はてなキーワード: チラシの裏とは
まず最初に言っておくが、ここに書いたことは全て私の偏見なので全部間違いだし信じないでください。
結構な悪口も書いてるので推しCPの同人がこの世にあるだけありがたいだろごちゃごちゃ言うなよのスタンスの人は今すぐブラウザ閉じた方がいいです。
チラシの裏です。こんなところ見ないでください。文句も意見も言わないでください。
本題に入るんですけど、同人活動をしてる人、ほとんどの人がTwitter使ってると思う。でもその使い方というか、ツイートの仕方って同じジャンルや同じCPを推してても結構違ったりする。
それは世代の違いだったり環境の違いだったりするけれど、いろんな人のツイートを見てるうちになんとなく作風とTwitterの使い方って連動してるな…と思うことが多い。
例えばTwitterで自分語りor自分の作品語りが多い人。フォロワー数に関わらずフォロー数は少なめの方。
とてもよく練習されたんだろうな〜と思うような綺麗な絵だったり文体だったりする人が多い。そしてストーリーはオリジナル要素の多い長編を書かれている。この期間でこの長さを…!?正気か…!?と驚くほど厚い本をしばしば出される。
しかしながら、キャラ解釈は原作寄りというよりはもっと美化されていたりシリアス寄りになっていたりすることがままある。ストーリーもちゃんと筋の通ったものだけれど、緩急が小さかったりキャラの感情が始終穏やかでなんとなく物足りないかな…と感じることも多い。でも本当に構成はちゃんとしていて「正しい」ストーリーだなと感じる。
ツイート多めでネットミーム沢山使う人。ツイートの8割くらいずっとTwitterで流行ったネットミーム構文使ってツイートしてる。〜なんだよな。とかフォロワー!とかよく使われる方。フォロー数結構ある。
大抵長年同人活動されており、18禁全年齢問わずあーわかるわかるみんなこういうの好き、という話を作るのが上手い。情緒重視。王道のポイントをしっかり把握されてるのかも。商業に行かれてる方も多い気がする。絵や文体も上手いというか、流行りの絵柄or文体という感じ。
情緒重視なのでキャラの感情の書き方は上手いなと感じるところも多々あるのだが、ストーリーは比較的ライトな話の方が得意なように思う。日常とかエッチな話とか。特に両片思いが成就するやつとか勘違いで嫉妬するやつとか。短編中編長編なんでも上手いけど。
世界観や設定を作り込んでるけど多分出力が間に合わなかったんだろうな…と思う本ややシリアスだけど胸にギュッとくるまではいかないかな…と思うような本も多いので…。
推しのエッチな同人しか作らない。上手い下手に関わらず、性癖に突き刺さるようなドスケベな同人を書く。多分四六時中推しのエッチを考えてる。
そもそもあまり呟かない人。作品や無言で写真を上げる。プライベートの話はほぼせずにジャンルの話とか推しCPのツイートをする。多分別垢だし結構な確率で壁打ち。匿名感想ツールはある。
いわゆる流行りの絵柄や文体ではない。けれどとてもいいな上手いなと感じるような書き方をされる。キャラ解釈が原作寄りだなと感じる。ギュッとなるシリアスも非常に上手く書かれる。ゆるいギャグも。
糖分はあまりない。推しCPがそんなにイチャイチャしてない。私はそういう作品がとても好きだけど、推しCP二次創作に求めてるのはもうちょっと違うやつなんだよな…と感じる人が絶対にいる程度にはイチャイチャしない。
たまによくアカウントを消す。
絵文字をよく使う人。言い方が難しいが、そのまま職場のライン返信に使えるようなツイートの仕方をする方。友達とのご飯の写真やプライベートの楽しかったこともよくツイートされている。
ゴリゴリの同人活動オタクというより、インターネットお絵描きマン!文字書きマン!という方が比較的多いように感じる。エッチなのも書く。鬱はあまり書かない。比較的ほのぼのハッピーか、心にじんわりするような話が多い。あんまガッツリシリアスは作らないか途中の一部分だけ抜かれたところしか書かない。
短編や一枚絵や4枚くらいまでに収まる漫画等は書くけれど、長編はあまり書かれないように思う。同人誌も気が向いたら参加する程度で、命懸けな人は少なめかも。
