はてなキーワード: そそうとは
でも法律の一部が無効になっても戸籍の性別を変更するのは結局裁判が必要らしくて結構大変ぽい。
https://www.courts.go.jp/saiban/syurui/syurui_kazi/kazi_06_23/index.html
結局認められるって言っても、身体的特徴が女性化するくらいまでの長い時間ホルモン治療して、なおかつこれからも今までと同じように長い裁判を時間とお金かけてやらなきゃいけなくて、今回の判決にもそういうような理由があったけど、それこそそういう人が性別変更が認められたあとに「やっぱりね…」とか言われるような問題を起こすとは考えがたいと思うんだよねえ…
https://www.asahi.com/articles/ASS7B22FPS7BPTIL006M.html
条件が広島の人と同じでも、毎回ちゃんと裁判官とか裁判員の人たちが審査して、実態が伴ってなかったりとか明らかに無理って思われちゃうような人はこれからも引き続き裁判ではねられるわけでしょ?
なんかアメリカのトランスジェンダーの事例で、小さい子供がいるのにとか、どう見ても見た目おっさんなのに、みたいなのをネットで見たけど、そういうのは日本だと絶対無理案件だし。
大丈夫なんじゃないのかなあ。
あと余談だけどさっきの裁判所の要件、5番は無効になったけど6番の「他の性別の性器の部分に近似する外観を備えていること」は無効ではないんや…つまりそれは。とか思いました。
みつ
@tonomistu
蓮舫は街頭演説で双子が幼かった時に靴紐を結ぶのを待ってあげられなかった、その三分を待てなかったとの後悔を吐露し子育て中の親のゆとりを作りたいと訴えた。鈴木涼美は朝日新聞で蓮舫は「泥臭い生活を送る者たちとの精神的つながりを失った」と書いているがどれ程蓮舫の訴えを聴いたのか疑問。
泥臭い生活=貧乏暇無しで結婚ましてや出産なんて到底望めない生活、だよ!!!
そういう層からしたら育児の苦労話なんて、高級車を買ったらメンテが大変でつれえわーと自虐風自慢しているのと同じだし、
子育て中の親のゆとりを作りたいだなんて言われたらますます搾取されるんじゃないかと警戒するわ
蓮舫の訴えを聴いていたらそれこそそう言われても仕方がないだろうに
なんで聴いていないと決め付けるのか
忙しくて結婚も出産もままならない人達が多くいるだろう場所で本当にそんな話をしたなら
「泥臭い生活を送る者たちとの精神的つながりを失った」と言われるのは妥当だと思う。
はっきり言ってセンス無さすぎ
これを難癖だと思えるのはおかしいよ
東京の女性の多くが小池百合子を支持する理由をちゃんと考えた方がいいよ!!
弁護士の渥美陽子は「農業アイドル裁判」で事務所側につき、アイドル遺族に勝訴した
農業アイドル裁判は、ローカルアイドルをしていた女子高生が自殺し、遺族が社長のパワハラによるものだと主張して盛大にこじれた事件
社長のパワハラ的な言動はLINEに残っており一部は認められたものの、
「辞めるなら1億出せと社長に口頭で言われたのが自殺の原因」については証拠がなく認められなかった
遺族側弁護士の佐藤大和は、同じグループのアイドルが「社長はパワハラをしていた」と語る陳述書を提出したが、
その子は「そんな発言はしていない、陳述書は捏造だ、社長はパワハラなんかしていない」と証言
遺族は、遺族→社長の裁判で負け、社長→遺族の裁判でも負け、社長に賠償金を払って終了
その後、自殺したアイドルと同じグループの子が「社長にパワハラされていた」とTwitterで告発して脱退
そのパワハラの内容、認められなかったが遺族も同じことを言っていた
木村響子は自殺した木村花の母親で、テラスハウス制作者やネット中傷者への訴訟や、中傷厳罰化のための活動などで様々な弁護士と組んでいた
侮辱罪厳罰化を求めるNPO「Remember HANA」の立ち上げに佐藤大和が関わり、法改正され厳罰化は果たされた
渥美陽子は、テラスハウスに人権上の問題があることをBPOに認めさせる申し立てを担当し、結局認められなかった
農業アイドル裁判は法クラで話題になり、佐藤大和叩きが流行った
木村響子は、別件ではどうか知らないが自分に対しての佐藤大和は優しく、彼がいるおかげで生きられたと全面的に佐藤大和をかばった
春名風花ことはるかぜちゃんは中傷裁判をいくつかやっており、その関係ではるかぜちゃんママは法クラと懇意で、ママも佐藤大和叩きに加わった
