はてなキーワード: 中高一貫とは
学生当時、リアルの世界が嫌で嫌でたまらなくてニコ動とかネットに救いを求めてた層です
冷静に今振り返ると中~高~大と同年代に嫌な奴が多すぎて衝撃的
全然ヤンキーと看做されないタイプの人間であっても気軽に暴力をちらつかせるとか暴力行使するとか珍しくなかったし
(ちなみに増田は「どんな年度でも東大現役合格2桁は維持できている」レベルの中高一貫男子校出身だったけど、レジャーとしてクラスのオタクからカツアゲするとか鼻血が出るまでタコ殴りにするとかの事件はちゃんとあった)
酷すぎる言動や引くような暴力はもうやられたほうがダサくて悪い的な風潮もあったし
ゾッとするような学生生活を過ごしてきたと思う(今思うと新人類世代の多くは人格面での子育ては失敗してたんだろう)
余談だけど当時そういうことやる側だった同級生のTwitter見たら
某超有名大手芸能事務所→人材派遣大手→スタートアップ役員って社会人人生辿ってた
子供がいた……
さすがに今の学生とか
「こんなの吐き気がするほど受け入れられない!不愉快なだけでなんも面白くない!」
って価値観でいるんだよな?
今思うと幼い頃からADHDの特性はあったけどそれなりに地頭が良かったから私立の中高一貫から大学、大学院に進学して大企業に入った。
就職後、同期から睡眠障害を疑われて病院行ったらADHDが発覚した。
最初は上司にだけ報告してたけど、後輩の女や派遣のおばさんから障害で仕方ないことについてネチネチ注意を受けるようになったから同じグループの人間にも障害を開示した。
そうしたら仕事中に昼寝しても携帯いじっても誰も何も言わないし、難しい仕事も頼まれないし、上から怒られることもなくなった。
代わりに等級は上がらないから給料は新入社員並みだけど業務内容は慣れてることばかりだからストレスもないし程々に残業して好きな時に帰れる。それなりの大企業だから年収600万以上+借上社宅で快適に暮らせてる。
今は女も結婚するには経済力を要求されているし、さらに男と違って容姿にも高い水準を要求されるのでハードなんだが
https://twitter.com/im_your0903/status/1719028057993089241
@im_your0903
これ周り見てると凄い思う。結婚ってなると相手のスペック気にしてシビアなの最近は断然男の方じゃない?って思う
結婚相手は大手総合職、有名私大で中高一貫私立出身、実家は都内近郊で太い(両親や兄弟も皆まとも)、容姿も悪くない女性が大人気
fafa
@Vu8Hi
·
私が最近、20〜30代男性達(同年代平均年収の3倍以上)と話してて感じるのは、奥さんスペックマウント的なことがうっすらあったりすること。以前はあまり感じなかった。…
現在アラフォーの既婚男性。中高一貫の男子校に通っていた時代から、男から逃げたくてたまらなかった。
最初の被害は高校1年で、当時の自分はいわゆる男子校の姫ポジだった。チヤホヤされるとまではいかないけど周りにも可愛がられて満更でもなかった。だけど、体育祭でちょっと目立ったことで1学年上の先輩に目をつけられた。相手は運動部の副キャプテンで人気者だったから、最初は仲良くなれて嬉しかった。でもこちらが心を許した途端、人が変わったみたいに攻撃的な一面を見せてきた。いわゆる性加害を彼の卒業まで受け続けた。うっすら気づいてた奴もいたと思うが、誰も助けてくれなかった。むしろホモ野郎と陰口を叩かれ死にたかった。先輩は大学ではすぐに可愛い彼女を作ったそうだし結婚もしたので、彼がゲイだったわけではない。おそらく有り余る性欲をぶつける手軽な相手が欲しかっただけなんだろう。それから俺は男同士の接触に対して極度の嫌悪感を抱くようになり罪なき同性愛者やBL作品にも憎しみが湧くのだが顔や言葉に出さないよう注意しながら分別のある大人をやっている。
大学は地元から離れ、女子の多い学部を選んだ。女を見る目がなくヒステリックなメンヘラに捕まり交際中に殴られもしたが、こいつは自分に力づくで何かを強要することはできない思うと気が楽でもあった。相手はヤバい女として有名だったので、俺が殴り返すなどしない限り俺の評判は傷つかないと確信できたのも大きいかもしれない。学校の人気者に力と権力でねじ伏せられた経験を経ると、メンヘラに別れ話を切り出した後に死んでやるとメール攻撃を受けても「じゃあ死ね」と思って無視できた。相手はある瞬間に急に俺への関心を失い、死なずに卒業した。卒業まで無視されたが周りの友人には恵まれたのでどうということもなかった。
