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はてなキーワード: 呪詛とは

2018-04-19

anond:20180419154411

増田とかTwitterで的はずれな呪詛を垂れ流したりしなきゃね

2018-04-18

anond:20180418173240

父と触れ合えなかった結果、幻想の「強い男」が脳内に繰り広げられるパターンもあるし、家父長的な父から単一で柔軟性のない男性像を植え付けられたせいかもしれないし、夫の家庭参加の無さに絶望とともに生きる母親から呪詛を受けて育った結果の女嫌いでもあるかもしれないし。

はいえ、分業家庭がすべてそうなるわけでもないから、「家族内に分業に納得していない構成員がいる家庭」から生じる何かなのではという仮説。

そうすると、「仕方なく家父長をやってる夫」とか「人生に不満だらけの専業主婦」という親と、「社会的階層が低く主に女を呪詛する息子」という仮像には当てはまりやすいけど、これはさすがに仮説を越えた思考のための仮定レベルだな。ただ、しっくりはくるんだよね。なので、仮定の家庭

2018-04-05

anond:20180405122703

原発事故の時に、恐怖で沖縄に逃げた人でも、現地にも溶け込めず、散々「もう人は住めない。住んでいる人は病気になって死ぬ」みたいな事言っちゃったから今更戻る事も出来ず、ずっと呪詛を述べていて、それはそれで一定の支持があるから、ずっとtwitterだけは続いているみたいな人、ちょっと前まではいたけど、今もいるのかなぁ…

たまに移住した先の人間社会に対する悪口が入るのが切ないんだよねぇ…

2018-03-21

小説技法書を馬鹿にするな

以下3文絵小説漫画音楽作詞ボカロPCサークル参加者以上全部アマチュア創作家の長ったらしい愚痴

先日、インターネット小説添削し合う会! みたいなもんに参加しました。

ウェブ投稿された小説を下読みして、集団スカイプでよりよいものにするために話し合ったり感想言ったりしよう! という企画でした。

参加者は、年齢幅は若い人が多めだけど中年の人もいる感じの年齢層で、アマチュア小説を書いているけど、なろう(小説家になろう)とかに投稿してるよ!(つまり小説家になって! って声がかかればなることも吝かではないということ、という人も中にはいるということ。) という人も多く、顔ぶれは様々でしたん。

そんで、

「これ読んで下さい!」

って提出された文章は、長さ様々ですが、大小様々に10くらいかな。知らんけど。長さの規定なかったし。

とりあえず、主催さんから指定されたURLに飛びました。

そんで、まず一作品目を見ましたん。

オッ! 手書きゥーーーーーー!! 紙(原稿用紙ではない)に手書き原稿ゥー!!!

いや圧が凄いのは確かだった。禍々しかった。

でも、ビッツツツツツツしりと書かれた、手描きでシャーペン?! シャーペンかぁこれぇ?! って感じの丸い文字

どうも頑張ってスキャンしてくれたらしい。努力凄い。

しばらく苦笑いした後に、読みました。

長い(20枚)

終わらない

まりどういうこと?

なに、え? 誰? なんでこの人達エスパーなの?

タイトル回収どこ? ここ?

なんやかんやあって)

作品の後半まで来る頃には、アンタの小説牛丼かよと。

「安い!」「早い!」「うまい!」

ならぬ

「長い!」「辛い!」「読めなくはない!」

牛丼屋さんに失礼だいい加減にしろ

しかも、ここに「読ませる気がない!」が加わってて完璧じゃないですかあー! やだー!! 小説デスクトロフォルマッ

で、その後も同じような欠点がある小説を読み、スカイプ当日になり、スカイプに全員が集まりました。

アドバイスを言い合う段になって、皆結構辛口な選評を届けるなか、ワイもその件の手書きの人にアドバイス求められたんです。

相手「じゃあ、ワイさんどうでしたか?」

ワイ「皆さんに言えることだと思いますが、小説の書き方の指南書を読んで実践してみるといいと思います

相手「え……? 嫌ですけどなんでですか(半ギレ)」

ワイ「え?」

相手「なんで小説技法(笑)なんか読まなアカンのですか(苦笑)読まなきゃアカンのはワイさんでは」

ワイ「はいぃ?」

そこへ主催の方が言います

主催「ワイさん、ちょっと言いすぎだと思います……」

ワイ「言い過ぎって何が言いすぎなんですか?」

主催「いや、あの……相手さんは書ける人ですよ、それに、相手さんは毎日お話をたくさん書いてますし量もこなしてますよ? ちゃん小説としての体裁をとってると思うし、なによりそんな、小説技法書を読んで実践してみろなんてよくそんなひどいこと言えますね、ほんと読まなきゃいけないのはワイさんでは……? 何より、そんなの実践したら個性消えますよ」

相手そもそも、 こ れ 趣 味 で す」

はいクソ~~~~~~(熱いフォロー外し)

(知り合いの誘いでも)二度と乗らんわこんなクソ会

……ハァー(もういちどキーボードに手を伸ばす)

そうだ。物語というものをみんな「紙と鉛筆、またはインターネット環境があれば誰でも簡単に書けるもの」だと思っているのだ。

ワイはそれを忘れていたのだ。だから時折こういう奴が存在する! ものを書く、いや、創作するということ全般をナメてるやつ!

文字単語を並べて、内容もクソもない文章を作って はい小説です! って出してそれが はいベストセラーです!! ってなったら世の中にワナビはいない

下手で洗練されてない、思想もない、絵を並べて はい漫画です! 絵です! って出してそれが はい名画です! ってなれば 世の中に画家とか漫画なんて職業存在しないし、やっぱりワナビも居ない

最初から曲を作れる人がたくさんいたら、この世にDTM挫折する人なんて居ないの!! だからワナビも居ない!

だがそういう人たちは言うのだ「でも普通にデビュー作でヒットかましてる人もいるじゃん!」

ワイは、そういう事を言われるたびに自分血圧心配になる。

「みんな創作する人たちは(本当は言いたくて仕方ないけど地道に)努力してるんだよ!!」と言いたくなります

ワイらのようなパンピーは、普通のまんまでは

いい感じの喫茶店とかスタバコーヒー片手に小説らしき文章を書きながらほくそ笑んでるだけじゃ良い小説は書けません。

机にかじりついて、ウッギィイィィィィィィ!! 書いてやるウゥゥゥゥゥゥ!!!!!!!!!

って呪詛のように鈍い文句に満ち溢れた私怨に満ちた文章を綴っているだけでは良い小説は書けません。

まあ「人に読ませることを想定していない文章」は出来ると思いますが。

先程の会話劇の話に戻ります

この会話の参加者たちは、特に小説技法書を馬鹿にしていて、ワイはそれが許せなかった。

以下許せない理由を列挙します。

なんで馬鹿にしているのか。それは、彼らが既成観念に囚われているからに他ならない。

小説技法書なんて小説素人の読むものだと思っている

自分小説を書けると思ってる

毎日量をこなしてるから大丈夫だと思ってる

小説としての体裁をとってるなら全部小説だろうと思ってる

小説技法書を真似したら個性が消えると思ってる

趣味からいいだろと言いつつなろうに投稿し「声がかかったら小説家になるのもやぶさかではない」気でいる(そういう人もいる)

ぅうーーーーー

小説しかいたことがない人には、絵やDTMのたとえはピンと来ないかもですが、

絵を描く際は何よりも「基礎画力」と「応用力」と「資料」を大事します(この3つの言い方は様々あり、足りない人はまとめてデッサンしろとか言われたりします)

基礎画力と応用力と資料は、3つバランスが取れてなきゃいけないんです。

基礎画力が足りなくて、応用力と資料だけあっても、ぐちゃぐちゃが出来るだけですし、資料があってもそれを応用できないとなんじゃこりゃ? ってなぐあいです。

DTMに関してもそうでしょう。音楽の「基礎知識」と、楽曲に応用する「応用力」と、音楽に関する「資料

全部なきゃいかんのか? いかんだろ!!

