はてなキーワード: 不特定多数とは
近いようで遠い、遠いようで近い梅毒
見ず知らずの人と生セックスしないならほとんど気にする必要がないが、もしするような生活を送ってる人なら確率で罹る病気
https://idsc.tmiph.metro.tokyo.lg.jp/diseases/syphilis/syphilis/
今年は過去最高に迫る勢いではあるが、いうて3600人だ、増えているとは言え2018年頃と比べて2倍程度
これで本当に当たるのか?というのはいささか疑問ではある
例えば女性に限ってみると、20〜30代がほとんどなので計算しやすい、その世代約160万人のうち、罹患者が女性3割とすると1300人程度
すると20〜30代女性の内、罹患する確率は0.08%/年、つまり1250人に1人くらいだ
これは知り合いの知り合いにも居るかどうか怪しいレベル
10年通してみても125人に1人だ、これなら1人くらいは居るかもくらい
こう考えるとやはり騒がれてるよりは少ない
じゃあ何人と生セックスすれば罹るだろうか?
感染する期間(概ね皆が治療始めるまで)が3ヶ月程度だとすると
1回で罹る確率は30%×0.02%=0.006%/回
100回で罹る確率は 1-(1-0.006/100)^100=0.6%/100回
100回不特定多数と生セックスした人のうち、1年に罹るのが166人に1人
ただしこれを10年続ければ、6%/1000回になるので、17人に1人で、運悪ければ罹るかなくらいにはなる
というわけで結論としては「まだそんなビビるほどじゃない」になるんだが
例えば、ここまでの条件を「梅毒は性に奔放な10%のみで蔓延している」と仮定してみよう
するとこうなる
20代〜30代女子のうち、16万人のなかで1300人/年罹患している
確率は0.8%/年、125人に1人
1回で罹る確率は30%×0.2%=0.06%/回
100回で罹る確率は 1-(1-0.06/100)^100=6%/100回
結局
か否かで全く条件は変わってくると思うんだよね
ちなみに、梅毒患者の内、風俗従事者が3割、風俗利用者が3割らしい
多いのか少ないのか
てか風俗嬢大変だな、薬飲み続けてんのか?
同原則の序文には、「どのような類型の性的嗜好や行為も、小児性愛、近親相姦、一夫多妻、不特定多数との性的関係あるいは獣姦までも排除されない」と書かれている。
ジョグジャカルタ原則ってそんな素晴らしいこと書いてるのかと思って調べたら書いてないやんけ
しょーもな
https://note.com/takahashi_shiro1/n/n50d842e6a877
駒澤大学の森田成也氏(マルクス経済学)がトランスジェンダリズムに疑問を持つに至った理由の第一は、主として海外の情報から、とりわけラディカル・フェミニストに対してひどい攻撃や脅迫と暴力を振るっていることを知ったこと。第二は、熱心なトランスジェンダー派ほど、売買春肯定、ポルノ肯定であることを知ったこと。第三に、トランスジェンダーとは性同一性障害の人のことと思っていたが、実際には後者はトランスジェンダーのごく少数の一部に過ぎないことを知ったこと。第四に、2020年6月にJ.K、ローリングさんが、トランス当事者に対して非常に配慮しつつも女性の「身体的性別に基づく権利」の重要性を訴えた声明文(https://note.com/f_overseas_info/n/nb9dee80c5f82)に対して、全世界のトランス活動家と左派が信じたいほど暴力的で誹謗中傷的な攻撃をしているのを目の当たりにしたことである。
注目すべきはアメリカのリベラル新聞『ニューヨーク・タイムズ』やイギリスの左派系新聞『がーディアン』などが相次いで、子供の拙速な性別移行措置に対する強い懸念を示す記事を掲載したことである。ローリング攻撃に加担してきた両紙が全面的擁護に一変したのは画期的といえる。
トランスジェンダリズムには、「生物学的性別」を認めつつ、それとは異なる「心の性別」ないし何等かの生得的な「性自認」が存在するとみなし、後者を前者よりも優先させようとするソフトバージョン(自治体や国際機関などの公的機関など)とハードバージョン(ジェンダー学者、トランス活動家など)がある。
ハードバージョンは「身体の性別」すなわち「生物学的性別」の存在そのものを認めず、「性自認」「性表現」等の曖昧模糊としたものが唯一絶対の性別決定要因であるとみなす。トランス活動家たちはトランスジェンダリズムへの異論を「差別者」ないし「ヘイタ―」の誘惑として、読むな、見るな、議論するなと主張する。彼らはトランス当事者のために運動しているのではなく、トランスジェンダリズムというイデオロギーのために運動しているイデオロギー優先の「カルト集団」と見做すべきである。
