はてなキーワード: 恐喝とは
横だけど、創価学会の通話記録窃盗事件と個人情報窃盗恐喝事件貼っとくわ
創価大グループによる携帯電話の通話記録盗み出し事件で電気通信事業法違反に問われた、創大出身でドコモシステムズ元社員嘉村英二被告(28)の公判が二十一日、東京地裁で開かれました。同被告は同法違反で二〇〇二年十一月に有罪判決を受けたのにつづく二度目の裁判。前回裁判のさい、今回の事件も調べられたのに隠し通していたことが、この日の証言で明らかになりました。
嘉村被告には前回と同じく、創価学会副会長らが弁護人につきました。実行犯の嘉村被告や、同被告に犯行を指示した創大副学生課長らが有罪になった前回裁判で弁護人は「私的で一過性、偶発的事件」と主張、執行猶予つき判決になりました。
この日の公判で嘉村被告は、波多江真史裁判長から「前回の取り調べで今回の事件のことを聞かれなかったのか」と質問され、「警察に聞かれた」と証言。「そのさい本当のことを話したのか」との問いには「話さなかった」とのべ、犯罪を隠していたことを認めました。被告弁護団も以前から今回の事件を知っていた可能性も濃くなりました。
起訴状や検察冒頭陳述によると、同被告は〇二年三月と四月、東京・江東区にあるNTTドコモの端末を操作し、学会脱会者の福原由紀子さんとジャーナリスト乙骨正生氏の通話記録を不正に引き出しました。
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-12-22/15_01.html
ところが、好事魔多しで、契約者情報が大量に流出してしまった(最終的には04年1月時点の全顧客情報660万人分が流出したという)。流出した情報の内容は、加入者や申込者、解約者の住所、氏名、電話番号、メールアドレスなどで、不幸中の幸いというべきか、クレジットカードの番号など個人の信用情報は別に格納されていて無事だった。
しかも驚くべきことに、この不祥事を材料にソフトバンクからカネを脅し取ろうとしていた男3人を警視庁が恐喝未遂容疑で逮捕していたというのである。3人は、ヤフーBBの二次代理店を務めるコンサルティング会社エスエスティー(SST)の竹岡誠治社長、湯浅輝昭副社長、それに右翼団体の森洋・元代表だった。ヤフーBBの取引先という〝身内〟と右翼団体元代表という組み合わせには意外感があった。
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彼ら容疑者の素性が明らかになると、事件は別の顔を見せ始めた。SSTの社長の竹岡と副社長の湯浅はともに創価学会の幹部だったのである。
竹岡は創価学会副男子部長や創価班委員長、聖教新聞広告局担当部長などを経て創価学会豊島戸田分区の副区長だった。湯浅は聖教新聞の販売店主などを経て函館五稜郭圏の副圏長だった(ともに事件発覚と同時に辞任)。しかも、竹岡は共産党の宮本顕治委員長宅盗聴事件の実行犯の一人でもあったから大騒ぎになった。もはや、単純な個人情報流出という事件ではなかった。ソフトバンクの広報担当者も「政界を揺るがすかもしれません」と興奮気味に話していた。
https://webronza.asahi.com/business/articles/2021092300001.html?page=1
恐喝って立証できる事案なら今でも捕まってるやん
恐喝やん単純に。
これとかもそうだが未だに日教組による教育被害が云々という言説がまだ見られるんだが。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/sivaprod/status/1536206227939950592
この際ちょっとその言説の経緯をまとめておくよ。
