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2024-11-19

これは一般論だが、パワハラが習い性になってる奴は戻ってきたら必ず復讐するぞ。

自分に歯向かった相手絶対に許さない。

2024-11-18

兵庫県知事選挙で、またも透明化される民意について

まず最初に、兵庫県知事選の結果を見て欲しい。

齋藤元彦 1,113,911 (45.2%)

稲村和美 976,637 (39.6%)

( NHK選挙報道より https://www3.nhk.or.jp/news/html/20241117/k10014640801000.html )

どちらが勝ってもきっとそうなるだろうなと思ったので、強く強く強調しておきたいのだが、兵庫県民がパワハラを良しとしたわけではないし、県民県庁職員の命を軽んじているわけではない。

逆に言えば、もしも稲村和美が選ばれていたとしても、パワハラが許されない県民性だ、と言うこともできなかった。

これは右派左派わず、まず念頭において欲しい。ブコメをする際にも一瞬だけ書き込む手を止めて考えて欲しい。

97万人もの人間投票したうちの39.6%の人間意思無視した発言になってないか

兵庫県で起きていたこと(前半戦)

自分の身の周りで起きていたことを記しておこうと思う。

当初は、いわゆる通常の選挙様相を呈していた。

組織票無党派とは言え党派性での応援対立候補

いわゆる、従来の選挙として、前半は以下のような感じだった。

自民党大敗記憶に新しいが、小選挙区自民党の内紛が起きていたところが概ね負けていたことを思い出すと、清水貴之立候補表明あたりで少し不穏さを感じていたと思う。

ただ、良くも悪くもテレビ新聞マスメディアでは、齋藤が再出馬するとは、という論調であった。

そもそもで言えば、県議会が(維新も含めて)全会一致で県知事不信任決議をする、というのが異例だった。

民意と言えば聞こえは良いが、マスメディア報道を受けて支持母体から圧力が日々増しており、かかる火の粉を振り払った結果、というところだろう。

兵庫県で起きていたこと(後半戦)

立花孝志を中心とした、従来にない選挙戦の様相を呈してきた。

事ここに至って、齋藤元彦が県知事失職以前に取っていた言動が、功を奏していた。

齋藤元彦は、「公益通報に該当するとは思っていない」や「瑕疵はない」と述べており、発言一貫性があった。(端的に言えば過ちを認めて謝罪していない)

告発文書が7つの項目からなっているのであれば、本来マスメディアは、それぞれについて裏を取り、特に知事選挙や政治資金パーティーでの違法行為を追求すべきであった。

失職に至る経緯である告発文書報道が、主に理解やす視聴率を稼ぎやすパワハラとおねだりに集中していた点が、事態悪化させていた。

ハッキリとここで書いてしまえば、齋藤元彦の選挙戦略は至極全うである

街頭演説では、おおむね、前知事井戸敏三県政の無駄遣いの批判自身の県政でのお金の使い方(高校への投資企業との連携)の話、未来ある子供たちへの投資の重視などが語られている。

そもそもの前回の知事選挙でも、トップダウン式の井戸県政を嫌ったと評されるが、基本的には自民党分裂選挙であり、自民党の内紛と勢いのある維新への合流が生んだ結果と言うこともできる。

まり、現職なのでそもそも地盤はしっかりとあり、井戸敏三県政から路線変更を行って財政再建を行っていて、元々市町村とは折り合いが悪い、という点までは織り込み済みの状況である

マスメディア側に誤算があったとすれば、「パワハラぐらいみんなやってるだろ」とか「あの程度のおねだりは役得じゃないの」という市民の声がカメラの前で拾えるはずがない、という至極当然の目線を忘れていたからだと言える。

トップダウン井戸県政を嫌ったはずの齋藤県政で、強引とも言える市町への予算縮減などをもっとフォーカスして解説すべきだったと思う。

ハッキリ言えば、共産党以下は泡まつ候補である

逆に言えば、稲村と清水との分裂選挙と言える状況で、稲村和美陣営には手抜かりがあったと言われても仕方がない。

一本化を図ろうとした市町の連帯を示す文書は、明らかに遅かったし、清水貴之への根回しも済んでいるようには見えなかった。

兵庫県でおきていたこと(マスメディア

マスメディアによる齋藤元彦おろし成功している。通常こうした場合、再出馬や再選はあまり現実感が無い。

そのため、マスメディア側のいわゆる醜聞を集める準備期間がほぼなかった点がある。

また、全国的にも良く知られているが、関西圏維新に対しては通常親和的報道が行われる。

齋藤元彦は、前回の兵庫県知事時代に、自民党日本維新の会共闘して県政を行っていた。

マスメディアとして、及び腰になっていたのではないかという点は、指摘できると思う。

また、醜聞、いわゆるゴシップとして視聴率を稼ぎやすネタが、齋藤元彦を利するものであった点も報道が少ない理由の一つと言える。

(もしも前知事時代女性関係醜聞があれば、こぞって報道されていたであろうことは想像に難くない)

兵庫県以外でおきていたこと(SNS

デマ醜聞荒らしであり、聞くに堪えず、見るに堪えない。

しかし、コメント欄などを見ると、メディアに騙されていた、齋藤元彦を応援しますという声は少なからずあり、影響が無かったとは言えない。

また、街頭演説に限って観てみるとわかるが、明らかにトレーニングを受けた演説慣れした者と、あまり演説しなれていない者とハッキリわかれる。是非聞き比べて欲しい。

兵庫県知事選挙でおきていたこと(対立候補、対齋藤元彦陣営

いわば本音と建て前の、建前の部分で、各自失策している。

出直し選挙民意を問うでべきであるという逃げを打った県議会マスメディアは、再出馬されてしまった場合に、取りうる手段が無い。

現に、今回民意を反映して(少なくとも当選する程度の民意は得ている)知事に返り咲いた為、県議会は筋論としては協力せざるを得ない。

また、あまり話題になっていないが、辞任と失職では県知事任期に差があり、失職後に出直し選挙当選しているので、任期リセットされており、ここから4年の任期となる。

今後、兵庫県で起きること

恐らく、齋藤元彦兵庫県知事の元、今後も市町とは揉めながら県政を行っていくと思われる。

文書問題調査特別委員会通称百条委員会)については、粛々と聞き取り調査が進めらると思うが、おそらく公益通報には該当しない、パワーハラスメントに該当する行為はあった、給与自主返納あたりで手打ちになると思う。

これはあくまでも一般論だが、刺すべきタイミングで的確に刺せないと、政治ではうまくことが運ぶことは無い。

兵庫県警が公益通報として受け取らざるを得ない内容、厚生労働省調査せざるを得ない内容、法務省調査せざるを得ない内容として、それぞれピンポイント匿名通報し、マスメディアにも流した場合、結果は違ったように思う。

五百籏頭氏が傑物であったことに異論は無く、執務中の急性大動脈解離については痛ましいとしか言いようがなく、それがストレスを起因としたものであったかもしれないが、それを知事問題とするには飛躍が過ぎる。

繰り返しになるが、稲村和美へと票を投じた97万人がいたことを忘れてはいけない。ほぼ、齋藤元彦では無い人物というワンイシューで集まった票がこれほどの規模だったことを忘れずに話をして欲しいと思う。

雑感

立花孝志の選挙戦略が当たったのではないかという話があったが、そもそもで言うと県議会が推す候補が一本化できていない(稲村と清水に分かれていた)点に問題があった。

単純な算数だが、対立候補が稲村和美(と共産党)だけだった場合当選していたのは稲村和美であった。

また、簡単に辞職を迫りすぎていた点にも問題があった。

県知事任期は4年であり、第53代兵庫県知事齋藤元彦は、2021年8月1日付に県知事になったので、ほうっておいても2025年7月末には任期を迎えた。

文書問題調査特別委員会が設置されたのであれば、この調査結果を待ってから辞職を迫るのが筋であった。

マスメディアの大変良くない点だと常々思っているが、加熱した報道で辞職を迫るのはいい加減どうにかならないか。それは報道では無く扇動である。また辞職は罪を償う手段ではない。

齋藤元彦が、井戸敏三県政を嫌っていることは外部からもうかがい知ることが出来るし、法律上はどうあれいわゆるパワハラ日常的に行っていたであろうことも百条委アンケート結果からは伺い知ることが出来る。

ただ、それを告発する為にとった手法公益通報に該当するのか、内容が真実だったとして法律上の罪に問われるものなのかは、また別の問題である

そういう、法律上はどうあれ報道され一部でも事実があり実害が出たのであれば責任を取って辞めるべきだという、マスコミを利用した政治手法が、うまくいかなくなった結果だと考えている。

(贔屓目に見ても怪文書しか言いようのないあの告発文書でここまでの騒動になるのだから、実情はさらに酷いのだろうと思うが、それは司法飛ばし私刑を行って良い理由にはならない)

蛇足

風向きで辞任を迫ったり、風向きでついたり離れたりしていると、触れるメディアから情報で同様に風向きが変わるのは当たり前だろう。

返す返すも、百条委の結果を待って、結論が出てから辞任を迫っていれば違っていたように思う。

パワハラ認定がなされたあとの再選と、パワハラ疑いの再選は大きな隔たりがある。

パワーハラスメントは、録音録画を行えば証明できるような単純なものでは無い。うっかりパワハラではないとされた時に、職も信用も失う危険行為なのだ

そして、パワハラを行う人間は、誰がやったかからないような不特定多数がいるような場所パワハラをしない。通常、パワハラは録音データ漏れしまえば即特定されるのだ。

そして、日本マスメディアには信用が無い。暴露は得意だが保護は不得意だ。

そうすると、パワハラ日常的に行われるのに、職を失いたくないから何の証拠も出てこないという状況が容易に起こりうる。

立花孝志の選挙戦略は、その点をピンポイントで突いたものだ。

従来のマスコミゴシップと同様の効果を、ほぼ単独で行えた点にこそ、大きな価値が出てしまった。

ただ、逆に言えば、事実に基づき、政策判断してほしいというような選挙戦略には、付け入る隙は無い。

やはり、そろそろマスメディア私刑として機能し、首長を叩き辞任させようとする傾向は慎むべきなのだと思う。

辞任以外の落としどころを作らない限り、また同様のメディアスクラムが起きた時に、立花孝志はおそらく違う手法で望んだ結果を得るだろうと思う。

実際の所、流れた情報の何が本当で、何がデマなのかは誰にも判断できず、なにが正しいのか理解できている人はほぼいないと思われます

とにもかくにも、立花氏の戦略が、今の時代を的確に捉えており、柔軟に対応できたことが大きいと思われます

従来の選挙戦略では到底太刀打ちができない、新しい選挙のやり方が生まれてきたなという感想です。

私にも見えてない部分が多くありますので、他の方の分析も知りたいです。

https://anond.hatelabo.jp/20241118092831

anond:20241118113714

まぁ、合意するというか、属性による個人選別が差別って一般論には同意だが

しか試験を実際に組み込むとすると、今回問題になってる連中の想定は普通にパスじゃねーの

純粋職業人としての力量だけなら問題はないのでは

パワハラで部下を死に追いやるとかは事前の試験では分からなくね

厄介だぜ?

2024-11-17

陰謀論、なぜ広まる

陰謀論最初に広める人はその分野に詳しい人かもしれない。

大抵突っ込まれることがわかっててやってる。

専門家はそれをバカげてると笑うし陰謀論専門家の間では広まらない。

ここにその分野の素人が加わる。陰謀論は大抵魅力的だ。「信じられない!」「でも本当だったらどれだけ知的好奇心が満足できるだろうか!」と思うものだ。

そして知的好奇心の高い素人らによって拡散力を持ってその陰謀論が広まっていく。

専門家嘲笑するが、ここで分断が起きる。

だって馬鹿にされたくない。あなたも私も。

分断が起きればもう対話はできなくなる。

陰謀論確立され、もう他の意見は入ってこなくなる。

大勢素人口コミにより寄ってくる状態になり、陰謀論一般論のように見えてくる。

それが真実ではなくても、愛するあなた真実は私の真実だと言いたいから。

専門家にできることはなんだろうか。

まず専門家同士で話し合ってほしいと思う。

最終的には、対話にたどり着くだろう。

どうかこれ以上断絶しませんように。対話をしよう、対話を。

anond:20241117172151

多少のバイアスは0とは言えなさそうだけど、こんなん名前付くほど一般論として認められてないやろ。データなすぎるで

anond:20241117163038

あの文はどう読んでも一般論ではなく個人の感想として語ってるから反論になってないしそもそも反論しようがないよね?

anond:20241117095242

議員不倫擁護っていまググってみて直近100件で玉木案件しか出てこなかったくらいだから、てっきりその話してるんだと思ってたわ

一般論としても「天秤にかけるところがないんだけど大丈夫?」とか書いてきてるんだから、天秤にかけるところある事例あるじゃんって意味個別の話も意味がないわけじゃないと思うが、その点はどうなの?

直近の時事ネタを""全く""想定せずこのタイミングで“”玉木案件だけを除いた"" ""一般論""の話をしてるのね、すごいね

anond:20241117011822

妻として恥ずかしいか夫婦で恥の認識を擦り合わせたいって話?

一般論としてやべえだろって話?

まあ自分も身内には公言してほしくないか

偏見は認めてる

なんか趣味として湿度高そうだからばっちく思われそうなんだよな

2024-11-15

anond:20241115150428

陰謀論から以下のような返答がきました、彼のよくない点を教えてください

この陰謀論者の返答には以下のような問題点が見られます

攻撃的で人格否定依存している

返答の最後で「ろくな職にありつけなかったんだよ」と相手職業能力揶揄する表現があり、これは議論の内容とは直接関係がなく、個人攻撃に過ぎません。

こうした言動議論の焦点をぼかし、相手意見を封じる目的で使われているため、建設的な対話を妨げます

対話拒否と高圧的な姿勢

自分で調べてごらん」「楽だろうな」などの表現は、相手調査の手間を一方的押し付け議論の場でのやり取りを拒否する姿勢です。

高圧的な態度をとり、相手質問懸念を軽視することで、自分立場を守ろうとしています

具体的な根拠証拠が欠けている

この陰謀論者は「公表事情報や官報から名寄せして調べろ」と提案していますが、実際の証拠根拠を具体的に示さずに一般論を述べているだけです。

具体的な情報データを出さずに相手調査要求することで、自らの主張を補強しようとしています

陰謀論を「他者努力不足」に置き換えて正当化する傾向

相手陰謀論と指摘する理由を「努力不足」や「不勉強」と捉え、相手認識を「自分真実に近づく努力が足りないからだ」と断じてます

このような姿勢は、他者意見を軽視し、他人理解不足として自己正当化に用いています

情報源への偏見信頼性の欠如

ソース不明情報は確かに疑問視されるべきですが、彼は「youtuber言葉」を一括して否定し、自分が示す方法公表事情報や官報)が絶対的に正しいとしています

偏見に基づき情報源を選り好みするのではなく、幅広い視点をもって複数情報源を検討する姿勢が望ましいです。

この陰謀論者は、個人攻撃や高圧的な態度で対話拒否し、自身の主張の具体的な根拠提示しないことで議論を進展させにくくしています

2024-11-14

anond:20241114205103

ん?

それは一般論だよね。

できればあなた自身はどうするか、主語を「自分」にして語ってくれると嬉しい。

anond:20241114100137

弱者男性だが、一般論でいいかい?

相談する相手がおらんだろ(笑)友人?似たようなもんだろ大体は

ネット罵詈雑言浴びせられておしまい(笑)

説教欲なんだよな結局

anond:20241114094258

弱者男性だが、一般論の話でいいか

男は女に対して滅私奉公を求める言説がフェミニズムの普及と共に本当に増えてるんだよ

からありのまま自分を認められる=理解のある彼くんがいるというのはよくある話なんだけど、理解のある女さんというのはいないんだよ

これ現代社会の男の数ある辛いところの1つね(笑)

2024-11-12

anond:20241112164751

自分効果があるのは何歩なのかは実際に歩いてみて確認してみるしかない

年齢、体調、気温、季節等によっても適切な歩数は変わってくると思われる

一概に○歩というのは一般論であり、自分適用するには調整が必要

2024-11-11

anond:20241111161246

彼氏彼女の事情」という漫画の話をしているのに一般論に逃げちゃった

「エアプで適当なこと言ったら間違えました」と人間なら謝れるけど🐊以下スクリプトから壊レコするしかない

anond:20241111111147

いやだからそれはそういう勢力図になったからやんけ

今立民が自民にすり寄ってもなんも得るものないやん

そもそもただの数合わせで少数派が重要になるのは不健全ちゃう?っていう一般論問題提起してるんやが

2024-11-09

anond:20241109104749

ステータスプライドシマシ女さんだと察するが、こういう女って自分は話す価値のあるもの提供してるとでも思ってるのだろうか

話題はXから拾ったような一般論が多くて敢えてこの人と会って話す価値があるような内容でもない。

婚活パーティーに参加して結婚観に気づいた

結婚相談所主催婚活パーティーに参加した。

8対8で個室で話す形式パーティー

最後マッチした人と連絡先を交換してせっかくの機会なので、と近場の喫茶店お茶をした。

相手パーティーの印象通りの話しやすい人だった。

共通話題も多くて価値観も似てる。

ひとしきり話が盛り上がってから帰り道ふと冷静になった。

相手の人の外見は悪くないが好きでも嫌いでもない。

学歴自分より随分下。

年収自分が働き続けたほうが伸び代がある。

話題はXから拾ったような一般論が多くて敢えてこの人と会って話す価値があるような内容でもない。

結局帰ってからお礼のLINEを送ってブロックした。

対面の方が価値観の合う人に会えて効率がいいと思っていたけど、自分相手スペックに拘るタイプだったんだと今更気づいた。

結婚相談所の料金が法外に高いような気がしてたけど、多くの人は釣書から入って価値観合う人に会えるまでお見合いを続けたほうが効率がいいって考えに至るってことなんだなと。

自由恋愛結婚までたどり着けなかった人間そもそも自分結婚相手に何を期待してるのか、どのツールなら納得の相手に巡り合えるのか分析するところから始めなきゃいけない。

結婚までの道のりは長い。

障害児を持つ親の皆様へ

映画ルックバックを見ました。

直接関係は無いけど、なんか昔書いた日記の事を思い出しました。

読み直してみて、これが誰かの何かの助けになればと思い共有します。

誤字脱字含め当時のままです。

子供名前があったのでそこは消しました。

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2011.4.20

障害について。

障害者は生きる価値がないなんてことは絶対にない。

それは絶対に正しいと思う。

というかそれが正しくないなら、逆に正しいってことになんの意味があるのかと問いたいくらいだ。

最近障害について真剣に考える時間が増えた。

○○と○○が生まれた時、今後どうなるか分からなかった、今もそうだ。

子供だけの話ではなく、自分がいつ障害を負うことになるのかも分からないのだからこれを考えておくことは重要だ。

人生の豊かさや幸福というのは、その人自身が決めるというのは真理だと思う。

なので、障害人生に寄り添っても、その上での人生の豊かさと幸福を追求すればよいだけだと考える。

ただ、そのためには、それを含め幸福だと思える物の考え方に沿った人生にしなくてはならない。

なので、その考え方を決めることは重要だ。人生を決めるというのと同義な程に。

から障害者は生きる価値があるという正しさを自分の中で納得しなければならない。

障害者にも生きる価値がある、のではない、障害者は生きる価値がある、のである

私は生きる価値がある、と言いたいということだ。私にも生きる価値がある、ではない。

その考えを血肉にしなくてはならない。

様々なことを考える時に、その考えの元となる軸として機能させる程に自分が納得していなければならない。

その考えを自分の考えとして相手を説得できる程でなくてはならない。もちろん相手を説得することが重要なのではない。

相手を説得することができる程、自分の血肉になっていることが重要なのだ

自分の中で納得できない考えを元にして、自分の行動に結びつけることはできない。

自己矛盾を抱えたままでは強い意志が持てない、堂々と人生を生きていけない。

なので生きる価値について考える必要があるのだ。

まずは、ここから始めたい。

障害者は社会の役に立っていない。医療費介護治安の面で社会負担となっているのではないか?」

まり

社会負担から生きている価値がない」

ということである

まず、治安の面だが、これは社会負担ではないと言い切れる。

障害者→治安という結びつきは、多分知的障害等のコミュニケーションがとれないことを想定していると考え、話を進める。

知的障害者は、

コミュニケーションがとれない

→何を考えているかからない

→何をするか分からない

→怖い

このような経緯で治安の面の負担という議論が上がってくるのだろう。

しかし、実際治安の面で言えば、知的障害者よりも健常者の方がはるか犯罪率が高いのが事実である

ソースは忘れてしまったが、調べれば裏付けがとれるはずだ。

しかし、そうは言っても、やはり怖いものは怖いという人がいるかもしれない。

それに関しては、それでもいい、としか言えない。

怖いなら近寄らなければよい、そっと離れればよい。

街にいる健常者で危険そうな人にはそのように対応するだろう、それと同じでよい。

自分の身を守るという行為非難されるべきではないからだ。

というより、こうした議論に上げるまでもなく、そうした対応に関しては相手障害者かどうかが重要なのではないはずである

医療費介護の面で社会負担となっているということに関して、これは費用対効果ということになると思う。

障害者に対して、かかる費用とその効果だけを考えれば、それだけを考え社会負担だと判断するのなら、多分、そうだろう。

その事実に対しては否定はできない。

ただ、その見方では視野が狭過ぎるだろう。

人通りの少ない道の電灯は費用対効果がないと言っているようなものだ。

その電灯の明るさがもたらすものに目を向けていない。

人通りが少ないからこそ本当に必要な場面があるのだ。そこに電灯がついているという安心感が何をもたらすかということなのだ。

たばこなどにかかる医療費だって社会負担ではないか。それと同じなのだから障害者の医療費だけ問題にするのはおかしい。

このように、同じような他の悪者を上げて、その問題と比べると・・・といった議論の進め方をする人がいるが、こういった進め方は自分はあまり好きではない。

この方法では、本質に近づく議論にならないからだ。

例えば、たばこ議論に上げた場合なら、

たばこを吸う人は税金を納めているのだからプラマイゼロ位だろう

―いや、肺ガンになったらかかる医療費の方が大きいから少しはマイナスだろう

障害者でも、税金納めて自立している人もいる

―じゃあ自立してない障害者は社会負担ということか

―健常者で社会負担しかならない人もいっぱいいるじゃないか

押し付け合い、悪さ探しでは、生きる価値の答えからは遠ざかるばかりだと思う。

障害者は医療費介護の面で社会負担となっているので生きる価値がない。」

まりこれは、価値判断する側から見て、いらないのでいなくて構わないということである

本当にそうだろうか。

障害者がいないことが社会にとってプラスになるのだろうか。そうではないと思う。

もしも、障害者がいないことが当然という社会ならば、自分が健常者であってもそういった社会で生きること自体不安であると思う。

自分だって事故病気でいつ障害者になるか分からない。そうなったら自分は生きる価値がないんだ。

自分の子供が障害を持って生まれてくるかもしれない。そうしたら社会は誰も助けてくれない。

このような不安社会全ての人々が抱えている状態は、はたして幸福なのだろうか。

こうした不安を緩和するという点だけでも、障害者は生きる価値があり、安心して暮らせるようにすること自体社会にとって大きなメリットがあると言える。費用対効果は正確には表せないが、医療費とか、そういった細かいレベルではない。

ただ、障害者が幸福に暮らせることは社会にとってもメリットなのだ。だからあなたには生きる価値がある。

これでは、社会の人々から障害者が攻撃を受けることを防ぐ効果はあるかもしれないが、

障害者本人が―だから僕には生きる価値がある―と自己肯定するところまでには至らないだろう。

それではまだ、障害者には生きる価値があるということの本質には至ってないように思える。

生きる価値があることの社会的なコンセンサスを得ることも大事なのだが、それは本質ではない。

極端に言えば、どんなにおかしな考えだろうが、本人が自分には生きる価値があると納得できる方が大事なのだ

そういった個人的ものの答えを求めようとしているのだから、答えも個人的ものになるのかもしれない。

―例え両腕が無くなろうと、自分には生きる価値がある―

自分が強く思えるような納得できるような考えを見つけること。

―僕は歩くことができないけど、僕には生きる意味があるの?―

と言った子供の問いに、意味があると心の底から答えられること。

それが大事なのだと思う。それこそがこの問いの辿り着くべき姿なのだと思う。

逆に言えば、一般論では難しいのだ。

この手の問いに一般論で正解が出たことなんていまだかつてないのだから

費用対効果の部分で考えたこと―視野を広げて考えれば、障害者が幸せに暮らすこと自体社会的な大きなメリットがある―について、それではまだ、心に響く答えではなかった。なので、コストという面でもう少し掘り下げてみる。

コストという面から障害者を見ることは、コストという面から健常者、もっと広く言えば人間を見ることにつながると思うからだ。両者の答えが異なるならば、異なった考えが必要だし、同じならコストという面から障害者と健常者を分けて考えること自体無意味であるということかもしれないと考えるからだ。

障害者はコストがかかる。では健常者はどうなのか。

多くの健常者はコストより社会への還元の方がまさるだろう。

ただ、何を持って社会の役に立つ還元だと判断するかにもよるが。

環境破壊を伴う経済活動は、短期的には社会賞賛をもって迎えられるかもしれないが、長期的には何もしないよりもデメリットが大きいといった場合もある。

しかし、ここでは、世間一般視野レベルにおいて好ましいと思われるレベルと考えれば良いだろう。簡単に言えば社会的な成功(スケールは問わず単なる賃金等小さなものも含まれる)ということで良いだろう。

その基準判断するならば、やはり、障害者はコストの方が勝るだろう。

個別で見ていけば、社会的に成功する障害者も、社会的な害悪しかならない健常者も存在する。

だが、障害者、健常者という全体のくくりで見ると、障害者というグループに分けた場合にそのブループはコストが勝ると言うことができてしまうだろう。

コストに関して、障害者、健常者と分けて考える必要はあるのだろうか。どうであれ、コストが勝る人がいるということだけである

なので、障害者、健常者といった区別自体無意味だ。

と、言ってしまいたいが、生きる価値という部分を産むべきか否かといった側面から考えた場合には残念ながら簡単には言い切れない。

一生体を起こすことはできない、一生自分自分認識することができない、といったように、ほぼコストが勝るであろうということが、生まれる前から分かってしまうという事がありえるからだ。

ただ、これについても、ドーキンス博士のように例外もいる。彼は生まれる前ならコストが勝ると判断されても仕方がない状態であったと思われる。だが、彼が社会に与えた功績は非常に大きい。

これの意味するところは、コストが勝るなどと正確に判断はできない、ということだが、この判断と同様のケースにおいて、数が増えれば平均コストが勝ることになるだろう。

平均という概念にはその平均を算出するためのくくりが必要である、そのくくりとして障害者、健常者といった分け方がなされることになる。

平均コストで話を進めるなら、もうこの議論手詰まりだ。

あと残っている議論障害者と健常者の線引きをどうするかといったことだけだ。

この議論では生きる価値には辿りつかない。なのでこの方向で進めるのはもうやめることにする。

コストという面から人間を考えてみる。

もうこれは、誰にとってのコストかということに尽きる。

人間人間以外にとってほぼコストしか過ぎない。

他の生物にとって人間特に価値がない、地球にとっては逆に諸悪の根源かもしれない、宇宙にとっては人間などなんの意味もないだろう。まとめれば、人間は等しく生きる価値がないということだろう。

それでも、大部分の人々はそれぞれ自分には生きる価値があると思っている。

意識していないと言う人がいるかもしれないが、それは、自分には生きる価値がないわけではないと思っているということだ。

なぜ、大部分の人々はそう思えるのか。

それは、必要とされているという気持ちがあるからだ。

いや、もしかしてこれは、必要とされている度合いから、かけている迷惑を引いてプラスになるからということなのかもしれない。

あれ、よく分からなくなってきた。

この考え方で生きる価値があるという答えに辿り着けるのだろうか。

いったん、ここでやめる。

下記にネットに載っていた、何か訴えかけられた気がした文章をのせておく。



同じように重い障害を持って生まれてきて、

の子が死んで、この子がまだ生きていることの理由やその不思議

いったい誰に説明できるというのだろう。

そんな、人智はるかに超えたところにある命に、質もへったくれもあるものか。

「生きるに値する命」だとか「命の質」だとか「ロングフル」だとか、

そんなのは、みんな人智の小賢しい理屈に過ぎない。

まれてきて、そこにある命が

生きて、そこにあることは、それだけが、それだけで、是だよ。

本当は障害のあるなしとは無関係

誰がいつ死ぬかなんて、誰にも分からない。

から

の子もこの子も、生きてこの世にある間は

生きてこの世にある命を、誰はばかることなく、ただ生きて、あれ──

それを、せめて大らかに懐に抱ける人の世であれ──と

2024-11-07

anond:20241107083807

切目新しいことは起こってないのに今更何を論じようというのだろうか

 

・一部のオタク原作イメージから乖離した二次創作を公開した

・上のオタク炎上したので勝手自己検閲を行った

版権元は単に一般論としてガイドラインを示した

2024-11-06

子供いないと若いうちはいいけど年をとったら後悔する」「子供いなくて楽しいのは最初だけ、産めない年になったらつまらない日常に飽き飽きする」ってマ?

子供いないと若いうちはいいけど年をとったら後悔する」「子供いなくて楽しいのは最初だけ、産めない年になったらつまらない日常に飽き飽きする」

みたいなことを一般論として言われがちだ。

自身24結婚し、そろそろ結婚20周年で、子供を作れる年齢は過ぎた。すげぇ無理すればできなくはないだろうが、年齢的に奇形児リスクが爆上がりだ。さすがに。

で、後悔するとか全く来ないんだけど。

あと二十年後入院する時に後見人がおらんなーーこりゃ困ったねーとかはなるかもしれんけど、後見人のために子供作るってのは違うし、ねぇ。

入院できねぇなら諦めて死ぬしかねぇっすわ。

そして子供いないと変わらない日常に飽きるって、楽しめる趣味も何もないんか?そいつ子供いないんだから自由に遊びに行けばええのに…

まらない日常になるのは、子供がいないせいじゃなくて余暇の過ごし方が下手くそなだけでしょ。

やりたいこと、行きたい場所たくさんあって飽きることなんて何もないよなー。

2024-11-05

anond:20241105122822

ありがとうございます自分は、自分の住む街の小さな新刊書店必要インフラだと思っていなく、基本的に専門書へのアクセスを確保したいと思っています。そのため大型書店が持続可能ビジネスであることが死活的に重要です(amazon重要)。自分読書好きになった経緯から子どもが本好きになるためには図書館へのアクセスの方が重要かなと思います古本屋一定数ある街は、それがインフラかどうかは別として、素敵だなと思います

頂いたご質問自分感覚で答えてみます:

リアル店舗web店舗を問わず在庫検索システムの構築にかかる費用書店単体で担うのか。

個人的には書店在庫APIがあれば、誰かがそういうサイトを作るのではと思います図書館の蔵書に関しては、calilがあるかと思います

会計列を短くする目的レジ台数を増やすとして、そのレジスペースを確保できるのか。またそのためのレジ要員の人件費はどうするのか。

店舗によると思います八重洲ブックセンター本店ときは、1Fにレジスペースがありましたが、最上階に銀行カウンターみたいな会計スペースがあったのでそこで座りながら数十冊・数万円の会計10分ぐらいでしてました。客単価によって、セルフレジ有人レジカウンターみたいに使い分けても良いと思います

新刊小売書店の付加サービスのもの訴求力必要なのか。

必要ないと思います書店での体験が全てです。ただ、「15000円以上のときに送料無料」のようなサービスがあると、(基本的に本を持って帰る自分のような)顧客対話できていない感を感じます。「ポイントx倍」とかのサービス本棚勝負できていない書店稚拙集客に走っている印象です。なお、八重洲ブックセンター物理的なポイントカードは結構好きでした。

書籍を取り寄せするために行われる口頭でのやりとりを短時間で済ませることがはたして可能なのか。

オンラインフォームのようなものがあれば、十分だと思います。参考までに、e-honだと注文は一瞬ですが、物理書店との連携中途半端です。丸善ジュンク堂のshopifyのサイトでも取り置き可能なので、取り寄せを可能にすることは出来るかもです。なお、その際、amazonサイトを見ているときがありますが、様々な理由により敢えて物理書店で買いたいときがあります

書籍を取り寄せするための流通システムamazone-honとでは流通システムが異なるが、その責は新刊小売書店が負うべきものなのか。

流通の細かな話は分からないですが、amazone-honを使わないで書籍を取り寄せしたいニーズもあるので、そうした潜在ニーズ新刊小売書店企業努力で発掘されたら良いと思います個人的には、敢えて物理書店で取り寄せする際は、10日後に納品とかで問題ないです。

しおりを作っているのは大半が出版社であり、自社でしおり制作している書店がどのくらいある(あった)のか。つまりコストカットしているのは本当に書店なのか。

八重洲ブックセンターではしおりがありました。ただ、トーハンが49%の株を持った2016年から、無くなりました。2024年オープンしたグランスタ八重洲店ではオープン当初はありました。神保町東京堂書店も昔あった記憶です。

本棚微妙につまらなくなったとして、それは取次のせいなのか。

→ これも細かな話は分からないですが、取次とのパワーバランス本棚書籍が決まっているような印象を受けるときがあります丸善日本橋丸善丸の内ジュンク堂池袋紀伊國屋書店本店自分比較的詳しい分野だと同じような本が並ぶ感覚が強くなっています神保町東京堂書店自分比較的詳しい分野だと結構厳しくなってきている印象です。

書籍以外を収益源にするのを少し危険に思う根拠

大型書店でx年前に入荷した数千円の本が売れた、みたいなのを積み上げるときに、数千円の文房具雑貨を売るのとオペレーションモチベーションも違うのかなと思います。また、文房具雑貨収入がメインの有隣堂を見ても、書店セレクトした文房具雑貨からといってそこまで面白くなく、中途半端に終わる気がします。丸善丸の内日本橋にあるような高級文房具絵画などは別かもしれませんが、自分がそうした商品を買うときは結局その専門店に行きました。なお、八重洲ブックセンタープレスマンシャーペンは良く購入してましたので、書店アクセントとしてあっても良いと思います

・書棚の回転率よりも客単価を意識するとなにが改善されるのか。

書店体験が変わると思います。今はレクサスを買うのに、カローラ販売店で購入している感覚があります

ブックカバーの付け方が凄く雑になったとして、それは取次のせいなのか。

→ 取次のせいではないと思います。なお、神保町東京堂書店はけっこうちゃんと付けてくれます外人外商に支えられている紀伊國屋書店微妙にこの辺が改善してきている気がします。

・「雑誌ベースインフラを全国に構築している」トーハンは同時に、書籍流通システムも構築していますが、コアな書籍を売りたい大型書店に関わるのが危険する根拠はなにか。

一般論として、toBをメインの収益源にしている企業toCに関わるのは難しいと思いますtoB向けのコストカットkaizentoC向けに中途半端にすると安っぽくなるだけな印象もあります大型書店場合について考えると、ニッチ需要にどれだけ対応できるかが重要なので、書籍流通システムを維持するためにマス向けの本や雑誌毎日物流網に載せたい取次とはやや利益方向性が違い、結果として大型書店で数万円の本を買いたい顧客ニーズ対応する体制を整備することが難しくなるのだと思われます

・いち業界流通販売構造をはたして社会全体で考えるべきなのか。

新刊書籍流通市場で寡占状態により競争が少なくなっていることで、公益が損なわれているならば、社会全体で考えるべきだと思います。なお、再販制度独禁法適用除外となっていることとは別の論点ではあると思います

・「文化事業」でなければ大型書店運営はほんとうに難しいのか。

1978年オープンしたとき八重洲ブックセンターは「文化事業」として数年の赤字前提だったようですが、結局2年で黒字化したようです。オープンして数ヶ月で1000万人の来店者数みたいな記事もありましたが、潜在的ニーズを当時の経営陣が把握できたのは、それが彼らが自身ニーズであり一番の顧客であったからだと思いますが、同時に「文化事業」として大胆な投資を出来たかなのだと思います上記のしおりが必要なのかどうかや文房具雑貨で稼ぐことの問題点みたいな議論貧乏くさい気がしており、結局大型書店は「文化事業」としてすることで潜在的ニーズを中長期で発掘し持続可能ビジネスになるのかなと思います。なお、今の大型書店本棚を見ると、ただ大きなスペースに本を沢山並べているだけ感もあり、そもそも書店員や経営陣はその書店利用者なのかなと思うときがあります紀伊國屋書店みたいな外人向けの運営は良く分かりません。

以上です

anond:20241105153003

ps5専売(の状況が長く続く)作品ばっかりプレイしたいって状況が特殊から

そういう人は買えばいいけど一般論としてかたるときに想定する設定じゃないわな

2024-11-04

anond:20241103230838

特定Vについてではなく一般論として

Vtuberとしてのプロフィールと、中の人プロフィールシームレスに行き来して活動するの

都合が良すぎて、不均衡に感じる

リスナーとVとの間の認識齟齬をなくすのは不可能だし

明確なルールを設けてプロフィールを切り替えてても、齟齬は生まれると思う


増田言及してるのはこの齟齬なんだよね

Vとの間だけでなく、リスナーリスナーの間の齟齬でもある

仮に裏でカミングアウトしても、今度は魂垢?とVとリスナーの間での齟齬の話になると予想される

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