クビー著『グローバル性革命』によれば、2007年にインドネシアのジョグジャカルタで29の「ジョグジャカルタ原則」が作成され、それを実行するためにJGBT活動家のための200頁の『ジョグジャカルタ原則の活動家のガイド』ハンドブックが作成され、「混乱を招く方法」「LGBT問題の目標を実現するための具体的な実行方法」等を明示した。
同序文には、「どのような類型の性的嗜好や行為も、小児性愛、近親相姦、一夫多妻、不特定多数との性的関係あるいは獣姦までも排除されない」と書かれている。
もうさ、期待して見てる人の数が全然変わったんだよね。
惰性で見てる人、録画だけしてる人、見終わったけど語るほどの興味を失ってる人、とりあえず最後まで見てから結論を出そうとする人、色んな人がいるだろうが最初の頃にあれほどいた「無邪気に名作だと褒め称える人」の数は大幅に減少したのだ。
少なくとも、不特定多数がいる場所で名作だと連呼する人は激減した。
なぜなら賛否両論吹き荒れるような作品になってしまったからだ。
その内容も初期の頃のような「おーっと男尊女卑の化石は女が活躍するドラマが受け入れらない~~~」で簡単に反論できるようなものではなくなった。
主人公の言動が女から見ても批判の対象となるようなものとなっていったからだ。
「古い価値観の男という共通の敵」によって結束することが出来た頃とは違う、主人公の言動が正しいか間違っているかが女の中でさえ割れてしまえばもうまとまりはない。
一つの巨大なフェミニズム推進派の集団として団結することであらゆる批判を跳ね返せた頃の結束はもはやなく、虎に翼についての感想は散り散りに分断され、もはやかつての身内さえも信じられなくなり、個々人にてレビューサイトに称賛や愚痴を叩きつけるだけとなった。
この変化がどこで起きたのか?
根幹のテーマをただ扱えばいいだけの序盤、折り返しや紆余曲折を描こうとする中盤、物語を着地させる終盤、この3段階を全て綺麗にやり遂げるのは実は簡単ではない。
序盤は評価されていた作品が中盤で突然駄目になることもあるし、最後の最後で投げっぱなしジャーマンとなって反動からクソ作品として扱われることだってある。
本当の名作は全てを完璧にやりきった作品に対して与えられる賞賛であるが、虎に翼はそれに相応しい作品だったのだろうか?
ぶっちゃけ、序盤コケて中盤から盛り上がり最後が完璧に終わる作品のほうが、序盤は良かったけど中盤から怪しくなる作品よりも最終的な評価は上がりがちなわけだが、果たして。
風俗以外での単純な性欲解消法は、筋トレして痩せ清潔感を手に入れ、それで女性とセックスすることである。
この2つの価値基準に沿ったモノ(いわばマテリアル)は短期間では獲得できない。
ルッキズムとエイジズムは、全体から見ればそう多くはないが、絶対的な数で見れば多くの男たちが何年も何十年もしのぎを削っている分野だ。
彼らはいわば専門家だ。専門家に素人が簡単には勝てない。当たり前の話だ。
そして、一見すると彼らはなんというか、すごく「バカ」そうに見える。幼稚なように見える。
そうではなく、非言語コミュニケーションをとくに観察すべきである。
これは「ノンバ」と呼ばれており、ナンパ用語の中でも最も重要な考え方だ。これが欠けていると、徹底的にモテない。
だが彼ら "専門家" もまた、愛に飢えている。女とやりまくり気持ちよくなりまくり、のその先は何か。虚しいだけだ。
まあ虚しいにしても、まずはやりたいのであれば真似をしてもいいとは思う。
しかし覚えておいてほしいことは、非モテと「モテの専門家」は、究極的には同じだということ。その「モテ」の先には、動物的な喜びしか存在しない。
個人的な意見では、今日ではそもそもこの男の「モテ」という概念が転換しているような気はする。
ちなみに女のモテは「不特定多数の男性からアプローチを受けること」ではない。これは「穴モテ」と呼ばれて女性社会から侮蔑の対象になり、凄まじく屈辱的なのだ。
女はよく「セックスしたいだけなら風俗行けばいい」というが、これは男にとっては単なる侮りとして解釈されるだろう。
そういうわけではなく、商売女ではない女とやりたい男は「愛されたい」「認められたい」「尊重されたい」が本音だろう。
だったら努力しろという話だが、これは逆であり、「努力する価値」を求めているのだろう。
「努力するほどの価値がある女」が周りにいない、ということが問題かもしれない。
所有欲と支配欲、これは人間なら誰でも保有している。男だけではない。
「良い女を大量に保有したい」という考え方が「性加害欲求」として表現される。
これは「性的モノ化」としても言われている。フェミニズム文化では有名だ。
