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はてなキーワード: 物差しとは

2019-02-17

マスク効果0という風潮

何とかして欲しい

100%防げるわけじゃないか無駄でーす。100%防げるわけじゃないので実質効果0みたいなもんでーす」

みたいなアレね

本当にやめてね

あとワクチン100%じゃないか無駄とかそういうのもね

100%しか認めないって言うならもう南極にでも行きなよ

たとえ10%でも確率が下がるならそれは効果ありだよ

100じゃないから0っていうの日本人の悪い癖だね

物差しメモリが振られてない通り越して物差し使う気すらない世界

マジでやめてね

風邪の話だけじゃなくて色んな分野に跨った話ね

2019-02-16

子供はいつも損得の一次元。それが善悪二次元、好悪の三次元と増やして大人物差しになる。

大人になって安全だの景気だの数え切れないほどたくさんの次元の中で生きていることに気づくと人を隣の数直線にずらしてあげることができる。

増田社会ガーはなんでまたそこまで戻っちゃったのかね

と天冥の標の最新刊断章8を読んで思ったわけよ

2019-02-15

受験就職に失敗したことがないと、人生順風満帆にすごしてきて何もつらいことがなかった生ぬるい人生を過ごしてきた奴、と認識されるけど、そういう奴なりに辛いことはあるし、そういう奴なりの辛いことってのは周囲の共感が得られなかったりして辛さが倍増したりするんだよなぁ。何事も自分物差しで決めつけてはいけないね

2019-02-08

自己肯定感について

自己肯定感とは

はてなキーワードによるとこうらしい。

自分は大切な存在だ」「自分はかけがえのない存在だ」と思える心の状態

自身特に大切な存在とは思わないし、いくらでも替わりがいる吹けば飛ぶようなモブキャラだと思ってる。

今の自分肯定しているとかそのままを受け入れているというよりも、こんなもんだと諦めている、というほうが実態に合っているような。

自己肯定感ならぬ自己諦念感とでもいうか。

何が起きても「まあこんなもんだよな、だって俺だもん」に落ち着くのでストレスフリー

自己肯定感が低い人って相対的理想自分が少し高いところにいるのかな。

人生を諦めていると自分にも他人にも期待しないので裏切られることもないというか。

ただ、諦めてはいるけど別に卑下していなくて「どうせ俺なんて」アピールなんてウザいだけだからしないし傍目にはメンタル強い人に映ってるらしい。

あと人生諦めていても人生を楽しむことはできるんだよね。

だって俺が何かしたところで誰ひとり俺のことなんて見てないから好きなことを好きなだけやれるし。

40過ぎて独身で将来的どうすんだ的なことを考えなくはないけどなるようにしかならないし最悪行き倒れでもいいかなとも思う。

アドバイスになるかわからないけど自己肯定感が低い人は自己肯定感という物差しを捨てて人生を諦めることから初めてみてはどうだろうか。

字面だけ見ると酷い事を言ってるんだけどここまで読んでる人には伝わっていると思いたい。

そんな単純なことじゃねーんだよってのはもっともだけど、ヒントやキッカケのひとつになったらなあと思う。

2019-02-05

anond:20190205083839

自己肯定感の低い男性は、ってことだよね。

逆レイプサキュバスは同根で、自身男性性を無条件で認めてくれるからな気がする。

女体化男性性という物差しから抜け出せるからなのかな。きっと変身系もハマるんだろうね。

魔物娘はなんだろう、これも世俗というか、自分評価している世間一般みたいな眼差しを保たない存在って感じがするなー。

2019-01-30

anond:20190129172938

実はこの指摘は結構重要問題を孕んでいる。元増田は二―トなのかもしれないが、的確に博物館法の矛盾点を突いている。

ブコメでは、ニート割引を認めつつ、その基準としてニートであることの証明をどのようにするかに焦点が当たっている。

こうした論点に至るのは非常に説得的で論理的だ。

ところがだ。博物館法第23条を見てほしい。


(入館料等) 第23条  公立博物館は、入館料その他博物館資料の利用に対する対価を徴収してはならない。但し、博物館の維持運営のためにやむを得ない事情のある場合は、必要な対価を徴収することができる。




博物館原則では無料(キリッ

ヒャアアアアアアアアアアア!!!!! 無料ですってよ! 奥さぁん!!

この戦後に出たイキリ社会教育法律は、現行では後段の留保の方ばかりが実態として現れている。

特に都会の大きな公立博物館はそうだ。

蛇足博物館法の範疇

蛇足公立博物館とは、地方公共団体が設置するものを言う。だから国立の「博物館」は博物館法の範疇外にある。

23条は、私立博物館国立博物館は、対価を徴収してはならない、という規定範疇にない、ということだ。取ってもいいし取らなくてもいい。どっちでもいい。

サッカーで例えると、サッカールールを守ってもいいしコート野球をしてもいい。

理想論だが)無料であるべきというところから議論スタートするべきなぜなら法律がそのようになっているか

今回ニートが参った東京都美術館東京都と言う地方公共団体が持っているので、博物館法の範疇だ。だから原則無料にならないとおかしいのだ。

そしていいか? 重要なことは、ニートでも会社員でも大人子供もおねーさんも、老若男女全員が、全員がだぞ。全員だ。

全員が、無料であるべきなのだ博物館法は、戦後のあの頃、そう高らかに謳った。

実は議論はここからスタートしなくてはならない。

ニートから入館料無くせ、とか、ちゃんと働いているんだから会社員こそ入館料減らせ、じゃあない。

全員が、無料であるべきなのだ

けど、現状はそうじゃないよね

けど、もちろん現状そうならない。

増田諸賢も解るだろうけど、都美レベル博物館が全員入館料無料にしたらなんか「ヤバい」という感じはするだろう。

じゃあ何を考えればいいのか。それは、「条文の博物館の維持運営のためにやむを得ない事情」を突きつめることだ。これが重要だ。

ところで図書館法にも入館料に関して、博物館と同じようで、より厳密な条文がある。

図書館が有料だったらビビるよね。現状そうはなってない。その根拠図書館法に明記されている。

一方博物館法は歴史的な経緯もあって、後段に大切な留保が続いている。

ニートからカネを取るのは「やむを得ない」か?

東京都美術館の維持運営のために、ニートからカネを徴収することは「やむを得ない」のだろうか?

こうした観点から入館料金は捉えるべきなのだ

そしてもちろん、述べてきたとおり、元来全員が無料であるべきなので、

大人子供もおねーさんも、つまり私たち全員からカネを徴収することは「やむを得ない」のだろうか?

