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2021-05-18

anond:20210518122332

色々と背景知識の不足が目立つので、反論も含めて記しておく。

まず「ハマースによる『ロケット弾攻撃』も非難されるべき」という点だが、そもそもの話として、イスラエルが数次にわたる国連安保理決議を無視して領土拡張侵食を続けているのは明白な事実。そして国土への侵略に対する自衛権国際法でも認められており、ハマースによる攻撃を「自衛権行使」と見なすことも可能ではある。なお、日本報道では「ロケット弾」とされているが、実態は「パイプ爆弾」に近いもので、危険とはいえ殺傷力もさしたるものではなく、しかイスラエルは「アイアン・ドーム」等の防空システムを備えている。

また、「ハマースは本当に住民から支持されているのか」との疑問に対しては、もともとハマースはエジプトの「ムスリム同胞団」の影響下にあった組織で、当初はムスリムへの民生支援目的とした組織であり(現在でも組織としては民生部門軍事部門)、武装闘争を本格化させたのは後からの話である

ヨルダン川西岸地区ガザ地区地理的に離れており、人口西岸地区の方がやや多いため、自治政府議長(=大統領)はファタハから選出される一方、「西岸ファタハガザハマース」で棲み分けする形となっていた。一時期、ファタハが歩み寄りのため、首相(=大統領任命権がある)をハマーから選んだこともある(イスマイル・ハニーヤ、2006-07)。しかし近年、イスラエルの「入植地」による侵食が一向に止まらず、さらファタハ執行部の長期にわたる腐敗・汚職により西岸地区でも住民の支持を失いつつあり、いま選挙をやれば、パレスチナ全体でもハマースの勝利が確実視されている。それはファタハとしても困るし、イスラエルとしては今まで何度も暗殺作戦武力行使対象としてきた「テロリストであるハマースを、今さら交渉相手とするのは難しい。そうした"利害の一致"があって、パレスチナでの自治政府議長選挙は、2006年を最後に行われていない。

選挙をやっていない」という点ではイスラエル他所批判できず、2018年12月にクネセト(=国会)が解散されて以降、ここまで4回の選挙を行ったが、いまだ内閣正式に発足していない(=連立工作に失敗し続けている。完全比例代表制なので単独政権が難しいことに加え、ベンヤミンネタニヤフの汚職疑惑も影響)。つまり現状のネタニヤフ政権は、実態としては「汚職疑惑で訴追された人物が率いる選挙管理内閣」であり、そもそも今回のような軍事作戦行使する権限があるのか?という問題点もある。

本気でハマースを殲滅させるつもりなら、いずれ地上での掃討戦を始める必要があるのだが、地上作戦兵士拉致される可能性がある(=ハマースとしては捕虜交換の取引材料にできるので、なるべく生け捕りしたい)上に、パレスチナ自治区では新型コロナワクチンの接種が殆ど進んでいない、という事情もある。また、掃討作戦兵士を割けば、当然ながらレバノンシリア国境防備が薄くなるため、何かしら攻撃を仕掛けられる可能性も否定できない。さら最近イエメンのホウシ派が「ハマースと共闘する」旨の声明を出しており、長距離ミサイル、あるいはドローンでの攻撃後者サウジアラビア相手に実績あり)があるのでは?とすら取り沙汰されている。そこまで大きな影響を及ぼしかねない作戦を決定する権限が「選挙管理内閣」に許されるべきか?という点は、いずれ禍根となるのではないか

<ちなみに、レバノンのヒズブッラー、およびシリアイラン革命防衛隊ともイスラームシーア派の影響下にあり、スンナ派系の組織であるハマースとは、もともと折り合いが悪かった。だが、ハマースの軍事部門をヒズブッラー指導したことさらハマー創設者のアフマド・ヤーシーンが04年、イスラエル軍に爆殺されたこから、今では関係が強化されている>

軍事作戦正当性に関しては、「テロリスト」の潜伏地点をピンポイントで爆撃する能力を誇示するより、まず逮捕収監することを目指すべきではないのか?という批判もある。武力においては圧倒的な差がある以上、「逮捕を試みるのは危険」という主張は、常識的には受け入れられないだろう。イスラエルでは通常犯罪に対して死刑適用していないこともあり、「テロリスト」に対する司法手続きを避けたいだけなのでは?とも指摘されている。

また、いまイスラエル国内では、アラブ系住民へのヘイトクライムや、過剰な警察行使問題になっている(アラブ系住民からの反撃も多少は起きている)。それは、かつてユダヤ人が「ユダヤ人から」という理由差別暴力対象とされてきた歴史を、今度は加害者として繰り返している、とも見なせる。イスラエル以外で暮らすユダヤ系世界全体では多数派)にとっては、同胞ネオナチと大差ない振る舞いに及んでいること、またイスラエル実質的な「アパルトヘイト国家」と化していることを、倫理的観点から批判する向きも多い。

ネタニヤフも既に71歳であり、当座は人気を維持できたとしても、長期政権を担うのは無理だろう。となると後継者問題となるが、そこで更に強硬派人物が台頭してきた場合国際世論の潮目が変わってくるのでは?という懸念は、決して否定しきれないように思われる。

2021-03-14

anond:20210314224935

アフリカ系、イスラム系アジア系ユダヤ系は同じ北米マイノリティグループとしてLGBT辛酸を嘗めてきた仲。

マイノリティ地位向上に賛同することはあっても足を引っ張ることはない。

2021-01-16

anond:20210116071800

これはもう普段思考解釈の違いのようなものだとも思うのですが、結局「フィクションのどうしようもない無力さ」とは紙一重なのだと思います

フィクション所詮虚構、でもそれを見たり作ることで救われることはできる」といいますか。

イングロリアス・バスターズラストでは、ユダヤ系の観客はそろって歓声を上げたそうです。

ユダヤ系の人に起きた悲劇や失われた命は何も変わらないけど、でもそれによって救われる気持ちというのはあります

そこに何か意味を見出すか、所詮は作り物だと冷めてしまうかの違いだと思います

ただ、作り手というのはそこに意味を感じない限り、作品を作らないと思います

日常でも、「この人と話しても何も意味ないな」と感じたら、会話をやめるのではないでしょうか。(一応断っておくと、このやり取りの事ではないです)

最後のifの意味が読み解けないとおっしゃいますが、例えばあなたの好きな、悲しい経緯で亡くなってしまった俳優アーティストがその不幸な運命を避ける、という物語に置き換えて考えても、やはり感覚はわからないでしょうか。

