はてなキーワード: 駄文とは
今日は前に進む決意をした。
休学してからずっと「退学して就職」か「復学」の2択しかないと思ってたけど、小さなことがきっかけで「別の大学の通信課程に入り直す」という選択肢に気づいた。本当にやりたかった事をもう一度目指す、それがこれからの私の道だと思ってる。
そんな小さな決意をしたついでに、入学してから休学するまでの事を書き留めておこうと思う。これは自己満足の備忘録。もしもこの駄文を見る人がいたら、物凄く不愉快にさせてしまうかもしれない。でも許して欲しい、こういう人間が今この世に実在していること、これからやり直そうとしてることを。
常識やマナーに囚われたつまらない子供で、白黒はっきりしていない物事は気持ち悪かったし、嫌いな物はとことん嫌いだった。自分中心に生きていたらいじめられてしまって不登校に。
そこから人間関係が怖くなって、周りの目ばかり気にするようになった。そして地元で最底辺と呼ばれるような高校に入って、友達ができて、恩師と出会った。楽しい高校生活の中で、とある学問を勉強したくなり受験を決意した。
…というのは建前で、本音は親族からの期待の目だった。「真面目だった私子ちゃんなら良い大学に入れる」「大学に入ってこそ」と古い価値観を幼少期から植え付けられていた私には、失望されるのが怖かった。
お正月の親戚の集まりで褒められて、両親に渡される「合格祝い」と書かれた大金。
そして比較される高卒の親戚。「私子ちゃんは大学合格してすごいけど、親戚くんは……」
これで良かったはずなのに、気分が悪かった。
そうして低すぎる自己肯定感を背負って、大学一年生が始まった。完璧主義が悪い方向に働き、「全科目A以上は取れないとダメだ」と自分を追い込み、朝6時に家を出て夜の21時に帰宅する生活だった。見た目に関しても周りから浮かないように必死で、服を毎月買いまくり周りと比較しては死にたくなった。
思えばここら辺から異常だったんだと思う。
私は「学校は小さな世界で、その外には大きな世界が広がっているから、学校の人間関係に囚われる必要は無い」というスタンスで高校生活を過ごしてきた。しかし、大学に入った途端「大学が世界の全て」になってしまった。外の世界が見えなくなった。
1人で授業を受けていることに対して何か言われるのが怖くて、友達を作ろうと必死だった。やっとできた友達は授業中にずっとスマホ、周りの人間もみんなスマホ。当たり前の景色なのに、「なんでここの人達は大学に入ったんだろう?」と疑問に思ってイライラするようになった。
必死に話を合わせて笑って、「高校の頃はこんなじゃなかったのに」「情けない自分になった」なんて何度も思った。真面目にメモを取ってると、「真面目だね〜〜」なんて言われて、浮くかなって不安になって、メモを取るのが怖くなった。高校時代の友人からの遊びの誘いを断るようになり、大学の勉強や浮かないファッションを探すのに必死だった。
がむしゃらに駆け抜けた数ヶ月、前期の終わり前に家族が亡くなり、ショックで2週間ほど外に出られなくなった。ここでS評価が取れないのは確定してしまった。一気にやる気がなくなり、手を抜いてテストを受けた。単位はひとつも落とさなかったけど、Sは2科目しか取れなかった。
そして夏休みに入った直後、はじめてのパニック発作が出る。何か調子が悪いんだろうと思っていたが、その後も大学の事を考えると過呼吸になる。メンタルクリニックを受診したら、パニック障害の診断が下った。
そして休む間もなく後期が始まる。
その頃にはSNSで仲良くなった同じ大学の人たちと関わるようになった。6人くらいで形成された学部混合のグループの中で、愚痴や悩みをツイートして、慰め合う。そんな関係だった。
ずっと居場所がないように感じてた大学にようやく居場所を感じた。
ただ、私があまりにも弱すぎた。
その友人たちに合わせて、授業を飛んだりピ逃げするようになり、見た目も勧められるがままに金髪にして、高校の頃の恩師にドン引きされた。
未成年飲酒なんか大っ嫌いだったのに、みんなと一緒にいる為には……! と何度もお酒を飲んだ。周りに合わせて大量に飲んでは、記憶を飛ばしたり、帰宅後に吐くような日々。
