はてなキーワード: 時間割とは
誰にも明かしたことはないけれど、恋多き人生を送ってきた。10代の頃はそれはそれは惚れっぽく、けれどお付き合いの具体的なイメージが沸かないから、すべての恋を胸に埋めて大人になった。大人になると途端に恋は人間関係と結びつき、恋人になるなり、失恋するなり、別れたり復縁したりと暮らしに影響を及ぼすようになった。
けれど、ただ胸の中にアルバムをこしらえて、目が奪われ体に火がついたような一瞬を大切にスクラップし、眠れない夜や開放的な歌を耳にするとついページをめくるような、眩しく淡い恋はあの頃で終わっている。そして夏が私にそれを思い出させる。
入学したときはぽっちゃりした坊ちゃんみたいだった佐野くん。実はピアノが上手くてプログラミングにも長けていて、卒業する頃には背まで伸びて花より男子に出てきそうだったのに、おっとりと優しく人を立てる性格がずっと変わらなかった。
クラス替えの自己紹介で将来の夢を聞かれて、低い声でぶっきらぼうに「DJ」って答えた佐伯くん。全く意味がわからなくて、大人っぽすぎてドキドキした。家に帰って辞書で調べて、ラジオのディスクジョッキーのことと理解して、その夜はラジオから佐伯くんの声が流れ出るのを想像した。
ずっと一匹狼だった小山くん。いじめスレスレのいじりが起こるとすっと話題を変えていた。先生含め全方位につれない対応だったのに、裏表のない態度が一目置かれる存在だった。同じ小学校から進学してきたユカちゃんと話すときの笑顔だけが特別だった。
ロッカーが隣で、ふっと中を覗かせてもらったら、ぴしっと教科書が整列していた坂上くん。ゲラゲラ笑う大胆な人なのに几帳面なんだ!と驚いて、自分のロッカーを見られないようにあわてて閉めたら目があってニヤッとされた。扉の裏にコピーした時間割がまっすぐ留めてあった。
くるくる天然パーマがキュートだった加藤くん。ずっと冴ちゃんに片思いしていて、冴ちゃんが誰と付き合ってても視線の熱が変わらなかった。一度男女混ぜこぜで鎌倉の花火大会に行ったとき、一番はしゃいで盛り上げてくれたことを思い出す。あのとき冴ちゃんが彼氏の呼び出しで早く帰ってしまい、それでも続く明るいトークには抱きしめたくなるほど痺れた。
その花火大会の日に家に寄せてくれた吉住くん。浮いた噂一つない柔和なカタブツで、誰にも平等に接するフェアなところを尊敬してた。ご両親とのやりとりも穏やかでユーモラスで、その後何度もみんなで家に通わせてもらった。高校で柔道部に入ってあれよあれよと体が分厚くなり、人懐っこい熊のようだった。
眉毛を一生懸命整えていた竹内くん。今思えばきっとノンバイナリーな人だった。男子グループに上手く馴染めていなかったけど、料理部に入って人は人自分は自分って感じに対処していた。ミステリアスで目が奪われた。
バスケ部の永田くん。学校ではまるで話したことなんてなかったけど、偶然電車で会ったとき、家のことや好きな本の話など、横浜〜藤沢まで楽しくおしゃべりできた。クラスメイトの陰口など一切言わなかった。鞄の角がすり切れていて、でも持ち手はきれいにしてあって、ものを大切に使うんだなと感心した。
テニス部の藤本くん。華やかな容姿で人目を引いたのに、結局誰とも付き合わず、いつも友達とふざけているか本を読んでいた。一度バスの中で何を読んでいるか聞いたら水滸伝だった。読書するとお小遣いもらえるんだよねと言っていたけど、きっと本当に本が好きだったんだな。
藤本くんの親友で、ある日突然私に現国を教えてと持ちかけて水木くん。勉強なんてしてこなかったけれど、医学部に行くって決めたからと言っていた。弟の病気を直せる医者になりたいってそんな漫画みたいな‥と思ったけど、全力で学ぼうとする姿勢にはむしろ教わることばかりだった。卒業生総代になって、答辞の添削を任せてもらえたときは胸が詰まった。
サッカー部で副キャプテンをしていたのに、引退試合の直前で怪我をしてしまい、試合には出れずコート外から大声で指示を出していた榎木くん。試合終了が近づくともう何も声を出すことなく、ただ制服の白シャツがはためいていた。
回転ドアの向こうに、自転車の後ろ姿に、夏の朝夕、暑さが残る淡く眩しい光のなかに男子学生を見かけると思い出す。みんな素敵だった。私恋ばかりしていたけど、それは当たり前だった。
大別して、炊事・洗濯・掃除・買物・家計の5つかなって思うので、それで進める。育児・介護に関しては別枠とする。