シャロン・テートという女優は、タランティーノや一部の映画ファンにとって、そういう象徴になりうる存在なのです。

なぜそこに感動するのか、ということの説明は難しいですね。

亡くなった人へ贈る追悼文では、その人の生きていたころの思い出を語り、まだ生きていたらどれほど良かったかということを綴ります

ワンス~は映画物語という方法で追悼の思いを伝えている、という説明が近いかもしれません。

からこそ、ラストでは主人公シャロン・テートが同じ画面に映らないことが美しいのだと感じます

※ちなみに、タランティーノテクニック過激描写がよく話題になりますが、意外と根は真面目、話自体も実は倫理的という指摘があります

ストーリーの複雑な時制も解きほぐすと因果ストレートだったりします。

「強い女性」が描かれるのも、タランティーノを一人で育て上げた母親の影響という、すごくストレート理由です。

自身映画自分が出演する際もクズだったり雑魚だったりといった役を好んで演じる性格の持ち主です。

2021-01-15

anond:20210115075520

事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。

現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品

殺されたのは妻で女優シャロン・テートと、友人。

しか殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件関係がない。

この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。

今でも語り継がれる悲劇女優だ。

劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督の子供を妊娠中だった。

この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。

とても誠実な描写だと思う。

この映画が憎んでいるのはマンソンファミリーだ。

実行犯殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字タトゥーを入れているが、タランティーノ過去イングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優ポランスキー監督映画おとなのけんかで主演してる)

そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画小道具を使って」焼き殺す。

イングロリアスバスターズの隊長は、ブラッド・ピットだった。

1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。

しか監督タランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国香港日本などアジア映画に多大な影響を受けた人間である

デビュー作も香港映画オマージュなくらいだ。

キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズオデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの

(タラオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンイタリア産マカロニウェスタンアメリカ映画ではない。ちなみに監督セルジオ・レオーネが撮ったワンスアポアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)

ブルース・リーの話が出てきたが、タラキル・ビルでは死亡遊戯衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。

キルビルで描かれる復讐暴力の虚しさは、燃えよドラゴンブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。

そして敵役ビルには、ブルース・リードラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。

キルビルはある種、ブルース・リーを主演に見立てているのだ。

タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。

ちなみに、キルビル前後編になった元ネタチャイニーズオデッセイの主演はチャウ・シンチー少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳パロディや、少林サッカーカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)

少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別作品で、その点がワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッド共通している。

(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テート自分映画を見るシーンがあるが、ブルース・リー燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)

ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)

あとワンス~作中のブルース・リー調子こいてるのは、実際の彼がああいキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいチンピラのようなダサいファッション

何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。

あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画から知識だけで)玄人好みの渋い「中年恋愛映画」すら物にしてしま監督である

落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。

(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)

(というよりもともと映画のものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)

そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽フィクションで熱く揺さぶった。

ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。

日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。

タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)

タランティーノフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。

虚構の無力さをただ嘆く監督ではないと思う。

(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルキルビルユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯キルビルワンス~と考えてみても面白い)

(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミー無視されてきたのはタランティーノも同じ)

もちろんワンスアポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。

しか元増田は表面的な考えで映画を語っていると思う。

歴史を描いた作品理解するには、ある程度の知識必要だ。

2020-11-30

アラフォーオヤジが今の時代に続くであろう当時を懐古して一人語りす (追記

今の40台位の人々は、バブル絶頂機を小学校高学年から中学生くらいの間に経験し、大学を出た辺りで超絶的な氷河期に入った、という経験をしている。俺もその中の一人だが、日本社会で印象的だったことをなんとなく懐古してみる。そして、今の時代伏線は30年前にすでにはられていたのだな、というふうに感じた、ということも書いておきたい。

最近パソナの某がどうしたとかそういう企業による国民搾取問題になっていると思うんだが、「こうなるための準備は30年かけて着々とされてきた」ということだ。我々の親の代にはすべて始まっていた、と言ってもいいかもしれない。

バブル絶頂

まず、自分にとって最も印象的だったのは以下の2つだ。

1. 職業選択の自由アハハン

2. バイト探しが週二回

この2つを覚えている人は多いだろう。つまり、「なにか特定仕事をやるんじゃなくていろんなこと片っ端から好きなようにやっていこうぜ」という社会的な機運づくりだ。たしかどちらもリクルートがやっていたと思う。リクルート賄賂かなんかで大変なことになったという印象が強いのはこの辺のせいだと思う。

これまでは、一つの会社新卒から定年まで勤め上げていく、ということが美徳であり、給料年功序列会社はアットホームだった。今でいうとどれも警戒されてしま単語になっているのだが、この頃の会社は本当に一種共同体として機能していた。バブルお金に余裕があったからというのもあったとは思うが、この点は本当で、誰一人ここに疑問を持っていた人はいなかったと思う。

会社運動会をやり、社員旅行があり、ゴルフ大会なんかもあったりと今では信じられないような状況だった。だが、同時に過労死であるとか、24時間働けますかとかの過剰労働問題視され始めた時期でもある。

まだ、軍国主義の発想も強かった時代で、過労死した社員は2階級特進で部長待遇退職したことにするみたいな、会社がそれに報いるとか、なんかそんなこともしていた気がする。この頃は俺は小学生からテレビで見た印象、ドラマで見たネタなんかも多分に混ざり込んでいるかもしれない。

タクシーなんかも無礼で、乗車拒否の嵐だったとか、彼女がほしかったらなんとかいアクセサリーゴールドを渡さないとだめとか、とにかく金、金、金、の社会だった。なんたら言うアクセサリーシルバーだと女に「だっせ!どっかいけよ!」とか罵倒されていた。

この頃になると、あまりお金を持っていない男性たちはアッシー、メッシーとか言われて単なる移動手段や金づるにされていた。この辺りフェミニスト女性陣はどう思ってるんだろうか。とにかくひどいのだ。ある女性彼氏デートするので自分のことを好きらしい別の男性に長時間列に並ばせてチケットを買わせるとかそんなのをドラマでやれて問題視されない程度にはこのへん行き届いていた。

