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はてなキーワード: 文学作品とは

2021-04-07

教育書を読んでいたら、あまりにも自分価値観と異なる一文に出くわし、次のページに進めずにいる。

「中心人物幸せになったのか、不幸になったのか。また、その原因は何か。文学作品では、そこがわかればよい。」

文学作品は、割り切れない思いをどこかの誰かと分かち合うためのものだと信じてきたから、そんな二択を上手にできるなら文学なんて要らないのではと思ってしまう。

投げ出したい気持ちになったけど、誤読かもしれないので続きを読んで確かめてみる……。

2021-04-01

新社会人になれなかった者による戯言

タイトルからわかる通り自分は21卒無職だ。

これは4月1日の明るさに耐えられなくなったため書き散らす戯言であり社会への当たり散らしのようなものだ。

からからここに書かれることは社会に出られ日夜経済活動に貢献している方々にとっては非常に目に余る文ばかりだと思う。

推敲校正いっさいなし、増田ベタ打ちの文章を読みたい変人の方は以下に目を滑らしてほしい。

さて、さきほど無職自己紹介させていただいた自分だがもちろんこんな将来を2.3年前は想像をしていなかった。

様々な映像文学作品のなかの描写大学に入ってから先輩たちに聞かされた話から常々恐ろしさを感じていたため、正直まわりの友人達よりも早めに活動を始めていたと思う。

大学2年生の終わりごろには企業研究や適職診断などを行い、3年生の夏にはインターンへ参加した。高い講習費用まで払って就活塾にまで通った。

ここまで読むと意識高いと思われるかもしれないが、その逆意識が低いか予防線をたくさんはっておこうと必死だったのだ。

正直インターンと授業だったら後者を取るほど大学の授業が好きだった、学生インターンましてや自分が参加したような短期のもの業界企業理解のための講習がほとんどで実務に触れる機会はなかなかない。(そもそも学生インターンに実務内情を明かせる企業などないと父親から聞いた)

そのため中小企業ベンチャーに絞ってインターンへ行って面接慣れをしようと目論んだ。おそらくここで面接慣れは出来たと思う、多少トリッキー質問でなければ笑顔で回答できるほどには慣れた。

しか惨敗

怪しげな個人就職エージェントではないが100社は落ちた。どれも2次面接、もしくは最終面接まで行ってから不採用通知を受け取った。

こういうことを言ってしまっては非常に品が無いかもしれないが周囲の友人と比べて喋れるほうだと思っており、面接では逆に喋りすぎないことを意識したほどだ。

「2次、最終まで行けるのに落ちる、何故」

ググるとたいていキャリアプランが出来ていない云々、企業への理解が出来ていない云々、そもそも相性が悪かった、などなど様々なifが出てくる。

キャリアプランとか働いたこともないのにわかるかよクソが、と思いつつインターネットインターンで会った社会人を参考にして作ったんだけどな、日経新聞読んでいろいろ勉強したけどな、と絶望する。

就活後半戦の7月ごろ、そんなのばかり見てたら「くだらねぇ」の一言しか出てこなくなり人材派遣会社ばかりを受けた。しか面接志望動機もなにも出てこないので面接辞退を繰り返す無意味時間を過ごした。

そして卒論のための調査などに追われ就活どころではなくなり、あっという間に新年を迎えた。

正直今年に入ってから想像以上に地獄だった。

日に日に就活への焦り、身内からプレッシャー精神的にまいっていった。

夜中は泣きながらぬいぐるみを抱えて眠れない夜を過ごし、正直料理匂い吐き気を催すこともあった。(そもそも食事が好きではなかったため過去にもちょくちょくこういう症状は出ていた)

昼間に起き、リモートワークで仕事をしている家族に引け目を感じながら寝間着で求人を漁り応募する日々。たまにスーツに着替え、就活メイクなるものを施した自分顔面辟易しながらリモート面接

そしてまた求人漁り、たまに友人から声がかかって外出。

すべての行動が自己否定につながるほど毎日地獄だった。

地獄要素は書ききれないほどあるが大まかに分けると3つだ。配慮の無い人事との面接家族への引け目、友人との比較

就活地獄要素はたいていこれで言い切れるだろう。

まず配慮の無い人事との面接。これが一番大きかった。

配慮とは何か、一言で言うと就活生を尊重しながら会話をしようとする姿勢だ。

就活生と人事は対等であるだなんて詭弁、1ミリも信じてない。しかし、あまりにも就活生をおもちゃにしすぎている人事がいることは今回の就活で痛いほど知った。

「一発芸をやって笑わせてください」、「珍しい名字から早く結婚して分かりやす名字になるといいね」、「あなた上司に従えることをここでアピールしてください」

Adoさん呼ぶぞ。

上記は一例だが人事から質問パワハラまがいなものからセクハラ人権侵害なんでもござれの見本市。

もちろんコンプライアンスがしっかりしている企業もあったし、コロナ翻弄された就活生をいたわってくれる人事もいた。

しかし100社以上受けてみると割合としては少ない。あと企業規模が大きいほど質問はしっかりしている。なるほど皆大企業を目指すわけだ。

一発芸云々言ってきたところは大手芸能事務所から業界的な色もあるのだろうが、パワハラすぎて固まってしまった。

腹立ったか逆質問で「先ほどの一発芸についてですが、実際に人事さんはどのような芸を披露されるのか見せて頂いてもよろしいですか」って聞いたら無礼すぎるってキレられて落とされました、草。

次に家族への引け目。家族が家で仕事をしている中、同じく家で就職活動するのは非常にしんどいものだった。

リモート面接、これがとにかく鬼門。いままでは対面の中で行うので多少キャラづくり、外部の人に見せる自分をいつも通りやっていればよかった。

しかコロナ野郎のせいで対面面接が難しくなり、世はリモート面接時代突入

自室は防音機能0、部屋での音は共用部に筒抜けになる仕様のため、いままで友人との電話すら習慣になかった。

ましてや面接となるとさらハードルが高い。自己PR家族に聞かれながら面接するの非常に苦痛、一瞬でいいか露出狂の魂を取り込んでこの苦痛快感にしたいと何度も願った。

また、就活後半になると家族が目の前で働いている中自分には職がないってことがすごい精神的に苦痛だった。

父親就活が上手くいかなさすぎて慰められたとき、「惨めだよな、みんなは働いているのに」って共感(?)してくれたとき本当に死のうかと思った。

最後に友人と比較してしまたこと。

今まで自分自分、己の道を行くタイプで生きていたので授業を一人で受けるとか、マラソンが周回遅れだとか本気で気にしたことがなかった。

そもそも気にしたところで精神的に負担になり、追い詰められていくと思っていたのであえて見ないようにしたりしていた。

しか就活はそうもいかなかった。6月ごろに来た誰だかも思い出せない輩から就職先どこ?俺は○○!」みたいなマウントLINE、やっと落ち着いたからみんな遊んで!みたいな匂わせインスタストーリーさらにはメディアから随時発表される内定率。

周囲を気にしなくてはいけない、他人ではなく自分を選んでもらわなければいけない。そうだった、この世は競争社会だった。

幼稚園の頃大好きだったしまじろうの「自分だけを優先するのではなく誰かに譲ってあげようね」というストーリーで出てきていた「おさきにどうじょ」(ドジョウキャラクターがとても可愛かった記憶がある)。彼はいま元気だろうか。

競争社会絶望し、粘液が干からびていないだろうか。自分は体液が干からびるほど泣いて今まで他人を優先してきた自分を誇っていた気持ちが全部溶け出てしまったよ。

とまあ脱線したが他者比較して自身を魅力的に見せ採用してもらうという就職活動に、マイペース自分はどうにも適合出来なかった。

最終で落ちた企業にも、落ちた理由フィードバックしてくださいって連絡したら他の就活生との兼ね合いでって返されたのでやはり競争に向いていないんだな。最終まで行けたのはたまたまなのかもしれない。

だらだたと書いていたら1時間を溶かしてしまった。これがクソヒキニートの第1日目であった。旧約聖書もびっくりな不毛さ。

これから自分既卒就活生としてまだ就活を続けるつもりではある。しかしこんな就活クソだという気持ちを捨てられずに活動継続するため、きっと毎晩泣くだろうし苦痛を覚える日々を過ごすだろう。

ここまで読んでくれた人に自分は何を伝えたかったのかまとめることも出来ないが、とにかく就活は辛くて厳しい。働きたくないけど金は必要で働かなくてはいけない。とりあえず年金徴収に怯えている。

働いている人がみんなこんな苦行に耐えて職を得ているという事態に非常に頭が下がる思いである。

皆さんこれから新学期、ご自身の体に気を付けて過ごしてください。就活に耐え抜いた新社会人、また社会人の先輩方は本当に立派です。

自分はとりあえず職と金を手に入れるべく頑張りますので、お互いに頑張りましょう。






働きたくねえーーーーーーーー!!!!!!!!!!社会はクソ!!!!!!!!!!

以上、書き散らし終わり!

追記:まじ皆優しくて泣いてる、地元友達かって並みに優しい言葉ありがとうアドバイスとかもまじで心救われました、感謝


追々記:なんかちょっとバズりました?閲覧数増えるとやっぱり厳しいお言葉も多いですが概ね皆さん優しくて救われています

色々と言いたいことは沢山あるけれど、とりあえず今日面接ハロワ行ってから資格取得のための勉強始めました!がんばるぞ~

2021-03-26

あえて結末を書かない物語が好き

言い換えると、無理やり終わらせる物語が嫌い。

例えば恋愛ものなら、二人が相思相愛になったり実際に付き合い始める描写があるより、例えば数年後に運命的な再会を果たすシーンで終わってしまうような感じのほうが、その後に自分の中で妄想がはかどって楽しいしワクワクする。

そういうのも一つの素敵な読後感だと思う。

それよりも、例えば再会後に無理やり時間を進めてヒロインが歳をとって死ぬ直前のシーンで愛する子供たちに囲まれ幸せだったよみたいな終わり方のほうが気持ち悪い。

いいって。そんなに無理やり終わらせなくても。

だけど、過去わたしが言うような終わり方をした作品というのは、大抵評価が低い。

皆が口を揃えて「結末を書け!」みたいな感じになってる。

そういえば最近エヴァ話題だけど、劇場版は見てないから知らないけどTV版の最終回わたしは割と好意的だった。

あの拍手のシーンがよかったという意味ではなくて、クライマックスに近い状態からその後の解釈を見る側にゆだねたんだなって思えたので、結末が語られなかったことに対しては特に不満がなかった。

なんなら一応の終わりという形を求められた結果にあのシーンがねじまれたのであれば、作者は辛いだろうなくらいに思っていた。

この辺は、当時の漫画とかで風呂敷広げるだけ広げて収集がつかなくなって夢オチみたいなパターンを多く経験してたからある程度慣れてたのかもしれない。

でも、そしたら案の定「結末を見せろ!」って大騒ぎ。

あの日からずっと本当の結末を見せろ!って言われ続けてきたわけでしょ。それがファンのやることなのかな?とは思うよね。

だって、それって作者の考える結末じゃなくて、俺が納得する結末を見せろ!ってことだもんね。

出されたものを全て受け入れて好意的解釈するように努力するのが本当のファンだと思いますわたしはね。

大体にして、人生がいつもドラマティックではないように、一番ドラマティックだった部分だけ楽しめばいいでしょという考え。

若かりし頃に盛り上がった恋人同士が歳をとって冷めきった話なんて聞きたくないのと同じ。

最近の作者は風呂敷も広げすぎずにしっかりと終わらせてくるのですごいなーと思う反面、余韻に浸れる時間が短いし、結末が決定づけられてしまうことで妄想が付け入る余地がない。

「ああだったらよかったのにね」とか話さないわけじゃないけど、決定している結末があるのとないのとじゃ盛り上がり方が全然変わってくる。

文学作品なんかだと本当になんの説明もなくいきなり終わったりして、蛇足みたいな続編も出さずに全てその後の物語を読者に委ねてくれるようなのが割とあって楽しい

商業作品からマジョリティに合わせるのは仕方ないかなとは思うけど、そう考えるとこれぞ最高の読後感!っていうのが最近はあまりないなって思う。

ところで結末ってけつから松が生えてるみたいでかわいいよね!

