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2018-01-21

正月が明けてから猫が餌を食べなくなった。心配して動物病院に連れて行ったらリンパが腫れている、十二指腸も腫れて通常の4倍くらいの大きさになっていると言われた。血液検査の結果も悪く、貧血気味で栄養全然足りていない状態みたいだった。あとから知ったけれど猫も半年に一度ほどは検診に来た方が良いらしい。もし半年前に来たらもっと治療やすくて治りやす状態だったのかと思うと猫に対して申し訳なさしかない。こんなにボンヤリした飼い主の元に連れて来てしまってごめんよ…。

早速治療が始まって、炎症を抑えるためにステロイド抗生物質を投与して栄養補給するために点滴を打ってもらい、家ではペースト状の病院食をスポイトに入れて猫の口に突っ込み無理やり食べさせることが始まった。

それから2日経って猫はカリカリも食べるようになったけれど、自発的に食べる量では栄養は足りないので相変わらずスポイトで強制的に食べさせている。

薬はすぐに効いたみたいでリンパの腫れは引いた。でも3日目、今度は心臓の周りに胸水がたまった。胸水が溜まると心臓を圧迫して呼吸が荒くなるので目に見えてしんどそうになる。胸水が溜まるとしんどいので胸水は多いときは抜いてもらっている。今日までもう3回ほど抜いた。でも胸水を抜くとき作業はとにかく猫が辛そうでみていられない。辛い。ごめんね。

胸水が溜まる原因も最初毎日点滴をしたからか?と獣医さんが疑い、点滴はやめたけど相変わらず溜まっている。6日目に血液検査の結果で分かっていた低アルブミンというものから来るものではないか?ということで決着がついた。低アルブミン治療栄養摂取することが第一みたいなのでとにかく栄養を摂ることを目標毎日何度も猫の口にスポイトを突っ込み、嫌がられながら餌を与えている。

最初の診断では消化器系のリンパ腫ということだったけれど、注射器をさしてもその確証は取れず、全然違う病気かもしれないということを4日目に聞いた。何度その検査をしても今の時点では判断できなさそうということだった。今はステロイド抗生物質が効いてるけれどリンパ腫だった場合ステロイドだんだん効かなくなってまた腫れてくる。そこで初めてリンパ腫で確定、2ヶ月くらい経っても腫れて来なければ別の病気可能性が高いらしい。病気名前が分かっても私には何することもできないのだけれど、リンパ腫かどうか分かる時が最短1週間後一番遅くて2ヶ月後で、リンパ腫だと判明した場合抗がん剤治療をしない限りもう長くないらしい。しんどいリンパ腫だとわかった時点でまた次の選択が迫られる。

リンパ腫で確定した場合抗がん剤治療をするかどうかも悩んでいる。そこまで強くないものらしいけれど、抗がん剤はやっぱり抗がん剤であり、猫には少し辛いものだろう。

気持ちが弱って人に聞いてほしくて人に話すと、もうリンパ腫と決まって薬が効かなくなれば治療は諦めて緩和療法(広い意味で)に移行した方が良いという人が割といる。そうかもしれない。実際そうかもしれない。猫が苦しみながら生き伸びたところで可哀想なだけって多分自分の飼っているペットじゃなければ思うのかもしれない。でもも10年以上毎日一緒に居ると少しでも長くまだ一緒に居たいと思ってしまう。緩和療法を選んだとしても、抗がん剤治療を選んだとしてもどちらでも後悔しそうで怖い。

やっぱりリンパ腫で抗がん剤治療をしなければもう来週には死んじゃうのかもしれないと思うと可哀想だし寂しくて仕方ない。今日は胸に溜まった胸水をかなりの量抜いてもらったから隣で寝てる猫が昨日よりかなり楽そう。年末まで寝るときにやってきてた部屋まで来てくれた。今後の日々で今日が一番この子が元気な日かもしれないと思うと辛い。

あと今は私はいろいろあって働いていないのだけれど、働いていない期間で幸運だった。仕事しながら毎日動物病院に通って2時間おきに給餌なんて無理だったと思う。

猫と人間を比べてもいろいろ仕方ないけれど、猫だとしてもこれくらい毎日悩んでつらくてしんどいのなら親や子供パートナー病気なんてもっと辛くてしんどいんだろうなとまだ経験がない自分でも想像がつく。

どうか猫がリンパ腫じゃなくて、もう少し一緒に居られますようにとお願いしている。

2018-01-20

きょうもえの話なんだけど、他人を「病気」呼ばわりすることってそこまで目くじら立てる事かと思うんだよな。

具体的な症状や病名を挙げて罵倒すれば該当する人は恐いだろうけど、病気だけならそういうわけでもないでしょ。

辞典引くと「悪いくせや行い」みたいな意味も載ってる一般的な語だし、レッテル貼りっていえばそうかもしれないけど、マスコミ公人ならともかくネット個人が使う分には別になあ。

