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2024-04-25

あなたは次の7つの点をおさえることで 「英語からの直訳のような」文を書くことができます

 日常的に英語から直訳された日本語文章に触れている人々は、そのような文章の持つ特徴的な様式を真似ることができるかもしれません。私は英語話者ではありませんが、それらの様式を用いて書かれた文章をどこか奇妙に感じると同時に、魅力的にも感じますしかしながら、不運にも、どのようにすればそのような文章を書くことができるのかについて語る人を私は見たことがありません。そこで、私はこれまでの経験から英語から直訳された日本語文章が持つ特徴を思い出し、それらを箇条書きにしました(それらの特徴は絶対的ものではないことに注意してください:ソフトウェアによる翻訳の精度やあなた普段話すコミュニティなどによって左右されるでしょう)。

 英語から直訳された日本語文章が持つ特徴は以下の通りです:

(1)文頭の副詞。驚くべきことに、普段用いられる日本語では文頭に副詞が挿入されることは多くありません。

(2)指示語の多用。「そのような」、「これらの」、などこれらの指示語はあまり使用されません。特に「これらの」など複数のものを指示する語は日常的には殆どお目にかかることはないでしょう。

(3)コロンおよびセミコロン使用日本語の文でこれらの記号が使われることはまずありません;私もこれらの意味を正確に理解していません。

(4)長い主語。膨大な修飾句を伴う名詞主語として用いた文章日本語日常会話で用いることは稀です。

(5)体言止め。大きな、しかし細いゴシック体で表示された簡潔なキャッチコピー

(6)主語の非省略。あなたは「あなた」と頻繁に書かれた文章日本ではあまり見ないでしょう。

(7)主語の過剰な省略。(6)と合わせてダブル-バインドされます

 私がしたいことは翻訳の精度の低さをあざ笑うことや「奇妙でない」日本語称揚することではありません。むしろ他愛もない話の種の共有、そして裏を返せば日本語を他の言語翻訳する時も同様の奇妙さと魅力が生じているかもしれないこと、しかいかなる重要問題も生じていないことの示唆が私の目的です。上述の7点を覚えていても(覚えていなかったとしても)、あなた言語活動楽しいものになることを願っています

2024-04-21

anond:20240421225924

から話者の数の多い中国語言語数の多いインドを引っ張って来るってわけか。多数派大好きさんみたいだな。数の暴力万歳ってことか。言語帝国主義者さんよw

anond:20240421205201

そもそもこの発端になった話、「英語話者英語でいきなり話しかけてきた」がスタート地点なんでまさに1mmもないですね。

anond:20240421192111

英語話者傲慢さという、大正義の巨大テーマ存在感が大きすぎるのはわかる。わたしもそういう傲慢英語話者は嫌いだ。

でも、今回のケースが、「こんにちは「ありがとう」「ごめんなさい」くらいの初歩日本語ちゃんと覚えてきた善良な観光客カップルが、最初に店主から先制攻撃を食らって萎縮しまくった上での、「Sososo, sorry... (you mean,) nnn no English menu...(´;ω;`)?」だったという解釈余地とか、は、1ミリもないものかな?

いや、あなた自身が「そんな解釈はできない!傲慢観光客だ!」という解釈をするのもまた、ありだとは思うんだけど、それがはてなー多数派だったことに、私は悲しくも驚愕しているよ…。

anond:20240421101600

最低限、その国で使われてる言語の「こんにちは「ありがとう」「ごめんなさい」くらいは頭に入れていってるよ

今回の話はそれすらなく初手英語しかイングリッシュオーケー?的な確認すらなかったからせめてそれくらいしろやっていうお話でね

あと「そういうのを何とかするために英語ってのがある」って言うけど、意外と英語が通じる国は少ないぞ

英語話者は全世界英語通じて当たり前っていう選民思想をわりとデフォで持ちがち

から字幕めちゃくちゃ嫌いなんだよねあいつら

anond:20240421131750

翻訳機がなかった時代公用語必要だったから許容する。

けれども試験語学に多大な時間を割かなければならない非ネイティブ英語話者の不利は許容できない。

語学力は経済力如実に表れるので

実質金持ち従順な者の選抜になっていることも問題だ。

2024-04-20

anond:20240420102750

その頃、英語話者は「一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ…」と言う法則性のない日本語の数の読み上げ方に打ちのめされて日本語習得を諦めて行くのであった…。

