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2019-04-17

世界だんだん良くなっていない

世界が良くなっているというのは

人間ものすごく客観的物事判断できる前提にあるけど、そうではない。

例えば100年前は、食べ物にも困っていたけど、今は困らなくなったという事象は、

客観的に見れば良くなっているのだけど

人間はそんなに理性的にはできていない。

例えば、100年前は食べ物にも困る状態ならば、お茶碗一杯のご飯でも幸福を感じれたかもしれないが、今はそうではない。

なぜなら、人間は「差分によって」幸福感を感じるように、本能インプットされているからだ。

今の状態よりもより良いものを求めて、それを手に入れると幸福を感じるようにできている。それが、道具を生み出し、テクノロジーを生み出し、人類散歩させてきたわけだ。

まりご飯一杯で満足できてたものが、今ではそれでは満足できずに、より美味しいものを求めているわけだ。

客観的に見れば、よくなっているのだが、

主観的世界が良くなっているかは全く別なのだ

それどころか現代さらに悪くなっている。例えば100年前なら、たらふくご飯を食べれる人がいたとして、食べ物にも困る生活をしている人がいて、両者が交わることはあまりない。地理的な制約があるからだ。

しかし、現代テクノロジー進化によって、SNSやらで豊かな生活をしてる人をいつでもどこでも知ることができる。そして、それらと比較して自分生活に不満を感じるのだ。

まり現代は「差分によって」不幸になりやす構造なのだ

人類はここまで進歩してきて、俯瞰してみたらもちろん良くなっている。しか人間の脳はそう単純にはできていない。

そう、ブータンが最も幸福国民だと言われているが、彼らは比較できないか幸福なのだ

日本人のどこのどいつが、江戸時代より良くなってるから満足するのだろうか?

この人間世界が、良くなっているとは到底思えないのだが。

2019-04-16

anond:20190416214215

寛解はしてない

服薬もしている

客観的に見れば新しい環境での自己承認欲求が出すぎているための行動かと思われる。

職場ではもう俯瞰して物事も見れないけど。

2019-04-14

こいつのお陰で東大レベルの低さが露呈したな

現役東大生だが上野千鶴子祝辞ゴミだと思う

https://anond.hatelabo.jp/20190413114026

立ち位置飛びまくってて

反復横跳びでもしてんのかって感じ

上野の味方なんて別にしないけど

俯瞰してもう少し深く読み取れんかね

受験テクニックとして塾で習わなかったか

マウントしようとしてるのか分からん

やってる事は上野同類(ただし下等)だな

2019-04-11

anond:20190411163225

天職行きの(成長を例えた)バスでしょ。

 

元増田がいってるのは、

バスを途中なり終点で降りてスクーターなりナナハンなりに乗り換えて

目的地まで渋滞すりぬけて走れるような才能が、自分にはなかったじゃないか!って嘆きだろう。

 

でも過去えらくなった人を俯瞰すると終点まで遅いのを我慢してバスに乗ってた人でも決して遅くはないんだよな。

まあ業種にもよるけどね。元増田は何を想定してんのかね。

そんなに才能が重視され早く結果をださなければいけない業種ってなんなのかね。

アイドル相撲取り騎手ふくむスポーツ選手なのかね。

タレント立ち位置によって別に間に合わないことはないとおもうけど。

かとうひふみんの例もある。

大企業新卒じゃなく30代で転職で入った人も実際2~3人知ってる。

公務員だって派遣顧問、出向のような形で外部から採用をとってるとこある。

芥川賞などの文学賞受賞者なんて8割以上は大卒だし他業種経験者だろ。

 

この嘆きからじゃとりあえず増田無知ってことしかわからんね。

2019-04-08

独り言つぶやく癖がある

30代男性。妻子あり。

独り言つぶやく癖がある。

激昂した感情漏れ出るではなく、感情の流れをそのまま垂れ流すでもない。ある定型にそった言葉がほぼ無意識にこぼれる。幼少の頃からそうだったのではなく、20代半ばにそのような癖ができた。

定型文の内容は有り体にいって情愛に関するものである

何某カナ的に誰それに会いたいであったり、誰それが好きだであったり、最も直接的なものだとセックスしたい、である

対象となる人物実在するかは問わない。むしろ実在しない場合の方が多いように思う。

この独り言がどのような心理的作用によって発せられているのか寡聞にして知らないが、独り言でなにかしら情愛の対象となっている人物に対してのその感情に偽りはないのだと思う。

まり俺は、神戸から転校してきたクラス委員長結婚したいし、ボクっ娘な真とキャッキャウフフしたいし、みくにゃんとにゃんにゃんしたいにゃあ!


今朝のことである

昨晩意図せずに早寝したせいか、珍しく誰よりも早く目が覚めた。

先週は任せっきりにしていた朝の家事今日は妻のぶんまでこなそうと思い、すぐにキッチンに向かった。6時前だった。

シンク食洗機も片付いていた。

朝食の支度をするにはまだ少し早い。

ダイニングに目をやると、麦茶ピッチャーダイニングテーブルに取り残されたままになっていた。まずは麦茶を作ることにした。

T-falに半分ほど注水してスイッチを入れてからピッチャーの底に澱んでいた麦茶シンクに流す。

じじじじじ、と電熱器が加熱される音が次第に水が沸騰する音にかき消されていく。

熱湯消毒は洗剤で洗う前にした方がよかっただろうか。

そんなことを考えながらピッチャーを洗う後ろで、ぽこぽこぽこと沸騰音が徐々にキッチンを満たしていく。


独り言環境ノイズが大きくかつ多くなればなるなるほどその存在を主張するがごとく大音量で発せられる。

「●●ちゃんセックスしたいにゃあ」

その時俺は一字一句わずこう言った(伏字部(●●)除く)