この頃は女子高生ブルセラショップなる店で自分パンツとか売っていた気がする。この辺から確か援助交際かに続いていっているのかもしれない。とにかく老若男女ブランドしか目に入らない、ブランド物が手に入らないことは恥、春を売ってでも手に入れるべき、みたいな価値観蔓延していた。この辺は今もづついているかもしれない。

新築マンションも棟の単位10億円とかで売っていたし、ゴルフ会員権とかも何百万円で取引されていた。とにかく金が余って仕方ない、金を使わなくては、という時代だ。

若者たちが努めている会社にいる50代60代はこういう社会で生きてきた人たちだということは肝に銘じたほうがいいかもしれない。

バブル崩壊

さて、バブル崩壊だ。バブル崩壊、という言葉自体自分にはなんの印象もない。当時の経済状況をバブルと言っていた人はテレビには出ていなかったと思う。そもそもガキ過ぎてニュースを見ていなかったというのもあるだろうが。なんにしてもバブル崩壊した直後に起きたのは「リストラ」だ。

この辺りで自分たちは家族だと言っていた企業が突然社員に牙を向き始めた。

いきなりやってきて「君クビね、さよなら」くらいカジュアル社員をクビにし始めた。バブルで家を買ってローンもかなり高いものを組んでいた家庭の大黒柱がいきなり収入を断たれる、という状況だったのだが、社会としてそもそもリストラをきちんとルールにしていないので、とにかくやったもんがちだと言わんばかりにどの会社社員をクビにし始めた。そして代わりに台頭したのが「職業選択の自由謳歌していた人々」だ。

彼らはとにかく働いた。アルバイトを何個も掛け持ちして月収100万円なんていう人もいた。いつねてるのかはわからないが、バイトがとにかく儲かっていた。彼らは企業に雇われてしまうと自由がない、自由職業を選べて好きなときに好きなだけ働けて、休みたければ休めばいい、こんな人生最高じゃないですか、というように言っていたが、彼らが今も息しているかはわからない。

バブル崩壊を契機に正規雇用から非正規雇用企業は主軸を移し始めた。正規雇用はクビにしようとすると大変だが、非正規雇用は単に契約を打ち切れば終わる。正社員への登用をちらつかせることで企業は優位に立つこともできる。多分この辺は今も残っている。制度だけ残して給料は極限まで減らしているということでもありそうだが、移行期間というのは企業お金を出すので、この頃はバイト結構儲かった印象が強い。当時の経済状況でも時給800円くらいだったのだから結構出していたと思う。考えてほしいんだが、携帯電話インターネッとと言ったものは無いのだ。生活にかかるコストなんかそんなに高くなかったのだ。

同時に問題になったのは銀行不良債権だ。バブルときには土地の値段はとにかく上がっていくので、銀行土地にどんどん融資をした。この辺金融機関としてリスク管理できていなさすぎだと思うんだが、とにかく金を貸した。例えば土地を買うので1億円貸したとする。この1億円はもはや回収できなくなった。なぜなら土地を売っても数千万円にしかならない。日本不良債権問題銀行がこの状況を受け入れてしまうとどの銀行債権が取り返せなくなるのでどんどん倒産してしまう、というところにある。この頃になると俺もある程度ニュースを見たりするようになるので、なんとなくだが覚えている。

返してもらうこともできない、精算してしまった時点で大損確定する債権が大量にある、という状況だ。この辺りはよくわからないんだが、よくある含み益、含み損、と言うやつのことを言っていた。そして、債務者お金を返せない。債務者破産していき、債権者はどうしようもない債権ばかりが溜まっていく。そこで何が起きたか、国による救済だ。この不良債権に対して国は税金を注入して銀行を救ってしまった。資本主義世界であれば、この辺は銀行自己責任倒産するのが正解だが、もしそうしたら、日本銀行は一行も残らなくなってしま可能性が高い。

銀行金融庁による介入を受け入れて国は銀行を救済した。とはいえ、いくつかの銀行証券会社倒産してしまった。

このとき銀行は「もうこれで銀行倒産しないことになった」という認識を得たかもしれない。国による救済というのは、ある意味で半分銀行国営化するようなものからだ。今後銀行倒産すれば、国が損を被ることになる。そして熾烈な不良債権処理が開始された。

とにかく債務者から引っ剥がす。貸し剥がしというのが確かそれだ。銀行自分たちが損したくないのでとにかく徹底的に国民から搾り取った。国民がどうなろうがお構いなしだ。少なくとも日本において債権者と債務者は全く公平ではないということがここに現れる。

ところでなんでこんなにひどいことになったのか、というはなしだ。どの国でもバブル崩壊することはあるだろうが日本のそれはとにかく深刻だった。国が支配力を強めるためのシナリオでもあったのかと思うくらいにひどい。

おそらく当時の人々は何も考えないで借金して先物取引していたんだろう。借金先物取引の組み合わせの極悪さは想像すればわかるだろうが、当時の人々はとにかく酔っていた。国はちっとも諌めなかった。

この辺は都市伝説だが、あるときユダヤ系資本が急に日本から引いてしまったらしい。日本アメリカ重要ものまで買い取り始めたからかもしれないとかいろいろ言われているが、俺の中にある投資に対する不信感はこの辺にあると思う。「ある時更に力を持つものが食い荒らすだけ食い荒らしていなくなってしまう」ということだ。

就職氷河期

さて、このリストラが吹き荒れたことで企業正規雇用を徹底的にダンシャリして非正規雇用に走った。就職氷河期というが、これは正規雇用企業がひどく渋ったことによる。使い捨てバイトがたくさんいたほうが企業としては助かる。だが、国民メンタリティ社員になってなんぼ、というのが強かった。

更にこの頃になるとIT一般的になり、これまで10人でやった仕事が1人でできるくらいに合理化されていった。もはや人間はそれほど必要ない、という時代突入したと言ってもいい。コンピュータならぶっ壊れるまで酷使しても違法じゃない。この大きく時代が変わるときプログラミングが少しでもできた人は大いに特をした。20年後の今は結構苦しんでいるが。周囲が仕事のなさにあえいでいるとき適当会社仕事を手に入れることができた。多重請負地獄があるとも知らずに。

時代が変わるときは、大きく得する人と大きく損する人が出てくる。就職氷河期仕事を見つけられなかった人々の現状はさんさんたる物だ。変な話だが、WORDEXCELができれば仕事があったのだが、それを受け入れられなかった人(ここには仕事EXCELタカタやるもんじゃないという反発する人もいたかもしれない)との間で命運が別れたと言ってもいいかもしれない。

