はてなキーワード: なる子とは
「いとこ婚の資産還流」自体初耳です。検索しても1件も出てこないし、「いとこ婚 相続」でも、それらしい話は出てこないです。そもそも「資産還流」って「相続資産を温存する」って意味では使わない言葉のような気がしますけど。「還流」は「どこかに行ったものが戻ってくる」って意味で、「資産還流」は地域とか国家単位での資産の移動を指す言葉でしょ。
相続の場合、そもそも故人の資産が一度国税に入った後で戻ってきたりはしてない。資産目録を作って、相続税を計算して、それを納付するわけで、「還流」って言い回しはおかしいですよね。
「いとこと結婚すると、その相手は相続税を節税できる」ということと「他人と結婚すると、その相手は相続税を節税できる」ということにどういう違いがあるんでしょうか。そこに愛があるかどうか、なんてのはどっちにも言えることですし、他人と結婚した場合だって、その「他人」は故人の係累、資産家一族の一員になるわけですから、「資産家一族は資産家一族のままに庶民一族は庶民のままにと固定化が発生してしまう」というのも、別にいとこ婚に限ったことでもないでしょう。
日本の相続制度は、横方向(同世代)の配偶者は配偶者控除で比較的厚遇されるけど、それ以外の相手(典型的には次の世代となる子や孫)への承継ではしっかり取られる仕組みです。いとこ婚で同世代の資産リレーはできても(といっても1.6億以上は普通に課税されますけど)、2人の間に次世代の子がいなければ、その財産は結局いとこの死亡時に国庫に入るのでは?
人口の崖を転げ落ち始めてから慌てて子供の数を増やそうとするバカさ加減にも呆れるけど、
「取りあえず頭数さえそろえれば質は問わない」みたいなバカまで出てきてて憤りや呆れを通り越して笑えてくる。
目先の数字しか見えて無くて先のことなんか考えてもいないようなバカはさすがにいないだろうから、
子供を望んで産み育ててる家庭にとっても負担となる子育てを、強制されて子供を持った家庭でまともに行えると本気で思ってんだろうか?
子供が減ってる今でさえ育児環境の不備(主に人材不足)が指摘されてるのに、その整備も終わらないうちに子供だけ先に増やす議論やるとか、ホントにバカなんじゃないだろうか。
国を憂いてるフリした無駄な罵り合いする暇があるなら今不足してる育児環境の整備を優先して「子供が足らなくて困る」ぐらいの環境を先に整えろよ、ボケ共。
妻「友達ちゃんのとこ赤ちゃん産まれてさ、すごい可愛いの!うちらもそろそろ子供欲しいな〜」
夫「そうだね!うちもそろそろ考えようか!」
妻「うん!」
その思い付き、迷惑です。衝動子作りしていませんか?安易に出産していませんか?
お二人の経済力はもちろんのこと学歴、学生時代の立ち位置、身長、目の大きさや顎の骨格などの容姿、運動・身体能力などを今一度しっかりご確認ください(遺伝的な要素は出来ればお二人それぞれのご両親まで確認して欲しいところ)。この国では学歴主義や経済格差、ルッキズムや高身長主義など客観的ステータスの重要性は日増しに高まっています。特に性的資本が基本的にない男性の場合、ビジネスでも恋愛でも最早客観的ステータスのみによって評価されるようになっています。愛情や性格など生きるうえで何も役に立たなくなっているのです。そんな現代日本において、貴方たちには子供を産む資格がありますか?今一度よくお考えください。
今日電車で妊婦さんに席を譲ったんだが、妊婦さんとその旦那さんの服装や持ち物(経済力)、話し方の雰囲気、容姿から子供の未来を自分に重ねてしまって悲しくなってしまった。自分達は運良く余り物同士でくっ付くことができたかもしれないが、子供がそうなるとは限らない。特に男なら悲惨さは言うまでもない。未来の日本人に残されてる経済的パイはほとんどない。なんとか寿命や病気で死ぬまでに経済面で持ち堪えられれば御の字。恋愛に関しても女子高生や女子大生、パパ活女子のSNSを見れば一目瞭然だが、これから先に求められるのは180以上の高身長でセンターパートが似合って肌が綺麗で横顔が外国人並みに綺麗なモデルみたいなインスタ映えする男のみ。インスタに載せて映えない男は比較対象どころか存在すらしなくなる。ただ、そうは言っても流産しない限りあのお腹の子供がこの世界に産み落とされることはもう確定してしまっているのでせめて中島みゆきの「ファイト!」を贈りたい。
ファイト!に関して俺を「闘うものを笑う闘わないやつ」認定してる文盲さんが何人かいるけど、俺は生きづらいこの世の中でしっかり闘ってるつもりだったんだけどな。それにこれから生き辛い世の中を生きることになる子供たちには本当に頑張って欲しいと思ってるし。
あと勝手に俺を反出生主義者認定してシンパシー感じてる人もいるけど、反出生主義者じゃないよ。ジャレッド・クシュナーとイヴァンカみたいな夫婦が子供産むことに何も文句言わないし、大谷翔平×池江璃花子とかでも素直におめでとうって言える。
https://aquatofana.hatenablog.com/entry/20220506/1651807642
中略
やはりもくそも刑法上の罪になるかどうかだけで緊急避難も中絶もどちらも殺人であることにはかわらないのに何を言ってるのだろう?