その刹那

「●●ちゃんて誰?」

T-falから溢れる沸騰音とシンクの水音を遮る声があった。妻だった。

ゲームキャラ……だけど」

間髪入れずに、半ばオートで答える。そんな俺を俯瞰している俺がいて、いつの間に分かれたかは知らないが、多分そっちが本物の俺だった。

数秒の間をおいて俺が重なり、同時に焦燥に似た何かが沸き上がってきた。

やっちまった? とうとうやっちまったな。いや何を? やってないぞ俺。いやヤりたくはあるのか。

キッチン脇を抜けてリビングに向かう妻の後を追いながら「恥ずかしいから聞き流してくれよー」と照れ隠しに笑う。

「知らんがな」と顔をこちらに向けずに妻は言い放つ。これ以上的確な受け答えはない、と思った。


そもそもである

「●●」とは誰なのか。

とっさにでた回答には往々ににして真実が含まれる。

健康アイドル姫カット貧乏お嬢様? 第5世界のイアルの子? FARGO教信者ICPOヨーヨー使い?

他に誰かいただろうか。それらのキャラクターと俺はセックスしたがっているのだろうか。

自問の答えは出ず、妻にはバツの悪いまま、慌ただしい朝の日常に呑まれていった。


そのとき俺は失念していたが、いたのである

いたというか自分で作り出していた。自分でハニーをセレクトしたカスタムメイドキャラクターを。

なぜそのキャラクターにその名がついたのか理由はわからない。

集合的無意識によるものかもしれないし、チュパカブラ様のご神託だったかもしれないし、或いはそれが世界選択だったのかもしれない。

ともかく、●●という名を持ったセックスしたいキャラクターは存在していたのである

自身への疑問は解消した。しかしこれをどう妻に説明しようか。既存キャラクターでも大概だというのに、自分クリエイトしたキャラクターである

ただでさえ性的に拗らせた感バリバリなのに、(控えめに言って)もっと面倒なヤツ扱いされはしないだろうか。

いやそれ以前に説明する機会は訪れるのだろうか。

まずもって俺は今日どんな顔をして「ただいま」と言えばいいのだろうか。

anond:20190408152438

けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。

おうち探しの結論が「大好きなフレンズと一緒のここがおうち」であるなら、「人間フレンズにひどいことした」は、避けて通れないかと。

イルカアシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える

元々の話は、人間動物ねじ曲げてしまたことの悲劇、罪悪感、グロテスクサが表現されてるか、でしたよね。それらは一つの責任の取り方かもしれませんが、そうしたニュアンスは、存在しないかと。リョコウバトの場合、「君の家族は全員死んだけど他にも仲間はいるよ。殺したの俺の仲間だけど」というのが「責任」かと言われると、ちょっと。もちろん、絶滅動物に対して人間が償うべきなのか、どう償うのかは、大きなテーマであり、けもフレ2内の1エピソードとして処理するのは限りなく無理です。しかし、だったら最初からリョコウバトを出さなければ良いかと思うわけです。そのあたりが深く考えてないという話です。

余談ですが「おうち探し」がテーマで、「仲間と一緒のここがおうちだった」に落とすためには、通常、「おうちは見つかったが、その上で、仲間と一緒にいることを選ぶ」というプロットします。そうしたほうが「自分意志で選んだ」感が出るからです。「おうち」が見付かったけど、廃墟だったとか、「おうち」側から同胞と認められなかったとかでショックを受けて、その後、決心するとかが基本パターンですね。そこが全くないので響かないんですよね。

イエイヌ不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います

キュルルが、イエイヌ孤独、寂しさを理解しつつも、「飼い主の責任」のために去って行く、と、取れる描写があればよかったですね。また飼い主の責任の話を強調するなら、イエイヌが「ヒトなら誰でもよい」と言ってしまってるのがダメでしょう。イヌは「ヒトなら誰でもよい」生き物ではないわけで、そっちのほうが誤解が大きいし、「イヌは人なら誰でもいいんだから、他の人に、あげればいいじゃん」という無責任に繋がりかねません。

私なら、最初イエイヌが、キュルルを、去って行った飼い主と完全に誤解している。キュルルや他のフレンズの助けで、イエイヌが元の飼い主のことをきちんと思い出す。その時、元の飼い主がイエイヌと別れた時に、安易に捨てたわけではなかったことがわかる。キュルルはイエイヌの寂しさを受け止めつつも、今の自分に出来ることはないので、別れる。一人のイエイヌの家に、他のフレンズが遊びに来る、などとします。

野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。

何歳くらいを対象に考えてるのかわかりませんが、「ヒーローがなんか技名叫んでパワーアップ」は、戦隊ものでもプリキュアでもアンパンマンでもあるので、そうそう引っかからないと思います

サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。

あの時、サーバルの目が光ると、ビーストも同じように目が光るカットがあるので、「同じ系統のパワー」に見えるんですよね。一期の野生解放と同じものか、ちょっと混乱する。

内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。

念のために確認しますが、私の意見は「内面世界の外への進出自体は、多くの作品共通する、いわゆる「盛り上がる」部分です。ただ、その進出の仕方に、世界現実の仕組みに矛盾しない理屈がある場合と、理屈なしでイメージが直結する場合がある。ケムリクサは前者で、けもフレ2は、後者のように見えるという話です。

けもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。

通常、作品における伏線・回収は、プロット重要なメインの部分についてやるものだと思います。一つの作品で、画面に映ったこと全部に完璧説明をつけようとすると、かえって面白くなくなるので。それを理解した上で「すべてに筋を通すべく没頭」するのは一つの楽しみ方ですが、作品単体にそれを要求する必要はない。わからないことがあることを含めて楽しめば良いかと。もちろん、楽しめないほど大きな矛盾があれば別ですが、私はそれは感じませんでした。

他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合意識しなくてはならなくて、キャラクターかぶらないようにしなければならない。ヘラジカプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテル位置時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。