これを同時に考えなくてはならない。

このニートの方はここを鮮やかに疑問点として示しておられる。

支払われたお金と対価

なんかすげー抽象的な話になってきたと思っただろう。その通りなのだ

こういう文化に対するカネの投下と見返りなんてものは、解りやす物差しで測れるものではない。

から個人個人が気のすむまで、情報を整理して、それで納得してカネを支払って観覧するほかないと思っている。

考えるための材料は色々転がっている。

都美は指定管理者が入っていて公益財団法人東京都歴史文化財団だ。

展示(陳列)されるモノの向こう側

公益財団法人東京都歴史文化財団はどんなことをしているのか、ウェブサイトを見てみるといいだろう。

解りやすコラムからお堅い報告まで載っている。

ここの財団から展覧会の開催に当たっての資金や、それを企画運営する学芸員賃金が出ている。

https://www.rekibun.or.jp/

東京都美術館条例規則も見るとよい。ここでは使用料指定管理者に入るとある

なお入館料の規定は見えなかった。条例規則作ったやつはよくわかっていて、原則無料であるべきところに規則等で料金を設定しないように配慮したのだろう。

入館料は展示に応じて設定される。「必要な対価」を都度決める、という遵法の姿勢・工夫・配慮が見える。

https://www.tobikan.jp/outline/report.html

都美のウェブサイトには、東京都全然関係ない諸外国作品を展示する意義なんかも書かれている。


そして、歴史文化財団管理する他の施設に足を運んでみよう。庭園美術館個人的にお勧めだ。

料金高いとか、展示がしょぼい、とか。逆に、いい展示じゃん、とか昔来た時より良くなってるじゃん、とかまた来たい、とか思うかもしれない。

本来無料であるべきところだが維持管理にカネを払ってもいい、と思える仕組みを見つけられるかも。あるいは、逆かもしれない。

とにかく、設置主体運営がどうなのか。良いのか悪いのか、個人個人がそれぞれの足で稼いで納得するほかない。

他の運営主体場合でもそう。

まり何が言いたいかと言うと、どんどん博物館に行きましょう、運営がそれで良いのか、モノを見る延長線で眺めて行きましょう、ということだ。

運営がそれで良いのか、規模や設置趣旨にそぐわないか、一市民として観察していくべきということ。

おわりに

なお個人的にはニート全然無料でいいと思っている。

最近都会の展覧会はどんどん混み合うようになっている。伊藤若冲展あたりからひどいもんだ。

ムンク展も、目玉の展示作品の前はベルトコンベアみたいな感じでただ人々が作品の前を一定スピードで通りすぎていくだけ。

それでいいのか? と思っている。

メディアタイアップして、外国人観光客まで絡めて、そこまでしてガンガン人を入れるべきなのか正直わからない。

そこまで商売っ気だすならば、何らかの事情がある人の減免を強化するべきと思う。

なんか博物館から遠くなってしまう気がするけれども、ね。

2019-01-23

https://anond.hatelabo.jp/20190121113933

単にジャパニーズ男らしさはアメリカンマチズモと違って個人的属性じゃなく社会的立場を測る物差しからというだけの話なのでは?

そして今の世の中のマチズモは「男としてダメ」→「社会的存在としてダメ」っていう向きだけど、ジャパニーズ男らしさって逆で「社会的存在としてダメ」→「男としてダメ」っていう構造なのでは。

wikipediaによると「マチズモ」は

マッチョとは、男性もつという「強靱さ、逞しさ、勇敢さ、好戦性」といった性質を基礎とした思想信条、行動をあらわす言葉

ってあるのに対して、「男らしさ」は

第二次世界大戦後、高度成長期など

リーダーシップ判断力決断力、落ち着いていること

有言実行

主体性。転じて、たとえ女性配偶者に十分な財産収入があっても、男性が「養われる」のは男らしくないとする偏見がある。ヒモという蔑称男性に対してだけある。主夫に対する無理解も多い。

・(労働者の家庭では)汗をかいて体を動かすこと

・(父親学者の家庭などでは)学問や形而上の世界意識が向いていて、もっぱら頭脳を使い、論理理屈を優先する理知的な人柄で、あまり身体を動かさないこと、汗をかかないこと。(かわりに、もっぱら女性のほうが身体を使った活動を行い、そちらが「女らしい」)

否定的意味では、日本では次のようなことが(悪い意味で)「男っぽい」とか「男らしい」とされてきた。

・「鈍感(どんかん)」「ニブい」

・「喧嘩早い」「暴力的

・(男児男子生徒など、特に男同士でいる時など)自分が勇猛であると見せようとして、(無駄に)危険・無謀なことをする。(結果として、怪我が多かったり事故死する確率女児より高い。)

ってなってるし。

ジレットCMって見てないし関連騒動も知らないんだけど、CMについてざっくり検索して記事読んだら単に「暴力イジメ肯定するようなアメリカンマチズモは捨てよう、そんなの"男らしさ"じゃない」と言ってるだけに見える。

でも、それに関するアレコレを引いてきて

日本社会全体でいうと「男らしさ」を求められる度合いなんて既に相当低くない?

は否でしかないんじゃないかなあ。

ジャパニーズ男らしさ圧ってかなり高いと思うよ。というか、どうもジャパニーズ男らしさってのは「求められてる」っていうより「そこから外れたら人非人」みたいな基準として機能してる感があるんだよね。

具体的に考えると、例えば異性たる女が絡むと突然アホほど高くなる。婚活関係文脈露骨だね、「いいから男は初回デートははおごれ」みたいなアレが普通にまかり通ってるし。「個別の魅力を見てもらう前に社会的地位がある程度ないと、魅力ある異性として映らないぞ」みたいな妙に脅迫的な圧がある。

どうしてそうなったっていうと経緯的には日本が男社会から社会的重要ポスト(決定権があるとか金が儲かるとか)は男が占めて男が社会を回してきたからってことだと思う。

この日本では、少なくとも女よりも仕事バリバリやって金稼いで嫁さんもらって女子ども養うのが「標準的な男」で、そこから外れると「男として瑕疵あり(からの「瑕疵のある人間は救わなくてよし」コンボ)」ってな具合になりやすいように見えるんだよね。

このあいだやっと法律改正して強制性交等罪ができたよね。110年ぶりだってさ。

男性の育休取得率、2017年度は5.14%で過去最高なんだってさ。回答率は62%ちょいらしいよ。

結婚して苗字が変わる男の人は4%くらいらしいね

医者が不足してるって叫んでおきながら、現役男に下駄履かせて女と浪人生はこっそり落としてた医科大学あったよね。実はもっといっぱいあるっぽいんですけどね。

自殺する人比べてみたら、動機としては男女ともに健康問題がぶっちぎり1位なんだけど、男性の2位は経済問題で3位は勤務問題なんだって仕事で悩んで死んじゃうんだね、男性は。女性の2位は家庭問題、3位は五十歩百歩だけど経済問題かなあ?

こうしてざっくり見ると男らしさ欠如罪で「下に見られる」っていうのは軽いアレで、下手なコンボが決まると判決死刑みたいな展開が充分ありうるって思わん?

あとジョジョで男らしさに言及するんならナランチャの「男ってのはああいう人のために働くもんだ」を引用しろよな。


僕は体こそでっかいが、少女漫画おじさんだし(元は少女漫画少年だった)、甘いもん躊躇なく注文するし、独身だし、彼女いないし、動物全般好きだし、格闘技別にきじゃない、野球サッカーも見ないし、お酒宴会の時だけだし、煙草は吸わないし、ペーパーゴールドライバーだし。

この辺とかはマジで単なる「増田観測範囲問題だし。身体のでかい人間ケチ付けるベクトルで正面切ってモノ申すような外野ってものすごく限られてるよね、っていうやつでは。女だけ狙ってくるホーミングタックル男が新宿観測されてドン引きされてるけど、逆は「男 狙ってぶつかる」で検索しても出てこない程度にはレアみたいだし。

下ネタ振ってくる友達はいないっていうのも単にクラスタが違うだけ感がある。

きみ、ちょっといい大学行って職があって人前で酒が飲めてジムで体鍛えたりしてる程度には健康なんだろ?