フェミニズムは誤解されがちだが、根本は真っ当で深い哲学に根ざしている。フェミニズムとは、プラトンへの挑戦でありニーチェへの挑戦であり、女性の体への挑戦である。
女はこの「性加害」「モノ化」にきわめて敏感である。これは男が考えている以上に遭遇頻度が多いのだ。
普通の男ではない、偏差値30クラスの男が世の中には多い。そういう男からトップ層まで全員が「モノ化」してくる。
小さい頃からあまりに大量に浴びせられすぎて、さながらテレパシーのようにそういうふうに見られていることがわかってしまうわけだ。その男本人よりも。
こうした「プチ性加害」は、保育園や幼稚園から始まる。下手をすれば赤ちゃんのころから。この「女」という言葉も加害の意味を帯びている。家畜のような扱いを彷彿とさせるわけだ。
「なんだぁ?そんなもの。たかが言葉じゃないか」ではない。ここに、男と女で共通する言葉の基盤が全く異なるという驚愕の事実がある。
もし、同じ言葉で話していると思っているのに、その言葉が示す対象が全然違ったとしたら、それは会話できているようで会話できていないのだ。
まるで日本語と英語で会話をしているかのように、まるでアンジャッシュのコントかのように、会話できていないのだ。
(いわばこれまでの文明全体が「喜劇」とでも言いきってもいいかもしれない。ずっとコントしてたとも言えるな)
言葉の基盤が違うという無理解が、無意識にモノ化を生む。いわば弱者男性も前時代社会の女性も、どちらも既存の社会通念の犠牲者である。
そして、その社会通念が根本からひっくり返っているという、ゲームチェンジしている状態が現代だ。
とくにコロナ以後、経済停滞などが発生し、希望が無くなったことによるのか恋愛に逃げ込む人間が増えた。それゆえ恋愛は熾烈な競争になり始めた。恋愛だけではないが。
弱者男性は「権利が奪われた」と思っている。これは既得権益の喪失だろう。怒りや苦しみはわかる。
だが、女性からすれば「その権利は本来女性が得るべきものだったのに、昔からずっと奪われていたものだった」と思っている。だから、相容れない。
前提知識をシェアできたところで、具体的な解決策についてもシェアする。
まず基本的な清潔感などを身につける。これは生活習慣も含める。なるべく金で解決したほうがよい。この外見の向上は元が微妙であれば微妙であるほど効果的だ。
筋トレもしておく。
それから女性のシステムを把握する。女性向け映画を見るとか女性向け漫画を見るとかするといいだろう。それによって女性の言語を獲得する。
「なんだそんなもの」と思ってはいけない。それこそが非モテの根源だ。
また愚痴は老けを促進する。おじさん、おぢ、老人、ジジイ、さまざまな形容があるが、愚痴の本質は他責である。他責の人間は成長しない。成長しない人間がおじさんなのだ。
男向けのポルノなどは見ない方がいい。あれは女性観を「所有」「性加害」側に倒すものだ。そのようにできているのだ。そうしなければ動物的な興奮が得られないからだ。
それからだが、同世代の女性をバカにするとうまくいかない。彼女らは「本当のこと」を言っていることが多い。
罵倒のようでいて、「それじゃモテねえの当たり前だろ」と厳しい事実を言っていることが多い。あまりにも厳しすぎるが……
謙虚な気持ちになって本気になれば、まあコペルニクス的転回を迎えるだろう。
自分のほんとうの問題は、恋愛なのだろうかと考えたときに、おそらく恋愛ではないはずだ。
恋愛弱者であるという状態は、異性にその責任を押し付け、本当の問題から逃げているだけなのではないかという考えもある。
もしそちらが問題ならそちらを解決すべきだろう。そうすると不思議なことに恋愛もうまくいくものだ。どちらが先にうまくいくかの違いであろう。
どうしても恋愛を最優先で解決しなければならないのであれば、そちらに全精力を注がなければならない。今はそれぐらい熾烈な争いなのだ。
ここまで伝えてわからないならもう知らんぞ。
ちなみにこれは男だけの話ではない。
MMOは小説でVRMMOを読むばかりで自分でやったことのない皆さんこんにちは、俺もそうです。
いわゆる不特定多数と遊ぶオンラインゲームって、熱心にやってたのが結構昔で、最初にやったのがDIABLOで最後にやったのがPSO(初代、PC版)なんですよね俺。MOじゃんMMOじゃなくて。まあでも寝る間を惜しんでやったのはそこまで。
そんでそれっきりやってなかったのだがブループロトコルのサービス終了予告でこすり倒す動画とか関連の配信とか見て、
「ふーん確かにUIはPSOより悪いしやることもそんなにPSOよりよくなった感じはしないけどそんなに悪くないじゃん?まあDIABLOの方が装備収集楽しそうだけどPSOのマグ育て終わって永遠に赤のハンドガンとインペリアルピック振り回してたのと変わらんな」
とか思ってました。