はるかぜちゃんママは木村響子に対して、佐藤大和と縁を切るよう求めた
詳しいやりとりはここ→https://archive.md/2tGY7
以上のことがtogetterにまとめられ、別件の関係ないことで叩かれる木村響子が同情され、はるかぜちゃんママは批判を受けた
はるかぜちゃんママはツイ消しし、まとめからも自分のツイートを削除してコメント欄でブチギレ→https://archive.md/y9Cgd
その後コメントも削除して木村響子に絡みついたことをなかったことにした
その後、暇空茜がシュナムル叩きでバズった
はるかぜちゃんは、小川たまかと揉めた時に何故か本人ではなく町田彩夏にぶつかり、「本人に言えよ」とシュナムルに批判されたことがある→https://x.com/chounamoul/status/1235167279655956481
それ以来はるかぜちゃんママはシュナムルを恨んでいたらしく、批判内容は到底「中傷」とは言えないものだったが、「これうちの子を中傷してた人だわ」とシュナムル叩きに飛びついた→https://x.com/sakurako_haruna/status/1555776368100618241
はるかぜちゃんママは人格的には暇アノンとの親和性がかなり高いが、シュナムル叩きに乗っかっただけで以降は暇空に絡まなかった
これは、暇空の相棒のなるくんが昔はるかぜちゃんと揉めたため、なるくんの存在に気づいたことが暇アノン化へのストッパーになったのだろう
昔はるかぜちゃんは、「はるかぜ.」というグラドルに「名前をかぶせられた」と怒り、彼女の名前を呼ばず「おっぱいが大きい人」と呼びながら執拗に絡み、「水着は泳ぐ時か好きな人の前で着るもの」と水着写真集を出しているグラドルを貶した
「子役のはるかぜちゃんが今ではグラドルになった」と勘違いした文を書いているブログに憤り、ブログを訴えるための費用を折半しろとグラドルに迫るなどしていた
「グラドルの信者が中傷のDMを送ってきた」と下品な発言を載せるも、前々からDM解放しておらず下品な発言ははるかぜちゃん本人がせっせとでっち上げたものと判明するなどして非常に荒れた
なるくんはグラドル側に立ってはるかぜちゃんを強く批判しレスバになり、はるかぜちゃんが反論できなくなってなるくんをブロックして終わった→https://skmz.one/?p=10466
はるかぜちゃんママは裁判沙汰を通して法クラや傍聴系youtuberの山口三尊と懇意で、「みんなが叩いてるものを私も叩く」という傾向が強い
山口三尊は熱心な暇空茜信奉者で、いつもの流れならはるかぜちゃんママも暇アノン化しそうなところを、なるくんによって深みにはまらずに済んだ
人気漫画『推しの子』には、「リアリティショーに出演した女優が、切り貼り歪曲によって嫌な女に仕立て上げられ中傷され自殺未遂する」というエピソードがある
作画の横槍メンゴはテラスハウス視聴者であるとTwitterで語っており、「このエピソードは木村花自殺を元ネタにしている」と噂された
このエピソードがアニメ化され、木村響子は実際に視聴はしていないが「娘の自殺がネタにされている」と聞いて抗議表明した
推しの子ファンの暇空茜は憤り、「遺族棒を振り回すな」「被害者を自称してる」「カス」と批判した
この発言を見た時、木村響子と暇空茜両方の代理人を務める渥美陽子のことを思った
BPOに負けて撤退した後でもう渥美陽子は木村響子と関わりないのかもしれないが、「自殺遺族のために戦う」と一時的にも味方でいた木村響子が暇空茜に罵られることに、渥美陽子は何も思わないのだろうか
木村響子への罵りの言葉は渥美陽子にはなにも響かなかったか、賛同する側であって、大量の裁判を引き起こしてくれて継続してお金をくれる暇空ファーストなのだろう
渥美陽子の投票報告を見て、はるかぜちゃんをママの発言を思い出した
「芸能人や話題の案件を引き受ける事は莫大な広告効果がありますので、無償で手を挙げてやりたがる弁護士は大勢います。被害者が世間の同情をかいやすい、若い女の子なら尚更です。もちろん本当に良い人もいるでしょうが、親の私達が出来る事は、そういったものを見極めてゆくことです。
木村さんや私たち被害者家族の周囲には、私たちを利用して名をあげようとする人間が大勢います。他人を信用せず、誰が本当の意味での誹謗中傷を無くそうとしているか、自分から見て正義の味方に見える人が他の人を傷つけていないか、良く見極めて下さい」