就職後は友人のひとりとルームシェアした。俺は就職してすぐに関西に飛ばされたのだが、そいつの地元で就職しており実家には帰りたくないとのことでちょうど良かったのだ。親友とも呼べるやつだったが暮らしていくうちに横暴になり気に入らないことがあると物に当たるようになった。それがエスカレートして普通に殴られるようになった。とうとう真冬に家を追い出され、知り合いの少ない土地で行くあてもなく本気で死を考えた。恥を偲んで相談した警官にはゲイの痴話喧嘩だと思ったようでかなり適当にあしらわれた。唯一仲の良い同期が近くに住んでいたので頼った。泊めてはくれたが、「お前の同居相手ガリやん、なめんなってワンパン入れたったらええやん」と笑われた。当時の俺は鍛えてきてガタイもよかったが、暴力において重要なのは筋力ではなく相手を人間として見ない力だ。幸か不幸か俺にはそれがなかった。ずっと世話になるわけにもいかず、そろそろ彼女を連れ込みたそうだったので3日目くらいにルームシェアしている部屋に戻ったら、友人は心底心配して反省しているように見えた。もうしないと言われたが信じられなかったし早く引っ越したかったが金がなく無理だった。それから数ヶ月ビクビクしながら過ごしボーナスが出たタイミングで仕事も飛んで東京に戻った。
今はまともな妻と結婚し幸せに暮らしている。だが時々過去の暴力がフラッシュバックして辛くなる(誰も本気で助けてくれなかった苦しみなのかもしれない)。最近妻の友人が夫からDVを受けて女性用シェルターに入ったと聞いた。安心する一方、自分もあの時警察に相談してシェルターに入れば良かったのか・・・?と思って調べたが男性用のシェルターはそもそも存在しないっぽかった。女性用シェルターは当然男性入居不可なので俺の入れるシェルターはない。
つまり高校までのあらゆるレベルの参考書や大学受験の問題を解けるような状態にしておかなければならないとか思っている。
それはたとえば難関大の赤本をぱらぱらめくるだけでも、高校数学の範囲の中で可能な問題設定がこれでもかというほど無数に思えるバリエーションで存在することが分かるということだ。これら全てをマスターせずに専門数学を学んだところで、自分で問題設定したりそれを解いたりできるようになるのかという疑問がある。高校数学ですらそれができるようになってないわけですから。
また高校数学の教科書から一歩出た段階の典型問題や応用問題では、解の個数を求めるときは定数分離するといいことがあるとか、二次曲線同士が接する条件は重解条件とは限らないとか、そういう定理というほどでもないいろんな考え方を身につけさせられるものだ。
専門数学を学ぶ上での記述には、そういう頭のいい筆者が高校時代に身につけた考え方など明示的に表現されてなくて、高校数学を完璧にしておかないとそうした行間を補えず躓いてしまうだけなのではないかと思った。
あれ、でもそんなこと言ったらそもそも高校受験や中学受験も灘や開成で出るような問題は解ける保証ないかも?そこからやり直し?ってなってくる。そういえば算数の中学受験問題解いてみたが全然解けない。
そもそも大学への数学シリーズで得意げに解説してる筆者たちは参考書のレベルにおいて今の自分達が執筆してる位置付けのあらゆる本の内容を高校時代にマスターしていたのかすら疑問なのだが。
とはいえ、難関の中高一貫から東大数学科に入った子には中高の数学は自分では全く勉強した覚えがない(つまり中学受験時から塾に行かずに受かってるんだろうな)という人もいるらしいし、こういう人間はいまさら赤本だの中学受験の算数だの解けるか確認するまでもなく解けて当たり前なのかもしれない。そしてそういう人間の一部が次代の受験業界で難問奇問を自在に作る側に回ってるのかもしれない。
とはいえやはり、高校までのレベルのいろんな問題を解く上で必要な、身につけられる考え方というものが純粋数学の研究および証明に活きてくるという事例はないのだろうか。いやむしろ、その考え方を知っていたからこそひらめいたわけで、知っていなかったら証明に辿り着けなかったということが最先端の数学において無いのだろうか?
