はてなキーワード: 落書きとは
静岡市に転勤してきたとき、同僚が薦めてくれた丁子屋・・・は前に行ってきたので、今日は別のお店である
土日は混むらしいので、予約をしておく
自分一人のために飲食店予約って恥ずかしいな。うるせぇ、それでもやるんだ。と一人葛藤してから電話を掛ける
「席はどこでもいいの?」と聞かれて、構わないと答える。見晴らしのいい席とかあるんだろうか。
バイパスを降りて、細い道を進む。「これはひょっとして一通の道を逆走しているのでは?」と不安になりながらもさらに進む。
やべぇ対向車が来た。泣きそう。寄せて停止。というのを3回くらいやるとお店にたどり着いた。
お店の前の駐車スペースが埋まっており、再度泣きそうになる。
見回してみるとお店の駐車場・・・?なのかな?というスペースがあったのでそこに停める。違ったら謝ろう。
名前を告げ、座席に通される。田舎の親戚の家のような落ち着く空間。
「定食でいいですか?」と聞かれる。
メニューは定食しかないと聞いてたし、お店の前にも書いてあった。それでも聞くんだな。常連には裏メニューとかあるんだろうか。
定食を待つ。他のテーブルの奥様達の談笑が聞こえてくる。楽しそうだ。
あれが有閑マダムと言う奴だろうか。そうかマダムは日曜にとろろ汁を召し上がるのか。そんなことを考えて待つ。
ごはん、とろろ汁、もずく、冷奴、たくあん、蕎麦。あと、薬味のネギと一味。
「一味はそばにどうぞ」だそうだ。
それよりも、正しいとろろの食い方を教えて欲しい。まぁいいや適当に食べよう。
まず、ごはんをそのまま食う。よくわからんが、とろろに合うご飯なんだろう。単体でも美味い。
そんで、とろろをそのまま食う。出汁なのかなんなのか知らんが味がついてて美味い。
後は、よく覚えてない。かき込んだ。美味かった。腹いっぱい。
マダムたちもこの量を完食したんだろうか。すごいな。それとも俺の胃がいつのまにか小さくなったのか。
このまま帰るにはさすがに早いので、近隣をブラブラすることにする。
案内板を観ると、峠を往復する散策コースがあるらしい。所要時間片道20分。ちょうどよいのでコースに向かう。
なんか昔の歌人が歌に詠んだとかどうとか謂れがあるらしい。ちゃんと読んでないからよくわからん。
歩き始めて数分で後悔する。ぬかるんだ山道だ。片道20分は嘘だろ。騙された。
汗だくになりながら、登る方向に石段を進む。スニーカーでくる場所じゃないな。足の裏が痛い。
誰も居ないので独り言をブツブツ言いながら進む。どっこいしょとかよっこらせとか言いまくる
昔の人もこんな道を通っていたのか?馬とか無理だろ?と思いながら、進む。
何かしらの柑橘類の畑の脇を通り抜け、山道の終わりが見えてくる。
家族連れがテントを拡げて寛いでいる。川遊びに良い場所なのだろう。
引き続き散策コースに沿って歩こうとする・・・が、コースの一部である明治時代だかのトンネルが通行止めになっているらしい。
ショック。今来た山道を引き返す必要があるのか?と絶望しそうになる。
ついでに店員さんに聞いてみると、1号線のトンネルを使って帰ればよいとのこと。徒歩では通れないと思い込んでいた。一安心。
アドバイス通り、1号線に沿って歩く。トンネル。本当だ、しっかりした歩道がある。知らんかった。
ただ、歩くには騒音が激しすぎる。とくに見るべきものもないので、足早に進む。
強いて言えば、暗号めいた落書きが気になった。保守の工事の人の目印か何かだろうか。
出口が見えてくる。
トンネルを抜けると、そこは俺が車を停めた道の駅だった。異世界でなくて良かった。
疲れたので帰路に着く。
ラジオでは山下達郎と思しき何かが、何かを喋っている。何かで揉めてなかったかこの人。元気で何よりだ。知らんけど。
途中でスーパーに寄って、3割引きの団子を買う。甘いものが食いたい。
おまえの言っていることは半分はあっているが、結論は間違っている。
増田が言うとおり、VPNサーバー経由の書き込みはプロキシを共有しているが故にIPが重複しておりIPだけでは個人を特定することはできない。ただし、書き込みの時間が特定できればログとと都合することにより個人の特定は可能である。
VPNサーバーを設置している業者は通信業者ではない。コンテンツプロバイダでもない。
