「否が応でも」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 否が応でもとは

2022-04-29

ドルオタ萌えアニメオタってすげえな(皮肉)

女の子(キャラ含む)がかわいい」の一点でどんなコンテンツも涎垂らして楽しんでる。

否が応でも聴衆の耳目を惹きつけるような優れたパフォーマンスがあるわけでもない。

練られたストーリー展開もなければ、各々の話術や専門性が特段秀でてるわけでもない。

手を替え品を替え出てくる「女の子(キャラ含む)がかわいい」、ただそれだけ。

俺にとっては退屈すぎるし、時間無駄しか思えない。

2022-04-14

嫌なら見るな」って今の時代ムズくね?

youtubeで好きな芸人動画見たらレコメンドに嫌いな芸人が出てきた

それ以来youtube芸人動画どころか自分投稿した動画以外の動画を見ていない

テレビだとCMや贔屓のタレント共演者として嫌いなやつは出てきていたと思う

だが今だとサブスクお金払って見てるようなものまでそういう関連で嫌いなタレントの顔を見ることになる

最早好きなタレントと同じ職業からという理由一点のみでレコメンドする

否が応でも見せつけられてる

テレビはその点前後に何を見たかどうかまでに左右されないから良い

しかテレビマンネットを使っているからどうも左右されやすいとは感じる

2022-03-27

美人人生イージー」という命題

まず最初に「美人人生イージー」についての是非を問う日記じゃないです。

オチもない駄文日記だよ。


美人人生イージー」という言葉ってあるよね。

そう感じる人は多々いると思う。

こんな反論もあると思う。

「いやいや、美人だって相応の苦労をしています!」

「僻んでるんじゃないの!?自分物差しで測らないで!」

美女だって見た目だけじゃなくて中身が大事でしょ!」

かにそうだと思う。

しか最近ふと「まなちゃん(仮)」という女性がいたな〜〜なんて思い出した。

なぜ思い出したかというと、最近こんなブログを読んだのが始まり

弱者男性による約5年間の自分磨きの成果をさらす。

https://anond.hatelabo.jp/20220321231143

弱者男性モテるために努力して、結局モテないというブログなんだけど、

性格所得どうこうはさておき、外見でモテない人は恋愛結婚一筋縄じゃいかないよな〜〜、

じゃあ逆にこの人の反対側はどんなんだろう?そういえば「まなちゃん(仮)」って反対に近いかもな?て感じで。



数年前にネットで知り合った「まなちゃん(仮)」は、

日々の情事ブログに載せる裏垢女子インフルエンサー的な女性で、やり取りの中でそのブログを教えてもらったんだけど、

結局その後話題がなくなって自然消滅したけど、暇なときそのブログをちょくちょく読んでた。

今日は城○○似のセフレに会ったとか、今日は初めて5pしたとか、今日は○○とハプニングバーに行ったとか、それはもう酒池肉林の日々。

ブログに載せている彼女写真を見ると確かにモテそうだと思った。(芸能人だとauCMの高杉くんのやつの女優姉妹か?ってくらい似てた。)

ギャルとかより清楚っぽい子の方が実はすごいんだな〜とか思った。

そんな内容8割で、残り2割は「寂しさを埋めるために抱かれてる」とか、「私は幸せになれないしなる気もさらさらない」など内面的な内容で、

まぁ確かにこんだけセックスしまくってると心に闇を抱えてるんだろうなぁなんて思いはしたけど、

なんだかんだいって顔がいいから、理解のある彼氏くんが現れて、今までのことなんて嘘だったかのように人並みの幸せを手に入れるでしょと思った。

寧ろそうなってしまったら、外見は何にも勝るということを理解しないといけないから、そうならないでくれ〜〜とさえ性格の悪い私は思った。



そして数ヶ月が過ぎ、まなちゃんブログ彼氏一色になっていった。もう結末はわかり切っていた。

彼女ブログ結婚報告を最後に、消滅した。


5年間多額を投資して自分を磨いて、ソープ素人童貞の男。

散々イケメンセックスしまくって最後に全てを受け止めてくれる男性出会い結婚する女。

そんな立場の違う二人の人生否が応でも他者との比較について考えさせられるよね。

幸せに生きるには「他者自分比較しない」なんてよく聞くけど、無理じゃね??

だって自己って他者があるから存在するわけで。

突き詰めるとアドラー心理学がどうこう脱線するのでまあいいや。

人の不幸を願う私の性格は終わってるからいいけど、底抜けに性格が良い不細工たちに幸あれ。おしまい

2022-01-05

彼女が出来ると信じてる

 ブサイクコミュ症・低学歴クズ人生終わってるけど、こんな自分でも優しくて可愛い彼女が出来ると信じている。本当は出来るわけないと分かっているが、無理矢理にでも信じないと生きていけない。今辛いけど生き続ければ彼女が出来るんだ。根拠もないのに信じ続ける。果たしていつまで自分を騙し続けられるだろうか。もう出来るわけないと否が応でも心の底から理解したとき俺はどうなるんだろうか

2021-12-24

クリスマスイブだけどぜんぜんクリスマス感がない

通勤してた頃なら、街並みやら店のBGMやら特設コーナーなんかでクリスマス否が応でも意識させられてたけど

在宅勤務になってスーパーにも週一程度いくだけで、あとは引きこもってるだけなので、全くクリスマス意識しない

定例の内部会議でも誰一人話題にしなかった

せいぜいSNSメリークリスマス挨拶がある程度

まあ静かでいいけど

2021-11-30

anond:20211130201732

そりゃ政党の中枢に近づくにつれ立憲が党勢を回復するにはどのように変わるべきか、は否が応でもわかるでしょ。選挙の結果が維新の躍進と、消滅すると思われていた国民の予想外の健闘だったので。