小説技法書なんて小説書き素人が読むものだと思ってる って人は

小説を書けると思ってる から下のくだりつながっていくんだよ!!

全部思ってるってだけなんですよね。

量をこなしてても(基礎画力・基礎知識)、応用力と資料がないと意味ないです。

それはただ、「資料も基礎知識もなく、ただなんとなく書いてたらできた小説」です。

あ、でも中にはね、

小説としての体裁をとってるなら全部小説だろうと思ってる

って人もめっちゃおる

しか小説って名前つければ全世界の全ては小説じゃい。じゃあ小説でええやろ!?って?

でも、そういうプロ作家さんの「トリッキーな動き」を真似するには、相当な覚悟努力必要なんじゃないでしょうか?

体操教室に通わず連続バック中したら大体の人は(相当若くて運動神経もよくない限り)骨折ますよ。

絵なら、リアル骨折れてるって指摘されますよ。DTMなら、聞くに堪えない騒音が聞こえますよ。

そういうのを越えて連続バック中ができるのは、ごくごく一部の天才だけです。

からワイは言ったんです

小説技法書を読んで実践しましょう」

小説技法書は、大変よいものです。

なぜって、基礎と応用する力をまとめて叩き込んでくれるんだから

3冊も読んで、一冊ずつ実践していけば十分なんじゃないでしょうか?

そんで資料を集めれば、ようやっとスタート地点でしょう。

でもねここまで書いたけど、中には

小説技法書を真似したら個性が消えると思ってる

っていう人もいますよね。でもそれはまったく間違いで。

くそういうことを創作者さんは言われますが、「消える程度なら個性じゃない」です。

個性とは、身の内面からにじみ出てくるものです。書いても書いても決して失われないものです。

意識せずに作り上げて何が個性か。そんな作り上げる個性、よっぽど凄くない限り、骨を折って終わりです。

最後に長々と愚痴ってきたけどこれだけは言わせて

趣味からいいだろ! と言い訳しつつ小説家になろうに投稿しているが、小説家になって! って声がかかればなることも吝かではない。わかって♥

わかんない♥ 甘えるな

以上

(じゃあここまで愚痴っといてお前の立場アマチュアだろ偉そうなこつ言うな! って言われると思うけど

 ワイは確かに趣味ですけん、だが趣味範囲でホンキで取り組んでるからこそ「先人の苦労や知恵の結晶」が馬鹿にされるのが単に許せねーっす)

2018-03-17

お前らと関わりたくない

全てを憎み全てに憎まれるお前らと向き合うの本当しんどい

人と関わるのは楽しいことは2倍悲しいことは半分にって力が働くから

お前らって文句を言ってマウンティング取ることが目的と化してるじゃん

そんなやつと向き合ってると、楽しいことは半分悲しいことは2倍になるんだよ

絶対リアルじゃ関わりたくないし友達にもしたくない

もし、増田にひと月でも入り浸ってるようなら、人生考えなおした方がいいぞ

ここは這い上がれる人間呪詛螺旋に引きずり込んで不幸にする場所

俺は春と共に卒業するよ

お前らは一生ここで人を憎み人に憎まれて生きてくれ

2018-03-07

岡田麿里監督作品さよならの朝に約束の花をかざろう」を観た

※かなり仔細にネタバレしているので、まず最初映画を見てほしい。すごい良い映画だったので。

 こないだ映画を観たのだけれど、どうしてもよく分からない点がいくつかあった。まだ1回しか観ていないので本当はあと10回位観て考えるべきなんだろうけれど、地元映画館ではそもそも上映しておらず次いつ観られるかわからないので、諸兄に教えて欲しい。レビューのみ読みたい人は4を読んでね。

1.なんでレイリアは最後、空飛んだの?

 

レイリア視点での簡単な流れ(経過時間は大まかな予想)

里を襲撃され、連行される

 ↓ 5年(エリアルの成長から

式典でマキアと再会するも、妊娠理由に同行拒否

 ↓

まれた子をすぐに取り上げられる

 ↓??年

助けに来た仲間が殺される(クリム死亡)

 ↓??年

子に会えないまま5年くらい幽閉状態が続き(メドメルの成長から見て)、精神限界

 ↓??年

外国から侵略戦争勃発

 ↓

(死んだと思ってた)クリムが混乱に乗じて助けに来る

 ↓

彼ではなく、唯一の心の支えだった自らの子に会うことを選ぶ

 ↓

メドメルと初対面し、空を飛ぶ

 

レイリアにとって「飛ぶ」ということ

 まず、作中における「飛ぶ」というワードについて。里にいた頃の彼女自由奔放で、そんな彼女マキアに対して発した「飛ぶ(なんて言ったか忘れちゃった)」という言葉にはどこか、明るい予感に満ちていた。しかし城に幽閉されているとき彼女が同じ境遇を持つワイバーンに対し、翼を持っているのになぜ飛ばないのか…と問いかける姿は「私には翼はないのに…」という呪詛のようで、あの自由奔放な彼女の影も形もない印象的なシーンだった。その後式典を襲撃したマキア達の救出を断った彼女は、別れ際「私にはいつでも飛べる、でしょ?(なんて言ったか忘れちゃった)」と発言していて、その表情からマキアが言うところの「飛べる(物理)」とは違ったニュアンスを感じさせ、これがラストのシーンにつながっていると思われる。

 ゆえに彼女最後空を飛んだシーンは、「自らを抑圧から開放し、自由を取り戻す姿」と解釈できる。

 

レイリアにとってのクリムとメドメル

 彼女はクリムが死んだ(と思った)とき「すべてを奪われた」と感じたように、彼の死は「イオルフの民」という居場所、あるいは人とのつながり(彼女王宮内で人扱いを受けていなかった)、あるいはアイデンティティ、そういう彼女のあらゆる構成要素が失われたことを象徴している。

 またレイリアは自ら産んだ子供さえ取り上げられ、何年も会えないまま王宮軟禁され続けていた。怒り狂うさまはもはや「母性の発露」なんて生易しいものではなく、「最後希望」「自分の子供に触れたい、という(最後の)人間らしさ」「生きることへの執着」として、軟禁生活の中でメドメルへの想いが先鋭化していくようだった。彼女自身も「あの子を腕に抱いたとき感覚を徐々に思い出せなくなっていく」という実感として、自らの変質を感じ取っていたのかも。そういう文脈で考えると、マキアがまだ幼いエリアルを抱きかかえながら言った「太陽匂い」というセリフは強烈である

 その後彼女が(偶然、ではないよね)メドメルと再開したとき、メドメルを抱きしめることもなく、どちらかと言えば安堵に近い表情をしていたのは、彼女にとって「メドメルに(一度でいいから、って言ったっけ?)会いたい」という想いはすっかり変質しまっていたために”「すべてを奪われたけど、なんとか”生きること”にしがみついていたレイリア」ー「メドメルに会いたい、という願いの成就」=∅” つまり「完全な虚無」と化したんじゃないだろうか。ほんの少しでも過去イオルフの民としてのアイデンティティとか)に希望見出していれば、彼女はクリムを拒むことも、メドメルに会うこともなかっただろう。

 

レイリアとマキア

 この戦争では同時にマキアエリアルの親子関係が描かれていて、言ってみればこのお話レイリアかーちゃんマキアかーちゃんの対比(あるいはエリアルとメドメルの対比)として観ることが出来る。そしてマキアエリアル出会って約23年くらいの間に紡いだヒビオル(=エリアルの成長)に比べ、レイリアが約20年紡いだもの(メドメルへの想い)はとても虚しい。マキアエリアル出会った所から物語が始まりレイリアがメドメルとようやく会えたところで物語が終わるという対比も強烈だった。

 

で、なんでレイリアは空を飛んだの?