その考え方を知らないパラレルワールドの自分が証明できてるかどうか確認する術はないので、その考え方が証明に必要不可欠だったかどうかは証明しようがないんだけども。
とはいえ大学数学に臨むために中学の算数から受験問題の研究で徹底的に深掘りし直したなんて話聞いたこともないし、このあたりは「中高で数学は自主勉強しなかった」ような人間がその道に進むのが適切なのであって、いちいちしらみつぶしにあらゆる受験問題を解いたりしないと自分では考えが浮かばないような人は、そういうことを完璧にしようとした時点で人生の時間切れが迫るし、そもそもその程度の人間は大学数学向いてないと見切りをつけるのも必要かもしれないな
docomoの配信サービスで配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。
そんな番組に出会ってしまったことをきっかけに、自分の人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。
両親のことは大好きだ。
奨学金なんて必要ないくらいの収入があった父親に専業主婦で毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。
中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。
親ガチャとかいう言葉だって必要ないほど恵まれた環境で育った。
根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。
少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後は毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。
それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。
身バレしたらしたで仕方ない。
ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。
今から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望みだってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。
物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器を演奏したりするのが大好きだった。
私の通っていた郊外の幼稚園にはたしか必須のクラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆の書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。
クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。
幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉が先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。
n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分の習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。
ピアノやバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。
小学校に上がるタイミングで関東の割と都会な地域に引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値な私立の中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。
n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校の宿題とは別で、毎日のノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。
小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日のプリントのおかげか、成績は相当良かった。
あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元の中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。
地域のお祭りに行った時にステージで見た、小学生のダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。
お風呂でオリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分がカリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。
小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校(中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校に演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。
4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学。県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。
塾自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。
常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。
今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数は強敵だった。ほんとうに難しかった。
わからなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。
受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。
小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口や友達のグループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。
塾に行くようになったことで、授業中の発言や普段の言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。
自分に問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまり話さない子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。
5,6年生のときはクラスの3分の1が中学受験をしている子たちだった。
学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任は中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題が毎日出た。
大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校の宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。
周りの受験生も学校の宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。
クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様と揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。
泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。
そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。
中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。
頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。
怒られない日の方が珍しかった。
自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。
当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。
親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験で競争率が高い中やることだから、中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分の意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。
地元の中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言と暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。
後日優しい口調の親に丸め込まれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。
結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学はそもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学に入学することになった。
B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。
中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系の部活に入った。
チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系のダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶で女子の集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。
毎日の練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。
最初は地頭で乗り切っていた定期試験もだんだん順位が落ちていき、高校に上がってからは留年スレスレを彷徨うこととなった。
中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。
内向的になりかけていた自分の性格がさらに内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。
順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験を経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。
中高一貫校の性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。
進学校の勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活の時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。
家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。
流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないものの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。
結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベルの中学に入学したし、私は大学受験の勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立の大学のよくわからない学部に現役で合格した。
私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。
姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。
申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家は中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。
半年に一回くらい、ボイストレーニングの無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストのオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。
そして今、私は大学生をしている。
持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルやミュージカルサークルの所属してステージに立ってみたこともあった。
お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。
そして、とある前世持ち練習生の存在をきっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組の配信に辿りついた。
が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。
大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。
私もそっちに行きたいって。
アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージで表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。
私の好きなアイドルは10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。
その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。
私は音楽が好きで、自分で何かを表現したかったという気持ちは絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?
中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかったことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか。
小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組のステージに立てたのではないか。
私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強を自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。
今考えたらあの習い事もクラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強は自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。
中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。
元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。
家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。
私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元の中学でもよかった。
やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。
それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立の学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。
それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミングで部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ
docomoの配信サービスで配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。
そんな番組に出会ってしまったことをきっかけに、自分の人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。
両親のことは大好きだ。
奨学金なんて必要ないくらいの収入があった父親に専業主婦で毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。
中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。
親ガチャとかいう言葉だって必要ないほど恵まれた環境で育った。
根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。
少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後は毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。
それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。
身バレしたらしたで仕方ない。
ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。
今から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望みだってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。
物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器を演奏したりするのが大好きだった。
私の通っていた郊外の幼稚園にはたしか必須のクラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆の書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。
クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。
幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉が先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。
n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分の習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。
ピアノやバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。
小学校に上がるタイミングで関東の割と都会な地域に引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値な私立の中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。
n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校の宿題とは別で、毎日のノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。
小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日のプリントのおかげか、成績は相当良かった。
あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元の中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。
地域のお祭りに行った時にステージで見た、小学生のダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。
お風呂でオリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分がカリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。
小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校(中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校に演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。
4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学。県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。
塾自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。
常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。
今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数は強敵だった。ほんとうに難しかった。
わからなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。
受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。
小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口や友達のグループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。
塾に行くようになったことで、授業中の発言や普段の言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。
自分に問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまり話さない子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。
5,6年生のときはクラスの3分の1が中学受験をしている子たちだった。
学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任は中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題が毎日出た。
大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校の宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。
周りの受験生も学校の宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。
クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様と揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。
泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。
そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。
中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。
頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。
怒られない日の方が珍しかった。
自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。
当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。
親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験で競争率が高い中やることだから、中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分の意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。
地元の中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言と暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。
後日優しい口調の親に丸め込まれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。
結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学はそもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学に入学することになった。
B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。
中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系の部活に入った。
チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系のダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶で女子の集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。
毎日の練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。
最初は地頭で乗り切っていた定期試験もだんだん順位が落ちていき、高校に上がってからは留年スレスレを彷徨うこととなった。
中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。
内向的になりかけていた自分の性格がさらに内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。
順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験を経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。
中高一貫校の性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。
進学校の勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活の時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。
家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。
流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないものの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。
結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベルの中学に入学したし、私は大学受験の勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立の大学のよくわからない学部に現役で合格した。
私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。
姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。
申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家は中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。
半年に一回くらい、ボイストレーニングの無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストのオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。
そして今、私は大学生をしている。
持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルやミュージカルサークルの所属してステージに立ってみたこともあった。
お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。
そして、とある前世持ち練習生の存在をきっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組の配信に辿りついた。
が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。
大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。
私もそっちに行きたいって。
アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージで表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。
私の好きなアイドルは10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。
その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。
私は音楽が好きで、自分で何かを表現したかったという気持ちは絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?