逢坂候補出馬にせよ西村候補出馬にせよ「党のためにちゃん選挙をしなければいけない」「党のために女性候補を出さなければいけない」が背景にあるのはなんとなくわかるし。代表選後も党を分裂させないためにはノーサイドちゃんと演じてメンドクサい旧社会党系の支持者やよりメンドクサいウォーク系を慰撫する必要があるしな。

2021-11-21

anond:20211121160654

自分高齢だったとしても、否が応でもペットを看取るまで長生きしようとする気が湧いてくる。

親御さんの長命を願うならおすすめだよ。

80歳の親御さんに10年生きるペットプレゼントして、90歳になる頃にペットが亡くなってしまったら、次は100歳を目指してまたペットプレゼントする。

長生きする人ほど死別体験も増えていくから、1回あたりのペットとの死別だんだん慣れてくる。

ただ、どうしても死別がつらいというタイプの人もいるだろうから、その場合は一個体で数十年生きるオウムプレゼントするのがおすすめ

2021-11-01

国内テロ経験値が積み上がることの危険

また電車テロ事件が起きた。

今回の犯人は、しっかりと可燃性のある液体を利用したようだ。

この裏には、以前小田急線で起こったサラダ油では着火しないというケーススタディが隠されている。

今回の犯人は確実に着火できるものを選んだのだ。

さら塩酸のような液体もまいたという。

もちろんここにも、白金高輪駅で起こった硫酸事件によるケーススタディがある。

液体をかけるだけで確実に相手ダメージを与えられるからだ。

この日はハロウィン当日。そして衆議院選挙開票日であった。

番組表選挙特番でうまる中、否が応でもこのニュースは速報で流れた。

自らの不遇を恨んで、社会に腹いせしたいという犯人の思惑は叶えられてしまった。

twitter拡散された動画には犯行当時の生々しい状況が映っていた。

これを見て、わたしは正直肝が冷えた。

自分が乗り合わせたらどうなるかという恐怖ではない。

この動画をもとにさら計画を練れば、かんたんにより多くの命を奪うことができると感じたからだ。

改めて書くことではないかもしれない。しかし、凶行に及ぼうとする人間けが先に気づいてしまうことのほうが悪い影響は大きいと考えたのであえて書くことにする。

1.1箇所で火災が起こったことで、人が大量に逃げ出して密集した状態になってしまった。

逆を返せば、一箇所で火災を起こすことができれば、一気に人を追い込むことができることが証明されてしまった。

もしここに火を投じられてたかと思うとぞっとする話である

我先に逃げたい気持ちを抑えて、誰頭が車両から乗客が逃げ出したら扉を閉じて犯人隔離するなどの解決方法が考えられるが、危機的状況の中でそんな判断力を発揮できるかはわからない。

2.電車ホームのないところでは止まることを異様に嫌う。

線路内に乗客が立ち入ること=大惨事の原因になりえる。

乗客線路に降りたところに他の車両が突っ込んでくることで被害が拡大することを恐れてのことだ。

おそらくは三河島事故が強い教訓になっているものと思われる。

また、安全確認などに大量の時間が取られることで、運行への支障が大きく、とにかく鉄道業界線路上に人を立ち入らせることを嫌う。

今回においては駅まで走り続けることが被害の拡大にはつながらなかったようだが、より計画的に、より多くの命を奪おうと考えた場合、次の駅までの数分間は犯行を行うに十分すぎる時間になる。

昔のように電車同士の連絡手段信号しかなかった時代ではない。

鉄道業界は、ある程度のラインを越えた緊急非常事態については、乗客を早急かつ安全線路内に立ち入らせるための準備が必要な段階に来ている。

それでもトンネル、橋の上など、止まりたくても止まれない状況は思ったよりも多い。

もしそうした場所を通過するときに合わせて計画を練られてしまえばやはり被害を抑えることは難しいだろう。

乗客避難訓練

列車の緊急停止や車両の切り離しなど、乗客にできることが増えてしまえば新たな悪事対象になりえる。

さすまたの常備ですら、酔っぱらい喧嘩などに悪用されてしまうだろうことは明らかだ。

そうなれば、結局の所できることは乗客を含めた訓練しかない。

事件同様に、走行中に車両火災が発生したことを想定して乗客避難させる経験をさせることで、有事に対してのパニックを抑えることしか方法はないだろう。

そのとき線路上で停車してしまった場合を想定した訓練を含めれば、それもまた新たなケーススタディとなり、2次的な事故を防ぐ知識の蓄積にもつながる。

爆薬などを用いられた過激テロに対しては、対策は難しいがまだ日本において対策を急ぐ状況にあるわけではない。

しかし、ガソリン刃物硫酸などの液体を用いた反社会的行為は、回を追うごとに被害は大きくなってきている。

マスコミ各社においては、犯人の異常性や被害者の人生ドラマを描くより先に、鉄道各社と連携した上で、いか安全に迅速に避難できる方法があるかの検証をお願いしたい。

これから凶行に及ぼうとする人間に、鉄道でのテロ行為は難しいと判断させることが、唯一かつ最大の抑止手段となりえるからだ。

断言してもよい。

このまま何も対策を打たないままでいれば、次はより多くの犠牲者が出る。

今回の犯人のような鬱積を抱えている人間はいくらでも潜んでいて、さらに今回の犯人よりももっと多くの被害者を出すことで自己顕示欲を満たしたいと考えている人間いくらでも潜んでいるからだ。

そういう人間にとって、今回の映像はヒントが多すぎた。

荷物検査なんて、一部の犯行のために社会全体がコストを背負う必要はない。

その社会的なダメージこそ、テロ行為に及んだ人間自己顕示欲を満たすものに他ならない。

鉄道テロ発生時に、被害や影響を最小限に抑えるための訓練。

それこそが結果的鉄道テロのものを抑止する最大の手段である

2021-10-30

日本の体育教育は糞なのか?