続編作品のほうが様々な制約があり、オリジナル新作ほど融通が利かないのはその通りだと思います現場の方々は整合性を取ろうとしたのだと思いますけもフレ2で、派手でない部分で、筋、整合性を通してる部分があるのも、もちろんだと思います

その上で、重要な部分で、フウチョウが出てきたりするあたりはファンタジーであるなと。「記憶ケムリクサが不自然に発動したこと」にご都合性がないとは言いませんが、「幻想だか現実だかもよくわからないフウチョウコンビが、どこにでも現れて説教する」は、後者のほうがファンタジー度が高いでしょう。

キュルルちゃん出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。

肩すかしなのは、キュルルちゃん出自と、最終話に至るドラマキャラ動機等が、特に関連しなかったからです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズで、疑似不老不死だったことを眼目とするなら、それが何かと絡む必要がありますベタなのは、それによってセルリアンを倒す助けになるとかですね。そうでなくても構いませんが、そういうのが必要です。けもフレ1で、かばちゃんミライフレンズ化だったというのは、「セルリアンに食べられたかばんちゃんが復活した理由」というドラマと結びついてるから意味があるわけです。

ワカバ場合ワカバリン関係性、ケムリクサの赤い霧の世界がなぜ生まれたか姉妹達とはなんだったのか、という、キャラ動機起源世界の成り立ちが解かれて、それが最終決戦の盛り上がりに繋がるところに意味があるわけです。ワカバが、宇宙人なのか、天使なのかの細部は、想像に任せるで良いのです。

牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空から俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。

合理性があろうがあるまいが、1と2の共通するクライマックス部分で、似た構図の印象的なカットを出して、共通性を感じないわけがないです。そこは制作者は気づくべきです。

それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃん誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界概念スピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思いますけもフレ1でも博士サーバル図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウ能力表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズ酷使して、かばちゃんを、りょうり要員として使役しています視聴者全面的エンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない

視聴者視点では行動が横暴に見える」のであれば、それは「優しい世界」「癒やしとしての芸術表現」として失敗してるのではないかと思います

そして「”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしま」うこと自体簡単かもしれませんが、その結果、出来上がった作品面白くなるか、評価されるかというと、それはまた別問題ですよね。「優しい世界」というのは、面白かった作品への誉め言葉として使われているように思えます

一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。

不備について、いくつかは、これまでにも書いたと思います。この記事だと、イエイヌ周りとか、キュルルちゃんの「おうち」「正体」周りですね。

細かな不備はさておき、大きく重要なのは、おっしゃっていた「視聴者視点では行動が横暴に見える。」という点が、印象に残る点だと思います。作り手の意図として「視聴者に対して、キュルルを横暴に見せたい」と思っていたわけではないでしょう。だとするのなら、意図に対して演出脚本が失敗しているわけです。

初見ではわからいかもしれないが、よく考えるとわかる」部分があるのは作品に深みを増しますが、それは細部にやる話で、ドラマとして盛り上がる重要ポイントで誤解を与えてはいけない、というのが普通の作劇かと。

anond:20190408014023

広い意味調和し、繋がる必要はあります。さもないと単に、とっちらかった話になってしまます

けもフレ2の場合、キュルルが「みんなのことが~大好きなんだー!」と叫び、これが多分メインテーマなわけで、だとすると、「リョコウバトを絶滅させ、イルカアシカにショーをさせ、イエイヌ人間なしには生きられなくした人間の業」はメインテーマと真っ向からぶつかるアンチテーゼなわけで、その業とどう向かい合うかは、避けて通れない話でしょう。軽く触れるだけで終わらせるのは構成的に不備があります

けもフレ2のメインテーマは「おうち探し」だと思ってました。そうだとするとヒトの業はアンチテーゼとしては機能しないです。ただ、テーマについて、議論を受けて改めて考えなおしてみたのですが、それぞれ責任の取り方を示唆する決着にはなってたと思いますイルカアシカは芸のネタを与えてあげる、イエイヌは(他人ではなく)飼い主が戻ってくるのを待たせる、リョコウバトには「ひとりじゃないみんなが仲間」ということを教える。イエイヌ不憫感のある結末でしたが、あそこでキュルルちゃんが代わりの飼い主になってしまえば、視聴者は「ああ犬を捨てても誰かが拾えばいいんだ」と受け取ってしまいかねない、飼うことの責任を結果の悲しさを見せることで匂わせた、そういう意図だったのではと思います木村監督仕事受けたあとインタビューで「娯楽なので、ぶっちゃけ監督なんて誰でもいいんですよ」とお話したそうです。この言葉謙遜、およびプロとしての矜持だった、道具に徹するという意志の現れだったのでしょうが騒動で傷ついていたファンには「たつき監督への侮辱か」と受け取られてしまったようで、残念なことです。作劇のプロとしての基準がどのようなものか存じませんが、一般的エンタメ方法論の尺度では、(見得を切った割には)十分な水準に達していなかったということでしょうか。俺としてはとっちらかっているとまでは思えなかったです。

「野生解放と言わずに野生解放で急に強くなる」は、わかりやすさ優先ではなく、むしろ、わかりにくくなっています

野生解放を明言しないの目的が引っかからないようにするため。性格自己申告の目的がわかりやすくするため、と申しました。サーバルは対ビースト戦でも野生解放を使っているので、視聴者最終話のシーンでは引っかからないだろう、と考えたのでしょう。むしろ俺は貴方レベルでそれを見落としたことに驚いています。すくなくとも演出の目論見は失敗したと言っていいでしょうね。

