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はてなキーワード: なかにとは

2019-05-25

因果律NTRというジャンルを考えた

NTRというジャンルには重大な欠点がある。

NTR作品ではどれだけヒロインを魅力的に描こうとも寝取られた時点で『クズみたいな間男と平気で浮気して寝取られる程度の女』に成り下がってしまうのだ。

そこで俺は考えた。因果律を捻じ曲げてそもそも間男と結ばれる運命だったという風に書き換えてしまえばいいのではないかと。

例えば既に生まれている自分最愛の子供達が因果律が歪められたことにより『間男の子供だった』みたいになってしまったらなかなかに胸糞悪くて素敵だと思いませんか。

2019-05-24

好意正義じゃないし課金正義じゃない

某2.5俳優さんが某女優さんと授かり婚をする云々の周辺で、どうにも気持ちが悪いなと思って書きたいことを書く。

見ないようにしていても色々な言葉が流れていきました。

祝福する人、できちゃった婚はどうなのと言う人、タイミングが悪いと言う人、気持ち悪いとまで言う人。

あげく女優さんのほうから不用意な発信で浮気二股でどうしたこうしたで、なんかもうしっちゃかめっちゃかです。

気持ちはわかります失望したとか嫌になったとかそういうのはしょうがないと思います

でも、一回思い直してみてほしいのです。本当は、私たちオタク、つまり消費者には、彼らのプライバシーをあげつらって批判したりする権利なんてないはずです。

俳優だろうがアイドルだろうが、一個の人間として人権を守られねばなりません。

プライバシーは守られるべきです。私たち芸能人でない人々と同様に。

現にあったことは、ひと組の男女が授かりものを機に結婚を決めましたということだけです。

なんでしたら報告の義務だってありません。

授かったかどうかなんてもっと関係ありません。二股だろうが略奪だろうが、成人の二人が合意のもとに進めたことです。祝福しろはいいませんが、それは彼や彼女仕事とは本来なんの関係もないことです。

誠実じゃないという人がいます

でも、貴方お金を払った何時間か、何万円か、仕事場のなかで彼は貴方を最大限楽しませてくれたのではないですか。

逆にいえば、貴方が支払ったお金は各仕事場の彼、板の上の彼に払われたものであって、板の外の仕事をしていない状態の彼を縛るものではなんらありませんよね。

ガチ恋営業だったくせに、という人もいます

お行儀の悪い商売でしょう。しかし、これはどうにも、ホストに貢いだけど自分のものにならなかった、というのと変わらないと思います

営業」なので、「営業」が終わればそこでいったんおしまいではないですか。

営業」中に夢を見せてもらって、きっと貴方はその分に見合った金額を、自分意思で支払ったはずです。そしてそれは、彼の人生に指図できるほどの金額ではないはずです。

前途ある若い女優を産休にさせた云々という人がいます

それこそ余計なお世話です。どんなに気をつけていても授かることがあるということですから、誰かが言い立てるほど軽率なことではなかったのかもしれません。よしんば軽率であったとしても産む決断をしたのは彼女であって、結婚すると決めたのはお二人です。そういう諸々がお二人の役者キャリアに何か傷をつけてしまうのだとしたら、いまどきそれは業界の仕組みに疑義提示してしかるべきではないですか。

男女ともに自分達で決めたタイミング結婚出産を決めてよいはずですし、それによって仕事制限させられるなんてことが一般企業のなかで起きたら(起こりますけど)、批判されるのは企業側のはずですよね?(実態がどうとかは別として)

どうして芸能人のことになると、建前ですら人権を守れなくなる人がたくさん出てくるのでしょうか。

どうして、さも言ってやるのが当然のごとく、口汚く罵ったりできるのでしょうか。

どうして、正義のような振りをして、人権侵害できるのですか。

どんなにお金を払っていても、それは仕事をしている彼ら彼女らの「仕事」に払われるべきものです。

人生選択ケチをつける権利が、恋愛に口を挟む権利が、かけてきた好意お金で手に入るとどうして思ってしまうのですか。

どうしてもクソもないんですけど。

マスコミ業界マッチポンプなんですけど。

ゴシップ誌は昔から私生活を暴き立てて、恋人がいたりなんだりすることを悪いことのように書いてきました。

板の上で「恋人」を演じてくれていとしても、その人が板の外で人間的に暮らしていることが「悪」であるはずがないのに、です。

恋人」だといいなと思っているファンは、そういう私生活想像するのは避けるかもしれません。

私生活が見えてしまったら、嫌だな、夢が見れないな、ファンをやめようかな、と思うかもしれません。

でもそれは、「嫌悪」であって「正義」ではないです。

でも、ゴシップ誌は「イメージどおりでない」ことを「悪」と言い立てます

そうすると、ついファンのほうでは自分の「嫌悪」を「正義」に寄せてしまます

正義」に寄ると気持ちいいし、やっぱり他人の下世話な話も気になるのでゴシップ記事は売れます

業界側はそこに阿って、「イメージどおりでない」ことを暴き立てられたことを理由に、お仕事を降ろしたりします。(プライバシー侵害された被害者だというのに!)

そうしていつしか恋愛禁止だのガチ恋営業だのお行儀の悪い商売をするようになりました。

そしてますますイメージどおりでない」ことは「悪」に、それに対する「嫌悪」は「正義であるかのようになってしまいました。

その「正義」なるもので、好きだったはずの人の人権をぶん殴っているわけですよね。

腹立たしいです。結局は低俗ゴシップを書く人の思い通りかと思うと吐き気します。

アイドル役者なかには、「イメージどおり」であろうと努力し、私生活を律する人もたくさんいます

そして、そういう人のほうが好きだな、という人もたくさんいます

それ自体尊いことです。よりよきことです。でも、「正義」ではありません。

お客様は神様です」の話と同じです。

アイドル役者本人が、そう志すことは立派で尊いことです。けれど、そうでないことが「悪」ではないです。

まして、そうでないからと言って、「正義」の顔をしてぶん殴っていいはずがないのです。

みんな一個の人間で、おんなじ人権を持っているのですから

anond:20190524125902

機械自動生成する声、私は女性だけど女性の声がいい。

デフォルト男性声だったら、女性声に設定で切り替えるくらい。

将来、アシスタントロボットができたとして、女性型のロボットがいい。

本当は人間を模したものではなく、電子レンジ洗濯機のような、

見るから機械機械したルックスが良いんだけど、人間型の中から選ぶのなら女性型がいい。

女性型が無理なら、雄々しい男性型ではなく、痩せていて小柄で女性的な顔立ちの中性的男性型がいい。

それくらい、「アメリカ女性が好むような、性的に誇張されたマッチョ男性ルックス・声」が苦手。

イギリス人女性が「スペイン人男性は素敵」と言っていたけど、イケてるスペイン人男性の感じも苦手。

自宅にそんなロボットがあったら体調が悪くなりそう。

 

ゲイ以外の男性性的理由女性ロボットを好み、女性の半数ほどが性嫌悪的な理由女性型を好むなら、

多数決の結果として女性型の見た目が採用されることが多くなるような気がする。

接客業女性スタッフが好まれるのも、同様の理由だったはず。女性客も女性店員の店を好んでお金を払う。

女性なかには「イケメンと話すと気分が上がるからイケメン美容師指名する」という人もいるけど、

私は必ず女性美容師指名するし、同性スタッフ指名派の女性はそんなに少数派ではない。

私はレズビアンじゃない。レズビアンではないけど、女性のほうが安心するから女性指名する、

そういう女性結構ボリュームでいると思う。

それを「女性アシスタント・道具としてみている女性差別」といわれるとどうしていいかからない。

 

ゲイでない男性が同性スタッフ希望する例として、

毛深いことを気にしている男友達が、肛門まわりの毛を衛生上の理由レーザー脱毛するとき

女性看護師の前でお尻を丸出しにするのはどうしても嫌で脱毛できず、

男性看護師男性しかいない美容皮膚科が開院したのを知ったとき、すぐ契約したと言っていた。

女性視線意識するからこそ、コンプレックス部位をどうしても見せたくないという需要もあると思う。

友達とは感覚真逆で、女性看護師にお尻や性器を触らせるのが嬉しくて、女性看護師指名するような男性もいる。

性風俗店感覚で利用された脱毛サロンやクリニックは、スタッフ退職を防ぐため、男性お断りになってしまったりもする。

これを男性差別といって騒がれるのも、ちょっとなと思う。

 

友達のような感覚の持ち主の客が増えれば、男性店員需要は広がるのでは。

今のところ、イケメン美容師イケメン好き女性指名するようなシーンしかなく、

別にイケメンというわけではない男性店員の「男性にとって安心感がある」という価値があまり認められていない。

そういう世の中である限り、男性女性に貢がれるイケメン経営者管理職・高度な専門スキルの持ち主以外、働く場がないことになってしまう。

問いを立てるデザイン

東大スプツニ子!が担当している講義、「問いを立てるデザイン」がなかなかに考えさせられる内容になっている。

2019-05-23

ヴィーガンの倫理

安心してちょうだい元増田ちゃんあなたは死ななくていいわ。誤解なのよ。

あなたがどういう道筋でその“正しいヴィーガン”にたどり着いたのかはわからないけれど、私の知る範囲で(倫理的)ヴィーガンの主張のなかにその結論肯定するものは無いわ。早まらないで。

