はてなキーワード: 声音とは
就像一些作品一样,有这种制造新事物的创新,创业精神,有很多作品都是地狱般的代表。
我不知道这已经发生了多少次。
如果你努力工作,鼓励它,上面的人就会开始走火入魔,这条路线肯定会崛起,也会失败,但我看到自己被作为牺牲品。
反正我可以看到它是这样失败的,但有那么多的声音要求下一个诱饵。
这个理论是,嗯,"你没有足够的能力去做你没有能力做的事情"。 而当你试图在目前腐朽的日本做一些新的事情时,你就是一个好心的傻瓜。 我也是如此。 所以你真诚地相信,这是因为你没有这个能力。
你是个软蛋,但你不能这样做,因为你没有能力。 你认为如果你是一个体面的人,你就会成功。 如果你足够幸运,来自一个大家庭,那么,这不是零。
太糟糕了。 我像一只蟑螂一样生存着,因为我的家人有点厚道。 我把自己和那个家庭隔离开来,因为他们也是狗屎。 我将继续粉碎那些哭泣的腐朽的创新。
2年前に「ロシア語の表記揺れはなぜ起きるのか」っていう増田を書いた増田だけど、みんな覚えてるかな?
今回は最近話題のウクライナの固有名詞の日本語表記についての話をするよ!
ロシア語やその他の多くの言語で、иは「イ」の音を表す文字だよ! でもウクライナ語では違うんだ!
手元の教科書を見てみると、「ゥイー 母音字。[イ]より奥に舌を引き,唇を横にして出す」(『ニューエクスプレス ウクライナ語』10頁)って書いてあるよ! そうだね、日本語で表記する上ではロシア語のыみたいになるんだね! ローマ字ではyで表記することになってるよ!
問題は、「ウィ」って表記するとややこしいことだね! 人名のМикола (Mykola)を「ムィコラ」と書くか「ミコラ」と書くかってことだね! きちんと数えたわけじゃないけど、ロシア語のыよりもウクライナ語のиの方が使用頻度高そうな気がするよ! 原語に敬意を払って「ウィ」と書くか、日本語の読みやすさを取って「イ」と書くか、究極の選択ってやつだね!
ちなみに「ムィコラ」はロシア語でいう「ニコライ」のことだよ! ロシア語の「ダニイル」はウクライナ語では「ダヌィロ(Данило)」、「ウラジーミル」は「ヴォロディムィル(Володимир)」になるね! 「ダニロ」や「ヴォロディミル」とどっちがいいと思う?
そういえば、ロシア語のыは日本語では「ウイ」って書くことも多いね! 「チェルノブイリ」も、Чернобыль (Chernobyl’)のыを「ウイ」って書いてるね! それに倣うならВолодимирも「ヴォロディムイル」って書くべきかな? うーん、チェルノブイリを「チェルノブィリ」と書くようにした方が早いかな! ちなみにウクライナ語ではЧорнобиль (Chornobyl’)だから「チョルノブィリ」だね!
ьの説明を覚えてるかな? そうだね、同じ文字がウクライナ語にもあるけど、ロシア語と同じで無視されやすいんだね!
ロシア語の苗字でよく見かける語尾に「~スキー(-ский)」っていうのがあるけど(本来は形容詞の形だね! 個人を識別するために「○○の」っていう形容詞をつけてたのが苗字として定着したのかな?)、ウクライナ語だと-ськийになるよ! そうだね、ьがあるから「ス」じゃなくて「シ」になるんだね!
ということは、ウクライナ語的に表記するなら「~シキー」か「~シクィイ」になるべきだね! иをどう表記するかは上に書いたように色々な考えがあるけど、少なくとも「~スキー」にはならないね! 「~スキー」って書いてる時点でロシア語読みだね! Зеленськийは「ゼレンシキー」か「ゼレンシクィイ」だね!
ウクライナ語はロシア語だとьが入らないところにьが入ることがあるよ! 東部の都市の名前も、ロシア語だと「ドネツク(Донецк; Donetsk)」や「ルガンスク(Луганск; Lugansk)」だけどウクライナ語だと「ドネツィク(Донецьк; Donets’k)」に「ルハンシク(Луганськ; Luhans’k)だもんね!(ウクライナ語とベラルーシ語ではгはガ行じゃなくてハ行になるよ!)
ロシア語だとあんまり見ないけどウクライナ語だとよく見かける綴りがцьだね! ツァ行の子音цにьがついてるから「ツィ」って書くべきなんだろうけど、言いづらいよね! 学術論文とかでは「ツィ」と書くべきだと思うけど、新聞とかの一般向け媒体で「チ」って書かれてても仕方ないかな!
語末に置かれたв (v)はロシア語でもウクライナ語でも無声化するよ! ロシア語ではこれを「フ」って書くことになってるけど、ウクライナ語だと「ウ」の音になるから「ウ」って書いた方がいいね!
だからロシア語で「ハリコフ(Харьков; Khar’kov)」と書かれる地名はウクライナ語だと「ハルキウ(Харкiв; Kharkiv)」になるんだね!
語末とかで無声化したvを「ウ」って書くことになってるスラヴ系言語は、他にスロヴェニア語やスロヴァキア語があるよ! ベラルーシ語はそもそも綴りを変えてў (ŭ)って書いちゃうから逆に迷わないね! ベラルーシ語だとハリコフじゃなくて「ハルカウ(Харкаў)」になるね! なんでそうなるのかについては「なぜアザレンカはアザレンカなのか」も読んでね!
ウクライナ語にはїっていう文字があるよ! この文字はйのうしろにіを続けた発音を表すんだ! йは半母音/j/で、іは母音「イ」だね! つまりїは/ji/の音を表すわけだよ!
半母音/j/ってのは、要するに日本語のヤ行の子音にあたる音だね! ということは、їは日本語でいうとヤ行イ段の音ってことになるね!
……それ「イ」じゃね?
ただ、いちおう「йのうしろにіを続けた発音」なわけだから、「イイ」や「イー」と書くという考え方もありうるんだよね! そう書くと元の綴りがわかりやすくなるよね! іを「イ」で、їを「イー」で書くことにすると元の綴りがわかりやすいかも?
実はウクライナの国名はウクライナ語だとУкраїнаなんだよね! їを「イー」で書くなら「ウクライーナ」にすべきなんだけど、「ウクライナ」が定着しちゃってるから「ウクライーナ」と書くのは違和感があるね!
じゃあ、ここでウクライナの首都の名前を見てみようか! ロシア語ではКиевで、これはそのまんま「キエフ」で問題ないね!
