はてなキーワード: 賽の河原とは
正解は
「製作者に金をもたらす」
だ。
この問題が解けるかどうかは資本主義、経済、社会といったことが分かっているかどうかで決まる。
解けなくても恥じ入ることではない。
今の日本における教育はこれらを全くもってまともに教えてくれる気がない。
「金を払う」ということを単に「自分の財布から金がなくなる」以外のモノとして認識できる機会を与えてはくれないのだ。
文化祭でお店ごっこをしようが、同人誌即売会で活動費を補填して貰おうが、「金を払う」「金を受け取る」ということの本質を学ぶのは難しい。
実際に商売をやってみてようやく分かる機会が与えられる。
機会が与えられるだけであって、結局は理解できないひとも大勢いる。
従業員として働いていると、店のレジにいくら入ったかなんてのは閉店時に差し引きがズレなければどうでもいいことになる。
営業や経理をやっていてさえ、なんとなく数字が増えたらボーナスが増えるかも知れないぐらいの距離感にしか感じられないだろう。
資本主義社会において金を得るとは「その活動を続ける権利を与えられる」ということだ。
金は他のなにかに変換可能だが、その中でも最も重要な要素が「生活や職場環境を維持するコストを支払える」という部分だ。
あらゆる商売はどこかで金の帳尻を合わせなければ続けていくことが出来ない。
たとえば株式投資の儲けを食いつぶしながら趣味の店を続けている人がいて、会社規模でそれをやっているような所さえある。
誰かに金を払うというのは「貴方はこれを続けてもいいですよ」と伝えるに等しいことだ。
自分の望んだようなコンテンツがこの世界に生み出された時、それを味わう時間が自分になくても「これを生み出してくれてありがとう。これからも頑張ってほしい」と思ったなら、金を払うべきだ。
直接寄付すればいいという話ではない。
正当な対価という形で相手に金を払うのだ。
この「積むかも知れないけど、とりあえず相手に感謝を伝えるためにも、金だけはまず払っておく」というのは資本主義における基本的な行動原理だ。
これを理解できないままで資本主義を生きるのはただただ辛いだろう。
金は払えばなくなってしまうという認識の中で、日々生活費を稼ぎ、株価の暴落に怯えながら投資活動をするのでは、賽の河原のように日々を感じるだろう。
自分が誰かに払った金が、自分の望む方向へと社会をまわしていると感じることが出来れば、稼いだ額と出ていった額が同じであっても未来を信じられるはずだ。
だからこそ、「この金はきっと無駄に使われる」と感じながら払う税金があんなにも苦しいのだ。
たとえば「俺が払った税金もどうせふるさと納税団体に流れるだけで終わるんだろうな。自民党のお友達が肥えていくだけじゃね―か」と思うと、あまりにも税金を払うことは虚しい。
パレットに積まれた8キロ弱の荷物(段ボール)をバラして投入する→商品を手直しするA. B→検品→パレットに積み直す
という感じの流れ作業を日雇いバイトたちてでやる感じ、俺の仕事は最後のパレットに積み直すとこである。
初期配置は
パレットばらし1人
手直しする(A)で2人
手直しする(B)で2人
検品1人
積み直し1人(俺)
という感じ。これでも結構流れてきて大変だった。そもそも俺はパレットへの積み方も荷物の持ち方もの日雇いの現場で一緒になった人らに教えられただけで対して上手くも詳しくもない。
パレットばらし1人
手直し(A)4人
手直しする(B)2人
検品1人
積み直し1人
というシフトになっていく
この時点でひと息もつけない。積んだ位置を修正してるとどんどん流れてくる。
ふと目を向けると作業に慣れた他のバイトたちが片手間に投入を手伝っている。
実質2人で投入しているものだ。
ライン作業の上の方には人が集まってる上にどんどん作業に慣れてくが、ゴールの俺は1人で8キロ弱の荷物をどんどん積むことで体力が削られていくのである。
そらキツイに決まっている。集中力も切れるしそもそも時間的余裕もそんなにない
その結果として社員なのか派遣なのか知らない人にちゃんと積みかたに気をつけろと叱られまくる
しかしその叱られる時もどんどん荷物が流れ、ラインには置く場所がなくなる。検品の人間が気を利かせてか段ボールを積んで場所を確保してれてるのをみて俺は死にそうになる。それに言われて注意したところでちゃんと教育を受けたこともない日雇いのバイトの俺がそんな的確につんでいくなんてことでない。時間がかかるが時間をかけるとラインが詰まって溢れていく。
最終的には「何回いっても治らねぇもう嫌だわ配置変えしろよ」と他の社員へのお願いなのか嫌味なのか知らない言葉を聞こえるように言われる。
