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2019-01-19

何がしたいのか分からないまま人生が終わった

小さい頃から逃げてばかりいた。

近所の子供たちが遊んでいるのを離れたところから見ているだけの自分に、親は「よして」と言うように教えてくれた。漢字で書くと「寄せて」になるのだろうか、仲間に入れてほしいというような意味だ。ついに一度も言わなかった。

家の中でばかり遊んでいた。本もゲームもそれなりに与えられてたので退屈はしなかった。テレビアニメ特撮をやってるときだけ見ていたが、ドラマ歌番組には興味がわかなかった。

幼稚園小学校は真っ暗なジャングルだった。そこら中に猛獣が潜んでいて、油断すると噛みつかれる。顔も名前もわからない「ともだち」たちから笑われ、小突かれ、追い回された記憶ばかり残っている。

教室にいると何が飛んでくるかわからいから、隠れ場所を探して校内をさまよった。目を閉じたら何をされるかわからいから、まばたきするのも怖かった。

このまま公立中学に行ったら殺されるに違いないという親の判断進学校を目指すことになった。進学校が何なのかもよく分からなかったが、言われるままに頑張った結果まあまあそこそこの私立に引っかかった。

公立を知らないので私立がマシだったのかどうかは分からない。同級生は相変わらず猛獣の群れだったが、目立った不良グループとかはいなかった。大きな図書室があったので、空いた時間に通いつめた。帰り道にあった古本屋お気に入り場所だった。家からバスで一時間くらいかかったが、本を読むには丁度よくて時々乗り過ごした。

せっかく入った進学校だが、勉強を頑張った記憶は無い。授業中は教科書落書きばかりして、溜まった妄想秘密ノートに描き連ねた。入学後に部活を選ぶ機会があったが、入ろうとした部の先輩に初回で約束をすっぽかされてそのまま無かったことになった。中高一貫だったので何の区切りもなくただ学年の数字だけ増えていった。

高校を出たら大学へ行くものらしいとは聞いていたが、受験の仕組みとかはまるで理解しておらず模試センター試験区別もついてなかった。どの大学に行きたいのかと言われても特に思いつかなかったので、自分の成績で向いていそうな学部適当に受けた。

一浪して隣県の国立に入り、仕送りもらってアパート一人暮らしを始めた。山と田んぼばかりの実家と比べるとずいぶん都会だったが、主に利用したのはスーパー百均古本屋古ゲーム屋くらいだった。アルバイトはせず、与えられた金額範囲いか生活するかばかり考えていた。

講義はどれも興味深かったし、図書館も大きかった。パソコンインターネットにも初めて触れた。けれど溜まっていくのは雑学ばかりで、何を目指して進めばよいのかが分からないままだった。

この頃には周りの人間猛獣ではなくなったが、自分から近づく気にはなれなかった。声をかけてくれる人もいてサークル活動などもやってみたが、結局はどの付き合いも長続きしなかった。人と関わって舞い上がる自分への嫌悪感と、夢や目標をもって進む人への劣等感で押しつぶされそうだった。

ノート落書きは続いていたが、書けば書くほど自分空っぽさを見せつけられた。オリジナルだと思っていた設定もデザインも誰かの真似でしかなかった。愛も理想言葉だけで、何一つ信じてなんかいなかった。

つまづきながら単位は取っていったが、論文が書けなかった。研究したいテーマなんて何一つ思いつかない。自分がやりたいことも、やるべきことも、できることも何も見えなかった。院に行けるような頭が無いのは分かっていたし、学んだことを社会で役だてるイメージもまるで出来なかった。

あてがわれた研究室で無意味に悩んでくすぶって、二回留年してから卒業した。教授に与えられたテーマそのままに本とネットでかき集めた文章をつぎはぎしただけの卒論を提出して、実家へ逃げ帰った。

家でただ寝ているわけにもいかないので就職活動をはじめたが、大卒肩書きしかない、やりたい仕事もできそうな仕事も分からない人間を雇ってくれる会社など見つかる訳がない。取りあえずどこでも良いので働いてみてから考えればという助言に従って、隣町の食品倉庫で時給労働をすることにした。取りあえずのはずだったが、そのまま十数年たった。

肉体労働苦痛だったが何年かすると慣れた。基本的には書かれた数字にあわせて箱を動かすだけなので頭を使う必要は無い。周囲に人はいるが朝の挨拶トラブルの報告以外で話すことは無い。毎日たくさんの箱が出荷されていくが、買い手のことはラベルに書かれた名前しかからない。ただただ箱を運び続けている。

学生アルバイトでも務まるような仕事から給料もその程度だ。実家住まいのおかげで多少の貯金はできたが、病気などで大きな出費があれば簡単に消し飛ぶだろう。別の仕事を探すべきだったが、こんな簡単仕事ですら苦労する自分に他の仕事などできるだろうかと思うと身動きが取れなくなった。

日々の暮らしのものには不満は無い。食べるには困らないし、仕事上のストレスくらいなら家でお菓子を食べてゲームしていれば解消できる。会社以外で人に会うことがないので服にも身だしなみにもこだわる理由が無い。特に行きたい場所もないし会いたい人もいない。飲まないし打たないし買わない。

このあいだ四十歳になった。独りのまま四十を過ぎると妖精になるなんて言ったもんだが、実際に妖精郷というのはこんなふうかも知れない。苦労が無い代わりに、新しいことも起こらない。小雨の降る午後のように、静かにただ夜を待つだけの時間

今週は先週と似たような週だった。来週も同じだろう。来月も、来年も、かわりばえのしない日々がただ続いていく。そうする内にいずれ親が倒れる。そして自分が。人生に残された大きなイベントは、もうそれくらいしか無い。

すでに自分人生は終わった、と思う。死んでいないだけで生きてもいない。小さな目標はいくらでも立てられるけど、それが他の何かにつながっていくことが無い。

自分は何がしたいのか、考えても結局わからないままだった。空っぽのまま生まれ空っぽのまま死ぬのだと思うと、少し寂しい。

2019-01-08

コミュ障初恋片思い6年間の一部始終

コミュ障婚活マッチングアプリ出会い別れるまでの一部始終」(anond:20190106214218)という日記を書いた者です。

前回の日記を通じて、自分経験文章に落とす作業をしている間はすごく気分が晴れるということに、生まれて初めて気づきました。文章を褒めてくださる方もいらっしゃったので、調子に乗ってもう1本、投稿してみます(読み手を選ぶ内容なので、さほどブックマークはつかないと思いますが)。また、前回の日記では、あたかも僕が恋愛経験コミュニケーション能力以外の点において完全なる真人間であるかのような印象を与えてしまったので、ちょっと彼女に対してアンフェアだったな、という懺悔の思いもあります

僕が中学生高校生時代に、人生で初めて好きになった方の話をしたいと思います

僕が通っていたのは、中高一貫男子校でした。所謂進学校で、有名大学進学率がKPIになっている、勉学を重んじる厳しい校風でした。

中学校の登校初日入学式を終えた新入生は、疲れた足取りで初めて行く自分教室へ向かっていました。殆どの生徒はお互い初対面なので、会話もまばらでした。1人で居ても目立たなくて良いな、ずっとこのままなら良いのに、などと思いながら、僕は人の波から少し外れたところを歩いていました。

廊下の角を曲がった時、僕は斜め前を歩いていた同級生の1人に気づきました。サラサラストレートの髪に、小さな顔、大きな瞳、長い睫毛。人生で見たことのある誰よりも格好良い男の子が、そこには居ました。

これが、一目惚れか、と、冷静に思ったのを、はっきりと覚えています

彼と僕は同じクラスでした。彼は、才色兼備な人でした。文武両道で、サッカー趣味。優しい性格で、愛嬌があり、話は面白く、友人も多い。笑顔キラキラしていて、王子様のように見えました。過去を美化し過ぎだと言われるかもしれませんが、アイドルグループ所属していてもおかしくなかったと思いますクラス文化祭に出店した、大して美味しくない割高なタコ焼きも、彼が声を掛けた女子学生は全員買ってくれました。

僕は、絶対に彼には自分の心の内を明かさない、と決めていました。傷つくのが怖かったのもありますが、彼の人生劇場の登場人物として、僕はあまり分不相応だと思ったからです。僕は、彼が僕を抱きしめ、名前を呼びながら優しく髪を撫でてくれることを想像し、時に嗚咽しながら床に就きました。僕の人生は泣いてばかりです。今思えば、この時の涙の理由自己憐憫でした。努力放棄し、自分自分のことを追い詰め、思考停止して悲劇のヒロインを気取り、自身を慰めて、精神的な安寧を得るのが日課になりました。幸せと虚しさが入り混じった複雑な気持ちで、彼と時空間を共有できない夜をやり過ごすことしか、できませんでした。

僕は「好きな人の好きなものを好きになる」タイプでした。彼があるアイドルファンだと聞けば、プロフィールを暗記し、出演するテレビ番組を観ました。彼がよく口ずさんでいた洋楽アーティストCDは全部借りて聴き、歌詞まで覚えました。そうして仕入れ話題で彼に話しかける勇気もないのに、です。

ある日僕は、彼と彼の友達教室の窓辺で繰り広げる雑談に聞き耳を立てていました。彼は、塾で出来た初めての彼女ファストファッション店に行き、お揃いのトレーナーを買ったと、少し恥ずかしそうに、しかしとても楽しそうに話していました。僕は彼に彼女ができていたことさえ知りませんでした。完全に狼狽しました。彼は彼女のことが好きで、僕が知ることのできない存在であるその彼女は、僕の見たことのない彼の表情を知っているのです。結局、その日は何もやる気が起きず、トイレに籠って残りの授業をサボってしまいました。泣き腫らした顔を誰にも見られたくなくて、放課後、日が沈んだ頃に個室を後にしました。親には怒られましたが、何も言えませんでした。

