はてなキーワード: 失いたくないからとは
夫は絶え間なく浮気している。
私よりも一回り上の夫。
物腰の柔らかさと、それなりに整った容姿が好きで結婚した。夫は多分私がそれなりに若くて、モノを知らないところが良くて一緒になってくれたのかもしれない。
浮気が発覚したのは、たまたま外で出くわしたから。こんなにツメが甘い人だとは思わなかった。
問い詰めると(そんなのできなかった、やんわりとした話し合いになった)致し方ないことなど、ピカチュウは連れて歩きたいけどコダックはモンスターボールに入れておきたいなどと無茶苦茶な例えを出されて有耶無耶にされた。
開き直られたらどうでもよくなった。離婚すればよかったのだろうけど、生活環境の変化など、いかにデメリットが多いかを夫に説伏せられた。
もうなんか色々壊れたというか、自分がおかしくなっちゃって、というか情けなさというか
多分デートであろう日は、少しだけお小遣いを渡した。女の子の前で恥をかかせたくないから。安い店なんて連れてって欲しくないから。
加齢による体臭が気になってきたら、こっそり風呂の石鹸を渋柿に変えた。おじさんになって欲しくないから。
夫が帰ってこない日はご飯を簡素にできるし本とか読んで何も考えないようにしてる。
安い賃貸に住んでてよかった、私の収入で払える、夫婦の口座から払ってたけど、私の口座から引き落とされるようにした
浮いたお金で女の子に良いもの食べさせてプレゼントでもしてあげてね
若くなくなると捨てられるのは分かりきってた。でもあった頃の夫を失いたくないから、今の生活を続けている。
たまにうわーってなって泣きたくなる。
仕事頑張らなきゃ
その時々で綴ったので似た内容の重複もあります。
プレイ前に、ジョエルの死、嫌われてしまった新操作キャラの存在、ポリコレ的な要素の追加での世間からの批判、を知ってしまった上での感想。
ジョエルはもうキャラクターとして動かせない存在だったのかもしれない。
前作あれだけの出来事があったにも関わらず、また再び戦うジョエルを描かれてもどうかなとは ちょっと思う。
前作後のジョエルなら戦う動機は救出以外あり得ないだろうし、それなら前作のラストパートの焼き増しにしかならない。
その点、これだけの人間同士の戦争を描きながらも、徹底して人間と戦うジョエルの姿を見せなかったところは良かった。
ジョエルはもう人を殺せない。前作はそれくらいの覚悟がいるラストだったと思うし、だからこそ綺麗だった。
殺されるシーンでジョエルが抵抗する姿を描かなかったのも、その辺を意識してのことなのかな。
操作したかったしアッサリ殺されたのは勿論ショックだけど、ある意味で絶対的な存在にはなった。求めてはいない形だが。
製作陣は、ジョエルがキャラクターとして嫌われないようにすることにかなり気を使ってるように感じた。
ただそれと引き換えに、というか対として、死と他のキャラへの嫌悪感の仕組みが沢山組み込まれてたんだと思う。
それぞれのキャラの心情は、理解はできても納得はできないくらいのバランスで、変に短略的で生々しくヒステリック。
欠陥とかじゃなく、色々と考えられた故での本当に性格の悪い構造。
前作プレイヤーを不快にさせる要素、手段、手法、順序が、綿密にかつ分かりやすく詰め込まれてる。
超人気タイトルの前作主人公を、序盤からぽっと出のアビーに殺させてヘイトを爆稼ぎ。
その後もプレイヤーの復讐心を煽り続ける為に、徹底的なジョエル上げとアビー側下げがゲーム中随所に盛り込まれてる。
過去編ジョエルは常に悟った聖人の様な振る舞いだし、アビー側は結構感情的な人が多い上に現代人が多様化する故に難しくなる要素の塊。
そんなキャラ達を用いて復讐心を煽りエリーとシンクロさせた後に、最大限までヘイトが溜まった所でアビー側の立場に変えてもう一回同じ日々を繰り返す。
このアビーというキャラのメインの目的は、同情じゃなくてエリーがしたことの異常性の確認じゃないかな。敵側のキャラの心情の理解ってより、細かい生活を見せてる印象。
アビーの父親の掘り下げについても根源的なヘイトの対象をマーリーンから移されてるだけだから、アビーに同情させる気なんかさらさらなさそう。
アビーへの不快感は消えないように残しつつも、動機は理解させるくらいな感じ?