youtubeでおすすめされてきたPSO2NGSの普通のプレイ配信見るまでは。
これが長年(2021年からでも3年、2012年ととるなら12年らしい)運営されてるオンラインゲームという前提で、期待の最新ゲームです!という気持ちでブループロトコル見たらまあダメだわアレ。話にならんわ。
UIが段違い、あらゆる場所で速度感が違う、アクションの立体感が違う、戦闘中に取りえる選択肢の多さが全然違う、コミュニケーションの多彩さが全く違う、アバターの個性の出し方が全然違う。
都市伝説の一つ(大本はどっかの作家が作った創作とも言われているけど、その人が都市伝説をパクっただけかも)
収容所に入れられた捕虜達は自分たちの牢の民度の低さに疲れ果て、「そうだ。ここに一人の少女がいると仮定しよう。彼女に恥じないように暮らそうじゃないか」と思いつく。
牢全体が見渡せる位置に椅子が置かれ、そこに少女がいるという妄想を彼らは共有して暮らすことにしたのだ。
たとえば誰かが喧嘩すると「少女にこんなものを見せるのか!男として恥ずかしくないのか?」と諌めたら男達はふるい挙げた拳をそっと下ろしたという。
そんな彼らは過酷な収容所の暮らしの中でも倫理観や規律を守り、誰一人かけることもPTSDを患うこともなく収容所から出られたのだとか。
恋愛をしたことがある人間は多かれ少なかれ背伸びして自分をよく見せようとした経験を持っているものだ。
それは個人的な自己顕示欲による「どうだ。俺はカッコイイだろう」という中二病じみたナルシズムではなく、相手本位で考えて「この人に好かれるには、嫌われないためにはどうしたらいいのだろうか」と考えた経験があるということだ。
恋愛経験がない人間は不特定多数から褒められたいというチャチい自己顕示欲に溺れて格好つけた経験はあっても、身近にいる一人の人間、そのパートナーとして恥じない自分になるために努力した経験がないのである。
つまり、恋愛をするということは、自分の中に「一緒に居て恥ずかしくないような人間になるために頑張ろう」という意識が自発的に生まれ出るということだ。
自分を律しようという意思をもって日々を暮らすことで健全な精神が育まれていくのだ。
多くの人が恋愛を通して一皮むけるのは童貞を捨てて自信がつくからではない。
自分の中に他人の目線を持ち込んで「自分はちゃんと振る舞えているだろうか」と日夜考えるという経験を積むからなのだ。
立派なパートナーとしての自分を誰かに与えるという感覚、これはパパママから「Aクンは立派だね~~~」と褒められようと努力するのとは全く意味が異なる。
パパママに褒められたいから頑張るのは「自分が褒められたい」からでしかなく、「相手に恥じないようにしたい」という気持ちからではないからだ。
逆に言えば、恋愛経験のない人間はそういった経験をすることもなく「僕は毎日こんなに頑張ってるのに誰もいい子いい子してくれない><」と子供じみた泣き言をいくつになっても心の中で唱え続けるのである。
推しは、お育ちがいい。
自分の推しは今をときめくアイドルグループのメンバーである。メンバーの1人だけが好きなのではなく、全員のことが大好きのいわゆる箱推しだ。アイドルとしての魅力はもちろん多分にあり、簡単には語り尽くせないほど彼らのことが大好きなのだが、その辺のオタク語りは割愛する。
このグループの大きな売りの一つに「メンバー全員家族仲が良く、お育ちがいい」という要素がある。
それ自体はとてもよいことだ。当たり前に。自分自身、彼らの両親に健全に愛されて培ってきた人間としてのあたたかなふるまいを好ましく思うし、両親とのほっこりエピソードを微笑ましく思っている。愛されて育った人間というのは、とかく愛される要素が多く愛おしい。
ただ、「お育ちがいい」という言葉が持つ攻撃性に気付かないでいられる彼らにとって、自分のような人間はファンとして適さないか、そもそも見えてもないのだろうな…と感じる瞬間が多いのだ。繊細や〇ざかよって?分かる。だからそんな繊細お気持ち仕草を公にしてしまわないよう、今回は殴り書きをして供養しようと思う。
まず、このグループはメンバーの半数がいわゆるお金持ちの生まれだ。小金持ちや成金等ではない。本当に純粋培養のお金持ちの家で育った、心清らかで豊かなおぼっちゃまである。それもネットによく落ちてる適当な身辺調査記事が出典ではなく、しっかりと本人出典のお墨付きだ。具体的には書けないが、あっけらかんと出てくるエピソードも一般人にはなんだそのエピソードは!?(笑)本物の金持ちってすげえや……となるようなものが多く、それは非常に面白いので書けないのがもったいないくらいである。