2024-04-19

なぜ絵師は生成AIを憎むのか ~機械翻訳との類似性に着目して~

絵を描かない連中が永遠に理解してくれないから、屋上屋を架すことになった。いい加減理解してくれ。

審美眼がないねんお前ら

暴論だけど、言ってしまえばこの一言に尽きる。

少しでもデジ絵を触ればわかるんだが、生成AIで出力しただけの画像は、見ればもうAI産だとわかる。なんもしてないんだなって。こいつ何も考えてないってわかるんだよ。手が3本生えてるとか、髪がめちゃくちゃとかじゃなくて。もうコンテキストがない。わかるかなぁ。

絵を描くときには基本的目的があって筆をとってるわけ。そうすると、何処を描き込んで、どこを描き込まないかっていう、気圧の差っていうか、そういうのが産まれるわけ。

これは絵を描くことが楽しいバーサーカーでも同じ。そういうやつはだいたい、普通はそんなことまでやらんってことをしてくる。こいつやりおったって。そういう、画面の向かいのニンゲン意思が伝わってくる。何を伝えたいのか、なんとなく伝わってくるわけ。これはなにも高尚なメッセージじゃなくても、「金髪のチャンネー最高!」とかでもいい。本当に何でもいいが、おれたちはそのメッセージと、メッセージの伝達方法の工夫を楽しみにネットの絵を見てるわけ。

でも、生成AIから「出しただけ」の絵はそうじゃない。そういうのはもう気圧がめちゃくちゃ。おまえこの絵のどこを見てほしいの?何を伝えたくて書いたの?何もわからない。その結果、おれたちはどうでもいい天井のシワを見つめて、お前たちが伝えたいのはこれなのか……?っておそるおそるプロフを見に行って、やっぱAIじゃねーか!ってなる。全く無駄行為だったわけだ。そこに意図なんてなかった。誤解したおれが悪かった。そんなことを繰り返した結果、絵を見た瞬間に「それが生成AI産なのか」がわかるようになった。

最近はもう「その雰囲気」を感じ取っただけで見るのをやめてる。昔から知ってる神絵師だけをフォローして、新しいメッセージを、たまにしか降ってこない甘露を、延々と待つようになった。pixivをディグるのはもうやめた。イラスト凝視しても得られるリターンが担保されないので、虚しいからだ。

リターンがなければ、無視すればよろしい。それが黄金則だ。絵師と生成AI絵師別世界棲み分ければ良い。実際、生成AIにもメリットと独特の良さがある。それは認めるところである

だがしかし絵師には絵師なりの理由があって、今日まで生成AI許すまじと論争を続けている。ある問題があるからだ。

それは、生成AI丸出し、なんのコンテクストもない画像が、何故か一部民衆に受容されつつあるということだ。

他の、著作権がどうのという問題は、絵師共通で抱えている嫌悪感すり替えに過ぎない。無視したいが、なぜが周りの民衆無視しないから、何かの理由を付けて批判せざるを得ないのだ。

冒頭で、審美眼がないと言った。それは一部の生成AI絵師もそうだが、何よりあれを「手書き並のクオリティ」と持て囃す消費者層を形容した言葉だ。

少しでも絵を触ったことがあれば、生成AIファーストインパクトは「へーすごいね。でも仕事にはならないな。すげーおもちゃだ」だっただろう。それなのに一部の消費者層は、これを大変有り難いと言わんばかりに使い始めたわけだ。

おい待てと。これのどこがいいんだと。じゃあお前らはいままで俺たちが描いたもののどこを見てきたんだと。

当然、嫌悪感を抱く。だが、「だってそれ生成AIで出しただけじゃん!」と伝えても、彼奴等は首を傾げるばかり。

最近は、どうみても実写丸出しの自称アニメ」がニュースに載った。何より驚いたのは、あれにゴーサインを出した報道である。絵に対する恐ろしいまでのリテラシーのなさだ。あれのどこが良いと思ったのか、まるで理解できない。仮にもアニメ制作会社関係のある会社の振る舞いがこれかと、閉口したものだ。