2010年くらい

この頃になると、旦那の小遣いなんか0でもいいがそれだと死んでしまうから日500円くらいは渋々許す(収入殆ど旦那なのに!)という変な歪みが出てきたように記憶している。お金子供習い事や塾、そして、日々家事に忙しい奥様のたまの贅沢に主に使われるようになった。旦那は家に収入100%を吸い取られるようになった。お金がない旦那似合わせて飲食店も値下げを始めた。ワンコインランチというのを出すようになった。

この辺は鶏と卵の話かもしれないんだが、男性社会還元するお金を持てなくなったこととデフレの開始は無関係ではないかもしれない。もうちょっと言うならば、お金の行き先が特定業務に行くようになってしまい、ほかは旦那の少ない小遣いの獲得合戦になっていったように思える。

そして値下げ合戦が始まる。マクドナルドなんかは何でもかんでも100円とかで出すようになった。アルバイトたちが激務になることはお構いなしだ。値段を下げる、商品もしょぼくなる、デフレスパイラルの開始だ。

吉野家の肉なんかは露骨に減った。

デフレスパイラルに入り、企業お金が手に入らなくなった。手に入らないのだから給料も支払えない。年功序列型の給料をもらっていた中年層が今度は槍玉に挙げられた。日本ではリストラ絶対にできないと言われているが、実はできる。

2020年

こうしてみると、今の状況は変な話だがバブル崩壊から始まっていると思う。もっと言うなら明治時代から始まっているかもしれない。パソナ竹中平蔵に対するバッシング最近すごいが彼の経済学者としての歩みを見ると、1990年くらいから始まっている。彼はおそらくバブル崩壊経済とそれが崩壊することの意味をわかっていたのかもしれない。

小泉内閣から急に出てきたように見えるが、実は小渕内閣の頃にはすでにいろいろやっている

追記

びっくりするくらいブクマされてんのね。

よく調べてかけとか言う人々、嫌だよめんどくせえ。

はっきりいうと自分記憶と印象だけで書いている文章から、間違いや事実誤認、正確性の欠如、だらけだろうね。気になるならこの辺の正確な経緯でも書いてみてくれ。

誤字脱字が気になる人、どうやら俺は老眼らしいので、画数の多い漢字は正直あまり良く見えない。

本当にアラフォーか?っていう人、アラフォーって、40プラマイ5歳でいいんだよな?不安になった。

2020-11-22

チキチキ、クソデカ述語チキンレース

 なんか「ないものはない」とかい深淵からやって来た命題ホッテントリに上がってたけれど、ブコメ欄で言及されていた「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」はオーストリア哲学者ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの言である。我々が想定する哲学的真理の多くについて、我々は「ある」とか「ない」とかそのほか如何なる述語も設けずに、沈黙を守るべきなのだ――というのがこの発言の主旨だと思われるが、僕は学生時代ヴィトゲンシュタイン代表著作である論理哲学論考を第四章だか第五章の論理式の辺りで投げ出してしまったので、正確な解釈がどうなっているかは分からない。もし貴方が正確な知識を求めるならば、岩波版の『論理哲学論考』を書店に探しに行こう。


 ヴィトゲンシュタインは、ケンブリッジ大学にて当時の哲学大家であるバートランド・ラッセルの元で学んだ後に、ラッセルへとこの『論考』のアイデアを書き送り、激賞を受け出版へと至りました。この『論考』の主旨は、簡単に言えば「世界は言葉でできている」といったものです。極めて凝縮された文体で書かれたこの異形のテキストは、当時の哲学界に激しい影響を与えたと言われています

 さて、「語り得ぬものについては沈黙しなければならない」の一節はこの『論考』のラストを飾る言葉であり、また彼は「梯子を用いて障害を乗り越えた後は、その梯子を投げ捨てなければならない。即ち、この書物もまた投げ捨てられねばならない」とも同書において語っており、彼によれば同書によって哲学界における諸問題は「完全に解決された」とのことでした(後年、彼はこの意見を覆すことになります)。


 ヴィトゲンシュタインは極めてその人生に謎の満ちた人物で、ユダヤ系の影響を大きく受けた裕福な家系に生まれ、本人はカトリック教徒として一生を過ごしました。学業において非常に優秀な成績を収めた彼は、イギリスケンブリッジ大学に進学し、当時の学壇を占めていた哲学ほか様々な学問大家と対面し、議論思索を深めていくことになります

 彼の人物史を巡ってしばしば取り沙汰されるのは、彼が人生殆ど全てに渡り自殺への欲求に苦しんでいたというエピソードです。彼は、兄四人、そして姉三人の八人兄弟の内の末っ子として生を享けるのですが、彼の人生において四人の兄の内、四男のパウルを除く三人は自殺しています。そのため、ヴィトゲンシュタインの心には、常に死への憧憬が巣食っていたというエピソードは有名です。彼は、自分の死に場所を求めて第一次世界大戦従軍したとも言われています。その過酷戦場で、彼はトルストイ福音書解説を紐解きながら、砲声に震える塹壕の中で『論考』の原型を模索し、そして戦場の死に接する中で生への意欲を切り開いた、とも言われています


 さてタイトルの「クソデカ述語」に関してですが、いや、要するに「ない」って何なんですか? って話です。「ない」っていう述語なんなんすか、っていう話です。

 とかくこの世の中には意味のない述語というのが多数存在していて、その内の一つがこの「無」だと思うんですね。つまり、「無」っていうもの言及できないから「無」なのであって、それに対して「ないものはないですね」とか平然と言及しているダ○ソーの店員ほかその他の店員存在は一体なんなんすか? という話なのです。

 要するに、「無」なんてものは「無い」のだから本来であれば我々は「ありません」とか、「無いです」といった述語の使用基本的には控えなければならないのであり、つまり、我々は沈黙しなければならないわけです。それでも、我々が何かについて「無い」だとか、「ありはしない」とか語れるということは、本質的に我々の言語が、その意味対象との関係性に混乱を来しているからなのであって、要はこんな言葉のやりとりなんか単なるゲームのようなものに過ぎないんじゃねえか、みたいなことを考えるわけですね。クソデカ述語。