 以上の文脈から、「完全に燃え尽きたレイリアはまるで灰のように空を舞った…」と考えれば良いのだろうか?それも違うよね。なぜなら飛び立つ彼女はとても晴れやかで、まるでイオルフの里にいた頃の彼女が戻ってきたような、あるいはずっと止まっていた時間が動き出したような、そういうカタルシスを感じた。「自らを抑圧から開放し、自由を取り戻す姿」は、彼女が決して虚無ではなくむしろ満ち足りていた姿を描いているようでもある。自由を奪われたレイリアとの対比として描かれていた飛竜が空を飛ぶ姿を見て「なんだよ、結構飛べんじゃねえか…」と言ったところからも、上記のような心情を察することができる。やっぱりよくわからない。

2.時間残酷ってどこらへんを見れば分かるんだろ?

 

 いろいろなレビューを漁っているうち、「時間残酷さ」というワードを用いた論評いくつか見かけたのだけれど、そのワードはどこからやってきたのだろう。少なくとも私はそのように感じなかったし、作中のキャラによる発言もなかった(と思うんだど、忘れちゃった)ので、もし同様な感想を抱いた人がいたら「時間残酷さ」って何なのか教えてほしい。

3.タイトル意味

 

 「さよなら」は本作でのキーワードイオルフの民の別称から、「さよならの朝」はラストシーン、マキアエリアルの別れを指していると考えられる(エリアルを優しく照らす太陽光の入射角度から、時刻が朝であると予想できる)。このシーンで彼女は彼に対して「さよなら」を言わず、彼が徴兵に行くのを送り出すときと同じ「行ってらっしゃい」を使っている。これは「さよなら」という言葉を強く暗示していて、彼女の抱く寂しさを感じさせた。

 「約束の花を飾る」というのは、慣用句「錦を飾る」みたいな感じで「約束(=花)」を「守る(飾る)」という文節として理解するのが正しそう。マキアエリアルはそれぞれ「カーチャンを守る」「もう泣かない」という約束をしていたので、『マキアは「エリアルとの別れのとき絶対泣かない」と誓っていた』ことを、「さよならの朝に約束の花をかざろう」というタイトルは指しているのかもしれない。どう思う?

4.ヒビオル

 

 こっから本作の感想。なにより「ヒビオル」というモチーフが非常に良かった。

 もともとは「日々の出来事を織り込んだ布」を指し、イオルフの民にとってはある種のアイデンティティとして描かれている。印象的なのは、その色や長さ。最初、里で織られていたヒビオルは長く、どこまでも真っ白だった。その後、マキア商人に見せられたヒビオルは赤と黒基調とした短いもので、その禍々しさに思わず(うわっ)てなった。捕らえられたレイリアの怨嗟可視化されているようで、ヒビオルの特性を端的に表しているシーンだった。更にその後、幼いエリアルマキアに送ったヒビオルは白と黄色基調としたもので、どんなメッセージかは分からないが、子が母を思うような、とても優しく温かい心を感じた。そう思うと、里にあったヒビオルのどこまでも純白の生地が続く様は、いかに里の人達が長い間平穏暮らしていたかを感じさせる。

 そんなわけで、ヒビオルの「活字や歌とは違う性質もつ情報の伝達手段」という側面について色々考えさせられた。現実において後世に何かを残すとき用いられた手段はいろいろあり、メジャーなところでは本(活字)、音楽(歌)だが、本作ではどっちもほぼ登場しない(本は登場なし、だよね?歌は酒場での労働歌のみ)。これらの手段と比べると、ヒビオルは「感情可視化」という独特な性質を持っており、特にアニメという媒体においてキャラクターの感情表現する方法としては劇的に優れた舞台装置である。これを思いついた岡田麿里すげえってなった。

 また、マキアたまたま見つけた赤子のことを「これは私のヒビオル(なんつったっけ)」と言ったあたりから「ヒビオル」という言葉は作中でどんどん拡張されていき、だんだんあらゆるものがヒビオルに見えてくるような演出になっていたのが非常に印象的だった。例えばクリムに長年幽閉され、長く伸びたマキアの髪。それまで栗色だった髪が(昔と同じ)金色になっている様はまるで、「エリアルと苦労しながら生活した思い出」は栗色の髪に、「クリム幽閉され無為に過ごした日々」は金色の髪に織り込まれているようで、その髪を手に取るクリムはまるで彼女のヒビオルを読んでいるようだった。

 そして最後の別れのシーン。マキアが優しくエリアルの手を取りながら語りかける様はまるで、手のシワに刻まれているヒビオルを読んでいるようだった。リアルではよく「言葉では伝わらない」なんて言い方をするように、言語というのは便利ではあるが万能ではない。だからこそ、このシーンにおける「彼」というヒビオルは、彼が生涯に渡って過ごした日々を、感情も含め余すところなく「イオルフの民」であるマキアに伝えることができ、彼女もそれを受容できたのだろう。とても強烈で、救いのあるシーンだった。あと10回くらい観たい。

 んで、気になったのがタイトルそもそもこの作品はヒビオルの物語なんだから作品名は「ヒビオル」でよくね?

2018-03-01

anond:20180301111342

呪詛の掃き溜めに、まさかこんな優しいコメント貰えるなんて思ってなかったから、泣きそうなくらい嬉しいです。ありがとうございます

昨日の今日から未練が無いわけじゃないけど、前向かないとね。いい職場見つけて幸せになれるといいな!

貴方にも幸あれ!

派遣契約を切られた二十歳の呪詛

昨日派遣契約を切られた。いや、正確には3月いっぱいで切られることになった。

言われた時はショックで混乱してて、千と千尋ばりに「ここで働かせて下さい!」なんて涙目で縋り付いたもんだけど、じわじわ正気に戻って怒りがこみ上げて来たので、自分スッキリするためにもここに記す。

【クソ職場のここがクソ!】

残業代がつかない(これが一番本当にマジもんのクソ)

・定時で帰ると異様な目で見られる(仕事残す方が無能証拠なんですよ?残業=頑張ってる証とかいつの時代だよ)

トップツーが全く仕事しない(勤務中に鼻歌、昼寝、挙句ゴルフ練習とかなめてんの?)

年功序列暗黙の了解なんて文化がまだ生きてる(もう平成も終わりますよー)

仕事における「察しろ」が多すぎる(エスパーじゃないんで、普通に言われないことは分からないです私)

・昼休みに休めない(来客対応させられて1時間消えるとかザラ。辞める時に時給換算で請求できないのかな?)