功利主義に基づく倫理的ヴィーガン観点からあなたの誤解についてお答えするわ。

飼育屠殺動物を苦しめるから畜肉を食すべきではない わかる

功利主義的には「苦痛の総量を減らす、または苦痛快楽の収支がプラス(快楽苦痛を上回る)になる」のが倫理的に良いことなのね。最大多数の最大幸福

細かく言えば「苦痛快楽」とは別の指標を用いた功利主義もあるけれど、動物倫理場合はもっぱらこれ。

したがって、畜産において“飼育屠殺による動物苦痛”が、人類の得る利益(快楽または苦痛の低減)を上回る場合、“畜肉を食すべきではない”と判断できるわ。

逆に、動物苦痛人類利益に比して十分に小さい場合、それは倫理的に許容されうるわ。

同様の理由たまご乳製品も食すべきではない わかる

同上

ただし、たまご乳製品はそれ自身苦痛を感じる能力を持たないため、畜肉と比べると倫理的ハードルは低いわ。

例えばジャイナ教非暴力重要教義の一つなので必然的菜食主義だけれど、苦痛を与えずに絞った乳は飲むわ(ラクト・ベジタリアン)。

同様の理由動物を利用する衣料品医薬品使用するべきではない わかる

同上

衣料品場合動物を苦しめずに済む代替品が豊富にあるならば、あえて動物性の衣服を着るのは倫理的肯定しがたいわね。

医薬品場合、主に動物実験に関する問題ね。この領域動物倫理的にかなりホットよ。

功利主義的な動物倫理においては、動物実験は必ずしも否定されないのよね。まあ論者にもよるけど。

動物実験における動物苦痛と、完成した医薬品による人間苦痛の低減。これの比較後者が十分に大きければ正当化され得るってわけ。

意思に反して命を奪ってはいけないので狩猟された肉や魚も食すべきではない わかる

もたらされる苦痛や死が“意思に反して”いるかどうかは、功利主義的には必ずしも重要ではないわ。

意思に反”することで、苦痛がより増えるのであれば考慮に値するといった程度かしら。

そして“命を奪う”ことそのもの倫理的評価は同上。

例えば、糧を得る唯一の方法狩猟であり、それをしなければ(人が)死んでしま場合狩猟による動物殺害倫理的正当化され得るわ。

同様の理由採集することによって植物の命を奪う野菜も食すべきではない わかる

植物は(少なくとも痛みが神経系によって発生するという生物学的知見を踏まえれば)苦痛を感じないため、功利主義的には道徳的考慮対象ではないのよ。

ちなみに、倫理的考慮対象となる立場を「道徳的地位(Moral standing)」と言うわ。

「何が道徳的地位を持つのか」というテーマは分野や論者によって異なっているわ。功利主義場合、「苦痛を感じる能力を持つ」ことが道徳的地位を持つ条件ね。

厳密に言えば動物でも苦痛を感じない、例えば海綿動物(きわめて原始的動物群。神経を持たない)、も功利主義的には道徳的地位を持たないと言えるのね。

また、道徳的地位は持つ/持たないの2択ではなく、強弱も存在しているわ。功利主義なら苦痛を感じる能力の程度ね。

例えばエビ1匹を殺すより、ヒト1人を殺した方が倫理的に悪いと判断できるわけ。

これは個々の人間にも適用でき、健常な成人を殺すより新生児や重度の知的障碍者を殺す方が倫理的に悪くない(もちろん両方悪いが、比較すればそうなる)。

功利主義者がリベラリスト(の一部)、特に障碍者支援者などから嫌われるのことが多いはこれが理由ね。

落ちた果実採集することによって本来その栄養を得るはずだった生物の命を奪うことになるので食すべきではない わかる

同上

命を奪うかどうかにこだわってるようだけれど、功利主義的に重要なのは苦痛よ。死は苦痛の一形態たり得る資格を持つというだけ。

功利主義安楽死だって肯定できるのよ。状況によるけれど。

自然破壊につながる水道水ミネラルウォーターを飲むべきではない わかる

地下水の利用は自然破壊につながるので湧き水は飲むべきではない わかる

川の水や雨水を利用するのは生態系に影響を与えるので飲むべきではない わかる

んー?ここら辺は倫理的ヴィーガンよりも環境主義ヴィーガンの主張に似てるかしら。

でも環境主義ヴィーガン場合畜産養殖(の一部)による環境負荷を語ることが多いから、ヴィーガンの主張としてはあまり見ないわねこれ。

水資源の利用による環境破壊はあるにせよ、この書き方だと曖昧過ぎるのよねえ。元増田ちゃんもうちょっと具体的にお願い。

なお、功利主義的に答えるなら、その営為で発生する苦痛人間快楽(または苦痛の低減)を上回らない限りOKってことになるわ。

酸素を吸収し二酸化炭素排出するのは生態系に影響を与えるので呼吸すべきではない わかる

地球温暖化寄与している二酸化炭素化石燃料などの地下資源由来で、地上で吸って吐いてした分はほぼ無関係よ。

陸上炭素循環は(長期的に見れば)収支が釣り合っていたのだけれど、地下に封印されていた(炭素循環の外側にいた)分の炭素放出されたことで、プラスに傾いちゃったわけ。

家計で言うなら年収200万円(手取り)で年間支出が200万のご家庭に、月々1万円の副収入が加わって年12万円の余裕ができましたって話よ。呼吸は年収に含まれ支出炭素固定(主として光合成による)で、化石燃料副収入

ちなみに、畜産による温室効果ガス放出(主としてメタン)への寄与はけっこうな割合(確かCO2換算で全体の約14~18%くらい)。あなたが牛ならゲップをやめるのは倫理的かもしれない。

全部わかる

人間らしい、正しい、善なる気持ちを持っていればわかるはずだ

あら?もしかして倫理学の方だった?功利主義は結果主義の一分野なので“気持ち”なんてほとんど関係ないもの

倫理主義は、雑に言うと「動機が善ならば善」というもので、良かれと思ってやれば善であるっていう素朴な倫理なのよね。

最近見直しが進んでるって話だけど、あまり勉強してないから詳しくないのよ。この分野。

呼吸し、水を飲み、命ある動植物自然から奪い、貪る者は悪魔

みんな死のう

死なない者は悪魔

功利主義からはまず導かれない結論なので、やっぱり徳倫理主義なのかしら。

でも、良かれと思って“呼吸し、水を飲み、命ある動植物自然から奪い、貪る”なら、徳倫理主義的には善なのよね。

ここまでは功利主義観点から答えてきたけれど、やっぱり本人の倫理的観点考慮しなきゃ片手落ちよね。

でも困った。元増田ちゃんがどんな倫理的基盤でヴィーガンになったのか、わからないわ。

最初の方の考えは倫理的ヴィーガンに対するよくある誤解またはジャイナ教当たりの非暴力主義Plant thoを混ぜこぜにした感じ。中盤は環境主義っぽいけど問題視する部分がズレてるし不明瞭、後半はさっきも言ったけど徳倫理学っぽいけどなんか違う。

うーん、ネットからいろんな主張(誤解や曲解を含む)を集めてきてパッチワークした感じなのかしら。

ヴィーガンへのバッシング目的で書かれたなら「藁人形乙」で済むけれど、真剣に悩んでいるなら誠意ある回答が必要よねえ。


けっきょく“正しいヴィーガン”が何なのかはわからなかったけど、変な結論から脱却するための私的おすすめ方法を3つほど挙げてみたわ。

良ければ死ぬ前に試してみてちょうだい。チャオ!

(1) ヴィーガン辞めちゃう

辛いならヴィーガンなんてやめちゃっていいと思うの。割に合わないわ。もし心苦しいなら減肉食主義(Reducetarian)くらいから始めてみたら?

私も環境主義観点(スパイスとして功利主義も一振り)からSemi-vegetarianやってるけど、あまり縛り無いから楽よ?