どうせ伝えても伝わらない。そのうち、この嫌悪感を「そういう層」に伝わるような問題点にすり替え問題を論ずるようになった。やれ著作権が、権利が、そういったものに。

だが、それらは理論上は手描きでも可能で、AI独自問題じゃないということは、誰にだってわかる。だから平行線なのだ

このままだと何様だよで終わるので釈明させてくれ

この感覚は、なかなか伝わらないらしい。だから比較的広い層に伝わりそうな類例を持ってきた。

それが機械翻訳翻訳者関係性だ。

機械翻訳もまた著しい発展を迎えた界隈である。が、機械翻訳だけで全てが事足りるとは思っていないはずだ。

これはアカデミックに属したことがあればわかるが、英語論文機械翻訳して読む、という行為にはまったくの意味がない。著者が伝えたい事実を、機械翻訳考慮しないからだ。そのうえ、業界の慣習を無視した翻訳がなされるので、その翻訳された文章意味はない。なんとなく読んだ気になるだけだ。

小説もそうだ。ハリーポッターでもなんでもいい。あれらの「機械翻訳版」と「訳者監修の日訳版」どっちを手に取るか。当然後者だろう。

そうした現状にあるのに、海外製品公式ドキュメントは多言語翻訳版を機械翻訳によって作成する。「機械学習により作成されたため、不正確な場合があります」と但し書きを付けながら。

これはビックテックであっても例外ではない。訳者を雇う金はありながら、正確な訳を提供しない。

なぜか?日本語話者なんてよく知らないし、どうでもいいからだ。

その結果、ネットには不正確な日本語が溢れている。

日本話者にとって、日本語の質なんてどうでもいいからだ。

それでも有り難がる連中がいる。英語を読めない層だ。そんな不正確な日本語読んでる暇があったら英語勉強した方が早いよと伝えても耳を貸さない。それで満足している層に恐怖する。機械翻訳版を読んで何かした気になっているニンゲンの、その感性に恐怖している。それは天井のシミなんだって。そこに別の人間が伝えたかったメッセージ存在しないんだと、伝えても伝わらないことに恐怖している。

この関係性が、生成AIとその消費者層に類似している

というわけだ。

現在抱えている嫌悪感のその本質は、「メッセージ性も何もない破綻した絵を持て囃す連中の審美眼が信じられない」ということになる。

さらに恐ろしいのは、彼らが生成AIの発達とともに、その審美眼と理性を失ったわけではないということだ。

彼らとて、三歳児の落書きと、絵の修練を積んだ人間の描いた絵の区別はついていた。だから絵師たちは自分たちが絵に込めていたメッセージ市井に伝えられているのだと信じることができた。それを感じ取ってくれているからこそ、自分市場に支持されているのだと信じることができた。

が、今は違う。

生成AIから出しただけの画像手書きとの区別もつかない連中がいるのだと知ってしまたからだ。

から自分の支持者の中にそんな「肯定派」がいないか魔女狩りもしたくなる。それを肯定する気にはなれないが、その絶望理解できる。

そうせざるを得ないのは、少しでも正気に戻ったら「生成AI丸出しの画像クオリティでいいなら、おれたちこんなに心身削って絵を描く意味ないじゃん」と気付いてしまうのを避けているからだ。

高精細なイラストなんていらなかった。市場がそれを求めていなかった。顧客は、一分で生成された「なんかよさげ画像」に吸い寄せられていく。なんだよ。それでいいなら、おれたちこんなに描かなくて良かったじゃん。

そして、この価値観が行き着く先は、「誰も作品に込めたメッセージ理解してくれない」「誰も自らの磨いた技術評価してくれない」という絶望世界だ。

それが繰り返されれば、当然続ける意味もなくなる。そして現在伝統製法によるイラスト制作技術は失われ、生成AIによる模造品が市場に氾濫することになる。廃業なんて話じゃない。業界自体喪失だ。絵にメッセージを込めるという行為時代が廃れるのだ。

その絶望を「肯定派」は理解せず、やれ既得権益がどうのと批判を繰り返す。そうした後にやってくるであろう世界も知らずに。

君の周りに江戸話者はいるか?

私は関西出身だが、墨田区まれ墨田区育ちの人と付き合って結婚した。

両親が晩婚なのもあってか、関西話者の私からすると驚くほどしっかりとした「江戸弁」を話すのを聞いて

これはもっとちゃんと残さないといけないのでは…?と危機感を抱いている。

方言というと独特な語彙を想像しがちだが、江戸弁というのはそうではない。

なんというか、言い回しだったり、語尾だったりする。体系化しにくいんだろうなと思う。

「そうすっとよ、〜〜ってことだろ?」

「つーかよ、〜〜ってねぇんじゃねえか?」

というような話し方を自然にする江戸っ子に感銘を受ける。

これぐらいの江戸話者は、他にも結構いるのか?

絶対継承していかなければいけないと感じながらも、

結局我々地方出身者がそれを駆逐しているのかと思うと、なんとも言えない気分だ…

2024-04-17

anond:20240417025028

つか自己レスだがこの「英語話者が『ほぼ』完璧日本語翻訳された英語論理で発話すると、AIなどIQが著しく低い存在と判定され、深く哀れまれる」現象排外主義(xenophobia)と呼べる範囲を超えて哀れな事象だと思う

anond:20240414224825

/r/teslamotorsで工作員発狂させて遊んでた増田として言えば、あれは恐らく肉入りで、母語話者じゃないと違和感激しすぎて人間と映らない日本の文化発狂してるだけ。

英語圏の連中は言語が全世界共通じゃないことやネット文化言語ごとに独立してることを認められず、英語圏流行ってるネタは全地球的に流行ってると考えたがり、観測範囲の全てつまり主観的世界でバズりまくり北米話題投稿すれば話題操作できると考える。奴らは2ch文化日本の高度に発達したメディア文化免疫が無いため、全く知名度の無い海外ミームテンプレを持ち込んで滑りまくり叩かれ放題の機械的対応を繰り返し、対応する術を持たず無防備のまま叩きに屈して病み、ああなるキリスト教的な原理主義にのめり込んでいるため過ちや現実を認める能力を欠き、身勝手な己の宗教原理を貫徹すれば現実が伴うと考えて消耗し続ける傾向がある。仮に根本的な間違いを認めた所で、外資系の奴らはその知を展開すれば人間を辞めた動物認定されるので周囲に明かす事は出来ず余計に病んでいく。

ブコメで一律に知能が無いAI扱いされてるのが本当に可哀想だと思うわ。ネタでな、本気でなく。N1取るの大変だったよねえwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwって感じ。

2024-04-12

anond:20240412081308

この手の「○○は精神病を患ってる」系の話って「こいつキモいキチガイ死ね」ってのをお上品に言ってるだけで大体根拠ないし、それこそ医師でもまともな診察や検査もせずに病気がわかるわけがないんで

他人精神病レッテルを貼る話者民度の低さ」

くらいしかからないことが多い問題

2024-04-08

anond:20240408115533

英語では「レイディオ」だろうけど

ドイツ語フランス語話者にもよるけど「ラーディオ」よ

そんで「ビルヂング」「ヂーセル」みたいに「ディ」を昔は「ヂ」と表記してたんよ

から今なら「ラジオ」じゃなくて「ラディオ」と表記するべきなんよ

翻訳ダジャレ

洋画だったり洋ゲーの本編やフレーバーテキスト英語ダジャレが出てきたりするが

英語ボケられても一体なにが面白いのかよくわからないがそれは文化の違いとして納得はできる

例えばスタートレック銃社会幼児の頃から触れていない文化圏の人間にそれらに関する皮肉ダジャレを秒で解釈する脳の部位は育っていない。

からそれはしょうがないのだ。ネイティブの人はクスっとしてるんだろう。

問題翻訳だ。

日本語版実装されたりすると本編もフレーバーテキストも当然日本語になる。

ダジャレが出てくる場面を直訳してもそのままでダジャレが成立しなくて日本語ダジャレを無理やりする場合がある。

日本語版になったら少なくとも日本語話者には面白いと感じられるクオリティのものをやってほしいものだが

なぜかとんでもなく面白くないダジャレになっていることが多い。

英語ボケられたときの戸惑いみたいなものだけ直輸入するのはやめて頂きたい。

オリジナルは少なくともネイティブの人にはウケてるんだろうから

2024-04-07

JUU北弁話者が驚いた時にでる声

じゅじゅじゅ

2024-04-04

anond:20240404002352

実話そのままなら話者著作権侵害してない?

要約なら誤読まじってそうだけどソースないし確認のしようがない。

なんかこういう書き方は暇空関連じゃなくてもすごく気持ちいね

2024-04-01

用法・語法や用例を調べもせずにすぐに間違いだと騒ぐ人々

https://twitter.com/taozikw/status/1774344519770849306

JR東日本の駅でこのポスターをみるたびに、この方は、我が子の出産ではなくて、妻の出産か我が子の誕生に駆けつけようとしているんでないの?と不思議なのですが・・・もしかしておじいさんになるところ?

このツイートリプライ引用を見ると、「我が子の出産」と言えば「(話者の)子が(話者の)孫を産む」以外にあり得ないとする人々が多く見受けられる

しかし、以下の用例はおそらくごく自然に読める者が大多数であろう

長男出産には立ち会えたが、次男ときには……」

男が子を産むことは2024年現在はあり得ないので、日本語話者は即座に「長男が産まれとき」の意味選択して理解できる

 

「我が父の出棺」といえば、大抵は父が喪主になって祖父や母を出棺する話ではなく父の遺体が出棺される話であろう

これと同様に、「〇〇の出産」も、文脈上明らかであれば〇〇が産まれることを指す場合は往々にしてある

 

「母の出産ときにはこうだったが、私の出産ときには……」

というと、

解釈する人はそれぞれそれなりにいると思われるし、話者男性であれば間違いなく後者解釈されるであろう

 

多義的であるので「我が子の出産」はコピーとして悪文ではあるかもしれないが、

文法・語法において「我が子が産まれる」という意味で使うのは間違いではない

しゅっ‐さん【出産】 の解説

[名](スル)

子が生まれること。また、子を産むこと。「男子を—する」

産物ができること。産物をつくること。産出。「—地」

2024-03-25

anond:20240325120555

[「俺ら東京さ行ぐだ」の主人公東京でベコ飼うつもりがない?津軽弁話者の語る真実「奥が深い…」 - Togetter](https://togetter.com/li/1243564)

吉幾三の「俺ら東京さ行ぐだ」で

主人公の「俺ら」は、実は東京でベコ飼うつもりも馬車引くつもりも全く無い

…ということは、まぁ地元津軽弁話者けが知っていれば良い真実

キーワードはたったひとつ歌詞カードに載っていない最後の「…っが!」

東京でベゴ飼うだい…っが!

と歌っています

この「っが!」は、津軽弁の「ってが!」の短縮形であり、更に標準語に直すと「ってな!」となります

まり、それ以前のことを全て「…なーんてな、冗談だよ!」とひっくり返す台詞なのです。

2024-03-21

anond:20240321200313

自分の知ってるものを見ると喜ぶのはだいたいアンテナが低い奴

外国行って日本語話者に出逢うと少しうれしくなるだろ?

テレビ見てるような奴らは日本にいてもそんな状態なんだよ

2024-03-18

音階を探る時って、なんらかの曲や楽器の音とかの記憶を頼りに実体を持たない音を脳内再生して、それを音叉にして聴いた音とすり合わせていくような感覚だけど、いわゆる超高精度の絶対音感を持ってる人ってもっと違う感じなのかなって不思議に思う。

犬の鳴き声をワンとかバウとか文字にしてみるとそう聞こえるような気もするし聞こえないような気もするのに対して、日本人話者が「わ」と言ったのをそのまま「わ」と聞き取れるくらい鮮明に音階が分かるんだろうか。