これは佐藤大和のことを指しているのだが、「莫大な広告効果」「利用して名をあげよう」と木村響子に近づき、正義の味方のように振る舞いつつ本当に誹謗中傷をなくす気などないというのは、渥美陽子こそそうだよなあ
好きなアニメの原作者(監督)が差別発言した、テーマパークの対応、従業員、施設、会社が悪い。
私自身は匿名性のあるブログでこんな愚痴を書く小心者だからこそ、声の大きい人間が恐ろしい。
差別発言は確かにいけないことだが、作品まで嫌いになるのであれば作品から離れるべきだと思う。作品がそういうことを取り上げているからか、そういう方々が見ているのは重々承知している。だからこそ離れるべきだと思った。
私がこの作品で思ったのはあくまで作者の癖を書いているだけだということ。そういう方々用に作った訳でもなく、だからこそそういう方しか見てはいけない訳でもなく。癖を表すのにその表記が一番合うのだろうという感想だ。
そんなことに使うな!と声が聞こえてきそうだが、これは所謂ヘテロ恋愛作品にも言えるだろう。個人的にはそのくらいの感覚である。違うだろうが、これはあくまで個人的な感覚であり強要することはそれこそ差別ではないだろうか。LGBTQ+を差別する気は全くない。ヘテロの恋愛と変わらないと思っている。そういう方々はそれを望んでいるのではないのか?特別扱いこそ話が変わってこないだろうか。
原作者の差別発言に話は戻すが、確かにパワハラはいけないことだがファンに謝る必要があると思わない。法的措置や弁護士が絡んでいる可能性やデマの可能性もあるだろう。別の界隈で海外のファンやアンチが目立ちたくてデマを流した話を聞いたことがある為、可能性は潰せない。
それに謝れの連呼はどうかと思う。独断と偏見だが、そういう人は謝ったところで「そういう発言する原作者は〜」って言い出す。言い切れるくらいには自信がある。
テーマパークの愚痴は新しいエリアが出来てから見かけるようになった。確かに良くない点や改善点はあるが、バズるポストは下記の通り。
・嫌な対応をされた
この二つに関しては群を抜いてタチが悪いと思う。嫌な対応は、一番最初に入れるって言ってたのに!ホテルキャンセルしました!等も含む。
まず特別対応は、直近だと一部店舗でアレルギーメニューであるカレーを載せて、ここでカレー食べれますのポストや、キャラクターの鼻にサインを描くことを強要したこと等、ここ数日間でも上げたらキリがない。
確かに特別対応は気持ちがいいのかもしれないが、SNSに載せるものではないだろう。高貴な場所で高価なセットがある中でこの方法なら金を使いません!なんて言うのはナンセンスすぎる。個人的には本当に辞めてほしい。しかしバズる為にそういうことをする人は存在するのだ。
上記は承認欲求からくる一時期あったコンビニ店員の悪ふざけのようなものと同等の気持ち悪さがあるが、後者はそれにプラスしてご好意やご意見が追加される。それがいいものであれば良いが、私が見たポストの数々はそうでないものばかりだった。これに関しては様々な長文ポストがあるので割愛させて頂く。
これら長文ポストに言いたいのは、嫌なら見るな。年パスを持っていた有名俳優の一言を借りるのであれば、嫌いになるのはそっちの落ち度だぞ。
最近になって、妻といる時間が苦しく思うことが増えた。私はまだ30代だけど、妻とは人生の半分以上を一緒に過ごしてきたので相応に理解しているつもりだった。
もちろん、相手のことが手に取るようにわかるわけではなく、積み上げた経験によって、どんな入力がきたらどんな出力を返すのか、相手の振る舞いを推測できる精度が高いだけにすぎないのだが。
転機はやはり子供ができたことだと思う。お互いに、それによって心境の変化があったわけではないけれど、過ごす時間の大部分を子供に取られるようにはなった。
断っておくと、それ自体が苦痛な訳ではない。私は分類としての子供というものが好きではないけれど、自分の子供まで苦手、というわけではないのは自分で安心したところだ。
全く言葉も何も通じたものではないし、言うことも聞いちゃくれないんだけど、よく懐いてくれているし、可愛らしさもある。
私はこの居心地の悪さのような苦痛がどこから来るものなのか、最初はよくわからなかった。
機嫌の悪そうにみえる妻が怖いのか、子育ての領域にそこまでの貢献ができていないことへの申し訳なさがそうさせているのか。
結論からいうと、妻の私への対応が変わってきたことにあるんだと感じている。
