はてなキーワード: 方程式とは
今日はエネルギー、角運動量...等々のオブザーバブルの例とシュレーディンガー方程式の関係を学びました。
ところで、Twitterである操作を行うことにより、数学に関連するおすすめが多く表示されるようになりました。
そうして、とある数学者の動画が表示されたので、じっくりと視聴しました。
数学が情報として表示されると、こう言われているような気分になります「政治のことは忘れなさい。数学の問題を解いていれば趣味にもなるし、平和だ」
世の中には様々な政治的問題があります。日本国内のインフレスパイラル、地球温暖化とカーボンプライシング、ウクライナ情勢、石油価格の問題などです。
数学の問題とは違い、これらは価値判断の問題です。排出権取引に賛成する人は将来世代にも考慮して温暖化を解決しようと言いますが、反対する人は短期的に「自分が生きている間」の利益だけを考えます。
あるいはインフレの問題は、インフレを抑えようという実質値を考慮する人は賃上げに反対しますが、名目値だけを見る人は賃上げを要求するのです。
価値判断の問題は、声の大きさで勝負が決まってしまう部分があります。フォロワーだけは沢山いる自称データサイエンティストが「コイツは意識他界系だ」などと言うと、そのレッテル貼りに同調する人が出てくるわけです。
そのような政治の話には、もしかしたら関わらないほうが良いのかもしれません。政治の話を中心的に行う人をミュートし、数学に引きこもりたい気分です。
しかし、寛容さが必要だと思うこともあります。数学の話をする人の中にも、肩書や知識の量でマウントを取るどうしようもない人がいます。こういう人を「見ないようにする」よりは、自分が寛容になるほうが手っ取り早いと思うのです。
つい最近、ある政治活動家が、「各々のミツバチは、ニューロンとして見るのが良い」と言っていました。
人間社会もそういうものかもしれません。誰かがイシューを発見したり、意見したりすれば、それはニューロンのように伝達され、物事が部分的にわかってきます。
そしてその情報は保存されます。一歩々々、何か知識の塊が進化を遂げているのかもしれません。
それとも、それは退化でしょうか。ある話題で社会が二極化した場合、どちらかが間違っているのではなく、異なる前提を持つ人が価値判断で争っているのかもしれません。
https://anond.hatelabo.jp/20230925133441
めっちゃわかる。
現在進行形で個別指導塾のバイトやってるけど、どうにも学力が伸びない生徒ってのがやっぱり居る(というかうちの校舎はそういう生徒ばっか)
生徒のやる気も原因の一つなんだけど、「考える方法」のコツが分からないことが、学力が伸びない最大の原因だと感じる。
一つ例として挙げられるのが、途中式や図を書く(描く)こと。勉強に限らず何かを覚えたり考えたりする時って書く(描く)ことが重要なんだけど、学力が平均に満たない生徒はこの点が本当に抜けている。
ノートには答だけしか書かず、分からない問題は腕組んでひたすら悩んでしまうような生徒が多い。とにかく間違っててもいいから、何でもいいから図や式を書こう!と指導するんだけど、謎に頑固な生徒は絶対やってくれない。中3にもなって「ヤダ」とか言い出す生徒に対してはどう指導すれば良いのか分からず頭を抱えてしまう。
しかしながら、大半の生徒は素直にやってくれるんだけど、元増田と同じく上手く定着しない。
授業では演習量が足りないので宿題を出す。うちの塾では大半の生徒が宿題をやってくれるのだが、授業で教えたことを実践せず、とりあえずやっただけな状態になることが多い。
本来ならば宿題もガッツリ添削してやり直しさせたいのだが、それも主に二つの理由で難しい。
一つ目は授業時間が短く、そこまで面倒を見きれないこと。しかしこれは私が上手く授業を回せば何とか解決できる問題なので、言い訳であることを認めよう。
重大なのは二つ目で、他の先生がちゃんと指導しないこと。私もだがメインの先生は学生のバイトである。しかし大半の学生バイトはそこまでやる気がなく、指導が適当でぬるい場合がほとんどである。