ウクライナ語ではКиївって綴るんだ!
ここまで書いた色んな論点が詰まってることがわかってもらえると思うな! иは「イ」か「ウィ」か? їは「イ」か「イー」か? 語末のвは無声音の「ウ」だけど、発音よりも原綴を重視して「ヴ」と書くべきか?
仮に「иは『ウィ』、їは『イー』、語末のвは『ウ』」で書くなら「クィイーウ」になるね! 「иとїはどっちも『イ』、語末のвは『ウ』」とするなら「キーウ」だね!
仮に「チェルノブイリ」のようにиを「ウイ」と書くなら「クイイウ」とか「クイイーウ」もありかもね! ごめん、やっぱなし! さすがに不自然すぎるね!
個人的には、日本語母語話者の発音のしやすさを考えると「キーウ」が一番いいんじゃないかと思うんだけど、表記法には好みってやつがあるからね! どうしても「クィイーウ」じゃないと、という主義の人もいるかもしれないよね! 日本語表記をめぐる議論は最終的には不毛な争いになっちゃうからね!
実は、ウィキペディアでは十数年前にウクライナをめぐる喧々諤々の論争があったんだよね! ウクライナ関係記事の表記をウクライナ語で表記しよう! という動きが出てきたんだけど、иを「ウィ」で書く派の人が主導してたもんだから、日本語母語話者には発音しづらい項目名ばかりになった頃があったんだ!
たとえば、みんなも世界史の授業で「フメリニツキーの乱」について習ったことがあると思うんだけど、乱を起こしたフメリニツキーはウクライナ語ではХмельницький (Khmel’nyts’kyi)って綴るんだ! そう、иを「ウィ」で書くと「フメリヌィツィクィイ」になるんだよね! 読みづらいね! 一時期ウィキペディアのウクライナ関係記事はこんな感じの表記だらけだったんだ!
さすがにこれは、ということで今は「フメリニツキー」表記になってるけど、これもおかしな話だよね! 記事には「ボフダン・フメリニツキー」って書いてあるけど、それ何語なのかな? Богданを「ボフダン」と読むのはウクライナ語だけど、「フメリニツキー」はロシア語だよね! ちゃんぽんになってるね! せめて「ボフダン・フメリニチキー」か「ボフダン・フメリニツィキー」だよね! ちゃんぽんにするくらいならロシア語で「ボグダン・フメリニツキー」って書いた方が幾分かマシなんじゃないかな?
増田が中二病をこじらせてた頃は「は~? ウクライナ語の『и』は『ウィ』ですが~?」みたいな感じで「フメリヌィツィクィイ」みたいなややこしい表記を推してたんだけど、最近「一般人にとっての可読性も大事だよな……」という気持ちになることも増えてきたよ! だから「クィイーウ」に「フメリヌィツィクィイ」じゃなくて「キーウ」や「フメリニツィキー」でもいいと思うよ! でも「クィイーウ」「フメリヌィツィクィイ」派も間違ってるわけじゃないよ! 音楽性の違いってやつだね!
法的には、ウクライナの国家語はウクライナ語だよ! そこには疑問の余地はないね! だからウクライナに属するものはすべてウクライナ語で書くべきだというのはひとつの見識だよね!
一方で、ウクライナの住民の何割かはロシア語を母語にしているんだ! 彼らも代々のウクライナの住民だよ! っていうか、ゼレンシキー大統領も母語はロシア語だよ! ある意味、ロシア語は「少数言語」という立ち位置なんだよね! 島国じゃなくてだだっ広い平原だから、どういうふうに国境を引いても内側に少数派が残っちゃうんだよね!
ロシア語は侵略者の言語であると同時に、ウクライナの少数派の言語でもあるんだ! 「ウクライナに属するものはすべてウクライナ語で書くべき」というのは、ちょっと意地悪な言い方をすればウクライナ・ナショナリズムの主張なんだよね! たとえば、在日コリアンの李さんや金さんが、自分は「い」や「きむ」だと言っているときに、「ここは日本なのだから日本語読みで『り』『きん』と表記すべきだ」と主張する人がいたとしたら、みんなはどう思うかな?
もちろん、何度も言うけどウクライナ語で貫徹するという方針も間違ってないよ! ロシア語での表記はロシア・ナショナリズムやロシア中心主義じゃないの? と言われたら反論できないしね! ただ、「ロシア語読みを使うべきじゃない」みたいな強い言い方を目にしちゃうと、ん? それってどうなの? とは言いたくなるよね! まあ、増田は色々考えた上でだいぶ前から「キーウ」って書くことにしてるけど、今頃になってロシア語読みはけしからんとか言い出した人たちについては眉毛によだれビチョビチョにして見ちゃうよね!
あ、「キーウ」は現代の話ね! たとえば歴史上のキエフ・ルーシとかについては、「キエフ」でいいと思うんだよね! その頃はまだ東スラヴ系民族は「ルーシ」という比較的同質性が高い集団で、それがロシア・ウクライナ・ベラルーシ・ルシンに分かれていったのは近世~近代以降の話だからね! 本当は教会スラヴ語のКꙑѥвъに準拠した表記にすべきなのかもしれないけど、教会スラヴ語には詳しくないから読み方がわからないや!
ちなみに「ロシア」も「ベラルーシ」も「ルーシ」が語源だよ! 「ルーシ」はこれら諸民族にとって共通の過去なんだよね! 雑な喩えになっちゃうけど、ロシア人にとってのキエフは東日本出身者にとっての奈良みたいなものだと考えるとわかりやすいと思うよ!
ところで、昔はウクライナのことが「小ロシア」と呼ばれてたわけだけど、これはもともとは蔑称じゃないよ! 古典時代のヨーロッパには、近い方を「小」、遠い方を「大」と呼ぶ用法があったんだ! 東アジアの「大小」の感覚で考えてはいけないんだね! アナトリア半島が「小アジア」と呼ばれるのはヨーロッパから見て「近い方のアジア」ってことで、グレートブリテン島の「グレート」はフランスのブルターニュ半島より遠くにあるから、つまり「遠い方のブリタニア」ってことだよ! 現在のポーランドには「マウォポルスカ県」と「ヴェルコポルスカ県」があるけど、それぞれ「小ポーランド」に「大ポーランド」って意味だよ! なのでかつてルーシの中心だったキエフの辺りは「小ロシア」って呼ばれてたんだね! まあ、近代以降は侮蔑的なニュアンスになっちゃってるみたいだから、使わない方がいいけどね!