既に充分「男らしい」じゃないか。だからから免れてるだけじゃん?

anond:20190123110125

sengokuが乱した平和って何?

中国様に尻尾ふって頭下げて貢物差し出す平和

2019-01-15

増田を拾った

 増田を拾った。

 とてもブサイクだった。いや、ブサイクという範疇には収まらない。美醜という物差しは使えない。もっとおぞましい何かだ。皮膚は茶色の粘液で覆われている。全身ぶよぶよだ。ぐじゅぐじゅでねちょねちょだ。下水で腐敗した死体臭いがする。おまけに髪も薄い。ハゲだ。手足はない。ガスが溜まっているのか、体の所々が不自然に膨らんでいる。目玉は今にも垂れ落ちそうである視線は虚空の蝶を追いかけている。大きく裂かれた割れ目がおそらく口であり、そこからは声ではなく、常軌を逸した臭いのガスが噴出される。小動物なら死に至るだろう。耳も鼻もなく落ち窪んでいる。その奥から得体の知れない狂気ときおり顔を覗かせる。

 むごたらしい肉塊である材料ケチって失敗した人体錬成のようであるしかし、これは偶然生まれるような増田ではない。明確な悪意がある。人類への憎悪であり、生への冒涜である

 一刻も早く、この増田処分しなくては。

 びぶりゅりゅう、増田が尻から茶緑のジェル状汚物吹き出した。

2019-01-12

ブギーポップは口笛を吹かない」あるいは「木村明雄の消失

アニメブギーポップは笑わない」1〜3話および原作ライトノベルブギーポップは笑わない』の内容に触れています

TVアニメブギーポップは笑わない」が放送中だ。ほぼ20年前にスタートしたラノベ原作であり、アニメ自体は二作目だが、原作の内容に沿ったアニメ化は今回が初めてとなる。

さて、そんなアニメブギーポップの「ブギーポップは笑わない」(原作シリーズ一作目)編が、最新の第三話で完結となった。平均的なラノベアニメ化としては、原作1巻を3話で消化というのは、極端に速いペースというわけでもない。それでも、もともとが5話で構成された原作を3話に再構成する上で、大小さまざまな省略・変更が発生することは避けられなかった。

そのうち、特に目についた二つの変更点について、思うところを少し書いてみる。

「君と星空を」&木村明雄

上で述べたように、原作ブギーポップは笑わない』は5つのエピソード構成された物語となっている。一話にそれぞれ主人公視点人物)が設定されており、一つの事件複数人間の目から見ることで立体的な世界が立ち上がってくる、といったような、今となっては(当時でも?)さほど珍しくはない仕掛けだ。

原作構成及び各話の主人公はこうなっている。

ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム


これがアニメでは、

ねこういう形に変換されている。話数単位で大雑把に見れば、各パートの分量はともかく原作の流れを大枠では引き継いだ構成と言えるだろう。

ただひとつ原作第四話がその主人公存在ごと抜け落ちている点を除いて。

原作第四話は、木村明雄という男子高校卒業後(事件から二年後)に、当時「失踪」した紙木城直子と過ごした日々のことを回想する、という内容になっている。

木村は、紙木城の交際相手の一人(アニメでははっきりと描かれないが原作の紙木城は木村田中を含めて複数の男と付き合っている)であり、事件にはあくま彼女を通して間接的にしか関与していない。紙木城から保護したエコーズについての話も聞くことになるが、何かのたとえ話だとばかり思っていた。

紙木城の失踪後、色々あったもの普通高校卒業普通大学生として普通生活していた彼の元に一通の手紙が届くことで高校時代記憶が蘇り……という、1話竹田と同じかそれ以上に青春小説的な色合いが濃く、いわゆる「一般人」の目線から見た章となっている。

アニメ化にあたって、章はともかく仮にも原作主人公の一人を丸ごとカットするのはあまり乱暴に思えるが、ここには一応それなりに納得できる理由がある。

第一に、事件の真の姿あるいはその存在すら知らないまま全てが終わってしまっていた、という木村明雄の立場は、程度の違いこそあれ竹田啓司(一話)や末真和子(二話)と重複している。一人一人に見える現実には限りがあるというテーマを示すためには、この二話だけで既に必要最低限のノルマは達成していると言えなくもない。

第二に、竹田と末真は以後の巻でも登場している(末真は準レギュラーに近い)が、二人と違って木村明雄は今のところ少なくともブギーポップシリーズ内では再登場しておらず、カットしても今後の展開に特に影響がない。

第三。エコーズの素性に関する情報は、原作では第四話で木村が紙木城から話を聞くという形で最初に明かされる。物語の本筋との関係においては四話の存在価値と言ってもよい部分だが、アニメでは2話後半、紙木城と凪の会話でほぼ同じ内容が補完されている。これは、原作でもそのようなやり取りがあったと事件後に凪の口から語られていたものであり(木村自分にだけ話してくれたと思い込んでいたが)、オリジナル展開というより変則的原作再現に近い。木村カットしてもそういう軽度の改変で済む部分なのだ

驚くべきことに原作『笑わない』には、凪と紙木城が親友であるという情報こそあるが、二人が直接会話するシーンは存在しない。にもかかわらず、読者にはちゃん彼女らが親友同士に感じられていたというのは小説マジックというほかないが、ともあれ、今アニメで凪と紙木城の会話が追加されたこ自体ファンにとって喜ばしくさえある。

これらの理由から、『笑わない』をTVアニメ3話分に収めるために章と主人公をどうしても一つ削らなければならないとすれば、やはり第四話と木村妥当ということになるだろう。アニメスタッフ判断は間違っていない。

間違ってはいないのだが。

口笛

原作において、ブギーポップというキャラクターはいくつかの記号によって構成されている(もちろんその全てが記号還元され得るというわけではない)

都市伝説死神世界の敵の敵、黒い帽子と黒いマントと黒いルージュ、ワイヤー、そして口笛。

ブギーポップは、常にというわけではないが誰かの前に姿を現す時、特に世界の敵と向かい合う瞬間には、なぜか「ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲を口笛で吹きながら登場する、ということになっている。

過去メディア展開でも、多くの場合はこの口笛が再現されてきた。

実写映画はあらすじの時点で「口笛を吹く死神」と紹介されているし、旧アニメファントム)ではブギーポップ登場時の口笛はもちろん、次回予告のBGMとしてオリジナルアレンジマイスタージンガーが毎回使われ、最終回ではテルミンバージョン???)すら流れるという充実ぶり。

メインの使用キャラクターではなくサポートキャラとしての出演に過ぎない、格闘ゲーム電撃文庫 FIGHTING CLIMAX」でさえ、ブギーポップはやはり口笛を吹いて登場している(実際にプレイしているわけではないので又聞きだが、そのせいで攻撃判定の発生が遅いとかなんとか)