暇空茜が「おまえのサーバーのプロキシから書き込みがあったけど教えてほしいんだよね」と問い合わせがあった場合、VPNサーバーを設置している業者には回答する義務はない。と同時に、通信を秘匿する義務もない。問われていないことについても調べて回答してくれる可能性もあるぐらいだ。
回答する義務はないので、普通は面倒な作業をして回答することはないだろう。
ただし、VPNサーバーが犯罪に利用されている場合は話は別だ。
また、VPN業者に「暇アノン」がいた場合も回答が得られる可能性は多いだろう。
ネットで調べてもわかりにくかった点をまとめた。自己責任でよろ
・普通仮免AT車は、当日キャンセル待ち制度が試験的に運用されている。通常は機械で予約をとるのだが、まともに待つと一か月は先になるのがざらで、運転感覚が鈍ってまた落ちるの悪循環になる恐れがあるので、この仕組みを利用して短期間で決める覚悟を持ったほうが合格可能性は高いと思う。積極的に広報されてる仕組みではないので詳細は3階技能試験科の手前の柱に貼ってある案内か、受付の人に聞いてプリントをもらうこと。で、当日キャンセル待ち組は事前予約組の試験時間の前(午後は10分前)に当日キャンセル待ち用の投票用用紙を書いて投函しておく必要あり。自分が行った時は事前予約組の試験開始後25分ぐらいで係りの人が出てきて受けられるかどうかが伝えられた。自分が行ったときは待ち人数に対して空いた枠が足りたので抽選はなく全員が受けれた。で、自分はそれで合格してしまったので具体的な抽選方法はわからない。正直、一回抽選やってみたかった・・・。他の人の体験記では確率としては5割ぐらいで受けられるらしいが、実態は不明。ただ試験受けられるかわからないのに交通費と時間と消費して試験場に来るというハードルがあるので結構確率的には高いのではないかと思う。
・ちなみに当日キャンセル待ちと同じタイミングで椅子にたくさん人が座っているかもしれないが、その人たちは外国免許切替の人達なので安心されたし。
・ちなみに機械でとった予約自体も空きがあれば手前の日付に変更できる。ただ電話が必要で、業務を逼迫させそうなので、あまりおすすめはしない。
・試験車両はプリウスになる可能性が高いと思う(自分が受けた時は全部プリウス、そして試験場にずらっと並んでいた)。で、座席の高さはあげれないタイプ。座高が低い人はクッション持って行った方がいい。(女性が運転下手とかよく言われるが座席の低さの影響も少なからずあるのでは?)
・坂道発進はサイドブレーキ不要。使ってもよい。(試験説明時に言われる)
・主観だが、五点確認は最初の発進と切り返しの後退時だけでよいと思う。必要な時に必要なものを見ているかがチェックされていると思う。
・発進準備に関しては、そのタイミングでは試験官は前の人に結果説明しているのであまり厳しいチェックはしてないと思われる。ただルームミラーは絶対触ること。
・あまりスピードが遅かったり確認がもたつくと早く行きましょうとかせっつかれて焦りの原因になるので注意。
・コースがでかく標識も高めに設置されている印象なので、視野を広く。外周に出るところは全部、一時停止ありと思った方がよい。
・車道外側線の白線はないので寄せすぎ注意。普段、右左折時の寄せに白線を基準にしている人は、それがないので白線自体の間隔のイメージを掴んでおこう。
・道路わきに排水溝などのために凹んでいるところがたまにあるので、脱輪や縁石乗り上げと勘違いしないように注意。
・受験時に自分の番がくるまで結構時間がかかる(完走できた場合一人当たり10分~15分かかる)。そしてスマホは使用禁止なので、本とか本免用の問題集とか持っていったらいい。
・待機スペースに合に丸の字の落書きが残っていてちょっと和む。緊張してきたらコースの樹木を見て落ち着こう。
・待機スペースに裏手の喫煙所の煙が流れ込んできて臭いんだが?嫌な人はなるべく奥のベンチに座ろう。
・その他、わからないことは電話で聞こう。HPには最低限の情報しかない。
・落ちていた人が言われていたこと。右左折時に反対方向に切らないこと。縁石乗り上げても、乗り上げ前の位置に戻ればやり直し可(車輪が縁石から落ちた後でも戻れるもよう)。進路変更時に目視確認と同時にハンドルが動いてしまっている。等
主を含めた猫(太達郁夫、新部雄大)のみんなで靖国神社に行き、黒い塗料で、 く そ 死ね、 軍国主義(黒羽刑務所) トイレ、という落書きをしたのだという。