そこからアビー操作のままエリーとの戦闘をさせ、プレイヤー的には何が勝ちで何が負けなのか分からん状態で一旦旅は終了。
こんな胸糞悪い精神状態でも、せめてラストくらいは復讐のカタルシスを得られるかと思えばそんなことはなく、
色んなものを捨て、色んな感情や立場に挟まれながら、殺しもせずスカッと許しきったりもせずでアビーを逃して終了。
エリーとプレイヤーは、胸糞悪いモヤモヤを抱えたまま沢山のものを失って終わることになる。
多くのプレイヤーが救いとして求めていたであろう和やかな探検パートから、エリーが不信感を抱き決別するまでの様を描いて不安を煽って、
最後には互いに今まで隠してた覚悟や本音をぶつけ合って、二人のわだかまりの解消の糸口を匂わせる。
ただ同時に、寸前で終わってしまったそれが、序盤の大事件の直前でもあると気付くと本当に救いがない気持ちになる。
最後の最後で、序盤の死にダメージ上乗せするんだからタチが悪い。
全世界のプレイヤーが望んでいる展開を理解しているからこそできる構成。
不快感を高める為の道順が清々しい程完璧で、しっかりと悪意を持って確実にモヤモヤするよう作られたストーリー設計。
キチッと復讐したり、スカッと許したほうが幾分物語を作るのも簡単そうなのに、わざわざ遠回りしてモヤモヤさせてる。
誰の得も垣根もなくフラットに嫌悪感を味わえるし、誰もが怒って良い内容のゲーム。
ストーリーの好みでの批判は理解できるけど、フェミだのポリコレだのに屈したって批判は理解できなかった。
権利の主張とか政治的正しさとかみたいなことを、軽い気持ちの綺麗事で入れてはいないように感じた。
キャラの人種や思想の多さも、配慮とかそんなぬるいもんじゃなくて、
誰もが誰かにどこかしらで差別や嫌悪をする様な装置として入れているのかなって思う。
ジョエル以外のどのキャラにも嫌なところや異常なところがあった。
どんな人も認めよう!的なことじゃなく、むしろもっと嫌味ったらしいものに感じた。
世情を捉えてはいるけど、屈してはなくない?
まあもちろん色んな人物を盛り込んだのは、リアリティの追求って側面もあるだろうけど。
ちょっと脱線するかもけど、他のゲームでもゲームにそういうリアリティは要らないって批判あるけど、ラスアスに限ってはここまでのリアリティはあって良いと俺は思う。
内容自体は極めて真剣に悪意を持って綿密に練られてると思うから、欠陥とか中途半端って批判も違うと思った。
嫌なものを、嫌な手法で、嫌な順に、嫌なタイミングで的確にぶつけてくるから、ちゃんとムカつくし、ちゃんとモヤモヤするし、ちゃんと嫌いって主張したい内容。
ラスアスでやるなって意見もあるだろうけど、ラスアスでやらないとここまで出来ないことでもあるとも思ってしまう。
ある意味では完璧に徹底して作られてる様に感じたし、その上でマジで胸糞悪くて死ぬほど終わってる内容だと思った。
ビジュアルやゲーム性、音楽も含め総じてめちゃくちゃ丁寧に作られた作品だから、雑なレッテル貼りだけの批判で済ますのはもったいないと思う。
前作ラストのやりとりで、エリーはジョエルのした事について、具体的でなくてもなんとなくは察しがついているものだと思ってた。
今作過去パートで追っていく会話からは、思ったよりも何にも気づいていなかったんだなって印象。
エリーがどういう嘘と認識してたのかがわからなかったし、決別がやや強引だった気がする。
「誓うよ」「わかった」のやりとりの重みが少し薄れてしまったように感じる。
「君を失ったら、我を失ってしまうだろう」
復讐をするエリーはジョエルのことを考えていないし、助けに向かったジョエルはエリーのことを考えていない。
一生許せない(許しはしたかった)とジョエルに言ったエリーだけど、復讐寸前に自己矛盾に気付いた。
結局ジョエルを許せていないままの自分が同じことをしているのでは?と我に返り、アビーを殺しも許しも出来ずに逃してしまった。
ゴールド免許失いたくないから基本譲るし、かもしれない運転心がけてるのよ。
今回の大津のように青信号で直進しようとするのに右折で割り込もうとする車ってのはかなり頻繁にあるのよ。
今回の大津のような事故を危うくかけたってことも10年間乗ってきて3回ほどあるけど、そのたびに「危険予測していてよかったな」って思う。
でも、そういう時の右折車ってなぜかこっちを睨むのよね。
まるで俺が交通違反をしているかのような感じで。3回出会って3回ともそう。1回はクラクション鳴らされた。いやいや、鳴らすのはこっちだろう。
実際事故おこったら過失は君のほうが大きいわけだけど大丈夫か?って思いながら不快な気持ちが出てしまう。君の交通違反を正すため実際は事故にしたほうがよかったんじゃないかとも思ってしまう。
それでも俺はゴールド免許を失いたくないから、譲るし、かもしれない運転を心がける。ブルー免許の同乗者に「運転下手くそだね」っていわれながら。
同意。根本的に「人をマネジメントする能力」というのが日本から欠落していると思うわ。
それと、「優秀な人はなんでも出来る病」と、「報酬として管理職につける病」
現場で自分でバリバリ動く奴のタイプはマネジメントできないんだよな。
さらに、そのマネジメントをマネジメントできるタイプ、将の将となると、もう悲惨なもの。
そこまで来ると適切な資源管理が必要になってくる。だけど、日本って経費下げてなんでも出来るのがいいもの。何に力を入れて金や人手を出して何に力を入れないかすら考えない。
頭の中がゴミ屋敷みたいな万能感みたいになってる。
前の将の将のコバンザメとして気に入られたり、エリート枠(笑)で入ってきたのだろう。
だが、現場の仕事も、あるいはマネジメントも、そして、マネジメントを管理する人間が何をするべきかも意識できてない。
それでいて雑誌なんかの「リーダーシップを育むには」といって、煽るだけの講師を呼んで煽る。
で、たまに手を上げた人間がいたら劣悪な条件で使い潰す。そうして誰もいなくなったら、煽る講師を呼んでくる。
けど、煽る講師は自分の食い扶持を失いたくないから、その将の将がどうあるべきかは一切教えてくれない。将の将がどうあるかなんてことを苦言したら自分の仕事が失われてしまう。
いくつもの原因が積み重なって、
いくつもの偶然が積み重なって、
思い切って別居した。
別居ってすごく大変で辛いことだらけのように思ってたけど、わりと楽しいことも多くて、当然だけど辛いことも多い。
一緒に住んでる時とは別のベクトルで忙しい。
でもトータルで考えればハッピーなんだろうな、というくらいには落ち着いたと思う。
別居して世界が変わったなんて大げさだけど、別居しないとわからないことがたくさんあったなと気がついたことは確かで。
当たり前のことだと言われそうだけど、半年前の自分とは変わったのを感じる。
まず一番は、家族がいないとさみしいかと思ったけどわりと平気なこと。
子どものいない私たちは仕事以外はべったりで、そのくせセックスレスだったりしたんだけど、ひとりぼっちになってしまうことがすごく不安で踏み切れなかったことが何度もある。
でも、1人になるのがさみしいと思う時点で、そばにいてくれる人なら誰でも良かったんだろーな。
やることがない週末を持て余すこともあるけど、2人でいてケンカしたりモヤモヤしてたことを考えるとずっとずっと心は平穏。
さみしいかと言われたらさみしい。でも私はもっと強いさみしさを彼といて感じてたんだと知ることになった。
あの頃に比べたらまし。簡単に言うとそういうことなんだろうな。
次に、別居するのは簡単だけど、別居してしまうと離婚の重みを感じにくくなるということ。
あれほど離婚しかないと決意して飛び出したのに、不思議なもんだ。
あーこれからどうしよっかなって帰り道にふと思ったりもする。
でも彼の思いはわからないけれど、もう何ヶ月も連絡を取っていないと、いくら旦那でもその存在は軽くなっていく。
乱暴な言い方をしてしまうと、離婚しようがしまいが、私の苗字が変わるくらいで今の生活には変わりがないのだ。
2人でよく聴いていた歌や、彼が好きだったものを見るとふと思い出す。
あ、そうだ私結婚してたんだ、って。
あんなに毎日悩んでいたのに、忘れてしまう日が来るとは思わなかった。
彼と分かり合えないのなら生きている意味なんてないような気がしていたのにな。
いつかははっきりしなきゃいけないんだろうなぁと思いつつ、なんでも問題を先延ばしにしてきた私たちは籍を入れたまま別々に生活をしている。
私たち夫婦にはセックスレスだけが問題ではなく、その他にも問題はたくさんあったのだけど、別居当初の話し合いで彼はいくつもの解決策を提示してくれた。
その内容は、たぶん私がこれから先どんな手を使っても手に入らないような、私にとって都合の良い条件だった。
軽々しいことを言わない彼の性格から、本当にその条件を飲むつもりで提示したのだというのも想像できた。
今戻れば、私にとっては都合の良い楽な生活が待っている。
打算的だと言われようと、生活に疲れていた私には魅力的にも思えた。
でも、どうしても、
セックスレスで悩んでいたのに、だ。
望んでいたものが手に入る。
でもそれは私が望んでいたものではないような気がした。
今さらどんな顔して抱かれればいいの?
セックスしたい。
それが叶わない苦しみと恨みで、きっと私は彼への愛情を食べつくしてしまったんだろうな。
本当のところ、彼にもわからないのかもしれない。
もう少し早くに2人で向き合っていれば。
何かが変わったのかもしれない。
でももうどうやっても、私が世界で一番抱かれたくないのが彼なのだ。
セックスレスで悩みながらも、解決策が見つからないまま、一緒に住んでいるのだから、いつか解決する日が来るか、その前に欲求が枯れてしまうのかな、なんて考えていた、
最後の最後に、こうしてセックスレスが目の前に立ち塞がる日がくるなんてな。
そのほかにも、なんでも1人で解決しなきゃいけないとか、体調崩すと心細いとか、私はペーパードライバーなので遠出できないとか、別居してみて、あ、不便だな、とか、大事にしてくれてたんだな、と感じる瞬間がうんざりするほどあった。
そう強く思う反面、今の私たちではもう一緒に幸せになれないんだなと実感する。
一番抱かれたい人が、一番抱かれたくない人。
何度考えてみても揺るがないその思いを抱えて、まだ慣れないマンションのドアを開けて仕事へ行く。
泣きわめきもしないし、食欲もある。
たくさん笑えてるし、新しい環境にも慣れた。
夜眠りにつく前に真っ暗な部屋で、ずいぶん遠い場所に来てしまったのだな、とぼんやりと思ったりもする。
自分がいなくなった部屋で1人暮らす彼を思ったりもする。
それもきっと、いつか忘れてしまうのだろうな。
取り返しのつかないことが夫婦にはあるんだ。
その当たり前のような事実を私は知らなかった。
タイムマシンがあれば、私は絶対に出会った頃の彼に会いに行く。
彼は嫌がるだろうが、私はあの頃の彼に抱かれたい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190210-00114287/
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20190210-00114287/
はてブではバカッターと時給は関係ないだろって人が多いみたいですが、じゃあ時給高い仕事でバカッターやった例を上げてくれる?
普通に考えて当人が価値のある仕事だと思っていたら失いたくないからバカやる人は減る。
と私は言っている、とあなたは解釈したが、私が言いたいのは「そもそも夫婦にすらなれない・ならない人が増えてる」なのでその点もすれ違ってますね。
私はお金でや他の育児支援で結婚・出産を増やすべきと考えていて、anond:20180821233445では結婚・出産を増やすと書きました。
ところが、その後の私の投稿では「結婚」が無くなってしまい、いつの間にか出産が話になっていました。
ちなみに未婚の原因は下記です。経済的に余裕がないからが多いのは事実。ただし、独身の自由さや気楽さを失いたくないからがそれよりも多く、結婚の必要性を感じていないからが多数含まれていることも事実。
http://www8.cao.go.jp/shoushi/shoushika/research/h25/ishiki/pdf/gaiyo.pdf
限られた情報にも関わらずここまで分析してくれてありがとうございます…!凄く納得しちゃいました…!
確かに、時期的にも私は1の恋愛特大ボーナス期間にいます!そして現在、その期間から少しずつ抜け出しているんだと気がつきました。彼とボーナス期間がズレているというのも、彼の普段の態度から納得です。
彼が私を置いて2の付き合い方へ移行するにあたって、晩御飯デートだけではどんどん彼の気持ちが薄れていく、楽しませなきゃ、エッチしなきゃ…!という焦りがあったのかもしれません。
電話してる時もゲームをしてるので「私と話してても楽しくないんだ」と思っている節もあり、「飽きられないようにするにはもうエッチしかないな?」となっているのも少なからずありました。で、そのエッチすら彼は乗り気ではないので「なんで付き合ってるの?!」が大疑問だったのです。
私が不満を言えば決して怒らずに聞いてくれるし、好きだと言うし、満足できるよう頑張るからと言うけど「それも彼女っていうステータスを失いたくないから言ってるだけで、私じゃなくても良いのでは?」という懐疑心もあります。
私は来年から社会人で今のように時間がとれなくなる→学生のうちに彼とたくさん遊びたいのに彼があまり構ってくれない→不満→アレ、この人と付き合ってるの自分の時間がもったいない?
なんだと納得しました。で、その少ない時間の中で遊ぶのであれば1番濃密なのがエッチだと自分では思ってて(我ながら頭の悪い考えですが)…でグルグルしてました。
ご意見を頂いて、だいぶ自分の中で整理がつきました。本当にありがとうございます。浮気をしているわけではなく勉強とラボが忙しいのは本当なので、しばらくは邪魔をしない&彼の出方を伺うためにも私は一歩引いた態度をとることにしてみます。
https://anond.hatelabo.jp/20170726173955
一応、浮気経験もなく、今のところするつもりもない、という事を伝えた上で自分語りをする。
結婚する前も、した後も、ここ数年前までは元増田と同意見だった。
…が、今はちょっと考えが変ったと思う。
「おセックスをしたいだけの浮気」ならば今までどおりする気も起きないし、しないんだろうけど、
妻に承認されていない状況において「承認欲求を満たしたい」という理由での浮気ってのには抗えるか、自信ないんだよなぁ。
妻が自分を愛していない(それが事実は分からんが、少なくとも愛しているとは感じられない)という状況下で、自分のことを愛している女性が出てきてしまったときにどうなるか。
これを書いた元増田です。
http://anond.hatelabo.jp/20160924144051
これを書いた後、電通の過労自殺事件があり、電通の組織や体質の問題が社会的に批判され、同時に広告業界のブラックっぷりを多くの人が知るようになった。自殺をした高橋さんには大変申し訳ないが、この流れはとてもいいことだと思う。社会全体で過剰なサービスや過重労働が批判されて改善に進みだそうとしている今、広告業界もその流れに乗らないといけないし、しかもその流れを牽引していく存在になるべきだと思う。そのような力が広告にはまだまだ残っていると思う。
ただし、非常に不満がある。
今回の問題の批判のほとんどが電通や広告業界に対してのもので、過重労働を引き起こす元凶である「クライアント」はほとんど批判されていないことに対してだ。
確かに広告業界の過剰労働は相当な問題だ。これは業界全体に粘着のようにまとわりついていて、未だに「残業時間の多さ」を誇るようなところがあるし、新人の成長と残業時間は比例するみたいな考えも根強かったりする。中には給料いらないから働かせてくれ、みたいな人がいるのも確か。
だけど多くの人は仕事がない日は早く帰って家族に会いたいし、週末は遊びに行きたいし、休暇をとって旅行にも行きたい。
彼らは自分の仕事はだいたい「広告代理店にぶん投げれば解決する」と思っている。おれ自身も経験があるが、そのような人物は「上司に報告するための資料作成」から「年間の予算管理」、「他部署との折衝」、「クライアントの社内行事の余興」まで何でも代理店にぶん投げる。深夜に飲み屋に呼び出され、飲み代を「接待費」として経費精算しろ、と言われたこともある。広告代理店は今や「何でも下請け屋」になってしまっており、過去のおれの経験上、業務の半分以上はクライアントが本来やるべき仕事だったり、クライアントの尻拭いだったりした。そうして広告代理店が本来やるべき仕事の一部が子会社に行き、子会社が本来やるべき仕事の一部が下請けに行き、と玉突き事故のように業務が流れていき、業務量が雪だるま式に増えていく。しかもそういう業務は当然のように「タダ働き」だ。請求できない。クライアントとの良好な関係を維持するための犠牲なのだ。
何でこんなことになってしまうかというと、人格が終わってるようなクライアント担当者がいるというのもあるけど、構造的な問題を言えば「クライアント側にプロがいない」ということがあると思う。これは広告業界だけでなく、他の業界にも言えることだと思うけど。
いわゆる大企業はジョブローテーションが基本で、これまで生産管理をやっていたような人が、突然広報担当になったりする。そうやって幅広い分野で知見をためて、会社のことを知り経営ノウハウを身に着け、将来的には幹部候補生を育てていくという考えなんだろうけど、広告のことをまるで知らない担当者がクライアントの窓口になった時の広告代理店の苦労ったらない。曲がりなりにもクライアントの担当者だから、彼らの指示を仰がなければいけないのだが、それまで生産管理をやっていた人だから全く感覚が分からず支離滅裂なことを言ってしまう。だから新任担当者のために勉強会を開いたり(これも無償)、資料にも素人が分かるように滅茶苦茶細かく説明を加え、根気よく彼らが一人前になるまでフォローしなくてはいけない。本来はこれもクライアント側の仕事なのだが、今すぐにでも決定しなくてはいけない広告制作の世界で悠長に教育してる暇なんぞない。だから手取り足取り教えていく。それが現場の担当者レベルだったらまだいいけど、決裁者に違う畑の人物が来たときの苦労は並大抵ではない。
クライアント側も自分の無知は理解しているので、全面的に広告代理店を頼ることになる。なんせ、分からないことは全部教えてくれる。無茶で無知な要望や質問にも応えてくれる。大変ありがたい存在だ。そこにクライアント担当者と広告代理店の信頼関係が生まれるのだが、ある一線を越えてしまうと、担当者は何でも広告代理店に頼るようになってしまう。そっちのほうがラクだから。別に自分がカネを払うわけじゃないし。広告代理店は信頼を失いたくないから、無茶な要望も全部受け止める。そうなるともう歯止めが利かなくなる。
クライアント企業と広告代理店との付き合いの中に、「ここからここまで」という契約は存在しない。そこは曖昧な不文律で、各社によって千差万別だと思う。おれはクライアントの社内行事の余興までやってたけど、そんなことあり得ないという所もきっとあるだろう。
今回の問題を受けて、電通を始め広告代理店各社、過重労働の対策を打っているようだが、だいたい「深夜になると明かりが消える」「早朝出社を推奨する」「残業○○時間を超えると労働時間をこれ以上付けられなくなる」みたいな小手先の対策が主で、売り上げ下げたくないけど社会的な批判にも応えなくてはいけない、という意識から生まれた全く効力のないネガティブなものだ。形骸化するのが目に見えている。
問題の抜本的な解決のためには、広告代理店は「クライアントとの付き合い方」をそもそも変えなくてはならない。それまでの担当者間の情の付き合い方をやめて、冷酷にならなくてはいけない。「それは弊社の業務ではありません」と言わなくてはいけない。
そしてもっとも大切なことは、クライアントが変わることだ。クライアント側が変わらないと、広告代理店も変わらない。「私、これよくわかんないんです。電通さん、やっといてもらえます?」という乱暴な依頼の仕方を今すぐやめてほしい。自分の業務に責任を持ってほしい。そうでないと「何でも下請け屋」が再度はびこってしまう。
無責任に何でも丸投げするクライアント担当者と、「何でも下請け屋」的な方法でクライアント担当者の信頼を得てポジションを得る広告代理を撲滅しないと、本当の意味での広告業界全体の改善はなされない。
収入も社会的地位もない故に犯罪に至るハードルが低いニートが「無敵の人」と揶揄されたりするが
田代某の報を見て「真の無敵の人」は有名人の累犯者だと気付いた。
・社会的地位が今以上に下がりようがない
初犯なら「あの人が?」再犯なら「またか!」となるが、3回目以上になると「はいはい、またやったのね」てな感じで
インパクトがなくなる。「1、2…たくさん」の法則とでも言うか。
・捕まったらどうなる?に対する恐怖がない
逮捕されたら警察にどう扱われるんだろう?刑務所での生活ってどんなのだろう?刑務所を出た後、世間の目はどう変わるのだろう?
など知らない事に対する漠然とした恐怖も犯罪への抑止力の1つとしてあると思う。
普通の犯罪者なら名前を変えて顔バレしない土地に引越して一からやり直す事が可能で、その生活を失いたくないから
犯罪をやめよう、となる。
読んだ。
「イベントを開催するという事は人の時間を預かるということ→あまりにも素人仕切りの【第22回東京ブロガーミートアップ】」
http://tano.blog.jp/20140912/event
毎回この手のものを読むたびに思うのだけど、契約や約束の中で自分が期待したものを相手が提供してくれなかったからって怒るのはなぜなんでなの?
たとえばこれで相手への信頼をなくすのはわかる。
また「こうしたほうがいいよ」と、ただ単に相手へのアドバイスとして述べるならこれもまあわかる。
その相手と今後も付き合っていかなければならない場合に、よりよい関係を築いていくために改善して欲しい点を述べるというならそれもわかる。
だけどこのブログのように、明らかに「ムカついている」という状態になるのはなんでなの?
一応この点について私が変わりものであるという自覚はあり、少なくとも私は食事店でサラダに虫が入っていても怒れなかった人間であるし。
ちなみに変な因縁つけられるといやなので補足しておくと、私自身が簡単に契約や約束を破るということは特にない。
また直接その相手からの信頼を失ってよい場面でも、ひとつの契約や約束を反故にすることで他の人からの信頼にも影響するから。
いや、別にそこで「怒る」のが許せないとかそういうわけではないのだけど、ただ単に怖い。
そこでなぜ怒るのかが理解できないし、理解できないから予測もできない。予測できない怒りは怖い。
だれか教えてくれませんか?
当方デザイナーですが、ご友人の言うことは半分は正解、半分は間違いと思います。
これはそうですよ。どんなに立派な構造計算や、どんなに辻褄が合った予算があっても、それはそこに住んでいる人の生活にはまったく関係ない。住んでいる人にとっては、内外装や使い勝手こそが生活の一部だし、そこに直接関われるのは設計者だけ。
>人が書いた図面を見てるだけでいいのか
でも、設計者は構造設計や予算の人がいないとまったく役に立たない。だから「だけでいいのか」という発言を本気でしているなら、そいつの認識がおかしいと思う。でも、旧友だから発破をかけてるだけかもね?
建築に関わる人を母数として、設計以外に携わる人の方が圧倒的に多いからコメ欄は「積算も大事」に染まるけど、「建築家・デザイナーとして人々の生活に影響を与え、改善する」のが大きな目標なら、そんなヌルい奴ら相手にするな。上記の挑発に反射的に「腹が立った」と言っている増田は、薄々自分の目標に気づいていて、でも今持っている「お金と余裕」を失いたくないから自分にウソをついている、ということとのジレンマの中で、旧友に対してでなく自分に対して腹を立てているんでしょう、という風に見えます。
残念ながら全く無いと思う。
お前に好かれてるのが分かってるから、お前を精神安定剤に使ってるだけだ。
考え方としては最低だが、お前の好きな子もそれに近いんじゃないだろうか?
タイトルだけで「じゃあ別れろ」と突っ込まれそうなのもなんとなくわかる。
発言小町に書いたら「なぜ別れないのですかお前バカだろ」とえんえん突かれるのも想像がつく
古い言い方だが「チラシの裏にでも書いてろ」と言われるだろうということも想像できる
誰にも見せない日記に書けばいいのだが…
違うのかな。
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パートナーがモラハラなのか単にそういう性格の人なのかがいまだにつかめない。
パートナーはものすごく優しくて、嫌いなところなんてひとつもなくて
いつも相手のあとを追いかけて、相手の意見はつねに正しいように思えて
それが自分にとってラクなのだと思っていたし、ある程度交際期間が経ったいまもそう思う。
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ただ、最近それが揺らいできた。
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むかしの話をする。
かつてガチのモラハラの人に、嫌な目にさんざん遭わされてきた。
いつキレるかわからないから顔色を伺いながら、無理してでもにこにこする
私の趣味を認めず、趣味の時間を持つ余裕があるなら自分に尽くせと言う
貸してもいない金を返せと怒鳴る このときはもう金で解決したかったから払った
私に説教するためだけに1時間以上かけて夜中にきて、30分ブチ切れまくったら帰る
泣けば怒る 泣かなければ反省していないとなじる
彼のせいで重度の鬱病になった元奥さんのことを「超笑える」と言う
(その元奥さんは、彼女の前の旦那様と死別し、彼とは再婚だったが
死別したことすら「超笑える」と言っていた)
ちょっとした空き時間、たとえば相手がお手洗いに行っている間にiPhoneを見ていると
戻ってきてからなじる
私の過去を調べあげて2ちゃんのネトヲチに晒す これがモラハラなのかわからないが…
(あとから友人に教えてもらった。私は2ちゃん見ないから気づかなかった。
あまりにひどく書かれていたようで、書かれてたよ、以上のことは教えてくれなかった)
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これらはひとりのひとにされたことではない フェイクは入れてないがまぜこぜにしてある
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私はおそらく私の性格上、ガチのモラハラに(最初はそれと気づかず)惹かれてしまうのだろうと思う
モラハラの人は外面は良いし、勢いがあるので頼れると錯覚してしまうのだ
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ひとつだけようやくわかったのは
付き合い始めの頃にすぐ「結婚しよう」という人はガチのモラハラだ。
20代後半から30代前半の、結婚したがっている女性に、これだけは言いたい。気をつけてください。
世の中はやたらと婚活だなんだと言うが、焦って良いことなんてひとつもない。
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話を今のパートナーに戻す
当てはまる部分もある 当てはまらない部分もある
サイトに書かれていることがすべてではないのも解る
豹変はしないし 私をばかにすることもない 爆発することもめったにない。
まったくないとは言わないが頻度は少ないし、爆発する原因はわたしにあるからしかたがない。
ふたりの間で問題が起きた時には、話し合って解決していこうという意志はある、お互いそうであると思う。
私の勘違いかもしれないが、そうだと思う。
人前では私を無視するが、それは「どのような態度を取ればいいかわからないから」だと思う
私より優位に立とうとはしない。ただ、私が相手より下の立場にいようとはする。
これは私の性格で、私が悪い。DVにおける「ハネムーン期→緊張期→爆発期」みたいなものもない。
私のことを隠そうとする。これはモラハラでなく秘密主義なだけだと思う。
私を「教育」するつもりはないようだが、私の(主にネット上での)発言については叱る
それはほのめかしから始まる。だから私は自分の何が悪かったのか考え続ける。
私はむやみに他人を傷つけるようなことは書かないのだが、
それでも叱られる。怒るのではない。叱る。叱られるのは私が悪い。
悪いことをした人間を叱るくらいでモラハラ認定されてしまうのだったら、
世の中のみなさんはみんなモラハラだということになってしまう。
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モラハラとはいったいなんなのだろう。どこからモラハラになるのだろう。
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わたしがかつてされたガチのモラハラはわかりやすかった。暴力だからだ。
だから好きだし一緒にいたいと思う 支えたいと思っている
嫌われるのが怖くて努力してしまうが、努力もなしに人に愛されるなど無理な話だと思っている。
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わたしはめんどうくさい女だと自覚している
しかしめんどうくさくない女などいるのだろうか
ではなにをすべきかというと、そのめんどうくささを
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わたしは自分の性格の悪さ・めんどうくささを隠し通すことはできなかった
もしそれができたとしても、かならず破綻する
破綻してもいいや、とは思えない パートナーを失いたくないからだ
別れる気はない 別れたくない 喧嘩もしたくない 叱られたくない