はてなキーワード: 集落とは
Thomas Lockley Author
これは私たちの時代には前例のない状況です。私たちや私たちの愛する人たちの多くにとって、フラストレーション、痛み、苦しみ、そして最終的には死の時代です。先進国、特にその富裕層は、最近の世代を通じて比較的スムーズな生活様式とより良い生活水準に慣れてきました。
これは歴史的な標準ではありません。
人類の歴史を通して、私たちの時代はほんの一瞬です。99%の人間は、自然災害、医療の欠如、食糧不足、または紛争とそれに伴う病気、飢餓、奴隷制などの悲惨さから、混乱した、短く、しばしば残酷な人生を送ってきました。
ヤスケの人生はそのような人生でしたが、彼はそれをうまく生きました。
彼は少年時代に家族から引き離され、両親が虐殺されるのを見たかもしれません。
彼は十代の頃、残酷な扱いを受け、少年兵、プロの殺し屋として訓練された。
彼の人間性がこれを乗り越えたことは、彼の生涯に関する歴史的記録に明らかであり、私たちが彼を人間として尊敬する理由をさらに与えてくれる。
彼は雇い主によって16世紀の日本の戦場に連れて行かれ、現代のほとんどの人が考えられないような危険を冒すことを求められていた。
1581年、日本の中央地方を巡業していたとき、彼は暴徒に襲われ、暴力で死にそうになった。他の人々はそれほど幸運ではなく、黒い肌の神だと信じていた男を一目見ようと騒ぎ立てる群衆に押しつぶされて死んだ。
その後15か月間、彼は2回、あるいは3回も戦争に行き、戦闘で忍者と対峙した可能性があり、何千人もの虐殺された民間人や焼け落ちた集落、致命的な病気、死体をむさぼり食うカラスに遭遇したことは間違いない。
知られている最後の戦いは、13,000対30の戦いで、彼は主君の切腹に立ち会い、切り落とされた首を主君の息子に与えた。主君の息子は、父の首が差し出された1時間後に非業の死を遂げた。弥助は屈辱を受け、敗北し、歴史から消えた。彼の日本の一族はほぼ消滅した。彼の財産と地位は永遠に失われた。
それは混乱と危険と苦痛の人生だった。おそらく、ここ数週間、数か月の間に私たちの多くが突きつけられた人生と似ているだろう。
しかし、私たちは、弥助がユーモアがあり、礼儀正しく、行儀の良い人物として同輩から見なされていたことを知っている。他の人から尊敬される人物であり、450年経った今でも尊敬されている。彼は悲劇的な若さにもかかわらず、自分の運命を自分で切り開いた人物だった。彼は、地球の反対側で自分の居場所を見つけ、運命が与えてくれたわずかな可能性を掴み、誰も想像できなかった輝かしい人生を切り開いた男だった。少なくとも、彼自身は。
彼の苦しみの果てには、輝く不滅の光があった。彼は日本で愛する家族と安らかに余生を過ごしたとさえ考えられている。
今日、彼の人生は記憶に残り、世界中の多くの人々にとっての道しるべ、いや英雄と見なされている。私たちの中に、このような偉業を夢見ることができる人がどれだけいるだろうか。
これから数週間、数ヶ月、私たちはみんなヤスケだ。私たちは危険で死に至る世界を切り抜け、全力を尽くしてそこから抜け出さなければならない。
家族や愛する人の安全のために、必要なリスク以外は、愚かなリスクを冒さないように。
自分の再選だけを気にする利己的な政治家のアドバイスは無視してください。
ヤスケになりましょう。生き残りましょう。 向こう側までたどり着いた人になりましょう。
親が高齢になり生業にしている農業に支障が生じ始めたとのことなので田舎に戻ることにした
私は農作業をせず家事の手伝い係としてサポート、昼間はフルリモートの正社員として東京の会社で働いているという形なんだけど想像以上に田舎暮らしがキツすぎる
東京に出てきて20年、「給料変わらずに田舎に戻るならまぁ悪くないかもな」なんて思っていた当時の私をぶん殴りたい
私は東京に染まりすぎて田舎暮らしに順応できない体になってしまっていた
東京で暮らしている頃には何とも思ってなかった素朴な文化の数々がどれだけ日々の暮らしに潤いを与えてくれていたのかを身を持って体験しているので、つらつらと愚痴を吐きたいと思う
東京に勤めている頃は仕事終わりにIMAXの映画を観たりミニシアターの小規模作品を観たり色々な映画を観ていたものだが、いま私の住んでいるところにはそもそも映画館なんてものがない
一番最寄りの映画館までは車で1時間半、IMAXのあるシアターに行こうとすると3時間もかかる
たかが映画に行くという行為すら一日がかりの遠足になってしまう
おまけに単館系のアート系映画は地元の映画館では上映されない場合も多い
元々映画鑑賞を趣味にしていた私は田舎に帰るにあたってこの田舎の映画砂漠を甘く見すぎていた
帰省前は「まぁ週末車で出かけて映画を観ればいいや、なんならサブスクもあるし」などと思っていたがこれは甘かった
「そう言えば今日〇〇の公開日じゃん観に行こ」といった突発的な映画鑑賞ができないというのは想像以上のストレスになる
東京にいた頃、「今日は残業なかったしなんか観て帰るか〜」って気軽に映画館に行っていたけどこれは都会にのみ許された贅沢だったんだね…
Xの皆の感想を眺めながらサブスクでの配信を待つってことがこんなに屈辱的だったなんて思わなかったよ…
スタバのカップを片手に通勤なんてこともこれまで一度もしたことがない
Xやインスタで季節の新作の広告が流れてきたり、たまたま通りがかったときにのぼり旗で新作の存在を知ったりして、気分が乗っていたらスタバに立ち寄って飲む
それくらいの使い方をしているだけだった
これは本当に文化的で贅沢なことだったんだ
映画館と同じくスタバを飲むためには車を走らせて一日がかりの遠足をしなければならない
「お、桃のフラペチーノの季節やんけ飲みに行こ!」なんて気軽にスタバに立ち寄ることは、田舎に暮らしている限り無理なのである
たかがスタバの新作を飲むという程度のことすら気軽にできない!