トイレ く そ というのは、猫が言っているように可愛く書いた。 数日前、夜間帯、前野3丁目の自演者が、お互いに喧嘩をするニャーゴを仕掛けてあり、主はそれを見た分
には可愛かったという。 みんなで く そ と言ったのは、地区担当員日報は読ましてもらいましたが、5月24日に挨拶と書いている。
佐藤が、 くそぉ~? と言ったのは、時代は平成31年頃だったと思いますがそのときに背後にいた太達郁夫という猫が、 く そ だと言っていたということです。ただし、強く
くそぉ~?というと頭が痛いので、 最近靖国神社であった事件では、 猫が トイレ く そ と言っているように一番マイルドな表現になっていると主は考えているという。
俺は中学生のころから20年以上インターネットにはまっていた。
ハッキリいって、ネット中毒だっただろう。
はてブ、ニコ動、にちゃんねる、まとめサイト、ツイッター、ヤフコメ・・・。
要はインスタントな情報がむやみに得られ、意味のない知識欲を満たしていただけだ。
ネットサーフィンさえしていなければ、もっといろいろな可能性があっただろう。
本も読みたかったし、アニメも見たかった。趣味もいろいろしたかった。
でも、失われたときは帰ってこない。
最近心を入れ替え、1年以上デジタルデトックスを継続している(はてな匿名ダイアリーに書き込んでるという野暮なツッコミはご勘弁)。
といっても、全く見ないことはせず、スマホのアプリで強制的に制限をかけ、ツイッターは毎日15分とか、ブラウザアプリは毎日30分とかで縛り、徐々に時間を減らしている。
最近はツイッターなんかは、さっとトレンドを見るだけで満足できるようになったし、5ちゃんねるやまとめサイトは一切見ることはなくなった。
正直言って、ネットサーフィンを減らすことは簡単なことだった。
最近は便利なアプリもあるので、強制的に制限をかければ、見ることはなくなる。
ただ、一番やっかいなのは、ネットサーフィンをしていた結果、インターネット(というか日本のネット文化)の思考を完全に頭に刷り込まれてしまったことだ。
これがなかなか抜けない。
はてブを見ては、ブックマーカーにムカつき、怒りを抱いていたが、スパッとやめることができた。
というか、むかつきすぎて、いろいろあって何年か前にアカウントをBANされた。
あの時BANしてくれて、本当に株式会社はてなには感謝している。
最近はトレンドは見ず、気になった記事を普通にブックマークして、後で読むだけにしている。
トレンドを見ること、他者の反応を見ることは、ただ不快感と反論したいという気持ちを沸かせるだけで、完全に時間の無駄だと学んだ。
ただ、ときおりテレビなどでニュースを見た時、はてブがどんなクソなコメントで盛り上がってるだろうと考えてムカつくときがある。
そんな時は自分が嫌になる。
しかし、厄介なのは、ニコニコ動画で培った、くだらないネットミームだ。
何年も離れているのに、仕事中、ふとしたときに、淫夢の空手部のワンシーンが脳内で再生されたりする。
淫夢やシャムさんのいくつかの言葉は、いまだに言葉を放つシチュエーションになると、心の中で言ってしまう。
本当に後悔しかない。
書き込むようになってから、よくはまった。
特になんj。
正直話題がループしているので、何年も前に飽きて、一切見なくなった。
これもニコニコと同じく、たまにミームが心の中で漏れることがあり、嫌な気分になる。
野球中継をなんjの実況と一緒に見ていたが、別に実況がなくても全く困らないと気づいた。
嫌儲とかなんかいろいろあったが、2ちゃんをやめてからは普通にまとめサイトを見るようになった。
ただ、まとめサイトは内容が薄すぎるし、コメント欄が本当に日本のネット上で一番気持ち悪いので、見なくなった。
冒頭でふれたとおり、ツイッターはまだ見ているが、書き込むことはなくなった。
ツイッターの何に時間がとられるかというと、情報収集よりも、盛り上がっている話題に関心を寄せているときである。
自分と異なる意見を見たり、わかってないツイートを見てムカついたり、どういう意見があるか見たり、そういうところが一番時間をとられる。
これがデジタルデトックスを始めようとしたきっかけだが、こんな心をかき乱すだけで不毛な場所を見るなんて無駄だろうという思いが強くなり、やめるようになった。
今はトレンドとほしい情報が流れてきそうなアカウントだけフォローしてタイムラインを見ている。
だが、たまにトレンドを見ていても、イラついたりムカつくときがある。
