はてなキーワード: ひらがなとは
わたしが育った田舎の小さな中学校は、当時いくつかの小学校から生徒が集められていた。
メインとなる小学校から来る子どもが半分、そのまた半分を別の学校が、さらにその半分づつを別の小学校からの生徒が占めていた。
その中の小学校のうちの一つは、人数が少ないのに個性的な子どもが多かった。
さなちゃんは、色が白くて、黒目がちな瞳がくりくりしていて、ベリーショートの髪が真っ直ぐぴんとしていた。当時流行っていたウルフの襟足の所の毛が首筋に沿ってきれいに流れていて、アイロン毎日やるの大変なんだよねとからっと話していた。
細くて無駄な肉のないすらっとした手足は、量産型の制服で隠されていてもすぐに分かった。
サバサバした話し方なのに、一人称が名前呼びで、さなはねって話するのが、ちょっとあざといようで、でもそれもまたよかった。
とにかく、さなちゃんは、とてもとても可愛い女の子だったのだ。
さなちゃんは、可愛いだけでなく、所属していた部活でも副キャプテンとして活躍していた。それでいて、勉強も出来て、センスも良かったから、男の子からも女の子からも人気者で、友だちも多かった。
わたしとさなちゃんは、特別仲がいいわけではなかったけれど、中学生らしく、たまに手紙を交換する仲だった。
当時はキャラもののメモ用紙とかレターセットとかが流行っていて、カラフルな紙をハートやイチゴの形に折ってそっと休み時間に渡しにいくのが定番だった。
さなちゃんの手紙はだいたいシンプルな白い紙や、いらなくなった理科のプリントを工夫して作ったお手製の便箋が多くて、そこにいろんなイラストや書かれていた。ただのファミリーマートで買った無印の水性インクのペンで無造作に書いただけの線でできてる便箋さえ、おしゃれに見えた。
ひらがなが多めのさなちゃんの手紙は、文字ひとつとっても、小さくきゅっとして不揃いにならんでいて、それだけでも他のどの女の子よりも可愛かった。
読んでいるだけでワクワクが溢れてくるし、使う言葉のセンスがすごくよかった。唐突に出てくるイラストや、仕掛けにいつも早く返事が欲しくなった。
あの頃のわたしにとっては、さなちゃんと手紙交換出来ていること、それ自体がとにかく自慢だったのだ。
他の人に大きい声で自慢したくなるような感覚さえあった。
さなちゃんからの手紙を受け取ると、自分がなんだかそれだけで価値のあるものに思えた。
手紙を貰えるくらいに、仲良しなんだと。
さなちゃんは、中学校の時に、わたしがずっと好きだった子と付き合い始めた。
彼はクラスの中心にいて面白くて足が早くて、数学が得意で、背が高かった。顔はカッコよくないのに、ギャグセンが高くて、いつも人を笑わせていた。でも飄々としてて掴みどころがなくて、そこもまた人気だったのかもしれない。
さなちゃんだったら、クラスで1番のイケメンとかとも付き合えるはずなのに、ちょっと癖の強い彼を選ぶセンスも最高だと思ったし、並んだらお似合いだなと思った。
さなちゃんは学区内で1番の進学校に行った。そこは、ちょっと真面目な子たちが行く高校で、指定の制服がダサい学校だった。
黒いブレザーで、校風もあるのか、なんか地味。
高校の入学後に、4月に駅でばったり会ったさなちゃんは、中学生の時よりもっとキラキラしていた。
わたしがダサいと思っていたブレザーに包まれたさなちゃんはキラキラした小物やアクセサリーで彩られて、それが黒い生地を背景に輝いていた。