でも、サボってばかりいたわけではありません。むしろ勉強には必死で取り組んでいました。彼と同じクラスになるためです。入れ替わりの激しい特進クラスを6年間ずっとキープし続けたのは、とうとう彼と僕だけでした。彼は文系コース、僕は理系コースでした。本当は彼と同じコースに進みたい気持ちもありましたが、無理して高い授業料を払ってくれている両親の顔を思い浮かべると、人生を棒に振る可能性のある決断をする勇気は出ませんでした。それでも、少しでも多く彼と同じ空気を吸っていたくて、受験必要のない文系科目まで、教頭に頼み込んで時間割の許す限り履修していました。ただ、残念ながら僕の学力は彼に遠く及ばず、別の大学に通うことになるのは自明でした。最終学年になって勉強モチベーションを失った僕の成績は、急に翼を失った鳥のように落ちてゆきました。教師全員にひどく心配されたのを良く覚えています

高校3年の1学期の席替えで、僕の席が彼の後ろになりました。夏休みまでのたった数ヶ月だけですが、世界中の誰よりも彼と一番物理的に近い場所占有できる喜びで、胸がいっぱいになりました。居眠りの振りをして机に突っ伏し、いつの間にか仄かに甘い香りを纏うようになっていた彼の背中に近づきました。息をするたびに、彼と一体化してゆくような、幸せ気持ちが溢れました。放課後、憶えた匂いだけを頼りに、彼と同じ香水を探しました。塾を休んで、お店を何軒も梯子しましたが、結局見つけることはできませんでした。

ある授業の小テストで、僕が酷い点数を取ったことがありました。回収の号令が掛かり、自己採点した答案用紙を、前の席に座る彼に恥ずかしそうな顔で差し出すと、彼は僕の眼を見て「可愛い」、と言いながら、優しい笑顔で受け取ってくれました。どういう意味を持つ言葉なのか、しばらく理解できませんでした。その声色は、今でも耳にこびり付いています。辛いことがあった時に、何度も、何度も心の中で反芻して、その度に涙を流し、頬から耳まで真っ赤に染めました。

彼が僕の気持ちに気づいていたのかどうかは、卒業するまで、ついに分かりませんでした。

この日記は、彼の好きだったEric Claptonを聴きながら書きました(この日記では固有名詞を一切出さないという自分縛りがあったのですが、これだけ例外にさせてください)。自分の中で強く記憶に残っているエピソードを集めてみたのですが、結果として完全なる狂気という印象になってしまいました。常にこのような変態行為に走っていたわけではないことだけ、申し開きをさせてください。この時期にできた数少ない友人の一人とは、年に一度、母校の文化祭に行く間柄を保っています

彼とは、高校卒業以来、一度も会っていません。大学に進学すると、僕は別に男性が好きだったわけではないのだということに気づきました。ただ、6年間、彼という重いアイロンを掛け続けた心の折り目はなかなか消えず、随分とひねくれたまま大学生活を送ってしまいました。

客観的に読み返すと、僕は本来的には恋愛依存体質で入れ込みやすタイプなのかな、と思いました。これをコントロールできるようにしないと婚活中に精神病みそうですね。

この日記をどうしても書きたくなったもう一つの理由は、前の日記の「彼女」が、3次元ボーイズラブ小説執筆をこよなく愛していたからです。彼女は、本当に親しい人にしか言えない秘密だと言って、4度目のデートで僕にその趣味を打ち明けてくれました。彼女に僕の経験を伝える機会はついにありませんでしたが、あの時僕が彼女の良き理解者として振舞えたのは、中高時代の彼との思い出があったからこそでした。

この日記を、「彼」と「彼女」に捧げます

《2019/01/10 追記

ブックマークコメントを読ませていただきました。「まともな人かと思ったらヤバい奴だった」みたいなことを云われるのではないか心配していたのですが、杞憂でした。お薦めしていただいた漫画面白そうなので読んでみようと思います。あと、「明治文豪が書きそう」とあって笑ってしまいました。読書量の少ない人間がそれらしく文章を書こうとすると、学生時代に読んだ著名な本にしか影響されていないことが透けて見えてしまものですね。僕は「こころ」が好きでした。この日記遺書にならないよう精進します。

2019-01-05

京大受験の思い出

anond:20190102063518

なんか盛り上がってるので参加させてくれ。

[基本スペック]

ややADHD気味で人の話に集中できない。図形脳で言語スキル特に会話)が弱い。

親は両方中卒で無口、兄貴不登校引きこもり、弟は知恵遅れ気味。親に何かを教わったという経験があまりなく、親の無口が自分にも遺伝している。

家は全く裕福ではなく、父親過去名鉄会社で工員勤務。俺が小さい頃に仕事中の事故で片足を失ったがそれでも家族を養うために働き続けてくれた。

[中学校]

大阪西成に近い、低階層クラスの家庭が沢山あるエリア。なのでヤンキーが沢山いる地域だった。周りの奴らと比べて頭の出来が良いかも?という自信はあったが、ある時進研模試を受けて自分偏差値が55程度であることを知る。しかしその当時は偏差値意味もよく知らず、周りは皆偏差値45ばかりの中55とってる俺は輝いて見えたし、学年一番の偏差値60の奴が天才に見えた。

勉強はあまりしなかったが図鑑などを読むのは大好きだったし特に数学が好きで他のやつが解けない難しい問題を解けるという自信があった。

周りの友達にはあまり行儀の良い子はおらず、いつも誰かの家に集まって夜中までワイワイゲームしたり、夜の公園に集まって時には朝まで駄弁ったり、楽しかったがあまり真面目に勉強はしなかった。授業中はほぼ教科書落書きパラパラ漫画を書いていた。

授業中騒ぐようなことはなかったが、もともとADHD気味で人の話を聞けないのと、夜まで遊んでいたり早朝新聞配達バイトをしたりしていたので先生からの覚えは悪かった。受験の時に「お前は内申点いか公立いけんぞ」と言われた。金のない親には非常に申し訳ないことをした。

[高校]

結果偏差値55くらいの私立高校に行くことになった。

高校に入って最初の構内統一試験みたいなものがあり、そこで自分は大して頭が良くないらしいということに気づいた。周りの友達と話をしていても、なんか自分の考え浅いし遅いな、と感じることが増えてきて、それまで自分はそこそこ頭いいと思っていたのが叩き潰されて結構なショックを受けた。この時に感じた自分は凡人以下であるという自己認識はその後の人生に大きな影響を与えた。それと同時に英語国語は負けてもいいが数学だけは負けては行けないというプライドに火がついた。

高校偏差値は高くなかったが担任教師偏執的に関関同立に執着しており、お前たちは人生に勝つために勉強しなければいけないという脅迫まがいのプレッシャー毎日のようにかけてきた。もともと中高一貫の進学組は大学受験マインドが高く、関関同立目指して頑張るぞ、という空気があったので自分だんだん感化されて勉強するようになっていった。

担任教師人間性としてはそびえ立つクソだったが奴がいなければ今の自分はなかっただろうな。

だんだん勉強が楽しくなり、受験マニア友達ができたこともあり、書店参考書を眺めるという日課ができてきた。

当時家に金が無いことはわかっていたので小遣いはもらっておらず、どこかに遊びに行くとか美味しいものを食べるとかできる状態ではなかった。思い返せば高校の間友達プールに行くとか遊園地に遊びに行くとかそういう経験は一度もなかったな。

しか書店にある沢山の参考書を買いたい欲が日に日に強まってきた。そこで、小遣いはもらってはいなかったが毎日昼飯代として500円支給されていたので週の半分くらいは昼飯を食わずお金を貯めることで月5,000円くらい貯めてこれで参考書を買ったり駿台夏期講習に申し込んだりできる仕組みを開発した。

参考書の数が増え真面目に勉強をするようになり、やはり自分数学能力は人より優れているという自信を再度取り戻すようになった。数学は本当に楽しくて熱中した。そのうち数学先生から大学への数学」の存在を紹介されて毎月購読するようになった。

と同時にやはり自分の頭の回転は良くないので自分が将来何かを成し遂げたいのであればただ一つのことに時間を集中しなければ他人には勝てないという確信を持つようになった。

から毎日往復二時間に通学時間の間はずっと参考書を読むようになった。Z会速読英単語など、最初は全く意味を取れなかったが何度も何度も読みまくることで次第に英語が読めるようになってきた。

高校3年になった頃にはもう勉強が非常に楽しくて生活の中心になっていた。特に大学への数学では毎月巻末に難問が出されて解答を編集部に送ると添削してくれるのだけどそれに本当に熱中していた。この問題は本当に難しく、自分の頭では数時間考えた程度では全く解けず、数日、時には数週間同じ問題をひたすら考え続けるという生活を送っていた。夜寝る前まで布団の上で考えて、眠りながら考えて、朝起きたら布団から出ずにまた考え始めるということをしていた。今考えると頭の使い方が稚拙というか同じところをぐるぐる周ってる感じだったのだけど、そうやって何日も考えると解答が思いつく瞬間が必ず訪れるのでそのカタルシスに当時は本当にハマっていた。毎月添削結果が送られて来るたびに模範解答のエレガントさと、自分の地をのたうち回るような回りくどい議論の差を見せつけられやはり自分は凡人であるということをつきつけられた。点数はいつも150満点中145程度で一度も満点を取ることが出きなかったのは悔いが残る。自分過去の思い出とかにはあまり執着がなく、京大博士卒業証書も使いみち無いのでゴミに出したのを友人に止められたくらいだがこの添削結果だけは今も大切に保管している。