正直めちゃめちゃ憤ってるよ! 今回のプーチンの行いには欠片の理もないよ! 侵略どころか、ウクライナ人という民族の存在を否定しようとするなんて、ウクライナ人を民族として認めたソ連よりも退行してるよ! 70近くになって怪しい歴史認識に目覚めるとか、実家の親なら笑い話になるかもしれないけど核保有国の独裁者だとちっとも笑えないよ!
ロシアから見てNATOの東方拡大は脅威なんだ、だからロシアのウクライナ侵攻は仕方ない、と言ってる人たちもいるけど、どう考えてもおかしいよね! 仮にそれを是とするなら、日本にとって中国の軍拡は脅威なんだから韓国に親中政権ができたら日本は韓国に攻め込んでもいい、みたいな話になっちゃうよね! 狂ってるよね!
でも、その憤りをロシア人やロシア文化に向けるのは絶対に間違ってるよ! 拉致問題への憤りをコリアンやコリア文化に向けてる人たちと一緒だよ! 普通に人種差別だよ! そういう人たちはプーチンの行いを非難するのもいいけどまず自分の差別意識と闘うべきじゃないかな?
ロシア文化もウクライナ文化も、どっちも尊重されるべき文化だよ。ウクライナ文化の擁護はロシア文化の否定じゃないよ。ウクライナ人やウクライナ文化の存在を否定しようとする侵略者は否定されるべきだけど、それがロシア人やロシア文化への否定に繋がってはいけないよ。
増田はどちらの文化も好きだよ。だから本当にこんな事態になってしまって悲しいし、ロシアの若者を非道な侵略戦争に送り込んだ連中には相応の報いがあることを祈っているよ。
yiみたいな発音、ロシア語についてもЕは正確にはyeなんだけど、日本語的に普通なエとなるЭよりも頻度高いのをいちいち日本語で言いづらいイェと表記するのクッソしんどいみたいな話に帰するよね…
国際的な転写法でも、Еは普通にeで、Эに特別な記号を当ててることが多いもんね! иは頻出するから扱いが難しく、一律で「イ」にしちゃうというのも可読性の面からは合理的なんだよね!
BBC,CNNとか見てるとキエフをキーウって言うようになったのはいいけどウクライナをユークラインって言ってて、これだから英語話者は…、ってなる。
英語話者がウクライナをユークレインって呼ぶのは日本をジャパンと呼ぶようなもんだから、そこは気にならないかな! そんなこと言ったら、日本人も「スペイン」「ポーランド」「クロアチア」「ギリシャ」「オランダ」「アルメニア」「メキシコ」って言えなくなっちゃうしね!
日本人があーだこーだ言ってても始まらん。駐日大使とかに、決めてもらったら良いんじゃないか? 国名とかは基本的に、相手からの申し出があって初めて変更って手続きだし。
これは「日本語母語話者がウクライナ語の音を表記する上で、どういう仮名遣いが適切か」って話だから、ウクライナ人じゃなくて日本人の問題だよ! もちろんウクライナ人には口を出す権利があるけど、基本的には日本人が主体になって決めるべきことだよ!
ちなみに駐日ウクライナ大使館はウクライナ語表記の指針を出してるけど、これまで日本のウクライナ研究者たちが使ってきた慣用とは明らかに異質で、可読性も微妙だから、ぶっちゃけ専門家のあいだでは黙殺されてるよ! 慣用表記はトップダウンで決まるものではなくて色々な議論を経て徐々に決まっていくもので、「明らかな間違い」は排除されるべきだけど「間違いではない表記」は何種類も存在するんだよね!
っていうか、国名の変更は、あくまでも「政府が在外公館の名称として定める国名」を法文上どう書くかという話であって、民間の慣用表記とは無関係だよ! たとえば、日本の外務省は長らく「ヴィエトナム」って表記を使ってきたんだけど、日本の慣用表記は一貫して「ベトナム」だったよね! つまり、外務省の呼称とその社会における慣用表記はまったく別なんだね!
(国名表記の移り変わりについてはいくつもの研究があるけど、たとえば、「ロシア」などの主要な国名表記がどんなふうに成立してきたかを論じた『外国地名受容史の国語学的研究』っていう本が面白かったよ!)
『ベニスの商人』が『ヴェネツィアの商人』になったという話は聞かないから、芸術分野での慣用表記はまた別なんじゃないかな!
あっ詳しい人が居たから教えてエロい人!お菓子屋のMorozoffはどうしてMorozovじゃないの?あとgoncharoffも。
昔は綴りを無視して発音に忠実なfって書いてたってことだと思うよ! 「転写」と「翻字」の違いだね! 詳しくはググってね!
言語に忠実に表記しようとする努力や議論があるだけで偉いよ。英語はめちゃ乱暴やし。ウクライナはユークレイン、ハルキウはカルキヴ、クリミアはクライミア、英語アルファベットで読むだけ。
クリミアはクライミアでもいいんじゃないかな! ロシア語だとクルィム(Крым)、ウクライナ語だとクルィムかクリム(Крим)、クリミア・タタール語だとクルム(Qırım)だから、「クリミア」って時点でもう西欧の呼び方なんだよね!