この言説のキーマンは小林よしのりなんだがそこに至るまでを説明しないといけない。
日教組が昭和22年に結成されて昭和30年代には組織率8割以上を誇って…というのはWikiとかで勉強してくれ。
右翼による日教組批判が特に熾烈を極めるようになったのは1980年代の後半からなのである。
街宣車で大音量で日教組!日教組!と怒鳴っているので一般の人の日教組の知名度はこの辺りで上がった。そもそもノンポリの人は学校の先生の組合なんて知らんもんである。但し右翼の一般受けは悪かったので日教組の評価は下がらなかった。
また日教組が集会を開くと周囲に街宣車が多数集結して大音量で軍歌を流し音圧を競うようになった。
すると近所の会社は仕事が全くできない。電話どころか窓を閉めても耳を塞がないといけないような状態だ。
でも日教組の知名度が低く、どこで集会をやってるかも判らないので右翼の評判が下がるだけだった。
こういう極端な抗議行動が流行した背景には当時の政治的社会的状況があった。
その一つは「デタント」で、もう一つは「任侠右翼の増加」である。
右翼が何と戦っていたかというと、その最大の敵はソ連だった。これは街宣右翼だけじゃなくて神道系の右翼も統一教会も皆同じだ。
だが1985年にゴルバチョフが書記長に就任するとどうにもならないほど疲弊したソ連の改革政策、ペレストロイカを推し進める。最初は大した変化はなかったが、チェルノブイリ原発事故以後は情報公開も進め、世界を巻き込みながら怒涛のように変化していく。
それによって西側ではゴルバチョフの歓迎ムードが高まり、要するに憎むべき敵性国家で無くなっていったのである。
更にソ連共産党は活動を停止し、遂にはソ連が無くなってしまった。
これは右翼陣営勝利のはずだが、困ったのは攻撃する敵を喪失してしまった事で、自分らのアイデンティティの根幹の喪失でもあった。鈴木邦男はソ連崩壊時に「これは僕らの問題だ」と語っている。アイデンティティ喪失に苦しむのか、敵の乗り換えをしてアイデンティティを保持するかという含みがある。結局鈴木は敵の乗り換えには乗らなかった。
また、街宣車での街宣はやりすぎて体制側に対策が出来てしまった。
まず憲法違反の疑いもある静穏保持法が施行されてしまったので外国公館などの特定箇所で大音量を出すと逮捕される。
またソ連大使館前の道路は街宣車が近づくと全交通遮断される。言っておくがソ連大使館前の道は外苑東通りという都バスも走る幹線道路である。当時は街宣車のせいで道路が遮断されたりそれで周囲が交通マヒしたり運行経路が決まっているバスが20分以上立往生なんて事はザラだった。
こんな風に最大の敵であるソ連がやたら腰が低く物分かりが良くなった上にソ連大使館に街宣掛ける事も出来ない。
という事でこの時期に日教組の悪質性が増加したのではなく、ソ連の変化とデタントの為に日教組批判が熾烈となったのである。
まずそもそも右翼だが、元はヤクザとの明確な区切りは無かった。これは土建屋、鳶や水商売やテキ屋も同じだった。
戦後の右翼は、例えば児玉誉士夫など体制と癒着しそれは米国に従順という事でもあった。
1960年代末に左翼の学生運動が盛んになるとこれに対する体育会と右翼学生が組織されていった。新右翼と呼ばれる。
新右翼の特徴は反ソ反共ながらも反体制、反米である事だった。これは当時の世相や全共闘運動に影響を受けている。
ここを境に右翼系の政治結社が誕生して行く。そしてそれらは「街宣車で軍歌を流し辻説法をする」というスタイルを確立していく。
この街宣車は最初は旧軍や自衛隊の国防色(カーキと灰色:バトルシップグレイ)だったのが後述の事情で威圧感の強い黒塗りになっていく。