そしてそれは、きっとどうしようもないことで、彼女の余裕を育児が奪ってしまっているんだろう。
まだ赤ちゃんの子供と2人で過ごしてみたらわかることだが、本当に手間がかかる。寝ている時間のなんと穏やかなことか。
離乳食のためのスプーンは弾き飛ばすし、危険なところに自ら向かって行くし、まだ立てないのに両手をいきなり離して転がるし、風呂で泳ごうと試みて沈みそうになるし、突然吐くし、理解できない。こんなのを相手にしていればそれはもう疲弊するに違いないのだ。
余裕のない人間のコミュニケーションは、可能な限り効率化される。
視野が狭まるので、相手の悪いところばかり目に入るし、いいところは見えなくなって行く。
今の私は率直に言って妻が苦手になってしまった。その日の機嫌によって対応がころころと変わり、最悪なときは何を話しかけてもろくな返答は帰ってこない。
仕方のないことだ、余裕がなく、疲れているのであれば仕方がない。それがわかっていても心は疲労する。
育児というタスクに対して、私の貢献度は限定的だ。なので妻もそれほど私に期待はしていない。
保育園に送ることを除けば、他の育児に参加できるかは業務状況に左右されるため、妻は最初からほとんどの育児を自分のタスクとして捉えてしまっているんだろう。
そこに分けるという発想はもうない。コミュニケーションを取って分けるより、足りないところを教えるより、自分でやった方が早いからだ。
そこに下手に歩み寄っても断られるだけだし、何か落ち度があったらため息も出てくる。私はその度にすり減っていく。
自覚していたことだが、私は妻に強く依存していたし、妻は私に強く依存していた。いわゆる共依存。
健全な関係かと言われると疑問ではあるが、そうして生きてきた。
ここにきて、妻は私への精神的な依存から脱却し、母親として自立しようとしているのかもしれない。
私にはそれはとても寂しいことだけれど、やはり母親になるということは特別なものなのだと感じる。
元来、私自身妻のために生きてきた。(ここからすでに妻に依存している)
自分には経営やら営業の才能はなかったので、一点に振り切りつつも、その分野の勉強を続けたことで、幸いにも年収だけはそれなりに高く、同年代平均年収の倍以上はある。
でもそれは、資本主義のこの日本で暮らすには、ある程度の資金があった方が良いと思った結果に過ぎず、結局のところ妻が幸せになったらいいなという動機でしかない。
ほとんどのことを妻のためになるか、喜んでくれるだろうか、と生きてきた自分にはほとんど自己の欲求というものが欠如していた。
求められて、応えていれば上手く生きられている気がしていた。
人間というのは現金なもので、無報酬な行動を繰り返せるほど高尚にはできてない。
相手が喜ぶなりのリアクションを返してくれるからこそそういった行動をとれるわけで、そこが塩対応になってくると苦痛になってくるのは当たり前のことだった。
結果的に、われながら極端な話だと思うが、私はもう生きていることが辛くなってきている。
私が父親として自立しなければならないのだと思う。子どものためを思えば当たり前のことだ。
けれども、子供のために生きられるかというと自分はどうやらそこまでの熱量がないらしい。
生命保険がいくつかかかっているので、何かしらいい感じに死ねたら楽なのだが、と思うけれど、なかなかそんなことにはならない。
車でバカな単独事故死をしたら生命保険っておりるものなのかと考えた。
客観的に見ると、完全にメンヘラかヤンデレの対応で笑うしかないのだが、これが精神的依存の真骨頂と言えるだろう。自分の不調を改善するために、自らを盾にして相手をコントロールしようとするのはとても良くない。
けれども、自分が死んだとき、妻に悲しく思ってもらえなかったらと思うとゾッとするので、今のうちに死んでしまいたい気持ちがあるのは事実だ。
私はそれを冷たく理性で抑えつつ、次の環境の変化を期待して生きて行くのしかないのかもしれない。
いずれにせよ、核家族の共働きで子供ができるというのは大変なことだったということだ。
子供は出来合いの離乳食もよく食べてくれるし、病気がちでもないし、人見知りも少ないのにたくさん時間を持って行く。まぁ甘えん坊ではあると思うけど、恋人という関係で過ごす時間を根こそぎもっていく。
そういう期間が数年はあることは覚悟しなければならないことだった。
こうして、何かしらの形で出力しないと自分の気持ちに整理がつかなかった。
端的に言えば私は子供と妻の取り合いをしているのかもしれない。
