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はてなキーワード: 慣用句とは

2018-02-19

慣用句でやったことのあるもの、ないもの

慣用句が出来たのは、おおよそ高度経済成長期以前であって、私は船を漕いだこともないし、流れに棹さすこともないし、呼び水を使ったこともない。

眼があるはずの障子は最近すっかりご無沙汰だし、尻馬に乗ったこともない。

伝統的な生活から離れて久しい社会だけれど、言葉の強靱さに驚くことがある。少しずつ変わって、無くなっていくのだろうけれども、それでも。その強さに驚くことがある。

2018-02-04

anond:20180204220035

はい論破」ってもともと痛々しい奴を演じるネットスラングというか慣用句だったのに、それを知らずに真顔で使っちゃってる若い人が増えたのかな

最近吉野家コピペも通じない世の中だそうじゃないですか

2018-01-25

anond:20180125233150

ご立派な学歴の人でも格言とかことわざ慣用句が通じなくてがっかりすることはよくあるよ。ちょっと古風な言い回しとか。

中途半端なおりこうさんとかに文系教養がスッポ抜けてる人が多い印象。

逆に理工系学者さんなのに人文系教養も深い人とか見ると尊敬してしまう。

2018-01-24

anond:20180119200212

元増田です

投稿から4日、急にトラバブコメが付き始めたので驚きました

これ以上詳しく書くと本当に特定されそうですが、みなさんからたくさんのご意見感想をいただいたので追記をしようと思います


先日も書きましたが、「司書教諭」は教員です。ピアノが弾ける先生外国人教師英会話ができる先生がいるように、先生方の中には司書教諭資格を持っている教員がいます。みなさんのイメージする「司書先生」はこの司書教諭ではありませんが、場合によっては図書館運営に深く関わります。私の学校司書教諭はとても忙しくあまり一緒に仕事をする機会はありませんが、私が作った図書館のおたよりの添削や購入本の精査などをしていただいています

私がおたよりに「○○小学校に新しい本がやってきたよ!読んでみてね!」と書くと赤ペンで「新しい本を購入しました。ぜひ読んでください」と直されます

購入する本を選ぶ際も、うちは図書費が少ないので、購入する本は学習に使える本が最優先、絵本小説二の次で、それらを買う際も挿絵が今時っぽくない、ためになるような本を選ぶこと、という感じのことをよく言われます

子どもたちや先生は「校庭の畑に野菜を植えるので、授業で野菜について調べることになりました。野菜の本を貸してください」「自由研究に使える本はありませんか?」「慣用句が書いてある本はないですか」といった風に相談に来ることが多いのでそんな時に対応できる本を揃える必要があります。娯楽のための本を購入する余裕はあまりありません

ただ、他の学校司書さんからは「クラゲ図鑑キノコ図鑑と虫のうんこの本、面白そうだから買っちゃった!」という話を聞いたことがあり、選書については予算の都合だとか校長教頭司書教諭先生との関係にかなり左右されると思います

教育委員会喧嘩を売れば好きな本を買えるのかもしれませんが何分非コミュ文化系なのでそこまでする気力と体力はないです


私が小学生の時は図書館ゾロリ、○○のひみつシリーズ怖い話の本、恐竜図鑑精霊の守り人シリーズシートン動物記あらしのよるにシリーズはやみねかおる作品などを読んでいました

貸し出しはできませんでしたが名探偵コナンらんま1/2などの漫画本もあり自由に読むことができました

中学校では主に星新一を読み漁っていましたが図書館にはキノの旅アリソンバトルロワイヤル小説版金田一少年の事件簿小説版鋼の錬金術師、当時はまだ完結していませんでしたが既刊分のNo.6などが置いてあった記憶があります

時代だったのでしょうか。出身中学校図書館が今どうなっているかは知りません

私が赴任した小学校には守り人シリーズ最初の1巻しかなく、大変寂しく思ったので購入しました。読書好きな高学年の子がたびたび借りてくれています私自身は別にゾロリでも何でも読めばいいと思いますがそういった考えを公にすると意識が低いとみなされるのであまり大声では言えません

ささやかな抵抗として、集英社学習漫画日本の歴史シリーズ(表紙絵が荒木飛呂彦さんの聖徳太子で一時期話題になったあれ)を、漫画であることを隠してお堅い歴史であるかのように見せかけ購入希望を出し、司書教諭検閲かいくぐって購入しました


