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はてなキーワード: 発明家とは

2019-06-17

ネタバレハリウッドアクション映画が同じパターン過ぎて俺はもう限界かもしれない

名探偵〇カチュウ

 ハワードクリフォード人間ポケモン共生する夢の町、ライムティ創設者大企業創業者富豪イケメン

 ロジャークリフォードハワードの息子。大企業トップいけ好かない感じのキャラ

キャプテンマ〇ベル

 ヨン・ロッグ:スターフォース司令官。悪の宇宙人スクラルに立ち向かう強い精神・知能のみならず、極めて高い身体能力を持つ主人公の、さらに上回る戦闘技能をもっている。イケメン

 スクラル:醜い爬虫類のような宇宙人。敵。

☆メンインブラックインタ〇ナショナル

 エージェントC 主人公の一人エージェントHが組織を裏切っているのではないかと疑う。メガネ

 エージェント ハイT :秘密組織MIBロンドン支部の頼れるトップ 超強大凶悪な敵エイリアン主人公の一人エージェントHとともにやっつけた伝説エージェント エージェントCの疑惑からエージェントHを庇う。背が高い。

この三作、「冒頭(一シーン目~遅くとも四幕構成でいうところの最初ブロックから出てくる、地位があって顔が良くて主人公に親切な味方」が

 敵の黒幕

 なんですよ 

☆イ〇クレディブルファミリー

 通信会社デブテックを率いる実業家ウィンストン・ディバー父親が築いた大企業の跡継ぎ経営者スーパーヒーローの大ファンであり、困っている主人公一家に豪邸を貸してくれたりする胡散臭い富豪

 ウィンストンの妹イヴリン・ディヴァー:やや社交性に乏しい天才発明家で、デブテック技術部門を担当母親業に倦んでいたイラティガール=ヘレンを心身(メカ)ともにサポート美女

 敵が大企業系ということもあり、これほぼ名探偵ピ〇チュウですよ。(こっちが先)

 ロジャークリフォードウィンストン・ディバー 設定かぶりすぎです。 

 一見悪者実は違う&一見善人実は黒幕のセットが、ピ〇チュウでは親子でイ〇クレディブルではきょうだいですが。

☆ス〇イダマン: ス〇イダバー

 アーロン・デイヴィス:叔父さん。父親とうまくいっていない孤独主人公モラレスの唯一といっていい味方として第一幕で登場する。ファッションセンス飲み物のチョイスなどかっこいい。イケメン

☆ダ〇クナイトライジング

 ジョン・ダゲット:主人公経営するウェイン産業乗っ取りを図る。あからさまに悪そうな輩。

 ミランダ・テイト:ウェイン産業役員。ダゲットにウェイン産業管理する核融合炉を悪用されることを恐れたブルースの信頼厚く、会長就任することに。美女

 アーロン・デイヴィスもミランダ・テイトも主人公が信頼していたベタな善人なのにヴィランだったり、悪の組織首領だったりするわけですよ。

 (ノーランバ〇トマンについてはビギンズのヘンリー・デュカードも「主人公に親身になったりする」ので近い。

☆ワ〇ダーウーマン

 パトリックモーガン卿;

 ワンダーウーマンともう一人の主人公トレバー)が直面する ナチスの悪い奴をやっつけるミッションへの障害 を親切に助けてくれる地位のある人。

 テイトとモーガン卿は実質的初登場シーンがかなり遅め(中盤)ですけどね。

☆ジュラシック・ワ〇ルド/炎の王国

 イーライ・ミルズ恐竜たちが火山噴火で死に絶えそうなのを救いたい主人公に手を差し伸べる(富豪の所有する財団の偉い人) イケメン

キャプテ〇・アメリカ/ウィンタ〇・ソルジャー

 アレクサンダーピアース:S.H.I.E.L.D.の理事を務める高官  イケメン

バ〇トマンノーラン)はともかく、最初の三本はなぁ…

 