中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかったことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか。
小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組のステージに立てたのではないか。
私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強を自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。
今考えたらあの習い事もクラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強は自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。
中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。
元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。
家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。
私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元の中学でもよかった。
やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。
それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立の学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。
それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミングで部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ
・首都圏の中高一貫別学にありがちな放し飼い的な校風が大嫌い(地方の高校で行事や運動部や補講や0限授業など束縛シャブ漬けにされた過去がありそれを誇りに思っているため)
これは逆じゃね?
・ITリテラシーの欠落を悪徳だと思っているのでスマホやパソコン苦手な爺さん婆さんでも中傷対象
・私立大学が大嫌い
・自分の子供に対して何不自由ない額の金銭を援助する富裕層をキチガイだと思ってる
・慶應義塾という組織や、東京23区で生まれ育った人間に対して特に正当な理由なく敵愾心を抱いている
・自民党が憎い
・首都圏の中高一貫別学にありがちな放し飼い的な校風が大嫌い(地方の高校で行事や運動部や補講や0限授業など束縛シャブ漬けにされた過去がありそれを誇りに思っているため)
塾で同じ校舎のロリコン講師が2人逮捕という胸糞悪いニュースが流れてきた
https://www.fnn.jp/articles/-/595129
俺は若い子が好きだ 手なんか出さねーよ 妄想の世界で楽しむ掟だ
手を出すやつは消えるべきだ 俺は増田民が知らない世界を知ってる
嘘乙もいるが、あこいつ本物だなというのもいる
男は俺に会いたい 奴隷にしたいと迫った
正体を暴いてやろう
俺は偽のプロフを装う
男にもどこの学校勤務かヒントをくれと言った
都内某所
東大にも受かる有名校
俺はすべてをパズルのように当てはめた
1校に絞った
学校名を当てた
男は、正解とだけいった
画像を送ってきた
本物だ
根掘り葉掘り聞いた
6年で育てる
何分何十秒でとめて
あれが俺の奴隷
あれが次の候補
だが男は俺を疑った
舌の根っこが乾かないうちに男を特定する
チャットで待機しても入室してくることはなかった
あれは妄想だったのか
俺はそうは思わない
惜しいのは
学校名も忘れた
今27の女なんだが、本当に無い。
言っておくがいじめられていたとか帰宅部だったとかではない。でも本当にないのだ。
中高は学校に携帯を持っていくことを本当にかなり厳しく禁止されていたので学校での写真は無い。
プリクラは何度か撮ったことがあるのだが、プリ帳なるものを引っ越しの際に紛失し、ごっそり無くなった。(これに関してはちょっとだけやってしまった感はあった)
卒アルくらいはあるのでは?と思われそうなのだが、学校が嫌いだったので(親の方針で入れられたクソみたいなお嬢様系の中高一貫難関校)届いた瞬間捨てた為それも無い。
卒業式や修学旅行などの行事はデジカメを持って行くことが許されていたのだが、めんどくさがって持っていかなかったので行事の写真も手元には無い。(友人が私を写してる可能性はある)
ここまで写真がない人ってあんまりいないかもしれない。どうだろ。
あ、大学時代の写真が何でないかって?普通に生活してたら自分の写真撮る機会ってなくない?