今までよく理解していなかった、シャア・アズナブルの迷言が頭をよぎる。
たとえ妻の一番が子供になったとしても、私にとっての一番はずっと妻のままだ。
その気持ちに嘘はないし、ちょっと辛さがあるにしても、毎日一緒にいられる。
きっちりしすぎた恋人像に当てはめられることに耐えられなくて去年別れた元彼女、かなり長く付き合ったから申し訳ないとは思ったけどいつまでも綺麗な恋人を続けるのは無理で別れた。結果長く付き合ったけど周りに無理だと言い続けて7年近くになる、それでも付き合っていたのは彼女も変わるかも、俺も変われるかも、みたいな期待がどこかにあった。
俺は恋愛と結婚は繋がっていても別だと思っていて、結婚したら嫌なところをお互いに見せるのは必須なのに、元カノはいつまでも綺麗なままでいたがる。
デートの時は綺麗な格好をして、ちゃんとしたデートプランを立てて、記念日には絶対に泊まりでディズニー、お互いの誕生日やクリスマスにはプレゼントを送り合おう、おうちで食べるなら高い肉を買おう、あなたのためにジムに通う、あなたのために美容室に行く、だからあなたも私のために美容室に行き服屋に行ってほしい、そんなの疲れるよ。いつまでも恋人みたいにいたいなら俺は無理だよ、と言ったけどちゃんとした私で俺の隣にいたいと言う、そうじゃなくて、と、その辺の価値観噛み合わないから結婚は無理だなと感じていた。
俺が彼女に大部分を捧げられる気になれなかったってだけで俺の知り合いには彼女のためにあれこれするのが好きなやつはいる、夫婦になったやつもいる。結局俺がそんなに元カノのこと好きじゃなかったんだよな。好きだからじゃなくて単純に元カノの理想の恋人を演じないと、ってやってただけで、俺のなりたい好きな人を大切にする俺ではなかった。
デートの時はきっちり!って言われてコロナ禍中のお家デートですらきっちりしなきゃいけないのが結構きたな、うん。そういえば泊まって次の日朝ごはん食べたらちゃんと着替えて!デートなんだから!って言われたこともあったな、今日はずっと家にいるのにめんどくさって思ってた。この先もし結婚したら気を抜けるタイミングなくない?と思って、別れた。元カノ、仕事はしてるけど精神的に自立してるとは言えなかったし、自立してないからこそそういうテンプレートみたいなのがないといやだったのかなーって今は思う。
噂では俺と別れて相当参ってるらしいが、運命を信じてるのも、俺からしたら重たいんだわ。俺の家族だって友達だって結婚するなんて俺が言ったことないから、あー別れたのね、で終わりなのに、年月が長いからどうのって言われても困るよ。俺はそこにロマン感じてないし、少なくとも俺にとってはそうじゃなかっただけ。
県内で唯一おいしいある食品のお店の主が「未だにマスクとかw」タイプの人だということがわかりしんどくなって行くのをやめた
好きだったけど
店に入る前にみんながマスクをするのは感染症対策もあるけど、唾液の飛沫が他の人も買う食品に直接かからないようにって気つかってるからだと思うんだよ…
野ざらしの食品売ってる店パンデミック以前も苦手で入れなかったけど、それにまつわる報道で↑みたいな状況が浮き彫りになってからというものみんなの衛生に対する意識がちょっと向上して、
件の店は狭いからこそそうやってお客さんも次に買う人のためにこそ気遣ってたと思うし、私も早めのまだ人来てない時間に行けばあんまり気にせず買えてありがたかった
それを店主がちょっとお客さんのことを揶揄するみたいに読めちゃう書き方するとさ……もう自分に向いて門戸の開いてる店ではなくなってしまった
このインフルコロナダブル流行期にその認識でいるし表に出しちゃうの本当に驚いたよ
悲しいけど仕方ない
また流浪の民になるだけだ
意外と記憶にないはずだ
というか記憶に残っているとしたら、それは本人が常日頃からそう自覚していて耳をそばだてているためか、単なる妄想だからね
あるいは他人への評価を自分に投影しているってパターンもあるだろう
人間は意外と陰で悪口を言われまくっているが、単に能力がなかったり弱い人はその他大勢としてカウントされているから本人への危害発言ってそんなにない
ようは目立つこともない単なる弱者に対しては多くの人はそんなに強い言葉を発さないし、一括りに差別しているだけだ
弱者は自分が弱いことをことさら意識しすぎ、誰かが自分を悪く言っていると過度に考えてるから被害妄想が強くなる
病気なんだよそれ
氷河期世代の無職や派遣がこの期に及んで小泉純一郎評価って正気か?
