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2023-05-29

anond:20230529133457

今はそうかもしれないけど、昔何度も似たような事を乗り越えてきたんやで

しらんけど

HPSは繊細さんより過敏さんと表現した方がいいと思う

「繊細な人」というと「細やかなことに気づき大体の人にはきづかれないようなことにも気付いてくれて優しい人」みたいなニュアンスが出てしまうような気がするのだが

HPSにはそんなニュアンスは含まれず、たんに「神経が過敏な人」というだけだと思う(そもそもHPSが病名でも診断名でもなんでもないという話は置いておいて。というかなんでもないからこそ定義曖昧で図々しい人に好き勝手使われている印象)

から物事の「自分の」受け取り方に過敏なだけであり、他人を傷つけることに鈍感なことにも矛盾はない

生きづらいのはそうかもしれないけど免罪符にはならない

というか本当に繊細な人はHPS公言できないと思う、公言して配慮を求めてる時点で図々しさ満点なのでHPSではない

なので自称HPSです!って言ってるやつ全員まともに向き合う価値なし、特にやらかし言い訳に使われたらすぐ逃げろ

いいとこ生活を共にしてるとか大事パートナーくらいのレベルぐらいにしか開示するもんじゃないだろ

HPSという概念を知らずに傷だらけになっている人に教えて、その人がその概念自分の中で自衛に使うということにはとても大切なことだと思う

2023-05-28

anond:20230528121739

大企業そうかもしれないが、地元で働きたいなら高専工業の方が募集多いし、すぐに入れるぞ。

[]5月27日

ご飯

朝:なし。昼:ピザ。夜:うどんたまご納豆ネギ、天かす。間食:ガム。

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみー。

○いづみ事件ファイルVol.1潮騒

携帯電話専用として発売されていたADVニンテンドースイッチ移植版。

原作携帯電話専用ゲームということもありかなりミニマム作品プレイ時間も30分程度。

編集仕事をしている木戸いづみが担当作家鏡月正宗のトンチキな命令鎌倉で起きた事故捜査をすることになる、捜査をしていくと事故ではなく殺人事件可能性が見えてくる、美女自称する明るさと当たって砕けろの信条武器木戸いづみは事件の謎を解けるのか。

シンプル事件現場の調査をして、関係者証言を集めて、推理して、犯人特定するオーソドックスADVの良さがあった。

推理というよりは証言矛盾から犯人特定するのだけれど、短いゲームの中ではありながらも、信用のおける証言とそうでない証言区分けする楽しさと、他の証言との矛盾を見出す面白味があった。

関係者から証言を集める会話の部分も、美女自称する主人公木戸いづみの少し滑稽なシーンがあったりしてコミカル楽しい

とはいえ流石に30分のプレイ時間の中に物語らしい物語を詰め込めてはいないので、一般的文芸ジャンルとして使われるミステリという用語よりはパズルクイズや謎解きの類いに分類した方が収まりがよさそうかもしれない

事件が起きて捜査するというテンプレートと、文章自分ボタンを押して捲るというシステム根本的に好きなので、僕はこれぐらいの規模の作品でも好き。

2023-05-25

Windows嫌いのまかーってXcodeかのこと棚に上げるよな

iOS appをWindows, LinuxでSigningまでできるようにしてから言え

2023-05-17

anond:20230517180351

カウンター価値観を持つ世代が出てくるというのはそうかもしれないけど、自己実現価値観を持つ人が自分自己実現を後悔するようになるわけではないんじゃないの?だってその人はそれをやりたかったわけなんだから

カウンター価値観を持っているのにそれを達成できず「やむを得ず」自己実現した、という人じゃないとそういう後悔はしないと思うけど、「やむを得ず自己実現する」なんてことは起こり得ないと思うわ。だってその為に能動的に取り組まないとできないことだからね。