感覚としては前3つの炊事・洗濯・掃除が上がりやすいような気がする。
その場合、自分がメインでやりたいというかコントロールしたいと私は思っているので、夫が云々にはあんまり共感できない。
まず、炊事だが。
キッチンは私の城なので夫に荒らされたくない。お湯沸かすくらいは許可する。
食器や調味料の位置を変えられる方が嫌だし、使ったあとビチャビチャにされたシンクや床を拭いたり洗い残しのある鍋を洗い直したり、コンロに拭きこぼしたシミを落とすのは私なので「やってやった」感だされると殴りたくなる。
実際は殴ったりしないけど指差し確認でダメな所を指摘する姑のごとくチクチクやってしまうので、料理めっちゃ好きですっていう男で無い限り妻の城には手を出さない方が平和じゃない?と思ってしまう。
シンク周りは掃除までして料理です、と言ったところで、普段から料理しない人間は細かい所まで気が付かないし手際も悪い。
私は料理が好きだし、毎食フルコースや懐石を出せと言われたら殴るだろうし腕もないが、家庭料理であれば楽しいし、ちょっとした焼き菓子なら作るのも楽しいので苦ではない。
出したものを文句言わずに食べてくれる方が夫として優良だと思っている。
美味しいと言ってくれたら最高だ。
あと冷蔵庫の中身は予定を立てて買い物しているので、勝手に何かされると材料足りなくなったりして予定が狂うのでイラつく。
でもメニューのリクエストは嬉しい、スケジュールが狂うにしても「じゃあ買い出しだ!」で出かけて行くならイレギュラーを楽しめるので、それなりに歓迎。
体調不良の時まで炊事を強要する男は論外なので此処では語らない。
というか、「家事しない夫」=「妻が病気でも家事をさせる男」だとしたら、それは家事しないとか言ってる場合じゃなく、その男の考え方が正常じゃないと思う。
社会人だったら会社を病欠する人間が居て当たり前だとか思わないブラック企業の社畜なので、現代では考え方を改めた方がいい、公に争ったら負けるから。まあ勝ったとして労力に見合う金銭を得られないので転職するのが大半だろうけど。
ようするに夫に炊事してほしい妻は、よほど疲れているか料理がそんなに好きではないんだと思う。主婦向いてない。
夫も、妻が不調の時くらい、ちょっとお高い惣菜屋で普段食べないものを自分で買ってきて楽しむとか、外食するとかすればいい。妻の病状によっては、そのちょっとお高い惣菜を一緒に食べればいい。
一分一秒でも付きっきりで看病しないと死ぬなら入院した方がいいし、所謂風邪程度なら居られても邪魔だし感染るから消えろと思う。救急車呼ぶかどうかの見極めは重要だけど、その程度の様子見は最低限の気遣いとして。
おかゆなんか作れなくてもレトルトでいいし、普段料理しないなら病人食なんか作れるわけないんだから、素直にレトルトにしとけと思う。ちょっとお高いレトルトなら、まあ美味しいよ。
ペットボトルの水や市販のゼリーやプリンを妻の枕元に運ぶくらいは、夫婦になった以上は気遣いの助け合いで当たり前の行為だと思う。これが出来ない男は、家庭を持つのに向いてない。
つまり、家事の括りで買い物も私が取り仕切りたいので自主的に夫が買い物しなくても別に構わない。
車出して重いもの運んでくれたら嬉しいけど、歳取ると男でもギックリ腰とか心配になるし。生協の配達は昔からあったし、最近はネットスーパーとか、日用品なら他にも玄関まで配達してくれるサービスも増えたから困らない。
散歩ついでに二人で軽いものや嗜好品なんか、すぐに買わなくても困らないものを買い物に行く方が心安らか。
「ついでにアレ買ってこようか」って類いのやり取りはコミュニケーションとして有るものと思うので、こういうのは人間同士の交流としては有り難いから「しなくていい」には含まないけど。
ガチガチにマニュアル化するのが現実的でない以上、このへんは各家庭のさじ加減だと思う。
こぼしたとか割ったとか突発であれば自分で拭くなり助けを求めるなりして欲しい、というか大人なら出来るでしょう、それくらいというラインなので置くとして。
細かい手順や拘りが、やっぱり有るので自分でやるほうが早いしストレスに成らない。
掃除や洗濯が好きな夫で、夫なりの拘りがあるなら、そこは譲り合いで夫がやればいいと思う。