自分記憶力が異常に弱く国語歴史は非常に苦手だったのだけど、物理化学も覚えることが多くて困っていた。しか駿台の著名な先生山本義隆氏と石川正明氏)の書いた書籍を読み、覚える物理化学から考える物理化学へとパラダイムシフトを起こすことができた。ただ暗記するのではなく、なぜその式が成立するのか、なぜそのような化学反応が起きるのかというより深いところを理解できるようになった。同時に物事を深く認識するということが自分性格に非常にマッチし、そして自分はそのために人の10倍の時間を捧げることができるということが自分の強みである確信するようになった。この強みは40になった今でも活躍している。

この頃は駿台河合塾模試でも上の方に乗ることが多く、志望学科の中では上から2番目を取れるくらいにはなった。そうなると今度は予備校の方からただで授業を受けませんか、というお誘いが来るようになる。これは合格者一覧の名前を稼ぐマーケティングである。その中でも駿台数学特別講義という非公開の授業にお誘い頂いた。数学がよくできる学生を数十人集めて難問の講義を行うというもので、これもなかなか楽しかった。周りは皆灘とか東大寺の中に偏差値55の学校が混ざっているのはむず痒い感じではあったが、すぐに自分はやはり彼らとはレベルが違うということがわかる(毎回試験があって採点される)。一人明らかな天才がいて、その人は今有名な数学者になっている。

後のことは上記の事の結果でしか無いので端折るがセンターは確か国語社会が6割くらいしか取れず志望学科はC判定、というのが送られてきて先生が「気を落とすなよ」慰めてくれたが自分としては全く想定通りの結果であり過去模試の結果からこの差は二次で覆すことができるという強い自信が会った。

家の経済的事情から滑り止めを受けるということはできず、前記京大後期阪大のみを申し込んだ。これについては先生から怒られた。本当は阪大の後期にも申し込みたくなかった。

試験数学は色々ケアレスミスをしてしまったが大筋では正しい解答ができ、物理化学はどちらも1問しか間違えなかったので合格確信した。

しか合格した当時自分中二病を引きずっていたので一緒にいた親に笑顔特に見せず「合格した」とだけ言った。これは人生の最も大きな後悔の一つ。

大学に入った当時は研究者になることを夢見ていたが大学に入ってからは本当の天才を目の当たりにし、また博士課程卒業間際になり研究というコミュニティコミュ症では構造的に海外リア充に勝てないということに気づき断念、IT企業就職して今はスタートアップをしている。

2019-01-03

京大までの受験の思い出(失敗編)

https://anond.hatelabo.jp/20190102063518

https://anond.hatelabo.jp/20190102174908

ダメだった身で恐縮だけど、見てたら俺も自分語りしたくなったので。

中学受験

小学校首都圏某県の公立に通っていた。長男にはありがちだと思うが、低学年のころより通信教材をさせられたり、あちこちの塾にお試しで通わされたりしていた。

中学受験も完全に親の意思によるものである勉強別に好きではなく、塾では机に落書きをしたりしてあまり授業を聞いてなかった。だから当然成績は振るわず、ある日テストで50点をとって(自分ではそれでも上出来と思っていたのだが)ブチ切れた母の命により、それ以来は学校が終わると直帰し祖母らの監視下で勉強強要させられる日々が続いた。志望校も全て親が決め、いざ受験期になっても明日どこの学校を受けに行くのかさえ把握していなかった。

とはいえ元来陰キャ友達も少ないことから自分だけ別の中学に行くことに未練はなく、また特段この学校を受けたかった!というのもなかったため親は恨んでいない。まあクラスメートからいいねと言われるのは気分が良かったし、(勉強は嫌だけど)親に怒られるのも嫌だからしょうがないか、ぐらいのもんだったと思う。むしろ中学受験は大なり小なり「させられるもの」だと長らく思っていたので、東大編の元増田や知り合いの子供が純粋自分意志中学受験をしたというのを聞いてびっくりしているくらいだ。結局(親の)第一志望の御三家は全く歯が立たず、第三志望?くらいの中堅校(中高一貫)に入学

中学高校時代

中学に入る前後から弟が病気で入退院を繰り返すようになり、親や祖父母はそれにかかりきりになった。お陰でこっちはこれまでと打って変わって完全放任。ゆるい文化部に入って暇を持て余した俺は、当時流行っていたMMORPGメイプルストーリーとかそういうやつ)にドはまりした。当然勉強は全くせず、テストは常に一夜漬け。成績は最下位スレスレ状態が高1の終わりまで続いた。相変わらずクラス友達はなく、図書室にこもっていたお陰か現代文だけは良かったが、文筆家になる気はなかったし歴史とかの暗記系が大嫌いだったので理系選択

高2になって、見かねた親が東大生の家庭教師をつける。俺が京大へ興味をもったのは、その先生の「京大単位が空から降ってくる(けど東大単位が逃げてゆく)」という言葉だった。折しも本屋大賞だかがきっかけで森見登美彦を読み始めた俺は、自由楽園としての京大への憧れを一気に膨らませた。当時の京大ホームページアクセスすると大学京都の町並みの影絵だけがボーンとあり、それを横にスクロールしていゆくと最後入口が出てくるといった具合で、他の「普通の」大学とは違うその作りに大いにワクワクした感覚を今でも覚えている(どこかに画像が残ってないだろうか)。

同時に両親とも激務で働く姿を見ていた俺は、会社員自由のない苦痛に満ちた職業というイメージ漠然と持ち始めた。そして自由自分のやりたいことのできる職業大学教授という安直な発想から研究者(当時は「研究」が何かも知らなかった)の道を志す。そのために必要要件も何人かの研究者の略歴を見て「早慶以上で博士課程まで行けばなんとかなる」という勝手イメージを抱き、結論として「京大に入る(滑り止め早慶)」ということだけを目標に高3に突入した。

大学受験(現役)】

再び受験生となった俺は、MMOを休止し何となく予備校に通い始める。当時クラスメートたちは進度の遅い高校カリキュラムを見限り、授業中も内職して予備校の教材をやっていた。だから自分もそんなもんかと思って高校課題は真面目にやってなかったのだが、5月定期試験で相変わらず下から一桁番目の成績だった俺は担任からこっぴどく叱られる。

「お前に学校予備校勉強を並行してやるのは無理だ。予備校を辞めるか、さもなくば学校を辞めて大検を取れ」

恐れおののいた俺はとりあえず担任の教科(数学)だけ予備校を外し、そこから漸く(自分なりに)真面目に勉強をするようになった。

学科は(高校の教科で言う)物理が好き&理屈ばっかりではつまらないという理由工学部物理工学科を選択首都圏学校だったので京大志望はクラス自分一人で、ちょっと一目置かれていた(単にハブられてただけかも)。しかし当然ながら、京大試験問題は難しい。特に積み重ねと言われる数学絶望的だった。でも当時はそこまで深刻には考えてなかったように思う。物理は高3になるまで運動方程式も知らなかったけど、一歩一歩ものにできている感覚があった。化学予備校の教材が奇跡的に分かりやすかった(何せ浪人時代予備校を変えたけど、化学はこっそり現役の時の教材で勉強していたくらいだ)。当時京大では理系でも国語二次試験があって、読書趣味から現文が感覚で解けてた俺には有利だった。元増田の通り、センター数学足切りしか使われないから出来なくてもノーダメージ。あとは英語センター地理を合わせて総合力で何とか、という作戦だった。

高校である教師が言っていた。

現役生はあらゆる点で浪人生より不利だが、唯一有利な点は『落ちたことがない』ということだ。

高3の俺は正にその状態だったと思う。模試でD判定をとっても、周囲が「E判定は良い判定」とか言い合ってるのを聞いて安心していた。試験前日も風邪リスクなど考えず、噂の折田先生像がいつすげ替わるのか番を張っていた(夜になって諦めたけど)。今から見れば完全にただの馬鹿だった。

そんな根拠のない自信は、試験帰りの新幹線慶応に落ちたことを知り、補欠だった早稲田にも繰り上がりはなく、そして3月10日を迎えて完全に打ち砕かれた。後日はがきで送られてきた俺の点数は、合格最低点に(全教科計1000点満点で)80点以上足りなかった。

大学受験浪人)】

私大早慶以外にも何校か受けており、そのうち1校には辛うじて受かっていた。浪人生活はとにかく苦しいと聞く。しかし極限まで肥大化した京大-自由楽園-への憧れと、早慶未満→研究は無理→会社員自由のない人生というイメージから俺は進路に迷った。結局家族で唯一理系だった祖父の「受かった大学師事したい先生がいるならよいが、そうでないならもう一年頑張ってみては」という言葉におされ、俺は浪人生となった。

もう現役のころのような希望はなかった。予備校京大クラスはそこにしかないため、満員電車を乗り継ぎ片道1時間半かけて都心の校舎に通った。中学受験ときは決まった休憩時間には遊べたが、浪人の間はあらゆる時間勉強に費やさなければならないのが本当に辛かった。趣味読書も一切禁じた。もし落ちたら奴隷のような一生しか歩めず、それだったらもう死ぬしかない。そう思いつめているせいか夜はなかなか寝付けず、自習時間や週末に眠り込んでしまうことも度々あった。クラスメートと一切話さず(結局誰一人名前も知らなかった)、昼休みは机に突っ伏していた俺は相当浮いていたと思う。