日本死ね」も個人名出さずに政治の具体的な不満点を書いて言うのであれば、まあ下品だけど傷つく人そんなにいないからいいかなって思うわけよ。

けどきょうもえは個人相手に正面から罵倒するでしょ。程度としてはそっちのがよほど悪いと思うのだが。

もちろん品の良くない言葉は程度に関わらず使わないのが一番なんだけどな。

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-15

男という正しくない生き物になんか生まれたくなかった

男性の特徴は、政治的に正しくない、現代社会的生活に相応しくない要素を大いに含むので、男性各位はそれを自覚し、己の心身の挙動に綿密な注意を払って調和平和を乱さぬよう生きるべし。


みたいなことを、公的にも私的にもそこらじゅうから言われてるような気になる。

ヒトのオスって、そこまで不快危険で、罪悪感で縛り上げなきゃとても共生したくないタイプの間違った生物なんすかね。


この思考で厄介なのは、ヒトのオスである私にとっても、他のヒトのオスはできる限り近くにいてほしくない不快な生き物だってことだ。

いや、私自身も私の体のゴツゴツした感じ、がさつさ、デカさ、体臭、体毛、声質、闘争性、暴力性、共感性の低さ、性欲、助平心、などが不快しかたない。

から迷惑がられるのが分かる。

どれも厄介な特徴だし、どれだけ大変でもコントロールすべきかもしれない。


私の頭の中の物知りマンもこう言っている。

「君が男性なのが問題なんじゃないし、男性なことを責めているのでもない。だって男性でもエレガントで社会性の高い人は沢山いるのだから

問題は君が社会生活にそぐわないこと。君の社会性が低いこと。性差ではなく個人差として君が駄目なのだ

そうかもしれない

でもこれら悪しき特徴の中に、私が男性に生まれたが故にテストステロンだかなんだかの影響を受けて、半ば先天的に強められたものもあったんじゃないですか。

それを個人差だと、個人責任を負うべき個人的特徴だとするのは、自己責任論みたいなもんじゃないですか。

つーか、男に生まれたせいでも、私が私であるせいでもいいけど、こうなろうとしてこうなったわけじゃないのに、もっとちゃんとしろって言われても不条理を感じる。

男性差別か、迷惑なやつ差別か、どっちかを受けてるみたい。


ところで、男がやたら恋愛相手をほしがるのは、性欲の強さのせいだけでなく承認を求めてるからだっていう話を見たことがある。

それに対して「承認だったら仕事か友人関係で得ればいいだろ、女に求めるな」みたいな批判が来ていたのも覚えている。

でも私はこう思う。

男が仕事や友人だけではなく恋愛相手から承認も強く求めるのは、しばしば暴力的攻撃的で非道徳的で不快社会生活に相応しくないとされる男の性欲を受け入れてくれる人がいる、むしろ歓迎してくれる人がいるということが、男であることの恐怖と罪悪感に許しを与えてくれるからではないか

仕事や友人関係で得られるのは、得意分野への承認だ。

一方、恋愛で得られるのは、己の有害さというコンプレックス部分への許しだ。

この二つは代替可能ではないと思う。

私は童貞で職歴もないから、仕事で得られる承認恋愛で得られる承認が本当に違うかわからないけどねー。


はーーーーきれいな女の子になって女の子と付き合って暮らしたいよーーーーーーーーーー

って書いたのに全然ブクマこないから再投稿する

2018-01-14

男という正しくない生き物になんか生まれたくなかった

男性の特徴は、政治的に正しくない、現代社会的生活に相応しくない要素を大いに含むので、男性各位はそれを自覚し、己の心身の挙動に綿密な注意を払って調和平和を乱さぬよう生きるべし。


みたいなことを、公的にも私的にもそこらじゅうから言われてるような気になる。

ヒトのオスって、そこまで不快危険で、罪悪感で縛り上げなきゃとても共生したくないタイプの間違った生物なんすかね。


この思考で厄介なのは、ヒトのオスである私にとっても、他のヒトのオスはできる限り近くにいてほしくない不快な生き物だってことだ。

いや、私自身も私の体のゴツゴツした感じ、がさつさ、デカさ、体臭、体毛、声質、闘争性、暴力性、共感性の低さ、性欲、助平心、などが不快しかたない。

から迷惑がられるのが分かる。

どれも厄介な特徴だし、どれだけ大変でもコントロールすべきかもしれない。


私の頭の中の物知りマンもこう言っている。

「君が男性なのが問題なんじゃないし、男性なことを責めているのでもない。だって男性でもエレガントで社会性の高い人は沢山いるのだから

問題は君が社会生活にそぐわないこと。君の社会性が低いこと。性差ではなく個人差として君が駄目なのだ

そうかもしれない

でもこれら悪しき特徴の中に、私が男性に生まれたが故にテストステロンだかなんだかの影響を受けて、半ば先天的に強められたものもあったんじゃないですか。

それを個人差だと、個人責任を負うべき個人的特徴だとするのは、自己責任論みたいなもんじゃないですか。

つーか、男に生まれたせいでも、私が私であるせいでもいいけど、こうなろうとしてこうなったわけじゃないのに、もっとちゃんとしろって言われても不条理を感じる。

男性差別か、迷惑なやつ差別か、どっちかを受けてるみたい。


ところで、男がやたら恋愛相手をほしがるのは、性欲の強さのせいだけでなく承認を求めてるからだっていう話を見たことがある。

それに対して「承認だったら仕事か友人関係で得ればいいだろ、女に求めるな」みたいな批判が来ていたのも覚えている。

でも私はこう思う。

男が仕事や友人だけではなく恋愛相手から承認も強く求めるのは、しばしば暴力的攻撃的で非道徳的で不快社会生活に相応しくないとされる男の性欲を受け入れてくれる人がいる、むしろ歓迎してくれる人がいるということが、男であることの恐怖と罪悪感に許しを与えてくれるからではないか