綺麗に細かく折られたプリーツスカートは少し短めになっていて、そこから細くて白い足がすっと伸びているのも、品がない感じがしなくて、ヘルシーなのにちょっとドキドキもさせてくる感じだった。あまりにも可愛く着こなしていたのに加えて、お化粧をしていたからかもしれないけど、とにかくその姿が眩しくて、こんな山奥の駅にいたらいけない存在だ、と思った。
間も無くして、さなちゃんは中学校の時の彼氏と別れて、同じ高校の素敵な先輩と付き合っていると風の噂で聞いた。
その後、中学の時の彼氏と復縁したとかまた別れたとか、聞いてなくても誰かが教えてくれた。
久しぶりにさなちゃんと会ったのは大学卒業後に開かれた同窓会だった。
相変わらず可愛い姿を振り撒いているさなちゃんは、卒業アルバムから出てきたみたいに何も変わっていなかった。そこにいるだけで輝いていた。
大好きだったパティシエの仕事についていて毎日忙しいこと、大学時代から数年付き合っている彼氏と結婚まで秒読みなのだということ、聞きたい聞きたくないに関わらず、居酒屋の隣の席でいいなー!と絶叫する旧友の声で知ることになった。
きっと、ウエディングドレスも似合うんだろうなと思った。おしゃれな会場で、白いドレスもカラードレスも着こなすさないちゃんの姿は、パンフレットに載ってるモデルさんと代えても遜色ないくらいに素敵だろう。
さなちゃんのことを久しぶりに思い出したのは、さなちゃんの親友だった友人と久しぶりに会った時のことだった。
たっぷりサイズのアイスカフェオレを頼んで涼んでいたら、友だちが教えてくれた。
さなちゃんが、付き合っていた彼と結婚したものの、その後、同窓会で再開した同級生とW不倫の末に略奪デキ婚したという話を聞いた。
相手は、やっぱりクラスの中心にいた、おちゃらけ系のみんなから好かれていた、いわゆるいい奴。事業に成功してお金もあったようだ。さなちゃんのお店を出すのをサポートしていたらしい。
昔からさなちゃんのことが好きだった彼は、同窓会の幹事をやる中で、改めてさなちゃんに惹かれたようだ。
彼には長年付き合っていた歳上の奥さんがいたが、その方との間に子どもはいなかったとのこと。
そして、さなちゃんは、子どもが産まれたものの、その彼ともお店もあまり上手くはいっていないようで、結局お金を貰いながら実家で子育てをしているのだという。
わたしは喉が異常に乾いて、焦るようにグラスを手に取り、ゆっくり飲んだ。
喉を通るあの液体の冷たさを思い出すたびに、わたしの中のさなちゃんが、14歳のままの姿で蘇ってくる。
決して色褪せないまま。
追加
そっか、フェイク入れなきゃと思ってパティシエにしたから嘘っぽいのか…本当はペット系のお店です。山奥なのは本当です。徒歩圏内にコンビニなくて猿が出るレベル。過疎地域ではない。
それは、『白抜きで描かれた大きなひらがなの中を、丸(○)を描いて塗りつぶす』という練習方法。
普通に見本通りの文字を何度も書く方が覚えると思うし、図形を「○」で塗りつぶすというのがとにかくダルくて意味がわからなかった。
意味のわからない作業にうんざりして、線(////←こんな感じ)で塗りつぶして提出したら、消して塗り直すことを命じられた。
器用な子はうまいこと○で塗っていたけど、私には無理だった。
○を描いても描いても埋まらない白抜きのひらがな、延々と○だけ描き続ける作業…発狂しそうだった。
今でもあの練習法は無意味で愚かで馬鹿馬鹿しいものだったと思うが、この話を大学や会社で人にしても「そんな授業があるか」と信じてもらえない。
先生の手作りプリントではなくて、ちゃんとした練習帳だったはず。
…はずなんだけど、自信がなくなってきた。
誰か同じドリルやった人いない??