他の箇所も全体的に数字を都合よく解釈してるが、この人の根底にある
生まれてきて不幸せになる子供を善意で生まれる前に殺してあげてる → その判断ができる我々は合理的、理性的、先進的かつ善良なる人間
と思ってそうなの最高にヤバい。
人権ってのは不幸せになりそうだから生まれこない方が良い、などと他人に決められない権利だろうが
不幸せな人たちに安楽死の権利でもくれてやって中絶は禁止にしたほうがバランス取れるわ
流石にだめだ、こいつらと同じ系統だと思われるのは人として無理
入院付き添い親の人権に関するnoteが上がっていたので、個人的に思ったことを書いておく。
地方の状況は詳しく知らないが、例えば東京であれば、付き添わなくてもOKとしている病院も多い。
付き添い必須の病院がいまだにあるのは知っているので、それは国の援助や働きかけで改善されていくとよいなと思う。
②任意の付き添いだからといっても、付き添いしないわけにはいかない
看護師さんは忙しいので、必要な処置以外は構っていられないことがほとんど。
子どもが泣き叫ぶ声が聞こえても、心拍数や呼吸に問題が生じなければ、駆けつける必要性はない。
付き添い親がいない子どもにとっては基本的にひとり孤独に過ごさなければならず、過酷な現場であり、彼らにはほとんど人権がないと思える。
子どもが適切な医療を受けられているかどうか、見守り、子どもの代弁者になる存在が欠如してしまうのも、問題の一つだと思う。
親としては病気と闘う子どもを少しでも独りきりにするのは心苦しく、責任感から結局、休みなく付き添いを選ぶ人が多い。
唐突に症状が厳しくなり亡くなる子どもも勿論いるので、そういう子どもはまともに親と過ごす最期の時間すら与えられず、根こそぎ人権がなかったろうと思う。
今は多少緩和されて、付き添い自体は可能だけど、夫婦で付き添いを交代できなかったりと、夫婦どちらかに過剰な負担がかかる仕組みになっていたりする。(付き添わないなら会えない、とか、面会できてもすごく短い時間、とかそのほかも厳しい条件になっている。)
④声が広がらない訳
先天性疾患だったり子どもの病気に対して、親には罪悪感があり、自分達の環境改善に向けた声を上げづらい。
④その他
自分の子が入っている病院は、平日病棟に2人保育士さんがいて多少(ひとりあたり30分程度)遊んでくれたりするので、その間に食事したり、トイレ行ったりする。
受験勉強が終わって、開放されている子たちをミステリ沼に沈めたいですよね、私も貴方も、悪い大人なので。
3.容疑者Xの献身
4.屍人荘の殺人
5.十角館の殺人
6.殺戮にいたる病
9.葉桜の季節に君を想うということ
この10冊を読んでおけば、それなりにミステリ好きの人と話せるはず。
自分の読書体験ベースで組んだけれども、多分今ならもっと良いミステリとか順番があると思うので、ご意見お待ちしております。
順次入れ替えていきたい。
社会経験がないために事例は知らないのでそんな人間でも容易にカンニングできる抽象的な格言じみた発言をしてそれっぽいことを言った気になる子供
の差
たとえば
では「カルティエ」という固有名詞が文全体にも調和した感じで無理なく使われている。
多くの人はこの時点でこの書き手のプロファイリングについて「中学生」という可能性を排除する。
カルティエと検索すればその詳細はわかるが、逆になんかそれっぽい増せたことを言おうとして「宝石ブランド」とか検索してもカルティエという単語にはなかなかたどり着かない。
こうした固有名詞は実際にそのブランドを店頭等で見かけて買ったような人こそが自然に使いこなせるというわけだ。それで経験豊かな大人に限られてしまう。
中学生の暗黒とか邪気眼とかナチスとかKGBって、まあ前二者は漠然としてるし後者を使うのには気取りたい目的が透けてみえてしかも誰でも知ってる言葉だから知識自慢にもならずガキっぽく映る。
「ゲームでしか運転しないペーパードライバーが久々に運転したら、(本物なのに)めっちゃリアルなドライブゲームに思えてやばかった。ぶつかっても平気そうに見えた」
んな訳ないやろ、加速に伴うGや、実車のハンドル操作をゲームに思えるって空想がひどすぎるで。(ハンコン使っててもゲームと本物の差はあきらか)
「自分は免許持ってるけどほとんど運転してないもんで、もう怖くて……。今の車ってサイドブレーキがサイドのレバーじゃないらしいじゃん。」
サイドブレーキが運転に影響するのって最初の発車時のみだよね?レバーじゃないから恐怖を感じるのはどの部分?
「この前乗ったレンタカーのサイドブレーキが運転席の左前あたりにあるスイッチ型で、全然気付かず聞きに行くハメになった。手で引くのも足で踏むのもあるし、車種ごとにコロコロ変えんなよとは思う」
何で全車種共通の操作方法である必要あるねんな、説明書を読め。ジョイスティック操作の車が欲しい。
「恐山のユーロトラックシミュレータープレイ動画は本当に名作なのでぜひYouTube見てくれよな」、「恐山さんのトラック運転ゲームまじで面白いので見てほしい。」
その通り!
「俺は昔、休日はドライブをしていた→座ってばかりで身体に悪そうだから自転車に乗るようになった→青信号を渡っていたら右折車に跳ねられ怪我で半年間仕事できず無収入→自転車は復帰できたが自動車は無理。の流れ」
言ってる意味分からんし、自動車運転は冤罪やんけ。運転すると人を跳ねそうで怖いという話やで。
「「政治・宗教・野球の話はしてはいけない」に自動車も付け加えたほうが良いね」
「生活必需品だから苦手とか関係無いのに練習するわけでもなく嫌~とか苦手~とか文句ばかりいっちょ前に言ってるのが風当たりの強い理由じゃないでしょうか。」
練習しろっていうと、苦手・怖い・無理の言い訳オンパレード。運転上手い人も練習したんやんな。
「咄嗟にアクセルとブレーキ踏み間違えそうなので、万年ペーパードライバー。」
「車含め機械の操縦は得意なんだけど集中力を維持できなくて事故るの間違いなしなので運転はしないことにしてる」
それは「機械の操縦は得意」とは言わん、自動車運転と機械の操縦は天と地ほどの差がある。
「記事見てもコメ読んでも、じゃ乗らなきゃいいじゃんとしか思えん。結局慣れ。自動運転完成なんてのも高速ならともかく、情報量の多い下道をセンサーカメラ半導体で処理して進めるのは死人の山築いて百年先の話だろう」
乗らなきゃいいじゃんについてはその通り、慣れというか習熟するための練習が免許取得時に終わってるという認識がダメ。
こういう運転怖いとほざく奴らが、自動運転の普及を阻害することに問題があるのですがね。死体の山築いていいならすぐに普及するだろ、事故どころかシステム停止も許さんとなっているから百年先の話になる。
「少なくとも6割以上の男性は難なく、普通レベルに運転できているように見えるので、俺にだってできな訳がない!と思って練習した。今では運転を褒められることもあるが、どこかに苦手意識は残ったままである。」
偉い、それでいい。苦手意識残したまま普通レベルに運転できていればそりゃ褒められるよ。
「「バック中は左右が逆になる」左右盲だと思って生きてきたけどこれはないな。ハンドルを回すとタイヤが回した方に向いて、それに対して物体は内側にまわるイメージがある...何言ってるかわからんが。」
左右盲は左右不覚ではなく、左右がとっさにどちらか分からないこと。どちらかに曲がるのを理解することと左右は関係ないで。
「バック中は左右が逆になる」は、むしろ日ごろから左右を認識できているから混乱するものだと思うぞ。左右盲は自分からみて右だの左だの認識しとらんから混乱しない。
「左右盲でしょっちゅう右折と左折をミスるため、いつかアクセルとブレーキも間違ってしまうのではという恐怖から極力運転したくないけど、地方の郊外住まいはないと暮らせない…」
てめぇはアクセルは右、ブレーキは左と頭で考えてから踏んでるのか?右か左か分からなくなることと、方向が分からなくなることは違うぞ。
踏んでるペダルの感覚を認識していないなら感覚掴むまで練習するか、運転しないで生きよう。
「交通秩序は「みんながルール通りにふるまうはず」っていう暗黙の信頼関係で成立してるので、そこに寄りかかれない人は怖くて運転できないと思う。逆に言うとルールさえ守ってればほとんどの事故は起こらない」
練習してそのへんの信頼関係を感じ取るんやけど、練習せん上に「相手がルールを破ったら」という最悪のパターンのみ考えて運転するから、かえって周りに迷惑かけるんよね。
「自動運転な上にとってもカワイイスマートモービルこと馬、都市部でも小回りの利く人力車」
馬が自動運転なわけないでしょ、目的地設定できて寝ててもたどり着くのか?燃費(餌代、飼育費)もそれほど安くない。
