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2021-07-31

[]最近ランチ

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他にも行ったが遠いのであまり行っていない。

以上。

2021-07-07

圧倒的な戦力差にも関わらず勝利善戦した戦い

 戦力差が10倍以上のもののみ取り上げています。随時更新中 ★は(戦術的)勝者側  

 多くのコメントブクマありがとうございます。 コメントで私が知らなかった戦いについて教えてくださった方ありがとうございますhttps://anond.hatelabo.jp/20210708183653こちらも参照ください

古代

テルモピレーの戦い

 B.C.480 ペルシア戦争 ギリシア軍7000vs★ペルシア軍30万以下

 スパルタレオニダス指揮下のギリシア連合軍ペルシア軍の大軍と激突した。狭い地形を活かし、3日間の激戦を繰り広げるが、背後から攻撃され敗北した。この戦いでギリシア軍は1000人、ペルシア軍は2万人の兵士を失った。

 参考作品「300(ザック・スナイダー監督)」

・彭城の戦い 

 B.C205 楚漢戦争 ★楚3万vs漢56万

 漢軍が彭城を制圧した事を知った項羽精鋭部隊を率いて漢軍を襲撃した。攻略成功したことから油断し、酒宴に明け暮れた漢軍は突然の事態太刀打ちできず20万人以上が戦死した。

昆陽の戦い

 23年 ★緑林軍1万vs新43万

 劉秀率いる緑林軍が新軍に包囲される。劉秀は脱出し、外側から新軍を襲撃して壊滅させた。

・ワトリング街道の戦い

 60年 ★ローマ軍1万vsブリタニア23

 ブーディカ女王率いるケルト人ローマ支配に対して反乱を起こした。ローマ軍は反乱軍を狭いワトリング街道に誘い込み、これを破った。ローマ軍の死傷者はわずか400人であったのに対し、反乱軍の死傷者は8万人であった。

・博望坡の戦い

 203年 三国時代 劉備軍4000vs曹操12

 劉備軍と曹操軍が宛で対峙する。劉備撤退したと見せかけ、誘われた夏侯惇撃破した。李典の援軍が来るとみた劉備は兵を引き、曹操軍も撤退した。

淝水の戦い

 383年 五胡十六国時代 ★東晋軍8万5千vs前秦軍117万

 華北統一成功した前秦東晋征服のために大軍派遣する。前秦軍は敵軍を誘うため、先鋒を退却させる作戦をとるが、兵が混乱して退却を止めなかったため、そこを突かれて敗北した。

中世

・チェラーミの戦い 

 1063年 ★ノルマン軍136vsムスリム5300

 アラブ人支配下にあったシチリアにルッジェーロ1世率いるノルマン人が侵入イスラム教徒撃退した。アラブ軍は戦力の7割を失ったとされる。

・黄天蕩の戦い

 1130年 宋金戦争 ★南宋8000vs金10万 

 韓世忠とその妻梁紅玉率いる南宋軍が金軍を打ち破り、2万5000人を討ち取った。

志度合戦

 1185年 治承・寿永の乱 ★源氏80vs平氏1000

 屋島で破れ、志度寺に立て籠もった平氏源義経が追撃した。平氏大軍が後に続くとみて敗走した。

・下赤坂城の戦い

 1331年 元弘の乱 楠木軍500vs★鎌倉幕府1万

 楠木正成は下赤坂城に籠城し、幕府の包囲にゲリラ戦で1ヶ月以上抵抗した。城は陥落したものの、幕府楠木正成護良親王を討ち損ねた。

千早城の戦い

 1333年 元弘の乱 ★楠木軍1000vs鎌倉幕府2万5000

 千早城に立て籠もった楠木軍は幕府軍に包囲されるも、3ヶ月に渡って抵抗した。気が緩んだところを奇襲するなどの奇策で消耗した幕府軍は攻略を諦め、撤退した。

・船上山の戦い

 1333年 元弘の乱 ★後醍醐天皇軍150vs鎌倉幕府3000

 後醍醐天皇隠岐の島から脱出すると伯耆国武将名和長年挙兵し、隠岐守護佐々木氏攻撃した。名和軍は数百の軍旗を見せつけて威嚇する、暴風雨に乗じて攻撃するなどの戦法で幕府軍を破った。

応永の外寇

 1419年 ★対馬国600vs李氏朝鮮1万7000

 倭寇に悩まされた朝鮮はその本拠地と見なした対馬へ討伐軍を派遣するが、宗氏の抵抗に遭い撤退する。対馬側は100~200人、朝鮮軍は3000人ほどが戦死した。

ビルスの戦い

 1444年 旧チューリッヒ戦争 スイス軍1500vs★フランス軍3万~4万

 スイス軍チューリッヒを包囲したことにより、フランス戦争突入した。スイス軍は数で勝るフランス軍死闘の末に壊滅するが、フランス軍2000人の損害を被った。この戦いによりスイス人の勇敢さがヨーロッパ各地に知れ渡った。

土木の変

 1449年 ★オイラト軍3万vs明軍50万

 明の正統帝は自ら大軍を率いて、オイラトの征伐に向かう。しかし、食料配達の困難や大雨により明軍は士気が低下しており、そこをオイラトに奇襲された。明軍はほぼ全滅し、皇帝捕虜となった。