2023-05-16

anond:20230514131437

「俺もそうかもしれない」と思っているなら息子を救えるのは増田しかいないぞ…

からでも子育て積極的に関わるんだ

奥さん普通の人なら自分と違う子供を育てるなんて福祉プロじゃないと難しいんだから

あと病院に行って本当に発達障害だったらTwitter自分と息子の為の発達障害アカウントを作ったほうが記録できて良いと思う

2023-05-15

英語なんて勉強して何の役に立つの

個別指導系の塾バイトやってた時に生徒にそんな事言われたんだよね

彼は学校では「can」意味学習してる辺りだったんだが

「I can not speak English.」程度の文章理解するのを拒絶した

英語が喋れない事すら英語圏の人に伝えられなくなるよ」って言っても

日本語しか喋らない時点で伝わるよ」「翻訳アプリ使えばいいじゃん」って言われた

それもそうかもしれないと彼の言い分を聞いて思ってしまった

まぁ確かに英語喋れないって英語で喋るのは意味不明だよな…

世間ではよく「数学が何の役に立つ」「古文漢文が何の役に立つ」なんて言われがちだけど

そもそもその手の疑いなんてあらゆる知識に対して出来るって事を皆もっと認識した方がいいと思う

数学古文漢文と違ってコレは役に立つよって誰かが挙げる知識ホントに全人類に役立つ知識なんて無い

そこまで考えてしまうほど英語勉強を拒絶する生徒の話は強烈だった

まぁ単に勉強したくないだけだろうけど!

英単語意味だけでも覚えてって自作英単語リストを渡したけど

彼が覚えてくれてるかは自信は無い

毒親といるとノーを言えなくなる人がいるのは理解できるが、「ノーしか言えなくなる」ことはないのだろうか

例えば毒親が、見合いするか?といったとき、「イエス」と答えてみるとバツイチじいさんの情報を流してくる

まあ構わんと思い、見合い希望→それっきり話が立ち消える

料理作ってあげる→アレルギー物質たっぷり

洋服買ってあげる→10万円のコート1着(増田はそれに合う服など持ち合わせていない)

マンション買ってあげる→線路際の半地下の部屋で電車車輪が目の前を通る

業者紹介してあげる→詐欺業者

  

要は人をいたぶりたいのだから危険すぎて「ノーしか言えない」ということになる

そうすると、「アナタハイツモ ヒトノキモチヲ フミニジル」ミサイルが飛んでくるが、それは躱すしかない

子どもだったころは当然のように暴力言葉暴力を振るわれたが、大きくなるといたぶる方法を変えるらしい

おぞましさで、恐怖を感じる余裕がないほどだ

  

ただ、それは通常の日本人だと言われれば、そうとも言えるし、益田がいる業界では特にそうかもしれない

「期待させたうえ、期待外れにする」つまり益田は、タダの人にも業者にも、何も期待はできない、ということを知っただけである

 

2023-05-14

友人が亡くなった

こんなところでしか辛さを紛らわせないのでここに書く。やりきれなくて普段飲まない酒を飲んだ、酔っている。

いい人から死ぬって聞いた時にはそんなこと言うと長生きの人に悪いだろって思ってたけど、そうかもしれないと今は思う。

まだ30歳、産まれたばかりの子がいる、そんな時に死んだあの子は本当にいいやつだった。

乳癌だって

子ども家族の世話で必死になって、自分の体調の変化に気づかなかったのか、気づいても他を優先したのか、気力がなかったのか。

葬式なんて5歳の頃行った婆ちゃんの以来だから、何もわからなくて、服もなくて、分からないことだらけで。前はマナー講師バカにしてたような記事ネットで読み漁って行ったよ。

死が身近じゃなかったから、いろんなこと分かってなかった。分からずに言ってた言葉、「もう死にそう」はまだしも「死にたいわー」はバカすぎて自分が嫌いになる。生きたくても生きられなかったあの子は死にたくなかったよ。

頑張るな、自分大事しろ、みんな、生きてほしい。これを目にした全く知らないあなたも、どんな人生でもいいから生きてほしい。会うことはないかもしれないけど、同じ空気を吸って、同じ月を見よう。

価値とか、プライドとか、善悪とか、今はどうでもよく思える、何でもいいからみんな可能な限り健康でいてほしい、それに何の価値があるかは分からないんだけど、全ての人のいのち尊い

2023-05-12

アファーマティブアクション肯定派はポジショントーク

アファーマティブアクション正義の面した差別に他ならないからね。アファーマティブアクション肯定公言している奴には息子がおらず娘だけみたいなギャグがよくある。自分の娘に下駄を履かせたいバカ親が正義の顔してアファーマティブアクション必要だとか言ってんの。バカしかないでしょ。