このように、「マイスタージンガー」「口笛」はこれまで原作の内外で、ブギーポップというキャラクター作品象徴する、代名詞と言ってもいい扱いをされてきた。

原作『笑わない』では、ブギーポップは二度口笛を吹いている。一度目は、一話の竹田屋上で会話をしている時。

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

ブギーポップが口笛を吹き始めた。明るく、アップテンポな曲で、しかも呼吸に緩急があってすっごく上手だったが、しかし口笛なので、やっぱりそれはどこか寂しげだった。

 そして、藤花は口笛が吹けないことを思い出した。

うまいんだな。なんて曲だい?」

「〝ニュルンベルクのマイスタージンガー第一幕への前奏曲さ」

「なんだいそれ」

ワーグナーって大昔のやかましロマンチストがつくった、一番派手な曲だよ」

二度目は五話終盤、早乙女を失って荒れ狂うマンティコアに追われる新刻の前に姿を現す時。

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

 恐怖のあまり、私はついにおかしくなった、と思った。

 幻聴が聞こえだしたのだ。

 現実にはあり得ないほど不自然な曲が、目の前の並木の植え込みから聞こえてきたのだ。

 それは口笛であった。

 しかも、口笛にはまるで似合わない曲、ワーグナーの〝ニュルンベルクのマイスタージンガーなのだった。

いずれも、古くからの読者には印象深いシーンだろう。

しかし、今アニメの「笑わない」編ではこれらの口笛演奏存在しない。ブギーポップは、一度も口笛を吹かなかったのだ。

これも木村同様に尺の都合なのだろうか?

マイスタージンガーといえば、あの、ふぁーふぁーふぁふぁーという力強いイントロが印象的な曲だ。口笛でいうと、ぴーひょーろろーとなる。最低限この、ぴーひょーろろーさえ吹いてくれれば、少なくとも原作読者には「あの口笛」だと一発で分かるし、初見視聴者にも、ブギーポップというのは口笛を吹くキャラらしいということだけはなんとなく伝わっていただろう。

前回のアニメや電撃FC使用された口笛バージョンマイスタージンガーで、ぴーひょーろろーの部分の所要時間確認してみると、せいぜい2〜3秒というところだった。2、3秒。もちろん1秒24コマで動くアニメ世界での2、3秒は、日常的な感覚のそれよりも遥かに長い時間ではあるのだろう。だが本当に、今回のアニメ「笑わない」編は、ぴーひょーろろーを挿入するだけの余裕が一切存在しないほどに緊密な内容だったのだろうか。

どうしても時間が足りないなら、いっそセリフを喋りながら同時に口笛を吹かせてもよかったのではないかブギーポップというのは、そのぐらいの物理法則を超えた無茶も読者視聴者笑って許してもらえるような、良くも悪くも異質なキャラだったはずなのだが。口笛のためにそこまで冒険するほどの価値はない、と判断されたのか。

これが、今回のアニメではブギーポップは口笛を吹かない存在として設定されているということなのか、それともあくまで「笑わない」編だけの変更なのかはまだ分からない。次回からの「VSイマジネーター」編ではしれっとぴーひょろ吹き始めたりする可能性もある。しかし仮にそうなるとしても、「笑わない」で口笛を吹かなかったという事実は、もはや取り返しがつかないのだ。

原作未読者の中には、口笛が無いとなにか物語の展開に支障が出るのか?という疑問を持った人もいるかもしれない。たしかに、どうしても口笛が無ければ成立しないという場面は、原作にもほとんどない。もちろん口笛自体に、特殊振動波か何かで敵の脳に直接揺さぶりをかける、などという実用的な効果存在するわけもない。はっきり言ってしまえば、口笛は基本的雰囲気づくりの賑やかしでしかないということになる。

その意味では、削る必要はないが削ったところでどうということはない要素だったのだ、とも言える。

言えるのだが。

昔語り+α

ここで唐突に昔の話をする。

ブギーポップがちょうど一度目のアニメ化や実写映画化をしていた頃のこと。とある個人サイトにて、「実写映画になるっていうから読んでみたけど単なる化け物退治の話だった」というような『笑わない』の感想を見かけた。当時の自分シリーズ純粋ファンだったので、そのあまりにも大雑把なまとめ方に、大雑把にまとめてんじゃねーわよ!と素朴に憤慨したものだ。

しかし、今にして思えばあの感想示唆である複数視点による眩惑を取り払った一本の話として『笑わない』の本筋だけを眺めてみれば、それはたしかに「単なる化け物退治」の話でしかないのだ。

では、自分を含めた多くの読者に『笑わない』を「単なる化け物退治」ではないと感じさせた、「本筋」以外の部分とはなんだったのか。それは、自分の進路について語る竹田とそれを半ば無責任肯定してくれるブギーポップであり、

第一話 浪漫の騎士 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「へえ、君は受験しないのかい

「うん。親父の知り合いでデザイン事務所をやってる人がいて、ずっとバイトしてたんだけど、その人が〝おまえは見込みがある。センスを感じる〟とか褒めてくれてさ、大学なんか行かずに俺のところに来いって言うんで」

「すごいじゃないか親方に見込まれ職人ってヤツだな」

“対決”を望んで走る末真であり、

第二話 炎の魔女、帰る 3 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

(そうよ──中途半端はもううんざりよ!)

 霧間凪はほんとうに魔女なのかも知れない。でも、それこそ望むところだった。

「No One Lives Forever」を口ずさむ早乙女であり、

第三話 世に永遠に生くる者なし 5 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

「……誰も、誰も、誰も、誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も………」

新刻の意志の強さを賞賛するブギーポップであり、

第五話 ハートブレイカー 4 - ブギーポップは笑わない/上遠野浩平(電撃文庫) - カクヨム

しかし、新刻敬──君の意志の強さは見事だ。君のような人がいるから、世界はかろうじてマシなレベルを保っている。世界に代わって感謝するよ」

そして、木村であり口笛であり、そういった一見取るに足りない枝葉こそが作品の印象を形成していたのではないか

枝葉とは言うものの、ひたすら枝と葉を切り落として純化していった先にあるのは、ただ一本の幹だけがまっすぐ天を突く寒々しい樹の姿だ。口笛や木村が本筋に不必要だというなら、ブギーポップあんな格好をしている必要別にない。『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし、この巻に限って言えばブギーポップだって無くても成立しそうな内容だ(シリーズ全体で見てもブギーポップ世界設定の中で異物として浮き続けていている)。必要不要物差し物語を測れば究極的には、そもそもアニメ化する“必要”とは……?原作が書かれる“必要”はあったのか……?という不毛なところにまで踏み込みかねない。

ブギーポップというシリーズは、ことに『笑わない』は、この「剪定」の影響を大きく受けやす作品であるように思う。本筋に関わらない細部が、作品本質とは思いがけなく深く結びついてるかもしれない、という面倒くささがある。アニメ側にとっては、原作の味を再現するためにどこを切ってどこを残すべきなのか、という判断が非常に難しい題材だったのではないか

いや、ブギーポップに限らずどんな作品であっても、ファンアニメ化や映画化などのメディア展開のたびに、アレがないと○○本来の良さが失われてしまう!と感じてはいるのだろうけど。

