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2021-06-13

ウマ娘 ジェミニ本質情報

強いと言われてる追込・先行メタデバフネイチャを作って入れろ もしくは追込を潰す準備

スピスタSSまで上げろだとか情報錯綜してるけど、タウルス杯がどうなったか思い出してほしい

事前準備してたウマは全部 ス タ ミ ナ 不足だった ということを

原因は主にデバフネイチャの流行だが、ジェミニ杯もそうなる価値がある。

理由は2つあって、

1.そもそもスタミナがきつい

上位層はスピスタSSステータス燃費めっちゃ悪いので金回復2個以上用意しようと言われてる。

逆に言えば、スピードSSにしたかったらそのくらいスタミナがないと失速するということだ。

まりデバフでスタミナを削って金回復1個分潰したらめっちゃキツいのだ

上位層はそれ込で多少の余裕を持った準備をしているが、微課金情報を集めない課金層はギリギリのスタミナで準備する。

仮に、ネイチャ一人分耐える回復を用意していても、廃人のウマにも襲いかかるのは

スキル不発の恐怖だ。

さて問題です。デバフで金回復1枚分のスタミナを削って金スキルが一つ不発したらどうなるでしょう。

答えはスパートもロクに走れないカスウマの誕生です。

負けますね。

2.廃人層は意図的にネイチャが広まってほしくないから黙ってる

ウルス杯のようにデバフ環境になるとどうなるか廃人はよーく知ってます

完全なる賢さ運ゲー突入するということを。

廃人なんだし、金回復いっぱい用意すればいいじゃん?と思うあなたはまだ攻略情報を集めきれてません。

詳細は割愛しますが、ウマ娘で使いやすい安定して使える金回復スキルの数は非常に限られています

そのため、どんなに頑張ってもスタミナの準備には限度があり、きつーいデバフ環境になった途端に

確率運ゲー突入します。

例えば、追込で強いゴルシ、タイシン共に強い金回復スキルは2種類を用意できるけども、それが限度なのでデバフで削りきれる圏内に入っているのです。

デバフで削ってしまえば、賢さ次第ではあるけれども、3割~4割の確率で追込がゴミになってしまうというのは廃人からしたら恐怖でしかない。

ジェミニ杯ではこんな感じのステータスキャラが多数登場するのはずなので、絶対デバフネイチャは大活躍しますよ。

祖母余命宣告をされた

祖母余命宣告をされた。

まりにも気持ちが整理できず、色んな思いが錯綜毎日が辛いので今の気持ちを書き記したい


僕は20代社会人一人暮らし

幼い事から両親が共働きで帰りが遅い為、小学生の頃は毎日祖父母に面倒を見てもらっていた。

から人一倍祖父母とは親しいと思うし、仲も良いと思う。

中学生になり、塾にも通い出し祖父母と一旦距離を置いてしまったが

高校時代では祖父が送迎をすると言って聞かなかったので、言葉に甘えて送迎されていたので

この時も晩飯も一緒に食べたり、勉強する為に祖父母の家に閉じこもったり、いっぱい面倒を見てもらった


大学時代は県外に出て、一人暮らしをしていた為、あまり合う気機会が無かった。

そしてその間に祖父ボケてしまった。毎日の様に話し相手になっていた僕が居なくなったので

会話をする機会も減り、体調を一度崩し入院した事も相まって、今では要介護レベル3になり

施設にいるが、コロナの影響で2年程顔も見れていない。


大学卒業し、社会人になる時に祖父母宅に近い、アパート一人暮らしする事にした。

一人暮らしになってしまった祖母を少しでも助けれるようにと、自分からそうした。


そして数日前、祖母が緊急で入院をした。そして膵臓がんステージ4であった事が判明。

発見が遅れた為、もう手術はできない。十二指腸全てが、がんによってひっついてしまうぐらい進行しているらしい。


入院する前日、僕は祖母晩飯を一緒に食べた。

その時、ちょっと胃が痛いなぁと言っていたので、明日病院言ったら?と一声かけた。

祖母もそうだねと言い、翌日通いつけの病院に行き、血液検査をしたら、肝臓の数値があまりにもおかしいので

大きい病院で再度、検査をした所、膵臓がんが発覚。


いきなり過ぎるよ、祖父母の中で一番元気で、一番長生きすると思ってたおばあちゃんがあと長くて2ヶ月なんて。

抗がん剤使ったらもう2週間以降は寝たきりなんて。あまりにも短すぎるよ。。。


今日病院に行ったらおばあちゃんはいつも通りに元気そうに、僕の名前を呼んでお見舞いありがとうと言ってくれた。

その顔を見る度に、涙が無限に溢れてくる。おばあちゃんはまだ病名を知らないので、いつ頃退院できるんだろうねぇとか

おじいちゃんいつ頃、面会できるかなぁって言うんだよね。もう2週間しかこうやって話したり、笑ったり、出来ないのに。


残された日数、毎日面会して、おばあちゃん生き様をしっかり見届けようと思う。


この年になるまで、祖父母が全員、健在してた為、初めて本当に身内と呼べる人が亡くなるであろう状況になったけど

こんなに辛いとは思ってもいなかった。


鼻水と涙で顔がぐちゃぐちゃになってきたのでこれぐらいにします。

2021-05-31

矛盾ガイドライン

矛盾って何でだめなの」と質問されたときあなたは答えることができるでしょうか。

レスバトルでは議論錯綜してくると相手矛盾についてまるでペナルティカウントするようにあげつらわれるようになります

しかそもそもなぜ矛盾相手欠点として指摘されるのでしょうか?その根拠はなんなのでしょうか?

我々は矛盾を指摘されると「矛盾なんてない」と納得させる方向性で弁解する癖がありますが、「矛盾はいけないことではない」という方向性自分瑕疵に対する認識是正させる人がいないのはなぜなのでしょうか?

どうにも矛盾というものに対して、単なる価値観から忌避するあまりでなぜ矛盾がいけないことなのか説明できない人が多いように感じます

私も同様なので「矛盾 なぜ駄目 知恵袋」などと検索したものですが箸にも棒にも掛かりません。

そこでいくつかの類型にまとめたうえで、それぞれの是非について書きたいと思います

ほこたて

まさしく故事の通りに「この矛は何でも貫き、この盾は全てを防ぐ」と言った場合、この発言意味を決定できなくなります

それは悪いことであるというよりは、「何が言いたいのかはっきりしてよ」と言いたくなる場面です。

ただこういった単なる支離滅裂な主張が矛盾として指摘される機会は多くないと思います

不可避型

何か言語的な働きかけを行ううえで矛盾が「不可避的」に発生する場合です。

たとえばメタ不寛容という概念があります

不寛容人間がいたとする。この人間に「寛容であれ」と注意したとき、「その注意は不寛容人間に対する不寛容であり、矛盾だ」と反駁される。

こういった状況に対してメタ不寛容という概念が持ち出され、矛盾を解消する方向で注意の正当化が図られます

しかそもそも矛盾は解消されなければならないものなのでしょうか?