それでも振り返れば、この一年で俺の馬鹿は(お勉強の面では)だいぶ治ったと思う。物理は難度の高い問題をこなし、得点源といえる域になってきた。化学は詳しい理論(π電子とか)は理解できず丸暗記だが、現役時代と合わせて知識量はそこそこあるはず。国語感覚を廃した分析的な読みを一から勉強し、地理と合わせてセンターで大幅な特典増が見込めた。数学はやはりしんどいが、どうにか100/250点とれれば総合合格点に届く計算だった。

試験前日、俺はやっぱり眠れなかった。ホテルの有線音楽で聞いた『一年生になったら』がずっと頭の中を流れていた。興奮は当日になっても続き、寝不足による不調は感じなかったが、2日目の最後理科試験問題を開いて絶望した。物理が例年よりも簡単すぎる!差別化を図れる唯一の手段を封じられ、動揺した俺は同時に出された化学で手こずりまくった。絶望感とともに帰宅した俺は、迎えてくれた家族の態度から早慶に落ちたことを察し、今度こそ人生が終わったと泣いた。そこから3月10日までは後期(京大にはないので他所)の勉強をする気力も起きず、抜け殻同然の日々を過ごした。

ここでいつか使おうと思って、結局使えなかった話のネタを供養したい。俺は出願期間が始まって速攻で願書を出したから、京大受験番号は(学科を表す千の位+)8番だった。たしかその年の工学部の倍率は2.5倍くらいだった気がする。迎えた3月10日ホームページで見た合格者の番号は

1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 9, 11, ...

あの時同じ部屋にいたはずの10番は、今何をしているだろうか?

【その後】

結局俺は最低点には17点届いていなかった。そして死ぬだけの覚悟があるはずもなく、併願した某私大に進学した。この大学に現役で進学し、新歓の時期ばったり会った高校クラスメートの「一浪して○○大!?」という言葉が今も胸に突き刺さっている。

……とまあ、受験生を奮い立たせる目的ならこういう風にBad endで終わった方が良いのかも知れないが、どっこいこれもN年後の今では良い思い出である。あれから俺は京大とは別の国立大の院に進学し、今は民間企業への就職を控えつつ博士課程を終えようとしている。結局私大生活も十分すぎるほど自由だったし、現状研究者も中々自由が効かなそうだし、企業でも上手くマッチングすればかなりやりたいことが出来そうだった。後に残った傷といえば、森見登美彦が読めなくなったことぐらいである。

もちろんこんなのは結果論しかいから、これを読んでる受験生は悔いのないよう今の信念を貫いてほしい。しかしもし将来(受験に限らず)苦い思いをすることがあったら、それがどのようにして「良い思い出」に変わり得るかのヒントとして次の言葉を思い出してほしい。

人生には割と結果オーライな所があって、今の状態が悪いと過去の一つひとつがその原因のように思えてくるが、逆に今が良ければそれらにも意味があったんだと思えるようになるもんです。

これは今の大学である先生が仰っていた言葉だ。過去未来を決めるのでなく、未来過去意味づけるというとまるで(京大編の元増田の)「汗をかけ」へのアンチテーゼみたいだが、そうではない。大事なのはもし受験不本意な結果に終わっても、その後人生で「成功」するチャンスはまだまだ残されているよということだ。私大の院で着実に研究者への道を歩んでいる同期がいる。生涯の伴侶を見つけた後輩がいる。サークル趣味が高じてプロになった先輩がいる。俺だって京大に落ちなければ、今の研究(超絶面白い)には出会えなかっただろう。どんな道でもとにかく今が楽しいという状態にさえ持っていければ、きっと明日だって「落ちたことにも意味があった」と僻みなく言えるようになれるだろう。

全ての受験生と、かつて受験生だった皆が、新時代を迎えるこの年に「成功」出来ることを祈っている。

2018-12-16

数学IIBで0点とったことある

高校1年の定期テスト数学IIBで0点とったことある物理で15点、化学は30点、英語は35点ぐらいだったか中高一貫落ちこぼれてもう無理だと思って勉強全くしなかった。進級が危うくなり少し勉強して留年を免れてそのままズルズルと学校に通い続けて落ちこぼれのまま卒業した。センター試験日東駒専に受かったので入った。ひたすら劣等感を植え付けられた青春時代だった。だが中学受験経験者にありがちな変なプライドを見直すきっかけにはなったかなとは思った。でも「俺はできる!」って自信満々のまま生られたらどんなに幸せなんだろうかと思ったこともある…。一部の賢い人を除いて打ち砕かれるのが早いかいかの違いでしかないのかな。

2018-12-14

高校生の頃、電車痴漢にあった話

私の通っていたのは中高一貫女子校で、ぎちぎちに校則が厳しかった。

セーラー服スカート丈は膝下という決まりがあり、指定靴下はくるぶしか10cmの短いもの。(今は靴下が短いのが流行っているらしいけれど、当時は長いのが主流だった。今の子たちが羨ましい)

セーターやコートも勿論指定で、鞄につけていいキーホルダーは小さめのものひとつだけ。

まあそんな、校則かいくぐるのが学生というものだ。

スカートベルトを駆使して上げていたし(校則違反に厳しい先生が近くに居るときにはベルトを外したり、校内ではギリギリ怒られない程度の長さに留めておいたり)、指定靴下は極限まで伸ばしてソックタッチで止めていた。(伸ばしすぎて靴より上にあがってきた踵の生地が擦り減り、地肌が透けて見える子多数)

私もそんな生徒のひとりだった。

カースト上位でも下位でもない中途半端位置付けだった私のスカート丈は当時、膝より少し上くらい。校則より短いとはいえ、他校の制服と比べたら許容範囲、というか普通の長さだろう。

化粧なんて当たり前のように禁止で、カースト上位は薄付きのメイクを施したり、放課後にはばっちりメイクをキメこんでいたのだろう。

私はというと、大学に進学するまで化粧とは無縁だった。地味オブ地味。

そんな「蔑まれるほどではないけれどウェイ系にもなれない」ような、地味な女子高生生活を歩んでいたある日の朝。

当時、通学に使用していたのは日本でもトップクラスに混雑していると言われている路線で、その日もいつも通りに電車は満員だった。

私は出入り口のすぐ脇、椅子の仕切りが背凭れ代わりになるポジションに収まることができたので、「今日も混んでるなぁ」と思いながらも中のほうでもみくちゃになっている人よりは快適だった。

しかし、そのポジショニングがマズかった。

満員電車で、意図せず他人と向かい合ってしまうことがある。目の前には三十代くらいの男の人がこちらを向いて立っていた。

視線が重なるのは気まずいので、私は斜め下あたりをぼんやり見ていたと思う。携帯電話(当然本当は持込禁止だ)を出せるようなスペースの余裕はなかった。

異変が起きたのは電車が発車して、数十秒後。スカートがそろそろと捲りあげられたのだ。

私は驚いて前の男の人を見た。彼は下を向いていた。

(いやでもまあ、混んでるから捲れちゃうこともあるかも……しれない)

無理矢理納得させたのも束の間、なんと男がパンツの中に指を突っこんできたのである

(まじ!?!? ていうかわたし今日生理なんですけど!?!?

地味な学生生活を送っていたので勿論パンツの中に他人の指が入ったことはなく、咄嗟に「指、血ついちゃうんじゃないの……?」と謎の心配をしてしまった。

恐らくパニック状態だったのだろう。どうしていいのか分からないのではなく、「何かをしなければならない」という考えにまで辿りつけないほど。

男の人も違和感(多分ナプキン存在)に気づいたのか、奥までつっこむことなく上っ面だけをちょろちょろと撫で、それから次の駅で下車していった。

 

……いやいや、待て待て。

慌てて私も電車を降り、すぐ傍に居た駅員さんに「あの人に痴漢されました」と報告した。すると駅員さんはすぐに追いかけてくれて、私はひとまず駅員室に通された。

別の駅員さんに事情聴取みたいなものをされ、今あったことを説明する。言いながらようやく恐怖心を自覚して、喋りながら泣いた。

数分後、追いかけてくれた駅員さんが戻ってきた。逃げられたと言われ、呆然とした。

今後犯人が別件で捕まった場合のための書類を書かされながら、駅員さんに「電車内で『痴漢です』と叫んだほうが良い」とアドバイスをされた。

でもそんなの無理だった。目の前の知らない男の人にそんなことを言って(パンツに手を突っこまれている状況で)、何をされるか分からない。今でも出来ないと思う。

それから、「君も制服の着こなしを気をつけたほうが良い」とも言われた。

その言葉を聞いて、なんかやってらんないなと思った。

この程度のスカート丈でも駄目なのか。誘惑している側だという見方になってしまうのか。

私が膝下丈のスカートを履いていたら、あの男が罪を犯すことはなかったとでもいうのか。

「分かりました」と私は返したけれど、微塵も納得しなかった。

 

何が言いたいかって、

痴漢をされている人が「痴漢です!」と声をあげるのは難しい

 →もし痴漢をしている人間を見つけたら、助けてあげてほしい。私も助ける側の人間になりたい(未だ遭遇したことがない)