イラッと来たが、いやほんと配置換えしてくれマジキッツいわ、と思ってなにも言わなかった。
しかしこれももなんかよくわからない理由で最後までやらせることになった
なんでこんなキッツい仕事受けちまったかなぁ、賽の河原の石積みのほうが軽いだけマシだわ、キツイキツイと定評のや夜間の宅配仕分けでもここまできつくないぞ、そも時給もちょっといいくらいだし、その時給もあそこのシール剥がしてる兄ちゃんねぇちゃんと同じだし、どう考えてもミスったわ。というか配置少しは考えろよ。ラインの上だけ増やしても対応できねぇわ。と嘆きながらおそらく1000個以上(数える気力が途中からなくなったから正確な数かもわからない)の段ボールを積んだ。
途中たまに工場の派遣やさっきの積み方を叱るおっちゃんが手伝ったし、最後の1時間くらい1人の派遣が専属で応援にまわってきてが来てくれたが、それでも殆どは俺が積んでそれで叱られる積んででの繰り返しで死にそうだった。
選んだ仕事が思いの外キツイのは嫌だが納得するしかない。周りだってキツイのだ。
しかしやってる作業量や作業内容が一人だけ違うのは精神的にも体力的にもかなりキッツい。
周りに味方が居ない。なんでシール剥がしてたりシール貼ってる人間とパレット積みやってる俺が同じ休憩時間なんだと僻みまで発生するので精神衛生的にもよくない
仕事がないからって「ちょっと重いくらいですよ(^o^)」みたいに募集に顔文字使うような会社いっちゃいけねぇとか、ちゃんと仕事は選ぼうということを再確認した日であった。
親から教わっても教わっても身に付かなかった。
それなのに無理やり一人暮らしを始め、無理やり同棲を始めてしまったので、まあ部屋は惨憺たるものだ。
恋人は私より不潔が好きだ。だから私が片付け下手でも怒らない。しかしこのまま生きていると収拾がつかない。私は一念発起して少しずつでも部屋を片付けることにした。
「一日一つ、場所を決めて片付ける」というやり方が、思いの外性に合った。
仕事で疲労困憊な時は諦めるが、それ以外はなるべく頑張っている。片付けじゃなくて掃除をしてもいい。冷蔵庫にたまった埃を払うとか、洗面台を綺麗にするとか。
今悩んでいるのは、恋人が私の片付けたところを優先的に汚すことだ。
たとえば、寝室に散らばった本をまとめて一箇所に積み上げる。そうすると恋人は積み上げた本を全部倒す。
ものだらけのリビングのものを多少まとめて、少し部屋をすっきりさせる。そうすると恋人は空いたスペースにものを置く。
自分のやっていることや意図は恋人には伝えた。一日で少しずつでも片付けること、下手なりに部屋を多少はなんとかしたいこと、もう少し清潔な空間で過ごしたいこと。でも恋人はヘラヘラ笑って「そんなに無理しなくていいよ」と言うだけだった。
なんというか、地獄だ。そして頑張ったら頑張っただけ、その頑張りを汚される。完成させたら元通りに壊される。賽の河原じゃん。
一人分の部屋でも、汚すスピードと片付けるスピードの前者が上回っていたのに、二人分なんてやっぱり頑張っても収拾がつかない。
「これ、ただの運ゲーじゃん!」に辿り着くまでの苦行。「そこに北はあるんだよ」がシリアスなギャグであることを理解するまで賽の河原で石積みするだけの遊び。同じことをやるにしても大富豪の方が手っ取り早いし、旅行先でやるときにもサクサク進むし皆知ってて丁度いい。麻雀が上手くなったら麻雀漫画が楽しめるようになるとか別に存在しない。だって麻雀漫画って本当に最後は「そこに北はあるんだよ」「やる気の問題」で終わるんだもん。そんなオカルトありえないってことさえ認識できていれば(知能がまともなら麻雀歴0秒でも理解可能)麻雀漫画を楽しむには十分です。
とにかく時間がかかる。その割には中身が薄い。別のことしながら観戦するのが丁度いい遊びであって、自分でやる必要はない。これに人生を使ってしまうのは年収1億円を目指して頑張る野球少年だけでいい。
最初は面白いが段々と作業化する。時間がめっちゃかかる割には得られる快楽の量は少ない。その割にはひたすら遊んでしまうので人生のタイパがボロカスになる。終わった後に歴史的な知識が残るとみせかけて実際には「クスコのマンコ・カパックwwwクソワロwww」ぐらいしか身についてないから無意味。
上り詰めて上り詰めてふと気づく、「これ無駄だわ」。スポーツのフリをしているがスポーツではないので体力も身につかない。その割には成長にやたらと時間がかかる。何よりも性格がクソほど悪くなて怒りっぽくなる。このゲームを通して学べることも少なくはないが、失われるモノの方が多いのでやるべきではない。