不寛容人間に対して注意するということは、寛容な人間に対してはそれをしないという意味では確かにそれ自身がある種不寛容行為と言えます

でもそれをするよりほかに不寛容人間不寛容行為をやめさせることは困難でしょう。

ある目的に至るための遂行のうえでこのような矛盾に陥ることが不可避であるとき、それは不可避型と呼べます

この矛盾はいけないことなのでしょうか?「意味が分からない」という類のものではなく、意思疎通に支障を来すようなものではありません。

そもそも目的のための遂行のうえで不可避というなら、仕方ないと考えられるのが合理的判断に思えます

棚上げ型

自分に非があることを認めたうえで、相手にも同種の非があると迫るような場合を指します。

ある掲示板での実例ですが、擁護派とアンチが言い合う構図が延々と続いていたわけですね。

そこへある人が加わって「おまえらそんな不毛なことしたって世論は変わらんぞ」と書き込む。

両派お互いの立場を主張し、譲らない。それどころか「そういうお前は何なの?」という態度。

物分かりが悪そうな人たちを憂い、不毛さを説き続けた結果、「お前こそこんな掲示板に何時間も書き込んで自家撞着じゃねーか」と言わてしまう。

そこでその人は「矛盾している自覚はあるが一度書き込んだ程度ではお前らは聞かないだろう?だったら一緒に地獄に引きずりこんでやるよ」と言う。

不毛であることを認めてそのような不毛書き込みをやめたらなば、潔く掲示板を去ろうということも言っていました。

ようするに、私は非を認めるからあなたたちも非を認め省みなさい、ということですね。

不可避型に通じるところがあります。これも意味が分からないというような矛盾でありません。

しろ、同じ穴の狢になってでも目的のためならば行動していくという点で、目的意識が明確です。

自覚のうえでの矛盾なら、自分を棚上げしてでも何かを成し遂げるという心意気のある矛盾なら問題ないと思います

答えが出るまで動かずにいるくらいなら矛盾を抱えて後悔するほうがましだ byクロム

ㅤㅤ

いくつかと書いたくわりには三つしか挙げられなかったのですが、類型化できる状況は他にもあるかもしれません。

まとめると1つ目が正真正銘意味を成さな矛盾で(しかし悪いとは言ってない)後半二つがそうではない矛盾です。

意味を成さないようなものではない矛盾に対しても、批判したりして口をふさぐような言動は「意味を成さない」と思いますし、矛盾について考えたことがないような人、思考停止した人に見えてしまます

2021-05-03

恋愛弱者男性存在必然

ここでいう弱者男性とは、恋愛における弱者である経済的・肉体的弱者を指さない。

定義曖昧にしているので議論錯綜するのである


進化生物学とか、進化心理学とかいジャンルがある。

人間の不可解・非合理的な行動を理解するには、進化過程から紐解く必要がある。


また、傾向と個々の個体の趣向は別である

全体としての傾向の話をしている時に「私は違う」という例外を持ち出されると議論が進まない。


我々はサルである

サルとは、ヒトを除いたサル目のことであり、生物学的にいえば、ヒトはサル一種である

諸兄は既に、サピエンス全史(上・下)をお読み頂いているはずなので、詳述は省くが、我々の本能は400万年から10万年前までの間に形成されている。

農耕を始めたのは1万年ほど前からだ。

法という考え方が生まれたのが4000年ほど前だが、呪術物事を決める習わしは、2000年ほど前まで続いている。

産業革命が200年前。ホワイトカラーが単なるオフィスワーカーとなって50年ほどだ。

自由恋愛結婚するのが当たり前になって何年だろうか?


しかホモ・サピエンス本能は、10万年から基本的に変わっていない。


男は女とセックスがしたい

およそ400万年前のホモ属の祖先は、ある選択をした。

男は、セックスがしたいので女に給餌した。

女は、よく給餌してくれるオスに、見返りとしてセックス提供した。

自分で餌を確保するメスより、オスに貢がせるメスの方が生き残り、子孫を増やした。

これは、あなた方が選択したのではなく、その選択をした個体の子孫が生き残ったという話だ。

400万年の淘汰の結果、我々の本能は、そのような男女関係最適化されている。


男は本能としてセックスがしたい。なぜなら、セックスに興味のない個体の子孫は残らないからだ。


女は格上の男が好き

ホモ属のメスが、より安定的繁殖を行うのに最適と判断するオスは、基本的に屈強なオスだ。

餌の確保とは、狩猟に依らない。

自分よりも劣ったオスが集めた餌を強奪する方が、より労力がかからいからだ。

法や治安誕生する前に、暴力的に強いオスに、性的な魅力を感じるメスの子孫が残った。

不良やヤンキーオラオラホストモテるのは、これが遠因である


から女は本能的に、格下の男に性欲を感じない。生殖をしたいとは思わない。それは本能から


メスは本能的に、強いオスに性的な魅力を感じる

弱者男性が、性的女性から相手にされないのは、生物学的に当たり前なのである

選択肢は二つに一つしかない。1. 強くなるか、2. 諦める。


しかし多くの民族は、第三の選択肢を採用した。

この第三の選択により、本来は生き残らなかったはずの、恋愛弱者男性遺伝子も残ってしまった。(恋愛弱者女性も含む)