 世界は「ある」? コップはここに「無い」? もっと正確な記述方法があるはずです。空は青い? 空は青く「ある」? 「無い」について我々が多くのことを語ることができないにも関わらず、何故我々はその対義語とされている「ある」について雄弁に語ることができるのですか? もっと正確な記述方法があるはずです。正確には「コップは移動している。あるいは、コップは現在別の形状を取っている」が正解なのです。クソでけえ述語は投げ捨てろ、梯子を下ろせ。お前らはもっと沈黙しろ

2020-11-08

anond:20201108132734

イギリス時代から代々続く名門家の長男けが許された投票資格

戦後はどさくさにまぎれてユダヤ系が増えたとかで問題になっている

2020-10-27

ホロコースト否定で有名なN医師について。

かつてマルコポーロ事件というものがあった。

マルコポーロ事件 - Wikipedia

この記事を読めばN医師とは誰のことかたちどころにわかるのだが、それはさておき、色々調べてみると、この事件文藝春秋社が一方的に悪いことがわかる。結局、スポンサーへのSWCから圧力という事実存在せず、勝手に慌てふためいただけの文藝春秋者が雑誌廃刊し、社長が辞任し、そして勝手花田編集長(当時)が辞めたのだけだったのであるしかしこれは最悪だった。ホロコースト否定的なことを言うのはタブーだ、という誤った認識世間に与えてしまたかであるSWCは単にホロコースト否定論を監視する団体であり、それまで世界中でずっと抗議してきたのである。なぜなら、欧米では日本など比べ物にならないくらホロコースト否定論は昔から大きな問題だったかである

 

事件の中心人物だった、N医師のその当該記事噴飯物記事だった。何せこのN医師普通ならあの有名なAuschwitz強制収容所は「アウシュビッツ」或いは「アウシュヴィッツ」と日本語表記される筈なのに、「アウシュウィッツ」と呼んでいたくらいのレベルだったのである。今でもAmazon古本で『アウシュウィッツ真実』という初版本は売っているので、その表紙をWeb上で見てみるといい。これが別の出版社からのちにペーパーバック版として出された時に、こっそり「アウシュヴィッツ」に直しているのが笑える。ちなみに、この指摘をしたのは、N医師ネットで散々苔にするほどに論駁していた山崎カヲル氏である

 

N医師は、デイブスペクターによれば、それまでは英字新聞への投稿マニアに過ぎなかったらしい。おそらくは、そうした趣味1995年当時、そこそこ盛り上がりを見せていた欧米ホロコースト否定論に接する機会を与えたのであろう。N医師にしてみれば単に当時の流行り物に飛びついただけだったに違いない。ともかく、N医師別にホロコーストに詳しいわけでもなんでもなく、その程度のレベルであったから、文芸春秋社はきっちり反論記事でも載せるべきだったし、或いはN医師記事など最初から突っぱねるべきだったのである。どれだけ噴飯物の内容だったかは、これでも読んでみるといい。

『アウシュウィッツ「ガス室」の真理』の虚偽

 

だが、たった一度のその記事は、N医師人生を大きく変えてしまった。未だにN医師日本ホロコースト否定論者の第一人者としてたくさんの信者存在する人物になってしまったのである知名度を生かして講演料まで稼いでいるらしい。前置きが長くなったが。

 

アウシュヴィッツのクレマトリウムⅠの捏造疑惑に関する経緯

この問題は、結構事情が複雑である簡単説明英語だがこちらで読むことはできる。一体この煙突問題を誰が言い出したのかはよくわからないが、クレマトリウムⅠの捏造疑惑自体は、1980年代ごろにフランスの有名なホロコースト否定論者だったロベルトフォーリソンが言い出したのである。大概の細かいホロコースト否認論はこのフォーリソンが発祥であるフォーリソンはホロコースト否定を公に行ったことで当局逮捕され、裁判になり、実はこの裁判でクレマトリウムⅠの捏造疑惑は形上は一旦決着しているのだ。だが、フォーリソンはそんなことで諦めるような人ではない。

続いてホロコースト否認問題では欠かせない話題であるツンデル裁判というのがカナダで起きる。欧米では当時かなり大騒ぎになった事件である。そして、このカナダ事件フォーリソンは深く関与した。有名なロイターレポートの発案者も実はフォーリソンなのである。それはともかく、クレマⅠの捏造疑惑ネタがまたこ裁判内で取り沙汰される。この時はフェルデラーという超悪質なホロコースト否認論者が証人となって裁判で取り上げたようである。間違いなく暗躍したのはフォーリソンであろう。この裁判の決着はさておき、最も目立ってこのクレマⅠの捏造疑惑を取り上げたのは1990年代に入ってデヴィッド・コールというユダヤ系アメリカ人だった。ユダヤ人だってホロコースト否認はする人はするのであるが、彼はアウシュヴィッツ博物館に出向いて、アウシュビッツ 担当者まで登場させるビデオを撮ったのである。このビデオは今でもネットで視聴可能であるコール自身はこのビデオ販売に抗議したらしいが、出回ってしまったものしょうがない。しかし、このデビッドコールネタ元は間違いなくフォーリソンであるコールの裏で暗躍していたかどうかまでは知らないが、フォーリソンが1980年ごろに指摘しなければ誰も気づかなかったのは間違いない。2000年代以降はオーストラリア否定論者フレデリックトーベンという人物がこのクレマ1捏造疑惑喧伝していたようであるが、この人物も何度か逮捕されてるということくらいしか私は知らない(正直どーでもいい)。

 

ガス室捏造疑惑って簡単にいうとどういうこと?

簡単には説明がなかなか難しい。全体を把握しようとすると、ホロコーストの全体的な細かな問題まで把握しないといけなくなる。ただ、こう説明することはできる、ホロコースト否定派はどんなことがあっても絶対断じてガス室」だけは認めることはない、のである。他の虐殺方法程度なら認めるホロコースト否定論者はいるけれど、ガス室だきゃあ絶対に認めてはならぬものなのである。そのガス室現在アウシュヴィッツという最も有名なホロコーストにおける強制収容所内にあったものとして公開されているのだから否定論者にとってはまず最初に疑いの目を向けるものになってしまったのだのだろう、それ故に、否定論者にとってはクレマトリウムⅠと呼ばれるその場所は「戦後捏造された」ものでなければならない。