https://news.yahoo.co.jp/articles/02ad5f64dd96b8e7f524d92b0903547665ee63f1
【第1位】小泉純一郎(192票)
「政策についての是非はともかく、現状を改革するんだという信念と行動力はすごかった。今こそそういう人が必要」(40代男性・無職・埼玉県)
「発信力と決断力。今のふさぎ込んだ日本を変えてくれそうな期待が持てる」(40代女性・無職・東京都)
「圧倒的な人気を背景に少し強引なところがあったのは確か。しかしそういう強引さも、今の政治には必要ではないか」(40代男性・派遣社員・東京都)
いや〜〜〜〜〜思ってた以上に終わってんなと思ったわ昨夜のTw…Xの様相。
元Jヲタで、嵐のデビューくらいからハマって、そこから色々辿ってJr.に担当(いわゆる“推し”的な意味)ができたけどその子がデビューせず事務所やめたあたりでなんとなくフェードアウトして5年くらい。でもライブは楽しいので入っているファンクラブはあるしオフィシャルサイトの有料会員も続けてた…くらいの中途半端な存在ですが。
SNS上でのオタクの思慮のない動きが話題になる度、まぁ思慮がないから余計なこと言うんだろ、って思ってたし、実際私がフォローしている旧知の社会人オタクの大半はあまり極端なことは言わず沈黙していた人が多かったように思う。たまにこういうのが回ってきて絡めて言及する程度。
https://note.com/ki_nandemo/n/n94b4bf3a74c7
事務所が公式に認めるまでの間にSNS上で強い口調で非難していた連中の中には、単に「無能なイケメンとそれを奉り立てる馬鹿女」みたいな構図が大好きでわざわざ寄ってきていた連中も結構いた。まぁ今もいるよね、はてなこそそういの多いし。というかさあ、ジャニヲタやってると学校でも職場でもそうやってニヤニヤしながらわざわざ人の好きなものを馬鹿にしたがる人たちの相手させられるのがほんとめんどくさかったんだよね。なんかそういうのの延長で…自衛として“外野”の言葉はシカトするスタンスが染み付いてるジャニヲタってけっこういるんじゃないかな〜って。私がそうなので…
でもやっぱり、事務所が認めたことでもうフェーズは変わってるじゃん。全然違うところに来てるじゃん。「性加害」なんて言葉を使ってるけど、自分らで「ファミリー」を自称してるし、実態としては「児童虐待」じゃん。現在進行形のタレントの動きがどうであれ、児童虐待の事実を認めてその責を受けて解体する組織じゃん。そこに対してさぁ、15年前にオフ会で会ったキリだけどなんとなくずっとフォローしあってて結婚して子供できたこともSNS上で報告してた子とか、10年前にライブのチケット交換してからたまにいいねしあってる福祉の仕事で毎日へろへろになってる子とか、わりと今まで沈黙寄りのスタンスだったフォロワーが「#ジャニーズ事務所ありがとう」なんてタグで最後のチャンスとばかりになんか言ってんの見てしまって、たぶん今までで一番失望してしまった。終わってるわ。なんで子供がいるのに、公共のお仕事してんのに、そこで踏みとどまれないんだろ?
なんだろうね、社会性がないんだよね。確かにさぁ、今でいう推し活とかってある種の現実逃避というか。実生活的の、社会とは切り離されたところで楽しむのが推奨されるお作法みたいなとこはあるけど。でもだからといって社会とは無縁ではいられないじゃん。個人的にはこのあたりは東日本大震災の時に色々考えたところで、現実の悲惨さに対してエンターテインメントは無力だけど無力ではない、社会に対しての希望の灯火たる力があると信じることで成り立つものである、っていうのにジャニヲタは賛同してたじゃん。結局は社会との関与なしで成り立つエンタメなんてありえなくて、個々の体験の物語とは別のところで、社会の中でどう在るかが問われるじゃん。社会に対するプラスの作用の話のときだけ盛り上がって、逆のときは見ないふりして居直るのっていいご身分だよなと思うわ。
というかこれはタレントこそそうだろうがよ。この期に及んで他人事みたいなコメントしかしない、看板の話にすり替える、内輪のMCだからって内輪でウケる逆境精神見せて悦に浸ってるのなんなの? いい大人が。名前変えりゃいいってもんじゃないとは思うけど、「名前が変わったところで美しさは変わらない」なら、名前を変えたところであなたたちのその無責任さも変わらないんですかね? 過去時点において1タレントに何ができたわけじゃない意味としてはタレント無罪かもしんないけど、これから変えなきゃ、変わらなきゃいけないって話をしてるところにその態度は少なくとも誠実・清廉とは言えないだろ。
私自身はあの事務所のエンタメへの妥協のなさは大好きだし代替不能な精神性やノウハウのようなものはあると思ってるよ。メディアの露出が多いから大して知りもしない外野も知ったつもりになってて色々うるさいけど、あの事務所の「SHOW」の真髄はそんな外野が一生見ないであろう「現場」にあると信じているタイプなので。女の子の顧客に向けた夢を、女向けの嘲りのない質で提供してくれていた功績は計り知れないと思っている。そういえば先代が亡くなった際に自分のTLで上がっていた話題があって。そのニュースを報じるワイドショーでテリー伊藤が「Jは女性ファンばかりだけど、演出のクオリティが高いから男性にこそ見てほしい。女性は顔しか見てないのでもったいない」みたいなこと言ってて、なんでこいつに既存のファンをバカにされなきゃなんないんだ?ってちょっと燃えてたんだわ。仮にも演出家の肩書を持ってるおっさんがそんなことを堂々と言って褒めたつもりになってるエンタメ界ってほんとクソだし、その中において、侮られずに主体であることを当たり前に許容される場の居心地の良さったらなかった。
そのあたりに関して、先代はそうやって女の子をバカにしなかったよね〜と持ち上げる人もいたけど、一方で、いやあの人そもそも女に興味がなかったよ、って言ってた人たちもいて、私の感覚も後者に近いなー、みたいな話をぽろぽろとTwitterでしてたんだよね。あのじいさんの女の性への興味のなさって要は少年の性へのある種の執着の反転だってうっすら気づきながらも同調して消費“する”側に回れる感覚はなかったとは言えないので、私がオタクとして省みてるポイントのひとつはそこではある。今に至っても証拠の無い言いがかりだ!って吹き上がってられる人はそのへん無自覚で気楽でいいよなって思うよ。まぁでも見てたところによるか。私は最終的にJr.まで見るようになったから余計思ってたかも。嵐とかV6とかだけ見てたら、あのあたりは直近なんかあからさまに興味なさそうだったもん先代は。嵐が近年のライブで、じいさんのウエットさをオミットした形でのイズムの再構築を試みるテーマを掲げていたこともあったわね。ああいうのだけ継承していけばいいのに、事務所の体制と不可分かのように思考停止して外側が何も見えてないのがほんと終わってる。
例えばフロントならReactなどのフレームワーク 10年前はJQueryあたりで法改正どころではないくらい違う
そもそもフロント自体がテンプレートエンジンからSPAへと大きくかわっている
スマホも10年前なら普及率1/4くらいでサイトのターゲット自体がPCからスマホに
2013だとJava7だけどJava7と8も大幅にちがうので8やった事ない人が今の俺のコード読んでも読めない
いまはクラウド当たり前だけど10年前ならまだまだオンプレでこれも法改正どころではないくらい違う
AIも全然話題じゃなかったしこれは線形代数や微分からやり直したけど何ヶ月もかかった
これにからんでPythonの興盛 まあ新言語1からやるのが大きな法改正くらいだろうか
C++がRustになんてのも俺はまだ手を出してないけどある
開発手法で言うとこの10年のウォーターフォールからアジャイルへの移行で仕事の進め方が他業種に転職以上に変わってる
このほか変わったことではないけれどアルゴリズムやデータストラクチャーデザインパターンなんかは本ちょっと読むだけじゃなくて実際に手を動かして体に身につくまでやる必要がある
普通に大量にあるな