「仕事で徹夜明けに運転して事故るのを二回やって人を殺すの時間の問題だなとなったので仕事と一緒に運転も止めた。」
うん、お前みたいなやつは運転しなくともよい。公共交通機関とタクシー使え。
「“苦手派としては足での操作が常識となってるってのが怖すぎる”実際、手だけで操作できるゴーカートとかは開発されてるのよね。乗ったことあるけど問題なく運転できた。今後は増えるかも」
ワシは手だけで運転したいけど、足の操作が苦手と言ってるやつは手だけで安全運転できるわけないと思っとる、手でやることが今より増えるのに対応できるわけがない。
「はやく自動運転が導入されてほしい」
「車幅感覚とバックは激しく同意。車幅は自分の車を保有すればわかってくるらしいが。バックは、まずは微小に動かして自分のイメージとのズレを修正してるが、毎回ビビってる。」
それでええで、車幅もバックも感覚をつかむまで練習やで。イメージとのズレを修正できているなら大したもんやで。
「私と同じだな。殺人マシーンになる自覚があったから卒検以来自動車は運転してない。(原付は乗ってた) “免許をとって練習をするも50分くらいで運転センスのなさを確信。「俺は車は運転しない!」と心に決めた”」
センスなんかいらんねん、ともかく練習あるのみ。50分なんて練習の内に入らんお遊びやで。
「車の運転に慣れるということは、紅の豚の飛行艇乗りみたいに無意識のうちに前後左右に注意を払い続けるようになるということ。」
そう、練習によってリソースの割り振りを制御できるようになるねん。注意してなくても前後左右の事象に反応できるようにな。
「バック逆転のやつ、言わんとしてることはわかる。進行方向でない車輪が曲がるってのに感覚が付いていけないんだろう。Rに入れたらハンドル切った方向に後輪が曲がる仕様だったら言われてる通りになると思う。」
ハンドルでタイヤを曲げてるって認識がないからそないなことになるんやで。フォークリフト運転したらええやん(だいたいが後輪で曲がる)。
「車のインターフェイスにデファクトスタンダードを求めながら不文律を否定するのはずるくない?/なんか「考えすぎて算数を苦手になる子供の話」系に近い印象があった」
単なる練習嫌いの言い訳やで、ダブスタになるのもムベなるかな。
「慣れですよ、慣れ。最初は誰でも下手で積極的に運転したくないと思うけど、それを越えて運転してると運転が楽しくなる。目的地なんてなくても、純粋に好きな車を運転すること自体が楽しい。」
慣れるために練習(運転)する必要があるのだが、奴らはとかく運転をしない。
「車の運転って体の色んなセンサー使いまくってやっと出来る事なので、上手いとか下手とか簡単に語れる事では無いよね。自分はめちゃ方向音痴なのでペーパーになったわ。」
そうだね、体中のセンサーを何の気なしに使えるようになるよね。(ゲームの時とは違うはず)左右盲ではなく方向音痴と記載するところは正しい認識ですね。
「原宿さんのコメントが私と同じ過ぎて泣ける。特にこれな。 “前から突っ込んでも、前から出ることができる駐車場の開発が待たれる。”」
「「運転苦手」だから丁寧になると思ってる。「運転好き」が上手いとは限らない。」
そだねー。
誰かをいじめたり、いじめられたり、いじめを見かけたりしたことは誰しも人生で1度は見たことがあると思う。
いじめは良くない、それは周知の事実だ。しかし昨今の「いじめは犯罪。学校ではなく警察や弁護士に」という風潮はイマイチ実感が湧かない。
ニュースなどで見かける「ヤバイいじめ(=犯罪)」はいじめのうちの一握りで、たいていは「無視・仲間外れ」「悪口や陰口」「過度なイジリ」だと個人的には思っている。
でも「クラスメイトに無視されています」では警察の介入は難しい。学校や家庭が解決に導くために大人が真剣に向き合ってあげないといけないのだけれど、これがすごく難しい。子どもがSOSをあげられなかったり、親や先生が気付いてあげられなかったり、気付いても放置してしまったり……。
「あの子は仲間外れにしよう」と「おごってくれるなら、一緒に遊んであげる」と「毎月○万円ちょうだいね」と「お金用意できなかったなら殴るね」は紙一重だ。
いじめの初期(仲間外れなど)の段階で心を閉ざしてしまい学校に行けなくなる子どももいる。最後の最後まで我慢して、命を落としてしまう子どももいる。