それが皆さんである


ヒトは生まれながらに業を背負っている

現代に住む我々は、個々人の選択によって男女関係を作ったのではなく、400万年かけて現在の男女関係本能)を作った種の末裔なのである

セックスが欲しくないオスは、メスに給餌しなければいい。巣作りも必要ない。

だがヒトの本能は、セックスを欲する。

昔、禁欲するために坊さんになる男ってのは、恋愛弱者だったんだろうな。

フェスに行った彼氏検査を受けて欲しい

千葉県で開催されている野外フェス彼氏が行ってしまった。彼氏一人暮らしだし、親にうつ心配もないのだろう。

しかし私は父母どころか祖父とも同居してるわけで。

会うならPCR検査とかも受けて欲しいけど、無症状だとしてどのタイミングで?どう頼めばいいの?情報錯綜しててわからない……

2021-04-24

[]西山茂行氏の「ウマ娘エロOK→2次利用NG騒動時系列順に

ずっと話題を追っていて徹夜気味の頭で書くので、細かい誤字脱字やミスがあっても大目に見て欲しい。



セイウンスカイニシノフラワーオーナーエロ同人誌を嫌だと思うのだろうか」という旨のツイート投稿される


オーナー西山茂行氏、そのツイートエゴサーチ発見し(重要!)、「わしは全然OK話題になるだけで嬉しいんですよ」とリプライする

(※現在削除済み。スクリーンショットhttps://imgur.com/a/CJQ4gGx


そのツイートを見た不特定多数が「セイウンスカイニシノフラワーエロ同人が解禁された」と判断する


西山氏、他のアカウントへのリプライで「ただし許可を取るように」という旨のツイートをする(も、時既に遅し)


情報拡散し、中には明らかな捨て垢が「おもちゃにして良いって許可出た!!!」とツイートするなど、騒動が大きくなる


騒動を察知した西山氏、「わしも今回誤解を招くツイートをして申し訳ありませんでした。【うちの馬の創作2次使用エロ使用、固くお断りします。】」という旨のツイートをする


普通ファンアートをアップするのもやめた方がいいですか?」という質問に対しては「わかりません」「意味がわかりませんのでお答え保留します」と答える


こういうのは取り急ぎまとめないとどんどん尾ヒレが大きくなるので書き記しておいた。

ウマ娘」の権利関係については既にいい増田があったので下にリンクを張る。

端的に言うと馬主に「ウマ娘」の二次創作を直接禁止する権利はない。

[ウマ娘]ウマ娘関連の創作に関する妄想の多さに驚く

https://anond.hatelabo.jp/20210317171527

個人的感想を述べさせてもらえれば、馬鹿捨て垢は論外としても、西山氏もよく分から発言しているせいで情報錯綜を招いた面はあると思う。


追記

西山氏、全年齢向けの2次創作なら可という見解を表明 https://twitter.com/seiun0005/status/1385718281592446978

繰り返しになるが、馬主には「ウマ娘」の二次創作を直接どうこうできる権限はないため、行き過ぎた発言修正したという見方が正しいように思える。

2021-04-08

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともとは赤木智弘氏がフリーターという就労状態から立ち上げた洞察で、基本的には「属性弱者派>経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

弱者男性っているの/誰なの」樹形図(暫定版)

弱者男性をめぐるイメージは人によって違う。当事者の間でも批判する人々の間でも違う。それぞれの人の中で意味が違うもののために、あるいは違うものに対して、十字砲火が続いてわけがからないことになっている。無理に定義をしようとすれば、それだけで違う立場人間同士がもめ始める。というわけで、いろいろな記事増田ブコメの数々を参考にして、自分が把握できた範囲で「弱者男性っているの/誰なの」の広がりを示す樹形図作ってみた。ぜんぜん「漏れなくダブりなく」ではないし、要約も雑だし、論理的おかしい部分もあるけど、あくま自分用のメモとして。



「いるよ派」の色々な主張を見てみたところ、まず「属性弱者派」と「関係弱者派」という大きな流れがあり、それぞれの中では「経済弱者派」と「性的承認弱者派」が突出しているように感じた。両方を意識している「総合弱者派」の中にも、弱者男性所得が低いか女性とも関係を持てない(性的承認の不足は経済力の低さの二次的結果である)という見方経済最終審級派)と、所得やその他の属性がどうであっても、女性他者関係を持てていないこと自体弱者男性の生きづらさの核心だという見方関係最終審級派)がいる。前者には「所得さえ充分に高ければ、容姿や年齢が社会的に不利だったとしても女性との関係を持てる(持てた)可能性はある」という含みがあるが、後者は、所得多寡とは必ずしも直結しない独立した問題として、関係承認の不足をとらえている。荒っぽくまとめると、弱者男性は「貧乏で、結果として非モテでもある男性」か「非モテで、その一因が貧乏にもある男性」のどっちかとして語られがちだ。

なお、弱者男性論と絡めて登場しがちな「KKO」(キモくて金のないおっさん)という概念提唱した田比岡(一柳良悟)氏は、KKOについて語るときにまず『根源的なさみしさ』に言及していた。https://togetter.com/li/825742 彼は「金だけの問題にすると、そこから抜け落ちてるキモい人たちはどうなるんだ、っつうことが言いたいわけで」「根源的なさみしさは、それ単体で、お金を払って引き取ってもらえるものではないのよね」とし、「キモくて金のないオッサンの経済的な困難でない部分、すなわち公的客観的定量的なところではないところ」を考えたい、としていた。これを更に言い換えてみると「キモくて金のないオッサンの〈私的で、主観的で、定性的なところ〉」となり、しかもそれは田比岡氏の中では「根源的なさみしさ」と紐づいている。何となく男性性という殻の中にある柔らかく傷つきやすい部分の機微に触れるような感じで、これはまだ我々の社会がうまく言語化しきれていない要素のように見え、個人的にはもっと知りたいと思う。

あと「弱者男性」についてのイメージは、個々人がどの時期に、どのルート弱者男性という概念に触れたかによって大きく異なる可能性があると思った。歴史的にみると、弱者男性論はもともと赤木智弘氏がフリーターという就労状態をもとに立ち上げた切り口で、基本的には「属性弱者派」のうちの

経済的弱者派」に近い論調だったが、一方で関係への渇望も滲んでいた。それがどこかの時点で非モテ論と結びついて「関係弱者派」的なニュアンスが深まっていったように見える。最近非モテ上昇婚・負の性欲・インセルエマ・ワトソンなどが「弱者男性」という言葉とともに論評されてたりして、弱者男性概念性的承認との結び付きがより強まっている印象がある。こういう歴史的変化も、弱者男性をめぐるイメージ錯綜を招いているように感じた。

何か思いついたらまた追記するかも。

2021-03-23

CBDもアシュワガンダもよくわからん

アシュワガンダは一日2状でそろそろ1ヶ月くらいたちそう

精神が安定しないでもないような気がしたけど、近所トラブルでぶちキレちらかしたりもしたし、本当にメンタルに影響出てるか微妙

iHerbの投稿にはやる気が無くなったっていう報告が上がってたけど、自分真逆で今まで頭の中でぐるぐる回していただけのことをががが!っと立て続けて実行して、ここ一月ほどはいろいろ進展があった