雑用を全部1人に押し付ける(だから私のポジション誰も長く勤務しなかったんだろうな)

・私の企画アイデアだけ持ち去る(絶対ろくな引き継ぎなんかしてやんないからな!)

・私の企画仕事なんて小さい。大したことないと嘲笑う(じゃあこれから貴方達がぜーんぶ回してくださいね❤︎)

今パッと思いつくだけでこれくらいかな?まあ実際は私にも至らない面はあったんだろうけど、そんなのは棚の上に投げ捨てました。殊勝に反省して落ち込んでる暇ないんで。

「お前なんていなくても回る」なんてお高くとまって私の首を切ったその顔が、疲労で歪んで禿げ散らかすのを、今から切に願います

したことないと切り捨てた雑務の1つ1つに押し潰され、行く行くはこの職場自体無くなればいい。

はーあ。それにしても、私より仕事できない上司に「あんたは努力がたりないよ(笑)」とか言われたのマジで万死o f万死って感じ!!!!!!!!億万回タヒね!!!!!!!!!!!!!!!!!

改めて書き記すと本当に未練も愛着も一切無くなったし、引き継ぎとか無視してさっさと辞めたいな。次に出勤するのが気まずいし嫌すぎてもう!

でも頑張るよ。お金貰えるだけ貰わなきゃね。就活も頑張る。でも出来れば少し休憩したいな。

これ読んでくれる人もそうそう居ないと思うけど、もし優しい誰かに一言貰えたら喜びのサンバ踊ります。イェイ。

2018-02-28

anond:20180222002742

自分はモバの事前登録から入って複数並列で担当がいるP

いわゆるファスライ組とセカライ組どっちにも担当いるから一時期の空気は本当に辛かった

セカライ組の担当が縁で繋がった人の中には本当に呪詛と言えるようなものを吐き出してる人がいて

でもファスライ組の担当アイドル活躍するアニメを素直に喜んで享受したい自分もいるっていう…

なぜそこで自分の心が重くならなきゃいけないのかっていう…

まあでも多分どの担当だったとしてもこれ見よがしに呪いまくる人とはそもそも縁が薄いのだろうと最終的には距離を置いて済ませました

空気おかしければ部屋(自分観測範囲内)の空気を入れ替えればいいじゃない

Twitterならミュート完全にオススメです

見ないもの存在してないものと一緒になるしリムブロのように相手に気づかれないか喧嘩にもならない

そもそも公式推し=ファスライ組」という単純な図式でもないだろうにやたら決めつけた陰謀論じみたこと唱えはじめるのがね

見てきたわけでもない未確定のことをきっとこうだろうと勝手に思い込んでそれに対して怒るのが不可解すぎてね

いや何に対して怒ってもその人の自由だと思うけど自分はそれに同調はできなかったってだけの話

ユニット格差自体がどうこうというよりもそれに対しての反応で上っ面じゃ見えなかった側面が見えてきただけなんだろうなって思う

多分その格差問題がなくても何かしらの問題意見対立して違和感を持つことになると思う

自分ルール違反を犯してしまって忠告を受けた…とかでない限り、

趣味の分野なら見たいものだけを見て聞きたいものだけ聞いていくスタンスでも全然いいと思ってる

誰かが何を憎もうと勝手からこっちはこっちでそれを見ないっていう勝手するねって感じ

それでいうと元増田が憎しみの理由を聞きたがるのかって点も実は不可解な行動だなーと思ってしま

「知りたかたから聞いただけ」だとは思うけど、人の感じ方なんて千差万別なんだから「そうか理由はわかった だがその理屈理解きぬ」で終わってしまいそうな気がする

なんかPとして義務感?に駆られてるんだったらそんなものはないとだけ言っておくよ

2018-02-25

あっても良い、仕方ないが女性専用車両差別であるという話が受け入れられないたった一つの理由

一部の界隈にとって「差別であること」がその対象否定し、社会的抹殺する万能の武器であり、それを人に向けたことはあっても向けられたことがあまりいから。

「(仕方ないかもしれないが)差別だよね」という言葉が「今すぐ消えろ」という呪詛に聞こえる。

からかっこの中身をはっきりと言っているような、事実上の味方(敵などそもそも痴漢しかいないが)にさえも怒り出す。

あまつさえ「大多数の無実の人間」に「生まれ性別によって、一部の人間の犯したことに対して生じる責任」があるかのように糾弾し始める。

それこそまさに差別として今まで糾弾されてきたものであるのに関わらず。

2018-02-23

子供社会で育てよう」って言うくせにPTAとか率先してやりますって人見たことないな

しろPTAは滅びろ滅びろと呪詛言葉を吐いているんだが自分らは社会じゃないの?

PTAじゃなくても全然いいけどさー、君らいつ社会子供を育てるの?

2018-02-16

東アジア五輪を開催するのは愚の骨頂

お隣の国なんかは妬みと嫉みだけで他人を陥れるじゃない?

五輪という昔からイベントだってわかってるのに設備は死んでるし、食い物は毒にしかならないし。

挙句自国以外の国の人に対して交通放置していく有様。

東アジアでは五輪はやらないほうが良いと考えるけど。

平和的にスポーツしよう?って話でも、うちに国以外が勝ったら妨害する。SNS炎上させる。徹底的に苦しめてやるってスタイルなんだもの

そりゃ東アジア以外でも似たようなことは起こるかもしれないけど、正直東アジア場合は一部の国が陰険陰湿で常に呪詛を振りまこうとしている感じ。

そんな国で五輪なんかやるのは、健全でもなんでもないと思われるんだけどね。

2018-02-14

anond:20180212220528

元増田は本当にお疲れ様

前に飼っていた猫は乳癌で長く闘病していたのだけど、生まれた時から一緒に育った猫だったので大変辛かった。

その頃のことを思い出したのは元増田記事を読んだからじゃなく、昨日、その後に飼った別の猫が死んだからだ。便乗するのを許して欲しい。誰かにまれたいわけじゃない。吐き出さないとつらい。


今回の猫は心臓悪化から機能が低下して内蔵まわりを水びたしにして呼吸困難で死んだ。

そんな疾患を意識したこともなく、ほんの三日前の午前中まで元気に普段通りに過ごしていたので寝耳に水としか言いようがない。

細かく書こうとしてみたが、すでに出来事の順番が曖昧になっていることに気づいたのでやめた。ともかくジェットコースターだった。レールが出発地点に戻らずちょん切られていて池の中に放り出された感じだけど。

前述の癌の猫について、飼い主の都合で痛みを長引かせてしまったという自覚があることと、呼吸困難の苦しさ(丸二日間ずっと苦しみ続けて睡眠もとれないのを目の当たりにみしている上、完治の見込みは一切無い)を考慮して安楽死を選んだ。

選択自体には後悔は一切していない。猫はもちろん一秒でも長く生きることを選ぶだろう、意識だってまだあるのだ。自分の顔を声を、撫でる手を認識している。酸素室で比較的楽な一瞬、しっかりとこちらを見て立ち上がった時、確かに意識はしっかりしていた。でも、苦しさが限界まできてから眠らせるんじゃ意味がないと思った。少しでも早く楽にさせてあげたいと思った。口から垂れた水滴がうっすらと紅色だったのを見て、呼吸困難の後、血を吐くというのは本当なんだと思ったし、そこまでさせるのは本当に可哀想だと思った。前日の夜、撫でさすりながら「この呼吸困難は落ち着くことはない」と悟った時の悲しさは深くて、その時にもう決断したのだ。落ち着かないんだから、早い方がいい。でもそれは今日その日のことだとはわかっていても、何時何分になるのか、どうやって決めればいいのか。その瞬間までずっと考えていた。今はまだ撫でれば寄り添ってくる。声をかければ反応がある。尻の付け根を撫でればしっぽも跳ねる。でも決めてしまったら最後もう二度と触れあえない。

