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2024-11-19

仕事ができる子に嫉妬してた

人生に疲れてる感じがして、辛いかもしれない。

もうおばさんと言われる年齢だ。職場で働いている中で悩みがある。将来のことだ。このままずっと、これでいいのか不安しょうがない。

十年くらい、関西にある地元市役所臨時職員(※今は会計年度任用職員)として採用されて、働き続けてきた。

部署の異動は一度だけ。最初水道の庶務の仕事だった。今の部署はさすがに言えない。ごめん。

会計年度任用職員略称としては会任なんだけど、それになってからは異動がない。臨時職員アルバイトパートだとすると、会任は契約社員位置づけである

ずっと同じ部署にいても、民間みたいに正社員転換しないといけないルールはないらしい。長い人だと、地籍調査とか用地取得部署で、正規じゃないのに15年以上働いてる人もいる。

私の人生の何がつらいのか、書き綴ろうとしたけどまとまらない。何がどう辛いのか、自分でわからないところがある。しいていうと、恋愛とか、結婚だろうか。世の中の一般女性にとって大事なことだ。

私は女らしくないし、あまり可愛くもないし、なんならハムスターとか、チンチラに生まれたかった。あの子達の世界にもブサイクはいるのかもしれないけど、人間目線だとみんなカワイイ



不安はたくさんあるけど、ここでは一つだけに絞って話をする。

不安の全体だと、恋愛結婚もそうだし、生活のこともあるし、やや遠くで暮らしてる親のこととか、相続とか、自分健康のこともある。

けど、一番は恋愛とか、結婚のことだ。アラフォーになったばかりだけど、正直結婚は難しいと思う。本当にそう思う。

私と同期で、約十年前に入庁した臨時職員の子達は、全員が自分の道を見つけている。適当男性とくっついて離職した子もいれば、普通に転職した子もいれば、市役所から直接スカウトを受けて、コネ採用みたいな恰好で、公開競争試験じゃなくて個別試験をセッティングしてもらって、裏口のような形で正規職員になった子もいる。みんな、ちゃんとした理由があった。

入庁当時の私は、25才だった。美容専門学校卒業したけど、リーマンショック関係で職が少なくて、フリーター転々として、生活が貧しくて毎日泣きそうで、そんな私を最後に拾ってくれたのが生まれ故郷市役所だった。

月給は額面13万円+残業代で、ボーナスは当然ゼロ病気・傷病休暇もない。有給は年に5日だけ。私も皆も、風邪インフルエンザでも普通に出勤していた。こんな私が働けるのはここしかなかった。

数年前に会任制度スタートしてからは、ボーナスが年間二か月分出るようになって、まともに貯金ができるようになった。今でもこの職場感謝してる。

話がまとまらなくなる前に、恋愛とか結婚不安のことを話したい。わかりにくいところがあったらコメントとかで教えてほしい。できるだけ答えるので。

20代後半の頃は、結婚できるのかなって勝手に思っていた。男性の人が話しかけてくれるし、アプローチがあったし、同じ職場の人にデートに誘われたこともある。交際経験もあるけど、そんなには続かなかった。

しだいに焦ってはきたけど、私が三十路になる年のことだった。水道部署から現在部署に移ったばかりのことだ。この職場に、いいなって思える男の人(A君)がいた。私と同い年で、小学校中学校が一緒だった。

当時の私は、残業休日出勤が多い部署で、毎日地道に仕事をがんばっていた。イベントで使う資機材をまとめたり、パンフレットを作ったり、式典会場の準備をしたり、てんてこ舞いの日々だった。

私は当時、その男の人A君と一緒のペアになって仕事をしていた。心の距離が段々近づいていって、仕事帰りにラーメンをおごってもらったり、イベント帰りに家に送ってもらったり、辛い時に慰めてくれたりした。優しい人だった。



以上を一年目とすると、二年目にそれは起こった。

新卒で入庁してきた子がいた。大卒の子だった。おそらく22才のはずだ。この地域にある名門企業代表者と同じ苗字だった。この子Sさん年代は違うけど、私やA君と同じ焼酎学校出身だった。

直属の上司である係長(※蛇足だけど係長学校が同じ。Sさんとは出身高校も一緒)からは、「Sさん大学出たばかりで、最初全然慣れないだろうからフォローしてあげて」と言われていた。そうしてあげるのが先輩としての正しい道だと思ってたけど、後日別の意味否定された。

Sさんは、仕事ができる子だった。難しい言葉を使うと、利発な子だった。都会じゃなくて、地元にある大学出身の子別に京都大学とか大阪大学とか、そういうレベル大学出じゃない。

けど、頭の回転とか、コミュニケーションとか、気遣いとか、嫌いな相手とも表面上仲良くするとか、そういうのができる子だった。

あれは今でも覚えてる。私とペアになってたA君だけど、Sさんを目で追ってるのがわかった。

関係ある仕事でも、関係ない仕事でも一緒に話をしようとするし、Sさんと話してる最中は、私の時と比べて笑顔だった。

反面、私と一緒にいることは少なくなった。一緒にご飯を食べることはなくなったし、一緒の車に乗せてくれることもなくなった。同じ仕事をして、彼を補助する仕事は変わらなかったけど。

Sさんは人懐っこいとか、そこまでではないけど、皆とよく一緒に話していた記憶がある。若い子らしくて、さわやかな印象だった。よく笑っていた。ブサイクな方ではないと思う。

結局、A君はみんなが見てる時でも、Sさんに対して恋愛的にがっつく……は言い過ぎだけど、熱烈に会話をするようになってた。「あれはひどい、やばい」という次元だった。

上司である係長に「あれはよくないです!」と進言したこともあった。けど、係長も、そんな2人をむしろほほえましい感じで、ノホホンとした眼差しを送っていた。「増田ちゃんあんなのイチイチ止めてたら、日本少子化待ったなしだよ~」だって……。

その係長だってSさんには甘々だった。この部署の中では、Sさん新卒とは思えないほどスキルがあったとは思うよ?私なんかとは別格の。係長は、そんなSさんを散々利用していた。

本来ベテラン職員がやる仕事まで、入庁一年であるSさんに割り振っていた。イベントだってほとんど休みなくSさん休日出勤させていた。

「こんなのおかしい。職場って恋愛する場所じゃないよ」、て言いたかった。なんでそんなに、Sさんばっかり使い倒すの。私だっているじゃん。私の給料Sさんと同じくらいなの知ってるよね。私に休日出勤仕事を割り振ってよ、残業代欲しいよと思っていた。そんなもやもや一年以上、ずっと続いた。