・「そんな格好してたら触りたくなっちゃう」までは良い。「そんな格好してたから触っちゃった」は問答無用でアウトだろ

 →思うのは自由でも、行動に移した時点で10:0で悪いじゃん。被害者側にも罪があるなんていう理論痴漢では一切採用しないでほしい

ということでした。

十年間ずーっとモヤモヤしてたか増田で吐きだして勝手スッキリさせてもらいました。

2018-12-13

anond:20181213102906

ことエスカレーター名門幼稚園については、その後名門大に入れるのがほぼ確約している事だけじゃなくて

そこで人脈を得られて大学から受験して入って来た人より人生有利になる事を考えたら

幼稚園の方が人生に与える影響が強い気がする

が、そもそもそういう幼稚園に子を入れられる親を持っている事が何よりも影響大だな

中学受験も同じだろ

そのまんま系列大学に入れる楽さとか、中高一貫で培われる人脈を求めて受験する人も多数いるわけで

そういう中学に入るか、普通公立中入るかで人生はかなり変わってくる

東大御三家から入らないと入学後も人脈なくて不利になるとか言うしな

中学受験コネやら寄付金ねじまれてるの多そうだけどな

2018-12-03

就活を控えた彼女に本を贈りたい

付き合って2年になる大学3年生の彼女がいる。

先日2人で食事をしていると、ふとオススメの本はないかという話になった。就職活動を控えているのに、自分社会を知らない、読書視野を広げられればという事らしい。

ところが、彼女子供の頃から読書の習慣が無いという。それどころか漫画ゲームすらあまりしないという。要は好奇心が乏しいタイプ。ただし、地頭は良くて中高一貫進学校から難関大学ストレート合格しており、現代文も得意だったという。

一方の私は、成績はイマイチだったけれど好奇心が強く、大学4年間で読んだ本は1000冊長。岩波文庫中公新書が三度の飯より好きという感じで、読書経験豊富なのだが逆に読書の習慣が無い人の気持ちがわからない。これは困った。

とりあえずはクリスマスプレゼントとして、比較的平易で内容に信頼の置ける人文、社会学の本を5冊くらい選んで冬休みの間に読んでもらってその上で好みを聞こうと思っているのだが、なかなかいい本が思いつかない。候補に考えているのは、『砂糖世界史』、『これから正義の話をしよう』あたりだが、思ったよりも選択肢に悩む。

そもそも読書量か異なる他人に本を勧めるのは難しいものだとは理解している。とは言え、放っておいて『日本国紀』みたいなのを読まれても困るし。池上彰あたりでも最近の雑さを見ていると良心咎めるので何とか指針になる良書を選んで、読書習慣のキッカケを作ってあげたい。

はてなー読書家の皆さん、何か良い案はないですかね?

女性と関わることができない

29歳独身童貞いない歴=もちろん年齢

小学校ときはいじめられて4年生以降はずっと不登校保健室ばっかり行っていた。

それを見かねた親が自宅学習してくれたおかげで、中高一貫男子校に行かせてくれた。

大学上京して理系単科大学へ進む。岡とか台とかにキャンパスがあるところで修士まで行った。

もちろんこの間女性と関わることなんてまずない。所属サークルヲタ系のサークル女子部員は一人もいなかった。学科にも研究室にも一人もいない。強いて言うなら事務のおばちゃん事務的な会話をするくらい。

サークル部員学科研究室の人たちと飲み会に行くことはしばしばあったが、女性の話をすることなんて一度もなかった。てか知り合いに彼女がいるって話を聞いたことがない。

大学卒業後はWeb系のエンジニア職に就職する。職場女性事務職の人しかいなかった。

ここで初めて女性と関わりがなかったことがどれだけヤバイことかに気づく。

自分の状況見かねた先輩が女の子を紹介してくれた。カフェに行って雑談しようとしたが、まず話すことができない。技術系の話題しかからないし、女の子と一緒にいるだけで緊張で悪寒がしてしまい、わず20分で解散する。

フィードバックも最悪なものいただき

それ以来先輩から女の子を紹介してもらったことはない。

去年祖母が亡くなった。その祖母にとって最も年長の孫だった俺は、死に目には会えたがそのときに「ひ孫の顔が見たかった」とぼやかれる。そのせいで、葬式中に親戚にめっちゃ叩かれ、費用は親戚持ちで某大手結婚相談所へ入ることになる。

しかし、自分からアプローチするということがことごとくめんどくさくて、会話のやり取りを一通するだけで終わるということがしばしば。コーディネーターの方が女性を紹介してくれるが案の定何も話せずに終わり、後日お断りと言う流れが計6回。

一年経って何も成果が出ないため、この度退会させていただくことになった。

ぶっちゃけ年収は同世代平均よりもかなり高いし、身長もそこそこある。デブでもハゲでもないしジム通いを今でもやってるから、身なりを整えて自分からアプローチができればなんとかなると思う。しかし、いかんせん今まで女性事務事象以外で関わったことが全くないため会話すらままならない。

周りを見ているとチラホラ結婚し始めていたり、学生時代同じく女性と関わってなかったオタサーの同期すら結婚する人が続出している。そのため、結婚に関してはだいぶ焦っているが、何をすればこの苦手を克服できるのだろうか。

2018-11-29

anond:20181128231115

中学受験したのにまた勉強かよ」と思って全く勉強せずにいたらドンドン落ちこぼれて中3くらいになると全くついていけなくなり、「もはやこれまで」と追いつくことも諦めて高2で留年(事実上の退学)の危機になったりしたけど結局卒業までいた俺からすると、中高一貫勉強できないことは結構辛いので不登校の原因である可能性は高い。小テストできないと昼休みに追試とかやらされたり居残りで補修授業とか追試とかさせられたりして劣等感植えつけられたし、自信がなくなると体育が不得意になってつまらなくなるし、友達との交流もうまくできなくなる。俺の場合部活には友達いたけどクラスにはあんまり馴染めなかった。自信がないから。親が一時期「期待はずれだったわ」みたいな態度とってきたのもキツかった。

と言うわけで気がすむまで休めばいいんじゃないかな。それか退学とか。俺の友達2人辞めたけど1人は美大行ってるし、もう1人は理系の中堅私大行ってるから辞めても絶望ではない。みんなで卒業なんてありえないのが私立中高一貫

2018-11-19

anond:20130818033214

女子浪人生(首都圏中高一貫出身)の地方大学受験だった自分場合、平日のため父は仕事、頼みの綱だったシフト制勤務の母の「私も仕事あるし」の一言により、親の同伴なしビジホ泊だった。

入学してからいろいろ聞くと、女の子は親同伴がほとんどだった。男の子も親同伴が多数派基本的に箱入り娘、箱入り息子ばかりなので、どの親も我が子を旅させるのが不安だったらしい。


格安ビジホの一人旅だったけど、旅費を出してくれて、受けられるだけありがたいと思ってたよ。増田には黙っててね、と言ってるんなら、自分の中で折り合いついてるんじゃない?

たぶん平日の話でしょ?時期的に卒業旅行Fラン大学生じゃないかな。真面目に受験してないやつに台無しにされたのは、聞いてる側も辛い。

2018-11-15

anond:20181115112531

中高一貫は六年かけて頭を同質化してるからツーカーなだけで頭良くない説はあると思う

anond:20181115095837

中学受験中高一貫進学校行ったクチだけど、そういうところこそ地頭いいやつらの巣窟だったぞ。

今でも中高時代同窓会とかあると、ふだんつきあってるノーマル地頭な人々とは会話の質や速度がまるで違うのでギャップに驚く。

2018-10-23

一人称

※筆者は女

小さいときのことはよく覚えていないが、多分自分のことを"あたし"とか言っていたと思う。

小学校に入って、高学年になり、親友銀魂オタクになった。所謂俺女だ。自分銀魂こそ読んでなかったものの、親友の姿がかっこよくて、真似して"俺"と言うようになった。最初はカッコつけだったけど、すぐにその言葉自分のものになった。

そして中学校に入り、全く新しい友達(中学受験した)とつるんでいく中で、だんだん精神が丸くなっていった。自覚はあまり無かったが、中高一貫の6年間ずっと一緒だった親友に聞いてみると、自分はえらく丸くなったらしかった。

そして丸くなったことで、新たな言葉を獲得した。"僕"だ。

その言葉はとてもしっくり来た。最初からそこにあったみたいに。"僕"と呼ぶことで、自分自身が性別を超えた、何かニュートラルものになれた気がした。性自認は全くの女だけど、語り手としてはニュートラルでいたかった。

"俺"はだんだん使わなくなった。高校に上がる頃にはもう全く使ってなかったと思う。

そして大学生になって、バイトをはじめた。普通飲食店ホール高齢者ばかり来る店なので、言葉遣いは厳しく指導された。

普段使う言葉咄嗟の時に出てくるから日常的に綺麗な言葉を使いなさい」というのを店長から口酸っぱく言われたものだ。いらっしゃいませ、とか〇〇円でございます、とか、定型文は覚えるだけでいいけれど、定型の会話以外のところでそれを痛感した。普段言葉に"です"と"ます"を付けた言葉しか咄嗟に喋れなかった。その実感があって、店長言葉自分の中で重いものになった。

プライベートな場面だけでも"僕"と呼び続けていると、いつか就職面接や、大事な場面でポロッと出てしまうかもしれない。そう思うとちょっと印象は良くないなと感じた。

"僕"という言葉自分ニュートラルに感じているけれど、世間一般ではそうじゃない。

その位置を占めるのは"私"だ。

やっぱり、今後のことを考えれば、"私"と言った方がずっといい。そう思った。

それで、頑張って言葉矯正した。半年もすればすっかり"私"が一人称になっていた。

しかし、"私"、もしくは"あたし"という言葉は、なんとなくしっくりこない。矯正効果バッチリで、無意識に出る言葉はもう"私"だが、そう言う度に違和感がある。"ぼく"よりは語感が良くないし。