でも、どうしても吐き出したくてもう一度載せる。何通か書いたものをまとめて載せる。追記の項に書いたけど、吐き出したいだけで、それ以上の意味はない。
思うままに書いたエントリを縦につなげただけなので、論理構成は無茶苦茶。
長男が発達障害だ。療育手帳は上から3番目の等級。これは、身体障害で言うと指の欠損とか嚥下障害とかと同じくらいの重さ。ただ、どこがどうと言うと、説明が難しい。
多動でもなければ注意欠陥でもない。ステレオタイプな目を合わせないような自閉症ではない。むしろかなり人懐こい。
知恵も遅れてなさそうだし、人と目を合わせられないとかでもない。
説明しやすい違いというと、喋らないことだけだ。5歳が近づいてなお、意味のある単語は喋らない。イーッ!アーッ!ばかりだ。手帳はほとんどそれで貰えたに近い。しかし、言葉を喋らないことは、育てにくさの一端でしかなく、本質じゃない。
彼の場合、ただただ、コミュニケーションに対する考え方が、行動が定型児とは違うのだ。無敵の人なのだ。
みな「うちの子もそうよ」みたいな話をする。そりゃ、どの子だって、自分の世界に入って周りの音が聞こえないことってあるだろうさ。我を通したいがためにスーパーで寝転がって駄々をこねるということもあるだろうさ。でも、頻度と質が違うんだ。
彼は楽しさを共有しようとする意思がある。テレビをみて、今のみたか?というふうに視線を送ってくる。無視していると、髪を掴んで強制的に鑑賞させられる。
その一方で、他者からの働きかけには興味がない。まず名前を読んでも反応がない。問いかけに対する反応もない。聞こえてないわけでも理解してないわけでもない。なぜなら、自分の利害と一致するような言葉はちゃんと拾うのだ。「買ってあげるから(スーパーの)カゴに入れて」とか、「児童館行くからおいで」という言葉にはちゃんと反応する。
そんななので、口頭試問という手段が使えないので、知能を測ることは難しいんだけど、親バカだがむしろ賢い。ひらがな、カタカナ、アルファベットは2歳くらいから読めてる様子。3歳になるとPCのキーボードでタイピングするようになった。数字は100くらいまで理解し、足し算のような演算記号も理解してる様子。機械の仕組み、道順、人の顔もすぐ覚える。
知能が測れないというのは地味に厄介だ。
何ができて、何ができない、何を知ってて、何を知らないのかが親にわからない。
ある日突然できている。いきなり意味のある文章をタイピングしたり、いきなりそれとわかる絵を描いたり、いきなり1人で着替えてる(もう一度してと言ってもしてくれないし、再現されることはまずない。いまだに手で食べ、オムツで、着替えは人任せだ)。
しかし、嬉しい驚きばかりじゃない。むしろ、それが一番困るところだ。
1歳で1人で外に出た。3歳くらいのとき1人でスーパーから消え近くの踏切にでた。やはり3歳で包丁で野菜を切ってたこともある。
目を離した親が悪いというけれど、本当に、「ある日突然なにかができてる」なのだ。
そして、これが特徴だけど、どんなに怒鳴っても、ほとんど響かない。嫌われることへの恐怖心というものが皆無だ。すごい剣幕に、近くにいた次男はギャン泣きなのだが、当の長男はというと、なんか耳元でうるさいなくらいの顔しかしない。
拳や足による制裁が加わっても、なにか面白いものを見つけると、次の瞬間に天使の笑顔である。憎しみや怒りに対して笑顔をぶつけられるチートスキル。明らかに不機嫌がおさまらず噴火寸前触るな危険な妻にも、キャッキャ寄っていく。価値判断が自分が楽しいかどうか、自分がしたいかどうかだけで、他者評価を一切気にしない。つまり、無敵の人なのだ。
袋詰めの一瞬の隙をついて、消えた。まさかの店外に出ていて、近所の踏切で確保された。何人かの大人に囲まれ詰問されていたが、喋れない。警官が駆けつけたところで、パニックになった妻が到着。地獄絵図だったそうな。
本人的には「俺は一回くれば道くらい覚えてるからさ、1人で踏切にくらい行けるし、車道や踏切の中で止まるほどバカじゃないよ」
って喋れたらそう言ってるだろう。