普段やらない人間に教えながらやらせるのって、家事に限らず会社でも返って面倒だわって思ってしまう。仕事を引き継がなきゃいけないとか、メインで出来るように育てるとかは別だけど、スポットでアシスタントをという事なら、説明する間に自分で手を動かした方が早い。継続的にアシスタントをしてくれるわけでも無いんだし。
それ以外に「ちょっと手を貸して貰う」レベルなら共同生活を送る上でお互い様に譲り合うものだろうし。
そう思うのは、やっぱり育った環境も影響してるかな。
父方の祖母と母との同居家庭で育ったので、キッチンに私の縄張りが無かったから、実家を出て手に入れた領地であるキッチンに思い入れもひとしお。
母と祖母は嫁姑戦争をキッチンでしていて、調理器具や調味料もとより、冷蔵庫も電子レンジもトースターもホットプレートも食器棚も別だった。なんなら洗濯機も二台あった。つまり二世帯分あった。
なんで二世帯住宅にしなかったんだろう、同居し始めて新築したくせに。
ようは、キッチンに私の陣地をつくる隙間が無かった。
世帯的には母の鍋で料理するのが娘としては自然だが、母と祖母はお互いのアラ探しに余念が無かったので、お互いの鍋や食器を誰かが使った形跡があると目ざとく見つけてお互いを攻撃し始める。すまん、使ったの娘の私だわって落ちがつくけど、大変気まずい。
シンクにも水垢一つない程に拭き上げておかないと、やっぱりお互いの攻撃材料になる。
そんな戦場に単騎で挑む度胸が私には無かった。
中学生で弁当持参になった時、嫌々ながら陣地を主張して母のそれに間借りしたが、たいへん肩身が狭かった。
包丁やフライパンに拘りのある母に貸せとは言えないので、誕プレ前借りで最低限揃えてもらって、小さなワゴンに詰め込んだけど、料理するたびに出し入れが面倒でストレスだった。
これで祖母に母に私、3人分のマイ調理器具が詰め込まれたキッチンの出来上がりだ、たいへん遣り難い。
弁当は早朝だったから良かったけど、普段の朝昼晩は祖母と母が時間で区切ってお互いに顔合わせないように使ってたから、娘の私の捩じ込めるスキが無かった。
二世帯住宅じゃなくてコンロもシンクも一つしか無いんだから、そうなるわ。
本当になんでキッチン二つ作らなかったんだろう。
だってさ、普段の食事は母の領分だったので縄張り争いに参入する必要もなく困らなかったけど、自分で火を使える年齢になったら、自分でも作りたくなるもので。
弁当は部活の時間も早かったので協議の結果、自分で作ることに成ったわけだが。
普段はお手伝いというか下働きのごとく野菜の下拵えなんかを料理長である母の指示でやるだけなので、
自分がメインで弁当作るのは楽しいんだけど。弁当用の買い物も、生協の注文を母とするのも楽しかったんだけど。キッチンの使い方だけは気を使うし窮屈で窮屈でたまらなかった。
夫に荒らされるの、ほんと嫌。
自分のついでに洗濯してやるだけだし、一つの洗濯機を共同で使う方が時間割とか面倒。使いたい時に夫が使ってる方が嫌。
掃除だって自分が暮らしてるんだから、満足できるようにキレイにしておきたいだけだし。普通に使う以上に夫が汚すなら、それはハプニングというか、生活習慣の違いというか、話し合う余地のある所だと思うので摺合せで着地させてルーチンにしとくべきかなって。
お湯は沸かせるしお菓子も自分で出せるんだから、その辺は夫が自分でやったり、私に出してきたりするわけだし。
冷蔵庫の作り置きを食べたい時は声をかけるしレンチンは自分で出来るから別に困らない。
夫に家事やってほしい勢は、なんで夫にやって欲しいんだろう。
高専を7年間大学課程まで通って社会に出た。これを読んで、大学生のコミュニケーション能力と説明能力に疑問を感じた。高専で身につけれるのに、大学で身につかないの?と思った。
https://togetter.com/li/1916601
俺の高専は、小学生と同じ時間割で朝から夕方まで毎日授業とか研究して、春夏冬休みも小学生と同じ期間しかない。単位は、授業の選択肢がほぼなくて、全部の授業の単位を落とさないのが常識で、単位を落とす=ほぼ留年。赤点も60点。で、研究は毎年自分でテーマ決めて研究して、クラス全員と教員に年に2回の発表で激詰めされる。これを5周(専攻科行ったらさらに2周)
毎年の激詰めで、オタクたちが半ベソかきながら受け答えの能力を向上させていくor色々キツくて無理な人は退学するんだけど、大学ってそういうのないの?