最初ネコキャラクター最初に「~ニャ」のように喋るキャラは何なのだろう、ちょっと気になるね

あるいは犬のキャラで「~ワン」でもいい

革命なのは「~ロボ」みたいな類の語尾だよな……これは『メダロット』に登場するキャラクターの語尾

「~ウサ」「~ゴロ」のような種族名、個体名を語尾とする、という新たな用例が産まれ

しかし、軽く調べてみたが「~ロボ」以前にもこのような用例は存在する

「~ニャロメ」という語尾

赤塚不二夫は偉大ということか

キャラ語尾

役割語の中の一分類

フィクションキャラクター個性付与するための変な語尾

例)「~ザウルス」「~ナリ」「~だわさ」「~だなも」

キャラ語尾をさらに二つの分類に分けたい

「もともと現実話者存在する語尾」「もともと現実話者存在しない語尾」

前者は「~ザマス」「~ぜよ」「~じゃ」「~だっちゃ」など方言由来だったり老人口調だったり

後者は「~ニャ」「~ッピ」「~ロボ」「~ゲソ」など鳴き声由来だったり種族名由来だったり

分類してみて整理できた、自分の興味は後者側の歴史ということか

面白そうなテーマなだけあって先行研究豊富にある

『〈役割語〉小辞典』を購入しましょうね

「~ニャ」「~ワン」の初出なんかも書かれてると嬉しいんだが

のらくろ』は変な語尾を付けてしゃべっていないようだ

手塚治虫作のキャラで変な語尾は……「~だわさ」はあるけど、後者タイプの語尾はなんかあったかなあ

鉄腕アトム』の「地上最大のロボット」の回が載っている単行本kindleで購入し読んでみたが、語尾でのキャラ付け全然やってないんだなあ

こういう調べものをしている時が一番楽しい

参考:語尾の一覧 | ニコニコ大百科

役割語(キャラクターとことばの結びつき)に関する簡単な読書案内 - 誰がログ ここら辺の本読みましょうね

これは日記です

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漫画やアニメなどで、一番最初に猫のキャラクターの語尾に「〜ニャ」をつけた作品は何でしょうか? | Quora

うーん

「にゃん」のもつ意味としては

動物キャラクター言語学リンク切れURL)の(13枚目 注14)に

14)山口(2002)によれば、ネコの鳴き声を表す「にゃん」は、江戸時代から用いられており、当時は、「現代 よりも淫靡意味合いを帯びていた」と述べている。

とあるので、江戸時代からそういう意味で使われてるんですね。

相当古いな……ただ、語尾として使用されていたかどうか明記されていない、出典元をさらにひかないと

「~ワン」もウナギイヌ以前に存在するかどうか

またしても赤塚不二夫

まり資料が膨大で掘り切れず、調査頓挫

2024-03-08

生成AIについての雑感

正義倫理道徳を論じたい訳では無い。

 

特に論文論理だった長文を書くつもりじゃないから、正確にデータを取ってないんだけど、

2023年初期の頃のAI絵って、いわゆる「マスピ顔」が多くて、絵柄も塗り方もあんまり多様性がなく、

一部の頑張ってる人を除けば、「よくある量産AI絵」って印象。

 

しか2023年後半から2024年にかけて、絵柄も塗り方多様化して、サムネ段階ではAIと気づかないケースも増えている。

わず半年や1年でこの進歩なので、これが10単位となるとどこまで行くのか分かったもんじゃない。

ここまで急進的に進化する技術を無規制で放っておくと、なにかとんでもない破滅的な結果をもたらすんじゃないかと言う恐怖はある。

 

実際に動画ではあるけど、岸田首相フェイ動画とか出てきた訳だしね。

あれだって時期と内容とできあがりの関係で、日本ネット事情精通している日本話者なら、

一発でネタと見抜けるけど、もっと本物と特別がつかない高精度なできあがりで、

しか選挙の時期に、選挙内容を左右しかねないような発言をさせれてればどうなるか分からない。

 

今のところ目に見えやすいところでは、クリエイターお気持ち準拠規制が叫ばれているだけで、

そんなレベルでの議論でとどまっていていいのかと思う。

 

基本的技術進歩はいかなるものであれ、未来を豊かにする可能性があるので歓迎する考えではあるし、

豊富な発想があっても出力する手段がなかった人が、

AI出力の絵とか映像とかを用いて、自身の発想を形にできる事自体は素晴らしいし、その自由は守られるべきだと思う。

 

でも画像映像のような容易に人に大きな影響力を発揮するメディアを、

悪意を持って利用しようとすればできる状態放置しているのはまずいのも分かる。

 

大きな事件特に政治家企業家の金と権力に影響を与えるような事件がないと、

このままなし崩し的に技術進歩していて、そのうち制御が効かない状態になりそうな気もする。

まずいなぁと思いつつ、何もできないので推移を見守るしかない。

あんまり、明るい未来はないのかも知れない。

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