自分は、彼のことを95%くらい信じてる。口頭試問できないが、かなり賢い。たぶん信号を理解してるし、車道や踏切というものをたぶん理解してる。でも5%くらいは信頼できない。5%、つまり20回に1回はなにかある、そのくらいの信頼度だ。そういう意味でも、親は子供の「はじめて」の側にいたい。何度かの練習で失敗を繰り返し、99.99%成功、万が一くらいの危険度になってようやく1人でやらせたい。だが、彼の初めては、常に突然だ。気がついたらなにかしてる。無敵の人だからだ。幸いに事故はないのだけど、大人がすり減る。
こだわりの強さの話をしよう。
こだわりとわがままは違う。
我が家の場合、定型っぽい次男のイヤイヤ期のほうがよっぽど理不尽だった。
例えば、次男が牛乳のお代わりを要求するのに対し断ったとする。イヤイヤ泣く。渋々お代わりを与えても、「欲しかったのはさっきの瞬間で、今じゃない!あの時の俺の気持ちをどうしてくれる!」みたいな泣きがはじまる。
発達っ子の長男は、こだわりは絶対に譲らない。どんなに拒否されても、コンコンと要求を取り下げない。激しく叫んだり暴れたりしても、パニックではなく、伝えるためにそうしてるだけだ。30分でも1時間でもやめない。ちゃんと要求さえ通れば、それきりだ。要求を飲んでくれたことへの感謝もなければ、要求をしぶられたことへの恨みもない。
他のことに気を逸らすことが非常に困難で、まず無理だ。いわゆる子供騙しが通用しない。
本当に、無敵なのだ。
この子の母、自分の妻は、長男と180度違う。妻の性格はちびまる子ちゃんみたいと言えばいいだろうか。おだてられたら調子に乗り、怒られたら凹む。他人の成功を妬んだり、目の前の餌に釣られたり、ふと冷静になって後悔したり、劣等感にさいなまれたり、仏様に憐れまれそうな典型である。
妻は憐れな衆生の1人、お気持ちファーストなので、妻が長男を叱る時、響かないのはストレスらしい。凹ませるのが目的じゃないって正論を言っても、理性ではわかっても行動をアップデートできない。反省の色が云々は裁判官でも言っちゃうので、怒られてすぐヘラヘラされて正気でいるのは、解脱が遠そうな性格の妻には無理のようだ。
妻と衝突した時、次男は判断が気持ちできまる。こんな気持ちにさせられたという自分の気持ちがファースト、相手が怒ってるどうしようという相手の気持ちがセカンド、それを天秤にかける感じ。多くの場合、なぜ怒られたかすら理解してない。
対して、長男は、「かくあるべし!」っという戒律じみた強い信念と、好奇心が行動規範。話が聞こえてないわけではない。そもそも悪いと思ってないとこはなにを言われても取り合わないが、失敗(はしゃいで走って牛乳をこぼしたとか)を咎められると、バツが悪そうな顔をする。言葉は通じてるのだ(自分でタオルを持ってきて拭きはじめるが、拭き終える前に別のことを始めるのだが)。
どっちかっていえば、長男が人類のあるべき姿で、定型の定型たらしめる妻と次男の人間臭さこそ、現世の生きづらさな気がするのだ。長男はこだわりや好奇心の邪魔をされなければ、妻や次男に八つ当たりや理不尽な攻撃をされてさえ、「やれやれだぜ」くらいの顔しかしない。
でも、悟るのは成人してからにしてもらわないと困る。お釈迦さまだって結婚や育児が一段落してから出家したように、まずは社会通念に従ってくれないと、この世で生きられない。
社会のルールとか、貨幣制度というのは、幻想を共有することだ。長男はその能力が著しく低い。「僕が鬼で君が隠れる。見つかったら負け」こういうのはたぶん長男は理解しない。というか理解する必要性を感じない。鬼とか負けというのは、幻想だから。
理解するとしても、アルゴリズム体操のように、そういうアルゴリズムとして理解して、前後の文脈や場の空気からの理解じゃない。
長男はよく星のカービィ(WiiUのバーチャルコンソール)をしてるのだけど、ライフがゼロになるとか穴に落ちたら残機が減るというのは理解する。なぜなら、幻想じゃなく仕様だから。ゲーム機の充電、ゲームを起動、多彩なアクション、テレビゲームのルールこういうのは得意。