2021-03-14

anond:20210314151047

こういう気持ち代替するために、ある種の文学作品存在するんだろうね。

2021-03-13

共働き子育て家事両立夫婦を描いた文学作品てある?

それ自体テーマとして描かれているというよりはそれが当たり前の世界として物語がつくられているような作品あるかな

2021-03-08

必読書コピペマジレスしてみる・やっぱりオススメの21冊編 (2)

戻る→ anond:20210308081829

デュマ・フィス「椿姫

個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。

ちなみに主人公独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまものです」。……バレましたか

野尻抱介太陽簒奪者」

自分日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。

この作品は、太陽の表面に異星から物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。

ちなみに日本SF作家をより広く読むようになったのは大森望日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝

オルハン・パムク無垢博物館

三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公結婚約束をした女性から婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い

ところでトルコという国は、女性スカーフを被るかどうかだけで政治的立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。

マヌエル・プイグ蜘蛛女のキス

映画オタクゲイ政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話であると同時に、ゲイお気に入り映画を語るとき調子推しについて語る幸せオタクのものである安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。

リチャード・ブローティガン西瓜糖の日々」

大学時代年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。

彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガン絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。

町田康パンク侍、斬られて候

就職のために架空宗教団体によるテロでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間クレーマーおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチ基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチギャグ結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。

トーベ・ヤンソン「たのしムーミン一家

ムーミンシリーズ以外のヤンソン文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。

児童文学短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。

全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニールヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。

マリオバルガス=リョサ「悪い娘の悪戯

嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽ存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。

これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこら悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。

バルガス=リョサには基本的にどれも面白い

D・H・ロレンスチャタレイ夫人の恋人」。

猥褻だということで昭和時代裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。

表現露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。

ピーターワッツブラインドサイト

最強のファーストコンタクトものひとつで、ネタバレするとオチは「意識クオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。

基本的構造は「宇宙ランデブー」の変奏で、未知のエイリアン遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配

それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼ゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?

以上。

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(3)

戻る→anond:20210301080139

E・M・フォースター「ハワーズ・エンド

「人をたくさん知れば知るほど、代わりを見つけるのがやさしくなって、それがロンドンのような所に住んでいることの不幸なんじゃないかと思う。わたししまいには、どこかの場所わたしにとって一番大事になって死ぬんじゃないかという気がする」

つの家族の間を行き来しながら、人間記憶や、場所への執着を捉えた文章。それはまるで、漱石のいいところだけ抜き出したような文章だった。

ところで、同じ著者の「インドへの道」もいい。これは大英帝国支配下インドで、未婚女性が現地の男性暴行されたという疑惑を巡る話だ。女性を守ろうとする騎士道精神排外主義が結びつき、支配者と被支配者の亀裂が広がる様を描く、不幸にして極めて現代的な作品である冤罪をかけられたインド人が、「誰があんな不美人な年増を」と心の中で毒づくの、とても嫌なリアリティがある。たぶん、帯を工夫したら売れるし、どっちの「弱者」がより保護されるべきか的な話題で定期的に盛り上がる増田住民にも刺さるんじゃないかな。

ニコルソン・ベイカー中二階

切れた靴紐を昼休みに買うだけの、注釈だらけの何だかよく分からない小説。細やかな観察眼と都市生活者が思わず共感してしまう日々の経験で、要するにあるあるネタで延々と読ませる。すごい。こういうのが現代文学なのね、みたいに一席ぶつのにも使えるかもしれない。

真面目な話をすると、文学はいろいろな機能があって、それは作者の意図とはかけ離れているかもしれないのだけれども、その結果的機能の一つとして、その時代言語化されていないもの文字化するというのがある。だから文学賞を受賞した作品からと言って、実は今の自分が読んでも面白いかどうかは全くの別問題なのだ文章が巧みで、いかにも知的主人公知的な悩みを描いた文学けが主流な時代は終わっているのかもしれない。そういうのが好きな人古典で充分であるし、逆に言えばいろんな立場の人のきれいごとではないこじれた気持ちが知りたければ現代文学面白い

ヘルマン・ヘッセ車輪の下

理由は書かないが、自分は周囲の期待を一身に背負っていたエリート挫折する話が好きだ。前途有望な若者が、将来を棒に振ったり挫折したりする筋書きに対するこの偏愛ゆえに、自分は「ゲド戦記第一部の前半部分や「スターウォーズ」のエピソード3に対する執着がある。

生きていくとは何らかの失望を味わうことであり、時間をかけてそれらを味わいつつ咀嚼していく過程であるのだけれど、こうした自分のどうにもならない感情言語化した先行作品があることで、自分孤独ではないとわずかな慰めが得られる。

ホルヘ・ルイス・ボルヘス伝奇集」

「鏡の中の鏡」「魔術」「薔薇の名前」などの元ネタとなる作品を書いた人。「バベル図書館」は聞いたことがある人もいるかもしれない。

非常に濃密な短編を書く人で、このネタで長篇普通に書けちゃうだろ、みたいなネタをそのまま短篇調理する。どの作品も非常に濃密で、読み解くのにエネルギーがいる。文体は簡潔で、物語必要最小限の描写できびきびと進む。ただ、具体的に何が起きているのか、そしてなぜそうなったのか、その設定の意味は何か、を追うには読者に教養要求される。読破すると、それ以上のものが得られる。読み終わったらカルヴィーノだとかスタニスワフ・レムの「虚数」だとかミロラド・パヴィチ「ハザール事典」だとかそういう沼にようこそ。

ジョン・ミルトン失楽園

キリスト教文学の癖にルシファーがめちゃくちゃかっこいい。地獄に落ちても神への反逆を続けよとアジる場面は音読したくなる。そのくせ、彼の弱く情けない姿もまた魅力的だ。アダムエヴァ楽園で楽しげにしているところを見て、自分には愛する伴侶もなく、人類に与えられている神から恩寵も既に失われたことを嘆く場面もまた、声に出して読みたい。そして、彼は人類への憎悪嫉妬のゆえに、アダムエヴァ堕落させる。この叙事詩の主役はルシファーだ!

紫式部源氏物語

好きなヒロイン六条御息所自分の意に反して生霊飛ばし他人を苦しめてしまうことに悩むのがかわいそうでならない。今でいうなら、好きという感情コントロールできなくて、それでも好きな人が振り向いてくれなくて苦しんでいるタイプで、感情エネルギーが強い自分としては大いに共感する。

他に好きなキャラクターというか、嫌なリアリティがあっていいと思うのは薫で、その優柔不断さがいい。「この子とつきあいたいけど、でもこの子そっくりな別の子はい雰囲気だしなあ」みたいな優柔不断というか欲深さは、男性心理をよく観察していないと書けない。そういう意味で、自分の中では紫式部評価がすごく高い。

アルベルト・モラヴィア軽蔑

情けない夫が不機嫌な妻に、お前それだけはやっちゃダメだろ的な行為を延々続け、妻から完全に軽蔑され、とうとう上司に妻を寝取られしまうだけの話で、一人称視点から延々と繰り返される言い訳はひたすらに情けない。ねえ、僕のこと愛してる? 嫌いになっちゃった? と尋ねまくって、わかっているくせにとぼけないで! 今忙しいから後にして! うるさいからほっといて! もう愛してないったら! あなた軽蔑するわ! と怒らせるのは、完璧反面教師であり、ギャグすれすれだ。

しかし、作者は妻のことを相当恨んでたんだなあ。

サマセット・モーム人間の絆」

身体劣等感を持つ主人公が、付き合うだけで不幸をもたらす浮気性の彼女を振り切って、幸せにしてくれる女性を見つける話。多くの人が何かしらのコンプレックスを持っているし、何であん自分に敬意を払ってくれない人を好きになったんだろうって記憶を持っていることだろう。王道過ぎるといえばそうかもしれないが、結婚してハッピーになる王道何が悪い

マルグリット・ユルスナールハドリアヌス帝の回想」

ローマ皇帝自分の治世を振り返る体裁でありながら、欺瞞自己満足をさほど感じないのは文体のせいなのか。時代性別文化言語も超えて、別の個人に憑依しながらも、己を見失うことなく語る著者の声は、他人視点に立って(歴史小説を書くとはどういうことなのかを、これからも厳しく問い続けることだろう。

中年や老人にならないと書けない小説がある。そして何年もかけて書かれる小説があり、構想から数十年が過ぎて着手される作品もある。そうした重みを持つ文学作品がどれほどあることか。

技巧も素晴らしく、文体も素晴らしい。こうした作品に出合えるのは、年に一度か二度だ。

吉田兼好徒然草

説教臭い頑固おやじブログ基本的には仏教説話が多いが、それらに交じって挿入される、「〇〇という迷信には典拠がない」だの「〇〇という習慣は最近のもので、本来のありようや精神とはかけ離れている」だの「〇〇という言葉語源を考えれば正しくは〇〇と言うべきだ」だのが、まさにその辺のおじさんがいかにも言いそうなことで面白い

ただ、それだけじゃなくて、第三十九段の「或人、法然上人に、……」のエピソードは、「とりあえずできるところから頑張ればいいじゃん?」的な内容で励まされるし、十八段の「人は己れをつづまやかにし、……」は身軽に生きていくことの幸せさを教えてくれる。

ジュンパ・ラヒリ「その名にちなんで」

最高だった。ラヒリ大好き。体調崩すレベルで刺さった。アイデンティティの混乱という古典テーマもさることながら、ラストシーン過去と不在の人物記憶が、そして小説の全体が何気ないものによって濃密によみがえってくる様子がすばらしい。そのイメージプルースト以上に強度があるかもわからない。

これは、インテリインド系(ベンガル人移民第一第二世代の話なんだけれど、読んでいるうちに海外赴任者の寄る辺なさを思い、つまりイギリス暮らしていた自分の両親の境遇勝手連想させられ、ついつい感傷的になってしまった。随分と勝手な読み方だが、小説の読み方はいつも私的ものから構わないだろう。

