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はてなキーワード: 社内政治とは

2023-09-18

anond:20230918014047

その昇進は罠だ。

上司は近い将来に、会社乗っ取りを企てていて、

イエスマンのお前を管理職につけておくことで、乗っ取りスムーズに進めようという腹積もりだ。

だが、そのクーデターは失敗し、上司派の一味と誤解されたお前は上司とともに追い出し部屋に送り込まれる。

臭い社内政治に巻き込まれたくなかったら、絶対に昇進は拒否したほうがいい。

2023-09-16

SIerしかいたことがなくて、初めていわゆる"Web系"で働いた感想

結論から言うと「やっぱりWeb系がいい。SIerは正直ゴミ」です。

今ではそこまで「SIerも悪くないよ」とか言われますが、個人的には普通にゴミだなと思ってしまいました。

私の感じた違いは以下のあたりです。

・朝から晩まで新聞読んでたりお菓子食ってたりダベってたりして仕事しないオッサンが少なくて、快適。

・「やります〜」って言って、すぐできることなのに無駄にダラダラして仕事引き伸ばして、実際にやるまでに7時間位掛かるような人が少ない。

社内政治のため(上司のご機嫌取りとか)の仕事をする人が少ない。

・金さえもらえればプロダクトに興味ないとか、クライアントに興味ない、いわゆる「やる気のない人」が少ない。

Excelの誤字脱字をひたすらチェックするような虚無感の強い仕事が少ない。

・「こんな古くさい技術、他の何のプロジェクトで使うねん」っていう枯れた技術をあまり使わない。(ゼロではない

作業スペースが広い。オフィスがきれい女子が多い。総務の人がかわいい。(SIerにも可愛い総務の人はいました。)

・開発用PCに色々と楽にインストールとかできる。いちいち申請かいらない。

 セキュリティ基本的には社員を信用する形にしてるので、ルールガチガチじゃなくて快適です。

・上の話にも通じるが、勤怠のルールもゆるい事が多い。

服装自由なので、無意味スーツ強制されない。

正直多少給料が下がったとしても、人生全体の満足度が大きく違うので、Web系の方が全然良いです、というか

もうSIerで働くの無理だなと思ってしまいました。

エンジニアリングっぽいことをして帰った夜と、誰でも出来るエクセル編集作業をして帰った夜では全く感覚が違う。

と少なくとも私は思いました。

とにかく、働いているエンジニアの層が違う。

自己研鑽して技術を身につけようとしてる人がWeb系には多いし、

ゴルフ始めて上司や客に気に入られようとしてる人がSIerには多い。

最初結論釣りのために大げさに書いていますが、

実際はゴミというより、人それぞれの好みなんだと思います

仕事のやり方とかは、Web系の方が人に依存しすぎてて運用だってたりしますし。

その点SIerは「誰でも出来るようにする」ことに力を注いでいるので

標準化手法はめちゃくちゃ上手いなと思いました。

まあでも、普通にやる気がなくてサボるオッサンがチームにいないだけで快適度が違いました。

となりで永遠に天を仰いでたりお菓子食ってたり新聞読んでる人がいると、本当に「なんだコイツ?」ってなるので。

仕事しないなら帰ってくれ。

人それぞれの好みだとは思いますが、もう私は二度とSIerでは働かないと思います

2023-09-14

anond:20230914225729

自社開発で飽きるというのは自社開発のことをよく分かっていないな。

自社開発は長くやっていると変な社内政治に巻き込まれるか、そこから距離を置いてつまらない仕事をやり続けるかのどっちかだよ。

から数年働いたら辞めて別の会社に行く人がとても多い。

受託認識は凄く正しい、よく分かってるじゃん。

いいソフトウェアを作り出すよりもそれなりの品質のもの効率よく作ることが利益になるから一定知識をつけたら脳死で働けるのは嬉しい場所だ。

SES現場によりけりだろ、ハズレ引き続けたら地獄だよ。

通勤に2時間以上かかる現場に飛ばされたりさ、紙にコーディングさせられてたときは楽しむより殺意が湧いたぞ。

2023-09-06

JTCの大半って長く勤めて手に入るスキルって政治力だよな

役員の○○さんには事前に筋を通す」とか「○○本部長はちゃんと前準備したことアピールしないと反対してくる」とか

そういう社内政治的な事しか身につかない

から他社に行っても役に立たないことが多い

2023-09-03

JRPG発売間隔長すぎ問題

ドラクエ9(2009年)からドラクエ11(2017年)で8年間。

FF15(2016年)からFF16(2023年)で7年間。

中高生あいだに一度もシリーズに触れない層が出てきてもおかしくない。

こんなんじゃ若者JRPG離れも仕方ない。

ポケモンはその辺ちゃん意識していてきっちり3年間隔でシリーズ本編を出している。

しかしそのポケモンオープンワールド化に足を踏み入れたので、今後も3年間隔で出せるかどうかは怪しい。

最近クリーチャーズがやたらと求人出していたりゲームフリークが競プロスポンサーやったりしているので、開発体制の強化を行っている気配がする。

スクエニもそういう危機感を抱いていたかクリスタルツールズやルミナスエンジンでなんとか乗り切ろうとしたんだろうけど、期待通りにはいかなかった。

そういえばFF16は何で作られてるのかなと思ったら、ラデックエジンという内製のエンジンらしい。

外部のエンジンを使わないのはいろいろ社内政治とかあるんだろうなぁ。自社の技術が失われてしま危機意識も分かる。

サガ・スカーレットグレイスはUnityを使っていたけど、あれは社内での実験だったのか、自社エンジン反対派の抵抗だったのか。

サガスカは高い評価の割に売上はあんまりだったけど、Vita版発売後もPS4SwitchAndroidiOSSteamと何度も移植されてちょっとだけ売れてた。

あいう売り方ができたのは汎用エンジンの強みだよなぁ。

新卒で入ったJTCを辞めて博士留学を始めた。

〜はじめに〜

私は新卒入社した企業をたった2年で辞めてアカデミアの世界に戻ってしまった。

周りから見たら堪え性のない最近の若者って感じだろうな。

共感してもらえるとは思わないが、なんとなく聞いて欲しくて書いてみている。

就職するまで〜

国内国立大学修士課程卒業して新卒でJTCに入社した。

分野は特定されたくないのでぼかす。

恐らく日本人なら誰でも聞いたことがあるメーカーだ。

入社した理由は周りの多くが修士を出て大企業就職してたから、お金もらって研究続けられるならそれでいいかと深く考えずに入社した。

元々研究が好きで就活時もR&D一本で就活していたので、結果的に見れば理想通りの進路だった。

業務内容について〜

最初研修を経て研究職として地方研究所に配属され、近くの寮(一人部屋)で一人暮らしを始めた。

しか入社して半年程度で、自分仕事に全く楽しみを見出せなくなってしまった。

まず研究について。

これは企業なので仕方がないのだが、入社時に希望していた研究テーマ(仮にAとする)と大きく異なる分野に関わることになった。

Aは就活当時に海外研究が盛んになっている分野で、産業的に日本にも入ってくるかどうかというタイミングだった。

就活の時には研究所の偉い方々とAの話で盛り上がった。

事実、私が入社したタイミングでその研究も立ち上がったのだが、残念ながら自分メンバーではなかった。

正直、誰よりも興味があったし先行研究もそれなりに知っている自負があった。

勿論、新しい研究の立ち上げに加えて新卒教育なんて大変なのはわかる。

ただ自分にとって真横でAの研究が行われるのを傍観し、全く異なる別のテーマ情熱を注ぐというのは正直かなり無理があった。

上司と話す機会もあったし私がその分野に強く興味があることは知っているはずだが、どうもその上司育成方針からして私は何年経ってもその分野に関わることはないだろう事を悟った。