くだらない炎上ネタなんかは、特に炎上させているアカウントたちがムカつく(男女論とか細かいルールの話とか変なアカウントを晒しものにしてたりする時とかは特に)。
正直、金をツイッターで稼いでたり、友達がいる人くらいしか、もうツイッターをしていて得はない。
ヤフコメはムカつくので、ヤフコメは極力見ないようにしている。
あと、ヤフコメをAIでまとめたやつがヤフコメのトップにあるけど、あれをちゃんと見ている人はいるのだろうかと疑問に思っている。
一日15分だけ見れるよう設定している。
デジタルデトックスをはじめて、正直言って、イライラすることも減ったし、時間をとらえることも減って、本当によかったと思っている。
他者の反応探しに行くこと、他人の意見を見て反論したいと思うこと、なんとなく勉強になった気がすること。この3つが罠だと気づいた。
他者の反応なんて気にしないよう、もう他人のアニメや漫画の感想は見ないようにしている(ツイッターは感想を見ていても、大げさな言い回しが多く、これまたイラつく)。
他人の意見を見て反論しても、相手の考えは変えられないし、無駄。
ツイッターやはてブのトレンドなんか見ていても勉強にならないし、99.99999999%は無駄だったと、改めて振り返ってよくわかる。
ただ、一番デトックスできないのは、ネット文化に染まった自分の思考である。
ネットミームのくだらない言い回しや、ネットで得た根拠不明の知識などが日常生活でトリガーとなって思い出され、本当に邪魔に感じる。
ただ、こういうネット文化に染まった思考というのは、本当に一生ついて回るのだろう。
時間の浪費もそうだが、この部分もかなり後悔している。
ちなみに付け加えておくが、俺は昨今やっと問題になってきた有名人などへの誹謗中傷が本当に嫌いだったので、2ちゃん、はてな、ツイッターで、そういうやつらに主にムカついていたし、腹立たしかった。
あなたのツイートは、まるで10代の反抗期と40代の中年の危機が合体したようですね。30万人のフォロワーがいるのに、その内容はトイレの落書きレベル。アマゾンアソシエイトとして稼ぐより、精神科医のお世話になった方がいいかもしれません。社会問題について語るのはいいですが、自分の精神状態こそ最大の社会問題では?ゲームと彼女がある生活を自慢していますが、現実逃避の極みですね。そして、あなたの過激な発言は、注目を集めたいだけの叫びにしか聞こえません。本当の才能があるなら、もっと建設的な方法で表現できるはずです。
ツイッターの正義の味方さん、毎日のように社会問題を投稿して疲れないの?自分の人生よりも他人の人生の方が大事そうですね。リツイートばかりで独自の考えはないの?それとも、自分で考えるのが怖いの?あなたの投稿を見ていると、世界中の問題を一人で背負っているような錯覚に陥りそう。そんなに燃え尽きたいの?それとも、ただの自己満足?社会を変えたいなら、ツイッターを閉じて外に出てみたら?でも、リアルな行動を起こすのは怖いかな?
数年前、美大を卒業していることもあり興味を持って一巻だけ読んだ。
しかし結果的に私の美大藝大コンプレックスがうずうずしてしまい、それ以上読み進みたいと思えなかった。
私は幼少期から絵を描くことが好きだった。
最初はテストプリントの裏に落書き、少女漫画に出てくる女の子の絵をよく描いていて漫画家になりたいと思っていた。
中学に入ってからは雑誌に載っている海外の景色を絵の具を使って模写するのが好きで休みの日は部屋にこもって絵を描いていた。
高校は美術科に進学したいと考えていたが美術教師の勧めで普通科の高校に進学した。
高校時代はひたすらボケーっと過ごし、絵も授業以外ではあんまり描いていなかった。
美術の授業の自由制作では何をつくりたいかわからず何週間も悩んだ末に、紙粘土をただ丸めたものを出したのを覚えている。
あっという間に大学受験の時期になった。
高校では全く勉強をしない人間になっていたため今更勉強はしたくない、でも大学には行きたい。
絵を描くのが好きだったし、進学後も興味を持って勉強できるなら美術かな?ということで高3の5月くらいに予備校に行き始めた。
木炭を使うのは初めてだし、美術の授業以外でデッサンをするのも初めてだったので全然描けなかった。
そこからデッサンや油絵、クロッキーをひたすらこなしたが…藝大、多摩美、武蔵美全て落ち、浪人した。