ゼミは入ってたけど、合宿とか食事会とかの集まり全部ボイコットしてたから(バイトとかしてたので優先度低かった)撮る機会、無かった。
数日前に、ムスメが今つきあっている人がQ州の某県出身だと言われて、ジワジワと不安が込み上げてきている。結婚すると決まってるわけじゃないけど、いっしょに住むようなことを言い出してるんだよね。
数か月前、家を出るようなことを聞いて、3日間毎晩泣いて暮らしていたのに、Q州のあの県だなんて…。ムスメ、東京生まれの東京育ちなんだよ。なんで、千葉や神奈川の人じゃなくてQ州なんだよ…。
https://twitter.com/saya_fairyland/status/1640902065974304769
うん、とりあえず一緒に住む話はなくなったけど、家を出る出ないで、ほぼ口きかないよ…。でもハッキリ、Q州はダメだとは言った。メールだけど。大学出てすぐなんて、まだ判断力ないのにねぇ。いっぱしの大人だと思っちゃうんだよね。
https://twitter.com/saya_fairyland/status/1666054327738433536
いや、ほんとにそれ。生まれてから2歳になるまで、昼も夜も1時間連続して眠らずに、目を覚ましては泣く子がいるとは、誰も教えてくれなかったよ…。すやすやと眠る赤ん坊…って、1日のうち一瞬のことだったんだと。大学卒業したとたん、パパやママがイヤだから出ていくと言い出すとも思わなかった。
犬の病院や買い物で、あえてわたしがいない状態にして、パパがきちんと聞き取りをしたら、不満はママに対してでしたーヽ(´ー`)ノ とにかく否定されることとか、相談してもいつの間にかママの話になるのがイヤだ、とか。だからといってナゼ家を出るという話になるのか。おそるべしQ州男。
まあねぇ。これからはもうすこし距離をおきます。いつまでもムスメラブなのは、よくないですよね…。でもQ州男との結婚だけは阻止したい。
https://twitter.com/saya_fairyland/status/1667824921253384193
ムスメがお金のことで選択肢が狭まらないようにと思って、大学卒業するまで、全部出してやってたけど、もしかしたら、少しでも奨学金を借りさせた方がよかったのかもと思う今日この頃…。あの全能感って、学びたい気持ちがお金に左右されない人生だったからってのもあるんじゃないのかしら…
わが家は、高校の授業料無償化にギリギリ間に合ってしまうくらいお金がない方だったけど、私立中高に歯科矯正、50万を超える大学受験料に私立大学4年間って、めちゃくちゃ頑張ってきたのよ…それなのに、ほんとにもう…
自分も親に出してもらったから…という気持ちもあったけど、よく考えたら、国立大学じゃん。塾だって行ってないし、高校こそ私立だったけど、県立落ちたからだし。私大は受けなかったし。ちょっと遠かったから、授業料と同じくらい定期代はかかってたけど…
あ、そうだ。ムスメには運転免許も取らせてやったぞ?コロナ禍じゃなければ、短期留学の費用も出してやったと思う。
わたしの初任給の1.5倍もらってるのに、家に当時のわたしと同じ金額しか入れてないし。(使わずにコッソリためてあるから、別にいくらでも同じだけど。)昨日あたり、その辺に気がついて、なんだか猛烈に腹が立ってきたんだよね。
子育ての苦労をお金で語るのは、ちょっとアレだし、ムスメにしても、「こんなに出してやったのに」とか言われたら心外だろうけど、でも実際、すべてお膳立てして学びたいように学んで、ろくに就活もしないで、とりあえず内定出たところに就職して、全部自分の力で稼いでいるような顔して,→
→はい、自立したいです、ママのこういうところがイヤなんですとか言われても、だなぁ。しかもいきなり彼氏(しかも噴煙上がるQ州出身)と住みたーいとか、人生なめてんのか?(さすがにそこはいろいろあって、ナシにはなったけど。)
https://twitter.com/saya_fairyland/status/1668934516977836032
そうなんですよね。ムスメが交際中のQ州出身の人とどうしても結婚するというなら、相手が姓を変えるのが最低条件だと伝えてある。夫の氏を残したいとか、婿にしたいとかではない。女性が変えるのが当然→嫁にもらったという思考回路が都会以上に根づいている地方の親や親戚からムスメを守るためだ。
https://twitter.com/saya_fairyland/status/1675312327980363777
今の最大の懸念であり、自分の人生の中の大きな危機である、ムスメのQ州彼氏問題。彼氏の母親が、今は、自分の故郷の方(Q州ではない日本)に住んでるって言ってたんだよね。父親も一緒なのかどうかは不明。彼氏が東京に出てから故郷に戻ったのであれば、つまりはそういうことなのかもと思う。