ヴィーガンから偽善だなんだ言われるかもしれないけど、まあいいじゃない。自分が納得すればいいのよ。

(2) 勉強する

ヴィーガンやるなとは言わないけれど、何かしらの倫理的または論理的支柱がないと厳しいと思うの。

元増田ちゃんの考えを見るに、あまり一貫した基盤を持っていなさそうだし、環境問題についても詳しくなさそう。体系立てて学ばないと混乱して変な結論にたどり着いちゃうものよ。

いろんな視点、論者ごとに調べてみて、自分に合う立場のものを探してみるといいわ。まずは模倣からよ。

おすすめピーター・シンガー。「すごいなあ。ぼくにはとてもできない」ってなるわ。

(3) 食生活ヴィーガン(Dietary vegan)になっちゃ

食事だけヴィーガン健康目的が多い。一番気楽なタイプヴィーガン動物倫理とかうっちゃってる(またはつまみ食い)。毛皮のコートも着ちゃうかも。時たまニセ科学に両足突っ込んでるから注意。

やめたいときにやめられるし、始めたいときに始められる。亜種として一時的ヴィーガン(Part-time vegan)なんかもあるわ。

ちょっと一週間くらいヴィーガンになるかー」とかできちゃう。「それヴィーガンなの?」という気持ちに蓋ができるならおすすめ

2019-05-21

傲慢人間就職活動なんかしてすみませんでした。

志望動機は良いので、あなたが働く本当の意義を5つ答えてください。」これは、とある企業面接唐突に聞かれた言葉である。このことを聞かれた際、一瞬頭が真っ白になってしまった。

本来ならば、頭が真っ白になったとしても単純に思い出す、というよりは腹のなかに溜まっているものを取り出すことができれば問題なく回答を続けることができた。できるはずだった。

自分の知見を広げるため」

自分視野を広げるため」

相手の知見・視野を広げるため」

ここまでは回答が出来た。ここまでは良かった。(今考えれば「働くという行為の中でわざわざ取り上げる必要ある?」と返されているので全然良くなかったが。)

しかし、それ以上がどう考えても出てこなかった。


まりながら無理やり捻り出した言葉が「地域」「日本」という単語であった。

「君、理想だけで話しているよね、仕事想像ついてないよね」

面接官に上部だけの言葉は見透かされていた。

自分仕事の内容自体は知っていても、それを数あまたとして関わる人たち、会社というものの具体化が出来ていないこと、頭の中での拙い想像しか考えが出来ていないことを先の厳しい言葉で指摘されてしまった。

何を話し直そうにも、この事実存在している時点で私の発する言葉面接官には一言も響かない。

「考えが散漫している」

「その理由ならこの会社で働く必要はないのではないか

自分で何でもできると思っているでしょ。そんなの仕事じゃないよ」

ただただ正論提示されているだけなのに、半ばパニック状態になってしまった自分にはもう正常な思考が出来なかった。

せめてもの耐えとして表情だけは曇らせなかったが、もはやそんなことはなんの意味も為してないことは自ずより明らかであった。

当然ながら、この企業からは何の連絡もいただけていない。

思えば、自分というものなんて高々20ちょっとの塵のようなものの積み重なりでしかなくて、そんなもの風が吹こうものなら一度になくなってしまう。

環境にはとても恵まれていた。助けられて、助けられてようやく大学に受かり、サークル活動して、代表をして、勉強をした。することができた。

それなのに、知らず知らずのうちに「自分努力だ」なんて励ましの言葉鵜呑みにして、誇るようになってしまった。

「自信を持っていい」なんてなんて励ましの言葉鵜呑みにして、尊大人間になってしまった。

傲慢

気がついたら自分はそういう人間になってしまった。

就職活動で素の自分を暴かれてしまった。

暴かれたくなかった。

傲慢自分を見透かされることではなく、「傲慢」という殻の中に何も残っていないような、それこそ芥子粒のような自分が見られたくなかった。

いや、そもそも見られたくないという感情すら傲慢だ。

あぁ、就職活動がもはや何を意味しているかすら分からなくなってきた。

何で就職活動では自身の夢や目標を語らせるのだろう。

すれ違う人々、車内で隣に立つ人々が日々夢や目標に憧れているとは思えない。「会社辛い」「やめたい」なんて言葉が世に溢れているのだろうか。

何で就職活動では謙虚さを求めておきながらリーダー経験特殊経験を求めるのだろう。

矛盾しないはずなんだろうけど、そうなんだろうけど、若輩者にそんなのは無理だ。いや、自分が「ダサい」だけか。

「お祈り」はマッチングミスだなんて言葉があるけど、どうやら私は社会マッチングミスしているみたいです。

何とかして手に入れた経験体験を「面白い」「すごいね」と評価していながら「お祈り」する人たち。

からと言って面と向かって否定なんてされたところで潰れてしまますけどね。

ほら、私は傲慢人間です。

こんな自分に夢や目標を語る価値もありません。

傲慢という殻で包まれ自分にそんなものがあると思いますか。

こんな自分謙虚さがあるとも思えません。

心のどこかで「傲慢」を取り去れば上手くいく、なんて「傲慢」が私を覆っているのです。


自分自身自分経験否定したくない「身の丈」が分からない「世間様」としては善いとされる学歴経験を身にしたそんなものを自ら捨てられない捨てればいいって言うんだろうお前はそんな体力も気力も心も全部否定と「肯定」という名の否定の嵐ですり減って今にも倒れそうなんだ世間はお前のことをそこまで気にしていやしないと言うだろうだからってそれを観ているのは自分だそう感じているのは自分だそうだよ私は承認欲求がなければ生きていけないんだよ自己肯定感がないんだよ苦しいんだよ苦しすぎて逃げ道も逃げ道への逃げ方も足の踏み方も足の上げ方も全部全部全部見失ったよ



それでも悪いのはこの自分です。

傲慢人間就職活動なんかしてすみませんでした。

2019-05-19

母親か、中学時代女友達か、総務部女性結婚したい

多動と知的障害は無いけど、注意欠陥の酷い人生だった。

忘れ物

・提出物をやっていない

・次が移動教室であることを忘れる

履修登録ができない

単位を把握できない

グループウェアに外出予定を入れているのに遅刻しかける 

父親は私より酷く、落ち着きがなくて不注意だ。遺伝なのだろうと思う。

専業主婦母親は父の秘書のようだ。父が全くできない、書類手続きからスケジュール管理まで、母がやっている。

 

私は中学の頃、面倒見の良い友達に頼り切りだった。

移動教室の前に「移動だよ」と声をかけてくれ、提出物についても「持った?」と声をかけてくれる。

その友達が注意してくれるおかげで先生からの怒られが激減したし、

周囲からも要介護者と介護者のような関係とみられていて、私自身、ガイジを自称して、友達を神と呼んでた。

テストの点数が良くて提出物を出さな子供教師は憎む。

小学生の頃は、担任ガチャだった。不注意を特性とみるタイプと、「教師馬鹿にしている」とみるタイプがいて、

後者に当たったときはひたすらいじめられた。後者タイプテストの点数が悪くて不注意なのは仕方ないとしても、

テストの点数が良くて不注意なのは教師馬鹿にしているからと考える。

 

高校では友達と別の高校に進学することになり、日常のすべてが苦痛しかなく、私は自殺未遂した。

それからは母が、父だけでなく私の秘書もやるようになった。単位と持ち物の管理はすべて母がやった。

すべきことを整理して指摘してくれた。母に面倒を見てもらえなかったら高校大学卒業できていないと思う。

 

学歴はそこそこで、面接は得意なので、就職は上手くいった。でも一社目は不注意が酷くて針の筵になり退職した。

半年鬱状態で引きこもった。

再就職した二社目では、総務部女性が不注意を指摘してくれるおかげでなんとかミスなく続いている。

 

私の人生が「なんとかなっている」か「なんともならずに自殺を考える」かは、

母親か、中学時代女友達か、今の会社総務部女性のような人が、支援してくれるかが全てになっている。

幸福を感じられるか、鬱状態で常時希死念慮のある状態になるか。

「〇〇に気をつけろ」と指摘してくれる人が近くにいるかがすべて。

 

元彼は5人いる。

私との結婚を望んだ元彼もいるけど、「主婦になって俺を支えてくれ」か「今の年収を引き続き稼ぎながら俺を支えてくれ」という人だけ。

高校生で死のうとしたときも、一社目を辞めて鬱状態になったときも、彼氏はいたけど、救いにはならなかった。

「〇〇に気をつけろ」と指摘してくれる人がいるかどうかが私の幸福感のすべてで、励ましや褒めは何も影響しない。

具体的な指摘と、どうしても出来ないことを代わりにやってもらうこと、でしか私は助からない。

男は励ましと褒め言葉だけで片づけようとする。要らない。それでは何も解決しない。失敗の回避ができない。助からない。

 

中学時代女友達24歳で結婚した。総務部女性も既婚者だ。よく気づく面倒見の良い女性は、男性に確保されている。

男性はだいたい、女性に対しては、私の母親中学時代女友達総務部女性のような特性を持っていることを期待する。

私はむしろそういう女性必要としていて、日々助けられて、失ったら鬱・自殺未遂するような人間から男性の期待が重圧でしかない。

男性女性のことを、男性の面倒を見て子供を産む生き物、と認識している。私個人ガイであることが見えていない。

n=5に過ぎないけど、女性に対する期待が高すぎるから、私がガイであることを認識できない。

 