特に親との仲が非常に良く、成人後も実家暮らしで家事の一切ができないままなメンバーもいる。それ自体は、まあ結婚相手や交際相手なら是非を問えるかもしれないが、別に両親との仲が良好で双方同意の上なら完全に本人の自由だし、むしろアイドルとしてはおいしいキャラ付けと安心要素があって個人的には良いと思う。
なんなら自分もそこを可愛いとさえ感じているし、自分の好きな人が恵まれた環境にいて幸せに生きられるのは素晴らしいことだと思う。それはちょっと気持ち悪いか。まあオタクの推しへの感情なんてそんなもんだろう。
しかし、だ。良くも悪くも純粋培養のおぼっちゃまな彼らは、悪意無く次の言葉を発する。
「おまえその行動はお育ちが悪いぞw」
「(グループ名)は本当にみんないい子で、人柄からお育ちのよさがわかる!」
「みんな親と仲が良くてお育ちがいい子たちだから、このグループは素敵!」
…悪意の無い言葉の攻撃性、すごい。悪意が無い・誰かを傷つけてやろうという意思が無い分、それがアイドルや大多数のファン側…つまりマジョリティ側の本音なんだなと、ドストレートに心臓に突き刺さる。人柄からお育ちが分かる、お育ちがいいから素敵、か。
いや、何も間違ってない。環境は悪いよりいいに越したことはない。実際「お育ちのいい」人はいい人が多い。余裕があるから、人にやさしい。豊かだから、人へ分け与える慈しみを持っている。けど、お育ちの良さを褒めるとき、反対に「お育ちが悪い」という言葉で人を貶すとき、そしてそれを笑うとき。自分が何を踏んで何と比較して下げることになっているかには、メンバーも大多数のファンも無自覚でいられるんだな…という虚しさが、ただあるだけで。
自分語りを挟んでしまうが、ここまでのお育ち関連の発言に対する拒絶反応からお察しの通り、自分は「お育ちが悪い」に分類される人間だ。
詳しく語ると身バレしそうなのでだいぶざっくりとワードを連ねるが「面前DV」「経済虐待」「ヤングケアラー」「アル中」「離婚」…あんまり書いても不幸の詰め合わせマウントにとられそうでやめるが、まあだいぶ不健全な環境で育ったとだけ伝わってほしい。だから彼らに対して妬み嫉み、羨ましさが一切無いとは言えない。でもそれが至極勝手な感情であることもちゃんと分かってる。
だからそんなことは、表立って口にしない。別に彼らの家庭環境の良さは彼ら自身の努力の成果じゃないじゃん、なのになんで「お育ちが悪い」ことを「お育ちのいい」側がそうやってバカにして嗤うんだ。…とかいう繊細仕草なお気持ちは、胸に閉まっている。だのに、「お育ちのいい」彼らは自覚も悪意も無く、そんな胸の内のやわらかいところをこじ開けてくるのだ。それが、つらい。
メンバーの1人は、インタビューなどで自分の発言が取り沙汰されるとき、決まってこのようなことを言う。
「環境のせいでやりたいことに挑戦できないなんてことはない、環境は関係ない。自分は恵まれた環境じゃなかったが、努力して夢に近付いた」
あまりにも綺麗でまばゆい言葉だと思う。そのメンバーの努力はもちろん凄まじく、口先だけの人間じゃないことは1オタクとしてよく分かっているから。
ただ、環境は関係ない、なんてひどく残酷なことを言い切って発信してしまえるんだな…、と自分のような繊細ヤローは悲しくなるのだ。
ここで彼の言う「恵まれた環境じゃなかった」はなにも家庭環境の話ではない。とある事情のある地方に生まれた、という話なのだ(そうは言っても都会へのアクセスはぶっちゃけ悪くない)
また、彼は留学へ行ったことがあり、大学にも通い、しかしアルバイト経験は無いと本人の口から語られている。…それは恵まれた環境ではないのか!?と、自分は正直思ってしまう。
人には人の~…などと言うが、さすがにそれを自分は恵まれなかったが努力した!だから環境は関係ない!と言い切る材料に使うのは、あまりにも軽率なんじゃないか…?いや、大いに関係あるよ、環境。なんなら上京して上手くいった、あのまま地元にいたら無理だったかもと同じ口で言っていて、いやじゃあやっぱ環境関係あるじゃんかよ(笑)と少し意地悪なことも思った。
別に今や家を出られない事情があるとか、虐待やヤングケアラーだとか、そういうのはレア中のレアケースでもなんでもないよくニュースでも聞く話じゃないか。もちろん彼だってファンに発信していない部分で苦労したことはあるだろう。だとしても、環境は関係ないというのは、やはり成功者バイアスのかかった暴論だろう。少なくとも、アイドルが不特定多数を励ますときに使う言葉じゃないんじゃないか。
そんな家庭環境のことなんて想定していないのだからしょうがないだろう、揚げ足を取るな。ってかいつまでも環境を言い訳するな。もしかしたらそう思うかもしれないが、環境なんて関係ないと言い切るならそこは想定してくれよと思う。
