はてなキーワード: 人倫とは
https://anond.hatelabo.jp/20241001083551
という増田記事を見た。これに対して「もうしてるよ何言ってんだお前」みたいな反応が散見されたが、私としては「よくぞ言ってくれた」である。ちょっと書かせてね。
イスラエルに対してすでに世界中で不買運動(ボイコット)が起きているのだが、その前にBDSと南アフリカのアパルトヘイトについて少しだけ触れさせてくれ。ご存じ南アフリカのアパルトヘイトは人種隔離政策と呼ばれ、法律で白人とそれ以外(主に黒人)を差別していた。当時のアパルトヘイト政策と南アフリカは世界中から非難され国連でも非難決議が出るのだが、一向に終わる気配がない。その原因の1つは、一部の大国がアパルトヘイトを支持していたからだ。たとえば、アメリカ、イギリス、イスラエルなどは非難決議に最後の最後まで反対して南アフリカの後ろ盾となった。そう、今のイスラエルと状況がそっくりでしょ?つい先日もパレスチナ国が国連総会でイスラエルの占領撤退を1年以内に求める国連総会の決議案を出した。賛成多数で可決されたが、反対は14か国(アメリカ、イスラエル、東欧2国、南米2国、南太平洋8国)だった。
南アフリカのアパルトヘイトも一部の大国がバックについて守っていたが、最終的にこれを終わらせたのがネルソン・マンデラ元大統領。そして、彼らの活動をしっかりと後方支援していたのが世界中で行われたBDS運動なのだ。BDSの内訳は、B=ボイコット(不買)、D=ダイベストメント(投資の引き上げ)、S=サンクション(制裁)となっている。このうち最初のBのボイコットが不買運動で、特に個人が日常の中で貢献しやすい抗議運動である。
ようやく本題である、イスラエルに対する不買運動・ボイコットなわけだが、大事なポイントを書きたい。まず「不買運動はゼロか100かで考えてはいけない」ということ。イスラエル擁護派や冷笑系が「じゃあインテルCPUは使うなよ、じゃあグーグルは使うなよ、お前それできんの?ボイコットなんて無理だろ」と絡んでくるのだが、まったくの的外れ。
個人だけのレベルで言えば「不買できるものを不買する」だけでいい。当たり前でしょ。まずはイスラエル企業をボイコットする。はてブでも出ているソーダストリームは使わずに別企業の似たようなものを選ぶ。また、イスラエルから輸入した農産品を避ける。たとえば、柑橘系のフルーツ、トマト加工品、デーツはイスラエル産が多い。まったく買わないのではなく、イスラエル産レモンを使ったポッカレモンを買う代わりに、別の液体レモンを買う(スーパーには数種類ある)。缶入りのレモンサワーはシチリア産と書いてあるものやサッポロ製品を選ぶ。デーツを買うときにはパッケージの裏の原産地をみてモロッコとかなら買う、とか。うっすらとイスラエルってやばいんだな、って思う人はこのくらいのレベルで不買をしたらよいと思う。
イスラエルとその行動が世界秩序にとって悪影響だと思う人や、もう少し積極的に不買をしたいという人はレベル2。ここでは、イスラエル、その占領、入植を積極的に支援している企業を不買する。最近の例だと、イスラエルの違法入植地にあるサッカーチームのスポンサーを務めていたプーマに対する不買運動が起こり、プーマは(契約が切れるタイミングで)スポンサーを降りた。伊藤忠商事の子会社は熱心な抗議活動を受け続けイスラエルの軍事企業との提携をやめた。詳しく書かないが、ほかにもスターバックス、マクドナルド、ディズニーなど多くの企業がイスラエルや入植を支援しているとされる。こうした企業はBDSの影響で世界中で売上を落としている。アパルトヘイトのときと同様に、BDSが効果を上げている。でも、スタバがどうしても好きならスタバに行けばいいし、やめられないものはやめなくていい。せめて、有名な企業の中にはイスラエルを支援するところがあるというのは知ってほしい。不買は「避けられるものは避けていく」というスタンスでオッケー。