アファーマティブアクションは本当にバカだよね。黒人奴隷にされてたか黒人優遇しようとかいう短絡的な発想で実際に被害を被った奴隷の子孫は大した恩恵を受けずにアフリカ王族の子供とかが楽して受験受かるみたいなのよくあるからね。オバマカマラハリス奴隷の子孫じゃないでしょ。女が差別されてたとか機会が制限されてたとか大昔はそうかもしれないよね。でもさ、今の若者はみんな知っているんだけど、女は女というだけでかなり得してるよね。特に理系女性優遇はえげつないよ。差別じゃなくてなんだろうね。頭悪いジジババの昔の思い込みで割を食う若者という構造は無くならないねアファーマティブアクション肯定派は全員死ねばいいよ。

anond:20230512082023

これはそうかもしれない

ワンオペと状況が一緒でも、助けてくれるはずの人がいるのに助けてくれないのは精神的にかなりきく

2023-05-08

結婚して子供を産むのが正しいの、生まないのが正しいのでケンカしてる光景インターネットでザラだ。

そんなもの正しいと思ってる人には正しいし、そうでない人にはそうでないだけの話で。意味があると思ってる人にはあるし、無いと思ってる人には無いだけ。

当然の話で、人が生きるのも、社会に参加するのも、生物が種を残すのも、理詰めで言えば何の意味もない。存在の話ではなく当為のそれなんだから

大人義務責任?どこから湧いた?生産性?何の為の?社会の維持?何の為に?人権思想?何の為に?生きるため?なぜ?