この違和感はなんだろう。("あたし"はさすがに女言葉だけど)"私"と言っている限りはこれはニュートラル言葉のはずだ。なのにどうして。

2018-10-16

どうにもならない現実の話

 私は4年間恋をしています同級生女の子です。蛇足かもしれませんが、同性です。

 中学入学したばかりの時、寒い結構長い間外で待たなくてはいけなかったことがあり、その時に「寒いね」と話しかけてくれたのがきっかけでした。彼女は色白で、長身で、人が良くて優しくて、私は彼女に憧れて、惹かれて、気づけば周りの友達が恋と呼ぶものに落ちていました。初恋です。

 中二までは、よかったんです。一緒に登校して、一緒に時間が合えば下校して、お弁当食べたり、休日に出かけたりして、友達としてでも、仲良くしていたと思います

 私の通う学校中高一貫で三年になると上と下のクラス、発展と普通の二部に再振り分けされます。私と彼女普通入学しましたが、彼女は三年から発展のクラスに進みました。

いつからか、彼女は朝一緒に登校しなくなりました。また、お昼も一緒に食べなくなりました。発展のクラスの子と仲良くしている様子を見て、どうしようもない焦りが出てきました。

 取られる、とか、そんな異性性愛者が多い中思うわけはないでしょう。単に、私の人間性の無さが露呈したのではないか、という不安です。

 私はどうしようもない性格です、口を開けば皮肉愚痴。一緒にいて楽しい人ではないでしょう。可愛く言えば、素直ではないのです。頭の中で考えることが外に出すとなると、どうにも気恥ずかしくて、皮肉でも交えなければ伝えられないのです。だから、仕方ないなんて言うつもりもありません。きっと幾度も彼女を傷つけたでしょう、「う、刺さる……」「愚痴が止まらいね」苦笑交じりにそう言う彼女の姿が表情が声が、ふと脳裏に現れるときがあるのです。

 だから、発展のクラスと仲良くなって、私と離れて、「なんだ、あの子といると疲れるじゃない」なんて、おもわれてるんじゃないかなって。

 そう思い始めてから、偶然だと思いたいのですが、彼女が三度ほど私の約束ドタキャンしました。気づいたら呼び方あだ名ではなく苗字さん付けになっていました。皮肉癖は抜けず、久しく一緒に下校しても家に帰って自己嫌悪に浸るだけ。そんな生活一年間して、私の中のダムのようなもの決壊しました。

 忘れられてしまうくらいなら、すれ違うだけで死ねと呪われるくらい嫌われて恨まれよう。

内容は省略しますが、結果的に私は美しくて優しい彼女自分彼女への劣等感を全部、ぶつけました。たくさん言葉で切りつけて、彼女を傷つけました。それは諸刃の剣で私は自殺を考えるほどに罪悪感で吐き気を覚えました。全部、全部夢だったらいいのに。加害者なのに、私はひたすらに願いました。

 残念ながら、私のこの恨まれよう作戦は失敗しました。私の心が弱かったために。

体育祭彼女の両親に出会いました。縁でも切られるのだろう、そう思っていたのに彼女の両親は他愛のない話をして、去っていきました。

 彼女は、両親にすら、私に傷つけられたと言っていない?心の中が彼女への好きであふれて、尊いとすら思いました。その帰り、私は彼女謝罪し、謝罪し、謝罪しました。やっぱり、彼女は許してしまうのが、どこかゆるせなかった記憶がありました。

 それからしばらくして、今現在彼女とは顔もほとんど合わせない日々。喧嘩してるわけでもありません。ただ、私が恋を自覚しただけ。

 彼女は私を好きだといいます。私も彼女が好きです。違うベクトルで。

 友人がクラスメイトとお付き合いし始めました。私は異性とはそういう関係になりたいと思えません。彼女が好きです。彼女は私を"彼女"だと一度言いました。そんな冗談、言わないで。あなたの頭の中の人設計ではどこかに結婚があって、出産があるのに。

告白すればいいのに。」友人に言われても、あんなに傷つけた彼女告白?あの人はあんなに美しくて、優しくて、清廉潔白体現したような子なのに、傷つけた私が横に並べると思うのかと、責め立てる口調をどうにか飲み込む。あの人は私を好きじゃないのに優しくしてくる、許せない。だからあきらめきれないの!

彼女はもう朝の待ち合わせも、お昼も来ない。なんでかは知らないけれど、私のことが嫌いだったからだと嫌だなと思う自分勝手な私がいる。彼女には相応しい友人がいるはずだ、優しい賢いクラスメイトが。

 私は馬鹿皮肉屋で、利己的で。彼女と並ぶには相応しくない。

 

 二次元は当たり前のように女性同士のカップルがいる。それがどうしようもない私の現実から見ると少しうらやましい。だって彼女は私の好意が恋の方面からだという考えすらないはずなのだから

私は美人で優しいあの子がどうにもならないくらい、好きです。そして男に生まれていたら少しでも変わっただろうかと考えるだけ。

2018-09-17

そもそもエロ子供有害というエビデンスはあるのか?

エビデンスも無いのにエロいラノベ表紙に憤慨する親はバカ」みたいな話がしたいのではなくて、

本当にエロ子供有害なのか否かに関する「まともな研究」があれば紹介してもらえるとありがたい。

翻訳の無い英語論文でもOK

ここから先は、エビデンスの無い自分と周囲を見ただけの所感なのだけど、

男子子供の頃からポルノに耽溺すると、むしろ現実での性行動が抑えられるという傾向があるんじゃないかと思う。

エロゲーの円盤が大っぴらに「流通」していた中高一貫男子校で青春を過ごした身として、

一般エロの子供への悪影響とされている、早すぎる性交・成人してから性犯罪傾向といった性的逸脱行為助長、とは逆に作用している気がする。

2018-08-02

anond:20180802185404

そもそも医者なんて学力関係なく金があれば馬鹿でもなれるやん

ちょっとの成績の差でゴタゴタ言ってんのが逆におかし

問題意識を持つなら私立国立難易度の差だろ

私立なんてマーチレベルで受かるし

中高一貫私大なんて推薦(笑)で入れるんだぞ

杉田氏の文章を全文読んだ上で批評する

要約を最下部に載せています。全文読んでない方は要約も見て下さい。

反論

彼女エッセイの主張はシンプルだ。

A)そもそも日本は古来から同性愛に寛容だが、欧米同性愛者が迫害されてきた。社会構造が違うのに、欧米的な多様性容認していく流れを見習うべきという論調が目立つ。

B)多様性に寛容になり様々な性的指向を認めていくと際限がなくなる。「常識」や「普通であること」を見失うと秩序が保てない。

C)多様性肯定的報道はそれを助長することになりかねない。

以上が主な主張だ。反論は下記。

a)日本LGBTに寛容という点は、男色文化があるし同意できる部分もあるが、杉田自身が示した朝日新聞記事( https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html )に「『周りの人の多くは性的少数者偏見を持っていると思う』と回答したのは、性的少数者層の当事者の48%に上った。」「性的指向性自認に関する言葉嫌がらせを受けたことがあるのは、非当事者の10%に対し当事者は29%。」とある。これで、寛容といえるのだろうか。

b)際限がなくなる危惧理解するが、現状では際限をなくしたい訳ではない。いままで「常識」や「普通であること」の外にいる人も包摂した社会にしたい。それまで中にいた人にとっては苦痛だろうが、心の中まで犯そうとは思っていない。男と男が手をつないでいて違和感を感じたとしても、その違和感自体否定しない(違和感がないことは理想だが)。ただ、その人たちも同じ日本に暮らす仲間として受け入れ、そういうパートナーシップがあることを理解し、異性愛者と同様の社会制度を作って欲しい。

c)肯定的報道が際限のない多様性拍車をかけているという因果関係を具体的に示していないので、報道云々の箇所は論拠を示して下さいとしか言えない。(そもそも多様性は既に現に「ある」のに、どう広げるというのだ)

以上。

感想

枝葉に目をこらすと、看過できない表現もあった。

1、『LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がないのです。』

この文章が置かれている文脈では、議論右往左往しているので掴みにくいが、概ね下記の主張だろう。

日本では実際LGBT差別されているか疑問だ

  →LGBTの「生きづらさ」は親の無理解が大きい

    →親は自分の子供が同性愛者だと孫ができないのでショックを受ける

    →親の無理解クリアできれば、だいぶ「生きづらさ」は解決する

      →しかしそれは制度を変えることでは解決しない

  →そもそも社会は「生きづらい」のにリベラルメディア社会制度のせいにする

    →「生きづらさ」を自分で乗り越える力をつけさせるのが教育

    →「生きづらさ」を行政解決することには賛成する

      →しかし、行政が動くということは税金を使うということだ

        →子育て支援などは少子化対策という大義名分がある

          →しかし、LGBT子供をつくらないのに税金を投入すべきか疑問だ

しかに、少子化対策の枠でLGBT支援をするのは難がある。だが、全ての予算は「子供をつくる」ためにある訳ではない。「生産性」を広い意味で捉えたとしても、すべての税金の使いみちが「生産性」を追い求めるべきなのか。であるなら、クールジャパンファンド赤字を、ぜひとも批判してほしい。

なお、エッセイ後半の多様性容認のくだりをみるに、彼女が指す「LGBT支援とは、カップルに関することだけではなく、学校においてトランスセクシャル向けのトイレ制服を作ることも含まれていると思わる。性的マイノリティ暮らしやすく、「自分らしい」生き方ができる社会を整備することは充分に税金効果はあると思うが、そうした整備にも税金を使うことが躊躇われるようだ。