ところがこのクレマトリウムⅠ、実に否定論者にとって都合がいいことに、実際に戦後に「再現工事がなされているのだ。前述したリンク先を読めば書いてあるように、戦時中にいったん防空壕になっていたものを、ガス室として公開するために、もっかい戻したのが、昔は共産圏だったポーランドだったのだ。そして、この再現工事に実際に携わった当時の職人が、前述したフォーリソン裁判に出廷し、「再現工事をこんな感じでやりました」ときっちり証言していたのである。当然、捏造だなんて話にはなっていない。しかし、フォーリソンら否定派は「そんなに都合よく裁判証人が出てくること自体怪しい」と引き下がらない。何せ、1980年代当時は、相手東側であり、西側にとっては怪しすぎる共産圏国だ。背後にはソ連がいて、疑うにはもってこいの状況だった。

 

だが、ほんとはどうでもいい煙突問題に未だにこだわるN医師

前述した海外サイトへのリンク記事にもあるが、煙突問題とは、戦時中にクレマトリウムⅠにあった煙突が、そこが防空壕に改築されるとき解体されたのである。そして、その煙突アウシュヴィッツ博物館1948年オープンするのに合わせて、当時の再現という意味でもう一度作り直されたのだ(煙突だけではなく他も色々工事しているが、結構杜撰再現工事であることは頭に入れておく必要がある。図面をよく見ればわかる)。だから、一時期煙突はなかったのであるが、戦後にそのなかったときのクレマトリウムⅠの写真が残っていて、それを現在写真比較して「戦後すぐにはなかったじゃないか!どうして今あるんだ? 捏造しだろ?」と仰るのである。……アホかと。

実際、煙突ガス室にはほとんど全く関係がない。火葬場があれば、煙突必要だった筈で、クレマトリウムⅠのガス室否定しても、そこが「死体置き場」だったことを否定する否定論者はゼロだって死体置き場」自体バッチリ図面にそう書いてあるのだからである。むしろ煙突がもし戦後に再建されていなかったら、図面を見た人間は気づく筈である、どうして煙突がないのだ? と。結局、防空壕だった時もその前の時も、図面が残っているので、問題根本があるとするならば、ガス室としてほんとに「死体置き場」を使用したのかどうかだけが問題の筈なのである。これが、N医師にはどうしても理解できないらしい。そもそも悪いのはフォーリソンなのであるが(図面をきっちり1980年ごろに既に取得しているのであるが、フォーリソンには図面を正しくみる能力はなかったようである)、そもそも論としてそこがガス室とされるのは、図面にも文書にも残ってないのだからアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスやその他の証言者の証言しかないのである。こんなの否定論者が一番よく知っている事実の筈である。つまり、最も怪しむべきはその「証言証言者」であるわけだ。だから、私はそのことを直接本人に言ってやったのだが……。

 

実際話してみると、実にくだらない低レベル陰謀論であるに過ぎなかった。

N医師最初アウシュヴィッツ司令官のルドルフヘスの話がガス室根本である」のようなことを言ったので、私はそれはおかしいと指摘した。何故ならば、ルドルフ・ヘス逮捕されたのは1946年3月であり、実はその約1年も前に、問題にしているクレマトリウムⅠのガス室に関する証言をした人物いるかであるポーランドは、ドイツ撤退すると、さっさと戦後処理に取り掛かり、ドイツ終戦を待たずに戦犯裁判に動き出していたのだ。だから1945年4月16日アウシュビッツ囚人だった人物がクレマトリウム1のガス室についてポーランドクラコウというアウシュヴィッツ収容所のある地元法廷で宣誓証言をしているのである。これは時系列として全くN医師の言っていることに矛盾する。

すると、N医師はこう言ってのけたのである

「肝心だったのは、連合国としてはアウシュヴィッツ司令官だったルドルフ・ヘスに中心人物として証言させることだったのであり、誰が証言をし始めようと構わなかったのである」と。

まぁ、そんなことだろうなとは予想はしていたが、N医師自身脳内ストーリーさえ辻褄あわせができればそれでいい低レベル陰謀論者に過ぎなかったのである。彼はこうも言っている(昔からである)、「ヘスはイギリス人拷問を受けて嘘を言わされている」と。拷問を受けたというのは拷問した人物が手記にそう書いているので、事実であるだろうが、拷問受けてなくても当然信用してなかったわけだし、それよりももっと矛盾しているのは、これ拷問したのは「イギリスである。N医師は別のところでは、「ポーランド」が怪しいと言ったり、「ソ連」が怪しいと言ったり、単にめちゃくちゃな脳内理論披露しているだけなのである陰謀論者の一般的な主張通り、陰謀それ自体証明は一切ない。陰謀は巧妙にできているかである

だったら何故、「煙突問題」のように疑われるような事実を残すんだよ? と突っ込んでやりたいところだが、奴らは脳内論理の辻褄さえ合えばそれでいいので、どんなにツッコミを入れても無駄である

 

そんな下らない低レベル陰謀論者を指示する信者たち。

当然私など、N医師に比べりゃ微塵子のような存在しかいから、支持はN医師に集まる。N医師自体ネットに腐るほどいる低レベル陰謀論者に過ぎないことは実際どうでもいい話なのだけど、N医師を支持する人が実際に結構いるという事態を目にしてしまうと、こっちが頭が変になりそうだった。SNSはそうした言わば人気者をあたかも「教祖」のようにしてクラスター形成する仕組みだから、それ自体現象としてしょうがないのだけど、頭では分かっていても実際に見てしまうとねぇ……。

 

というわけでさ、ホロコースト否定論なんざ、そんな下らない低レベル世界なんだ。あなたは、「ガス室」はそれでも疑わしいと思いますか? つーか、なんでそんな低レベル陰謀論が支持者を集めるのか、私にはちっとも理解できません。 

 

追記すると、N医師にはクレマトリウムⅠは一回防空壕に改築させていることだけはなんとか認めさせた。それすら認めていなかったのだから、呆れるけど。

2020-10-02

anond:20201002000553

ヒトラー血筋の8分の1がユダヤ系だった疑惑とかを思い出す

こういうことを言う人がレイシスト

まあ私はレイシストだなと思っても面と向かって非難するような下品な真似はしないけど

2020-08-03

anond:20200803100218

まり黒人ユダヤ系差別に声を上げてないか黒人差別存在しないって主張?