仕事や友人関係で得られるのは、得意分野への承認だ。

一方、恋愛で得られるのは、己の有害さというコンプレックス部分への許しだ。

この二つは代替可能ではないと思う。

私は童貞で職歴もないから、仕事で得られる承認恋愛で得られる承認が本当に違うかわからないけどねー。


はーーーーきれいな女の子になって女の子と付き合って暮らしたいよーーーーーーーーーー

2018-01-12

ねほぱほ見た腐女子がつらつら書く(長い)

腐女子について語るときに私が語ること

https://twitter.com/nhk_nehorin/status/951099083074056202

最後腐女子用語辞典解釈違い】キャラの受け取り方が自分と違うこと。イライラすることもある。例)「番組に出てた腐女子の話に納得いかない。完全に解釈違い!でもしょうがないよね、100人いたら100通りの腐女子がいるんだから・・・」ご視聴ありがとうございました🐽 #ねほりんぱほりん https://t.co/1sVh0dQNWf

公式のこのツイートに一番「やりおる…」って思った。

そうなのだ腐女子について語ることはめんどくさい。

マッッジで。

「男って~~だよね」「女には~~な傾向があるから」みたいな語り口で腐女子を語ろうものなら大炎上約束される。

誰もが(この言い方も怖い)、「あなたはそうでも私は違う」を持っている。例え他者から見れば誤差の範囲だろうが、一人一人自分腐女子としての輪郭をはっきりと持っていて、その差違をないがしろにされることを嫌う。

なんでだろうな、「男」「女」なんてカテゴリよりずっと狭いのに。

でも、もしかしたら、本来人をカテゴリで語るなんてのはこんくらいめんどくさくて然るべきなのかもしれないが。

萌えってけっきょくなんだろな

いやもう最近のみなさんは萌えとか言わないんだろうけど

昭和生まれなので古語を使わせていただきたい。

なんで男同士に萌えるの?

萌えってどういう気持ちなの?

と問われたとき、私にとって一番原点に近い表現をしてるのは下記の動画だ。

おじさんのイメージビデオがアツい!(ヒロエトオル「最近テレビ #76」)

https://youtu.be/yWLUP2-JMnI

一応書くがエロい話では全然ない。

このシリーズ最高に面白いのでみんな見たらいいと思う。

ここで言われているのは、端的に言って、

「みんなおっさんが仲良くしてるとこ好きだろ?」である

ホモが嫌いな女子なんていません!という平成も浅い頃の暴言があるが、

少なくとも女子の多くは、おっさん同士が無邪気になかよしだとわけもなく嬉しい。と、思う。

ヒロエさんは男性なので男性にもある程度は通じる感覚なのかもしれない。

でもまあ、人と人が仲良くしているな、と見てとれるとき、その多くは喜ばしい。

子供同士が、親子が、高校生が、おばさんたちが、

にこにこと仲良く戯れていたら、やっぱり微笑ましいしなんだかうれしい。

でも男女だと、そこに性の香りが漂うと、感想の種類はぐっとかわる。

終電前の改札前でいちゃいちゃしてる男女はまあまあ見苦しい。優しい気持ちにはならない。

性欲という深くて暗い河

でも、たとえおっさんのいちゃいちゃに喜ぶ人が世の中の何割であろうと、みんなが腐なわけではもちろんない。

だってみんなチームナックスを見ても彼らのセックス連想しない。

しか腐女子はする。

(腐女子が全員セックス連想しているかというとそうも言い切れないが…ここはややこしいがとりあえず話を進める)

そもそも前述の通り、人と人が仲良くしてるのは微笑ましくても、性的な要素は多くの人にとって微笑ましくない。

腐女子は微笑ましいものにわざわざ性の要素を見いだそうとする。

原動力は愛じゃないですか」

ようやくねほりんぱほりんの話をするが、あの30分間で一番私の心に刺さったのはこの言葉だった。

人が人にかかわっていくとき、その原動力は愛じゃないですか。

(曖昧記憶かいてるので細部は違うかもしれない)

この、能天気な、使い古されたみたいな言い回しは、けれども「腐」というものの一面をとらえてるんじゃないかと私は思う。

そうなのだ。腐の世界は、すべての感情を、行動を、あるいは状態を、愛によるものだと意図的に読み違えることで成り立っているのだ。

から友情にもコンビにも兄弟にも愛を見いだすし、天井と壁にも愛を見いだす。

(ここでいう「愛」は「恋」である必要はないのだが、その辺は後述する)