得られるものは多いが失うものも多いの究極。このゲームを通して人間性を獲得する人もいるが、失う人も大勢いる。とにかく時間がかかることだけは間違いない。気軽にやっていいものではない
友達と遊んだ思い出=プライスレス。だとしてもだ、それは思い出が素晴らしいだけでモンハンである必要はなかった。別にその時間スポーツやろうがメンコやろうが駄菓子屋でだべってようが結局時間の使い方としては無駄だっただろうし、学生が皆でやる分には別にいい気はするんだが、でもゆーて「皆に自慢するために一人でシコシコ炭鉱夫やろ」みたいなのはマジで無駄だったと思う。社会人がやる価値は0。
育成の時間が無駄。単なる乱数ゲーが無駄。読み合いと言いつつただのジャンケン。もうこんなんジャンケンで結果決めろよの世界。数字と睨み合って細かい調整とかそんなん急所に入れば全部ひっくり返るだろ。マジでやってられん。積み込みを持ち込み合う麻雀みたいなもんだろこんなの。
超大作中華SF萌え萌えRPG!←全然そんなことない。こんなんで中華SFを味わってないでいくらでもある中華SFを図書館で借りてこい。そして萌え萌えは別のゲームで接種しろ。中途半端に混ざり合ってるから結果的に効率が悪いんじゃ。アクナイはケモミミディストピアTDなので、可哀想×カワイイのシナジーがちゃんと効いてて効率的。
サクっとやるだけならやる意味がない。ガッツリやるには時間がかかりすぎる。動画で済ませるならやる意味がない。自分でやったら発狂する。
面白かった。
このPunch Clubのジャンルとしては育成シミュレーションにあたるだろう。
始めのうちは仕組みを理解して最適な選択をするのに苦戦したが、それが逆に心地よい試行錯誤になってよかった。
面白いところとしては、一日が経過するたびにパラメーターが減少することである。
トレーニングをすれば減少分よりもパラメーターを上げられるが、空腹度やエネルギーが減少してしまう。空腹度を満たすためには食料を買って食べる必要がある。
しかし、食事代を稼ぐためには仕事で時間やエネルギーを使う必要がある。エネルギーは睡眠で回復できるが、代わりに時間を要してしまう。そして移動をするにも時間がかかる。バス移動なら時間はかからないが、かわりに金が必要となる。
こんな風に、パラメーターが一日ごとに減少するからトレーニングをしたいのに、なかなかトレーニングができないというジレンマに陥る。
ジムでトレーニングをするにも金がかかる。ジムでトレーニングをするのに金がかかるからトレーニング器具を買おうと金を貯めてみるが、大金を持ち歩くと路上強盗に会って、負けると所持金の半分を取られてしまう。
イラつく仕様だと感じる人も多いだろうが、個人的には気に入った。
ただ単に時間をかけさえすればパラメーターを上げられる訳でないのがいい。
初回はゲームクリアまでは13時間ほどを要した。難易度は普通で、「熊の道」で「力」を中心に育成した。非効率なスキルツリーの進行だったが、なんとかクリアできたという感じだ。
二週目プレイは難易度ハードコアを選択した。「虎の道」で「素早さ」を中心に育成した。一週目で仕様を理解できたので効率的なプレイができたが、ハードコアのせいもあって経過日数がかかり残念ながら100日以内クリアの実績がクリアできなかった。
三週目では難易度普通を選び、二週目と同様のプレイで100日以内クリアの実績を獲得した。
四週目では、「ニンジャスレイヤー」の実績取得がまだだったのと「亀の道」での「耐久」中心の育成がまだだったので、難易度普通でそれを実施した。
四週目を終えて全ての実績を取得して、プレイ時間は44時間だ。
そもそも、Punch Clubを購入した理由としてはレトロな雰囲気に惹かれたからだ。ヴィジュアル面に関しては満足した。
キャラクターだけでなく背景の細部にいたるまで、ドットで書き込まれているのがいい。移動などで初めて見る場面では、ついつい背景を隅々まで見てしまう。背景の細かいところでのアニメーションも凝っていて、スポーツ用品店では店主が頭を磨いたり、ロシアでは遠くの方で人が熊に追いかけられていたりと、細かいところでニヤリとする演出があるのがいい。
その上、オプションでレトロエフェクトというモードがあり、昔ながらのブラウン管風の映像になるのも気に入った。
欠点についても述べよう。
バグが多い。
フラッフィー(猫)のイベントのラスト(首領撃破後)では、なぜかフラッフィーが落ちるムービーがもう一度流れて意味が分からなかった。YouTubeでプレイ動画を観て、ようやく本来展開されるべきストーリーを知ることができた。