2019-06-08

スポーツを考えた人たち

ラグビー

ウィリアムウェブエリス

1806年まれイギリス出身

1823年、パブリックスクールラグビー校で行われていたフットボール試合中に、エリスボールを持って走り出した。

このエリスの反則行為こそがラグビー起源である、という説が広く知られている。

当時、イギリス各地のパブリックスクールでは、それぞれにルールの異なるフットボールプレイされており、

そのなかでラグビー校で行われていたフットボールこそが、後のラグビーに多大な影響を及ぼしたこと事実であるが、

エリスエピソード自体一種神話であり、本当の出来事だったという証拠は見つかっていない。

とはいえ、他に名の知れた人物がいないこともあり、ラグビー発明者と言えば、いまでもエリスが挙げられるのである

ラグビーW杯トロフィーは「ウェブエリスカップ」と呼ばれる。

野球

ウィリアム・ウィートン。

1814年生まれアメリカ出身

野球の原型は、クリケットラウンダーズ、あるいはタウンボールといった競技だとされるが、

それを現代的な「ベースボール」に仕立てあげたとされる人物は何人か挙げられる。

1907年、「南北戦争英雄であるブナー・ダブルデイ将軍が、1839年クーパーズタウン野球を考案した」との調査結果が発表された。

この説は長く信じられており、クーパーズタウンには野球殿堂が建てられたが、やがて全くの無根拠であったことが明らかとなった。

次に、1842年にベースボールチーム「ニッカボッカーズ」を設立した、アレクサンダー・カートライトが「野球の父」として知られるようになった。

ニッカボッカーズが1845年に明文化した「ニッカボッカールール」が現代野球の元になったとされているからだ。

ただ、1857年ニッカボッカーズが野球の人数(9人)・イニング数(9回)・塁間(90フィート)を定めたとき

カートライトは既にニッカボッカーズを離れており、ドク・アダムスがチームのリーダーとなっていた。

アダムスはその後、1858年から1862年まで全米野選手協会に参加し、ルールの整備を主導していた。

そして、最近研究によると「ニッカボッカールール」は、別のチームであるゴッサムクラブ」のルールを受け継いだものだとされている。

ゴッサムクラブルール制定に携わり、それをニッカボッカーズに持ち込んだのがウィリアム・ウィートンだった。

サッカー

ベニーザー・コブ・モーリー

1831年まれイギリス出身

弁護士となってロンドンに出てきたあと、1862年バーンズフットボールクラブ設立した。

1863年、彼は新聞寄稿し、フットボールルール統一、およびそれを行うための団体設立提案した。

同年、各地のフットボールクラブパブリックスクール代表ロンドン居酒屋会合し、

ザ・フットボール・アソシエーションFA)が設立された。

モーリーFA書記に任命され、「ロンドンルール」と呼ばれる統一ルール草案を作りあげた。

このときボールを持って走ってはならない」「相手のスネを蹴ってはならない」というルールが導入され、

それに反対するフットボールクラブFAを脱退して、代わりに「ラグビーフットボールユニオン」を1871年設立した。

これによりアソシエーション・フットボールサッカー)とラグビーフットボールとが分立することとなったのである

また、モーリー統一ルールに基づく世界初公式試合プレイヤーの一人でもあった。

これらの功績により、モーリーは「現代サッカーの父」とみなされている。

テニス

ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド

1833年まれイギリス出身

軍人であると同時に発明家でもあった彼は、

それまで室内で行われていたテニスを芝生の上で行う「ローンテニス」を考案して、1874年特許を取得した。

ラケットネットなどをワンセットにして「スフェリスティキ」と名付けて売り出し、大成功を収めた。

ローンテニスは急速に普及し、1877年には第一ウィンブルドン選手権が開催された。

当時、芝生でテニスを行う試み自体はいくつかあったものの、発明者としての名声はウィングフィールドに帰せられている。

アメリカフットボール

ウォルターキャンプ

1859年生まれアメリカ出身

当時、アメリカ各地の大学バラバラだったフットボールルールを、

ラグビーベースにしたもの統一しようという機運が生まれたことで、

1876年に「アメリカ大学フットボール協会」が設立された。

そして1880年会議において、イェール大学主将だったキャンプは、

フィールドプレイヤーを15人から11人にまで減らし、

さらに「スクラム」をやめて「スクリメージ」を導入することを提案した。

1882年に導入された「ダウン」制と合わせて、ここにアメリカフットボールの基本ルールが完成した。

彼はその後も、アメフト黎明期におけるルール整備の中心人物だった。

このためキャンプは「アメリカフットボールの父」と呼ばれている。

バスケットボール

ジェームズ・ネイスミス

1861年まれカナダ出身

1891年マサチューセッツYMCA非常勤体育教師となった。

冬季に屋内でプレーできる学生向けのチームスポーツとして、

サッカーラグビーラクロスなどをベースに、ネイスミスは新しく安全競技を案出した。

まず柔らかいサッカーボール使用し、

激しい接触プレーをなくすためにボールを抱えて走ることを禁止し、

さらシュート身体で防ぐ必要がないようゴールを頭上に設置した。

ゴールには桃の籠を使ったので「バスケットボール」と名付けられた。

現在、全米大学男子バスケの年間最優秀選手賞にその名が冠されている。

バレーボール

ウィリアム・G・モーガン

1870年まれアメリカ出身

1891年ジェームズ・ネイスミスに誘われて、彼の勤めるYMCA入学した。

卒業後は体育教師となり、別のYMCAに勤務した。

1895年モーガンバスケットボールよりもさら安全な屋内競技として、

テニスバドミントンハンドボールなどの要素を混ぜ合わせてバレーボールを考案した。

当初はバドミントンから取って「ミントネット」という名前だったが、

試合を見ていた教授がこれを「ボールをボレーする競技」と看破して

「ボレーボールバレーボール)」という名称提案した。

2019-06-06

プロメア観た…構造的にどうよ?次元の力をもっと掘り下げていれば…

ネタバレなので、気になる人はプロメア観てきてからこれ読んでね

と言う訳で観てきました。CGも頑張ってたし、グレンラガン知ってたら、色々なところで嬉しくなるシーンが多かったし、何よりカミナが主人公というのが良かった。

んーでも、内容を評価すると70点ぐらいです。及第点よりちょっと良かった、くらいの程度

まぁカミナが出てきた時点で、この話はグレンラガンにある多元宇宙の話の一つであろうという事は予想された事だし、中盤にかけて展開される話がいちいちグレンと重なってきながらも異なる話というのにワクワクしていき、後半の怒涛の展開とかは結構楽しめました。CGちょっと荒くて、画面の流れが掴みづらかった。モーションブラーが欲しかった。あと、カミナが特に最初の方、物語としての立ち位置がかなり滑ってる感じがするんですね。本来のカミナであればもっとぶち切れる展開であるはずが、事態を抑える役目として振舞ったりする。え?カミナってそんなキャラだっけ?、と。後半になるとぶち切れるシーンもたびたび出てくるんで、カミナらしさも出てくるんだけど、それでも抑えるシーンも出てくるので、どうにもカミナというキャラを上手く生かせてない印象を全般的に受けてしまうんです

で、改めてグランラガンで描かれていた話からプロメアを考えてみようと

グレンラガン螺旋の力とその抑制の話、また引き継がれる遺志の話です。螺旋の力は人の成長、そして可能性を示す力です。一方その力は、制御が出来ず、結果大惨事になりうる、という事も示されています。そしてそれを抑制する力では節制を求め、結果一部の人々に犠牲を払わせる事も示されています物語上、カミナは螺旋の力を戦う力、そして可能性を主人公シモンに遺す立場でした。後先考えずに物語を前に進め後の仲間に遺志を残した推進剤でした。一方プロメアではバーニッシュが扱う力が中盤になると次元の力という事が判ってきます。これが物語を推進する力です。ですがこちらもその力を抑制する流れの中でグレンと同じように犠牲を伴う事が示されます

この螺旋の力、次元の力が2つの物語の核であり、違いになってます

しかし、ここで気付きます。カミナはグレンでは物語を推進させる側だったのに、プロメアでは制御する側に立っているのです。そりゃカミナが立場を慮ってカミナらしくない行動をしなきゃならない訳です

後半につれ、バーニッシュの首魁リオとカミナは組んで物語を進めて行くのですが、リオがどんどんぶち切れて物語を前に進めていきます。カミナは抑える側に回ります。これもキャラ立ち位置おかしいです。リオは力の行使を好んでません。でもバーニッシュの力、次元の力が溢れる事でリオが物語を進めていきます物語を推進する立場キャラが力の行使積極的でないのです。でも映画の画面ではその力が物語を進めてる。物語を進めるべきキャラ物事を収める立ち位置に、物事を進めたくないキャラ物語を推進する立ち位置に居る訳です。そりゃ序盤の物語の展開に齟齬を感じる訳です

そして次元の力です。これがこの映画では単なる力の暴走の源としてしか描かれていません。これが非常にもったいない。話の核になるモノが単に暴走する力、ではプロメアという話に何の寓意も示されません。溢れる力を一度暴走させて次元を切ってしまってはいおしまい。で、これは何の話だったの?と

違うでしょ、と。次元の違う世界もっと掘り下げてくれないと。多元宇宙とは、グレン26話にあるように、今の世界からさまざまな分岐点があった時にそのそれぞれを選んだ世界、つまり、あらゆる可能性が開かれた世界です。多様性世界とも言って良い。プロメアではバーニッシュは弾圧されている世界です。これは持つ者持たない者が分断された差別のある世界です。次元の力はこれを飛び越えます自分バーニッシュである世界、そうでない世界、それぞれの立場を知る事ができるからです

クレイが力を暴走して捕まった世界、リオが女になってカミナと付き合ってる世界のシーンは欲しいなぁ

相互理解によって、これから世界を良くしていく源泉となる力です。ここがプロメアにおける着地点でしょう

また、次元の力がそういうモノであれば、カミナがグレンの世界より大人キャラである事も理由付けできます暴走気味だったカミナがどこかで次元の力に触れ、暴走した先の世界を学んでいた、とか

次元の力というのが、あらゆる可能性に対して想像を得られる力、とすれば、バーニッシュの人々のキャラ付けも変わっていくでしょう。強い夢を持つ、夢想である想像力が強い、共感力が高い、新しい事に挑戦したがる、発明家、注意散漫である等です。だとすると、カミナのところにいるエンジニアとかは実にバーニッシュっぽい人です。そういう作りの方が判りやすかったでしょう。話が進む中でエンジニアバーニッシュであったから捕まった。それを救う過程でカミナはリオと同調し、バーニッシュ側の立場に近くなっていく、自然な流れです。カミナであればそのままバーニッシュ側に付いてもおかしくないと思います

更に言えば、そもそも何故プロメア世界では次元の力が暴走を始めたのか、ここにも理由が欲しいです。次元の力の暴走はグレンで言うならスパイラルネメシスです。螺旋力が暴走する状態です。と、するなら、これはこちらの世界シモンが起こした事ではないか、と。こちらの世界シモン次元の力を暴走させようとしていた、それをカミナが食い止めた。そしてシモン次元の力を制御するに至った(或いは制御出来ない分の力は次元を閉じて封じた)。着地するべき場所へ綺麗に着地した、美しい結末です。やはりこちらの世界ではリオがその位置に付くでしょう

という訳で、機会があれば、この辺を踏まえたプロメアも作ってほしいです、トリガーさん

2019-04-22

ハラスメントメーカー

https://news.yahoo.co.jp/byline/toryu/20190421-00123170/

ハラスメント発明家死ねクソ。

トリビーは俺も嫌いだ。だがそれをハラスメントと言うのはもっとクソ。自分が嫌なことを全部「ハラスメント」の威をかりて通そうとする狐ども。

「人の意見を聞こう!」といって、ハラスメントを盾にして話し合いを行わないクソども。なぜそうなったかを考えようとしない否定家。

お前らは、問題見えない化し遠ざけて抑圧で乗り切ろうとする。だが問題解決しない。問題は遠ざけるほど深くなる。

名付けてやるよ。

ハラスメントメーカー

新たなハラスメントを作り出し、人類を分断し集団否定する「緩やかな自殺請負人」

2019-04-17

anond:20190417103315

かといってより広く薄く市井発明家かに予算つけましょうとかいったらそれも反対するわけでな

結局既得権者のポジショントークなんだから鵜呑みにはできんよ

はてなー学者先生の言うことは絶対正義って吹き上がるけどな

2019-04-11

[]キャプテン・マーベル

キャプテン・マーベル』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けですぞ

総評

ほどよく100点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。ふむふむ満足であるぞ、と思いつつ帰路についた。とは言え、帰路において考察が止まらないとかはなく、色んな部分が程よく狙ったように及第点ではある。