バックヤードに入って声をかけてから就業時間ギリギリまでそばにいる許可を得て、酸素室のそば椅子に座って猫をずっと眺めていた。猫は午前中は水を飲んだりできるまでに安定していたが、午後から酸素室に入れる前のように口を開いて呼吸する状態に戻っていた。心臓を圧迫するから俯せになるより座る姿勢の方が本来は楽なのだが、疲れているので伏せっていた。どうにもできないのでアクリル板の前で声をかけていた。顔と顔を付き合わせてスリスリするのが好きな猫だったので、なるべく顔を近づけて、たまに話かけるようにしていた。

しばらくして猫が体を起こした。そのまま頭をアクリル板に擦り付けスリスリとした時、私は撫でてやることができなかった。すぐに猫は座りなおし、また伏せてしまった。この仕草が猫から最後要望だったこと、それにその瞬間に応えてやれなかったことだけが、後悔として未だに引っかかっている。最後の瞬間まで何もかもを飼い主が勝手に決めるんだから、その時の「撫でて欲しさ」くらい絶対的に満たされるべきだった。

その後、酸素室を明けてもらってチューブを口元に持って行きつつ撫でたりもしたし、それで尻尾はピンと張ったけど、そんなの飼い主が触りたくて触っただけだし、今こうやって失われた手触りを惜しんでボロッボロに泣いているのも飼い主の勝手なのだ

死も病も生きとし生けるもの代謝を続ける生物すべてに降りかかる災難であって、この出来事もことさら特別運命ではない。だけど、なんでついこの間までピンピンしてたのに撫でて温めても治らないのかわけわかんないし、その直前に何か特別なご褒美がないものか、よくわからんと感じてしまうのだ。ペットとして生きものを振り回している人間の罪悪感から来ているとか、そういうたいそうなもんじゃなく、あの時に応えてあげたかったと、叶わなかっただけに後悔というより残念感がドーッと心を浸したまま浮き上がることはたぶんない。

安楽死想像よりも一瞬の出来事で、ハッキリ言ってまだ生きてる状態なのではと思いつつ死体を抱えて帰宅したが、やはり運動としての反応がない以上、死んだものではあった。体温は一月の寒さ程度では全然去らず、猫を抱えているとき特有の暖かさがあった。その意味ではまだ肉体は生きていた。肉体が生きている、感触は変わらず生前のままなので、猫とはまだ別れていない、「魂はまだ離れていない」という感覚ストン理解できた。通夜をするのだと決めた。

猫を抱いた人は了解されていると思うが、猫を抱くというのは小さいものの魂を抱くということだ。あれの温かさはそういう種類のものだ。スピリチュアリズムとかではなく、あんなに小さくて柔らかくて温かい繊細な感触をするものが、電池もなしに瞬発力を持って動くことに感動する。あの感触を得るために(あと鳴き声や舐める舌を得るために)人間は猫を飼っている。

この撫で心地を一瞬でも多く体験したいと思って、コンパクト姿勢にまとめて、体から熱が去らないようにバスタオルで包みながらずっと撫でていた。

やがて家族が飯の支度が出来たと呼びに来たので、二回目の呼び立てで立ち上がって猫を置いた。いつまでも続けているわけにはいかないのは分かっている。ただ、失われるものを少しでも得たいという、やはり飼い主の勝手欲望であって、そんなものは不純な気もしたが別れの儀式なのだと思えば許されるのではという気もした。

寝る時はベッドのそばのローテーブルに安置した。なかなか寝入れないので無料ガチャを回そうとソシャゲを起動したのだが、そういえば一昨日もこれをプレイしつつ俯せになっていたら猫が胸の下に入り込もうと邪魔をするので追い払っていたなと思い出した、とその時は泣かなかったが今泣いている。そのことは特に後悔はしていない(猫は実際に邪魔な時は邪魔だ)のだが、失われた瞬間の尊さときたら途方もない。猫が生きている時は「寂しい」の気持ちは押し込められていて、ともかく理不尽な病に苦しめられている猫の「運命」が「可哀想」だという気持ちで頭がいっぱいだったのだが、死んでしまうと寂しいに浸ることが許される。寂しいは自分状態への反応なので、順番を間違えてはいけない。

翌朝、猫の体は冷えていたが、水が溜まった下腹部がぶにぶにとしているせいで毛並と相まって生前の手触りを保持していた。腹に顔を埋めると猫本来香りは一切しなかった。発症してから口臭や小便の匂いもせず、口鼻や肛門に詰め込まれている綿と、昨夜寝かせる前に口元を拭った時の消毒剤の匂いがした。

その後、猫を弔ったわけだが長くなりすぎたので割愛する。

私が猫を看取ったのはこれで六匹目になる。回数を重ねるにつれ慣れるものだと感じていたのだが、正確ではなかった。この最後の一匹になる前は多々飼いをしており、一匹が死ぬことで猫の気配がなくなるということはなかったのだ。

最後の一匹になってから四年。この一匹だけは老衰でヨボヨボになりボケてあちこちに放尿するのを世話しながら息を引き取ることになるのかなと、なんとなく考えていた。



ペットロスという単語検索してみたら気が滅入った。

例えばこの文章を書きつつ号泣するというのはよくわかる。自分体験を振り返り、気持ちを盛り上げて文章化するものからだ。

だが、なんの切っ掛けもなく涙がこぼれることがあって、その時の心境は確かに「悲しい」だから心体は一致しているものの、ささいな刺激で表出するので本当に困る。「悲しい」には悲しいし、寂しがっているのだが、そうしたいと思っていないのに気持ちが昂ぶってしまい困る。

その一方でその気持ちから断ち切られたくないと考えている自分もいる。猫の感触仕草を声を忘れたくない。何度も振り返って記憶に焼き付けたいと願っている。その中でその愛している相手がこの世のどこにも存在しないことを感じて自動的に涙が流れる

時間解決することはわかっている。涙がなくても気軽に思い出せる日はたぶん遠くない。でも今はいっぱい悲しい。悲しいので涙が流れるし鼻水は垂れるし、一昨日からずっと目蓋が腫れぼったいしおでこまわりが熱いし、今年はもう必要ないなと思っていた鼻セレブを買った。

猫のことが悲しすぎない心持ちになったら、また新しい猫を引き取ろうと思う。一匹目の生まれた時から一緒にいた猫と死別した後、猫はあの一匹だけだと思っていた自分を変えたのは昨日看取った猫だった。

猫は猫それぞれで全然違い、個性や猫格を持っている。上手く付き合える確証なんてない。でも捨てられたり放棄された猫と暮らすのはどんな相手だろうと悪くないものだし、そのことで幸せになれる猫がいるなら今までの飼い猫たちにも報いることにならないだろうかと、そうも思うのだ。それこそ飼い主の勝手解釈で猫にしてみたらどうでもいいだろうが、一匹でも多く飯で腹いっぱいな猫が増えるなら猫好きとしては嬉しい。