母親の故郷は、地理的にはQ州とは近くて、それはそれでQ州とも関東(首都圏)とも全く文化が違うのだけど、Q州は地元出身ではないと耐えられないところもあったのだろうか、とか考えてしまう。彼氏の母親とはサシで話してみたいとは思うけど、まだ結婚すると決まったわけでもないしとも思う。
とにかく、ムスメ本人も相手も、なんにも考えていなそうなところが、ほんとに腹立つよ。だいたいそいつはどこの誰で、何の仕事をしていて、将来をどう考えているのか、ていうより、今のこの状態をどう考えているのか問いたいよね。
何度も言うけどさ、まさに掌中の珠のように、わたしと夫の人生の全力をかけて育ててきて、大学を卒業したとたん、奪われてしまったようにしか思えない。異論のある人はブロックするからねっ! 何の事情も知らないのに、子どもには子どもの人生があるとかキレイゴト言わないで。
もちろん、わたしは「自立できる女性を育てること」に公私とも全力を尽くしてきたわけで、そこだけでは一応理解しているようで、名前を変えて仕事をやめて専業種になるとか、そういうのだけはないだろうけど、まあ、いろいろ心配だよね。
それもこれも、相手がQ州出身でなければ(ていうか、首都圏のサラリーマン家庭か公務員家庭だったら)こんんこと何ひとつ心配しないで、安心して本人に任せられたのに。
https://twitter.com/saya_fairyland/status/1685088853500342273
長いけど(そしてほんの少し有料部分がある)すごい分析。あんまり関係ないけど、「『バービーを否定するフェミニストの母親に対する異議申し立て』から始まっている」ってところが、個人的に刺さった。
ttps://note.com/774notes/n/n2a6b801eb105
自他共にみとめる「東京のリベラル家庭で育った」ムスメが、Q州出身のボーイフレンドのところに入りびたり、父母を嫌悪する……という現実に毎日うちのめされてるからさ。そうか、そういうことかと泣いちゃうよ、ほんと。
1週間前に旧友と会って「子どもは生きているだけでいい」と心から思ったし、こんなことを自分の人生に起こるとは思わなかった最大の不幸だと思うわたしは、なんと不遜だったんだろうと思ったけど、生きているから日常で感情は動くわけで。
生きているからには、幸せな人生を送ってほしいと思うし。何のために私立の中高一貫の女子校に行って、何のために大学でリベラルアーツを学んだのかと思わずにはいられないよ。もちろんリベラルもフェミニズムも、彼女の根幹にはあるはずなんだけど、現実となるとまた違ってくるよね。
とはいえ、中高時代の同級生たちの話を聞くと、“身を持ちくずしている”子も少なくなかったり。みんな親の期待を背負って中学受験を突破して、大学まで行ってるのに。ええい、くそ男たちめ。滅びてしまえ。
あ、念のため、今どきの女子校、女子大は、必死で女性の自立を促してるんだよ。くそ日本社会め。
https://twitter.com/saya_fairyland/status/1691379040806989826
呪詛の言葉を叫んでたら、明日の朝のわんこ用のキャベツ(茹でて、細かく刻んだやつ)の容器をひっくり返した。ため息をつきながら片づけたら、こんどはコーヒーの粉(挽いたやつ)の入った缶がひっくり返った。人を呪わば穴二つか……くそ。
ちょっともう何もかもやる気なくなってしまったよ。Q州男め。たいせつな宝物を奪いやがって。
https://twitter.com/saya_fairyland/status/1691435244325617664
官僚が間違いや失敗を犯すことはない。
・一般職、〇〇専門官、〇〇専門職という形式で選ばれた下級役人
その理由を御三家男子中高一貫校→東大文一→旧司法試験不合格→国I(当時)不合格→東京大学法学部→小学生向け受験塾の講師という経歴を持つ俺が官僚にはなれなかったけれども官僚の友人を多く持つ人間として解説する。
まず官僚になるためには突破しなければならないものがとにかく多い。
中学受験、東京大学文科一類現役合格、国家公務員総合職試験上位合格、面接など文科省や環境省などの下級官僚、課長級を経て肩たたきされる底辺官僚でも最低限この四つを突破する必要がある。局長、次官級ともなればここに加えて学生時代の旧司法試験(現代なら予備試験と本試)の合格、仕事で間違いを犯さないこと、政治家から嫌われないことなどさらに多くの要素が必要となる。
10歳から始まるこの競争では間違いは許されない。中学受験、大学受験、公務員試験とどれか一つでも間違えれば官僚への道は潰える。学業だけでなく、非行に走ったりした学校を追われたり、享楽に耽って大学を中退したり留年しても同様である。
そのように間違いを犯した人間から「官僚への道」が潰れ、医学部医学科、工学部などに進学したり、法曹、外資系企業、財閥系総合商社…など別の道に泣く泣く進んで行く。