MCU(マーベルヒーロー映画シリーズ程度のことだと思いねえ)ファン的にはくすりとわらえたり、ほろりと出来たりする要素はありつつ、全体としてのアクションCGバトルの派手さも有りつつ、脚本もウザくならないように欠点塞ぎつつ、いい感じというのが個人評価。大傑作じゃないけど程よく佳作。

ゆえに以上で感想終了である

ヒーロー内面資格

というわけで、ここからさきは感想じゃなくて感想風になる。

キャプテン・マーベル』は良かった。しかし、実はその良かった部分が自明じゃない。様々な要素が程よく及第点から全体合計で佳作なんだけど、何か突出した、訴えかけてくる部分が見つけづらい。

でもそれって無いわけじゃない。無かったら上映後もっと気持ちが尻すぼみになったと思う。だから良かった部分をちゃん言語化しておくほうが良いと思ってのメモだ。

いろいろ考えてたのだけど、『キャプテン・マーベル』は空っぽなところが良かった。その内面というか、背景が、他のヒーローに比べてポジティブに空白だ。そこが素晴らしく良かった。

ヒーローというのは超越的な存在で、それは能力的なものもそうなのだけど、内面的にもそうである必要がある。「信じられないほどの苦境や絶望に対して敢然と立ち向かう断固たる決意」みたいな部分だ。しかし一方で、ただ超越的であるだけではなく視聴者である凡人の僕らと地続きである必要もある。そうじゃないと視聴者ヒーロー感情移入することが出来なくて、彼らの苦悩や活躍他人事の白けた話だとしか思えなくなってしまうからだ。

アイアンマンキャプテン・アメリカというスーパーヒーローであっても、彼らの抱えた周囲から無理解へのいらだちや、内面孤独や、大切な人を失ってしま絶望という様々な苦難は、もちろん具体的な状況は違うのだけど、僕ら一般人生活を営む上で出会うそれらと変わりがない。ヒーローヒーローでありつつ僕らと同レベル人間存在であって、その同類が困難に向かって立ち上がるから胸が熱くなる。

マーベルというアメコミ企業は、扱ってる商品性質上、ヒーロー専門家であって、ヒーローについて多分毎日毎日めちゃくちゃ真剣に考えているから、そういうドラマの基本を十分に研究していてヒーローを生み出している。

その結果、例えば肉親を悪の襲撃や事故で失ったり、自分の将来の希望を奪われたり、社会からの拒絶で友を失ったり、両親との関係コンプレックスがあって取り戻せなかったり、愛を交わしたパートナーに去られたりする。……よくあるなー。

そういう内面的な危機を乗り越えた「から精神的に強いヒーローなのだー! ばりばりばりー! みたいなシナリオは本当に多い。でも、それってなんかこう……やりすぎて陳腐になったり、これみよがしな悲劇ドラマになったりもする。

言い方は悪いが「こんなにひどい目にあったんだから超絶能力を手に入れてもええやん?」みたいなエクスキューズにも見えてしまうのだ。ドクター・ストレンジお前の映画のことだゾ。

この「1)なんだかんだで凡人→2)内面的な困難や絶望の超克→3)不思議出来事が起きてヒーローパワー入手!(2と3は順不同)→4)乗り越えた主人公の爽快なアクション!→5)解決!」というドラマ構造はすごく強力なテンプレなのであらゆるメディアで見ることが出来る。

この構造において、ヒーロー内面的な資格は「不幸とその超克」だ。

でもたぶん、『キャプテン・マーベル』はそこに対して距離を取った。

ドラマを支えるために一応取ってつけたようにその構造はあるのだが、その部分には明らかに重心をおいていない。

主人公キャロルダンヴァース(キャプテン・マーベル)は、たしかにクリー人に洗脳されて傭兵扱いされてたわけで、そういう意味で裏切られていた(っていうか洗脳されてたって相当ひどい過去だよな。エリア88風間シンよりやべーだろ)わけだけど、じゃあそれが彼女内面悲劇であり彼女の中心か? というと別にそんなことはない。

リー指導者である超AIにたいしても自分を騙していた直接的な上官にたいしても、別段そこまで復讐意思はなさそうだ。現に上官のヨン・ロッグは叩きのめしたけれど宇宙船にわざわざ乗せてクリー星へ送り返している。

映画を見終わったあとに振り返ってみたけれど、彼女内面的な意味ヒーローになったきっかけというか契機となるイベントは実は本作のメインな時間軸中に存在しない。そのイベントの欠如は、従来の判断によればドラマ設計の失敗を意味するはずだ。でも、設計失敗の割にこの映画破綻してないしちゃんドライブされている。

これってどういうことなのか? 内面葛藤を経ていないキャロルは前述のヒーロー資格においては失格であるはずだ。しかし画面の中の彼女はさっそうとしてて格好いいし、見ていて気持ちいいし、応援も出来るしヒーローに見える。これってどういう設計なのだろう?

結論から言うと、その資格論にたいする本作の返答は「主人公キャロルダンヴァースは最初からヒーローだった」だったいうものだ。

この「最初から」というのは、文字通り子供の頃からという意味で。

作中でインサートされるように、キャロルは、子供時代記憶としてカートレース事故にあう。子供野球三振する。軍の教練において体力勝負で負けて周囲から笑われる。つまり、僕ら凡人がするような挫折を一通り普通にやっている。

そして彼女はなんだかんだ人生につきもの紆余曲折を経て、当時まだまだ女性に対しては門戸を閉ざしていた空軍パイロットエリート象徴でもある!)に実験部隊ということで潜り込んでテストパイロットになる。

その実験部隊トラブルが起きて、キャロルは恩師ウェンディローソン博士を助けるために飛行任務立候補し、その騒動の中であわや命を失うというところまで行くのだが、それはさておき。

その実験部隊で同僚でもありキャロル親友黒人女性パイロットマリアランボーセリフに「その時(恩師を助けるためにパイロット立候補したときの)のあんたはまさにヒーロー登場! って感じだったよ」というものがある。過去を回想する形で親友主人公を思い返した言葉だ。

この立候補ときキャロルスーパーヒーロー能力を持たない普通地球人だったわけだけど、にもかかわらず、「まさにヒーロー」だったわけである

能力のみならず、内面危機においても主人公キャロルはこの時点で、ヒーローにつきもの特別悲劇経験していない。恋人を謎の組織に殺されたりしてないし、四肢を切断されて生きる力を失ったりしてないし、故郷帝国に焼き尽くされたりしていない。

この作品は「それでもいいんだ」と言っている。そこが良かった。

まりカートレース事故から負けん気で立ち上がったとき子供野球三振したけど凹まずに再挑戦したとき、軍の訓練の綱登りで落下してもへこたれなかったとき、そのときキャロルダンヴァースはすでにしてヒーローであった。あらゆる困難に「なにくそ!」と立ち向かったとき、「すでにしてヒーロー資格を得ていた」わけだ。もちろんアクションバトル映画であるので、主人公キャロルヒーロー能力を得たあとにも虐げられたスクラル人を助けようとして銀河規模の争いに身を投じる訳だが、それはなにも特別なことではなくて、「眼の前の困難に対して意地や義侠心で立ち上がる」ことそのもの子供時代と変わらない。

あらゆる人のあらゆる人生につきものの、しかし本人にとっては重要な、日常の無数の挫折や失意から立ち上がること、諦めずにチャレンジするその姿勢、それこそがヒーローであると『キャプテン・マーベル』という作品は主張している。

それはつまり主人公キャロルだけではなく、広く開かれた一般凡人である視聴者への無言のメッセージでもあるのだ。「ヒーローになるにあたって特別巨大な悲劇喪失必要ない」。「この映画を見ている圧倒的多数普通の人々も十分ヒーロー足りうるよ!」と言っている。

これは脚本家が、従来のヒーロードラマに対してまだまだ満足せずに、ドラマ構造として一歩先に進もうとした野心の結実のように思える。

そのチャレンジがとても良かった。

ハリウッドアメリカロールモデル

アメリカ映画において、とくにハリウッド映画において、さら子供ターゲットに含めたヒーロー映画において、ロールモデルっていうのはすごく重要ポイントだ。ロールモデルっていうのはざっくり「目指すべき人物像」とでも言えると思う。「こういうのが良い人間です」という制作側の提案、という側面がハリウッド映画には確かにある。