現在年収は600万円。専業主婦を養うにはギリギリラインだと思う。

でも私に注意喚起家事をしてくれる人を養えるものなら養いたい。

実家暮らしから母親から「私がボケたり死んだりしたらどうするの」と笑いながら言われたりする。

笑い事じゃなく、母親が死んだら破滅すると思う。母親には健康長生きして欲しいし、母より先に死にたい

母親が居ない状態で生きさせられるくらいなら、死んだ方がましだ。

あと総務部女性妊娠転職をしてしまうと、それも終わりだ。また仕事が成り立たなくなり、鬱、退職引きこもりになると思う。

総務部女性小学生の子供がいて、残業ゼロで働いている。職場ではそのせいで、軽い働き方という認識をされている。

私にとってはその女性いるかいないか職場のすべてで、死活問題なので、ことあるごとに褒めちぎるようにしている。

その女性がいないところで、「〇〇さんがいるから今のパフォーマンスが出せてる、〇〇さんが居なくなったらおしまい」と繰り返し主張している。

でも人の妊娠転職妨害なんてできない。そう考えると、非常に不安定年収600万円だ。

から必死貯金している。ADHDに多いとされる浪費傾向は私にはない。躁が出ることもない。

 

父が妬ましい。父は私より不注意の程度が酷いのに、助けが常にあるから自分ミス直視したことがなく、私のような挫折経験していない。

不注意の自覚はあるが、男だからチャームポイントになるとすら思っている。

いわゆる「強者男性」のなかに父のようなタイプは多い。

総務・秘書女性から面倒を見られているのでミスをせず、支えられている実感もあまりなく、当たり前と思っている。

支えを失って、不注意の結果としてミスを連発、迷惑をかけ、怒られ、舌打ちされ、職場が針の筵になっていくという経験が無い。

弱者男性」には支えてくれる女性が見つかりづらいから、そういう経験のある人が多いかもしれない。

しか男性は、支えてくれる女性がいることを当たり前だと思い過ぎだと思う。

強者男性は当然のことと思っているし、弱者男性は「男なら得られて当たり前の権利が不当にはく奪されている」と思っている。

 

私は母親か、中学時代女友達か、総務部女性のような秘書能力の高い人であれば、

外見が男性であっても養いたいけど、「養われ希望」の男性ヒモ研究者だ。

ヒモ希望ママ希望男性は、お金にも世話にも困っている。お金をくれて世話もしてくれる人を求めている。

彼らは猫に生まれるべきだった。しかし猫に生まれなかった。

研究者も、人の世話はできない。学力偏差値が高く過集中、興味ないことには徹底的に無関心、ほっとくと生活乱れる、であれば私とタイプかぶる

能力の欠落がかぶる人と共に暮らしても、共に破滅するだけだ。

 

父親からいつまでも実家母親に面倒みられていないで、結婚しろと言われる。

過去自殺未遂も、一社目の挫折による鬱・引きこもりも知っているくせに、そういうことを言ってくる。

父親のような強者男性自尊心の高さ、挫折のなさ、上から命じてくるところ、本当に不快で死んで欲しいと思う。

お前のクソ特性遺伝したせいで苦しんでいるんだけど?母のクローンなら鬱回避できているけど?

お前の遺伝情報が悪いんですけど?お前みたいな人間子供を作るなよ。そう思ってしまう。

不注意や過集中は男性の特徴とされている。実際、発達障害男児男性のほうがあらわれやすいらしい。

しかし娘に発現することもあるし、その場合レアであることで理解されにくい。

「女なら、男の世話ができるだろう」という目線で未だに見られる。

しかし私は女性でありながら、生きるために、女性による細やかな世話を欲する側。

男性が、パートナーではなく、「人の世話ができる女性」を奪い合う敵に見える。

人の世話ができる女性は早婚だ。母親中学時代女友達総務部女性、全員そう。

価値が高いからすぐに男にとられる。

そして発達の強者男性自尊心が高いからそうした女性子供を産ませ、遺伝させ、子供の苦しみを作るんだ。私の父みたいに。

SC70 Inf.27

絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約

常任委員会 第17会合

2018年10月1~5日 ロザ・フトル、ソチロシア連邦

趣旨説明書

楽器と附属書II 注釈#15

Dalbergia spp.、 Guibourtia demeuseiGuibourtia pellegriniana、及びGuibourtia tessmannii (ブビンガ)に関する注釈#15は、ローズウッドとブビンガの附属書II記載が以下を対象としている旨を示しております

全部位及び派生物が含まれるが、以下は除く:

a)葉、花、花粉果実、及び種子

b)積荷当たりの重量が10kgまでの非商業輸出;

c)注釈#4の対象である Dalbergia cochinchinensis各部位と派生物;及び

d)注釈#6の対象である メキシコ原産の、及びメキシコから輸出されたDalbergia spp. の各部位と派生

楽器ローズウッド及びブビンガ

 楽器産業楽器製造業向け木材供給者は、ローズウッド及びブビンガの保全努力とともに、その生物学特性保護措置及び取引について、さら研究していくことを強く支持しております。これらの樹木を守ることが重要です。

 楽器を作るのに必要となるローズウッドやブビンガの量はとても限られたものです。例えば、ギターバイオリンビオラチェロダブルバスクラリネットピッコロオーボエフルートサキフォーン、そしてピアノで、ローズウッドやブビンガを使っているものは概ね、それらを実質10kgも含んでおりません。マリンバとごく少数のピアノ類ではもっと多く使われているかもしれませんが、それでも通常は楽器あたり30kgを超えることはないでしょう。バイオリン系のような特定楽器においては、ローズウッドの使用は極めて少量でありながらも重要ですが、それは、例えば調律糸巻などに最も適した素材だからです。楽器製造業小売業そしてミュージシャンは、生計のため、そして人類経験を高めるアートを作り出すために、楽器取引をよりどころにしております総体として、ローズウッドやブビンガの全世界取引のなかで楽器が占めている割合は、ボリュームで見れば極めて少ないのですが、発行される許可割合は顕著なものです。

 素材価格の高騰は、楽器製造業と関連事業者(例えばバイオリンアクセサリ製造業のような)の限界収益性をむしばみ、生計を脅かす恐れがあります楽器は使いづづけるものですし、小売業個人の両方で長期間にわたって売却されるものですが、強制され発行してもらう許可のための費用負担はその都度発生します。ミュージシャンにとって、特にオーケストラ合奏団にとって、楽器の移動や売却を制限されることは、生計芸術活動を脅かすものとなります

 楽器楽器部品商業的、非商業的な移動が明確かつ完全に除外されていないことで、取引に重大な影響が生じ、国際的文化活動は妨げられ、CITES管理当局に不必要なな負担をかけています締約国注釈#15を置き換えるか修正しないことには、音楽世界文化は、あの最高品質トーンを生み出す楽器を失うことになりましょう……相応の保全利益もないのにです。


ダルベルギアとブビンガのいかなる注釈にも必須の要素とは:

2018年9月時点の署名者:

American Federation of Musicians of the United States and Canada.

American Federation of Violin and Bow Makers.

Bundesverband der deutschen Musikinstrumentenhersteller e.V.

C.F. Martin & Co.®

Confederation of European Music Industries.

Dismamusica.

Fender Musical Instruments Corporation.

ForestBased Solutions, LLC.

French Musical Instrument Organisation.

International Association of Violin and Bow Makers.

International Federation of Musicians.

International Wood Products Association.

一般社団法人 全国楽協会

League of American Orchestras.

Madinter.

Music Industries Association.

National Association of Music Merchants.

Orchestras Canada.

Paul Reed Smith.

PEARLE*.

The Recording Academy.

Society of Music Merchants. The SOMM - Society of Music Merchants e. V.

Taylor Guitars.

2019-05-17

本当のことのなかにちょっとだけ嘘を入れるのと、ほとんど嘘の中でちょっとだけ真実があるのってどっちがいいんだっけ?

2019-05-16

観てない映画に対するいちゃもんって多いイメージ

吹替えがクソだから

発言がどーたらこうたら

観なきゃいけない作品が多すぎる

大げさに騒ぎすぎ等々

 

別に観る必要もないけど

それでぐちぐち内容もしらない映画文句つけるってのは

なかなかにみっともない行為なのをわかってるのだろうか

エレベーター問題または電車優先席問題逆張り

エレベーター問題がどうも釈然としない。

というか、自分必要とする方優先だと認識してる上で、普段過激派の言い分に納得できなくて敢えて無視してる部分なのだけれども。

まず、人がエレベーターを使うのに上下階を移動したい以外の理由必要なくないですか?その上で、必要な方は使用すれば良いのでは?

