそれが招く扱う内容や巻き込むものの影響のサイズを考えればそんな程度に扱えるものではないはずなのにと考えてしま

個人的にはそれが気に入らないもの非難排除する印籠または虎の威を借る狐的使われ方だとしてかわいさややわらかさみたいなものを弱さだと前提として定義してその上で"弱い女性"を理想化している事での消費という捉え方での使われ方が無意識男性性への優位的価値基準に基づく無責任さを見るようで本当に恣意的独善的できらいだし理想像偏重さへの抗議の意としてそれが言われる事もあってでもそれは他を貶めて相対的に優位さを確保するやり方でその度そんな事に問答無用で総意として私が女性という性で巻き込まれまた使い方如何でその責任まで勝手に負わされることになるその不当で理不尽ガバガバさがほんとうにほんとうにきらい

そしてきらいだけどそれは個人意見でそれに異を唱え打ち捨てたいと思う人もいるように本来性別のようにグループにおける総意とは"個人的に""私は"の集約であって集約されるという過程飛ばし個人主観で代弁できるようなものじゃなくするべきでもなくまた次いでその中に見られるあくま問題解決への手段である問題提起とその周知を自尊心を満たすための個人目的としてとやってそのためにと短絡的に対象を大きくとり優生学的に貶し相対的また絶対的優越に浸りそれを自己肯定感へ繋げ反芻するその姿は痴漢や他の性的被害に対して女性への蔑視思想でもって心無い人間によって見られるようなそれでもあり持ち出す内容やその是非倫理性は違っていてもそれ以前に同じ事をしているというその影響は個人でなく"女性"の代弁としてやるには確実にあってそうしてしまう事で女性言葉"としての説得力が失われていき実際そういう観念でもって本当に総意の力が必要とされている場でもその説得力の有無をこちらへ突き付けるような人間が少なからずいるその事も恐ろしいしその必要な人のための必要な場のためにも代弁者とするなら個人的な部分をこえたところでの危機意識は持つべものだと思う

個人として何を思うのもどんな価値観を持つのもそれを発表するのも基本自由ではあるけど少なくとも女性というだけでなく大きな枠で多くを巻き込む事になる上で代表として語るならその自覚はあるのかそれがどこから来たものかそこに客観性が含まれるか主観とは区別できているか自論であるなら自身でそうだと理解しているかそれを示せているかひとつくらい考えて使うべきだと思う

本当にひとつでも十分なのにと思う

というような事を消費という言葉を見る度思って胸焼けを起こすので文字に起こした

提言とかでさえない

おしまい

2019-02-27

瞑想ってどうやんの?

xevra先生が「運動瞑想睡眠野菜350g」とよく言っているけども、30代になってくると睡眠運動重要性はとてもよくわかる。

ちゃんと寝ないと、単純にダルいし、何より身体が重い。十分に睡眠を取った時は、身体が本当に軽いし、仕事サクサク進む。

身体をほぐすのにも、運動重要。この年になると、鍛えるというより、ガタがこないように定期的に動かしてメンテナンスするという意味合いの方が強い気がする。

野菜350g野菜ジュースで誤魔化すとして、問題瞑想である

ぶっちゃけ瞑想ってどうやるんだ?座禅を組めばいいのか?

そして何もせず目をつぶって座っているだけだと、小人閑居して不善をなす」の諺のようにどうでもいいことばかり考えだしたりして、あまり良いとは思えない。

瞑想身体によいのか?良い瞑想とはどうやるのか……。

ダブルという概念への疑問とプリキュア

ハーフという呼び名ネガティブからダブルにしよう、という働きがある

私はむしろダブルこそ言葉として、その成り立ちからネガティブさとは切り離せないものなのではないのか、という疑問を持つ

そしてそのネガティブさは多くの人間に対して向けられているものではないか、とも

少なくとも現状、違うルーツの両親を持つ呼称としてのハーフ言語的な概念は、当人を100とした、単純に両親の異なるルーツでもって50/50とする、またそれを前提としての略語、もしくは任意において一方のルーツベースとし残り半分の割合を指すものメディアで目にするものも含め一般的ものであるように思う