また、「漢字どころかカタカナもまともに読めないような小さい子が、挿絵もルビもない重厚ファンタジー小説を借りようとする」件について補足ですが

カタカナも読めない、というのは学年や年齢ではなく個人にかかっています

決めつけているのではなく本当に読めないのです

図書館に来るのは読書きな子教室に居場所がない子とは限りません

暖房目当てでたむろしに来る子、読書国語も大の苦手だけど虫や乗り物の写真が見たいから来る子、学校内で堂々と漫画ブラックジャック)が読める場所から来る子、雨が降っていて外で遊べないから仕方なくきた子、貸し出し冊数を自慢したくて借りては読みもせずに返し借りては返しを繰り返す子、担任に本を借りろと言われて嫌々来た子、さまざまな子がやってきます

本当に読めないし読む気もないのにキラキラしてかっこいいから借りて自分ランドセルの中に入れたいという理由で借りることがあります

貸し出すことの是非は一旦置いておいてそういう子もいるんです



今まで何度か業種を伏せて上司との軋轢等をはてな匿名ダイアリー愚痴らせてもらいましたが、そのたびにぽつぽつと励ましのトラバブコメをいただいています。今回、私に対して「辞めちまえ」「今すぐ首を吊って死ね」「殴り殺してやりたい」と思った方の中にも過去私にあたたかトラバブコメをくださった方がいらっしゃると思います。その節はありがとうございました


司書に幻滅した、がっかりしたとのトラバもいくつかありましたが

予算の潤沢なところは魅力的な絵本小説が山ほどあり、複本も多く用意されており図鑑も何でも借り放題でこういった禁則事項は少ないと思います

元増田で列挙した実例は「別の学校司書」「司書教諭」「司書教諭ではない先生」の発言が混ざっています。すべてが司書発言ではないです


私は小学生の時からずっと司書になりたくて、その夢は無事に叶ったのですが、最近本当に頭がおかしくなりそうです

皆様に言わせるともうおかしくなっているのかもしれませんが

またいつか、何か書かせてもらうかもしれません。読んでいただきありがとうございました

2018-01-18

anond:20180118142653

小説から慣用句になった言葉が一番多いのは?って設問ならどっかにまとめられていそうだが。

 

小説引用されてる小説で一番多いのは?というジャンルかと思った。ミステリの章ごとの扉ページにある謎のオサレ引用文に使われた小説ランキングとか

2018-01-17

anond:20180117094042

「○○ありき」だけだと「○○があった」という意味しかなく「当然の前提」の意味には使えない。

「はじめに○○ありき」だと「はじめに○○があった」という意味になるので「当然の前提」の意味にも使える。

慣用句化にあたって「はじめに」が抜けてしまって意味不明になった、という主張だろう。

2018-01-15

anond:20180115185244

1・2・3はいずれも状況が違うのでどういう慣用句がほしいのか分からん

anond:20180115185244

ドリフかどっかのコントで、引き出しを一段閉めると別の一段が飛び出してくるやつを思い出した

けど慣用句は思いつかなかった

こういう現象をちょうどよく表す言葉を教えて

例1.

認知症のため免許を取り消されたジジイが、認知症のために免許がないことを忘れて事故

例2.

「かっこいいサル」と書いた服を黒人に着せたら、ブチ切れたアフリカ人たちが店舗を襲撃略奪

例3.

妻に「あなたには赤ちゃんは渡せません。あなた暴力を振るうから」と言われて、「そんなことあるわけないだろう」とブチ切れて妻を平手打ち

何かちょうどいい慣用句とかスラングない?

2018-01-12

知的作業で、筋トレに相当する物というと。

基礎トレーニングから

数学...計算

国語...漢字慣用句

英語...英単語熟語

の力をつけるってことかなー。

  

2018-01-09

言葉を信頼できないことが辛い

小さい頃から「嘘は言ってはいけない」と思っていたし、人の言うことはまず「信じて」理解するべきだと考えてきた。

人の言葉を疑わないと言う意味ではなくて、疑うのはいくら疑ってもいいんだけど、相手が嘘だと認めない以上は、どんなに疑わしくても、とりあえず「相手のいうことは正しい」とみなすと言うこと。

この態度がどうやって身についたのかよくわからない。小さい時から冗談を真に受けたりして「どうしてそうやってすぐ信じちゃうの?」なんて言われることがあった。別に本気で信じているわけではなくて、冗談のように信じたがいことであっても、そう言うのだからそうなのだろうとみなして理解するのが礼儀というか、当然そうするべきだと思っていた。多分、礼儀という概念はわかっていなかったけど、「人の話を無視してはいけない」みたいな感じで、当然、人の言うことを嘘だとみなすなんてことはしてはならない、みたいな。