そして、ここが重要なのだが、性欲とは愛に対して従であると、腐は思っている。

愛さえあれば性欲さえも微笑ましい

終電前の改札でいちゃいちゃしているカップルあんまり微笑ましくないと書いた。

見知らぬ人たちが、泊まるか泊まらいかやるかやらないか駆け引きをしているのを見るのは、何ならちょっと不快だ。

でも、それは、通りすがりの私の目には彼らの性欲しか見えないからだ。

彼らが「心から愛し合っているのだ」と認識したとき、その感想は変わる。

逃げ恥」のじれじれしたベッド回りのあれこれを見たとき、あれを不愉快に思う人は多くなかったのではないか

そこに愛を認識できれば、他者のものであっても性欲は不快ものではなくなる。

性欲を愛でくるんだ結果性欲だけが可視化された

東京駅は出たり入ったりして淫乱だわ~とか言ってる連中が

性欲が不快とか言っても説得力がないだろう。

私もそう思う。

でも、大前提として、腐は愛の存在を信じているんだと思う。

腐の妄想世界のなかでは、人は酸素を吸うように愛を吸っている。

話すのも食べるのも、笑うのも泣くのも、生きるのも、死ぬのも、すべて愛のためだ。

もちろん現実はそんなわきゃない。人は嫌うし憎むし見下すし嫉む。

でも、妄想世界のなかで、それらもみんな愛だと誤認する。意図的にする。

そこまでしてはじめて、恋について語れるし、性欲について語れる。

恋と性が大好きなわけではない。むしろ恋も性も汚い側面を有していることをよく知っている。

愛がなくたって性行為は行われるし、恋と愛は別のものだ。

からこそ、「この世のすべての感情は愛」な妄想世界トリップしてやっとようやく、恋と性について語れるのではないか

からってなんで男同士なのさ

なんでだろうね。

天井と床の間に、唐揚げレモンの間に、電車と駅の間に愛を見いだすとして、

どうして男女でもなく女同士でもなく男同士にたとえてしまうんだろう。

少なくとも私は、腐以外でこの手の「愛を見いだす遊び」をしている人たちを知らない。

これについてはいまいち私も結論が出ていないが、

「私とは違うなにか」でありかつ「同質に並び立つ二人(ふたつ)」が重要なのかもしれない。

私という現実人間は愛じゃなくて酸素吸って生きてるので私に近い要素は必要なく、

彼岸の愛の世界で生きている人たちは同じ愛を吸う同じ種類の生き物だと思うのかもしれない。

やっぱ苦しいな。単にちんこすきなだけ!っていう清々しい腐のみなさんが一定数いることは書き添えておく。

「なんでBLが好きなんですか?」←黙れ

ねほりんぱほりんでは、一人の出演者男性にしつこく付きまとわれた過去を話した。

それがマジとか嘘とかマウンティングとか違うとかはどーーでもよいのだが、

ただ、そうなのだ。腐という趣味はその人の性的経験としばしば関連付けて語られる。

本人も、「私はなぜ腐女子なのか」と考えるとき自身男性との関係性について考えてしまう。

では、愛でくるまなければ恋も性も語れないというこの増田は、一体男性にどんなトラウマがあるというのか…!????

私は、そんなの聞かれなくていいし考えなくていいと思っている。

なぜ好きなのか?を考えて、趣味過去経験を結びつける必要はないのだ。ましてネガティブものとなんてぜんぜんいらない。

自分自身にそんな素人心理分析をを試みなくていい。

何が好きなのか、どんなところが好きなのか、そんなことを考える方がずっといい。

そして私について語るときに私の語ること

でもなーーしちゃうんだよな!なんでだろうな!!