お分かりいただけただろうか。
よって政治や行政への批判の際に官僚を槍玉にあげてはいけない。なぜなら彼ら官僚はミスや間違いは犯さず、もしも間違いが存在するのならそれは政治家(但し官僚出身者は除く)、下級役人、政治家の選んだ専門家、有権者たちなど別の人間に要因があるからである。
日銀がわかりやすい例だ。日銀叩き上げや大学教授出身の総裁が就任すれば日本経済は傾き、財務官僚が就任すれば日本経済は持ち直す。この繰り返しだった。日銀総裁の中で最も功績の大きい黒田氏(面識は全くないものの私の中高大学学部の先輩に当たる)は大蔵・財務官僚である。
ちなみに民間企業や法曹、医師などにおいても仕事で間違いやミスを犯さない順に属性を並べれば
中高一貫東大卒→非中高一貫東大卒→中高一貫国立卒→非中高一貫国立卒→中高一貫私大卒→非中高一貫私大卒となる。ちなみに仕事における能力の高さやパフォーマンスの高さで順位をつけても全く同様となる。
これは様々な業界にいる私の中学、高校、大学の友人も同意しており、私の職場の職員や講師を見ても同じく当てはまる。
お子様をお持ちの方は子供の未来を考えればこそ、金銭の負担や労力を厭わず、迷うことなく中学受験をさせ間違いやミスを犯さない輝かしい人生を送らせてあげてほしい。
私美大の大学生で、学費は奨学金なしで払ってもらえるくらいの家庭。中受して私立の中高一貫の女子校通ってた身だけど、中高の友人と大学の友人、あまりに金銭感覚や家庭状況違いすぎて、どこにも自分の置く場所がなくなってる。社会的階層の上にいるんだなって、強く感じてしまわざるを得なかった。
中高では海外旅行行くのは珍しくない話だし、大学になってからも(コロナ禍にも関わらず)年に何回も行く人を何人も見かける。ランチは1000円以上は普通に出すし、1500円くらいのもまあ出す感じ。みんなMARCH以上くらいにいて、ザ・私文ライフを謳歌してる。サークルの飲みやら、ゼミ合宿で男女入り混じって陽キャなお金持ち集団な感じ。自分の中の卑屈なおじさん心が社会的階層の上だなあ、みんなお金に困ってないでバンバン旅行行ってほんとよかったねえとネチネチ言いたくなる。非モテすぎて男女のワイワイにすごいコンプ持ってるからもある。美大に恋愛はない。
対して大学の友達には一度も海外に行ったことない人や、なんなら家族旅行に行ったことない人が多数いて、話題のピックアップに死ぬほど神経使う。本当に。奨学金使ってないだけでお金持ちだなあ…という視線と苦労してないくせに!という感情も読み取れる。東京のかなりの都会住みだからお金持ちだと思われないように、お金の使い方も気をつけてるつもりでも、画材は高いしバカスカ買ってしまう心理的障壁の低さや、お金への感覚がバレて結局意味ない。
大学の人で死ぬほどお金の使い方や親からのお金に対して死ぬほどしつこく嫌悪感を出す人がいる。それでも普通に感覚合うかなと思って旅行に行ったら、後から「あんたは強制するのがすごい嫌だった」と言われて、すごい傷ついた。別に何千円もするご飯を頼んだわけじゃない。ただ私は友達との旅行なら少しグッズとか色々買っちゃおうかなって財布の紐が緩んでしまうタイプなのに対して、その人は例えそうであろうと数百円のご飯でも高いと思うようなドケチだった。もう出来るだけお金使いたくない感じ、でも他のところでは豪快に使う。
私の元いた世界では極々普通の金銭感覚が、「浪費だ」と糾弾されて、親に出してもらってるお金を自分で払うのを始めて欲しいとか言われ、自分の家庭では普通に合意が取れていることをなぜお前にごちゃごちゃ言われなきゃいけないんだよと、すごく気分が悪くなった。私が親に甘えているのは事実。でもそいつの金銭感覚は意味不明すぎて、大喧嘩してそれっきり。
「東京の〇〇区住み」ということだけで、自分が選んで生まれ育ったわけではないこの土地出身だというだけで、物凄いお金持ちだね!!とびっくりされる顔をするのが本当に嫌すぎて、地元の話になるといつも濁す。大学ってこういう価値観に色々出会う場所だけど、こんなにお金の話が根深いとは思わなかった。あれから友達と旅行に行くのですら怖い。何円までがあなたにとって安くて、たかいのか、どれにどのくらいお金を出せるのかリストアップして意思確認しないと、またあんな目に遭うのは二度とごめんだ。かといって、美大で夜遅くまで制作して、学科内で全く恋愛する雰囲気ではないところで、しかも女の方が多くて、週5.6みっちり授業があった私には、バイトもサークルも行く余裕がなくてちっとも彼氏なんかできないから、喪女が加速して私文ライフをケッ!!!と捻くれたキモオタみたいに思ってしまって、もうどこにも居場所がない。社会的な問題についても関心があった上に躁鬱でこんな感じで頭でぐるぐる考えてしまって、頭が痛い。苦しい。ADHDと躁鬱の頭の中ってこんな感じ。四六時中から続くのしんどいでしょ?