そういえば、「人の話を無視してはいけない」は、多分小学校とか幼稚園大人に言われてそのまま受け入れていて、中学くらいまで正しいと信じていて、高校生くらいの時に法学勉強をするようになってから、「人の話を無視してはいけないと要求してはいけない」と認識修正して、これは大変なショックだった。自分は今まで間違ったことを教えられてきて、それを今までずっと正しいと思い込んでいた、と言うことを受け入れるのが大変だった。

「人の話を無視してはいけない」って子供には一般的に教えていることだと思うし、みんな大人になるに従ってこれが世の中では通用しないことは肌で感じるはずなのに、どうやって折り合いをつけてるんだろう。

それと同じような感じで、「相手のいうことは正しいとみなすべき」って言うずっと受け入れていた正しさが、対人経験を重ねるにつれて、現実整合できないと感じること。

相手の言っていることがある程度疑わしいとき、一応自分確認をするようにしてきたつもり。「それは本当なの?」「本当だとするとこれおかしくない?」みたいに、それが信じがたいと感じる理由説明して、相手が「実は嘘でした」と認めるか「それはこういうことだから自然じゃないし疑うことないんだよ」って説明してくれるのを期待していた。

納得できる説明が得られなくても、相手が間違いを認めなければ、やはり信頼しなければいけないと思っていた。それが相互に信頼するために必要な態度だと思っていた。

でも、世の中では、信頼っていうのはそういうことじゃないんだってことを、最近強く感じる。言葉では認めないのに、やはり本音自分が疑っているようなことで、そして自分がそれを疑う理由は全く正しく、そのような疑う理由が明らかにあるから相手こちらが察することを期待していたり。

自分では察することはできているつもりだ。察しているからわざわざ念押しの確認質問をしたり疑問を表明したりするんだ。それでも認めなければ、「疑わしいけど、本人がそういう以上信じるしかない」というのがこちらの結論になってしまう。

それが後になって、最初から疑いの方がただしかったということを告白されて、ものすごく悔しく裏切られたような気持ちになったりする。わかっていたのに、無理やり信じさせたのはそっちじゃないか、と思ってしまう。

言葉への信頼を裏切られるというのはものすごく辛く悲しい。でも世の中の人は、言葉を重視していないみたいだ。行動とか態度の方が重要なんだ。

逆に、立場をひっくり返したらいいのか。言葉ではなく行動と態度を聞いて、言葉ではなく行動と態度を信頼したらいいのか。どこかにそういう慣用句のようなものがあった気もする。でもそれって、相手の誠実さをはなから信頼しないってことじゃないのか。そんなことしていいのか。

こういうことを考えることが、度々ある。

2018-01-05

[]虻蜂取らず

つのものを同時に得ようとして、両方とも逃すこと。

即ち、あれもこれもと欲張って全てを逃してしまうことの意。

ある時、蜘蛛の巣に虻が掛かった。

蜘蛛が虻を捕らえようと向かっていると、ちょうど蜂も巣に掛かった。

蜘蛛が欲張って虻をそのままにして蜂の方に向かったところ、その間に虻が逃げ、蜂も逃げてしまったという故事

類義語に「二兎を追うものは一兎をも得ず」がある。

虻蜂取らずとは - ことわざ・慣用句

2017-12-31

被害者ぶるなと言う文言被害者感情逆撫でしている窮屈な慣用句であることは確かなようなので廃止検討しま

2017-12-29

anond:20171228141754

働かざる者食うべからず」だけはなくすというか、教育者子供に教えるべきではない言葉だと思うね。

原始的かつ非倫理的社会集団にだけ通用する原理で、とくに社会主義的な思考ベースになってしまうから

聖書が由来のことわざだが、実際にこのことわざソ連共産党レーニンがこれを実践戒律としていた経緯もある。

さらに悪いことに、ナチュラル社会主義気質日本人はこれを資本主義的な弱肉強食原理と読み替えてしまうケースが多いように見受けられる。

資本主義自由主義経済下であれば労働を強いることはないし、弱肉強食になりがちだからこそ法(ルール)を洗練させ、機会を平等に、セーフティネットを十分に、そうやって多様な境遇の人を受容できる社会に、というのが現代資本主義国家常識であるのに。