纽约时报在压制不同声音的过程中扮演了丑陋的角色
コロナが流行してからは実家に一度も戻っていない。GWもお盆も年末もずっと。
正しい行動をしたと思っている。けれど、祖父母はかなり寂しがっていたと聞いていた。
いつ別れが来るかわからない、そう思って2,3年前は祖父母にいっぱい甘えて過ごしたのを思い出す。
コロナの前の年、祖父母を思い切り抱きしめて宙に浮かせた。祖父母が泣いていて笑ったことを今でも思い出す。
祖母の卵焼きは絶品で、いるものはないかと問われると卵焼きが一番食べたいと答えていた。
今年もお盆、年末と帰ることはできないだろう、と話した。感染者数100人を切るまでは帰らないと決めていたから。
全員ワクチンの二回目の摂取まで終わる可能性は高い。それでも感染リスクが下がるわけでもなく、重症になる可能性もある。
引き続き我慢すべきだと判断した。それを早めに伝えて、いらぬ期待をせず世間の感染者数を気にしないように過ごそうと。
すると、母から現在の状況を打ち明けられた。祖父母はもう認知症が進み、会えないだろうと。
運がよく入院などが進んだようだ。父も母の苦労を知っていて、納得の上でのことだった。
母は真面目で明るく、社交的でいい人付き合いができているからこそ、今回ことが進んだらしい。
なんてことないように振る舞っていたけど、荷が降りた安堵と若干の罪悪感を話しの端々に感じた。
母は自分にいらぬ心配をかけたくなかったようで、苦労話は全然しなかった。
けれど、エピソードを聞いてみるととんでもない苦労が隠れていたことがわかる。
今は夫婦で買い物にゆっくりいけることが嬉しいと聞いた。声音が優しかったのが、少し涙腺にきた。
母も少し鼻をすすっていたように思う。母よ、お疲れさまでした。任せっぱなしで本当にすいませんでした。
祖父母に会えないのは残念だ。
もう自分がむやみになにかしようとするのは、もはや部外者の面倒な要求にしかならないだろう。
求められば必ず向かう。そうでないのなら、自分にやれることが終わっているということなら。
あとは受け入れていくしかない。やれることはきっと2,3年前に実質終わっていたのだろう。
コロナの流行の中でも帰省すればよかったのか、いやそうは思わない。正しい行動をした。
自分が帰省中に感染し、感染させる最悪のケースもありえたのだ。誰も苦しんでいないし、医療関係者に迷惑をかけていない。
一人ひとりが耐えること、耐えてきたことが爆発的な流行を防いでいるのだ。
こういったケースは間違いなく自分たちだけじゃない。
間違っていない。ただ少し感傷的な気持ちになる。ありえたかもしれないことを考えてしまうが、仕方がない。
しばらく静かに過ごして、受け入れていこうと思う。
昔々、そうコロナが騒ぎになるよりも前、あるところに女子事務員がおったんじゃ。
まあ私なんだが。
当時は数年かけて金貯めて、年に二回のデパートのセールに行くのが楽しみじゃった。正月時期と7月あたまとかにやる、三越だの伊勢丹だのの大規模セールな。
セール初日に休み突っ込んで、ド平日に高級な服を見て、手が届きそうだったら一着か二着買う、そういう趣味というか娯楽。
忘れもしない、あれはレディスのマッキントッシュ(フィロソフィーではない方)(無論リンゴでもない)をぶらぶら見ていた時じゃった。
マッキントッシュてのは、なんかこう、ハイソな方々のきちんと感のある普段着的なポジのブランドでな。具体的に言うと、今検索したんだが今期のコットンのトレンチコートが16万円くらいするような価格帯の。
デザインは奇抜さはなくてむしろスタンダードとかトラディッショナルとかそういう感じのところど真ん中で、素材は良いもん使ってるし縫製とかも気ィ配ってるわと思わされるような服の店でな。
マッキントッシュのセール品は別のもっとでかい催事会場に集められてて、その日、店頭に出てるのはセール対象外の新作ばっかりじゃった。
女子事務員は自分に買えないとしても良い服見るのが楽しくてぶらついてたが、あんまりにもひとけがないし、ちょっと対象年齢(及び想定されている御予算額)が高くてノックアウト気味だったので、そろそろ帰ろうかと思っとったときじゃった。
一人はオシャレで高そうなスーツ着たマダムって感じで、もう一人は就活用っぽい黒だかネイビーだかのシンプルなパンツスーツ着て髪をシンプルに結った、20代なりたての若者って感じだった。
女子事務員はその二人を見て親子かなと思った。セール会場で似たような二人組、金のかかったきれいな服を着て金のかかるうつくしい服をキャッキャしながら楽しそうに見て回ってる年配女性と若い娘の組み合わせをいっぱい見ていたからだ。「ひええ、お金持ちの奥様とお嬢様だ、実在するんだこういう人たち」「都会のハイソな家ってすごいなあ」とすれ違うたびにいちいち思っていた。
だから、そういう二人組なのかと思った。
娘さんの方は就活スーツでトレンチコートを腕にかけて他のブランドのショッピングバッグとか持ってたので、就活帰りに合流して息抜きかなあ、いいなあ、と思ったのだった。
ところで、マネキンが着てたのはスカートスタイルで、目に見えてすごく華やかだとか愛くるしいってわけではないけども、上品で知的で清楚な感じのコーディネートだった。
それを娘さんが見ていて、お母さんの方が、「こういうのがいいの?」とか言っていて、娘さんの方を見て、
「色気づきやがって」
と低い声でその耳元で吐き捨てた。
女子事務員はまさにその瞬間、親子の真後ろを通過せんと歩いていたところだったので、ばっちり聞こえた。
なに今の、うわあ、マジでそんなこと言う親いんの、しかもこんなクッソ高いモンが並ぶデパートで買い物するような客層に、うわあ、
あんなちゃんとしてそうな格好してるのに、うわあ、
しかも色気づくって、普通の、いや値段とか普通ではないけど一般的なキレイ系の服じゃん、別に色気づくとか言われるほどのセクシー系とかビッチ系の服とかでは全然ないじゃん、うわあ、
うわあ、うわあ、うわあ。
と思ったそうじゃ。
奥様は他人に聞かれていたのに気づいたのか、黙ってゆっくり歩き去ろうとしていた。女子事務員の方は絶対見ないようにしていたのがよくわかった。
娘さんの方は…はて、どうしていたんだったか。奥様とちょっと距離が開くくらいのあいだ、マネキンの前にいたような気がするが、女子事務員の方を見たか、マネキンを見ていたか、これが全然記憶にない。
ただ、娘さんの持っていたショッピングバッグのブランドが、高級で高価で、娘さん自身が着るにしてはちょいとミセス向けのブランドのそれだったのは覚えている。