人間関係について〜

また入社時にはコロナ流行しており、半年たっても会ったことのない部署の先輩がいる程度に希薄人間関係が出来上がった。

元々研究所はその特殊性から人員移動がほとんど起きず、10年単位で同じ課にいる人がいる程度にはクローズドコミュニティだった。

普段なら人付き合いは得意な方なのだが、その閉鎖性とマスク越しで想像し難い同僚の表情に勝手に畏怖してしまい、必要以上に気を遣う付き合い方を始めてしまった。

気づけば半年も経つ頃には人付き合いに対して過度に気を遣って自滅してしまい、人付き合いに楽しみを見出すことが出来なくなってしまった。

家と会社を往復して酒飲んで寝るだけの生活に終止してしまい、家族や友人にも会えずなんのために会社で働いているのか分からなくなってしまった。


待遇キャリアについて〜

また、自分の周りの方々を見ていると自分キャリアがこの先どのように進んでいくか、人生が概ね見えてしまった気がした。

新卒年収が400万、3-5年ごとに100-150万ずつ上がって、40代でもし課長になれば1000万超えるとか、そんな感じの年功序列が色濃く残る給与テーブル

研究員は10年とか努めたら突然の辞令研究員ではなくなり、別部署主任になるのが大半みたいな。

大体三十歳前後結婚して、近くに家をローンで買って、子供育てながらずっと勤め上げるみたいな。

恐らく多くの人から見たら幸せ人生なんだと思う。勘違いして欲しくないのは、私はそれを全く否定していない。

それでも自分には魅力的に映らなかった。

まず第一に、自分研究が好きで博士号に憧れを持っていた。

日本では取っても食えない足の裏の米粒とか言われているが、それでも私は研究に携わる上でいつかは博士号を取得したいと思っていた。

入社当時は社会人博士等も考えたのだが、会社としては肯定的ではなかった。

研究所にも関わらず職場では実務には必要ないという考えが主流で、事実博士号を持っている方々もそれに見合った待遇は全くなかった。

しろ時間と金をかけているのにほぼ年功序列のため、同年代の同僚と加えて損しているような状況であった。

もちろん全ての会社がそうではないと思うが、私は博士号を良しとしない日本の風潮と会社に大変に失望した。

また別の理由として、人生で一度は海外生活してみたいという強い思いがあった。

元々いつかは海外駐在をと思って会社を選んだが、入社してから研究員として駐在するというポジションはなく経理営業ほとんどであることも知った。

それどころか会社研究員を続けたら海外に行く機会はなくなり、10年も腰を据えればある日突然の辞令研究員ですら無くなってしまうのだと理解した。

はいつか研究から離れるにしても、少なくともその引き際については上司裁量社内政治の巻き添えではなく、自分意思で決めたいと思った。



受験準備〜

入社半年上記のような数々のギャップを抱いた結果、海外博士号を取るという決断に至った訳である

どうやら博士号欧米では十分に評価されるらしいとか、海外大学院授業料無料生活費までくれると聞いたのが大きな理由だ。

よくも知らないのに受験して海外に来ているなんて、今思えばかなり無謀なことをしているように自分でも思う。

また研究世界はどこまでいっても英語公用語であるため、基礎的な学問母国語習得した上でなら英語研究遂行する能力必要だろうと考えた。

幸い職場ホワイトだったので、勉強する時間は存分に確保できた。

主に米国大学院に絞ったため、一年目の秋頃からそれに合わせて準備を始めた。

大学院留学には主にTOEFLIELTS使用されるため、私はIELTS選択してオーバーオール7.0まで取得した。

元々英語趣味だったので、こちらは半年程度で到達できた。

続いてGREスコアを取得した。

GREとはGraduation Record Examの略で、米国大学院受験する際に要求されるスコアだ。

ただ近年では研究能力と関連がないという意見も多く、廃止される大学も増えてきている。

こちらも半年程度で目標としていた点数(Verbal 150, M170, AW4.0) に達した。

2年目の秋頃から書類を揃えて本格的に海外大学院Ph.D.プログラム日本でいう博士後期課程)に応募を始め、三校から合格をもらった。

自分レベルに見合う中堅の州立大学をメインに受けたのでIvyのようなトップスクールではなかったが、それでも合格が来た時は本当に嬉しかった。

合格した中には修士時代に少し交流のあった先生からの誘いが含まれていて、これ幸いとそこを進学先に決定した。


退職まで〜

合格が決まったので退職職場関係者に報告した。

反応は様々だった。

新卒で2年しか勤めてないのに辞めるのかとかなり叱責してくる上司もいて辟易したりもしたが、実際会社から見たらただの不良債権なので仕方ない。

そもそも会社辞めて海外留学なんて叩き上げ管理職からしたら当てつけのように感じたかもしれないから、分かり合えないのは仕方ないと割り切った。

管理職ではない方々は割と優しくて、割と前向きに送り出していただくことが出来た。

大変に良い人が多かったので、コロナ禍でなければもっと良い交流を持つことも出来たのかなと少し残念に思った。


博士留学してみて〜

アメリカでの博士課程生活は大変に気に入っていて、現状は概ね満足している。

一度社会人経験してみて履修する講義はどれも面白いし、大学時代よりも自分に存分に投資できる時間を嬉しく思っている。

ただ給料が出るとはいえ大学院生なので、収入の面では下がってしまった。

現在給与は年間で大体$25,000くらい、日本円だと350万円くらいかと思う。この額は多分アメリカ州立大学大学院生の平均的な給与だと思う。

そもそも好きに勉強して研究するだけでお金が貰えるので、自分にとっては天国である

自分としてはむしろ授業と研究だけで350万貰えるのに、フルタイムで苦労して働いて400万しか貰えなかった日本大企業やばない?と若干思うところもある。

まあしかしアメリカ田舎なので物価は安めだが、日本の時と比べると生活費は上がってるので前より余裕はない。

大学院としては年間$30,000(約400万円)の学費免除経済支援の一部としているので、それを踏まえると待遇は上がったかと納得している。

残り2-3年で卒業を目指し、卒業後は現地就職する予定だ。

アメリカでは博士卒が民間就職した場合自分の分野では平均$80kから100kは貰えるそうなので、給与の面ではJTC時代を大きく上回る算段となっている。

周りをみても外国籍特に問題なく就職しているので、日本博士卒の就職難というような問題こちらでは無縁のようだ。景気さえ悪くならなければ大丈夫だろうと思う。

幸いビザ問題とある理由クリアできる目処があるため、卒業と現地就職を目指して今後も研究に励むつもりだ。

海外生活も日々新鮮に感じることが多く、自分にとっても成長を感じる機会が多くて楽しく過ごせている。

生魚や焼き鳥が恋しいが、日本食材自体は売ってるので思ったより食事が辛いということもない。


最後に〜

自分は体質的日本企業には合わなかったのだろうと思う。

元々人付き合いは好きだが、上下関係気遣いは得意ではないので大分ストレスに感じていたように思う。

年功序列自分には向いていない制度であったし、自分意志を介在せずに自分処遇が決まっていく組織というものにに耐えられない性分でもあった。

それでも日本大企業入社してみた経験自体は確かに生きていて、培ったマナーであったり規律等は学生上がりが多くカオスアメリカ大学院生活でも大変に役立っている。

自分別にアメリカを礼賛しているわけではないが、少なくとも私のような青二歳の外国人にも挑戦すれば機会が与えられて、能力があれば高い給与が貰える可能性があるのだとすれば、これは私にとってのアメリカドリームに違いないだろうと思う。ドリームというほど上振れてもないけれども。

同じようなことで悩む若者がいたら、少しでも参考になれば嬉しい。

2023-07-20

バンナムはもう面白いゲームを出せないのか

バンナムやらかしてるのを見るとどうしてもこの記事を思い出す。

https://reskill.nikkei.com/article/DGXZZO51130700Y9A011C1000000/?page=2

例えば、バンダイでは1人のプロデューサー複数ゲーム担当します。数をこなすために、実際の開発は外部の企業委託します。商売への執着心が強いバンダイは「狩猟民族」のようでした。

鵜之沢さんは商売人のプロフェッショナルです。交渉相手突っ込み、撃沈して帰ってくるということもありました。

バンダイは、全員がそうではないと思うが、ゲームを作り込むのではなく商売することに軸足があるんだと思う。

ちなみに鵜之沢氏はドラゴンボールゲームキャラIP理解が甘すぎてマシリトボツを食らった人。

この記事面白かったので読んでみて欲しい。自分は正直、呆れた。

https://www.itmedia.co.jp/business/spv/1912/06/news020.html

一方、ナムコは例えるなら「農耕民族」です。ゲーム企画からジックリと作り込みます

ナムコゲームを作り込むことに軸足があって、その分商売は上手くなかった印象。

会議でも如実に違いが表れますナムコはひたすらゲーム企画内容を説明します。バンダイではゲームの中身にほとんど触れず、どことコラボするか、マーケティング戦略など売り方を重点的に説明します。

これを読むと、「じゃあナムコ出身がじっくり作り込んだゲームバンダイ出身が売りさばけば最強やん」と思うし、実際それを狙った合併だったんだと思う。

でも、こういう社風、特色をみる限り、バンダイ出身者のほうが社内政治に強くて、ナムコ出身者は社内政治に弱かったんだと思う。

事実、今のバンナム上層部バンダイ出身者ばかりだ。

自分ナムコゲーが好きだったから、どうしてもナムコ寄りの見方になってしまうけど、バンダイ合併して、社内政治の強さからいろいろな物事バンダイ寄りに、商売第一になっていって、いわゆる大企業が用意する、コスト低減の徹底されたスキームに乗せてゲームを作らざるを得なくなった結果、ゲームのものイマイチになってる…という状態じゃないかと思う。

もうバンナム面白ゲームを、いや、ナムコ面白ゲームを出せないのかな…と虚しくなった。

2023-07-12

父が死んだ。葬式もした。

喪主ではないし長々としゃべっても飽きられるだけだからここで自分の整理がてら、書いておこう。

父という人間のことはなんといって表現していいかいまだによくわからない。というのは母が強烈すぎるからである

 

父は1940年代まれ日本人男性である出身地は西の方の川沿いの豊かとはいえない田舎である

6番目の息子である工業高校に通うために下宿がてら養子に出されるまでは、兄の一人に小遣いや親の愛を搾取されていた。

 (おそらくそのせいで自分へのいじめにはとてもドライであるいじめが嫌いだし、「ズルイ」という言葉も苦手である。)

工業高校卒業後は、工場のあった景気のいい化学メーカー就職した。読書が好きで(速読で)すこし本で勉強すればペーパーテストはたいてい受かる。

職場ではじまった国内留学のような制度の初年度生にえらばれて会社のカネで大学化学科に進学した。

学費の足りない分や生活費は賭けマージャンで補っていたという。のんびり無口なくせにダマテンかメンタンピンか即降りの雀風である

趣味登山で、安くて黒いカメラも一応持っていた。(父が人生もっともイケイケだった時代かもしれない)

そこで一学年年上にあたる女性出会った(大学では同学年)。九州で育って浪人して偏差値で選んで入った教育学部にいた女性は、はきはきとしゃべり美人笑顔が気さくだった。

怒るとまくしたてて手が付けられないが、おこっていなくても気を許した人間の前では延々とラジオのようにしゃべっている。

話すうちに多少の脚色も入って来る。それを父はわかっているのだがいちいち訂正しない程度にはおおらかな父と女性は気が合ったようだ。

1960年代?の大学には学生闘争が(東京でとくに盛んに)あった。田舎大学にも多少の余波はあったが、両方とも危うきに近寄らずで敬遠していた。

父は卒業化学企業にもどり、女性は数か月だけ「印刷会社腰かけ事務職」をして寿退社初任給洋裁用ハサミと広辞苑を買ったという。

二人は親へ挨拶をすませ神前式結婚式をあげた。新婚旅行国内)ではパンタロンネッカチーフなど流行の服をきたイケメンの父が観光名所の立て札の前でまぶしそうに笑っている。

1970年代。m市の社宅に二人暮らし妊娠。里帰り出産でまるまるとふとった増田を生んだ。ぴかぴかの母の笑顔は(そのころまだモノクロ写真しかなかったので)モノクロームである。(追記:よく考えてると写真現像紙の質が悪くて色褪せてただけで新婚旅行出産も一応カラーだ)

夏だが一般家庭にはクーラーがないころだ。産院にはあったそうだが、おくるみでぎっちりくるんだ写真をみるに母には赤ん坊を薄着にするという考えがなかったようだ。

(なお増田は今も超絶汗かきである。失うはずの汗腺が全部残っている)

二人目もm市在住で西に里帰り出産した。このとき増田も母実家に連れていかれた。

このころ叔父浪人してから医大に入って実家から通っていた。叔父マンドリン部に入ったといって増田になにかを弾き語りしてくれた。あと本好きの増田学研漫画植物百科を買ってくれた。

三人目を生む前に父は関東のk市に転勤になった。おそらくこのへんで、父は化学から離れたようだ。(父、転身)

というのは、データベースで父の名を探したことがあるのである。染料の特許論文かに1-2件だけ名前があってぷつりと途切れた。

というわけでk市で三人目が生まれた。そうして5人乗り自家用車を買っていろんなところにつれていってもらった(なおそのころベビーシートはない)。

だが車内で父はタバコを吸った。車内はひどい匂いでひどく揺れ、子供たちはぐったりしていたし従兄弟などはゲロを吐いたこともある。あまりいい思い出はない。

(母は父に「ニヒルなくせに私にだけやさしい大人男性」というイメージを抱いていた。一時期はタバコ容認~勧めたことがあったようだ。実際は父のほうが年下で気弱ですらある)

そうしているうちに二人目がアレルギーという未知の病気にかかって(そう、1980年代にはアレルギーによる気管支喘息すら新規だった。父も母も本を買いあさった)、

そのころの(無鉛ガソリンとも限らない)車の排気ガスアレルギーのもとだ、という説にすっかり怯えてしまい、「もっと田舎っぽい場所に家を買いましょう」となった。

とはいえ社宅だって、そこそこ郊外で、隣は竹の子がとれる竹林だったのだが。

まあ、3人の子育ての忙しさの中で狭い金魚鉢みたいな社宅でのハイソ自慢、愛され自慢だの、昇進自慢に母が飽き飽きしたんだろう。

1980年代、父はチバラギの片隅に土地を買って家を建てた。

そこで知ったのだが父はいつのまにか一級建築士になっていたそうだ。意気揚々と自宅を設計現場監督がてら家族をつれてわくわくとみせにいった。

(このへんで、のこり全部の西にいる親類から東京叔父さん」と呼ばれはじめる。後日つくば万博ディズニーランド成田への前泊などで宿をお貸ししたこともあるようだ。)

お礼にとめてくれる親戚をたどってお盆に西をめぐったこともあったがそう回数は多くない。いつも核家族の5人が一緒であった。

 

増田と父と電車記載を削除)

 

そのあと増田はなんとか就職して、ひきとめたがる母親喧嘩しながら「自分の金で」一人暮らしをはじめ、あまつさえ恋人ができたというと、

母が「空の巣症候群」というやつでいろいろとヒステリックになりはじめた。

子供が「いやもう自分大人から口出しをするな、するなら人生最後まで口出しする覚悟しろ恋人よりよい伴侶候補がいるならいますぐつれてこい」とブチ切れてやると、

父親に「ウエーンくやしい!」と子供のようになきついていた母を思い出す。

その後も「恋人を家につれてこい紹介しろ」というからそのとおりにしたところ「こんにちははじめまして」の二言目に「うちの教育方針は!」とはじめたのでみんなでドードーしたのをおぼえている。

子供教育することが母の生きる目標だった。母には並列処理はできないのである教育となったら教育だけをするのだ。

「もういいか子供にかかわらず好きなことをしな」というと……。

しばらくしてようやく、母は広い庭をいじりたいから、もう一軒家を建てて引っ越すといいだしたのだ。

庭で草花をそだてていれば嫌なことはすべてわすれられるという。

父は母のことを浪費家だと数度指摘した由来はこの辺にもあるとおもう。

(ほかにファッションや作り付け家具など、彼女なりの「上質な暮らしイメージを達成するために骨身をおしまなかった母だ。

今で言う「お値段以上」なのだろう、「モノはいいモノだから3人の子供に使うのならこの値段は惜しくない」という言葉を母から何度も聞いた。

学校の縄跳びなんか子供向けのすぐ切れるプラスチックじゃなくてボクサーが訓練に使うようなものをもたされ重かった。)

母にしてみれば教育費を払いきれたのは自分の塾のおかげもあり、父はケチだというのである。どちらが正しいかは…。

ところがしばらくすると、父自身が肺の難病にかかった。タバコは肺にはよくないということはわかっていた。

父は早期退職制度で、ただ社外顧問で数回きてくれればという職だけをのこして闘病に入った。

幸い年金ももらえる。子供への仕送りもぱったりとまってお金には余裕がある。

郊外というよりもはや森の中を切り開いてつくった庭の広いおしゃれハウス建築中)は、たちまち父の療養ハウスに方向転換となった。

手すりやら風呂やら改築し、母は断捨離をし、こだわりより健康を優先し…。

そこで難病なのに20年も生き延びたのは確かに母のおかげであろう。

 

ただ母はだんだん父が自分より弱い生物になりさがっていくことがなかなか納得できなかったようだ。

母にとっては子供庇護すべきで、父は母を庇護すべきだったのに、すべてが逆転してしまったのだ。

母の癇癪は昔からものすごく、感情の嵐の生のままの奔流であって、いうことがよくまとまっていない。

Aといった直後にいいかえすとじゃあ反Aだと躊躇なく言えてしまう。もちろんきっかけはあるのだが。

母がなんでタバコを吸ったの!と責めて、理由をはっきりいわないと納得しないので父は「母も勧めたではないか」と言い返すのではなく「社内政治に参加するためだ」と説明した。

「なんで私を浪費家だというの!」「なんで感謝してくれないの!」には、

それぞれ「幼少より母の愛に飢えていたため」などの適当理由がつけられ、反省書となった。

反省書はなんども日記にかきつけられ、こどもたちへも父がこんなに反省したとメールで送った(母もいつでも読めるようccつき)。

まるで自首後の犯人動機を言えと迫る刑事のようなやり取りである。さしずめ母は愛情刑事であった。

 

この「なんで」期の母は2人だけの蜜月のはずがいきなり愛情が枯れ果てたかのようなふるまいをしたので子供たちにも影響があった。

あるときなど増田が呼び出されて母と東京カフェであった遠かったねよく来たねの二言めで「今日ね、おとうさんをいじめてきたの」というのである

どのように苦しめたか。それがどれだけ自分の恨みを買った人間の正当な末路なのか。話はじめると30分以上いきつぎもしないでとうとうとやる。

増田や父は、そういう手の付けられない母をどうしていいかいつもわからないで黙っている。

ただただ、ああ、となりのテーブルの客が居心地悪くて逃げたなあときときょとしながら口をはさむ隙を探す。

まるで楽園のなかの地獄であった。

やめてくれ。あなたたちは善良で努力家で思いやりある人間だっただろう。泣きたかった。

カフェの次は庭園つきフランス料理で父もいるときニコニコと「お父さんに遺言をかかせたの。私に全部残させるって」というのである

増田遺産も愛も父からはあたえられない子供になったのだと、増田当人にむかって心から嬉しそうにいうのである

理由を聞いてほしかったようだが「ふーんそう」というのがせいぜいだった。

後日やっぱり何十回もしつこく聞かされた。あれもこれも、…、わたしケチといわれたのよ!!父は母に愛情がない!

父は平謝りするしかなかったらしい。

増田ボケがきたか気がくるっているとしかおもえなかった。

でもその場で諭そうにも耳も悪い。

「その話は今聞きたくない」と穏やかに告げるとまるっと無視された(なんなら常にセリフを母にカブせられているし慣れてるけど)。

もう一度はっきり言うと「え?」といわれ、もっと大きい声でいうと「大きな声を出さないで!心臓がどきどきする!」と泣き出すのである

補聴器をすすめたけど、ぼわんぼわんして不快だとつけたがらない。

それに庭に出ている間も補聴器をつける必要がない(むしろつける必要がないから庭がすき)だから悪くなる一方だ。

子供たちは私を味方してくれない、おとうさんばかり味方して、おとうさんがだましているからだ!ということで本当に手が付けられなかった。

  

でも素直な母は、父をいじめるだけではなくまっとうに、増田子供たちに直接説得も試みた。

ところが増田子供がうまれて送迎などで忙しいのに、携帯業務用)に電話をかけることがつづいたのである

運転中は出られない。うるさくて運転に集中もできない。ガチャギリするしかない。それでもかけてくるのでやむを得ず「固定電話にかけて」と携帯ではブロックをした。

このことは増田子供の送迎がいらなくなりガラケーアイフォンをのりかえるまで続いた(のりかえたときブロックは解除した)が

ボケ?もとから機械音痴?の母は下の兄弟増田の伴侶に「増田ちゃんわたしブロックしたの!解除するようにいって」と何年も頼み続けた。

   

父はじわじわと悪くなった。3年に一回ほどのペースで入院するたびに母から死にそうな声で「おとうさんが入院したの、もうだめかも」といわれて子供たちが全国から新幹線などでとんでいった。

父は母に「浪費家だ」といったことを老後一生かけて平謝りし続けた。

酸素マスクが一日中必要になっても、下の世話はしないからと母にいいわたされると一回30分かけてでも一人で家のトイレにいった。

母はトイレにいく父の血中酸素モニターが鳴る音だけはよくきこえたらしくて「いつもピーピーうるさいから本当に止めさせたかった」のだそうである

かにもブザー音がなると死んでいるかもしれないし、地震があると停電したら酸素送風がとまってしまう。そうすればすぐに酸素濃度がさがって窒息死だ、ということで不眠ぎみであったという。

なるほど不眠であれば気が狂うほど老々介護はつらいだろうというのはさっせられた。

途中で増田は「あなた(母)はもう後期高齢者だし、父はさっさと介護認定を受けるべきだ。他人を入れろぜひ入れろ、入院介護施設はないのか」とアドバイスをしたりもした。

父も早く「介護認定を」といえばよかったのだが母だけに甘えていたかったのかもしれない。

母親認識は古くて「介護認知症施設にいれられ毎朝チーチーパッパと歌わせられる」というなんかアレな印象しかなかったのだが、

父も「自分=強い=介護うけられない」とおもってた節がある。いいコンビだよあんたら。

まあ、実際、肺病で介護認定がそんなに高くなった父という存在チバラギ地方では珍しく、認知症むけばかり取り揃えられている施設からは選びづらかったようだ。

 

母は一度、「もうすべてをほうりなげたい。お父さんなんか死んで良い」と増田ドライに告げたので増田市役所を通じてケアマネに緊急電話をした。

実際病状がすすんでいるのも理由にあったようだ。

父は身の回りを手に取ることすらおぼつかない。あれをとって、かわりにこれを置いて、の命令の繰り返しの24時間。そりゃ気が狂う。

頭がはっきりしているだけに介護をうけておきながら「あの礼状は出したか」などと口うるさいこともこまごまという。

ケアマネ介入後はデイステイのできる施設をいくつかめぐって、母に介護休暇をあたえ父の入浴はステイ先で複数人介護をうけることにして解決となった。

  

他人の手が入ったあとはなんとか母の忍耐がたもったようだ。

ラインでこまめに連絡をとると、お互い聞き取れない・聞いてもらえない長話のストレスと徒労感も解消された。

コロナのおかげで世の中全体が肺病に警戒しており、

ストレスのたまった母親の消費欲やお出かけ欲も「コロナは怖いから」と唱えるだけでだいぶ抑制された。

母はユーチューブをおぼえた。

コロナワクチンふたりともいち早くうけられた。怪我の功名である

 

増田の残りの二人の兄弟子育てに忙しい中でガス抜きに付き合ったらしい。なんとか二人の生活はつづいた。

  

そうして2*年の闘病、*年の介護認定酸素マスク、90日の入院のあげく父は体重が半分になって逝去した。

母は感情が高ぶると耳が全くなにも聞こえなくなるので、増田葬式の打ち合わせに逐一ついていってすべてをメモにして渡してやった。

 

父がなくなって重荷が下りても母はやはり理不尽であり、やはり葬式相談のあとにも爆発した。

かねて希望していたように「全部の遺産を母の元に相続させつつ凍結などの不愉快事態にさせない」ためにはなるべく資金を動かさないほうがよいのに、

はいます資金をすべて自分の口座に動かそうというのである

それなら司法書士とか頼んだ方が楽だよというと、母の感情は爆発するのである。「高いでしょう!?」3万でいける「デモデモダッテ」。

今すぐにでもATMにいってお金おろしてあつめたいというのである。(父は箪笥貯金を高額な葬式分くらいはおいてあったし互助会にも入っていたか葬式費用ではない。)

なぜと問うと、「子供たちに私からお金を送りたいから」。はあ~~~???だよ。じゃあ法定相続割合でよくない?父もそれが一番簡単からのぞんでいたんでしょう。

anond.hatelabo.jp/20230712024305

2023-07-08

anond:20230708085501

元増田は見ず公開処刑にだけ言及してるんやで。つか割とワイ公開処刑するしな

やっつけてやったぜ!と言うよりは言うこと聞いてくれないので他に仕方なくってヤツやな

 

なお、それで物事好転したことは一度もない(問題の箇所は修正されるが)

良い悪いは別として、組織から人を追い出す権限社内政治能力、もしくはドン引きサイコパスさが無いと、公開処刑はしても意味がないで

恨んだり不貞腐れたり休みがちになりながら該当人物は組織にそのまま居座るし、チーム全体が満遍なく微妙場合はただチームの空気が悪くなるだけだ

ポンコツリーマンポンコツリーマン同士仲良くするしかない

それが嫌ならポンコツリーマンがいないところで生息できるレベル自分がならなきゃいけない

それは現実的ではないですねの場合は週2ー3とかで参画すればストレスは減りそう

2023-06-22

anond:20230622220425

逆に言えば社内政治に勝つことこそ出世要件

ラインメチャクチャになってる頃にはソイツは現場を外れて出世してるんだろうなー笑

管理職パワーバランスによる人員配置の差を見せられてる

所属部の中にラインが5個くらいあって、その上に部長がいるという組織構造なんだけど、そのうちの1つの管理職のパワーが明らかに強い。

人事異動期ごとに自分が使いやす人材を集めて、使えないやつは別ライン押し付けてるのが明らかにわかる。

仕事が多すぎて回ってないラインがあるのに、自分ラインに他部署からの増員入れて、いらない奴を別ラインに入れてる。

そんな感じで要領良くいい駒ばっか持ってくから益々成果も上がるし上長にも好かれるというスパイラルでもう誰も止められないんだろうな…

社内政治っていやだな

2023-06-16

anond:20230616121127

仕事だけで終わるといいんですけど社内政治が付帯してくるからなぁ

 

まぁ技術だけで食えないポンコツから致し方なしではあるんやが

2023-06-10

anond:20230609180256

会社だとMS製品以外とても使うハードルが高い。

自分タブレット持ち歩いている人もいるけど、情報セキュリティを盾に社内政治的に嫌がらせされたらダメージが滅茶苦茶大きくなるパターンからやりにくい

2023-06-03

外資を辞めて日本事業会社転職したら天国だった

自分学校コンピューターサイエンスを修めてないし、新卒就職もしてない野良犬みたいな経歴です。しょうもないアラサーです。

Fラン大学文系を出て、理由もなく2年ニート、その後はバイトからはじめて、小さいソフトハウスに入るもパワハラで1年くらいで退職しました。

その後は夜中にサーバー再起動するIT土方をしていました。月の手取りは15万で何もできなかった。

その時にコロナでの案件崩壊と自宅待機が来ました。暇で仕方なかったので、流行りのクラウド資格をいくつか取り、しょうもないSIer転職

毎日やることは、しょうもないエクセル方眼紙スクショを貼り付けたり、全力でセルを結合することなどです。

他には、技術がわからないプロジェクトマネージャに、画面共有で5000文字くらいある設計書を半日かけて説明して、得られたもの句読点をずらすことだけだった時は、耳鳴りめまいしました。

しかしながら、自分技術はわかる方じゃなかったので、大流行クラウド資格や、国家資格とかも暇つぶしで取って、ちょっとわかるようにしました。

また、知識だけじゃどうしようもないので、慣れないGitHubを使ってOSSコントビュートとかもしてみました。ただのGood First Issueのバグ潰しでしたが。

こういうことをしても大して給料も上がらず、会議中にAPEXの音がするプロジェクトマネージャの方が評価が高かったのは虚無でした。

彼のAPEXの音をBGMに、転職サイトへとスムーズ登録し、外資系コンサル転職してみました。ここはいわゆるBIG4というところです。アーキテクトをすることになりました。

初め、貸与されたPCMacだったので、外資はいいぞと思ったのですが、MacでやることはWindowsのVDIに繋いでパワーポイントピクセルずらし、論点のない会議ばかりでした。

当たり前のようにコードは書けず、日々Office製品をいじり、顧客社内政治に巻き込まれながら、毎日7時から0時まで働きました。管理職はいつ寝てるのかわからない。

外資なのに社内のワークフロー日系企業並みに複雑、裁量はあるが、そもそも仕事量が多すぎるので実際ありませんでした。無駄LGBT環境への配慮研修が多かったです。

結局ここも前職のSIer仕事を煮詰めただけで、ストレスは上がるばかりだったので、すぐにやめました。給料は爆増したが、色々と失うものがありそうでした。

ここまでで、エンジニアリングにおいて邪魔もの顧客だということがわかったので、次はB to C会社事業部エンジニアになりました。給料は前職据え置き。

今の所たくさんコードがかけて、割と幸せです。この会社に入ってからOffice製品は一切触ってません、あれが悪いわけではないのですが、物には適切な使い方というものがある気がします。

今思うと、自分ものづくりが好きなだけで、顧客課題解決には全く興味がなかったと思います。昔は技術的なコンサルティングや技術営業などもやりましたが、作った後は金の切れ目が縁の切れ目で、作ったものがどう動いてるかは全くわからなかった。

また、前職と違い、事業部エンジニア基本的技術力がある人しかいないので、頑張ってきたつもりの自分でも毎日不足を感じていますしかもみなさん若いので尚更焦る。

これからは、ちょっとずつ頑張っていこうと思います

2023-05-29

anond:20230529160543

ワロタwまあ皮肉だろうけど例えばアメリカ場合家族をとても重要視していて家族と過ごす時間仕事と同等かそれ以上に重視すると聞いたことがある。

もちろんスタートアップ経営者独身であったり家族理解をえて働いているのだろうけど、

人の足を引っ張るだとか、騙すだたとか、はめるてクビを飛ばすだとか、蹴落として再起不能にするだとか、社内政治が得意じゃないと外資でやっていくのは無理

ちょっとスタートアップとは毛色が違うかな?

2023-05-27

ブラックホワイトフリー渡り歩いて20年以上が過ぎた

疲れた毎日精神的にも肉体的にも疲れが抜けない。

頭の片隅には常に仕事のことがこびりつき、週末であっても業務内容について考えてしまう。

考えない時間強制的に作り、精神を休めるためには寝るしかない。そして寝るだけの週末ばかりを過ごす。

心の底から楽しい休暇を過ごすためには、日本から時差のある国に行かないと休めない。

自己責任だ。それは知ってる。

仕事忙しい俺カッケー寝てない自慢?それも知ってる。

社畜だな、その通り。

今の状況が好きなんだろう?そうだね、とドヤ顔で答えられる。

海外旅行に行けるほど給料もらってるんだろう?と言われたら、まあ。というところ。

多分な事件事案解決への祭り感に乗りたい欲を満たし、自己犠牲精神を捧げ、外資企業所属をするか業務として請け負っている時は

時差を乗り越えないとならない業務にどっぷり浸かりながらいわゆるWeb/IT業界を中心に転々としもう20年以上。

その間、9.112018年には初回のドットコムバブル崩壊3.11コロナパンデミックウクライナ紛争日本元首相の銃撃事件

そして2度目のドットコムバブルの崩壊が昨年訪れた。

雇用体系や所属企業が変わっても一貫して24時間365日正常に動いて当たり前のサービスまたは製品担当しているので

世情にも社内政治にも社内の状況にも全力で振り回される。

気分的にはジェットコースターに乗っているというより、一分一秒途切れず水もなしに高速で脱水している洗濯槽に生身のまま放り込まれている気分。

その洗濯から出ることも叶わず、ただただ身を任せるしかない。

つの日か本当の意味で休める日は来るのか。

自分人生ながら、他人事のように感じる。

2023-05-26

大学高校までに定期的に異性に働きかけた人が行くべきところ

働くことに直結する

中学高校までに異性に毎日しかけるなど定期的に働きかけたことのないひとは社内政治営業に向いているだろうか

2023-04-19

映画ストーリーがよくわからないことがある

んだけど、その理由がこの前わかった。

社内政治劇やら歴史物など、ある程度の知識がいるものではなく、ただただ爆発!!アクション!!爽快!!みたいな映画ですら

「え?今なんでこうなってるの?」

「この人前と言ってること違くないか?」

と思うことがあって、何回か見ないと理解ができなかった

アニメ漫画小説ではこんなことはならない。ある程度理解できる。

とにかく映画などの実写作品だけなのだ

小4の算数で躓いた人生だったので、頭悪すぎて理解できないんだろうなと思ってた。

でも映画が好きなので色々と見続けてはいた。何回も何回も繰り返し観ながら。

そしてこの前、誰が何を言ってるかを確認するために2回目映画を観ながらふと思った。

もしかして自分、人の顔の区別がついてないのか?」

と。

思い返すと、同じような外見(例えば金髪白人)が何人かいたらもう誰が何をしているのかがわからなくなっていたことが多いのだ

印象的な特徴(1人だけ帽子を被ってる・金髪だがロン毛など)があれば、別人として認識ができるのだが、その認知がうまく働いていなかった

そのときに見ていた映画も、同じような見た目の人が複数いた。黒髪イケメンヤンキーバイクに乗ってる……みたいな

から、たとえ単純なアクション映画だったとしても、誰が何を言って何をしているかが全く理解できなかったのだ

思い返せば人生、人の顔を覚えるときも何か特徴的な部分を真っ先に覚えていたわということに気づいた

しかも、何回も人の顔間違えてることもあった

パズルピースが綺麗にハマったようにすごい痺れた

ウワー!スッキリした!と本気で思った

理由がわかったからって今後どうなるかってわけでもない

けどなんとなく心が軽くなった気がする

マジで自分の頭が悪すぎると思ってたからさ

まあ頭悪いのは事実なんだけど、色んな人に「そんなこともわからないの?」と言われたので

なんかそういう特性なんだなと思えば生きていける気がした

2023-04-17

大手JTCの将来は明るいかもしれない

JTC、散々腐されてるから良いところも褒めてあげよう。

 

意思決定層の世代交代

このまま行っても日本は安泰じゃガッハッハな昭和オッサン取締役から退きつつあり、

代わって台頭するのはおおよそ将来に危機感を持った壮年層。

誰しも散々揶揄されてきた意思決定の遅さの課題感は認識しており、

役員数の削減とか頭数を減らしてどこもスピードアップしようとしている。

まぁバブル以降縮小した経済に合わせてポストの削減が進まなかった部分を清算してる面が大きいか

どっかの政治家も見習って欲しいね

 

年功序列廃止

まともな企業なら多かれ少なかれメスを入れてるはず、

ジョブ型をどこまで採るかは社によって異なるが、

いわゆる働かない(高給取りな)おじさんが生息する余地は大幅に削られてる、

給料はそう下げれないけどインフレ下においては昇給しないことが実質的な減俸として機能するのを

企業が上手く活用している感じ。

なので老若男女汗水働いて成果を出して昇格するパスが徐々に整備されつつあると言える。

 

人材流動化に向けたシフト

プロパーとそれ以外で区別されていた時代はもう昔、

今じゃ転職中途入社組がゴロゴロいるし、当然そういった人間にもキャリアアップのメを与えないと定着してくれない、

なので外様が不利という環境・風潮は是正されつつある(完全に是正されたとは言っていない)し、

コロナ以降社内政治腹芸の中心であった飲み会が大幅に減ったので

考課もかなり実力主義に寄ってきている。

 

辺りを挙げてみた、まだまだ糞な部分も多いJTCですが

全体的に見て確実に改善されつつあるので、これから就職する学生さんも是非候補に含めて欲しいナリ。

2023-04-11

コンサル日本で荒稼ぎできてるのって

ぶっちゃけJTC事業会社出世経験能力じゃなくて社内政治でほぼ決まる構造からだよな。

結果、幹部社員経験能力もない人材割合が増えていくけど当然部下とのコミュニケーションが終わってるのでコンサルに金払って疑似的に部下の役割を演じてもらってる。

からコンサル経験豊富ベテランシニアコンサルより、30代くらいの中堅コンサルの方が客には喜ばれる。

何故なら発注側が疑似的な部下として認識やすいし、コンサル側も疑似的な部下のロールを演じやすいから。

求人大卒要件」って「我々は変われない企業です」って事だよな

何らかの学問を修めてる必要があるなら「どの学問を修めているべきか」を明示すれば良いのであって、そういった指定の無い大雑把な「大卒必須」ってのがもう時代遅れだって事に気付いてない組織な訳だから

均質な人材の大量確保が求められていた人余りの古い時代脳死足切りするための「大卒必須」という求人を、人不足のこの時代にもまだ掲げてるのは「我々は人材確保なんか適当にやってます」って事を表明してるようなもんだ。

組織全体が人材確保を適当にやってるか、危機感持ってる人は居ても変えるのに社内政治で躓いて変えられないのか、どっちにしても変われない古くさい体制企業って事だ。

もうずいぶん新卒の数も減ってきてると思うんだが、未だにそんな求人が多いところを見ると、この国の衰退も必然だよな、と痛感する。

anond:20230410220023

2023-04-05

anond:20230405083415

昭和中期までの企業労働についてはサザエさん読むといいよ。

江戸

 企業ではなく財閥社長ではなく番頭

~~~明治維新

明治昭和初期:

 企業につとめてサラリーもらえてるだけですごくえらい(高杉晋作とか坂本龍馬のように藩主でもない人間事業おこして社長やっただけで名前が後世にのこってる)。

 女性大学に行くとニュースになる。教員医者作家など汗を流さなくてよい職業を「先生」といって尊敬の念を抱く。給料が高いので書生・秘書家事手伝いさんを雇える。

 ※ちなみにこの職業に貴賤をつけるやり方が偏差値教育をうみ、今の大学進学メインの学校にまでつづいている。

~~~第二次世界大戦

昭和中期:

 団塊世代。オーモーレツサザエさん企業につとめて三種の神器洗濯機冷蔵庫テレビかな)をおいた団地にすむのが若い男女の夢。

 家に自動車もあるとなおよい。女性大学生になる事例が増えたが都市部のみ。

 田舎だと高校うかっていかせてもらえただけでも頭いいね実家も太いんだね)レベル

 頭がいいと、なんとか地方唯一の商業高校にいけて、そこをでてすぐ働く人が多い。

 義務教育を終えただけの中卒で働くとか、中学卒業もだいぶお目こぼしされてた(本来なら卒業できてないけど義務教育には留年がないか卒業できました)という人も田舎には多い。

昭和後期:

 労働者のサラリーマンが8割。景気がよくてどんどん元が取れるので私立高校私立大学も増え塾もふえる。

 子供全員大学いかせないなんて正気か?