一匹目の猫は乳癌で死んだ。

腹が腐る匂いと一緒に眠っていた。腫瘍の膿を拭って消毒液をかけないといけないのだが、大きく身をよじって嫌がるので雑な対処しかできなかった。爪を切られるのさえ嫌がる猫だった。

最期が近くなるとトイレがうまくできなくなり、尻まわりに糞をつけていたので臭かったが、その頃になると体もうまく動かせなくなっていたので拭き取ること自体は楽だった。しかし、腰が抜けて糞尿の上でのたうつようなことが度々あり辟易した。

最後の日、私が居間インターネットをしている時に「ニャア」といつもの声で呼びかけてきたが、私は怒っていたので相手をしなかった。

学校から帰って死んだ猫を見つけた時、ついに来ものが来たということはわかっていたが、そのことが理解できなかった、というのが当時のノートを読み返してよくわかる。生きていた時なら絶対にしないことを猫にした。首を持って持ち上げた。そのまま持ち続けていたが、反応がなくて、手を離した。床に落ちた。現象として確認した。信じられないものを目の当たりにしたあの時の気持ちを私は今でも忘れていなかった。紙から取り出せる。いつでも。

風呂場に遺体を持ち込んで糞と膿を荒い流している間、全世界への呪詛を吐きながらずっと泣いていたことも覚えている。初めて触れた身近な死だった。なんて残酷なんだろうと思った。

あの頃のように大声を出して泣くことも、荒々しい気持ちになることも、もうないだろう。

供養もなにもかも、飼い主の勝手で、寄り添ってくれたあの瞬間だけが本物だった。

2018-02-13

勉強なんか出来なければよかった

義務教育ときの話だ。

小学生時代、私のクラスメイト個性的な子ばかりだった。

やたら計算が早くて算数が得意な奴、誰よりも漢字を知っている奴、国と首都を全部言える奴、作文を書くのがとてつもなく上手い奴、喋るのが得意で説得力が物凄い奴、とにかくいろんな子がいた。勉学において突出した何かを持っている子が、私の友達には多くいた。

かく言う私もどちらかといえばそちら側で、特別な何かがあったわけではないが勉強だけはできた。一応。この広いネットの海からすれば井の中の蛙しかないけれども。

結論から言うと、彼らは後にグレた。ほぼ全員がだ。

グレたといっても夜露死苦とか書いた短ランを着るようなアレではなくて、教師に反抗したり徹夜ゲームしたり、その程度。

その結果(一概に100%そのせいと言い切るのも危険だけれど)、学年でもトップクラス学力能力を誇った彼らは、高校受験の際にいわゆる地区トップ校には行けなかった。では誰がトップ校に行ったのか。

答えは「優等生」だ。

優等生トップ校に行くこと自体は何も不自然なことではない。問題なのは、幼少期から突出した能力を持っていた子達(変人とも言う)が軒並み途中でドロップアウトしていったことだ。

実はこれ、学年が上がるごとに変人の成績が下がって優等生の成績が上がっているのだ。少なくとも私の観測範囲では。

これは私の体験談だが、「終わった人から帰っていいよ」タイプ課題が出た際にとにかく早く帰りたくて全力でそれを終わらせて一番に提出した。すると教師は、早すぎる、本当にちゃんとやったのか、と怒った。ちょっと理不尽すぎて書いてて腹が立ってきた。

他にも、演習問題が終わったからと宿題範囲をやっていたら宿題は家でやるものだと怒られたりもした。一理あるが、ならば演習が終わったらただ黒板を見つめていろとでも言うのだろうか。

……私が怒られすぎなだけな気もしてきたがまあいい、続ける。

こんな感じで、特に小学生時代は「周りと足並みを揃えること」を強要された訳だ。

の子と違うことをしてはいけない。他の子と同じことをしなければならない。他の子より早く終わってはいけない。他の子より上手く出来てはいけない。最早これは呪詛だ。今でも私から離れない強迫観念

特に私が小学生の時はまだゆとり教育時代だったから、競うことは良しとされていなかった。みんな同じが平和だとされていた。みんな同じでなければ平和でない、と言い換えてもいい。

そういった価値観だったから、出る杭は打たれた。突出した能力がある子達は皆そうだった。彼らは頭がよく切れたが、それも教師の癇に障ったのかもしれない。出る杭たちは打たれて打たれて、その多くは折られてしまった。周りに好かれることが得意な優等生たちは折られずに済んだ。その結果が前述した「変人ドロップアウト優等生トップ校に行った」ということだ。

私自身も当時は出る杭だった。例に漏れドロップアウトした。教師同級生から同調圧力に耐えられなかった。今でも出る杭になるのが怖くて何も出来ずにいる。

あのまま伸びていたらとんでもなく凄い奴になっていただろうなという子もいた。本当に勿体無い。

どうして出る杭がここまで執拗に打たれなければいけないのか。生徒の能力を平らにならそうとして、折角の能力を削ぎ落としてしまってはいいか。心を折ってしまってはいいか先生に好かれ、周りの生徒に好かれることがいい生徒の唯一絶対の条件になってはいいか。多少模範から外れていても、秀でた能力をせめて認めてあげることはできないのか。

折れた心は元には戻らない。騙し騙しやってはきたが、義務教育を終えた頃から小学校後遺症が目立つようになった。何がやばいかって受験がとてつもなく苦しい。出る杭は打たれる、終いには折られると刷り込まれた頭でどうやって受験しろと?

勉強なんか出来なければよかった。

できなかったら、きっともっと生きやすかった。

カッとなって勢いで書いた。支離滅裂申し訳ない。

2018-02-07

鬱を経て見出した5秒で幸せになる方法

10年前くらいに鬱で死にかけました。

原因は働きすぎと家族問題に板挟みになったこと。

そんなわたしが色々なことを経験してみたどり着いた5秒で幸せなる方法

それは、目を閉じて軽く深呼吸して心のなかで「許す」とつぶやくこと。

仕事サービス業中間管理職

慢性的人手不足で月の残業時間は300時間超え。(もちろん手当は雀の涙

20代後半から5年くらいはまともに休みもなく、いつもお店にいました。

家に帰るとわたしと同じ実家住まいの5つ上の兄、冷え切った夫婦仲の両親。

母がけしかけるせいで父と兄の仲は最悪に悪く、父の一挙手一投足に兄が舌打ちやらいらだちを見せ、家の中は常に緊張の糸が張り詰めている状態でした。

仕事では体力も精神力も尽きるまで働き、家に帰ると親兄弟の顔色を見て釣り糸の上を綱渡りするような生活でした。

兄は極度のマザコンで、父が母を苦しめていることが許せなかったのでしょう。

母も、それがわかっていながらわざと兄の前で父から仕打ち(といっても正直しょうもないものばかりでしたが)を、さも不幸な様子で語っていました。

わたしはそれがわかっていたから母の話はほぼ聞き流していました。それがあったからなおさら兄にばかり頼っていたのかもしれませんが)

わたしにも、母から呪詛は送られてきました。

仕事中、いくら忙してく返事ができないといっても5分おきに着信履歴が溜まり留守電にはわたしが助けてくれないから不幸になるといったような呪い言葉が溜まっていました。

(困っているから助けてくれではなくて、わたしが困っているのはあなたが助けれないからだ、というような内容です。母を助けない子供は悪い子。子供に助けてもらえない母は不幸。という呪いです。)