自分運動音痴だ。だから運動楽しいと思えたことは皆無に等しい。健康のために運動をしなくてはいけないのだろうが自発的にやることが困難でやったとしても「やらされ感」が付き纏う。

事の発端は小学生の頃にまで遡る。自分が通っていた小学校は「体力作り」をスローガンに挙げていた狂っていた学校だった。朝学校に着くやいなや体操服に着替えさせられ「朝のかけ足」と称して全校生徒全員が運動場を走らされた(※そしてその後の授業も体育以外でも体操服で受けさせられた)絶対義務でなかったのは不幸中の幸いだったが「冬でも半袖裸足が良い」みたいなのが暗黙の了解としてあって靴を履くのが気まずかった記憶がある。他にも朝のかけ足とは別に持久走とか縄跳び大会だとか様々な体育系のの行事があって拷問だった。まるで野生児でも育てているかのような感覚だった

あと、嫌だったのが競争ベースだった。朝のかけ足にしても専用の用紙に運動場を何周したかマスを塗るというのがあって「どれだけ多くマスを塗ったか」で否が応でもカーストみたいなものができていた。別に朝のかけ足でなくてもそういう競争ベース体育会系根性論と合わさって体育はさながら使役公開処刑のようなものだった

そんな母校の小学校も今では運動場は土から人工芝に変わり、朝のかけ足なんてものはなくなり、小学生は冬になったらジャージを履いて昼休みは遊んでいる

せめて体育の授業が「がっつりやるコース」と「ほどほどにやるコース」みたいなものに分かれていたらよかったのかも知れないがそんなことを日本がやってくれるわけはこれからもない、もしくはあったとしても非常に限られた話だろう

話は逸れるが「運動音痴だけどスポーツを見るのは嫌いじゃない、でも運動しないけど見るのが好きなのは恥ずかしい」と思うことがある。落とし方がわからなくなったのでここらで終わる

TASさんが最強の世界である

人が勝てる見込みはない。

人の脳にもいずれはTASさんが移植されて、

労働TASさんのコントロール下に置かれることになる。

AIによる人の支配とはすなわちそういうことである

それは割と喜んでかどうかはわからないけれど、

TASさんありとTASさんなしの人間がヨーイドン

作業を始めたらTASさんアリの人の方が圧勝するので

TASさんは否が応でも利用しないと仕方がない。

2021-09-23

ガチャって下品造語だよなー。核心をえぐり出すのに比喩が使われていて身も蓋もない。

日本人は婉曲を好む民族構成されていたはずではなかったろうか。

この親ガチャという言葉において比喩は婉曲のためでなく、むしろ直観ポンプとして絵画的にその概念の言わんとすることを否が応でも突き付けてくる感覚がある。

近来の自己を主張する傾向が造語法にも反映されているかのようだ。

2021-09-20

コムドットに対する違和感

コムドットについて詳しくなくとも、SNS拡散される彼らの活動を目にする機会は多い。彼らはそのように有名になってきたのだから、彼らのファンでない私のような人間が彼らに言及することも、ごく自然なことだと言える。

彼ら、というかリーダーヤマト氏の炎上に対する声明を読んだ。

少し調べれば、多くの人がその文章に対し強い違和感を抱いていることがわかる。今暇なので、この違和感を明文化してみようと思う。

まず、コンビニ、近隣住民への騒音での迷惑等についての謝罪がある。これはそうだろう。コロナ禍でなくても絶対にやめてほしい。赤ちゃんが寝付いたばかりかもしれないし。

ここでは明確に謝罪対象にしていないが、彼らは当然マスクをしていない。感染症予防のため、飲食店等を除き、複数人マスクなしで密になることは避けるべきという『ルール』がある。

コムドットはこれまでも何度か炎上しているようだ。YouTuber飲み会をはじめとするそれらは、『ルール』に違反たか炎上した。

ではここで、この『ルール』について踏み込んで考えてみよう。

ここでの『ルール』とは、法律ではないものの、社会全体の利益のために守るべきこと、とでも言い換えられるだろうか。現在におけるマスク着用はまさにそれだろう。

私が彼らの炎上やそれにまつわる弁明について調べ強く感じたのは、彼らは本当にこの、マスク着用『ルール』の必要性理解しているのだろうかという疑問である

マスク着用ルールは、判子は斜めに押すとか、乾杯の際はグラスを下にすべきとかそういうクソくだらない仕草ではなく、疫病の蔓延を防ぐためという目的を持ち、また明確に効果が判っているものであるマスクは本当に不便だが、私たち自分ウイルスの運び屋にならないよう、大切な人、あるいはそうでない人を守り、この疫病を根絶させるため、マスクをして、密を避け、ときには帰省結婚式我慢して過ごす。