第一、言い訳ってなんだ。何を言い訳したって周囲は自分の状況を変えてくれないっていうのは「お育ちが悪い」人はよく分かってる。自分もごくごく普通の社会人として社会に溶け込めるよう、努力した。「お育ちのいい」人が夢を叶える努力と、そう変わらないであろう努力を社会で普通に生きるためにするのが「お育ちが悪い」人でも大半だろう。
スタートラインがあまりにも後ろに後ろに設置されていて、夢なんて見ていられなかった。でもそれは環境が悪かったから仕方ないよね、となんとか飲み込もうとしているところを、何周もリードしている側が環境なんて関係ないという言葉で背中を殴るようなマネするなよ。そう思ってしまう。それも、推しからすれば言い訳の内なのだろうか。
私は彼らと同年代で、もう親元からは逃れているからまだグッと堪えられる。しかし、まだ幼く、親元から逃げられずに毎日虐待を受けていた環境でこの言葉を推しから投げられたら…と想像すると、背筋に冷たいものが走るのだ。実際、現在進行形でそういう状態にいるファンが0なわけはない。表立っては言わないが、鍵垢で実は…と語る人を何人も目にした。
実は家庭環境がすごく悪かったから、彼らが悪意無く「お育ちがいい・悪い」をギャグにするのがキツいとか、「環境は関係ない」と言ってるとき自分のようなファンは輪の内に入れていないんだと感じる、とか。推しから努力不足の烙印を押されているようだ、と。
でも、自分を含めその誰もが表ではそんなことを言わない。言っても遠回しに、かつ推しの名前は出さない。なぜなら彼らはエゴサをよくするし、おすすめにファンの投稿がよく流れてくると言うから、配慮している。わきまえているのだ。あとこういう意見は言論統制したがるファン、特にお母さん世代から空リプで遠回しにdisられるしね。いや陰湿~。まあ人間がたくさんいれば陰湿な人もその分いる。ここに殴り書きしてる自分もたいがい陰湿なヤツだと思うし。
話は逸れたが、表立って言わないのは別に彼らにお育ちがいいことを隠してほしいわけでも、罪のように思ってほしいわけでもないからだ。ただ、私たちはそのとき、推しにいないものとして扱われることを受け入れるしかない。
しかし、私は一度だけ、彼らの発言に対してお問い合わせをしたことがある。発言に対してお問い合わせなんて厄介オタクのすること…と思って耐えてきた私も、さすがに我慢ならなかった。それは、彼らが肌の色に対してネガティブな発言をして笑いにしたときだった。
肌が黒いメンバー(と言っても、スポーツをしている人の日焼け程度の褐色肌)が自虐を頻繁にしたり、自分や他メンバーの肌の黒さをいじる流れを作ろうとするのだ。
「おまえ肌黒すぎw」とか「(黒い服で暗いとこだと)髪の毛だけ浮いてたよw」とか「(黒い服が似合うという発言に)あー色黒をごまかせるから?w」とか。
一部のファンも一緒になって肌黒いwwwといじり倒して、メンバーが「肌黒いって言うな!w」という流れができている。
いやこのご時世に?ハイハイ嘘乙。と思ってくれる人もいるだろうが、本当である。私も嘘や誇張だと思いたい。このご時世にこんな大胆かつ雑な肌の色いじり、いくらなんでも嘘すぎる。
あんまそういうこと言うなってw触れづらいわwというメンバーの半笑いツッコミも、なにわろてんねんと率直に思う。このノリを1回や2回じゃなくしつこいくらいにやっているんだから、さすがにヒヤヒヤしてお問い合わせの1つや2つもするだろう。
当然、なにも彼らが差別心から言ってるわけではないのは分かってる。むしろ、親や周囲から肌の色をいじられたコンプレックスで言っているのだろうな…というのは彼らのコンテンツをよく見ていれば察せられることだ。
しかしこんな発言が令和に、仮にも名の知れた事務所所属のアイドルから出てきて、その上周りの大人が誰も諫めることなく世の中へと放出されるのか…と驚いた。
ライブや配信なら止められなくて笑いに昇華するのは百歩譲って仕方ないにしても、FCで載せる動画は編集でいくらでもカットできただろ。本人もスタッフもコンプラ研修とかしてないのかよ、しろよ。しててこのザマならそれは事務所、濡れ衣着せてごめん。
でもたぶん、してないね。してたらこんな、拡散されようによってはあっという間に【差別主義者】とバッシングを受け炎上する可能性のある発言を見逃すはずがない。そう思うのは希望的観測なのだろうか。
実際、私も彼らがそのような捉えられ方をして道が閉ざされてしまうのは怖かったから、お問い合わせという形を取った。ヒヨったのだ。炎上しても自分は責任が取れない、と。
ウケるwwwとか今日いちだんと肌黒すぎwwwなんて笑ってる一部のファンを尻目に、さすがにこれはよくないからお問い合わせした…という表明もちらほらと見かけたが、結果は特に何も変わらなかった。なんでや。
口うるせーなと思ったのか、それともお問い合わせにはまったく目を通してなくてたまたまなのか。どちらにせよ、彼らにそういう声は届かないんだなと感じた。