優先だと明記されている以上、優先されるべき方がいるときは譲りましょうでいいと思うし、実際に譲るつもりはある。

ただ、そこから飛躍して「健常者が使うのはおかしい」だの「いつも健常者が並んでて迷惑」だの、さらには「健常者は使うな(専用にすべき)」だの過激派が間違った認識わたしからはそう見える)で強く批難しているのには納得がいかない。

駅の構造にもよるのだけど、導線計画してそこに設置してるのに、わざわざ使わせないの効率悪いと思う。使える資産を敢えて遊ばせとくのはもったいないですよね。

駅のなかに建設時にはなかったのに、後から福祉のためわざわざ設置しているところもありますが、後付けな分、導線が無理してたり、そもそも小型の物しか設置できずにいるところとか見受けられます。それでも、これまでは無いよりはマシ、まずはなんとしても設置しましょうで設置ができたのだと思います

ただ、それでも専用ではなく、あくまで優先にしているところが多い。施設としても、混雑解消に使って欲しいのではないでしょうか。

それでもそういうのって、電車では絶対に立つと心に決めて、かたくなに座席に座らない人と同じで、俺、私は絶対エレベーターは使わないってこだわりレベルの少数派だと思っていたので、最近コメントでそういう過激派が多数いることに驚いている。

優先すべき者を優先しないのは問題だというのはわかる。

だけれど、合間に使わせてもらうことに罪悪感を感じる必要は無いのではないか。空いているスペース、物を活用しないのはやっぱりもったいないと思う。

より不便な方で自分ルール作って我慢しようとする。さらにはそれを人に強要しようとする。ネット上で強く批難する。ギスギスした社会を作り出してるのはどちらだよと言いたい。

2019-05-15

淫夢同性愛差別という誤解

いやまあ結論から言うと誤解じゃないんですけど(マテ)、しかしながら、あれが同性愛差別に見える人は何が見えていないかというのは指摘しておかねばならないなと思ったのでやはり書こう。

淫夢について語るには、まずパンツレスリングについて語らないわけにはいかず、そして淫夢パンツレスリングはどちらもゲイビデオを見て笑う文化なので、「やっぱり同性愛差別じゃないか」と早合点してしまうのも無理はない

だがパンツレスリング面白いのは「男二人が出会い、おもむろにパンツを破きあう謎の戦いが始まる」というシチュエーションシュールさにまず笑ってしまうからであり、さらにまるで日本語を喋っているかのような、そして一貫した哲学が語られているかのような完成度の高い空耳に笑ってしまうからだ。

面白さの核はここにあったのだが、表面的には「ゲイビデオを見て笑っている」わけだから、外から見たら同性愛者を笑っているように見えるのも仕方がないし、「そう見えた時点でアウト」という立場理解できる。理解できないという人は各自同性愛者」を女性トランス黒人障害者田舎者外国人など、他の被差別属性に入れ替えてみてほしい。

そして、「彼らは同性愛者を笑っているのだ」という正しいが同時にある面では誤解でもある認識は、パンツレスリングコミュニティにあとからやってきたファンにも共有されてしまう。空耳シュールさも確かに笑えるが、それと同時に「自分が笑っている理由はこれがゲイビデオからだ」という思い込みが新たなファンのうちに芽生えてしまい、新たな認識を持つ第二世代ファンの層が拡大していく。

そこに淫夢が現れた。

なぜパンツレスリング文化淫夢文化が交差ししまったのかは分からないが、おそらくパンツレスリングを全て見てしまい新たな動画を求めたファンが、新たなシュール動画空耳動画を探すのではなく、上記に挙げたような誤解により、新たなゲイビデオを探してしまったのだろう。

淫夢の始まりである、ある野球選手動画パンツレスリング文化が生まれるより先にネット民に知られていた。その動画を見る人々の理由スキャンダルへの興味からであり、同性愛という未知の世界への下世話な興味からだった。だが同性愛者のセックスミームではない。それはドーキンスが書いた本来意味でのミームとしても弱いし、ネット使用されるモダン意味でのミームとしても伝播や定着の力に欠ける。特に後者意味において、ミームとは言葉なしには始まらない。パンツレスリング兄貴たちの語る哲学ミームだった。それがパンツレスリングシュール動画と組み合わさることでより強力なミームとなった。「同性愛から」ではないのだ。

そして、「ゲイビデオから面白いのだ」という間違った理由で新たな動画を探し、淫夢へとたどり着いてしまったパンツレスリングファンたちは、皮肉にも淫夢シュールさと言葉面白さに反応する。この面白さはパンツレスリング空耳面白さとは全く違う。奇妙な脚本によるシュールさはパンツレスリングに通じるものがあるが、言葉に関しては「演技を知らない素人にすら一瞬で分かってしまうほどの演技の下手さ」という、パンツレスリングにはなかった性質からまれ面白さ。

ミームとは自己増殖し感染するアイデアだ。ネットにおいてもそれは同じで、同じコンテンツでもコピーやす記憶に残りやすい部分ほどミーム化しやすい。だから淫夢はまずセリフからネットミーム化した。文字列としてアウトブレイクし、新たな感染者は動画を見ればその言葉がどんなにぎこちない、笑ってしまうようなイントネーション発声で話されるかを知り、さらに強固に脳に定着する。淫夢とは、少なくともニコニコ動画という集団感染が始まる場に持ち込まれた時は、演技の下手さを笑う文化だった。パンツレスリングから地続きであり、やはり同性愛者を笑う文化ではなく、それと同時に明らかに同性愛者向けのビデオを見ながら笑っていた。外から見れば同性愛を笑っているように見えてもおかしくない。

このときの住人は毎日時間ゲイビデオを発掘したり面白い発言を求めてひたすら動画を見ていた。なかに異性愛者なのに人生ゲイビデオを見た時間の方が男女のセックスビデオを見た時間よりはるかに長くなってしまい、「もはや俺は実質ゲイなのでは」と自虐ネタつぶやくようになったりし、やがて淫夢民の間で「ホモ兄貴」は自分や仲間を指す言葉として発展していく。

このことは淫夢が必ずしも同性愛差別集団ではないことを示せる間接的な証拠になりそうだ。もちろん集団メンバーが仲間はずれのメンバー攻撃するときに、そのメンバー本来持っていない属性をあえて付与するという「いじめしぐさ」はある。異性愛者が集団内の弱い異性愛男性攻撃するときにあえて「ホモ」というような場合だ。「普通の日本人」による「在日認定」とか、ラディカルフミニストによる「名誉男性認定」など、左にも右にも例を挙げれば枚挙にいとまがない。私が好きなのは亡命ロシア人作家ナボコフソビエト小説の特徴として紹介していた「あいつの親戚は実は…」というやつなのだが、興味がある人は「ロシア文学講義」を読んでいただきたい。

閑話休題。これらの例と淫夢民のホモ兄貴呼びが違うのは、身内の仲間に対して使われるという点だ。そしてホモと呼び合う彼らはゲイビデオが見たいのではなく下手な演技が見たいのだという点をもう一度念押ししておく。

そのため、彼らが次に発掘したのは新たなゲイビデオではなく、「クッキー☆」と呼ばれることになる同人ボイスドラマであることもある種の必然だったと言える。これは東方プロジェクト同人であり、あらゆる点でゲイビデオからかけ離れていたが、「下手な演技が生み出すシュール空間」という、淫夢民の大好物でできたコンテンツであったために、淫夢世界構成する重要なパーツとなった。しかしながら、彼らの二人称代名詞は「ホモ兄貴」であり、一人称複数は「ホモ」が定着してしまったため、外から見ると「同性愛者をネタにして笑う集団」という印象は避けがたく結びついてしまった。いまさら風紀委員会が出てきて不適切自己への呼称を改めようとしても手遅れであるネットコミュニティはそういう仕組みではない。よくはてブで左右対立や男女対立しているときに「リベラルこそこれを批判しないとダメ」とか「フェミこそこれを批判しないと自浄作用がないと思われるぞ」とか言ってるのがいるが、ネットコミュニティとは各人が集団の一員という意識を持たず、スマホパソコンの前の個人として参加するものなので、そのような「自浄作用としての身内批判」は「私の知ったこっちゃない」のである(このことを利用して、頭のおかし個人鉄砲玉として社会的生命犠牲過激なことをやらせて「あれは個人のしたことだから」と切り捨てるメソッドに左右ともに手を染めており、セレクティブエネミーとして叩けるという利点を敵に提供するためウィンウィンな関係が結ばれるので双方共にこれをやめるインセンティブが働かないという地獄のような現状があるが、これはまあ脱線)。

そんなわけで淫夢を笑った彼らはまさに淫夢を見つけてきたのと同じセンサーに反応したからということでクッキー☆にも反応し、大いに笑ったのであった。

結論としては、淫夢とは素人特有の下手な演技や脚本が作り出すシュールさを笑う文化なのだが、その起源においてゲイビデオという「原罪」を負っているため、他者からはただの同性愛差別集団しか見えない呪いを受けてしまった。

痴漢なら「誤解させた方も悪い」と言うところだが、反淫夢正義の民はそれよりはるかに強い「私たちが誤解などするわけがない、私たち認識こそ唯一の真実であり正義だ」というようなことを言い「淫夢差別主義者」という等式の普及に成功した。ここにハセカラ民が流入様相さら混沌とするのだが、それを根拠原初淫夢民の意図まで批判するのは911理由に成立当初のイスラム教批判するくらいに筋違いだ。

ありえないことだが、もしもあのとき淫夢民が出会っていたのが「真夏の夜の淫夢」ではなく「けものフレンズ2」だったら、せいぜい「フレンズを笑い者にする人たちの文化」程度のポジションにとどまり差別集団勘違いされることはなかっただろうと思うと、偶発的なミーム伝播の恐ろしさに震えずにはいられない。

2019-05-13

anond:20190513004639

あくまで無粋な推測の域を出ないので、これで、これでどう思うかは分かりませんが、アセクシャルって概念はご存知でしょうか。

恋愛することがない人たちのことを指すんですが、この人たちのなかに恋愛することはないけど性欲はあるという人たちもいます。もしかするとそれに近い状態で、自分にとっての性欲と他人にとっての性欲とセックス理由けが違うことに違和感があるのかもしれないと感じました。

