はてなキーワード: 払拭とは
えー、こちら、最初のnoteがバズってから何となく眺めている程度の野次馬一号です。原作は好きだけど二次には触れていない、界隈外腐。
noteがトレパクという盗作疑惑をふっかけられた場合の対処法として120点満点の名文だったという理由で興味を深め、未だに経緯を追い掛けています。なるべく丸く収まって関係者全員の傷が浅いといいねと思って頭の隅っこにしかなくなった頃に、お祓い炎上が目に入ってきて、思い出して検索したら、わぁ燃え広がってるしえっぐい増田が目立つやん…と幾つかを斜め読みした結果、多少毛色の違う増田も投稿しといてやんよとお気持ち投稿をしにきました。
当事者のKさんAさんZさんではなく、本来無関係な大勢にまつわる話です。
ちなみに私の個人的主観で名文であったからといって羅列された情報の正確性に関しては何ら保証されないのだし、少なくとも双方から話を聞かなければ当事者間で起きた出来事の客観的判断は不可能だと思っています。
更には名文と褒めそやしながらも読んだ内容を完全に記憶してなどまったくいないので、noteの内容で誤情報を流したらすみません。私の記憶力は当てにならないので怪しい部分はご本人様の発信分で確認してください。
①以前から当人たちを見ていなかったような、人柄を知らない界隈外の奴に何が分かるって言うの?
③noteをバズらせなければ良かったじゃん
④デマ?でもパクってるよ
⑤トレスはしてなかったとしても絵柄を盗んでる
⑥でもnote自体出さなきゃ、ここまで界隈が外からまで騒がれてないのに
⑦どっちの肩も持たないって言いながら一方の話を鵜呑みにして騙されてるよ
⑧Aさんの説明責任って何、疲れてる人に責任を問うて頑張らせるなんて無神経
⑨神前で人の不幸を願ったり、Kさんは人格に問題があるんだから
⑩まとめ
①以前から当人たちを見ていなかったような、人柄を知らない界隈外の奴に何が分かるって言うの?
平素の振る舞いや作品で積み重ねた好感度ないしヘイトは、今回の問題とは無関係です。良い悪いの基準はさておき、良い人であれば道を誤らないわけではなく、悪い人なら必ず問題を起こすわけではありません。
むしろ知らないから今回の件に絞っての客観的な印象を抱けるのではないでしょうか。
もしも「界隈内の者でなければ分からない事情や感覚を判断に用いているので、外の者と意見が異なって当然」と考えているのであれば、それは極めて狭い社会の中でしか通用しない、一般感覚と乖離したルールに縛られている証ではないかと思います。どこかで、界隈の空気やローカルルールを俯瞰して客観性を取り戻す気付きを得られれば良いですねとしか言いようがありません。
だから私みたいなのが乱入してんだろと言われればそこはその通りですが、根本的な原因の追求としては誤りです。
前提として、トレパク即ち盗作とは著作権の侵害であり、親告罪なので、権利者と侵害者または侵害疑惑のある者との間でしか成立しません。本人同士の問題です。
盗用でも相手が海賊版を製作販売している業者であったなら買わないようにと広く呼びかけるのは真っ当な対策ですが、個人同士が、しかも趣味の範疇で活動しているのであれば、当事者間のみで片をつけるべきだったのではないでしょうか。
最初に無関係な外野を呼び込んだのは、不特定多数に向け「助けて」と発言して問題が起きていると知らせた上で救援を望んだ、つまり事態への参入を求めたのは、誰でしょうか。しかも救援とは、具体策やその時点で考えている解決へ向けた道筋等を添えていなかったのではありませんか。救助を要請したは良いが方針も度合いも示さない、加えて不特定多数に発信した以上、事態が発言者にすら制御不能の状態になるのは当然ではありませんか?
③noteをバズらせなければ良かったじゃん
バズったのは結果です。これバズらせたろ!で万バズ狙うのは難易度が高すぎます。
そもそもなぜKさんがnoteを出したのか。不特定多数の前で疑惑をかけられたから、不特定多数に向けて弁明を発信せざるを得なかったのですよね。
ネットで先にデマ(あえてデマと表現する理由は後述)を流されると、後からの反論は極めて難しい。○○って××なんだって〜、と誤った豆知識等がバズった時、間違いですよと大勢が発信しても、一度流れたデマはなかなか取り消せません。間違った知識を覚えたままの人がいつまでも残り続けます。
人々の頭に一旦入ったデマの払拭は、デマ以上の拡散力がなければ成しえません。狙った万バズではなかったにせよ、今回、後出しにあたる反論の方が広く拡散されたのは良い事例だったと、私個人は思います。
拡散による界隈の評判云々は、外野から言わせてもらえば、「どこの界隈にも変な人がいてやべー問題が起きることはあるよね」でしかないので、「これだから○○(CP名)は」なんて別に言いません。所詮どこででも起こりうるので作品やCPの民度は言及に値しないし、一部がおかしければ全員がおかしいなんてわけはない。そう思わない人も当然いるでしょうけどね。
④デマ?でもパクってるよ
検証および告発を行った人が冤罪だったと言っているのですから、盗作ではなかったとの結論が出ています。私は絵に造詣が深くないため絵の検証には何の感想も出しませんが、その結論が現時点で誰からでも確認可能な事実情報です。
どちらの肩を持つ気もありませんが、盗作疑惑に関しては冤罪被害が確定しているのでKさんを被害者として扱います。
⑤トレスはしてなかったとしても絵柄を盗んでる
絵柄を多少模倣したところで何の罪にも問われません。著名なクリエイターだって先人からの模倣や影響を取り込んで創作している、と私は認識しています。
影響度合いにもよるだろと言われれば、他ジャンル、一例として松の二次作品群を確認してきてみてはいかがですかと返答します。Kさんと手本にしたとされる方の絵とは見比べていないので知りませんが、私が調べていないのは模倣であれば検証の必要性を感じないからです。
民事ですら問題にならないので、個人の好き嫌いとお気持ちの範疇です。そしてお気持ちを理由に罪なき他人を攻撃するのは、それこそ不当な行いだと思います。
⑥でもnote自体出さなきゃ、ここまで界隈が外からまで騒がれてないのに
デマをふっかけられた被害者は、自身の名誉のため声を上げるとと公共の福祉に反するので、泣き寝入りしろと?