もっとこう心が落ち着いて小さいことに動じなくなるような、クール精神状態を期待していたので思ってた効能と違うんだけど

まぁ2ヶ月は続けたほうがいいらしいし、まだ残っているから飲むけどね。iHerbで2000円もかからなかったし別にいいけど

メンタルだけじゃなく抗酸化能力もありそうで、身体には良いのではないのかなー。知らんけど

問題CBDですよ

CBDさぁググってもふわっとした情報しか出ないんだよね。慢性的な痛みに効くかもしれない…、睡眠にいいかもしれない(睡眠にいたっては睡眠の質を下げるかもしれないとか情報錯綜しててマジかよって感じ)

研究レベルでも200mgとかの高用量摂取てんかん抑制効果があるくらいかな?普通CBDは下手すりゃ500mg/10mlとかで、下手すりゃ一回の摂取は10mg以下とかになるレベル

一度に200mgの摂取とか高用量過ぎて金額的にペイできないレベル

あとてんかんには効いたけど、酩酊のような副作用もあるようなので、サプリとして日常的に使うのに高用量のCBD摂取ちょっとない感じ

とはいえ自分はそれでも市販品の中では高用量の3000mg/10ml の8000円くらいの高いオイルを購入して服用してるんだけどな

容量低くしたせいでなんの効果も無い、なんていう切ない結果は嫌でした

ここ数週間CBDオイルを早朝や就寝前に4滴づつ摂取してるんだけど、お察しの通り何も感じないし身体的な変化もあまりない

ちょっとだけ我慢が効かなくなって、深く物事を考えずにえいや!って突っ込んでいくようになった気もするけど、一般的に言われているような、睡眠の質があがった…みたいなのは…うーんどうだろう。少しはあるか?

今思い起こすと、若干良くなっている様に思えなくもないけど。アシュワガンダの影響もあるしなー

もっというと毎日1時間くらい瞑想しているし、それの影響もある気がするしなー

ちなみにご飯食べたあとに腕に赤い湿疹が出るのは相変わらずです

これは多分ストレスが原因なんだけど、ストレスの原因はたくさんありすぎてどれが本当の原因なのかよくわかりません

ビットコインの上昇で年収20年分くらいの資産がここ一年で増えたのが環境変化としてストレスになっているかもしれないし、在宅勤務の長引きとか、個人ビジネスでの対人関係が原因かもしれないし、謎です

そもそも健康問題メンタル問題解決するのにサプリに頼る、とかいうなめた考えがいかんような気もする。

でも瞑想とか運動とか食事とか出来るところは改善しているし、それ以上となると、やっぱりサプリ周りも開拓していきたいっていう気持ちもある

睡眠の質考えるなら、CBDとかアシュワガンダみたいな遠回りのサプリじゃなく素直にメラトニン飲んだほうがいいような気もしてきた

何事にも感情を動かされない、心を反応させない、悟り状態になりたい

こういうのはサプリじゃ不可能なんだろうなぁ。他人環境社会も変わらないし変えられないのだから、そういうのにとらわれることこそがすべての不幸の源なんだよ

頭ではわかっていてもそれを体感で明確に実体験で捉えられていないところが、悟れていない感じ

そろそろ瞑想真剣に向かい合う時が来たかもしれない。予想はしてたけどやっぱりサプリでは何も解決されないよな

2021-03-14

ぶっちゃけ映画秘宝ってあそこまで燃えるような話じゃなかったよな

的外れ批判クリエイター側が感情的に噛み付いてしまったってだけだし。

性別が逆ならむしろ映画秘宝側が擁護されたまである

それでも映画秘宝炎上したのはひとえに彼らがポリコレAlly的なポジションにいたからで、

アンチポリコレ側にしても映画秘宝燃えるのは都合が良かったからにすぎない。

なかなか正義錯綜してるよな。

2021-03-12

私は被災していないんですけど、

 うちの会社は未だに朝礼があるし、その上5分間スピーチ的なものもある。

 昨日のスピーチ担当は、後輩だった。彼女は、今日は3月11日ですね、と前置きをして、震災の話をします、と口火を切った。私は10年前はもう働いていて、この会社被災したんだよな、とか、帰宅難民になって会社夜明かししたな、とか、情報錯綜していたから、山形大学にいた妹が心配で胸が張り裂けそうだったな、だとか、そんなことを思い出していた。

 彼女は、私は実は被災していないんですけど、と言った。

「私はその時イギリス留学していて、日本時間12日の日に震災について知りました。ものすごく驚きました。イギリスでもニュースで繰り返し地震映像が流れていました。日本はすごいことになっているのに、私は普通に大学に行っているのが不思議で、でも日本にいたらあの中にいたんだなと思ったら怖くて。同級生がそんな私を慰めてくれました。絆を感じました」

 彼女は可愛らしい声で、五分間そんな話をしていた。あまり温度差に、私はギョッとしてしまった。

 私の会社東京にあって、朝礼に出ていた人たちはみんな被災者だ。東京震度5津波被害はなし。それでも、主任の家は千葉にあって最寄駅が液状化したと言っていたし、私たち計画停電の中で、震えながら仕事をした。私は家に帰って、蝋燭に火をつけて生活していた。そういう思い出がまだ生々しく残る中で、被災していない彼女が「地震を遠くで見て怖かった覚えがある」と平気で話しているのを、私は呆然としてみていた。

「今でも、あの日のことは忘れられません」

 彼女はいい話をしたかのような顔をして、話をまとめた。いつもはスピーチ後に、おざなりではあるが拍手が起きるのに、誰も拍手しなかった。部長が困った顔で、

「まあ、うん。みんな2時46分になったら黙祷よろしくね」

とだけ言った。彼女は神妙な面持ちで、こっくり頷いていた。

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(1)

日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。

芥川龍之介河童

どの作品を入れるべきか迷った。古典翻案に見られる知性とユーモア晩年作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。

河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界架空言語に魅せられたのか、その理由はわからない。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン雪の女王

アンデルセン小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。

で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。

ところで、ディズニー作品価値貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニー普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)

グレッグ・イーガン祈りの海」

「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンニュートンアインシュタイン物理学自力発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者エンジニア最高、政治家宗教家文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。

そうしたえぐみ比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。

カズオ・イシグロ日の名残り

友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代適応できない英国執事物語である

彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものから登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。

カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。

ミシェル・ウエルベック素粒子

彼の作品不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかった。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい

作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯思考した書物である

ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人

僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。

そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物意識から別の人物意識へと、外界の描写連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。

灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。

ミヒャエル・エンデはてしない物語

さえない少年万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれしまう。これは主人公異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式チートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白小説なのに、その小説現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。

ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆メッセージストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。

円城塔文字渦」

基本的自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉文字物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。

元々SFの人だけれども、最近日本古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。

遠藤周作沈黙

どうしてこれほどあなた信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやか奇跡あなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。

以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。

ただただ弱くて情けない人物遠藤周作作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。

イタロ・カルヴィーノ「冬の夜一人の旅人が」。

男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。

世界文学パロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマ物語レベルメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。

ダニエルキース「アルジャーノンに花束を

知的障害者チャーリーゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者セックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。

チャーリー女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。

天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」

素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。

アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。

人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙意味があるのか。

人類運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。


進む→anond:20210301080139

2021-02-03

anond:20210203135914

なるほど一理ある。

 

この話、現代日本物語としてはどうか? 子供教育としてはどうか? 女の子向けとしてはどうか? 正義ヒーロープリキュアとしてどうか? でそれぞれ結論が異なるよな。

正義ヒーローとしてのその話きいて、自分の考えてたことと全然違うので、だから議論錯綜するし白熱しちゃうんだなと思った

2021-01-28

anond:20210128161220

そこの論点錯綜していることについてはすまないと思っている。

基本的には男に対しては幸せになってもらいたいと思っているが、それよりも重要な前提として人口の維持があるということは書いておかなければならないと思った。

2020-12-06

anond:20201205155542

東京動線がまとまってないからとにかく人とぶつかる印象。駅の通路など錯綜してる。

大阪は多くの場所左側通行が徹底されていてあまりぶつからない。法律的には歩行者右側通行だというが、ともかくどちらであれ徹底されているとあまりぶつからない。

2020-12-04

付記:悪意としての文学

anond:20201204140145

 文学というものは悪意を前提に描かれる場合もある。

 自分が十五歳だった時に、この道徳教科書についての授業が行われたんだけど、その時こんな課題が付された。「この物語の続きを書きなさい」

 元々この挿話「カーテンの向こう」はヤコブという名前ヘブライ系の男が主人公の話らしいんだけど、授業で提示されたのは現代日本ローカライズされたバージョンだった。しかも、「ナースコールを押せる状況下で押さない」というひと押しが追加されていた。

 「物語の続き」と聞かれた時に、自分の中でその続きは完全に決まっていて、つまり、「窓際のベッドを譲られた男もまた、他の患者たちに優しい嘘をつき続ける」というものだった。これは一つの典型的な答えではあったのだけれど、この答えを提出した時に、当時の担当教師が我が意を得たりとばかりに頷いていたのを覚えている。


 トラバに従って「カーテンの向こう 指導案」で検索してみたところ、指導方向性についての示唆PDF形式で大量に表示されることとなった。しかし、これらを見るにつけ違和感が膨らんでいくことしきりであった。「人間愛を育む」「思いやりの心を育む」。授業の方針として並べられている言葉――この物語の教訓は「人間愛」なのか? 「思いやり」なのか? と。

 嘘をつく窓際の男、その窓際の男と成り代わる別の男、そして見えてくるうらぶれた壁。

 この物語を読んで、「いやー、人間愛って素晴らしいですねー」などと感想を宣う人間がいたら自分は「なにいってだこいつ」と思うだろう。どうにも、物語の主旨と、そこから導かれる教訓との間に大きなズレがあるように思えてならないのである

 結論から言えば、この物語の主旨は人間愛ではない。

 苦しむ窓際の男を放置する男、嘘をつく窓際の男、現れる灰色の壁。そして、嘘をつくことでしか表現できなかった優しさ。

 あるいは、窓際の男は、自分がこの世から去った後に行われる営みを全て熟知していたのかもしれない。自分の代わりに窓際のベッドを譲られた男が、一体何を口にするのか、それを意識しなかったということはないだろう。つまり、彼がついていた嘘が全て優しさから成っていたかと問われればそこには疑問があるということだ。また、この窓際の男もまた、これより以前に別の男から窓際のベッドを譲られている可能性もある。そう考えた時、物語の筋は錯綜し、その中に優しさと悪意によってあざなえる一つの輪が浮かび上がってくることになる。そこにあるのは縄ではなく、優しさと嘘と悪意によって紡がれた一つのなのだ

2020-10-31

anond:20201031172507

迷惑って同性婚合法化運動の足を引っ張るってこと?

それとも単純に議論錯綜させるだけだから合法化の賛成派だけでなく反対派の迷惑にもなるってこと?

2020-10-29

カフカかい流行らない作家がいる

 勿論タイトル釣りで、カフカは全世界に影響を与えたユダヤ人かつオーストリアチェコ)人なわけですけど。

 独文学というとカフカカフカというと独文学。そんな感じですよね、実際のところ独(語)文学においてはトーマス・マンとかゲーテとか他にも様々な著名な作家がいるわけですけれど、カフカはその研究テーマとしては比較ポピュラーな御仁でありますユダヤ人の家庭に生まれ生地である現在チェコプラハ言語に依らずドイツ語にて創作を目指したカフカの、ミステリアス人間性はその作品群に対しても同様に、謎めいたベールを投げ掛けています

 カフカ文学をお読みになられたことはございますでしょうか。まあ僕もそれほど熱心な読者とは言えないかもしれないのですが、とりあえず『変身』・『城』・『審判』のほか幾つか著名な短編を読ませて頂きました。まあカフカ作品の特徴は、感情的な部分を敢えて抑制するところにあります。勿論十分に感傷的な部分を持った短編とかも散見されるのですが、基本的に、感情の伝達、あるいはその伝達の手段としての文学というものカフカはあまり信頼していなかったのではないかとも思われるのです。というのは、基本的に作中人物達は様々な問題に取り囲まれていることが多いのですが、弱音を吐くことがあまりなく、ついでに言えば仮にその感情というものが滲み出るにしても、基本的にそれはレトリック暗喩といった形によって示されるので、はっきりとした感情というものが作中に表れるということは稀なんですね。この辺に、カフカ抑制的な人格と、コミュニケーションそれ自体に対するカフカ立場というものが表れているように思われますカフカ基本的コミュニケーションというものを信用しておらず、また、コミュニケーションを通して自分自身人生をくつろげるものに変える努力に関しても、冷ややかな見方をしてきたように思われるのです。

 コミュニケーションという営みは人間基本的に切り離せないもので、人間はそれを用いて自分人生他人人生コントロールしようとします。しかし、そのような一般的コミュニケーション立場と、カフカコミュニケーションに対する立場は明らかに違うように思われますとはいえカフカの立たされていた環境を考えれば、我々が用いるようなコミュニケーションのあり方と、カフカにおけるコミュニケーションのあり方との乖離は、さして驚くべきものではないでしょう。