もちろん全く違うかもしれないので、本当に参考程度、インターネットの海にいる匿名仮面を被ったやつがなんかいってるぐらいに思ってくれたら

2019-05-12

性的快楽ってどういうのなんですか?やったことある人おしえてくださ


女性でも男性でも、自慰行為の話でも性行為の話でもいいので、それがどういう感じなのか、やったことない人にも分かるように経験説明してもらえるとうれしいです。

書いている人間:24歳女 恋人いない歴=年齢

もともと雑食・軽度のオタクだったのですが、二年ほど前から人生を曲げる勢いであ作品の沼に落ちて、本気で二次創作BLを読みまわるようになりました。身体性がちゃんと取り扱われている作品なので、わたし推している二人組はぜっったいセックスするし、そういう身体コミュニケーションを好むと確信していますしかしながら困ったことに、わたし自身セックスしたこともないし性的快感というのが何かよく分かりません。彼らはセックスが好きだと思われる、この「セックス」というものは、成人向け作品規範においては快感を生むものとして設定されている要素であるらしい・・・・・・という以上に思考を進めることができない現状では、わたしが行うことのできる考察はとても制限されてしまます。なので、やったことがある人に教えてもらうのがいいだろう、と思い、みなさまのご経験についてお話伺いたく存じます

せっかく匿名なので、以下、性というものについて現時点で私が分からないこと・考えたことについて書きました。

1.性欲について

まず最初の謎。性欲って存在するんですか?

寝ないと死にますし、食べないと死にます。でも、性的なことをしないと死ぬってわけじゃないですよね。「性欲」という言葉で呼ばれているものが一体どのような状態なのか、ということが分かりません。

仮説1-1 男性の体をもった人には生得的に性欲があり、第二次性徴によって発現する。

仮説1-2 性別によらず、生得的に性欲がある人間やそこそこの人間や皆無の人間多様性をもって存在し、第二次性徴によって発現する。

仮説1-3 性欲とは社会的構成物であり、訓練や習熟によってこの概念を獲得した人間自覚される。

仮説2-1 性欲は性行為自慰行為といった身体行為によって充足される

仮説2-2 性欲は性行為自慰行為といった身体行為または、恋愛感情の保持や成人向けコンテンツの鑑賞といった精神行為によっても充足される

仮説2-3 性欲は(上記の)身体行為精神行為の結合によって充足される

 

なんでそもそも性欲というもの存在自体を疑問視ちゃうかというと、睡眠欲や食欲のような身体欲求の形で自覚される性欲というものが私のなかに存在しないからなんですよねえ。でもわたし中高生ぐらいの頃から二次元成人向けコンテンツを見て回る、みたいなことはやってきており、なんとなくそういうことしちゃうのが「性欲」って言うんですよ、と言われるとそうなんですか~知りませんでした、って思うかも。

個人的に仮説1-1は、男性にの主体性を認めるジェンダー的な社会構造の結果生まれているような考えにも思えて眉唾なのですが、じっさいもんだい女の身体をもっている私に性欲が分からない以上、論理的には立てて置かざるを得ないなあという感じです。あっ、でも二次創作の参考にしたいので男性身体を持っているひとは定期的に性行為自慰行為をする必要性があるのかどうか教えてください。女性身体を持っているひとは最初から自慰行為のやり方が分かっていたのか練習してできるようになったのかとか知りたいです。

あと仮説1-3もちょっとそんなことはないようには思われますね。種の保存につながる行動を発現させる遺伝子の方がより受け継がれそうなので。もちろん、人間というのは自ら構築した社会文化によって本能を裏切るようにしながら暮らしているわけですが。

2.身体について

行為自慰行為って快感なんですか? 快感ってなにがどういう感じなんですか?

この文章の本題です。これについてはもはや誰かやったことある人教えてくださいとしか言えないのですが・・・・・・

成人向けコンテンツにおいては、性的なことは気持ちいいものだって価値観を前提にして大方の表現がされていますよね。でもやったことない人間からしたら、どこまでが形式的表現上のお約束なのか、真実そういうクオリアのようなもの存在しうるのかが分かりません。でもわたし推しセックスをまじめに書きたいんだ!!助けてくれ!!! まあそもそものところ身体的なクオリア認識して表象するのってめちゃめちゃ難しそうですよね。インドア引きこもり人間には身体認識することからして難しい。私がいま認識して言語化できる身体快楽って、寒い日にこたつに埋まるとか、暑い日に手首を水で冷やすとか、二度寝しようと何もかもあきらめるときとか。あるいはこの辺はかなり本命に近いんじゃないかと思っているのは、虫刺されあせもなどで皮膚をを掻きむしっている瞬間、排泄の瞬間。アダルトビデオを見てるとなんだか痒みとか摩擦とかが大事なのかなという仮説が立てられそう??

もっとアダルトビデオを見れば、真実さらに近づけるんじゃないかとは思うものの、インターネットの絵とか小説を主に摂取してやってきたので、三次元はぜんぜん探し方も分からないしあんまり楽しくもないんです、なんかこれはやや問題ある気もする。

自分でやってみれば分かるのでは、と自慰行為のやり方をググったりもしたのですがなんかぽいところには接近しつつもそんなにうまくできないです。練習がいるらしい。たいへんだな。

3.精神性について

机の上だけで考えるならなんとなくこっちの方が近づきやすい気がします。こう、犬猫じゃあないけど、お互いの信頼関係の表出としての接触を楽しむということですよね。いくらハグ好きな人間でも満員電車は好きじゃないだろってことはまあ机の上からでも簡単想像できます。ここから精神的なことが身体快楽に結びつくっていう仮説を導くことができるし、これはけっこう確からしい仮説だと思うのですが、人体って不思議ですね。ここからSMとか(『ナナとカオル』を読んだ)特殊プレイ的なものはなんとなく接近できそうな気もするのですが、そしたら逆に人間がなんで性行為をやる必要があるのか分からなくなってきました(そして性欲とは何かという問いへ戻る・・・・・・)。

性的経験についてつぶさに述べているインターネット上の文章などでも、おすすめのものがあれば知りたいです。あらゆる情報を求めていますが、人と交際してみて確かめろというコメント必要としていません。性的なこと(や人間の二者関係のあり方)について知識を得るために、じっさいに恋人を作ってみるという考えを抱いたことがなかったわけではないのですが、特に好きでもないひとに時間を使うなんてばかみたいですし、人生経験を増やすために誰かと交際したいというのは、相手人間人格否定するのに等しい考えですからね。交際ではなく仲の良いお友達で、わたしセックスやってみてもいいよって人がいるといいんですけれども。しょうがないので文献情報収集することで自分認識更新したいと思います

愛という概念について考えるために『饗宴』を読んでおり、次はフォイエルバッハの双数性についての何かを読もうと思っているのですが、こういう哲学方面でも愛や性についておすすめの文献も求めています。)

一日外出って自分でやると難易度高い

平日は仕事、土曜は生活環境のメンテや平日やれなかった巡回や録画の消費、自由に使えるのは日曜日だけ。

気づいたらそういう生活を送っているのだけど、いつまで経っても日曜日が上手く活かせない。

本を借りて丸一日じっくり読めば多少難しくても300Pぐらいは読み進められるだろう。

やれる。

何かしらの趣味や特技も週10時間練習すれば、年500時間練習できるから2年でそれなりの形にはなるだろう。

何かしらやれる。

とはいえ、何かしらを続けるほどの勢いなんてそうそうつけられないので、思い切ってなにかやるにしてもせいぜい1日外出ぐらいのもんだろう。

だがこれがなかなかに難しい。

話題のものを食べに行くとか、テーマパークに行くとか、どれもいまいちパッとしない。

正直丸一日あるなら引き込もってゲームやり続けた方が楽しいもんだ。

バズってる展覧会ちょっと顔だして暇そうにしてる学芸員に詳しい話を聞いてみたりするのも年に2回ぐらいなら楽しいけど、それ以上は飽きる。

1日をがっつり使うのってやっぱ難しいな。

井之頭五郎とかハンチョウが人気あるのも、そういうのをさらっと出来るからなんだろうな。

3500円叩きつけて豪華な設備映画見てるときが一番楽しいよ。

俺がうまく使いきったと思えるのは3時間ぐらいだ。

それ以上は手に余る。

2019-05-11

不妊治療

生理が3カ月来なくてやべえなって思って

婦人科行った。

妊娠したのかとちょっと浮かれていたら

ウィーンって足をあげる機械に座って

卵が育ってませんねー。なんていわれて

薬の内服を開始した。

基礎体温をつけはじめた。

それが一カ月前。

薬をちゃんと飲んで飲みきった。

基礎体温はなんだか面倒だけど

朝寝たままで測定して書き込んだ。

ちょっととばした)

また指定された日に受診した。

また先生が、うんーまだ卵がー(育ってない)

高温期もわかりにくいねー。

なんて感じだった。

強い薬をもらった。

これがダメなら次は注射かなーっていわれて

少し怖かった。

(おなかにつんか?)