自分他人を守るための『ルール』を履き違え、大きな問題となった、NAMIMONOGATARIというHIPHOPフェスについて、知る人は多いだろう。HIPHOPカウンターカルチャーの側面は認めているものの、それは体制的な抑圧であったり、不条理命令であったりに対するカウンターである

おそらく参加者にとって、マスク着用、密の禁止禁酒もしくは減酒というルールは、「根拠のない、上から不条理命令」程度の認識だったのだろう。だから破っていい。

コムドトメバー根底に、同じような気持ちを認めるからこそ、ファン不安すら覚えているのではないか

コムドットのファンには良識的な人が多いと感じる。悪いことをしたことは認めつつも、応援姿勢を示し続けることは簡単なことではない。

からこそ彼らは不安を抱くのではないか自分応援している人たちが、バカではないと信じているかである

コムドットと『ルール』は意外と根深関係性を持つ。彼らが盗撮を嫌い、直接ファンに苦言を呈する動画アップロードしたことは有名らしい。

盗撮はもちろんルール違反であるが、ただちに法律違反ではない。そんなことを言い出したら、彼らの撮影中映り込む人々は、彼らを訴えていいことになる。

では何をもって悪意のある盗撮とみなすのか、その線引きが難しいからこそ、『ルール』によって彼らは自分たちの、また、ファンは彼らの盗撮を許さない。

マスクおよび密を避けるというルールと、この盗撮に関するルール正当性については述べるまでもないが、彼らは前者のルールをたびたび軽んじ、それどころか、タバコは外で吸うが(条例違反)、他人タバコポイ捨てを厳しく指摘するなど、矛盾が多く見られる。

これは大きな違和感であるし、彼らもその矛盾否定はしないだろう。だから謝罪文は早々にその姿を変える。

ヤマト氏による謝罪文は、いかに多くの誹謗中傷が寄せられ、その恐怖が如何程であるかを切々と述べている。情に訴えている。

さらには過去に行きすぎたネット上の誹謗中傷により自ら命を絶った有名人をもちだし、覚えていないのかと訴える。

ここにも大きな違和感がある。明文化するのは難しいかもしれないが、やってみよう。

まずここでの有名人はまず間違いなく木村花氏のことであろう。彼女の痛ましいニュース私たち否が応でも画面の向こうに人がいることを思い知らせた。もちろんそれを私たちに教えるためだけに彼女は亡くなったわけではない。

まず第一に、このタイミングで彼らが自らその話を持ち出すことに対する違和感である

任意の誰かが社会通念上誤ったことをしたとき、「そんなに叱ったら死ぬよ!」などと言われたら、私たちはどうしたらいいのだろう?

死とは、そんなに簡単に持ち出していい概念なのだろうか?

次に、木村花さんを持ち出すことへの違和感である

死は究極的に個人的ものだ。100人いれば100通りの死に方があるだろう。もしそれが自死であれば、その理由は本当に個人的ものだ。

彼らはあえて木村花さんという個人名を出さないことで、これに関するそしりから逃れようとしているのかもしれないが、個人名を出せないということは、それは配慮ではない。後ろめたさがそこにあるということである

木村花さんは、何もしていない。本当に何もしていないが、マスメディアにより悪意のある人間に仕立て上げられ、自分意見を述べることもできず、頼れる人もおらず、また前例もないため、亡くなるほど追い詰められていたことに気づく人もおらず、孤独に死を選んだ。彼らとは土台から違う。それを指摘されたくないから、個人名を出さなかったのは、卑怯とすら思う。

自分たちの引き起こし不祥事に、無関係の故人を持ちだし、自分の死を匂わせることで、批判から逃れようとする姿勢ダサい。彼らの肩で風を切るイメージとあまりに相反する態度に、違和感を覚えるのである

もちろん誹謗中傷ルール違反ですらなく法律違反だし、絶対に行ってはいけない。密になるよりマスクしないより騒音を起こすより、明確に悪いことである。そういう人に対し、彼らは私刑に出る必要もない。法的にアプローチすることができる。皮肉なことにこれは、あきらかに木村花さんの事件あっての効果である

正直なところ、そんなに批判の矢面に立つのが嫌なのであれば、大きな芸能事務所に入ればいい。大きなところであれば文春スキャンダルを揉み消すこともできるし、こういった際矢面にたちタレントを守ってくれる。

しかし彼らは自由でいることを選んだ。事務所のものになり、金銭的、肉体的な縛りを受けるより、自由活動していくことを選び、彼らのそんな姿勢がウケているのである

自由は必ず痛みを伴う。これは、自由な者は痛みを覚えるべきということではない。痛みを受けることと自由であることは、ほとんど同じ意味であるということだ。

総合的に一貫性がない、悪い意味で、あらゆる立場のいいとこ取りをしてやろうという彼らの甘えを私たちは感じ取っており、彼らと彼らのファン大事にする『筋を通す』ことができていないことに、失望を抱かれているというのが、現状への分析である

2021-09-16

anond:20210916201402

せやなあ。

大きな違いは子ガチャは引くか引かないかを選ぶ権利があるけど、親ガチャは親のエゴによって否が応でも引かされるってあたりやろか。

2021-08-05

台風否が応でも出自粛せざるを得なくなるし来週は多少は収まるんじゃないか

2021-08-03

anond:20210803020953

逆にこういうのは無駄なので求職者は何らかのサイト登録して履歴書電子化してそれを企業が参照、必要人材にの企業接触するという無駄を省いた社会にすべきだと思う。現状では結局求人サイトが乱立していて無駄。一元管理すべき。そういう状況でどこの会社からアクションが来なければ自分に非があると否が応でも認めるしかないだろうし、まずすべきことは鉄砲をたくさん打つことではなく企業に参照される履歴書スペック向上に軸足が移るのではないか

2021-07-27

新自由主義定義について

増田のみんな、どうも「新自由主義」というキーワードにすごく反応する人がいるみたいだけど、どうも俺の知っている「新自由主義」と齟齬があるのだが、どうだろうか?自分は「アメリカ新自由主義を追求したら、日本否が応でも追従せざるを得ない。なぜならアメリカ国債を持ちすぎているから」だと思っているのだけど。それに今更、新自由主義をやめても30年前のように戻らないと思うのだけど、俺は間違っているかな?