近世

九頭竜川の戦い

 1506年 戦国時代 ★朝倉軍1万5000vs一向宗30万

 越前制圧を目論む一向宗朝倉軍が九頭竜川を挟んで対峙朝倉軍は夜襲により一向宗撃退した。

セントラの戦い

 1519年 スペインメキシコ征服 ★スペイン軍410vsマヤ軍1万~4万

 征服コルテス率いるスペイン軍がマヤ大軍交戦マヤ軍はスペイン人の軍馬に恐れをなして敗北した。スペイン軍の犠牲わずか2名だが、マヤ軍は800の犠牲を出した。この戦いでコルテスは後の妻にして翻訳者としてアステカ征服に貢献するインディオ女性マリンチェを得た。

・オツンバの戦い

 1520年 スペインメキシコ征服 ★スペイン・トラスカ連合軍 7~800人vsアステカ軍4万

 アステカ軍はスペイン軍の侵略を一度退けることに成功した。その後、大軍を率いて追い打ちを試みる。しかし、初めて見る軍馬威力に恐れ戦き、指揮官を含む大勢戦死したため敗走した。この戦いの後コルテスはアステカを滅ぼした。

・プナの戦い

 1531年 スペインペルー征服 ★スペイン軍168vsプナ先住民3000

 スペイン軍がインカ帝国征服へ向かう途中、プナ島で先住民交戦するが、銃と馬の威力でこれを打ち破る。

・ディーウ包囲戦

 1538年 オスマンポルトガル戦争 ★ポルトガル軍600vsオスマン・クジャラー連合軍2万2000

 ポルトガル軍が連合軍に包囲されるも、3ヶ月の籠城戦の末にこれを退けた。ポルトガル軍の死傷者は40名に対し、連合軍の死傷者は3000名。

・スィゲトヴァール包囲戦

 1566年 ハンガリー軍2000~3000vs★オスマン10万~30万

 ウィーン遠征へ向かうトルコ軍クロアチア総督リンスキ率いるハンガリー軍を包囲。1ヶ月にも及ぶ激戦の末に防衛軍ほとんど全滅したが、トルコ軍にも2万人の犠牲者が出た上、スレイマン1世が陣没したため、撤退余儀なくされた。リシュリューはこの戦いを「文明が救われた戦い」と称えた。

今山の戦い

 1570年 戦国時代 ★龍造寺軍5000vs大友軍6万~8万

 佐賀城に籠城した竜造寺隆信を大友宗麟率いる大軍が包囲する。攻防戦は4ヶ月にも及び、落城は目前に迫ったが、大友軍が勝利確信して宴を催したところを奇襲し、これを破った。

木崎原の戦い 

 1572年 戦国時代 ★島津軍300vs伊東軍3000

 島津軍は数で勝る伊東軍を伏兵に背後を突かせることで破った。島津軍は275人が犠牲となったが、伊東軍は指揮官伊東祐安含む800人以上が戦死した。この戦いは後の島津軍の戦いにおいて参考にされ、九州制覇に貢献した。

信長第一回雑賀攻め

 1577年 戦国時代 雑賀衆2000vs織田10

 信長石山本願寺に味方する雑賀衆の討伐を試みるが、雑賀衆は1ヶ月にも及ぶゲリラ戦でこれを退け、両者の間に和睦が成立した。

天目山の戦い

 1582年 戦国時代甲州征伐 武田軍43vs★織田軍3000~4000

 織田軍に追い詰められた武田軍の最後の戦い。武田軍は奮戦虚しく壊滅し、武田勝頼は自害したが、織田軍にも900人近い死傷者が出た。

・沖田綴の戦い

 1584年 戦国時代 ★島津有馬連合軍6000vs龍造寺軍6万

 連合軍は数で勝る龍造寺軍を釣り野伏せで破った。この戦いで総大将竜造寺隆信は戦死した。

・岩屋城の戦い

 1586年 戦国時代 高橋軍763vs★島津軍2万~5万

 島津軍は筑前を攻めた際、高橋軍の籠城する岩屋城を攻略した。高橋軍は講話提案にも応じず、激戦の末に全滅した。島津軍は4500以上の死傷者を出した。

忍城の戦い

 1590年 戦国時代小田原攻め 成田2000vs★豊臣軍2万~5万

 石田三成ら率いる大軍忍城を包囲し、水攻めを行うも、成田軍はそれに耐え、北条氏が滅亡した後に降伏した。 

四川の戦い

 1597年 慶長の役 ★島津2000vs明・朝鮮連合軍10

 島津義弘率いる日本軍が明軍に包囲されるも、これを返り討ちにした。日本軍の勝因として、鉄砲使用したこと、明軍の食料庫を焼くことで短期決戦に持ち込んだこと、連合軍の統制がとれなかった上に圧倒的な兵力差故に慢心していたことが挙げられる。

田辺城の戦い

 1600年 戦国時代 東軍500vs★西軍1万5000

 田辺城に立て籠もった東軍西軍が包囲するが、東軍には文化人細川幽斎が居たため、西軍積極的な攻勢が出来ず、2ヶ月ほど釘付けになった。最後後陽成天皇の命で開城したが、西軍関ヶ原の戦いには間に合わなかった。

・第二次上田合戦

 1600年 戦国時代 西軍2500vs東軍3万8000

 関ヶ原へ向かう徳川秀忠指揮下の東軍真田昌幸率いる西軍交戦した。足止めを食らった東軍関ヶ原に間に合わなかった。

・リオ・サン・フアン・デ・ニカラグアの戦い

 1762年 七年戦争 ★スペイン100vsイギリス軍2000

 イギリス軍ニカラグア処女降誕要塞を包囲するが、スペイン軍は19歳の少女ラファエラ・エレーラの指揮下で奮戦し、砦を守り抜いた。

近代

アラモの戦い

 1836年 テキサス独立戦争 テキサス200vs★メキシコ軍4000

 当時メキシコ領であったテキサス移住したアメリカ人メキシコに対して反乱を起こした。アラモ砦に籠城したテキサス軍はメキシコ軍の包囲に対し13日間持ちこたえた末に全滅した。