これも元増田と同じく、毎回同じ生徒を担当できる訳ではない。なので次に担当する先生へ引き継ぎを書く。しかし、「途中式や図を書かせてください」と引き継ぎしても守ってくれないし、口答で伝えても「分かりました」と言うだけで実践してくれない。やり方を教えても、生徒はもちろん先生も覚えてくれないのである。
また、生徒に嫌われるなどストレスも抱えたくないので、学生バイトの先生は生徒に対する態度が甘く、生徒が抱える問題が放置されがちになる。
唯一の社員である校舎長もその辺の問題は把握しており何とかしようとしているものの、保護者対応など各種事務処理が山積みでブラック労働が常態化しており、そこまで手が回らない。
一応、本部の方針によりバイト講師の研修が定期的にあるのだが、「夏期講習のねらい」などのように抽象的な内容ばかりで、「途中式をかかせる」「ゴネる生徒にはこう対応しろ」などといった具体的かつ実践的な内容は皆無。
中小企業のくせに組織としての柔軟性は大企業並みにガチガチらしく、このあいだ校舎長が本部の上司に問い合わせをしたら、「別の人間に聞け」のたらい回しに三周くらい遇ったと嘆いていた。バイトの私ですら感じる本部の無能さに校舎長が不憫でならない。
しかしそんなグダグダ塾の門を叩く保護者は後を絶たない。それは元増田が指摘している通り、保護者もとりあえず子供を塾に放り込んでおけば良い、くらいにしか考えてないからである。子供の成績(結果)を考察した上で、指導方法やカリキュラムを細かく注文してくる保護者など皆無である。
近江商人の経営哲学のひとつとして「三方よし」が広く知られている。グダグダな教室(売り手)と、グダグダな保護者(買い手)により、グダグダな生徒を社会に排出し続ける「三方よし」ならぬ「三方グダグダ」なシステムが、隙間産業的学習塾の実態である。
最後に。「めっちゃわかる」と元増田に共感してしまったのだが、共感できないところもあった。
元増田はまるっきりダメな生徒ばかりだと言っているが、私はそうは思わない。いっくら勉強が苦手で成績が悲惨な生徒でも、ちょっとくらいは成長できる。今まで解けなかった簡単な方程式が解けるようになるとか、ほんとうにささいな進歩も含めれば、まるっきり成長がない生徒はいない。
しかし、こういったささいな進歩や成長は、中三受験生で中一の内容ができるようになった!といったレベルであり、受験戦争の中では焼け石に水なのである。
偏差値45前後の高校やFラン大学は廃止して、ドイツの教育制度のように、職業訓練校で実学を身に付けさせた方が本人の為なのではないか、と最近は考えるようになった。
「子供が嫌い」と言うと「あなたも昔は子供だったんだよ」とぬかしてくる輩がいるが、どういう理論なのだろう。恐らく「あなたも昔は社会に迷惑をかけたのだから、今度は迷惑を受け入れようよ」ということなのだろうが、そんなことはわかっている。子供が嫌いだからといって危害を加えたりしないし、屋外で危険が及びそうな子供を見捨てたりはしない。
私は「好き嫌い」の軸で話をしているのに、責任論をぶつけられるからうんざりしまうんだろうな。そういう人は脳内に「子供=守るべきもの=かわいい=嫌いになるはずがない」みたいな方程式が出来上がっている。さらに「女性は産む性=子供が嫌いなんてあるはずがない!おかしい!」みたいな考えも持ち合わせているので、反論したところで分かってもらえることはない。めんどくさいので反論はしない。「女性なら子供は好きだよね!?」という女性があまりにも多くて疲れる。嫌いです。
DINKsと検索窓に入力すると「ずるい」「自分勝手」などのサジェストが出てくる。
自分からしたら今のご時世に子供を産み落とす行為が自分勝手だと思う。「子供を産んで社会に貢献してない」という意見も見たけど、子持ちで被扶養の人間よりずっと多く税金は納めているし、違う形で社会貢献をしている。そっちは子供手当なんかで税金を使うばっかりじゃないか。
あと「ずるい」ってなんやねん。自分たちは子供が欲しいから生んだんじゃないのか。そんな風に思うこと自体、子供がかわいそうだ。
そもそも子持ちに仕事押し付けられたりしてこっちはうんざりなんだよ。それで苦言を呈しようものなら「子無しが嫉妬してるんだ」とほざく。嫉妬する要素がどこにもないのに? そっちが独身や子無しに嫉妬してるからそういう言葉が出るんじゃないですか?