腐女子である私」を語るとき腐女子はひどく饒舌だ。

ねほりんぱほりんの三人の腐女子たちが自分はどんな人間かを語っているとき、私にとって目新しい言葉ひとつもなかった。

彼女たちの自己分析は、ネットに転がっている腐女子「たち」の語りの集大成のようだった。

どっかで見たことばっかだった。

腐女子は、「100人いれば100通り」であるにも関わらず、どこかで「私たち腐女子」という自意識を持っている気がする。

誰かの自己分析は私の自己分析で、自分について語る言葉は際限もなく膨れ上がる。

私たち」は常に語らなければならないと思っている。

マツコ・デラックス養老孟司と話しているとき

養老孟司が「いわゆるオカマの人は頭をよく使う」ということを言っていた。

マツコは「そうかもしれない」と応じた。「だってアタシ、トイレ入るときだって自分はどっちなのか考えるもの。」

マジョリティマイノリティの差は何かと言ったら、

「私は何者なのか?」を考えてしまうのがマイノリティなんだと思う。

人はじぶんがマイノリティの側であると思ったとき、「私はなぜこうであるのか?」を考えずにはいられない。

腐女子もそうなんだと思う。「私はなぜこうであるのか?」それを語るために、「私たち」は「私たち」を語る言葉を溜めていく。

ハゲ漫画とかRTとかハッシュタグとかで。

100人いれば100通りのはずの私たちは、似たような言葉を使って自分を語り、共感し、それでいていっしょくたにされることを嫌う。

私は何者であるのか。

私について私が語るとき、私は自分が女であることより、30代であることより、会社員であることより、腐女子であることを語るだろう。

このことについて考えてきた時間が段違いだからだ。

私たち」は問われ続けるし語りつづける。でもいつか、自分ネガティブ経験と腐を繋げて語る人がいなくなるかもしれない、と思う。

そのとき、きっと腐はなんでもないただの趣味になる。

2018-01-06

2018年経済容姿で揉める

今日は、母親と一緒に妹の大学受験の願書を遠くの郵便局に出しに行った。

わざわざ、こんなつまらないことを自分がするのには理由がある。

それは築地寿司が食べれるということだった。

寿司に満足して、近くの純喫茶に入ってコーヒーを流し込んでいると隣のテーブル若い女が座ってきた。

鼻が丸いようだが、上に伸びている。

母親も女の顔に注目していたようだった。

から出ると絶対に整形していると母親がいうではないか

自分は「そうかもしれない」と答えた。

2018年も間違いなく経済格差だけでなく容姿格差で揉めると思っていたが間違いないようだ。

整形がどうのこうの言っている奴がいる。

こんな状況しか続いていないので、予想以上に容姿改善技術進歩はないのではと感じる。

2018-01-04

恋人とばったりあった時どうしてます

元カノとは生活圏内ほとんど被ってないから別れた後ばったりとかもなくすごしてた。

先日、たまたま遠出した時に電車に乗り込んできたカップルがいて、女性のほうが元カノっぽかった。

しゃべり声が聞こえてきて、あれひょっとしたらそうかもしれないって気がしてきたんだけど、

顔をみて確認したところで気まずい事しかいから見て見ぬふりしてた。

ところが、自分が座っていた席の隣があいしまってカップルが隣に座ってしまった。

座りながら手をつないでイチャイチャしてて気まずく感じつつ、元カノなのかもとか思うとやるせなかった。

不幸中の幸いで目が悪いので元カノかはわからなかったし、

相手も話しかけてこないだろうから、結局のところ元カノだったのかはわからないまま終わった。

(偶然にしても)元彼が隣に座ってる状況でそんなイチャイチャするのは相手も気まずいだろうし、

やっぱり別人だったって気もするけど、別れて時間がたったのに未だに影を追ってるようでつらくなった。

今まで彼女いない歴=年齢だったから、元カノと遭遇する(したかもしれない)経験もなかったけど

そういう時どうするのが正解なのかな・・・

2018-01-02

anond:20180102142706

「純日本的」っていうのが多様性を認めないって意味ならそうかもしれない

元増田のいう「純日本」ってのにはアイヌとか含まれなさそうだし

娘の抱負

‪うちの母はスラッとしたカッコいい女性が憧れだが自分チビデブ(母の談)だからそういう格好ができないといつも口癖のように言っていた。そのせいか、娘である私にボーイッシュな格好をさせたがったし、そんな格好をさせられた3歳の私が道であった外国人に「ボーイ?」とニコニコ声をかけられたというのが、母からもう何千回と聞かされた自慢話だった。‬

‪でもその裏で、幼児だった私が欲しいと言ったお姫様ドレスも、みんなが履いていた段フリルスカートも発表会の花柄ドレスも全部罵倒対象だった。笑ってバカにして、私にさせてる男の子っぽい格好やスッキリとしたデザインの服が一番可愛いと何度も言った。うちの子が一番可愛いの子は全く可愛くないと。他の子はダサくて芋くさくてどうしようもないと。私は常に誰かへの否定を聞いて育った。‬

‪私は発達の早い子供で、文字が読めるようになるのも抜群に早かった。賢い子ってのが小さい頃からの周りの評価で、周りの多くの人達が「ご両親に似たのね」と言った。母にはそれが最高の自慢だった。でも、私は高学年になる頃には落ちこぼれて、勉強について行けなくなった。‬

勉強しろと何度も言われたけど、勉強のやり方もわかっておらず、結果は出なかった。そんな中でも自分なりに考えてテスト前に一生懸命作ったノートを母に見せたら「今更そんなことしてんの」とまたバカにされた。机に向かえば「明日は雨が降るんじゃないか」と、わざわざ私の部屋を覗いては、母は何度も笑った。‬

‪中3の頃、教室私立高校の案内本の制服特集を眺めていたら、担任が「ここの制服可愛いよな?どうや?」と私に勧めてきた。可愛い制服がウリの偏差値はお世辞にも高くない学校。今思えば私の学力にちょうどいいレベル。‬

‪でも私の答えは「制服バカっぽいから嫌」担任ものすごく驚いた顔をしたのを見て、自分がひどい事を言ったことに気づいた。二度と口にしなかった。でもこれは母からずっと言われ続けてきた事そのままだった。バカっぽい制服。そんなところには行くな、と。‬