2021-07-13

子供の頃スイミングの帰りにおじいちゃんとおばあちゃんの家に行ってた

スイミング土曜日学校が終わった後に両親がスイミングスクールまで車で送り迎えにきてくれていた

自分ん家とおじいちゃんおばあちゃんの家は車で10分位の距離

スイミングスクールはおじいちゃんおばあちゃんの家の近くにあったので

昼のレッスンが終わると家族全員で寄っていって

そのまま夕飯を食べるだの外食に出かけるだのしているのが土曜日の過ごし方だった

だので、夕食までは大体1、2時間があって

祖父母と両親が大人の話をしていて退屈な時は近所を散策したりしていた

まだ自転車を買ってもらえていない年齢だった自分

から車で10分の距離場所といっても学区も違えば未踏土地であり

背後に祖父母の家があるとはいえ普通住宅街でもかなりの冒険だった

その中でもとりわけ自分を夢中にさせたのは少し歩くと電車の踏み切りがあった事だった

電車が来るとそれを知らせてメカニカル機構動作して

けたたましくも心地良い音が規則的に鳴るのは何度見ても飽きなかった

しかも、そのあと電車が轟音で走り去っていくのは大迫力だったし

中に乗ってるたくさんの知らない人を見れるのも好きだった

そんな踏み切り観察も何週もすると飽きてきて、同時に恐怖も薄らいできて

遮断機が開いてる時に線路侵入するようになってきて

踏み切りの次は線路に興味は移っていった

サビだらけなのに電車が乗って走ってる場所だけ鏡のようにツルツルで

枕木が木製なのも意味がわからなくて面白かったし

同じ大きさの白い石が散りばめられてるのも子供想像力を刺激した

そんなある日、いつものように電車が通過しているのを眺めていて

ふと、一つの好奇心が湧いてきた

線路の上に物を置いたらどうなるんだろう」

まずは手近にある白い石でも置くかと思ったが

その頃丁度ワイドショー線路置き石をするカラス話題になっていて

それを思い出し石はまずいという判断になった

なのでもうちょい小さめの、目立たない石を探して置いた

電車が通過するのを待った

通過した後にどうなっているのかという好奇心

電車の大轟音がスパイラルし、否が応でもテンションをかき立てられた

しかし、電車が通過した後に近くに行ってもなんの形跡もなかった

おそらく弾き飛ばされてしまったのだろう

落胆した

そして何を置けば驚くべき結果が得られるかに考えを巡らせた

次はポケット入れていたSDガンダムの赤いゴム人形を置いてみた

これならどこかに弾き飛ばされてしまっても見つけやすいし

弾力もあるので期待する結果が求められるだろうと思ったのだ

そして再び電車が来るのを待ち、通過するのを見届け、遮断機が開いてダッシュ現場に向かった

大成功だった

ガンダム電車に跳ね飛ばされる事なくその場に鎮座ましましていて

想像を超えるひしゃげ方をしていた

線路の上にパン生地を伸ばしたようにガンダムだったものが伸びていて

電車の重量を想像させるには十分なほど伸びていた

好奇心というのは恐ろしいもの

想像した結果が得られたのだからもう潮時だと自分でもわかっているが

その次を見たいという欲求が膨らんでいくのだ

ポケットに手を入れると10円玉と5円玉が入っていた

これを重ねて置いたらどうなるだろう

テレビで1円を素手で曲げているプロレスラーがいたのを思い出した

金属もある程度の弾力があるのだ

まりこれを重ねて置いたらすごいことになるのではないか

耳に心臓の鼓動が聞こえるくらいに興奮したような記憶がある

一切の逡巡もなく線路10円玉と5円玉を置いた

離れる

待つ

遮断機警報が鳴る

遠くから電車が来る音が聞こえる

それが大轟音になり目の前を巨大な質量の鉄の塊が通り過ぎていく

警報がスッと止み遮断機が上がる

高鳴る鼓動

踏み切りから線路に駆け寄る

怒号

後ろを振り返ると母が立っていた

怒られる

いや待ってください大切な研究がああお母さん遊びじゃないんだよ

一生懸命事の次第を説明する線路の上に石を置いたりしててそれを見てて…

あんた!何やってんの!」本気の怒声

呆れたような悲しそうな顔で服を引っ張られる

ああダメ意思疎通のできる人間の力じゃない

これは完全に怒ってる人の引っ張り方だ

死ぬ前に見たかったなぁ重なった10円玉と5円玉がどうなったか

あぁ…見たかったなぁ…10円玉と5円玉

その後祖父母の家に連行された私は事情聴取を受けた

実際に行われたのは事情聴取という名のもとに行われる糾弾であった

私は拙い言葉ながら研究について説明をしようとした

が、言葉尻を捕らえて罪状認否に持っていこうとする刑事だった

テスト時に使った石の形状やカラス置き石報道を受けて安全性配慮したという風に説明しようとすれば

テレビカラス置き石を見て真似しようとした」

という有様で既にこの時点で私はしゃくり上げながら泣いていたのもあるが

二度と線路で遊ばないという誓約を結ばされ手打ちとなった


そして時は流れ私は自転車を買ってもらう年齢になり

自分だけでその踏み切りに行けるようになっていた