最後薬局で薬をもらいに行ったんだけど

薬剤師さんに小さな声で

不妊治療の薬で間違い無いですか?

確認された。

あーこれは不妊治療なのか。

と悲しい気持ちになったけど

そうなんです。とへらへらした。

子どもが欲しいと強く思ったことはなかった

でも、できないかも?と思った時

子どもほしいなぁ〜って思った。

話せないことを

聞いてくれてありがとう

2019-05-10

文系学問において資料実在証明するものとは何か

久々にビッグ研究不正ニュースktkr

ということでキリスト教思想史研究やってた人が研究不正で懲戒解雇された件について、報告書に目を通した上でちょっと書きます

今回調査委員会被告発者に求めたのは、以下の項目でした。

この「写し」というのはどういうことでしょうか? 資料のもの調査委員会が求めなかったのはどういうわけでしょうか?

歴史学者にとっては常識なのですが、他の分野の人にとってはどうかわからないので、解説してみます

そもそも文系はどんな材料を使って研究してるのか

これは人というか研究分野によるので、安易なことは言えません。文学哲学社会学人類学歴史学言語学とでは使う資料がぜんぜん違います

で、この被告発者の研究手法は、近現代を扱う歴史家の多くが採用している手法だと思います近現代史を扱う人たちは、

を主に史料として使います(「史料」ってのは、歴史を記録したナマの資料のこと。「資料」と呼ぶと後世に書かれた二次文献なんかも含む)。あるいは、上に書いたようなものをまとめて出版した本とかを使います

これらの史料の特色とは何か……それは、

ことです。

公文書館というのは、「お役所の書いた書類を保管しておく施設」のことです。これはどのくらいかというと半永久的にです。普通文明国ならどんなに細かな書類でも公文書館に保管されていて、(民主国家場合は)数十年して機密解除されたり(独裁国家場合は)体制崩壊して民主化したりすることによって「申し込めば誰でも読める」状態に置かれます。これによって我々はソ連時代領収書なんかをロシア公文書館で読むことができるわけです。ソ連ですら公文書を保管して後世の我々に見せてくれているというのに……いや、これは余談でした。

当たり前ですが、それらはその国(あるいは地方)の公的な記録であって、自分のものにして持ち帰ったりすることはできません。ではどうするか。多くの歴史学者

などの手段史料を入手して研究しています(ちなみに写真撮影もカネを取る公文書館結構ありますね。日本だとどうなんでしょ)。

昔の人が書いたものも、本とかなら古本屋さんとかで流通しているのを買うことができるかもしれませんが、稀覯書でなかなか手に入らなかったり、古雑誌バックナンバーとか揃えるの無理ゲーだったりするので、図書館に所蔵されているのを使うことが多いです。近場の図書館に置いてない? 相互貸借もさせてくれない? そういう場合は当たり前ですが所蔵している図書館がある街まで行きます。その図書館がある街というのが新幹線必要距離だったりパスポート航空券がないと行けない距離だったりすることも稀によくある(歴史学者研究費は旅費と本代に消えていく運命なのです……)。そして、辿り着いた図書館カメラをパシャパシャやったりコピーを黙々と取ったりするわけです(最近スキャナーが普及してくれてマジ嬉しい)。

なので、調査委員会は「一次資料の写し」を求めたわけですね。たとえ彼が清廉潔白研究者であったとしても、一次史料原本なんてふつうは手元にないわけですから

しかし、本来、彼は「一次資料の写し」を提出する必要などありませんでした。自分論文を黙って調査委員会に提出すればよかったのです。なぜでしょうか?

ここで、もう1つの大事な話をします。

文系に「実験ノート」はない

もちろん分野によります心理学みたいに人を対象とした研究だとしっかり実験ノートつけるように言われるかもしれないし、考古学とかは発掘時の状況を克明に記録しておくことが重要だったりするかもしれない。でも、少なくとも近現代史みたいな分野では、実験ノートをつける、という習慣はありません。

私は一度も、理系で求められるような意味での実験ノートを書いたことはないし、書けと言われたこともないし、書いていないことを理由に責められたこともありません。もちろん史料ノートに筆写したりはしていますが、そのノートだって別に厳密なものではない。普通研究においてノートは使いますが、それは高校までのノートと一緒で、鉛筆で書いてもいいし、好き勝手なやり方で書いていいし、なんなら途中で破ったりしてもいいごく普通ノートです。最近ノートじゃなくてパソコンとかを使って研究上のノートを取ってる人も多いんじゃないかな(手書き疲れるもんね……)。

なぜか? と言われれば、

です。

まり、「もとになった資料」というのは、理系のように自分実験室の試験管の中にしかないものではなく、別の誰かが保管してくれているものなのです。

理系学問において標準化された改竄不可能な形で実験ノートをつけなければならないのは、自分実験室の試験管の中にしかオリジナル資料がないからですよね? しか文系場合は、少なくともここまで説明した近現代史場合は、オリジナル資料はどこかの政府管理している公文書館とかどこかの大学図書館かに保管してあるわけで、そこに辿り着くまでの情報さえ明記してあればそれで十分なのです。これはドイツ連邦共和国ベルリン連邦文書館の何々というファイルに保管してある何というタイトル史料だ、とわかれば、チェックのためにはそこに見に行けばよいし、これは19世紀に書かれたほにゃららという新聞に載っていた記事である、と書いてあれば、その新聞が所蔵されている図書館を探して読んでくればいいわけです。

なので、別にどんな方法ノートを取ろうが自由なわけですね。最終的に読者がその元になったデータを見つけられるようにしておけばいいわけから

ゆえに、歴史学論文や著書には膨大な注がつけられます引用した史料のそれぞれについて「どこに保管されている史料なのか」「なんという本の何ページに書いてあることなのか」ということを書かないといけません。

なかには、史料自分の手元にある場合もあります。多くの場合それは「昔の人が出版した商業出版物」なので(たとえば、極端な例ですが『わが闘争』)、他の誰かも持っていることが多いです。もしそういう史料捏造とかしちゃうと「俺もこの本持ってるんだけど、お前が引用してる箇所見つからなかったよ?」という怒られが発生します(なお、捏造ではないですが誤訳指摘は受けたことがあります。コワイ! でも覆面査読なのにこの文献の誤訳を指摘できるってことはあの人しかいないじゃん……ってわかっちゃう! 文系世界基本的に狭い!)。「むっちゃ少数しか発行されなかった自費出版の本」とかが典拠になっている場合もあります。こういう史料典拠にするのも仕方ない場合があるんですよ……典型的には、そこまで有力ではなかった政治家とか在野の知識人とかを研究したい場合、彼らが出してる本は全部自費出版というのがありえます(あと、言語学とかだと、たとえば与那国島方言研究したい場合に一番の参考資料になるのは与那国島のお年寄り自費出版した方言辞典だ、みたいな例がありまして……与那国町が進めてる辞書出版プロジェクトむっちゃ楽しみ)。ごくごく稀に、古本屋歴史上の人物が書いた手紙の山をまるごと購入できた、みたいな奇跡があって、モノホンの一次史料研究個人の所蔵になっている場合があります。これはねえ……もう本当に個々の研究者の良心を信じるほかないよね……若手研究者だと色んな大学を移り歩くこともあるだろうから所属してる大学図書館寄付しろとも言えないしね……原史料出せって言われたときにすぐに見せられるようにしておいてね、定年退職するときは勤務校の図書館に置いていってよ、とお願いするくらいしかできない感じはあるよな……

さて、長々と書いてきましたが、要するに、捏造を疑われた研究者がきちんと注で出典を書いていれば、彼は論文調査委員会の人たちの前に突きつけて「ここに出典書いといたから、見に行って確かめてこい」と言えばそれで済んでいたのです(それが生データにあたるものなので。実際、今回の調査委員会ドイツに問い合わせたりしていますね)。もっと言えば、彼本人から話を聞く前に、調査委員たちはまず典拠との照合作業を行って、彼が誠実に引用したこと、つまり彼が研究不正に手を染めてはいないことを確認してくれていたでしょう――もしも彼が潔白であったならば。

しかし今回の件では、注に不備があったので調査委員たちは注から出典を辿ることができませんでした。そこで被告発者に「写し」を求めた結果、元となる史料そもそも存在しない、捏造されたものであることが判明したわけです。

注をしっかりつけろよ! まことにごもっとも。特に今回のケースは注の多い学術書であり、注の不備は申し開きができません。しかし、しかしです、この背景には、日本出版事情が絡んでいるのです。

「注がない本」問題

今回の被告発者は、学術書のほかに新書も書いていました。多くの新書には、参考文献リストはありますが注はありません。そして日本には、「研究者が書いた真面目な学問に関する本だが、注がない」というのが一定数あります(一応言っておくと、ここではauthor-date方式みたいな「厳密な意味での注じゃないけど、ともかくも出典を示す機能を担っているもの」も含めて注と呼んでいます)。実はこれ、文系あいだでも問題視されていることなのです。