ミドリケムリクサ自体回復できるのに、なぜ、赤を回復してしまわないか、は、複数の葉を重ねて作られた赤を「治す」ことで、元に戻してるのかもしれません。

いただいた他の論はあまり説得力を感じませんでしたが、この解釈は的を射ていると思います考察によって筋を通すことができる、それに耐えられる作品になっている。そういう信頼がたつき監督にはあり、木村監督には無かったのでしょう。見返しておられるとのことで詳しくは控えますが、あらゆるポイント伏線と回収があります。りんが記憶の草を触られて居心地悪くしているシーンは流し見るとなんかエッチ雰囲気に見えてしまますが、きちんと意味のある描写です。内面世界の外への進出、この観点で二作品の差を論評するのはいささか無理があるのではないでしょうか。俺はけもフレ2もSFアドベンチャーとして設定を考察していますしかし先に触れてらっしゃいますが、全体的な伏線-回収のスタイルには2つの作品は確かに大きく異なっています

「さぁとっとと野生解放するのです」… かの名言を忘れているとは。おっしゃる通りで返す言葉もないです。やれやれ咀嚼が足りてないですね。噛めば噛むほど味が出る、これがたつき監督けもフレ1以後の作品凄さでした。個人的には、けもフレ2もそのスピリットを色濃く受け継いでいるように思えます

ただケムリクサという作品は、全体を通して様々な伏線があり、矛盾意味不明に思えた描写が「なるほど、こういうことだったのか!」と思う瞬間が何度もありました。だからこそ、矛盾と思える部分についても「もしかして、これはこうなのでは」と考えたくなりますけもフレ2は、そういう作品ではないので、

これには異を唱えておきますけもフレ1にくらべてもケムリクサは、伏線-回収のプロセスがかなり表面に出ており、しかも草や姉妹の周りで深く・複雑に織り込まれています。流し見していると、在りし日の姉達の思い出や、草の種類など、設定開示が多すぎて雑音が多い視聴感になると思うのですが、すべてに筋を通すべく没頭してみれば、極めて大きいS/N比を持っていることが判る。他方けもフレ2では、けもフレ1の設定との整合意識しなくてはならなくて、キャラクターかぶらないようにしなければならない。ヘラジカプロングホーンは性格はごくごく微妙に違っています舞台装置の融通がケムリクサほどには効かない。遅いジャパリトラクターと海の二人のスピードの差、ホテル位置時代を重ねた末のキャラクター同士の関係性の変化。そういうことで破綻がないようにしなければならなかったわけです。ボスウォッチでキュルルちゃんを探すことができてしまうと、けもフレ1で海に落ちたボスラッキービーストは探せなかったのと矛盾が出る。伏線だけでなく視聴者の印象にも配慮しなくてはならない。最終話唐突ボートが出てくると、あれ? けもフレ1のかばちゃん出立でバスを使ったのはなぜだよ、というショックを与える可能性があるので、うみのフレンズ回で予め出しておく。”うみのごきげん”はそのタイミングで合わせて出す。パーク内でのボスウォッチの在り方は、けもフレ1では”脳みそソコについてんのか!?”というビックリ要素でしか無かったですが、バスハンドルディスプレイウォッチをかざせというようなGUIがあるところからみて、ウォッチボス形態の一つだったと考えられます。そして引き出しに大量の異型筐体のボスウォッチ。「コレを持っていって」っと手渡す。様々な疑問に筋を通す解釈を俺は見つけることができました。見逃してしまうような設定開示を考察で結ぶことができる、これはたつき監督お家芸だったはずですが、継いだ最初仕事再現できる手腕には舌を巻きます

このようにけもフレ2では設定が矛盾しないように、しかもそれを前面に押し出さず(制作が苦労している感が出ないように)背後で処理している。考察を進めると考える上でヒントになる(あるいは制限になる)情報があちこちにあるわけです。視聴時の情報の引っかからなさが、けもフレ2の優れたポイントです。キュルルちゃん出自も明示的には解決されませんでしたが、一話中心にためつすがめつしてよく見直すと推測の材料が仕込んであり、最終話Cパートですべてが繋がるわけです。キュルルちゃんがキュルルちゃん本人のフレンズなら、コレは擬似的に不老不死を実現していることになる。そうすると、けもフレ1の山頂の戦闘機にも理屈がつけられるような気がしませんか。よくある批判に、キュルルちゃんの正体が最終的には謎じゃないか、というものがありますがそれを言うと、わかばの正体も最終的には謎でした。俺から見ると、どちらも読み解くのが… とても楽しい貴方ほどのレベル視聴者にこの作品メルヘン扱いされているのは、勿体無いことこのうえないです。”義憤”や”同調圧力”などがそうさせてるとしたら… ううむ、最初の諍いのとき制作プライドを曲げてでも頭を下げて、互いに許し合うべきだった。残念です。

あのシーン(引用者注けもフレ1の全員集合シーン)を、フレンズセルリアンで再現した、けもフレ2は本当に何をしたかったのだろう……。

牽強付会ですよ。囲まれた敵に立ち向かう描写は自ずとあのようなカットか、あるいは上空から俯瞰のような見せ方になると思います。まさに悪意をもって粗をさがそう、好意的にすべてを伏線ととろう、そのような態度の差が、けもフレ2とケムリクサの評価を分けた一因なのでは。

「優しい世界」と呼ぶかは意見が分かれるかもしれません。ただ、ここで書いたようにキャラ基本的な優しさ、裏表のなさなど、けもフレ1とも共通してる作家性があり、だからこそ、全体として、けもフレファンの人にも人気が出た、くらいは言えると思います