‪結局、私は高校地元底辺校に進んだ。その程度の成績しかなかったからだ。入学説明会の日、同じ高校に進む事になった近所の小学校から同級生の子ママさんが「お互い良かったですね」と母に声をかけたんだそうだ。そのママさんは高校合格を素直におめでとうという気持ちだったんだろう。‬

入学説明会からの帰りの車の中で「なんであんな子の親に『一緒でよかった』なんていわれなくちゃいけないんだ。恥だ。」と殴られた。この件はさすがに母も後からやり過ぎたんだと思ったんだろう。数年が経った頃に「あの時は悪かった」と潤んだ目で唐突に謝られた。「別にいいよ」と私は小さな声で答えたけど、それ以外の返事が許されただろうか?‬

大学は家を出て、実家から離れたところで一人暮らしをした。相変わらず私の成績は悪く勉強も好きではなかったが、大学進学は幼い頃からずっと母に言われ続けてきた進路だった(短大、専門、就職は母の激しいdisりの対象だった)し、一人暮らしも母がそうさせたいと強く希望した事でもあった。なぜなら、母自身がそういう学生生活を送ったからだ。‬

一人暮らしを始めてからバイトをしたいと何度も言ったし、実際いくつかしたけど、その度に母は「学生のうちから働くな」「金なら全部出してやる」と繰り返し、実際私がシフトがあるから実家に帰れないといえば「そんな事より家族大事にすべき」「親不孝だ」と私がバイトを続ける事を良しとしなかった。‬

‪それに乗って「じゃあいいか」と甘えた私にも問題はあったのだろう。しかし、それからはずっと「あんたは親に全部金を出させた親不孝者」「あんたは恵まれている。親に感謝すべき」「すねかじりが偉そうに金返せ」と言われ続けている。‬

自分が認めなかった事も、自分がそうするように私にいい続けた事も、母の中では全部なかったことになって、私の希望を全部言われるままに叶えてあげた優しい親だと自分の事を思っている。そして「子供犠牲になったかわいそうな私」と繰り返しアピールするのが母のいつものパターンだった。‬

‪同じ頃、父の浮気騒動があった。母は荒れた。何度も実家に呼び戻され、家族のための時間を過ごせと言われた。当時高校生の弟と二人で、母から涙ながらに「お父さんは『エッチはしてない』と泣きながら話した」と聞かされた。何で自分の親のそんな話を聞かなくてはいけないのだろう。心底気持ち悪いし聞きたくもないと思ったが、黙っていた。弟も何も言わなかった。‬

‪泣いて喚く母の話を何度も聞き、母を否定しないように過ごした。少しでも母を否定するニュアンスのことを言えば「あんたまで私をコケにするのか」と罵られるからだ。散々罵倒されたあとは「あんなことを言って悪かったね」と泣かれる。そして「いいよ」と私は言わなければならない。おきまりパターン。そんな気持ちの悪いやりとりをできるだけ避けたかった。‬

‪両親はその後関係を修復したようで、この頃の事はなかった事のように蒸し返されることのない家族タブーになった。‬

‪母は当時はまだ少数派のフルタイムWMだった。父も一流企業研究者で、高給取りだったので、母は止むに止まれず働きたくないのに働いていた…というわけではない。母も仕事がしたかった人だった。それは別に生き方の一つの選択だと私は思う。‬

‪でも母はそうは思ってなかった。働く自分は最高で、専業主婦いか無駄無能か、そんな選択バカだ、そんなだから○○ちゃんの母親や××ちゃんの母親は…と友達の親の非難を何度も子供だった私に聞かせた。‬

‪私が学生の頃も社会人になったあとも母と同じ職を選べと何度も言われたけど、それは断った。資格を取るための金も出してやると言われたけど、その職に興味がないからと避け続けたのは、今となっては本当によかったと思う。‬

‪私は妊娠した時に、仕事も辞めて一旦専業主婦になる道を選んだ。旦那希望でもあったし、私の希望でもあったから、私たち夫婦の中ではそれで問題はなかった。‬

‪でも、母は自分が散々バカにしてきた専業主婦の道を自分の娘が選んだことが面白くなかったようで、私が悪阻が辛いと寝ていると聞けば「私は仕事をしていて悪阻なんかで倒れていられなかった」と電話をしてきては繰り返した。‬

産後、初めての育児しんどいといえば「専業主婦しんどいわけあるか」「専業主婦のくせに忙しいわけがない」とバカにして笑った。その後にはいかに自分が働きながらの育児に苦労したか辛かったか、そんな思いをさせたあんたは親不孝、感謝すべきという言葉が必ず並んだ。‬

‪産まれたうちの子供は障害児だった。たくさん本を読んでネットでもたくさんの親子に関する情報に触れた。親子で療育にも通い、子供への接し方についても多く学んだ。そんな事をしながらの第二子妊娠出産。ここまでそれなりに大変な育児だったように思う。‬

‪そして、そんな子育ての中で薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ、母の私に対するあれこれはおかしかったのではないか?そういう思いが私の中で浮かんでは消えていた。‬