外国では気候も習慣も何もかもが違う。両親の教えることと学校でやることが矛盾していて、両親が里帰りしても子供たちは故郷のノリについていけない、ってのが、すごくパーソナルなツボをついてくる。こういう経験がなくても、地方と都会として読み替えると、増田でいつも議論されている話にも近づくんじゃないかな。

H・P・ラブクラフト時間からの影」

正直なんでこの時代ラブクラフトを読むのか、というのはある。人種差別主義者だし、排外主義者だし、クトゥルフ物はパターンが決まっているコントみたいだし(人類理解できない名状しがたいものに触れて発狂するのが基本的オチ)。でも、彼の持っていた宇宙の巨大さと人類の取るに足らなさという感覚は、まさにセンス・オブ・ワンダーだ。そして、「人間感情の中で最も古くて強いのが恐怖であり、その中で最も強いのが未知のものへの恐怖である」という言葉の通り、究極的には理解できない「他者」という存在の恐怖にまっすぐに向き合おうとしたことを何よりも評価したい。

この作品が好きな理由もまた、不気味なクリーチャーが非常に知的であり、かつ知識欲が旺盛だということによっている。

U・K・ル・グインゲド戦記

一巻から三巻までは、ゲドという人物自我確立に始まり他者を助けることや世界を救う英雄行為が扱われる。しかし、実はゲド戦記は第四部からが本番なのだ。あらゆる魔法の力を失い無力な存在となった彼が、魔法のある世界いかに生きていくか。これは、老いに直面する男性物語だ。

そして第五巻! ゲドの生涯で一番の功績が、実は重大な誤り、人類傲慢に過ぎなかったのではないか、という仕事に生きてきた男性には非常に厳しい可能性が示される。

しかし、ル・グインはゲドにとてもいい歳の取らせ方をしている。果てしなく努力をすれば、男性女性を、女性男性理解できるのだと作者はどこかで述べていたが、その希望を見せてくれるし、そこに女性作家を読む喜びの一つがある。

男性気持ちがよくわからない女性にもオススメしたい。

ジュール・ルナールにんじん

いわゆる毒親について書かれた小説なんだけど、ねちねちしていなくていい。文体は軽く、描写も簡潔。だからこそ、彼の育った環境の異常さが際立ってくる。なんでこんな親子関係なっちゃったかについて掘り下げられることもほとんどない。

そして、暗鬱なだけの作品にならないのは、にんじん少年の異常なたくましさだ。ひどい目に合っても受け流し、冷淡な母から何とか愛されようともがいている。読んだときの年齢によって、感想は大きく変わるだろう。

以上。五十音順計算を間違って40冊の予定が1冊増えた。書いていて非常に楽しかった。

2021-02-20

古典文法ガッツリやる意味はなんなんだよ

古典教養になるってのはわかるんだけど、それなら現代語訳をメインで読んで原文はチラッと見る程度でいいと思うんですよね

今年の問題みてみたが、やっぱり文法事項をガッツリ聞いてるじゃないか

「えまねびやらず」の解釈として最も適当ものを選べ

こんなのができるようになる意味、あるか?

現代語訳読んだらほぼ誰でも解けると思うんすよ、古文 だから原文を出すことで試験として成立するようにしている

その構造が虚しすぎるんだよな

そもそも出題されてるのを原文と呼ぶことには違和感がある

栄花物語」で画像検索して出てくるような、俺のごときパンピーにはほぼ読めねえ、ミミズののたくったような文字 あれこそが「原文」だろ

現代文字に直されて、お行儀よくプリントアウトされた「原文」を読むことに果たしてなんの意味があるんだよ

そこまで手を入れるんだったらもう現代語訳すりゃいいだろ

あと、昔の日本教養うんぬん言うんなら、時代がすげー偏ってるのはどう言い訳するんだ

江戸時代あたりの文章とか、「読みやすすぎる」みたいな理由あんまり出題されてなかった記憶があるのですが……

どうなんだよそれ 読みやすさとか関係ないだろあくま教養と言い張るんならよ

受験科目になってしまったが故に異形の変貌を遂げ、教養にもならねえし実用することもできない謎の科目になったか批判されてるんじゃないのかよ

俺は古文のものじゃなくて、受験が悪いと思うね

テストに出る・入試に出るから大事、出ないからどうでもいい そういうクソみたいな価値観が幅を利かせてるのがヤバすぎる

もっと余裕を持てないのか……と言いたいが、囚人のジレンマというやつなのでしょうか

古文、クソだって絶対

ステキ文学作品解釈して、いにしえの時代を生きた先人たちに想いを馳せる……みたいなことにはまったくなってないからな

「ぞ・なむ・や・か・こそ已然形!」「ありをりはべり、いまそがり!」などの不気味な呪文を暗記するゴミ教科だったぞ 少なくとも俺の記憶ではそう

俺はあれ嫌だったか文法は捨ててカンで解いてたんだけど、中身はわかっても細かいところで地味に失点するんだよな すげー嫌ですよあれ 本当に嫌いになる

古文のものは悪くないが、教科としてのいまのあり方は間違いなく悪いですって、絶対!!!

2021-02-15

ミステリのやつ

あのミステリのやつだけど、文学作品なのはどうかと思う。

よって、

罪と罰』→バークリー『毒入りチョコレート事件

『闇の奥』→スカーレットエンジェル家の殺人

冷血』→マッギヴァーン『緊急深夜版』

蝿の王』→リューイン『季節の終わり』

悪童日記』→マンシェット『愚者が出てくる、城寨が見える』

あたりにしてはどうかな。

2021-02-10

麒麟がくる』が史実に見える件 詰んだ信長DV夫に見える件

ふだんはドラマ映画感想自分ブログに書いているが、配偶者DVモラハラを疑っているため、ここに記す。

2020年大河ドラマ麒麟がくる』は事前の大々的告知もあり、最終回前は注目を集め、記事によると放送直後、#麒麟がくるは、Twitterトレンド世界1位だったそうだ。

織田信長明智光秀(十兵衛)の関係破綻による悲劇そもそもずっと理想を追い求め、生身の信長の寂しさに気づいていなかったのではと、視聴者ツッコミの美しくも切ない、すれ違いのプラトニックラブストーリーだった。

最近BS再放送され、視聴した大河ドラマ2作品独眼竜政宗、葵三代)と、第33回「槍ドン」で強烈なインパクトを与えた『おんな城主 直虎』、今回の『麒麟がくる』を比較すると、従来はホームドラマ最近ミステリーないし政治劇・心理ドラマであり、戦のある、古の衣装をまとった文学作品のようだ。昔は、世界平和作品中では「平らかな世」)を追い求める主人公漫画アニメしか描かれなかったが、実写に進出し、より現実味を帯びてきた。

どうみても、本能寺の変は、織田信長明智光秀のこじれた関係が原因としか思えず、光秀は別の可能性(復讐燃えた野心家・急な判断力低下)もあり得るとしても、信長史実として、この性格・考え方だったのではないかと感じた。確固とした自身ビジョンはなく、信頼した「誰か」の願いを叶えるために行動し、武力と調略をもって国内統一を目指した。心から信頼した相手は光秀ではなく、別の小姓・家臣や妻(側室)かもしれない。信長第一アドバイザーがもし光秀なら、戦国3英傑ではなく、4英傑だ。画面の端々から、なぜ明智十兵衛光秀の味方となる武将が少なかったのかも痛いほど伝わってきた。実質No.2が操りきれなくなったNo.1を奇襲で弑逆するなど、茶番しかない。

ネット上ではDV彼氏メンヘラ彼女暴走する公開パワハラ社長などと評価された染谷将太演じる織田信長。ああいった行為は、人として誰もが行うべきではないのなら、いま受けている配偶者自分に対する行動は、まさにモラハラかもしれないと気づいた。なぜ一方的に罵られるのか。悪気はないようだが、床や机の上を掃除しろ仕事より子育てを優先しろ都心に買い物に行くな、温泉美容院映画館などに行くなと命令されるのか。世間では夫婦年収比率は7対3や9対1で、ゆえに妻が家事育児ワンオペで担うケースが大半だと思われるが、幸か不幸か、賞与を含めて5対5か6対4、抜くと7対3である以上、偏る負担に納得できない。子ども教育投資するべき、移動時間の短縮に費用を投じるべきという意見は受けれられない。


「こじれた関係は終わりにしよう」。終わらせるのも正義、終わらせず生涯尽くし続けるのも正義

「謀反人・明智」への評価の低さは、日本人は忍耐こそ美徳判断するからだろう。それなら、もう生きずに死したほうが楽かもしれない。心を落ち着け子どもの頃のように眠りたい。罵倒を受けずに、仕事目標達成や子育てを全て放棄して。開放されたい。……同じような終幕の漫画アニメは無数に見てきた。それをフツーの日本人が見る(もはやドラマアニメ好きしか見てないかもしれないが)、実写の大河ドラマ枠で描いたのはやはり驚きだ。

少子化による血脈途切れのため、ラストかラス2になりそうな天皇のいる御代・令和は、何度でも人生をやり直せる、リセットできる、生きやすい世の中であって欲しい。将来「とんでもラスト」と批判されるであろう、実は生きていた主人公が馬に乗って駆けていく『麒麟がくる』のラストシーンに触発を受け、自分語りしてみた。

2021-02-07

勝手に削除から考える文芸時評論理

 『文學界2021年3月号の新人小説月評に関して、評者の荒木優太氏が「末尾が勝手に削除された」とTwitterに訂正願いを投稿、ほどなくして『文學界公式アカウント反論ツイートをした。

 のちに荒木氏は『マガジン航』で「削除から考える文芸時評倫理」と題する文章を発表し、背景を説明した。

https://magazine-k.jp/2021/02/06/ethics-in-literary-criticism/

 まず騒動時系列を把握しよう。

 最初荒木氏の①【訂正のお願い】ツイート2月5日19時半前、②『文學界』の反論ツイートは同日9時過ぎ、その後30分と間をおかず、荒木氏は「とりあえず」との留保付きで③追加説明ツイートを行なっている。

 ④『マガジン航』への掲載は翌日である

 では「削除」に至った経緯について、両者の主張を見てみよう。と言っても、経緯の主張については対立するところはない。

 1. 問題の3行を含む原稿を『文學界』が受け取る。

 2. 『文學界』が「批評としてあまり乱暴すぎるのでもう少し丁寧に書くか、それでなければ削除してほしい旨申し入れ」る。

 3. 荒木氏が「では、末尾に『全体的におもしろくなかったです。』と付け加えてください」と伝える。

 4. 『文學界』が「改稿していただけないのであればその3行は削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「『お好きになさるとよいでしょう』、ただし『その事実SNS等で吹聴する』」と返答する。

 6. 削除された状態刊行される。

 7. 「勝手に削除された」と荒木氏がTwitterで吹聴する。

 以上である

 さて、ここからが本題である。『文學界』のツイートは一貫して、「勝手に削除された」という「認識」をめぐるものである

 先ほどの経緯を「削除」の一点に絞って書き直してみよう。

 1. (略)

 2. 『文學界』が「削除してほしい」旨申し入れる。

 3. (略)

 4. 『文學界』が「削除します」と申し入れる。

 5. 荒木氏が「お好きになさるとよいでしょう」と返答する。

 6. 「削除された」状態刊行される。

 7. (略)

 『文學界』の立場としては、まず削除してほしいと提案し、聞き入れられない(どころか批評たりえない(と彼らが判断する)改稿を提示された)ので削除を宣言し、荒木氏が認めたので実際に削除した=「勝手に削除したわけではない」、ということになる。すなわちここでの「勝手に削除する」は、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とする」ことを指す。

 荒木氏の立場としては、編集部意向で、B「最終的な確認なく削除された」=「勝手に削除された」ということになる。

 つまり問題はこういうことだ。

 「勝手に削除してもよいという合意」の上で削除が行われた場合、それは「勝手に削除された」と表現できるのか?