女子事務員は自称するところ田舎の山猿で、田んぼの中に集落がぽつりぽつりと落ちているみたいな地域の出じゃった。
中学に上がる前までは、
脱走した飼い犬を追いかけている途中田んぼ道の片隅にヒタキか何かの巣を見つけては大騒ぎする
などして生きてきた。
義務教育の始まる前の時分にガチ排水のドブにはまったことすらあって、真っ黒いヘドロにまみれて悪臭放ちながら泣いて家に帰るなどしたこともある。
当然、幼少のみぎりから祝いごとなどで良いべべ着たら「馬子にも衣装」くらいは言われたし、親も先生も化粧や染髪にまったく良い顔しない時代でもあって、まあまあ色々とこじらせており、東京出てきて山猿から人間に進化(擬態)するのはそれなりに大変だった。
しかしそれでも、あんな声音で、あんな風に、「色気づきやがって」などと吐き捨てられたことはない。
「人には人の地獄がある」、見えてないだけでツラの皮一枚下にものすごい憎悪を抱えている人、その憎悪に晒されている人がいるということを実地で知ったという話。
女子事務員は自分の記憶違いではないことは確信していながらも、すべてが何かの間違いであったこと、せめて彼女が今は逃げ切れていることを、思い出すたびに祈っているとさ。
さて、殺人事件から十日程たったある日、私は明智小五郎の宿を訪ねた。その十日の間に、明智と私とが、この事件に関して、何を為し、何を考えそして何を結論したか。読者は、それらを、この日、彼と私との間に取交された会話によって、十分察することが出来るであろう。
それまで、明智とはカフェで顔を合していたばかりで、宿を訪ねるのは、その時が始めてだったけれど、予かねて所を聞いていたので、探すのに骨は折れなかった。私は、それらしい煙草屋の店先に立って、お上さんに、明智がいるかどうかを尋ねた。
「エエ、いらっしゃいます。一寸御待ち下さい、今お呼びしますから」
彼女はそういって、店先から見えている階段の上り口まで行って、大声に明智を呼んだ。彼はこの家の二階を間借りしているのだ。すると、
「オー」
と変な返事をして、明智はミシミシと階段を下りて来たが、私を発見すると、驚いた顔をして「ヤー、御上りなさい」といった。私は彼の後に従って二階へ上った。ところが、何気なく、彼の部屋へ一歩足を踏み込んだ時、私はアッと魂消たまげてしまった。部屋の様子が余りにも異様だったからだ。明智が変り者だということを知らぬではなかったけれど、これは又変り過ぎていた。
何のことはない、四畳半の座敷が書物で埋まっているのだ。真中の所に少し畳が見える丈けで、あとは本の山だ、四方の壁や襖に沿って、下の方は殆ほとんど部屋一杯に、上の方程幅が狭くなって、天井の近くまで、四方から書物の土手が迫っているのだ。外の道具などは何もない。一体彼はこの部屋でどうして寝るのだろうと疑われる程だ。第一、主客二人の坐る所もない、うっかり身動きし様ものなら、忽たちまち本の土手くずれで、圧おしつぶされて了うかも知れない。
「どうも狭くっていけませんが、それに、座蒲団ざぶとんがないのです。済みませんが、柔か相な本の上へでも坐って下さい」
私は書物の山に分け入って、やっと坐る場所を見つけたが、あまりのことに、暫く、ぼんやりとその辺あたりを見廻していた。
私は、かくも風変りな部屋の主である明智小五郎の為人ひととなりについて、ここで一応説明して置かねばなるまい。併し彼とは昨今のつき合いだから、彼がどういう経歴の男で、何によって衣食し、何を目的にこの人世を送っているのか、という様なことは一切分らぬけれど、彼が、これという職業を持たぬ一種の遊民であることは確かだ。強しいて云えば書生であろうか、だが、書生にしては余程風変りな書生だ。いつか彼が「僕は人間を研究しているんですよ」といったことがあるが、其時私には、それが何を意味するのかよく分らなかった。唯、分っているのは、彼が犯罪や探偵について、並々ならぬ興味と、恐るべく豊富な知識を持っていることだ。
年は私と同じ位で、二十五歳を越してはいまい。どちらかと云えば痩やせた方で、先にも云った通り、歩く時に変に肩を振る癖がある、といっても、決して豪傑流のそれではなく、妙な男を引合いに出すが、あの片腕の不自由な、講釈師の神田伯龍を思出させる様な歩き方なのだ。伯龍といえば、明智は顔つきから声音まで、彼にそっくりだ、――伯龍を見たことのない読者は、諸君の知っている内で、所謂いわゆる好男子ではないが、どことなく愛嬌のある、そして最も天才的な顔を想像するがよい――ただ明智の方は、髪の毛がもっと長く延びていて、モジャモジャともつれ合っている。そして、彼は人と話している間にもよく、指で、そのモジャモジャになっている髪の毛を、更らにモジャモジャにする為の様に引掻廻ひっかきまわすのが癖だ。服装などは一向構わぬ方らしく、いつも木綿の着物に、よれよれの兵児帯へこおびを締めている。
「よく訪ねて呉れましたね。その後暫く逢いませんが、例のD坂の事件はどうです。警察の方では一向犯人の見込がつかぬようではありませんか」
明智は例の、頭を掻廻しながら、ジロジロ私の顔を眺めて云う。
「実は僕、今日はそのことで少し話があって来たんですがね」そこで私はどういう風に切り出したものかと迷いながら始めた。
「僕はあれから、種々考えて見たんですよ。考えたばかりでなく、探偵の様に実地の取調べもやったのですよ。そして、実は一つの結論に達したのです。それを君に御報告しようと思って……」
私は、そういう彼の目付に、何が分るものかという様な、軽蔑と安心の色が浮んでいるのを見逃さなかった。そして、それが私の逡巡している心を激励した。私は勢込いきおいこんで話し始めた。
「僕の友達に一人の新聞記者がありましてね、それが、例の事件の係りの小林刑事というのと懇意なのです。で、僕はその新聞記者を通じて、警察の模様を詳しく知ることが出来ましたが、警察ではどうも捜査方針が立たないらしいのです。無論種々いろいろ活動はしているのですが、これという見込がつかぬのです。あの、例の電燈のスイッチですね。あれも駄目なんです。あすこには、君の指紋丈けっきゃついていないことが分ったのです。警察の考えでは、多分君の指紋が犯人の指紋を隠して了ったのだというのですよ。そういう訳で、警察が困っていることを知ったものですから、僕は一層熱心に調べて見る気になりました。そこで、僕が到達した結論というのは、どんなものだと思います、そして、それを警察へ訴える前に、君の所へ話しに来たのは何の為だと思います。