まとめ

木村明雄の省略に関しては、大きな変更ではあるし非常に残念ではあるが、三話という尺を考えれば致し方ない(そもそも『笑わない』を三話でというタイト過ぎる構成の是非はともかく)

口笛に関しては、小さい部分かもしれないが逆にそんな小さいところを敢えて削る意味が分からないし、監督でもシリーズ構成でもプロデューサーでもいいので早めに誰かに何らかの説明をしてもらいたい。

ということになる。

原作から変えること自体は、いい。メディアの違いに加えて、予算時間など様々な制約もある以上、どうしたって変えざるを得ないところは出てくるだろう。だが、その変更に意図というか大げさに言うと「思想」があまり感じられないのはちょっと困る。原作から変えてまで実現したかたこととは何なのか。

前回のアニメ、「ブギーポップは笑わない Boogiepop Phantom」は、初アニメ化にもかかわらず『笑わない』のオリジナル後日談という暴挙とすら言える内容となっており、それだけにとどまらず「霧間凪一人称が『オレ』じゃない」など、原作からの変更点がいくつか存在した。当然、原作ファンから評価も当時はあまり良くないものが多かった。

しかし、ファントムというアニメからは、これが作りたい、こうした方が面白いはずだ、という意志は強く感じられた。原作からの変更点自体に納得できるかどうかはともかく、そういう姿勢を打ち出されればこちらも、へぇ……あなた達はこういう画面も話も異常に暗いアニメがカッコイイと思ってるんだ?「オレ」女はリアルじゃないって?へーえええええ……?と正面から受けて立つことができるというものだ(こめかみに血管浮き上がらせつつ)

今のところ、今回のアニメブギーポップは、原作読者の目から見ても決して悪い出来ではない。悪くはないのだが、どうも、どこに芯があるのか分かりにくいアニメ化となっているように見える。

公式が「アクションファンタジー」と銘打っているということは、「笑わない」編では終盤に集中して存在する程度だったアクション部分が徐々に増えていく、これからエピソードが本番ということなのかもしれない。たしかに、最初に公開されたPVでもアクション描写はひときわ光っていた。

次の4話からは、原作では上下巻の大がかりなエピソード「VSイマジネーター」編が始まる。そこでは、このアニメと思いきりVSできることを願っている。

追記

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女が存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報? - maturiのコメント / はてなブックマーク

”『笑わない』のプロトタイプとなる作品には早乙女存在していなかったともいうし” へえ  それどこ情報

電子版『笑わない』新規書き下ろし「後書き」。プロト版のタイトルは、「エコーズ──人喰いの谺」だって

2019-01-10

シストランス

初めて匿名を書く。私はフェミニズムの基本理念には賛同するがフェミニストではない、のでフェミニストじゃないやつの文章なんかまず読みたくねーよ!という方々はブラウザバックをお願いします。

1.トランス女性は「女性」です

そもそも私はツイッターフェミ界隈を見ているだけの一般人なので、年末年始から騒がしい「MtFが女湯・女性更衣室・女性トイレetcに入っても良いか」論争についてイマイチ良く分かってない。

全部を話すことは難しいため、トイレ論争にのみ絞って書こうと思う。温泉は入らなきゃ死ぬってものでもないので、生理的なやつから

1-1.my idea

私の考えは「今まで通りでいいのでは?誰でも入れるトイレを増やすのは急務だと思うけど」という考えである。今まで通りというのは、それぞれの良心に任せる、というやつ。シス女性(この呼び方が正しいか正しくないかは置いといて、議論やすいのでこう呼ぶ)、パス度が高いと自分で思うMtFくらいが女性トイレのメインの利用者になるのではなかろうか。パス度の問題外野から言われるのは嫌だろうと重々承知だが、MtFの方が「私は女性トイレに入れるだろう・入っていこう」と決めたとしたらその時点でかなりのパス度なのではないかと思う。パス度が高くないと女性トイレに入るなという話ではなく、自分がどう見えるか特段に気にしている人が、女性トイレを使おうと思えるならもうその時点でパス度は高いと思うのである。(私も人から目線でとても悩んだ時期があるので、多分その辺当事者の方は慎重だと推測する。)

良心に任せたトイレの使い方(分け方?)のメリットデメリットについて書く。

メリット良心で成り立っているため、「良心でない、即ち盗撮犯や性犯罪者」を排除する名目になる。

デメリット:明確でない。個人物差しで測ることになってしまう。「私は女性トイレに入っても良いのか」とMtFの方が悩む原因となり得る。

1-2.セルフIDによるトイレの分け方

性自認による分け方でトイレを分ける;つまりMtFならばホルモン治療やオペをしなくとも自認が女だと言えば女性トイレに入ってよいという案がある。果たしてそう明文化して、実際未ホル・未オペの方が入ってくるかは「うーーーーーん?」というところだ。理由は1-1で書いた、人目を気にする方が「許可されたから〜!」とノリノリで入ってくるとは思えないし…入ってきてもらっても全然いいですけどね。

さてこちらもメリットデメリットを。

デメリット:「心は女だから〜」と言ってシス男性が入ってくる可能性(詳しくは後で記述する)

何故メリットを書かなかったのか。書けなかったのである

セルフIDによる分け方のメリットはあるだろうか。勿論ある、トランス尊厳だ。何人たりと踏み付けることはできない尊厳

しかし、メリットを書こうとして、「MtFの方が安心して使える」ー果たしてそうなのか。私はトランスではないので分からないし、トランスの知り合いがいない、確かめる術がない。だが私はこう思う:本当にトランスの方が「安心して」トイレを使えるか?MtFの方なら「男に見えないだろうか」などと思わなくなるのだろうか?分からない、分からないのでメリットには書かなかった。ただ、尊厳は踏みつける意図はない、トランスの方でセルフIDによる分け方のメリットデメリットを教えてくれる方がいたら教えてほしい。

1-3.争い

ツイッターフェミ垢はちょっと覗くといった程度なので、誰と誰がこの考えで、それに対立してるのが〜とかさっぱりワケワカメなので(ネタが古い)、私の観測内の話。

①上に述べた「トイレ利用についての分類方法」論争

トランス女性へのヘイトをするな論争

が大まかな争いだと思う。

まず言っておかねばならないと思うが、②に関しては普通に「そりゃそうよ」という話なのだ。①の論争のどちら側に居ようと、ヘイトはいかんのですよ。「トランス女性は女じゃない」「男体」とか言うのはいかんわけ。それは①のどちら側とか関係ないのよね。ただ、②の論争が収束していかない原因として

ヘイトとは思えない文脈に対してもヘイトだと言い、話し合いが出来ない

・「セルフIDによりトイレを使えるべきだ」派の人のうち、「セルフIDによる分類はどうかと思う」派はトランス差別から言っているのだと勘違いしている人がいる

の2つの理由があると思う。

①と②を分けて話さないと、議論収束しない。何でもかんでも「ヘイトだ」と言われれば、口を塞がれていると感じる人も多く出てくるはずだ。

さて本題の①の話。

私が今まで通りの良心によるトイレ利用を推す理由としては、やはり「良心でないもの」の存在が大きい。後述すると言った「自認が女だと言い張るシス男性存在である

これが、シス女だろうとトランス女だろうと関係なく脅威なのは共通認識でいいだろうか?盗撮なんかされたらひとたまりもないだろうよ、これはシストランス関係ないはず。

現実にあり得るのか?という話だが、更衣室やトイレ温泉やらの盗撮被害というのはもう聞き慣れてしまうほどある。某国で「女性トイレの壁に沢山の穴があった、幼い頃から工事などの跡だろうと思っていた、それは盗撮のためのものだったー男性トイレに穴はなかった」という話がある。