 一見して難問だが、前件と後件の「勝手に削除」は、指しうる範囲が異なる。Aの意味は「合意」とそもそも相容れないため、前件ではBのみを指しうる。一方で後件は問いの形式なのでAとB両方指しうる。しか命題「〜場合、それは『勝手に削除された』」が真となるのは両件ともBを指す場合のみである

 では荒木氏のツイート時系列に話を戻すと、最初の「勝手に削除された」という荒木氏の言葉は、ここでは後件に相当する。しかし前件はそもそも提示されていないために、AとB、どちらを意味するとも解釈できる状態である。それに対して『文學界』の経緯説明は前件を説明するものであり、ここでようやくBの意味での解釈のみが妥当であることがわかるようになる。

 言い直すと、A「著者に一切の了解を得ることなく不掲載とされた」と荒木氏が主張しているように読めるため、そこに出てくる表現勝手に削除された」は、B「最終的な確認なく削除された」のみを指しうるのだと、『文學界』は反論したのである

 これを踏まえると、「Bでしか解釈できないはずの表現を、Aとも解釈できる状態で公にした」荒木氏側には、『文學界から反論されるだけの落ち度があると言えるだろう。

 荒木氏を擁護しうるとしたら、以下の主張が妥当である場合だ。

 「物理的に手出しできない」という不均衡な関係ゆえに形式同意せざるを得なかっただけで、本来的には一切了解していない、すなわち前件自体が間違っているのだから、Aと解釈すべきである、という主張である。なるほど、物理的に手を出せないのは明らかにである。だが、「ならば同意せざるを得ない」と即座に結論づけられるのか。これは言わば「抗拒不能」を争うもので、論理から法の領域に踏み込んでしまうだろう。

 ここで可能性として生まれるのは、「6. 『削除されなかった』状態刊行された」パターンである。ではなぜそうならなかったのか。『文學界』側が「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」という論理的な抗拒不能に陥っていた場合である

 本論では『文學界』側にこの主張が成り立つかを『マガジン航』に掲載された「削除から考える文芸時評倫理から考えてみよう。

 荒木氏は「削除されなかった」場合作家が反応を示した場合を想定して、こう書いている。

そもそも作家から「反応」があったからといって、なんだというのか。怒りたければ怒ればいいし、月評に不満なSF作家樋口恭介がしたとおりウェブ反論文を書いてもいい。場合によっては私はそれで反省するだろうし、或いはやはり自分の正しさを確認するだけに終わるかもしれないが、その過程のなかで新たに発見できるものもあるだろう。

 ちょうど1年前の『文學界新人小説月評に対し、作家樋口恭介氏が反論した例(https://note.com/kyosukehiguchi/n/n54a493f4d4f4)を挙げ、自身の評言に対しても同様に振る舞えばよいではないかと述べている。

 樋口氏の件では反論に遭った両評者とも、作品内容にある程度触れ、自らの解釈をある程度開陳した上で否定的評価を下している。よって樋口氏は両者の解釈そもそも成り立たないことを説得的に示し、古谷から不適切であったと謝罪撤回を得ることに成功している。非常に健全批評的やりとりだった。

 ところが荒木氏の問題の3行には解釈がない。解釈提示されていないのであれば、樋口氏のように「それは誤読だ」と反論することもできないだろう。荒木氏自らが提示たこの事例との比較から、「反論余地を与えない表現批評たりえない、単なる悪口である」という論理が――「論理的に適当でないのだから削除するほかないではないですか」――容易に導かれる。

 荒木氏は「文学作品は作者による産物であると同時に、読者がもつ解釈格子次第でいかようにも姿を変えるものだ」とも述べている。なるほど、その解釈格子を通して得られた感動は「読者が固有の仕方で編み出した創造物」であるという論も含めて同意する。ところが荒木氏は続けて、「読者に伝えたいのは、私のもっているつまらなさや無感動も、いくぶんか自己責任もつところの私自身にとっての大切な創造であるということだ」と述べる。結論はこうだ。

私の最大の、というより唯一の武器は、面白いものには面白いといい、つまらないものにはつまらない、という、正直であることのほかない。

 荒木氏の論理では創造なのは「(無)感動」である解釈のものはそれを生み出すためのフィルターである。そして荒木氏が月評に書こうとしたのは「全体的におもしろくなかったです。」の一言、すなわち「感動」である

 だが、樋口氏の事例との比較で明らかなように、批評文に求められるのは、評者の感動=感想などではなく、それを生み出すにいたったフィルターであるところの解釈である解釈には確かに属人的な部分もあるが、ある程度規範的な部分もあり、さもなくば書き手自身から反論も成り立たず、「過剰解釈」が氾濫する。なるべくそ規範的な解釈をもって評価を下すのが評者の使命であろう。評者個人の正直な感想など、正直言って全く興味がない。文芸誌を買ってまで読書感想文を読みたくなどない。

 月評の制限字数わずであるため十分に論が展開できないというのならば理解できる。ところが『マガジン航』には多少なり岸作の解釈が載るのかと思えば、ここでもやはり「簡単な紹介と個人的所感」にとどまる。「個人的所感」などどうでもよい。

 解釈ができないのであれば、あるいはするまでもないと思ったのであれば、端的に書かなければよいだけの話であり、結果として「勝手に削除された」のは理の当然であろう。

 ある意味当事者となった川上未映子氏はこうツイートしている。

 テキスト論理もなく書かれた感想に怒りで反応する皮相な「緊張感」だけが漂う場を、批評とは呼ぶまい。

追記2021年2月8日

 反応をいただいたのでいくらか補います

 まず公平性を期すためあえて本論執筆者自身の考えを明確にすれば、「『文學界編集部の削除対応は、抗議ツイートまで含めて手続き問題はないが、合理的ではなかった」というものです。

 仮に削除せずに全文ママ掲載し、岸・川上両氏から編集部に対して抗議が来た場合、やりとりの履歴はあるのですから「改稿あるいは削除を提案したが聞き入れられなかった」と説明すればよいでしょう。改稿・削除を要求した理由が両氏への忖度だけなのであれば――「裏工作して保身に走る編集者」なのであれば、交渉をした時点ですでに保身は成立すると言えます

 あるいはもし仮に改稿・削除提案荒木自身の体面を守るためというお節介だったとしても、誌面から削除したところで荒木自身SNSで当該の評言を公開することは避けられないわけです。

 それでもなお最終的に削除の決断をした。非合理的でしょう。「批評を載せるのだ」という編集部としての決意表明のようなものを感じます(これは解釈を経て創造した感想です)。

 無論、コメントでいただいたように、「そもそも読者は批評を求めていない(批評を求めていない読者もいる)」可能性はあります。誌面にどのようなものを載せるか決めるのはまさしく編集作業なので、この場合問題は「作者が作りたいものと受容者が求めているものが違う」ことです。

 ただし荒木自身批評を書こうとしているので(「「批評言葉」かどうかを編集部判断するのがお門違いであり」と主張している以上)、問題の3行を読んで「読者は批評を求めていないのだから問題ない」として荒木氏を擁護しようとすると、逆に氏を裏切ることになります

 よって、時評の存在意義や読者の需要コメントでいただいたように「別の話」なわけですが、それはそれで議論されるべき問題なので取り上げました。

 最後に、本論文末の「緊張感」は、わざと誤読のように用いていますコメントでおっしゃる通り、「テキストへの真摯さ」が本来の緊張感ですが、テキスト論理がないので当然この本来の緊張感も不在です。それとは別の、感情的応酬という緊張感しかないのだ、と表現するために括弧付きで「緊張感」としました。最後までお読みくださりありがとうございます

2021-02-06

マウスパッド代わりに本がほしいんだが、何がいいと思う?

こたつノーパソ触るとき用のマウスパッドがほしいのだが、あんまりかいの置いても邪魔だし景観的にアレだから文庫本とかで代替しようと思っている

しかし基本電子書籍派なので家に紙の書籍がない。新規で買うことになりそうだ

読むために買うわけじゃないのだから超絶難解な文学作品や専門書でも今回ばかりは問題ないはずだ

家に人を呼んだときこたつに置いてる=ちょうどこんなの読んでるなんてすげーな…って一目置かれそうな本がいいのだが、何がいいか

2021-02-03

意外とみんなそんなに教養持ってない

たとえば北条時行なんかまあWikipedia観漁るのが趣味な人と歴史好きな人あたりが好きって程度で、一般常識からほぼ外れている。更に言えば、名前を知ってても北条時行がどういうことした人なのかをそらんじれる人は更に少ないはず。高校日本史でやってたとしてもまあ忘れてる人がほとんどでしょう。ただまあ、「足利高氏」って名前を見た時に「あ、足利尊氏と音が一緒だな」というところから推測して検索かけて「やっぱ鎌倉幕府滅亡するタイミングの話しをやるんだな」って推測を立てることができるくらいは多分一般教養範囲

文学作品特に羅生門みたいなのに関しちゃ、単に読んだことがあるだけでしょう。羅生門とか山月記とかってレベルなら、これは高校(もしかしたら中学)の国語で読むだけだからまあ一般教養範囲とは言えそう。これがたとえば夏目漱石こころ」あたりになると教養から外れてくるのかなという気はする。「こころ」を高校現代文で学ぶとき、履修範囲は「先生」の学生時代の話がメインになる(Kに「向上心がないもの馬鹿だ」と言うシーンね)。でも、じゃあ「こころ」が実は三部構成で、その三部構成がどのように組み立てられて……という話しになると多分あんまり答えられる人はいないと思う。なぜなら授業で習ってないから。

何が言いたいかっていうと、「はてなの人がみんな知っている知識」と元増田が思っているものはおそらく「人生のどこかで聞いたことはあるけど、蓋を開けてみればほとんどの人がそんなに詳しくない」ってタイプ知識になるのは間違いない。これがみんな知ってて当たり前みたいな感じになるのはただの観測バイアスから知らなくていい。

それでもなお知識がほしいというなら、マジな話としちゃ、歴史なら「もう一度読む日本史」「もう一度読む世界史」、国語ならhttps://www.shinchosha.co.jp/edu/download/high-school_2018.pdf掲載されてる作品ざっと読むのがいい。別に覚えなくていいから。大学受験じゃねえんだからとりあえず「見たことがある」=「詳細は覚えてなくていいけど話は思い出せる」くらいの感じにしておくのが良い。読むのもめんどいってんなら諦めろ。

anond:20210126093728

2021-02-01

anond:20210131233828

エロゲ会社が出すと叩かれるけど

芥川賞作家が書くと高尚な文学作品として絶賛されるよ

2021-01-26

歴史文学に対する造詣が浅い

北条時行って誰なのか。北条って苗字は知ってる。聞いた事ある。時政?時宗?なんなそんな人が歴史教科書に出てきたきがする。

豊臣秀吉織田信長徳川家康武田信玄上杉謙信伊達政宗くらいならどういうドラマがあったのかだいたいわかる。でもその程度。

日本じゃないけど三国志とかもよくわかってない。諸葛孔明とか劉備とか?四面楚歌って言葉もそこ由来だっけ?

  

歴史以外にも文学。クソデカ羅生門羅生門を知らないとその面白さがわからない。

他にも増田に対してブコメで色々な文学作品のパロディである事を指摘している人が沢山いる。

みんな色々な事を知っている。

  

そういう話題、というか教養。当たり前にはてなで盛り上がる教養自分には備わっていないことに劣等感がある。

みんないったいいつ興味を持って、何に触れるとそういう教養を身につけられるのだろう。

2021-01-20

無職転生はなぜ「俺たちの1位」であるのか

anond:20210118194110

無職転生」を俺たちの1位と評したのは、リゼロの作者だが、これは単に、「無職転生」が長らく累計ランキングで1位を保持したからではない。他作品アニメ化に伴い、今は5位あたりに下がっているが、それでも「俺たちの1位」なのだ。その理由小説書きとしてはかなりオーソドックスものであり、単純に「出来が良く」「人間をきちんと描けているから」だ。つまり文学作品として抜きんでているから、小説であるならば自然と頭が下がるのであって、消費財的なニュアンスライトノヴェルと言う言葉にあるのであれば、「無職転生」はフォーマットこそライトノヴェルだが、本質的にはライトノヴェルではない。従って諸々の要素が、その後のライトノヴェル派生において起源位置づけられると言うこともそもそもあり得ない。フォーマット的に共通する部分があるとしてもその質と意味がまったく異なるからだ。

そう言う意味では21世紀ポップ小説界の主流ではなく、むしろ80年代90年代の「文学的にも評価されたジュヴィナイル小説」、「銀河英雄伝説」とか「十二国記」とか、新井素子の「チグリスとユーフラテス」などの系譜位置づけられる作品である

「なろう」の人気作は、いかにも「なろう」っぽいものが上位を占めると同時に、「リゼロ」もそうだが、「本好きの下克上」などところどころ前世紀のジュヴナイル小説系譜を継ぐ作品もあり、一口にまとめられるものではない。

無職転生」はニートひきこもりと言ういかにもな属性持ちを主人公にしながら、それをギャグとしては用いない。真剣にその影響、生まれ変わってもひきずる痛みを徹底的に描く。その時点ですでに「なろう」のフォーマットから遠く離れている。筆者は作者は本当にニート経験があるのではないかと思ったほどだ。つまり一個の人間属性を軽々しくは扱わないのだ。その端的な扱いがゲイ描写だろう。ライトノヴェルでは、主要な読者層である若年男性感情に訴えるホモフォビアがそのまま剥き出しで晒されている例が結構あるのだが、代表的な例がこれもまた人気作の「盾の勇者の成り上がり」だろう。まったく必要必然も無い場面で男性キャラ同士をギャグとしてくっつけて、「ホモじゃねーよ!」と言わせることが笑いになると思っているしょうもない感性が見られる。それも一度だけではなく二度三度と。他人であっても、一個の人間が生きるということへの想像力が致命的に欠落しているのだ。

無職転生」では番外編でゲイキャラクターを主題に据えた短編があるのだが、その苦悩も自負も覚悟愛情も、決して同性愛好意的ではない人にも感じられるようにしっかりと描いている。まず、そうした「創作者としての当たり前の感性」を持っている時点で、「無職転生」の作者は、なろうの主流からはかなりかけ離れている。

フォーマット的には、

1.トラックに轢かれて死ぬことで転生する

2.生まれかわって赤ん坊の時から意識があるために、ひたすら魔力圧縮の訓練をすることで膨大な魔力を手に入れる

3.複数ヒロイン結婚し、ハーレム状態になる

などのエピゴーネン派生させた要素もあるのだが、その処理の仕方はエピゴーネンとはまったく異なっている。

例として3の要素を見てみよう。

無職転生」では主人公ローデウスは、幼馴染尽くし型のシルフィ、元家庭教師ロリっ子お姉さんキャラロキシー脳筋ヴァイオレンス少女エリスと3人の女性結婚するのだが、それが読者にもキャラクターらにも受け入れられるよう、しっかりと事情を描いている。形式的にはハーレムなのだが、内実はハーレムからは程遠い。どの子大事と言う必然がきちんとあり、それぞれに誠実であろうとするから3人と結婚すると言う事情がある。

ローデウス人生において3度、アイデンティティクライシスに直面するのだが、それぞれの危機で寄り添ってくれたのがそれぞれ3人の妻なのであるドラクエVでビアンカを選ばないと罪悪感があるように、人として「そりゃこの子は捨てられないだろうよ、ローデウスさんよ!」と言う事情がそれぞれにあるのだ。

正体不明の爆発があり、家庭教師先のお嬢さんはるか土地に飛ばされて、やっとのことで2年かけて元の文明地域に戻ってきて、たまたま父親と再会できて一安心と思ったら、その父親奥さん行方不明になっていてあっぷあっぷになっていて、出来のいい息子を頼りたい気持ちもあり、いやとりあえずお嬢さんを無事に送り届けないといけないからという息子に、「おまえ、お母さんのことは大事じゃないのかっ!」と責めて、父子の断絶(和解はするけれど)、その「なんだよっ、親父も分かってくれないのかよ!」と捨て鉢な時になぐさめてくれたのが、そのお嬢さんエリス

ところがそのお嬢さん脳筋ものから、ローデウスと一緒に故郷に戻ったはいものの、なんでも出来るローデウスと較べて自分は何にもできない、横に立つためには鍛えなければ!とローデウスに「(今の自分はまだあなたには)相応しくない」というような置手紙を残して修行出奔。ローデウスは「はは。身分違いって、俺、捨てられたんだな。信じてたのに!信じてたのに!」と人間不信に。悲しくもインポに。

それを癒したのが魔法学院で再会した幼な馴染みのシルフィ。ああ、やっぱり俺を分かってくれるのは幼馴染だけだわ、とラブラブに。そこへ、親父から、「おまえのお母さんが囚われている洞窟が分かったので、救出にあたる。おまえも手伝え」と手紙が来て、妻を残して行ってみればそこにはかつての家庭教師ロキシーパーティーメンバーとして参加していた。で、この作戦、お母さんは助け出せたもの昏睡状態で、親父さんはローデウスを庇って死んでしまう。ローデウスも悲しみのどん底。慰めてくれるロキシーに縋っても誰が責められようか。で、シルフィの承諾も得て、ロキシーとも結婚

最後にはエリスが「はあ? 修行に行ってただけだけど? そう書いてたでしょ? あんたと別れるなんてあたし言ってないんだけど!?」と戻ってきて、エリスも捨てられないので結婚

そう言う事情が丁寧に描かれているだけではなく、読者が納得できるよう仕掛けも施してある。

この3人妻出会う順番は①ロキシーシルフィエリスの順序なのだが、恋仲になる順序が①エリスシルフィロキシーであり、結婚の順序が①シルフィロキシーエリスになっている。つまり出会い、フォーリンラヴ、結婚の順序がシャッフルされているのであり、「先にローデウスに目付けたのはあたしなんだからねっ!」の先が基準ごとで入れ替わるようになっている。だから「みんな先なんだから誰も捨てられないよね」と読者の納得が得やすいようになっていて、その丁寧さはハーレムからは程遠い。妻をモノとして描かずそれぞれキャラクターとして尊重してなおかつローデウス複数の妻を持たせてローデウスの誠実さも毀損しない描き方になっているのだ。

そのそれぞれのキャラクターを人間として尊重しながら物語としての整合性を両立させる姿勢は、他のライトノヴェルハーレム物にはまったく無い要素であり、形こそ複数妻ではあるものの内容はまったく別の物である。こういう丁寧さが「小説としてきちんとしている」と言うことであって、私もなろうで200作以上読んできたが、単純に完成度が「無職転生」は圧倒的に抜きんでている。

今回、日本アニメが望み得る最高の品質アニメ化されたのだが、作り手にこの作品アニメ化するためだけのために新しい会社を興させるほどの、敬意を引き出す作品なのだ。それはもう、凡百のライトノヴェルの「起源」などであったてたまるかと言うべきものである

2021-01-18

anond:20210118182723

枕草子も壮大なお気持ち長文やしな

1000年ほどしたら増田お気持ち長文も文学作品になってるかもしれん

2020-12-20

性欲を消したい

正確に言うと彼女から求められた時にだけうまいこと出せるようになりたい

毎日って頻度じゃなくなったものの頻繁に性欲に気を取られて時間を浪費し、その後も疲れて動きが悪くなってしま

街中で女子高生の脚とかOLの尻とか見てしま

文学作品は高いとか言ってそうそう買わないのに、エロコンテンツ衝動買いしてしま

あと、今のところは大丈夫なんだけどセクハラとか痴漢ちょっと怖い

発言には気をつけてるし(そもそも性・恋愛の話をしない)、ボディタッチは絶対NGとも思ってるんだが、ひとのうなじとか見て「ああ〜…」と思う瞬間は確かにある 俺が獣だったらガバッといってるな…と冷静に思うことがある

今は理性が働いてるから大丈夫だけど、将来もそうかはわからない 人間の脳ってどうなるかわかんねえしな 中年期が大丈夫でもボケてからセクハラ爺になる可能性はある そうなる前に俺が死ぬ介護が完全にロボット化されるか安楽死合法化されるといいんだけどな

 

無駄な性欲全部無くしたい 仙人みたいになりたい

いっさいシコらず、街中にマイクロビキニ着た巨乳美女がいてもまったく反応せず(そもそもそういう趣味じゃないか好奇心以外たいして刺激されない説はある)、煩悩に金を使うこともない 

すごいエッチなお姉さんと電車で密着しても、オッサン等と密着しているときのうっすら嫌な感じしか覚えない

そんな男に俺はなりたい

あと欲をいうと全ての男がそうなってほしい

2020-11-30

ベリーダンスマーニャふんどし

ベリーダンスとの出会い

幼いころに観た、「ドラえもん のび太ドラビアンナイト」には、ぜんまい仕掛けの舞姫が出てくる。しかし、まだ自分はそれに欲情することはなかった。パンツエッチもの認識はあったのに、しずちゃんのへそ出し衣装にも、それどころかオアシスでの全裸水浴にも何の感慨も抱かなかったのである

もう少し大きくなってからとある学習漫画で見たベリーダンスには、なぜかエッチ気持ちになった。確か、アラビアと聞いて半裸の女性が踊っている不埒妄想をしているシーンだったような気がする。性の目覚めとは不思議もので、その時に出会ったものタイミングによって、その後の性癖に多大な影響を与えてしまうし、パンツの向こうにある女性器に興味が出てきたのは、中学生以降になってからだった。

文学ベリーダンス出会ったのはオルハン・パムク2006年ノーベル文学賞作家を読んでいた時だ。結婚式などの場にベリーダンサーを呼ぶべきかどうかについて議論している個所が作中に出てきた。どうやら、ベリーダンスの持っているイメージ社会的意味が、ヨーロッパとはかなり違うのではないかと気づいたのはこの時である

イスラーム圏におけるベリーダンス

今回はかなり日英のウィキペディア記事が充実しているので、そこから抜粋しよう。

そもそもベリーダンスには二種類の社会的コンテクストがある。一つはRaqs BaladiまたはRaqs Shaabiと呼ばれる社交ダンスで、別に露出度の高くない通常のファッションで行われる。保守的地域では男女別に踊るものとされている。もう一つがパフォーマンスとしてのダンサーだが、社会的地位はまだ高くない。想像する通り、イスラームでは禁忌とされる肌の露出を行うからである

衣装はbedlahと呼ばれ、典型的なのはぴったりしたブラトップ、臀部のベルト、そしてロングスカートハーレムパンツの組み合わせでできている。ブラとベルトはビーズスパンコールクリスタルコインビーズ刺繍で飾られている。ベルトはスカートと一体のこともあれば、別々のこともある。

起源

ベリーダンス起源は諸説存在するが、地中海世界中東アフリカ関係があるという証拠が最も多く挙げられている。たとえば、紀元前5世紀のものといわれるエジプトの墓の壁画には、半裸のダンサー達が描かれており、その姿はベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操姿勢に似ている。ウィキペディアにはこんなことが描かれているが、画像がないのがもどかしい紀元前14世紀のネブアメンの墓には、少女が帯だけを身に着けて裸で踊る姿が描写されているが、紀元前5世紀とは年代が合わない。紀元前13世紀のもので、トップレスのダンサーの姿を描いた陶片も出土している。

健全精神がどうたらという言葉で有名なユウェナリスや、風刺詩人のマルティアリスは、現在スペイン小アジア地方で波打つ動きやカスタネット、太ももを震わせて床に沈み込む所作のある踊りを記録している。

そして、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中においてもベリーダンス描写が見られ、その歴史の長さを伺わせる、とあるが、これもウィキペディアリンクを貼っていない。やれやれ

ちなみに、アンダルシア地方ロマ人の踊りと融合してできたのがフラメンコだという説がある。

エジプト

エジプトベリーダンス西洋人最初に見た様式とされる。ナポレオンエジプトに侵攻した際、ナポレオン軍は芸人音楽家としてられるガワーズィー族と遭遇した。フランス人たちは重たげな宝石髪型に飾り立てられた踊りに徐々に引き付けられた、という。

現在エジプトベリーダンスの多くはカイロで行われ、その起源ナイトクラブにある。多くのダンサーエジプト映画に出演し、エジプト様式ダンスの発展に寄与した。

プロダンスエジプト人に限られていないが、2004年当局外国人ダンサーパフォーマンをすることを禁止した。現在は解除されてはいるが、排他的雰囲気は残っているようだ。

エジプトでは、ダンサーはbedlahを着用している。また、メッシュで覆われた切り込みの入ったドレスを着ることもある。エジプトには、ダンサーが着用できるものとできないものに関する法律があり、文学作品検閲に関する法律第430号によると、ダンサー乳房や腹部を含む下半身を覆わなければならない。事実衣装については「Raqs sharqi」の項にも詳しいが、1950年代以降、エジプトではベリーダンサーが腹部を露出して公の場でパフォーマンスをすることは違法とされ、ワンピースガウンを着用することが一般的になってきている。

と、書かれているそうだが、一般的には、肌色の薄手のメッシュ生地で腹部を覆うだけで十分である、という記載もある。カイロの多くのダンサーはこの規則無視しているが、この規則はそこまで厳密に施行されておらず、腹を出してパフォーマンスをした場合は単に罰金を科されるだけであるしかし、外国人ベリーダンサー衣装を着て逮捕されるという事件が何度も起きているとのこと。

ブラとスカートを別々に着用する場合は、ベルトはほとんど使用されず、タイトでなめらかなlycra(?)のスカートに直接刺繍が施されている。腹をカバーするために、薄手のストッキングを着用しなければならない。

エジプトダンサー伝統的に素足で踊るが、最近では靴を履いてハイヒールを履くことも多い。また、抑制のきいた正確な動きでも知られている。

トルコ

子孫繁栄を祈る踊りでもあるため、中東各国では結婚式に欠かせないそうだ。なるほどパムクの小説に出てきたのもこれで説明がつく。

トルコベリーダンス衣装は肌を露わにしたものであり、ダンサーたちは腰より高い位置で留められたベルトに脚を完全に露出させるようなスリットの入ったスカートをしばしば身にまとっていた。

多くのトルコ衣装の特徴的な特徴は、V字型または三角形ベルトが含まれており、上端の周りに形を整えたり、輪郭を描いたりすることができる。また、ブラジャーベルトの両方に多くの装飾やビーズフリンジが含まれる。スカートは、しばしばエジプト対応するものよりも充実しており、lycraよりもむしろシフォンベルベットで作られている可能性が高い。

1980年代から90年代にかけては、両足をヒップまで露出させたスカートや、広く開けたブラジャーやはなはだしくはスパンコールのみなど、非常に露出度の高い衣装採用された。何があったのだろう?

今日ダンサーエジプトスタイルを想わせる、淑やかなマーメイドスタイルスカートを穿いている。ダンサーたちはハイヒールプラットフォームシューズ(厚底靴)を履く事でさらに、ターキッシュスタイルである事を強調する。ト

トルコベリーダンスオスマン帝国スルタン宮殿にあるハレムに深いルーツを持ってはいた。しかし、今日トルコベリーダンスは、エジプトシリアレバノンと言った姉妹様式よりも、ロマ民族やローマ人様式により強く影響を受けている。現に、現在トルコダンサーの多くは、ロマ民族にルーツを持つ。トルコ法律は、エジプトのようにダンサーの踊りの様式衣装制限を課さなかった。

レバノン

エジプトトルコ様式中間であると言われる。レバノンダンスは、古典的オリエンタルダンスベースにしながらも、現代的でもある。大きなステップ体幹の後方への傾き、ヒップローテーションのねじれ、大きくて忙しい腕、そして多くのシミー(体自体は動かさず、肩のみを前後に動かす所作)がある。

衣装については、腹部を見せることを禁じる規定存在しないため、bedlahスタイル一般的であるスカートエジプトのものよりも透けている傾向にあり、ダンサー身体がよく見える。ヴェールエジプトと比べて広く用いられ、ハイヒール一般的レバノンダンサーエジプトよりも衣装自由享受している。

イラン

アラビア様式によく似ており、イランではベリーダンスのことをアラブダンスと呼ぶ。

tribal style

その他の伝統的な様式がある。興味深いのは、民族的スタイルのブラに着けられたコイン中近東のものとは限らず、日本や中後のものらしいものが含まれることだ。参考、ブラトップ。乾隆通宝とあるので、18世紀のものだ。当時からそこまで交易網が広がっていたことがありありと浮かぶインド洋交易歴史もっと古いが)。

欧米におけるベリーダンス

ベリーダンスという名称も、https://en.wikipedia.org/wiki/Belly_dance#/media/File:Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_011.jpg:title-ジャン=レオンジェロームの絵画]の俗称に由来しているという説がある。この絵画では腹部どころか乳房をあらわにして兵士たちの前で踊っているが、この画家空想を織り込むことで有名だ。たとえば別の有名な蛇使いの絵画]

の後ろにある青い壁と床の組み合わせも、確かどっかの宮殿モスク適当に組み合わせたもので、正確さに欠けている。異国情緒あふれていて魅力的だが、今ではたぶん許されない表現だろう。実際、ベリーダンスからイメージされるものは、元来その地域のものであったものとは異なる。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a9/Jean-L%C3%A9on_G%C3%A9r%C3%B4me_-_Le_charmeur_de_serpents.jpg

普通ベリーダンス衣装としてまず想起されるものは、1930年代エジプトダンサーたちが身にまとい、他の地域へと知れ渡った衣装で、たいていビーズコインがブラの周辺に飾られたブラジャー風のトップスで、腰のベルトにもビーズコインが飾り付けられている。下半身ハーレムパンツストレートタイプスカートサーキュラー・スカートパネル飾りがあしらわれたスカートである

20世紀バーレスク映画産業がこうした幻想を広めたのだが、当のエジプトダンサーたちもまたまたビーズで全面を飾り立てた衣装を身に纏うようになった。映画でも、セクシーな悪役のイメージとも結びつき、胡散臭いものとして見られることも増えてしまった。このイメージ払拭には時間がかかった。

今でもカイロにあるナイトクラブオーナー、バディア・マサブニは西洋人旅行者の期待に添うために露出度の高いドレス採用している。身体輪郭を覆い隠し、ダンスのたびに強調されるのはスカーフやお尻に巻かれたベルトくらいであエジプト民族衣装とは異なるのである

日本ゲーム漫画アニメベリーダンス

マーニャ

https://dic.pixiv.net/a/%E8%B8%8A%E3%82%8A%E5%AD%90%E3%81%AE%E6%9C%8D]

踊り子と聞けば川端康成ではなくこっちを思い出してしまう人は多いだろう。

たぶん、日本ゲームベリーダンス的な幻想を多くの青少年に植え付けたもっとも古いものの例だ。今に至るまで踊り子といえばへそ出しであり、無数の同人誌で多くの人を悶絶させたはずである。ただ、中東ベリーダンス伝統的にはここまで脚を出さない。

ファンタジーの謎の前垂れの起源もこれだろうか?

マギ

【マギ】モルジアナさんの踊り【ぬるぬるな高画質】 - ニコニコ動画

現代漫画オリエント幻想を一番前に出しているのはこの作品だと聞いたのでリンクを張る。読書の傍ら、漫画も読もう読もうと思って全然読めていないのが悔しい。短篇ばっかり読んでいる。

ただし、書かれているのが謝肉祭とのことであり、結婚式の場ではないようだし、伝統的な衣装とは幾分異なる。

翠星のガルガンティア

https://www.nicovideo.jp/watch/sm21377022]

英語版ウィキペディアアニメの中のベリーダンスとして紹介されたのがこの作品だ。鳴子ハナハル作品については、エロ漫画ソムリエの友人から薦められて楽しく読んだ。大体、彼が進めてくれるのはストーリー重視で性欲があまり刺激されないものが多いのだが、それはさておいて、上の動画深夜アニメなだけのことはある。

しかし、衣装や腰の動きは半ばリオのカーニバルじゃなかろうか。未来舞台から文化が混交しているのかもしれないが。

イスラームと親密さ、異性に見せてもいい場所

Intimate parts in Islam - Wikipedia

で、実際イスラームにおけるへそ出しファッションってどのくらいのタブーに当たるのか?