三週目のプレイでは「Triple B」の実績を取得するために、ボボとの戦いより先に下水道イベントを終えてしまったのだが、そのせいかフラッフィーのイベントが進行しなくなってしまったのだ。おかげで、ロシアから戻ってからもフラッフィーのイベントを進めることができず、スキルポイントが想定より稼げなかった。それでも100日以内のクリアはギリギリできた。このゲーム3つのパラメータの中で「素早さ」が重要だ。「虎の道」ルートでなければ詰んでいたかもしれない。
会話や説明は不十分なので、語られない部分については想像で補完するしかない。それでも、父の敵を討つという王道の展開はいいし、メダルを巡るストーリーや演出も説明不足だけどカッコイイのがいい。ラストの急展開と唐突な打ち切りのようなエンディングは意味が分からなかったけど。
他の脚本の荒い点として、初対面の相手との会話イベントより先に別のイベントを進行させると、すでに知り合い同士かのようにやり取りした後で自己紹介をするというチグハグな会話になってしまうことがある。想定通りの進行でも、敵対していたはずの相手と何事もなかったかのように会話したりと、脚本の作りこみはかなり荒いものがある。フラッフィーのイベントのラストも、バグ無く正しく表示されたとしても超展開だったし。
とはいえ、ストーリー進行上の脚本に期待するゲームでもないし、長々とした文章を読まされてテンポを悪くするのも良くないし、これはこれで悪くはない。
バトルはかなり退屈だ。
適切なスキルセットを見つけるまでは試行錯誤が楽しかったが、相手や状況によってスキルを付け替える必要はあまりない。それにラウンド毎のスキルセットを除けば基本的に操作は何もできないので、ただどちらかのライフがゼロになるまで見ているだけだ。スピードを2倍速、4倍速にもできるが、4倍速でも退屈だ。
続編(?)のPunch Club2をやるか否かは今のところ未定だ。何らかの感想や情報を見て面白そうと思ったらやるだろう。
それよりも今のところは、同じ開発者の他のゲームが気になっている。Punch Clubは荒いところはあるがゲームバランスがかなりよかったので、他のゲームも面白いはずだという期待がある。
ちなみに、開発元のLazy Bear Gamesはリトアニアを拠点にしているそうだ。
Punch Clubは海外製ゲームだが、敵にスト2をモチーフにしたキャラクターがいたり「AYBABTU」のミームをネタにしたりと、日本のゲームに対するリスペクトが見られるのがいい。日本語化においては枠から文字がはみ出すなど荒いところはあるが、文章などに違和感がない(ストーリー展開は説明不足だったり超展開で違和感だらけだが)のもいい。
https://anond.hatelabo.jp/20230706215101から6ヶ月ぶり。年末にゲームは関係させにくいが縦型配信の爆発的な流行りがあった。
ななしいんくサーバーがまたリセット。賽の河原の石積みに感じないのかと思ってしまうが、今は盛んに初期開発している。運営からやるようにお達しもあるのかな。アップランドでは、新グループぶいぱいが既存のサーバーに参加した。
・DAVE THE DIVER
かなりやり込んでいる人がいる。
驚異的な流行を見せた。物理演算に関してQ REMASTEREDが先に流行して地ならしをした面もあると思う。流石に落ち着いてきたが縦型配信と画面配置の相性がいい。
・8番出口(new)
こちらも大流行。ただし、やりこみ要素はRTAくらいで繰り返しやるゲームではない。笑顔のおじさんが出るまで耐久ってのも見かけた。
すでに流行終了。アドバイスで優越感にひたりたいリスナーにはありがたいゲーム。
・エスカレーター(new)
8番出口ライクのエスカレーター版ゲーム。これから流行りそう。強制的に移動させられるので間違いを見つけるのが難しい。とはいえ、降りてから階段で確認することも可能。
・違う冬のぼくら(new)
仲良しコンビがやっている。
・原神
・fall guys
・ARK
ちょくちょく動いているところはある。
なごむ。
・RAFT
・自撮(new)
・ロマサガ2(new)
そういえば流し斬り~の読み上げで盛り上がった。
・VALORANT
見た。
・FF14
そういえばあのフリゲーの続編があった。まだしっかり見た配信はないな。
これも忘れていた。下ネタがあからさますぎて正面から見たことはない。
未だに何をやっているのか分からん。専用スキンを作れるっぽい?
・スーパーマリオRPG(リメイク版)(new)
それなりに流行っていても実際にほとんど見ていないと、旬の時期しか覚えていない。
・imomushi(new)
追記:VCR名前はちらっと聞くけどあまり興味が無いんだ。タイトルの通り個人の偏った視点だよ。「あのゲームがないのはおかしい。このゲームをあげるのはあいつの信者だろ」とか言われるのに嫌気が差して今のタイトルになっているんでヨロシク。そっちの話題がほしければ自分で記事を書いてください。変な強制を感じさせずにブコメで話題にするのはもちろんご自由に。
「90代女性、老人ホーム入所中、要介護5の方の発熱で救急要請です」
看護師からの連絡を受け、搬送許可を出した後に大きくため息をついた。
きっと、また、だ。
物言わぬ患者への輸液を処方してから救急外来へと足を運ぶ。この足取りがこんなに重くなったのはいつからだろう。
患者のカルテはもちろんない。せめて理解力のある親族がいればと願いながら、救急車を待った。
「3ヶ月くらい前から食べなくなっていて、でもなんとなく食べそうな雰囲気はあるんですよ。診療所の先生は年だなんていうけど、あの先生は信頼できないから。ほら先月には誕生日のお祝いもしたんですよ!」
主観と客観の区別ができない介護士からの病歴をまとめると、数ヶ月前から原因不明の食思不振があり、嘱託医は老衰、あるいは認知症の末期症状として、看取りが望ましいと判断していた様子だ。今朝から特に症状を伴わない38℃の発熱があったため、嘱託医は呼ばずに救急要請した、と。
「施設ではこういう人は見れないんですよー」
独居の息子がいるが、老人ホームに入所してからは面会に来たのは2回だけ。他の親族はいない。
ああ、また、だ。
ストレッチャーの上で小さく横になり、ただ穏やかに虚空を見つめている老婆に目をやる。認知症になっても礼節が保たれているようだ。それか、身体を動かす力も残っていないのか。
入院前の説明は介護士にはできない。翌々日に病院に来る、と息子と電話で約束をし、入院の準備を進める。
「延命治療はしなくていいです。ただ、できることはやってください。熱があるとつらいので。あと点滴も」
培養結果を待つまでもなく、抗生剤を処方して、救急外来を離れる。あの膿尿だ、見なくてもわかる。
この人は2ヶ月で帰れるだろうか。そんな考えが無駄なことを思い出して、今日のジムでのメニューに意識を変えた。
発熱の原因は尿路感染症からの菌血症であった。食事も水分も取らないのだからトイレも行かない。すると尿で洗い流していた尿道にも細菌が群がる。当然のことだ。
治療自体は難しくないが、尿が少ない以上、再発は火を見るより明らかだ。また起きることをわかって治療をしている。賽の河原みたいだ。一つ積んでは父のため、二つ積んでは母のため。そうして鬼に崩される。
加齢に伴い食事を取らなくなる高齢者は多い。認知症や脳の異常で食欲そのものが湧かないこともあれば、口や喉の筋力低下で嚥下機能が廃絶し、飲み込めない、飲み込むとむせるから食べないということもある。
急性期病院に運ばれた以上、一通りの検査はやるが、治療可能なものは見つからない。萎縮した海馬が認知症であることを裏付けただけだった。
「でも点滴はしてほしいです」
饐えた臭いの息子からは3度同じ言葉が出てきた。下を向き記録をつける看護師と天を仰いだソーシャルワーカーを見て、ICは終わった。
治療の先に何があるのか、輸液の先に何があるのか、医者が決めていい時代は終わった。パターナリズムと非難され、医者は決定権を患者と家族に手放した。だから、何も言わない。言ってはいけないのだ。
「自宅ではみれません。仕事があるので。昼間ひとりにはできませんよ」
食事を取らず、点滴をする患者の退院先は少ない。自宅が無理だと言われると、療養型病院くらいになってしまう。
ああ、また、だ。
また、あの列に一人加わった。
食べるでもなく、看取られるでもなく、見舞われるでもなく、ただベッドに横になり点滴を受ける患者が病床をひとつ埋めた。
手足も曲がり、物言わぬ患者の脇に毎朝赴く。何も起きていないことを確認するために。虚空を見つめていた穏やかな目が自分に刺さるのを感じる。
これは罰なのだろうか。
これは罪なのだろうか。
ここでは歴史的経緯というものを省く、なぜなら歴史的経緯はイスラエル人やパレスチナ人を直接殺したり財産を奪うことはないから。
ガザ地区のハマスなどがロケット弾でイスラエルを繰り返し攻撃するようになっている