 参考作品アラモジョン・ウェイン監督)」

・雨花台攻略

 1862年 太平天国の乱 ★湘軍2万vs太平天国20

 湘軍によって要塞化された雨花台を太平天国軍が5ヶ月にわたって何度も攻撃するが、落とせず1万の兵力を失った後に攻略を諦めた。

・第二次サビーネ・パスの戦い

 1863年 南北戦争 ★南軍50vs北軍5000

 サビーネ湖とメキシコ湾を繋ぐサビーネ・パス防衛する南軍北軍攻撃を受けるも、これを撃退する。北軍100名が死傷し、350名が捕らえられた。

カマロンの戦い

 1863年 ナポレオン三世メキシコ出兵 フランス外国人部隊65vs★メキシコ2000

 65名の外人部隊現金300万フラン輸送する部隊の護衛を任されていた。メキシコ軍の大軍の前に破れ、43名が戦死、19名が捕虜となったが、輸送部隊目的地へ現金を届ける事が出来た。

・ロルクズドリフトの戦い

 1879年 ズール戦争 ★イギリス軍150vsズールー軍3000~4000

 ロルクズドリフト伝道所跡に築かれたイギリス軍の砦をズールー族の大軍が襲う。イギリス軍は2日間の激戦に勝利し、ズールー軍は800名以上の死傷者を出した。

・アブ・クレアの戦い

 1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1100vsマフディー軍1万2000

 ゴードン将軍の救出に向かうイギリス軍とマフディー軍が激突し、マフディー軍は1100人の死傷者を出して敗北した。

・アブ・クルの戦い

 1885年 マフディーの乱 ★イギリス軍1200vsマフディー軍1万4000

 ゴードン将軍の救助に向かうイギリス軍がマフディー軍と交戦し、勝利した。マフディー軍の損失は明らかではないが甚大であるとされる。

現代

盧溝橋事件

 1937年 日中戦争 ★日本軍5600vs中国軍10

 盧溝橋付近日本軍の夜間演習中に日本兵一人が行方不明になる。日本軍がこれを理由中国軍攻撃し、破った。この事件が熾烈な日中戦争きっかけとなった。

タラワの戦い

 1943年 太平洋戦争 日本軍2600vs★アメリカ軍3万5000

 タラワ環礁ベティオ島を防衛する海軍部隊アメリカ海兵隊が激突した。島は3日で陥落し、守備隊は玉砕したが、米軍も3000人が死傷し、軍への志願率が一時的に減少した。

・拉孟の戦い

 1944年 日中戦争 日本軍1300(うち傷病兵300)vs★中国軍2万

 日本軍中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍8000人が死傷した。

・騰越の戦い

 1944年 日中戦争 日本軍2800vs★中国軍5万

 日本軍中国軍が3ヶ月にわたって交戦し、日本軍が全滅した。中国軍は2万人が死傷した。

アンガウルの戦い

 1944年 太平洋戦争 日本軍1250vs★アメリカ軍2万1000

 日本軍歩兵第59連隊第1大隊守備するアンガウル島をアメリカ軍第81歩兵師団攻略した。1ヶ月以上にも及ぶ激戦の末に日本軍玉砕したが、米軍2000人死傷した。

 参考作品英霊の絶叫(船坂弘著)」

・一江山島戦役

 1955年 第二次国共内戦 国民党軍700vs★共産党軍7000

 人民解放軍が一江山島に侵入、2日で占領した。台湾軍は全員が戦死するか、捕虜となったが、解放軍にも2000人の死傷者が出た。

・ロングタンの戦い

 1966年 ベトナム戦争 ★オーストラリア軍108vsベトコン2500

 ベトコンオーストラリア軍を襲撃するも、撃退された。オーストラリア軍は42名、ベトコンは600名が死傷し、双方が勝利を主張した。

 参考作品デンジャー・クロース 極限着弾(クリフ・ステンダーズ監督)」

・ロンゲワラの戦い

 1971年 第三次印パ戦争 ★インド軍120vsパキスタン軍2000

 ラジャタンのロンゲワラ村でパキスタン軍インド軍守備隊が交戦インド軍航空機支援を得て、パキスタン軍を破った。パキスタン軍の死者200名に対し、インド軍の死者は2名ほどであった

モガディシュ戦闘

 1993年 ソマリア内戦 ★多国籍軍160vsソマリア民兵2000

 アメリカマレーシアパキスタンからなる多国籍軍が、民兵リーダーであるアイディード将軍の側近二人を逮捕すべく派遣され、民兵交戦状態になった。民兵は数百人が死傷し、多国籍軍目的を達成したが、100名以上が死傷した。

 参考作品ブラックホーク・ダウン(リドリー・スコット監督)」

  

 

2020-11-02

手塚治虫ブッダ」とおっぱい20世紀おっぱい

ラーマヤーナ」ではインドラの火とも伝えているがね

特に理由はないのだが、最近通勤時間で「ラーマーヤナ」を読んでいる。特にインド旅行する予定はないのだが、しいて言えば大学時代の友人二人がインド哲学科出身だったからかもしれない。そういえば、冒頭のムスカ台詞では長母音場所が間違っている、みたいな話にもなった。