上記記事によれば、身体のどの部分を覆うべきかについては大きな差があるようだ。主要な見方をまとめると次のようになる。

とはいえトルコのようにかなり世俗化しているところもあるし、特に教徒に対して顔を隠すべきかはかなり差があるようだ。

長くなったが、結論

実際のところ、イスラーム圏でへそ出しダンスって普及しているの? と思っていたので、意外と広まっていたのには驚いた。しかし、あれだけ広い地域に広がっている宗教なのだから戒律をどのくらい守っているかには地域差があって当然だし、都市農村では法の運用方法にも差があってもさほど驚くべきではないだろう。悪名高い女子割礼や名誉の殺人にしたところで、イスラーム本来の教えというよりはその土地部族の慣習が強化された面もあるようだ。海外に行くと善意から両手を合わせた挨拶をしてくれることがあるが、タイ人日本人を混同するような誤解を、きっと僕らもしていることだろう。

2020-11-09

anond:20201108093825

全くもって興味がないジャンル公式サイトのチェック段階で1話すら見ない

アイドル系(そもそも実写も含めてアイドルという存在に興味がない)

登場人物かわいいだけの萌キャラアニメ(アイドル系に興味がないのだから必然ですよね)

BL系

ここら辺はまあ分からなくも無い

全く期待はしてないけど、とりあえず導入の1話か2話まで見て判断するジャンル

スポーツ系(興味がないスポーツに関しては、全く見ないこともある)

競技系(興味がない競技に関しては、全く見ないこともある)

クラブサークル活動系(興味がない活動に関しては、全く見ないこともある)

日常系

文学作品原作そもそも文学に興味ない)

4コママンガ原作

ゲーム原作スマホゲー原作で良いと思ったものひとつもない)

僧侶枠含むちょいエロアニメ(週アニで見るより、もういっそのこと18禁アニメいいんじゃないかな)

ここら辺もまあ分かる

日常系4コマ漫画原作でも時々見る事はあるけど基本的には見ない事が多い

逆に大好物ジャンル(どんなものでも大好きというわけではなく、いちおう序盤をみて判断する。 )

ラブコメ恋愛

異世界

サクセスストーリー

セカイ系

分かるなあ

放送してるとついつい見ちゃう

結果、今期で見ることにしたアニメ

くまクマベア

ひぐらしのなく頃に

キミと僕の最後戦場、あるいは世界が始まる聖戦

ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか

無能なナナ

神様になった日

元増田と俺が見てるアニメ結構被ってるなあ

今期だとキミ戦が特に気になってて毎週見てる、主人公二人の敵同士だけどもうお互いベタ惚れしてるなって感じが堪らん

児童向け

大河系、歴史ものまたはそのオマージュそもそも歴史に興味ない)

少年マンガ原作特に週刊少年ジャンプ

ここら辺は大好物からいつもチェックしてる

児童向けは自分に合いそうな奴は見てるなぁ、今だとアースグランナーとかドライブヘッドとシンカリオンの流れで楽しく見てる

元増田は良い歳して厨二ハートが捨てられないおっさんって感じで何だか親近感が湧くよ

マブラヴとか直撃世代なら今若くても三十路だもんなぁ…アニメ化がせめて10年前なら受けに受けただろうなって思う

2020-11-08

[]個人的アニメの視聴基準

アニメもひととおりチェックが終わったし、おもいたったので覚え書き感覚で「個人的アニメの視聴基準」を書いてみる

まぁ、正直各シーズンの全アニメを6話くらいまでチェックするって実質無理っすよね

 

全くもって興味がないジャンル公式サイトのチェック段階で1話すら見ない

 

全く期待はしてないけど、とりあえず導入の1話か2話まで見て判断するジャンル

 

逆に大好物ジャンル(どんなものでも大好きというわけではなく、いちおう序盤をみて判断する。 )

 

結果、今期で見ることにしたアニメ(カッコ内は主な理由

 

まとめ

勢いだけの俺tueee系やコメディ系、コメディでもないのに奇跡価値が安すぎるアニメ、なにかに特化しすぎて他に面白みがないアニメ基本的に見ない。

特化というと、豪華なキャスト陣特化、作画技術特化、など

でも勢いだけのコメディでも笑えたら見る(ポプテピピックはついていけない上にドン引きした)

いわゆる食わず嫌いな感じで見ていなくて、これは見たほうがいい!ってのがあったら教えてほしいですね。

 

原作大好きなのにアニメ化失敗してると落胆と悲しみで辛くなりますよね

ちなみに原作大好きなのにアニメ化失敗してるアニメといえば

があります

来年に予定されてるマブラブオルタネイティブ原作ゲーム大好きなんだが、地雷しかしない。

印象的なシーンのダイジェストしか無い、いわゆる、とりあえずアニメ化してみたファンアニ的なもの原作知らない人は置いてけぼりなうえに、展開飛ばしまくりになる予感。

追記11/14 10時頃)

長くなったので別記しま

→ https://anond.hatelabo.jp/20201114100222

2020-10-10

異端の鳥』をネタバレありまくりレビューする

ネタバレありまくりだよ。ネタバレ嫌ならそっ閉じを願うよ。

 

異端の鳥』とは?

僕はパンフレットも買わず事前情報も得ずに見たので、Wikipediaが一番簡潔で良かったのでコピペするよ。

異端の鳥』(いたんのとり、原題:Nabarvené ptáče / The Painted Bird)は、2019年制作チェコウクライナ映画

第二次世界大戦中、ホロコーストを逃れて疎開した1人の少年が、様々な差別迫害に抗いながら強く生き抜いていく姿を描く。ポーランド作家イェジー・コシンスキ原作の同名小説映画化。第76回ヴェネツィア国際映画祭ユニセフ賞受賞。R15+指定

なお、本作の言語には舞台となる国や場所特定されないよう、インタースラーヴィクという人工言語が使われている。この言語映画使用されるのは史上初めてのことである

第32回東京国際映画祭ワールドフォーカス部門では「ペインテッドバード」のタイトルで上映された。

この原作本は日本でも買えるよ。映画公開で急速ランクアップで現在売れ筋・その他外国文学作品部門Amazon第8位。『ペインティッド・バード (東欧想像力)』だよ 。高いな、しかし。5千円以上ってどういう事?よく知らね。

で、原作では6歳の少年らしいが、それはあり得ないね。せめて8歳にしておかないとあれは無理だろう。6歳であれだけのことが出来るって芦田愛菜並だ。ともあれ、6歳では演技不能なので、多分主役を演じたペトルコトラール君は10歳くらいではなかろうか。もちろん彼は無名新人だ。

 

超豪華俳優ペトル君の脇を支える。

しかし、ペトル君の周りを固める役者さんは豪華だよ。最も豪華なのはなんと言ってもハーヴェイ・カイテルだろうね。でもハーヴェイは大した役所ではない、アル中司教だ(いい人だがな)。

とんでもねーのはウド・キアだ。悪役はいっぱい揃ってるが、この人の演じた村人役は凶悪すぎる。この映画の最優秀演技賞はウド・キアで決まりだろうな。

そして、変態少年性愛者を演ずるこれまた名優、ジュリアン・サンズ。流石にこいつは許せなかった、と思ったら少年ジュリアンを爽快な殺し方でやっつける。最高だったね、拍手喝采したくなった。

めっちゃ色んなハリウッド映画に出てる名脇役ステラン・スカルスガルドも、この人はドイツ軍兵士のいい人役で出てきます。印象には残りますが、少年を逃してくれるだけで特にたいした役どころではなかったかな。

で、極め付けは、なんと言ってもジャクソン二等兵だよ!いーかいジャクソン二等兵が出てるんだ!そうだよ、『プライベートライアン』であの教会天辺で死んでたかと思ったら、なんと生きていつの間にか赤軍兵士になってたんだ! え? バリー・ペッパーのことだろ?って? ちげーよ!ジャクソン二等兵だよ。ホントなんだってば! いきなり歳食ってて渋くなってびっくりしたけどあれは間違いなくジャクソン二等兵だ! 見ればなんの話かわかる。

 

歴史的知識があれば二倍美味しいだろうね

でも、多分日本人鑑賞者の大半は歴史知識があまりない状態で見るだろうから、感動は少ないだろうね、きっと。でもホロコースト歴史を知っておくと、これは感動するよ。このペトル君演ずる少年ユダヤ人だ。家族ユダヤ人だ。家族父親しか出ては来ないが、ともかくユダヤ人家族少年物語だ。ホロコーストでは、ナチスユダヤ人絶滅政策をとっていたことくらいは知っているだろうが、実は、絶滅はさせるつもりだったが、労働適格者は強制労働をさせるために生かして残していたんだ。ではもう一方の労働不適格者とは? それは老人であり障害者であり重病人だったり、そして14歳未満の子供なのであるアウシュヴィッツユダヤ人強制移送されると、労働不適格者は駅について選別されると、3時間程度以内にシャワーに入ってーと親衛隊に騙されてガス室送りにされ殺されたのだ。当然このことは親衛隊は言わなかったが(別の地域に住んでもらうとしか言わなかった)、噂レベルユダヤ人だって知っている人は知っていた。それで、ペトル君の家族ペトル君だけを疎開させたのである。殺されるかも知れないから。これを知っているのと知らないのとでは理解大分違うはず。あともう一点、ユダヤ人強制収用施設はたくさんあったが、アウシュヴィッツけが登録囚人の腕にナンバーを入れたのである。これも豆知識として知っておくといい。

あと、この映画舞台映画の中では一切明かされないが、ソ連領域を含む東欧地域であることは間違いない。使用される言語インタースラブ言語インタースラヴィク)と言って、スラブ民族の言語の特徴を全部混ぜ合わせて作った人工言語使用している。故に言語はそれっぽいのに地域特定できないようにしてある。この映画史実を背景にしたフィクションであり、見方によっては仮想世界の話とも取れるだろうから、これはうまいと思ったね。安易英語にしなかったのはナイスアイデアだ。

 

で、具体的にはどんな話なの?(ネタバレ有りだよ!)

冒頭、ペトル君(この少年名前最後最後になるまでわからない)が、林の中を誰かから逃げているところから始まる。少年は胸に白い何かフェレット?のような生き物を抱えている。しかし追手にすぐに捕まり、その生き物を奪われて、その生き物に可燃性の灯油か何かをぶっかけられ、その生き物をその場で焼き殺される場面からスタートだ。いきなりこの残酷描写には目を背けたくなる人も多いだろう。そのフェレットのような生き物がまさに焼き殺され、その場を燃えながらのたうちまわるその生き物の映像。これはキッツイぞ。それを茫然と見つめる以外にない少年の虚な視線

しかしこの冒頭のシーンを理解できる日本人は少ないだろう。これは、今からこの少年ホロコースト物語が始まるという合図に相違ないのである。何故ならば、ホロコーストの原義は古代ユダヤ儀式、生き物の丸焼きを生贄として捧げる、だからである。これをわかった人は多分、ほとんどいないはず。親がこの少年疎開させホロコーストから逃したと思っていたら、それは違うぞ、と。

 

その通り、疎開先で預かってくれた老婦人が夜中突然死し、びっくりした少年がランプを落としてしまって、それが原因でその孤立した一軒家は全焼。そこから彼のホロコーストの旅が始まるのである少年は設定上は6歳? でも10歳くらいにしか見えないんだけど、それはともかく、大人に世話にならないと生きていけない。彼は家に帰りたかっただけなのだが、ともかく大人に構ってもらわないと、ということで色んな大人に預かってもらい続けることになるのだ。その預かられた先ごとに一つの章になっている。その章ごとに預かってもらった大人名前を章タイトルにしている。何章くらいあったか覚えてないけど、十件はなかったかなぁ……順番もあんまりよくは覚えていないが、とにかく残酷物語だらけ、と言っても結構リアルっぽさを出してあり、普通ホラー映画のようにはっきりと悪という人はいない。でもそれだけに、本物のリアルな悪なので、ホラーよりずっと恐ろしいぞ。

 

悪魔払い?の婆に飼われる

多分これが一番最初だったんじゃないかなぁ? よくは覚えていないが多分そう。この少年は見栄えが少し人と違うのである。もちろん放浪してきた少年がやってきたその村からすればそもそも余所者なのだけど、とにかくその村の村人たちは、到底近代世界の住人ではなくって、風習迷信だけで生きている世界の人たち。少年はその悪魔払いのババアに「この子悪魔の子だ」と勝手に決めつけられて、ババアに買い取られるのである。要はこのババア助手が欲しかったのである。そして少年助手として実際には結構丁重に扱われ、見ている側としては若干肩透かしを喰らう。で、映画宣伝に使われている地中に埋められて首だけ出して、カラスに見つめられる写真があるが実はそれ、虐待ではなくってババア少年に対する治療施術なのである少年はどうやら当時流行しまくっていた発疹チフス罹患したらしかった。

でもま、カラスに突かれまくって血塗れになるのだけど、ババア少年を助けてくれるのだ。お前が悪いんだろうが・・・と言いたくなったが、それはまぁ演出と言うことで。

 

狂気の家父長性代表的理不尽親父、ウド・キア

確かねぇ、その前にもう一つエピソードがあったと思うんだ。多分だけど、林の中で足に怪我をしたがために見捨てられた馬を、少年放浪中に助けてあげようとして次の村まで連れて行くんだよね。でも馬が足を怪我したらサラブレッドがそうである様に殺されちゃうんだよね。このシーンが結構えげつないんだけど、それはさておき、その村人のある男が川で釣りをする(つっても奴隷作業だよ)少年を脅かして少年が川に落ちて流されてしまう。そのたどり着いた先がウド・キア世帯主の家だった。救ったのは親父の妻とその家で働く雇用人。

とにかくこの親父、理不尽親父の象徴みたいな奴で嫁に体罰するのが日常茶飯事。で、ある雨の日、親父が家に帰ってくると何故か頭陀袋を持って家に入ってきた。そしてディナーの時間になる。ところがこの頭陀袋、まるで生き物の様に蠢くので、まさか子供でも入ってるの?とドキドキするのだが違った、白黒斑のネコだったのである意味不明)。そしてこの猫が以前から飼われていた猫といきなり交尾をし始める。それを見ながら食卓食事をする親父と妻と雇用人。ところが親父、いきなりブチギレてテーブルをひっくり返す。いわく雇用人に詰め寄って「てめー!俺の嫁セックスしようと思ったろ!許せねぇ!テメェみたいな奴にそんなふしだらな目玉はいらねぇ!」とその場で雇用人の両目玉をスプーンでくり抜くのである。怖すぎっだろw 一応伏線は貼ってあったけどね。

で、少年、目玉をくり抜かれて家を追い出された雇用人を、その目玉を拾って、自分荷物もまとめて出て行くのであった。途中目玉をくり抜かれた雇用人が木の根元で苦しんでいるのを発見、目玉を返してあげるのであった(返しても意味ねーだろうが、少年にはそれはわからなかったのであろう)。

 

変態少年性愛ジュリアン・サンズが酷いことに。

エピソードがとにかくてんこ盛りなので順番がよくわからないんだけど、少年がね、これも確か野原を放浪してたのかなぁ? んでね、その近くでユダヤ人移送列車からユダヤ人たちが逃げ出そうとするシーンがあるんだ。全員親衛隊に結局銃殺されるんだけど、その中で一人だけ生き残ったユダヤ人のおじさんと遭遇するんだけど、親衛隊に見つかり二人して町まで連行されるわけ。で、おじさんは銃殺されるけどハーヴェイ・カイテル演ずる司教に助けてもらうわけさ。で、最初教会で一緒に暮らすことになるんだけど、司教病気少年をあまり構ってあげられないからと、その少年に気があったジュリアン・サンズ司教から預けられることになるわけ。で、観客の期待どおり、犯されてしま少年。この映画、本当に少年をこれでもかと虐待しまくりますが、個人的にこのシーンが一番キツかった。だって、シーン自体は見せないで悲鳴けが聞こえるのです。これは流石に堪えました。かわいそ過ぎます。でもですね、この後少年が森の中へ出かけるのですが、偶然、小さな軍事トーチカ発見します。そこで二つの重要発見します。一つは折り畳みアーミーナイフ、これは拾って持って帰ります。もう一つはそのトーチカ天井部分の天辺に開いた口径メートルくらいの穴です。覗き込むと・・・ひぇぇ大量のネズミがいたわけです。気持ち悪過ぎですが、とりあえず少年サンズの家に戻ります。で、色々あって少年拷問されて後ろ手に縛られるのですが、持っていたアーミーナイフでそのロープを切ろうとしたらこれがバレてしまます。で、サンズは「一体そのナイフどこで拾ったんだ?」と言うことで、現場へ二人で行くわけですよ。ところは少年は機転をきかせますサンズうまいことそのネズミの穴に落としてしまうのです。えええええ? となりますよ。恐ろしすぎるぞ、あんなの。もちろんサンズネズミに食われて死亡。

 

そしてその後、もっかいカイテル教会に戻るのですが、ちょっと教会作業をしくじって肥溜めに投げ捨てられます。これは予告編にもありますね。で、きていた服を川で洗って、放浪再開。

 

多分、順番間違えたが、小鳥屋のおっさんの話

思い出しました。確かー、悪魔払いのババアの次がこのエピです。あんまり印象ないんですよね。いい人なのか悪い人なのかよくわかんないんですよ、この小鳥屋のおっさん。んで、とにかく小鳥屋のおっさんの家で一緒に暮らし始めることになる少年なのですけど、ここによくわかんない全裸の女が小鳥を持ってやってきます。この女、生きてる目的が性欲しかないのです。でも何故かこの小鳥屋のおっさん、この女に惚れちゃったんでしょうね。ともかくおっさんはその小鳥をもらって、その場で野外セックス

で、順番的に言うと、重要なシーンが入るので説明すると、この小鳥屋のおっさんの家の外に、少年おっさんがいます。そして、少年は手に持たされた小鳥の一羽の羽を広げる様に言われます、するとそのおっさん、その小鳥に何やら白い絵具の様なものを塗りたくります。そして、その小鳥を空へ放つと、その小鳥はちょうど空を待っていた同じ小鳥の種の大群の中へ入って行くのですが、その小鳥は大群の突き回されて、死に絶えて地上にいた少年の足元に落下するのです。どうやら、その塗りたくった絵具に小鳥の餌が混ぜてあった様です。おっさんが何故そんなことをしたのか理由不明ですが、これが映画原題である「The Painted Bird」です。そんなに考えなくとも、これがテーマだって分かりますよね?

そして、その変態性欲女、村の餓鬼どもを誘惑してセックスするのですが、これが村のその子供たちの母親たちの逆鱗に触れて、集団リンチを喰らいます。瓶をマンコに突っ込まれ、それがおそらく原因で死んでしまうわけです。僕は平気だったけど、これもまたキッツイシーンですよ。それで、その女に惚れていた小鳥屋のおっさんはショックで首をつって自殺しようとするのですが、それを発見した少年、あまりに苦しそうなので、可哀想だと思ったのか、おっさんの足元にぶら下がって自分を重りにして死なせてあげるのでした・・・これもまたキツいシーンです。

 

出ました、ジャクソン二等兵!痺れるかっこよさ!

もうね、三時間もある映画からエピソードてんこ盛りすぎて、端折らないとね。変態性欲女がもう一人出てくるんですが省略です。ソ連コサックとかの話もあるけど、それも省略。とにかく、ジャクソン二等兵ですよ、二等兵。色々あって放浪しているうちに、今度は赤軍駐屯地少年保護されます。ここはいい人ばかりです。そして、テントの中にいると、ジャクソン二等兵が登場! ええ、赤軍将校を演じたバリー・ペッパーなんすけどね。確かプライベートライアンの後、父親たちの星条旗くらいでしか見た記憶がなかったんですけど、最初誰だろう?と思ってたんです、事前情報なしで見たから。で気がついたジャクソン二等兵だ!と。そいでね、少年はおそらく、ジャク……じゃねぇや、そのバリー・ペッパーに多少憧れたのでしょうね、ある夜、バリーライフルを持ってテントから出て行くのです。あれ?逃亡でもすんの?と思っていたのですが、実は仕返しをしに行くつもりだったのです。その出て行く夜に事件があったのです。駐屯地の外へ出た赤軍兵士数名が、近くの村人に殺されたのです。理由はよく知りませんが、赤軍を嫌っていた村人とかがいたのでしょうか。そのバリーの後を少年がついていったわけですよ。そして、村から少し離れたところにある、木の上で朝食を取る二人。それが済むとバリーライフルを構えるわけです。そうです、ジャクソン二等兵なのです! どう考えたってこれはウケ狙いです(笑)。木の上から確か五人、村人を正確な照準で殺すのです。そしてジャクソン……じゃなくてそのバリー演ずる赤軍将校少年にこう言います。「やられたらやり返せ」と。

 

そして、父親との再会……落涙必死

と書いてアップしたら文字数制限に引っ掛かったんで、続きはこちらへ。

https://anond.hatelabo.jp/20201010201653

2020-10-07

anond:20201007114516

「瘦せぎす」という言葉がある根拠としてあげられている用例が

過去文学作品にあるというのだが、実際にみてみると、ただの入力ミスっぽくて笑える

https://dictionary.goo.ne.jp/word/%E7%97%A9%E3%81%9B%E3%81%8E%E3%81%99/example/

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