もしセルフIDによる分け方でトイレに入っていいとなれば、盗撮犯が堂々と女性トイレに入り込み、ギョッとされても「心が女なので〜」と言えば誰も通報することができず、その男(女装しているのかもしれない)が入っていったのを見た女性は「なんか嫌だからこのトイレ使わないでおこう」が出来るが、数分後その男が個室に隠れるなりカメラを仕掛けるなりした後のトイレに入った女はまんまとその盗撮の餌食になるのでは?????というのを私は危惧している。

盗撮は今もあるし、当たり前に許されない犯罪なのだが、不安なのは通報ができない」というこの一点なのだ

勘違いが多いのもこの点のような気がしているので念入りに言う、「トランス女性が怖いんじゃない。ギョッとした時に、犯罪が起きるかもしれない時に、『差別だ』と言われるのを恐れて周りに言えないことが恐怖なんだ」と。

この文章トイレ問題をメインにすると言ったが、これは温泉しろ更衣室にしろ同じことだと私は思う。犯罪が起きるかもしれない時に周りに言えないこと が恐怖なのだ、ということが最も伝わって欲しくて、かつ最も伝わっていないことだと思う。

1-4.Trans women are women.

これを和訳すると「トランス女性女性です」となり、この文章の題にもなる。ふむ。そうなんだけどそうじゃない感がすごい。この文章違和感を書いていく。

まずこの和訳暴力的すぎる。その通りなんだけどそうじゃねえよ…と、この文面を見る度に呟いてしまう。うん、トランス女性(即ちMtF)はwomenだよ、でも「女性」は暴力的でしょ、ちゃん英語に謝って。

検診の尿検査の時、あのスポイトみたいなやつにFかMかチェックをつけるじゃないですか?female or maleって意味female女性male男性。ではwomenとmenは??womenは女性、menは男性。そう、英語では折角区別される単語日本語では区別されていないのだ。

female/male生物学的なものに、women/menは人間に対して使う、という分け方かな。sexgenderと言えば分かりやすいかもしれない。gender社会的性別というやつだ。

まり、"Trans women are women."という文の本意は「トランス女性に対して『体が男』と言ったり、故意性別を間違うようなことを言ったり、差別的な行為を許さない」というところではなかろうか。最近ツイッター界で使われる「トランス女性は未ホル・未オペでも女性専用スペースを使える」という文脈はかなり疑問に感じる。それだと"Trans women are females."となってしまうのだ。

あと、「トランス女性性器確認させろというのか?!」という話についてだが、誰がそんなこと言ったんだ。タックしてたら分からんだろ、それこそち○こ股に挟んでちっすだわ(暴言)。「トランス女性女性です」の「女性」という定義があまりあやふやからどうするの、femaleなら生物学的な分け方だから性器になるんじゃない?というやつじゃないのか?知らんけど。

1-5.まとめ

トランス尊厳を守らねばならない、と思う。言い砕くと、ビクビクしながらトイレに入らねばならないような状況はいかんと思うのだ。しかしそれが、セルフIDによるトイレ許可で達成されるのか?本当に?倫理的教育必要なんじゃない?セルフIDあかんという話ではない。達成目標を「自認によるトイレ温泉更衣室の利用」に置くのは大切だが、それは先に推し進めることではないはずだ、同時に他のこともせなあかんはず。

2.LGBT差別解消法案

まり長く語るつもりはない。

ええと思う。この国の歴史で強い差別が解消される時、法改正法制定が大きなターニングポイントとなっているから。雇用教育機関での不当な差別を許さないと、法律で決めさえすればそれはマイノリティにとっての武器になる。正しく使われていくことを願うばかり。

3.フェミニズム

私がフェミニストではないと最初に言った理由は、ただ単純に日本フェミニズムに疑問があるからであるそもそも日本ってフェミニズムを受け入れる段階ですらない気がしてる。男女不平等を甘んじて受けろという意味ではなく、男女差が大きすぎるからフェミニズムは早すぎない?と思うのだ。

海外諸国のように有名人社会的発言ができないこの国で、リーダーフラッグシップ的な役割がいないこの状況で。一人一派なんてやってたらそりゃバラバラになるじゃんって。

大体男女差別だけじゃない、この国には差別が残りすぎている。精神疾患差別障害者差別外国人差別職業差別、、、女で精神疾患もちの私は今までしなくていい苦労をたくさんしてきた。マイノリティであるが故の、マイノリティ理解しようとしない社会にいるが故の苦労を、もう他の人にしてほしくない。

トランスの方は遠くの精神科に通っている、大変だ、という文を見つけて悲しい気持ちに浸る。私だって。私だって未成年のうちから精神科だけで年間10万を超える出費、高速道路で行かねばならない距離精神科まで2週間に1回通ってるわ、県外まで行ってるわ。精神科に通わないとまともな生活が送れない私は、簡単保険にも入れない(持病の人でも入れるやつなら入れるけどさ)。

まれるのは慣れている、踏まれた時に感情的になるのはすごく分かる、でも何でもかんでもヘイトだと叫ぶのは…

4.トランス女性が亡くなった話

本当か嘘かという野暮な議論はするつもりがない。もし誰も亡くなってなかったのだとしても、亡くなったという文章を書かせるほど精神的に追い詰められたということだから

その上で、「こちらでは死者が出た、お前らのヘイトのせいだ!」と各方面に言うのは違うということを言いたい。まず、どの陣営に居ようがどの思想だろうが、ヘイトあかんよという大前提を思い出して欲しい。そしてそのヘイトを、ある主張の全員がしていたわけではないことも。

違う話題の時にヘイトをしたくせにと詰るのも違う、詰りたかったら@をつけるなと言いたい。議論が追いにくいのだ。

4-1.人の死をもって、生きる人の口を塞ぐな

人の死をもって一貫した文脈で人の口を塞ぐのは良い。でも違う、今ツイッターで見るのは「人の死をもって、話し合いを拒絶する」だと思う。

「友人のトランス女性が亡くなった」のブログ理由に怒るフェミニスト達、彼女たちは素晴らしいと思う。実際に私はツイッタートランス女性へのヘイトを見ていないため(何度も言うがあまりツイッターを見ていない)、どれ程のものだったのか私には分からない。怒れる彼女達はそのヘイトを見ていたのだと思う。

私がその怒れる彼女たちを見て思ったことは一つ;「私が死んだら私の意見は通るの?」

私が死んだら、私がもし「セルフIDで分けるなんて、怖くて生きていけない!」と言って死んだら、どうなるのだろう。

※そんなことは全く思いもしていないが例えである

冷酷なことを言うが人は死ぬ10年以上自殺未遂自傷ODを繰り返してきた私が断言する、人間死ぬ。いとも簡単に。

ヘイトで亡くなってしまった女性がいるように。口を塞がれて死ぬ女性もいる。

もし私がツイッターランドでそこそこ有名なアカウントで、「ヘイトだ」「お前のせいでトランス女性が死んだ」だなんて言われ続けたら、あと半年前なら、多分死んでたと思う。自死を選ぶ。半年前までの私ならいとも簡単に死んでいた。