それはさておき、「ラーマーヤナ」である英雄ラーマが囚われの妻シーターを仲間の助けで救いに行く話で、要するに古代インドスーパーマリオなわけだが、そこで出てくる美人形容が興味深い。たとえば「美しく黒ずんだ肌」という表現が出てくる。美白という美意識はやはり時代地域によっては必ずしも自明ではないのだ。

また、ほっそりした腰つきや豊かな乳房の美しさを表現する箇所もある。

「二つの乳房はそれぞれの先端がむっちりと盛り上がって魅力的で、つやのあるヤシの実のように美しく、最上宝石の装飾品をつけて輝いている」

この個所を読んで僕は首を傾げた。ここまで乳房の美しさを形容するってことは、シーターは上半身裸だったのか? 実際、インド東南アジアの神々の像では女性たちは上半身裸だ。以下はエローラの石窟の姿である

女神ガンガー

女神パールヴァティ

しかし、近現代インド叙事詩を描いた絵画では、上半身普通に覆っている。

追放されたシーター姫

シーター姫を攫ったラーヴァナが助けに来たジャータユを返り討ちにする図

それを見て思い出すのは手塚治虫の「ブッダ」だ。正直なところ、みんなおっぱい丸出しで小学生の頃はエッチすぎて読めなった記憶しかないのだけれど、それはさておいて、あれは歴史的に見て正しいのだろうか? それとも、単なる手塚治虫性的空想だったのだろうか?

頼むぞグーグル先生

そういうわけで僕は「ancient india topless」と検索した。すると、肯定的証言をするサイトが数多く引っかかった]。特に英語版ウィキペディアのtoplessの説明がわかりやすかった。

In many parts of northern India before the Muslim conquest of India, women were topless. ……(中略)……Toplessness was the norm for women among several indigenous peoples of South India until the 19th or early 20th century……(以下略

ムスリム征服以前のインドの多くの地域では、女性上半身裸であった。……(中略)……上半身裸は19世紀20世紀初頭の南インド先住民女性の間では普通のことであった……(以下略)。

そういうわけで、古代インド女性おっぱい丸出しだった。手塚治虫変態だったかもしれないが、古代インドの服飾史については、嘘をついていなかった。

また、「古代インド おっぱい」と日本語検索すると、次のようなツイートが見つかった。

https://twitter.com/tenjikukitan/status/1093099586778853378

古代インドに詳しい方が日本語情報発信をしてくださると、大変助かる。

よく、東洋舞台とした作品ブラトップ同然の格好をした女性が出てくることがあり、しばしば批判されるのだが、これは実際には上半身裸だったのを攻めておっぱいだけは隠しておこう、という配慮だったのかもしれない。

実際、いわゆる熱帯地域だけではなく、古代クレタ島でも乳房は見せていたし、それこそ以前記述したように、日本海女さんもかつては上半身裸が普通であった。

おっぱい税、巨乳税、その非人道性

ところで、英語版ウィキペディアを読んでいたら、気になる記述を見つけた。

The Breast Tax (Mulakkaram or mula-karam in Malayalam) was a tax imposed on the lower caste (Shudra) and untouchable (Dalit) Hindu women by the Kingdom of Tranvancore (in present-day Kerala state of India) if they wanted to cover their breasts in public, until 1924. ……The tax was evaluated by the tax collectors depending on the size of their breasts.

乳房税(ムラカラム)とは、現在の(南インド)ケーララ州で低カーストシュードラ)と不可触選民ダリット)に属するヒンドゥー教徒女性が、公共の場乳房を覆いたければ支払わなければならなかった税である。……税金を集める役人女性乳房の大きさによって額を決めていた。

なんとも非人道的で、正直なところ読んでいてかなりのショックを受けた。身体の大きさを申告・検査しなければならない恥ずかしさ、支払えなかった女性苦痛いかほどのものであっただろうか。個人的には野外露出系のポルノは大好きだが、これが強制されたものだとなると不快だ。裸とは恥ずかしいものではなく、人間が生まれながらにして持つ、何物にも束縛されない自由意味する気持ちのいいものであってほしい。それにこれはフィクションではない。歴史的事実だ。

これについて日本語資料が見つからいかどうか探したが、幸いにしてナショナルジオグラフィック誌の記事があった。

古代ローマにトイレ税、世界5つのヘンな税 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

乳房税が廃止された経緯もまたショッキングである。ある女性が収税に来た役人に抗議するため、乳房を切り落として見せたことがそのきっかけだ。言葉もない。ローマ公衆便所から税を取り立てたケチで名高いウェスパシアヌス帝が単に合理的でまともに思える。

ナショナルジオグラフィック誌の姿勢、僕の姿勢

そのナショナルジオグラフィック誌だが、2018年に同誌は人種差別的であったことを公式謝罪した。国内有色人種無視していたし、外国文化過去の姿をやや好奇の念をもって眺めていた。そして、異民族過去の姿である上半身裸をピックアップしすぎた、と。

とても誠実な姿勢だと思う。確かに異文化への関心は、はじめのうちは興味本位小ネタから始まるかもしれないが、それだけで終わってしまってはもったいないし、現在の姿を誤解したままでは失礼だ。それに、欧米日本オリエント人間を過度にセクシャル表現してきた歴史があり、それを是正することはまったく正しい。

それは欺瞞だ。伝統的に上半身を見せる文化を改変するのは子どもたちに嘘を教えることになる。乳房を恥としない相手価値観や服飾文化破壊ではないか、という意見もあり、それももっともだと思う。とはいえ、今のところ乳房は隠すものデファクトグローバルスタンダードになってしまっている。歴史的正確さと表現のふさわしさと、これもまた正解のない問いである。