社会のルールは理解しないくせに、長男独自の数多のマイルールに縛られてる。多くの人がキッチンスポンジのほうが便器より汚いといわれても便器を舐められないように、長男としては譲れないポイントがそこらじゅうにある。親は全てに付き合わされる。例えば、妻がどんなに怒り心頭してても、次男が頭から流血してても、散歩のルーチンは譲らない。
それに加えて、子供の好奇心と目覚めた知能をフル活用した想定外の行動を起こす。無敵の人だから叱ることが抑止力にならない。
よく発達障害について、こだわりが強いとか、注意散漫とか、他人の気持ちを理解するのが下手とか、そういう説明がある。
言葉としてはあってるけど、ちょっとズレてる。そんなもんじゃなくて、生物として、もっと基本的なところでなにか違う。
天才も多いと言われるけど、たぶんそれも違う。認知や学習の方法が全く違うから、定型の知能と長男の知能の優劣はつけられない。
たぶん、長男は学業優秀に育てば、国語のテストで満点を取れるようになったりはするだろう。でもそれは文章は理解できるというだけだ。心がわからないというのではない。小説や映画に感動できるようになっても、この子が物語から感じる感動の質は、定型の人のそれとはおそらく違うと思う。寄生獣という漫画で、犬を看取った直後に、その犬をゴミ箱に捨てるシーンがある。ヒロインが「あなた普通じゃないわ」と言うが、主人公は「死んだら肉だ」と噛み合わない。この子は将来、そういう違和感を周囲に与え続ける。
どこまでいっても彼は異星人だが、寄生獣のミギーのように愛される存在になってもらいたいと親としては思ってる。
定型児は、音声の模倣から入る。最初は原始的なオウム返しだけ。そこから、過去の経験、前後の文脈から、それらしい語をつないで出力するようになる。
GPTのモデルと同じ。次にくる語を確率的に予測してつなぐだけ。「吾輩は」の後には「猫である」がくる。そこに理由などなく、確率論、経験則で。でも、それを高度に行えるようになると、知能と呼べるような振る舞いになる。
定型児の知能の獲得はコレに似てると思う。
ヒトは噂話をするために言語をさせたという説がバカバカしいが一番有力らしい。
サルの毛繕いのような、コミュニケーションをとりたがる本能があって、その延長に噂話、言葉と言葉をつなぐことによって、知能と呼べるようなものが生まれたと考えると、なるほどと思う。
定型児は、自分の言葉や行動が、前後の文脈や周囲の空気の中にから紡がれ、その言葉や行動が他人にも自分自身にも影響することを意識する。
知恵がつくから意識するのかと思ったが、GPTの仕組みを聞くと、意識することそのものが知恵の本質のように思う。
少し別の話。
長男の前で、ぬいぐるみを手に持ってぬいぐるみが喋ってるふうにして喋ると、怒る。
定型児にはごっこ遊びでも、彼にとっては「嘘」なのだ。やめろ気持ち悪いと感じてる様子。
ホモサピエンス全史がいうところの、「妄想を信じる力」が抽象的な概念の獲得なら、長男の知能は頭打ちしそうなんだけど、むしろ数字や文字は幼い時から好きだった。
どういうふうに育つのか、親としても興味はある。
ここ2週間くらいで、ようやく強く呼べば名前に振り向くようになった。
今までは、用があるときは長男から働きかけてくるが、こちらが何を言っても無視だったものが、進歩だ。
遊びに行った先でもう帰るよって言っても、抑えつけて車に放り込んで車が動き出すまで聞かなかったものが、すんなり諦めるようになった。
彼なりに、成長してる。
この駄文は、発達障害育児エントリに触発され沸き上がった心の叫びでしかないので、何が言いたいかわからんという感想はごもっとも。
目を離さない以外できることがない。
あと、言わせて欲しい。
座って待ってられるようになって食べられる食材が増えたら子連れで外食に行けるようになりたい。
列に並んで待てるようになったらテーマパークに行きたい。
立候補者についてろくに勉強していない人間を投票所に行かせるとどうなるか考えたことある?