私美大の大学生で、学費は奨学金なしで払ってもらえるくらいの家庭。中受して私立の中高一貫の女子校通ってた身だけど、中高の友人と大学の友人、あまりに金銭感覚や家庭状況違いすぎて、どこにも自分の置く場所がなくなってる。社会的階層の上にいるんだなって、強く感じてしまわざるを得なかった。
中高では海外旅行行くのは珍しくない話だし、大学になってからも(コロナ禍にも関わらず)年に何回も行く人を何人も見かける。ランチは1000円以上は普通に出すし、1500円くらいのもまあ出す感じ。みんなMARCH以上くらいにいて、ザ・私文ライフを謳歌してる。サークルの飲みやら、ゼミ合宿で男女入り混じって陽キャなお金持ち集団な感じ。自分の中の卑屈なおじさん心が社会的階層の上だなあ、みんなお金に困ってないでバンバン旅行行ってほんとよかったねえとネチネチ言いたくなる。非モテすぎて男女のワイワイにすごいコンプ持ってるからもある。美大に恋愛はない。
対して大学の友達には一度も海外に行ったことない人や、なんなら家族旅行に行ったことない人が多数いて、話題のピックアップに死ぬほど神経使う。本当に。奨学金使ってないだけでお金持ちだなあ…という視線と苦労してないくせに!という感情も読み取れる。東京のかなりの都会住みだからお金持ちだと思われないように、お金の使い方も気をつけてるつもりでも、画材は高いしバカスカ買ってしまう心理的障壁の低さや、お金への感覚がバレて結局意味ない。
大学の人で死ぬほどお金の使い方や親からのお金に対して死ぬほどしつこく嫌悪感を出す人がいる。それでも普通に感覚合うかなと思って旅行に行ったら、後から「あんたは強制するのがすごい嫌だった」と言われて、すごい傷ついた。別に何千円もするご飯を頼んだわけじゃない。ただ私は友達との旅行なら少しグッズとか色々買っちゃおうかなって財布の紐が緩んでしまうタイプなのに対して、その人は例えそうであろうと数百円のご飯でも高いと思うようなドケチだった。もう出来るだけお金使いたくない感じ、でも他のところでは豪快に使う。
私の元いた世界では極々普通の金銭感覚が、「浪費だ」と糾弾されて、親に出してもらってるお金を自分で払うのを始めて欲しいとか言われ、自分の家庭では普通に合意が取れていることをなぜお前にごちゃごちゃ言われなきゃいけないんだよと、すごく気分が悪くなった。私が親に甘えているのは事実。でもそいつの金銭感覚は意味不明すぎて、大喧嘩してそれっきり。
「東京の〇〇区住み」ということだけで、自分が選んで生まれ育ったわけではないこの土地出身だというだけで、物凄いお金持ちだね!!とびっくりされる顔をするのが本当に嫌すぎて、地元の話になるといつも濁す。大学ってこういう価値観に色々出会う場所だけど、こんなにお金の話が根深いとは思わなかった。あれから友達と旅行に行くのですら怖い。何円までがあなたにとって安くて、たかいのか、どれにどのくらいお金を出せるのかリストアップして意思確認しないと、またあんな目に遭うのは二度とごめんだ。かといって、美大で夜遅くまで制作して、学科内で全く恋愛する雰囲気ではないところで、しかも女の方が多くて、週5.6みっちり授業があった私には、バイトもサークルも行く余裕がなくてちっとも彼氏なんかできないから、喪女が加速して私文ライフをケッ!!!と捻くれたキモオタみたいに思ってしまって、もうどこにも居場所がない。社会的な問題についても関心があった上に躁鬱でこんな感じで頭でぐるぐる考えてしまって、頭が痛い。苦しい。ADHDと躁鬱の頭の中ってこんな感じ。四六時中から続くのしんどいでしょ?
何も考えずにジミー〇ュウのバッグをママに買ってもらえる友達が羨ましい。何も考えてなくて。
anond:20230908183917 anond:20230908184104 anond:20230908184500
この増田に対する当て擦りと思われる→anond:20230907113408 「大学時代の友達が金持ちで嫉妬で死にそう」
というか↑この増田にトラバしてるanond:20230907183115←こいつが筆者じゃないの?
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230905214928
サピオセクシャルをご存知か?一言でいうと、知性に興奮するという性癖。正確な言葉の定義とは違うのかもしれないけど、社会的価値とか関係ない部分で知的な人が好き、て感じ。フェチに近いかな。サピオセクシャルて名前は知られてないけど、人口はそこそこ多いらしい。私が好きなのは、難関中高一貫男子校出身の理系。実際、知性が高ければ学歴は関係ないんだけど、あの男子校出身者の特有の空気感はいいよね。お願いだから、非モテ脱却とか言って、ナンパ界隈のnote買ったりしないで。まぁそういう人達が恋愛系商材を買うとも思えないけど。
あと性癖とは別に、純粋に、知性があると話してて学ぶことが多いから楽しい。自分が相手に何か返せてるかは不明。知的な人と話すと、それが気になっちゃって自分からグイグイいけない。好きなのに。