もちろん、そこまで思想的な意味を考えずに「貢献することなしに与えられるだけの存在になるなよ」という意味で使われる事がほとんどだろう。

でもそれを言いたいのであればもっと別の言い回しをした方がよい。このことわざを使ううちに、社会主義的なマインドセットが強化されていってしまうような気がする。

代替慣用句が思いつかないけれど……クレクレは死ねとか……ないか

2017-12-28

anond:20171228035042

税金国民の血と汗ではありません

勘違い甚だしい慣用句ファックだと言うことです

現場からは以上です

2017-12-26

発達障害と診断され社会不適合者と確定したので好きに生きようと思う

そりゃ上手くやれんわと

まれ物心が付き、過去を振り返れば人付き合いというものが非常に苦手だった。

現在31歳。ずっと人間関係をどうにかしようと、どうにかしようと努めてきたけれど、やっとその努力を辞める決心が付いた。

そのきっかけは、自身がいわゆる「発達障害」であり具体的に言えば枕詞に「非常に強い」と付く「ADHD(注意欠如多動性障害)」および「非常に強い」と付く「ASD(自閉症スペクトラムアスペルガー症候群)」であることが判明したからだ。

これら発達障害名称は話に聞いたことがあったし、ネット上で「俺はアスペからwww」とジョークを言ってみたり「コミュ障乙www」なんて軽く言われたことはあったけれど、まさか本当に自身がそれに該当するなんて思ってもみなかった。

ただ「非常に強い」と言われたとき驚きや悲しさ、怒りなどはなく、妙なしっくり感があった。やっぱりそうだったかと。

どうやら義務教育下の学生なら、そういった学級に入っっていなければならなかったレベルらしいが、学生とき普通学級だったし、こういうことを指摘されたこともない。

更に「無駄努力してきたな」と自嘲の念も浮かんだ。他人へ合わせようと努めてきたけれど、それは自分にはできないことだったわけだ。

歩み寄り

医者と話しているときポロッと自分から溢れた言葉がある。それが「歩み寄り」だ。

慣用句的な表現に「人と人は歩み寄り理解し合いましょう」というものがある。

様々な騒動を起こし、問題の中心へ居続けた俺は、実のところずっと他人へ歩み寄って合わせ理解しようと努めてきた。

他人共感できない価値観文化風習を飲み込み、あまつさえ合わせることが幸福であるかのような笑顔を作り、ずっとずっと俺は歩み寄り続けてきた。

結果として俺の価値観へ歩み寄ってくれる者はこの社会に極々少数しか居ないことを経験するに至った。

大半の者は「それは間違っている」「常識的おかしい」「その考えはつまらない」などと否定言葉をかけてきて、ただただ俺にだけ歩み寄ることを求めて来た。

俺がいくら譲歩して、歩み寄っても大半は歩み寄りをしないのが現実だった。

社会は常に「理解しろ」「理解しろ」「理解しろ」と、他人は常に「歩み寄れ」「歩み寄れ」「歩み寄れ」と俺に求めてくるだけだった。

からないでもない

ただ、今までの人生の中で溜めた経験に問い合わせ他人感性へ歩み寄れば、わからないでもない。

"普通に"考えれば「発達障害医学的に感性のズレを指摘するものであるから発達障害感性一般的感性の持ち主が歩み寄るのは困難、もしくは苦痛であると推測できる。だから俺はそういう感性へ対して「わからないでもない」と返答する。

俺が一般的感性の持ち主へ理解してもらいたいのは「その困難さ、苦痛さを俺はずっと感じてきた」ということ。俺はその困難さ、苦痛さをずっと感じてきたから「わからないでもない」んだ。

そして、一般的感性の持ち主の人々が俺に対してしてきたことに罪はないと思う。俺自身発達障害だと知らずに生きてきたわけだし、ましてや赤の他人配慮しろというのは無理がある。だからあなた達に罪はない。

単に自分自身で気付きも、他人に気付かれもしなかったことが不幸だっただけだ。

与えられた責任を投げ出す

俺にとって他者から教えられ、与えられた責任を投げ出すというのは非常に勇気のいることだ。

何故なら俺には責任を投げ出すことは無責任であり罪であるという常識が刷り込まれており、それらを投げ出すことは不安しかない。

しかし、その社会的責任を負い、社会的責任を果たすことは俺にとって困難であり苦痛であり、更には他者迷惑を掛けるトリガーになりうるものだと言うのは既に人生の中で経験済みだ。

から、真面目に社会的責任果たしている諸氏には大変申し訳ないが、俺は発達障害という診断を得たこタイミング勇気を持って力強く責任を投げ出そうと思う。

収入はどうするのか?