‪数年前に実家リフォームをした。私はインテリア住宅特集を見るのが子供の頃から好きで得意だったのでアドバイスをして欲しいと言われ、何度も実家に通った。担当営業マンと、ここはこういう風にした方が…なんて話を一生懸命していたら横で聞いていた母が「はっ。偉そうに。」と吐き捨てるように言い放ったのは今も鮮明に蘇る。‬

自分が手伝ってくれと呼びつけておいたものの、娘が自分差し置いてイキイキと一人前に話をする姿に耐えられなかったんだろう。思えば、子供の頃から私が何をするにも「偉そうに」「いっちょまえに」「でも○○はできない」という言葉が付いてきたな、と思った。この頃から違和感がはっきりしてきたように思う。‬

‪定年を迎えた母は頻繁に我が家に来るようになった。孫へと過剰なほどの物を抱えて「ここに来ると金がかかる」と口癖のように言っていたが、どこにでもいる孫に甘すぎる祖母の姿だと思っていた。‬

‪母は会うたびに、私の掃除の仕方、家事の仕方、夕飯のおかずの品数、体型、服装生活全てを笑いながら否定し、自分はいかに頑張っているかを語っていたが、私は黙って聞いていた。母にとってそれは最高に面白いジョークのつもりだったからだ。‬

‪内心では苛立つ事もあったけど、それを表に出せば、それ以上の言葉否定されるのがわかっていた。母のその性格が治る日が来るとは思えなかった。老いていく母にもうそれを指摘するのも酷だと思っていた。だから私は何も言わなかった。‬

他人からみれば、楽しそうに会話する仲のいい母娘に見えていただろう。‬

しかしついに母と揉めた。きっかけは些細な売り言葉に買い言葉だった。私の中で剥がれ落ちた薄皮は相当な量に達していたのだろう。違和感に私が我慢しきれなかったのだ。‬

‪私に反発された事で、母は発狂した。浴びせられるマシンガンのような暴言否定。今までの私の人生否定し、いかに親不孝かを叫び怒鳴り散らしながら、自分子供(私)のせいで我慢を強いられているんだと喚き散らす母に「私にだってずっと我慢してきた事はある」と初めて言った。母はその内容を聞く事なく「お前のなにが我慢だ。親不孝め」と、また暴言否定を吐き続けた。‬

‪その場に居合わせたうちの娘たちは、自分母親(私)が目の前で罵倒される姿を見て、驚いて固まっていた。そして不安がって泣いた。その間も母の暴言は止まらず、うちの娘の障害名まで母は私への罵倒言葉に使った。娘たちの前でだ。無理だと思った。もう無理だと思った。‬

‪母は自分で「どうせ私は毒親だ」と叫んでいた。そんなふうに考えた事は今まで一度もなかったが、その時初めてそうかもしれないと思った。そしてまた、もう無理だと思った。‬

‪この先、私はどうするのか。もう答えは決まっているのではないか。本当にそれができるのか。いまはまだ立ち止まっている。‬

しかし目の前の扉は開いてしまった。扉の向こうの世界は明るいだろうか。険しいだろうか。一歩を踏み出す決意をしたい。それが娘である私の今年の抱負。‬

2017-12-27

anond:20171227153154

50代になれば子供就職してる前提じゃね?

それで800万なんていらんだろ。

子供がまだ学生で、かつ金のかかる大学に行っていてバイトもしなけりゃ奨学金も取っていない…って前提ならそうかもしれないが、

大学義務教育でもなければ、高校のように義務じゃなくても実質行って当たり前でもないし。

anond:20171227105426

いくつかある強さの種類で言えばそうかもしれないけど、それがこの童貞いじりが炎上した背景でもあるような気がする。

エッチした人数よりも頼りにしてくれたり友達の数とかの方が大切じゃないかなって。

そもそもエッチした人数は誇れるものでもないと思うんだけどね。

anond:20171227014127

環境が変わって人が変わったんじゃなくて、環境が同じだったか性格が合わなくても友人でいられたのかもしれない」

かにそうかもしれない目からうろこ

2017-12-26

anond:20171226092026

そうかもしれない

楽しいこと意外にはやる気出ない。

でも、皆は違うのか?

やる気出るもんなの?

2017-12-22

童貞を笑っちゃいけないって理屈はわかるけど

やっぱり、こういう考え方がどんどん浸透していくと、いろいろと窮屈になって、お笑いなんかはいろいろ厳しいだろうなあと思う。

「いや、人を差別するような笑いはレベルの低い芸人のやることだ。人を傷つけない笑いはいくらでもできる」という人がいる。

かにそうかもしれない

だが、そういうことをいう人が「たとえば『笑点』が」とか言い出すとげんなりする。

笑点昇太師匠の「独身いじり」するのと、童貞を笑うのと、構造は全く同じだろうが。

童貞を笑うのがマッチョイズムなら、未婚の男性を「不完全」「人格問題がある」という立ち位置バカにして笑うのはどうなんだ。

小遊三師匠女性を徹底的に「性的欲望を満たす対象」として見ることで笑いを取っているようにしか見えないし、大月秩父の争いは地方蔑視だ。

まあ、そもそも古典落語なんて、現代基準では結構差別性をはらんだ笑いの世界なんだから、当たり前といえば当たり前なんだが。

出川哲郎の当たり企画に「出川イングリッシュ」という企画がある。

アメリカで、英語ができない出川哲郎が、片言の英語を駆使しながら街行く人に道を聞いて指示された目的地までいくというロケ企画だ。

必死に目茶苦茶な英語を駆使する出川必死に耳を傾けて、思いのほか親切な人が出てきたりして、なかなかにハートウォーミングな企画だと思われているし、事実そうなのだろう。

「人を馬鹿にしていない笑い」として例に挙げる人もいる。

しかし、なぜこれがお笑いとして成立するかというと、有体に言えば、出川常人の発想を超えたレベル「バカ」からだ。

それが証拠に、出川トンチンカンなことを言うたびにテロップで強調されて、笑いを誘う仕組みになっている。

まり、これは「バカ」上から目線で笑おうという差別性がきちっと含まれている。

出川本人は誰もバカにしていないかもしれないが、番組視聴者協同して出川バカにするのが基本構造だろう。

さて、ここで「『笑点』は差別的から内容を改めろ!」とか「出川イングリッシュ出川哲郎馬鹿にしてはいけない!」とか大声で主張する人たちがでてきて、しかも「私たちの主張に与しない人たちは遅れた差別主義者だ!」と騒ぎだしたらどうなるか?

みんな素直に「ああ、そうか。自分たちの中に潜む差別性に気づかなかったなあ。これからは考えを改めなきゃ」とは思わないだろう。

なんだか、うっとおしい住みにくい世の中になったなあ、と思う人も多いだろう。

そして、そういう不満が臨界点に達したとき日本にもきっと、トランプのような指導者が現れるんじゃないかなあ? と思う。

#metooリンチじゃないについて

https://lineblog.me/ha_chu/archives/67293163.html

はあちゅうがこんなこと言ってるけど、リンチしか思えない

誤解の無いように言っておくが自分metooには大賛成だ

ネット炎上した奴が住所特定されるのも本人のSNSアカウント攻撃されるのも自業自得だと思っている

冤罪、と言う言葉が適切かは不明だが冤罪場合は勿論除くが)

過去被害告発して、腐った連中の行動を白日の元に晒すような行為もっとやれと思うし全面的に支持する

ただ、これらの行動は結果として日本司法を一切利用しない社会的制裁なわけじゃん?

そんなもんただのリンチだろ

かに#metoo自体告発だけなんだからリンチじゃないと言えばそうかもしれない

けどさ、その結果起こる事って正義感に溢れたバカや俺みたいなネットイナゴみたいなのが叩きに行くわけだろ?

その結果が分からないわけじゃないだろ

もしそうなる事が分からないと言うんであれば一体何を目的告発してるのか知りたい

そもそもこの行為の着地点はどこなんだ?

ネットリンチ目的ではないと言うのであれば告発した後どうしたいのかが分からない

リンチじゃないと言うのであれば、告発と同時にクラウドファンディング訴訟費用でも集めて訴訟すりゃいいのにと思う

煽りとかじゃなく、リンチじゃないと言うのであれば告発する事によって何を期待しているのかを知りたい

anond:20171222014925

あなたの立派な思想そうかもしれないけど、そういった考えでないと岸やはあちゅうみたいなセクハラマシンは止められないのもまた事実なわけで

部下の娘にセクハラしても、上司の娘にセクハラしたのと同等の制裁を受けるようになればセクハラの数は減るだろ

上司の考えがポリコレに従うものになるかより、ハラスメントがなくなることの方が大事

2017-12-18

anond:20171217232119

かにそうかもしれない。諦めなきゃと思い込みすぎたかも。

ありがとう、私も受け入れて気にしないようにしてみる。

ゲーム開発を依頼されたが開発費はすごく少なかった。

俺に支払われる報酬一般的金額の半分以下というひどい案件だった。

「これでは請けるのは難しいです」とやんわり賃上げ交渉しようとしたら「予算が少なくても良いモノは作れるはずです」と返されて目が点になった。

それはそうかもしれないが、それはお前が言っていいセリフじゃねーだろ。

2017-12-16

朝の通勤電車では喋らないでほしい

自分でも不思議だが、平日朝の通勤電車で誰かが会話してると、イライラしてしまう。

東京の朝の通勤電車。たしかに混んではいるが、ほとんどの人が一人で通勤しているのでほとんど誰も喋らない。車内アナウンス車両の音だけがする。

都会なので人の会話が溢れれて当然だが、朝の通勤時間は人の会話に邪魔させずに時間を過ごせる。自分にとっては大切な時間

この「静寂な空間」で喋るのは、観光中の人出張東京に来ている人。

地方の人からすると、この「静寂な空間」を異様に感じるらしい。

しかそうかもしれないが、朝の通勤電車は働く前の準備時間なので、空気を読んで静かにしていてほしい。

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