 つまりカフカユダヤ人でありかつオーストリア人でありかつチェコ人と呼べる極めて国家国民性というアイデンティティが複雑に錯綜した人物であったからです。これはカフカ研究においては極めて一般的な基礎知識ですが、カフカ現在チェコに当たる地域で生まれたにも関わらず、その日常においてはチェコの土着言語を用いずにドイツ語を用いました。また、当然のことながら創作においてもドイツ語を用いておりました。チェコで生まれながらにしてチェコ語を使うことを許されない――つまりカフカ自身の持つ言語によってさえ一種の疎外を受けていたと言えるわけです。超基本です。

 カフカにとってコミュニケーションとは――なかんづく、コミュニケーション根本的に支える言語というものは――自身人生リラックスさせ、他者との間に健全コミュニケーションを成立させる、我々における言語のあり方とは少しばかり違うものだったということです。カフカは生まれながらにして一種異邦人であった、ということですね。この「異邦人」という記述はもはや陳腐な言い方なのでしょうがしかしやはりこの視点カフカ理解する上では切っても切れない重要な点となりますカフカはそのアイデンティティの複雑さ故に、生粋異邦人でありましたし、そして彼が用いる言語レトリック基本的に、一種生存戦略だったのです。要は、植民地支配を受けた国家国民が土着言語を用いず宗主国言語を用いるのに近い、生存戦略の一環として言語を用いる生活を送ることが、彼の人生においては定められていたのです。我々にとって言語人格は複雑に結びつき、そして、自身人格感情を表す際に、極めて重要役割を演じます。恐らく、この世界におけるほぼ100%近い人類が、言語に対してそれと同じ感覚を抱いていることでしょう。しかカフカにおいてはそれは事実ではありません。

 カフカ作品群において、カフカ言葉によって感情を語ることはありません。カフカが語る感情は、物語構成依存しているか、ないしは物語中における舞台装置によって、つまり暗喩によってのみ語られることとなります。その、感情表現の大いなる欠落が、カフカ文章における特徴ですらあるのです。あるいは、それは仏教における「見立て」の感覚に近いかもしれません。つまりは、一種の擬似的な曼荼羅と言いましょうか、物事物質をある特定の配置に並べ変えることで、何らかの物質を超えたメッセージを贈ろうとする試み。枯山水現実自然を表すように、カフカはある種の機械や道具立てによってのみ自身感情説明しようとし、翻って言うならば、カフカは直接的な表現によって感情説明しようとなどしなかったのです。感情の欠落。

 この「感情の欠落」が文学の特徴であることは明らかにカフカが作り上げた文学の一潮流と言えると思います。後年の作家であるトーマス・マン文学においても、感情内省と言うべき人間の心のあり方が、敢えて描かれない抑制的な文体の影を見ることができるように思われます感情とはなんなのでしょうか? コミュニケーション言語は、我々にとって慰めと言えるものなのでしょうか? カフカはそれに対して否と答えます言語は、必ずしも我々に結びついていない。同時に、言語を基底として成り立っているコミュニケーションもまた、我々に属していない。我々は、根本的に言語によってコミュニケーションを取ることができない。

 しかしそのコミュニケーションへの失望結論ではないのです。何故ならカフカは、コミュニケーション失望をしていてさえなお、小説ものしたのですから

 何故カフカ文学を書いたのでしょうか? 文学自己表現である、という一般的見方と、カフカ文学的なあり方には乖離があるように思えてなりません。カフカにおいては寧ろ、文学自己から自己への感情乖離です。いわば自己自己に対する乖離のものです。

 そのような営みは、恐らくカフカ人間性に淀みを与えているようにさえ思えます自己自己に対する分離、乖離を通して、恐らく彼の感情も一部彼から乖離し、分離していたからです。そのような営みが、彼にとって一体何だったのか? それは我々には想像するほかありません。短絡的に考えれば、その営みは、その乖離と分離の営みは、単純な自己破壊行為であったと断じれるかもしれません。自己から自己を分離し、乖離させることは、明らかに自己にとって好影響を及ぼす行為ではないからです。とは言え、彼の行為は本当にその自己破壊目的にしていたのでしょうか? あるいは、世の人々が芸術家小説家に対してしばしば言うように、彼は文学というものを用いて、彼の生命生活痕跡世界に残そうとしたのでしょうか? それも、疑わしいと僕には思われます。つまりカフカ文学コミュニケーションに対する諦観なのですから。そこには、コミュニケーション言語に対する深い諦めの影の姿を見て取るほかないのです。

 結論から言えば、カフカ文章を書いていたのは、恐らく乖離目的とした、逃避行動だったと言えるでしょう。そして同時に、彼は自己から自己乖離させることによって、一般論的に自己省察を深めようとしたのでしょう。敢えて、自己から自己を分離させることによって、自己省察可能対象として対置する行為が、彼の文学目的の一部だったと言えるでしょう。


 このような記述文学における一般論範疇を出たものではなく、彼の人生文学目的は未だもって謎に包まれていますカフカに限らず、一部の文学者は、そして小説家は、コミュニケーション媒体である文字言語を用いながらに、コミュニケーションを諦めているのであり、つまりは何かを伝えようとしながらに、我々に対して何も伝えようとなどしていないのです。あるいは、最終的には彼らのような小説家の目的は、一言によって表せられるのかもしれません。

 つまりは、彼らは何かを諦めたかったのであろうと。

2020-10-13

anond:20201013005228

京阪神のなかでは大阪さんダントツでやっぱり多いです。

でもきっと人の行き来が多いからで、都市宿命かなぁ。

大変な時は情報錯綜してて、しかアルコールはどこにもない

せっけんも高騰、マスクもない、という状況だったので

しかも折角感染者が減っていたのにまた自粛解除で増えたりしましたけど

(当時は医療系にもゆきわたってなかったのは、今後の課題になりますね)

「ないのでマスクできない」「消毒したいけどどこにも売ってない」

2020-10-01

ネタバレ注意】『ラッシュライフ』の章題「最高時速240キロ場所から物語が始まる」考察

※※ご注意!※※

伊坂幸太郎著『ラッシュライフ』(新潮社刊)の伏線考察であり、トリック的な部分に深く触れています。未読の方はこの記事を閲覧しないことをお薦めします。

作家伊坂幸太郎さんの人気作『ラッシュライフ』。

画商と画家プロ泥棒新興宗教信者精神科医サッカー選手失業した男・・・つのストーリーが併走する、巧緻な群像劇ミステリーで、とても好きな作品である

先日、書店に行ったところ、作家生活20周年を迎えた伊坂さんのフェアがスタートしていて、伊坂さんのインタビューが載った特別記念冊子も置かれていた。このインタビューの中で「二十周年だから明かせる、作品に関する秘密」はあるかと質問された伊坂さんは、『ラッシュライフ』について興味深い発言をされていた。