あれ以来その踏み切りを車で通過する度に心の傷が痛み

まだあるかもしれない10円玉と5円玉に思いを馳せ続けていた

ようやく衆人環視のない状況であの日実験の結果を見届ける事ができる

私は踏み切り近くに自転車を留め、握った10円玉と5円玉感触を確かめていた

あの日あの場所と同じ線路にきちんとコインの中心を合わせて2枚を置いた

離れる

待つ

遮断機警報が鳴る

遠くから電車が来る音が聞こえる

それが大轟音になり目の前を巨大な質量の鉄の塊が通り過ぎていく

警報がスッと止み遮断機が上がる

高鳴る鼓動

踏み切りから線路に駆け寄る

何もない

おそらくどこかに飛ばされたに違いない

周辺を隈なく探すが見つからない

そうしてる間にもまた電車が来てしまうので線路を離れる

電車が過ぎ去ってまた戻って探すその繰り返し

その後も捜索を続けるも10円玉と5円玉は一向に見つからない

日も落ちかけていてその日の捜索は中断したのだが

何度目だったろうか私は別のある物を見つけたのだ

信じられないものを見つけた

50円玉が1枚そこにあったのだ

そしてどこを探しても結局10円玉も5円玉も見当たらない

10円玉と5円玉電車に轢かせると50円玉が生成される

信じられないが世の中にはそういうことが時として起きる

起きるのだ

2021-06-01

子供の頃スイミングの帰りにおじいちゃんとおばあちゃんの家に行ってた

スイミング土曜日学校が終わった後に両親がスイミングスクールまで車で送り迎えにきてくれていた

自分ん家とおじいちゃんおばあちゃんの家は車で10分位の距離

スイミングスクールはおじいちゃんおばあちゃんの家の近くにあったので

昼のレッスンが終わると家族全員で寄っていって

そのまま夕飯を食べるだの外食に出かけるだのしているのが土曜日の過ごし方だった

だので、夕食までは大体1、2時間があって

祖父母と両親が大人の話をしていて退屈な時は近所を散策したりしていた

まだ自転車を買ってもらえていない年齢だった自分

から車で10分の距離場所といっても学区も違えば未踏土地であり

背後に祖父母の家があるとはいえ普通住宅街でもかなりの冒険だった

その中でもとりわけ自分を夢中にさせたのは少し歩くと電車の踏み切りがあった事だった

電車が来るとそれを知らせてメカニカル機構動作して

けたたましくも心地良い音が規則的に鳴るのは何度見ても飽きなかった

しかも、そのあと電車が轟音で走り去っていくのは大迫力だったし

中に乗ってるたくさんの知らない人を見れるのも好きだった

そんな踏み切り観察も何週もすると飽きてきて、同時に恐怖も薄らいできて

遮断機が開いてる時に線路侵入するようになってきて

踏み切りの次は線路に興味は移っていった

サビだらけなのに電車が乗って走ってる場所だけ鏡のようにツルツルで

枕木が木製なのも意味がわからなくて面白かったし

同じ大きさの白い石が散りばめられてるのも子供想像力を刺激した

そんなある日、いつものように電車が通過しているのを眺めていて

ふと、一つの好奇心が湧いてきた

線路の上に物を置いたらどうなるんだろう」

まずは手近にある白い石でも置くかと思ったが

その頃丁度ワイドショー線路置き石をするカラス話題になっていて

それを思い出し石はまずいという判断になった

なのでもうちょい小さめの、目立たない石を探して置いた

電車が通過するのを待った

通過した後にどうなっているのかという好奇心

電車の大轟音がスパイラルし、否が応でもテンションをかき立てられた

しかし、電車が通過した後に近くに行ってもなんの形跡もなかった

おそらく弾き飛ばされてしまったのだろう

落胆した

そして何を置けば驚くべき結果が得られるかに考えを巡らせた

次はポケット入れていたSDガンダムの赤いゴム人形を置いてみた

これならどこかに弾き飛ばされてしまっても見つけやすいし

弾力もあるので期待する結果が求められるだろうと思ったのだ

そして再び電車が来るのを待ち、通過するのを見届け、遮断機が開いてダッシュ現場に向かった

大成功だった

ガンダム電車に跳ね飛ばされる事なくその場に鎮座ましましていて

想像を超えるひしゃげ方をしていた

線路の上にパン生地を伸ばしたようにガンダムだったものが伸びていて

電車の重量を想像させるには十分なほど伸びていた

好奇心というのは恐ろしいもの

想像した結果が得られたのだからもう潮時だと自分でもわかっているが

その次を見たいという欲求が膨らんでいくのだ

ポケットに手を入れると10円玉と5円玉が入っていた

これを重ねて置いたらどうなるだろう

テレビで1円を素手で曲げているプロレスラーがいたのを思い出した

金属もある程度の弾力があるのだ

まりこれを重ねて置いたらすごいことになるのではないか

耳に心臓の鼓動が聞こえるくらいに興奮したような記憶がある

一切の逡巡もなく線路10円玉と5円玉を置いた

離れる

待つ

遮断機警報が鳴る

遠くから電車が来る音が聞こえる

それが大轟音になり目の前を巨大な質量の鉄の塊が通り過ぎていく

警報がスッと止み遮断機が上がる

高鳴る鼓動