それは兎も角、僕はあの事件のあった日から、あることを気づいていたのですよ。君は覚えているでしょう。二人の学生が犯人らしい男の着物の色について、まるで違った申立てをしたことをね。一人は黒だといい、一人は白だと云うのです。いくら人間の目が不確だといって、正反対の黒と白とを間違えるのは変じゃないですか。警察ではあれをどんな風に解釈したか知りませんが、僕は二人の陳述は両方とも間違でないと思うのですよ。君、分りますか。あれはね、犯人が白と黒とのだんだらの着物を着ていたんですよ。……つまり、太い黒の棒縞の浴衣なんかですね。よく宿屋の貸浴衣にある様な……では何故それが一人に真白に見え、もう一人には真黒に見えたかといいますと、彼等は障子の格子のすき間から見たのですから、丁度その瞬間、一人の目が格子のすき間と着物の白地の部分と一致して見える位置にあり、もう一人の目が黒地の部分と一致して見える位置にあったんです。これは珍らしい偶然かも知れませんが、決して不可能ではないのです。そして、この場合こう考えるより外に方法がないのです。
さて、犯人の着物の縞柄は分りましたが、これでは単に捜査範囲が縮小されたという迄で、まだ確定的のものではありません。第二の論拠は、あの電燈のスイッチの指紋なんです。僕は、さっき話した新聞記者の友達の伝手つてで、小林刑事に頼んでその指紋を――君の指紋ですよ――よく検べさせて貰ったのです。その結果愈々いよいよ僕の考えてることが間違っていないのを確めました。ところで、君、硯すずりがあったら、一寸貸して呉れませんか」
そこで、私は一つの実験をやって見せた。先ず硯を借りる、私は右の拇指に薄く墨をつけて、懐から半紙の上に一つの指紋を捺おした。それから、その指紋の乾くのを待って、もう一度同じ指に墨をつけ前の指紋の上から、今度は指の方向を換えて念入りに押えつけた。すると、そこには互に交錯した二重の指紋がハッキリ現れた。
「警察では、君の指紋が犯人の指紋の上に重って、それを消して了ったのだと解釈しているのですが、併しそれは今の実験でも分る通り不可能なんですよ。いくら強く押した所で、指紋というものが線で出来ている以上、線と線との間に、前の指紋の跡が残る筈です。もし前後の指紋が全く同じもので、捺し方も寸分違わなかったとすれば、指紋の各線が一致しますから、或は後の指紋が先の指紋を隠して了うことも出来るでしょうが、そういうことは先ずあり得ませんし、仮令そうだとしても、この場合結論は変らないのです。
併し、あの電燈を消したのが犯人だとすれば、スイッチにその指紋が残っていなければなりません。僕は若しや警察では君の指紋の線と線との間に残っている先の指紋を見落しているのではないかと思って、自分で検べて見たのですが、少しもそんな痕跡がないのです。つまり、あのスイッチには、後にも先にも、君の指紋が捺されているだけなのです。――どうして古本屋の人達の指紋が残っていなかったのか、それはよく分りませんが、多分、あの部屋の電燈はつけっぱなしで、一度も消したことがないのでしょう。
君、以上の事柄は一体何を語っているでしょう。僕はこういう風に考えるのですよ。一人の荒い棒縞の着物を着た男が、――その男は多分死んだ女の幼馴染で、失恋という理由なんかも考えられますね――古本屋の主人が夜店を出すことを知っていてその留守の間に女を襲うたのです。声を立てたり抵抗したりした形跡がないのですから、女はその男をよく知っていたに相違ありません。で、まんまと目的を果した男は、死骸の発見を後らす為に、電燈を消して立去ったのです。併し、この男の一期いちごの不覚は、障子の格子のあいているのを知らなかったこと、そして、驚いてそれを閉めた時に、偶然店先にいた二人の学生に姿を見られたことでした。それから、男は一旦外へ出ましたが、ふと気がついたのは、電燈を消した時、スイッチに指紋が残ったに相違ないということです。これはどうしても消して了わねばなりません。然しもう一度同じ方法で部屋の中へ忍込むのは危険です。そこで、男は一つの妙案を思いつきました。それは、自から殺人事件の発見者になることです。そうすれば、少しも不自然もなく、自分の手で電燈をつけて、以前の指紋に対する疑をなくして了うことが出来るばかりでなく、まさか、発見者が犯人だろうとは誰しも考えませんからね、二重の利益があるのです。こうして、彼は何食わぬ顔で警察のやり方を見ていたのです。大胆にも証言さえしました。しかも、その結果は彼の思う壺だったのですよ。五日たっても十日たっても、誰も彼を捕えに来るものはなかったのですからね」
この私の話を、明智小五郎はどんな表情で聴いていたか。私は、恐らく話の中途で、何か変った表情をするか、言葉を挟むだろうと予期していた。ところが、驚いたことには、彼の顔には何の表情も現れぬのだ。一体平素から心を色に現さぬ質たちではあったけれど、余り平気すぎる。彼は始終例の髪の毛をモジャモジャやりながら、黙り込んでいるのだ。私は、どこまでずうずうしい男だろうと思いながら最後の点に話を進めた。
「君はきっと、それじゃ、その犯人はどこから入って、どこから逃げたかと反問するでしょう。確に、その点が明かにならなければ、他の凡てのことが分っても何の甲斐もないのですからね。だが、遺憾いかんながら、それも僕が探り出したのですよ。あの晩の捜査の結果では、全然犯人の出て行った形跡がない様に見えました。併し、殺人があった以上、犯人が出入しなかった筈はないのですから、刑事の捜索にどこか抜目があったと考える外はありません。警察でもそれには随分苦心した様子ですが、不幸にして、彼等は、僕という一介の書生に及ばなかったのですよ。
ナアニ、実は下らぬ事なんですがね、僕はこう思ったのです。これ程警察が取調べているのだから、近所の人達に疑うべき点は先ずあるまい。もしそうだとすれば、犯人は、何か、人の目にふれても、それが犯人だとは気づかれぬ様な方法で通ったのじゃないだろうか、そして、それを目撃した人はあっても、まるで問題にしなかったのではなかろうか、とね。つまり、人間の注意力の盲点――我々の目に盲点があると同じ様に、注意力にもそれがありますよ――を利用して、手品使が見物の目の前で、大きな品物を訳もなく隠す様に、自分自身を隠したのかも知れませんからね。そこで、僕が目をつけたのは、あの古本屋の一軒置いて隣の旭屋という蕎麦屋です」
古本屋の右へ時計屋、菓子屋と並び、左へ足袋屋、蕎麦屋と並んでいるのだ。