そのままベッドに倒れ込みたい気持ち我慢して、母からの頼み事を聞きました。大半はしょうもないものばかりです。お金払って業者に来てもらえば終わるものです。

もちろんありがとうはありません。

彼女にしてみればわたしが手助けしなかったせいで不便を強いられていたのですから、直したところで普通を取り戻した気分でしかないのでしょう。

こんな毎日が、終わりを見せる様子もなく続きました。

そしてわたし唐突に壊れました。

ある日、いつものようにお店に立っていると入って一ヶ月くらいの新人さんがぎょっとした顔をしてこちらを見ています

「え?○○さん、どうして泣いているんですか?」

【そんなことはない】そう言い返そうとしても言葉がでてきませんでした。

その時はじめて自分が泣いていることに気が付きました。

泣いていることに気づいた途端に、目からは更に涙が溢れ、何か説明しようにも頭のなかで次から次へと湧いてくる言葉が嵐のように渦巻くばかりで一向に口から出てくることはありませんでした。

わけもわからないままに控室に飛び込むと、次のシフトで出勤予定のこれまた入りたての主婦さんが驚いた様子でこちらを見ていました。

やはり何も説明できずに、ただひたすらに涙が流れる目で相手を見ていると、主婦さんは表情を柔らかくして優しく言いました。

大丈夫。あせらないでいいから、ゆっくり息を整えなさい。」

それだけ言うと、わたしの両肩に優しく手を乗せてしょうもない世間話をはじめました。

それは何かに対する愚痴や不満ではなく、毎日ちょっとした発見や何でもない出来事の話でした。

それがどれだけの時間だったのかわたしにはわかりませんでしたが、ようやく嗚咽が止まり状況を説明しようとするとその人はただ「大丈夫よ。わたしに気を使う必要はないから。」とだけ言いました。

途端に新人さんだけをお店に取り残していることを思い出し、お礼もままならずにお店に戻ってしまいました。

次の日、お店の開店準備だけ顔を出すとその日は久しぶりの休みを取ることにしました。

お店に自分がいないことはとにかく不安でしたが、それこそ倒れてでもしまったらどうにもならないと考えたからです。

太陽が明るいうちに街なかを歩くのは本当に久しぶりでした。

ビルの谷間から雲一つない青空を見ていると、自分の心の中も綺麗さっぱりに晴れていくような気がしました。

しかし、母の着信はそれを許そうとはしませんでした。

最初はあえて着信を無視しても、履歴はあっという間にたまり最後留守電が一つ入って止まりました。

それだけですでに久しぶりの休日台無しでした。

わたし留守電も聞かずに家に帰ると、母に怒鳴りつけました。

今まで休むことな自分犠牲にしてきて、罪悪感に苛まされながらもやっと取った休みを奪うほどの用事は一体何だ、と。

それを横で聞いていた聞いた兄が、今度は「親に向かってその口の利き方は何だ!」と怒鳴ってきました。

わたしテーブルをひっくり返しました。目につくもの全てを床にぶちまけて叫びました。

「これでわたしが悪いと言うならわたしには生きている意味がない!xんでやる!」

明らかに二人が動揺したのがわかりました。

それでも兄は強がって「何があった。聞かせてみろ」と言ってきました。

馬鹿か。お前に聞かせてどうなるというのだ。また家族の愛だとか綺麗事を並べてわたしを縛り付けようとしてくるだけではないか

それ以上何も言わぬ二人をおいて、自室に戻りました。兄も母も追ってはきませんでした。

それまで、正直に言うと何度か死んでしまおうと考えたことがありました。

それができればどんだけ楽になれるか。

でも、そんなことをすれば周りが悲しむし、それ以上に迷惑をかけてしまう。

そう思ってはできるだけ忘れようとしました。

しかし、もちろん状況は一向に良くなっていきません。その思いは段々と強くなってきていました。

からこそあんなことを口にしたのだと思うのですが、その瞬間に、こんなやつらのために自分の命を犠牲にしようとしてだなんてことが心の底からバカらしくなってしまいました。

家族は大切にするもの。それが出来ない人間は悪い人間

誰が言い始めたのかもわからない、そんなつまらない思い込み自分が追い込まれていたのだと気づいてしまったのです。

バカバカしい。」

口に出してみると、ここ数年の自分生活全てが本当にバカバカしく感じられました。

今まで一体何をしていたのだろう。


そんなときはるか昔に聞いた言葉をふと思い出しました。

あなたが何かを許せないと思うときあなたは同時にその何かから許されていない。」という言葉でした。

なぜその時その言葉を思い出したのかわかりませんが、わたしは試しに母と兄を形だけでも許してみることにしました。

父をぞんざいに扱う母も、母にいいように操られて父に苛立ちをみせる兄も、そういうものなのだ存在を許すことにしてみたのです。

すると、頭の中だけのことでも、ある意味ではそんな存在がどうでも良くなりました。

どうでも良くなってみると、いままでそんなことに悩んでいた自分バカバカしくなりました。

次に、自分がいないと不安職場を許してみました。

すると、自分職場にい続けていた理由が、売上が悪かったときにせめて自分がいなかったことを悔やみたくないだけだからだということがわかりました。

おかしなことを言っているかもしれませんが、つまりはそういう追い込まれ方をしていたのだと思います。)

考えてみれば、わたしが父を嫌いではないのは、父のそういうところを許しているからに他なりません。

なんだか、それまでの人生が、まるで動いてもいない電車の中でひとりだけ転ばないようにと必死に踏ん張っているだけなように思えました。

そして次に、わたしわたしを許してみることにしました。

お店の売上が思うように上がっていかないのも、両親の仲が悪いのも、兄が母にいいように操られているのも、自分に何かできることがあるかもしれないけど、自分のせいではないんだ。

から自分犠牲になる必要なんてないんだ。

そう思うと、自分という存在を包み込む殻のようなものがすーっと溶けてきて消えていくような気持ちになりました。

あのまま放っておけば、世の中の不幸は全て自分のせいかもしれないと考えていたかもしれません。

言葉が下手で申し訳ないのですが、「いい」「悪い」と、「許す」「許さない」は別のことです。

悪いものでも、それが存在することは許すことが出来ます

逆を返せば、すでに存在しているものは、存在を許すことしかできまないのです。

それならば、存在することに頭を痛めるより、存在を許した上でその中で自分が何をすればいいのかを考えたほうが楽ですよね。

そう思ってからは、世の中の大半のことに心を乱されることはなくなりました。

感情に直接働きかけてくるような出来事も少なくありませんが、そういうときはこうします。

1.目を閉じます

2.ゆっくりから3秒息を吸います

3.口から1秒で息を吐き出しま

4.目を開けて心のなかで「許す」と唱えます

あら不思議

目の前の理不尽なことが、あっという間に他人事になります

どんなに嫌なことがあっても、自分犠牲になってはダメです。

自分ひとりではどうにも出来ないことを許せないと歯を食いしばるより、それを許した上で、自分はどう生きるかを考えたほうが健全現実的からです。

そう思うと、あの主婦さんはあのとき自分ありのままに許してくれていたのかもしれません。

から余計なことを考えずに済んだし、パニックになっていたのにもかかわらず、なんだかとてもホッとする時間を過ごしていたような気がしました。

いまでは家族とも程よく距離を取り、仕事も繁忙期以外の無用残業休日出勤はしなくなりました。

相変わらず残業代雀の涙ですが、あの頃より家族関係仕事の成績も良くなり、何より自分幸せと正面から向き合えるようになりました。

自分を苦しめるものはまずはその存在を許してみる。

その上で、距離を置くなり自分健全でいられる方法を考える。

大丈夫。逃げ道はいくらでもあるし、逃げ道の先にも新しい世界は沢山あります

だらだらとわかりづらいことを書いてしまいましたが、みんなの役に立てるとは思いませんが、誰か一人の役にでも立てたなら本当に幸せです。

2018-02-06

anond:20180206213610

親への呪詛を垂れ流すという点で毒親叩きの連中とのぶみはソックリ

anond:20180205213400

”あの歌詞全部読んだけど、後半の方がゾワっと来た。前半の呪詛の方がマシ。母親と言う役割依存し、子供依存して、子育てしてる私に価値を見いだしてる感が気持ち悪い。子供にとっての人生の先導者が盲目って怖い”