それを仰るなら、けもフレ2も優しい世界になるでしょう。センちゃんアルマーさんもペパプに暴行を働いたりキュルルちゃん誘拐したことはあったけど、基本的には裏表はなく素直で親切心が高く、イエイヌに貢献できたことを「善いことをしたね」と振り返る。ただその在り方がひたすらにストレートなので、視聴者視点では行動が横暴に見える。けもフレ2のジャングルメンバーは互いに本気で諍いしていますが、キュルルちゃんの仲立ちもあってか最終話ではツンデレ仲良し感を醸し出しています。”キャラ基本的な優しさ”や裏表のなさを実現するのは、恐れながら申し上げますが、難しくないでしょう。人数を絞ればキャラも立たせやすいのでは。そのうえで悪役を自意識のないモンスターにしてしまえばよいわけです。その程度で「優しい世界」とみなせるならそれこそ監督なんて誰でも良くてもできるでしょう。たつき監督が立ち上げた「優しい世界概念スピリットは、けもフレ2にもケムリクサにも息づいていますが、しかし全く道半ばだと思いますけもフレ1でも博士サーバル図書館来館時に背後から頭に蹴りを加えていますし(フクロウ能力表現としても蹴るまでは不要だった)、アニサマコラボ動画では大量のフレンズ酷使して、かばちゃんを、りょうり要員として使役しています視聴者全面的エンパワメントするというか、癒やしとしての芸術表現はここからもっと発展していくべきでしょう。監督名に自動的にくっついてくるラベルにしておくのはもったいない

その上で、けもフレ2の設定や伏線に不備がない、とまでは私は言えません。

一般的エンタメ作劇論では低評価するしかない、というのは、納得できました。しかし不備があるというならそれを示していただけませんか。広義の悪意について考えたのですが「対抗心さえ悪意」のように考えると、あらゆる創作に悪意は入り込みます問題なのは「悪意が前に出すぎてて、作品として楽しみづらい」ことですよね。作品問題なのか・楽しめない理由が俺たち視聴者にあるか、判別するためには議論を重ねるしかないと思うのです(追記とはいえ、やり取りも長くなったので先は後進に託すとしましょうか?)。

2019-04-02

おまえがプログラミング言語学習とき挫折する原因

教材がクソ

初心者向けの教材はめちゃくちゃ数が多い。おまえ何もわかってないだろってやつが書いたようなうんこみたいなやつも多い。全体を俯瞰して書かれてないことが多い。ちゃんとしたプログラマを探しだして、そいつに金でも払って本の内容を軽くチェックしてもらうだけでも全然違う。その言語の作者が書いた本とかが一番いい。

文が読めてない

おまえが読めていると思っている文は実は読めていない。全然理解できていない。前の段落や行を読み飛ばして、難しいところをないがしろにしてきた結果がそれだ。

一度にすべてを理解する必要はないが「ここがわからない」という認識を絶えず持つ必要がある。読め。理解しようとしろ。「なんで?ちゃんと書いたのに」とか言うな。ちゃんと書けてない。自分を一切信用するな。おまえが考えている以上におまえはクソだ。自分より能力が高かろうが他人もそんなに信用するな。人間はクソだ。

ただコンピュータだけを完全に信用しろコンピュータおかしときがある?それはそれを作った人間がクソなだけだ。

日本語だろうが英語だろうがコードだろうが、とにかく文はしっかり読め。読み込め。理解しようとしろ。文が間違っていることもあるから常に疑え。

コンピュータ原理を何1つわかっていない

HTTPSSD?なんですかそれ」ぐらいの気持ちで始めると間違いなく挫折する。そういうあまりにも基本的すぎる知識は「みんな知ってるでしょ」という前提の元に書かれている。あまりにもみんなが知っているのでもはや空気のように存在している。「HTTPという言葉を知らないで今までどうやって生きてきたんだ」レベルで知っている。

それすら知らないということは「おまえは酸素を使って呼吸しない生命体なのに地球上にいる」ということだ。そんな状態なら当然死ぬプログラミング以前にまずその空気を取り込めるようになれ。並行して勉強するのでもかまわない。

「そういうものだ」で納得してもかまわない部分に取り憑かれすぎ

代入が「=」なのなんでだろとか、そういうのは比較的どうでもいい。そこは「そういうものだ」で流していい。そういった疑問点は着実に文章化しておいてあとで解消すればいい。ただし「何のために存在しているのか」は考えなければいけない。ここの説明を抜かしているクソ教材が多い。ほぼ全員がインスタンスで躓くのは、オブジェクト指向がここまで発展した経緯を一切知らないからだ。あんもの誰でもわかる。

「何がわからないのか」をかなり明確にしていれば「何がわからないのかわからない」よりも数段わかるようになっている。

全部わからない?そういうやつは死ね

自分は生徒」という考え方

「そんなの教えられてないから知らない」という考え方では一生わからない。ぶっちゃけ教師側のリソースは超不足している。「プログラミング言語やっとわかるようになりました!」「プログラミングあんまりよくわかってないけど超初心者よりはマシです!」というやつが教師という場合が多い。一応、比較ちゃんとした人が教えてくれるものもある。あるが、そういうのは費用が高い。普通に働けば月100万もらえるのに、わざわざ月20万とかで人に教えようとするやつは奇人しかいない。だから基本高い。

金がうなるほどあるなら無限に高いところに払え。それが一番楽だろう。

ただしプログラミングは独学が基本。プログラミングに限らずなんでもそうだろうが。教えはおまえが必死に請うものであって、教えてもらうことを待つな。

自立しろ

すぐ諦める

どれだけやってもわからないことはある。それはバカからとかではなく、自分がどこで躓いているかからないだとか、教材がクソすぎて罠にハマったとか、英語全然読めてないから何もわかってないとか、自分数学能力ゴミクソすぎたとか、なにかしら原因がある。工夫しろ。考えろ。探せ。

そこで挫折するから挫折する。

挫折するな。

そこの部分は簡単だ。死ぬほど。とりあえず1000時間やれ。1000時間やって無理ならもうそれは無理。手の施しようがない。たぶん人間をやり直した方がいい。

かけた時間を記録しろ。集中した時間だけを記録しろパソコンを立ち上げた時間じゃない。

お前が挫折するから挫折するんだ。お前が挫折しなければ挫折しない。心が折れなければ挫折しない。わかろうとする気持ちがないことを挫折表現するな。

わかれ。

諦めるな。読め。わかろうとしろ理解しようとしろ。おまえはまだ理解しようという気がない。眼の前にある知識を、自分の考え方にあわせてねじまげようとすればそれは理解できるわけがない。自分の考え方を新しい知識適応させろ。おまえは知識レベルでいうとミジンコにすぎない。ミジンコ人類の叡智に立ち向かっているのだと考えろ。