結論ありきが行き過ぎて理屈が壊れてるぞw

2020-06-16

anond:20200616150957

医者など知的専門職の分野で成功した金持ちにはユダヤ系も多いがユダヤ人差別は大問題になる。

なぜかというと圧力団体の声が大きいから。

アジア系圧力団体ユダヤ人団体ほど自己主張が強くない、ただそれだけ。

2020-06-07

白人ヒスパニックの違いがわからん

ラテン系白人じゃないの?さらに細かくっ見るとユダヤ系とかも差別対象なんだよね?アジア人からしたら肌が白いかいかしかいから、ヒスパニック白人から差別対象みたいなの見ると、えええ?白人じゃないのかい?!ってなる

2020-03-06

anond:20200306133354

韓国人は、ユダヤ人悲劇に便乗して自分たちを非差別被害者ポジションに持っていくのはいい加減自粛した方がいいと思うよ。

ユダヤ人はこれを絶対によくは思っていない。

ユダヤ人悲劇に比べたら朝鮮半島比較にならないし、戦後ユダヤ系の人々が反差別にどれだけ尽力したかも桁違い。

anond:20200306134458

あなたは『大学ヒトラー銅像があっても問題ない。ユダヤ系学生は嫌なら見なければいい』とポルノ自由戦士のようなことでも言うつもりですか?

2020-02-14

イスラエルユダヤ系っているの?

映画監督とか特にそうだけどホロコーストメタファー入れがちなんだけどじゃあお前イスラエルのやってる蛮行についてはどう思うん?と真面目に聞きたくなる

そこにダンマリなんだったら何撮っても響かないよなと思ってしま

今だったらジョジョラビット

2019-12-22

パリ劇場にて

団体ツアー旅行に組み込まれオペラ観劇での出来事

私たち劇場に入って着席した時、ステージ上は幕が上がったままで演目リハーサルが行われていた。

自分は「開場して客も入っているのにステージでリハやるか…?」と思ったが、毎日何公演もこな劇場らしい、観光客相手ならではのある種の効率性を感じつつリハーサルの様子を眺めていた。

私たち日本人ツアー客は中段あたりに2列横並びでまとまって座った。客層は多様で、自分の左席にはユダヤ系と思われる立派な髭をたくわえた男性、後ろはいかにフランスらしい高い鼻に小さな眼鏡をちょこんと乗せた可愛らしいおばあさんが座っていた。

ふと右後ろ側から、同じツアー客の70歳くらいのオッサンリハーサル歌声に合わせて小さく唄うのが聴こえてきた。

演目を知っていて口ずさむならまだ良いのだが、オッサンメロディー日本民謡なのだ。明らかに調和していない。

気になるのでちらちらと振り返って様子を確認すると、後ろの眼鏡のおばあさんが楽しそうにオッサンを見ている。というか民謡調子に首を頷かせて聴いている。

オッサンも乗ってきて声が一段と大きくなった。オッサンの横に座る奥さんは何故止めないんだろうと思って見ると、目をつぶって顔をしかめている。ああなるほど、オッサンはいつもこの調子ウンザリしているんだろう。

そのうちに眼鏡おばあさん、オッサンに「立ち上がって、披露して」とジェスチャーで促す。オッサンも応じて立ち上がってしまう。

自分はいよいよ見かねてオッサンを制そうと思い立ち上がろうとした瞬間、左席の髭の男性自分肩に触れた。

男性自分に向かって素早く眉を上げる仕草をし、オッサン視線を送った。自分は彼が意図するところを察した。「せっかく立ち上がったんだ、まだ開演前だし尊重しようではないか

一瞬の出来事ではあったが、ステージからこちらの状況が見えていたのだろう。ふいにリハーサルの声が止んだ。

オッサンもすぐに状況が飲み込めたらしく、ひと呼吸おいてから朗々と唄い始めた。この瞬間だけステージは客席のオッサンに移った。

やや拙いが元々経験のある感じ、NHKのど自慢ならまずまず合格しそうな調子

オッサンは2番まで唄ったのち、大きな声で「ありがとうございました!」と言って着席した。柔らかな拍手が起こった。

わず3分間程度の出来事だったと思う。

左席の髭男性が示した小さな寛容の態度が同心円状に広がり、誰も傷付くことなく着地できた事はまるで奇跡のようで、自分はこの温かな感覚いつまでも胸に留めておきたいと思い余韻に浸ったのだった。

という夢を見た。

2019-10-31

anond:20191031133412

イラスト美少女人間の女を模している以上、人間はその「人格」を認識するしそれに対して行われることには影響を受ける。

フェミは「女」の当事者として女性コンテンツにこだわるでしょ、お前は黒人ユダヤ系差別に声を上げないのがおかしいって言ってるんだぞ、頭おかしいこと言ってるのわかってるか?

黒人差別しない白人も多いし、ユダヤ人メキシコ人差別されてるのに黒人黒人差別にこだわるのかが不明

ってやばいでしょ(笑)