シーター姫のおっぱいが気になった僕もこの罪とは無縁ではない。今を生きる人々の人格と彼らの先祖文化伝統、どうすれば両方に敬意を払えるかを考える日々である。できる限り正確性に努め、通説が誤っていれば訂正をするように心がけているが、それでも異文化への関心が性的好奇心とは無縁ではないことを意識しないではいられない。

今後の研究課題

今回は古代インドではトップレス普通であったことを示した。また、乳房隠蔽キリスト教だけではなく、イスラームの影響もあることも明らかになった。

今後は、世界の中で乳房がどのような文脈を持っていたかを調べたい。例えばシチリアの聖アガタ乳房を切断され、かつては形の似ているパンや鐘の職人守護聖人であったが、いまでは乳がん守護聖人ともなっている。また、戦時中日本を含め、多くのプロパガンダでは、乳房母性記号として国土の豊かさを意味してきたし、しばしば女性を母としての役割に閉じ込める役割も担ってきた。逆に、女性自身が抗議の意味露出することもある。私の身体は私のもので、勝手意味を担わせないで欲しいという奪還の意図もあるのだろう。

加えて、世界各地ではどのような形の乳房理想とされてきたのか、その変遷もいつかはたどりたい。

実際、「ラーマーヤナ」ではほっそりした体を(乳房の重みで)曲げて、と形容されるターラーという猿の夫人がいる。今も残るインド彫刻から判断すると、古代インドには細い腰とそれに対する豊かな乳房への明確な好みがあったのではないかと推測される。また、この彫刻の特徴は東南アジアにも受け継がれている。その辺が知りたいのである

このあたりは西洋絵画からたどるのがいいかもしれないが、芸術個人自己表現となった時代以降は、画家自身の好みも反映されて難しい。

また、逆にトップレス世界の標準であった可能性についても検討したい。すなわち、ユダヤ教キリスト教イスラームの広がっていない地域の服飾史について検討し、トップレスでいることの自由がどのように失われていったかについても調査したい。

2020-08-16

食品名の産地を入れるとメチャうまそうに見える

みたいに、食品名に産地をくっつけると 5 倍くらい美味そうに見える。

こういうの他にある?

2020-07-30

anond:20200730093644

2020-06-13

典型的な「島」

本土とは違う言葉、違う文化、昔は違う国だったけど支配されて同化を強いられたみたいな歴史があるところ

沖縄済州島フェロー諸島あたりが思いつくけど他にもある?

台湾もそう? シチリアサルデーニャなんかは本土候補複数あるので対象外かなって

2020-03-31

金に困った住民らがスーパーで略奪 「食べていかねば」とも 伊シチリア

https://www.afpbb.com/articles/-/3276100

これはさすがにもうダメだろ。

1世紀分くらい時代が戻ってる。

2019-10-23

anond:20191019102222

イタリアンってのは、そもそもリストランテであっても、客を受け入れる、ある程度のカジュアルさがほしいよ。

フレンチみたいに客に作法要求するのは間違ってる!

 

そんなもの要求たからには、客を楽しませる絶対の自信がほしい。

お高くとまってそうな店では、ワインセレクトスタッフに任せてみる。

客をうならせるようなペアリング説明が聞けなければ看板倒れだ。

 

そんな俺は、最近スペインガストロノミー最先端をいっていると感じる。

驚くほど自由だ。そして美味い!考え抜かれて組み立てられた料理のはずが、なぜか味わう者の心を自由にしていく。

パスとかピンチョスとか小皿料理バル文化と溶け合う、あの食文化面白い

ワイン世界もだ。これまで勝ち得たステータスにあぐらをかいしまって、先に進むことがなければ終わりだ。

スペインのみならず、南アフリカとか次々に素晴らしいワインが世に現れているなかで

フランスワイン過大評価されていることに気が付くべきだ。

コンビニ店に並んでるチリテーブルワインの味が安っぽいかといえばそうでもないぞ。

スーペルトスカーナが既成概念を破っていくように、

イタリアンも、前菜パスタ→メインみたいな既成概念、捨てちまえ。

高級店だのリストランテだのといった概念、忘れちまえ。

純粋に客と向き合え。

それができないから、徹底的に地域で攻めるのが面白い

シチリアプーリアサルデーニャピエモンテなど。。特定地域思い入れのないレストラン面白みがない。

あの店いったら、面白いコルツェッティあるんだよねー、みたいな感じで楽しむのがイタリアンなのだ

ちなみに、パスタならヨコイ。ああいオリジナリティは本当に素晴らしいと思う。

2019-10-14

スピッツ『猫になりたい』の歌詞解釈

関ジャム 完全燃SHOWという番組スピッツ特集をやってて、その中の1コーナーで『歌詞をよくよく読むと不穏なストーリーが浮かんでくる』みたいな話をしてたので、以前に自分が考えてみた『猫になりたい』という楽曲一般的にはあんまり知られてない?けどファンの間では絶大な人気を誇る曲)の歌詞解釈を書いてみる。

番組中でも言ってたけど、もちろん作詞した本人以外には正解は分からないので、あくまで「こう捉えられないこともないか?」くらいで見てもらえると助かる。

灯りを消したまま話を続けたら

ガラスの向こう側で星がひとつ消えた

『星がひとつ消えた』はそのまま死の暗示。また『灯りを消したまま』という表現から、この会話が発生したのは灯りを消した後。星が出ていることから時間帯は夜、この場合灯りを消すシーンとして想定されるのは就寝時。就寝時のような遅い時間に灯りをつけずに発生する会話というと、例えば緊急の電話などが考えられる。