Sさんのことたくさん書いてるけど、彼女はもう職場にいない。A君も。

 在籍中だったら、公共の場所にこんなことは書けないし、書かない。



さらに、その次の年度だった。

季節は春を過ぎたくらい。Sさんが朝礼の時、皆の前に出てきて、「私。今月結婚します。仕事にはもちろん支障ないので、これからよろしく~」と皆の前で告げた。

A君の顔を見ると、茫然としていた。生気が抜けた表情だった。残念、みたいな表情を通り越した顔( ;∀;)だった。

まあみろ、ていう薄汚い感情自分の中にあった。でも、ここは職場から。そういう思いを出す場ではないから、と自分に言い聞かせた。

Sさん結婚相手は、やっぱりというか、地元の名士の苗字だった。京都和歌山の人なら、聞いたことがあるかもしれない。CLAMP漫画に出てくるような、鳥系の氏だ。

入庁して二年目で、結婚かぁ……私が入庁して二年目の頃は、そんなこと考える余裕はなかった。恋愛アプローチがあっても、応えるだけの生活の余裕がなかった。貧しかった。

月給13万円台で、京都市内での一人暮らし不可能に近かった。実家を頼ろうにも、父母にそんな余力がないのは明らか。私は学生向けのボロアパートに住んでいた。

私が好きな少年漫画で、「ドンまり」という表現が出てきたのを思い出した。本当にこのドンまり、という状況だった。若い頃の私は。

でも、Sさんは違う。私と違って余裕がある。実家は太いし、皆から人気はあるし、私みたいな隠キャラとはわけが違った。生まれた瞬間からして違う。

それから今に至るまでの私は、ずっと同じような縮小再生産だった。

[仕事]…一般事務と、イベントのお手伝いの仕事正規職員登用の声がかかる気配なし

[生活]…近所のスーパーで夜に割引食材を買う。奇跡が起こると、6.6割引になってることがある

[趣味]…たまにアニメ漫画小説を読むくらい。作品イベントに行けるだけの余力なし



最後Sさんと会ったのは、同じ年だった。Sさん妊娠後、もうすぐ育児休業職場からいなくなるタイミング

うちの部署イベント大成功のお祝いで、みんなで夏にバーベキューをすることになった。係長が、お手頃な値段でたくさん食べられるというお店(というか山の中……畜産農家の圃場内だった)を紹介してくれた。私の少ない給料でも全然参加できる料金だった。そこにSさんも参加していた。

バーベキューだけど、みんなイベントの疲れを癒すというか、ねぎらうというか、和やかな雰囲気だった。広い車庫ガレージの中での立食形式BBQだった。

私はやっぱり隠キャラで、食べたり飲んだりはしてたけど、会場の設営とか片付けとか、飲み物の氷の準備とか、お肉を焼いたりしていた。誰かが焼酎水割りとかハイボールで使う氷を取りに来る時、その人の背後に付いて、「氷入れますよ」という案内をしていた。※「増田ちゃん暗殺者かよ~」とツッコまれ

あとは、ほかの人のところを巡って、コップが空いてたら飲み物を注いだりした。そこまで飲み食いはしなかった。お肉とオニギリは本当においしかった。本物の食肉卸だった。限られたお客さんにだけBBQパーティサービスをしてるとのこと。

その日も、Sさんはみんなに人気があった。焼肉野菜を食べてお酒を飲みながら、ガレージ内でおしゃべりをしていた。ずっと。そんな時に私は、Sさん~~職場友達の話に聞き耳を立てることがあった。

こんなことを、話していた。

(早く結婚できてよかったねと言われて)

「えー。運がよかったんです。親の紹介で、京都御所の建物の中まで入れる限定行事があって、そこで知り合って」

(仕事ができるねと言われて)

「ほかの人が協力してくれるので、自分は大したことないので」

(育児休業どれくらいするの、と聞かれて)

係長からは上限の3年まで取っとけって言われたけど、自分は1年半で十分です」

 ※働かなくても共済組合から給料分相当額がもらえる期間

(Sさんが羨ましいと言われて)

幸運があったので。ありがたく、この環境はもらっておきたいですけど、でも別に、ここまで恵まれてなくても、私は幸せになれるように頑張ったんじゃないかな」

嫌な感情が湧いた。

彼女は、Sさんは、私にはないもの絶対に手に入れることができないものを持っていて、それが才能とか、環境とか、そういうのじゃないって、自分の力だって絶対にそう思っている。

そういうのがムカつくって、あの時の自分は思った。ガレージの中で涙が出そうになった。焼肉の煙が目に入ったのもあるけど。自分はこんなに苦しいのに、Sさん自分が恵まれ環境にいることに気が付いてるフリをして、実際には気が付いてない。

Sさん自分との間には埋められない溝がある。でも、この時、こんなに人生で初めて、悔しい思い、誰かを憎んだのは初めてだった。

Sさんとその友達の空いたコップを見つけた時、「Sさん、何飲んでるの?」と聞いてみた。

すると、「あ~、じゃあ。私は焼酎水割りします。あそこの奥にあるやつで、焼酎少なめがいいです」とのこと。Sさん職場友達は、「ありがとう。私はカルピスでいいです。お願いします!」と言った。

あそこの奥にあるやつ……その焼酎は、ガレージの奥のテーブルにあった。卓上の保冷ケースの陰に隠れていた。獺祭の高いやつだ。私も焼酎が好きだけど、こんなに高いのは飲んだことがない。

保冷ケースの裏で、私は焼酎を少し注いでからテーブル真下にあった開封済の農薬袋を見つけた。右手で、農薬の粉瘤を二掴み手に取って、Sさんが飲むはずの焼酎のコップにそれを入れた。

水じゃなくて炭酸水を入れて、攪拌用の割りばしでかき混ぜて、ニオイを嗅いでみると、何も感じなかった。味見した感想焼酎ソーダ割りだった。カルピスは急いで作った。



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何度、心の中で叫んだかわからない。気持ちを止めることができなかった。

あなただって、ここまでずっと人生幸せだったじゃん。不幸もないと、おかしいよ。

人生には不幸があった方が幸せになれるよって、そっちの方がいいよ」って、この時思っていた。

2人のところに飲み物を持って行って、「暑いし氷溶けるし、早く飲んだ方がいいよ」と伝えた。

2人とも会釈だけして、Sさん獺祭ソーダ割りを飲んでいた。こんな会話が聞こえた。

「え~、これ炭酸割じゃん!」

「いいじゃん。増田ちゃんサービスしてくれたのに」

10分くらい経って、Sさんが別の男性に「獺祭おいしい、おかわりほしいです~」とねだっているのが見えた。

翌週、Sさん職場にこなくなった。「体調不良です」と係長上司に報告していた。

産休予定だったので、早めに開始することになった。それからまた日常が戻った。私の仕事内容は、今後もずっと変わることはないと思う。定年までずっと、いやきっとそうなんだと思う。

昇給だって、年に三千円だけ。しか一定のところまで行ったら頭打ち。「こんなのっておかしい」と思うけど、ルールから従うしかない。正規職員と違って身分保障がないのに、今までクビになってないだけ「ありがたい」と思わなきゃいけない。



今年に入って、育児休業中のSさんベビーカー子どもを乗せて職場に来た。みんな、生まれたばかりの赤ちゃんを間近で見ようと寄っていた。私もそうだった。

後ろの方には係長も来ていた。Sさんがいなくなったせいか仕事量の負担が大きくて元気がなさそう。

Sさんに、ほかの皆と一緒に「元気に生まれてよかったね!」と伝えると、Sさん幸せそうだった。でも、なにか違う気がした。

この、赤ちゃん職場に連れてくるシチュエーションは、私が子どもの時も、学生の時も、社会人になってからも、何度もあった。その時、新しいお母さんは、みんな誇らしげな表情をしていた。安心がまざったような。

でも、Sさんの表情は悲しそうだった。もしかして辛いことがあったのかな。だったら、それでよかったのかもしれない。無事出産できたのはいいことだけど、人生にはつらさも必要だと思うから

同じ職場の仲間として、Sさん職場復帰する時が来たら、これまでと同じように一緒に仕事ができたらと思う。私は貧しい生活だけど、それを受け入れることができている。ここまで達観できるようになった。これも成長だ。これから人生どうなるかもわからないし、不安もあるけど。

長文駄文、ここまでお読みいただきありがとうございました。

2024-10-08

男には飲まなきゃやってられない日ってのがあるんだよ2!

禁酒0日目で終了。

ただ、量は少ないよ。昨日はウィスキー水割り1杯(小さい缶)。今日日本酒1合だけ。

2024-09-19

派遣おっさんスナックに行ったら俺の同級生と会話しててドン引きした…

昨日週末雨だから派遣おっさんと俺とメガネくん専門学校卒なのになぜかメガネをかけている。生きていた)の

2人で俺の同級生がチーママしているスナックに行って来た


俺が開けたボトル水割りを飲みながら、楽しい時間を過ごした

派遣おっさんは割り勘なのになぜかビールを飲んでた😅ドン引き…)

もう1人働いてる俺の同級生麻婆豆腐丼を作ってくれた


俺はチーママ子供が2人いるシンママ)と会話してたら派遣おっさんもなぜか会話に入って来た

ずんだもんの動画派遣が会話に入ってくるのはおかしいって言ってたけど然もありなんって思った…

2024-08-26

リンゴ酢水割り

大事なのはリンゴ酢と水の割合じゃなくて、大量の砂糖

いや、リンゴ酢と水の割合重要

昼間飲んだら濃すぎて喉はザラザラ、胃袋ずーん

2024-08-03

スキンケアしない男の皮膚ケア勉強

ざっと調べてみたところをまとめる。

まとめのまとめ

擦るな擦るな擦るな

安い化粧水をじゃばじゃば使え

化粧水の成分を気にするぐらいなら日焼け止めを塗れ

 

美容界隈は情報が非対称だし価格青天井から恐ろしいぜよ。

肌は刺激しないほうがいい

まず根本はこれ。皮脂を落とすクレンジングや、化粧水を塗るために擦ったりは肌の刺激になってよくない。

極論、皮脂を落とすような洗顔を洗わなくていい。

 

肌に出来ることは保水のみ

ハトムギエキスだとかいろいろ含まれているが、肌につけて液体が作用するのは角質のみ。真皮などには到達しないので、人体への成分の効果はない。

じゃあなにが出来るか=何をしたほうがいいかというと、角質、皮脂が行なっている水分維持などを同じく+アルファする程度。

まり水と油をつければいい。保湿成分。

具体的には安全性が高いグリセリンなりワセリン(あとなんとか酸とかコラーゲンとか)。でもそれらはほぼ100%どんな化粧水にも入っているので、自作水割りとかが面倒なら安い化粧品いいんじゃないか。仮に何がしか他の成分がよいとしても、適当に選んだ化粧水にそれか類するものは入ってるよ。

極論、医薬品ではないし、殆ど医薬部外品でもないし、医薬部外品でもまあ…効果個人検証できるか?(個人の感想です ブラインドテストするほどやる気ないし)。

なお、これは「肌への効果」の話であって、肌と何かの間に作用するものに関しては別である。といってもとても限定的であるし、化粧水ほとんどの成分は関係ないと思われる。

 

(角質にしか影響しないということは化粧水の成分による"長期的な"肌への"直接的な"効能もないということと理解している)

化粧水乳液

水っぽいか油っぽいかの違いだけで、やってること(できること)は水と油での保湿。

ただ、よく言われる乳液の蓋をする的な効能ワセリンを塗ったりするとあるので、お気持ちで。

クレンジングで皮脂をがっつり落としたい人(メイクする人)は乳液を(も)塗ればいいんじゃないかな。気分的に。

女性は加齢で油量が減るから補う意義はあるけど油の多さで悩む一般中年男性にとってはねぇ。

 

(個人の感想です)価格差で言うと乳液使わず化粧水を気が向いたときに随時シュッシュスプレーしまくるのが一番だと思う。でも子供の頃、風呂上り母親乳液を塗ってみたときのにゅるにゅる感は好きだったので気分を上げる・スキンケアのやる気を上げる的に乳液使うのもありかな。

 

検証できるのはABテストぐらい

結局、エキスなりなんなりいろいろ成分が入っているけれど、個別効能はもとより含有量なんてものは(薬効成分でも)説明されていないもの殆どなので、何がいいかは試して気に入ったものを使うしかないし、実際の影響は個人差があるので気に入ったものを使うことが精神衛生上健康なんじゃない。感覚香りとか好きにしろ

私は価格重視でいきます

 

to肌へのあれこれに反応するものはある

肌に塗った成分は角質にしか影響しないと先に書いたが、肌につけたものによって肌への直接作用をあれこれするものはあるよ。

たとえば天花粉・シッカロールは肌表面をさらさらにして、はだの"すれ"、刺激を低減することであせもなどを防ぐことができるよ。

日焼け止めも、肌への効果ではなくて肌への紫外線を代わりに受けて影響を低減することができるよ。

こと日焼け止め最近の夏のひどさを考えると、日焼け止めは肌に違和感が出なければ塗ってもいいかな。(個人の感想です)

2024-05-19

仏壇のお花

普段晩飯の時に炊き立てご飯お供えして線香をあげてる程度のことしかしてないが、仏様の命日や生前誕生日記念日には仏花を仏壇に飾るようにしている

その割にお彼岸とかはやってないなー

ちなみにお花を上げる初日はオハギやコーヒー焼酎水割りなんかもお供えする

墓参り行けよって気もするがお墓の近くに住んでいる親戚とは不義理してて、さりとて挨拶も抜きに墓参りするのもなんだかなーと思ってたか全然墓参りしてない

法要も任せっきりだ、わはは

それはそれとして

いつも、お花は萎れるまでお供えしている

毎日水を取り替えてるけど、それでも下の方から腐っていくんである

菊の花は強いから、花瓶で何度か発根させたことがある

そういや、ここ数年は発根させたことないな

茎の細い真っ赤な花が真っ先に腐るから、アレを別の花瓶に挿すようにすればまた発根するまでもたせられるようになるかも

それはそれとして

花びらが散っちゃったりして見栄えが悪くなっても、気にしなければお花は20日間とか平気で持ってしまうから最近はあげてから一週間とかキリの良い所で片づけてしまうようにしている

しかし、先週お供えした花、まだ勢いがある

どうしたものかなーと

2024-03-19

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

今更「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想

この本しんどいな。

「82年生まれキム・ジヨン」を読んだ最初感想がそれだった。

土曜の夜23時、昼間参加した友人の結婚式の疲れを引きずりながら、少し暗くした部屋でベットに寝そべりダラダラと読んでいた。隣のリビングからは、夫が録画した刑事ドラマを見ている音が響いてくる。あしたは日曜で何も予定がなく、深夜までドラマを見続けるのだろう。美咲も多分、明日は午前中はダラダラと寝て過ごし、パンカップスープ適当昼ごはんを食べ、夕方なんとなく近くの駅ビルの買い物に出かけ、夕食は作るのが面倒になって外食で済ませて帰ってくるのだろう。結婚して1年近く続く何もない週末のいつもの過ごし方。

鈴木美咲1990年まれ28歳。生まれ山梨県で、大学上京するまでは地元自営業を営む両親のもとで特に大きな反抗もなく健やかに育ったと自分では思っている。勉強は小さい頃から得意で、地元進学校に進学した際には、東京に行くことが当たり前の選択肢になっていた。市内の一番偏差値が高い大学はいわゆる”駅弁”の大学で、進学校の中でも勉強のできる子は上京するのが当たり前だった。彼女の両親は東京大学を出て地元に帰ってきた人だったため自分大学上京することに特に違和感は抱かず、自然東京大学を目指した。根が真面目な彼女高校時代勉強に多くの時間を割き、国立大学不合格となったものの、無事都内私立大学合格し、18歳の春に上京した。今年で上京して10年目になる。


彼女母親時代女子が進学するといえば短大だったそうで、その時代東京の4年制大学卒業した美咲母親はそれを誇りに思っている節があり、娘にも上京を勧めた。母が20代の頃、美咲の母方は酒の卸業を営んでいた。当時はだいぶ繁盛しており経済的に余裕があったためか。美咲の母は就職活動をせず地元に帰り2-3年ほど家業を手伝い、美咲の父となる人物お見合い出会い結婚した。父は口下手で商売が上手なタイプではなかったが、家庭の中では優しい父親だった。母がよく癇癪を起こしているのに対し、父が言葉を荒げているのは美咲記憶にはない。花が癇癪を起こすのは大抵父が全く家事を手伝おうとしないからだった。母は父を一生懸命教育しようとしていたが、家事女性がやるものと思っていた父はなかなか身につかなかった。60代になりようやく自分で皿を洗うようになったと最近母が言っている。

美咲に対して、母は今後は女の人も外で働く時代なのだから一生懸命勉強しなさいと強く進めた。美咲の成績が上がると母も喜んだ。東京大学に行くことを賛成し、美咲英語が得意だとわかると英会話塾のパンフレットをたくさんもらってきては彼女能力を伸ばすことに力を注ぎ、美咲外国語大学志望だと進路希望で話すとその大学出身卒業生のエッセイなどを買ってきては彼女の夢を応援した。美咲自身は多感な年頃ならではの母親へのウザさのようなものは感じていたが、基本的には嫌いではない母親だった。


美咲地元にいた頃から一貫して共学で育ってきた。自分自身があまりまれ容姿ではなく、自分ニキビからかわれ、「ニキビ」という知性のかけらも無いそのままのあだ名をつけられてから男子が嫌いになりずっと距離を置いていたため共学ならではの彼氏ができるとか放課後一緒に男子と帰るといった甘酸っぱい青春を過ごすことはなかった。しかし、男子が身近にいることは普通だったし、2つ離れた年下の弟もいた。美咲勉強ができたが、それに対して男子比較されて何か不都合を感じたことはなかった。勉強ができる人は男女関係なく一目おかれたし、男女関係なく進路を好きなように決めたし、母のように女子短大といった時代でもなかった。ただ文系クラスの方が女子が多かった。男子があまり得意ではなかった美咲にとって、女子が半数を占める文系クラスは過ごしやす環境だった。国立に落ち第二志望で進んだ私立大学も、外国語教育に力を入れており文系がメインの大学だったため、全体的には女子の方が多い大学だった。大学の間も相変わらず彼氏はできなかったが、多摩地域のんびりしたキャンパスで4年間を過ごし、休みの間には短期海外留学経験して、語学力を向上させながらやりたかった海外分野の勉強をして過ごした。



自分女子であることに違和感のようなものを感じるようになったのは、就職してからだった。震災後に採用を抑えていた2012年就活戦線はなかなか苦戦し、50社以上のエントリーシート、20社の面接を受け、最終的に内定が出たのは2社だった。当初地元に帰ろうかなと思っていたものの、内定した会社は誰もが名前を知るIT企業メーカーで、大手企業就職が決まったことで、彼女自身家族もホッとし、東京に残ることを納得した。結局新しいことができそうなIT企業への就職を選んだ。IT業界リモートワークなどの制度を生かして女性活躍しています、と先輩社員セミナーで語っていたのも理由の一つだった。メーカーの方は男性ばかり出てきて少し古い印象を持ったことを美咲は覚えている。



美咲ソフトウェア製品営業職として2013年4月社会人生活スタートさせた。自分の同じ部門認識できる範囲には100人ほどの人がおり、女性の先輩も2割ほどいたので全くいないわけではなかったが、営業職の先輩は、みな独身か、結婚していても子供がいなかった。既婚子ありの女性の先輩は業務部門でひっそりと仕事をしている印象があり、営業職の美咲ほとんど関わりがなかった。営業部門は8割が男性で、かつ半数以上は50代だった。夜の飲み会は大抵自分以外はおじさんという状況が多く、美咲はその場ではじめて焼酎水割り・お湯割の作り方を覚えた。飲み会では大体業務部門の人たちは営業できないお荷物、という言い方をされ、美咲はただ笑って過ごすしかなかった。いずれ子供を産んだら自分もそこに行くのかな、という思いもある中、関わったことのない業務部門の人たちについて何かをかばうことも出来ないし、やり過ごすほかなかった。



その会社でのソフトウェア事業は、正直言ってメイン事業ではなく、ハードウェアのおまけのような扱いの部門であった。営業職として客先に行くには、まずは社内営業ハードウェア営業に客先の同行をお願いし、OKが取れたらやっと客先に行き、自分製品を紹介する。ある女の先輩は言っていた。「飲み会に誘ってもらえるのは女子特権なんだから若いうちの飲み会は全て断らずに参加しなさい」と。先輩のアドバイスは正しかった。美咲お酒は弱かったが、飲み会のような場は嫌いではなかったため、最初の2年ほどは結果も出せず苦労したが、もともと人と関わるのが好きな彼女は社内の飲み会にも積極的に顔を出し、仲のいい人を多く作って行くことで仕事も徐々に自分で結果が出せるようになっていった。


入社して5年目、一通りの経験をこなし、大きな案件複数経験して自信が出た美咲は、社内異動制度に応募してハードウェア部門へ異動した。ある意味傍流から本流に異動したわけで、彼女としても意気揚々の再スタートだった。前の部門でおじさんと飲むことに慣れていた美咲は、異動初日飲み会で、やはり50代の男性が多い同じチームのメンバーに対して「私はセクハラ大丈夫なんで」と笑って宣言した。意外だったのは、部門である優秀な40代マネージャーが、「そういう発言はやめたほうがいい」とはっきり言ったことだった。彼は今後役員まで上がるだろうと期待されている、社内のエースのような存在だった。えらい人からそのようにキッパリ言われたことで少し美咲ビビったが、その発言はそのほかのメンバーには笑って流された。


「82年生まれキム・ジヨン」を読んで、美咲には何かが刺さった。これまでの彼女人生の中で、キム・ジヨンのような思いをした経験が、同じ世代日本人女性なら1度や2度はあるはずだ。と、こんな風な長々した文章を書いてしまうくらい、何かを伝えなければ、声を上げなければと感じた。しかし何を言えばいいのかがわからない。何か目の前の明確な不平等を変えて欲しいわけでは無い、自分はむしろまれているほうだと思う、でもそれでも何度か自分のせいだけとは思えない壁にぶつかり、しんどい思いをした、ように思う。何が変えられるのかよくわからないが、とりあえず自分の思いを言葉にしないことには始まらない。

90年生まれで一番多い名前の、数多くの美咲に変わって、中途半端ですが、ひっそりとここに吐き出します。

2024-03-04

酒は美味いが量が多い

当方30半ば下戸

下戸なのに最近酒が美味しいと感じるようになった。

ふとした瞬間に「酒が飲みてぇ〜」と思うことがある。5年前の自分なら考えられないことだ。

しか下戸は変わらないので量が飲めない。具体的にはビールならグラス2杯で顔真っ赤。そういう当方にとって市井提供される酒の量はだいたいいつも多めと感じる。

そんな当方による提供スタイル基準とした酒の評価がコチラ。

ビール:一番メジャー提供方法がジョッキという量多族の鉄板乾杯すると他の酒が飲めなくなるので基本あまり好きではない。500mlって普通飲み物でも最後らへんちょっとダレてこない? 2杯以上飲める人はすごいと思う。

日本酒:1合はとても日本人に合った量だと思う。ただ追加で枡になみなみ注がれると厳しいというか、あれってガブガブ飲む用の注ぎ方だよね。ビールよりスイスイ飲めるかと思いきや意外と腹に溜まる選手権金賞受賞。

ワイン:当方蘊蓄を蓄えたいが一食あたり一杯半くらいが限度のためたぶん一生蘊蓄は貯まらない。度数の割に提供量が多め。割る手段に乏しいのもしんどい

焼酎:大親友。まずどんな頼み方をしてもだいたいグラスで出てくるのが偉すぎる。ちょっと冒険したい時はロックでちびちび香りが美味い。摂取量を抑えたい時は水割りソーダ割り。それでいてなんとなく酒飲んでる感も演出してくれる気がする頼れるやつ。

ウイスキー:焼酎と同じ楽しみ方ができるが焼酎よりちょっと度数高いことが多くて同じ楽しみ方をすると撃沈するトラップ存在。これも度数の割に提供量がちょーっとだけ多め感がある。

バーテンダーに作ってもらう系カクテル:提供量が少ないことが多く美味しいからたくさん頼みたいんだがだいたい度数が高い酒をベースにしているので一生メニュー制覇はできないであろう。当方ディスカバリーが好きです。

みんなもお酒は楽しく、飲んでも飲まれるな!

2024-01-22

バーウイスキーを飲もう その3

その2からの続き

 

増田お勧めウイスキー

その個性を楽しめるという点からシングルモルトバーで飲むウイスキーとして勧める。今までシングルモルトを飲んだことがなくても例えばバーテンダーに「シングルモルトを飲んでみたいのだけど何を飲むのか良いか」と聞けば一緒に選んでくれる。そういう質問にはバーテンダーも慣れていると思う。このようにバーテンダーに相談するのが一番であるがあえて増田お勧めするシングルモルト銘柄理由は以下の通りである

ところでオーセンティックバーでのウイスキーの値段であるがもちろん店とボトルによるがオフィシャルスタンダードクラスシングルモルト(例えば上記グレンモーレンジオリジナル)1杯でその店のスタンダードカクテル(例えばサイドカー)1杯と同じぐらいのことが多いと思う。

 

余談 上記富士シリーズコロナ禍以降に発売されたものだが同様にコロナ禍以降に発売されたウイスキーで手頃な価格でなかなかコストパフォーマンスに優れるボトルがあるので紹介しておく。バーで飲むというより家で気軽に飲むのに向いていると思う。いずれもスーパー等でもよく見かける。

 

ウイスキーの飲み方

今のオーセンティックバーではオフィシャルボトルスタンダードクラス市販価格で700mlボトル1本1万円程度くらいまでのウイスキー)はハイボールオン・ザ・ロックで飲む人が多い(シングルモルトに限るとストレートも多い)ように感じる。それを超えるオフィシャルボトルボトラーズの場合ストレートで飲む人が多いと思うが中にはバーでの提供価格が1杯1万円を超えるようなウイスキーハイボールで飲む人もいる。水割りやお湯割りで飲む人は少ない気がする。またトゥワイスアップ(ウイスキーと同量の常温の水で割る)は少なくとも増田バーで注文しているところを見たことがない。ストレートで飲む人で加水用の水を頼む人はたまに見る(ウイスキーの品揃えが豊富バーなら少量ずつ加水できるよう小さな差しに入れて出してくれる)。

結局は好きなように飲めば良いのであるアルコール度数が60%を超えるウイスキーやスモーキーウイスキーなど人によってはストレートでは飲みにくいものもあるので飲み方もバーテンダーに相談するのが一番である

ストレートオン・ザ・ロックにはチェイサーとして水が出てくる。舌をリフレッシュさせるためだけでなく胃腸を守るためにも合間に水も飲みながらウイスキーを飲もう。

なおウイスキーの純アルコールであるが1杯30mlアルコール度数45%とすると30ml×45%×比重0.8=10.8gでアルコール度数5%のビール500mlの純アルコール量20gの半分ほどである。言い換えるとウイスキー2杯で500mlの缶ビール1本よりやや多いということであるので飲む量やペースの目安にすると良い。

ちなみにオーセンティックバーではボトルキープはできない店が多いが中にはボトルキープできる店もある。ただ色々なウイスキーを試すことを勧めるこの記事の主旨には合わないので特に書かない。

 

バーウイスキーを飲むとき大事ルール

バーウイスキーを頼むと目の前にそのウイスキーボトルが置かれる場合が多いがボトルを手に取ってラベルをじっくり見たい場合は必ずバーテンダーに「手に取ってボトルを見て良いですか」と聞いて許可を得てから慎重に触ろう(酔ってきたら触らないようにしよう)。カウンターの上にボトルを並べている店もあり、そのボトルを見たい場合も同様であるが密集して置いてある場合も多いのでそもそもまり手に取らない方が良い。ボトル許可を得て手に取って見る場合でも絶対に栓を抜いてはいけないし、ましてや匂いを嗅いだりしてはいけない。場合によっては出入り禁止になる。

またボトル写真を撮りたいときバーテンダーに許可を取ろう。店によっては写真を撮ること自体は良くてもSNSへの掲載は不可とかバーテンダーも含め人の顔は写さないようにとか注意事項を言われることもあるのでその場合はそれに従おう(そもそも何も言われなくても他の客の顔は写さないようにしよう)。

なおそのボトルを次に他の客がオーダーした場合ボトルはその客の前に置かれることになるのでラベルを見たい場合写真を撮りたい場合はすぐ見たり撮ったりしよう。

 

ウイスキー豊富に揃えているバーを探すには

単純に「駅名 バー ウイスキー」で検索して探せば良いと思う。検索するとウイスキー豊富にあるオーセンティックバーとともにウイスキー専門のバーが見つかるかもしれない。ウイスキーを専門とするバー自分の行動範囲にあれば行ってみると良いと思う。マニアック世界が見られて面白いはずだ。マニアックバーほどウイスキーをあまり飲んだことが無いならそのように最初に言った方が適切に接してもらえる。逆に知ったかぶりは何のメリットもないしどうせすぐばれるからやめよう(バーテンダーだけでなく他の客にもすぐばれる)。オーセンティックバーだけでなくウイスキー専門のバーで飲むことも含めるためにこの記事タイトルには「オーセンティック」という言葉を使わなかった。

 

 

終わり

バーウイスキーを飲もう その1

以前オーセンティックバーに行こうという記事を書いた増田だが今度はウイスキーのことを書く。

オーセンティックバーでバックバーに並ぶ酒のボトルを種類毎に数えたとしたらほとんどの店でウイスキーもっとも多いと思う。どんなウイスキーがあるかは店によって違いがありウイスキーの品揃えはバー個性の一部となっている。

ところでバーではウイスキー1杯(シングルショットとかシングルと言う)は日本では一般的に(ストレートで)30mlである。その1杯のバーでの提供価格を700mlのボトル市販価格と単純比較するとかなり高く感じるかもしれない。それにもかかわらずバーウイスキーを飲むことの最大の利点と楽しさはバー豊富ウイスキーの品揃えの中から色々なウイスキーを飲めることにあると増田は思う。前回のカクテルと同様にバーテンダーと相談してどのウイスキーを飲むか決めるのが一番であるウイスキーにはどんなものがあるか、どんな違いがあるかを理解するために役に立ちそうだと増田が思うことを書きたいと思う。

と思って書き始めたら3つに分割する必要があるほど長くなってしまった。この「その1」のスコッチウイスキーの「「シングル」という言葉と「ブレンデッド」という言葉」の項目の後はその3 まで飛ばしても十分である。あとはバーテンダーに聞こう。(もっとも何も知らず何も聞かなくても飲んで美味ければそれで十分ではある)

 

 

ウイスキー生産国ごとの分類

サントリー等のサイトではスコットランドアイルランドアメリカカナダ日本の5ヶ国で作られるウイスキースコッチウイスキーアイリッシュウイスキーアメリカウイスキーカナディアンウイスキージャパニーズウイスキー)を世界の5大ウイスキーとして紹介している。 https://www.suntory.co.jp/whisky/flight/about.html

この5大ウイスキーという分類のしかたが的を射たものなのかはよくわからないがとりあえずこの分類を出発点とする。

 