同じくクォーターも4分の3は言及せず、またベースとして略すもので、それはシンプル客観的で図式的な概念であり、本来単語としては感情的なあれこれの入る隙は無い

だがハーフネガティブなのだ、という

ダブルへ繋げる論拠として

単語として「半分」という意味である

そこから人として半人前だ、という含意の存在

あるいは血統主義から一方の国、この場合日本人が半分「しか」入っていないという差別意識を表す

またそこから上記の「半分」の意へ発展させたもの

というのがざっと目に入った大方の意見だった

正直に言うとかなりバイアスのかかった発想だな、と思う

先にクォーターハーフに並べたのはそれが言語として連なると解釈するからで、実際の用法としても多くでそう捉えられているからだ

ハーフは「半分」クォーターは「4分の1」

彼ら、彼女らの言うネガティブである単語からマイナスイメージで言うならクォーターハーフより印象は悪い

ハーフが半人前ならクォーター人間が四分の一しか出来ていない、となる

ハーフという言葉の指すところが日本人の血の割合である、という主張も日本において多くの場合単語が表す先が他国名となるクォーターでは通らない

繰り返すが言語的な用法としてハーフクォーター現実として連なっている

ハーフの「半分」という意味へ待ったをかけるのならクォーターもそうでなければ筋が通らない

クォーターに通じない論理ハーフ解釈する事は、ハーフでだけでなら可能だとしても論拠として不足が過ぎるように思える

クォータークアドラプルとでも言うのだろうか

だがダブル法則へ従って4倍という意味を調べたはいいが、それだと元々の4分の1のルーツを表すという意味合いとは違ってきてしまい、現在使われている割合意味での用法ではなくなってしま

アメリカクアドラプル(4倍)」では意味が通らない

それがルーツの数を表すのなら日本3アメリカ1のクォーター日本アメリカダブル、という事になってクォーターにあたる表現に穴があいしま

日本トリプルアメリカシングルとすべきなのだろうか

単純にハーフ上位互換として更にポジティブさを、というのならクォーターとの併用も違和感はない

だがなぜかそうではないのだ

単語の持つ意味や印象がマイナスイメージを想起させる、と主張するならハーフ否定してクォーターを許容するのでは整合性がとれない

そもそもこのハーフに対する話は日本和製英語として、その言外にいわゆるガラパゴス言語観への若干の批判めいた意も滲ませられ取り上げられている事も多く、それなら、と欧米一般的にはどう表現されるのかと興味がてらにさっくりと調べると何の事はなくhalfという単語も使われていた

ただ日本のように単語自体ルーツへの意味を含ませるのでなく、そのまま単語として国名民族名と並べてアメリカ半分と日本半分、のように使われるらしい

またpartも同じように使われるようで、こちらが日本で使われていたら分割という意味ネガティブさが見出されていたのかな、とも少し思った

ダブルはといえばこちらも結局は和製英語であり、更にhalfやpartより一般的でないようで、使うにしてもやはり単語単体では意味が通じにくい、という事だった

そういえば以前テレビ番組ハーフネガティブからダブルを広めたい、と言った女の子に同じくハーフアメリカ出身女の子アメリカでも普通に使う、言葉自体ネガティブな要素はない、日本でもそうだと思うという風に言っていて、その認識の違いを興味深く思っていたのを思い出した

ダブルハーフ海外で通じる通じない、という日本ガラパゴス意識という意味では変わらず、むしろダブルの方が単語の用例としては一般的ではない様だった

それでもダブルを通じさせるためには略さず言う必要がある

さないのであれば、また略さないそれがそのままダブル意味なのだとするのならガラパゴス、という部分でハーフ否定的になる理由はない

ならなぜダブルなのか

調べている中で表現としてmixというものがあり、ハーフクォーター、またそれ以外をも内包出来る親和性の面でもいいな、と思えたし、実際日本ミックス表現として使っている人も既に少なからずいるようだった

特に多民族国家ではhalfやpartやquarterでは表しきれない事もあり、mixが段々と単語として市民権を得ている、という印象を持った

そこからの輸入でのミックスという表現なのだと思う

言葉としてハーフクォーターと平行して組み合わせる事も可能汎用性も高く、会話や文脈によってはmixという単語自体ルーツの意を含ませる事自体も、ハーフダブル比較すれば難しくはないらしい