アイアンドームと呼ばれる迎撃システムは良く知られているが、よく言われる迎撃率99%とは落下地点を逆算し「迎撃すべき」と判断したロケット弾の迎撃率のことで、大半はイスラエル領内に落ちる。
また費用面で不均衡が起きており、ハマスのロケット砲は1発500ドル~1000ドルに対し、イスラエルの迎撃ミサイルは1発9万ドルもかかる、いくらイスラエルが豊かといえど、ハマスのロケット砲を無期限、無制限に迎撃し続けるのは現実的ではないし、心理的圧迫は相当大きい。
イスラエルの産業はもはや世界でも有数の革新的なハイテク産業を確立おり。ITや先端製造業において世界をけん引しているといっても過言ではない。例えば、イスラエルとの関係を断てばカプセル内視鏡は手に入らない
一方ガザ地区の主な収入源は人道支援である。ガザ地区における失業率は50%にも達し、ほとんどの人間は何もしていない。
何もしていないパレスチナ人が何もしていないゆえに、人道支援なる国際社会の温情によって最低限の生活を保障され、結果人口は当初の80万人から200万にも膨れ上がり、断続的にロケット弾を発射しているのが今までの現状である。イスラエルは水をほとんど国際的義務感によって支給している。ロケットを撃たれて水を供給する国はイスラエルしかない。(ただし、元はパレスチナの水資源であることは留意しなければならない。)
現状がそんな状況でロケット砲を浴び、空爆し返すという賽の河原のような状況を仕方なく受け入れていたイスラエルだが。今回ハマスは壁をこえてイスラエル人を無差別殺し、その殺戮の最中の動画をSNSにあげ、イスラエル人を拉致した。このの件で、正しく、パレスチナ側がルビコン川を渡ったというべきだろう。
今回の件でハマスには戦略的に達成したい目標だとか、国際的に訴えたい事由だとかそういったものは存在しなかった。「このあとガザの人々がどうなろうと、ただただとにかく今日はイスラエル人を1人でも多く殺したい」それはガザというものを正しく認識する以前に、この地域を隣に置くことを国として許しうるのかどうか、イスラエル人自身に問いかけるような悪意の噴出である。
特にSNSから動画を拡散する所業はイスラエル人にそして、世界に甚大な衝撃を与えた。我々も世界も何度も聞いたあの「アラーアクバル」である。ここ四半世紀の間に我々は「アラーアクバル」とは根本的に対話することはできないという認識を強固に持つに至ったといっていい。
こうなった以上、ガザをこのままにしておく、「アラーアクバルも許す」という選択肢はイスラエルには存在しない。
更に言えばガザは存在する限りにおいてこれからは「アラーアクバルは許されない」といったような認識をもつ主体を想定することが難しいというのも拍車をかける。ハマスのトップはカタールで暮らしていることは有名である。
ガザにもハマスに否定的なパレスチナ人もいる。しかし、そうであってすら「アラーアクバル」を否定することができるのかという点では難しいのではないか?という疑問をぬぐうことができない。
ことここにおいて、ガザをそのままにしておく心理的負担と、更地にする心理的負担の天秤の問題になりつつある。
現在のままでは結果的に更地にするほうがストレスが少ないと判断しかねない、そう判断しても誰に善悪を問われることになるのか?ならば貴国は「アラーアクバル」と対話できるのかという点においてすべての国家は不可能であるというのが定説になっているからだ。
ここでは歴史的経緯というものを省く、なぜなら歴史的経緯はイスラエル人やパレスチナ人を直接殺したり財産を奪うことはないから。
ガザ地区のハマスなどがロケット弾でイスラエルを繰り返し攻撃するようになっている
アイアンドームと呼ばれる迎撃システムは良く知られているが、よく言われる迎撃率99%とは落下地点を逆算し「迎撃すべき」と判断したロケット弾の迎撃率のことで、大半はイスラエル領内に落ちる。
また費用面で不均衡が起きており、ハマスのロケット砲は1発500ドル~1000ドルに対し、イスラエルの迎撃ミサイルは1発9万ドルもかかる、いくらイスラエルが豊かといえど、ハマスのロケット砲を無期限、無制限に迎撃し続けるのは現実的ではないし、心理的圧迫は相当大きい。
イスラエルの産業はもはや世界でも有数の革新的なハイテク産業を確立おり。ITや先端製造業において世界をけん引しているといっても過言ではない。例えば、イスラエルとの関係を断てばカプセル内視鏡は手に入らない
一方ガザ地区の主な収入源は人道支援である。ガザ地区における失業率は50%にも達し、ほとんどの人間は何もしていない。