ここに引用してみる。

ラッシュライフ』の冒頭の章扉に、「最高時速240キロ場所から~」と書いてまして、ある機会に一度話したことがあるんですが、あれって物語構成示唆している伏線なんですよね。その分野に詳しい人が、「あれ?」と違和感を覚えて、読み終えた後に、「そういうことだったのか!」と喜んでくれるんじゃないか、と期待していたんです。ただ、意外にそういった声は聞こえてこなくて、独りよがりだったかなあ、と少し反省しています(笑)。当時、最初の一行目にヒントがある、というのをやってみたかったのかな。


この「物語構成示唆している伏線」というのが気になってしまった。

引用文では「最高時速240キロ場所から~」と省略されているが、正しくは「最高時速240キロ場所から物語が始まる」。伊坂さんが話しているように、章扉に書かれている一文なので「章題」と呼ぶべきものだろう。

自分は『ラッシュライフ』は複数回読んでいるが、そういえば、この章題をさほど気に留めたことはなかった。

章扉の次ページからラッシュライフ』の本文になる訳だが、その始まりは「画商と画家」のパートだ。画商の戸田画家の志奈子は得意先回りのために「のぞみ500系」に乗車している。

から当然、「最高時速240キロ場所」とは、この「のぞみ500系」のことだろう。今まで単純にそう思いながら読んでいた。

これの何が「伏線なのだろうか?

1人でただ考えていても見当がつかず、何か手掛かりはないかと「のぞみ500系」でネット検索してみた。

すると、あれっ?と思う結果が出たのだ。

のぞみ500系」は2010年に引退し今は走ってはいないが、運行していた時の最高時速は「300キロ」だというのである

「240キロ」ではない。

では、この章題は、間違っている・・・

まさか「間違っていること」が「伏線」なのか?

やはり考えても分からなかったので、さらに『ラッシュライフ』の再読を進めることにした。

すぐに、あることに気づいた。

のぞみ500系」ではない、新幹線名前が登場するのだ。

文庫版(初版)だとp.21、ここから新興宗教信者」のパートが始まる。仙台駅近くの喫茶店で、信者河原崎がコーヒーを飲んでいるシーンだ。

河原崎がぼんやりと窓から眺めているのが、ホームに入ってくる「MaxやまびこE4系である

そこで、「MaxやまびこE4系」も検索してみた。

この車両2012年に引退しているそうだが、それはともかく。

その最高時速。

「240キロ」だった。

これはいったい、どういうことなのか。

重大なネタバラシをしてしまうと、『ラッシュライフ』は数日間の物語だが、時間的に古いエピソードから順に書かれている訳ではない。作者は5つのパート時系列を崩して配置しているのだ。その配置によって、異なるパート登場人物たちが接近しているように見えたり、時間を隔てたエピソード連続して起きているように見えたりする。そう見えることがさらに謎を生み、ストーリー錯綜しているように読者は錯覚してしまう。本書の読みどころは、その「騙し絵」のごとき、巧みな構成だ。

具体的に言えば、前述の戸田と志奈子の「のぞみ500系」乗車シーンは、冒頭ではあるが、実は物語の「いちばん古いエピソード」ではない。

では、時系列としての「ファースト・シーン」はどこなのか。

それがはっきり分かるのが、p.450からの本文。仙台駅前に白人女性が立っている。彼女スケッチブックを手にし、街行く人に声をかけて「好きな日本語」を書き込んでもらっている。登場人物たちがスケッチブックに書き込んだ順番がここで明かされることで、物語の正しい時系列が判明するのだ(本書には、このスケッチブックエピソード以外にも、読者が正しい時系列を把握するための描写が随所に散りばめられている)。

さて、スケッチブック最初に書いたのは、誰だっただろう。

それは「新興宗教信者」の河原崎だった。

時間的には、『ラッシュライフ』は河原崎のパートからスタートするのである

河原崎は喫茶店から、最高時速240キロの「MaxやまびこE4系」を眺めている。

最高時速240キロ場所から物語が始まる――

この章題は、「間違い」などではない。 

これは「MaxやまびこE4系描写されているシーンから物語が始まる」という意味だ。

物語の真のスタート地点」を暗に示した「伏線」だったのだ。

伊坂さんはインタビューで正解を語っていないので断定はできないのだが、「物語構成示唆している」とは、こういうことだろうと推測する。

インタビュー中の「その分野に詳しい人」とは、鉄道マニアのことだろう。

かに鉄道に詳しくないと、自力でここが「伏線」だと発見するのはかなり難しい。

鉄道が話の筋にに大きく関わる訳でもないのに、「500系」「E4系」と車両形式まで書かれていることにまず疑問を持つべきだったのだが、残念ながら今までまったく気にせずに読んでいた(戸田と志奈子は「のぞみ500系」を降りた後、東京食事をし、仙台へ向かうためにまた新幹線に乗るのだが、その場面では、ただ「東北新幹線」と書かれているだけ。愛称車両形式も記されていない。問題伏線とは関係ない新幹線なので描写する必要がなかったのだろう)。

それでも、伊坂さんからのヒントによって、こうして『ラッシュライフ』に秘められた、伊坂さんの洒落っ気、遊び心を知ることができて嬉しい。この作品がより好きになった。

最後に、『ラッシュライフ』の5つのパート構成については、『文藝別冊 総特集 伊坂幸太郎』(河出書房新社刊)に、詳細な「時間事件相関図」が掲載されているので参照するといい。

2020-08-27

町山氏とネオぐら氏のアレ (追記あり)

まず最初に、町山氏のTweet(https://twitter.com/TomoMachi/status/1298612025535340545)はかなり微妙引用元の要約にしてはあまり乱暴真実を100、嘘っぱちを0とするなら、甘めに見ても23くらい(個人の感想です)。現時点で得られる情報に基づくならね。

ちなみにネオぐら氏の一連のTweet(https://twitter.com/neogratche/status/1298882337430675458)は73くらい(個人の感想です)。

町山氏のTweetを見たとき衝動的にブクマらなくて良かったわ。後で調べようって気持ち大事よね。せっかくなので少し話してみようと思うわ。

要約:

・Jacob Blake氏への射撃時の状況は、情報錯綜しており正確なところはまだわからない。

・(たぶん)右翼系の人たちが武装と集合を呼びかけたのは事実。建前上は"守るため"らしいが攻撃暴力示唆する発言有り。Infowarsのくそったれがこれを紹介して拡散した。

17歳少年カイル・リッテンハウスライフル担いでケノーシャへ。そして3人を殺傷(正当防衛と主張するのは厳しい)。(町山氏の言うように)BLMへの攻撃扇動した事実はない。むしろ"扇動された"側の人間である可能性の方が高い。


Jacob氏は喧嘩仲裁してた? (追記あり)

そういう情報もあれば、ネオぐら氏の言ってるような情報もあるわ。もっと時間を!まだ情報が足りないわ。

"女性同士のケンカ仲裁"はBenjamin Crump弁護士報道陣に述べたものね。(ttps://www.cbsnews.com/news/jacob-blake-kenosha-shooting-wisconsin-police-black-man-protesters-gather/)

動画撮影していたRaysean White氏の証言によるとJacob氏が到着した際に女性6~7人(2人としているサイトもあり)が口論していたらしいわ。ただしJacob氏は特にしかけたりはしなかったそう。(ttps://abc7ny.com/2nd-day-of-unrest-after-jacob-blake-shooting-in-wisconsin/6387592/)

一方、ネオぐら氏の言うとおり、DV訴訟を受けているという情報もあり。また逮捕令状(第三級性的暴行不法侵入DVに関連する紊乱行為に対し)が発行されていたらしいけど、これが今回の射撃と関連しているのかは不明よ。

ちなみに、他に調べた範囲で見つけた情報は:

運転席にナイフがあったっぽい。(Jacob氏がそれを持ったか、持ってたとして射撃[至近距離で胴体に7発]が妥当かは別として。)

警官は一度テイザー銃を使っているらしい。

ってことくらいね

Kenosha GuardとSTAND UP KENOSHA、そしてInfowars

以下のサイトで詳しく調べられてるわ。

https://medium.com/dfrlab/armed-militias-mobilize-on-social-media-hours-before-deadly-kenosha-shooting-1ee5925a035f

要約するなら

① Kenosha Guard(ケノーシャ自警団)が暴動から街を守るため武装して集まれーとFacebookで号令をかける。「今夜、武器を持ち市を邪悪悪漢どもから守ろう。やつらは今夜街を燃やすつもりだ!」

② Kenosha Guardの号令から間を置かず、"STAND UP KENOSHA!!!! TONIGHT WE COME TOGETHER"(立ち上がれケノーシャ!!!!今夜共に行こう)というFacebookグループ作成される。

③ Infowarsがこれを紹介。フォロワー外まで情報拡散

④ ケノーシャに武装した人々が登場。

カイル・リッテンハウス容疑者銃撃事件を起こす。容疑者とKenosha Guardらの関係不明(少なくともフォロー等はしていない)。ただインタビューで「守りに来た」と語っているので、触発された可能性はある。

以上。

町山氏のTweetはこれをオールインワンして形を整え、スパイスを足した感じね。ちょっと編集しすぎじゃないかしら。

カイル容疑者トランプ支持者で警察ファンボーイBlue lives matterの支持者だけど、アレックスジョーンズのくそったれの関係者ではないし、Kenosha Guardらのメンバーでも(たぶん)ない。たぶん呼びかけもしてない。

なのでまあ、町山氏はTweetの訂正なりした方がいいんじゃないかしら。

この件に関しては町山氏よりネオぐら氏の方がずっと真実に近いわね。

ただネオぐら氏のように建前を丸っと受け入れるのもちょっと微妙と思っちゃうのだけれど。

Kenosha Guardらの建前は"守護りに来た"だけど、メンバーフォロワーが「大量の銃とパイプ爆弾あるぜ」「やつらを撃ち殺せ」「やつらに地獄をくれてやる」等々の発言をしてるのでね。右翼過激派方面まで拡散した部分もあるし。

正当防衛

ネオぐら@neogratche

ちなみに、この少年カイル・リッテンハウス氏が発砲した瞬間の動画YouTubeに沢山アップされてるので、どういう状況での銃撃だったか自分の目で確認する事が出来る。実際に見てみると、襲い掛かってくる暴徒から必死に逃げているのが分かる。

ネオぐら@neogratche

頭に何かを投げつけられたり、スケートボードで殴られたり、持ってるライフルを奪われそうになる等、極めて危機的な状況であり、この中での銃の使用正当防衛が成立する可能性は十分にある。実際YouTube活動する弁護士のRobert Gruler氏は成立すると自身動画証言してる

射殺時の動画は2種類あるの。たぶんネオぐら氏が言ってるのは2番目のやつじゃないかしら?

① 1人目射殺→https://twitter.com/AnonOpsSE/status/1298627537980010504

② 2人目射殺+3人目負傷→https://www.youtube.com/watch?v=5V-wS-4adh8

二つ目動画で彼が追跡されている理由は彼が人を撃ったから。‘He shot someone! He shot someone!’

なので二つ目動画で撃たれてる人たちは「襲い掛かってくる暴徒」ではなく「1人撃ち殺して逃走中犯人を捕まえようとする人々」なのね。

こっちに関して正当防衛を主張するのは、ちょぉっと厳しい気がするわ。

ただし、一つながりの動画じゃないので、私の勘違いで本当は②の方が先という可能性もあるわ。実際そう言っているTweetもあったはず。そうだったら伏してお詫び申し上げるとともに以上は撤回するわ。

一応、目撃者証言も加味してるんだけども↓。

“And then this guy with this huge gun runs by us in the middle of the street and people are yelling, ‘He shot someone! He shot someone!’ And everyone is trying to fight the guy, chasing him, and then he started shooting again.”

「その後、この大きな銃を持った男は道の真ん中を走り、人々は『彼が誰かを撃った!彼が誰かを撃った!』と叫びました。そして皆がその男を追いかけ捕まえようとしたとき、彼はまた撃ち始めました」



1人目に関しては情報ほとんどなくて「(射殺された)男は銃を持っていた/先に撃った/酷い挑発をしていた」みたいな話はあったけど、それを裏付け証拠みたいなのは無かったのよね。銃を持つ相手に追いかけられていたなら、正当防衛は成立しそうだけども……。ま、情報待ちよね。

私が調べた範囲ではこんなもんかしら。役に立ったならうれしいわ。

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