言語的にも、日本ガラパゴス言語感覚への問題提起としてもミックスを使おう、というならすんなりと腑に落ちる

違う言語から見て、初めて聞くハーフというそ言葉ネガティブさを含むように見えるかもしれない、と思う

そしてそれこそが嫌なのだ、という人もいるだろう

言葉における現状を知りようがない状態での誤解に罪はない

そして誤解とはいえネガティブな枠で自身定義される、それ自体への拒否感も理解できる

だがその場合ハーフという言葉言語として、用法としてのネガティブさは認められない

問題日本独自略語和製英語が生む対外的な混乱による認識差異、ただ1点だ

だがダブルという新たな和製英語を使おう、と言う

そしてハーフ言葉としてネガティブから、と言う

ミックスではなくダブルなのだ

単語として、ハーフ基準にそこに優るものとする発想から用意された事は明白で、それは先述した言葉としての有用性や論理を置いてけぼりにハーフという言葉への相対的な優位性のみを後ろ盾としており、当然その説得性にはハーフがどれだけダブルに劣るかの提示が不可欠であって、そのやり方としてハーフネガティブ論が持ち上がっているのではないか、と考える

実際ダブルを広めたい、とする場ではほぼ必ずセットとしてハーフマイナス面が語られ、ダブルポジティブさにしてもやはりそのネガティブさに対しての相対的ものに留まりハーフ差別的であるネガティブであるという言ってしまえば既成事実作りとそれを踏み台にしての消去法的優位性でもってでのみ語られる姿はどこか悪く言えばプロパガンダ的だ

ハーフマイナス面をいくら語ったところでそれはダブルの優位性の証明にはならないのだが、単語としての関連性を匂わせ、選択肢として提示する事でそう見せる、というやり方なのだと思う

そもそもダブルが持つとする言葉ポジティブさの論理は、一歩間違えば純血主義に対し方向は真逆でもベクトルは変わらない、同じ類の比較対象ありきの優生的優位性とも取れる危うさもあり、ともすれば強くハーフマイナス面を示す事でのあくま相対的であるとする主張はその指摘を避けるためのものでは、とも思ったが、そこまで考えていないようにも思う

賛同している多くもハーフネガティブさ、という主張をも含め「素敵な考え方!私達は理解してるし悪い慣習は変えて行こうよ!」というような諸手をあげてのもので、単純に深く考える前に助力になれば、という意が先に出ているようでもある

それにしてもダブル肯定するという事は当然過去遡って差別的ネガティブな要素を持つ言葉として使っていたという事を自分も含めて認め、もしくは受け入れる事であり、違うのだとすればそれは一方的に要はレイシズムからなる加害者だとされる事であるのにそこに違和感はないのか、と首を傾げてしま

多くの賛同者はただただダブルポジティブ!とやっているのだ

そのポジティブさはハーフという言葉相対的犠牲理不尽に強いた上でのものなのに、なぜそんな肯定的に思えるのだろう、と

かに現実としてハーフという言葉ナショナリズムから悪い意味をのせる人間はいるだろう

しかしそれは今の通例としての言葉概念上では明らかに例外であり、そのような人間が発する言葉に含まれレイシズムにその他大勢人間性を巻き込むのはナンセンスであるし、むしろ仮にダブルが使われるようになったとしてどうにかなるのか、というような現実用法とはかけ離れるレイシスト意図をその文化圏象徴のように語るのはそれ自体差別的であるように思える

その上でネガティブな印象に受け取るのは個人選択であり、本来意図される言葉の使われ方やそれを口にした人間人間性など意に介さずお構いなしにやるそれはあまりにも、という印象が拭えない

自身自尊心のために半ば言いがかりのようにして他の多くの人間性を否定する

ハーフネガティブから、というのは結局はそういう事なのだ

それら全部分かっていてもハーフという言葉ネガティブに取ってしまい、それがダブルという言葉自己肯定に繋がるのなら、とも思いはする

だが、それはあくま自己完結としてあるべきで、言葉やそれを使う人間をも巻き込むのは傲慢が過ぎるのではないか、と思う

「ただ自分に誇りを持ちたいだけ」「ポジティブにありたい、それが悪い事なの?」というような声も目にしたが、ネガティブさを押し付けなければ得られない、相対的しかない誇りやポジティブさとは一体何なのかとやはり首を捻る

そんなものでも彼ら、彼女らは良いのかもしれないが、そのためにレイシズムを含む言葉を使って来たと匂わされるこちらはたまったものではないし看過できるものでもない

その人間意図や場面を限らず、元の言葉から定義をし直そうとするその行為は紛れも無くこの私も含め、多くの人間への自己肯定理由にした小さな悪意であり、自尊心アイデンティティと向き合うためにそうする姿は健全とは言い難く、やはり違和感は拭えない

