はてなキーワード: 及び腰とは
AI作品てどれだけ見た目が美しくても消費者からすると100円ショップの皿なんですよね。うれしそうに「良く出来てるから!」って他の作家さんと同じ棚に並ようとしている人も多いけど、こっちからしたら価値が違うんだから混ぜるなよって思う。そういう損をする商品が公然と手作り品を一緒の棚に並んだら消費者としてはどうなるの?ってお話。私はたぶん買い控えるし、信頼できる一部の商品だけを使って怪しい新規商品は買わなくなる。そうなると市場規模って小さくなるでしょ?というお話。
よく見る下手な絵よりAIのが良いっていうお話も、ド素人の手作りの皿より100円ショップの皿のが質も見た目も良いです!じゃないのよ、ド素人のしょーもない作品でも気に入ったら100円以上出すのよ、でも100円ショップの皿には100円以上払いたくないわけ。生産量も違うんだから原価も売れたときの収益も何もかもが違うでしょ?それにお前が倒れても技術伝達は容易だから替えが効くよね、って思ってるから、なおさら無駄にお金も労力も払いたくないなって思いやすい。逆に、ド素人の皿は月に10枚しか作れません…技術伝達無理です…が当たり前にあるし、食えなくてソイツ死んだら二戸土手に入らないじゃない!と思ったら大金払ってでも買って枚数揃えたくなるし、他人に良い物あるんだよ!ってすすめたくなるし、頑張って作品もっと作ってくれよって応援したくなっちゃう。
AIが生産を絞っても、たぶんだけど消費者としては金を払ってでも欲しい!となるだけの付加価値が無いから、質は良くても買い叩くと思うんだよね。
だから棚を分けて欲しいんだよねー。間違って買ったら凄い損をした気分になって下手すれば二度と買わない!ってなってしまうから、
で、皿なら必需品だから、あた騙されたらいやだな…と思いながらも仕方なしに用心しながら買うけどさ、絵って別に必需品じゃないからさ、損するリスク背負ってまで買わなくなるんだよね。消費行動が抑制されて市場が縮小していくだけ。
漫画とかは直接AIで生成はできないから付加価値もあって影響が少ないかもしれない。
でも、出版社や作者としては儲けたいじゃない、話題性も維持できるようにしたいじゃない、作業効率がアップするならどうするか?連載がスピードアップしました!連載のページ数増えました!てやるでしょ。実際に今ネットの連載はそうなってきている。
作業量が減った分をアイディアや作画にあてて1冊のクオリティをアップさせよう!にはなりにくい。だってそれをやっても商品の値段上がらないからね。売上が増えるという確証も無い、絵が酷く下手でも売れるのが漫画だから。
でも、消費者としては読める漫画の量が倍以上になったよ!!もっと買って!!って言われても、漫画を読む時間も漫画に使えるお金も上限がはっきりあるんだよね。だから読みたい作品が今まで3つ読めていたのが、1つのものだけに絞るようになると思う。
なおかつ出版社も作品量が増えた!じゃあ今までよりたくさん本を印刷しよう!てなるか?ならないよね、売れないと損しかしないんだから。作品量が増えた分、売れている作品は本屋に山になるけれど、売れててない作品は押しやられて単行本にすらならなくなる。売れる作品と売れない作品の格差がどんどんひろがっていっちゃう。
雑誌にも単行本にも出来ないならネット連載しかない。でもどんなに描いてくれても時間もお金もない読者しか居ないんだから、結局は人気作品以外は大量の作品に埋もれて静かに死んでいく。漫画でお金を稼げない、描いても商業に乗らない、そんな人は今までよりももっと増える。
一部の売れている作品を生み出すために冒険するリスクも上がっていくから出版社も及び腰にならざるを得なくなり、新人発掘とかもより厳しくなっていく。
一山当てた雑誌以外は儲からない構造になって来るんだから廃刊せざるをえないね、ネット掲載だけならどうにか…て所も増えるんじゃない?そして量だけはあるけど売れない作品だらけの地獄みたいな市場になる。こんな商売誰がやるんだっていう話よ。
それに、生産が楽になったなら安くして欲しいなあって意識まで乗ってしまったら、漫画自体が高いと感じて買い控える人も出て来かねないわけで、そうなるともうだいぶ厳しいよね
漫画も絵も今みたいにしっかりした出版社や企業の後ろ盾がある形が崩れて、食えないけど、漫画が描きたい、どうしたら金になるのか?まともな出版社がやらないような事業形態や内容の漫画を描けば…ってアングラなやり方をし始めちゃった…なんてなったら
生成AI、便利だから!っていうには影響が大きいし、ココで話をした以外の業界にも意外と危険な話だなあとおもうんだけど。広告や服飾モデルや映画にアニメにメディア関係も、それに連なる業界にまで波及するのに、わりと好意的に取ってるから不思議だなあと。
( NHK選挙報道より https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241117/k10014640801000.html )
どちらが勝ってもきっとそうなるだろうなと思ったので、強く強く強調しておきたいのだが、兵庫県民がパワハラを良しとしたわけではないし、県民が県庁職員の命を軽んじているわけではない。
逆に言えば、もしも稲村和美が選ばれていたとしても、パワハラが許されない県民性だ、と言うこともできなかった。
これは右派左派問わず、まず念頭において欲しい。ブコメをする際にも一瞬だけ書き込む手を止めて考えて欲しい。
97万人もの人間、投票したうちの39.6%の人間の意思を無視した発言になってないか。
いわゆる、従来の選挙として、前半は以下のような感じだった。
自民党の大敗が記憶に新しいが、小選挙区で自民党の内紛が起きていたところが概ね負けていたことを思い出すと、清水貴之立候補表明あたりで少し不穏さを感じていたと思う。
ただ、良くも悪くもテレビや新聞のマスメディアでは、齋藤が再出馬するとは、という論調であった。
そもそもで言えば、県議会が(維新も含めて)全会一致で県知事の不信任決議をする、というのが異例だった。
民意と言えば聞こえは良いが、マスメディアの報道を受けて支持母体からの圧力が日々増しており、かかる火の粉を振り払った結果、というところだろう。
事ここに至って、齋藤元彦が県知事失職以前に取っていた言動が、功を奏していた。
齋藤元彦は、「公益通報に該当するとは思っていない」や「瑕疵はない」と述べており、発言に一貫性があった。(端的に言えば過ちを認めて謝罪していない)
告発文書が7つの項目からなっているのであれば、本来マスメディアは、それぞれについて裏を取り、特に知事選挙や政治資金パーティーでの違法行為を追求すべきであった。
失職に至る経緯である、告発文書の報道が、主に理解しやすく視聴率を稼ぎやすいパワハラとおねだりに集中していた点が、事態を悪化させていた。
ハッキリとここで書いてしまえば、齋藤元彦の選挙戦略は至極全うである。
街頭演説では、おおむね、前知事の井戸敏三県政の無駄遣いの批判、自身の県政でのお金の使い方(高校への投資、企業との連携)の話、未来ある子供たちへの投資の重視などが語られている。
そもそもの前回の知事選挙でも、トップダウン式の井戸県政を嫌ったと評されるが、基本的には自民党の分裂選挙であり、自民党の内紛と勢いのある維新への合流が生んだ結果と言うこともできる。
つまり、現職なのでそもそもの地盤はしっかりとあり、井戸敏三県政から路線変更を行って財政再建を行っていて、元々市町村とは折り合いが悪い、という点までは織り込み済みの状況である。
マスメディア側に誤算があったとすれば、「パワハラぐらいみんなやってるだろ」とか「あの程度のおねだりは役得じゃないの」という市民の声がカメラの前で拾えるはずがない、という至極当然の目線を忘れていたからだと言える。
トップダウンの井戸県政を嫌ったはずの齋藤県政で、強引とも言える市町への予算縮減などをもっとフォーカスして解説すべきだったと思う。
逆に言えば、稲村と清水との分裂選挙と言える状況で、稲村和美陣営には手抜かりがあったと言われても仕方がない。
一本化を図ろうとした市町の連帯を示す文書は、明らかに遅かったし、清水貴之への根回しも済んでいるようには見えなかった。
マスメディアによる齋藤元彦おろしは成功している。通常こうした場合、再出馬や再選はあまり現実感が無い。
そのため、マスメディア側のいわゆる醜聞を集める準備期間がほぼなかった点がある。
また、全国的にも良く知られているが、関西圏は維新に対しては通常親和的な報道が行われる。
齋藤元彦は、前回の兵庫県知事時代に、自民党と日本維新の会と共闘して県政を行っていた。
マスメディアとして、及び腰になっていたのではないかという点は、指摘できると思う。
また、醜聞、いわゆるゴシップとして視聴率を稼ぎやすいネタが、齋藤元彦を利するものであった点も報道が少ない理由の一つと言える。
(もしも前知事時代に女性関係の醜聞があれば、こぞって報道されていたであろうことは想像に難くない)
しかし、コメント欄などを見ると、メディアに騙されていた、齋藤元彦を応援しますという声は少なからずあり、影響が無かったとは言えない。
また、街頭演説に限って観てみるとわかるが、明らかにトレーニングを受けた演説慣れした者と、あまり演説しなれていない者とハッキリわかれる。是非聞き比べて欲しい。
出直し選挙で民意を問うでべきであるという逃げを打った県議会やマスメディアは、再出馬されてしまった場合に、取りうる手段が無い。
現に、今回民意を反映して(少なくとも当選する程度の民意は得ている)知事に返り咲いた為、県議会は筋論としては協力せざるを得ない。
また、あまり話題になっていないが、辞任と失職では県知事の任期に差があり、失職後に出直し選挙で当選しているので、任期はリセットされており、ここから4年の任期となる。
恐らく、齋藤元彦兵庫県知事の元、今後も市町とは揉めながら県政を行っていくと思われる。
文書問題調査特別委員会(通称、百条委員会)については、粛々と聞き取りと調査が進めらると思うが、おそらく公益通報には該当しない、パワーハラスメントに該当する行為はあった、給与の自主返納あたりで手打ちになると思う。
これはあくまでも一般論だが、刺すべきタイミングで的確に刺せないと、政治ではうまくことが運ぶことは無い。
兵庫県警が公益通報として受け取らざるを得ない内容、厚生労働省が調査せざるを得ない内容、法務省が調査せざるを得ない内容として、それぞれピンポイントに匿名で通報し、マスメディアにも流した場合、結果は違ったように思う。
五百籏頭氏が傑物であったことに異論は無く、執務中の急性大動脈解離については痛ましいとしか言いようがなく、それがストレスを起因としたものであったかもしれないが、それを知事の問題とするには飛躍が過ぎる。
繰り返しになるが、稲村和美へと票を投じた97万人がいたことを忘れてはいけない。ほぼ、齋藤元彦では無い人物というワンイシューで集まった票がこれほどの規模だったことを忘れずに話をして欲しいと思う。
立花孝志の選挙戦略が当たったのではないかという話があったが、そもそもで言うと県議会が推す候補が一本化できていない(稲村と清水に分かれていた)点に問題があった。
単純な算数だが、対立候補が稲村和美(と共産党)だけだった場合、当選していたのは稲村和美であった。
県知事の任期は4年であり、第53代兵庫県知事の齋藤元彦は、2021年8月1日付に県知事になったので、ほうっておいても2025年7月末には任期を迎えた。
文書問題調査特別委員会が設置されたのであれば、この調査結果を待ってから辞職を迫るのが筋であった。
マスメディアの大変良くない点だと常々思っているが、加熱した報道で辞職を迫るのはいい加減どうにかならないか。それは報道では無く扇動である。また辞職は罪を償う手段ではない。
齋藤元彦が、井戸敏三県政を嫌っていることは外部からもうかがい知ることが出来るし、法律上はどうあれいわゆるパワハラを日常的に行っていたであろうことも百条委のアンケート結果からは伺い知ることが出来る。
ただ、それを告発する為にとった手法が公益通報に該当するのか、内容が真実だったとして法律上の罪に問われるものなのかは、また別の問題である。
そういう、法律上はどうあれ報道され一部でも事実があり実害が出たのであれば責任を取って辞めるべきだという、マスコミを利用した政治手法が、うまくいかなくなった結果だと考えている。
(贔屓目に見ても怪文書としか言いようのないあの告発文書でここまでの騒動になるのだから、実情はさらに酷いのだろうと思うが、それは司法を飛ばして私刑を行って良い理由にはならない)
風向きで辞任を迫ったり、風向きでついたり離れたりしていると、触れるメディアからの情報で同様に風向きが変わるのは当たり前だろう。
返す返すも、百条委の結果を待って、結論が出てから辞任を迫っていれば違っていたように思う。
パワハラの認定がなされたあとの再選と、パワハラ疑いの再選は大きな隔たりがある。
パワーハラスメントは、録音録画を行えば証明できるような単純なものでは無い。うっかりパワハラではないとされた時に、職も信用も失う危険な行為なのだ。
そして、パワハラを行う人間は、誰がやったかわからないような不特定多数がいるような場所でパワハラをしない。通常、パワハラは録音データが漏れてしまえば即特定されるのだ。
そして、日本のマスメディアには信用が無い。暴露は得意だが保護は不得意だ。
そうすると、パワハラは日常的に行われるのに、職を失いたくないから何の証拠も出てこないという状況が容易に起こりうる。
従来のマスコミのゴシップと同様の効果を、ほぼ単独で行えた点にこそ、大きな価値が出てしまった。
ただ、逆に言えば、事実に基づき、政策で判断してほしいというような選挙戦略には、付け入る隙は無い。
やはり、そろそろマスメディアが私刑として機能し、首長を叩き辞任させようとする傾向は慎むべきなのだと思う。
辞任以外の落としどころを作らない限り、また同様のメディアスクラムが起きた時に、立花孝志はおそらく違う手法で望んだ結果を得るだろうと思う。
実際の所、流れた情報の何が本当で、何がデマなのかは誰にも判断できず、なにが正しいのか理解できている人はほぼいないと思われます。
とにもかくにも、立花氏の戦略が、今の時代を的確に捉えており、柔軟に対応できたことが大きいと思われます。
従来の選挙戦略では到底太刀打ちができない、新しい選挙のやり方が生まれてきたなという感想です。
フェルスタッペン&レッドブルならポジションをすぐに返していたはずだ。
それも自分たちに一番都合の良い場所で一瞬ポジションを返してすぐさま再オーバーテイクをしかけていたはずだ。
マクラーレンが甘いのはエイペックスがどうのこうのと主張して、これまでの過去の判定やこの日のスチュワートの判断を全く無視していることだ。
この日は同じシチュエーションでガスリーに5秒ペナルティ、ラッセルも5秒ペナルティ、角田にも5秒ペナルティとかなりわかりやすい判例がすでに示されていた。
にも関わらずポジションをフェルスタッペンに一度返すようにノリスに指示しないのはボーンヘッドと言われてもおかしくはない判断といえる。
そもそもフェルスタッペンがあれだけラフプレーが多いのになぜペナルティを受けないのか?
そこを真面目に考えたことがあるのだろうか?
ワールドチャンピオンに対してスチュワートがペナルティを与えるのに及び腰になっているとても考えているのか?
そうではない。
フェルスタッペンはルールで何が許されていて何が許されていないか、その部分を熟知している。
たぶん強烈に勉強したのだと思う。
じぶんでルールブックを読んだのか、頭のいい人に読ませて教えさせたのかはわからないが。
とにかく彼はルールを熟知してる。
それはデレク・ワーウィックもそのようなコメントをしていたように記憶してる。
「彼がどれだけ高度なテクニックを使っていると思っているんだ?」
(彼は巧妙にペナルティを受けないようにドライビングしているんだ。というような意味。F-1ではドライビングのログが残るのでスチュワートは判断に迷うときにはそのログを見てルールに違反した動きだったかどうか判断する場合がある。)
そんなことを言っていたはずだ。
フェルスタッペンがよくやる行動のひとつとして、直線からのブーレキング時に進路変更を何度もしているように見えるという行動がある。
マグネッセンあたりがやったら一発でペナルティをもらうような走らせ方だ。
なぜか?贔屓されているのか?
もちろん違う。
彼はどのような手順で車を動かせばルールに抵触しない形でえげつないブロックを出来るかを熟知し、そして驚異的なマシンコントロール技術でそれを実行しているのだ。
彼はおそらく2021年の熾烈なルイス・ハミルトンとのチャンピオン争いのときに痛感したのだと思う。
自分が、いかにルールに対して無知であるか?ということについて。
この行動がペナルティを受けるのかそうでないのか?明確に理解していないままハミルトンと強烈なバトルをしていたことを反省したのだと思う。
あのときのスチュワートはワールドチャンピオン争いに水を指すのをためらって二人のバトルに関しては極力ペナルティを与えないようにしていた。
それによってフェルスタッペンは救われた場面が一度や二度ではなかった。
とくにブラジルグランプリであのときペナルティを受けなかったのは本当にラッキーだった、と後にヘルムート・マルコが語るような無茶なことをやってしまっていた。
でもいまのフェルスタッペンは違う。
彼はしっかりと何が許されて何が許されないか正確に理解している。
Yで始まる国産プレタポルテで買った品が届かないので問い合わせた。三ヶ月くらい前に注文して忘れてたのだけど、ここ最近なんかもやもやするなと思って調べたらこれだった。
もうとっくに届いていいはずなのだけど、担当者は「調べます」「よくわからないのでお待ちください」の一点張り(メールで問い合わせた)。というかぜんぜん返事が来ない。
対応も全体的に「お前のこと客として見てないから」感がすごい。 30万強の買い物でそのブランドからしたらなんてことない客なんだろうけど、気分は悪い。ターゲットも私みたいに、そのブランドに憧れて二、三年に一点買うような人が多いだろうに、そういう人たちを蔑ろにしてるのは、なんというか大丈夫? って感じ。知らんけど。
デザインは好きでテナントにもよく行くのだけど、店員もデザイナーの哲学笑を延々語るだけで私のことを見てはいなかった。具体的に縫製とか在庫の話になると急に及び腰になるし、教育というかブランドの方針が透けて見えた。
海外メゾンでの購買体験とは比にならない。もう入店したときの挨拶からしてぜんぜん違った。会話一つとっても、品どうこうではなく私がなにを求めているかを中心に話が進んだ。自信の現れだと思うし、客を客として扱うというのはこういうことだよな、セックス上手そうだなって感じた。値段もまあ一回り違うんだけどさ。
普段はぜんぜん高いブランドを買ったりしないから、たまの買い物でこういうことをされると本当に気が滅入る。UNIQLOやH&MやZARAの方がよっぽど客を大事にしている。だいたい2日で届くし、少なくとも「よくわからない」とか言われたことはない。
客を舐めてるのはそのブランドの文化なんだろうし、反省して欲しいとかそういうんじゃないけど、まあそのうち誰にも相手にされなくなって消えていくんだろうなってなんとなく思った。悲しいけど、裸の王様やってろやって気持ちもある。
https://anond.hatelabo.jp/20241002005940
演芸会は比較的寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。
それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎が広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由を説明して聞かせた。三四郎は承知した。
夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。
「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しかし三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。
「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから」
先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである。
「雨になるかもしれない」
「降ると困るでしょう」
「出入りにね。日本の芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」
「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかないからでしょう」
三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。
「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋で簡単な芝居ができそうなものだ」
「先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」
「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」
「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」
また与次郎の悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しかつ斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかわからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。
先生はそれからギリシアの劇場の構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいうドイツ人の説によるとアテンの劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうである。もっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。
さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である。
「いやはいらない」
先生はまた暗い方へ向いて行った。
三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである。
入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする。自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである。
舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっとも与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎の記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇や聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。
幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かいの談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物の本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどももし与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。
あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである。三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。
隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。
すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。
そのそばにいる男は背中を三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいぐあいにその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎のあいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。
すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎の背中をたたいた。与次郎はくるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。
この連中の一挙一動を演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分もひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。
そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎は広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレットの写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。
このハムレットは動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。
その代り台詞は日本語である。西洋語を日本語に訳した日本語である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎はハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうである。しかし三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。
したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。
ハムレットがオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなものに結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。
幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下から出はいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。
本来は暗い夜である。人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。
夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……
あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎がはいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。
「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」
三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。
「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」
「演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」
「しかたがないったって、いけない」
三四郎の言葉はだんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、
「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである。
「風邪だろう」
「風邪だろう」
両方で同じ事を言った。しばらくしてから、三四郎が与次郎に聞いた。
「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」
「美禰子さんの事を? どこで?」
「学校で」
「学校で? いつ」
与次郎はまだ思い出せない様子である。三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、
「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。
「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか」
「きまったのか」
「きまったように聞いたが、よくわからない」
「野々宮さんの所か」
「いや、野々宮さんじゃない」
「じゃ……」と言いかけてやめた。
「君、知ってるのか」
「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。
「なにないことがあるものか」
「あった、あった」と三四郎が言う。
「どら、拝見」と美禰子が顔を寄せて来る。「ヒストリー・オフ・インテレクチュアル・デベロップメント。あらあったのね」
「あらあったもないもんだ。早くお出しなさい」
三人は約三十分ばかり根気に働いた。しまいにはさすがの与次郎もあまりせっつかなくなった。見ると書棚の方を向いてあぐらをかいて黙っている。美禰子は三四郎の肩をちょっと突っついた。三四郎は笑いながら、
「おいどうした」と聞く。
「うん。先生もまあ、こんなにいりもしない本を集めてどうする気かなあ。まったく人泣かせだ。いまこれを売って株でも買っておくともうかるんだが、しかたがない」と嘆息したまま、やはり壁を向いてあぐらをかいている。
三四郎と美禰子は顔を見合わせて笑った。肝心の主脳が動かないので、二人とも書物をそろえるのを控えている。三四郎は詩の本をひねくり出した。美禰子は大きな画帖を膝の上に開いた。勝手の方では臨時雇いの車夫と下女がしきりに論判している。たいへん騒々しい。
「ちょっと御覧なさい」と美禰子が小さな声で言う。三四郎は及び腰になって、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪で香水のにおいがする。
絵はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になって、魚の胴がぐるりと腰を回って、向こう側に尾だけ出ている。女は長い髪を櫛ですきながら、すき余ったのを手に受けながら、こっちを向いている。背景は広い海である。
「人魚」
「人魚」
頭をすりつけた二人は同じ事をささやいた。この時あぐらをかいていた与次郎がなんと思ったか、
「なんだ、何を見ているんだ」と言いながら廊下へ出て来た。三人は首をあつめて画帖を一枚ごとに繰っていった。いろいろな批評が出る。みんないいかげんである。
ところへ広田先生がフロックコートで天長節の式から帰ってきた、三人は挨拶をする時に画帖を伏せてしまった。先生が書物だけはやく片づけようというので、三人がまた根気にやり始めた。今度は主人公がいるので、そう油を売ることもできなかったとみえて、一時間後には、どうか、こうか廊下の書物が書棚の中へ詰まってしまった。四人は立ち並んできれいに片づいた書物を一応ながめた。
「あとの整理はあしただ」と与次郎が言った。これでがまんなさいといわぬばかりである。
「だいぶお集めになりましたね」と美禰子が言う。
「先生これだけみんなお読みになったですか」と最後に三四郎が聞いた。三四郎はじっさい参考のため、この事実を確かめておく必要があったとみえる。
与次郎は頭をかいている。三四郎はまじめになって、じつはこのあいだから大学の図書館で、少しずつ本を借りて読むが、どんな本を借りても、必ずだれか目を通している。試しにアフラ・ベーンという人の小説を借りてみたが、やっぱりだれか読んだあとがあるので、読書範囲の際限が知りたくなったから聞いてみたと言う。
「驚いたな。先生はなんでも人の読まないものを読む癖がある」と与次郎が言った。
広田は笑って座敷の方へ行く。着物を着換えるためだろう。美禰子もついて出た。あとで与次郎が三四郎にこう言った。
「あれだから偉大な暗闇だ。なんでも読んでいる。けれどもちっとも光らない。もう少し流行るものを読んで、もう少し出しゃばってくれるといいがな」
与次郎の言葉はけっして冷評ではなかった。三四郎は黙って本箱をながめていた。すると座敷から美禰子の声が聞こえた。
「ごちそうをあげるからお二人ともいらっしゃい」
二人が書斎から廊下伝いに、座敷へ来てみると、座敷のまん中に美禰子の持って来た籃が据えてある。蓋が取ってある。中にサンドイッチがたくさんはいっている。美禰子はそのそばにすわって、籃の中のものを小皿へ取り分けている。与次郎と美禰子の問答が始まった。
「よく忘れずに持ってきましたね」
「その籃も買ってきたんですか」
「いいえ」
「家にあったんですか」
「ええ」
「たいへん大きなものですね。車夫でも連れてきたんですか。ついでに、少しのあいだ置いて働かせればいいのに」
「車夫はきょうは使いに出ました。女だってこのくらいなものは持てますわ」
「あなただから持つんです。ほかのお嬢さんなら、まあやめますね」
「そうでしょうか。それなら私もやめればよかった」
美禰子は食い物を小皿へ取りながら、与次郎と応対している。言葉に少しもよどみがない。しかもゆっくりおちついている。ほとんど与次郎の顔を見ないくらいである。三四郎は敬服した。
台所から下女が茶を持って来る。籃を取り巻いた連中は、サンドイッチを食い出した。少しのあいだは静かであったが、思い出したように与次郎がまた広田先生に話しかけた。
「先生、ついでだからちょっと聞いておきますがさっきのなんとかベーンですね」
「古い。しかし職業として小説に従事したはじめての女だから、それで有名だ」
「有名じゃ困るな。もう少し伺っておこう。どんなものを書いたんですか」
「ぼくはオルノーコという小説を読んだだけだが、小川さん、そういう名の小説が全集のうちにあったでしょう」
三四郎はきれいに忘れている。先生にその梗概を聞いてみると、オルノーコという黒ん坊の王族が英国の船長にだまされて、奴隷に売られて、非常に難儀をする事が書いてあるのだそうだ。しかもこれは作家の実見譚だとして後世に信ぜられているという話である。
「おもしろいな。里見さん、どうです、一つオルノーコでも書いちゃあ」と与次郎はまた美禰子の方へ向かった。
「書いてもよござんすけれども、私にはそんな実見譚がないんですもの」
「黒ん坊の主人公が必要なら、その小川君でもいいじゃありませんか。九州の男で色が黒いから」
「口の悪い」と美禰子は三四郎を弁護するように言ったが、すぐあとから三四郎の方を向いて、
「書いてもよくって」と聞いた。その目を見た時に、三四郎はけさ籃をさげて、折戸からあらわれた瞬間の女を思い出した。おのずから酔った心地である。けれども酔ってすくんだ心地である。どうぞ願いますなどとはむろん言いえなかった。
広田先生は例によって煙草をのみ出した。与次郎はこれを評して鼻から哲学の煙の吐くと言った。なるほど煙の出方が少し違う。悠然として太くたくましい棒が二本穴を抜けて来る。与次郎はその煙柱をながめて、半分背を唐紙に持たしたまま黙っている。三四郎の目はぼんやり庭の上にある。引っ越しではない。まるで小集のていに見える。談話もしたがって気楽なものである。ただ美禰子だけが広田先生の陰で、先生がさっき脱ぎ捨てた洋服を畳み始めた。先生に和服を着せたのも美禰子の所為とみえる。
「今のオルノーコの話だが、君はそそっかしいから間違えるといけないからついでに言うがね」と先生の煙がちょっととぎれた。
「あの小説が出てから、サザーンという人がその話を脚本に仕組んだのが別にある。やはり同じ名でね。それをいっしょにしちゃいけない」
「へえ、いっしょにしやしません」
「その脚本のなかに有名な句がある。Pity's akin to love という句だが……」それだけでまた哲学の煙をさかんに吹き出した。
「日本にもありそうな句ですな」と今度は三四郎が言った。ほかの者も、みんなありそうだと言いだした。けれどもだれにも思い出せない。ではひとつ訳してみたらよかろうということになって、四人がいろいろに試みたがいっこうにまとまらない。しまいに与次郎が、
「これは、どうしても俗謡でいかなくっちゃだめですよ。句の趣が俗謡だもの」と与次郎らしい意見を提出した。
そこで三人がぜんぜん翻訳権を与次郎に委任することにした。与次郎はしばらく考えていたが、
「少しむりですがね、こういうなどうでしょう。かあいそうだたほれたってことよ」
「いかん、いかん、下劣の極だ」と先生がたちまち苦い顔をした。その言い方がいかにも下劣らしいので、三四郎と美禰子は一度に笑い出した。この笑い声がまだやまないうちに、庭の木戸がぎいと開いて、野々宮さんがはいって来た。
「もうたいてい片づいたんですか」と言いながら、野々宮さんは椽側の正面の所まで来て、部屋の中にいる四人をのぞくように見渡した。
「まだ片づきませんよ」と与次郎がさっそく言う。
「少し手伝っていただきましょうか」と美禰子が与次郎に調子を合わせた。野々宮さんはにやにや笑いながら、
「だいぶにぎやかなようですね。何かおもしろい事がありますか」と言って、ぐるりと後向きに椽側へ腰をかけた。
「なにつまらない――かわいそうだたほれたってことよというんです」
「へえ」と言った野々宮君は椽側で筋かいに向き直った。「いったいそりゃなんですか。ぼくにゃ意味がわからない」
「いや、少し言葉をつめすぎたから――あたりまえにのばすと、こうです。かあいそうだとはほれたということよ」
「アハハハ。そうしてその原文はなんというのです」
「Pity's akin to love」と美禰子が繰り返した。美しいきれいな発音であった。
野々宮さんは、椽側から立って、二、三歩庭の方へ歩き出したが、やがてまたぐるりと向き直って、部屋を正面に留まった。
「なるほどうまい訳だ」
三四郎は野々宮君の態度と視線とを注意せずにはいられなかった。
美禰子は台所へ立って、茶碗を洗って、新しい茶をついで、椽側の端まで持って出る。
「お茶を」と言ったまま、そこへすわった。「よし子さんは、どうなすって」と聞く。
「ええ、からだのほうはもう回復しましたが」とまた腰をかけて茶を飲む。それから、少し先生の方へ向いた。
「先生、せっかく大久保へ越したが、またこっちの方へ出なければならないようになりそうです」
「なぜ」
「妹が学校へ行き帰りに、戸山の原を通るのがいやだと言いだしましてね。それにぼくが夜実験をやるものですから、おそくまで待っているのがさむしくっていけないんだそうです。もっとも今のうちは母がいるからかまいませんが、もう少しして、母が国へ帰ると、あとは下女だけになるものですからね。臆病者の二人ではとうていしんぼうしきれないのでしょう。――じつにやっかいだな」と冗談半分の嘆声をもらしたが、「どうです里見さん、あなたの所へでも食客に置いてくれませんか」と美禰子の顔を見た。
「いつでも置いてあげますわ」
「どっちです。宗八さんのほうをですか、よし子さんのほうをですか」と与次郎が口を出した。
「どちらでも」
「そうして君はどうする気なんだ」
「妹の始末さえつけば、当分下宿してもいいです。それでなければ、またどこかへ引っ越さなければならない。いっそ学校の寄宿舎へでも入れようかと思うんですがね。なにしろ子供だから、ぼくがしじゅう行けるか、向こうがしじゅう来られる所でないと困るんです」
「それじゃ里見さんの所に限る」と与次郎がまた注意を与えた。広田さんは与次郎を相手にしない様子で、
「ぼくの所の二階へ置いてやってもいいが、なにしろ佐々木のような者がいるから」と言う。
「先生、二階へはぜひ佐々木を置いてやってください」と与次郎自身が依頼した。野々宮君は笑いながら、
「まあ、どうかしましょう。――身長ばかり大きくってばかだからじつに弱る。あれで団子坂の菊人形が見たいから、連れていけなんて言うんだから」
「連れていっておあげなさればいいのに。私だって見たいわ」
「じゃいっしょに行きましょうか」
「ええぜひ。小川さんもいらっしゃい」
「ええ行きましょう」
「佐々木さんも」
「菊人形は御免だ。菊人形を見るくらいなら活動写真を見に行きます」
「菊人形はいいよ」と今度は広田先生が言いだした。「あれほどに人工的なものはおそらく外国にもないだろう。人工的によくこんなものをこしらえたというところを見ておく必要がある。あれが普通の人間にできていたら、おそらく団子坂へ行く者は一人もあるまい。普通の人間なら、どこの家でも四、五人は必ずいる。団子坂へ出かけるにはあたらない」
「昔教場で教わる時にも、よくあれでやられたものだ」と野々宮君が言った。
「じゃ先生もいらっしゃい」と美禰子が最後に言う。先生は黙っている。みんな笑いだした。
台所からばあさんが「どなたかちょいと」と言う。与次郎は「おい」とすぐ立った。三四郎はやはりすわっていた。
「どれぼくも失礼しようか」と野々宮さんが腰を上げる。
「あらもうお帰り。ずいぶんね」と美禰子が言う。
「このあいだのものはもう少し待ってくれたまえ」と広田先生が言うのを、「ええ、ようござんす」と受けて、野々宮さんが庭から出ていった。その影が折戸の外へ隠れると、美禰子は急に思い出したように「そうそう」と言いながら、庭先に脱いであった下駄をはいて、野々宮のあとを追いかけた。表で何か話している。
三四郎は黙ってすわっていた。
10年ほど弊社にいた、障害者雇用のセクハラ野郎がお亡くなりになった。
死因はご遺族が明かしてくれなかったため不明。
労災ではないらしい。
20代の女性社員ばかりを狙って、業務にかこつけて口説くクソ野郎だった。
正直いなくなってほっとしている。
私が観測できた範囲では、セクハラ野郎の訃報に悲しんでいる様子の同僚はいない。
まったく聞こえなかったらしい。
声は出せるが、「ン、ン」「ヒャワワワ」みたいなしゃべり方しかできなかったから、電子メモパッドを利用した筆記でやり取りしていた。
それが災いした。
メモパッドはボタンひとつでさっと文字が消せるから、セクハラ野郎が女性社員を口説いた証拠が残らなかったのだ。
加えてこのセクハラ野郎、本当に狡猾で、強気なタイプの女性には手を出さなかった。
「自意識過剰なだけかもと思って……」
「大事にしたくなかったので黙っていました」
狙われた女性たちは、そんなことを言う人たちばかりだった。
私の部下も一時期狙われていた。
私が気づくまで、彼女はセクハラ野郎から何度も映画に誘われていたらしい。
怖かっただろう。
もっと早く気づいてあげられたらと、数年経った今でも思い返しては反省している。
部下の被害をしかるべき窓口に通報した際、セクハラ野郎に対する通報が過去に何度もあったことを知った。
だが、身体障害者の雇用は需要>>>>>供給のため、会社としてはセクハラ野郎を手放したくなかったらしい。
健常者だったら、20代女性複数人に対するセクハラ疑惑が上がっただけで出向か退職を勧められるのだが……。
健常者なら許されないハラスメントが、障害者なら許されてしまう。
そんなことがあってもいいのだろうか。
障害者特権という言葉が生まれるわけだと、なんとも複雑な気持ちになった。
あの世に行ってまで、30も40も年下の女性を口説いてまわるような愚行はしないで欲しいと願う。
どうか安らかにおとなしく眠ってくれ。
お疲れお疲れ。環境がいつもと違うと子どもの反応違ってしんどいよね〜。よくよく子どもに付き合ってて偉いで。
YouTubeや動画、ゲーム機に頼ってもええんやで。飽きたら他のことしだすけど、その間に親は休んだらええんやで。
動画の音くらい、ギャン泣きとテンション高すぎて絶叫する子供の声に比べたらささやかなもんやで。あと大体みんなイヤホンしてるしな。
妻氏の気持ちもわかる…急に世界に家族だけで、ほかがみんな敵に見えるよね。
大丈夫、他の人々もだいたいどうしたらいいかわからんくてオタオタしてるだけだから。いろいろ声がかけにくい世間の状態(声かけで捕まったり、ハラスメントあつかいになったり)と自信がない対応には及び腰になってるひとは多いけど、ほっこり見守ってるからね。
独裁国家のプーチンは戦争中に大統領選を行い、民主主義国家のウクライナが越境攻撃してまで選挙妨害してたのは面白い構図ではあるが
ではゼレンスキーは独裁者かといえばそうではなく、むしろ国民の顔色を伺って、不人気な追加動員には及び腰だ。それが結果として現在の兵士不足に繋がり、ウクライナ軍の苦境を招いている。
選挙がないからといって強権的に振る舞えばクーデターで権力を追われる危険が高い。ウクライナでは民衆が政権を崩壊させたマイダン革命の成功体験もある。ゼレンスキー自身も、ロシアがマイダンを計画していると公言し、警戒している。
川崎市単体では組合員数が少なく(労使交渉などに常時動いているのは更に少ない2、3人)横浜支部などと合わせてがくろう神奈川の支部として活動している。
この組合は、自分達のイデオロギーに合致すること(例として米軍基地移転・マイナンバー反対)や、労働組合として定例の取り組み(賃上げ要求や雇止め反対等)には取り組むが役員が必要性を認めない、労使関係に影響を及ぼすような(要は及び腰になるような)組合員個別のトラブルや悩みには支援介入しない。最初のうちこそ多少は交渉に動いたものの、後半にはこちらは診断書まで提供して何点もの当局の問題点を追及するよう強く要請したが、組合自らが非難している市教委当局や川教組、政治家よろしく殆どにつき「追及はしない」「検討が必要」との回答に留まり何一つ踏み込んだ行動や私の希望する対応はしてもらえなかった。反対にこちらが問題のある人物かのような態度をされた。結局組合加入中にも拘らず一人で当局と交渉することを余儀なくされた。
特に事実上の組合トップである書記長Iはひどい。加入直後こそ御祝儀期間で多少交渉等に動いたもののその段階から我が強く、交渉の席で任せてと話を遮ったり、組合や自身の考えを展開したり当事者である私の主義主張とずれるところがあった。私が二度目の休職に追い込まれた後には、私が医師の勧奨も無視する不当極まる配転命令に屈することはあり得ない、訴訟も含めあらゆる手で徹底抗戦する、異動を前提にしなければ復職は出来ないと再三面談や資料提供も含め伝えているにもかかわらず、自らの考えで勝手に専門医が休職と言っているのだから休職復帰が最優先で復帰まで支援はしない(即ち人事共に屈し、居るだけで心身悪化する苦痛極まりないパワハラ配属先に年単位で我慢しろ、出来なければ分限免職止むなし)と結論付け、こちらの話を聞かず考えも一切曲げず一方的に支援の打ち切りを通告してきた(この時点で事実上除名のようなもので労組として考えられない対応である。貴方の為などと嫌がらせ人事する連中と大差ない)。
その冬の当局への年一回の異動交渉の場でも、他役員への私の強い申し入れの結果なんとか名前「だけ」は出させたが通勤負担の低い職場という一般論だけで私の詳細な希望は盛り込まれなかった。ついには加入当初は当然になされていた、どこの組合でも組合員の基本的権利である筈の労使交渉の場での発言等の進捗情報の送付共有(私個人のため特別に作成するものではなく普段から全組合員に向け書記長により作成されているもの)さえもしてこなくなり組合仲間から指摘されても改めず、その対応について私が指摘すると自らの過去の発言を翻し「組合員の権利」→「病状を考えて送らない。アンバサダーではない。送付する義務はない」。病状悪化などしないしそんなことは一切こちらから希望してもおらず提供するよう改めて強く求めると後日SNSにて自分が悪いにもかかわらずハラスメント(笑)されただの引用文にかこつけてテメー呼ばわりだの逆切れしている始末であった。よってこれ以上加入を続けてもメリットはゼロどころか話にならず不快極まりないため脱退することにした(なお、上記発言事柄等は全て証拠として残っている)。
SNS等では加入させるために威勢の良いことをごちゃごちゃと並べ立てているが、結局のところ何を言おうが事実として私の抱える労働問題の殆どの力になることは出来ず、それどころか後半は最初の一歩である当局への申入れや交渉さえせず脱退後は他の学校事務職員には送っている情宣誌も私には勿論一切送って来ない。これがコイツ≠組合の本性である。スケールメリットもないこの組合に加入し毎月無駄な組合費を払わされるくらいなら直に弁護士に相談するなり自分で自分のための組合を立ち上げた方が遥かに良い。人数が少ないため自浄作用もなく役員の交代も期待出来ず加入は全くお勧め出来ない。
日が変わったので昨日になったのだが。
16年前の今日、私はI歯科大学の整形外科で腰椎MRI検査を受ける予定だったが弁護士にキャンセルさせられたのだった。書いておこう。
検査予約をしたのは、事故で腰を痛めて5年経っても治らないのでセカンドオピニオンを受けようと思ったから。自動車事故というと胡散臭い話を思い出すが怪我は本物。しかし地元の整形外科はクレアチンキナーゼの検査しといて値が300超えてるのに「痛みは気の所為ですよ、姿勢が悪い」とスルー。当たり屋扱いされていた。
そりゃセカンドオピニオン受けるだろとI病院に這っていって予約。
ついでにネットの弁護士◯コムで相談申し込んで弁護士相談にも這って行った。
弁護士の選択は大失敗(弁護士◯コム相談では、保険組織弁護士にも話が筒抜けだ)。いかにも親切そうに、I病院の話をスルーして元の病院に交渉しに行こう、日程調整してくれという。これ罠。
で病院と弁護士と自分の予定を私が調整するのだが、彼らはI病院の予約日を知りながら(弁護士には予定情報を与えてはいけない)、その日にしか時間が取れない、よってたかって言う。圧迫面接のごとく。
私は怪我で気弱だったり面倒だったりだし、彼らは圧迫面接のプロだから、あーキャンセルするしかないんだろ、みたいになった。今ならさっさと断るかな。
弁護士は他にも妨害行為をやった(相手方に介入通知もせず私の証拠資料を横領など)が、綱紀委員長杉山功ナントカに庇って貰って懲戒もされなかったね。あとで小綺麗なビルに引っ越してたから報酬でも入ったのかも。一般財団法人法曹会の総資産は26億円以上だそうで、ギャングストーカー弁護士を雇うとしたら容易だろうね、知らないけど。
彼らは弁護士資格を人質にとれる強い立場だから、妨害活動を懲戒しないシステムを構築しても、おそらく弁護士界隈は文句を言えない。なお懲戒調査には判検も参与する規則。だから弁護士自治というものは存在しない、法曹自治なのだ。小澤一郎を強制起訴してた弁護士も懲戒組織系のカルト。
結局、弁護士は地元病院にはやってきたが、妨害屋なので話が進むわけもなく、I病院は良い病院だったが意見書には及び腰だった。そりゃ自民政権のもとでヤバい法曹とヤバい医師がウヨウヨしてりゃ、普通の医師は逃げ出すだろう。
法曹団体や医師団体は極めて閉鎖的、独裁的な組織で、かつ情報通なので、ギャングストーカーを生むことができる。それに狙われていたら、普通の弁護士や医師は逃げ出すので、弁護士制度は被害者にが無意味。被害者が死亡されているとしても。訴えるなら自分で司法試験受けとけ。受からなくても勉強になる。
世間がいつその状態に気づくのか、気づいててスルーしているのか、ゆるく見守ってる。
普通は裁判に関わらずに一生終わるけど、大川原化工機の事件もいうなれば法曹による傷害致死事件だし。
私からは以上です。
特にDockerのネイティブサポートがないってのは我々からすると年々Macの致命的な弱点になってきてる
Appleからすれば何で自社プラットフォーム以外に投資せにゃならんのってことなんだろうけど
ウェブ開発者もAppleの売り上げにかなり貢献してると思うんだよ。特にDHHがMacを勧めたおかげでMacに乗り換えたウェブエンジニアも少なくないってかかなり多いはず
それ自体はBasecampとAppleの三割税をめぐる争いもモチベの一つだろうとは思うけど、単純にウェブ開発が快適な環境を求めてのことだろう
Appleとしてはマジョリティに売り込む方が大事で我々のような層の売り上げは微々たるものと考えているのかね
まあそうかもしれない
でもさ、今の時代ネットサービスを快適に開発できて快適に使えるっていうのはきれいなフォントと同じくらい重要なことだと思うし
作曲家やデザイナーや映画製作者と同じくらい、ウェブエンジニアに訴求するのも悪くないと思うんだけど
結局この10年くらいは偶然我々の求める開発環境とMacのBSD環境が重なっただけの期間だったのかもしれない
このままだとウェブエンジニアのMac離れはどんどん加速するだろうね
とはいえ自分はMacのフォントやUIから容易には離れられない体になってしまった
ああフォントのためだけにうん十万のディスプレイをポンと買えたり代わりにiOSアプリ開発してくれるエンジニアを雇えるようになりたいでござる
竹中のことは人間的には超絶嫌いだし、その経済学部2年生的ネオリベ経済政策論も全く賛成できないけど、数百万程度のお金の問題で騒ぎすぎ、という点に限って言えばほとんど正しいと思うよ。
不正は金額の問題ではないと言うのだろうけど、金額の多寡は重要に決まっている。法律違反が全て平等に問題というなら、日本中の万引き事件を全て平等に報道しなければならない。小さな金額なら、ニュースもそれに応じた小さな扱いにすべきだし、今みたいにここまで大袈裟にするのは行き過ぎている。
それに、なぜここまで大騒ぎになっているかと言えば、テレビがものすごい勢いで報道して騒いでいるから、という理由でしかない。規模としてはより巨大なはずの五輪汚職と比較してみればいい。さすがに報道はされていたものの、メディアも当事者なので完全に及び腰で、現在に比べると明らかに消化不良の内容でしかなかった。野党も現在に比べれば、ほとんど追及らしい追及をしていないに等しい。
数百万程度の、しかも動機も特に悪質な感じもしない不正に大騒ぎした結果何が起こるのか、についても冷静に考えた方がいい。それは、それは行政や研究活動、NPO団体など、公金が出ている業務について、不正や無駄遣いがないかどうか、監査が今まで以上に厳しくなるだけである。公金を無駄遣いしていないことを証明するための書類作成などの仕事が増大し、本来やるべき業務や活動が圧迫される。
公務員や大学の研究者だったら思い当たるはずだけど、民主党政権の「事業仕分け」の時と全く同じで、なぜか他人事のように批判している。