2018-01-30

ママがね、パパのこと大好きって言ってたよ」

と娘が教えてくれた。

普段顔をあわせれば喧嘩ばかり、口から出てくるのは呪詛言葉だらけの妻がそんなことを言うなんて・・・





まだ幼い娘に気を使わせてしまって、父親失格だなと反省した。

2018-01-29

総選挙曲に楓さんがいない云々の呪詛もうやめてくれ

つうか呪詛を唱えるな呪詛

運営批判すんなつってんじゃなくて、

それを呪詛にして、もう生まれた新しい何かに当たるなつってんの?

わかる?

今回でいうなら運営に当たるならいいわ

なぜか巴や荒木先生呪詛を向けるやつ居るだろ

マジで

一事が万事だけど

もう既に決定したことた今まさにやっていることを批判しても何も起きないんだよ

2018-01-25

ぶっ殺すと死んで楽になりたいの狭間

仕事を辞めた。人間関係ストレスがやばすぎて毎日「殺す」「爆破してやる」「ぶっ飛ばす」「死ね」と思いながら働いてたけど気づいたら「殺してほしい」「死にたい」「今ここで倒れたら仕事行かなくていいのに」に思考が変わってたから辞めた。

人に暴言吐いてはいけないし本当に口から出す言葉は何が好きだとか何が美しかったとか美味しかったとかでありたいけど心から発するもの自分に向けての呪詛になったらその場から逃げねばならんのだなあと思った。

仕事辞めたところで無職だし死ぬしかあるめえって感じだけど誰かのせいで死にたくなってるのではなく自分のせいだからそれはとても健全だ。

ちなみにストレスの根源はクビになった。ざまあみやがれ、人生絶望しとけ。私は明るく楽しい無職になる。

2018-01-23

anond:20180123110743

完済すればそう思えるんなら、まあいいや。許してやろう。

あと10年間、返済に苦労するタイプ奨学金を選んだことを後悔し、一方の後輩たちはそんな悩みを思いつくことすらなくのびのび暮らすことに呪詛を吐きながら、せいぜい頑張ってね。

2018-01-21

「健常者に生まれてきても

将来障害者になるかもよ」ってさ。

そりゃそうだろうけど、生まれてもない子とか生まれたばかりの子についてそうやってコメントするのって一種呪いだよね。

いや文脈上そういいたくなるのもわからなくはないけど、やっぱり呪詛だよそれは。

2018-01-18

呪詛をここで吐き出していいかな。

養育費ももらってないのに父親からと会わせたりしていた。

元旦那事業に失敗して借金作ったから、お金も貸したりしてたし、向こうの仕事も手伝ってた。

なのに私に彼氏ができたら手のひらを返された。

子供高校私立に行くことになって色々とお金もかかるから

今までもらってなかったけど養育費なんとかできないからと打診したら。

自分が困って都合がいい時だけ連絡してきやがって

子育てなんかお前してない、おばちゃん(※母)が育てたんだ

しつけもできない子供に育てやがって

お前の育て方が悪いか子供あんな風に育った

子供らはおまえに捨てられると思ってる、子供がかわいそうだ

子供が可愛くないんだろう、今からでも引き取ってやる

子供がこの年から独立したいといってるのは、お前に邪魔だと思われている証拠

彼氏と遊びたいから金が欲しいんやろう

養育費も払わんとは言わん、払うならおばちゃんに払う

と。

たまにしか連絡してこないのは元旦那の方で、一か月以上連絡がないこともあったし、

養育費も払ってはいないし、貸したお金もまだ残っている。

子供を引き取るというが、元旦那家事育児の一切ができない。

夏休み泊りに行かせたら、子供たちほぼ自炊させられて一週間泊りのはずが4日で帰ってきた。

中高生男子が将来家を出て独立したいというのは普通の考えかと。

払うなら母に連絡するといったが、母の方には連絡なし。

私の10年はなんだったんだろうか。

一人で二人の子を育てるのは大変だった。

職場理解があって育てるのに必要給料はいただいていたけど、

家事育児も母に全面的に協力してもらっていたけど、それでも楽ではなかった。

やっと子供が手から離れて、次の相手が見つかって、それの何が悪いのか。

半年前、彼氏ができたと聞いた、元旦那母親から電話がかかってきた。

残念です、これから元旦那を支えてくれると思ったのに、と。

それ以来、連絡はない。

この冬は、クリスマスの贈り物も、年賀状もなかった。

いつまで縛られていなければいけなかったのか。

あの一家にとって私はいったいなんだったのか。

離婚希望したのは元旦那なのに。

少しは私の立場も分かってくれると思っていた元旦那母親ですら、こんな。

元旦那の家には孫がおらず、子供たちだけが血筋の子からと、

離婚しても縁を切らずにやってきたのに。

周りの人は、そんな奴だったんだ、子供子供なら親も親、諦めろという。

何度もフラッシュバックして泣くと、まだ泣いてるの?いい加減にしたら?と。

でも悔しい。なぜ自分の子供なのに何もしないのか。

子供に連絡とらなくなったのも、きっと私のせいにしているのだろう。

子供になにもしないのも、きっと私が悪いってことになってるのだろう。

どうやったらこ気持ちを手放せるんだろうか。

元旦那を殴り倒したくなる気持ちを手放せる日はくるんだろうか。

子供たちは私に彼氏ができたことも受け入れてくれているし、

パパに会えないこともあんな人だし別に会いたいとも思わない、と。

しゃーないやん、と。

それよりも日々楽しく過ごせたらそれでいいって。

2018-01-17

最近ツイッターで、「子供が出来たので予定していたツアーアルバム制作は中止します、ごめんね☆」

ということをファンに伝える謝罪文的なものを見た。

そいつは多分相当のバカだろう。過去には神だの、音楽素晴らしーだの、世界平和にする―だのの発言をしてるし、内容の深さがあまりにもないようなことばかり。

全てを中止して、子どもを生むまでは休止するという判断は懸命だ。

そもそも子どもができて、それを生んだ後のそいつにはもう大人があつかってくれるようなタレント的な価値はないのだろう。

それがあれば休止ではなく、作品の発表くらいの提案はしただろうし。

そいつとしては、「目標に【なってしまった】出産」というくらいだから本来望んでないのかなと。

もう二度と公の場に出ず、家庭をしっかりさせてほしい。

もうこいつのバカを見るだけでぶん殴りたい衝動が貯まり続ける。

祝辞呪詛を同時に聞かせてやる。

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