おまえはクソだ。

ただし同時に「自分にはわかるはずだ」という強烈な無知蒙昧で傲岸不遜な考えを持って挑め。諦めるというのは、つまりおまえはミジンコのうんちぐらいの存在だということだ。

諦めるな。

それでも無理ならお前はプログラミングに向いてないからもうやめろ。無意味だ。

2019-03-27

上司マクロ俯瞰)で仕事できないので…

上司マクロ俯瞰)で仕事できないので、現場スケジュール先読みがいつも遅れ、行き当たりばったりで大変苦労している。

その上司は、棚ぼたで部長になったのだが実務を知っているのかと思いきやそれも面倒くさがりで覚えない。実務が知らなくてもマネジメントサイドで活躍してくれるのかと思ったらマクロ視点業務をとらえていないのでオペレーションの動きが理解しておらず後手後手。

自分経営者の父を持ち、少なから経営には一部をとらえるだけでなく全体のバランスの舵取りが必要と肌感覚で育ってきたので、今の上司に戸惑っている。彼は頭はきっといいはずなんだろうけど技術肌で人の気持ちもあまり読み取れない感じで本人もマネジメントに携わっている意識があるのか疑問に思う。 自分は実務、現場で同僚、後輩に多少なりとも指示を仰がれたりするのだが彼からみるとそれが謁見行為におもわれているようで…。 私は彼がやってくれるならやりたくないのに、どうもやっかみから敵視されだした。あーあ、早く移動してくれないかな。