絵文字あんま使話ない人。ネットミーム構文も使うし二番目に上げた方と通じるところもあるけどそれよりツイート頻度が少なく、全体的になんとなくローテンションのツイートが多いな…と感じる人。
原作の解釈というより深掘りをすごくされているなと感じる。CP要素も全然ある。短編中編で胸がギュッとするような話が非常に上手い。とてもよくまとまった話をほどほどの厚さの本にされることが多い。大スペクタクル長編は書かれない。
話の上手さ的に商業でもやっていけるのでは…とも思うけど、多分絵柄や文体が出版社好みの部類ではない+ご本人はあくまで趣味のつもりなのでデビューする気がないのコンボで同人活動オンリーの人がほとんどだった。あと長年同じジャンルにいると徐々にキャラ解釈にクセが滲んでくる気もする。原作でそのキャラはそんなこと言わないかもしれないけどワンチャン言うかもしれないし二次創作なら言ってもおかしくはないかな…のラインのストーリーに都合のいい台詞をよく言わせる。
冒頭にも書いたけどこれは全部偏見だし全然正しくないし本当にそうじゃないと思う。チラシの裏です。
この傾向にあてはまったかと言ってだから?という感じではあるが、やっぱりフォローしてる人々を見るとなんとなく作風とTwitterの使い方が似通ってる気がするんだよな。気のせいです。
あまりにも酷い。
インターネッツの村上春樹好きの諸氏については、村上春樹が新刊を書いただけでも評価に値するのかも知れないが、10年来、いや……海辺のカフカを挫折した私にとっては、これはあまりにも酷い長編だった。村上春樹が単なる老害、「個人」と言う殻の中に閉じこもって、右往左往しつつ、ではその先は?と言う問いに応えるのは作家が同じテーマを繰り返す、と言う法則を踏まえて、それで良いのかもしれないが、それを一方的に見せられる他人にとっては「は?」と言う感想しか浮かばず、80も近い老人にとってはこれがせいぜい「外部」なんでしょうね、と言うあまりにも脱力した結果を残す、EOEに対するシン・エヴァのごとき、いや……それよりなおタチの悪い完結編と言うべきである。
「ぼく、私」にとって外部は一切関係ない。「きみ」が唯一の外部である、一貫して彼は「きみ」を求めており、それ以外の外部はいわば「おまけ」のようである。その「きみ」部分に対する「おまけ」である免罪符が2部に渡って冗長に繰り広げられる。あくまで「私」から照射された外部であって、コイツは本当にありのままの「外部」を認識する能力に欠けるんだろうな、と言う独白が続くのが酷い。
あたかもそれが「私は外部と関わりがありますよ」と言うように。あーだこーだと理由をつけて、「私」は「外部」が必要だ、と言う結論に至る。しかし、なぜ「外部」が必要なのかと言うことは語られず、青春時代の「ぼく」の記憶に「私」が遡行してゆき、「私」の分身たる本体も現実に帰ってゆく、という選択肢を取るだけである。ここまで読んで、なぜ「私」が現実を選び取るのか、「きみ」をどう思っているのか、と言う本質的にこの物語に求められる理由・動機が全く語られない。なぜなら「きみ」が一体どういう考えを持った1人の個人なのか?と言うことが一切語られないからである。
ここで「きみ」とは一体なんだった?と言う疑問が残り、「きみ」の作った世界であるはずの壁に囲まれた街にイエロー・サブマリンの少年が機構として残る必然性も特に語られない。「私」は一貫して受動的であり、現在という地点から耳を澄ませて自分に対する働きかけ、力のようなものをひたすら待ち続ける……それが70過ぎた大人が書く40代の姿なんですかね?と言う脱力感が酷い。「イエロー・サブマリンの少年」もとってつけたような「外部」であり、「外部」を描くのであれば、もう少し長さを持ってその必然性を描写するのが小説家の勤めであると思うのは、大作家様に対して不敬であろうか?
そもそも現代の40代の描写が的外れすぎて無理しすぎんてな、という感覚が酷い。スマホも使わずにジャズに詳しくてシャブリを家で冷やしてる40台ってどんな40代ですか?普通に60代70代の男性を描けばいいんじゃないですか?いちいち40代である必要性が(物語として)要請されてますか?
若い頃に村上春樹を読んで面白いな、と思った一切が脱臭されている。元々の短編を再構成した一部を除き、物語の面白さを残らず搾り取ったような退屈さを、さもそれが退屈であるが故に真実だ、と説教されているような描写が延々と続き、であるが故に「僕が感じた青春の妄想が最強なんだい!」と訳もわからず長い老人の語りと共に三部に至って「ワシは疲れたわ〜、もうええわ」と喚き散らされる、そんな体験だった。
これだったら『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』の方がストーリー的にもテーマ的にもよっぽど綺麗にまとまっていたと思いました。
いやマジで本当に聞くけど、村上春樹ファンはこれを面白い、深いと思ってんの?本当に(一部を除いて)面白くないし、深くもないよ。二部以降の描写のどこが深いの?「外部」の契機があるだけだよね?「内部」であり「外部」である「きみ」に対してどうやってケジメをつけたの?教えてくれ。マジで、本当に。妄想の中で若返って「きみ」会いました〜、イエロー・サブマリンの少年がそれを助けてくれました〜、っていい歳した70の男が書く内容ですか?
なお、この増田は40代男性からお届けしております。10代で『ねじまき鳥クロニクル』が出版されています。聞いたことのあるジャズはチェット・ベイカーとジェリー・マリガンくらいです。パッと思い出せるのは。音楽はシューゲイザーが好きです。最近はparannoulって韓国のエモ+シューゲイザーのアーティストが良いと思うよ!言っておくが村上春樹はなんらかの普遍的な人間の思考に対する答えを求めて小説を描いてると思ったよ、しかしこれではチラシの裏に書いたなんだかかんだかと一緒じゃねーか!!それが熟年に達した小説家が自信をもって書く技巧の現れか?マジでガッカリした、悲しい。おれが10代の頃に感じた心の震え、自分の人生に対する、このようなことが俺の心で感じられるんだ、と言う希望を返して欲しい……そんなのテメーの人生だろう、シラネーってか?ああそうか、そりゃそのとおりだな!!おれは就職氷河期の最後の方にしてはソコソコ金稼いでるよ!!ChatGPTも使ってるよ!!どんな風に質問すれば確実なコードが返ってくるか悩んだりしてるよ!!バカにすんな!!そんじゃーね!!
よくTwitterとかで問題なってるけど、私の意見を述べたい。イエス!チラシの裏。
同い年の夫がいる。夫は私よりも50万くらい年収
低い。
もうそろそろ子供欲しい気もするが、いなくてもいいかなって感じ。
子供ができたら、産休は取るが育休の取得やそのあとの時短勤務、専業主婦(主夫)化はどちらが担当しても良いと思ってる。
私は、幼い頃に父が亡くなった為、女で一つで育てられた。母は資格持ちだったのでバリバリと働いていた。幸い困窮することも無く、何の不自由もなく大学まで無事に卒業できた。
そんな家庭で育ったので、男に頼らずに生きて行く、自分で稼いで家族を養うという覚悟を持って生きてきた。母が大黒柱になってくれなかったら、私たちは飢えるかもしれないのだ。それは、姉も同じようで、結婚してもバリバリと働いている。
通っていた高校も、女性の社会進出を推奨するタイプの女子校だったので、手に職を持ちバリバリと働く人が多い。既婚者の友人の中には夫と同等もしくはそれ以上に稼ぎ、人によっては夫が全面的に家庭をサポートしているケースもある。
職場で思うのだが、新卒で一般職に就き、結婚し、専業主婦もしくは時短勤務で働きながら、夫へ主体的に家事育児への参画を求める女性はどこで仕事や家庭に対して責任感を持つのだろうか。
同じ正社員でも、一般職と総合職では責任の重さがあまりにも違う。同じ仕事をしていると愚痴る人もいるが、ではなぜ職務転換しない?
元々総合職で働いていた人が、結婚を機に家庭重視になり、「私も働きたい」と言うのと、一般職の人が言うのでは全く意味が違うと思う。
大黒柱になるプレッシャー、働き続ける覚悟は重い。それを放棄した上で、家事育児への責任を軽減したがるとは、甘えすぎていないか。
そうやって甘えている人と、一緒にされるのは気に食わない。
結婚前にバリバリと働いていた人ほど、家庭に入ると家事育児をキチンとこなせたり、配偶者の仕事に配慮がある人が多い。
働く大変さを知っているからだと思う。
https://ta-nishi.hatenablog.com/entry/2023/02/28/204416
その最大の理由は「集団の暴力性」にある。はてなブックマークでコメントするとき、1人1人の人間は「自分の意見を言っているだけ」という感覚でコメントを書いている。それは批判的なコメントをする時も同様だ。
しかしその1人1人の小さな「敵意」が数十数百数千と集まったとき。それを受け止める1人のブロガー個人にかかる負荷は想像を絶するものとなる。
そりゃそうだろうよ。そういうもんだろうよ、世論ってのはよ。
なんて言ってるけどよ、つまりは称賛される時も一緒だよな。祝福されたり、褒め称えられたり。
そういうポジティブな意見が数十数百数千と集まったとき。それを受け止める1人のブロガー個人の気持ちよさは想像を絶するものなんだろうよ。
だから、なんだかんだと言ってブックマークコメントも開放してるんだろ?
だったら、批判されるようなことを言ったりしたりしたら批判されるのと表裏一体だろうがよ。
ヨッピーも、コメント非表示にしろというのは違う、特定のID(要するに反対意見)だけ出禁にしたい、みたいなこと言ってさ。
都合がよすぎるんじゃねぇの。
スポーツ選手だってさ、結果を出せば世界中から称賛されるわけじゃん。サッカーなんかマスコミはもちろん、ファンの一人一人、日本中どころじゃなく世界中よ。
一つのファインプレーで世界中から称賛が集まる反面、一つのミスで世界中から批判が集まる。規模は違えどそういうことじゃん、有名人とか、表に出るってことはさ。
いいプレーしたときはいっぱい褒めろ、でも調子悪い時は批判しないでね。なんて、クソ甘えた仕草だよ。
ブロガー連中はまだしも、プロライターであるヨッピーまでそんなこと言ってるんだから、話になんねぇなと思う。批判されたくないならそれこそチラシの裏にでも書いてろ。
自分の文章をネットに上げるってことは、世に出すってことは、世論を問うのと同じことだから。何年もブロガーやっててその程度の覚悟すらねぇのか?
もちろん、いわれのない誹謗中傷とか、デマの流布とか、犯行予告とかは別よ。そういうのは明確にやる方が悪いし、まさに民度が悪いと思うよ。
でも一般の、普遍的な意見としての批判が何百コメントと集まったりするのはさ、「集団の暴力性」とかそういうことじゃなくて、単純にそいつの言ってることが的外れなんだよ。
今回のヨッピーの件なんかまさにそうじゃん。あの元記事のブコメ、誹謗中傷なんかほとんどないぞ。単純に、ヨッピーの感覚に疑義を呈するコメントが集まってる。
それを「集団の暴力性がー」なんて今更言って、さもブクマカにイジメられました〜みたいにしてるけど、自分が一般の感覚と乖離していること、気付こうな???
それでも数百件、数千件の異論が集まるとそれだけで数の暴力だ〜ってんならもうネットに文章上げるのやめた方がいいよ。パソコン通信でオタクだけがネットに繋いでいた頃とは違うんだから。
自分はネット上の不特定多数の意見を受け止める覚悟があります、という人だけブコメ欄を開放してください。それがない奴は多数の称賛を受ける権利もない!
Skullgirlsっていうゲームがあるんだけど、ご意見番みたいな人が性格が悪い。
ロクにプレイもせず、ただキャラクターが好きだからってだけでゲームのファンの代表みたいなツラをする。そんな看板を背負った人が、○○はクソだとかあの運営はアホだとか、チラシの裏に書けばいい事を色々公の場に書いている。
キャラクターは好きだけどファン層の性格が非常に悪い(というか変わってる人が多い)ので、総合的に見ると嫌なゲームだと思う。
最近スマホアプリでファンも増えたらしいがそっちもやっぱり変な人がいるようだし、古参ぶる変な奴もいるし、やっぱり陰湿なナード的な雰囲気が漂っている。