しかし、だ。「お育ちがいい」と周囲も本人もおっしゃるなら、肌の色を揶揄する文脈を使うのはいかがなものかと気付いてくれよ。それとも、そんなマイノリティの問題には無自覚でいることこそが世間の言う「お育ちがいい」なのだろうか。
冗談も通じない口やかましいマイノリティなんか相手にする必要ない、もしくはそもそもそんなことに問題意識など持ったことがない、というのが大多数の人間なんだろうか。
そして私も正直、お育ちが悪かった分人の痛みの分かる優しい人間…なんてなんの益にもならない称号を貰うよりも、無自覚でいられる大多数の側へ行きたかったのだろうと思う。
率直に、うらやましいのだ。「お育ちがいい」のも「お育ちが悪い」ことやマイノリティを踏みつけることを笑える側でいられるのも。でも現実的にそうはなれないから、つらいのだ。
別に肌の色を揶揄うくらいいいじゃないか、現実の差別とは関係ないじゃないか、いちいち過敏なんだよ。そう思われるのだろうが、そんなことはない。現に、ファンはコメントやXで書き込んでいるじゃないか。肌が黒いこと=面白いことという価値観を発信してしまっているじゃないか。
平成のテレビではまだまだコンプラ意識なんてものは無く、このような価値観を大っぴらに放送していたが、それによる価値観の刷り込みはすごい。肌が黒い人…なかでも特に、海外ルーツを持つ肌の黒い人がそういう世論の中、学校で、社会で、どのような扱われ方をしたか。
ルーツを持たなくてもいじられた経験があるなら、少しは想像力を働かせてほしかった。「お育ちがいい」なら。
自分たちのファンにも海外ルーツの人がいることを、知らないわけではないのに。ていうか君ら、海外進出意識してたじゃん。なら一層分かってなきゃだめだろ。
それはいけなかったのだと是正されているのが今なのに、よりによって周回遅れを行かないでくれよ。自分の好きな人が誰かを踏みつける価値観を発信する側にならないでほしい。最悪自己保身のためでもいいから「お育ちがいい」ふるまいをしてほしいのだ。
…こうやって「お育ちのいい」人に期待してしまう自分が、つらい。「お育ちがいい」ならこれくらい考えてくれよ、これくらい想像力を働かせてくれよとキリキリして、誰よりもお育ちの良し悪しにこだわって押し付けてしまうのが、つらい。
彼らも人間だから間違えることはある。でも、その間違いが致命的に誰かを踏んでる場合、それをなあなあにすること以外オタクには求められていないのが、つらい。ごちゃごちゃ言うならとっとと降りろよと思われるのが、つらい。
世間が「お育ちがいい」と彼らを褒めるとき、マイノリティを踏む発言もまるっと込みで受容されているようで、つらい。「お育ちが悪い」を笑える推しが、つらい。それでも彼らのことをだいすきな自分に酔ってるだけのようで、つらい。
こんなことをつらつらと書きながら、結局彼らには成功してほしいから表立って問題にしようとはしない、姿勢の一貫していない自分が、つらい。
追記で反省してるけど、実際はこういう経験談やアドバイスが増えるといいと思うんよね。うざがられていてもいいから。
個人相手にくどくどやられたら迷惑だけど、こういう不特定多数に向けた掲示板では情報はあるに越したことはない。届く人に届けばいいわけだし。
親や大人から言われて反発してたけど、後々その道を通って、もっと早くやってればよかったってことはたくさんある。でもそのままやってたら正解ってことでもない。
https://anond.hatelabo.jp/20240914091056
ソープが好きなら勝手に行けばいいし、いい歳の大人だから自分で判断できるよね。
HIVになれば一生治らないし、避妊具があれば100%防げるわけでもない。
B型肝炎は性行為だけでなくキスだけでも移る。ワクチン接種で抗体獲得するまで7ヶ月くらい必要なので、やってるひとどれくらいいるんだろう。自費だし。
SNSやマチアプと違って嬢は定期的に性病検査をしているのだろうけど、あくまでその時点の結果だから、感染リスクが高い場所であることに変わりはないのだよね。
そもそも客は不特定多数の女性とセックスをしたがる孤独男性だろう。
マチアプで素人女性と会うほうが病気もらうリスクは少ないんじゃないのかな。でも、底辺男性には無理だろうけど。マチアプは強者男性に一極集中してるから。
ソープに行くしかない底辺男性は病気を持ってる確率が高いし、嬢はそんな男を相手にしないといけない。
「ソープに行く」ということは、そんなレベルに自分が成り下がるということなんだよ。
働いて貯めた金もソープにつぎ込み、貯金はできず、「セックスなんてそれほど重要でもない」という認識に達することもなく、ただのめり込む。
