はてなキーワード: 峻別とは
資源は政府の基礎研究、応用研究の積み重ねと、企業の設備研究投資で作られるぞ。
そして、企業の設備研究投資を起こすにはインフレにしないとならない。
大規模経済危機を迎えてデフレになった暁には、財政、金融、税制でインフレにする。そのツールの一つが政府の財政出動だ。
しかし、自国通貨建て国債と外貨借金を峻別していなかったからデフレでも緊縮し、デフレが脱却できなかった。
そこで、MMTが自国通貨建て国債と外貨借金とを峻別したから、デフレになったら財政出動をしたらよいという話になる。
自国産業が弱まった状態で過剰な財政出動をすると経常赤字が増えて外貨借金が増えるが、経常赤字が問題だ。
だから、解は輸出を増やして輸入を減らすということだし、輸出できるものや、自国で作ったほうが良いものについては財政出動したらよいだろう。
設備研究投資が加熱したらそれは緊縮したり金利を上げたり、金融緩和で手に入れた株式を放出したらいいな。
ぼくはJGPはサポートしてしか見ていない。しかし、ブラック企業の蔓延から逃避や、メンタル壊した人の回復、何らかの形で学歴がつかなかった人の技能習得としては良いとは思ってる。
金の価値が海外に売れるモノを売るであれば、デフレでも緊縮財政をして不景気を続けたり、資金循環を無視して消費税増税と、ため込んでも金融所得、富裕者所得法人税減税と、金融投資を経済理論上の資金調達しての支出と混同して、企業の設備研究投資を殺し、
緊縮財政と近視眼的な費用対効果で政府の基礎応用研究投資を破壊する新自由主義がゆえに、金の価値をなくしてるのが今でしょ。
MMTで自国通貨建て国債と外貨借金を峻別して、デフレなら財政出動するべきだな。そして今は海外インフレ+コストプッシュインフレだから、海外に売れるものや、足りないものを中心とした財政出動と、金融緩和維持ををするべきだ。
そして設備研究投資が過熱したデマンドプルインフレになったときに、金利上昇と、金融収縮と、法人税、累進所得税のようなビルトインスタビライザーが効く税制で回収すべきだ。
(続き)教育に悪いと思うのはまさしく偏った価値観に基づく考えだ。
100万年前とかに生まれていたら裸でほっつき歩いていても何も感じるものはないはずだからだ。
その教育に悪いという考えで子供に性に関するあらゆることを隠すことが、子供に性に関することへの後ろめたさを植えつけることになるのだ。
そもそも法律が撤廃されると言う前提ならその未来の撤廃された世の中で裸で歩いていても全く反社会的な行動ということにはならないので、裸を見て育つことが将来裸になって歩く因子になっているのだとしても、教育に悪いということには全くならないはずである。
法改正直後には街やテレビの映像として裸が視界に入ってくることになり、それに不快感を示す人も一定数出て来ることだろう。
しかし社会の移行期には誰かしら不都合を被る層が出てきてしまうことは当然なのである。
一切の不都合を被る層が出て来ることを恐れてはより理想的な方向への変革もままならないのである。
LGBTに対する多様性を確保した次には、このような法改正をすることでより大きな多様性を確保していくべきである。
いずれネイティブに性に後ろめたさを感じる人はいなくなっていって、裸に不快感を示すことなど「お気持ち」に過ぎなくなるだろう。
ある意味で原始時代に戻るわけである。原始時代においてそんなことに不快感を感じる人など奇異な存在というものである。
どんなときでも服を着なければならないということではなくなることによって、社会はより合理的に回るようになるだろう。
それだけではなく、同意の無い他人を巻き込まない限りは街中でオナニーすることや野外セックスだって可能である。
こんなことを言えば、また教育に悪いとか言う人が出て来るだろうか。
極端な話だが目の前で殺人が起こったからといってただちにその子供の将来が殺人犯ということになっていくのだろうか。
そこらへんもひっくるめてリアルタイムで子供を矯正していくのが親の務めだと思う。
むしろ自己完結的なあるいは納得ずくの性行為と同意なき人を巻き込んだ性行為との峻別を絶えず親は教えていくべきである。
街中で他人の納得づくの二者間のセックスを見たからといって、その子供の将来がただちに強姦魔に決するというのは、殺人の一部始終を見た子供が殺人をするようになる以上の飛躍というものである。
普通に教育すればこれほどの飛躍が発生することはまずないはずである。
現代の面前DVの定義には性行為を見せることというのがあるそうだが、個人的には嫌なことを強要し続けた段階で何事もDVであると思う。
逆に、嫌なそぶりを見せたらすぐひっこめればDVには当たらないと思う。
教育用のひらがなを教えるようなビデオを見せても関心を示さない子供の首を無理やり固定してするようなことはむしろ虐待であるから、勉強とかに興味がないとわかったら、ただちにボール遊びとか、次の将来につがなるなかで子供が興味を示すようなことを模索するものである。
興味を示したらもっと見せればよく、将来AV俳優として大成するかもしれない。
性に関することについて何が処罰される社会に変わるのか少しわかりづらいかもしれない。