そして今回はこの中からアメリカウイスキースコッチウイスキージャパニーズウイスキー説明する。カナディアンウイスキーについては増田バーで見かける銘柄カナディアンクラブクラウンローヤルくらいだし増田としてはアメリカウイスキーと合わせて北米ウイスキーいいんじゃないかというイメージということもあって省略する。またアイリッシュウイスキーは主にブレンデッドウイスキー増田がよく行くバーにも置いてあるのだが増田があまり飲んでいないので省略する(詳しい人向けに書いておくとアイリッシュでもボトラーズやティーリングが出している中・長熟のシングルモルトはいつも行くバーで抜栓されたら一度は飲むという程度)。

 

アメリカウイスキー

アメリカウイスキーにはライウイスキーコーンウイスキーもあるがアメリカウイスキーといえばなんといってもバーボンウイスキー(単に「バーボン」とも言う)である

アメリカ法律ではバーボンウイスキーは主に以下の条件を満たす必要がある。

このチャーされた樽によりウイスキーにはバニラのような風味がつき主原材料コーンであることと相まってバーボン独特の甘さがもたらされている。

ポピュラーバーボンのボトルの例としては

が挙げられる。ここに挙げたバーボンについては入手が容易であり200mlボトルコンビニスーパー販売されているので自宅でも試しやすい。

なおジャックダニエルテネシーウイスキーとされるがテネシーウイスキーバーボンウイスキーの条件も満たすのでバーボンウイスキーに含めて間違いではない。


スコッチウイスキー

まずいくつかの言葉について説明する。用語は国によって定義が異なることがあるのでこの説明はすべて"スコッチウイスキーにおいては"という前提が付く。ただし日本ウイスキースコッチウイスキーからの影響が大きいため法律に基づくことを除くとスコッチウイスキーと同じ意味用語を使っていると考えて良い。またここでの説明は対比する別の用語区別する部分を主に書いていて定義としては網羅しておらずかなり省略している。なおスコッチウイスキーは単に「スコッチ」とも呼ばれる。(特にこのスコッチウイスキーの項がかなり長くなってしまった。面倒なら最初の2つ(「モルトウイスキー、~」と「「シングル」という~」)だけでも読むと「シングルモルト」という言葉意味がわかって役に立つと思う。)

 

モルトウイスキー、グレーンウイスキー

 

シングル」という言葉と「ブレンデッド」という言葉

なおスコッチブレンデッドウイスキーはいくつもの蒸溜所モルトウイスキーとグレーンウイスキーブレンドしているがその中で中核的なモルトウイスキーキーモルトという。例えば現在バランタイン17年のキーモルト(の一部?)はスキャパミルトンダフ、グレンバーギー、グレントファースということである https://www.ballantines.ne.jp/products/17years.html

 

言葉説明に飽きたり面倒になって飲む話に行きたくなった人はここからその3 へ )

 

樽について

アメリカウイスキーの項で説明したがバーボンの条件のひとつが「新品のオーク樽で熟成すること」である。ということは一度バーボンを熟成したオーク樽はもうバーボンの熟成には使えないことになる。このバーボンの熟成に使われた樽はスコッチウイスキージャパニーズウイスキー熟成に使われる樽のひとつとして使われている。バーボン樽によって熟成された原酒にはバニラ香やハチミツのような甘さ、洋梨リンゴのようなフルーツ感がもたらされていることが多いとされる。

またスコッチウイスキージャパニーズウイスキー一般的に使われる樽には他にシェリー樽がある。シェリースペイン生産される酒精強化ワインである歴史的にはこのシェリーがオーク樽に詰められてスペインからイギリスに輸出されその樽をスコッチウイスキー熟成に利用したと言われる。ただ1980年代に樽の状態シェリーを輸出することができなくなった(瓶詰めまでスペイン国内で行わなければシェリーを名乗れなくなった)ため現在ウイスキー熟成用の樽を作るためのシェリーを詰めて(シーズニングという)ウイスキー熟成用のシェリー樽が作られ、その樽が輸出されている。シェリー樽によって熟成された原酒にはベリー系のフルーツ感がもたらされるとされるがタンニンの苦みや硫黄臭のようなくせが感じられることもある(そのくせも必ずしも悪いことではない。それが好みの人もいる)。ウイスキー熟成に使われるシェリー樽のシェリーは種類が明示されている場合オロロソシェリーが多いが甘口のペドロヒメネスシェリーも見かける。ペドロヒメネス(Pedro Ximenez 略してPXシェリー樽の場合ウイスキーも甘口であることが多い。

他にもポートワインやマデイラワインなどのシェリー以外の酒精強化ワインラムなどに使われた樽や新樽もスコッチウイスキー熟成に使われる。

一般的に、特に大量生産されるウイスキーは色々な樽で熟成された原酒がブレンドされて製品となるが、途中で熟成に使う樽が変えられる場合もある。例えば16年バーボン樽で熟成最後の2年をシェリー樽で熟成するということがある。この場合最後の2年の熟成追熟という。最初と別の樽で熟成することで複雑な香味が与えられる。追熟した樽についてはラベルに○○ Cask Finishと書かれることが多い(例えばシェリー樽で追熟されていればSherry Cask Finish)。

樽がウイスキーに与える影響は樽が熟成に使われた回数と樽の大きさによっても異なる。当然ながら最初スコッチ熟成に使われたときファーストフィルという)が一番影響が大きく2回目、3回目…(セカンドフィルサードフィル…(セカンドフィル以降をまとめてリフィルとも言う))と影響が小さくなっていく。また樽の大きさが小さい方が樽と原酒が触れる割合が大きく影響も大きくなる。いずれも影響が大きければ良いとか悪いとかではなくて原酒や熟成年数等を含めたバランスウイスキーの味が決まる。なおスコッチウイスキー熟成に最もよく使われる樽の大きさは220L~250Lのホグスヘッドと呼ばれる大きさである

 

熟成年数について

ウイスキーは樽の中で熟成され樽の影響をうけながらまろやかになっていく。スコッチウイスキーを名乗るためには最低3年の熟成必要であるスコッチウイスキー熟成年数は満年齢で数えるため例えば9年364日であれば熟成年数は9年となる。一般熟成年数が長いほど高価になる。またウイスキー一般に味を均一化するため多くの樽をブレンドして製造されるがスコッチウイスキーでラベルに書くことができる年数はそのボトル製造に使われている原酒のうち最も若い原酒の熟成年数だけである。例えば熟成年数60年という超長期熟成の原酒が含まれていたとしてもそのボトルに使われている一番若い原酒が15年であったらスコッチウイスキーでは15年としか書いてはいけないことになっている。

スコッチウイスキースタンダードクラス1012年の熟成年数のものが多い。また10年未満の原酒が使われていると思われる場合は年数の表記がないものが多い。この年数表記の無いものをノンエイステイトメント(NAS)もしくはノンエイジ(NA)という。ノンヴィンテージ(NV)という言葉を使う人もたまにいるがウイスキーヴィンテージと言えば蒸留年(いつ蒸留たか)のことだろうと思うので増田は使わない。

ウイスキーは樽熟成している間に少しずつ蒸発して減ってしまう(気候に左右されスコッチで年1~4%と言われる)。この蒸発分をエンジェルシェア天使の分け前天使の取り分)と呼び長熟のウイスキーが高価である理由ひとつである

なお蒸留であるウイスキーは樽の作用により熟成されるものであって瓶詰め後は熟成されない。ただ瓶詰め後にアルコール分が蒸発する等で変化はありうる。この変化が好ましい変化だと感じる場合にその変化を瓶内熟成と言う人がいるのも言葉の使い方の違いとして理解はできる。ただ例えば熟成年数12年のボトルを買って6年保管しておいても熟成年数18年の味には絶対にならない。

 

 

その2へ続く

2023-11-20

anond:20231120105304

涙の数だけ

強くなれるよ



類似

水割りをください

涙の数だけ

2023-11-04

ホスト狂い女性一方的搾取ではない

頂き女子の件でホストの掛売がまた問題になってるが

ホストに入れあげて大金つぎ込む女子は何が楽しいのか?

一見してホストの客が対価として得ているのは

キャバクラ嬢に入れあげる男連中と同じく

美形の異性が自分チヤホヤ肯定してくれることだろう

まり人間関係を金で買ってるわけだが

一方的に貢がされているのとは少し違う気がしてきた

ホストは客に「店のナンバーワンになりたい」とか

たか自分の夢を叶える協力者になって欲しいように語る

そんで派手なシャンパンタワーとかやるとイベント気分が味わえる

要するに単に一方的ホストに貢いでいるだけでなく

「私がこの人を育ててやった」という”優越感”を買ってるのだ

このパトロンとか旦那の気分を味わえる商法を薄い水割りにすると

秋元康が広めたAKBその他の推し活になる

この手の商法のカモになる人々というのは

単に自分を愛してくれる相手が欲しいだけでなく

自分相手の役に立っているという相互的な関係性に飢えてるのだろう

***

これを家族や身近な異性の愛が得られなかったからと分析するのは早計だ

もともと対等な男女の恋愛なんて貴族けが味わえる嗜好品である

庶民の大多数は地縁血縁共同体によってなんとなく結婚相手が決まってた

中級以上の階級でも政略結婚とまでいわんが婚姻は社交の手段だった

じゃあ親子や夫婦の間に愛はなかったのかというと

近代ラブロマンス物みたいな愛情はなかったろうけど

親や子、妻や夫がいてくれないと困る「必要性」はあったのではないか

しろ近代まで数千年、世の多数の人間農業漁業個人商店みたいな

家業」に従事してきたから、親子兄弟夫婦はまず

田畑自家商店で一緒に働く”職場の同僚”だった

そら愛情以前に仕事上のため必要とされる関係だわな

***

それが産業構造が変化した戦後昭和30年ごろからサラリーマン社会になり

地縁血縁共同体のなかでなんとなく男女がくっつくお見合い婚は減り

恋愛して結婚して子供学校に通わせる方が普通になった

でも人類歴史からいえばこんなの100年そこいらの新習慣だ

その結果「必要性」もなく親子兄弟夫婦が同居する状態になり

愛情義務になってそれが得られないと人格ねじれて

わざわざ金で関係性を買う世の中にまでなってきた

とはいえ無償愛情なんて本来やはり贅沢品だと思う

金を払って優越感を買うのも淋しい行為しか思えない

からといってホスト狂いになる女性やら

パトロン旦那気分を味わいたい男にもっと前向きな代案はあるか

俺程度の頭ではまだ考えつかない

2023-09-28

ジンウォッカの美味しい飲み方について

デイリーポータルZジンの飲み比べをしているがはっきり言って飲み方が違うと言いたい。

https://dailyportalz.jp/kiji/jin-6syu-nomikurabe/page/2

 

ジンロックか常温ストレートで飲んでいる。

そしてウィルキンソンギルビーが一番良いという結果になってる。この二つって国産じゃん。価格も他よりかなり安い国産ジンが本場モンより美味しい訳ないじゃん。

これは暴言じゃないぞ。

 

テイスティング方法としてはロック水割り、常温ストレートが正しいのかもしれないが、それは美味しいという事を意味しない。

うまい飲み方というのは単純である

 

冷凍庫にぶっこむ

冷凍庫に入れておくのだ。

家庭用冷凍庫温度というのは色々とあり、単身向けの小型2ドアだと-10度程度しか下がらない。大きい4ドアのものは-20度程度まで下がる。

ジン場合は-10度でも行けるので兎に角温度が下がりきって冷凍庫から出した時に霜で真っ白になるまで冷却する。

するとジンアルコール度数が高いので凍らず、粘性が上がりとろみが出るのである

一緒に冷却したショットグラスに取って飲むとアルコールのヒリヒリ感が無くなり、非常にまったりとした味になる。もっとはっきり言うと「甘い」のだ。

この飲み方では安物の焼酎も甘くなる。

その甘い液体に仄かな味と香りが付いている。それがジンだ。

 

デイリーZの飲み方ではタンカレーゴードンスパイス的な味と香りは雑味や苦みに感じられる筈だ。

炭酸水をそのまま飲むと苦い。そこにスパイスを入れると更に不味くなる。

でもそれに砂糖カラメルを入れると美味いコーラになる。それと同じである

クセが無く作られている日本の安いジンが本場ものより美味く感じられるのはこの為だ。

蒸留酒アルコールが高いヒリヒリする感は消せるし、それは結構一般的なのだ日本ではあまり知られていない。

 

なぜ日本ジンダメと言い切るのか

日本でも高品質ワインウィスキーはあるのに、「日本のだからダメ」となぜいうのか?

昭和末~平成初期にバブルの余波を受けてグルメブームというのがあったのだ。「美味しんぼ」とかあのあたりのだ。

それまで日本でもウィスキーワインなど洋酒製造は行われていて主にそれらが消費されていた。だが円高で本場の洋酒が安く手に入るようになるとどうしてもそれらに国産のは見劣りしてしまう。

元々日本人の味覚というのは今から見ると幼稚に見える味付けを好む傾向があった。特に洋食でそれは顕著だった。

酒も然りで例えば赤玉パンチというのは、「ワインを輸入しても日本人の味覚に合わなくて売れない」というのを解決する為にワインに甘くてフルーティな味付けをした製品だった。

それがバブルを経て「本格」が好まれるようになった。今も「本格派」とうたう食品があるが、それはこういう経緯で「昭和洋食じゃなくて本場の味になってます」というのをセールスポイントにしたものである

この酒での「本格派」路線火付け役サントリーで、山崎工場ブランド化して高品質ウィスキー製造するようになった。

また勝沼も高品位ワインブランド化に成功、混合果樹園だった勝沼の斜面は地平線までブドウ畑になった。それまで国産ワインはただの安物だったのだ。

 

ところでウイルキンソンジンアサヒビール)もギルビージンキリン)もこの過程を経ていないので、単にクセが無い昭和カクテルベース酒のままなのである

 

ウォッカも冷却すると個性が出る

もう一つ、冷凍庫冷却すると実に美味くなるのはウオッカである

甘味の中に仄かな香りがあるのが実に美味い。ただ、ウォッカの方は-10しか下がらない単身向け冷蔵庫だとイマイチである。-20度まで冷やしてトロットロになってないと美味くない。また、温度が上がって霜がなくなるようだとヒリヒリ感が復活してしまう。チビチビと飲んでは冷凍庫に入れて待つ、を繰り返すしかない。

この飲み方ではやはり国産ウィルキンソンウォッカギルビーウォッカ全然ダメである

ロシア革命から逃れたスミノフ家がアメリカ起業したスミノフちょっとイマイチカクテルベースっぽいのだな。

ウォッカデファクトスタンダードロシア産のストリッチナヤはかなり美味しい。

国産トロバヤは更に美味しいのでおススメだ。

だが実はこの飲み方でもっと美味い、伝説ウォッカがあったのだ。

 

伝説ウォッカゴリルカ

青い縁取りのラベルゴリルカというウォッカが嘗てあった。

このゴリルカの産地は「ソビエト連邦ウクライナ共和国」であった。

ご存じの通り、ソ連1991年崩壊し、ウクライナ独立主権国家となった。ソ連時代輸出入は一元管理されておりウクライナ共和国ウォッカも他の共和国産物と一緒にソ連国営商社(食料輸出輸入公団)を通して輸出されていた。

この構造ソ連崩壊後も残りストリッチナヤ等は輸出入公団株式会社化したS.P.I.@ロシア共和国経由で輸出が続いていたが、1990年代末にはゴリルカだけは入って来なくなった。製造していた現地企業法人化してSPI関係が切れたのだろう。

余談だが、社会主義国家は自国産業が完結する訳でも無いので西側から輸入する。それには外貨必要だ。だから輸出にも力を入れていた。

だが国際通商をすれば当然流入外貨によって国内通貨価値が変動する。社会主義の根幹は通貨管理であるからこれは困った事になる。そこで国際通商用の別建て通貨を作り、旅行者外国商社はそれを使用するようにする。中国通貨が「人民元なのはこの為だ。人民用でない旅行者用の元があったのである

から製造元が直接外国商社取引するのではなく国営商社が一元管理するという迂遠な事をやっていた。

なお、中国旅行者用元が無くなったのは市場原理の導入による。今の中国社会主義じゃなくて鄧小平主義なのだ

 

さてこのゴリルカだが、ウクライナ語でスピリッツ蒸留酒の事で、それを英語読みしたものらしい。製造元は恐らくここ https://en.wikipedia.org/wiki/Nemiroff で、1994年に直接輸出をはじめたとあるから流通在庫が数年で無くなって日本で見る事も無くなったのだと推測される。

ゴリルカ」の名前ウォッカラインナップには無くなっているが、そもそもその名は「日本酒」みたいなもので、外国向けの名づけだからここで作るオーソドックスウォッカは皆「ゴリルカ」だ。

 

昔はソ連ロシア経由で入って来ていたが、最早ロシアがどうしようもない失敗国家となり果てた今、もうその経路で入ってくる事は無いだろう。

EUに加盟したウクライナ戦後メキメキと経済成長し、ウクライナウォッカEU経由で潤沢に入ってくるようになると思われる。

そしたら是非冷凍庫に突っ込んで味わってみたいものである

読者諸兄もその時は「ウォッカの本当の名産ウクライナでね」とか「冷凍庫キンキンに冷やしてストレートで舐め舐め飲むのが正しんだよ」とか酒場蘊蓄吹かしてウクライナウォッカと飲み方を唱導してしてやって欲しい。

2023-09-15

百合BLヘテロも等しく恋愛モノってのはある種のつまらなさやくだらなさを内包したジャンルでしょ

結局のところは「作者の匙加減でいくらでも調整できるハードルの先に置かれたトロフィーを手に入れるまでの茶番」もしくは「一部読者にとってポルノ的な効果があるシーンをひたすら繰り返すだけのワンパターン」でにしかならないんだよね。

恋愛ものには

恋愛成就系」

破局復活系」

失恋系」

「ヤマ・オチ・イミなし系(やおい)」

の4系統があるんだけど、このうち前半3つが上で上げた「作者匙加減トロフィーゲット系」で、最後ヤオイが「惰性型ポルノ連発系」に該当する。

トロフィーゲット系」の物語は「相手との恋愛関係」「最高の思い出」のどちらかを主人公が手にするまでの物語を描いているのだが、その物語は究極的には1話で終わらせられる話を延々と引き伸ばしてるだけの薄めきったカルピスにほかならない。

恋愛成就系」であれば「付き合ってください」「OK👌」で終わる物語を延々と先送りにしているだけ。

破局復活系」であれば「ヨリを戻そうぜ」「OK👌」を引き伸ばしてるだけ。

失恋系」であれば「でも楽しかったよ」で主人公が笑い泣きしておけばいつだって切り上げられる物語である

まれ打ち切りだったり作者がぶっ壊れた果ての逆張りで凄い終わり方もするが、それは単にカルピスを薄め続けている間に誤ってコップを倒しただけであり、やっていたことがカルピス無限水割りであることに変わりはない。

これらの物語は結局のところ、作者が登場人物の行動をひたすら阻害しているだけであり、登場人物が正しいアクションを取れば物語は本当に一瞬で終わるはずなのだ

言ってしまえば「トイレに行きたいけど無理して我慢してる小学生の様子を延々と描写している」ようなものだ。

ただ主人公が「やっぱトイレ行ったほうがいいぜ!」でトイレに行けば開始1ページで物語は終わる。

しかし作者の都合により話は引き伸ばされ「プルプルしてるのを友人に指摘される」「すかしっぺでガス抜き成功し誤魔化して一時的に復活する」「勢い余って少し漏れたことで急激に自体悪化する」といったイベント飛び込み差も物語は劇的であるかのように振る舞う

しかしそれらは結局は主人公が「やっぱトイレ行かないと何も解決しないぜ!」でトイレに行けばその瞬間に終わる物語であるはずなのだ

そうしているうちに収集がつかなくなったとき、突然主人公が「やっぱトイレ行くぜ!」といきなり宣言するか、破綻した物語に相応しい終わりとして盛大に漏らしてしまうのだ。

やっとトイレに行った主人公や漏らした主人公がやけにスッキリした顔を描いて作者は「やりきったぜ!」となるし、読者によっては「よかったね!よかったね!」と喝采を浴びせるのである

しかしそれでやっているのは「1ページ目でトイレ行っておけよ」でしかないのだ。

これが「トロフィーGET系」が持つ圧倒的くだらなさだ。

恋愛漫画にはもう一つパターンがあり、成就した恋愛をダラダラと描き続けるタイプが有る。

これらの漫画はただひたすらに恋愛成功して幸せに暮らす様子が描かれるが、そこに物語としての起伏はもはや存在しない。

主人公カップルたちのデートシーンを見て「羨ましい~~~」と読者が楽しむだけである

やっていることはグルメ番組シズル感ある映像を見ながら「まいう~~~」とタレント感想を述べるのを見ているのと同じ状態である

コンテンツのあり方としてこれは実にくだらない。

三大欲求の一つである性欲を間接的に刺激するような延々と続く前前前戯のシーンを見てココロチンコマンコを読者がクリクリしてオナニーするためだけにこれらの作品存在する。

読者にとって恋愛対象となるキャラクター達が恋愛をしている様子を見て、ピーピングトムとしての快楽に浸っているのである

恋愛作品ときにはセックスを直接描写するが、それはまさにこのピーピングトム向けのご褒美なのだ

だがその内容がセックスでなくても、性欲依存の覗き趣味を満足させるための作品なのは変わらない。

銭湯盗撮をする行為をしたからといって相手レイプのような傷を残すことがなくても、結局それを見て性的興奮を覚えるのと同じく、程度が違うだけでしかないのだ。

恋愛物を楽しむココロの延長線上には必ず性欲がある。

性欲に依存しているだけの低俗コンテンツ

それが恋愛モノであり、それが最も顕著なジャンルヤオイである

これらの要素は作中人物たちの恋愛観がホモであろうがヘテロであろうが異種族間であろうが変わることはない。

各々の読者が自分なりに納得の行くオカズを求めてそれらの作品を選ぶのだから、結局それらは性欲に基づいた茶番の覗き見でしかないわけだ。

実に気持ち悪くい。

そして程度が低い。

私は恋愛物が面白いなんて思えない。

それがどんなジャンルであったとしてもだ。

あんものを見るぐらいなら堂々とポルノムービーを鑑賞する。

たとえば君達も映画で盛り上がっている時に急にラブシーンが始まると興ざめすることがあるだろう?

あれは結局のところ、性欲が高ぶっているわけでもない時にポルノムービーを見ているの同じ状態からだ。

満腹の時にかぐ焼肉匂い悪臭であるのと同じなのだ

眠くない時に寝ようとすることが苦痛なのと同じなのである

本当に中身があって面白いコンテンツであれば、そういった本能的な満足感さえ超えて圧倒的な力でこちらの感性をこじ開ける。

それこそ今まで知らなかった価値観さえ提供してくれるだろう。

だが恋愛物が提供するのはどこまでも性欲の延長線上にあるものだけだ。

実に低レベルだ。

人類はさっさとこんなものを有難がるのを辞めろ。

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