これらを総合すると、『夜、寝る前に君(恐らくは恋人?)の死を知らせる電話がかかってきた』という意味にとれる。

からまわりしながら通りを駆け抜けて

砕けるその時は君の名前だけ呼ぶよ

1行目は無我夢中病院?に向かう様子。2行目で『砕ける』のは、「何かの間違いであって欲しい」という微かな希望か。

広すぎる霊園のそばの このアパートは薄ぐもり

暖かい幻を見てた

『君』の死を認識した後の主人公描写。すべての気力を失い、現実逃避している様子が伺える。わざわざ『霊園』というワードを出したのは、やはり死の暗示か。もしくは、『君』のお墓の近くに引っ越した??

※サビは歌詞全部一緒なので後ほどまとめて解説

目を閉じて浮かべた密やかな逃げ場所

シチリアの浜辺の絵ハガキとよく似てた

砂ぼこりにまみれて歩く 街は季節を嫌ってる

つくられた安らぎを捨てて

1、2行目は天国を思い浮かべている様子?後追い自殺を考えてるのだろうか。3、4行目はよく分からない 後追いを決心した様子とも、「現実逃避してても仕方ない」と改心した様子ともとれる。

最後にサビの歌詞

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

このサビについて、そのまま捉えると『冷たくなった君の腕の中で気の済むまで丸くなっていたい』という主人公の逃避願望と捉えられるが、その場合『キズつけてあげる』の意味イマイチよく分からない。また、『ここ』というのは君の亡骸が安置されている場所になるが、Bメロでは既に自宅であろうアパートへ戻っておりその点でもズレがある。(幻の『君』かもしれないけど)

ここで個人的提唱したいのが、『A,Bメロとサビで歌詞一人称が変化している』つまりサビの歌詞主人公言葉でなく、既に死んでしまった『君』…恋人幽霊言葉ではないかという説。

この場合

猫になりたい 君の腕の中

寂しい夜が終わるまでここにいたいよ

この歌詞意味は、すっかり塞ぎ込んでしまった恋人を、自分の姿ではもう会えないから、せめて猫に化けて(あるいは乗り移って)寄り添い寂しさを紛らわせてあげたい、という願望と捉えられる。

猫になりたい 言葉ははかない

消えないようにキズつけてあげるよ

この部分についても、もう言葉は届かないけど、言葉なんて不確かなものよりももっと確かな何かを残したい、という精一杯の強がり気持ち

・猫となって引っ掻き傷を残したい

恋人の死という消えないトラウマを残したい

というダブルミーニング表現しているように思える。

以上、異論は認めます

2019-09-15

ヨーロッパ旅の記録とオススメ

イギリス

ロンドン:ベタだが名所多数。ビッグベン、バッキンガム、セントポールウエストミンスターロンドン塔、タワーブリッジ、大英、ナショナルハロッズ等々。

マンチェスター:何もねえ

リバプール:何もねえ

カーディフ:何もねえ

エディンバラ:何もねえ

グラスゴー:何もねえ

飯:ロンドンイギリス料理以外はまとも。ロンドン以外は不毛

フランス

パリ:治安最悪、汚ねえ。でもルーブル、オルセー最高。エッフェル塔凱旋門ノートルダムは焼けたけど、ヴェルサイユ、モンマルトル、シャンゼリゼ、く、悔しいけど好き。

モンサン:遠い

マルセイユ:汚ねえ

ボルドー:最高

トゥールーズ:汚ねえ

カルカッソンヌ:広い城だけ

ニース:最高

カンヌ:まあまあ

パリツーリストトラップ以外、大抵の料理うまい

ドイツ

ベルリン:壁壁壁

フランク:何もねえ

ミュンヘン:オクトーバーフェストクリスマス、季節だけかよ。ノイッシュ。

デュッセル:駅前寂れすぎ

ケルン:大聖堂見たら途方にくれる

ハンブルグ:何もねえ

飯は肉しかないのかよ!

日本人アレ行き過ぎ。やっぱり肉しかないのかよ!

イタリア

ミラノ:最高

ローマ:汚ねえ

フィレンツェ:最高

ヴェネツィア:最高

ナポリ:汚ねえ

シチリア:最高

ジェノバ:何もねえ

トリノ:何もねえ

ボローニャ:何もねえけど、飯はたしかうまい気がした

ピサ:塔

アマルフィ:最高

チンクエテッレ:最高

飯:ローマツーリストトラップ以外はウマーーー!

スペイン

バルセロナ:サクラダと飯と海があれば最高

マドリー:バルセロナの後だと今ひとつレベルは高い。プラドピカソ

セビーリャ:最高

マラガ:最高

ハス:白い村ショッピングモールみたいだなと思った

グラナダ:最高

コルドバ:最高

ビルバオ:何もねえ

サンセバスティアン:飯最高

飯:ウマーーー!

ポルトガル

リスボン:スペイン田舎

ポルト:綺麗なスペイン田舎

飯:ウマーーー!

スイス

ジュネーブ:湖、国連

チューリヒ:何もねえ

ベルン:何もねえ

山:最高最高!!!!!

スイス欧州最高に挙げる人多し

ノルウェー

フィヨルド:単なる山。日本人には珍しくないリアス

オスロ:何もねえ

スウェーデン

ストックホルム:何もねえ

美人:笑うくらい綺麗。なぜに瞳が水色???