名前をみたところで、政策が思い当たらないんだから、適当に選ぶしかないじゃん?
ひらがなの名前で書きやすそうな人の名前書けばいいとしか思わないじゃん。
なんか選挙カーで名前連呼されてた人にしよう くらいしか思わないじゃん。
①発信する前に何度も読み返す
出来れば声に出して読むか、頭の中で人に読み聞かせるようにする。誤字脱字や「日本語としておかしい」と感じる言い回しに気づくことができる。この後に挙げる項目の助けにもなる。
単純な例えとしては
無駄に難しくする必要はまったくない。わざわざ「出来る」とか「全く」とかひらがなでも通じるものを漢字にするのも私は好きではない。
③読点(、)は声に出して息継ぎをする場所に入れる
最初の数文字で読点を打つこと(最近、〜)や読点を大量に使うことはやめたほうがいい。
例えば今の文(最初の数文字で〜)は一呼吸で言い切ることができるから読点はいらない(並列の「や」の後に入れてもいいけど)。
④無駄に改行しない
これも読点と同じく多用しないほうがむしろ読みやすい。特にこの文章のように
文章の途中で唐突に改行するのは絶対にNG。必ず句点(。)で一文を終わらせてから改行するようにしよう。
⑤同じ文末を繰り返すのは避ける
「〜だ。」「〜だ。」「〜だ。」のような文章は幼稚に見える。自分の書いた文章を読み返して、同じ文末が繰り返されていたらそれを変えるクセをつけるとよい。ただし敬体(です・ます調)の場合は気にしなくても可。
⑥変な記号やカッコを使わない
基本は、。( )「」のみ。
作品名は『』、強調したい語句は「」の代わりに" "を使ってもよい。
理系の論文でもないのにカンマやピリオドを使うのは読みにくいだけで読者に失礼。
⑦レイアウトを整える
箇条書きのスタイル、段落の間の行間、敬体or常体などを統一する。かつできるだけシンプルにする。
⑧いちおう自己紹介
文章を書いたり添削する仕事はしていない。本は一切読まない。好きな食べ物はケンタッキーのレッドホットチキンとくるまやラーメンのチャーシューメン(醤油)。
https://twitter.com/kantankikaku/status/1302232500211605506
おまえら諸氏は Mac の option + 左右キーでテキスト上のカーソルを単語区切りで飛ばしたりしてんの? これ Windows だと alt + 左右キーで、日本語なら漢字ひらがなカタカナの「文字種」単位で飛ばしてくれるんだけど、Mac だとご丁寧に「文節(?)」単位で飛ばそうと努力してくださるもんだから、ひらがなが続くと区切りを正確に判定できずにグダグダになるのよね。
次のカーソル位置を予測できないのが問題なので、シンプルに文字種単位で飛ばしてくれたほうがありがたい。特に設定で変えられそうな気配もないし、ネットを漁ってもだーれも気にしてる様子がないのがもどかしいんだけど、わたしだけなのか。ほんとにぃ?
iPhoneだと元増田の「それとも」の「と」だけが選択されたりするので(それ|と|も)、ひらがな部分という単位だけではないね。