2019-03-18

anond:20190318182724

十年後に同じ結果になったとしても自分がその時生きてるとは限らないから、俯瞰ではなく等身大で見ると「もったいない」と思う個人的意見

面白いと思うものが十年後にはつまらないと感じる感性に変化してるかもしれないし。

2019-03-17

自分が正しい、常識、当たり前と思ったときこそ疑ったり俯瞰する矜持を持ちたい。

そしてなぜそう思ったか、そっちを選んだか意識に落とし込みたい。普段無意識に生きているから。

2019-03-16

anond:20190316121639

深堀する前のさらっとした俯瞰での把握みたいなニーズはあるよね

anond:20190316041332

いかがでしたかブログは何度も見ようと思わないけど、だいたい一度は見ちゃう

いかがとウィキ見て必要情報自分でまとめてる感はある

完全なデタラメなら文句も言いたくなるけど、対象についてある程度俯瞰するにはちょうどいいと俺の中では一定の評価を出してるよ

2019-03-15

この度、私は増田をやめることを、ここに宣言します。

なぜわざわざ宣言たかというと、もちろん自己顕示承認派生からなる欲求関係しています

というわけで、これから私のセンチメンタルな身の上話を交えながら、増田をやめることになった理由を書き出していきましょう。

前置きとして、とても長い文章であることや、これが駄文であることを保険としてかけておきます

はいわゆるゼロ年代に生まれました。

もちろん、私は生まれてすぐに増田を始めたわけではないため、この情報客観的に見て蛇足です。

ですが、このまま話を進めましょう。

父と母は今風にいえば“毒親”というやつで、そこから毒を抜いたような親でした。

そんな家庭で育ったこともあり、私は思春期を迎えたときには性格が歪みきっていました。

友人は少なく、モテたといえるほどの恋愛もできず。

キモくなくて、お金がありました。

いずれ増田になるのは必然だったわけです。

そして還暦を迎えたとき友達田中一郎様に誘われて匿名ダイアリー出会いました。

匿名ダイアリーでの体験毎日がエキサティングで、私はたちまち虜となります

特にハマっていた時期だと、人気エントリに必ず言及したり、流行りの議論には積極的に参加していました。

匿名性をウリにしているのに特徴的な文体存在感を示したり、一部のファンが必ずブクマしてくれるのをいいことに同じ形式エントリを何度も書いたりもしています

ここだけの話自分の書いたものに別人を装って言及したり、自分ブクマしてホッテントリを狙うこともありました。

それだけ、私にとって当時の増田は切り離せないものだったのです。

しかし、それは長く続きませんでした。

そんな日々が数十年も続くと、さすがの私もマンネリを感じ始めます

私の気持ち問題か、他の増田問題なのか、ブクマする人達問題なのか、はたまた匿名ダイアリーサービス問題なのか。

確信はありませんが九分九厘匿名ダイアリー問題だと私は思っています

もちろん俯瞰して考えれば、ブクマする人達性格が原因ではあったのですが。

いずれにしろ増田ストレストラブルの温床になっており、今すぐやめるべきであったのは明白でしょう。

だのにやめられない、とまらない。

完全に中毒です。

もはや私にとって増田というものは、貧困層にとっての高カロリー食品と同じになっていました。

生活習慣病まっしぐらの私は、家族や友人をいつも心配させていたように思います

直接謝る気はないので、ここで「申し訳ないと思っている」と書いておきます

もはや死ぬまでこのままだと思っていたある日、転機が訪れます

従姪孫の友達が遊びに誘ってくれたのです。

もちろんそれは断りましたが、ふとその遊びの起源が気になりました。

検索してみるとトゥギャザーなまとめ記事が出てきて、私は何の気なしにそれを見たのです。

そして、その記事に書かれた話を読んで、私はハッとしました。

グッときて、パッと目覚めたような快感に襲われます

戦隊ヒーローは多対一だからズルい」と言われた時以来の衝撃といえましょう。

何も変わっていないのに、何かが変わったような感覚漠然と包み込まれたのです。

から私は漫画家になろうと決めました。

個性キャラを描いて、自分の主張を喋らせることに人生を費やそうと。

それが無理ならラーメン屋でもいいかもしれません。

そういうわけで、夢を実現させるため私は増田をやめる決意に至ったのです。

ですが増田のことが嫌いになったわけではありません。

しろ嫌いになりたくないからこそ、やめたというべきか。

しかしたら十数分後には戻ってきて、なぜ戻ってきたのかを説明するエントリを書くかもしれません。

それを恥ずかしいことだと私は思わないし、思う必要もないと考えています

自分意志で「やめる」と宣言したので、それを撤回するのも私の意志なのだから

なので皆さんは私を応援して、何らかのセンセーショナル言葉をかけて欲しい。

己の人生観を下地に、何かを悟っているような口ぶりでブコメを書いてもらえると嬉しいです。

そしたら追記エントリを書いて、皆さんと馴れ合うことができますから

最後になりますが、私は増田をやめることを後悔しません。

未練が残るのみです。

ここで仲間たちと過ごした日々、たくさん書いたエントリを忘れないでしょう。

長々と駄文、失礼しました。

2019-03-13

anond:20190313202554

組織を動かしたり俯瞰して見る立場になった事がない奴だから言えるんだろうな。

かに制度上、罰則がある訳じゃないしお得って言っちゃえばそれまで。モラル問題から

会社はそれによって損害受けてる訳だから、訴えてもいいんじゃないって思っちゃうけどな。

2019-03-10

anond:20190310080015

ようやく世の中の全体を俯瞰認識できるようになって、

その不平等さに苛立ちを覚えているのではないでしょうか。

2019-03-08

カメ止めつまらなかった

まず最初長回しの時点でめちゃくちゃカメラマンの主張が強いか劇中劇であることが肝ではないだろうとは思った。

あそこで強烈に違和感押し出してるってことは裏を予想しながら見てねってことだろうと思ってそれなりに見入ってたけど、実際単なる答え合わせの域を出ない、発想的にはっとされられる瞬間がなかったしカタルシスもない。

例えば最後のところなんかは、高い建物もないところで俯瞰で撮ってるってことは人が持ち上げてるんだろうなと分かってしまうし。

笑いもなんか汚いし別に面白くない。長回しのところのポンだけ笑った。

キャストも演技が下手だから劇中劇でもドキュメントパートも大して変わらんし、あまりに下手だから本気で途中までさらに上の階層があると思ってた。

全体的に同人レベルオナニー見てる気分だった。学園祭とかで見たら頑張ったねって思えたかもしれない。映画賛歌ならもうちょっと演技どうにかすればいいのに。

世の中個人製作ももっと面白作品五万とある

私には合いませんでした。

2019-03-07

昔の週刊誌政権漫画が連載されてて子供心に大人って政治の話好きなんだなと思ってた

政治の話ってドラマでいうと群像劇から人の動きを読んで楽しむ大人にはちょうどいい趣味なんだろうね

将棋戦記物なんかにも通ずる面白さなんかなと思う

大局があって局地戦の小競り合いがあって現場指揮系統と別のドラマが並行してて局地的なドラマ俯瞰で見ると全然違うドラマに見えたり、戦術的に負けたり勝ったり、実質的な勝ちにこだわったり・・・

実際の政治生活に関わってくることだからまた少し違うけど、そういった楽しみからいかけてる人もその昔はけっこういたんじゃないかなと思った

2019-03-05

最近ちびまる子ちゃん(アニメ)

さくらももこ訃報があってしばらくしてなんとなく懐かしくなって

原作読み返してみたり新しかったり古かったりするアニメ見たりしてみて

(再放送も沢山してるから結構観られる機会が多い)

さくらももこ脚本に関わらなくなってだいぶたった後のアニメ版観てると

まる子がただエキセントリックな直情型のクズ愚か者の子供すぎてビックリした

一期からそりゃ愚か者おっちょこちょいでずる賢い子供、みたいな描写だったけど

の子供そのものの発想と俯瞰して周りを見てるシニカルな発想のバランス絶妙なところがあって

たまに慧眼を感じさせたりするところもあったりあとなにより一話ごとにきちんと話の展開と結末があったんだけど

最近のやつ続けて観てみたら普通にオチがないとかまる子のクズっぷりが

最後までどう回収されるでもなく落としどころのないまま終わってたりして

すごい投げっぱなしジャーマンみたいな話が多くて長寿アニメの大変さっていうか

長寿故にキャラクターエピソードの持ち味や人格だんだん変形していく現実のようなものを目の当たりにして

作る側も大変だろうなって思ってしまった

それぞれの人物の特徴的な部分だけを強調して終わるパターンエピソードが凄く多い

言ってみれば「公式二次創作をしている」ような状態になってるエピソードなんかもあるんだろうな

かつてこの手の体験ドラマ相棒」でもしていて

まりにも長くシリーズを続けているうちに脚本家が登場人物の来歴や人格を把握しきれずに

そのキャラクターの芯の部分すらぶち壊すようなエピソードを堂々発表してこれはウソだろ!と思ったものだった

もちろん個人的感想しかないのだけど

(片山雛子先生はそんなこと言わない!!!)

2019-02-28

会田誠批判絶対さない人たちがたくさんいるのが不思議

芸術作品から批判的に見られるのは当然だ。

なんでも絶賛するのは鑑賞態度としておかしい。みんな違ってみんないいみたいな思想なのかな。芸術なんて言ってもほとんどはゴミだよ。

自分に軸があればその観点自分価値観哲学、美意識から良い悪いの評価を下すのはごく普通のことだ。

何か言っているようで何も言っていない相対主義者たちが俺は一番賢いみたいな態度でいるのはとても滑稽だ。

まず君らがどの立場から物事をどう見ているのかを明示しなければならない。君は完全に客観的存在ではないということ。君は君の場所から物事を見ている。だから君は完全な俯瞰などできない。君がどう感じどう考えたのかを語るべきだ。

「みんな違ってみんないい」それはわかった。で、君はどう思うんだ?