 

 

2、『「多様性時代から女性男性)が女性男性)を好きになっても当然」と報道することがいいことなのかどうか。普通恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねません。』

それは同性愛者だったということであり、「これでいいんだ」と思えたなら、素晴らしいことではないか

同性愛になるか異性愛になるかは、人にどうこう言われて変わるものではない。

 

 

3、『LGBTからと言って、実際そんなに差別されているものでしょうか。』

杉田氏は『成長するにつれ男性恋愛して、普通結婚していった』と述べてる。つまり、異性と恋愛せず結婚しない同性愛者は「普通ではない」というのだ。

一方、エッセイ最後で『「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく』とも書いてある。

『「普通であること」を見失っていく』の主語社会と捉えるにせよ、その発端は「普通でない」同性愛である

杉田氏は、同性愛者に対して「あなた存在は秩序を崩壊させる」と言っているのだ。

これが差別以外のなんなのか。

 

 

4、『自分の好きな性別トイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱です。』

藁人形である

文科省は通知を出していて「好きな性別トイレを使っていい」という指針にはなっていない。

トイレ多目的トイレ職員トイレ更衣保健室多目的トイレを利用することを推奨している。

http://www.mext.go.jp/b_menu/houdou/28/04/__icsFiles/afieldfile/2016/04/01/1369211_01.pdf


さいごに

私はLGBT当事者ではない。同性とセックスすることはあるが、あくまで性欲に紐づくものであって、愛に紐づくものではない。なので、基本的にはストレートだと自認している。

そして、前提として、日本無秩序にしたい訳でもない。

従来の「ふつう」以外も認めて欲しい。そして、「ふつう」以外の人も包摂する社会制度を再設計したい。

もちろん、いままでの「ふつう」を崩すとどこまで崩すのか、と不安になる気持ち理解できる。

私は、他人に深刻な不利益をもたらさない限りで、かつ、従来の根本的枠組(人の定義etc.)の延長で、最大限の多様性を許容する社会制度

また、「同性を好きになったり、同性とセックスするヤツは気持ち悪い」と思うのを止めたい訳ではない。思うのは無意識化だから仕方がないことだ。

それを個人的感情にも関わらず「ふつう」という、さも一般化した言葉に置き換えるのをやめて欲しい。

杉田氏や反LGBTの人も含めた、すべての人が最大限の幸福を得られる社会になってほしいと心から願っている。

参考:杉田エッセイの要約

LGBTで各新聞キーワード検索したところ、朝日新聞毎日新聞記事数が多い傾向があった。この2紙はリベラル系でありLGBT権利を認めて支援する動きを報道することが好きなようだが、違和感がある。背後には権利を守ることに加えて、LGBTへの差別をなくし、その生きづらさを解消してあげよう、そして多様な生き方を認めてあげようという考え方が伺える。

しかし、LGBTからといって実際に差別されているか疑問だ。私は自分の友人が同性愛者でも気にしないし、職場でも仕事さえできれば問題ない。多くの日本人も同様ではないか

キリスト教イスラム教社会は、教義によって迫害されたり命に関わる問題にもなっていた。一方で、日本には同性愛者を「非国民だ!」という風潮はないし、迫害歴史もない。むしろ寛容な社会だった。欧米日本では社会構造が違うのに、日本マスメディア欧米を見習うべきという論調が目立つ。

LGBT当事者から聞くと、親に理解してもらえないことの方が社会的な差別よりつらいという。親は自分の子供が自分と同じように結婚して、子供をもうけてくれると信じているから、それができない同性愛者だと分かるとショックを受ける。LGBTの両親が受け入れてくれれば、日本はかなり生きやす社会になるのではないかしかし、これは制度を変えれば解決できるものではない。

リベラルメディアは「生きづらさ」を社会制度のせいにする。しかし、そもそも世の中は生きづらく、理不尽である。これを自分の力で乗り越える力をつけさせることが教育目的のはずだ。「生きづらさ」を行政解決するのが悪いことではないが、動くには税金必要である

・例えば、子育て支援子供ができなカップルへの不妊治療税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分がある。しかし、LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものなのか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がない。そこに税金を投入することが果たしていいことなのか。にもかかわらず、行政LGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。

・ここまでLGBTという表現を使ってきたがLGBと、Tは分けるべきだ。トランスジェンダーは「性同一性障害」とい障害であり、自分の脳が認識している性と自分の体が一致しないというのは辛いだろう。政治家として、医療行為を充実させることは考えていいことかもしれない。

・私は中高一貫女子校出身だ。女子校では、同性の同級生や先輩が疑似恋愛対象となるが、それは一過性で、成長するにつれ男性恋愛して、普通結婚していった。しかし、マスメディアが「多様性時代から同性を好きになってもいい」と報道したら、普通恋愛して結婚できる人まで、「これ(同性愛)でいいんだ」と、不幸な人を増やすことにつながりかねない。

朝日新聞調査LGBTが281人、自分が男女いずれでもないと感じるXジェンダーが508人、性自認性的指向が定まっていないQ(uestioning)が、214人いた。合わせて1003人にもなる。LGBT世間が騒ぐから「男か女かわかりません」という高校生が出てくる。また、思春期から社会の枠組みへの抵抗もあるだろう。(記事https://digital.asahi.com/articles/ASL3K32F4L3KUBQU002.html

・多様な性に対応するために、自分認識している性にあわせて自由制服選択できることに肯定的報道をよく目にする。例えば朝日記事で「多様性、選べる制服」。また、オバマ政権下では公立学校において、自分認識した性に応じて更衣室を使えるように通達を出した。果たして、それはいことなのか。Tに適用されたら、LやGにも適用される可能だってある。自分の好きな性別トイレに誰もが入れるようになったら、世の中は大混乱する。(記事https://withnews.jp/article/f0180330006qq000000000000000G00110601qq000017068A

最近LGBTに加えて、QやIやPなど訳が分からない。なぜ、男と女の2つではいけないのか。パスポート性別欄に男でも女でもない「X」と記載できる国がある。タイでは18種類の性別があるというし、Facebookでは58種類の性別が用意されている。冗談のようなことが本当に起きているのだ。

・様々な性的指向も認めたら、同性婚容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚や親子婚、はたまた、ペット婚、機械結婚させろという声が出てくるかもしれない。どんどん例外を認めると、歯止めが効かなくなる。

・「LGBT」を取り上げる報道は、こうした傾向を助長させることにもなりかねない。朝日新聞が「LGBT」は、冷静に批判してしかるべきではないかと思う。「常識」や「普通であること」を見失っていく社会は「秩序」がなくなり、いずれ崩壊していく。私は日本をそうした社会にしたくない。

記事リンクは、筆者が探した。杉田氏が示した大阪版とリード部などが異なるが、本文はほぼ同一。

2018-06-30

anond:20180630150652

私は現在20代後半になる男で、高校生なるくらいまで医学部を目指していた。

別の道に進んだ理由ひとつとして、自分には元記事増田のような「助けたいという志」が自分の中にまったくないと感じたからだ。翻って、それは「医師は使命感を持ってなるべきだ」という自分で言うのもなんだがピュア道徳観が強かったのだ。

父を含め親族医師の多い家で育ち、都内中高一貫男子校に進学し順当に医師になる環境は揃っていた。先に私は助けたいという志がないという理由を書いたが、その感覚小学生の頃から薄々とあったもの学問としての医学は好きで医学部に入ることはまんざらでもなかった。

しかし、高校生ときに両親が急逝したこときっかけに、私は医師の道へ進むことをやめた。

それは、医師になることがふつうという環境から解放され、先に書いた自身には人を助けたいという志がないことを見つめ直すきっかけになったからだ。

誤解のないように書くが、私が両親から医師になるように押しつけられるようなことはなかった。むしろ好きなことをさせてくれたという記憶しかない。それでも、私が志などなくても医師になろうと思う程度の空気が家の中にあったのだと思う。

そんな別の道に進んだ今の私は医師になった人に対して必ずしも志がなくても良いと思っている。

もっと言うと、志が空回りしている医師が怖い。

そして、現場疲弊しているのに、否が応でも頑張らないといけない環境が怖い。

私は医療の現状を知り自分ライフプランをきちんと大事にする元記事増田を私は応援したい。

それで崩壊するような医療は、さっさと崩壊してしまっても良いとすら思う。

たぶんそれは「白いバベルの塔」だ。

2018-06-27

中学受験算数

中学受験算数意味からな過ぎて数字が嫌いになった。

小学校算数普通にできたんだけど中学受験算数はできなかった。

算数って運動と一緒で何度も繰り返し練習することでできるようになる科目なんだよね。

俺は全然受験勉強をやる気がなかったからそういうのやってなかったんだよね。

理社は暗記したり常識的知識があればできたし国語漢字文法の暗記と文章が読めればできた。算数だけは本当に嫌いだった。

理社国で点を取って算数計算問題や基本問題を正解することでなんとか合格したんだけど入学してからがひどかった。

数字に苦手意識を持ってしまたことで数学IAが全然できなかった。ちょっと難しいところがあると、どうせ無理だとあきらめてしまった。

物理化学数学みたいな感じだったから嫌いになった。

そんな感じで理系科目で躓いた俺はどんどん落ちこぼれになって最終的に下から数えて10番以内の成績になった。

中高一貫なので高校には上がれたが高1の時に数学IIBと物理化学英語赤点とって留年危機になった。

その後何とか留年回避して文系クラスに行くことで数学から逃れ、文系大学に進学した。

中学受験算数好きな人面白い問題だっていうんだけどただただよくわからんなと思ってしまう。

算数嫌い。

2018-06-21

26歳、未だに初恋の子が夢に出てきて辛い

自分には高校生の頃から10年近く付き合ってる彼女がいる。

高校生でつきあって、大学就職と、楽しいことも辛いことも一緒に経験してきた。

今では同棲していて、自分相手もまわりもそのうち結婚するだろうと思っている。

彼女のことはとても大事だと思ってるし、彼女以外と結婚も考えられない。

でもたったひとつこの気持ちが揺らぐときがある。

小学生の時好きだった初恋女の子が夢に出てくるときだ。

の子は気が強く大人びていて、学級委員になるような優等生タイプだった。図書館に通いよく本を読んでいた。自分のあまり知らない世界をたくさん知ってる彼女にとても教養を感じていた。自分でも本を書いていたようで、それを見つけてからかったら、今までにないほどにらまれたこともあった。

男子人気はあったと思うんだけど、気が強く男子ともよくケンカしてたから、「あいはいいや〜、こえ〜し」みたいな感じで少し敬遠されてる節もあった。

自分はその子のことが好きだったけど、好きだから付き合うなんて発想もまだなく、ただその子のことを意識していただけだ。

中学進学。

の子結構裕福な家庭で頭も良かったので中高一貫私立にいってしまった。

そして自分はそのまま公立中に進学した。

それっきりだ。

お別れだっていうのは前々から言葉ではわかっていた。でも実際に中学生になって、本当にあの子とすれ違うことすらなくなってしまった。

そうして、自分気持ちに気付いた。

の子が好きだったのだ。

それからはずっと、悶々とした日々を過ごした。

の子は、自分の知らない私立中高一貫世界で、自分の知らない人たちと、自分の知らない経験をしてる。

かたや自分はというと、あの子がいない、ぽっかり穴の空いた世界毎日を過ごしてる。

会いに行くなんて勇気はなかった。

ただの小学同級生が会いたいから会いにきた、なんてキモいに決まってる。

からただ、その子の家の近くを通るたびにすれ違いを期待していた。

高校に進学しても、ずっと思い焦がれていた。

同じ街に住んでいれば、いつか会うこともあるかもしれないと思っていたけど、結局ただの一度もなかった。

中学3年間まるまる会わなかったのに、いきなり会いに行くなんて不自然だ。そんな勇気自分にはなかった。

大学生になって、県外の大学に進学した。もう万が一にもすれ違うことはないと思うと、この思いはますます強くなった。

この頃丁度Facebook流行った。

恐る恐る検索をかけると、でてきた。

死ぬほど可愛かった。ドキドキした。

あの頃の面影を残したまま大人に成長した彼女がいた。

彼女も他県の大学に進学していた。

今は大学生だ。お金時間もある。

会いに行けるんじゃないか

彼女を思う度にそう考えたけど、結局、会いに行くことはなかった。

そんな勇気はなかった。

ひとつ、チャンスだとおもっていることがあった。

成人式だ。

会えなくなった中学生のときから、このタイミングだけは絶対あえると楽しみにしていた。

の子は遅れてやってきた。

一目見たときドキッとした。

いる。

やっと会えた。

でも結局、なにも言えなかった。話しかけることすらできなかった。

何年も待ちわびた成人式で、昔と同じように何も出来なかった。

自然に話すことのできる最後のチャンスを棒に振った。

そこから、この思いはこじれた。

とにかく好きだ、と言いたかった。

好きだった、でも良い。

気持ちが大きくなりすぎて、別に付き合いたいわけじゃなく、この気持ちを吐き出したかった。

それくらい辛かった。

よく夢を見るようになった。

の子がでてくる夢。

いつも偶然の再会から始まる。

決まったパターンだ。

勇気を出して話しかけてみると、自分のことを覚えてくれている。

「あの頃好きだったんたんだよね」

しかけるとき以上の勇気を持ってそう言った。

ずっと言いたかたことが言えた。すごい満足感、充足感を覚える。

すると、はにかみながら、

「あたしもだったよ」

そう返ってくる。

その瞬間の幸せさったらない。

これより幸せな瞬間は、自分人生にはないってくらいだ。

そこからお互いの彼氏彼女の目を盗み、逢瀬を重ねる。

ただおしゃべりするだけなのに、馬鹿みたいに幸せな夢。

そして幸せ絶頂の中ふと目が覚める。

当然となりにあの子はいないし、会うことすらも叶わない。

さすがに普段は、なにもその子のことを考えていない。

なのに半年に一度、一年に一度その夢を見るたびに、その子のことを引きずってるんだってことを意識させられる。

夢の最中あんなに幸せなんだから

夢が終わると、吐きそうになる程気持ち悪くなるんだから

もう自分リアル彼女の姿をまったく知らない。どんな性格になっているのか、なにやってるのかもわからない。

自分の中の理想通りに成長した、存在しない幻想彼女がいつもいっとき幸福と、莫大な虚無感を運んでくる。

そんな女は存在しないし、実際会えたとしてもなにもかもが違うだろう。

歳を重ねるほどに、袋小路に迷い込んでいる。

どうやったって今更なこの気持ち

どうして忘れた頃に、またこんな夢を見せるんだ。

今日は一日中このことを考えていた。

もう疲れた

昨日、夢を見てる最中は本当に幸せでいっぱいだった。

でも現実には、もうあの子出会うこともないだろう。

あの夢を見ながら、死にたかった。




[追記]

思った以上に反響いただいていて嬉しいです。

ありがとうございます

実はこれ一カ月以上前に書いたものなんですがさすがにキモいかなと思ったのと、冷静じゃなかったんで寝かしておいたものです。

一カ月たってみてもなおキモいですが、まぁそのときの本当の気持ちだし埋もれさせとくのももったいないなと思って投稿しました。

本当に普段全然未練なんてなくて、彼女ともうまくいっているし、とても大切に思っています。この件も「自分が好きだと言えなかったから叶わなかった初恋」として、良い思い出に昇華できてると思います

でも、この夢を見るタイミングだけ、猛烈に上に書いたような気持ちに襲われるんです。

きっともうどうやっても叶わないことがわかっているからなんでしょうね。

これさすがにキモいって自覚はあるので誰にも話したことなかったんですけど、こういう気持ちを吐き出せて、さらに反応まで返ってくる、ここって良いところだなと思います

みなさん本当にありがとうございます

心にに荒波がたつのはこの夢を見たときだけ。

ただ、夢を見ないように祈るばかりです。

それにしても、これだけ反響あるなんてやっぱりよっぽどキモいんですね。

生活で誰にも話さなくて本当よかった。。。

2018-05-26

会社乗っ取りたい

わたしには弟がいる。彼はポンコツだ。

親に尻を叩かれ受験をしたおかげで中高は私立の一貫校に入ったが、すぐに落ちこぼれ学年最下位常連大学も2浪したが志望校には落ち、結局マーチレベル大学に進学した。もちろんこんな感じなので就活は悉く失敗。お情けで父の経営する会社入社した。

一方でわたし特筆するほど優秀ではないが、弟よりはマシだと思う。中高一貫女子校に入り、大学は現役で早慶レベル大学に進学。就活も人並みに上手くいき、外資系企業入社した。

弟のことは嫌いではないが、特段仲が良い訳でもない。ただ両親はわたしよりも弟のことを可愛がってたように思う。

そのような中先日、前述したように会社経営する父が弟に会社を継がせたいとわたしに話してきた。まさかと思った。

そんなに早く父が意思決定するとは思ってなかったし、そしてまさか弟に継がせるなんて正気なのかと思った。

かに大学卒業してすぐに父の会社に入っているので会社のことは私より知っているだろう。ただそれだけで会社経営することはできるのだろうか。

から明言されてきたわけではないが、わたし自分がいずれ会社を継ぐものだと思っていた。そのためにも実力主義外資系企業に入り経験を積み、いずれは父の会社に入って後を継げればと考えていた。

これまでは何がなんでも自分が継ぐ、とは思っていなかったが、どうやら父はわたしに継がせるとは微塵も思ってもなさそうなことを知った途端、急に何がなんでも自分がという気持ちになってきた。

今は父が健在なので会社もすぐには傾くことはないだろうと思っている。しかしいずれポンコツ弟が継いでしまえば会社はどうなるかわからない。

とにかく父が苦労してきた会社を潰したくはないという思いがある。弟がどこまで責任感を持って会社のことを考えているかからない。

これはただのエゴなのだろうか。

誰にも期待されていないのに謎の使命感に駆られているだけだろうか。

それでもわたし会社乗っ取りたい。

2018-04-23

anond:20180423181540

慶應青学男子大学生立場だと友達が男なのに痴漢に遭ったとか普通に聞く

中高一貫の私学に電車で通っていたか中学高校時代に遭ったという話もザラ

少年はとっさの反撃をしにくい弱者なので少女同様に狙われやす

2018-04-20

anond:20180420040908

人それぞれだろう…としか言えないけど

流石に、そこにつっこんでそうする、という知識はあるだろうが…

まぁ実際にあった話だと

中高一貫で、中学生だとまぁ男性器の構造なんて知らないとか

高校生でも朝立ちなんか知らなかった子もいる。

とにかく男子性的なそういうものが無理!って子が多数いる気がする(だから女子校選んだのかなぁと思う子もいる)。

名称からなくて保健のテストボロボロな子とか居たね

まぁ逆に出産知識とかを授業でしっかりやるので(そりゃもう水中出産映像とか見る)高校生はその辺詳しくなるが

妄想が激しく実際とはなかなかかけ離れたレベルの話をしてた気がする

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