フェルマー予想はコンピュータではそれが正解かどうか判定できない。存在しないことの定理なのでプログラミングを組んでも延々計算が続くだけでプログラミングでは証明できない、つまり
計算機では証明できないもののシンボルである。しかし、クンマーの理論が出てからは400万以下の自然数では存在しないことが言えるようになった。しかしそれでも計算機では到達できない
プログラミングでは解けない数学の問題として有名で、それにかかわらず、プログラミングでは解けないのになぜ人類には到達できるのか?ワイルズがやったやり方は幾何学を含めた全ての
学問を総動員したもので、その実質は、精神集中して自分で作り、出現させることの繰り返しであった。したがって非常に難しい作業であり、実質的にはおよそ200年がかりで到達したともいえる。
無限降下法は極めて使いやすい事例、つめり、赤チャートに載っているようにすぐに使えるような方程式の形をしているときには単純に使用できるが、どうやって使用していいか分からないような問題
になると何が書いているのか分からなくなってくる。x^4+y^4=z^4の場合は、x^2+y^2=z^2のピタゴラス数の結果を代入して、散々に追い詰めてから、無限降下法を用いて補完していりので、
技術的教養がないとおよそ理解不可能である。x^3+y^3=z^3の場合は、オイラーがやった複雑な証明法しかネットには掲載されておらない。無限降下法のばあい、基礎問題では簡単に発見
できるが、一見して使用できない場合は、発表があります、実はこういう感じで出てきます、という感じでやらないといけないので、技術的着想の発表ということになり非常に難解な観を呈してくる。
最近、気づいたのですが私はデジタルで読むより紙の本で読んだほうが読書時間が増えます。
なぜなのか?
まず、紙の本のほうが読みやすい。
老眼がそれなりに進んできているのでデジタルのほうが読みやすい、という固定観念があったのですが意外なことに紙の本のほうが見やすい。
デジタルで読むと文字の大きさなどの自由度が上がる分、レイアウトが崩れてしまいます。
やはり書籍というのは長年積み重ねてきた「読みやすいレイアウトの方程式」に則って作られているのだなあ、と実感しました。
そういう読みやすさはストレートに読書に対する集中力に繋がります。
そして、もうひとつ。
これは言うまでもありませんがスマホやPCで読むとどうしてもSNS等が気になってしまって読書を中断しがちです。
紙で読んでいると、そいうった気の散り方が少なくなります。
また電車の中なんかで本を読んでいるケースとかだと
一旦本を片付けてからスマホを取り出すというアクションが増えるので
面倒くさくなってそのまま読書を続けるケースが多いです。
ただデメリットとしては、デジタルだと気づいたことをすぐにメモできるのですが紙の本だとそういう切り替えが難しいです。
ああ、これも、電車の中での話ですね。
というか私は電車の中で読書することが多いので話が偏ってしまってますね。
まあ、とにかく最近本が読めない集中力が欠けているなあ、と思っていて且つデジタルの本ばかり読んでいる人。
たまには紙の本で読書してみませんか?という話でした。
えーとですねぶっちゃけ分からないと思いますよ。昭和時代に昭和天皇が形成した東京の甚大な規模の都市が人類社会の正解であるかのようなwikipediaの記載などはないですしね
確かに10年くらい前から現在のようになって何の魅力もないといいますか、一見デリヘルでも、女の子の写真が掲示されているが、そのもの自体が終わっているし、終わっているものに
機能しても意味がないというかね、しかしもう絶対にそうなってるんですよね。そこで何の技術がないかというときに技術って一般に凄いものばかりではないので独自の着想でやってもへたくそな
着想でやってもいいのですが、例えば幾何の問題に方程式を設定したら解けるという結論になってますけども、佐藤になんの技術がないかというときにですね、まあ、技術を思い付く前に、
教養がないっていうかね、技術って基本的に多くの諸問題を解いてきたことによる教養とか着想からきますので、ただし昭和天皇っていわゆる善良な人でもいい人でもなんでもなくて昭和時代の
人がどんな人だったかというときにただのヤリマンなわけですね、つまり、専門知識や教養も徹底的に過激な者ばかり勉強するし、それを技術に応用する、だからこういう板橋区になってるんですよね。
確かに佐藤が映像に取っている、なんていうのですか、GLAYの全盛期とか、凄く臭いけど魅力まんまんな女の子とかそういうのを寝てる間に見せてきますがそういうことに関する教養とか技術しか
ないわけですね、あやつには。なんか、そういう日本人の弱みを握って操縦することに関する技術は集積しているのが東京であるわけだけど、人をやる気にさせるとか、昭和天皇の愛情みたいな
我々数学者はどのような定理ないしは問題に対しても、驚愕的な証明にあこがれるのであるけれども、ひとくちに、驚愕的な証明といっても、その意味内容はよく分からないのである。
三平方の定理は、righted-angleという三角形といっても様々な形態がある中の極限的なときに、a^2+b^2=c^2が成立するという定理であるので、結局、美的に極限的な場合に
極限的な定理が成立するのが一般である。そしていわゆるエレガントな証明というのも、これと同じことで、極限的な事実がその問題の中にあるときに極限的な既存の法則を用いるという
のがエレガントな証明の実質である。しかし数学界には様々な定理があるので5次方程式以上の多項式には解の公式が存在しないという代数学の基本定理があるけれども、これの場合は
ポリノミアルという非常に有名なものを基礎として、4次までは解の公式が存在するが5次以上では存在しない、証明は巡回置換群という非常に難しい理論によってなされる。
ここで当然、有理係数多項式の解の公式が5次以上では存在しないことは発表時は驚愕されるわけだけども、その後常に驚愕されるわけではない。一般人は誤った認識をしているが、有名な
フェルマー予想は、 a^n+b^n=c^n は n≧3で解を持たないことは発表時に驚愕されてもそれ自体が驚愕されることではない。実際に驚愕され続けているのはスキームの圏等を用いた
構成の方である。ところで代数の世界では、それだけでは説明がつかないような技術、すなわち、シンメトリーキャンセルなどの、より原初的な初等的な処理方法などもみられて、必ずしも、
あんおりが黒羽で一生懸命解いていた問題がよ、 2012年のIMOの第6問じゃけどよ、模範解答は、 MOD 2 で商の3^akを崩壊させて結論だしとるけん
わいがやったのは、それはせんかったき一生懸命式を崩して、不定方程式を作ったら答えが出たけど、構成は出来んので
答えを見たら、 4k+1 が workなら 4k+2 だし、 4k+1 が workなら 4k+13もworkち書いてあって、インダクションでできるちあって多分これじゃねーかと思うべえが
このclaimがあったら、
1,2,5,6,9,10は ベースケースであるちいうことは判明してるとじゃが、 13,14, 17,18、21,22、は、確か、出らんとよ
じゃき、 こん、1,2,5,6,9,10では存在して、そん先がないからち、こん、 claim 2 のよ、 4k+1 does work なら 4k+13 does workが、だしてくるるとち
まあえれ難しいもんでわかるわけねーわ
公式の許可を取らずプリキュア着ぐるみで女児と触れ合うSRS手術受けた人 - Togetter
https://togetter.com/li/2201988
こんなことはまとめのタイトルの時点で気付いてほしいんですが、「SRS手術受けた人」なんてわざわざ題付けるのはそこに軸があるんです。
「プリキュアの着ぐるみで公式と誤認させるような活動をしている」
どう見たってここを問題視するまとめじゃないでしょこれ。
それはつかみに過ぎなくて、本題は
「プリキュアの着ぐるみで公式と誤認させる活動をしている人物は、女児に近づくことを目的としているような発言をしており、さらに"SRS手術を受けたトランス女性である!"」
言いたいのはここです。
まとめの3人目のアカウント「女たちのデータベース広場 @females_db_park」はTERFのインフルエンサー的アカウントの一つです。
普段から犯罪のニュースを引いてきては「犯人はトランス女性か?」みたいなことを言っています。
がっちりした体型?男か?
https://twitter.com/females_db_park/status/1669158747233742850
犯罪のニュース見て「名前が三文字……在日か!?」「言葉遣いが怪しい……在日か!?」とかやってるネトウヨさんと全然違いがないでしょ。
みたいな雑すぎる方程式であらゆる犯罪の主体をトランス女性に当てはめ「トランス女は手術しようが男でしかないし犯罪者だらけ」って煽動してるんですよ。
オタクを叩けると見るや簡単にこんなのに乗っかってトランスヘイトの肯定に協力してしまう方々、本当にどうしようもないです。そこを自覚してほしい。
プリキュア性犯罪おじさんさえ庇うロリコン・カルチャーを堂々と表明し、咎められると「オタク差別だ!」と逆ギレする。その反社会性が問題なのでは。アニメ絵が社会で認知されるのと、sexismが肯定されるのは違う話だ オタク 差別 性犯罪
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/somethingorange.jp/entry/otakusabetu
これとか、まずかなりの不審さはあれ性犯罪と断定できるほどの材料がないのに性犯罪と言い切ってるところまでは百歩譲って目をつむるとしても、
SRS手術までしているらしい人を「おじさん」扱いするミスジェンダリングを平然とやっていて本当にすごい。
まだ一日も経ってないのに他の話題のブコメで件の着ぐるみ着用者が「性犯罪おじさん」であることが前提として語られています。
あなたTERFのヘイトを全部まるまる受け容れてオタク叩きに活用しておられますが、その自覚はありますか?
どうもこういうのを見るにつけ、決して少なくない人々の間で
キモいオタクを叩く>>>>>>>>>>>>>>>>>>>性的マイノリティへのヘイト
という図式が成立しているように思えてならないのですが。
公式の許可もなく、子供と触れ合う目的で、偽スタッフまで帯同させて、となると、男とか女とか関係なく問題でしょ。トランス差別はまた別の問題。ちゃんと切り分けて議論して
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/togetter.com/li/2201988
「トランス差別は別の問題」ってトランス差別を目的とした発言が主軸に置かれたまとめで言うのもすごいですね。
やっぱり「トランス差別ってキモいオタクがキモいことなどよりもずっと加害性が低く問題視するほどじゃない」という共通認識があるんじゃないですか?
cinefukさんが反論ブコメをしてくださったけど、光の速さで消えてしまいました。なんで消したの?
コピペも間に合わないほどの速度だったので記憶で書きますけど、
みたいな内容で目を疑いましたが。
流石にTERFの主張丸呑みどころかTERFそのものでしかない発言内容だからまずいと思ったんですか?
おちんちんを切ったところで女児に危害を加えようとする危険人物であることに変わりあるまい、そうですね。
シス男性だろうがシス女性だろうがトランス男性だろうがトランス女性だろうがアセクシャルだろうがノンバイナリーだろうが同じことをインターネットに書き込めば不審人物と見られると思いますよ。
で、それがトランス女性であることを殊更に強調し属性へのヘイトを煽る連中に同調することと両立できるんですか?
「トランスジェンダーに性犯罪者はいない」と主張してきたトランスアライもいると思いますよ。
マイノリティーの中で一部の問題行動・問題発言を全体の主張であるかのように取り上げること、それはcinefukさんの中で正しい行為なんですか?
だいたい、それがTERFの主張を丸呑みしてオタクを叩く棒便利な棒程度に気軽に振り回してることを指摘された反論になると思ったんですか?
〇〇を2500文字程度で書いてください。段落ごとにそれまでの文字数を書いてください。文字数は必ず誤差10%以内に収めてください。
こんなプロンプトはどうだろうか。何度も文字数を書かせたら流石に覚えてくれるだろう。
https://chat.openai.com/share/c3d70b7c-330a-4362-8648-7774adbf6d4d
(プロンプト)けん玉技術の解説を2500文字程度で書いてください。段落ごとにそれまでの文字数を書いてください。文字数は必ず誤差10%以内に収めてください。
けん玉は、日本の伝統的な玩具であり、子供から大人まで幅広い年齢層に楽しまれています。しかし、単なる玩具以上のものとして捉えられ、一部では競技としても行われているほどです。ここでは基本的なけん玉の技をいくつか紹介し、それぞれの技術の解説を行います。
(略)
以上、けん玉の基本的な技術とその楽しみ方について説明しました。これがあなたのけん玉の旅の第一歩となることを願っています。楽しみながら、自分の技術を磨いてください。そして、けん玉の魅力を存分に味わってみてください。
【文字数:2465】
おお、なんかいけてそう。
https://chat.openai.com/share/71b1461a-a914-4f74-8af6-ee62d4674835
(プロンプト)マクスウェル方程式の解説を2000文字程度で書いてください。段落ごとにそれまでの文字数を書いてください。文字数は必ず誤差10%以内に収めてください。
(略)
こっちは失敗。でも書き直しでうまくいった。
(略)
これらの方程式を理解することは、物理学を理解し、そして我々が生活するこの世界をより深く理解する鍵となります。(2003文字)
…しかしこれが罠だった。
一見それっぽいが、実際に文字数を数えてみたら出力された文字数とかなり異なる。
そもそもChatGPTは数を数えられないのだ。
好きな人はいる。「抱いてみたいな」くらいに思われたらもうこの人生上がりだと思う、実際抱かれなくてもいい。
ただ、その「抱いてみたい」に至る、相手にそう思わせられるすべを知らない。
普段の自分は、よく喋る、面白い、みたいな感じのイメージだと思う。わからんけど。
本を読むのも映画を観るのも好きだし、お笑いも好きだ。痛くない程度に日常会話にそれらから得た「おもしろエッセンス」を散りばめている。つもりだ。他者からの評価はわからない。
でもそれは、友達と、知り合いと、だから発せられるし、効果があるものだ。「好きな人に」じゃない。
これまでに二人の男と付き合い、セックスまでする関係になった。けど、何かよくわからないままに別れた。どっちも20代前半だった。
その二人と付き合ったとき、二人きりでいるとき、いやらしい雰囲気になったとき、致しているとき、自分は「何かで見た、読んだ」行動しか取ってない。
「かわいい彼女」っぽい行動は、全部小学校の頃に読んだりぼんやら姉が読んでたマーガレットやらから得た言動のコピーだった。
「致すときのセクシーな感じ」は、映画とか面白半分で見たAVで見た行動の模倣だった。
結局自分は「何かしら見たこと聞いたこと読んだことあるもの」からしか「ハマる」会話とか流れとかを学べない。そしてそれしか知らない。
二十代前半ならまだ、まだギリ許されたんだろう、だから恋人ができた。
しかし今、四半世紀以上生きた状態で繰り出す「りぼんとかマーガレットの主人公っぽいかわいい行動」は、ただの「痛い女」で、同世代とかそれ以上の人には響かない。年下にも引かれる。AVはリアルじゃない。
好きな人は10歳年上で、優しくて、おおらかな人だ。私から見たらめちゃくちゃ大人だ。そんな人にりぼんやらマーガレットに載っているガキのテクニックは通用しない。
りぼんもなかよしもちゃおも、付き合ったら終わりだった。マーガレットとか別フレとかも付き合うまでのプロセスと付き合ってからの悩みを描いて終わりだった。たまにセックスしても、そっから主人公が何か精神的に成長して終わりだった。
アラサーの、働く女が好きな人に意識してもらって、「抱きたい」に至るまでのプロセスを描く漫画なんてなかった。リサーチ不足かもしれないが。
そもそも「何かしらの媒体から得た知識」を基に恋愛してコミュニケーションして抱き合うに至るのが間違いかもしれない。
誰かの模倣ではなく、「好きな人」その人を知り、話し、聞き、探り、それでやっとその人の「好きなタイプ」になれるんだろう。
三十前後にもなって、「ありのままのわたしを愛して」なんて思わない。
こんな人間の嫌なところを抽出して人型に成形したようなクズを愛する変態なんていない。
飾らない自分を愛してなんて思わない。
化粧しなきゃ外に出られない。
けど、じゃあ誰が私を抱いてくれる。
どうやったら私はあの人に抱かれる。抱きたいと思わせられる。
空いてる席は「男性とも対等に渡り合える(マンスプレイニングに対抗できる)賢くて話が面白い人」ポジションだけだった。
けど、それじゃ私はあの人に抱かれない。あの人を抱けない。
私はあの人を抱きたい。抱かれたい。
いい女と思われたい。
また会いたいと思われたい。
せめてキスだけでもしたいと思わせたい。
あの人に求められたい。
SF小説好き1480名に聞いた「絶対に読んどけ」っていうSF小説ランキング - 俺だってヒーローになりてえよ
https://www.orehero.net/entry/bestsf
以下、数が多いので省略
あったらあったで使える場面もあるやろうけど、特に巨大な処理やるとかでもなければCSの知識は別にそんなに要らんのちゃうとは思うけどな
いまどき効率化とか何も考えなくてもゴリ押しでどうにかなることも多いし、現場の大工が物理で難しい方程式を知ってないといけないなんて道理はない
この出題は最終的な演繹には最高価値のある技術的着想が必要と思われ、そのような能力は私の力を超えているので、しばし、完全構成をあきらめることとして
具体的な数値を入れて調べることとしたい。
a>b>2>1>0 ①
だから条件を満たす a,bをはじき出せないか。①を②に代入する。 2a+b=a^2-b^2+3 ⇔ a^2-2a-b^2-b+3=0
a= 1±√b^2+b-2 となるので、根号が外れるようにbを決定すればよい。根号の中を L^2と置いてもよいし、b=3から代入して外れるものを選んでもよい。なお、aは、正なので
a=1+√b^2+b-2 とする。
b=3のとき、 根号内は 10なので外れない。b=4のとき、18なので外れない。 b=5のとき、28なのではずれない。b=6のとき、40なので✘
b=7のとき、 54なので✘ b=8のとき、70なので✘ b=9のとき、88なので✘ そもそも外れるのか?
b^2+b-2=L^2の不定方程式をみたすものがなければ外れない。 → この手法では甚だ徒労である。 仮にゴリゴリとやっていって数値が見つかっても一挙抜本的解決は出来そうにない。
数学のことを、頭の中に存在する事実としかとらえていない人は、数学について、ただの事実だと一括りにしているわけのものであり、そういえば、かなり昔、日想館というHPがあって
そこの人もそう言っていたけど、確かに数学は、頭の中にある事実を発見し、事実から事実を演繹するか帰納するかにより、説明を構成する作業ですが、そういうことができると信じられている
のですが、なんでそういってるのか分かりませんが、事実と言っておけば、どのようなテクニックも、その技術的着想のエレガントさを無視できるメリットがあるからそういってるのかも知れませんが、
例えば、数学で、Lemmaを見つけるのは、人によっては、半年でも1年かけても出来ない人がほとんどなので、そんの、超難問を解くLemmaという事実が発見できなかったらなめられるから
言わないのだと思いますが、それから警察が困るから言わないのだと思いますが。
数学は確かに人類の頭の中にある事実ですが、既に発見されていて教科書に載っていて誰でもものにしているものもあれば、演習を通じて自分で発見しないといけないような難しい事実まで色々
あり、特に、claim→Lemmaの順に、発見するのが難しいわけですね。例えば、不定方程式はよく知られている理論なので、それを作って解くことはできるのですが、その出てきたものを裏付ける
技術的アイデアというんですか、それを思いつくのは難しいんですね、頭の中のどこかにあるかもしれませんが。だから不定方程式を解くだけでは完成しないというか。