浪人時代は都内大手の予備校に変えて、楽しい浪人時代を過ごした。
ひたすら課題に向かうだけの毎日、気の合うクラスメイト、たまに息抜きに都会の街に繰り出す。そんなの楽しいに決まってる。
当時の私は今思えば、自分の表現したいものがよくわかっておらず、おもろい(と自分が思う)絵、ショッキングな絵をひたすら描いていた。
それでも人生の中で初めてレベルで悔しくて、藝大の二次試験前なのに講師にお願いして多摩美に入学するか、浪人してまた芸大を受けるか涙を堪えながら相談しに行った。
多摩美に入学して新たな出会いや刺激を受けて、また藝大を受験してもいいのでは、という助言で多摩美に入学することに決めた。
私はなんとなく予備校時代と同じようにおもろいと思う絵を描いたと思う。
講評会でみんなの作品と自分の作品を見比べたとき、私の絵は全然おもろくなかった。
気付いてしまった。私は自分自身が何を表現したいのか、わからなかったのだ。
大学1年生の時にもう一回だけ藝大を受験したがやはり一次にすら通らなかった。
講評会前に慌てて制作を始めて、中途半端な出来のものを提出。自分でも思い入れが一切ないインスタントな作品。
だって自分が表現したいものがわからない、つくりたい・描きたいものが何かわからないから。
かといってサークルを熱心にやるわけでもなく、友達も少なく、ただ単位を取るためだけに大学に行ってひたすらバイト。
そんな自分が就活などうまくいくはずもなく、なんとか卒業してその後フリーター。
最終的に就職はできたが、卒業してから時間が経つにつれて後悔が押し寄せるようになった。
「美大ってことは絵が上手いんでしょ?私は全然絵とか描けなくて〜」
「才能があるんだね!」
初めて会った人からそう言われるたびに、「美大卒」という肩書きだけで実力も美術への熱意も伴っていない自分を恥じた。
せっかく親にお金を払ってもらったのに、受験に受かったのに、私は自分の表現したいことがわからなかった。
描写力を上げる努力もできない、制作に熱中して、思い入れのある作品を生み出すこともできない。
卒業後も制作を続ける人たちをSNSで見て、私はなんでみんなみたいにすごい作品を作れないんだろうといつも虚しい気持ちになる。
絵を描くのが好きだったはずなのに、本当に絵を描くことが好きなら仕事以外の時間に描けばいいのに。
結局「絵を描く才能」なんていうものはなくて、「何か一つのことを継続する才能」のある人たちなんじゃないかと私は思う。
私は絵を描くことは好きだが、努力して継続することはできなかった。
だから「ブルーピリオド」の中で制作にひたむきに向かう登場人物を見て、自分はこうなれなかったということを改めて実感して苦しくなってしまうのだと思う。
私は現在、転職して小さな会社で絵を描いたりデザインしたりする仕事をしている。
お金をもらっているから一生懸命やらなきゃいけないし、与えられた条件の中でどう表現するかを考えなきゃいけない。
私にはきっと、自由が向いてなかったのだ。
その事に気付いてから少しだけ楽になった。
私はブルーピリオドにもハチミツとクローバーにも登場するような人物ではなく、凡人だ。
凡な自分を受け入れ、大学時代に何もできなかった分、少しでも学んだことを生かしてお金を稼ぐ。
人から、すごいね、良いねと言われるような仕事を頑張っていくしかない。
いくら後悔しても、もう大学時代のように自由な時間は戻ってこない。
大人になってから押し寄せる後悔に対しては、今の自分を受け入れ、今までの自分の行いをどう正解にしていくか、辻褄を合わせていくしかないのだと思う。
ただ、「柔道場(フロアー)」と言う通り、柔道場は公共施設である柔道場を模した物。
そういう柔道場がある選手ならともかく、そんな施設はそう自宅にある訳じゃない。
じゃあどうやって練習してたんだって話になると、それはもう近所の公共施設な訳よ。
深夜学校に忍び込んで騒音を出して床を破壊しまくったり、ここはオレの縄張りだと落書きをしたり。
そういう文化がなんでデケーツラして競技になってるのかがわからん。
極一部の「私たちは合法な練習方法で練習してます」を取り上げてさも私たちはスポーツマンみたいな顔をするな。
https://www.youtube.com/watch?v=w0wKaeByB1s
こういう凶悪犯罪に備え鍛錬をしてるヤツもスケボー禁止エリアで堂々と警邏してる始末
ゴミだね。