どんなに楽しんでも孤独感と疎外感が強くて、常にみんなについて行くことに必死だった。授業中Twitterが見れないと不安で、ずっとスマホをいじってた。単位を落としそうになったら救済を求め、行こうとしたら発作が出て、もう滅茶苦茶な生活になってた。
大学以前からの友人たちにもドン引きされてたけど、大学で居場所が無くなるよりはマシだと思った。そしてテストにも遅刻しかけて、修得単位は16。終わったと思った。
そのまま冬休みに入って、また飲みに行ったりする日々。どんどん心の調子が悪くなって、薬を増やした。良くならなくて、また流れるように2年前期が始まる。今期こそ真面目にやろう!と思っていた。
しかし、5月頃から、本当に大学に行けなくなってしまった。布団から出られない、外にも出られない。ご飯も食べられなくなり、トイレに行くだけで床を這いつくばって10分。自分でも何が起きたかわからなかった。情けなかった。死にたかったけど、死ぬ気力すらなかった。
絶望的な2ヶ月をすごして夏休みに入り、休学を決意したが、8月半ばに突然元気になった。あまりにもパワーが溢れるもので、大学に行きたくて仕方がなかった。でも夏休みでやってないし……ってことで、ずっとダンベルを握りしめてた。とにかくトレーニング。エアロバイクを漕ぎながらアニメを見る。最高!!!!!元気!!!!!周りが大丈夫なの?とか言ってたけど、全然問題ないと思ってた。やっと素の自分に戻れたと思った。
……で、10月に入り、また死にたくなった。
布団から出られない、ご飯が食べられない。生きてる心地がしない毎日と絶望感、希死念慮。
飛び降りようとしたタイミングでたまたま高校時代の友人が心配して家まで来てくれて、号泣しながら話を聞いてもらったりした。それでも死にたくて、死ぬ手段をずっと考えてた。
「気分転換に飲みに行こう」と言われ、復学後のことも考え何とか準備をして飲みに行った。またいつも通り煽られるまま飲んで、気がついたらその人とラブホテルにいた。訳がわからないまま豪華な天井からぶら下がったシャンデリアを眺めていた、あの光は今でも脳裏に焼き付いている。飲みに行きまくってる癖に男性経験は殆どないようなものだったので、相手が必死に挿入しようとしても入らなかった。あまりの激痛に叫んでしまい、ハッと酔いが覚めて、もう帰ろうと言ってホテルを出た。最悪の気分だった。本当に死んだ方がいい、このまま電車に飛び込もう、と思ったけれど、山手線にはホームドアがついていた。ここが私のどん底だったと思う。本当に最悪だった。
早く病院に行けよ、という話だが、私はメンタルクリニックの定期受診の日を待っていた。予約の電話をするのがめんどくさかったからだ。
そして定期受診当日、なんとか向かうと、担当の先生が見たこともない表情で私の話を聞いてくれて、双極性障害と診断された。
薬を増やして数週間、効いてきたのか調子が良い。躁状態ほど明るくないが、鬱状態ほど暗くはない。
落ち着いてる今だからこそ、自分が何故あそこまで周囲の目を気にしていたのかよくわからない。
自分を曲げてまで周りに合わせることも、本来の大学の目的が見えなくなってしまったことも、何もかも、馬鹿馬鹿しかったなと思う。何より、大学以前の友人は変わらず気にかけてくれて、ずっと仲良くしてくれていたのにそれが見えなくなっていたことが情けない。20歳になってからは、お酒を殆ど飲まなくなった。友達と会う時も、着飾りすぎるのをやめて、自然体で公演を散歩するような過ごし方をしている。これからも、目の前のことに必死になって自分や本来の目的を見失うことがあると思う。でもこんな地獄みたいな経験をしたからこそ、去年〜今までのような事にはならないと思う(思いたい)。
人生は失敗ばかりだけど、失敗から反省することで成長できるとよく聞く。それを信じて、大事なものを見失わずに程よく頑張って生きていきたい。
やっぱアンフェって知ったかぶりでメチャクチャ言ってるだけのド低脳なんですよね
取調室が録音撮影されてない、取り調べが性被害者へのケアを欠いている、性犯罪や家庭内暴力等の個人間犯罪における「疑わしきは罰せず」の過度の徹底が結果的に被害者への証明責任の転嫁、被害の隠れ蓑となっており治安維持機能や権力抑止の趣旨に反している、と
何で無知が意見を言えると錯覚してるんやろ、バカだとメタ認知能力すら低すぎて自分がバカだと自覚が困難だから?
文章読んだだけで刑法を1mmも理解してないのがよく分かるのによく書いたなこんな駄文
よく知らないくせに勉強しようという発想にならないのがすごいわ
タイトルの通り。
文章が書けない。正確には「小説とか随筆とか、なんか良い感じの文章を書きたいけどその能力があまり高くない上に、良いものを書こうというプレッシャーに押しつぶされて文章を書き始めることが出来ない」だ。
子供の頃から本が好きで、いつか自分も美しい文章や物語を書きたいと思っていた。
だが完璧主義というか、傑作を書こうと無闇矢鱈と意気込んでしまい、筆がまったく進まないどころか原稿の前に座ることすら出来ない。
だけど読み返すとあまりにも稚拙だったり、周りからの評価が微妙だったりして、どんどん書くことが苦手になってきた。
書きたい、という気持ちはある。でもつい楽で楽しいことに流れてしまう。
SNSを眺めていると時間は溶けていくし、ソシャゲをぽちぽちするのもまた楽しい。
「書いている自分」に憧れがあるだけで、実は何も書きたいものなんて無いのでは?或いは、周りから創作している人として見られることで承認欲求を満たしたいだけでは?
自分と向き合うのは、自分の本心を見いだすのは難しいことだ。自分自身に対しても見栄を張ってしまう己がいる。
だから、という接続詞が正しいのかわからないが、取り敢えずこの文章みたいに適当に書くことにした。
最初からフルマラソンを完走出来る人はそうそういないのだ。凡人なればなおさらの事、まずはウォーキングから始めようとそういうことだ。
ジャニーズとか宝塚とかをきっかけに「推し活」そのものにも批判的な目が向けられてる現状にちょっと言いたくて書く。
性犯罪とかパワハラとかが違法行為であって糾弾されるべきなのはそう。そこに異論はない。
ただ、歴戦のオタクとして、「推し活」そのもののあるべき姿みたいなのにはちょっと思うところがある。
具体的な年代は避けるけど、かつてオタクやってたときはまだ「推し」なんて言葉はなかったし、今よりずっと「オタク」もネガティブなイメージの言葉だった。
当時は某グループのオタク。バーチャル系ではなく実在のグループで、まあCD出したりグッズ売ったり、ライブやったりしてる感じ。まだ配信文化もなかった。
ツアーの全通(非オタク向け補足:ライブツアーなどに全公演参加すること)経験もある。チケ代交通費宿泊費グッズその他で数十万かかったけど、まあ楽しかった。
その後、主要メンバーの引退やら卒業やらで少しずつ離れていき、数年間の非オタク期間を経て、1年ほど前からまた別ジャンルのオタクをやってる。
年齢も人生経験もちょっとは積み重ねて、推し活に対するスタンスも固まってきた。別に正解があるわけじゃないが、推し活やるならこうしたらいいぞ、っていうオススメを書いておきたい。
一言でまとめると、「推しの人生は推し本人のもの、お前の人生はお前のもの」だ。
どうかなあと思うのは、自分の人生を推し活に注ぎ込みすぎてるパターン。それで結局推しの引退やらなんやらで、気がついたら年齢を重ねた自分と虚無感だけが残った、みたいなやつだ。
昔からそういうオタクを周囲でたくさん見てきた。それでもある期間は楽しかったんだからいいのだ、と割り切れるならまだいいが、そうでない人も多い。
ファンと結婚する芸能人、みたいなのに憧れがあるのもわかる。でもあれは、「もともと出会えるぐらいの距離感の関係性」だった対象が、たまたまファンだったというだけに過ぎない。もしくは、ちょっと知ってた、くらいの話を「昔からずっとファンでした」に脚色したほうがニュースバリューがあると判断した結果の演出だ。残念なことだが、この世界はそういうふうにできている。
ライブでファンサもらえたとしても、ラジオや配信でメールが読まれたとしても、それはお前の人生が推しの人生と重なったことにはならない。
推しは推しの人生という列車に乗っていて、お前の乗ってる列車の線路とは交わってないのだ。ライブやメールっていう接点は、あくまで車窓から見えた、程度のこと。
その景色が見えようと見えまいと、推しは推しの線路を進んでゆく。それはお前もそうなんだ。お互いが交わったと思いたい気持ちはわかる。でもそうではないということをまずは理解しよう。
じゃあどうしたらいいか。
お前は推し活をしている以上、推しから何らかの影響を受けているだろう。推しも、個別に一人ひとりを認識してはいないにしろ、ファンの反応には影響を受けているはず。そういう意味では、
お互いに影響しあっている。推しはファンのリアクションを受けて、活動を続けている。お前も、推しから受けた影響を「お前の人生」に活かせ。
お前が推しの人生を変えようとしても難しい。推しの人生は推し自身が自分で決めて進んでいくのだ。同様に、お前の人生を決められるのはお前だけなんだ。
ちょっと話は逸れるが、オタク歴が長くなって気づいた、ラジオなどでメールが読まれるコツみたいなものを伝えておく。
可愛い、かっこいい、歌やダンスが上手い、など推しに対してストレートに感情を伝えるメッセージは、それだけでは弱い。なぜなら、ある程度の活動をしている人はそういう言葉を浴びせられることに慣れているからだ。
「あなたの歌(orダンス、演技、etc...)からこんなことを感じて、自分も◯◯してみました、◯◯にチャレンジしています」などというように、
「推しの活動から影響を受けた自分がどのように変わったか」を書くんだ。
推し対象が何らかの芸能活動をしているのであれば、自分の生み出したコンテンツが誰かにプラスの影響を与えた、誰かの人生に作用したと思えることが嬉しくないはずはない。
どんな仕事でも、自分の仕事が世の中の役に立っている実感が得られるかどうかは、やりがいに直結するだろう。それと同じことだ。
自分は、いまの推し対象が音楽をいろいろ突き詰めているのをみて、楽器を始めた。もともと音楽は好きで楽器が演奏できることへのあこがれはあったが、推し活がきっかけになった形だ。
練習しているのはもちろん推しの楽曲だ。なんとか1曲弾けるようになって、推しの記念日に某所に演奏動画を上げたら、同ジャンルのオタクたちがリアクションくれてちょっと承認欲求が満たされた。推し本人が見てくれていたらいいなあと思う。
初級レベルを出るくらいまではきた自覚があるので、おそらく今の推しが引退とか活動休止したとしても、楽器は続けていくと思う。これは推しに出会わなかったらきっかけがなかった自分の人生の変化だ。
言い換えただけだが、自分の考える推し活のあるべき姿は「推しを力に変えてお前の人生を生きろ」だ。
お前がお前の人生を生きている限りは、グッズを山ほど買おうが、ツアー全通しようが、批判されるべきことではない。それを力に、お前の人生をより良い方向へ変えるには、と考えて進もうや。
蛇足だが、推し活のための借金はおすすめしない。それはお前の人生が担える範囲を超えているからだ。
推し活などに全く頼らなくても生きていける人も大勢いる。だが、我々のような人種は基本的に弱いんだと思う。だからその弱さを推しに補ってもらって、自分の人生を歩もう。そうやって良い方向へ自分のファンが変わっていくことは、推し本人にとっても喜ばしいことのはずだ。
(前回のご報告)https://anond.hatelabo.jp/20230915214213
とてもすてきなねこと長い間ずっといっしょに暮らしてきたのですがしばらく前に亡くしてしまい、いろいろあって今は代が替わったやっぱりすてきなねこと暮らしています。最近ひんぱんに掃除をしても部屋の隅が毛だらけになるなあと思っていたところ、なんだかねこが前よりふっくらしていることに気がつきました。ねこの衣替えに季節のうつろいが追いついたことをことほぎ、ここに駄文を記します。
昨年のこのくらいの時期に話題になった、ねこの毛皮を模した毛布のシリーズがすごく欲しいと思ったもののいつも品切れで買えずくやしい思いをしていたのですが、そろそろこたつを出そうかと思案していた際にふとそのことを思い出したところ、よいタイミングでちょうどいい大きさのキルトラグを手に入れることができました。早速こたつの下に敷いてみたところ、あれ?なんかちょっとこれはねこではないのではないかと思ってしまったのが先月のこと。ですが先日ふっくらちゃんを撫でながらこたつに潜り込むと、あれ?まさにこれこそねこFeelではないですか。と今さらのように気がついてしまいました。浅薄にも短絡的に見当違いなこと思ってしまい大変申し訳ありませんでした。YESふゆげねこFeel
あんなに暑かった日々が嘘のように冬へと変わっていくと、ひともねこも暖を求めてお互いの距離が近くなります。在宅勤務中に膝にお乗せすることはこちらとしても大歓迎ではあるのですが、ひとはねこをひざに乗せることだけに集中すべきであり、キーボード操作等余計な振る舞いをすることは許さない。と増田の腕をぎゅっと抱きかかえたりされるのはちょっと困ったりしますが、まあそれもいいかとも思ったりしています。実は最近増田にとってちょっとめんどくさい仕事が増えてきたこともあって、衝動的にハンモック(スタンド付き)を購入してしまいました。部屋が猛烈に狭くなることと引き換えにコロンビアで手作りされたハンモックに包まれてゆらゆらすることでとんでもない快楽が得られるわけです。ただ、増田がハンモックにすっぽり隠れてしまって視界からいなくなることはふっくらちゃんにとってとうてい許せることではなく、増田が増田の使命を果たすことを助けるべく外側からコロンビアで織られた綿布をバリバリとなさるのでひええと飛び出るわけですが、そのうち一緒に包まれてゆらゆらできるといいなあと増田は思っています。
夜になれば前回の冬と同じようにふとんの中に潜り込んできて、前回の冬と同じように増田のわきの下で一周ぐるんとまわったあと耳のうしろを撫でてもらう体勢に入ります。でも今は増田がぐっと腕を伸ばさないと耳のうしろが撫でられなくなってしまいました。増田にはなんだかそれがとてもとてもいいことであると感じています。こちらからは以上です。
(追記)
これまでの分をこちらにまとめました
国家賠償法1条1項は規定と呼ばれているが、数学に定理があるように法律では規定になっているものが定理と同じような質のものであるのかどうか分からない。
数理科学ではなく数学は一般に難しいと言われているが、法律の規定をするときに、その規定をすることが難しいという見解はきいたことがない。数学では、ある連立方程式を満足するnが
きれいに決まっているということが趣旨であると説明されるが、法律では分からない。仮に分かったとしても実質においてクソ駄文であり、魅力的なところが存しない。霞が関の一部の職員からは
誰も理解できない文章という指摘があるが、全ての職員にいきわたっていない。検察官の山田朋美は、法がないことを認めない。しかし、令和2年の夏ごろに延岡市のあもり橋に出てきて、
こっそりと、だから国にはない、と認めた。令和2年か、3年かは確定しない。
フェルマーの大定理は、 x^p+y^p=z^pと同値である、全部証明しないと意味がないが、ヴェイユは、エベレストのようなもので誰も登れない、支持する道具がないといってるのに対して
青少年が興味を持たない。
私が、選挙法の違反かもしくは、なんとか神社の地鎮祭の違憲判決のコピーをわたして読んだのは、平成24年9月頃の話なんですが、そのときにそこの地鎮祭の玉串料の奉納を
したのは違憲とかなんとか、地鎮祭ではなかったと思うが、ともかく、平成24年ごろにあった、神社関係のなんかを読んだときに、最高裁で老人が暇つぶしをしているだけでくだらんという
結論に到達したので、ああいうのは残酷なやつらなので今も変わってないと思いますが
なんかそのときから老人が暇つぶしをしているだけの、長ったらしいクソ駄文にみえたので、論外であると思ったのです、
まあ法律の文章自体がもう、遺跡なので、最初から遺跡であるといえばいいものが、中々言わない。中谷とか小島も遺跡で働いてるんですがそこで作成している書類が象形文字であることの
表明もしない
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/834387?display=1
【速報】“私人逮捕系ユーチューバー”「煉獄コロアキ」本名・杉田一明容疑者(40)を名誉棄損容疑で逮捕 女性にチケット転売の言いがかりつけ動画投稿
杉田容疑者は今年9月、帝国劇場にいた10代の女性に対し「チケットの転売をした」と言いがかりをつけて詰め寄る様子を撮影して、「転売ヤー」「パパ活女子」「8万円返せ」などの文言とともに動画をYouTubeに投稿し、女性の名誉を傷つけた疑いがもたれています。
どうやら転売ヤーというのは間違いだったようですね。
新しい動画を投稿しましたー(*´﹀`*) 煉獄コロアキ、私人逮捕のせいで自分が逮捕
https://www.nicovideo.jp/watch/sm43018835
まず、以下の文章は当然ウソ。そんなことがあるわけがない。息を吐くように嘘をつくのはやめな。そんな昔から私人逮捕系Youtuberはいない。
私人逮捕系YouTuber以外に盗撮から守ってくれる人はいなかったよ
https://anond.hatelabo.jp/20231110184306
https://web.archive.org/web/20231110173822/https://anond.hatelabo.jp/20231110184306
ちゃんと魚拓を取っておきました。フェミはバカで嘘つきですぐ忘れるからね。
男女共同参画でいくら下駄をはかせても、フェミがいかに馬鹿で男性を嫌悪しているだけの子供だということがわかります。
非常に幼稚で幼い。結局セクハラもパワハラもなく結婚もしないとこういうバカにしかならない。
だからこういうめちゃくちゃなことをいう。
キモイババアだよね。それやってたの金にしていた私人逮捕系Youtuberでしょ。馬鹿ですね。どこまであほなんだか。ウホウホしてたのあんただよ。
スレッドのフェミってバカだよね。冤罪を起こしたら捕まるんだったら私人逮捕ダメでしょ。この程度の頭の悪さででたらめをいうの恥ずかしくない?被害を受けているのは女性だよ。
このようにツィフェミというかフェミニストって女性のことなんて全く考えていません。実に頭が悪く有害です。
クソフェミってあほやな。動画に写っている女が冤罪だったじゃないか。どの辺に目がついているんだよ。まああほだから反省できないわな。少なくとも男より頭悪いので、一生黙ってろ。犯罪者を擁護して正当化するな。
はいこれも誤り。このようにでたらめな私人逮捕はこういう冤罪を生む。それどころか名誉棄損。犯罪ですね。
例えば、抵抗しない転売ヤーを押さえつけた私人逮捕が問題視されてるね
・そもそも物品の販売購入行為は罪ではないので罪を犯した人にならない
・女性1人を複数人の男性で押さえつける逮捕行為は、逮捕の必要性の要件を満たさない可能性が高い
・いわゆる私刑は法が許していない
冤罪の話ではないんですよね
https://anond.hatelabo.jp/20231114001055
ついでに魚拓もしておいた。このようにフェミとか単なる男嫌いの馬鹿なおんなしかいない。しかも被害を受けているのが女だからな。
警察官は営利で逮捕しないから私人逮捕と同列には言えない。この辺も理解できないのなら黙ってろよ。
嫌っているのは勝手に転売ヤーと言われて名誉棄損された女性じゃないですかね。フェミはバカなんだから黙ってろ。
まあこの女性に一生毎月1000円づつ払うようにした方がいいですね。勝手に転売ヤーにして名誉棄損に加担した人たちを罰する法律が必要ですわ。
ここ最近、ブロガー界隈でGoogleの検索結果が過去一でおかしいのでは無いか?というのが話題になっている。
事の発端は、10月に行われたコアアップデートと呼ばれる検索アルゴリズムのアップデートから始まっている。ブロガー達のリアルに生きるか死ぬかが分かれるイベント?とも言える。
ブログで飯を食っているようないわゆるアフェリエイターなどが、その検索結果の変動のせいで悶絶している状態だ。
まぁ、そんなアフィカスが悶えてるだけであればざまぁwだけで終わりそうなんだが
ただ、今回のアップデートについては、ちょっと様子がおかしく、何故か検索結果が一般的な利用者にとって「害」でしか無いコンテンツだけが優遇されて表示されている状態だ。
ここ最近、グーグルの検索を使っていて、コレジャナイ感が増えた気がしないだろうか?