子供を作る事に限らず、人の営みはリンゴが上から下に落ちていくのと本質的には何も変わらない。

現実的議論としては、人権思想公理であり土台となっていて、そこで一旦は打ち切られる訳だけど。それにこれはあくまで「お気持ち」や「主観から離れた場合理屈だ。

まあ人権という公理から導き出される規範一義的ものではなくて、それぞれの解釈が対等だからまた言い合いになるんだけど。

その対等な言い争いは民主主義と呼ばれて割と尊重される。しか人権を認めるのであれば、人に結婚出産をするな、しろ強要できる道理はどこにもない。

そもそも社会を生き長らえさせる意義を感じていない人間に対して、子供を持つ事がいか社会の持続に必要かを説いても無駄

人生に先立った苦しみなどなく、行い次第で如何様にも幸せになれる。と信じている人間に対して、辛く苦しいだけの生を生み出す残酷さを熱弁するのも然り。

前提が揃っていない段階で話をしてもボタンの掛け違いになっている。

共通認識を揃え、対等な異なる意見を持ち寄って考えを深める事はあっても、最終的にどちらに転ぶかは自分の納得の問題だ。

全ては無意味、と言うとすぐ冷笑と抜かす人間がいる。無意味開き直りさら他人を巻き込もうとすればそうかもしれない

しか規範において、理詰めで言えば無意味である事実は変わらない。

それを歪めるのは不誠実な物の考え方ではなかろうか。いくら生活の為にはある程度の忘却思考停止必要と言ったって。

ともかく、無意味はいっても自分の中で実感や確信に基づいて意義を見出す事は可能だし、多くの人がそうしてきて、今もそうしてる。

そもそも意味などを問う以前に、まず生きる事そのもの価値のある、というよりあまりにも当たり前のものだと思っている人も少なくないんだろう。

しろその方が多いかもしれない。もっともそれにしたって、意識的であれ無意識であれ生を肯定する規範信仰、納得を持っている訳だけど。

世界に元々用意された意義なくて、そこに「正解」を用意したらそれは宗教だ。

別に宗教が悪いとは1ミリも思わないけれど、それを押し付けるのがいかグロテスクかは歴史を見れば明らかで。

他者生き方に口出しをしてかくあるべしというのは、自分選択に腹の底から納得できていないじゃなかろうか。これは理屈の話と言うよりは邪推だけれど。

一度きりの人生自分選択が、価値観が「間違い」だなんて思いたくはない。そんな疑問が浮かびもしないほどの実感と納得がある生き方をしたいもんだ。

でもそう強い人ばかりでもない。自分選択に自信がないが、自分の中に納得の源泉がない。だから外部にそれを求める。他人肯定してもらいたい。

同じ意見を持つ人間と集まって、互いに肯定し合う。あるいは単純化した二項対立の上、自分の対岸にいる者を「間違い」だと断罪し、そして自分は正しいんだと思う。

そうした正当化健全か不健全かは知る由も無い。が、考えの異なる者同士、互いに説教罵倒を受ける道理は無い。

視野狭窄知識が足りていないように見える人間に対して「こういう見方もあるよ」と助言する事はあるかもしれない。教育とは、学びとはそういうものだ。

しかしそれが強く押しつけがましく攻撃的で否定的、あるいは過剰に肯定的なものですらも、そこには自分と同じでない他人への苛立ちがあるのかもしれない。

多数決安心したい、人と一緒でいたい、と。

社会の利害調整を問うなら互いに言い分もあるだろうけれど、生き方問題に口を出すのはナン ノブ マイ ビジネス(夜に影を探すようなもの)だ。

その点、受け売り胡散臭い政治思想アイデンティティ価値観が悪魔合体している人は非常に厄介という事になる。

まあ上から目線説教する道理もなかろうけど、なかった所で誹謗中傷やらにならない範疇批判をするのも勝手だ。

よしんば中傷じみた人格攻撃でも、そんなもんネットに溢れてるし、それで捕まるのも稀だ。という事を踏まえて平気でやる人間がいるのも事実としてある。

悲しいね

等しく無意味人生価値を見出せるのは自分だけだ。上手い飯を食うでも、芸術を愛でるでも、ギャンブルに狂うでも、何だっていい。

愛に囲まれ他者から存在肯定してもらうのも、神様を信じてみるのもいい。それは一見外部の他者価値を与えてくれるように見える。

しかし結局それによって得た納得が湧き出るのは自分の心の中だ。

「敵」を罵り「仲間」と慰め合って拵えた後ろ向きの納得よりも、内から発される声に対して真摯に耳を傾け、それに従った方が良い、ような気がする。私は。

まあ私だってきっと自分の考えに腹の底から納得できていないから、こんなサイトに長々と文章を書いているのかもしれない。

勿論意味など最初から問わない、忘却するという選択だって大いにあり得る。今際の際に蓋していたものが頭を過るのが怖くて私は出来ないが。

人をブチ殺して回りたい、それが私の納得する生き甲斐だ。こう思うのだって非難される、というか過剰に誹られる謂れはない。

なんなら思うだけではなく、法だの人権だのがいくら殺人ダメと言った所で、別に実行する事は可能なのだ。現に殺人事件は一定的に発生している。

出来るからやって良いなどとは言っておらず、可能事実があると言っているだけですからね。

当然我々が恩恵を受ける司法人権思想のもと、社会によってしばかれるだけだが。バレなきゃしばかれないけど。

茨の道が待っていると知った上で尚もその納得、価値観を手放さないというのなら、私は敬意すら覚える。当然自分が殺されるのは御免で、それはまた別の話だが。

個人主義民主主義社会範疇における多様性とはそういう事なんだろう。

お気持ちがどうとか主観がどうとかいった言葉を使って何か言った気になってる人がいるけど、事実でなく規範を語るなら感情論で当然なんだよね。

絶対的な真理、善、正義を信じる本質主義者なんで、と言われたらそれまでだけど。

金持ちネオリベかぶれるのも貧乏人がその逆になるのも当然だろうし、いくら事実論理を積んだ所で最終的には感情論

勿論ノブレスブリージュを語る金持ちも、支配者への忠義大事だと思う貧乏だっているかもしれない。

それもまた価値観や納得に基づいたものであって、どちらに転ぶか、必然性はない。

それに人を説得しようという時に必要なのは論理だけじゃない。

ブーメラン」はロジカルを自負するインターネットマンの口癖だけど、言行不一致は理屈ではなく感情問題だ。

殺人犯が「人殺しダメ」と言ったらどの口が言うかって話だけど、言ってる事は間違ってない。

でもやっぱりコミュニケーションにおいて心象というもの無視できないので、お気持ちのない、ポジショントークでない意見など神様しか言えない。

あいくら社会性に則った無難な話をした所で、「こういうヤツ、バカですw」みたいな強い言葉を使った話にばかり注目が集まるのも悲しい事ですね。

2023-05-05

anond:20230504132954

歯車が壊れたら機械が止まるのは、大抵の機械構造最適化されていて無駄構造排除されているからでは

最適化されていない社会では全体の動作に全く寄与していない歯車もあるんだろう

(それはやっぱり喩えが悪いだろと言われたらそうかもしれない)

2023-05-04

エンジニアスクール感想見ている分には高評価なんだけど

それはそれで胡散臭い。。。

いや、本当にそうかもしれないんだけど、多少何か不満はあるんじゃない?