2019-09-01

日本人は謝れ」と「ドイツ人は謝れ」

ドイツ過去反省から移民積極的に受け入れたので、戦後ドイツ人」になった人の割合が高い

理論的には「国民」としての責任というものがあるかもしれないけど

当然「国民」の中にはユダヤ系ドイツ人も含まれるし、当時は先祖が「ドイツ人」じゃなかった人がいっぱいいる

日本戦後日本帰化した朝鮮系を含む人はいるけどドイツ比較すれば少ない

未だに日本人は単一民族神話があるし、否定する場合も「アイヌいるから」みたいな話になることが多い

から日本人は謝れ」という場合の「日本人」とは何かということをあまり突っ込んで考えない

将来は違うことになってるかもしれんけど

2019-07-21

民主主義多数決です

全員の納得を良しとするのは、政治のもの理想であって、民主主義だけに限られた理想じゃありません。

ある体制では徳と言い、ある体制では神の意思と言うだけなのです。

日本に限らず、多くの村落で行われた会議は、全会一致でもって結論を出されますコーランにもその残り香があり、古今東西における政治原則です。

活発な議論の推奨は聖徳太子が記したとされる、日本の十七条憲法にも存在し、「和らぎを以て尊しとなす」という文面はそれを端的に表した文章です。

構成員の最大限の利益は、あらゆる名称で呼ばれますが、ほぼ全組織で追い求めたものであり、独裁政治であっても例外ではありません。

誰の意見を優先するか、その差異にこそ政治体制の差がでるのです。

イスラム教国では神の意思であり、部族が牛耳れば部族意向であり、学閥が握れば学閥です。

誰を切り捨てるかこそが政治体制を表すものであり、それを最大公約的な表現で逃げるのは、政治機構そもそも暴力装置であるという事から目を反らした発言です。

全会一致を悪とする組織はごくごく僅かで、ユダヤ人に残されてるものを除き私は知りません。

日米開戦の折に、唯一反対票を投じたユダヤ系議員が「不完全な人類に全会一致の結論が出るのはおかしい」と答えたとされます

長くなりましたが、政治を支えるのは暴力です。

それは王の力であり信仰の力であり、伝統に準ずる決意です。民主主義を支えるのは平等理由にした数の力です。

多数決民主的でない、というのは嘘です。民主主義とは民主的に決めるというだけであり、それは数の暴力に支えられています

言論意見自由とは言いますが、不寛容には不寛容で臨むように、社会の根幹に関わらない場合放置されるというのは、どのような政権でも同じです。

悪い政治であることと民主的であることは勿論両立するので、比較的マシな候補者を選ぶというだけです。

過度に神聖視して煙に巻き、とにかく生き残ろうとするあざとい人々によくよく注意してください。

そして少数派としての意見しか持てない場合大人しく多数派の温情を期待して、死を待ってください。

それが民主主義です。

anond:20190720125639

2019-05-23

anond:20190523203614

ピーターシンガー自身ユダヤ系ホロコーストから逃れてきた家系なのに差別的な訳ないでしょ。

シンガーの方が中絶に反対したり、捕鯨にこだわって日本IWC脱退をけしかけたり問題だらけだよ。

創世記とは / ヴィーガニズムに関して

創世記』(そうせいき、ヘブライ語:בראשית、ギリシア語:Γένεσις、英: Genesis)は、古代ヘブライ語によって記された、ユダヤ教キリスト教聖典で、イスラム教啓典である聖書旧約聖書)の最初の書であり、正典の一つである。写本が現存しており、モーセ著述したとされている。いわゆるモーセ五書は、ユダヤ教においてはトーラーと呼ばれている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E4%B8%96%E8%A8%98

9:1 神はノアと彼の息子たちを祝福して言われた。「産めよ、増えよ、地に満ちよ。

9:2 地のすべての獣と空のすべての鳥は、地を這うすべてのものと海のすべての魚と共に、あなたたちの前に恐れおののき、あなたたちの手にゆだねられる。

9:3 動いている命あるものは、すべてあなたたちの食糧とするがよい。わたしはこれらすべてのものを、青草と同じようにあなたたちに与える。

9:4 ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない。

9:5 また、あなたたちの命である血が流された場合わたし賠償要求する。いかなる獣から要求する。人間うしの血については、人間から人間の命を賠償として要求する。

9:6 人の血を流す者は/人によって自分の血を流される。人は神にかたどって造られたからだ。

9:7 あなたたちは産めよ、増えよ/地に群がり、地に増えよ。」

http://www.bbbible.com/bbb/bbbge092.html

 日本ではあまり知られていないことだが、ユダヤ教キリスト教イスラム教聖典を共有している。最も古いのが紀元前1300年頃から形を取り始めたユダヤ教で、そこから分派した新興宗教としてキリスト教西暦0年前後に成立している。イスラム教は少し下ってやはりユダヤ教徒の勢力圏で610年頃に成立している。よく「一神教」「多神教」とぼかして言うが、「ユダヤ系」「それ以外」とも言える。

 イスラム教においては創始者ムハンマドの預言が絶対、預言を正確に記したコーラン記述絶対信徒は肉についてイスラム教徒の指定する処理を施したものしか食べない、といったことはよく知られているが、彼らは『創世記』を含む旧約聖書も「異教徒不正確な複写を含んではいるが、われらの神からの預言であることは事実である」というような立場をとる。上の引用はその『創世記』9章による。これは「ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が概ね一致して『定義であり正しい』として受諾している文章なのだ。「生殖は正しい」「獣・鳥・魚は異なるものである」「獣・鳥・魚は人間に与えられた所有物である」「『青草』は『動いている命あるもの』ではない」といったところは(それぞれの宗派において個別解釈明確化されているであろうことはさておき)否定されざるものなのだ

 狂信的ヴィーガニズムドグマは要約すればGenesis 9:1を達成する目的において9:2を根拠に9:3を辞退する、というものだ。彼らの議論は9:3を権利と捉えるか規範と捉えるかとか、そんな辺りであろう。その主張に対して「生殖が正しいとは決まっていない」「人間には農業をする権利などない」「野菜や草やプランクトンにも牛や豚と同じ命がある」と根本から9章丸ごと吹き飛ばす批判を返しても、「すべての宗教が数千年に渡って同意してきた前提に対する批判であり、到底承服もできないどころか、議論する下地すら作れない。笑い飛ばす以外に対処法がない」という対応しか得られないのである。それが正しいか正しくないかではなく、彼らは「俺は旧約聖書信じてないよ」という発言には対応ができないのである

 そしてここは日本であった! ヴィーガン対応ができず成すすべもなく文の壁を立て(彼らの言語には"wall of text"という表現がある)嘆くのみなのであった。旧約聖書先生次回作にご期待下さい(完)

2018-11-25

anond:20181117160701

レイチェル・ワイズのことをワイツと表現するのを珍しい、と思ってスペリング検索ついでにWIKIPEDIA見たが ”父の母語ハンガリー語ではヴェイス、母の母語ドイツ語ではヴァイス発音される。レイチェル自身は、自分の姓の発音は「ヴァイスであると表明している[1]。”  「否定と肯定」出ていた人だ。両親ともユダヤ系なのか。納得。

ファースト・マン” は 女性キャラ専業主婦)が弱いらしい (男女平等社会の実現を図る視点

”ちなみに Netflix でも来月に配信される。” 予告編さらっていると ”Only in theaters” というアピール作品もあって、時代の変革期だ。

”Widows” ダサ邦題になるか、直カタカナ題になるか。

ジョエル・エドガートン監督” ザ・ギフトでも監督だったのか。個性的な顔の俳優という認識だった。

LGBTもの俳優にとってオスカー像への近道だ” エディ・レッドメイン出世作もそうだった。(ノミネート

GWブッシュ役にサム・ロックウェル” 想像しづらい

”『A GHOST STORY』” といい、ケイシーアレックが#Metooスキャンダルで干されていないのはなぜなんだぜ

2018-11-15

anond:20181115171141

しかしまぁそれはそれとして、どうなんのかね防弾少年団

ユダヤ系も刺激しちゃったらしいし防弾少年団事務所はどう収拾付けるんだろ

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