そして何よりやはり言葉としてあまり出来がよくないと思う

その人が言葉に持たせた意図やその言葉意味でなく、ネガティブだと捉えた自身根拠ポジティブになるためにその相手非難めく

近くにいたら少し距離をとるな、と思うし、それを「応援」する人間も怖いな、と感じるんだろうとも思う

少し前、流れていたツイートで、ハーフなんだね、と言う女の子に、それも少し前話題になっていたプリキュア男の子が半分じゃないよダブル、のように言っている画像を見た

そこには(曖昧だが)ポジティブな考え方はマネしていきたい、というような文章が添えられていた

画像男の子大和撫子パリジャンのダブルから、という言い方をしていた

しかしたら設定として、その男の子日本に来て間もなく、誤解の下にハーフという響きにネガティブさを感じたのかもしれない

そんな可能性を示す、そこには何の異議もない

実際そのダブル和製英語としてのルーツを示す略語でなく、単純に本来そのままの意味として使われているように見えた

現実的に考えてみてもそんな状況ならハーフという言葉に疑問を持ったとして、和製英語であるダブルを使う事は無いだろう

だが、これはアニメ

この場面の意図に、ハーフに代わる略語としてのダブル、という言葉存在が前提にあるのは明らかで、また画像に添えられたツイートもそのように捉えていたように思う

女の子が口にしたハーフルーツ意味を含む略語という側面でなく、単語それ自体で受け取らせ、ネガティブだと否定させ、その上で同じく単語用法そのままの意味ダブルという言葉を並べ、語らせ、そしてその比較ハーフダブルの印象へと繋げる

これはそのままダブル賛同者の論理のように見える

先述した通り、略さないのであればハーフという単語を用いるネガティブさ、という方向性での疑問は海外の用例からしても杞憂しかない

そしてまた、略さないのならダブルを用いて自身ルーツを表す事自体には大して問題もなく、それは確かにハーフ使用する場合より単純な印象としてどこかしら肯定的な雰囲気も持ってはいるようにも思える

だが、そこで略語としてのハーフ否定し、成り代わるよう安易にそこに収めようとやるから辻褄が合わなくなるのだ

もしこの男の子ハーフルーツを表す略語であり、一般的に使われる表現である理解しているならどうだろう

その場合、その子ハーフと口にした女の子差別的な要素をも含むネガティブ言葉無自覚にでも使った人間である意識の低さを指摘し、また同時に相手意図より自分が思う言葉意味を優先して否定から入るような、そんな子だ、という事になる

そしてそれは当然、その女の子だけでなく見ている子供たちへ向けられるものでもあるはずだ

言葉としての意義に悪者であるハーフ否定する事が含まれているのだからそうなるのは当然だ

これはあくまで仮の話ではある

だが同時に現実としてポジティブさ、という言葉の下で同じ事が無自覚に行われているのも事実

そしてそれは何の悪意も意図もなく、むしろ場合によっては羨望の意味さえ含ませハーフという言葉を使う、その女の子と同じ年齢の子たちに本来そんな必要のない罪悪感を負わせる事でもあるのだ

それは啓発なんてものじゃなく単なる大人の我だ

本当にとても理不尽言葉だと思う

今後、私はハーフという言葉を使い、クォーターも使い、ミックスという言葉も使い、また、もしかしたらプリキュア男の子が言っていたような国と国でダブル、というような、より肯定的な意を込めたとする表現本来ダブルという単語用法ひとつとして使う時が来るかもしれない

だが、ハーフという言葉自体とそれを口にする人間性の否定、というネガティブさを纏ったダブルという言葉を使う事はないだろう、と思う

そこにあるネガティブさを肯定する事は私にはできない

2019-02-25

Twitterポリシー話題をちらっと見かけたので

今はこれが話題になってるっぽいけど、

 https://help.twitter.com/ja/rules-and-policies/sexual-exploitation-policy

英語版Webアーカイブ見る限り、例の文面って去年の12月から変わってなさげ

 https://web.archive.org/web/20181204013414/https://help.twitter.com/en/rules-and-policies/sexual-exploitation-policy

 https://help.twitter.com/en/rules-and-policies/sexual-exploitation-policy

ここに書いてある「Illustrated, computer-generated or other forms of realistic depictions」というのは米国法人が好んで使いたがりそうな表現って感じ。

俗に言う二次元規制文脈というよりむしろリアル再現したイラストとかでも許さないよ的な意味合いで使われるイメージあるわ。

あっちじゃ本当の人間と全く区別できないラインが一つの線引きなんじゃなかったっけ。

少なくともアニメ絵とかの話とは違うと思うなあ。

じゃあなんでわざわざイラストとかCGとかを例示するか?

うろ覚えだけどどっかの米国企業ポリシーに書いてあったよ、イラストかも彫刻かもしれないし自然風景の中にあるかもしれない、もしくは視覚的ですらないかもしれない、でも許さんよ、と。別に写真データけが媒体じゃないからね。まあ当然っちゃ当然よ。

まあ、Twitterがどう解釈してるかなんかTwitterしかわからんのだろうけど。

グローバルなサービスでは英語版利用規約読んだほうが確実では。

Twitterがどうなのか知らないけど、意味が食い違ったら英語版優先ってよく書いてあるし。

あっ、これが言いたかっただけだから

2019-02-18

anond:20190218041111

犯罪に利用される恐れがあるから利益があってはならない」ってのも変な理屈だな。

融通を利かしたり、利益を与えることによる社会への益も当然あるというのにさ。


個人的には臓器も髄液も血液も直接或いは間接的売買にすればいいと思うがね。国に対してだけど。

(ここでいう「間接的」とは「提供した者は提供優先度を高くする」的な意味合い


で、中間業者不正をはたらいたらならば、どんな些末な不正でも詳らかにし、

関係者全員を千代田区霞が関一丁目のビルから吊るせばいいと思うの。文字通り。

一罰百戒を徹底しよう。

本来利益を得るべき提供者が、「善意」の名のもとに搾取される状況が正しいとは到底思えない。

ちな横

2019-02-16

ダウンロード違法化について

 ダウンロード違法化話題になっている。

 このことを考えるには「本とは何であるか」を今一度考える必要がある。

 本はもともとは「情報を記録してより多くの人に伝達する」ためのものだろう。

 「作者が金銭を得る」ことは本来なら「副作用」に類するものだ。

 「本とは何であるか」を見失ってしまたから複製が罪とされるのだ。

 もちろん、これは個人の感想に過ぎないが、もし間違っているなら教えてほしい。

 本とは一体何なのか?

 なぜ本を複製することが罪となるのだ?

※なお「本」をテーマとしているのは真偽は不明であるダウンロード違法化出版業界要請であるとされているため。

 もはや、この前提が正しくないのかもしれない。

 ミリオンセラーを出せば巨額の富を得ることできたのが、よくない。

 「良い商売」になってしまたか権力構造が生まれることになる。

 当初の目的は忘れ去られ、一部の人間のための理屈が全体を支配する。

 かつては「製本コスト必要」だったから、その費用請求したに過ぎない。

 しか現代ではデジタル技術によりゼロコストでの複製が可能だ。

 複製コストがかからないのなら読者は料金を支払うのはなぜか?

 「本を出したい側」すなわち「情報を記録したい側」「情報を伝達したい側」にとっては「無制限いくらでもデジタル複製できる」現代の状況は本来ならば喜ぶべきことではないのか?

 記録性や伝達性を高めるために生み出された手段としての本だが、逆にそれらを喪失しつつある。

 商売邪魔になるからと記録されなくなる。

 これでは本末転倒ではないか? 方向性を見失ってはいいか

 複製が悪と言うならばテクノロジーは間違った方向に進んでしまったのだろうか?

 複製コストだけじゃなく作者の生活費必要

 「本を売る」ということで作者の生活保障するシステムだ……、というのは一理あるだろう。

 だがシステムとしては欠陥まみれだ。拗れすぎてしまった。まるでスパゲッティコードだ。

 通説では「本を売るだけで生活できるようになれば生活のすべてを本を作ることに費やすことができる」とされている。

 しかし「売れること」への強迫観念質的変化をもたらしてしまった。

 競争はとても過酷だ。限られた人間けが「作者」になれる。

 「売れなければならない」から表現たかたことを切り捨てる。

 だというのに本は売れずに儲かりもしないなら怒りも沸くだろう。

 一体誰が得をしているというのだ?

 「本が売れなければ作者は生活できない」とは作者になれた側の理屈だ。

 現在システムでも切り捨てられている人間はいる。

 日の当たることのないものは闇の中へ葬られ、なかったことにされているだけだ。

 「本を出す」ということが「競争勝利した」という別の意味合いへと変容しつつある。

 半ば競技化した出版競争というもの他人を踏みつけた上にある勝利だ。

 ジャンルにもよるが、作品の中でどれほど綺麗事を語っていても、背景にあるのは血生臭い権利の獲得競争だ。

 トロフィー価値が下がるから「本は売れなければならない」という逆説的理論が構築される。

 目指すべきは「本が売れなくても生活できる」社会ではないのか?

 なら、いかにしてそれが可能なのか?

 ここで映画音楽の例を見てみよう。

 ところで映画音楽はいち早くダウンロード違法化を取り入れた。

 しか音楽なら公式MV公式無料配信され、映画なら地上波で放映されるものも珍しくない。

 有名な作品ほど、そうなる。

 結局はダウンロード違法化とは裏腹に無料デジタルコンテンツ提供されている状況だ。

 その一方で知名度の低い作品は人に知られることもなく消え去っていく。

 ダウンロード違法化によってデジタルデータ販売収益が得られるようになったのだろうか?

 どうやら、デジタルデータ販売とは別に収益を得ている様子だ。

 映画音楽と本の違いはなんなのか?

 キーとなるのは「施設」だ。

 映画ならば映画館が、音楽ならばライブハウスコンサートホールがある。

 他にもスポーツ場合でも施設があってプロがいる。

 野球ならば野球場、サッカーならサッカー場、バスケットボールならバスケットコートプールならプールゴルフならゴルフ場といった具合にだ。

 お金が欲しい人とお金を払いたい人が施設に集まる。

 施設を基点とする集金システムは、強い。

 「他人土地に無断で立ち入ってはいけない」という始原的なルールに基づいているためだろう。

 うまくいっているファンビジネスには施設があって、うまくいっていないファンビジネスには施設がない。

 本は施設との結びつきが弱い。

 「基盤となる施設の不在」こそが本の作者の食えないことの最大の要因であるとは考えられないだろうか?

 本にも書店図書館漫画喫茶といった関連施設があるにはある。

 だが、それらは作者の収入に直接的に結びついてはいない。

 デジタルデータのない時代、本は書店に行かなければ入手することができなかった。

 書店は「発売日に本を手に入れる」という日常の中でのプチイベント提供する施設であったといえる。

 しか現代ではデジタルデータがある。

 しかも売る側の人間が「本と電子書籍は同じ価値ですよ」と宣伝しているのだ。

 実物とデジタルデータは本当に同じ価値なのだろうか?

 書店でのサイン会のようなイベントは「宣伝になるから」という理由無償であることが慣例となっているらしい。

 むしろデジタルデータ無料サイン会が有料であるほうが直感的ではないか

 テレビ放送されてこそ「遊園地で僕と握手」というシステムがなりたつ。

 アニメ業界も同様に施設を持たないか金策に苦労するのではないだろうか?

 イラストレーターならアトリエアニメならアニメスタジオのような施設はあるが、これらは工場に近い。

 売れないといわれているアニメ業界だが、一部のアニメ映画はその例外のようだ。

 映画館という施設のパワーを借りたからうまくいったのかもしれない。

 それでは、どんな施設を作ればいいか

 それは出版業界人間が考えるべきことだろう。

 もし何のアイディアも思い浮かばないようであれば出版業界になんの存在意義があるのか?

 出版業界などダウンロード違法化と一緒に崩壊してしまえばいい。

 もしも作者と読者が直接的に結びついてしまえば出版社はお役ごめんだ。

 今後の生き残りを狙うなら出版社にも施設を用意する動機はあるはずだ。

 商業施設というのはただそこにあるだけでなく「関係性」を提供するものだ。

 演者と観客、対戦相手講師と受講生、提供する側とされる側といった関係性だ。

 お金を持っている人、お金を使う人、あるいは大勢の人との「関係性」を提供する「施設」だ。

 もしくは公共性を持った施設でもいいかもしれない。

 ここでいう施設というものはまったく新しい概念でなくてもかまわない。

 地図でも開いて目に付く限りの施設を本と結び付けて考えればアイディアひとつも思い浮かぶことだろう。

 本が売れないかダウンロード違法化というのは根本からしておかしい。

 それよりも適当施設を用意するほうがよっぽど現実的だと思うがどうだろうか?

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん