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はてなキーワード: アンパンマンとは

2019-04-19

ポケモン映画

コナンドラえもんも毎年動員数増やして

クレしんアンパンマンも一応1作目より売れてる回があるのに

ポケモン20作以上やってて1作目のミュウツーの逆襲の興行収入を超えたことがないらしい。

あんなに知名度あって、Twitterトレンドポケモン関連がよく入ってポケGOゲームも売れててみんなやってるのに。

んまぁ減ってるって言っても大抵30億は行ってるんだけど。

なんかフシギダネみたいな話。

2019-04-18

リベラルダブスタけが叩かれる理由

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/tachibanaakira/20190417-00122711/

なんかブコメ全体的に「ネトウヨダブスタ批判しないのに、リベラルけが批判される」みたいな泣き言が多い。

リベラル(っていう括り方も正しいのかどうか分からないけど)の人らって「綺麗事言ってる奴の方が、揚げ足を取られる」って話が理解できないのかな。

ネトウヨはいいじゃん。もうどこからどう見ても知性の低い悪なんだからエゴ丸出しで、日本人が良ければ全てよし。在日差別してよし、中韓朝鮮差別してよし、でもアメリカ米軍が頼りだから大好き。そういう連中なんでしょネトウヨって。

そこに立ち向かって綺麗事言うんなら、そりゃリベラルけがダブスタだ」って弱点突かれるの当たり前じゃん。

そのダブスタだって批判も、つまりリベラルとか言って綺麗事言ってるけど、結局お前らだって俺らネトウヨと同じで、エゴ丸出し自分らだけ良ければよし、貧乏人の町が移民にまみれて乗っ取られても構わないと思ってるんでしょ?」っていう、「汚いクセに綺麗ぶるな」という話なわけで。

そこに「ネトウヨだってダブスタだ」は、ほんとに目先の口ゲンカのやり返しでしか無くて、一歩引いて見たら自分批判肯定して「自分ネトウヨと同じです」って言ってるだけなのに。

アンパンマンバイキンマンを倒すけど、(ネトウヨの様な)卑怯なやり方は採らない。そして殺害するなど永久追放(寛容性の無い対応)はしない。もっと言えば、悪事を働く前から攻撃する(差別)事もない。

物語構造上、バイキンマンが改心する事はないんだけど、その無限に続く事後対応無限リソースを注ぎ続けるのがアンパンマンなの。

2019-04-17

敵軍に囲まれてる状態で周りからアンパンマンテーマが流れてきたらどうする?

「♪楚~だ 嬉しいんだ 生~きる 喜び~♪」

2019-04-12

anond:20190412220513

これだけコンテンツ大国でか・・

 

普通に子供アンパンマントトロみて大きくなるんで

それで刷り込まれたところでアンパン顔になったり人の顔かじろうとしたり毛むくじゃらになったりしないんで大丈夫だとおもうぞ

anond:20190412014145

シンデレラを改変してもいいけど、シンデレラ原典は低年齢層に支持されるから勝ち続ける。

シンデレラ原典が低年齢層に支持されている」と言う現実が無いんだけど。

商品としても、絵本ベストセラーとしてシンデレラが入る事なんかなくて

需要があるのは精々「定番昔話は常識教養として教えておかないと」と言う親層向けの本(一冊に定番昔話を何十話と載せてるやつ)か、

やはり教育素材としての幼稚園保育園向けか、

著作権要らない故の100均本&それに準じた安っぽい本か、ディズニーアニメアニメ絵本くらいだし

シンデレラのものが好きという子供はもうほぼ絶滅してるよ。

つーか親なり園なりで教えられてなければディズニーキャラの一人と言う認識しかないのが普通

(んでディズニーキャラとしてもエルサのような新しいキャラの方が遥かに知名度も人気もある)

つーか「昔話」なんてみんなそうだろ。

男児向けでも桃太郎金太郎アンパンマン特撮流行りの今連載中の漫画や新作アニメより好きな子なんかいるか?

下手すりゃauキャラという認識しかないぞ。

2019-04-08

anond:20190408180028

人が動物の上に立つモチーフイルカアシカイエイヌが、けもフレ1以後の「人間がいなくなってる世界」でそれを強調されることが視聴者にとって不快で、それを書くなら悲劇性や罪悪感も書くべきだ、との主張でしたね。誤解していました。失礼しました。そうするとリョコウバトは構わないのでは。けもフレ1でもトキ絶滅していますが、人が上に立っているわけではないので問題ない。リョコウバトも同じ扱いでいいのではと思いますしかけもフレ1でカフェを訪れるフレンズは別の鳥でも良かったわけで、トキ選択されたのは何らかの意図があるでしょう。以前に書いたような「テーマとして昇華していない程度の示唆」でとどめても善いのではと思います不快になるまで強調されるならドラマに絡めて決着を付けるべきだということですね。ならばイルカアシカイエイヌでそこまで不快になるということ自体製作者の想定外なのではないでしょうか。俺もグロテスクさは感じましたが話が入ってこないほどは気にならなかったです。「そこに居心地の悪さを感じるのは当たり前」とおっしゃいましたが、監督交代のいざこざ抜きでもそう言えると断言できますか。

ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからない

これまでそういう表現が主流だったというだけです。戦闘ときに技名を叫ぶのはフィクション的です。攻撃タイミングがバレてしまうし、叫びに使うエネルギーを拳の乗せろよ、です。詳しくないのですがハリウッドヒーロー物では技名宣言は少ないのではないでしょうか。国内で閉じるローカルルールに縛られずによりリアル表現模索したのでしょう。「サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、『同じ系統のパワー』に見えるんですよね。」とのことですが、同じ系統でよいと思います。常時強制的に野生部分が開放されているのがビーストだと俺は捉えてます

私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

俺はケムリクサの最終話での細かいつじつま合わせに納得していません。「盛り上がり」とはリンが赤い木に対峙するシーンからですよね。ケムリクサでは草周りが特に緻密に組んであるので引っかかっているのかもしれませんが、矛盾していてノリで処理するの範疇に入っていますけもフレ2でのキュルルちゃん葛藤は「盛り上がる」部分ということでいいですね。とすると問題はフウチョウよりむしろ吹っ切れた後にタイミングよく飛んでくるビーストのような気がしますが… ただそこに至るまでに作品評価は決してしまっていたし、葛藤をフウチョウという便利な舞台装置で処理したところで全体がファンタジーということにはならないのでは。むしろケムリクサは柔軟性のあるギミックやしがらみのないプレーン舞台を用意していることで矛盾をでなくしているように思います。まあファンタジー蔑称ということもないのでしょうが、多くをノリで処理すべき寓話世界観というほどには、けもフレ2は堕していないと思います

1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

しかし、たつき監督けもフレ2をやっていたらそのカット問題にならないわけでしょう。監督が代わるごとに構図被りに難癖つけられるなら、正解は作らない一択ですよ。俺は野生解放こそ失念していましたが、かの名シーンの存在は覚えていて、でもその被りには気づきませんでした。観客が悪意を持ってアラ捜ししていることまで計算に入れて作っていかなきゃならないなら、アニメ制作者が家に帰らない期間は年単位で増えていくでしょう。観ると決めたら、ある程度製作者を信用することは視聴者側の責任だと考えています

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います。...(中略)...「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

この先奇跡的にけもフレ2の人気が反転して評価が逆転したら繰り上がって「優しい世界」になるのでしょうか。だとすると「優しい世界」は「感じが良くて人気だった」くらいの概念になってしまうでしょう。批評文脈でそのようなものを論じるのは意味がないのでは。作品制作において(俺は関係ないですが)、優しい世界を目指すというのは単に売れるよう頑張る以上のものであって、今のところは曖昧ですが、これから更に研究していく必要があるほど奥の深い領域だと考えていますけもフレ2でギスギスが解禁されたことで、G・ロードランナーやフウチョウ、イエイヌなど、けもフレ1に収まりきらなかっただろうフレンズへの間口が開かれました。そこはメリットだったのですが他方優しい世界性は減じてしまったということです。スピリットは二作品継承されましたが、休日リピートして癒やされるのはやっぱり一期ですよね。

話が前後して申し訳ないのですが、作劇論について…

ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない

なるほどこれまで俺は不備を、設定の矛盾のようなものに絞っていましたが、重く捉えてらっしゃるのはプロット上の未消化や演出上の目論見の失敗、などですね。この方面は完全に素人なのですが、胸をお借りするつもりで議論に足を踏み込ませていただきます

「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

論理同意できません。自由意思はどちらの選択をとっても自由ときにのみ現れるものです。事実上その選択しかないのにそれを選ぶのを決心するのは意思ではなくて屈服ですよ。敗北したのではなく自分で選んだと言い聞かせるために自分発破をかけているわけでしょう。けもフレ2のキュルルちゃんは諦める必要がないときに諦めの決断をしているので、そこに確かに彼女自由意志があると判るはずです。響くか響かないかは決意の重さを事前に示しているかでしょう。リリの「会えないのはもっと嫌だ!」は赤い木を生み出した(観念的な)責任彼女にあるし、あそこで「好きに生きて」などいわれて逃されて、わかりました楽しく生きますは納得感が全く無いので、戦線復帰が可能だとわかった時点で行動は一択なわけです。でもワカバとの日々でお化けになることを怖がったり、ワカバが倒れるのを心配したりしていたので、彼女自身が消えることの怖ろしさは十分に示されてる。それでも積極的に行くところに決意の強さが見て取れるわけですよね。キュルルちゃんはそれまで三人でおうちを探して旅をしてきて最後に、それがパークのどこにもなく手がかりの絵も尽きて絶望したことが示されているので、諦めるということがそれなりに重い決定であることは判っているわけです。それで充分だとは思いますが、まあ死ぬほどの重みではない。先々週にリリの決断をみているのでそこからすると見劣るのは否定できないです。

増田さんのプロット案は面白いですね… そっちのバリエーションも観たかたかも(実はプロの人なの?)。

最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

でもそうするとセンちゃんアルマーさんを入れる尺がなくなりませんか。誤解させるための設定も用意しなくちゃならない。というかイエイヌちゃん完全に救われちゃってますよね。このときのキュルルちゃんが横暴に見える、とまでは俺は思っていませんが、視聴者の多くはそう捉えたようです。おかしいと思わない人はサイコパスとまで言われていました。素人考えなんですけど、あそこでキュルルちゃんが(観点的な)非道を働いてしまうことには狙いがあったのではと思いますお話の上でキャラクターが何らかのミス悪事を働いて被害を作ってしまった場合、それに悪意がなくても、天災的な事故観念的な罰を受ける。視聴者の溜飲を下ろすためなのか、そういう処遇はよくあると思います。でないと消えざるを得なかったリリ・ワカバがただひたすら不遇ということになってしまう。キュルルちゃんホテルで海に落下させるためにイエイヌ回で下げたのではないでしょうか。落ちたときニコニコ動画では「ざまああwwww」が連発されましたが、あれは制作の狙いだったと考えています。そして必然的落下からのフウチョウ説教・海底火山紹介に自然につながります

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要があります

キュルルちゃん疑似不老不死説は俺の自説で、そこまでの確証はないことは一応留意してください。むしろ話の流れのメインだったのは”スケッチブック最後のページの行方”だったと思います。すべてのドラマスケッチブックに沿って展開され、最後の絵は破られていたことは最初の話で既に明らかにされていて、ホテル海上で悩むキュルルちゃんは千切られたページの跡を見つめていました。長い時を生きてミライさん時代からパークを見守ってきたイエイヌに対してキュルルちゃんが「おうちにお帰り」を言い、逆にイエイヌ彼女から送られた絵をみて(観念的に)おかえりを言うわけです(実際に口にはしてないけど、まあ立場的に)。キュルルちゃんはそのシーンを持って本当におうちに帰った、受け入れられた。それを最後のワンカットで示すのが強い、と思うのですがいかがでしょう。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います

一般的エンタメの作劇上のセオリー評価できないというのはわかりましたが、しかしそのセオリーに従わなければいけない強い理由があるのですか。不勉強ながら俺はそれを知らなかったし、多くのファンも同じではないでしょうか。視聴者には考察班的に楽しむ人もいるし、癒やし目的カジュアルに流し見る人もいるでしょう。教科書的な表現から逸脱することで芸術進歩してきたのではないですか。

anond:20190408152438

けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。

おうち探しの結論が「大好きなフレンズと一緒のここがおうち」であるなら、「人間フレンズにひどいことした」は、避けて通れないかと。

イルカアシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える

元々の話は、人間動物ねじ曲げてしまたことの悲劇、罪悪感、グロテスクサが表現されてるか、でしたよね。それらは一つの責任の取り方かもしれませんが、そうしたニュアンスは、存在しないかと。リョコウバトの場合、「君の家族は全員死んだけど他にも仲間はいるよ。殺したの俺の仲間だけど」というのが「責任」かと言われると、ちょっと。もちろん、絶滅動物に対して人間が償うべきなのか、どう償うのかは、大きなテーマであり、けもフレ2内の1エピソードとして処理するのは限りなく無理です。しかし、だったら最初からリョコウバトを出さなければ良いかと思うわけです。そのあたりが深く考えてないという話です。

余談ですが「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

イエイヌ不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います

キュルルが、イエイヌ孤独、寂しさを理解しつつも、「飼い主の責任」のために去って行く、と、取れる描写があればよかったですね。また飼い主の責任の話を強調するなら、イエイヌが「ヒトなら誰でもよい」と言ってしまってるのがダメでしょう。イヌは「ヒトなら誰でもよい」生き物ではないわけで、そっちのほうが誤解が大きいし、「イヌは人なら誰でもいいんだから、他の人に、あげればいいじゃん」という無責任に繋がりかねません。

私なら、最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。

何歳くらいを対象に考えてるのかわかりませんが、「ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからないと思います

サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。

あの時、サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、「同じ系統のパワー」に見えるんですよね。一期の野生解放と同じものか、ちょっと混乱する。

内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。

念のために確認しますが、私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

けもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います。一つの作品で、画面に映ったこと全部に完璧説明をつけようとすると、かえって面白くなくなるので。それを理解した上で「すべてに筋を通すべく没頭」するのは一つの楽しみ方ですが、作品単体にそれを要求する必要はない。わからないことがあることを含めて楽しめば良いかと。もちろん、楽しめないほど大きな矛盾があれば別ですが、私はそれは感じませんでした。

他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合意識しなくてはならなくて、キャラクターかぶらないようにしなければならない。ヘラジカプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテル位置時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。

続編作品のほうが様々な制約があり、オリジナル新作ほど融通が利かないのはその通りだと思います現場の方々は整合性を取ろうとしたのだと思いますけもフレ2で、派手でない部分で、筋、整合性を通してる部分があるのも、もちろんだと思います

その上で、重要な部分で、フウチョウが出てきたりするあたりはファンタジーであるなと。「記憶ケムリクサが不自然に発動したこと」にご都合性がないとは言いませんが、「幻想だか現実だかもよくわからないフウチョウコンビが、どこにでも現れて説教する」は、後者のほうがファンタジー度が高いでしょう。

キュルルちゃん出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要がありますベタなのは、それによってセルリアンを倒す助けになるとかですね。そうでなくても構いませんが、そういうのが必要です。けもフレ1で、かばちゃんミライフレンズ化だったというのは、「セルリアンに食べられたかばんちゃんが復活した理由」というドラマと結びついてるから意味があるわけです。

ワカバ場合ワカバリン関係性、ケムリクサの赤い霧の世界がなぜ生まれたか姉妹達とはなんだったのか、という、キャラ動機起源世界の成り立ちが解かれて、それが最終決戦の盛り上がりに繋がるところに意味があるわけです。ワカバが、宇宙人なのか、天使なのかの細部は、想像に任せるで良いのです。

牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空から俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。

合理性があろうがあるまいが、1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃん誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界概念スピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思いますけもフレ1でも博士サーバル図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウ能力表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズ酷使して、かばちゃんを、りょうり要員として使役しています視聴者全面的エンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います

そして「”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしま」うこと自体簡単かもしれませんが、その結果、出来上がった作品面白くなるか、評価されるかというと、それはまた別問題ですよね。「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。

不備について、いくつかは、これまでにも書いたと思います。この記事だと、イエイヌ周りとか、キュルルちゃんの「おうち」「正体」周りですね。

細かな不備はさておき、大きく重要なのは、おっしゃっていた「視聴者視点では行動が横暴に見える。」という点が、印象に残る点だと思います。作り手の意図として「視聴者に対して、キュルルを横暴に見せたい」と思っていたわけではないでしょう。だとするのなら、意図に対して演出脚本が失敗しているわけです。

初見ではわからいかもしれないが、よく考えるとわかる」部分があるのは作品に深みを増しますが、それは細部にやる話で、ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない、というのが普通の作劇かと。

2019-03-29

anond:20190329124959

時代劇で今よりもずっと簡単悪人が切り捨てられていた時代に、悪人を切る人が増えたのか、ということだね。そんな事実はない。ダーティハリーが大ヒットしたら発砲する警官が増えたか、そんな事実はない。アンパンマンを見ていた子供と見ていない子供で、倫理観の有無で差がでるか。そんな事実はないのだよ。

いやコレどれもエビデンスないやん。

ってか規制が緩かった昔の方が殺人事件暴力事件も多いよな。

anond:20190329122608

通りすがり人間をぶん殴る事が悪い事だと思われていない現実があるから

>その現実を反映した創作も世に溢れていて

>その現実を変えたい人が、現実通りすがり人間をぶん殴る事に対して抗議するのと同時に

>そういった行為肯定する創作にも抗議している

 

うーん、確かにそういう主張を古いタイプの(←ここが重要知識アップデートせよ)フェミニズムはするよね。

 

現実には、創作道徳関係は無いか極めて極小であると考えられる。

時代劇で今よりもずっと簡単悪人が切り捨てられていた時代に、悪人を切る人が増えたのか、ということだね。そんな事実はない。ダーティハリーが大ヒットしたら発砲する警官が増えたか、そんな事実はない。アンパンマンを見ていた子供と見ていない子供で、倫理観の有無で差がでるか。そんな事実はないのだよ。

 

現実には、人間をぶん殴ることが悪いことだと思われていても、あるいはいからこそ、殴るようなコンテンツが出てくる。

人間は飛べないという現実があるからピーターパンの空中浮遊は魅力的なのね。

また、ピーターパンを見た人間は、少なくとも一般には、人間は空を飛べると思ったりはしない。

人間コンテンツだけの影響を受けるわけじゃないし、コンテンツ以外の影響のほうが大きいからな。

もしもある子供暴力を振るうんだったら、暴力を振るう描写コンテンツじゃなくて、親や周囲の環境が悪いんだと思うよ。

2019-03-26

バタコさんアンパンマンの新しい頭としてカレーパンを投げたら自我はどうなるのだろうか

anond:20190326122145

それは幼児に「アンパンマンのどこが面白いの?」と聞いたりするのと同じことだって気づけ。

あいつらにはアレでいいんだよ。良い悪いではない。ただのおきもちんこ問題だ。

2019-03-23

anond:20190323133911

正義とか悪とか 単純な二元論では割り切れないのが世の常

アンパンマンもそう

食べ物は生きるために必要であるが、傷んだ食べ物は毒になる

毒になりえるからといって食べ物を拒絶することはかなわない

せめぎ合うふたつの勢力狭間でつかの間の平穏享受すること

その尊さ

そういうことを考えました

アンパンマン世界

アンパンマン食べ物やん。

仲間たちも食べ物やん。

バイキンマンってばい菌やん。

食べ物、食べた口には、ばい菌がやってくる。

まりアンパンマンがばい菌を、バイキンマンを引き寄せている。

これは必然ではないか

あの世界はアンパンマン正義で悪のバイキンマンをやつけていい話みたいになっている。

しかしどうだ。実はアンパンマンがわざと引き寄せているのではないか

それかバイキンマンとタッグを組んでいる。

自分正義の味方!みたいな見せ方をして、裏ではバイキンマンを利用して世界征服しようと企んでいる。

あの世界は、全てが偽りではないのか。

2019-03-22

おっしゃー

なんかいける気がすんでー

元気いっぱいアンパンマン

バリキャリ母とイクメン父に育てられた

今思えば私の家庭は最先端だったんじゃない?と思い投稿

20代半ば女性

母は正社員フルタイム残業たっぷり

父は自営業夕方には仕事も終わる

保育園の送迎は98%父

母は早朝から深夜まで仕事のため不在、朝起こされるところから寝かしつけまで父のワンオペ

朝、謎にハイテンションな父に起こされ苛立ったことも、寝かしつけの際、謎のお話アンパンマンからコナン君まで当時の私が好きなキャラクターが大集合だった)をされたこともよく覚えている。深夜に帰ってきた母は何故かよくマクドポテト食卓でひとり食べていた。それを分けてもらうのが私の密かな楽しみだった。

周りの子はみんなママが迎えに来て、休みの日はママとお出かけするが、私はすべてパパ。やはり少し寂しかったが、たまに母と遊べる時はすごく嬉しかったし、まぁそんなに問題ではなかったと思う。

めんどくさくなってきたので結論育児は男でも女でもどっちでもできる

唯一、父ワンオペに困ったことは高校入学説明会制服の試着をするとき女子更衣室で試着しながら制服サイズを決めるのだが、当然父は部屋に入れず、私はひとりで着てみるも相談相手もおらず鏡もなく少し困った。他の子はみんなママと来てたのでママ相談してサイズを決めていた。まぁ、結局友達のお母さんが見繕ってくれたので事なきを得たが。それくらい。

2019-03-18

anond:20190318144728

実際こないだのTERFの問題でも、悪名高いフェミidはだいたいラディフェミ側だったからなあw

アカデミックリベラル側のフェミは、一応自説の根拠が「正しさ」や「人権」といったものであることが十分わかってるからいくら受け入れるのが嫌でも、シス以上の弱者であるところのトランス排除しろとはまず言えない

正義を放り投げたが最後、顔の汚れたアンパンマンみたいになってしまうから

ところがこいつらは失うもの責任もないから、当然自分お気持ちのためなら弱者権利なんかアンパンどころかクソ食らえというスタンスになる

なので化けの皮がはがれたところで、そろそろ正義のフリをするのもやめにしてもらいたいもんだ

anond:20190318092219

アンパンマンの歌にしても「分からないまま終わる そんなのは嫌だ」と言ってるだけで答えなんかなくね?

ちな横

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