日本ではちょっと馴染みのない考え方かもしれないけれど、要するに子供の頃に課題図書で読む偉人伝と同じような役割文化装置だ。二宮欣二とか野口英世とか夏目漱石とか聖徳太子とか。あのような人々の物語と同じようなジャンルとしてキャプテン・アメリカアイアンマンがいる。

人々は彼らに憧れるとともに、彼らを通して、正義や公や仁愛や克己を学ぶ。どういうモデルが「目指すべき人物像」になるかっていうのは、当然制作側/脚本側の提案によるんだけれど、その背景には当然制作当時の(主にアメリカの)世相が反映されている。

近場で言えば『アクアマン』では主人公アーサー・カリー が抱えた苦悩は、まさに「移民二世が抱えるアイデンティティ問題」「おれはどっちの子供なのよ?」であって、すごく現代的だった。

アントマン』においては「娘に愛されたい父親としての俺と、金を稼ぐ社会の中での俺のどっちを選べばいいの?」というこれまた現代的でヴェットな問題が提起されている。『インクレディブル・ファミリー』においては「あっれー。なんか嫁さんのほうが稼ぎ多くて俺ってばヒモみたいな生活になりつつあって、家庭内での俺の地位とか、俺のオトコとしてのプライドとか、どうすればええん?」という現代的な――なんか世知辛くてしょっぱい話になってきたなあ。

MCUにおける二大ヒーローキャプテン・アメリカアイアンマンは「能力を持つもの社会貢献」をめぐる物語対立する。世界を救う能力を持つヒーローは、なんで救う義務があるの? というわりと古典的で、でも正義をめぐる物語としては避けて通れぬ踏み絵のようなテーマだ。

その問答に『キャプテン・マーベル』は踏み込まない。主人公キャロルは行動するが、行動に前だつ問答はない。それこそが彼女提示したヒーロー像で「アメリカ人の目指すべきロールモデル」だ。

困難を前にしてくじけない。不撓不屈。弱者に対して自然に寄り添う慈愛と、押さえつけてくる不当な力に対する反発。しかしそれらは、そういう問題がなにか特別大きな悲劇から、滅すべき悪だから立ち上がるというわけではなく、ごく自然に「それが私だから」というスタンスで、重く扱われない。そこで重要なのがくだらないユーモアと友人と日常であって、災厄を目の前にしてもひょうひょうと立ち向かう。ただ、絶対にくじけない。破れても失敗しても「もう一度」チャレンジする。

主人公キャロルはその戦闘能力においてMCUのなかでもかなり最高峰位置すると思うのだけど、政府超人兵士計画で生まれキャプテン・アメリカよりも、悲劇を背負った社長発明家大富豪ちょいワルモテ親父のトニー・スタークよりも、その内面姿勢において一般的な視聴者に近い。「顔を上げて誇り高く自分らしく生きる」だけでヒーローとして立っている。

その軽さ、明るさ、が心地よい映画であったと思う。

2019-03-08

「過ぎたるものが二つあり」集

家康に過ぎたるものが二つあり 唐の頭に本多平八

「唐の頭」とは唐物中国製)の珍しい兜のこと。

追記:指摘があったので訂正します。「唐の頭」とは正確にはヤクの毛の兜飾りのことです。武田信玄石田三成が描かれるときに、よく兜に付いているカツラみたいなやつのことですね。実は三河武士あいだでやたらと流行っていて十人いたら七・八人は唐の頭をつけていたと言われており、というのも唐の頭を大量に積んだ貿易船が難破して三河に漂着したから棚ぼたで手に入れたんだとか。そら「過ぎたるもの」と言われますわ。