スタバを飲むなんてこと、本来は文化的には大したことないはずなんだよ…
でもそんな大したことのないことすらも満足にできないってことにどんどんみじめさが募っていく
田舎に戻って3ヶ月が経った頃、私はスタバの公式アカウントのフォローを外している
東京に暮らしていた頃は何とも思っていなかったことだけど、デパートのコスメは心を豊かにさせてくれるオアシスだったんだね…
田舎に変える前は「化粧品?最近は同じのしか使ってないし通販でいいでしょ」なんて思っていた
そして、一側面的にはそれは正しかった
でも、デパートのお気に入りのブランドのところに行って「お、新作あるやんけ試してみるか」「いやこれ普通に前のほうがいいわ乗り換えるのやめよ」なんてあれこれ試している時間は本当に心に潤いをもたらしてくれる貴重なものだったんだ…
普段使ってるのよりグレードの高い、例えばグッチとかトム・フォードとかを見て、店員さんに良かったら試してみますかー?なんて言われて「いやー、誕生日に自分で自分にプレゼントするのもありかもなぁ」なんてお試しで付けてもらったリップの輝かしさを鏡で見ながらニコニコする
そういう時間がどれだけ心を豊かにしてくれていたのかなんて当時の私にはわからなかった…
私は自分のことを化粧品にはそんなにこだわりのない女だと思っていた
田舎に帰ってはじめて「化粧品にこだわらない」ということの本当の意味を知った…
私は元々そんなにイベントに行く方ではない
SNSで好きな漫画家さんの原画展が開催されると知って、しかも定期圏内の気軽に行けそうな場所であれば赴く、といった程度の頻度だった
あるいは電車の広告でモネ展をやるという情報を見て、「まぁ人生で一度もモネを見たことないってのもなぁ」なんて思いたち何の知識もないまま鑑賞しに行ったりする
映画以外のことについては割とインドア派なので、ほんとそれくらいの感じだった
何度でも言う
当たり前だと思っていたことは都会の人間にのみ許された贅沢だった
そしてこの種の贅沢が一切できないというみすぼらしさ、そのみじめさがどれだけ心を苛むのか私は全くわかっていなかった
田舎に帰ってきてからというもの広告にそそのかされてついついイベントに赴いてしまう、なんて経験は絶無である
日々の色彩を豊かにしてくれていたのはこういうイマイチ積極的に行っていたってわけでもないイベントの数々だったんだね…
ここでの毎日は本当にただの繰り返しのように感じられて、どんどんと心から弾力が失われていってる気がする
とにかく毎日が退屈
そして退屈しのぎをするのにも労力がかかる
東京の文化は借り物だ的な議論が一時期流行ってたけど、いやいや借り物だろうがなんだろうが文化的に豊かなほうが毎日楽しいよ
田舎暮らしを満喫できるタイプの人間もいるんだろうけど、少なくとも私には無理だった
東京で暮らしていて一時でも「楽しい!」って思った経験のある人は田舎に帰らないほうがいいと思うよ
想像以上に反応をもらえてびっくりしている
誤字脱字を直すついでにもらった反応をいくつかかいつまんで答えようと思う
これに関しては書いてある通り車で1時間以上ドライブしないと映画館すらないようなレベルだよ
住所に郡だ村だと書くようなところだよ
ここで言う田舎ってのはそういうレベルなんで別に地方都市ないし幹線道路沿いの小規模な町などなどを田舎として一括りにして貶してるつもりはないです
私が貶してんのは人よりカエルの方が多いようなクソ田舎だけです
そこんとこよろしく
これに関しては単純に私の見通しが甘かった
まず私が勤めている会社内でフルリモート地方勤務のルールが敷かれたのが大きなきっかけ
私は社内デザイナーなんだが、元々管理職方面のキャリアは積んでいなくて専門職系の実働部隊の中での一番年上みたいな立場
管理職と違ってひたすら手を動かすだけだから地方勤務との親和性が高かったんだよ
一応年齢✕1万以上+年2回のボーナスくらいの給料はいただけているし、この給与水準なら物価の安い田舎に帰れば不便さを差し引いてもメリットあるのでは?って考えに取り憑かれてしまった
しかも折悪く両親の体調の話を聞いたんでこれは天の采配だ!って意気揚々と帰京して後悔しているって顛末
早とちりと言ってしまえばそれまでなんだけどまさか私自身ここまで東京の暮らしに充実感を覚えていたなんて思ってなかったんだよ
割と叩かれて凹んでいたんだけど、この反応を貰えたから増田に投稿してよかったなと思えたよ
なんでこんな簡単なことにも気づかなかったんだろうね
まだ思いつきだけど、自分専用の映画館を建てるのを目標に生きてみようかな
田舎だから音漏れも気にしなくていいし、私のブルーレイコレクションも無駄にならないで済むし
ここで挙げられているのは消費であって文化ではない
うるせぇ
人間が攻撃的な理由はわからないけれど、別に理由がわからなくても問題はないと思う。
大事なのは人間は、全員じゃないけど結構な数の人間はデフォルトで攻撃的だ、ということを知ることが大事なんだと思う。
この攻撃的っていうのは、本当に他人を攻撃するのが好きという狭い意味でだけじゃなくて、
もっと建設的な?そういう批判精神によって何かを改善しようという意欲に溢れている、
それを本能的に有しているというのを自覚することが大事なんだと思う。
で、当たり前だけど大抵の物事というのは生の批判精神をぶつけたからといってすぐに改善されるわけではない。
世の中には「悪いこと」や「悪党」がたくさんいるわけだけど、
何かがどうなるわけではない。
で、そうなるとフラストレーションが溜まってくるわけじゃない?