2019-02-11

anond:20190211150145

ぶしつけな問いかけに返答いただいてありがとう

ありがたいんだけど、俯瞰目線じゃなくて正面から記事の内容に触れてほしかったな

でもまぁ答えてくれてありがとう

2019-02-09

anond:20190209141329

とても立派に勉強されてると思います

自分経験では、学んでることが役に立つかどうかは意外と後になってからわかることも多いと思います

基礎的なことは味気なく簡単に感じられるかもしれません。しかし、ある程度基礎を体系立てて学んでいないと、物事を全体から俯瞰することができなくて、その場しのぎの対応になってしまうこともしばしばです。自分大学の専攻が今の職業とは全く関係なかったので、そのことを職業経験の中で何度か実感しました。

独学でもできるかもと思えてしまうところがいい意味で学ぶ環境に余裕ができてるんだとおもいます

本当にそれを独学でやらなければならなくなった時、本当に独学でできるか?という疑問が生じます。できるかもしれない。でも今は学校で(独学よりもほぼ確実に)学べるのだからそれでいいとおもいます

学校などのある程度強制された環境で学び続けるというのは歳をとってからだと難しくなるので今の環境はきっといいとおもいます

今やっていることは基礎や骨格を作ることで、就職後の職業経験によってそれが肉付けされる、という風に考えることもできるかもしれませんよ。

2019-02-05

プラチナゲームズ過大評価されすぎ。ベヨ以外、割とハズしてる。

俯瞰視点コンボアクションゲー、ひとつの正解ルートにむかってプレイの幅を狭く絞っていくデザイン

あんまりつくれるものの幅がない会社から、過剰に期待しないほうがいいと思うんだ。

2019-01-31

anond:20190131192520

一番は直球で「私が駄目になった理由」を書くと辛くなるから

日本が駄目になった理由」に責任転換して書き込むうつ病うつ病スレスレの人が

毎日とっかえひっかえやって来てポエム書き込むからだと思う

そもそも投稿者が皆「日本」を俯瞰できるような仕事についたり立場になった事が人生で有ったと到底思えない

おひさまの出てる時間帯に仕事したことすら少ないのではないか

2019-01-30

NTRの3つの楽しみ

個人的ヘテロ男性向けNTRの楽しみ方の整理

まずはNTR物語を「主人公男性と親密な関係にいる、または主人公がそのような関係を望む~恋人・幼馴染・友人・家族片思い等の関係の~女性が、別の男性性的行為を持ち、最終的にその男性の"モノ"になる」物語としておく。

堀あきこ著「欲望コード」を参考に、どこに同一化しているかで分類した。

寝とる男性への同一化

性的行為において快楽という道具を暴力的に使って、女性を徹底的に客体化(主体否定、モノ化)して、その女性支配・所有する楽しみ方。また支配・所有と合わせて、その女性快楽に負ける"(非理性的な)劣った女"とみなすミソジニーが背景にあると考える。

読者の視線女性へ向かう

寝取られ男性への同一化

親密な関係(またはそれを望む)女性を別の男性寝取られる事の喪失感と、その男性に比べて、自分の(性的能力も含む)能力が低いことの無力感、の二つに快楽を覚えるマゾヒスティックな楽しみ方。

自分との比較対象である寝取る男性は、汚いおじさん(*1)など一般性的魅力に欠ける場合からイケメンの先輩など性的な魅力に富んだ場合まで様々である、どちらも寝取られる側の人間よりも女性性的に満足させるという点はほぼ共通している。

読者の視線女性と寝とる男性俯瞰する

寝取られ女性への同一化

女性へ同一化することで、セックスにおける男性ノブレスブリージュ的な奉仕役割放棄して、快楽を受けること・またその背徳性を想像する楽しみ方。

読者の目線女性へ向かう

考察

寝とる男性への同一化は、ヘテロ男性向けエロ漫画共通する読者と女性セックスする男性とが一致する見方で、フェミニズムがしているポルノ批判範疇にいるだろう「欲望コード」で挙げられている男性向けポルノコミックの<視線>と同様で、これには『男性身体の透明化』(*2)が寄与している。

一方、寝取られ男性への同一化では、寝取られ男性の目を通して女性と寝とる男性俯瞰し、かつ寝取られた後で自身俯瞰するという点で、上で挙げたエロ漫画での一般的な同一化・視線とは異なっており、「欲望コード」で提示されている男性向けポルノコミックス・レディコミ・ヤオイの<視線>のどれにも当てはまらない

俯瞰する視線という点ではヤオイ共通するが、その視線自身に返ってくる点がどれにもない

最後に、寝取られ女性への同一化は、「欲望コード」で提示されているレディコミの<視線>と同様である (お姉さん優位の)おねショタに見られるような、男性の性の主体性の放棄快楽への受け身と捉えることができ、おねショタと違う点として、女性(挿入される側)への同一化であり、この楽しみ方はトランスあるいはホモセクシュアルへの潜在的欲望と言える。またNTR女性快楽やそれへの戸惑いに表現比重が置かれていて、それが『男性身体の透明化』と組み合わさって、逆に女性への同一化を促進していると考える。意外とこの読み方は多いんじゃないか

快楽への受け身」ではなく「快楽主体的な獲得」と読み替えられたらポルノ批判をうまく躱せる面白い読みになるんじゃないかと思っているが、そのように女性の心情を表現した作品は知らない。読みたいので教えて欲しい

脚注

(*1)寝とる男性が汚いおじさんで、かつ読者がそのような要素を自身に認めているとき(つまり読者自身と寝とる男性が近い時)、寝とる男性に同一化して、女性を所有することを通じて、自分性的能力の誇示・確認をする読みもあり得そう

(*2)男性身体が半透明になったり、顔が描かれなかったりする技法のこと

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