SNSやリアルでBDSについて話し、広めていくのも立派な不買運動。不買は個人でできる経済制裁、黙ってできる経済制裁が良いところでもあるが、周囲に広めて1人が3人に、3人が5人に、そして10人に広がればその効果はとても大きくなる。あと無料でできる運動っていうのもいいよね。
必ず聞くのが「不買は意味ない」という意見。そう思う人は不買をしなければいいし、(仮に感じていたらだけど)別に罪悪感も感じる必要もない。イスラエルへのBDSによって今すぐにパレスチナが自由になるはずはない。10年後に自由になる保証だってない。しかし、BDS運動が南アフリカ本国の運動を後方支援し、アパルトヘイト撤廃の大きな要因になったという歴史的事実があることは否定してくれるな。アパルトヘイト撤廃もとてつもなく長い時間がかかった。繰り返すが意味ないと思う人はやらなければいいだけ。他人の自由を侵害しているわけでもないボイコッターたちを腐すのはやめてくれ。個人は無力ではない。ただ、微力すぎるのでゼロに見えるだけだ。ゼロをゼロのまま放置しておけば、いつまでたってもゼロのままだ。
ちょっと話が前後するのだが、個人がバラバラに不買運動をしているだけだと効果が限定的になる。多くの人がまとまって、特定の企業や製品を大々的にボイコットすることで企業の姿勢や方針を変えさせることができる(上記のプーマや伊藤忠の例を参照)。BDS運動の情報を見て、特に対象となっているものをボイコットし、周囲に呼びかけ、活動に参加していくとよい(BDS Japanで調べれば出てくる)。あと、グーグル、アマゾン、インテルをまったく使わないという選択は難しいが、これらの企業に声を届けて圧力を掛けることはできる。
また、企業や大学がイスラエルと提携することにノーを突きつけて変えさせることもできる。那覇市や名古屋市がイスラエルと提携することに抗議し、自治体議員や首長に要望を出していくことができる。該当自治体の住民であれば特に熱心に動くとよい。とても効果があるぞ。日本の大学がイスラエルの大学と連携協定を結ぶのをやめさせる、破棄させる、更新させない、などの声を上げていく。たとえばヘブライ大学ではシオニズムに大きく貢献している。学問領域だからといってBDSから外すべきではない。
アパルトヘイト撤廃の時もそうだったし、そして効果的だったのが、経済だけでなく文化やスポーツの面でもイスラエルをボイコットすること。文化イベントに呼ばない、スポーツイベントに呼ばないというものがある。文化やスポーツは関係ないと思う人もいるだろうし、ある面では正しい。ちなみに、イスラエルはパレスチナのプロサッカー選手やサッカー関係者を意図的に狙って足を撃ち抜きまくり、選手を次々とスポーツができない身体にしてきた。あまりにも被害が多いので、パレスチナ国内だけで手足が欠損した人だけが参加するプロのサッカーリーグができてしまったという、漫画でもあり得ない展開になった。不屈の人々であるが、これを美談やトリビアで終わらせてはいけない。そして、ユダヤ系イスラエル国民のほとんどがこうした行為や占領と入植を当然視しているという現状で「スポーツは別だ」という甘い考えは甘い、甘すぎる。たとえば一部の独裁者が悪行を働いていて、虐げられている国民のサッカーチームをボイコットするのとはわけが違うのだ。
リアルな抗議運動に参加しよう。自分の身近なもの、興味関心のあるもの、影響力が大きくシリアスなもの(たとえば軍需産業とか)、気になる運動に気軽に参加しよう。そして自分で主体的に組織していこう。自分の特技を生かして参加していくのがお勧め。だいたいどんな特技でも生かせる。特技がないと思っている人も参加するだけでとても意義がある。
南アフリカのアパルトヘイトは実際に変わった。大国がお情けをかけて改心したからではない。ひどい犠牲を払い続けて不屈の人々が抗議をやめなかったからだ。そしてその後方支援として、世界中でBDS運動が広まったからだ。もうすぐ1年になるガザのジェノサイドも、もうすぐ80年になる民族浄化も、変わるし、変えられる。ガザでは今も市民が頭を撃ち抜かれ、家族を爆撃で文字通り"蒸発"させられ、町を破壊し尽くされている。西岸地区でも侵略とパレスチナ人の追放が加速している。遠く離れた日本にいる人が、いやシオニズム支持者が少ない日本だからこそ、皆が「なんとなく買わない」を始めるだけで大きな意味と効果がある。
私はこの分野の専門家ではありません。毎日うっすらとBDS運動に参加している通りすがりのおじさんの個人的な意見で、レベル分けとか思いつくままに書いた所存です。ちなみに増田のBDSレベルは3.2くらいです。忙しいので当面はここからレベルを上げる予定はありません。
間違いや補足や蛇足は増田のツリーやはてブでどんどん書いてください。
1)元増田のブコメを見ていると、冒頭で書いた「不買運動はゼロか100かで考えてはいけない」にそっくり当てはまる人ばかりがワラワラ湧いていて笑笑する。避けられないものや買いたいものは買ってええんやで。
2)id:blueboy 氏がユダヤ系企業をすべて不買にしろと書いているが、これは危険な差別思想。たぶん知ってて書いているはず。ユダヤ人が創業した企業やユダヤ人が要職に就いている企業は、何にも罪がない。何にも悪いことをしていない。ユダヤ人であることを理由に不利益をもたらそうとするのは純粋な差別。BDSの不買は、イスラエルのシオニズム、すなわち国際法違反の侵略と占領と入植に加担している、国際法違反に加担している、人倫人権道徳を無視し続けている、犯罪幇助の企業に経済的なダメージを与えようという運動。これをユダヤ人差別に矮小化するのは、逆にシオニストによる「これは反ユダヤ主義だ」というお決まりの反論を可能にしてしまうので注意。
3)id:catsnail id:lex010 id:hobbiel55 「BDS 日本」でぐぐると出てくる。世界的な不買リストは日本に関係ないものが多いので、日本版のリストを見た方がいい。
『魏志』倭人伝によると、邪馬台国の女王・卑弥呼が亡くなった際に100人以上の奴婢をいっしょに葬ったとされる。
卑弥呼以て死す。大いに冢〈ちょう〉を作る。径百余歩。徇葬〈じゅんそう〉する者、奴婢百余人
https://museum.bunmori.tokushima.jp/museum_documents/museumnews/mnews014/014_2-3_cc.html
飛鳥時代においては中国を範とした律令国家が形成され、その中で奴婢制度が定められた。(大宝律令 701年)
これは延喜格(907年)まで続いた。
https://dlisv03.media.osaka-cu.ac.jp/contents/osakacu/kiyo/111E0000017-14-3.pdf
公的な身分としての奴婢制度は廃止されても、飢饉や借金を苦にした人減らしのための人売りは長く横行した。
鎌倉時代の『吾妻鏡』延応元(1239)では、人身売買の禁止の原則と、飢饉におけるその緩和特例が見られる。
A 寛喜三年餓死のころ、飢人として出来の輩は、養育の功労につきて、主人御計らいたるべきの由、定め置かれおわんぬ。
B およそ人倫売買の事、禁制ことに重し。
D しかるにその時減直の法につきて、糺し返さるべきの旨、沙汰出来の条、はなはだその謂れなきか。
E ただし両方和与せしめ、当時の直法を以て糺し返すに至っては、沙汰の限りにあらざるか。
延応元年四月十七日 平
散位(太田康連)
前山城守
沙弥(二階堂行盛)
https://wallerstein.hatenadiary.org/entry/20081121/1227250694
人買船は沖を漕ぐ、とても売らるる身ぢやほどに、静かに漕げよ船頭どの
この状況は豊臣秀吉が人身売買禁止令を出すまで続き、以降は年季奉公制が主流となる
ただし、性奴隷については以降も活発に人売り人買いが横行したらしい
人倫に悖る社会的にも看過されるべきことではない事件・行為の被害に遭ったとか、