何もしていないパレスチナ人が何もしていないゆえに、人道支援なる国際社会の温情によって最低限の生活を保障され、結果人口は当初の80万人から200万にも膨れ上がり、断続的にロケット弾を発射しているのが今までの現状である。イスラエルは水をほとんど国際的義務感によって支給している。ロケットを撃たれて水を供給する国はイスラエルしかない。(ただし、元はパレスチナの水資源であることは留意しなければならない。)
現状がそんな状況でロケット砲を浴び、空爆し返すという賽の河原のような状況を仕方なく受け入れていたイスラエルだが。今回ハマスは壁をこえてイスラエル人を無差別殺し、その殺戮の最中の動画をSNSにあげ、イスラエル人を拉致した。このの件で、正しく、パレスチナ側がルビコン川を渡ったというべきだろう。
今回の件でハマスには戦略的に達成したい目標だとか、国際的に訴えたい事由だとかそういったものは存在しなかった。「このあとガザの人々がどうなろうと、ただただとにかく今日はイスラエル人を1人でも多く殺したい」それはガザというものを正しく認識する以前に、この地域を隣に置くことを国として許しうるのかどうか、イスラエル人自身に問いかけるような悪意の噴出である。
特にSNSから動画を拡散する所業はイスラエル人にそして、世界に甚大な衝撃を与えた。我々も世界も何度も聞いたあの「アラーアクバル」である。ここ四半世紀の間に我々は「アラーアクバル」とは根本的に対話することはできないという認識を強固に持つに至ったといっていい。
こうなった以上、ガザをこのままにしておく、「アラーアクバルも許す」という選択肢はイスラエルには存在しない。
更に言えばガザは存在する限りにおいてこれからは「アラーアクバルは許されない」といったような認識をもつ主体を想定することが難しいというのも拍車をかける。ハマスのトップはカタールで暮らしていることは有名である。
ガザにもハマスに否定的なパレスチナ人もいる。しかし、そうであってすら「アラーアクバル」を否定することができるのかという点では難しいのではないか?という疑問をぬぐうことができない。
ことここにおいて、ガザをそのままにしておく心理的負担と、更地にする心理的負担の天秤の問題になりつつある。
現在のままでは結果的に更地にするほうがストレスが少ないと判断しかねない、そう判断しても誰に善悪を問われることになるのか?ならば貴国は「アラーアクバル」と対話できるのかという点においてすべての国家は不可能であるというのが定説になっているからだ。
ここでは歴史的経緯というものを省く、なぜなら歴史的経緯はイスラエル人やパレスチナ人を直接殺したり財産を奪うことはないから。
ガザ地区のハマスなどがロケット弾でイスラエルを繰り返し攻撃するようになっている
アイアンドームと呼ばれる迎撃システムは良く知られているが、よく言われる迎撃率99%とは落下地点を逆算し「迎撃すべき」と判断したロケット弾の迎撃率のことで、大半はイスラエル領内に落ちる。
また費用面で不均衡が起きており、ハマスのロケット砲は1発500ドル~1000ドルに対し、イスラエルの迎撃ミサイルは1発9万ドルもかかる、いくらイスラエルが豊かといえど、ハマスのロケット砲を無期限、無制限に迎撃し続けるのは現実的ではないし、心理的圧迫は相当大きい。
イスラエルの産業はもはや世界でも有数の革新的なハイテク産業を確立おり。ITや先端製造業において世界をけん引しているといっても過言ではない。例えば、イスラエルとの関係を断てばカプセル内視鏡は手に入らない
一方ガザ地区の主な収入源は人道支援である。ガザ地区における失業率は50%にも達し、ほとんどの人間は何もしていない。
何もしていないパレスチナ人が何もしていないゆえに、人道支援なる国際社会の温情によって最低限の生活を保障され、結果人口は当初の80万人から200万にも膨れ上がり、断続的にロケット弾を発射しているのが今までの現状である。イスラエルは水をほとんど国際的義務感によって支給している。ロケットを撃たれて水を供給する国はイスラエルしかない。(ただし、元はパレスチナの水資源であることは留意しなければならない。)
現状がそんな状況でロケット砲を浴び、空爆し返すという賽の河原のような状況を仕方なく受け入れていたイスラエルだが。今回ハマスは壁をこえてイスラエル人を無差別殺し、その殺戮の最中の動画をSNSにあげ、イスラエル人を拉致した。このの件で、正しく、パレスチナ側がルビコン川を渡ったというべきだろう。