飯:ミートボールは大して名物じゃなかった。黄色にはめられた?

フィンランド

ヘルシンキ:何もねえ

デンマーク

コペンハーゲン:何もねえ。ガッカリ

北欧はまとめて飯ダメ

オランダ

アムステルダム:チューリップ意外に最高。ゴッホ。アンネ。

ロッテルダム:何もねえ

ハーグ:フェルメール

イマイチ

ベルギー

ブリュッセル:EU以外何もねえ、ガッカリ、汚ねえ

ブルージュ:綺麗だけど何もねえ

ワッフルうまくない、チョコ日本で食える

モナコ:綺麗だけど何もねえ

オーストリア

ウィーン:王宮美術館、もう飽きた。オペラは知らん。綺麗。

チェコ:

プラハ:中世の街並み、綺麗。タクシー酷い。

ポーランド

ワルシャワ:何もねえ

クラクフ:塩の洞窟と、ドイツ人が大嫌いになる見学

ハンガリー

ブタペスト:綺麗だけど何もねえ

ギリシャ

アテネ:最高

ミコノス:最高

サントリーニ:最高

飯は素材を生かせればまあ、という感じ。

クロアチア

ドブロブニク:最高

アイルランド

ダブリン:ギネス飲んだら、The 何もねえ

2018-03-03

西ヨーロッパ(+南ヨーロッパ諸国歴史的英雄

anond:20180228164845

オーストリアプリンツ・オイゲン(1663-1736)オーストリアの名将。元はフランス貴族だが、軍人としてハプスブルク家に仕え、祖国フランスと戦い続けることになる。オスマン帝国との戦いでその西進を挫き、スペイン継承戦争においてはイングランドマールバラ公と共に大活躍をした。
スイスウィリアム・テル(?-?)スイス建国英雄として知られる。オーストリア代官に強いられて息子の頭に置かれた林檎を射抜き、後にその代官を射殺したことで、それがリュトリの誓いに始まるスイス独立運動へとつながったという。ほぼ確実に架空人物だが、スイス国民実在を信じているならそれでいいのだ。
スロバキアユライ・ヤーノシーク(1688-1713)伝説的な義賊山間商人聖職者などの金持ちから金品を奪い、それを土地の貧民や有力者たちに渡していた。有力者は見返りにヤーノシークを守っていたという。やがて捕らえられ処刑されたが、民族意識の高まりと共に支配者への抵抗の象徴と見なされるようになった。
チェコヴァーツラフ1世(907-935)ボヘミア公敬虔信徒として、チェコキリスト教化積極的推し進め、また神聖ローマ帝国に臣従して外圧を緩和した。キリスト教に反対する貴族たちによって暗殺されたが、その死の前後にさまざまな奇跡が起こったという。
ハンガリーマーチャーシュ一世オスマン英雄フニャディ・ヤーノシュの息子。ハンガリー王に選出されると、領土としては最大版図を、文化としてはルネサンスをもたらし、ハンガリーの最盛期を築き上げた。水戸黄門のような廻国漫遊譚があるらしい。
ポーランドヤン三世ソビエスキ(1629-1696)若いから各地で戦功を重ね、国民的人気を得たことで自由選挙によって王に選出された。オーストリア首都ウィーンを包囲していたオスマン帝国大軍を、かの有翼重装騎兵フサリア3000騎の中央突破によってさんざんに打ち破り、ヨーロッパ守護者として大きな名声を得た。
オランダウィレム一世(1533-1584)オラニエ公ハプスブルク家支配下にあったオランダ貴族だったが、カトリックへの強制改宗に反発して起きた独立戦争においてその反乱の中心となる。「海乞食」と呼ばれる船団を率いて港湾都市ゲリラ的に襲って勢力を拡大、事実上独立を果たしたものの、戦争が続くなかで暗殺された。
ベルギーアンビオリクス(?-?)ガリアに住むベルガエ人の一部族、エブロネス族の王。「アドゥアトゥカの戦い」において、カエサルの麾下にあったローマの一個軍団を、谷に誘い込んで殲滅した。カエサルにとってはガリア戦争における最大の痛手となり、その後の反撃でエブロネス族の土地占領したものの、とうとうアンビオリクスを捕らえることはできなかった。ウェルキンゲトリクスと似た扱いで、ガリア自由を求めた英雄とされる。
ルクセンブルクヨハン盲目王(1296-1346)ボヘミア王およびルクセンブルク伯。晩年には病を得て盲目になりながら、百年戦争の激戦「クレシーの戦い」に参戦して壮絶な討ち死にを遂げた。ルクセンブルクでは国を発展させた名君として評価が高いが、チェコでは戦争ばかりで領地に戻ってこなかった王として人気がないという。
ドイツビスマルク(1815-1898)プロイセン王国首相普墺戦争普仏戦争勝利してドイツ統一し、外交でもフランスを封じ込めて欧州の均衡を保った。その豪腕ぶりから「鉄血宰相」の異名を取る。他の候補オットー大帝バルバロッサフリードリヒ大王あたりか。
フランスナポレオン・ボナパルト(1769-1821)言わずと知れたフランス皇帝。他の候補カール大帝ジャンヌ・ダルクド・ゴールあたりか。ちなみにカール大帝ドイツでも人気だけど出生地ベルギーが最有力らしい。
スペインエル・シッド(1045-1099)本名ロドリゴディアス通称アラビア語の「アル・サイイド」に由来する。カスティーリャ王国アルフォンソ6世のもと数々の戦いで活躍し、王によって追放されたあともバレンシア征服するなど、レコンキスタ英雄として勇名を馳せた。後に叙事詩に歌われた。
ポルトガルアフォンソ1世(1109-1185)初代ポルトガル王伝説的な「オーリッケの戦い」でムラービト朝大軍寡兵撃破し名声を得た。主君であるカスティーリャ王国対立した後、和解して独立した。イベリア半島イスラム勢力と戦いながら領土を広げ、リスボンまで占領した。
イタリアジュゼッペ・ガリバルディ(1807-1882)南米ウルグアイの「大戦争」に参加し、そこでゲリラ戦術を身につけた。オーストリア支配のもと、統一の機運が高まるイタリアにおいて「赤シャツ隊」と呼ばれる義勇軍を結成、シチリア南イタリア占領すると、そのままサルデーニャ王国に献上。イタリア統一に大きく貢献した。その後も何度か軍を率いて決起しつつも、政治にはほとんど関わらないまま隠遁生活を送った。

2017-11-17

????となったIT用語「あ行編」

アカウンタビリティFFの新しい制度かと思った


アベイラビリティ自分のことをアタイって言う赤毛女の子かと思った


イベントリブン⇒シモンイベントリブン!」


ウェハ⇒サクサクして甘くておいしいよね☆


ウェルノウンポートマイノリティリポートの続編ですよね!知ってます


エルガマル暗号吉村作治先生!出番です!


オープンゾルバ⇒シェフ「お待たせしました!シチリア風のオープンゾルバになります

2017-06-06

パレルモに行きたい

シチリア一度行きたいよな

ああ・・・こんなこと言っていないで行くべきだ

船で行きたいね

2011-02-13

鯖田 豊之 ヨーロッパ中世世界歴史9) 河出書房

ヨーロッパ中世とはどんな時代だったのかを、独自性と一般性を交えて、絶妙なバランスでまとめている。

本書の主要な記述の中で、特に気になったところだけ簡単にメモ

封建制度が成立するまで

ローマ帝国崩壊後、ゲルマンによるヨーロッパ治世は次々に短命に終わった。(東ゴート、フランク、西ゴート、ヴァンダル王国)。背景にはゲルマン信仰するアリウス派ローマ人が信仰するカトリックという宗教面の対立があった。上手く国がまとまらいままに、9世紀頃からノルマン人の侵入が始まる→略奪による領土の荒廃→国防は機能せず、地場権力者が城壁を作ってごく小さなテリトリーの防衛を行う→そこを中心に農民があつまり、商人があつまり、騎士が集まる。自治の中心が地場の領主にシフト国王形骸化)。

日本封建制欧米封建制と、一口に言っても違う。

ヨーロッパ騎士ドライ権力関係で主君とつながる。日本武士は忠義で主君に仕える。従って「二君に仕えず」が絶対だった日本とちがって、ヨーロッパは一人の騎士が複数の主君と契約を交わすのはざらだった。戦争の時でも、ヨーロッパ騎士は「●日間まで出陣する」と契約書に書いていれば、たとえ戦闘継続していても、途中で帰ってしまった。

ローマ貨幣制度ラテン語は残った。

地中海商業破壊されずに維持された。一方で、話し言葉としてのラテン語は、人々にリテラシーを身につけるボトルネックとなった。


国王」と「皇帝」の違い。

皇帝の方が一段上。皇帝キリスト教の神に認められた支配者。


騎士道」の盛衰

封建制の発達とともに、先頭の仕事が少なくなった兵士たちの間に生まれた。騎士時代遅れになるのは、1400年頃の100年戦争期あたりから弓矢や大砲技術が発達しすぎて、鎧の防御では間に合わなくなったためだ。彼らはぜいたくを美徳とした点において日本の「武士」とは違う。また、騎士は無学だった。文字が読める人間ほとんどいなかった。

十字軍」の疑問。なんで、400年以上も前から取られてたエルサレムをとつぜん取り返そうとしたのか。

→背景にはヨーロッパ全土へのキリスト今日のて。土着の神々をキリスト教の「聖者」として吸収(例えば、サンタクロース)。

十字軍の帰結。

→封建領主に対する王権の強化。代わりに法王権力は結局十字軍が失敗したことから凋落。

なぜその後イギリスフランスがまとまってきたのに、ドイツはままらなかったのか。

ドイツ皇帝海外侵略に熱心で、内政をおろそかにしていたから(特に地中海遠征。たとえばフリードリヒ一世(1152-90)のシチリア遠征)

2011-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20110110224559

君はシチリアマフィアとなら凄く上手く付き合えそうなルールの持ち主だと思う。

なんだったか忘れたけどマフィア映画でイタ公がほぼ君と同じ理由で猛烈にキレて数名血塗れにしてたよ。

その直前までニコニコしたすごく面倒見のいいおっさんだった。

2008-11-09

国民定義

日本国民日本人だとは限らない。

イタリア国民にはナポリ人もシチリア人もいるって話だ。

じゃあ国民定義ってなんだて考えた時に

ちょっとかんがえ

「二カ国間で戦争になったときの相手がエネミーと認識する集団」

とか思いついた。

自分が日本人であるという意識外国からもたらされる。

いわゆる「関係」が「存在」をつくる系のアレね。

で、日本人であるという意識関係なしに、

相手方が日本人だと認識したら日本人

日本国民だと認識したら日本国民なんだ

って感じのが上の思いついたやつ。

んー

なんかよくわかんねくなってきた

だめだ

 
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