美術芸術第一印象正義なのなんでなん

美術館の絵わからない、感想で「すげー」とか言えばバカにされるから言わない、ってやつバズってたけど、最近美術館普通に作品の横に解説貼ってあるし、解説音声サービスあるし、なんなら芸能人ナレーション吹き込んでたりしてそれ自体エンタメ化していたり。作品制作意図時代背景わかったらホホーンってなるよね。それをブコメの「情報を食っている」と言われたらそうかもしれないけど、相手作品や作者)の人となりを知ることって単純に嬉しいじゃないですか。

背景何も知らずに作品単品だけで楽しめるものは素晴らしいけど(例えばクラシックも含め大衆音楽だとその傾向は高いと思う)、作品ってその背景や制作意図までコミコミのものじゃないですか?あるいは、背景知らなくても楽しめて、背景知るともっと楽しめませんか。

作家ミュージシャンインタビュー記事、読みますよね。あれと同じ)

なので美術館行ったら作品解説は読むなり聞くなりした方が面白さが上がるし、現代音楽なんかは特に作曲者解説読むと面白さが桁違いに上がるので是非読んで聞いてほしい。

何も情報入れず、生まれ持ったセンスのみで第一印象で"わかって"しまう人がすごいとか、わからない自分は駄目だとか、そういうのは無しで。

2023-05-03

ゴールデンウィークなのに、ヤクザから逃げ回っている気分

嫌な人は多いし友人は亡くなるし、泣きたくなってくる

プーチンに狙われているウクライナの人もそうかもしれない

マジで武器欲しいかもしれない

相手ヤクザから

脊柱折られてやっと治ってきたのにさー

2023-05-01

大学病院を辞めた理由

当方地方都市で勤務する内科医

卒後臨床研修必修化付近年代である

地元医学部入学しそのまま母校の附属病院で勤務という、いわゆる地元秀才コース。数年前まで同地域大学病院に勤務していた。

研修医大学離れが叫ばれて久しいが、働き方改革でそれに拍車がかかっており、人的リソースは多くの医局において現在進行形悲惨なことになっている。

 

大学病院を辞めて時間が経ち、自分が辞めた理由を冷静に振り返れるようになったので、備忘録的に記載してみる。

多くの方がそうかもしれないが、辞職の理由単一理由ではなく、複数の要因の組み合わせである

つのことであれば我慢できても、同時期にいろいろな問題が重なるとその場に居続けるのが難しくなってしまう。

自分場合は以下に列挙する理由による。

 

 

学術活動への不適正

大学へ行く前から化学物理実験時間が苦手だった。当時から実験計画を立てて正確に遂行していくのに興味がなかったように記憶している。

大学病院勤務なので、研究の真似事や学会発表論文執筆は細々としたが、何年やっても面白くならなかった。

仕事から嫌々やっている状態で、達成による金銭的なインセンティブもなく、全くモチベーションが湧かなかった。

 

そんな折、大学より「来年から各講座への研究費は教員当たりの論文数を参考にして支給する」旨の通達があった。

まり論文数が少ない医局員は講座のお荷物になるということと同義である

今後、論文数が減りこそすれ増えることは全くないことを自覚していたため、大学から離れる理由の一つとなった。

 

 

地域医療への貢献ができないこと

弱小医局ゆえ、県内の主要病院への医師派遣も行きわたっていない状態が続いていた。

例年、研修医として回ってくる若手をあの手この手勧誘し、少しでも人員不足を解消しようと全医局員が願っていたように思う。

 

しかボス教授)より不意に、「来年からA県のB病院へ一名派遣することにしたから調整よろしくー」とぶっこまれた。ちなみにボスはA県出身である

いやいや先生、まだ県内すら充足していないのに隣とはいえ他県に人を出す余裕はないっすよ、と繰り返し伝えたが、

「もうB病院先生約束しちゃったんだよ。同じ大学の先輩なんだよね。非常勤でいいから。お金はしっかり出してくれると思うよ。」と取り付く島もなし。

やむなくスタッフを説得して派遣。B病院事務交渉したが、給与はむしろ当県としては安いレベル

あれは当該スタッフからまれただろうな・・・

 

 

ボス方針の頻繁なブレ

前項のようにボスは気分や口約束仕事を拾ってくることが多く、悩みの種であった。

科内の方針変更だけであれば不平不満をカバーすることもできるのだが、他院や他科も絡むと厄介この上ない。

 

あるときボスから、「C科と共同して新しいプロジェクトを進めることにしたかよろしくね。D教授とは話がついているから。C科の先生たちと調整してね。」

明らかに業務量が増えそうな内容であったが、自分の科の医局員にも勉強になりそうであり、資料集めを行った(一部は実費で)。

それからC科の先生方と何度か調整を行い、C科としても非常に前向き。必要人員コスト見積もれたのでボスへ報告。

で、返答は「思ったより負担が大きいねえ。うちの科としては無理じゃない?やっぱりやめようか。D教授には直接伝えないけど、医局員同士で話をつけといてね。」

いやいやいや・・・もうC科の先生方は割とやる気ですよ、そのつもりでいますよ、と話したが覆らず。

C科の先生方の視線がしばらくの間つらかった。

 

 

・他院とのコメディカル格差

この辺りは言うに及ばず。

大学病院が不人気の理由として永らく言われている内容。

筆頭はやはり夜間の緊急性が極めて低い呼び出し、夜間帯は当直医に運ばせる薬剤、採血や点滴をやらない看護師、あたりか。

挙げればきりがない。

 

 

医局員への不信

まず先に、自分所属していた医局は非常に雰囲気がよく、医局員も非常にまじめだった(と少なくとも自分は思っていた)。

年々ボス要求が強まってきているのを、皆が不穏に感じてはいたが。

 

上述の幾つか不満が頭の中でグルグル回っていた折、決め手となる2つの事態が発生した。

 

1つは後輩の医局員と患者さん、およびその家族とのトラブル

患者さんの病状に関わるような内容ではなかったものの、精神面には少なからず影響を与えそうな事象であり、明らかにこちらに非があった。

自分はその後輩のオーベンという立場で繰り返しフォローを行い、なんとか訴訟にならずに済んだ。

なお外来主治医ボスであったが、フォローの場には一度も顔を出さなかった。

 

もう1つは自分出張で不在中、および不在後のトラブルコロナ禍の真っ最中であり、どこも入院ベッド確保に苦労していた時期である

自分が長期にフォローしている外来患者さんが、自分の不在時に具合が悪くなったと受診希望があったようだ。

その日の当科救急担当の後輩(上述の後輩とは別の医局員)が電話を受けたが、満床で来院を断ったと。

自分出張から戻ってきて数日、他院他科の先生から連絡があり、その患者さんが急変して亡くなったとのこと。後輩からは何も報告を受けていなかった自分は、電子カルテを開いてようやく状況を把握した。

満床なのは分かるが、長期フォロー中の患者の具合が悪くなったのであれば、まずはフォロー中の病院患者を受けて病態評価をしたのちに十分な情報提供と共に依頼をするのが筋ではないか」と至極真っ当なお叱りを頂いた。

 

 

この辺りで急速に、力が抜けていくのを感じた。しばらく腑抜け状態が続いた。

大学病院とはこういうものだ。ボス業務が多くて忙しいのだ、仕方ない。後輩も日々がんばっていた上で、トラブルを起こしたり満床ゆえ断ったりしたのだ、やむを得ない。

だが、それを自分我慢して引き受けて、自分幸せなのか?

 

 

結局、自分フォロー患者の急変報告を受けて数か月後、大学病院退職

それから数か月は仕事をせず過ごして、今は臨床研修指定を受けていない小規模の一般病院で働いている。

全く苦労がないわけではないが、仕事に関する不満はほぼない。

家に帰ってからボスから要求や他科の先生との交渉、他院の先生からのお叱りが頭の中をグルグル回って眠れないこともない。

子供関連のイベントはほぼ皆勤賞で出席できるようになった。運動習慣がついた。酒が減った。

 

しかしたら上述した要因のうち、いくつかがなかったら、まだ大学病院で働いていたかもしれない。

それで自分がどうなっていたかは全く分からない。

 

それでも間違いなく言えること。

今、自分幸せである

 

 

追記

研究に興味ないのに、なぜずっと大学病院にいたのか?

地方の弱小医局では、そもそも大学以外にまともな研修機関がなかったりする。実際、自分の科は大学一択だった。

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