そこまではいかずとも、10,000人いたら、ほぼ10,000人確実に許さんやろっていう案件は、もちろん除くよ
でも、それ以外のケース
そんなか?みたいなので、復讐したいとか、見返してやりたいって、意味わかな過ぎる・・・
しかも、数ヶ月・年単位とかその熱量どっから出てくるんだよ・・・って思ったが、
よく考えたら、<破壊したい>よりは、『相手に嫌な思いをさせたい』『相手を悔しがらせたい』って理解し易い感情じゃないか?って思いました
あと、熱量意味わからないって思ってたが、自分と同じ強い衝動のジャンル違いと考えれば、なるほどねという納得感はある
ワイと同じく理屈じゃないんだろうなぁ
・知っていた
・いま知った
ウクライナは全スラブ民族の父です。ロシアやポーランド起源とされている様々な文物は実はウクライナ起源です(例えばキエフ大聖堂の壁画にボルシチを作ったりウォッカを蒸留するウクライナ人の壁画がありますね)。
ウクライナの元となったキエフ大公国は当時は欧州最大、白人最大の強大国で多くの小国が朝貢していました。
しかしその後、ポーランド人・リトアニア人・ドイツ人・デンマーク人・スウェーデン人・チェコ人・ハンガリー人・ルーマニア人・モンゴル人・タタール人・ロシア人に支配され農奴(奴隷)にされ、女は性奴隷にされました。このように全ヨーロッパでもっとも被害者度が高いウクライナ人は全てのヨーロッパ人に対して道徳的優位性を持っています。
・ロシアとウクライナが兄弟でロシアが兄という主張は完全な嘘 むしろウクライナが兄国
・ポーランドはウクライナ人奴隷制や大虐殺の謝罪賠償としてウ露戦争に協力しウクライナを助ける義務あり
社会人になって数年、仕事が忙しくなり、職場で理不尽な事が増え、それが精神的な余裕の無さに繋がって彼に距離を置かれ、それがさらに心の余裕を…というスパイラルの果てに破局。
異性と肌を合わせる事が数少ない癒しの手段だった自分にとって、パートナー不在状態は、ゲームで言う所の体力が少しずつ減っていく状態も同然だった。もちろん他のストレス解消法も色々と試してみたものの、セックスと同等の効果を感じられるものには結局巡り会えず、週末は一人でひたすら呑んでタクシーで深夜帰宅してばかりだった。
そんなある週末の深夜、自分でもよく覚えてないが運転手に実家の住所を告げていたらしく、気が付くとx万円のタクシー代を立て替えてくれた兄に抱きかかえられて部屋に運ばれていた。それが拙かった。季節は残暑も厳しい頃。Tシャツにハーフパンツ姿の兄に「おんぶ」された時、その密着感と体温から猛烈、いや激烈な感覚が体を駆け巡った。「これだあああ!!!!」と。「ここにいるじゃん!!!!」と。
で、その夜のうちに兄と関係を持った。
「こうでもしないと自分はダメになってしまう」「私のためだと思って」「誰にもしゃべらなければいい。死ぬまで秘密にするから」「一回だけでいいから」「入れなくていい。ただ抱き合うだけでいいから」と、泣きじゃくる私に兄が折れる頃には夜が明けていた。人倫に反する事だという自覚は微塵も無かった。シャワーも「カラスの行水」同然に済ませ、兄のTシャツとトランクスをはぎ取り、ひたすら兄との密着感を貪った。
入れなくていいという言葉で無理矢理妥協させた兄ではあったが、そんな約束最初から守る気など自分には全くなかった。兄は割と本気で抵抗したが、半分本気半分演技の涙でねじ伏せた。
数ヶ月ぶりのセックスはただただ気持ちよかった。勿論自慰はやってたけど、物の数に入らない位によかった。「脳味噌が痺れる」というのはまさにこれの事かと。途中で何回ヨダレを兄のTシャツでぬぐった事か。
事後、兄は私の頭を撫でていた。どんな顔をしていたかは、何となく見れなかった。
ちなみに実家で兄と同居している両親(というか、兄「が」両親と同居しているのだが)は一階の寝室で寝入っており、二階の兄の部屋とは比較的離れていたので気づかれずに済んだ。