死ぬ死ぬ発言脅迫からしたくないけど、そちらも同じことをしていないか?少しゆっくりと考えてみてほしい。

4-2.どれがヘイトに値したのか

genderという意味MtFの方に男だと言ったのならばそれはヘイトだと思う。それはいけないこと。

だが、sexgenderを分けていない(ように見える)ツイッターランドで、なんかもうそ議論まだ続けるの?って呆れてしまっている自分がいるのも確かだ。

折角英語使えるんだから使ってこーよ!male, female,men,womenってさ。sex, genderとかさ。

Trans women are women.だよ。male, femaleという面での議論差別だというなら、議論が成り立たない。世の中には差別だと感じても議論をしなければ永久平行線なことがある。

お互いに自分の方が弱者で、相手強者だと思い込んではいいか。本当にそうなのか。どっちがどれだけ傷付いた、というのは議論になり得ない。ということをここに記しておく。

5.最後

思っていた100倍量書いた。自分が驚いている。こんなとこまで読む人はまあいねーな。いいんだ自己満から

アメリカ国籍の友人とこの間話したこと最後に書く、「日本フェミニスト感情的すぎだよ、伝わらない」

そうかもしれない。踏まれすぎて、怒ることを抑圧されすぎて、怒り方を知らないのかもしれない。

まともなジャーナリズム機能しない国で、差別蔓延り誰に踏まれたのか 何回踏まれたのかわからないこの国で、フェミニズム否定されるこの国で、私は生きていく。弱者として生きていく。

2019-01-09

anond:20190109103225

ゴディバの贈り物は重いって書いてあるだろ?そういう価値観で生きてる女の子なんだよ。自分物差しで考えるから意味からないんでしょ。

2018-12-20

無意識プライドに縛られている

無意識のうちに自分プライド支配されて大事な時にうまく振る舞えなくて全く思いもよらない進路を進む羽目になってる先輩がいる

先生より学生の方が立場的には上なんだし、自分学生という身分である以上はちょっとくらい相手の思うツボになるくらいが丁度いいのだなと彼の自分語りを聞いていると強く感じられる

というか、自分相手の思うツボになりたくないと思う根源にはプライドが高いというのが強く関わっているように思われる

彼が超進学校出身にも関わらず国立底辺レベル私たち大学に進級したため、せめて″同級生面白がられるような″就職先を選んだ、という話を聞いて

自分の将来を他人から評価物差しにして決めるなんてことはしたくないなと思った

そのために邪魔になるようなプライドがもし私にあったらきちんと捨てる勇気もないといけないな、とも感じた

とはいえ、きっと彼も自分プライドの高い人間だなんて自覚してないだろう

無意識プライドに気づけられるような客観的視点を持てるようにならなければ

2018-12-12

「好き」の物差しがほしい(それか諦めたい)

「好き」でいることが疲れる。

正確には、「好き」を表すことが疲れる。

好きだけど、金落としたりイベント行ったりは面倒。

それどころか、アニメさえ全部観てない。

感想も書かない。ただ見て、「好き」と呟くだけ。

金払わなくても、時間を費さなくても「ファン」と言えるだろうか。

もちろん言わないんだろうな。

これは多分ただの消費でしかないことも理解している。

誰か、すっぱりとこの「好き」を否定してくれ。

それで諦められたら、どんなにいいだろう。

でも、誰かに「○○って好き?」と訊かれたら、頷いてしまうんだろうな。

自分には「好き」と名乗る資格はなくても。

2018-12-07

anond:20181207115110

審査員Aは、90~95 の6段階評価をするので、上位と最下位に与える差は5点差しかない。

審査員Bは、0~90点の10点差毎の10段階評価するので、上位と最下位に与える差は90点差になる。

AとBは物差しが同じじゃなくてバラバラからこそバランスが取れてるよね!と思うのは大間違いで、

事実上審査員Bに気に入られた人が最も有利になってしまう。


何を評価するか?の物差しバラバラで良いけど、それが点数に与える影響は統一しないと不公平感を産む。

今回のM-1のあれこれ見てると

M-1審査員

基準統一しないと公平じゃないよ派

バラバラからこそバランスとれてるよ派

に分かれてる感じなんだね

上沼恵美子松本人志物差しが同じじゃないから良くないみたいな意見を見て、

自分はどっちかというと下の考え方なんだなと気づいた

[]

今回は雑感

同じようで同じではない

マンガクロスなどで読める『瞳ちゃんは人見知り』と、やらわかスピリッツなどで読める『シャーク彼女領域』ってのが表面上は似ている漫画なんだよね。

いわゆるヒロイン観察型マンガで、どちらのヒロイン威圧的風貌のせいで周りから距離を置かれていて、学校では浮いている存在。それを語り手である男の子を通じて「第一印象はアレだけど、意外と魅力的な子だよ」ってのを描くわけ。

そんな感じでコンプセトや舞台設定は同じなわけだけれども、それぞれキャラの描き方(魅せ方)って点では全然違う漫画

『瞳ちゃんは人見知り』は、まあタイトル通り瞳というキャラがメイン。

高身長で、怖い目つき、タイトル通り人見知り気味の転校生

とはいえ人見知り気味ではあれど口下手ってわけでもなく、授業態はいたってマジメ。

第一印象相手を萎縮こそさせるものの、転校先の慣れない環境下でも上手くやっていきたいという彼女の健気さに周りがほだされていく感じ。

まあ全体的にオーソドックスヒロイン観察型漫画だと思う。

そして、『シャーク彼女領域』のヒロインである鮫島も、高身長かつ怖い目つきで周りを遠ざけている。

ただ、こちらは人格もほぼ見た目どおりで、口調は荒く、制服は皆と違うデザインのものを着て、学校では授業中含めて堂々と居眠りをしてばっかりという不良。

ヒロイン観察役の男の子が「怖いとかじゃなくあいつ(鮫島)とは合わない」と言っている場面があるけれども、個人的には本作の象徴的なセリフだと思う。

彼女が周りから避けられているのは見た目が威圧的だとか以上に、そもそもレイヤーからして違うせいだと説明しているわけ。

けれども、タイトルにもなっている鮫島の“領域”を知ることで、彼女なりの価値観があり、魅力というものがあるってことを見出していく感じ。

表面上は似たような型でも、色々と魅せ方はあるんだなあと改めて認識した。

比較したら損するのに、比較せざるを得ない

私としては作品って比較してナンボだと思うんだよね。個人好き嫌いがあるとはいえ、それにしたって各々の中で“基準”はあるわけで。絶対的評価ってのもそりゃあるだろうけれども、個人価値観が出やすい話において相対的評価ってのは基本だと思う。その評価スタイルだとヘイトを貯めやすい人がいて、その人たちと衝突するのが面倒だから、各々の物差しとなった作品を明言しないだけで。

「何が嫌いかより 何が好きかで 自分を語れよ」みたいな漫画セリフがあるけれども、何が好きかで語ることが何が嫌いかで語ることより良いなんてことは絶対にないと思う。どちらの評価スタイルも同様に価値がある。

というか、あのセリフ元ネタとなった漫画ってワンピース劣化酷評され、すぐ打ち切りになった(いずれにしろ評価されなかった)作品であることは踏まえておくべきだし。

そんなわけで、私は打ち切り作品の名台詞を気にせず比較していくわけだけれども、「比較されなければもう少し好意的評価ができたかも」って作品があること自体否定できないんだよね。

例えば最近だと、ガンガンオンラインとかで読める『我が驍勇にふるえよ天地 ―アレクシス帝国興隆記―』と、『織田信長という謎の職業魔法剣士よりチートだったので、王国を作ることにしました』という戦記モノ。

アレクシス帝国興隆記』は割と骨太な戦記モノで、山賊すらそれなりに戦略を考えて立ち回っているところとか、ちょっと感心した。

そして『織田信長という謎の職業』は、まあタイトルの時点で“どういうタイプ作品か”ってのは分かりきってはいるんだけど、同じサイトで同時期に公開されている戦記モノだからどうしても比較ちゃうファンタジー世界職業が「織田信長」って時点で馬鹿げているから、細かいこと突っ込むもんじゃないのは分かってはいるんだけれども。

主人公がその職業を初めて活用するのが『“単騎で戦うとすごく強くなる能力”を使ってピンチを脱する』というものから「他にもっとあるだろ!」と思わざるを得なくて。その後も史実からつまんできただけのことをやって、それで万事上手くいったって展開は陳腐すぎる。織田信長って要素自体、これまでの創作で長年こすり倒されてきたわけで、そのご時世にこれってのはキツい。

けれども私が『アレクシス帝国興隆記』を読まず、『織田信長という謎の職業』だけ読んでいたらスナックを食べる感覚で楽しんでたと思うんだよね。「『アレクシス帝国興隆記』はマジメに戦記モノ書いているのに、こっちは織田信長物語翻案したものファンタジーで塗りつぶしただけじゃないか」って思ってしまったが故の悲劇比較しなければ楽しめるものさえ比較してしまうのは困りものだなあ。

……といった具合に、まとまりのないまま今回の感想は終わり。

最近ツイッターとかで感想書いているので今後もたまにしか書かないと思う。

anond:20181207022807

善悪イデオロギーで決まる。おまえはこれを理解していない。

法で罰するほど悪とは思えない、という一文からそれがわかる。

法は経済社会秩序のために存在していて、今のところ国が存続できている程度にはよくできた仕組みなんだよ。善悪を定めるものではない。

そもそも、全宇宙で唯一つの全く完璧善悪物差しなどない。

おまえ個人イデオロギー、ここでは「命は平等思想」とでも言おうか。それを全面的採用したとして、社会経済、国、秩序、公益になんの得があるか考えたのか?

2018-12-06

anond:20181206182605

「まともじゃない」っていうのは他者生活を覗きこんでみて自身生活比較してみてのことだよな。

こう考えてみるのはどうだ? 「他者」はこの世界存在しない。世界には増田しかいない。ならば自分生活は「まともかどうか」という物差しで測る必要は無くなる。どうせ何をどう努力したところで増田生活は上位50%に入ることは出来ないんだ。ならばその相対化しがちな考え方を捨てればいいんだよ。

それが増田にとって一番楽なことだろ。

2018-12-05

松っちゃんキメェ

点数のつけ方も、隣の松本人志さんとズレがあり、芸人が“神”と崇める松本さんと別の物差しを持っていることは、悪い印象を与えますさらに、松本さんが10組中6番目の88点と悪く評したミキに98点をつけた上沼さんは、結局、贔屓をしているだけであり、審査員として不適当というのが、ほとんどの芸人判断です。

https://www.google.co.jp/amp/s/biz-journal.jp/i/amp/2018/12/post_25778.html

松っちゃんと別の物差しで点をつけるのが審査員として不適当なら松っちゃん一人で審査員したらいい

これを本気でほとんどの芸人が思ってるなら芸人達が松本教過ぎて本気でキメェ

2018-12-02

anond:20181202213309

横ですが、情報処理能力問題解決能力コミュニケーション能力、まあ何でも良いんですが、仕事必要な各能力値は各人で差があるのに特定能力のみを物差しに使うのはやはり差別なのでは?

極端な例になりますが、「日本人全員100m走タイムを計って速い順にいい仕事を割り振っていきます」と言うことになったらどれだけの人が納得出来るのかってことですよ。

足の遅い人間は速い人間には絶対に勝てません。

もっともそれが仕事必要能力なのだから、仕方ないと言えば仕方ないでしょう。配られたカード勝負するしかないのですから

でも足の遅い人間に「お前は桐生祥秀より遅いかダメだ」と突きつけて何になるのでしょうか?そんなの勝てるわけないんですよ。

今の社会は足の遅い人間でも足の速さで勝負するしかない社会であると言えます。それって果たして自己責任なんですかね?

2018-11-19

anond:20181119160246

自分に都合の良いようにデータを用いるってのは多かれ少なかれ、意識無意識を問わず誰でも行いがちだと思うけどね。

そもそも論敵にデータ依存するってのが間違いだと思う。なんなら上野に不利なデータこちらが突き付けてやったらええんや

一対一の「議論ならいいかもしれんが、上野は「社会学者」を名乗って血税研究してる。

そんな奴が、その無駄にある影響力を湾曲した研究という形で振り回すのが悪以外のなんだと思ってる?

かにエマジェンダーロールの恩恵を得る立場だ。でも当の本人が要らない言ってるんだから

下々の俺たちが頑張ってジェンダーロールを無くしてエマからその恩恵剥奪してやるんだ!って考えればガッツが湧いてこないか

湧いてこない。

奴は「自分が受けてる恩恵は死んでもなくさない」という保証のもと、弱者嘲笑ってる。

そんな奴の思惑に乗る理由がない

というかエマの言う『ジェンダーステレオタイプ』が無くなることで恩恵を得られるのはむしろ弱者男女だろう。

ジェンダーステレオタイプ」という物差しを捨てろ捨てろというが、それに代わる物差しを用意できてない。

自分だけは従前の物差しを使い続けながら、庶民右往左往するのを眺めようとしてるだけ。

色々書いたが、上野もハマ子も『論理の通じないモンスターからは程遠いと思った(逆に話が分かるからこそ質が悪いのじゃないか?と少し思ったのは内緒だ)。

論理の通じないモンスター」の話は別ツリーだよ。これは「無用男性攻撃を全くせず、首尾一貫して論理的で差別用語に頼らない「真のフェミニスト」」の話。

個人の所感としては、上野は「論理を捻じ曲げる化けもの」、エマは「サイコパス」だと思ってる。

2018-11-18

叫びたいこと

ネット上で何かしらを公開すると、貴重なご意見匿名コメントを見かけるのは日常茶飯

とりあえず私も貴重なご意見を頂いたので叫ぼう

うるせぇばーーーか!!!!!!!しね!!!!!!!!!

他人意見なんぞいちいち鵜呑みにしてたらやってらんないので、自分物差し基準で程々にするのが1番だなと思った

まーその物差し社会常識から逸脱してたら炎上するけど

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