なんで世の中こんな風なんだ?みたいな憤りを感じて、怒りの感情を抱く。
そして、その感情がますます人の攻撃性をあげていくという悪循環に陥ってしまう。
企業とか客商売とかプレッシャーを圧力をかけたら屈するんじゃないか?
ああいうのはもうその内容じゃなくて相手に勝利することを目的としてしまってるのも、
私達の攻撃によって勝利することが出来る相手を選んじゃってるんだよな、と思う。
ちょっと長くなったけど、要するに人間というのは基本的に攻撃的なんだよデフォルトで。
だからさ、大事になのはちょっとそのままデフォルトで行くんじゃなしに、
頭の中のコントロールパネルとか、設定とか、オプションとかなんでもいいんだけど
そういう頭の中の設定を変えるためのアイコンをクリックするなりタップするなりして
「攻撃の設定」を「OFF」にするってことが重要なんだと思う。
これだけね、情報がすぐに入る時代になっちゃったんで、それだけ「憤ること」っていうのが目につくようになってる。
そして、もちろん現実世界に生きている私達の身の回りは不愉快なことで溢れている。
私達はそういう「悪」に対して敏感に反応して攻撃するように出来ている。
その理由は色々とあるんだろうけれど、とにかく私達は攻撃的なんだよ。
これがね10人とか30人とか、100人とかそのくらいの人間が集まって集落を作っていた時代なら上手く機能したんだと思う。
全員が互いを知っていて顔見知りな社会ならそういう息苦しいけど、集落を崩壊させないための批判精神は人間が生き残るために重要だったんだと思う。
でも、いまそういう時代じゃなくて、小さな「悪」というのは見過ごしても問題ないし、
そもそもがその「悪」というのは一方向からの見方でしかなくて、
大抵はまあ仕方ないよね、で済ましても問題がないことだったりする。
でも、それを見過ごせない、見過ごしては大変なことが起こってしまうと感じるのが私達の本能なのよ。
だからね。大事なのはそのデフォルトモードを設定画面から少し変更することにあるんだと思う。
他人を批判したり避難するための「悪」を見つけ出すんじゃなくて、
他人を褒めるための「善」に目を向けるように設定をトグルしたり、
世の中の汚い面を発見するレーダーを常に張り巡らせるんじゃなくて、
ついつい見落としてしまいがちな世の中の美しいところに気づくレーダーの感受性を磨く、
そういうことが大事なんだと思う。
怪奇⑤で紹介した『魔のバミューダ三角地帯』から、そう遠くない海上に、コロンブスの時代から“呪われた島”として船乗り達に恐れられている島がある。
セントクリストファーネビス。神をも恐れぬ海賊達も、その名を聞いただけで震え上がったという、幾多の船乗りの血を吸ってきた島だ。
ここは、正確にはセントクリストファー島とネビス島という二つの島からなっていて、前者はこの未開の地を最初に踏破したコロンブスのファーストネームからつけられている。もう一方のネビスの由来にはさまざまな説があるが、ポルトガル語の雲(nuvens)が転じたというものが有力だ。というのも、ネビス島には常に山頂を雲で覆われている活火山・ネビス山があり、原住民ですら一生のうちにその山頂を見ることはない。言い伝えでは、山頂は「天に消えた大陸」に繋がっていて、それを目にすることは即ちその大陸への移動(つまりは死か)を意味するという。場所柄、怪奇①の『アトランティス大陸』を思わせる伝説でもある。
どんなに周囲が晴れていても、どんなに風が強くても、この雲は消えない。また、時折島全土を丸ごと覆うほど雲が巨大化する時もある。
そして、最も厄介なのが、この雲の一部がちぎれ、海上に漂い出す時なのだ。
1777年7月、ジョーンズ船長率いる英国公認海賊船「黄金の猟犬」号は、アフリカ大陸で奴隷の仕入れを終えてジャマイカに向かう途上にあった。
カリブ海に入る直前、航海で三度目の嵐に襲われたものの大きな被害もなく切り抜けた。とはいえ航路の大幅な変更を余儀なくされ、寄港予定のセントルシア島よりかなり北寄りの「風下の島々」に辿り着くこととなった。呪いなどを信じない英国人のジョーンズ船長は次の寄港地をセントクリストファーネビスに決める。
こうした寄港地の変更は、当時はよくあることであり、敵国船などに出会わない限りは大きな問題とはならない。しかし「黄金の猟犬」号とその乗組員にとっては、この決断が致命的となった。
“呪われた島”に近づいた時、数人の乗組員は既に異変に気づいていた。ネビス島はすべてが雲に隠れて姿が見えず、雲の一部は巨大なジニー(風の精霊)が伸ばす手のように船に忍び寄ってきていた。しかし、必死に進路変更を訴える乗組員の声を聞き入れず、ジョーンズは船を伸びてきた雲を掻き分けるようにしてセントクリストファー島の港に入港させた。
この時点で、既に積荷として船内に詰め込まれていた奴隷のほとんどが変死している。脱水症などで奴隷が輸送中に死ぬことは日常茶飯事ではあるが、入港の前は100人弱の生きた奴隷がいたというから、それがいっぺんに死んだとするなら異常な数だ。
入港後、船から降りた者は誰一人船に戻らなかった。そう大きくない港の集落の中でほとんどが行方不明になり、稀に遺体が発見される場合は全て無惨な姿に変わり果てていた。いずれも同じく上半身と下半身が真っ二つにちぎれたまま事切れていたという。
船も港から出ることはできなかった。どういうわけか一夜にして港は封鎖された池となり、日を追うごとに干上がって塩湖となった。船に残った乗組員は船から出ることも叶わず飢えと渇きで死んでいった。
つまり「黄金の猟犬」号の乗組員(と奴隷)は全滅したわけだが、ここまで詳細な死の記録が残ってるのは、なんと英国王室宛に乗組員からの救助要請の手紙が届き続けていたからなのだ。手紙は1777年の8月から翌78年の11月にかけて、7回にわたって届けられている。この文書は英国王立古文書館に現存していて、他の文書と筆跡などを比較・鑑定した結果、間違いなく当時「黄金の猟犬」号に乗っていた記録官の文字であることが確認されている。
手紙は誰がどう届けたのか。そもそも書いた乗組員はどうやって(少なくとも1年強)生き延びていたのか。謎は尽きない。
ネビス島の“雲”は噴煙なのではないだろうか。ネビス山は活火山であり、規模の差こそあれ、絶え間なく噴火を続けていた、その噴煙が多い時、つまり大きな噴火の時に島に近づいてしまった「黄金の猟犬」号は、噴火に起因する大規模な地殻変動に巻き込まれて、再び出港できなくなったのではないか。船体に積み込まれていた奴隷から先に死んでいったのは、噴煙による酸欠あるいは一酸化炭素中毒であろう。
セントクリストファー島には「大塩池」という湖のような大きな池が存在する。かつて湾であった場所が隆起して海から隔絶されたような場所だ。筆者はこの池の底に、かの船は眠っているのではないかと考えている。
貴方に指揮を委せたこの遠征は、インディアンの六部族国家のうち、敵対的な部族とそれに関わる者および追随者に対して向けられるものである。直接の目標は彼等の集落を徹底的に破壊し、年齢・性別に拘わらず、できるだけ多くの捕虜を取ることである。かれらの畑にある穀物を破壊し、今後も栽培できなくすることが重要である。
(中略)
インディアンの領土の中心にある幾つかの基地を、十分な糧食を持った遠征隊全軍で占領し、そこから部隊を派遣して、最適な戦法で周辺の入植地を全て滅ぼすこと。単に制圧するのではなく、破壊すること。
(中略)
しかし、彼等の村を完全に破壊する前に、和平の申し出はどのようであれ聞き入れるべきではない。彼等が我々に対して害をなせないようにし、彼等が受ける厳しい懲罰によって、彼等の脳裏に恐怖を植え付けることが、我々の今後の安全保証のためになるからである。
https://founders.archives.gov/documents/Washington/03-20-02-0661
二子玉川の堤外地に建つマンションが高値を付けてる事に嘆いて小字地図という面白いものを公開してくれた人がいる。
でもその事をまとめたtogetterではそれに対して間違ったり不適当なツイートばかり拾ってるので指摘するよ。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2381841
二子玉川には堤防の切れ目があった。陸閘ともいう。閘はパナマ運河などの閘門の閘で、板で締め切って水をブロックして水位を変化させるものだ。それが陸にあるから陸閘。
https://maps.app.goo.gl/DKKV4c1kefy3BVSE9
余談だがこの道は結構重要な道で、江戸時代の矢倉沢往還(青山通り大山道)だった。真っ直ぐ行って多摩川に出たところに渡船(二子の渡し)があったのだ。川を渡って崖を上ると二子の宿場に着く。
ここは瀬田村の一部で、スレッドで指摘されている通り、瀬田村の字堤外と呼ばれる無人地帯であった。
こんな辺鄙な所だったが、渋谷からほぼ路面電車の玉川電鉄が開通し、その終点の「玉川」という駅が出来た。この路線は溝の口を目指しており道路橋の二子橋を走る事になっていたのだが、その二子橋がまだ出来ないので暫定の終点である。
すると交通が便利になったので人が訪れるようになった。そして多摩川沿いに料亭が立ち並ぶようになった。当時の料亭は料理だけじゃなくて芸者遊びとかそういうの込みの業態である。
ここは瀬田村堤外とロクな地名ではなかったので、対岸の二子と駅名の玉川をとって「二子玉川」と呼ばれるようになった。
元々瀬田の崖の下には殆ど人が住んでいなかった。出水リスクがあるからである。堤防は基本無いか、霞提である程度の出水を前提としていた。そこに人が住み始めたら危ないに決まっている。また鉄道が次々開通すると他の低地にも人が住むようになる。
そして以前から洪水危険地に住んでいた住民と新住民が「堤防を作ってくれ」という陳情をするに至り、近代的な連続堤で多摩川を封じ込める、という工事がなされる事になった。二子橋の開通が遅れたのも堤防の工事を先行させる為である。
だがこれに反対をする者も居た。その一つが二子玉川の料亭業者達で、堤防で目隠しされたら商売上がったりだ、と言うのである。
そこでここの料亭地域ではこの地域を川の中に取り残す形で堤防が築かれる事になった。
しかしそれだと料亭群に行くのにいちいち堤防上りが必要だ。そこで堤防に切れ目を入れて先のリンクの陸閘を2つ作る事にした。一か所縦のスロットが見えるが、多摩川の水位が上がる時はここに板を入れる。それだと水圧で折れてしまうので、水防活動で後ろ側に土嚢を積みまくって抵抗力にする。これを角落しと言う。
料亭だけの場合は万が一の場合は逃げれば良いし、自分たちで了承した事だし建て直しすれば良い。だが昭和に入ると戦争があり料亭どころではなく全て潰れてしまった。そして戦後の復興と経済成長で宅地不足となり、この危ない土地は売られて住宅地として転用されてしまったのである。
長らくこのままだったがもういい加減何とかすべしという事になり、あいも変わらず新堤防に反対する住民も居たが話をまとめて、住宅と川の間に新堤防を作る事になった。2008頃から事業スタートし、数年で堤防は完成した。何しろ何もない河原に堤防を作るだけなので工事は早い。
ところがだ。2019年に台風19号が暴れ狂うと、新堤防は機能していたのに一体は浸水して泥まみれになってしまったのだ!何故だ!?
https://maps.app.goo.gl/uQur4hgpRZnac7tB7
左側に囲い板が立っているが、これは慌てて工事を開始した為で、但し堤防はまだ出来ていない。右を見るとタワマンがあるが野村不動産のプライドタワーだ。幾分土地嵩上げされていてこの土地の危険性は認知しているものと思われる。
こっちに堤防が無いので、ここで泥水が自由に溢れ出し、それが駅の下側を通って堤防工事完了地帯に入り込んで浸水被害を出してしまったのだ。なんでこうなったんだ?なんで駅の北側は工事しなかったんだ?
何故駅を挟んで片方は堤防工事完了、もう他方は手つかずとなったか?
多摩川は青梅から下流は国土交通省が管理し、この辺は京浜河川事務所が管轄する。
ところが、駅の北側で野川が合流しているのだが、この野川の管理をするのは東京都であり、建設局第二建設事務所が管轄なのだ。そしてこの堤外地帯の駅の北側は野川に接しているのだ。
つまり、長年の懸念だった堤外地問題を解決するために住民の合意を取りつけ、国の方は急いで事業化して堤防を完成させた。それから10年近くが経つのに、東京都の方はちゃんと連携せずにほけーーとしていて事業化していなかった。そこに巨大台風が来たので野川に逆流してこんな被害が出てしまったのである。
野川沿いには堤外地を避けた旧堤防と連続する堤防がある。新堤防を延長してこの国道246の下で堤防に接続する必要があるのだが、堤防合流地点付近にはスペースが足りず、家が建つ土地を買収する必要がある場所もある。また、二子橋の橋桁は低い場所があり、https://maps.app.goo.gl/MoH89VVFBWFW7jWBA
堤防高に支障する。これはこのままだと橋桁に当たった水が横に流れて堤防を削ってしまう。そういう事どうすんの?なのだが、どうせ何もやっておらん筈だ。
余談だが二子橋は架け替えられていないのでアスファルトの下に玉電のレールが残っていると思われるよ。
堤外と言う字が付けられていた場所に住むのにリスクを考えて居ないのはマズイ、というのは確かにそう。
だが字が堤外だから住んではならないと書いている人は昔と今の治水を混同している。
昔は河川が氾濫するのは云わば当たり前だった。だから堤防を築くのだが、今と違って霞提など、切れ目があってある程度の氾濫を許容する設計が多かった。また堤防を造る際も、今のように流路を封じ込めるものではなく、流路からかなり離れた場所に造る事が多かった。河川は蛇行するのが専らなので、その蛇行の外側という離れた場所に堤防を作った。その堤防で守られていない所は全て「堤外地」だ。そこでは洪水では家も田畑も沈んでしまう。
笹目村や戸田村などの埼玉側は堤防が流路から1km程離れているのが判るだろうか?
一方、東京側は堤防そのものがない。これは東京側は台地の崖から1~2km程の所を川が流れているから、狭い地域を堤防で守るのはコスパが悪いって事でそのままなのだ。
これら全ての土地が堤外地である。洪水では田畑も沈むし、集落もなるべく作らない。家を建てる場合は微低地を選んで嵩上げもする。でもそれでも浸水は免れないし死ぬ人も居た。
二子玉川付近だと霞提もこの辺は余りなく、低地には住まない、瀬田や溝の口の高台に住み耕作地には歩いて通う、という生活様式だった筈だ。すると「堤外」と名づけられた字以外も全て堤外地である。
今この地域が危険なのは、先に説明したように堤防工事で外されてその時に堤外地となった為だ。字が付けられた時分の事ではない。だからこの堤外地の字が「堤外」であるのは偶然でもあるわけだ。大正の治水が原因で堤外の字が付けられたわけではないから。
なので話の種や潤滑剤として字 堤外の事を言うのは良いのだが、それが決定要因であるかの様に語る人は、近代とそれ以前の治水の違いや、それによる堤外地の扱い、感覚を混同している。
~~~長くなったので続く その2 https://anond.hatelabo.jp/20240612183016
まず大前提として、どれだけ理性的・論理的な女でも「出産」という行為を前には野生動物に戻る。
強いオス(集落の中でのヒエラルキーが上のオス)の子供以外は産みたくないと考えるのが女という生き物。
強いオスかどうかは、時と場合によって
・力強さ
・容姿
・知能
・年収
・コミュ力
・技術力
・独創性
など色々な能力で判断されるけど、基本は「他のオスにも舐められないオス」じゃないと、子供を産む気にならないのがメスの本能。
この本能は変えられない。可愛い子の裸を見ると勃起する男と同じ。
昔は男同士で力比べをして、女のお眼鏡に叶う男になろうとみんなが努力したり
あるいは女の行動を制限したりして、子孫繁栄できるような仕組みを上手く作ってたりしたが
現代社会では軟弱な男が増え、さらにフェミニズムがはびこり女を甘やかした結果、
女にとっての「強いオス」が減って、今こんな状況になってるわけだ。
これで女が変わればよかったけど、残念ながら女の本能は変わらないので、
未だに「強いオス」を求めた上昇婚か、ヤリチンによるシングルマザー量産くらいしか子供を産む手立てが残ってない。
反差別アンソロの件でかなり精神的に参ってるので書き殴り日記。駄文で冗長、婉曲的です。事実誤認があったらすみません。
検索に引っ掛かりたくないのでグループ名をAとします。大体この件を知ってる人には名前も詳細もばれてると思うので。嫌だけど。
自分は三年前からAをゆるゆる追いかけてきた。もともとゲームが大好きでなんとなく見始めた動画が、いつの間にか楽しみになっていた。
ファンアートも描いた。本人たちのガワを使って自分の好きなシーンを書いて、誰かにこの動画面白かったよね、が届くのがうれしかった。実際好きな絵描きさんのところには、「あなたの絵がきっかけでAを見始めました!」とか、「あなたの投稿で(メンバー名)に興味がわいて見てます!」というようなコメントも見られた。自分の絵は稚拙で影響力もさほどないのだが、ファンアートってこういうものだ、とうれしくなり、誰かの興味を引くかも、と描くときもあった。動画を見るのが楽しい。メンバーが楽しそうにしているのを見るのが楽しい。ファンアートが楽しい。同じファンの人の呟きを見るのも楽しい。なんて楽しいコミュニティだろうか。
昔はしょっちゅう荒れるクリエイターの界隈にいた。学級会、大手絵師とその意見を絶対とするアカウントたち、いつも苦言を呈している人、本人に凸る人、本人の個人情報撒く人。クリエイター自身は好きだがファン同士でうまくやっていけなかった。ところがAの界隈はどうだ、ほどよい距離感でみんな穏やかに生きている。やさしい人がたくさんいた。楽しい人、面白い人、絵がうまい人。今まで歩いてきた界隈はそんなに多くないけど、きっとここは清流の水源に最も近い場所だと思った。
5月14日の夜。ふとTwitterのおすすめタイムラインを見て、あのツイートが目に付いた。初めは、自分の描いたファンアートを自分用にまとめて本にしたのかな、と思った。でも違った。表紙に書かれた文言を何度も読み直す。これって、Aを使って反差別を主張しているの? Aはそんな事一度たりとも言ったことがないのに? なんでAを題材に作ったの? なんで公開垢で投稿したの? 頭の中にいろいろな感情が駆け巡った。界隈のことを考えた。荒れる、と思った。私は少なくとも、このツイートを見て酷い嫌悪感を抱いた。誰か同じことを言っていないだろうかといろんなワードでパブサしたが、特にツイートは見つからない。まだこのツイートは拡散されてないし、寄稿者っぽい人が引用RTしてるだけ。いくつか本当に目を疑う文言もあるけど…このままみんながスルーしていれば、界隈で学級会…みたいにはならないかも。ーーでも、ALTにガッツリグループ名書いてない?見つかるのも時間の問題では?現に今自分のおすすめTLに流れてきてるわけだし。ていうか何だよおすすめTLって。どういうしくみだよ。泣きたくなった。どうかおおごとになりませんように、と祈って寝た。
翌朝、件のツイートに一つだけリプライが増えていた。話を広げたくない。実在人物でこういうアンソロを作って公開するのはやめた方がいい、鍵垢にしてほしい。そんな内容だったと思う。ああ、よかった、自分以外にもこれに疑問を持つ人がいてくれたんだ。ファンアートは自分の主義主張を乗せるものではないと思う。楽しさを表明するためのモノじゃないだろうか。自分は事態が良い方向になるようにと祈りを込めて、鍵垢でそのリプライに20数個目のいいねを付けて外出した。
昼、界隈はすでに火の手が上がっているように見えた。いろんな人がこの件に触れている。ああもうだめだ、と思った。このまま延焼を続け、やがてこの界隈をよく知らない人も野次馬精神の人もやってきて、好きなだけ意見という名の薪を投げて、次の日には忘れて暮らしていくのだろう。今も焼かれている村に住んでいた人たちなんてお構いなしだ。私は明日もここで暮らすつもりでいるのに。アンソロ寄稿者の多くは、Aのファンというわけではないらしい。アカウントを覗いたときAのファンアートはほとんどなかった。何もかもを呟くわけではないし今日び別垢の存在も大きいけど、本当に彼らがAのファンなのか、私は疑っていたかもしれない。彼らは自分の意見の狼煙が、より高くより遠くへ届くようにと、偶然そこにあったAのファン界隈という潤沢な森を選んで火種を落としたのではないか?--そんな根拠のない憶測までしていた。多分疲れていた。
いろんな意見が飛び交っていた。全部にダメージを受けた。自分がツイ廃であることをこの日ばかりは後悔した。
Aって反差別とか掲げてるグループなんだ→ちがうよ…一番危惧してたことが起こってるじゃん
反差別と思われたくないって何?→本人たちが表明してない思想を持っていると勘違いさせるものはそれがどんな意見であろうとよくないと思うんだよ…
nmmn界隈よくわかんないけど~→じゃあなんで来たの…ほっといてよ…
アンソロ参加者へ誹謗中傷→マジでファンのイメージ悪くなるからやめてくれ
だけど、フォローしている絵描きさんたちがぽつぽつと、しかし一言二言だけ、意見をツイートし始めた。「実在の人物はキャラクターじゃないよ」 「ファンアートはこういうことを気を付けてる」 「楽しく絵描いていこうね」私はそれに救われた。森の中でまだ焼けずに残っていた集落で、まだこの明かりはともっている。ひとつひとつにいいねを付ける。鍵垢にして閉じこもってしまった家々もあった。自分の絵を今一度顧みて消す人もいた。炎は確かに私の住む森を焼いたが、住人たちは生きていた。三年間かけて穏やかな人たちで形成してきたTLは私の心を救った。
延焼はだいぶ遠くへ行ってしまった。「Aが炎上!?原因は!?」みたいな早計な記事ができてたり、まとめサイトにまとめられてたりするが、今はたぶん、Aのことは関係ない思想とか主義とかの議論がボヤになっているぐらいだろう。私は絵を描いている。描きたいシーンがたくさんある。祝いたい記念日も、話したいこともたくさん。
本人たちももう見ているだろうな。「公開したやつより拡散したやつの方が悪い」みたいな意見もあったけど、もうどうでもよくなってしまった。本人たちがまた楽しくしてるところを見られたらそれでいい。
私は祈る。多くの人の「祈り」が宿ったツイートが森を焼いたことが、どうかあの人たちに1㎜でも伝わりますように。一連の流れを見て、「A界隈ってこういう人たちなんだ」 「Aってこういうグループなんだ」じゃなくて、「みんながみんなこういう人ってわけじゃないよね」 「界隈の人たち大変だっただろうな」と思ってくれた人が、どこかにいますように。そう思ってくれた人に幸せが訪れますように。そしてこの出来事をみんなが忘れて、でもやっちゃいけないことがあるってことだけ覚えて、明日も好きを表現していられますように。
追記がまんまアクターネットワークみたいな話だった。都会にはあちこちにSDGsって貼ってあるのに、何もかも外注の明らかに持続不可能な生活してるのなんなんだろうなって思ってた。
全体的にいい話してるとは思うんだけど、一つ引っかかるのは増田がおすすめしてる東京・名古屋・大阪あたりに本社を持つ大企業の、地方の事業所ってのが、まさに都会ですし詰めになって働いてる人たちによって維持されてるってことだな。増田の勧めるようにみんな地方に出て行って文化的な生活を送り出したら維持できなくなってしまう、ジレンマだ。だから、そういう会社より給料安いけどその地方向けにやってる地方の仕事に就いてほしいなと思う。結局その地方の土地が豊かになっていかないと持続可能な生活はできないからね。確かにキツい仕事も多いし車運転するのもダルいけど、ローンにせよ中古にせよ都会とは比べ物にならないほど家は手に入りやすいからモノのある生活はやりやすいかな。村とか集落とかじゃなくイオンにアクセスできるようなエリアに住めば、人間関係でトラブることもそうそうないしね。道の駅とか、ハードオフとか、ホームセンターで雑多なもの買って車にたくさん乗せて帰るの結構楽しいよ。
さて、ゴールデンウィークですね。
皆さんは新しい環境に馴染めているでしょうか。はたまたあぶれてしまったでしょうか。
安心してください。人生は何度でもやり直し可能なローグライクの繰り返しです。
まず、一人の人間がオギャーとこの世に生み出されたとする
その時点で、というよりも受精した時点である程度の初期能力が決まる
STR 9
INT 10
DEX 8
CON 12
WIS 9
LUC 10
こんなもんでしょうか。
これらの数値は、モノと質によるがある程度は鍛錬によって底上げが可能。
例えば
INTは読書、会話。
CONは走る。
WISはパワハラを受ける。
LUCはゴミを拾う。身だしなみを整える。
ただ、ここの数値以外の、BAD TRAITSを持って生まれることもある。
身体欠損とか、五感の一部がないとか、昭和以前は…ここまでにしておこう。
最近では怒りっぽいとか、飽きっぽいとか、気に病みやすいとか、
そして現代、戦後から平成に至るまで人権、というものが非常に重視されてきた。
あからさまなBAD TRAITを持つもの、あまりにステータスが低い人間は
成人する前に原因不明のまま亡くなった。
種族全体、集落全体を考えれば致し方ない部分もあったかもしれない。
翻って現代、この日本語を理解できる人間として産まれてきたのなら
先人たちのお陰で、衣食住には困っていないはず。
もちろん、困っている人が一定数いることは理解していますがここでは取り扱いません。
どんなBAD TRAITSを持とうと、どれだけ低いSTRで産まれようと
成人まで生きていける社会。
否、生かされてしまう。という風に受け取る方もいるかもしれない。
自殺者が増えている、という切り口で、日本が悪い国だという方がいる。
さも、日本社会が、戦前・戦後と比べて不幸せな国になったかのように。
それも当然そのはず。
社会についていけないだろう、あるいはついていけなかった人間は、
けれど、あまねく救ったのなら、彼らが幸せな生活を送れるようにすること、
これはセットでなくてはならない。
もちろん、日本人として生きるのなら勤労、教育、納税、これらを行ったうえで、が大前提だ。
その中、ごく一部の、理由なく働きたくないでござる、という人間は放っておいていい。
ここまでが、大前提。
生まれ持った能力と特性。変えられようが無いこと。神様どうか。
わたしの目が悪いのも、ADHDでどうしても忘れ物をしてしまうのも変えようがない。
変えようがないけれども、眼鏡を掛けて、リマインダーを駆使して
それは全て先人たちの努力と試行錯誤のお陰だ。大いなる巨人の肩だ。
そしてそれらのハンディキャップは、現在進行形で見えなくなりつつある。
さてそうした時に、だ。
配られたカードが、それほど変わり映えしなくなった後、
一体なにが大事になるのだろう。
実家の太さか?生まれた国か、地域か?運か?学歴か?親か?国か?
いずれも違う。
自分の周囲にいる人間をどういう構成で固めるか、これに尽きる。
これはもう詰みかもしれない。
これはどうだろうか。それほど悪くないんじゃないか。
1人の人間が、社会的接触を保持している関係の人の数のことらしい。
150人くらいが、社会的交流が保たれる限界の数ということが有名な部分だろうが、
3~5人が最も親密な友人関係を築ける人数だというものもある。
あなたの年収は、自分の近しい周囲の5人の年収の平均値になる。
というものがある。
これが友人なのか、職場の友人なのかしれないが、
5人の平均値になるのだとして。
といったようにするか。
果敢にも、孫正義、イーロンマスク、ジャックマー、ウォーレンバフェット
とするのか。
おれは、幼少のころからインターネットの世界にのめりこんできた。
周囲に馴染む同年代がいなかったマセガキだからだ。要するにいじめられっ子だ。
一人っ子だった自分のデッキには、両親以外には1人親友がいるかいないかで、
親を周囲の四枚に加える必要は無かった。
月一回程度は気に掛けてくれたから。
高校でも大学でも、大体の場合は10以上年の離れた人間を入れていた。
年上の人間は優れているかは別にして、必ず別の視点を提供してくれるからだ。
一つ変わったのは今までいなかった年下が入り込んでいることくらいか。
ローグライクでいう選択肢、何か挑戦するものがあるかといえば、
仕事や子育てなど、人生のターニングポイント的なところになる。
攻略できる算段はないが、失敗したとしても納得がいく構成なのか。
子育てもそう。
どういう人となら、子育てという20年を超える一大事業を完遂できるのか。
お互いの両親の支援はどうか。
"こうしたら上手くいくかな"といって何かのツールでアシストするのか。
そこでベートーベンやヘレンケラーの伝記を読んで自分を奮い立たせられるのか。
そして上記で挙げたLUC、つまり運は何かと言えば、コネ・人脈の源泉だ。
自分にできる最大限の努力をしている姿を見れば、誰だってあなたを助ける。
決して腐らず、善い人であり続けろ。神様・仏様は見てくれる。俺も見る。
どの部活に入るのか。
どのサークルに入るのか。
どの会社に入るのか。
逆に何かを辞めてみるのか。逃げてみるのか。
もちろん、あなたも人"間"です。
あなたが人々に影響を与えることもできるのです。
グループを、目の前のマンモスをやっつけるよう鼓舞することもできるのです。
自信がない?
あなたのステータス、トレイツに応じた貢献の仕方がきっとあります。
さあ、春です。
巨人たちの肩に乗り、素晴らしい仲間たちと、どんなマンモスを倒していこうか。
わくわくしますね。皆さんの新しい門出に幸あれ。
合理的に考えれば割に合わないのは承知の上で、もう15年も今のボロ家に住んでいる
もっというと大学進学時に上京してきたから通算22年間東京にいることになる
人混みが嫌いだしアウトドア趣味もあるので正直都会は不便で不快だ
今の職場もクソみたいなもんだから、地方に移住して転職、というのもあり得る選択肢だと思ってる
自営してる妻の取引先が近所に多数あるというのが表向きの移住しない理由だが、デジタル時代なのでそれもなんとかなると言えばなる
そもそもその妻の収入は年間200万にも満たないから最優先にすることではない
じゃあなぜ東京に住んでるのか?
理屈じゃないんだよねおそらく
ジジババが不便な過疎集落に固執してるのと、たぶん完璧に同じ動機
子にとってはもちろん東京が故郷だけど、俺達にとってもここが故郷になってるんだよね
こっちで人生の半分以上過ごしてるし、出身地の量産型地方都市にはそれほど帰りたいと思わない
実家を見捨てはしないけど、もともとそんなに仲良くもないし家族というより親戚みたいな感じ
東京はそんなふうに疎遠じゃない
最後の自由な学生時代を過ごして、就職氷河期時代をなんとか生き抜きながら妻と出会って
時には反発しあったり試行錯誤しながらギリギリ幸福な家庭を築いてきた