文系学者が書いた学問に関する著書には、明白に書誌情報として区分されているわけではないですが、いくつかの区分があります第一にいわゆる狭義の「学術書」。むっちゃ小難しい語彙で書かれてて、先行研究とか新規性かに一言及して、参考文献を何十ページも載せてたりするやつです。読者は同じ学者、あるいはその卵。これで注を省くのは論外です。第二に「教科書」。これは学生さんとか初学者向けに易しく書き、内容には特に新規性を求められておらず、包括的な参考文献はなくとも読書案内がついていればそれでよし、という感じでしょう。注は別になくたっていい。

そしてこの2つのあいだには、「一般向け」という広大なグレーゾーンが広がっています

あなた読書好きで、少々お硬い本にも興味があるのなら、中公新書とか講談社選書メチエとかそういったレーベルを聞いたことがあるでしょう。岩波書店青弓社社会評論社といった出版社の名前を聞いたことがあるでしょう。実はこの辺、色々な種類の本が入り交じるグレーゾーンなのです。

これらのレーベルで真面目な学術書出版する人もいます講談社選書メチエでも、末尾にビッチリ注がついてたり参考文献リストがあったりするやつあるでしょ? ああいうやつ。一方で、こういうレーベル一般向けの概説書・入門書を書くことに使う人もいます。よく中公新書で、包括的タイトルで薄めの本を見ることがあるでしょ? 今回の『プロテスタンティズム』もそれですね。そして、一般向けの解説を書きながら、さり気なくその中で新しい見方提唱したりする人もいます学術的な新規性のある内容を、一般受けしそうだという理由で限りなく一般向けの本の体裁で書く人もいます最近のやつだと『姦通裁判』マジお勧め)。

さて、こういう本を出す上では、内容は著者の完全な自由にはなりません。編集者は、もちろん学術的に正しい内容を求めているのでしょうが、彼らにとって重要なのは「売れること」です。そのために「一般向けにもうちょっと柔らかい言葉遣いで書いてください」とか色々と内容に介入してくるわけです。文体くらいなら別に構わないかもしれませんが、彼らの中にはこんな要求をしてくる人もいます「注なんてつけたら一般読者に嫌がられます、注は省きましょう」

こうして生まれるのが、「学術的に新規性が高く面白い内容を扱っているのだが、注がない」という一般書の群れです。

もちろんこういった本にも参考文献はあり、「注はないけど、典拠を探しながら読めば典拠がわかるような書き方になっている」本もそれなりにあります(たとえば、はてな太郎の説によれば、と本文中に書いてあれば、注がなくても参考文献リストはてな太郎が書いた『増田研究』という本を探し出せる)。ただ、やっぱりそれは注がある文献の出典表示の厳密さに比べれば一段劣るわけです。

これに関しては、研究者も出版社もそれぞれに問題があります研究者サイドは簡単に「注を省け」なんて要求妥協すべきじゃないし、そもそも「著書を出版する」ことが、博士論文を見るためにはわざわざ学位を授与した大学国会図書館に行くほかなく出版して書店流通させることが最も良い研究成果の流通のさせ方だった時代であればともかく、各大学リポジトリを持っていていくらでもディジタル研究成果を公表できる時代にあって本当に重視されるべきか考え直す必要があるでしょう(でも、欧米出版社でも学術出版は盛んなので、これは日本だけの問題じゃないんですよねぇ。今でもオックスフォードケンブリッジハーバードコーネルといった有名どころのUniversity Press学術書出版しまくってます学術書研究業績として重視されるのは人文系では割と世界標準なので……)。

一方で、出版社は注をもっと重視するべきです。というよりも、日本出版社やジャーナリストノンフィクション作家は注をつけなさすぎます。先日、ボブ・ウッドワードトランプ大統領についてのルポルタージュ出版しましたが、体裁も内容もおおよそ学術的とは呼べない一般書そのものの本なのに、きちんと出典を示す注がついていました。出版社は、学者に注を削れと言うべきではなく、ノンフィクションを書く作家記者たちに注をつけろと言うべきでしょう。

とはいえこれは一朝一夕はいきません。そもそも知の折り詰めである新書」という形態が割と日本独自のもので、そういう一般学術を橋渡しするレーベルが広く一般読者に読まれていることの重要性というもの鑑みると、簡単になくせとか言えません。私も色々お世話になってるし。人口1億人ちょいの書籍市場ではどうしたって限界があり、色々な本を出すのではなく折衷的な本を1冊出すのが経済学的には最も合理的という考え方だってあるでしょう。ただ、やっぱり一般書にも(それこそ講談社ブルーバックス岩波新書レベルにも)注を入れるようにする、というのは必要だと思うのですよね。

さてここまで「注がない本」問題について解説してきました。でも何が一番言いたいかというと、

注はあなたの身を守るためにある

これ。これに尽きます。注はちゃんとつけよう。もしもあなた捏造者でなくとも、研究不正をしていなくとも、実験ノートをつけない我々の業界において潔白を証明してくれるのは注だけなのだから。注だけが資料実在証明してくれるのだから。本の売上よりも、あなたの保身のことを考えよう。あなたが、部屋が汚いとかハードディスクがお亡くなりになったとかパソコンの買い替え時に行方不明になったとかの色々な理由で、史料の「写し」を紛失する日はきっと訪れる。そのときに、これまでのあなた研究の誠実性を証明できるのは、人文系学問においては、注だけなのだ

以上です。駄文に長々と付き合ってくださりありがとうございました。続きはanond:20190511125053で。

お母さんのお腹なかにいなかった>お父さんの金玉の中にいなかった

もっと古い表現ある?

anond:20190510122143

そうなんだ。

なにごとも向き不向きがあるからちょっとの頑張りでとどまれる人が見えても

自分をそれにくらべて逃げてるっておもわなくていいのでは。

 

本人に対してもあえて褒めなくても(心のなかに人生のお手本モデルとしてとっとくくらいで)ちょうどいいんじゃない

2019-05-09

anond:20190509121249

https://kusanomido.com/study/21411/

ネパールなどのインド人以外の経営によるインドカレー店が多いもうひとつ理由が、ブローカーの働きである

 

日本移住して金を稼ぎたいが、問題就労ビザ。これを取得するのはかなり難しいが、日本で働くのなら料理人としてビザを取得するのが現実的だという。そこでブローカー仲介料を取る代わりに、必要書類を揃え、来日の手配やカレー店への就職可能にしたのである

 

仲介料は100万~200万円程だというが、最近日本不景気だということもあり、100万円を下回る場合も多い。しかし、ネパールでは100万円でも非常に大きな金額だ。それでも必至に金をかき集めて来日してくる。なかには親戚中から金を借りるケースもあった。しかし、この仕組みで確実に儲かるのはブローカーだけだ。多少単価を下げようが、10人、20人の斡旋をするとかなりの金額になる。

まるで1つの東京都なかに5つくらいの都道府県があるかのようだ

2019-05-07

anond:20190507181246

実はその人たちの漫画なかに増田が言うようなKKOって出てこないんだよ。

多分イメージするには新黒沢に出てくる「こじえもん」だったり「舟木さん」とかなんだろうけれど、そういう人を現実で見かけられるか? っていうと謎だしな。

(舟木さんはいないわけでもないが…)

2019-05-05

「こうでありたかった」と「こうでありたい」とは、言葉こそ似ているものの実はぜんぜん別のもので、もし「こうでありたかった」というものを目の前に提示されたら、人は泣くか喚くかくらいしかすることがなく、そのいずれも決して楽しいものではない。

そのもっとも純度の高い「こうでありたかった」を提示してくる作り手ってのがたまに、たぶん生きてるあいだに出会った作り手のなかに数人はいて、そういうものとは、ちょっと冷静には向き合えない。

それは、喉が渇いているときには塩水のようなもので、そんで年を食ったら今度は塩分控えめでないとやばいぞってわかるから、飲めない。飲めないのに体は欲している。これを「難儀なもんだな」という一言で括れる日は来るんだろうか。

2019-05-04

キャラクター共感するということは本当に必要だろうか

よく感想ブログで「主人公共感できない」などという話が出る。

感想ならいい。感想から

でも批評ブログなかにまでそういう論調が浸透している場合があるのだ。

果たして共感はそこまで大事か。

君はルフィ共感できるか?江戸川コナン共感できるか?

かに共感を得る主人公という枠はあるだろう。しかし正直物語面白さには比例していないのだ。

まりにも陳腐で幼稚な批評ではないだろうか。

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2019-05-02

anond:20190502233206

寺院神社で頂くことのできる印(宝印)。通常の記念スタンプとは異なり、墨書で寺号や神社名、参拝日が書き込まれ、それらを合わせて「ご朱印」という。朱印御朱印

平安時代諸国霊場巡礼する時、有り難い経文を浄書写経したのもをお寺に納めて、自分家族の無事息災を祈願した証しとして、お寺の宝印(朱印)を戴いて巡礼したことが始まり

寺院では「納経印」とも言われている。

ご朱印を戴いた朱印帳は、自分の命が尽きた時、お棺のなかに入れてもらう。やぞ

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