簡単に言えば現代でも強要罪にあてはまるものに処罰対象が限定されるようになるということである。
しかし立ち去った相手にわざと近づいてその眼前で性器をぶらさげながらとおせんぼするようなことは、公然わいせつなどが廃止されても強要罪にあたるだろう。
そういうことがしたかったなら、もし既に裸であるなら一定の離れたところから(具体的な距離はここで考えることではない)同意を求めるべきである。
事後承諾に期待するのは勝手だが、あとで同意がなかったと被害届を出されても事後承諾を図っていたことが発覚した時点で情状酌量の余地はないことに留意するべきである。
ゆるくするところはゆるくなら、きつくするところはきつくというものである。
基本的には強要罪に一元化されるが、性に関することについては厳罰化も検討されるというのは前にも書いたとおりだ。
基本的に同じ行為に対する罰則が理由なく厳罰化するということには不公平感を感じられるものだと思う。
しかし煽り運転が厳罰化したように、悪質な犯罪が増えた場合にはそのようなことになるという例はある。
悪質な犯罪が増えることが予期された場合には厳罰化の検討ということも普通に考えられるわけである。
もっともとそれが性に関する法律を一部ゆるくするという法改正によるものならば、最初からそんなことしなければ厳罰化しなくても済むじゃないかという反論もありえよう。
なので結局改正のほうを否定するのではなく、改正したのちの未来の犯罪の動向についてどう対処すればよいかという話に帰結するべきだということになるわけである。
性に関する法律がこのように緩和されて性に対する余計な後ろめたさがなくなれば、今はわいせつとかされているものに対する不快感もなくなっていくだろう。
強姦罪は同意のないセックスに成立するのが基本だが、公然わいせつ等は同意の有無に関わらず成立する。
これを公然と裸になった程度では周りの同意の有無に関わらず犯罪として成立しないように法改正するべきではないか。
当事者の同意の有無に関わらず成立する犯罪の多くは公序良俗に対する罪だというが、この場合の公序良俗の根拠は「性器を見せたり見られたりすると羞恥心や不快感を抱く人たちが相当数いる」ということにあると思う。
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宗教観に反して今で言う公然わいせつに相当するふるまいをする人間を恥ずかしい行いと謗る
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恥ずかしい行いと言われるから(公衆の面前で笑われるから)恥ずかしいと思う層が出て来る
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そいつの家庭で育った子はこのようなことに関して恥ずかしいことと言い聞かされて育つのでネイティブに性に関する層を恥ずかしいと思う層が誕生する
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5匹の猿の完成し、列強の圧力として日本にも波及。そしてこの層が今も多数現存していることがわいせつ関連の法律の改正を難しくしている
こういう法律があるからそういう層が再生産され続ける面がある。
また再生産されている層がこのような法律の改正に歯止めをかける働きをしている面がある。
この相互作用を解くには、裸でほっつきあるいるという程度の人間に対する不快感を法律で特別扱いするのをやめることだ。
こんなものは「テレビに出てると嫌な芸人がいる」程度の不快感と本質的に差などない。数多くの不快感を感じる一例に過ぎない。
逆に同意なく性器を顔に近づけるとか、それ以上の域に達するものに関しては必要に応じて厳罰化すればよい。
性そのもの、性に関するあらゆることが悪いのではなく、峻別をつけるべきだと法の改正をもって大衆にわからせるべきである。
そもそもああいう為政者がいなければ単なる露出ごとき公序良俗の侵害とみなす価値観自体存在しなかったはずというわけである。
テレビで入浴映像で性器にわざわざモザイクを掛けさせる手間を強いる法律なんてなくてよろしい。
そんなだから性を過剰に禁忌とみなす層が出て来る。俺もその一人だった。
思春期になってむらむらが加速度的に高まっても心安くオナニーできる場所などなかった。
性に関わることに自分を巻き込むことは大変な悪だと考えてしまっていた。親には絶対にばれないように自分ではしているつもりでいた。
が、ばれないような状況になることなんて滅多にないので実質的には禁欲生活を強いられているようなものである。
刑務所では陰部摩擦罪とその我慢を強いることが刑罰として成立するぐらいだ。罪も犯していない人間がそれぐらいのつらさに耐える状況が大人になってもしばらく経っても続いたのだった。
もっとも後日談として親に聞いたらなかなか性に興味を持たないそぶりの私を異常に思っていたようである。
しかしそのような人物を演じさせたのはほかならぬ家庭であり社会であると私は思っている。
隠しているようなことは、してはらならないものなんだと、単純な子供の思考なら、考えてしまうものではないか!