踏み切りから線路に駆け寄る

怒号

後ろを振り返ると母が立っていた

怒られる

いや待ってください大切な研究がああお母さん遊びじゃないんだよ

一生懸命事の次第を説明する線路の上に石を置いたりしててそれを見てて…

あんた!何やってんの!」本気の怒声

呆れたような悲しそうな顔で服を引っ張られる

ああダメ意思疎通のできる人間の力じゃない

これは完全に怒ってる人の引っ張り方だ

死ぬ前に見たかったなぁ重なった10円玉と5円玉がどうなったか

あぁ…見たかったなぁ…10円玉と5円玉

その後祖父母の家に連行された私は事情聴取を受けた

実際に行われたのは事情聴取という名のもとに行われる糾弾であった

私は拙い言葉ながら研究について説明をしようとした

が、言葉尻を捕らえて罪状認否に持っていこうとする刑事だった

テスト時に使った石の形状やカラス置き石報道を受けて安全性配慮したという風に説明しようとすれば

テレビカラス置き石を見て真似しようとした」

という有様で既にこの時点で私はしゃくり上げながら泣いていたのもあるが

二度と線路で遊ばないという誓約を結ばされ手打ちとなった


そして時は流れ私は自転車を買ってもらう年齢になり

自分だけでその踏み切りに行けるようになっていた

あれ以来その踏み切りを車で通過する度に心の傷が痛み

まだあるかもしれない10円玉と5円玉に思いを馳せ続けていた

ようやく衆人環視のない状況であの日実験の結果を見届ける事ができる

私は踏み切り近くに自転車を留め、握った10円玉と5円玉感触を確かめていた

あの日あの場所と同じ線路にきちんとコインの中心を合わせて2枚を置いた

離れる

待つ

遮断機警報が鳴る

遠くから電車が来る音が聞こえる

それが大轟音になり目の前を巨大な質量の鉄の塊が通り過ぎていく

警報がスッと止み遮断機が上がる

高鳴る鼓動

踏み切りから線路に駆け寄る

何もない

おそらくどこかに飛ばされたに違いない

周辺を隈なく探すが見つからない

そうしてる間にもまた電車が来てしまうので線路を離れる

電車が過ぎ去ってまた戻って探すその繰り返し

その後も捜索を続けるも10円玉と5円玉は一向に見つからない

日も落ちかけていてその日の捜索は中断したのだが

何度目だったろうか私は別のある物を見つけたのだ

そして、信じられないが、

それが10円玉と5円玉電車に轢かせて発生したものではないか自分の中では結論づけている

今日もそれは変わらない

2021-05-28

良質なドキュメントを書かせるには

頭の悪いやつに最低限の品質ドキュメントを書かせるには、

  • 箇条書き

使用禁止させる。これが必要不可欠。これらの使用を許すと、見た目は整っているが内容は全く足りていない文書が大量に生産される。

よくあるのは、項目名属性値が羅列されているだけで、文脈が全く伝わらないExcel方眼紙など。こういうものは、書いたやつの脳内しか意味を成さない。たとえば、

管理対象期間開始日文字列32Byte
登録文字列32Byte
利用開始日文字列32Byte

こんな表だけ書かれても、読む人には何の情報も伝わらない。この表には、ざっと思い付くだけでも以下のような情報が欠けている。

図もやめた方がいい。もちろん、論理的曖昧さ無く記述されたものの補足として図を載せるのはよい。しかし、馬鹿ドキュメントを書かせると、ただ単語を枠で囲ったり矢印で繋いだだけの図が出来上がる。その枠や矢印が何を意味しているのかは書いた本人にしかからない。

この3つを禁止すると、ドキュメントを書くには、否が応でも曖昧さのない文章記述するしかなくなる。事項と事項、文と文の関係性を明確にして記述せざるを得なくなる。これがドキュメント作成の最低ライン

2021-05-11

よければ話聞くよ?

って言い方が死ぬほど嫌い。

「何かあった?」と聞かれた時に、馬鹿正直に「仕事で悩んでて」とか「家庭でうまく行かないことが…」などというと、結構確率で「よければ話聞くよ?」って返されると思うんだけど、これって「その悩みとやらについてこちらが理解できるよう簡潔にまとめて話せ」って言われてる気がしてしまう。しかも、そこで話し始めると悩みを聞いてあげた/聞いてもらったの関係性に否が応でも持ち込まれしまうのが嫌だ。こちらは悩み事があって大変なのに、ここでまた変な借りを作ってしまうというか。しかも、その聞いてくれた相手解決してくれるとは限らないのに、聞いてくれた相手がわかるように簡略化して伝える労力を割いてなお、「聞いてくれてありがとう」っていうお礼は言わないといけないっていうのも辛い。

 同じように、「もっと頼ってよ」って言われると、「こちらの負担にならない程度に頼って俺の/私の承認欲求を満たしてくれ」って聞こえてしまう。「もっと甘えてよ」も同じ。

 こういう聞き方をする人には絶対に悩みは打ち明けないし頼らない。

 察してちゃんと言われたらそれまでだけど、それよりも何も言わずに一緒にいてくれたり、気分転換に連れ出してくれたり、何なら変なクッションは置かないで「何があったの?」って切り込んでくれる方がよっぽど労られてる気分になる。