今回の件でハマスには戦略的に達成したい目標だとか、国際的に訴えたい事由だとかそういったものは存在しなかった。「このあとガザの人々がどうなろうと、ただただとにかく今日はイスラエル人を1人でも多く殺したい」それはガザというものを正しく認識する以前に、この地域を隣に置くことを国として許しうるのかどうか、イスラエル人自身に問いかけるような悪意の噴出である。
特にSNSから動画を拡散する所業はイスラエル人にそして、世界に甚大な衝撃を与えた。我々も世界も何度も聞いたあの「アラーアクバル」である。ここ四半世紀の間に我々は「アラーアクバル」とは根本的に対話することはできないという認識を強固に持つに至ったといっていい。
こうなった以上、ガザをこのままにしておく、「アラーアクバルも許す」という選択肢はイスラエルには存在しない。
更に言えばガザは存在する限りにおいてこれからは「アラーアクバルは許されない」といったような認識をもつ主体を想定することが難しいというのも拍車をかける。ハマスのトップはカタールで暮らしていることは有名である。
ガザにもハマスに否定的なパレスチナ人もいる。しかし、そうであってすら「アラーアクバル」を否定することができるのかという点では難しいのではないか?という疑問をぬぐうことができない。
ことここにおいて、ガザをそのままにしておく心理的負担と、更地にする心理的負担の天秤の問題になりつつある。
現在のままでは結果的に更地にするほうがストレスが少ないと判断しかねない、そう判断しても誰に善悪を問われることになるのか?ならば貴国は「アラーアクバル」と対話できるのかという点においてすべての国家は不可能であるというのが定説になっているからだ。
思春期のガキ共が良く分からん能力で異空間に飛ばされて阿鼻叫喚なアニメ「Sonny boy」のラストが弱者男性オチのWeakly boyでクソ過ぎるから見ろ
11話もかけて馬鹿ほど時間と手間かけて苦労して現実世界に帰った結末がネグレクト+周囲はこちらを見下して嫌味言ってくるクソ共+低賃金重労働ブラックバイトでパワハラされて半額弁当食うクソみたいな生活+ヒロイン寝取られとかいう地獄で誰も得しないオチだから凄い
最後の最後で主人公がいやまだまだ人生これからだぜ!みたいな事いうがほざけよクソガキが
そもそもまさに俺たちが生きてるこの現実世界が人生これからだ!つって結局は何にもならなかった弱者男性まみれでその結果として国レベルの衰退起こしてるのがこの大日本帝国だろうが
こんな現実がある状況でラストのラスト、クソ地獄な描写連発された後になーにがまだまだ人生これからだぜ!だよ喧嘩売ってんのか?もはや「現実」は気の持ちようでなんとかなる世界じゃねぇんだよボケが
厳しい現実世界と異空間を主題にした作品にも関わらず、現実世界とそこで生きる弱者男性に対するこの冷やかしみたいな浅い描写には反吐が出るわ
このクソガキは自分の未来は自分で決める!だからどんな結末になっても受け入れる!みたいな事も言うんだが、結局これただのしょうもない自己責任論じゃねぇかふざけんな、思考がもう樹海首吊りコースのダメなパターンそのものなんだよ
これらのセリフはなんの気休めにもなってねぇしなんの希望も光もねぇよ、何を伝えたいメッセージなのか知らねぇがマジで限りなく薄っぺらすぎんだろオブラートか?
11話かけてやってきた人間ドラマも描写も全部意味を成してねぇだろこれじゃ
結末がウンコ過ぎて存在価値が消え失せてんだよ1話から11話までの物語の全てが
終わり良ければ全て良しなんていうがこれは終わりクソなら全てクソって事でもあるんだわ
話がつまらないとか演出が意味不明とかそういうのじゃない、単純に物語がクソだ馬鹿野郎
意味有りげに出てきたキャラクターが特に何もせずフェードアウトするとか
後半はBGMの代わりに歌流して会話シーン無くして省エネする場面が増えるとか
そんなもんはこのクソなオチに比べりゃ些事も些事だわ
厳しい現実の描写入れ込んで何か語った気になってやがるのは意識たかいたかーい系のゴミ作品共が軒並み患ってる病気みたいなもんだが
このゴミはそいつをラストにまでしつこくぶっ込んで来た挙げ句ズレた終わりにしてて余計に質がわりぃ
現実厳しいです→異空間行きました→現実に帰る為に努力して現実帰りました→現実厳しいです
なんだこれ?海から塩取ってそれでスープ作って最後に大量の海水入れたみたいな話だな?セルフ賽の河原か?