とりあえず今の仕事退職することに決めた。

まだ国から障害認定を受けてはいないが生活保護を受けさせて貰うという流れになりつつある。

ただ生活保護を受け、何もしないというのは個人的価値観から非常につまらないと感じるので何かしらの仕事をしたいなと考えている。

さなからパソコンが好きだったのでパソコンを使う在宅の仕事ランサーズクラウドワークスあたりに転がってないかなと日々見ているが、今まで業務としてパソコンバリバリ使う仕事をしたことがないので、要領をつかめず、更には労働対価が適正かどうかもわからないので見てるだけに留まっている。

パソコン趣味を続けていたら一応HTML/CSSなどのコーディング簡単なCプログラミングWordExcelPowerpointの基礎的なこと、画像加工や動画編集などがいつのまにか出来るようにはなったけれど、コレが業務利用可能レベルなのかどうかもわからないので、むしろ業務利用できるレベル学習をしてみたい。

こういった仕事プロを前にして趣味・独学の人間が大見栄切って「仕事で使えるレベルです!」と勝手自己評価で言っても事故になる未来しかかばないので、1番最初仕事をどうやって選定して良いものか本当に悩む。

単なる愚痴

ここまで読ませておいて難だけれど、このエントリは単なる愚痴に近い。

不幸なことに30年以上も発達障害だと気付くことなく・気付かれなかったわけだけれども、幸いなことに30年以上も「普通大人」であろうとした経験を俺は得た。

この経験は俺に「全く共感できないけれども他人はこう考えているだろう」という推測をたてられる能力を与えてくれた(外れることも多いけど)。

俺は普通には生きられないけれども、ひっそりと社会迷惑をかけないように好きに生きていこうと思う。

ねこ慣用句って

ねこかぶる とか

どろぼうねこ とか

ねこばば とか

ねこなでごえ とか

印象悪いの多いね

2017-12-24

anond:20171224153343

ろう‐がい〔ラウ‐〕【老害】の意味

意味

例文

慣用句

画像

出典:デジタル大辞泉小学館

企業政党などで、中心人物高齢化しても実権を握りつづけ、若返りが行われていない状態

2017-12-21

anond:20171221120849

や‐ゆ【×揶×揄/▽邪×揄】の意味

意味

例文

慣用句

画像

出典:デジタル大辞泉小学館

[名](スル)からかうこと。なぶること。嘲弄 (ちょうろう) 。「世相を―する」

類語

嘲り(あざけり) 愚弄(ぐろう) 嘲弄(ちょうろう)

ふーんふんふーん

2017-12-12

anond:20170929233057

まずは傾聴からですよ。人の話をよく聞く。

目を見てうなずいているだけでも会話に参加しているとみなされます

興味を持って聞いてもらえると人はうれしいのでどんどん喋ってくれます

次に質問

人の話を聞いて疑問を感じたら質問する。

自分の知らないことを聞く=よく知りたがっている=好意的である、と受け止められて、うれしいのでどんどん喋ってくれます

質問も、上級テクになってくると「相手のしてほしそうな質問」が狙ってできるようになります

「よく聞いてくれました!」と思ってもらえるような質問ができたら後は勝手に喋ってくれるのを聞いているだけです。

あと、あいづち。

当意即妙慣用句あいづちを打てると、話の意味や要点を理解していることが相手に伝わってよいです。

「それは一石二鳥でしたねー」「あー、出る杭は打たれちゃうんですよねー」みたいな感じ。

やっちゃいけないのは、話題をふくらまそうとして「短絡的に連想した自分が知ってる話」を強引に始めてしまうこと。

その場の話題の幅を広げたり深めたり、相手の主張を補強するようなものならよいのですが、そうでない場合は単なる「話題泥棒」とか「手柄の横取り」になってしまっていい印象を与えません。

エンジョイ世間話

2017-11-30

anond:20171130084815

しかすると腹落ちって腑に落ちたって意味で使ってる?

納得すること、成程と思うこと、腹に落ちること、などの意味表現。同じ意味慣用句「腹に落ちる」を名詞として使う際の表現

https://www.weblio.jp/content/%E8%85%B9%E8%90%BD%E3%81%A1

という意味で使っております

http://kachilogy.com/what-is-hara-ochi

一説によると、腑に落ちるは誤用可能性もあるようです。

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