よく「街宣右翼」とネットの一部で言われるが、1980年頃から右翼政治結社は街宣車スタイルをみな踏襲しており、それ以外はないような状態だった。ヤクザっぽいがはじめの方の新右翼にはヤクザとの殊更の関係はない。
因みに日本会議の中央の人士らはこういう街宣ではなく、就職しないで大学に残り学生運動を続けた人たちである。
80年代になると校内暴力で学校が荒れ、ツッパリ型不良が大増殖して暴走族も大増殖した。また暴走族の右翼感染が進んだ。特攻服や旭日旗が暴走族の印となったのもこの頃だ。不良or大人への反抗=右翼ファッションだったのである。
こうして右翼≒不良≒ヤクザが緊密化したところで任侠右翼の街宣参入が増えたのだが、もっと大きい商機的な問題があった。
思想右翼の主な資金源というのは機関紙の販売である。これは志を同じくする人からの購買もある。
が、もう一つのパターンは不正や思想的に看過できない行いをした法人へ抗議街宣をして、その手打ちとして機関紙の購買を取り付けるという方法がある。
ヤクザが参入する主目的は後者の方で、民事介入暴力の支払い手段として機関紙購買を取り付ける為に政治結社を立ち上げるのである。民事介入暴力というのは殴ったり蹴ったりじゃなくて、企業の商業活動に暴力団が威圧をもって参入する事だ。
企業恐喝に街宣車を利用するのだ。国防色より威圧感がより強い黒塗りが主流になっていったのはこの為だ。
暴力的手段を行使されないようにみかじめ料として機関紙を購読する会社も多く、大変な出費になっていた。
因みに総会屋も同じことを70年代にやっており、機関紙/誌の執筆者編集者需要が高まり、学生運動で就職が困難になった学生運動家が多数その仕事に就いた。総会屋の多くは内容には口を出さなかったので社会の不正を糾弾する記事を書きまくり、総合誌ブームが起きたが、80年代初頭の商法改正で総会屋が潰されると大方廃刊。
だが技能を身に付けた者は大手メディアでフリーランスとして雇用された。リベラル/左翼ライターには総会屋の手先出身が結構居たのである。
こういう訳で街宣右翼業界は膨れ上がり、日教組の集会や8月9日の反ソデーには黒塗りのハイデッキバスが大挙して集合し爆音で軍歌を流すようになった。それまでのライトバンやタウンエースにスピーカーつけてる貧乏右翼とは大違いだ。
ハイデッキ観光型バスというのは6000万円以上する。それの座席を取っ払ってラウンジ型にしてシャンデリアやカラオケ、自動車電話、冷蔵庫とバーカウンターをつけて車検を通したら1億を超える。それに自民党や共産党のようなプロの街宣用スピーカー、アンプを搭載して、北方領土の日にはフェリーと陸路で釧路とかの空港に回送しておくのだ。組員は飛行機で向かってバスに乗り納沙布岬に向かって「露助この野郎」とかやって帰るんである。
しかも一社あたり3台とか6台とか持ってるのだ。沢山来すぎて根室は渋滞になるほどだ。当時の任侠右翼の羽振りの良さが判るだろう。
ハリウッド映画でもジャパニーズヤクザが描写されていた頃で、特に企業活動への威圧的介入は警察に問題視されていた。
そこで暴対法が施行される事になる。これは大抵の暴力団を社会的に殺す大変大きな力がある法律だった。
伊丹十三のミンボーの女には暴力団が右翼の街宣車で企業恐喝に来るシーンがある。この映画は暴対法施行直後に公開されたので同法施行で先を案じているヤクザを大いに怒らせる事になって伊丹はヤクザに襲撃されて重傷を負ってしまった。
余談だが、この時伊丹を襲撃した組は後にJR東本社前の土地を巡って殺人事件を起こした。JR東本社は道路に面しておらず、また同社は本社付近の建物を次々に押えているのだが、購入すれば都道と面して建築基準が大幅緩和されるその土地に手を付けなかった。それほどヤバい土地だったのだな。
ちょっと長くなったが、「えせ右翼は在日朝鮮人が右翼の評判を下げる為になりすましてる」とか噴飯物の事をいう人が多く居る界隈なので一応説明した。
えせ右翼とは一般には上記のように民事介入目的でヤクザが運営して構成員も被る政治結社の事だ。もっと硬い警察用語では「右翼標榜暴力団」という。
こうして
となってソ連に勝利したはずなのに右翼/保守業界というのは停滞してシュリンクしてしまう事になる。
そして当業界では超直的なそれに代わって冷戦後政治リアリズムを中心に多様性がある論説が流行するようになった。産経新聞のコラム「斜断機」が柔軟で面白くて単行本化されてしまうような時代だ。因みに吉本隆明の門下生が多く書いていた。
そんな中で反共反ソイデオロギー一本の人らには居場所が無い。ソ連無き後に残った残存敵性勢力の日教組をひたすら叩きながら閉じた業界で腐っていたのである。
当時は欧州もみな社民政権でリベラル人気で冷戦後の世界情勢にも楽観的だった時代だった。
素直にバックヤードに行くところまでは従っていいが、カバンの中身は絶対にその場で見せてはいけない。
「警察を呼んでください。」
必ず申し出ること。
なぜならば、あなたはなにも盗ってないにもかかわらず店員はあなたを犯人だと思っている。
この事実だけで店員が嘘つきで、間違っているということは確定だ。
確固たる証拠無しに他人を犯罪者扱いする人間を信用してはいけない。
(確固たる証拠があれば、その証拠をもとに警察に訴えればいいだけなので、カバンの中身を確認する必要は無い。)
あなたは、店員の側を犯罪者と同じくらい危険視する必要がある。
密室に、無罪のあなたと犯罪者並みに危険な存在である店員がいる状況である。
そこでもしカバンを開けた瞬間に、店員に商品をカバンに放り込まれたら……
「そんなことするはずない」あなたはそう思うだろうが、世の中には信じられない愚か者が一定確率で必ず存在するのだ。
相手は犯罪者ではないあなたを犯罪者に仕立て上げようとしているのだ。
そうでなくても、もしカバンから何も出てこなければ、何も盗ってない人間に疑いの目を向けた事実だけが残る。
とにかく、店員は確実に間違った判断であなたをバックヤードに連行したのだから、100%信用してはならない。
現に、「無実なのに濡れ衣を着せる」という行為は確実に行っているのだ
必ず、警察官を呼ぶこと。
そして、警察が到着したら、経緯を説明し、スマホで録画しながら、カバンを開けること。
晴れて無罪が証明されたら。そのあとはお楽しみの復讐タイムだ。
これも店側とあなただけの空間ではなかなかスムーズにはいかない。
あとから恐喝だとか不当要求だとか言われて訴訟されるリスクもある。
必ず警察官に残ってもらい、過剰要求にならないギリギリのラインを、警察官に都度確認しながら、
録画もしながら、じっくり店側に要求していこう。
まーたキモフェミの煽りなんだろうな、馬鹿じゃねーのキモいんだよマジで
こんなのに騙されない様に解説すると
もうこの時点でアウトあんだよね。
勿論出演女優はAVの内容に同意して出演するのが前提で、出演し製品が販売された後でも
女優が訴えれば一定期間後に販売を差し止める訴えを起こす事が可能。(実際に販売停止になっているものも多数)
で、今回の改正のキモは「一定期間などの制限無く、女優の訴えがあればいつでも販売差し止めが可能になる」というもの。
これをしたらどうなると思う?
女優と契約してAV制作しました、制作費かかりました、ギャラも女優に払いました、さあ販売だ!ってなった時に、女優のお気持ち一つで販売差し止められる事が可能になっちゃうの。
契約が契約として機能しなくなるから、真面目にAVを制作しようとする会社程、ギャラの調達が困難になるし、信頼出来る女優しか出演させられなくなるから、
その結果どうなると思う?
女優を暴力や恐喝で支配する、違法スレスレの制作会社が跋扈するか、
裏の連中なんて、当然、まともに契約など守る気の無い、反社に限りなく近い輩だって多数混じっている。
昭和48年(1973).6.11〔国士舘生が朝鮮学校生襲うなど大暴れ〕
東京都新宿区の新宿駅ホームで、ラッシュ時の人混みの中、国士舘高校生20人と朝鮮中高級学校生20人が乱闘となり、
喫茶店のガラスが割られ、突き飛ばされた老女(70)が階段から転げ落ちて2週間のケガを負った。
翌12日、高田馬場駅で国士舘大学生20人が「朝鮮人をぶっ殺してやる」と朝鮮中高級学校生を木刀で襲い、電車のガラスを割って3人逮捕。
5.12に国士舘大学生2人が和光高校生数人を襲い重傷を負わせ、
5.22に国士舘高校1年生(15)が他校生に暴行を加えて木につかまってミンミンゼミのマネをさせ、
6.2には国士舘大学1年生2人(18,19)が小田急線電車内で東京芸大講師(32)にからんで重傷を負わせ、
6.5には国士館大学1年生3人が小田急線電車内の吊革14本をナイフで切断して逮捕されるなど事件が続いており、
国士舘の右翼的教育方針に原因があるのではないかと国会でも取り上げられ大問題となった。
川崎市中原区小杉町の国鉄・東横線武蔵小杉駅前広場で、地元高校生三人が国士舘高校生ら二人に千円を脅し取られた事件を
調べている川崎中原署は19日までに横浜市港北区、国士舘高校1年A(15)を恐喝と暴行の疑いで補導、書類送検した。
5月22日午後4時ころ、同駅バスターミナルで地元高校生十人がバスを待っていたところ、
二人が来て「お前たち態度が大きい。おれたちは国士舘だ。金を出せ」と脅し、
近くでこれを見たC君(16)が注意したところ、二人は「生意気だ」とC君の顔を殴り、腹や背中を蹴るなど乱暴した。
さらにこれを見たD君(16)が止めに入ったところ、「やる気か、国士舘をナメるな。ミンミンゼミをやれば許してやる」と言われた。
「ミンミンゼミ」とは木などにつかまりセミの鳴きまねをするもので、同署の調べでは国士舘内部で上級生が下級生のシゴキに行っているもの。
目出度く「ゴルディアン・ノット」作戦こと21世紀型ABCD包囲網の打破を目指すロシアン真珠湾の概要が公表されたので訳す。なお註釈のうち文中のものはすべて英訳者により、数字のものは註釈ではない和訳者のたわごとである。例により和訳者は頭の悪いのと精神病質者が大嫌いだがまあ共産趣味者とかインテリゲンツィヤとかアリストクラットが労働者を"対象"と捉えるのは今に始まったことではないから特に後ろめたく考えてはいない。
第三次世界大戦は始まったようだ; 同僚たちはシャンパンの封を切っている[1] - イラン・米国間の戦争は核合意を阻害しロシア産原油のイラン産原油による置き換え余地を封じる。ホルムズ海峡の避けられぬ封鎖は原油価格をうなぎ上りにする。筆者は[ロシア・イラン間の]一般的には理解不能な合意がある可能性すら信じているが、裏付けるいっさいの事実は持ち合わせていない。
今日はただわれわれ[組織としてのFSBにとって、#WindofChange個別ではなく]の目から見て差し迫ったロシアの"出口"と、クレムリンの"廷臣"について伝えようと思う。(帝政における皇宮について言っている)
これは(実際の摘要の)"複写"ではないがきわめて正確な再話であり、いかように扱ってもかまわず、内容を伏せずに全文を転載してもよい。
この作業はまだ取り掛かったばかりであるので現在はまだ輪郭があるのみで、最終的な報告書は分量があり、詳細で、より堅固になる。今はイラン-米国紛争にかかりきりであるので、筆者はのちより自身の(この新計画に対する)意見をくわえる予定である。『ゴルディアスの結び目』は深く修正・適合される(イランが在イラク米軍基地へミサイルを発射しているため)。
誰かをいじめたり、いじめられたり、いじめを見かけたりしたことは誰しも人生で1度は見たことがあると思う。
いじめは良くない、それは周知の事実だ。しかし昨今の「いじめは犯罪。学校ではなく警察や弁護士に」という風潮はイマイチ実感が湧かない。
ニュースなどで見かける「ヤバイいじめ(=犯罪)」はいじめのうちの一握りで、たいていは「無視・仲間外れ」「悪口や陰口」「過度なイジリ」だと個人的には思っている。
でも「クラスメイトに無視されています」では警察の介入は難しい。学校や家庭が解決に導くために大人が真剣に向き合ってあげないといけないのだけれど、これがすごく難しい。子どもがSOSをあげられなかったり、親や先生が気付いてあげられなかったり、気付いても放置してしまったり……。
「あの子は仲間外れにしよう」と「おごってくれるなら、一緒に遊んであげる」と「毎月○万円ちょうだいね」と「お金用意できなかったなら殴るね」は紙一重だ。
いじめの初期(仲間外れなど)の段階で心を閉ざしてしまい学校に行けなくなる子どももいる。最後の最後まで我慢して、命を落としてしまう子どももいる。
自分が経験した話だと、問題児は問題児で固まってるので誰かがへまをすると駒として使ってる奴は切り捨てて長い付き合いだと界隈の人たちに関わらないようにしよう、黙っておこうみたいな雰囲気の言い回しをみんなで無自覚に言い続けてうやむやにしたり攻撃的な発言や糾弾には恐喝や警察を呼ぶぞって凄むのはありましたね。警察に呼ぶぞってなんだよwって思いました(笑)ゲームのコミュニティにおけるトラブルが民事裁判まで発展するとこまで被害者が食い下がれたら社会性無茶苦茶な人もなんとなく分かるかもしれないかなぁって思ってます。裁判所にesports界隈の黒い人たちとのバトルが記録に残るのは面白そうなんで。
ゲーマーの暴言について思ったのは、親にゲームばかり取り上げられたり、ゲームを世間様以上にやり込むと人物像に不利を被る世間の目は社会性を養うケースもあるのかなぁって思いました。でも流石にゲームのキャラランクやシステムに耐えられることで使われるスラングである人権を実際の人間に対してあてはめるのは、思想の軸に対等な他者がいないと見られておかしくないのではないし、esportsのコミュニティの理念自体がそう見られてもおかしくないのかなぁって思いました。自分がやってる国民的RPGも世界大会に行くプレイヤーが不正した際にその話題に反応した人へ恐喝をしたり内輪で攻撃して誤魔化したり、日本大会で末路わない派閥のプレイヤーに心無いヤジを飛ばしたり、数千人のBANやブラックリスト入りしても海外の予選から参加できる抜け穴を使って出場を狙ったりした過去があったので、ゲームの競技に取り組む人々の社会性については今後議論されるべきであろうと思います。
ゲームセンターがはみだし者を受け入れてきたんじゃない。
インベーダーゲームが出始めた頃は小金を持ったサラリーマンが主な客層だったんだが、数年もたたない内に強盗・盗難などが多発する無法地帯になってまともな人間が近寄れない場所になってしまった。
地域にもよるだろうが、当時 (1970年代後半) にゲームセンターが不良のたまり場とレッテルを張られたのは実際に不良 (というか強盗や恐喝犯) の巣窟だったからだ。
結果として一旦は急激にゲームセンターが衰退した。
今の若いeスポーツのプレイヤーはその時代とは無関係なのは承知しているんだが、ワイみたいなじいさんにしてみればああいう荒い連中はむしろゲームする場所を奪ってゲーム文化を破壊したやつに見えちゃって印象が悪い。
それがゲーム文化の代表みたいな面をして世に出るのは勘弁願いたい。
でもまあ口が荒いだけなら暴力が有った昔よりずっと良くはなってるんだろう。