2021-05-10

年収1000万を超えてわかったこ

エンジニアということもあってあってさほど苦労もなく年収1000万円を超えた。

1000万円超えの年収生活して数年、わかったことを記す。

美味しいごはん屋のレパートリーはそれほど増えない

1万円以上するお店は何店も行って確かに美味しいのだが、ファミレスでも十分美味しい。

価格は高い料理価格が高い味がして、美味しいのだが、一つの属性という感じ。

牛丼モスバーガーもよく食べる。

スーパーコンビニ飲食店での買い物で値段を見なくなる

スーパーでは食べたいもの健康を優先して買う。値段もカロリーもあまり見ない。

(ワインは超高値ボトルもあるので例外)

飲食店でも同様。値段は基本的に気にしない。しかし金があるからと言って

毎回チャーシュー麺を頼むわけではなく、選ぶメニューは変わらない。

牛丼アタマの大盛り(肉は大盛りでご飯の量は普通盛)。

モノの値段がわかるようになった

年収が600万とかのさほど高年収でない時は物事がわかっているようでわかっていなかった。

例えば「スキー板10万?それは高すぎる」などのように思っていた。

しかぼったくりや悪意あるごく一部のケースを除き、ほとんどのケースでは価格というもの

概ね正しい値付けがされていることがわかった。

モノの値段の背景がわかってくると、株式市場でも勝てるようになった。

モテる

金があるとモテる。これはガチ

年収は公には言ってないが、清潔な服を着たり肌ケアをしたり、

そこそこの値段(一人7000円〜10000円前後)のお店に連れてご馳走してると

否が応でも「懐に余裕のある人」と伝わる。その余裕感がモテにつながっていると思う。

まり直接的な金ではなく、金があることによって得られる自信や器の大きさが

女性から見たら魅力的につながるのだと考えている。

そういうこともあって割といつでもセックスに応じてくれる女性複数人いる。

なお風俗は不潔なので興味ない。

金銭面での自己肯定感は増えない

知人女性ご飯をご馳走したりホテル代を払う余裕は十分あるが、

金銭的な自己肯定感が増えるかというとそうでもない。

知り合いに起業家なども増えて来るので、そういう人から見たらまだまだ自分なんて矮小だと感じる。

自分と比べる相手が強くなってくる。

自分もこんなところでくすぶっていたらダメだ、という思いが日々募る。

自己責任論者になってくる

例えばプログラミング技術を得れば、月50万円の収入を得ることは容易い。

業界が異なる人でもプログラミング勉強をして副業に精を出せば月10万円の収入も難しくはない。

そう考えると、何もしないで月給20万円で不満を言ってたり、生活保護で生活している人は

「なんでそういうことをするの?」という印象が強くなる。

ほんの少し頭を働かせれば稼げるのに、それをしないで社会政府文句を言うのはおかしい。

ほとんどの場合は多少の努力で金を稼げば不幸を撃退できるのに、それをしないのだから自己責任では、と思う。

まとめ

1000万程度では良くも悪くも普通サラリーマンと同じような生活

2021-04-20

息苦しさの要因は

もともと引っ込み思案で、なにかと人の顔色を伺うような人間だった。

 

そして自分場合は、自覚もしているけれど、特定環境下で著しくパフォーマンスが下がる。

自分とは関係のない人のコミュニティに行ったり、大きく環境をかえたりすると、社会不安性のような、しどろもどろな感じになってしまって、今でもだけど、ずっとコンプレックスだった。

 

その結果、狭い世界の中で生きてきて、それまでは自分はそこそこなんじゃないかって思っていたけれど、ほんと全然だった。

 

なんかそれを最近思い知らされることが多くて、悲しくなって、ひととおり落ち込んでた。

 

でも人生否が応でも続いてしまう、なんて体の良いことは言えてしまうくらいのメンタリティはあって、

そういうことも含めてすこしづつ受けいられるようになってきた気がしている。というのが今。

 

これまでの人生を振り返って、特定環境下でパフォーマンスが著しく下がる理由を、自分なりに考えてみたのだけれど、「自分に対してどう思っているか」が、わからない状態コミュニケーションをするのが、とても苦手であることらしい。

 

もっというと、人から悪く思われているんじゃないか、ということを常に考えながら会話している、なのですごく疲れるし、

自分の素がだせないので、相手からも信頼されない。

逆に信頼をしている奥さんとか、親しい友人には、そんなことはまったくないんだけれど。

 

じゃあなんで自分に対してどう思われているのか、が気になって仕方がないのか、といえば、

本当の自分は根っこが醜いやつで、自己中心的という自己認識があって、自分を出してしられたくないから、

そして嫌われることによって、コミュニティにいれなくなるんじゃないかという恐怖心と

かに否定された自分を認めたくないという歪なプライドから、変なコミュニケーションが癖になってしまっている。

 

本当はいろんな人と、繋がりたいけれど、嫌われるのが怖くてどうしようもないのが自分

から変に意識をしてしまって、結果的パフォーマンスが落ちるのではないか、という結果に落ち着いた。

 

なんだかいつの間にか、知らずしらずのうちにとっていた回避行動が、癖になって抜けなくなってしまったような、そんな感じがしています

 

いやでも、違う、自分は本当は引っ込み思案じゃなくて、本当の自分は、もっとおちゃらけていて、おもしろいことを言うのが好きで、

でもだれかに否定されてきたり、ちゃんとできなくて、見放されてきて、その結果、人から悪く思われないことを目的にして生きているような気がしている。

 

なんで自分はこうなんだろうか、これからちゃんと生きていけるのか、心配である

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん