2024-11-17

諸君、全てを疑おう

自戒を込めて、ここに告げる。

諸君、全てを疑おう。

それも、つとめてしずかに疑うのだ。

もちろん全てというからには私のことも含まれるのだから、さきの主張を諸君おのおのが咀嚼して頂けるなら、これよりの弁は蛇足である

私たちは知らずに決めつけている。

私たちは知らずに騙されている。

さらには、私たちはどれほど知ろうにもなお、知らぬことばかりである

徹頭徹尾私たちは知らないのである

知らないから決めつけるし、知らないから騙されるのである

からせめて、全てを、徹底して、まばたきに類する生理現象のように疑うべきである

騙されている、決めつけている自分を疑え。

そこいらにある境界を疑え。

事実とされるものを疑え。

科学標榜されるものを疑え。

上下左右四方八方を疑え。

過去と今と未来とを疑え。

相対するものというものを疑え。

全ては疑うことから始まる。

ひとまずは、肉体的な死というものを迎えるまで疑い続けるのである

私含め諸君、みながみな、当たり前に疑い続ければどうなるか?

世界がそういう前提のもとで成り立っていたら?

おそらく、もっとずっと、世界面白くなる。

そうしてみながみな、ふとまばたきを意識するように、自らの疑うことすら疑えたら。

そう、私は夢想せずにはいられない。

諸君、全てを疑おう。

つとめて、しずかに

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