 そろそろクーラー自動車などが標準装備になる。「二十四時間働けますか」 

 パソコンでいうとPC*801MK2が出た。ハードディスクなにそれ。記録といえばフロッピーディスクだよ?

~~~平成3年リーマンショック…じゃなくて「経済バブルがはじけた」か

平成前期:

 ICチップ産業コメインターネットがそろーりそろりとはじまる。電話線のメタル回線テレホーダイからですね。

 ポケベル、ISDN、PHSなどスマホ前身になる技術がどんどん発達。テレビゲーム(据え置き型家庭用ゲーム機)が盛ん。

 パソコン市販されるけどたいていの人はまだキーボードのものに慣れてない。ダブルクリックムズカシイ

 エクセル方眼紙だろうが、「なにか」つくれれば尊敬されてた。

 ていうかワープロword機能と感熱紙プリンタけが入ってる機械ファックスのような通信機能はない)が現役だった。工業めちゃさかん

平成後期:

 ご存じIT革命スマホ世代リーマンショックって平成20年だったのか

令和

 今だよ

 

さて

・過重労働 

 ↑昭和スマホパソコンがないので仕事に即時対応することが物理的に不可能

 小学校で習ったそろばん電卓が使えればパソコンのかわりに足し算という単純な仕事を延々とやっていられて感謝もされる。のんびりしたもの

 あとは人脈と移動力ものをいう。つまり電車に乗って駅弁たべて「出張してました、〇〇さんに会ってきました、こういう感じでいってました」といえばかなり働いたことになる。営業職つよつよ。

 ※ちなみにメタル回線電話はすべて従量制課金だよ。長電話すると営業でも怒られるんだよ。長い話をするときは紙にまとめてファックスにしておくろうね。←令和になってもこれやってる不動産多い

残業代が出ない 

 ↑そのかわり働かない。公務員教員も)は定時で帰るし。

 土曜日半ドンといって昼までで家に帰る職場もけっこうたくさんあった。

 まあ最初リーマン先生たち、週休1日だったりもしたけど、どうしようもなくみんな貧しいんだから仕事もそうそうこないだろ的舐めプしてた。

 あくせくせずに遊びながら席に居るだけ居て、上のものがきたときにだけへこへこしようぜみたいな集団サボりが許されてた感。

 なんか親睦草野球大会飲み会みたいなのも多かったしな。

ハラスメント多め

 ↑ハラスメントなどという横文字言葉のもの日本企業風土にないが、

 そのかわりネクタイしめて会社に通ってるエリート、だの、美しいお嬢さん、という型にはまってくれる人間にたいする親密さや敬意はあった。

 要らないのにお見合い写真をもってこられたり、寿退社必須だったり、お子さんもっと産めばいいのにとか。今でいうハラスメントだが本人たちは親密のつもりでやってる。

 今でいうとさしずめ銀盾ユーチューバーくらいじゃないだろうか。

 「一般人の皮をかぶった厄介ファンがつくのも予測できてたはず。

 自ら選択してなったのだからサラリーマンやOLは、人格者でなければならない。」みたいな。

 今はお医者しか残ってないタイプのいらん敬意だね

 

から昭和でいうブラック企業はね、

ブラックでもなんでもなく、昭和の人の言うところの「あら~いいところにお勤めですね」だよ。

管理職になったらもう社長もすぐそこですねって取引からつけとどけのお中元お歳暮、お世辞がバンバンとどく。

そんななかでちょっと残業したり経営が苦しかった時期の苦労をいえばもはや美談、自慢話なんだよ。プロジェクトXだよ。

農業だの家業手工業だのをやらされてない当たり前のサラリーマンという時点で勝ち組なんだ。

まあ、あとは令和でもそういう「ブラック以前に自営業ばっか」の田舎については「セケンのハテまで」という漫画でもよんでくれ。今でも都市部以外はそんな感じだから

それこそ「まだ東京で消耗してるの?」は事実の一面は突いてた。

 

reiwa

平成令和はやっぱインターネットオリンピック級に仕事ができる人が可視化されちゃったからな。

荒木飛呂彦とか、AKBとか、どうみても常人じゃない人が「だれにでも見える」「目標に据えられる」「自分でもできるかもとおもわされる」。

昭和ってのは全員知らぬゆえ仏だったよ。

 

労組

ああ、あと昭和ならではの労働事情としては、労組もあったな

学生闘争活動してた人が頭いいか背広きて社員になって労組に入って労働闘争して、

何も知らずに搾取されてる同僚たちを企業経営陣の搾取から守ってくれてた部分もあった。

そういう労組から会社への指摘は「ブラック」だなんてふんわりした色だけの言葉ではなく「労基法違反」だの「経営陣は社員Aに残業代労災を払え」のような、

きちんとした要求になるから、「ブラック企業」に直接相当する言葉はやはり労組にもなかっただろう。「弊社経営陣は違法」といった、長めの告発タイトルならあったかもしれない。

元弊社を「ブラック企業」って命名してことたりちゃうのって、SNSでの、素人にもわかりやす内部告発私的労働闘争のほうが労組より効力が強くなったから、それで「ブラック」がようやくなりたったんだろうな

ツイッターがこのまま崩壊したらやっぱり労組が力をとりもどすのかもしれないけどどうだろ。

 

社員からすると労組経営かって結局どちらも選べない。どっちも歯車になれる強者おっさん理論なんだよな。

今は労組から管理職いける不思議労組ばっかりのこってる。結局企業論理に染まり切ったバカしか企業には残れない。

労基法だの業界基準だの行政だのも、結構いろいろ詳しく仕事のやりかたを(外部のくせに)指図してくるから

労組があっても経営と手を組んで黙って身内だけで法律かいくぐることに必死になってるタイプブラック企業もある(不祥事とかでしょっちゅうバレる。大成建設とか)

社員としては時間や魂を売り渡してる以上、金と地位くらいは見返りとして欲しいわけだからどっちのいうこともわかる。

経営陣はお客様代弁者だし、労組は「こんなやり方では迷惑だ」と社員やセケンを代弁してる。

でもどっちもそもそも働きたくない個人(今でいう発達障害とか個性のある一人一人の人間お気持ち)の味方ではないんだよ。

労組弱体とかそういう問題じゃなく、お気持ちを吐き出せるところとして現在最強なのがツイッターだという話。

 

 

あとブラック企業って呼び方

個人的には「黒人企業蔑称」みたいでいやだ。

「黒=悪」というイメージを植えるのはぽりてぃかりーコレクト違反だとしてアメリカなどではもうだいぶ禁止されていると思う。

まあ昭和だと「赤=労組テロ共産、悪」というこれも悪口ひっくるめた扱いだったし。

色にイメージをつけてわかったつもり・けなしたつもりになるってのはわかりやすくて訴求はできるけどやっぱり頭は悪いわな。

 

追記

・1桁ブクマが今さっきみたら2桁も後半になっててびくーりした。俺増田史上5本の指に入りそうだね。

バブルはじけとリーマンショックまちがえてたり、PC名前(買ってもらえなかったからどっちでもええんじゃコラ)まちがえてたのでちょこちょこと訂正した。

 もうどっちでも新入社員にとっては恐竜と大差ない大昔だからなぁ。

 というか「バブルがはじけ、第一就職氷河期がはじまった」というのを歴史家はいつまでも一言でいえる言葉にしないんだな。

 俺が命名していいなら「1991バブルショック」か。

 1971が石油ショックで、

 2008がリーマンショックなら、

 およそ18-20年に一回なんかそういう失業氷河期祭りがあるんだな。

 次は2025あたりにAIショックとかあるんじゃねえの。

漫画資料

理解するための漫画の追加ありがとう。たしかにそういうのもあったな~とおもった

 ・平成初期あたりの週刊モーニング作品

  (釣りバカ日誌クッキングパパOL進化論

 ・フジ三太郎東海林さだおコボちゃんなどのサラリーマンもの

  (絵柄が大体あの感じのやつ)

 ・YAMAZAKIっていう漫画があるんだって

 

 ※ただ、結局漫画家ってのはサラリーマンを途中でドロップアウトしてるし編集に「こんなのモデル企業に訴えられる」といって差し止められるので正確にはかかない。

  島耕作プロジェクトXも、イメージ向上してるからというだけで訴訟は乗り切れてるけど。

  金と社員だけみれば現実もっとド汚ねえ。だから読める程度には美しく書くんだけどさ。やくざ漫画でいう「ザ・ファブル」みたいなもん。売れるのは毒抜きしたものだけ

  一番サラリーマンの本体をしってるのは父親母親をみていた子供だよなとおもう。(なので一番最初サザエさんをすすめたし、「セケンのハテまで」もおすすめする)

  俺は、ここ二十年タバコの吸いすぎ闘病でずっとおまる使っててママ氏に介護の世話ばかりかけてるうちのパパ氏、

  外からみると島耕作に、だいぶ近いことをしていたんだなと改めて感じている。

  (部長には一時期なってたんじゃないかな。取締役とかはなってない)

 ちなみに俺のなかでは釣りキチ三平の作者(市役所…じゃなくて銀行、のだいぶえらい人だったのが「ドロップアウト」して漫画家に)と手塚治虫医者を「ドロップアウト」して漫画家に)が出世からの転身組漫画家の双璧だとおもいます

 

追記

・俺史上2本の指に入った

PC買ってもらえなかったっつってんだろ、ワイルドカードじゃコラ。最初は8801って書いてたんだぞちゃんと。マッきんとっしゅクラシックよりは安いけど、あのくそたかいのに数MBしかハードディスクがなかったおもちゃ買ってもらってたやつは今頃何してんだ、まさかブックマーカーなんかしてないよな。

・しゃぶでもやってるのかっていったやつは大成建設にでもつとめてんのか

・うちのパパがいよいよ危篤。結局あまり企業については話せなかったけど、まぁなんとなく雰囲気はわかるよ。

 花々しい企業づとめも、「宮仕え」「エリート」も、社内政治理系にとっちゃ全部ひかえめにいってクソでありうんこだよな。

 腰かけ程度に中小につとめてすぐやめたママはわかってないお嬢様OLだったんだなとおもうことが多々あった。

 というか子供からみて高校以降のママアドバイスは全部見当違いだったんだが、社会人ならとおもったらやっぱりだめだった。

 ママには大きな組織に働いてすりつぶされる感覚愚痴れないなとおもったのは就職して半年もたたないうちだった(見当違いな対処法を提案され余計につかれる)。

2023-04-04

anond:20230403204942

発注視点で詳細に書いてくれて面白かった。ありがとう

 

①社内人員との報酬差起因

 

 M,SM課長級だしMDだと部長代理ぐらいだから、恐らく主任級であろう中堅社員と比べるのも…って思ってしまうなあ。

 各階層の平均年齢がコンサルの方が一回り若くてM,SM-主任が同年代になりがちだから比べてしまうんだろうなと思った。

 

企画構想はするけどインプリはしない

 

 Aは企画からインプリ運用までやってるもんなー。あそこまで食い込んだら発注ももう剥がせないよなーと思う。

 他社もAみたいになろうとしてインプリ部隊を作ってるからこの辺の印象は今後変わっていくんだろうと思った。

 

成功発注側、失敗はコンサル側へ

 

 これ、よく言われるよねー。社内政治のために大事なのは分かるけど、せっかくの経験が次につながらないし生産的じゃないなーと思ってる。

2023-03-16

35歳!独身彼氏いたことない!

婚活離脱

社内政治敗北!

うつ病休職ののちADHD発覚!

最後よすがはそれでも同年代の男より稼いでることだけ

あーあ、人生終わりだよ終わり

これから親の介護もはじまるというのに

あと30年も無事に働けるんだろうか

自信ないよ

2023-03-14

anond:20230314143303

クソ私大文系ギリギリ卒業した程度の頭では全く内容が理解できないまま初日から客先常駐

もちろん何かがわかるわけもなく、ただただ罵倒される3か月を送り、速攻で退職

いいお客さんだと思う。社内政治的に業者から員数合わせで派遣されてきたなにもできないやつを座らせておくことがある。座らせれているのはかなり高い割合ヤバイやつなので関わらないようにするのが普通。声をかけたりしない。目も合わせない。怒るとかそういう無駄なことは絶対しない。会話する人がいたとしたらその人はものすごい聖人君子なのか変人なのか暇人なのかそのぜんぶだ。

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