自分は男。もう実家は出るのだが、二十代半ばまで、楽しめなかった。
母親が毒親で、ヒステリック、過干渉、支配的で、邪魔ばかりされた。常に嫌味ばかり言ってくる。自由がなかった。うるさくて家では休めなかった。
生まれてから常にそんなんだったから、いろんなところで損失を被った。対人関係、勉強、受験、部活、習い事。
常に見張られている感じ。過干渉で、学校や友達付き合い、部活や習い事にも干渉してきていて、俺は自由がなかった。
大学でさえも干渉がひどかった。全てに関わってくる。大学に来るし、時間割は把握されるし、家ではバッグを漁られるし、詮索されるし、他にも色々あるが、まぁ、端的に言うと毒親のせいで全然遊べなかった。
就活は毒親のせいでできなかったと言って良い。毒親のかなりのヒステリック、嫌味、詮索、そして邪魔をしてくるから、就活どころじゃなかった。
毒親というのはまともではない。普通ではない。ヒステリックだし、邪魔をしてくる。世の中、まともな人ばかりではない。20代半ばまでという、人生の大切な時期をどうしてくれるんだという感じだが、そこに生まれた自分が悪い。実家を出たら、いままでのことを全部忘れ、人生を楽しむ。全てを取り返す。
母のことだが、毎回、トイレの便器を「カカンッ」って叩きつけるように降ろしてうるさすぎる。家中に響く。玄関のドアを閉める音がでかい。「ガッガガゴン」と家のなかでもうるさいし、入ってきて「ガンガンガンッ」と足音や物を置く音がうるさい。近所にも迷惑。キーキーうるさい。更年期なのもあるのかもしれないが、俺が生まれて物心ついたときからキーキー言ってヒステリックだったから元からだろう。全てのことに口出ししてくる。嫌味を言ってくる。監視してくる。後ろから見てくる。今はもう耐えてスルーしているが、そうなったのは、昔から指摘すると逆ギレして何をされるか分からなかったからだろう。学校や習い事や知り合いに電話して、俺が悪いやつだと吹聴して回る。俺は昔から自由がなかった。家でも常にキーキー言われたり、嫌味を言われる。常に監視されている感じ。学校や習い事や部活のコミュニティにも入ってきて、過干渉。大学に入ってもそうだった。時間割を勝手にコピーされてスケジュールを把握されるとか、バッグを漁られるとか。バイト先も見に来る。遊びにもいけない。遊びに行こうとすると、それがゆるせないのか、なんか言ってくるし、支配下に置こうとする。大学と言ったら、人付き合いが大事だと言うのに、母の過干渉と嫌がらせみたいなやつのせいで、楽しめなかった。クソだな。俺はもともと、素だと、人と楽しめるタイプの人間だったと思うんだが、母の過干渉と詮索と支配によって、対人障害みたいになっていった。クソだ。まぁ、こんな親のもとに生まれた自分が悪い。来世からは良い親のもとに生まれる。ちなみに、俺は親の目を盗んでなんとか就職を決め、もうすぐ一人暮らしを始められる。全国の毒親の元に生まれた人たち、頑張れ。とにかく物理的に離れるんだ。そして縁を切るんだ。連絡先も切れ。そのための方法は、正攻法で行けば就職だろうな。就職すれば、貯金10万円台あれば初期費用はローンにして、一人暮らしを始められる。フリーターと未経験者のためのエージェントみたいなやつに相談したら、正社員になれるところは紹介してもらえるから。まずはなんとか就職しろ。
「応援する気が亡くなった」
「もうどうでもいいな、この国。日本がアメリカと戦争に至った経緯を知っていたら絶対に出てこない言葉。底が浅すぎる、勝手にロシアと戦ってくれや」
「あ、もう地震対応で忙しいんでウクライナとかどーでもいいんでってなりそう。」
「ウクライナは中華と仲良し。見えてきたろ。実は同じ赤同士の内ゲバなのさ」
「応援したい気持ちがしぼむ…こんな言い方しなくたってええやん。いやなんか翻訳がおかしいって可能性もワンチャンあるのかな。」
「もうウクライナに時間割くのやめて冷静になろう。日本人は外国の戦争に無関心な部類なのに義援金とか住居、仕事の支援とかおかしいだろ。俺ら皆メディアに踊らされてたんだよ。遠くのウクライナより日本国内の問題の方が重要!」
「ハルノートを突き付けたんはアメさんの方やで。それに日本がブチ切れたんやで。資源(主にエネルギー)を抑えられたら、やるしかないんや。ウクライナはエネルギー資源があっていいですね」
「敵を増やしたいんやろうね」
「ふーん。ロシアと勝手に潰し合ってくれ。ウクライナがその程度の認識なら日本人もまともに考える道理もないな」
「ネオナチのアゾフ連隊持つお前らウクライナのほうがテロ国家だよ、恥を知れ!」
「普通全く無関係な中協力してくれてる友好国にヘイトを向けるような発言はしないだろ。もう韓国やん」
「色々と目が覚めたみたいでみんな勘違いしてたけど、最初からウクライナなんてどうでもいいよ。それよりもウクライナみたいにならないよう自分自身の心配をもっとするべき。自分自身に降りかがっている中国韓国の凶行には反応せず遠いウクライナで起こった戦争に反応するとか個人的には意味不明」
あのさ、
ツイッターで適当なことつぶやいて言い放ってウエブの海にさらさらとつぶやき流すことあるじゃない、
本当にどうでもいいこと。
ふと疑問に思ってふとつぶやいたら、
なんのきなしに無責任につぶやけないと思ったらつまらなくなるのであんまり気にしない方がいいのかも知れないけど、
私もよく分かってないままつぶやいているので、
本当に先生の貴重なお時間割かせてしまって申し訳ありませんって
猛省したしまうほど、
なにか世の中のリソースを人を巻き込んで無駄にしてしまったようで、
でも検索してみたらそのガチリプしていただいた先生の書籍とかいっぱい難しそうなのが出てきたので、
なにか手っ取り早い本を読んでみます!ってそこは収まったんだけど、
やっぱりその色々な専門家界隈の人って、
研究しているのかしら?
よく分からないけど、
きっとなにかその分野の新しい発見を探しているところに、
私のなんか適当なつぶやきを本当に拾ってくれて返信してくれなくても良いです
逆にこっちが困りますってな勢いで
優しく解説してくれるところなんかが本当に申し訳ないというか、
普通に率直な初歩も知らないような毛も生えていない素人に付き合ってくれてありがとう!って
素人に付き合ってくれる専門家の人ありがとう!って曲にしてもらいたいぐらいだわ。
なるほどさっぱり分からない分野で
とりあえず、
囓ってみる前に舐めてみました。
甘く見くびっているという意味で舐めていると行ってるんじゃないのよ、
囓るのも恐れ多いので、
ほんの少し舐めせてくれるだけでいいんです!って意味よ。
ちょっと舐めたところで
苦い味しかしなくてなんだか知識として得られた旨味の甘みの刺身の新鮮みのような感じではなかったけど
始めの数ページを開いてみて
そっと閉じてしまいそうな、
そう瞳を閉じて黄身だけを描くよ!ってやかましーわーい!って朝食のスクランブルエッグをみてそう思ったわ。
専門家を無駄に使ってしまってごめんなさいと世間に表明を正真正銘行ったからこれで許してね。
ってことかしら、
最後までページをめくるめくめくるという行為は好意的感情を持って
最後のページまでとりあえずめくってみて読んだ感じには
体裁を保ちたいところよ。
今日恐縮したって話でした。
うふふ。
喫茶店のモーニングのタマゴ2つ使いのスクランブルエッグが美味しいやつよ。
炭酸でグレープフルーツフレーバーのものが新しく出たのかしら?
それ美味しそうなので、
って私がよくするやつじゃない?って思って
やっと時代が私に追いついたのかしら?って思うほど
グレープフルーツ炭酸ウォーラーが冷たくて朝起きた喉の乾きにもってこいだったわ!
爽快爽快。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
現在20代女の私、生まれたときから父親はサバサバ、母親は娘かわいい。
当初は比較的家族仲もよく、ドライブにでかけることもしばしば。
小学生の時に時折「(人として)好きな人ランキング」をつけることがあったが、
母親は3位くらい。なぜなら基本かわいがってくれるけど時折怒るから。
他所の子である私のことは必ずかわいいかわいいしてくれたからねえ。
しかし、遅めの思春期が近づくにしたがって考えが変わってくる。
というより、もうこれからは自分でできることは自分でやれ、という感じだった。
母親は相変わらずかわいがってくれたし、色々世話もしてくれた。
私としては父親の干渉が少なくなったのはせいせいしたなあというくらいだった。
高校入学前の春休み、遊ぶ気満々だった自分が入学説明会でもらったのは、
「受験も終わったし、春休み一杯遊んで、入学したらバリバリ高校デビューだ!」という、
自分の甘い計画は崩れ去り、現実を受け入れられないまま課題はやり切れず放置。
もちろん成績はどん底に陥り、課題と成績のダブルで担任にどやされる日々。
担任は普段の圧力がウソのように、丁寧に優しく話をしてくださった。ケッ。
あと父親には後で成績表を見られてバレた。クソ叱られた。
後期で受かった隣県の駅弁に進学。これは高校の厳しい英語教育のおかげだった。
エリートコースを望んでいた父親には不満かと思ったが、特別何も言われなかった。
しかしここで何かが狂い始めた。
それ前提で受験したはずの自分は、片道2時間かけて通学する羽目に。
春期課題こそあるわけなかったものの、やはり大学デビューを計画していた私は、
友人のつてで現地のクソ楽なバイトも始めていた。
県外から通学している人も珍しくないので、そんなものかと思っていたけど、
一方で近くに一人暮らししている人が羨ましくて仕方なかった。
通学時間さえなければむしろ、定期券と家賃の差分くらい追加で稼げるのになあと思った。
リアルがそこそこ忙しくなりつつ、当時はやり始めたTwitterを通しての交友も広がった自分。
授業に出るのがダルすぎて自主休講し始める。いやそれだけなら計算づくでやってたからいい。
高校までは叩き起こされていたし、欠席しようものなら学校から連絡が来るだろう。
しかし大学では時間割がまばらな上に、先生も何も言わない。それがよくなかった。
寝過ごしによって必修の単位を落とし、とうとう留年が決まってしまった。
それはもう怒られた。それも母親に。留年分の学費は出せ、稼げるバイトをやれとどやされた。
震えながら片っ端から電話を掛けて、友人からブラックと聞いていた業種に飛び込んだ。
正直死ぬ気だった。当初のバイトからも手を引き、サークルからも自然消滅した。
半年間あまり授業を入れていない間に、大学の友人知人関係も消えてしまった。
こんな事情でブラックに飛び込むのも恥ずかしいと、ネット上の誰にも言えずアカウントも消した。
それなのに今更になってよく増田なんて書いてるねえ私。
もちろん留年なんてしたやつが悪い。両親に負担かけて申し訳ない限りだ。
母親に怒られたとさっき書いたけど、父親はショックを受けたのみだった。
春休みにひきこもる私に対しては、サバサバと、しかし優しい言葉をかけてくれた。
あれ?怒らないの?と思った。やらかしたら必ず怒られるものだと私は思っていた。
高校時代に放任主義になったせいもあるのだろうけど、父親の態度は軟化していた。
悪く言えばあきらめをつけられたのかもしれない。しかしそれでもありがたかった。
それでいて必要なことは色々と声をかけてくれる。連絡も事務的だった。
これからについて助言もしてくれる。相変わらずダメなことはダメと言ってくれる。
一つの原因は、高校入学時から私の体重が増えてきたことだった。
正直母親はスリムで美人だ。だからこそ私のことが許せなかったのだろう。
そのうち「お前みたいなデブは気持ち悪い。無理。」と言われ始めた。
当時理解できなかったのは、その「気持ち悪い」娘を普段はかわいがることだった。
私が朝起きたときの母親は、笑顔で娘をかわいがるか、しかめっ面で悪態をつくかの二択だった。
それが無意味な憶測であることに気付いたのは、私がハタチを過ぎてからだった。
以前のようなネット上の交友関係を捨てた自分は、かわりにまとめサイト等に目を通すようになる。
2chやらなにやらで男女間・夫婦間トラブルを扱うコンテンツを見始めた。
女性がまあまあバカにされるのは多少あれだったが、どちらかといえば確かに醜いなと思えた。
その中でもステレオイメージとして強かったのが、女はヒステリックな生き物という概念。
気に入らないことですぐギャーギャー言う、その機嫌に他人は振り回されるものだという認識。
思えば自分も昔はひどかったし、両親や周りの人には相当な迷惑をかけたことだろう。
しかしそれも子供時代の話。様々な人に触れていくにしたがって、私は自分の醜さを自覚しつつあった。
一方で母親のそれは悪化してきている。自覚があるのかどうかもわからない。
年を取るごとにしたがって、大人になるどころか子供に近づいているようなものだと思うと、
自分の中で一気に、母親という大人に対する失望が生まれ始めた。
顔を合わせるたびに態度が違うのも「機嫌ガチャ」だと認識できるようになった。
いやむしろただのガチャはない。だんだんと機嫌が悪い時のパターンが見えてきた。
朝から家事(という名の自己満足な模様替え)に追われているとき。
午後からパートが控えているとき。(とくに出かける前のアワアワは毎度のことだった)
その他大事な予定が控えているとき。(ひどいときは遊びの予定ですら予定時刻に焦っていた)
あともう一つあった。娘のことが心配なあまり悪夢を見たというとき。
自分は能天気なので悪夢はまず見ないが、悪夢を見たときのショックがあることは古い友人から聞いていた。
不安なあまりすがられるようなことがあったら自分も何とかしようと思えたかもしれない。
しかしそこで取る態度が「お前のせいで私が眠れない(怒」である。
愛想をつかしていた自分は内心(不眠症は病院行け)としか思えなかった。
というか後に実際に病院行ったらしい。うつ状態との診断をもらってきたとか。
でも「忙しくて薬もらいに行くのめんどくさいw」とか言ってきちんと通ってない。
そのくせ家の中は1か月ごとに模様替えされるのである。暇だなあ。
一方で、私は自分の中にトラウマがあるのではないかと疑い始めた。
遡ると小学生のときから、色々な大人から頭ごなしに怒られた経験がうっすら残っている。
このころにまず「誤解というのはとてもしんどいものだ」という経験則を得る。
それから母親にも一度だけ、わけもわからず怒られた経験があった。
普段の娘かわいいの態度からの豹変ぶりに、当時の私は戸惑うしかなかった。
「好きな人ランキング」で3位だったのは、この記憶があったからである。
おそらくこのころにはすでに「怒られると本能的に萎縮する」ようになってしまった。
そして怒られるのが怖い→隠蔽や逃亡の癖がつく→それがバレて怒られる→怒られるの怖い、
という負のスパイラルを、子供のうちに無自覚に起こしてしまっていた。
だから高校の時の担任が態度きつかったのは地獄に思えたが、しかしそのおかげで無事に卒業できた。
私は教師の怒りによって適切な方向にコントロールされていたのである。
それに気づいたのが、大学でさんざん落単してからのことであった。
当時の同級生から聞いた話によると、氏が担任を退いたあとに出会ったそうだが、
今のイチローのようにすっかり白髪交じりになった頭で、当時を穏やかに振り返っていたらしい。
彼は生徒のために厳しい態度を貫いたのであった。それを誰にも言い訳しなかった。
心を鬼にするというのはそういうことなのだろうと思った。
子供時代からわけのわからない怒りにおびえる私がそれを受けていたら?
トラウマを増幅されただけでなく、そもそも植え付けられた原因でもあるとしたら?
それを本人に言い出すこともできなかった。
落単を勘弁してもらえなかったのも私が先生に顔合わせる気にならなかったからだし、
自分のミスを申し出ることができずに被った不利益もたくさんあった。
もう面接に出る気力もなくなっていた。ただただ叱責が怖いばかりに。
このままではいけないと思った私は、少しでも自分で自分をコントロールしようと試みた。
怒られるのが怖いのは仕方ない。でもやらなきゃいけないことは覚悟を決めよう。
それよりも黙っていて、野放しにしていて被る不利益をきちんと計算しよう。
そうして徐々にではあるが、方向性を変えていけたような気がする。
ブラックと思って飛び込んだバイト先は、労基の指導でガラッと変わっていた。上司も同僚も優しかった。
大学もうまいこと授業を選んでなんとか通い終えた。学生の味方をしてくれる先生がありがたかった。
一回り上の友人の紹介という安心感を経て、新たな就職先も決まった。一人暮らしになるよう協力してくれた。
なにより古い友人は自分の不甲斐なさをそれとなく咎めつつ、それでいて優しく相談に乗ってくれた。
自称進学校を出たからこそ、合理的で頭のいい友人たちを持てたことは本当に感謝している。
いや、正確には切るつもりだった、が。
流石に恩が大きいのと、まあ娘が心配だから定期的に訪ねてくる。
当初は自分のテリトリーを侵害されて…と思った。実家時代からずっと思ってた。
しかしこの肉親とたまに会うだけの、コントロールから解き放たれた関係が、案外心地いい。
「あれだけウザかった両親と、離れて暮らしてみると意外と仲良くなれる」
「学生時代は反目しあっていた両親にも、今は会ってやりたいと思えている」
本当にその通りなのかもしれない。そして彼らはそれだけ大人であった。
ともかく今はあの頃のように一人胃を痛めることもなくなってきた。
仕事の理不尽は遠慮なく友人に愚痴れるしね。いやそうそうないけど。
むしろ一見アレな人にもこんな悩みがあるんだなって、社会人になってわかり始めている。
自分もようやく大人になりつつあるのかなと、恥ずかしながら思う。
あとあまり音沙汰ない父親にもどこかで何か言ってあげないと。彼らしいなあ。
ここまで書いてみると、やっぱり当時の自分はどれほど身勝手だったかとは思う。
これを読んだ人からもまたお叱りを頂戴するんだと思う。怖いなあ。
しかし一方で、当時の苦しみが偽物だったとも思わない
そしてその解決策が究極的には「離れること」だったことは間違いないと思ってる。
ニートだのひきこもりだの、毒親だの親ガチャだの、家庭内不和の話はいくらでも聞かれる。
もう既に、家族は無条件に仲良くするもの、できるものという認識でもなくなってきている気がする。
父親が失業からヒモ化したことがあって、一時期は離婚も考えたらしい。この子にしてこの親あり。
しばらくは両親が顔を合わせるたびに母親がきつく当たっていたが、
父親が祖母の介護で実家に移ってからは、たまに会うだけの関係になって比較的マシになった。
それでも夫婦としては冷めっぷりがひどく、まとめサイトと合わせて結婚というものに悪いイメージがついた。
今の私にも、結婚はおろか付き合ってもいいと思うほどの距離感の人はいない。
むしろ親友がイケメンすぎるので結婚したい。彼女も異性とは色々あって独身だ。
一回り上の友人に至ってはさんざん手のかかった奴にふと愛想つかしてバツ1である。
そんな自分もいずれはそれを考えるときがくるのかなあ。くるといいなあ。
自ら望んで距離を詰めた相手と不仲に陥るなんで皮肉だなあと思う。
ましてや、たまたま同じ一つ屋根の下に産んだ産まれただけの人間たちが仲良くできる保証なんてない。
誰が相手だろうと、人間関係において大事なのは適切な距離なんだと、ただただ痛感する日々である。
だから、一緒にいて心がしんどくなる人には、ソーシャルディスタンスをとるべき。