わかり易い例で言うと、何かしらのモノレビューが、企業が有するWebサイトが優先的に表示され、実際のディープなレビューはすべて検索のランクを落とされている状態だ。
これは"商品"として売り出されているモノすべてに当てはまっており、大手メディアや老舗サイトの薄い情報がとにかく優先的に表示をされている。
他にも、技術的な検索に対しても、これが起きている。例えば、プログラミングなどのテクニカルなエントリーを探しても
一番上に表示されているのは、目的を解決するためのシェアウェアのレビュー。そしてそのページはシェアウェアの開発元が作ったテクニカルエントリーに見せかけた商用記事だ。
技術者ならば「ググれカス」が一般的なところ、ここ最近のGoogleの検索はマジで信用に値せず「ググンなカス」にマジでなっている。
若い技術者なんかは今はマジで「ググンなカス」を肝に銘じたほうが良いと本当に思う。
で、なんで増田なんかにこんな事を書いたかと言うと、今の現状を広くフラットに知ってもらうツールとして増田ぐらいしか思いつかなかったからだ。
例えばこの状況はX(Twitter)などのSNSや、コミュニティでも多くの人がつぶやいているのだが、その半分ぐらい胡散臭いエセネット成功者が、自分の商材を売るキーワードとして使っており
自分のサイトも持っていないようなレベルのゴミがコアアップデートの攻略法みたいな事を書き込んでいる。マジでTwitter上は、コアアップデートで嘆いている人達の傷の舐め合いか、詐欺師しか存在しない。
ある程度権威性のあるSEOフォーラムなどでも、Googleという言わば神のみぞ知る世界なので、我々人間達は粛々とコンテンツを作るしかないのです…
みたいな、宗教みたいなノリになっている。なんじゃそりゃ。
今のこの状況をもっと広く知ってもらうためには、独特なアルゴリズムを持つ増田ぐらいしかないんじゃないか?ぐらい個人的に思い詰めて書いた駄文である。
とにかく、今のGoogleの検索はマジでおかしい。これは完全に自分の妄想ではあるが、他社のAIサービスなどに抵抗するため
めちゃくちゃ基幹的なレベルでの改修を行ったが、それがGoogleも意図としていない結果になってしまっているのでは無いだろうか。
実際に、10月のコアアップデート後に異例とも言えるスパンで追加のアップデートを行っている。それに対してGoogleは言い訳とも言えるようなユーザーFAQページを作るなど
イレギュラーが続いている。
はい、フェミニストが男性を装ったクソカスなキチガイ文章ですね。
あくまで個人的な意見として聞いてほしい。俺は草津の事件について、むしろフェミニストの行動は立派だと思った。冤罪の発覚後、謝っていないことばかりが取り沙汰されているが、事の本質はそこではない。
ここが最高にバカ。なぜ個人的な意見といいながら「事の本質がそこではない」とか一般的に言い出すのか。責任から逃げてこんなクソカスな駄文を書くのが、フェミニストが陰湿で卑怯で無能で愚かだといっているわけです。
1行目でアウトなんよ。燃えても個人の意見だからって逃げていること自体がおかしいと思えこのクズどもが。