そんな男と結婚したい女性なんて誰もいない。マチアプでもモテない。底辺は底辺であるゆえに病気のリスクが高い。
以下に理由を述べる
こんなもん、同じ金払うならオナニーした後高級なステーキ食った方がいいに決まってるだろ。
不特定多数の性行為をしてる女性とセックスするのはリスクが高い。
ホストに搾取されて風俗に落とされる女性が結構いる業界に金を落とすのは非倫理的である。
たかが射精をするために店を決めて、嬢を選んで、予約して、電車で赴くのが面倒すぎる。
通販でさえもAmazonでワンクリックで買える時代にこれは面倒すぎ。
「どうせ男は風俗行くんでしょ」と知った顔をした女の言説に反論できなくなる。
「は?俺は行ってないが?男ってだけでひとくくりにすんなよ」というカウンター材料がなくなるのは痛い。
この日記は見つけた誰かが同じ境遇だったときこの考えも一つと思ってもらえたらと思って書く。
産まれれば、内蔵を圧迫される感覚も、歩くたびに股関節周りが痛むことも、太るという現象とは別で膨らんでいく胴体への違和感からも解放される。
これらの感覚がなくなることが喜びなのか哀しみなのか虚無なのか今はわからない。
いたものがいなくなることで虚無感が生まれてしまい、これから先の自分の人生負荷がかかっててできていなかったことや居なければと思いながら過ごしてたこれしたいアレしたいと考えてたことが一つもできなくなってしまうのかもしれないと思っている。
そうなってしまうのが怖い。
本題に入る。
センシティブであり、よくない表現を多用するのでここから先の閲覧は自己責任でお願いしたい。
今回の話題に触れるにあたり私の性生活を開示しなければならないのでその話をする。
今は見聞きすることが減った公園や河川敷に落ちていた書店で販売されているような成人向け雑誌を見つけてからだと思う。
それ以前から性行為描写は親が見ていたドラマや映画の濡れ場シーンで触れていたので見つけた時に”そういう系統のモノ”とすぐ理解できたのだろう。
一般的な性行為の流れにマンネリ化してる感覚を覚えアブノーマルというジャンルのプレイも行うようになっていった。
その中の一つ「中出し」というプレイに幸福感を得てしまうようになった。
それはすでに保健の授業を受けていた身なので理解はしていた。
なので自身のできる対応として避妊効果のある低用量ピルを処方してもらっていた。
それでも避妊率は100%ではないので行為の後の次の生理が来るまでの期間はドキドキしていた。
それも含めハマってしまっていたのだと思う。
幸い服用している期間は妊娠することはなかった。
なぜ現状に至っているか。そこまで時期は進める。
細かい年齢は伏せさせてもらうが、社会的に自立していると判断される年齢に入っていた。
それに合わせて様々な支払いが重なる時期にも入ってきた。
性行為も中出し行為も変わらずしていたのでピルは飲まなければいけない。
が、その肝心のピルを購入する費用も持ち合わせることができないほどになってしまっていた。
そこで私が行ったのは行為のセーブではなくどのような状況でも妊娠することはないのかの自分の身体を実験体として扱う愚行に至ってしまった。
幸いアフターピルを入手していたので万が一の備えとしていた。
定期的に低用量ピルを処方できないということは安定した生理周期ではなくなるということであるという認識は当時なかった。
行為をするために生理期間は避けたいのでスケジュールを組む上で把握しておきたかったのである程度の生理周期の管理はしていたが体温管理はしていない。
リスキーなことに快感を覚えてしまっていたためかただ自身がそういう点に疎いためだったと思う。
今は後の祭りだが。
それは起こった。
いや。起こっていた。
とある時期に低用量ピルも購入できず、アフターピルもストックできていない時期がきた。
そんな中、中出しを主として性行為をする異性と会う予定が立っていた。
予定をリスケする、「今(ピルを)切らしている」、「今日はゴム(コンドーム)つけて」と事前に言わなければならないのに言えない行為に進んでしまった。
カレンダー上では妊娠する可能性が低い時期だったためか慢心していたところにも問題があったと思う。
その時対策できることとしては膣内洗浄しかないと思いそれのみ行っていた。
処方せず次の生理が来るのを待っていた。
その月の生理は来なかった。
それと、飲んでいない時期にも行っていたがその時は検査薬を使用しても陰性だったこともあり今回もそれだと思ってしまった。
月が変わった。
それがきたのでもうすぐ来ると思っていた。
今思うと受精していたのでそれに伴う妊娠の初期症状だったと思う。
その月も生理が来ないのをさすがに不安に思い今回は検査薬を使用した。
結果は「陽性」だった。
疲れたので次回に続きを書く。