本多平八」とは徳川四天王のひとり、本多忠勝(1548生)のこと。

三方ヶ原の戦いに先立つ一言坂の戦いで、退却する徳川軍の殿を本多忠勝がつとめた。

家康に過ぎたるものが」はその活躍を称賛した落首である

治部少に過ぎたるものが二つあり 島の左近佐和山の城

治部少は石田三成(1560生)のこと。

島左近」(1540生)はもともと筒井氏に仕えていた武将で、一説には当時の三成の禄高の半分である二万石で召し抱えられた。

関ヶ原の戦いで討ち死にしたが、敵の足軽が後々まで悪夢に見たというほどの戦いぶりだったという。

佐和山城」は三成が改修した城で、五層の天守閣を備えた立派なものだったが、中に入ってみると極めて質素な造りだった。

駿河には過ぎたるものが二つあり 富士のお山に原の白隠

富士のお山」とはもちろん富士山のこと。

白隠」とは「臨済宗中興の祖」と言われる高僧・白隠慧鶴(1686生)のこと。

大量の書画を残しており、その作風は荒々しくバランスの崩れたものだが、それが逆に迫力を生んでいるとして現代でも人気が高い。

本所に過ぎたるものが二つあり 津軽屋敷に炭屋塩原

本所とは東京都墨田区地名

津軽屋敷」とは、本所にあった津軽藩の広大な江戸屋敷のこと。

火災ときに版木ではなく太鼓を叩くのが「本所不思議」として知られている。

「炭屋塩原」とは、炭団を改良して一代で豪商となった炭屋の塩原太助(1743生)のこと。

明治期には「塩原多助一代記」として立身出世物語が語られ大人気となった。

亀山に過ぎたるものが二つあり 伊勢屋蘇鉄に京口御門

亀山とは、現在三重県亀山市にあった、東海道亀山宿のこと。

伊勢屋蘇鉄」とは、亀山宿の旅籠伊勢屋の庭にあった蘇鉄の名木のこと。

現在亀山市の文化会館移植されている。

京口御門」とは、亀山宿の西端、つまり京へ向かう道に作られた門のこと。

坂の頂上に建てられ、下から見上げると壮観だという。

岩槻に過ぎたるものが二つあり 児玉南珂と時の鐘

岩槻藩は埼玉県さいたま市にあった小藩。

児玉南珂」(1746生)は高名な儒学者

祖父江島生島事件江島の弟だったため甲斐流罪となり、南柯は甲斐で生まれ岩槻藩士養子となった。

儒学を学んだ南柯は、藩の要職歴任し、隠居後は私塾・遷喬館を立ち上げて子弟教育に努めた。

「時の鐘」とは、城下に時を告げるために1671年に設置された鐘のこと。

改鋳されたもの現在まで残っていて市指定有形文化財となっている。

青山に過ぎたるものが二つあり 鳶の薬缶に原宿山車

青山東京都港区の地名

「鳶の薬缶」とは「薬缶平」と呼ばれた幕末の火消し・平五郎のこと。

本職は鳶職人で、頭がハゲていたので「薬缶」と綽名されたらしい。

原宿山車」とは、青山熊野神社の祭りで使われる山車のこと。

都座に過ぎたるものが二つあり 延寿太夫鶴屋南北

都座とは江戸にあった歌舞伎劇場の一つ。

「延寿太夫」とは、歌舞伎伴奏音楽として発展した浄瑠璃清元節」を創始した、初代・清元延寿太夫(1777生)のこと。

鶴屋南北」とは、「大南北」とも呼ばれる歌舞伎狂言作者、四代目・鶴屋南北(1755生)のこと。

一ノ関に過ぎたるものが二つあり 時の太鼓建部清庵

一関藩は、仙台藩から分知されて成立した小藩で、現在岩手県一関市にあたる。

「時の太鼓」とは、城下に時を告げるための太鼓のことだが、これは幕府から特別許可されたもので、鐘ではなく太鼓が設置されるのは非常に珍しかったらしい。

建部清庵」(1712生)は蘭学を学んだ名医で、『解体新書』で有名な杉田玄白の盟友であった。

八代に過ぎたるものが二つあり 天守屋根乞食の松

これは加藤家が改易されたあとに熊本藩に入った細川忠興の評らしい。

八代城は、熊本県八代市にあった城で、1622年に完成したもの地名から松江城」とも言う。

熊本藩本城はかの熊本城であり、一国に二城あるのは特例である

その気兼ねもあったのか、城は未完成放置されており、天守閣だけは壮麗だったというが、それも1672年落雷消失した。

乞食の松」とは、「浜のお茶屋」とも呼ばれる松浜軒庭園にあった松のことらしいが、詳細は不明

保土ヶ谷に過ぎたるものが二つあり 苅部清兵衛に花見寿司

保土ヶ谷とは、現在神奈川県横浜市にあった、東海道程ヶ谷宿のこと。

「苅部清兵衛」とは、その程ヶ谷宿本陣・名主・問屋を務めた苅部家の当主が名乗る名跡のことで、地元の名士として代々慕われたという。

花見寿司」は程ヶ谷宿名物で、現在でもその伝統を引き継ぐ店があるとか。

挙母には過ぎたる物が二つあり 大手御門に海老名三平

挙母とは、現在愛知県豊田市にあった小藩のこと。

挙母城は、三河尾張美濃信濃遠江伊勢近江が見えるということで七州城とも呼ばれ、「大手御門」とはその立派な正門を指している。

海老名三平」とは、挙母藩の剣術師範役に代々指名された海老名当主名跡で、落語家のことではない。

岸和田に過ぎたるものが二つあり だんじり祭りに千亀利のお城

岸和田とは、現在大阪府岸和田市にあたる岸和田藩のこと。

だんじり祭り」は全国でも有名なお祭りで、1703年から始まったという。

「千亀利のお城」とは岸和田城の別名で、五重の天守に総構えの立派なものだったが、天守閣1827年に焼失している。

鴨方に過ぎたるものが三つあり 拙斎 索我 宮の石橋

鴨方藩は備中の小藩で、現在岡山県浅口市にあたる。

「拙斎」とは、儒学者西山拙斎(1735生)のこと。

松平定信に「昌平坂学問所朱子学を教えるべき」と訴え、これが「寛政異学の禁」の原因となったという。

「索我」とは、絵師田中索我(1742生)のこと。

京都に出て絵を学び、仙洞御所の屏風を描いている。西山拙斎とは親友同士だった。

「宮の石橋」とは、鴨神社参道にある石橋のこと。

川ではなく道に掛かっていて、立体交差となっているのが特徴。

京極に過ぎたるものが三つあり にっかり茶壺に多賀越中

京極とは、讃岐丸亀藩主の京極家のこと。

「にっかり」とは、刀剣乱舞でも有名となった名刀「にっかり青江」のこと。

「茶壺」とは、二代目藩主京極高豊が好んで収集した、陶工野々村仁清の茶壺のこと。

多賀越中」とは、京極家の筆頭家老を代々務めた多賀当主名跡

三原には過ぎたるものが三つあり

三原とは、広島藩の支城である三原城があったところで、現在広島県三原市のこと。

その「過ぎたるもの」とは、まず石高のわりに壮麗な「三原城」。

三原城主であり広島藩筆頭家老であった浅野忠真(1618生)に、徳川家光の娘・月渓院が一目惚れし、駄々をこねて彼の側室に入ったために使用許可された「葵の御紋」。

日光東照宮工事にあたって、難所をわずか十日で仕上げて称賛を集めた家臣「鈴木方衛」の三つだそうな。

安中に過ぎたるものが三つあり

安中とは、現在群馬県安中市にあたる安中藩のこと。

「過ぎたるもの」とは、藩政を改革して名君と謳われた藩主の「板倉勝明(1809生)」。

現在も名所とされる「安中杉並木」。

第六代安中藩主板倉重形のときに作られたという、城下に時を知らせるための「安中様のお太鼓」(一ノ関だけの特別扱いだったはずでは…!?)。

桜田に過ぎたるものが二つあり 火ノ見半鐘に箕輪の重兵衛

桜田東京麻布のあたり。

「火ノ見半鐘」は江戸で最も高いと言われる火の見櫓があったから。

箕輪の重兵衛」は桜田町の名主を代々務めたという家の名跡

永坂に過ぎたるものが二つあり 岡の桜と更科蕎麦

永坂は現在東京麻布永坂町のこと。

「岡の桜」は、御番医師・岡仁庵の屋敷に植えられていた大きな枝垂れ桜のこと。

更科蕎麦」はそのまま更科そばのことで、蕎麦御三家の一つである蕎麦処・更科が永坂にあったことにちなむ。

保科には過ぎたるものが二つあり 表御門に森要蔵

保科とは上総国飯野藩主の保科家のこと。

「表御門」は、三大陣屋と呼ばれる飯野陣屋の門のこと(か?)。

「森要蔵」(1810生)は幕末の著名な剣豪で、保科家に剣術指南役として仕えていた。

この飯野藩保科家の江戸屋敷麻布網代にあった。

森要蔵は藩に召し抱えられたあと、近所の麻布永坂・岡仁庵の屋敷の一部を間借りして道場を構え、

更科そばの初代も、この屋敷に反物商として出入りしていたところ、

蕎麦を打つのが上手いということで藩主から蕎麦屋になることを勧められ、

同じく麻布永坂に店を出した、という縁がある。

高取に過ぎたるものが二つあり 山のお城に谷の昌平

奈良まれ儒学者森田節斎の言葉であり、高取とは現在奈良高取町にあたる高取藩のこと。

「山のお城」は高取城のこと。

日本国内では最大規模の山城で、その白漆喰が輝く様を「巽高取 雪かと見れば 雪ではござらぬ土佐の城」と評した言葉が残る。

「谷の昌平」とは、幕末儒学者・谷三山(1802生)のこと。

若年の頃に聴力を失うが、勉学に励んで大成し、高取藩に召し抱えられて尊王攘夷を説いた。

新城に過ぎたるものが二つあり 前の小川太田白雪

新城は、現在愛知県新城市にあたるが、「新城藩」は藩主安中藩に移封されたため1645年に消滅、代わって旗本の菅沼氏が入った。

「前の小川」とは、新城陣屋の堀へ水を引き入れるために作られた運河のことらしいが、現在存在しない。

太田白雪」(1661生)は、地元名家の生まれで、松尾芭蕉門下の俳人となった。

土浦に過ぎたるものが二つあり 刻の太鼓と関の鉄砲

土浦藩は、現在茨城県土浦市にあたる小藩。

「刻の太鼓」は、例によって城下に時を知らせるための太鼓のこと。

「関の鉄砲」とは、関之信が開いた「関流砲術」のことで、その宗家土浦藩の鉄砲指南を代々務めていた。

下総に過ぎたるものが二つあり 成田不動に久保木蟠龍

下総下総国のことで、現在千葉県北部茨城県西部のあたりを指す。

成田不動」とは、言わずと知れた成田山新勝寺のこと。

久保木蟠龍」とは、儒学者久保木清淵(1762生)のこと。

伊能忠敬と親交が深く、忠敬亡き後は大日本沿海輿地全図の完成を手伝った。

金沢に過ぎたるものが二つあり 刀正次 兜興里

金沢はもちろん現在石川県金沢市、加賀藩金沢城下のこと。

「正次」と「興里」はどちらも鍛冶師で、刀を打たせれば正次が、兜を拵えれば興里が優れていると言われていた。

そこで正次の刀で興里の兜を斬ったところ、兜は両断できなかったが欠け、刀には刃こぼれがなかったため、引き分けということになった。

しかし実のところ、興里は兜が割られないよう小細工をしており、それがなければ正次に負けていただろうと分かっていた。

悔しがった興里は刀を打つようになり、後に「長曽祢虎徹」として知られる名工となった、という伝承があり、歌舞伎演目になっている。

「正次」は志摩兵衛正次という名らしいが、こちらはよく分からない。

番町に過ぎたるものが二つあり 佐野の桜と塙検校

番町とは、東京都千代田区地名

佐野の桜」とは、旗本佐野政言の屋敷にあった見事な枝垂れ桜のこと。

「塙検校」は塙保己一(1746生)のことで、盲人として検校にまでなりながら、著名な国学者でもあった。

秋元に過ぎたるものが二つあり 無の字の槍と岩田彦助

秋元とは、現在埼玉県川越市にあたる川越藩主の秋元喬知のこと。

「無の字の槍」とは、藩祖・泰朝が家康から賜った十文字槍のことで、鞘に「無」の金文字があった。

岩田彦助」(1658生)は、川越藩家老を務めた儒学者のこと。

松山に過ぎたるものが二つあり 河原布衣徒に千秋の寺

松山は、現在愛媛県松山市にあたる伊予松山藩のこと。

河原布衣徒」は河原にいる乞食のことと思われるが、芸が上手かったことを言っているのか、よくわからない。

千秋の寺」はそのまま千秋寺のことで、昔は二十余棟からなる大伽藍があったが、戦火で失われたらしい。

谷田部に過ぎたるものが三つあり 不動並木広瀬周度 飯塚伊賀

谷田部は現在茨城県つくば市にあった谷田部藩のこと。

「不動並木」とは、谷田部藩主細川興昌(1604生)が植えたもので、沿道に二百本ほどの松が並んでいたというが、現在はない。

広瀬周度」(1782生)は、杉田玄白門下の蘭学医でありつつ、画家としても活躍したという人物

飯塚伊賀七」(1762生)は発明家で、自宅の向かいにある酒屋まで往復するからくり人形や、人力飛行機などを作っていたという。広瀬周度から蘭学知識を得ていたとも。

徳山に過ぎたるものが三つあり 藩主墓所と桜の馬場奈古里人

徳山は、長州藩支藩で、現在山口県周南市のあたりにあった徳山藩のこと。

藩主墓所」は、徳山毛利家の菩提寺である福山大成寺にある歴代当主墓所のこと。

「桜の馬場」とは、初代藩主毛利就隆によって作られた藩士の調馬場のことだが、数百本の桜が植えられて名所となった。

奈古里人」(1671生)は、万役山事件に伴う徳山藩改易の際に活躍し、徳山藩再興運動の中心となった人物

2019-01-30

キャッチコピーみたいなの考えてみた。

数学哲学人間精神性そのものである

理学自然の諸法則を見出す人類の挑戦である

社会科学は人々の平和念願の結晶である

医学は病魔との格闘の歴史である

文学は人が生きた証である

工学は名も知れぬ発明家たちの夢である

2019-01-19

成功の色は何色か

マネジメントにおいて、部下に成功体験をさせろと言われるこのご時世。

肝心の成功体験定義はなにか。

営業職の人は、契約件数?売上目標

こと新人教育に絞れば、おそらくはじめての成約といったところか。

では、私のような研究開発職での成功体験はなにか。

商品上市特許の出願?論文投稿学会発表...etc

何を持って成功なのか。かの有名な発明家であり科学者でもあるアインシュタインは私は失敗したのではない云々かんぬんという名言を残しているが、日々の愚にもつかない実験結果すべてが成功体験か?

結局は、何が成功かということは、自分で決めたことに対する自分評価で決まることなのか?

社会人生活2年目を終えようとしている私は、未だ成功体験がない。2年どころか学生生活から研究活動において、およそ成功体験と呼べるものはない。

来年はどんな失敗体験をしようか。

2018-12-24

朝ドラまんぷく見てんだけど、これ、主人公を女にする必要あったん?

朝ドラ主人公は女だからってんなら、朝ドラにする必要あったん?

普通に、偉大な発明家の一代記っていうストーリーでよかったんじゃないの?

2018-12-20

anond:20181220212335

現実だって身体障害者ストイックアスリート、脳の障害者天才揃いの発明家LGBTセンス抜群のデザイナーってイメージが普及しているけどな

あ、一般人はともかくオタクがそのイメージを共有していないということならそうかも

2018-12-02

マナー発明家」をググってもヒットしない件

目上の人に対して「了解しました」「お疲れ様です」は失礼だとか、一昔前は聞きもしなかったマナーには辟易する。しかし、念の為承知しました」とか言っちゃう自分にもうんざりしている。

そんななか、マナー講師揶揄して「マナー発明家」「マナークリエイター」と呼ぶ風潮がある。ぜひ、これらのワードには定着してもらって流行語大賞にでもなってほしい。それをきっかけにナンセンスマナーが滅びるきっかけになればと思う。

そんな願いを込めながら「マナー発明家」と検索してみたところ、それらしいサイトがヒットしない。「マナークリエイター」でも同様だ。

これはもしかしてマナー講師業界Googleへ働きかけて火消しをしているのではないか

陰謀論は好きではないが、さすがにこれは何かあるのではと勘ぐってしまう。

粗悪なまとめサイトがヒットしないようにアルゴリズムが組んであるのかもしれないけど、それ以外のサイトもヒットしない。

みんなも試しに検索してみて。

2018-12-01

[]くるみ割り人形秘密王国

くるみ割り人形秘密王国』を見てきたので感想。いつものごとくネタバレ気にしてないのでネタバレ嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので見た人向けであります

総評

すごいぞなんと150点。点数の基準は「上映時間映画料金を払ったコストに対して満足であるなら100点」。なんで、なんかもっとお金出したい感じはあるんだけど、この映画場合グッズとかサントラとかそっち方向にはいかない、いけない、やばい

この映画公共向けにレビューするとジャスト95点くらいなのははっきりしていて(いや辛く採点すれば80くらいか?)残りの+50くらいは何かといえば完全に性癖の話なのですよ。いつもそうだけど、今回はそれにもまして(主に後半)全く当てにならないレビューであることを告白しなければならないです。何がやばい特殊性癖なのかについて最初に語ると話が混乱するので、後ほど詳細を述べます

遺産継承の話(前編)

物語ストームボール一家クリスマスの準備をしているところからまります。でも主人公でありミドルティーンの次女であるクララ(演マッケンジー・フォイ)は浮かない顔。他の一家もなんだかギクシャクしている。それも無理のない話で、どうやらストームボール一家母親は、このクリスマスの直前に死んでしまったようなのですね。

家族を失った喪失の中でもストームボール一家伝統であるところのクリスマスをしようとしている。ヴィクトリア朝の話だから親族の大規模なパーティーに出ようとかあるのだけれど、母親を失った悲しみからそれらを拒否して引きこもりたい主人公クララと、このような状況だからこそ普段通りに日常に過ごさなきゃならないと考える父親の間には、感情的な亀裂があるというところから物語は始まるわけです。

そういう意味で言えば、これは大事家族を失った喪失から回復する話です。同じテーマを扱った今年の映画でいえば『若おかみは小学生!』なんかがあります普遍的ものなので他にもいくつもあるでしょう。

そういう普遍的テーマだったんで、料理作法にも定番セオリー)みたいなものはあるわけですが、まずそのセオリーのものはきちんとこなしていた。そういう意味脚本及第点

また、同じテーマをこなしながらも独自性のある切り口も感じられました。この項目はその独自性についての感想です。

この種の「喪失再生」の作品において、「去ってしまった人から過去において贈られた自分に対する愛情を再認識する」というエピソードは非常に重要セオリーポイントになります

それは例えば前述の『若おかみは小学生!』においても「私たちは娘であるあなたを愛していたよ」「その愛は永遠だよ」というようなメッセージ存在していて、それが主人公に受け取られることで回復の契機になりました。

いってしまえばこの「親から愛情」ってのは遺産なわけですよね。だからこのテーマ遺産継承に関するテーマだと考えることもできます

でもこのテーマには隠された問題点もあって、それは「親子間の関係遺産を残すもの/受け取るもの、というような一方通行の、上位者秘密下位者が気づくだけという、そういう物語として描いていいの?」というものです。この問題告発って自分は今まで意識したことがなくて、『くるみ割り人形秘密王国』で始めて気が付きました。

例えば先程から比較している『若おかみは小学生!』においてこの問題提起はないんですね。それはなぜかといえば、『若おかみは小学生!』の主人公おっこはタイトル通り小学生で、これから自分世界確立していく存在からです。重要なのは遺産が(つまりは死んだ両親から愛情が)「あった」事であって、それにさえ気づけばおっこのここから先のミッション回復だけなわけです。

しかし『くるみ割り人形秘密王国』の主人公クララはミドルティーンであり、もうすでに自分なりの自意識世界観も作り上げつつある存在です。

次女のクララには、上には憧れつつも素直に従うことができない長女がいて、下には一緒に遊んで面倒を見てやる長男小学生低学年くらい?)がいます。弟の面倒を見ながらも、女性的な完成度と貫禄では長女に勝てない次女。おしゃれは苦手でちょっと理系工学系)な変わり者な主人公

彼女はそういう意味で「母親を失って狂乱するほど悲しむ幼子」ではない。悲しいし落ち込んでいるし、日常を取り繕おうとする父親に反発をするけれど、だからといってそれを破壊しようというほどのパニックにはならない。自分自身の力でこの悲しみを乗り越えようとしている、まだ若いけど自立を目指す女性なわけです。

そんな彼女は、通り一遍意味では「死んだ母親から愛情があった」ことはわかっています世間一般でそういう慰めの言葉はよく聞くし、自分が母に愛されていなかったという疑いはない。

でも、じゃあ、その「愛情」って具体的にはなんなんだろう? もちろん日常でのさりげないやり取りや、スキンシップや、無言での加護やら、ありとあらゆるものがその候補なわけですが、それらは要するに伝われば伝わるし伝わらないわけです。過去のシーンとしては無数にあるそれを、クララはまだ自分の中で結晶化できていない。そこにクララの戦いはあるわけです。

この物語ではその愛情を暗示するキーワードとして母親の残した「大事ものは全て中にある」という言葉があります

クララは亡き母からプレゼントエッグの中に残されたこ言葉を追いかけて冒険の旅に出るわけですが、この言葉意味は最終的には「私(母)がいなくなった世界においてあなた主人公クララ)が前を向いて生きていくための大事ものはすべてあなたの中に残してきた」です。

大事ものは、様々な教えであり、生きていく知恵でもあり、もちろんつながりや愛情人格のものでもあり、大げさに言うならば「母親家族)と過ごした時間のすべて」なわけです。

そしてこのキーワードが示すのは、それだけにとどまらないんですよね。

この言葉は「nを残してきた」「nが私(母)の愛情である」という指定ではないわけです。だからこそ逆に「何が残されていたと認識するかは、娘であるクララが選んで受け取りなさい」という信頼であるわけです。

愛情遺産なわけですが、それは決して贈る/受け取るという一方的関係ではない。この物語における「気づき」はそういうステージテーマとして描写されている。それはやはり一味変わった、深い踏み込みだったと思います

一方、作中において「遺産」はもうひとつ意味でもあらわれますクララの母は幼いころ「秘密王国」を発見してその民に慕われた女王でもあったのです。わお。ですから遺産女王位。クララは本作のメインの冒険である秘密王国への迷い込みそこで戦うこと」をとおして、この「女王位の継承」という問題へ巻き込まれゆきます

でもこの問題も前述の「母の愛情いかに受け取るか」とワンセット、同じ物語の両面なのです。

クララは「女王が去ってしまって荒廃が始まった秘密の国」で大歓迎を受けると同時に、その危機においては「お前なんかは女王代替品にすぎない」ともいわれてしまます。「女王の位」をうけとった娘クララは、ただ単にそれを受け取った段階では「無力な模造品」にすぎないという弾劾です。

クララの母でもあり前女王でもあるマリーが幼いころ発見して作り上げた秘密王国とそこに住む住民たちは、マリーに生み出されて育てられたという意味では、クララと同じく「マリの子供」でもあるわけです。表面上は老人に見えても年上に見えても異形に見えたとしても、その意味では全てクララ兄弟姉妹に等しい。その彼らが、母マリーがなくなって、道を失い、うろたえ、クララに剣を向けさえする。

その混乱はマリーの残した女王位をただ受け取るという、つまり遺産を残す上位者、受け取る下位者というだけの状態では、収拾されないわけです。

まり、これもまた、「継承というのは一方的な贈与関係ではない」というテーマ接続されているわけです。

作中で、母との回想シーンの中で、クララは母からあなたは姉に憧れているけれど、あなたにはあなた独自世界があって物事あなただけの見方で見ることができる。そこがあなたの魅力なのよ」と励まされます

クララクララなりに世界を見ることができる。それは父母や周辺環境コピーとして自意識確立していくしかない幼子ではなく、ミドルティーンとしてすでに自分世界があるこの物語クララしか描けなかった切り口です。

から無限の贈り物を残されたけれど、その中のどれを受け取るか――母の残した教えや愛情のうちどれを「クララという自分自身のコアとして据えるか」というのは、クララの側の自由であり、その選択によって自らの存在を定めるわけです。

その自由の幅が良かった。

この物語の中で、クララは「秘密王国」での旅と冒険を通して、そういった自分自身の内面出会い、悲しみを癒やすわけですけれど、でも実はこの度ってなくても良かったんですよね。作中でも途中でリタイヤして現実世界に帰る選択肢が示されるシーンが有ることからも分かる通り、それはありなわけです。途中で帰るどころか、実は、出かけなくても良い。

クララはもうすでに自分自身を確立しつつあるミドルティーンで、この作品冒険なんかを経なくても、時間さえかければ悲しみから立ち直っていたと思います父親との間にギクシャクした感情は少し残ったかもしれないけれど、それすらも時間の流れでおそらく解消できた。

そこがとても良かった。

幻想郷への旅が必要不可欠であり、この冒険行がなければクララ破滅していたのだとすれば、クララは神が(母が)操る遺産相続操り人形なわけですが、そうではなくクララは旅をやめる自由がある中でそれを続行し、自分で選んだわけです。

から与えられたすべての教えや愛情の中から、姉と同じように「おしゃれで社交的な自分」ではなく、「機械いじりが好きでとびっきりの発明家である自分」を選んで継承した。同じように「秘密王国歓待されるだけの女王」ではなく「みんなのために調和を取り戻そうと戦う女王」も選んだ。選ぶという行為によって、ただ与えられる下位の存在ではなく、継承というテーマにおいて贈り主である上位存在と対等の関係であることを示したのです。

この辺はもはや登録商標とも言って良い「ディズニープリンセス」というワードの「プリンセス」にたいして、一定の回答を出そうと本作が挑んだ結果でもあると思います

まりプリンセスというのは継承である」という主張です。

王位とか王権(そして愛情を)先代から送られ継承した存在が、プリンセスである

でもそれは逆説的に、「プリンセスとは手渡されはしたものの、その手渡されたものをまだ十全には使いこなせないし、自覚もはっきりとはできていない、運命自分自身と戦いの最中にある存在だ」という主張でもあると思うのです。

そういう踏み込みのある本作は、テーマから見ても脚本構造から見てもかなりの出来でした。

――まあ、もっとも、ここまで脚本を褒めては来たんですけれど、その表現としての台詞回しがどうにも垢抜けない感じで、紋切り型なところも多くて正直言えばそこは今ひとつです。取ってつけた感じがある。

てなわけで、構造面ではキラリと光る部分はあるけれど、80〜95点くらいですかね、これは。という感想になるのでした。

文字数オーバーしたので後編 https://anond.hatelabo.jp/20181201181722 に続きます

2018-11-04

女性蔑視の辞めかた

1. 男は理論的な思考をするのに、なぜいつも女は感情論ばかりなのか?ムカつく!

 大昔より男は狩りをしていたため、獲物に響かぬように声も低く、思考合理的になり動きまわる獲物との相対距離地理の把握に特化した。だから運転などが得意で口数少ない。一方女は、その男たちを集落で待って家事を行なっていた。狩りは危険なので夫がいつ死ぬか分からないため集落での連帯感を保つことが自分子供生存率を高めた。コミュ方法起承転結のない終わらない会話を感情的に行なって、連帯感を高めた。

2. 結婚は明らかに男にとって不利な不平等条約です。女は性得ばかりでムカつく!

 お前はどこからまれてきて、何を吸って育ったのか?そして最も優しかったのは誰か?子孫を残す計画が無ければ女の結婚願望など相手にする必要はないが、あるならば女と子供優遇してこそ、父親というものだ。お前もそのようにされて生きている。

3. なぜ兵役は男ばかりで女は戦争に行かないんですか?不公平じゃないですか?

 男の精液は無限にでる。しかし女は年に一度、1人か稀に双子しか産めない。10人の男と10人の女がいたとして、女を9人殺したら、次の年に1人しか子供が増えないが男を9人殺しても、1人の男が10人の女と交われば、次の年にはまた10の子供が産まれる。

4. 女は生活が危うい時はいつでも売春ができますしかし男は売れません。不公平だ!

 女性は美しいから売れるのだ。男には強さはあっても身体に値段がつくわけではない。まれに男を買うホモや年増の女もいるが、そうそう稼げるほどの需要価値はない。諦めろ。

5. 社会発明品のすべてが男の作品です。女は何一つ作れていません。女はバカだ!

 お前を作ったのは誰か?発明家を作ったのは誰か?発明家よりも発明家を作った女は神だ。

6. 正直言うと女性蔑視してるのは、自分モテなくて悔しいからです。チクショー!

 鏡を見ろブサイク。お前だってブスは嫌だろう?それと同じこと。いいやもっと酷いぞ?ブスでも脱がせば慰みモノにできる魅力的な女体があるが、ブサイクなお前は身体も醜い。

2018-10-13

自分はなにかを成し遂げないといけないと思っていた

偉人伝とか発明家の話をよく読んでいたからか、自分特別存在でなにか社会的に意義のあることを成し遂げる人間だと思って生きてきた。

この状態自分をAとする。

色々あって、最近霧が晴れたように自由自然体で過ごせていて、この状態自分をBとする。

AとBで考え方の特徴をあげてみる。

【A】

他人感情に影響を受ける

完璧でないと無価値と感じる

意見否定されると自分自身が否定されたと感じる

沈黙が続くと自分が盛り上げないといけないと頑張って喋る

他人から裕福であると見られたい

言葉の裏の意味を考える

他人支配しようとする

傷つきやす

周りから尊敬されるための目標を立てる

優位に立ちたい

なんでも知っておかないと気が済まない

その場に自分より優れた容姿の人がいると卑屈になる

怒りを感じやすく溜め込み爆発する

恥じることが怖い

悪い状況を想像してストレスを感じる

社会的成功しないといけないが何をしたら良いかからない

【B】

他人感情他人のもの

自分そのままで価値があり唯一のもの

意見否定されると自分自身が否定されたわけではない。視野が広がるので理由を聞かせて欲しい。

沈黙が続いてもそのまま。興味がわけば質問する。

裕福もいいけど清潔感第一

言葉はそのまま受け取る

自分自由で居たいか他人にも自由でいてほしい

その場で起こってないことで勝手に傷つかない

自分が好きでやりたいことの延長戦目標がある

人間順位はつけれない

本当に知りたいことに時間を使う

自分史上最高の容姿を目指し自分で満足する

怒りは言語化しその場で伝える

恥じたところでみんな他人にそんなに興味ない

起こってないことを勝手想像してストレス溜めない

社会的成功しなくていい素直に生きて死ねたらいい



こうしてあげてみると、すごく楽になったなと思う。毎日が楽。体調も良くなった気がする。

でも、AとBで、変わらないこともあるのであげておく。

共通

物事の成り立ちを知るのが好き

1人の時間が好き

服や化粧品が好き

基本的仕事は好き

変わったきっかけは、一度ひどい鬱状態になったので無理しないように心がけながら過ごしたのと、正社員登用試験

試験というか、正社員にふさわしいか見られる期間があって、自分のやりたいことをあげてそれに取り組む姿勢審査されるんだけど、改善点はあげられるのにやりたいことはとってつけたようなものしかあげることができなかった。

じゃあ自分のやりたいことってなんだろうって考えだしてから、どんどん変化した感じ。

結局正社員にはなれなかったんだけど、変わるきっかけになったこ試験については感謝してる。

周りやネットでも、Aに近い状態で苦しんでる人をよく見るんだけど、そういう人たちにも、私みたいにちょっとしたきっかけが訪れればいいな。

2018-07-20

他者現実に対して影響力の強い人間強者

であり、素晴らしい空論とかチンカスという名の誇りとか、そんなの意味いから。

キリストが素晴らしかったのはその教えじゃなくて信者を操れたことで現代宗教発明家から

金持ちになりたい人が孫正義尊敬するように、

宗教生計立てたい人がブッダキリストを敬うのは本質的に全く同じなの。

実行力なの。

実践

・実戦

・実線

現実に起こせるものもっと尊べよ。

全く社会に影響力を与えない政治議論なんかよりも、

ローションタイツオナニーの方が1000倍くらい俺の人生かにしてくれたわ。

本当にそれが正しいのなら実行にも移せるし、現実も答えてくれます

ウダウダ言ってねーでやれよカスが。

俺は今、3回目のオナニー頑張ってるところだけどお前は言葉オナニーに忙しいのか?

言葉オナニーした後は賢者タイムで実戦は無理ってか?

これだから実行童貞は…ウジウジ悩んで愚痴ってる間に俺はイクからな。

2018-05-02

anond:20180502154352

いいえ?

単に、

じゃあ主に知的労働を請け負いますね>女性

これに反論してるだけよ?

例え著名な発明家の大半が男性でもチェスでも将棋でもトップはずっと男性でも、全ての男性の方が知性が高いなどという気は全く無いよ。

私はそういう人たちでは無いからね

2017-07-22

https://anond.hatelabo.jp/20170717005704

ブコメ見てると、その発明合理性があって初めて発明が行われる、みたいな考えの人が多いな。

合理性なんてあとからついてくるもので、発明家はみんな問題があったらそれぞれ独自方法解決したくなってしまものなんじゃないのか。もちろん開発している途中はみんな自分方法が筋がいいと思っているだろうが、自明のものとして分かってる合理性なんてあるわけがない。

その中で市場に認められて普及するものもあるだろうし、埋もれてしまものもあるだろうし、100年寝かされて死後にようやく評価されるものだって出てくるだろう。

2017-05-07

また日本人の嘘つき民族性が暴かれた

ネットで曲がるストローとかで検索するとでてくる日本起源説かいデマ

ストロー歴史

https://matome.naver.jp/odai/2136215301476014501

日本から世界へ一気に広がった『曲がるストロー

http://seventieth.blog.fc2.com/blog-entry-11.html


日本人かい遺伝的に劣ったものとして宿命付けられている種族は、すぐにそういう嘘をついて自分の手柄にしようとする生きる価値すらない存在というのが今までの歴史的悪行や政治普段の振る舞いからわかっているであろう賢明はてな民ならばすでに気づかれているだろうが、当然の如くデマであり発明したのはアメリカ人発明家Joseph Friedman氏である

https://srad.jp/comment/3205406

ブクマカはてなのみんなもこの広がってしまったデマを叩き潰すためにも協力してほしい。

おそらくこれで何千人かの日本人を叩き潰した所でその性根に刻み込まれた悪癖は変わらず、種族として嘘をつき続けるだろうがデマを流す人間抹殺し、正義の為に正しい情報を広める手助けをしてほしい。

このデマ駆逐されて正しい情報が伝わるかどうかがはてな民の力や、はてな民がそのデマ民族と一緒のゴミ生物であるかどうかが問われるだろう。

2017-04-01

http://anond.hatelabo.jp/20130518180209

そもそも男性のほうが女性よりもリスクを好むから新規探索性が高いんだよ。新規探索性が高いというのは、即ち「発明家に向いている」という話で、革新的発明男性がしているのは当たり前の話。新規探索性の高い人は、農耕などの地道で退屈な作業には向いてない(そういうのは、安定志向の強い人が好む仕事。)故に発明家は農耕に向いていない。だから、「発明した数」を能力指標とするのは、偏りが大きすぎる。故に、これは性質の話であって、能力の話ではない。

そもそも、文化的女性蔑視が強かった時代には、女性活躍できる条件が揃ってなかったりとか、その時代に話を限定するなら、女性偉人は少なくて、むしろ居なくて当たり前。

もし世の中が転覆して女尊男卑が当たり前の世の中になったとしたら、男性偉人なんて現われっこない。そういう条件がイーブンになって、初めて能力差の話をしようぜ。

それから男性のほうが新規探索性が高いと言ったけど、新規探索性の高い人ほど、安定志向は低いから、例えば新規探索性の高い人が事業を起こしてそれがヒットしたとして、軌道に乗った後はまともな経営にならない。そういう人には安定志向の強いパートナー必要。ちなみに、女性男性より、安定志向が強い。これはあくまで傾向の話であって、新規探索性の強い女性も、安定志向の強い男性も、もちろん存在する(そもそも、新規探索性の高い人自体が、世の中的に少数派。)

ちなみに男女の能力差については、統計的結論が出ていて、男性天辺から最下層までの能力差が激しく開いているのに対して、女性天辺から最下層の能力差がそれほど大きくない。

故に、トッププロ同士で争わせたら、男性が勝つのは当たり前だけれども、最下層同士で争わせると、当たり前に女性が勝つ。平均すると、どっちも大して変わらない。

正直、男性女性とどっちが優れているか?なんて、コンプレックス丸出しの、ナンセンス論議だと思うがね。性差なんかどうでもいいから「人類全体で何ができるか」を考えようぜ。

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