あなたの大切な人が同じ立場に立たされても、「かわいそう。でも界隈のためにパクラーの汚名と人々の軽蔑を甘受して沈黙しててね」と理不尽さの追い討ちをかけるのでしょうか。無茶言うな。
第一、note公開のDMが偽造でない限り、Aさんが公表の許可を出していたと記憶しています。当事者同士が同意のもとで行ったのに結果から見て一方のみのアクションを非難はできません。noteを出したのが悪いのなら、それを認めたのも等しく悪いということになります。
⑦どっちの肩も持たないって言いながら一方の話を鵜呑みにして騙されてるよ
もう一方の話を聞こうにも現在は不可能です。両方の話を聞かなければわからないにも関わらず、片方からしか情報が出てきていないので、話半分で聞いてもその半分が情報全体を占めているのが現状です。
繰り返しますが、発端は著作権の侵害が焦点で、当事者間だけの問題でした。
しかしAさんは不特定多数の人たちに問題の発生を知らせました。告知したのならば、その後のことも知らせるのが筋ではないのでしょうか。
リアルでも、相談と称した愚痴だけ聞かせて、付き合わせた相手をその後は放置する人、いますよね…。報告がないとだらしない人だなとの印象を持ちます。私にとって相談と報告とは必ずワンセットであり、仕事であれプライベートであれ、何かしら尋ねたりアドバイスを求めたり、第三者に助力をもらえば必ず結果ないし経過の報告をします。
ですから私の感覚としてAさんは「助けて」以降は問題に関する説明責任を負っていると思っています。
今後、Aさんから説明と信頼性の高い証拠が提示され、それがKさんのnoteの内容を覆すものだった場合、当たり前ですが私は掌クルーしますよ。
⑧Aさんの説明責任って何、疲れてる人に責任を問うて頑張らせるなんて無神経
疲れていらっしゃる方に無理を要求はしませんが、最初に事態を公にしたのがAさんである以上、Aさんが始めた物語です。ならば今少しご自分で収束への道程を進められれば良いのではと思っています。
いつ、何があって、どうして問題が生じたのか。いかにすれば解決すると考えているか。そのために相手方に何を求め、自分はどうして行くのか。周りの人にはどうして欲しいのか。
これらをKさんは全て表明しました。トレパクについて被害者であった側が明晰に説明し、説明責任を担う側からは説明が出てきていません。これでどうやって両方の主張を等しく吟味しろと言うのでしょうか。
あのDMからでは読み取れなかった侮辱や嘘とは何だったのか、時系列に不審な点があった(Aさんが検証画像を送られたタイミングに辻褄が合わない)のと、話し合いによる手打ちを済ませて後はAさんが説明しますとの報告から行動が一転した展開には、特に首を傾げていますので、説明があれば知りたいなぁとは。Kさんの出したDM画像が捏造や切り取りだったとか、和解したとはKさんの虚言だった等の実情がAさんから発信されれば、両者の主張乖離で改めて見方を変えるでしょう。
Aさん側の主観を知りたくはありますが、しかしながらAさんが私を含めた人々にまで説明責任があるとは思っていません。私のような後から湧いた外野の好奇心に対して責任を取れとは言っていません。私が言っているのは「助けて」を受信した人たちや、Aさんが問題を公にしたことによって心を痛めている界隈の人たちに対してです。
⑨神前で人の不幸を願ったり、Kさんは人格に問題があるんだから
お祓いのことを指しているのであれば、不幸を願ったというのは誤情報です。
私の記憶では、悪縁を断って良縁を願う、なお強力な神様なので願いの仕方を間違えないよう気を付けた上でお祓いを依頼した、だったと思います。そもそも一人で手を合わせたのではなくて神主さんによるご祈祷なら、不幸を願う祈祷なんて絶対に受けてくれる筈はありません。神社に風評被害はマジでやめて差し上げて。
お祓いはさておき、仮に人格に問題があったとしたら、それが一体何なのでしょう。性格が悪い人に対しては個人攻撃をして構わないとでもお考えでしょうか。悪事を非難するならまだしも、"性格が悪い人"と"悪事を働いた人"では全くの別物ですよ。
クリエイターが盗作をしたなら問題ですが、盗作疑惑は晴れましたよね。「トレパクです」が「冤罪でした」になって100%解決しているのに、なぜそれで話が終わらなかったのでしょう。
始めは盗作疑惑があったから。それが覆ると、絵柄を模倣しているから?性格が悪いから?槍玉に上げる問題点が変化しているのはおかしくありませんか。最初から絵柄の模倣や人格を問えば良かったのに、そういう理由の後出し、後付けは駄目でしょう。
模倣では糾弾性が弱いので頭からは出さなかった、問題が広まっていない時点で性格への非難を行えばした側がおかしいのは一目瞭然なので後からの付け足しにした、のであればそれは最早、目的が個人攻撃であって理由は問わないとする暴挙です。
(なんだかなぁと、とあるニュースを思い出しました。法改正議論で同性間の婚姻に反対した議員さん方の言い分。うろ覚え甚だしいけど「子どもができない間柄での性行為は不適切」だとかいう内容の意見があったように憶えています。その理由で反対するのであれば子どもができない体質の人が結婚できないよう法改正に向けて動かなければ筋が通らないし、閉経後の女性は性行為を禁止されるべきだと考えているのだろうし、なんなら避妊の全否定なので避妊具の規制に言及しなければ辻褄が合わないのですが、そういった話は聞こえてきませんでした。好き嫌いの感情で判断を下したものに理屈を後付けするから破綻するのだと思っています。)
好き嫌いで判断した後から、嫌うと決めた一方への攻撃理由を見出していませんか?Kさんの非難に値する要素を、わざわざ探してしまっていませんか?Kさんの言動に触れようとする時、不明瞭な事実を知る一端を得ようとフラットな気持ちで向かうのではなく、嫌いなやつをもっと嫌いになれる要素を見出そうとする心情で赴くのであれば、とても不健全な行いです。
嫌いな人には悪いやつでいて欲しいのが人情なのでしょうし、悪いやつは殴っていいと信じている人は一定数いるかと思いますが、それは私刑です。
誰を好きになって誰を嫌おうが個人の自由ですが、問題とは分けましょうよ。ましてや好悪感情を非難の原動力に据えるのは間違いです。
「無実の人をパクラーに仕立て上げそうになったのだから、AさんとZさんは良くないことをした。でもやらかしたことの尻拭いをしてから前に進めると良いですね」、「それはそれとしてKさんのことは嫌いです」、「Kさんの性格が悪いのを非難したいです」。これらは紐付いているようでいて実は全て別の話なのですが、一つずつを切り離せていますか?Kさんの性格が悪ければ冤罪を被せた過ちに正当性が生じますか?
人ではなく、その人がした行為の一つずつに焦点を当て、それを自分にとって好ましい人あるいは嫌いな人がしていたらどう感じるかと考えてみれば、いくらかは好悪フィルターを外して行為そのものを注視しやすくなるのではないでしょうか。好ましい人がやっても気にならないがあの人がやっているから腹立たしい、というのであれば、客観性を欠いているのが分かりやすいかと思います。
もし冤罪をかけられたのがAさんであったなら、noteの作者がAさんであったなら、あなたが今Kさんに向けているものをAさんに向けましたか?
⑩まとめ
・そもそも無関係な人々を巻き込む道を選んだのはAさんだったという事実の認識は持っていますか
・経緯開示や証拠提示が片方からしか出てこない歪さへの疑問を持たないのですか
・盗作疑惑問題については加害者と被害者が明確にされたのに、最初の加害と被害の存在を放念して次の問題を探そうとしてはいませんか
・好悪感情と事態の問題点を分けて考えなければ客観性を著しく欠きます
目に余ったのがKさんやKさん側に立った人への、反対の立場の人たちの言葉の数々だったので、今回はそれらへ向けて書きました。当然ですが誰は対してでも人格攻撃はダメゼッタイなので、KさんのみならずAさんやZさんへの中傷も等しくダメです。
元々の当事者たちの外で既に被害が出ているようです。これ以上被害が広く深くならないうちに可能な限り穏やかな収束を見られると良いですね。
ソフトウェアエンジニア、36才。総資産の合計が5000万円を越えたので、富裕層になった。
ギリギリFIREできる額なので検討したが、収入が失くなることへの恐怖が多きくて断念した。4%ルール守ってても、定期的に株を売却して減っていくのに不安を覚える。
1億円ためてのFIREが目標だったが、1億円ではこの不安は払拭できそうにない。完全に目的を見失なった。
サイドFIREを参考にして働く時間を減らすのも検討したが、適当な仕事がない。
実際に、何社かに週休3日でどうですかという打診をしてみた。ただ、どこも出社日数は柔軟に対応するといいつつ、提案された業務内容には手加減がなかった。要は成果さえでれば働き方は気にしないという意味でしかない。それは裁量労働だ。
フリーランスになれば仕事量や内容をコントロールできるだろうけど、仕事以外の事務作業が無理そう。 会社の経費清算ですら苦労してるのに、契約をかわしたり、請求書を送ったり、税金の処理をできる気がしない。
フリーランスの人に話も聞いたが、仕事の受け方や辞め方などにも結構なノウハウがあった。最初のうちは苦労のほうが多いと思う。
貯めるのでなく使うのはどうだろうと思ったが、特に欲しいものがない。
今、欲しくて買えてないのはPS5しかない。
自分で使う必要はないので、何人かのFANBOXプランにはいったりGithub Sponsors経由で支援してる。極端な高額プランには抵抗あるので、だいたい1000円くらいのプランに入っている。
この前、支援してるうちの一人がメンタルを病んで「更新できてなくて申し訳ありません。頂いたお金は全額ユニセフに寄付します」って宣言してクローズしてしまった。もっと自分のために使ってほしかった。悲しい。
まわりを見てると家や子供にお金を使っている。たしかにどちらも課金ポイント多そう。
婚カツしたほうがいいのか? でも知らない人に会うの疲れるし、断わられるたびにめちゃくちゃ凹みそうだし、やりたくない。
https://yoboukai.co.jp/article/897
フェミニズム界隈だとピルって単純に肯定されて推奨される事例が多いんだけど
これを見るとリスクが高すぎて怖いんだが…。
『年齢:15~19歳女性のVTEリスクを1.0とした場合、25~29歳で1.99倍、30~34歳で2.91倍、35~39歳で4.01倍、40~44歳で5.29倍、45~49歳で6.58倍にVTEリスクが上昇することが報告されています。』
って、ちまたでは40歳以上から駄目みたいに言われているけれど、これを見ると血栓リスクは25歳で既に二倍近いじゃん!!十分怖いよ!!
年齢的に血栓の心配なくピルを利用出来るのは15~24歳というごく限られた期間ってコト…?それって多くの女性にとっては殆ど無意味では?
別の所では偏頭痛がある女性もピルの服用は駄目だと言われていたし。たかだか偏頭痛程度でも駄目なら、月経困難症のある女性の殆どがピルは無理なのでは?
体調に不調があるからピルの使用を検討する人が多いだろうに、実際にはピルが使用できるのって若くてなおかつ体調にこれといった不調がない人に限られているので
なのに生理痛が重いなら気軽に婦人科に行って相談しよう、ピルをもらおう、みたいに勧められてもな……って思う
しかも『ピルは乳がんの発生リスクを増加させます。』だの『ピルの長期服用によって子宮頸がんの発生リスクが高まる可能性があります。』だの、デメリットが多すぎると思うんだが
で、この記事はこれだけ沢山ピルの怖さを並べ立てておいて最後には『「ピル=副作用が怖い」というピルの副作用神話が今もなお払拭されていないのが現実で』とか書いているけれど
「産業構造ビジョン2010」という少し前の資料があり、「日本は 将来何で稼ぎ、何で雇用していくのか」が議論されていた。
https://www.meti.go.jp/committee/summary/0004660/vision2010_01.pdf
2022年から振り返ってみると、なんでこれだけ分析されているのにネット上での議論はぐるぐる回って繰り返されただけだったのか。
これまで、「日本は高度なものづくりでやっていけるんだ」「いやいや、ものづくりは古い。金融とITで食べていくんだ」
「これからは内需だ」「いやいや、これからは、成長するアジア市場に出て行くんだ」「それじゃ、企業はみんな海外にいってしまうんじゃないか」と、様々な議論がでています。
これに併せて、根拠のない日本礼賛論、何も生み出さない悲観論、実態から乖離した観念論が飛びかっています。
例えば、日本は過剰貯蓄だから消費の比率を拡大しないといけない、という議論を良く耳にします。
しかし、最近では、日本の家計の貯蓄率は、既に米国を下回り、先進国の最低水準となっています。
所得を増やさないで、消費を拡大するのは持続可能ではありません。
しかしながら、賃金の水準を見ると、2000年代の戦後最長の景気拡大期においても、賃金の上昇は見られません。
企業がもうけすぎているから、企業に負担させて消費者に再分配すべきだ、という議論があります。
しかし、国際的に見ると、労働分配率は先進国で最高水準だというデータもあります。
いずれの事実も、「単なる再分配ではなく、全体のパイを増やし、それを所得の拡大につなげていく、という好循環を作り出さなければならない」ということを示しています。
近年、日本の産業は、付加価値拡大の多くを、自動車等の特定のグローバル製造業に依存してきたのは事実です。
しかしながら、実は日本の輸出比率は国際的には低い水準にあります。
これは、特定の企業以外の多くの企業は、世界の成長市場と直接つながっていないことを示しています。
グローバル製造業に極度に成長を依存している日本とドイツは、労働生産性が大きく改善しても、賃金水準はこの20年間殆ど向上していません。
これは、特定のグローバル製造業に依存した成長モデルは、新興国との賃金競争に直面して、なかなか賃金があがらないことを示唆しています。
「企業を補助するのか、労働者を支援するのか」「外国企業を支援していいのか」という国内の内向きの配分論ではないのです。
なんだか今週はテンションがいまいち上がらなく低いような気がするんだけど、
なんだかきっと今の私はバイオグラフの波の下のところの停滞時期な気がするわ。
なんかションテン上げたいところだけど、
もうさ、
ここ2週間銭湯行けてないし、
これも一つに原因あるのかも知れないし、
やっぱり私に足りないのはもしかしたら
世間で品薄のヤクルト1000を毎日飲めてない原因が一番思い付いた要因の中で欠けていると言えばそれだと思ったのよね。
多分そうだわ!
飛び込み前転で奪取してその場で飲み干したいほどな意気込みなんだけど。
本当に売り切れ必至必須で
ここんところ輪を掛けて店頭で見かけなくなったわよね。
ここのところの停滞した気分を払拭したいわね。
断捨離もやったら効くのかしら?
まぁそればかりではないと思うけどさー。
そうそうも言ってられないので、
千葉ロッテマリーンズのションテンガリアー選手を見習わなくちゃね!
うふふ。
カフェオレよ。
もしかしたら私の大好きなサンドイッチを朝に取り入れてないというのがションテンが上がらないせいなのかも知れない理由もあるかも?って今さらながら。
まあこれはそれで仕方ないことね。
どこかでセーブしないと
猫まっしぐら!
いやもとい
控えるべきべきところは控えるのよ。
なんだか急に暑くなってきたんじゃない?
でも夜寒くなるかも知れないこともあるかも知れないので、
マジこの季節の次期シーズン的に
やっぱり羽織っておけるものはしのばせておいたほうがいいわね。
朝暑いので、
飲むのには調子良いわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
「読みたい人がヤングマガジンを手に取って読むことは、今回の問題ではありません。それよりも、女性や性的な描写のある漫画を好まない男性が『見たくない表現に触れない権利』をメディアが守れなかったことが問題です」
ネット上では、はからずも「見たくない表現」に日経新聞の朝刊で出合ってしまった読者が、購読の解約を表明する動きも出ている。治部准教授は「広告によって与えられた媒体のイメージはすぐには払拭できません。どのような広告を載せるかは、メディアにとってのリスクにもつながります」と話す。
後段は、企業に対する「顧客を不快感から守れ」という単なるアドバイスに過ぎないのに、
表現と現実に起きる被害・加害というものの因果関係というものが、エビデンスがあるのか。私が少なくとも様々な報道とかを見ている限り、あまり立証されていないかなというふうに思うんですけれども、
広告は女子高生のイラストをあえて用いることで、作品が発信しているメッセージを確信犯的に、大々的に伝えています。作品で起きているのは、女子高生への性的な虐待。男性による未成年の少女への性暴力や性加害そのものを日経新聞が肯定する構図です。
となる。分からん。
作品が、と連呼してる辺り、本編における満員電車内での不可抗力を、性的な虐待のストーリーとして読んだということかね?
それは違うと思うけどなあ。
https://anond.hatelabo.jp/20140601012957
書き込みから約8年。ぷよぷよ通スコアアタック事件。このミステリアスな事件は今でも思い出すことがあり、不本意ながらワクワクしてしまうのだ。
ぷよぷよのプロゲーマーである、くまちょむ(服部崇)氏の当時(2004年)の的確な分析を紹介しておきたい。MYK氏はもう少しくまちょむ氏の考えに耳を傾けるべきだった。
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今回の騒動は実に不可解な点が多いように見え、MYKさんが動画のERIさんを水無月愛理氏だと疑ってしまうのは当然の流れです。
私は、MYKさんがこの販売動画のある部分を見落としていて、それを考慮に入れていないためにこの問題と正面から向き合えていないのだと言わざるを得ません。
そう言うと、「なんで動画を見ていないのにそんなことが言えるんだ?」と思われてしまいそうですが、怒らずに聞いてください。
・・・と、その前に、皆さんは「ギガウイング2」というシューティングゲームをご存知でしょうか?
このゲームはゲーセン用のAC版と家庭用であるDC版の2つがありまして、私はもう引退してしまいましたが、以前は必死にAC版、DC版の両方でプレイしていたものです。
そこで私は引退記念に、家庭用でプレイを収録した動画を来年1月に販売しようと思い立ちました。
販売時の書き出しは以下の通りです。
ギガウイング2発売4周年記念! 究極のスコア出しをあなたに贈ります!
430627100796944027点
私はかれこれ2001年1月より2004年10月まで途中休止した期間はあったものの、3年近くプレイをしてきました。
特にシングルプレイではなく、ダブルプレイで点数を狙うスコア出しに魅せられ、アーケード版を中心に点数と操作技術の向上に努めて参りました。
現在のアルカディアという雑誌に掲載されるハイスコアを意識していたこともあります。
ゲームセンターでギガウイング2に投じたお金は、3年間で200万円以上になります。まさに命を懸けてきたゲームでした。
今回ご紹介するプレイは、3年間の私の集大成とも言えるべきもので、最も高いスコアのものであり、かつプレイ内容にも自分自身納得できるものであります。
たった1ゲームではありますが、皆様に胸を張ってお見せできる内容であると自負しております。
早いものです。この私のプレイを見て、こんな楽しみ方があるのか、ダブルプレイをやってみよう、そんなふうに思っていただければこれ以上うれしいことはありません。
以上の内容で、2005年1月にネットオークションにて一人の方に販売したのですが、その人からクレームが来たんです。
「この動画は明らかに『リスタート機能』を使ってスコアを出していますね?」
「私はノーコンティニューと書いてあるからズルはしていないと思っていました。」
「スコアラーとしてのプライドが無いんですか?私は失望しました。」
・・・という内容でした。
この『リスタート機能』というのは、進んだステージの最初から何度でもその面の開始時の点数でやり直せるという機能でして、この機能を使ってスコアを出すという行為は、ぷよ通の稼ぎにおける「途中乱入を使ってスコアを出す」のと同じこと。
とはいえ厳密には違うのですが、やっていることは同じです。
この時、購入者はこう思ったはずです。
・・・とまあ、私がギガ2の動画を販売したらこうなってしまうかもしれません。
この物語のように、実際私は家庭用では練習で『リスタート機能』を使っていましたし、【引退記念】として最後に撮った動画も家庭用版のその機能を思いっきり使用しています。
そして私だけではなく、シングルプレイのトップシューターでさえもこのゲームで『リスタート機能』を使用し、大筋はスコアを高めるために練習していると存じています。
ちなみに、私のギガ2日記には最後に撮ったものを「本番」と記してありますが、それは家庭用で最後にプレイするという意味合いであり、やはり本番の本番はゲームセンターでのスコアアタックで、家庭用はやはり練習ということになります。
で、私が何を言いたいのかというと、メガドラ(家庭用)のぷよ通で「途中乱入機能を用いてスコアを出す」という行為はアリだということです。
そして、マージン設定の変更もアリです。さらに、プレイ動画をその事実を記載せずに売っても問題は無い(全くではありませんが)と考えます。
やはり、ゲーセンでやっているわけではないので、どんなプレイスタイルを取ろうがそもそもアルカディア誌は全く関与していません。
そこで、「だったらせめて練習だと記載しておくべきだろ?それを明記せずに販売しているのはどう考えてもそれを意図的に隠して販売したとしか思えないぞ」
と、あなたは思ったはずです。
しかしですよ、私がこのギガ2動画に堂々と「練習」と書いて出品すると思いますか?
しないでしょう。「練習」とも「本番」とも書きませんね。
「私は命を懸けてこのゲームをやりましたー!スコアには相当の自信がありまーす!でも練習でーす!」
それはさすがに
書 け ま せ ん
ですから、動画のERIさんは何ら紛らわしい記述をしたつもりは無いはずで、それについては返信メールにて謝罪しています。
やっぱり、私が動画のERIさんと同じような立場になってしまったら同等に近い答え方をすると思いますね。
自分が命を懸けてきた練習動画に対して「アンタ、最初から練習ということを記載しておいてくれよ。」「人を騙すのもいいかげんにしろ。」と私に言ってくるんですよさっきの購入者さんは(笑)。
私はかなり怒りましたが、冷静になってメールを返信しましたよまったくもう。
「これはこちらの出品の仕方に問題がありました。端的には『最もアーケードに近い』というフレーズと、にもかかわらず『実際にはアーケードからほど遠いスコアの狙い方』という点が、誤解を招いてしまったようです。なので、『今回のプレイは正式スコアには全く匹敵しない』という記載があれば問題ないと考えます。弁解になるかもしれませんが、正式スコアに匹敵することを強調するつもりはなく、ドリームキャスト版であることを全面的に言うことで非公式であるという認識を持ってもらえると想像していました。リスタート機能についてはもちろん認識しています。ドリームキャスト版ではリスタート機能を交えて練習することが多いのです。」
と、メールを送ったのですが、向こうの人はまだガミガミ言ってくるんですよ。
私はどうすればいいんでしょうねえ。
さて皆さん、今回の騒動の中で「マージン設定の変更」のほうへ目が行ってしまっているかもしれませんが、私が注目しているのは
「この動画は途中乱入機能を用いているのではなかろうか?」ということです。
マージン設定を変更しているのは明白なので、正確には途中乱入機能も、ですね。
その場合、29.97fpsの動画を繋ぎ合わせた事実を立証できればこの第2のERIさんは限りなく水無月愛理氏とは別人ということにはなりませんか?
だってそうでしょう。「究極スコア」と記載していてマージン設定を変更し、さらに途中乱入機能を使ったわりにはあまりにもスコアが低すぎ(第2のERIさんごめんなさい)て、これはおかしいと思うはずです。
MYKさんはページの中で「この設定とこの技を使えばこれぐらいはスコアが出るんだよ」と言っていて、条件別でのスコアの高低がある程度予測できています。
しかし、151万点が出されている動画で実際にそうだった場合でのスコア高低判断をMYKさんは怠っているように私は思います。
そしてそのことが、動画のERIさん=水無月愛理氏 だという疑惑を払拭しようニしない要因の1つになっているような気がしてなりません。
ちゃんとやったつもりが1フレームズレてたり、繋ぎ目に音声ノイズが入ったり、とにかく見栄えよくつなぎ合わせるのって結構難しい作業なんです。
それで、苦労の末にようやく究極スコアを出した動画を上手く繋ぎ合わせる事ができたんですよー。嬉しいなあ。
そしたら購入者が「上手く繋げたつもりだったようだが私の目はごまかせんぞこの詐欺師がァ」とか言ってくるんですよ。
一生懸命繋げたんだけどなぁ・・・。私は何か悪い事をしたんだろうか??
・・・と、いった感じです。
MYKさんの事を悪く言っているつもりはありませんよ。
しかし、やはりMYKさんは疑問をお持ちになられた以上、出来るところまでは様々な角度からこの問題を見つめ直し、再検証を試みてみるべきだと思います。
今回起きた出来事は、数々の偶然が重なってしまっていて今のMYKさんに「冷静になれ」というほうが無理な話だということは重々承知しています。
それに、私は「もっとこの話題を肥大させていきたい」と思っていませんし、やはり即急に問題が解決されていく事を望んでいます。
MYKさんが、「どう言われようと俺は黒と言ってしまったようなものだから、今更考えを変えることはできない。」という考えをお持ちであれば、それでもいいと思います。
しかし、「10年間命懸けでプレイしたと書いてあり、名前が一緒で、しかもスコアがスコア、偶然が重なりすぎている、だからやっぱりこれはそうなんだ・・・」という考えを貫き通すのであれば、
その前にもう一度調べられることは調べたほうが良い気がします。
あのページには動画と解説書を隅から隅まで見たというようなことが書かれていますが、動画の繋ぎ目を調査したという記載がないので、私は今現在、MYKさんが少なくともその唯一の証拠品に対して1点以上の確認は怠っていると考えています。
そして私は、そのことがとても気になっていています。
ですが、それを調査して繋ぎ目付近に明らかなフレームズレや雑音等が確認できた場合に「マージン設定も変更していてさらにこんな小細工を・・・ますます許せん。」と、思ったりしてはいけませんね。
だってこの人は悪い事をしているわけではないし、悪気があってやったことでもないはずですから。
それでもし繋ぎ目が不自然で、やっぱり繋げていたという事実が明らかになったとしても、「最初からその事実を記載しておけよ」と言って責めるのはおかしいと言えるでしょう。
それはなぜか? ・・・私が書いた文章の中に答えが書かれています。
今回私は、練習(家庭用)において設定の変更やその他の手段を用いてスコアを出す行為は全く問題ないと主張し、
さらに、それを記さずに動画の販売を行っても問題ない(全くではありませんが)ということを私個人の観点から明らかにしました。
そしてそれは別におかしな考え方ではないということが、私の書いた文を読んでもらえればお分かりいただけるかと思います。
それを否定したら、「途中乱入とマージン設定を使ってスコアを出したらしいが、服部はスコアラーとしてのプライドをお持ちでないのか?家庭用とはいえ、お前は疑われても仕方がないぞ。」
と、私に言っているのと同じことになります。
何度も同じようなことを書きますが、それを言われたら「練習でやってるだけです。」と答え、「どうして記載されていないんですか?怪しいですよ。」と返され、「はあ~??」という流れになってしまいます。
動画のERIさんは運悪くスコアネームの一致などの偶然が重なり、表舞台に現れていないだけでそのようなことを思われている可能性が高いと私は考えます。
そして、やはり動画のERIさんはそういう稼ぎスタイルを自分の中で確立させている人なんだなと私は断定しました。
それはゲームは違えど、「スコアラーでいて、同じようなことをやっている者」同士だからこそ言えることなのかも知れません。
皆さんはどう感じたでしょうか?
長くなってしまいましたが、以上です。
疑問などがあれば次回に答えたいと思っていますし、すでに答える準備ができています。
それではまた~。
私はシフト制の仕事をしているので、この日は何時出社で何時まで、内容は何…というのが日々定められている。
当然、諸々の事情で変更されることはあり得るし、そのこと自体はしかたないと受け入れることができる。
しかし、何らかの理由でシフトが変更され、出社時間が変わった、業務内容が変わった、というときは、会社(…というかシフトを変更した側)は変更したことを従業員に逐一連絡しなくてもよいのだろうか?
我が社のシフト表は勤怠管理システムにより、従業員はPCやスマホでいつでも見ることができる状態にはなっている。
よって、誰の、何が、どう変わったのかまではいちいち説明してくれなくてもよい。
しかし「変更があった」こと自体については連絡がないと、毎日常時シフト表にへばりついていなければ、いつ、何時、どのように変更されるかわからずに怯えながら過ごすことを余儀なくされてしまい、これは不当であると感ぜざるを得ない。
このようなことが当たり前にまかり通ってしまうということは、とてつもなくおそろしい"罠"をかけることさえ可能になってしまい、やはり不当であるとの認識は払拭できかねる。
(上司:シフト表公開したよ→私:○日は12:00~か→[変更の連絡なし]→私:12:00に出社→[知らない間に変更されていて]上司:「今日は11:00~だぞ遅刻だ」→!?)
これは極端な例だが、いずれにしてもシフトは変更した側が変更したことを連絡してもらわないと、従業員側の負担が著しく大きすぎるし、何より日々の生活の予定や段取りが立てられなくなってしまう。
最近は人手不足もあって変更が多く、管理職側も変更したことを逐一連絡するのが面倒なのか「随時変更があり得るのでシフト表を確認せよ」といって逐一の連絡をしてこないことがある。
https://twitter.com/DP_UA1972/status/1498593328404697089
We 🇺🇦 honor the strength and national spirit of the Korean people 🇰🇷 who courageously stood for their independence on March 1,1919. Ukraine knows very well what it means to fight for freedom.
「真珠湾と言いこれと言い。日本国内(全員とは言わないけど)の対ウクライナ感情を悪くしたいんかね。真意は違うとなっても一度悪いイメージ付くと払拭は難しいと思う」
「三・一運動の事だろうけど、どうすんのこれ?(韓国も含め)各国の人々が拍手喝采しちゃってるんだけど……デモというよりテロなんだけど😠」
「応援する気が失せるよ」
「利用するためとはいえ。もう少し考えて発言してもらいたいよな。日本のイメージ悪くしたいんか」
「(募金しようとしてた財布の紐を締める音)」
「ウクライナはもう勝手に破滅しちゃってって感じだけどロシア中国が増長するのは嫌だな」
「アメリカはともかく国力で大きく差がある日本と韓国を比べて韓国にすり寄るとはね」
「本当に歴史を知ってるの?的なの見てると頑張れロシ…( ゚д゚)ハッ!落ち着け自分。民間人の犠牲者が増えないことを祈るのみ…」
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/gigazine.net/news/20220314-puyogo/
どうやら毎回、ルールわからんと言っている人が引っ掛かってるところは同じみたいだから、それをQ&A形式で解消してみようと思い、書いてみる。
ツリーで会話していてこれが先にあった方がわかりやすいかもと反省したので載せる。
・囲碁はゲームが進むと、盤面が石だらけになる前に、どちらがどこに石を置いても互いの得点を一切増減させられない、いわば定常状態というべき状態に陥る。
・この状態に陥ったことを、両プレイヤーが納得し、そのことに合意をしたらゲーム終了。
両者が終わることに合意をしたら。
これを曖昧なルールだと考えてしまう人も多いが、決して曖昧ではない。お互いが同意したら終局できる。これは客観的に判断できる立派なルールだ。
たとえば民法にも「同意を得て~」みたいな定めがある。これを「同意とはなんて曖昧な!これは法の不備!」と思うだろうか?思うはずがない。
囲碁も民法と似たようなものでお互いが合意をしたらOK。シンプルかつ明示的で客観的に判定可能な終了条件だ。
これをもっと明示的にしたものが「お互いが連続でパスしたら終わり」というものだ。
それなら片方が絶対にパスをせず、終了に同意もしなければどうすると言う人がいる。
当然、それならば続けることになる。何の問題もない。
片方が延々と同意しなければ?
盤面は有限なので、千日手になるような例外を除けば、一時的に石がとられることはあっても大局的には盤上の石の数は増えていく。
やがてどちらかのプレイヤーにとって全ての点が【着手禁止点】になる瞬間が来て、ルール上選択できる行動が「パス」しかなくなる。
そうすると相手もパスをして試合終了になる。この戦術で延々と試合を引き延ばし終わらせなくすることは不可能に近い。
ルール上ではなく戦略的な意味で、いつ相手に対して終わりを提案すればいいのかという疑問を持つ人もいる。
あるいは提案された場合、合意してよいかどうか決める判断基準は何なのかという人もいる。
これらは至極もっともな疑問だ。
回答としては、基本的には、もう打つ手がないなと思ったら終わりを提案すればいいんじゃないか、というものになる。
打つ手がないというのは、「これ以上どこに打っても、一点すら相手から奪うことはできない」ということだ。
次の節でも説明する予定なのだが、相手が十分に上手な人の場合、既に相手の石に囲まれている場所に対してちょっかいをかけたとしても、一点たりとも自分の得点をプラスにすることはできないことが予想される。
そのため「全ての場所が、どちらかの石に囲まれた陣地となっており、しかもどの陣地にも一切隙が無いように見える」のであれば、それ以上やることはないので終わりを提案すればいいし、相手もそれを受ければいい。
これに対して、「いや相手がミスすることを期待して打ち込む手もあるじゃないか」「本当に隙が無いかどうかはわからないじゃないか」と反論するのであれば、それならばどうぞ気の済むまで続ければよい、としか言えない。
ただ、将棋で詰み筋が明らかに見えている場合に真の詰みまで指さずに降参するように、囲碁でも延々と粘るのは行儀がいいとは言えない。
実際、プロとかある程度囲碁をやる人同士でやった場合、そもそも終わりの合意とかまでいかずに降参によって勝敗が決することも多い。
そういう武士道ないしマナーみたいなものは確かにある。でも、それはマナーであってルールじゃないから、どうしても粘りたい人はルール上可能な限りいくらでも粘ればいいと思う。
そんなことはない。
囲碁のルールには着手禁止点というものがある。これは、「置いたその石がただちに相手の石によって取られる状態になる石は置けない」というものだ。
(ただし、自分の石が相手の石を取れるかどうかの判定の方が先。カードゲームとかで効果の発動順みたいな概念に慣れてるとわかりやすい)
相手の陣地に延々と手をかけたとしても、相手が適切に対応している限り最終的には「相手の石が囲んでいる1マスの空間」だらけとなり、その位置は着手禁止点であるため、それ以上手を出せなくなる。
でもそれで相手の陣地を極端に減らせたわけだから、ちょっかいを出す価値はあるんだと思うかもしれない。
しかし囲碁の得点というのは、自分の陣地の数に、相手の石を取った数が足されるので、実は意味がない。
相手の陣地に割って入った石は、相手が適切な対応をしている限りいずれは取られる石であるため、相手の得点源になる。
囲碁はパスがなければ両者が交互に打つ。自分が相手の陣地に割って入れた一石が相手の得点源に。相手がそれに対応するために打った一石が相手の陣地を削り。
したがって、相手の腕前を十分信頼しているのであれば、相手の陣地に隙が見えない時点で、もう打っても意味はないと判断することができる。
もちろん経済学的に最優の方法はそれでも相手のミスを期待することだろうが、そこはマナーということで良いのではないか?
それすら受け付けられないのであれば本当に残念だが囲碁に向いていないと言わざるを得ない。
陣地と呼ばれうる概念は少なくとも2種類、多くて4種類くらいある気がする。
少なくとも、終局時に得点計算に使われる「陣地」と、対局中の「陣地」は分けて考えたほうがいいかもしれない。
終局時の得点計算は、以下の3つの数を合計することで計算される。
・1個以上の自分の石と、0個以上の碁盤の辺のみに囲まれた、石の無い場所の数
・後手のみ、ハンデとして6.5点(囲碁は先手が有利であるため)
これが得点のルールだ。どこにも曖昧なところはない。この1つ目の点が「陣地」と呼ばれうる。(正式には「地」という)
一方で対局中に「陣地」と呼ばれうるのは、「だいたいこの辺はもう手が入れづらい」と考えられる場所だ。
前の節で説明したように、自分が手を入れても、おおよそ無駄になるだろうなと思えるような場所が、相手の陣地。
逆に相手にどれだけ手を入れられても、まあだいたい上手く返して見せるぜと思える場所が、自分の陣地。
(あるいは、「終わりまで進めばおそらく得点源となっていることが期待できる場所」ともいえる。この2つの意味での「陣地」の場所は概ね一致する)
しかしここは曖昧でも全く構わない。なぜならこの意味の「陣地」はルールに関係してくる部分ではなく、あくまで戦略上参考にする概念でしかないからだ。
得点計算の際の「陣地」はルールで定義された客観的な概念であり、対局時の「陣地」は戦略上の概念。別物だ。
別物なのだが、対局中の意味での「陣地」が、終わってみれば得点計算の意味での「陣地」とほぼ一致するので、混同の原因になっている。
なぜなら対局中に石で囲まれている、あるいは囲まれかけている、あるいは石がたくさんある場所というのは、手を出しづらい場所であり、手を出しても意味がないことが多く、そして最終的に得点計算の際には石で囲まれていて得点源になることが期待されるからだ。
囲碁は最終的には得点を相手より多くすることが勝利条件のゲーム。
そのために、得点計算における得点源にするための「陣地」の数を稼ぐ必要がある。
そのために、対局中はうまく石を配置して、相手にとって手が出しづらく最終的に得点源を構成することが期待される「陣地」の領域を増やす。
こう考えるとわかりやすいのではないだろうか。
一番上に挙げたのとは違う記事で、「開始直後に真ん中に石を置いたら全部自分の陣地になるから囲碁はルール不備」みたいなコメントがあった。(言い回しは覚えていない)
これに色々な勘違いが集結していると思ったので、例にとって考えてみよう。
まず、「開始直後に真ん中に石を置いた状態」で、ゲーム終了の合意を行う相手プレイヤーは普通はいない。
したがってここでいう「陣地」は得点計算の際に参照される得点源としての空間、のことではなく、対局中に参照される戦略的な意味での領域のことを指すとしか考えられない。
そうであるならば、「真ん中に石を置いた状態」で、盤上任意の位置に相手が手を出しづらくなったとは考えづらく、「全部自分の陣地になる」は間違いであるとほぼ断定できる。
また、仮に、相手プレイヤーがたまたま何らかの理由で、「開始直後に真ん中に石を置いた状態」で終了に合意したとする。
この場合では「陣地」は得点計算におけるそれを指すことになるが、定義上、この状況での盤面任意の位置は「自分の石と辺に囲まれた場所」ではない。
中にある石が盤面全域を内側から外側へ向けて広がるように「囲んでいる」イメージをしているということはわかるのだが、「囲む」とは多角形の石と辺によって閉じられていることを指し、中にある石は無視される。
もし、最初に置いた石が真ん中ではなく辺上や角であれば議論の余地があるように思われるが、まあそんな状況で終局する日は来ないので無駄な議論になるだろう。
とにかく、どのような意味でもこの例に挙げたブコメは明確に間違いを含んでいるというわけである。
これによって、悩める全ての人の「囲碁のルールわからない」が払拭できたら幸いである。
石が取れる状態というのは、
「縦横に連なった一連の同色の石の周りに、石の置かれていない点が全くない状態」
そして、石が取られるかどうかの判定は、常に、ターンプレイヤーから見て相手の石を先に判定し、その後、ターンプレイヤーの石の判定をする。
この時ターンプレイヤーの石が取られる判定となる場合は、そもそも石が置けない。
初心者は相手の石を「囲んで取る」と教わる。陣地も囲んで取る。石も囲んで取る。だから囲碁と呼ぶ。わかりやすいが、これが誤解の元。
石がとれる条件と終了時に陣地にカウントできる条件は微妙に違う。違うのにどちらも「囲む」というから間違える。
ぷよ碁のブコメにあった「碁石から出てる盤上の線を全て塞ぐ」というのが分かりやすかった。
ぷよ碁で考えると、置いてあるぷよは周りにあるスペースと繋がった線から呼吸をしていて、それが全部塞がれると窒息して死ぬって考えれば直感的なのかな?
まさにこれの通りで、石がとれるのは窒息のイメージがあっている。
気づいてるか?
今の小中学生は情報の授業やってるからメンデルの法則習う頃にはもうORやANDの意味なんて知ってるってことに。
そもそも、遺伝させる力が優れいていること自体は間違ってないだろうよ。
それでもお前らは「A+A」or「A+B」or「B+A」=「A」、「B+B」=「B」というただそれだけのものに対して優劣があるっぽいことが気に入らないんだろ?
でもよ、言い方を変えるなら前より分かりやすくないと駄目だろ。
つうか言い方変えても今度は「潜性」って言い方がまるでサブマリン特許みたいなトラップに聞こえるじゃないか。
まあ実際そうなのかも知れないけどな。
癌やハゲになりやすい血なんて子供に遺伝させたくないのに、本人達も気づいてなくて隔世遺伝しましたなんてまさにトラップだよな。
でも、お前らはそういった遺伝子に対するイメージを払拭したいんだろ?
じゃあ言い方の変え方が駄目じゃん。
なんでそうしないんだよ。
どうせ「漢字が沢山ならんでないとかっこ悪いよ><」みたいなジジイのつまらんカタカナアレルギーとかなんだろ?
ばっかみてえ。
馬鹿すぎる。
2年ほど前、近年のウイスキー高騰についていけず、自宅で様々な蒸留酒を試し始めた。
その中で少しお高いテキーラ(一本3.5k〜10kくらい)に手を出し、イメージを改めるに至った。
一口にテキーラといえど多種多様であり、奥が深く、ウイスキーやブランデーと同じゆっくり飲める味わい深い蒸留酒だと知った。
職場の人間に「どのような酒を好んで飲む?」と聞かれ、テキーラの名前も自然と挙げた時は、自分はこのお酒のことを好きになったのだなと感じた。
***
いつものように通販で買ったテキーラが届いた。段ボールを開くと折り込みチラシが入っていた。
通販で使っている酒屋がテキーラのイベントに協賛しているそうだ。
ググってみると、下記のようなことが書かれていた。
「マルガリータ」は世界で最も愛されているクラシックカクテルの一つであり、メキシコが誇る世界的なお酒、テキーラを使用する代表的なカクテルでもあります。
そのマルガリータを皆で楽しみ、祝うべく特別な日として、アメリカで毎年2月22日がNational Margaritadayとして定められ、2018年より日本でも同日を「マルガリータの日」に制定しました。
これまたググる。
日本におけるテキーラを中心としたメキシカンスピリッツの「正しい知識の普及」や「業界の発展」を目指すプロモーションユニット
家の外には私がかつて持っていたテキーラのイメージを払拭しようと奮闘して団体があることをここで知った。
こんなご時世だ。イベントへの参加はかなり悩んだが、感染対策を徹底していると書かれていたのでチケットを購入することにした。
開幕直後だと混雑も考えられたので、少し時間をズラして15時前に到着した。
会場はわが目を疑うほど混雑していた。
満員電車とまでは言わないが、年末のデパ地下、コミケ3日目くらい混んでいた。
そこではマスクを外し、手渡された酒を一気に煽る人々が散見された。
一瞬呆気に取られたあと、ここには居たくないなと考え、踵を返した。
一杯も飲むことはなかったが、チケット代5000円を惜しむ余裕はなかった。
良し悪しで語れる話ではないのでそこをどうこういうつもりはない。繁盛していて何よりだ。
ただ、普及や発展を目指す団体が開催したイベントで、苦手意識を抱いていた絵図を目の当たりにしてしまったことがショックだった。
これが目指す姿なのであれば、今後近づくことは決してない。
しかしイベントに参加することも、人から好きな酒を聞かれ「テキーラ」と答えることも、きっともうない。
***
悲しい出来事だったが、テキーラは素晴らしいお酒だと思います。
ブルーアガベを100%使用したテキーラをストレートで何種類か飲んでいただければ、一人で飲む酒も好きなタイプの酒飲みのQOLが少し上がるのではないでしょうか。
サイゼ騒動は一旦落ち着いたみたいだ。皆それぞれに納得を得て帰っていった。
そんな中で私はひとり、モヤモヤを抱えて立ち尽くしている。
渦中で人気になっていたコメントが、どうしても頭から離れないのだ。それは確かこんな意見だった——…
「男が女性をもてなすべき、という考え方は払拭されるべき古臭いセクシズムだ」
でも twitter や ガールズちゃんねる を眺めていると、相変わらず、「恋愛なんだから女をお姫様扱いしないでどーする」「安い女だと思われたくない」のような意見が広く支持されている。
困惑した私が はてなブックマーク に救いを求めていると、こんな感じの意見が目に留まった——…
「大人の女性としての関心を寄せ、敬意を持って相手に誠実に向き合っていれば、同じ時間を過ごす選択肢としてファミレスのような手軽で安易な手段に頼るなんてことはできるはずがない」
大人であることにはコストがかかる。大人の女性であることにはもっとコストがかかる。男性のように髭を剃るだけのスッピンでデートに出掛けるわけにはいかないし、女性の恋愛的な気分を着火させるにはそれにふさわしいムーディーな場所が必要だ。雪が降るだけではしゃいでいた単純な子ども時代から遠く離れ、年齢相応に成長した大人の女性には、複雑な心の機微がある。それを無視し、踏みにじり、理解しようともせずに思考放棄して便利なテンプレートに押し込める、そんな態度をコメントは批判しているのだろう。おそらく。私はこれに反論できない。
だが両者はハッキリと矛盾する。
個人的なことが二人の関係性だけに閉じず、集積されて社会に影響していくのなら。社会全体の「まとも」観が翻って個人にも影響していくのなら。この問題には解く意義がある。
女性特有の文化と、女性の生理的な仕組みそのものは、もちろん性差別ではない。だけど男がそれに合わせた振る舞いをすると直ちに古臭いセクシズムが出現してしまう。かと言って、目をつぶって男と同じように扱うのにはミソジニー的な横暴さがある。どうすればいいのかわからない…
セクシズムか/ミソジニーか。
男がいて、女がいて、彼は彼女をお姫様扱いすべきか/するべきじゃないのか。
お姫様扱いしている誰かがいたとして、彼は自分の態度を誇るべきか/誇るべきでないか。周りはそれを持ち上げるべきか。あるいは、距離を置くべきか。
その後に頼朝の身を案ずるあまり現夫の江間次郎をアゴで使ってるのを見て、
八重にこの先どういう役回りを担わせようと知ているのかピンときた。
八重が義時と再婚して嫡男である泰時を産んだという説を推しているらしいので、
だからこそ最初からガッキーはいつも2番めにクレジットされている。
八重は義時にとって叔母にあたるが、叔母上ではなく八重さんと呼ばせて、
八重と義時が血縁であることをなるべく視聴者に意識させないように配慮しているのも、
一方で、泰時が頼朝のお気に入りだったことは史実上よく知られており、
泰時は歴史上では知勇兼備の完全無欠の名将名執権として知られており、
執権職のときに歴史で必ず習う御成敗式目を制定したのも泰時だ。
父の伊東祐親を失った八重は、頼朝による庇護を希望するものの、
政子の目が恐ろしい頼朝は八重の世話を義時に押し付け、二人は外面的には夫婦となる。
しかし、義時を見下している八重は(そもそも叔母であるから)義時に指一本触れさせない一方、
しかし頼朝死後、忌まわしい記憶を払拭したい義時は泰時と改名させる。
そして成長するに連れ頼朝譲りの名将の片鱗を現す泰時に悩まされるのだ。
そんな流れになるのではなかろうか。