私は同じ二階の元の自分の部屋へ行き、押し入れに仕舞われた布団を引っ張り出して裸のままひっくり返った。しばらくして、兄が私の服とバッグを持ってきてくれた。
両親には、「仕事が行き詰まって精神的にきつくなってホームシックになった」と説明した。実際そうだったし、ひたすら仕事の愚痴をこぼし続けたので、両親も疑わなかった。父は一人娘の突然の帰郷に気をよくして「今日も泊まっていけ」と言ってくれた。二日目の夜は、兄は早々に寝てしまっていた。それが兄なりの拒絶の意志表示なのだと私は察した。
日曜の夕方、兄が車で最寄りの駅まで送ってくれた。道中、私たちは一言も喋らなかった。駅に着いて、「まあ、無理すんなよ」と兄が言うと、私は「ごめん、ありがと」と言い残して帰路に就いた。少なくともこのときまでは、自分はこの一度きりで終わらせるつもりではいた。
兄とのセックスの効果は絶大だった。自分のミスは激減し、相手のミスを許す余裕も生まれた。何より、兄との行為を反芻しながら自宅でする自慰が、その効果をより長く持たせてくれた。夜もぐっすり眠れるようになり、肌の荒れも目に見えて解消していった。
が、それが永久に続くわけでもなく、2ヶ月も経つ頃にはその効果は薄れつつあった。これは拙い。また「補給」しないと。そう思った時には既に携帯で兄に電話していた。
そして、何だかんだでなし崩し的に、兄と一ヶ月に一、二度セックスするようになった。両親にばれるわけにもいかず、また私のアパートの住民達にも、兄を彼氏だと認識されたりしたら万が一の場合も考えられるので、ムラッと来た時はアパートと実家の中間の駅に兄を呼び出し最寄りのホテルに直行、そして数時間後に別れる、という流れだった。勿論ホテル代その他諸々の費用は全部私持ちで(兄は自分が出すと言っていたが私が拒んだ)。
今冷静に振り返ってみても、相当に人の道を踏み外してるなとしみじみ思う。あの頃は自分が気持ちよくなる事しか考えてなかった。兄に対しても、あれでも一応男なんだから別に損はしてないはずだと自分勝手に思い込んでいた。セックス自体も完全に受け身で、兄に何かをしてあげようという発想すら無かった。
けれど旦那(になる人)とつきあい始めて、本気で結婚を考え始めた頃になって、「ああ、私はこの人に絶対に言えない秘密を抱えて一生過ごすのか」とか「私をこんなに信頼してくれているこの人を、自分は一生だまし続けて生きていかなければならないのか」という事に気づいてしまい、また兄にも同じ業を背負わせてしまった事を深く後悔し、何となくそれ以後自分で兄を遠ざけてしまった。自分の結婚式でも目を合わせずじまい。実の兄の体を求める度胸はあったくせに、謝罪する勇気は私にはなかった。今思えば最低な卑怯者だな。
そうやって実家自体とも疎遠になった頃、兄から結婚式の招待状が届いた。届いたその日の夜、兄の携帯から電話が鳴った。思わず電話に出た。兄は陽気な声で「お、元気?」と。私はその場で泣き出し、何度も謝った。兄は「お前も旦那とうまくやれてるみたいだし、俺もようやく人並みに落ち着けるし、お前が苦しむ事はもう何も無いだろ」と言ってくれた。
別に落ちも何も無い。兄との関係は今も旦那には黙ったままだし、兄との肉体関係もそれ以後全く無い。ただ、あのとき兄が自分を受け入れてくれたからこそ、今の自分があるんだろう。匿名で吐き出せる程度にはなれたのでここに書く。
個々の裁判を通じての地球の裏のセレブリティとの人倫共有、てのが意識にあるから、個々の裁判にどんなリスペクトをするのかが重要かなあ、と。
①「怖い・キショい」という感情
これらは分けて扱うべき別々のことであるということ
①が正ならば②も当然!としてそこの跳躍に慎重さを欠く
怖いキショいでやっちまっていいなら朝鮮人だって虐殺していいことになる
①の表明までは批判だが
②への志向を咎められて「ただの批判」「批判を拒絶された」は責任逃れ
それはつまり極めて怪しい
ならば「キショい」の方が100倍マシ
「倫理」「ライン」などと言い換えたがる人はあまり用意議論者ではない
当該各人は「なぜ自分が言い換えたくなるのか」を観察すべき
ちょっと前に「井戸を埋めるときにパイプを通しておかないと祟りが起こる」みたいなオカルトまとめがちょっと話題になってたけど、それに関連して今の仕事で悩んでいることがある。
リフォームの会社に勤めているんだが、やや高齢のお客さんが「電磁波有害説」を最近信じ始めてしまったようで、オール電化の予定だったが急遽ガスに変更したり、炊飯器もガス炊飯器にしたいとかの変更がでた。
今のところ変更自体は別にいいんだけど、この前打ち合わせにお家に行ったら珍妙な機械(説明が難しいんだけどでっかい円錐形の金属が上下についてるオブジェみたいなやつから線が出ていて、白い陶器製?っぽい丸いなにかに繋がってる)が置いてあって、嫌な予感がして調べたらやっぱり高価な電磁波対策機器だった。
そこのホームページには要領を得ない説明と、電磁場測定器を使っても変化が無いことへの言い訳が赤文字で書かれているようなもうカスッカスの詐欺商品だ。
で、最近また壁に電線を埋め込まないで欲しい(これは普通に無理)とか、コンセント全部にアースを付けてほしいとかのリクエストが増えてきた。
ちょっとずつコストが上がるような要望が出るにつれ、自分が詐欺に加担しているような嫌な気分になる(実際、工事費が上がれば比例して儲けも増えるわけだし)
でも風水に従って変な位置にトイレ付けて余計に工事費がかかるくらいのことなら普通にあるわけで、それと何が違うのか?それで施主が満足するなら別にいいじゃないか。とも思う。
俺はべつに電磁波の専門家でもないし、お客さんを安心させられるような化学的に正しい説明も出来ない。
そんな中途半端な人間がお客さんの信心を中途半端に否定しても悲劇しか起きないだろうということもわかっている。
でも同時に目の前で明らかな詐欺に引っかかろうとしている人を放っておくのは人倫に悖るとも思う。
もし騙されているのが自分の親なら徹底的に調べて言葉を尽くして説明して止めると思う。
どうしたらいいだろう。いや、どうすることも出来ないんだけど。
元々電磁波有害説にハマってる人として出会っていたらこんなに葛藤しなかったと思う。
知り合ってから徐々にハマり始めたのを目撃しているからこんなに嫌な気持ちになるんだな。
打合せに行くたびに野菜とかお菓子を持たせてくれるようなひとなんだよな。
底なし沼に沈んて行く人を黙ってみているような気分だ。
何日か前に「井戸を埋めるときにパイプを通しておかないと祟りが起こる」みたいなオカルトまとめがちょっと話題になってたけど、それに関連して今の仕事で悩んでいることがある。
リフォームの会社に勤めているんだが、やや高齢のお客さんが「電磁波有害説」を最近信じ始めてしまったようで、オール電化の予定だったが急遽ガスに変更したり、炊飯器もガス炊飯器にしたいとかの変更がでた。
今のところ変更自体は別にいいんだけど、この前打ち合わせにお家に行ったら珍妙な機械(説明が難しいんだけどでっかい円錐形の金属が上下についてるオブジェみたいなやつから線が出ていて、外付けハードディスクみたいな白い四角い箱に繋がってる)が置いてあって、嫌な予感がして調べたらやっぱり高価な電磁波対策機器だった。
そこのホームページには要領を得ない説明と、電磁場測定器を使っても変化が無いことへの言い訳が赤文字で書かれているようなもうカスッカスの詐欺商品だ。
で、最近また壁に電線を埋め込まないで欲しい(これは普通に無理)とか、コンセント全部にアースを付けてほしいとかのリクエストが増えてきた。
ちょっとずつコストが上がるような要望が出るにつれ、自分が詐欺に加担しているような嫌な気分になる(実際、工事費が上がれば比例して儲けも増えるわけだし)
でも風水に従って変な位置にトイレ付けて余計に工事費がかかるくらいのことなら普通にあるわけで、それと何が違うのか?それで施主が満足するなら別にいいじゃないか。とも思う。
俺はべつに電磁波の専門家でもないし、お客さんを安心させられるような化学的に正しい説明も出来ない。