このような勘違いによる悲劇をこれ以上生まないためにも、私は法律の改正を提唱する。
悪いのは性そのものではなく、性「行為等」の強要なのだから。全てひっくるめて隠してしまうから子供はそれらに触れることに妙な後ろめたさを持つようになるのだ。
法律と潔癖な層は相互に分かちがたく結びついているおかげで、公的な場で政治的意見としてこのようなことを言うことすら難しい。
ただ裸になっただけで露出狂だ。窃盗犯以上に人間扱いされない。こんな認識は明らかに合理的ではない。
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18歳以上になった人へ「【親展】成人向けとされているものについて」と手紙を送るようにするのも一案だ。
私のような勘違いを犯した人が自分でその勘違いに気付けるとは限らない。
そこで親展で講座の受講へ仕向けるのである。内容は、性行為自体には実はなんらの後ろめたさもないこと、後ろめたさを植え付ける社会になっているのは未成年への方便であること等、徹底的に誤解の洗脳を解いてやるのだ。
まあそもそも子供にセックスを見せるのは面前DVとかいうけれど、無条件でそうなるような定義がまず間違っている気がするね。
PTSDになるかは確率論の問題だろう。それと、性行為を見せなかったせいで俺のように思春期を刑罰を課されたような状態で過ごすことになる確率と、どっちが高いのか。
というか性行為を見せたら悪影響があるものであってほしい、という清く正しく育った層が政治の実権を握っていることによる、価値観の押しつけが定義に反映されているだけな気さえする。
動物がいちいち子供に性行為を見せない配慮をしてるだろうか。人間というだけで性行為を見せると悪影響が出るというんだろうか?
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そういうわけで言葉を選ばざるをえない、無意識に選んでいる面がある。
世の中なんだかんだいって理屈と同じぐらい、言葉の持つ熱量みたいなもんが重要なのだ。
簡単な話、無機質でニュートラルな性器という言葉を使うより、ちんこまんこと書いた方が説得力を持つ文脈だってあるというわけだ。
日本はデフレでも緊縮財政、消費税を上げて、貯め込まれる法人税減税、累進所得税減税、金融所得減税など資金循環に反した減税で設備研究投資を殺し、
緊縮財政と近視眼的な費用対効果で政府の基礎応用研究投資を殺す新自由主義が故に産業が衰退したのだろうが。
その一方で起業だイノベーションだと空虚な叫び声を叫ぶだけは盛ん。歩みだしたやつは餌や生贄としてしか考えてない、悪趣味な人形遊びが故に誰も歩まなくなった。歩んだところで餌や生贄にされるだけだから歩まないのが正解だろうがな。
国の借金について、MMTで自国通貨建て国債では財政破綻せず、外貨借金で財政破綻すると峻別されて緊縮財政の根拠はまるで消え去ったがな。
外貨借金についても、海外に売れるものを売って輸出を増やして輸入を減らすのが第一なのに、今の海外インフレで、設備研究投資を殺す金融収縮や金利上げを叫ぶ有様。確実にスタグフレーションに叩き込むぞ。
フリードマンの新自由主義であればせめて金融ぐらいはまともにするべきだが金融音痴とは最悪だな。
それからアメリカや中国に人が集まるのは、長期的な費用対効果の立場に立って、基礎研究投資、応用研究投資に金を出しているからだぞ。
期間も基礎研究で5年10年で、人を雇えるぐらいの金が出るのが当たり前。日本なんざすぐ確実に当たるネタはこれだ!とかほざく研究者でもないテキヤ芸人の目に叶う極小数のテーマしか出ないのに。金も出さんのに人は来てくれなんて通らん。
むしろ日本の研究者がアメリカや中国に逃げてる有様じゃないの。研究者は英語できるから国境渡れるからな。
MMT攻撃する前に、いかに新自由主義が大失敗か反省しろ。さらにせっかくの海外インフレで日本復活のチャンスを潰す政策を叫ぶのはやめろ。
新自由主義の「何もしないことが望ましい!」「規制緩和だ!構造改革だ!」というのは、日本の失われた30年や2008年リーマンショックで失敗だったからな。
インフレになりそうな段階で、石油需要が高いから文句言わないだろうとのロシアの侵攻だ。だが、欧米はロシアの中央銀行の外貨準備凍結という形で対抗した。
まさに自国通貨建て国債はデフォルトしない。外貨借金でデフォルトする。そのうえで、その外貨を持ってる国が外貨を凍結するというMMTの知見でロシアをデフォルトに追い込もうとしたからだ。
一方でロシアベラルーシは強引に外貨建国債を自国通貨建て国債にすると宣言した。勝手な契約変更自体デフォルトなんだが、これも自国通貨建て国債となったらデフォルトしないというMMTの知見ゆえ。
MMTは単純な不景気なら財政出動しろじゃない。不景気なら財政出動はケインズ主義だ。
新自由主義の国の財政出動して国の借金が増えると財政破綻するという言説に対して、MMTは自国通貨建て国債と外貨借金を峻別して、自国通貨建て国債なら財政破綻しないという話だ。
MMTを踏まえて、ではどんな政策が良いのかを議論し実践している状態が今だぞ。特に日本もエネルギーや食料の価格上昇が見えているからな。
あからさまな炎上案件を押し付けられて査定が悪いというのなら、悪い案件について突っぱねるよう努力することだろう。
後で怒るより先に怒ったほうがいいということだ。
良い案件、悪い案件の峻別はある程度頭が平静になっていないとできない。瞑想やってみるのが良い。あれは頭の休息だ。最も、弱まってるやつが関心を持つと悪いやつにも知れ渡っているから、セミナーとかはよして、本やDVDで学んだほうが良い。野菜なども忘れるな。
また、推しへの支出も同様にどこを出して、どこを出さないという峻別を決めて、おおよその月予算を決めてその範囲で出そう。最も、まず感情を押さえる訓練ができてないからついつい出しすぎることが問題だと感じる。上記の瞑想でちょくちょく休むことだな。
MMTそのものは現代において通貨は政府の借金というだけ。そこから、自国通貨建て国債では財政破綻しない、外貨借金で財政破綻が起きると峻別される。その結果、新自由主義の財政均衡への固執が無意味となった。ただ日本を衰弱させただけだったと。
海外インフレになったことにより、MMTの立ち位置は変わっている。それでも、今は海外インフレ起因なのと、外貨借金からは財政破綻が起きるから、なんとか海外需要を掴むための財政出動が正しいとなる。
茶化しじゃなくてどんな制作がいいか言えよ。おおかた、石油高で、設備研究投資が盛り上がってのインフレじゃないのに金融引締やら無意味なことをしようとしたり、設備研究投資を殺して確実にスタグフレーションに叩き込もうとすることを解だというのだろうがな。
俺は「人間」と「それ以外」を峻別して、人間にはメチャ優しく、それ以外にはマジで何をしてもOK、ってふうにするのがいいよな、と思っていて、捕鯨もフォアグラも動物園も競馬も虐待もなんでもアリ!って立場なんすよ
なので、
ヴィーガンとか実際アホくさいし、俺はやらねえ!
クジラは高いから食わねえけど、別に好きにいくらでも食ってりゃいい!
と思っている
当然ロブスターがいくら苦しんでもなんとも思わん……というのは嘘で、実際個人的には犬猫よりロブスターのほうが好きなので、ちょっと同情はするんだが、だからやめろ!と思うかというと、これは思わない
俺は毎日カメのぬいぐるみ抱いて寝てるが、ウミガメを解体してくってる動画見ても、ちょっとツライと感じるだけ
人間がバンバン残虐に殺されてるのを流してると自分にもそのうち鉢が回ってきそうだが、他の動物ならべつにどうもならんでしょ
俺はさすがにそこについては人間の理性を信じたいんですよね
いやまあ、実際にはすでに人間がバンバン残虐に殺されたりしてるわけですが、俺はそれの理由が「動物をバンバン残虐に殺してるから、人間もOKだと思った」だってことはないと信じたい
それが俺の信仰だ
という感じなんですが、世のアニマルライツ冷笑人間って、もしかして、犬猫の虐待を許す覚悟がないのか?
あれよ
俺は動物愛護法が撤廃されて、どんな動物がどれだけ虐待されてようとそれだけでは罪にならない、って社会になってもいいと思ってるぞ
それは最低限のスジでしょうが
人間がどうとかは全部どうでもよくて(どこに行っても人間はある程度カス)とにかく乾燥していて日照時間が長いっていうのがいい
カンタンに地平線を拝めるのもいい
レンフェの電車に乗って、適当な駅までバーっと行って、降りて、20分も歩いたら、ガチで何にもない、荒野って感じの場所に行ける
そういうのって素敵だと思う
俺は荒野の方が好きだ
街もいい
なんかこう、地面が石造りなんだよな
石造りじゃない場所も当然あるが、旧市街みたいなとこに行くとまあ石造り
そんでこう、石がなんつうかドッシリしてんだよな
サンダルで踏むと、自分の矮小さが不安になっちゃうくらいドッシリしている
大地を踏みしめているんじゃなくて、なんかこう、ペラいゴム底で表面をペシペシ叩いてるみたいな感じがして、いたたまれなくなる
アレがいい
あと、日差しは殴りつけるような強烈さなのに、日陰に入ると突然ヒヤッとするのもいい
コルドバ(Córdovaって綴りがかなりいい、駅の入り口にでっかくCórdovaって書いてあるのをみてしばらく立ち尽くしてしまった)に行ったとき、外をアテもなくウロウロしてたら、すげー暑くて、グラニサードっつうカキ氷的なものを売ってる屋台がやたら魅力的に見え、ひとつ買った記憶がある
橋の近くに日陰になってるところがあったんで、そこに腰掛けて、川を見ながら冷たいグラニサードを食った
そしたらすぐ震えるくらいに寒くなったんだよな
あの峻別される感じ、アレがカッコ良かった
それより俺はあの感じが好きだった
チーズが安いのもいい
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/1792159
という噴飯モノのコメントがあった。アホなのか。しかも星がついてる。アホなのか。
ほかのコメントでも指摘されている通り数学を学ぶ手段は十分に広く提供されていて、たいていは性別問わず全人類に開かれている。
そもそもPornhubは女性もアクセス可能で、そんなサイトにアクセスしたくないというのは単なる自己都合にすぎない。
それでもなお気に入らないなら、インスタなりTikTokなり女性ウケのいいメディアで数学を教えればいいじゃないか。誰もそれを禁止などしていない。
たぶんこのブクマカは「男性向けに提供されている」という一点が気に入らない余り論理がバグッてしまっているんだと思う。
「男はポルノサイトでも数学が学べる」=「女性の存在を無視している」=「女性は数学を学んではいけない」と脳内変換されてしまったのだろう。
このブクマカは狂気が飛び抜けているが(ほかのコメントも大半が難癖・イチャモンのたぐいだった)、こうした理屈じたいはそれほど珍しいものではない。
男性向けのサービスと見るや、それを女にも提供しろと騒ぎ出す例は枚挙にいとまがない。
自分は何も損していないのに他人がトクしているのを「ずるい」と感じるのは、本質的に平等・不平等とは関係がない。それは嫉妬や羨望であり、道徳的にはかなり低級と目されている心理である。
少し前、「やよい軒」という定食屋に「ライスがおかわり無料なのは少食の人に不公平である」というクレームが寄せられ、おかわりが有料化されたことがあった。
無料ライスのコストはメニュー全体の価格に転嫁されるのでたしかに不公平と言えなくもないが、だったらお前もおかわりをしてモトを取るかコスパに納得のいく別の店で食えとしか言えない。
実際にユーザーの反応もおおむねそのようなもので、「これでわかったでしょ」という感じでやよい軒はライスのおかわりを無料に戻した。一時的な有料化は以後同じクレームを封じるためのポーズだったのかもしれない。
Pornhubの数学にイチャモンをつけるのはやよい軒のおかわりにイチャモンをつけるのと同じ、不平等と嫉妬の峻別ができていないのだ。
ジェンダーにからむ不平等の訴えが全部これだと言っているわけではない。
正当な訴えもたくさんあり、もちろんそれらは是正されるべきだ。
ただ、上に書いたような不平等と嫉妬の区別ができていない人々の存在は、正当な主張の邪魔にこそなれ、利益は何一つもたらさないと思う。