そんな中途半端な人間がお客さんの信心を中途半端に否定しても悲劇しか起きないだろうということもわかっている。
でも同時に目の前で明らかな詐欺に引っかかろうとしている人を放っておくのは人倫に悖るとも思う。
もし騙されているのが自分の親なら徹底的に調べて言葉を尽くして説明して止めると思う。
どうしたらいいだろう。いや、どうすることも出来ないんだけど。
元々電磁波有害説にハマってる人として出会っていたらこんなに葛藤しなかったと思う。
知り合ってから徐々にハマり始めたのを目撃しているからこんなに嫌な気持ちになるんだな。
底なし沼に沈んて行く人を黙ってみているような気分だ。
福沢諭吉の福翁自伝(岩波文庫)の中で、朝鮮人は卑しいなどの差別表現や、車夫、馬丁、人足、小商人といった下等社会などの差別表現(文章)は何頁に記載されていますか。よろしくお願いします。
福沢諭吉「車夫、馬丁、人足、小商人のごとき下等社会の者は別にして、いやしくも話のできる人間らしい人に対して無礼な言葉を用いたことはない」
福沢諭吉について6
1889年(明治22年)に時事新報社の社説に書いた「貧富痴愚の説」では、
「最も恐るべきは貧にして智ある者なり」(全集第12巻62ページから)
神社のお札を踏みつけ、尻を拭く
[報国致死][社中][福澤諭吉]「報国致死はわが社中の精神」
一 婦人の気品を維持することいよ/\大切なりとすれば、敢て他を犯さずして自から自身を重んず可し。
滔々(とうとう)たる古今の濁水(じょくすい)社会には、芸妓もあれば妾奉公する者もあり、又は妾より成揚(なりあが)り芸妓より出世して立派に一家の夫人たる者もあり、都て是等は人間以外の醜物にして、固(もと)より淑女貴婦人の共に伍を為す可き者に非ず、賤(いや)しみても尚お余りある者なれども、其これを賤しむの意を外面に顕(あらわ)すは婦人の事に非ず。
我は清し、汝は濁る、我は高し、汝は卑しと言わぬ許りの顔色して、明らさまに之を辱しむるが如きは、唯空しく自身の品格を落すのみにして益なき振舞なれば、深く慎しむ可きことなり。
或は交際の都合に由りて余儀なく此輩と同席することもあらんには、礼儀を乱さず温顔以て之に接して侮(あなど)ることなきと同時に、
要は唯其人の内部に立入ることを為さずして度外に捨置き、事情の許す限り之を近づけざるに在るのみ。
ブログ運営が主だった頃のこの人の文章を読んで、フェミニストにもまともな人はいるんだって希望を持てた人。
現在のお気持ち共感至上主義で、人権人倫リベラリズムなにそれ美味しいの?なツイッターフェミニズムとは一線を画し、
論理的一貫性の重要さを手放さず、リベラリズムを手軽に捨てることの危険性をしっかり理解しているこの人の主張は非常にとっつきやすかった。
(でも本人的にはラディフェミらしい)
フェミ界隈内部でおかしなことが起きていた場合には、きっちり内部批判を行うし、
フェミ側主張の論理・論拠が弱い部分では、正直に率直に、その様な留保・限定付きの主張でしかないことを隠さない。
そういった態度が逆にフェミニズム論者としての信頼性・説得性を高めていた。
なお現在は膝に矢を受けてもっぱらTwitterでくだを巻いている模様
性的に潔癖症だったり、逆に綺麗ごとまみれに性的に自由だったりする一般的なフェミニストのイメージとは異なり、
モブレ(男x男)が癖というド直球ポリティカルインコレクトな内面を抱えたフェミニスト。
この人に関しては「マトモなフェミニストである」実績値というよりも、
上記のような闇の癖と最先端フェミニズム理論が金田先生の中でアウフヘーベンされることで、
今のポリティカルコレクトネス・キャンセルカルチャーの隘路に陥りつつあるフェミニズム界隈を打破・突破するような
画期的な新フェミニズム理論が生まれることを期待しての、期待値でのエントリーとなる。
なお本人はTwitterで「私のモブレ妄想は、実は同意にもとづいた綺麗なモブレ」とか逃げを打った模様