「僕はあすこへ行って、事件の当夜八時頃に、便所を借りて行った男はないかと聞いて見たのです。あの旭屋は君も知っているでしょうが、店から土間続きで、裏木戸まで行ける様になっていて、その裏木戸のすぐ側に便所があるのですから、便所を借りる様に見せかけて、裏口から出て行って、又入って来るのは訳はありませんからね。――例のアイスクリーム屋は路地を出た角に店を出していたのですから、見つかる筈はありません――それに、相手が蕎麦屋ですから、便所を借りるということが極めて自然なんです。聞けば、あの晩はお上さんは不在で、主人丈が店の間にいた相ですから、おあつらえ向きなんです。君、なんとすてきな、思附おもいつきではありませんか。
そして、案の定、丁度その時分に便所を借りた客があったのです。ただ、残念なことには、旭屋の主人は、その男の顔形とか着物の縞柄なぞを少しも覚えていないのですがね。――僕は早速この事を例の友達を通じて、小林刑事に知らせてやりましたよ。刑事は自分でも蕎麦屋を調べた様でしたが、それ以上何も分らなかったのです――」
私は少し言葉を切って、明智に発言の余裕を与えた。彼の立場は、この際何とか一言云わないでいられぬ筈だ。ところが、彼は相変らず頭を掻廻しながら、すまし込んでいるのだ。私はこれまで、敬意を表する意味で間接法を用いていたのを直接法に改めねばならなかった。
「君、明智君、僕のいう意味が分るでしょう。動かぬ証拠が君を指さしているのですよ。白状すると、僕はまだ心の底では、どうしても君を疑う気になれないのですが、こういう風に証拠が揃っていては、どうも仕方がありません。……僕は、もしやあの長屋の内に、太い棒縞の浴衣を持っている人がないかと思って、随分骨を折って調べて見ましたが、一人もありません。それも尤もっともですよ。同じ棒縞の浴衣でも、あの格子に一致する様な派手なのを着る人は珍らしいのですからね。それに、指紋のトリックにしても、便所を借りるというトリックにしても、実に巧妙で、君の様な犯罪学者でなければ、一寸真似の出来ない芸当ですよ。それから、第一おかしいのは、君はあの死人の細君と幼馴染だといっていながら、あの晩、細君の身許調べなんかあった時に、側で聞いていて、少しもそれを申立てなかったではありませんか。
さて、そうなると唯一の頼みは Alibi の有無です。ところが、それも駄目なんです。君は覚えていますか、あの晩帰り途で、白梅軒へ来るまで君が何処どこにいたかということを、僕は聞きましたね。君は一時間程、その辺を散歩していたと答えたでしょう。仮令、君の散歩姿を見た人があったとしても、散歩の途中で、蕎麦屋の便所を借りるなどはあり勝ちのことですからね。明智君、僕のいうことが間違っていますか。どうです。もし出来るなら君の弁明を聞こうじゃありませんか」
読者諸君、私がこういって詰めよった時、奇人明智小五郎は何をしたと思います。面目なさに俯伏して了ったとでも思うのですか。どうしてどうして、彼はまるで意表外のやり方で、私の荒胆あらぎもをひしいだのです。というのは、彼はいきなりゲラゲラと笑い出したのです。
「いや失敬失敬、決して笑うつもりではなかったのですけれど、君は余り真面目だもんだから」明智は弁解する様に云った。「君の考えは却々なかなか面白いですよ。僕は君の様な友達を見つけたことを嬉しく思いますよ。併し、惜しいことには、君の推理は余りに外面的で、そして物質的ですよ。例えばですね。僕とあの女との関係についても、君は、僕達がどんな風な幼馴染だったかということを、内面的に心理的に調べて見ましたか。僕が以前あの女と恋愛関係があったかどうか。又現に彼女を恨うらんでいるかどうか。君にはそれ位のことが推察出来なかったのですか。あの晩、なぜ彼女を知っていることを云わなかったか、その訳は簡単ですよ。僕は何も参考になる様な事柄を知らなかったのです。僕は、まだ小学校へも入らぬ時分に彼女と分れた切りなのですからね。尤も、最近偶然そのことが分って、二三度話し合ったことはありますけれど」
「では、例えば指紋のことはどういう風に考えたらいいのですか?」
「君は、僕があれから何もしないでいたと思うのですか。僕もこれで却々やったのですよ。D坂は毎日の様にうろついていましたよ。殊に古本屋へはよく行きました。そして主人をつかまえて色々探ったのです。――細君を知っていたことはその時打明けたのですが、それが却かえって便宜になりましたよ――君が新聞記者を通じて警察の模様を知った様に、僕はあの古本屋の主人から、それを聞出していたんです。今の指紋のことも、じきに分りましたから、僕も妙に思って検しらべて見たのですが、ハハ……、笑い話ですよ。電球の線が切れていたのです。誰も消しやしなかったのですよ。僕がスイッチをひねった為に燈ひがついたと思ったのは間違で、あの時、慌てて電燈を動かしたので、一度切れたタングステンが、つながったのですよ。スイッチに僕の指紋丈けしかなかったのは、当りまえなのです。あの晩、君は障子のすき間から電燈のついているのを見たと云いましたね。とすれば、電球の切れたのは、その後ですよ。古い電球は、どうもしないでも、独りでに切れることがありますからね。それから、犯人の着物の色のことですが、これは僕が説明するよりも……」
彼はそういって、彼の身辺の書物の山を、あちらこちら発掘していたが、やがて、一冊の古ぼけた洋書を掘りだして来た。
「君、これを読んだことがありますか、ミュンスターベルヒの『心理学と犯罪』という本ですが、この『錯覚』という章の冒頭を十行許ばかり読んで御覧なさい」
私は、彼の自信ありげな議論を聞いている内に、段々私自身の失敗を意識し始めていた。で、云われるままにその書物を受取って、読んで見た。そこには大体次の様なことが書いてあった。
嘗かつて一つの自動車犯罪事件があった。法廷に於て、真実を申立てる旨むね宣誓した証人の一人は、問題の道路は全然乾燥してほこり立っていたと主張し、今一人の証人は、雨降りの挙句で、道路はぬかるんでいたと誓言した。一人は、問題の自動車は徐行していたともいい、他の一人は、あの様に早く走っている自動車を見たことがないと述べた。又前者は、その村道には二三人しか居なかったといい、後者は、男や女や子供の通行人が沢山あったと陳述した。この両人の証人は、共に尊敬すべき紳士で、事実を曲弁したとて、何の利益がある筈もない人々だった。
私がそれを読み終るのを待って明智は更らに本の頁を繰りながら云った。
「これは実際あったことですが、今度は、この『証人の記憶』という章があるでしょう。その中程の所に、予あらかじめ計画して実験した話があるのですよ。丁度着物の色のことが出てますから、面倒でしょうが、まあ一寸読んで御覧なさい」
それは左の様な記事であった。
(前略)一例を上げるならば、一昨年(この書物の出版は一九一一年)ゲッティンゲンに於て、法律家、心理学者及び物理学者よりなる、ある学術上の集会が催されたことがある。随したがって、そこに集ったのは、皆、綿密な観察に熟練した人達ばかりであった。その町には、恰あたかもカーニバルの御祭騒ぎが演じられていたが、突然、この学究的な会合の最中に、戸が開かれてけばけばしい衣裳をつけた一人の道化が、狂気の様に飛び込んで来た。見ると、その後から一人の黒人が手にピストルを持って追駆けて来るのだ。ホールの真中で、彼等はかたみがわりに、恐ろしい言葉をどなり合ったが、やがて道化の方がバッタリ床に倒れると、黒人はその上に躍りかかった。そして、ポンとピストルの音がした。と、忽ち彼等は二人共、かき消す様に室を出て行って了った。全体の出来事が二十秒とはかからなかった。人々は無論非常に驚かされた。座長の外には、誰一人、それらの言葉や動作が、予め予習されていたこと、その光景が写真に撮られたことなどを悟ったものはなかった。で、座長が、これはいずれ法廷に持出される問題だからというので、会員各自に正確な記録を書くことを頼んだのは、極く自然に見えた。(中略、この間に、彼等の記録が如何に間違に充みちていたかを、パーセンテージを示して記してある)黒人が頭に何も冠っていなかったことを云い当てたのは、四十人の内でたった四人切りで、外の人達は山高帽子を冠っていたと書いたものもあれば、シルクハットだったと書くものもあるという有様だった。着物についても、ある者は赤だといい、あるものは茶色だといい、ある者は縞だといい、あるものはコーヒ色だといい、其他種々様々の色合が彼の為に説明せられた。ところが、黒人は実際は、白ズボンに黒の上衣を着て、大きな赤のネクタイを結んでいたのだ。(後略)
「ミュンスターベルヒが賢くも説破した通り」と明智は始めた。「人間の観察や人間の記憶なんて、実にたよりないものですよ。この例にある様な学者達でさえ、服の色の見分がつかなかったのです。私が、あの晩の学生達は着物の色を見違えたと考えるのが無理でしょうか。彼等は何者かを見たかも知れません。併しその者は棒縞の着物なんか着ていなかった筈です。無論僕ではなかったのです。格子のすき間から、棒縞の浴衣を思付いた君の着眼は、却々面白いには面白いですが、あまりお誂向あつらえむきすぎるじゃありませんか。少くとも、そんな偶然の符合を信ずるよりは、君は、僕の潔白を信じて呉れる訳には行かぬでしょうか。さて最後に、蕎麦屋の便所を借りた男のことですがね。この点は僕も君と同じ考だったのです。どうも、あの旭屋の外に犯人の通路はないと思ったのですよ。で僕もあすこへ行って調べて見ましたが、その結果は、残念ながら、君と正反対の結論に達したのです。実際は便所を借りた男なんてなかったのですよ」
読者も已すでに気づかれたであろうが、明智はこうして、証人の申立てを否定し、犯人の指紋を否定し、犯人の通路をさえ否定して、自分の無罪を証拠立てようとしているが、併しそれは同時に、犯罪そのものを否定することになりはしないか。私は彼が何を考えているのか少しも分らなかった。
「で、君は犯人の見当がついているのですか」
「ついていますよ」彼は頭をモジャモジャやりながら答えた。「僕のやり方は、君とは少し違うのです。物質的な証拠なんてものは、解釈の仕方でどうでもなるものですよ。一番いい探偵法は、心理的に人の心の奥底を見抜
ワールドワイドプレミアムセイバープランというのは、あるのですが
その前にですね
シルバーTaHプランというリーズナブルな国内プランもありましてですねHは無声音なんですけどくちもとをですね
↑どうみても英語だお?
有能な店員の話がバズってるが、こういう知識豊富な人は「高いスペックはいらないが〇〇ができて取り扱い簡単なのが欲しい」みたいなのも教えてくれるんだろうか?
前にブルートゥースのイヤホンを買おうと思って店員に相談した。
そしたら、こっちは「音質はこだわらない、通勤電車でちょっと音楽や英語の教材聴くだけだから。ノイズキャンセリングは欲しいかな」つってるのに、やたら声音質のを勧められたのだが…
音質悪いのずっと聴いてると耳に負担?そんな長時間使わないし。
こっちのニーズは全然汲み取らずに、その人の考えた最強のイヤホンを勧められた感じだ。
有能な店員はごく少数で、こういう押しつけがましい人が多いのか。
時効だと思って、辞めておおよそ3年後に書いたわけよ
俺みたいにトラウマ背負わされたりする人間が増えないように、脚色も嘘も入れてない事実をな
そしたら4日後ぐらいに電話きた、当時の俺を新入社員時代からパワハラし、俺の精神折ったヤツが
「書きましたね?」とな、俺イビってた時みたいな横柄な口調じゃなく敬語だけど、明らかに声に怒りが籠もってた
「知りません、それより私は貴社とはもう関係ないですよね」って言って切った
転職サイトに開示要求して俺の情報手にしたのか、当時のことを把握した上で何か書かれないか目を光らせてずっと定点観測してたのかは知らない、知りたいけど知っても意味ない
ただ、そのサイトに登録したメアドは念を入れて捨て垢のメアドに変えて二度とアクセスしないことを誓った(元から個人私用のメアドじゃない仕事用だが、念を入れて)
いまここに書いてるけど、今度はこれも特定するんだろうなと、次は俺のお家へ訪問かな?
うんち
「またやっちゃった…」
ヒロコは苛立ちと罪悪感でいっぱいになった胸を抑えて深く溜め息を付いた。
間も無く3歳になる娘のユウが赤くなったあどけない頬をめいっぱい歪ませて泣きじゃくっている。
片付けても片付けてもおもちゃを散らかし、いたずらばかりするユウをきつく叱りつけたのだ。
同じことを何度繰り返せばいいのか、また抑えきれない怒りを発してしまった。
掌がヒリヒリと痺れている。
我に返った時には遅く、ユウは火が付いたように泣き出した。
それでもヒロコはすぐには動けなかった。
その様子を他人事のように見詰め、抱き寄せる事も出来ず、これを宥めるのも自分の仕事かとうんざりし、またそう考えてしまう自分が嫌だった。
夫の帰りは今日も遅いのだろう。
激務の為、終電になることがほとんどだ。最後に娘が起きている時間に帰ってきたのはいつの事だったろうか。
日が傾き始めた窓の外に目をやり、逃れられない娘の泣き声と孤独感にヒロコはまた溜め息をついた。
──
「こんなはずじゃなかったのに」
「イヤイヤ期は大変よね」
サキは応じる。
ヒロコの学生時代の友人だ。
サキの子供はユウの2つ上の男の子で、サキは企業勤めのいわゆるワーママである。
最近は忙しくて会う機会も減っていたがサキが2人目の出産を間近にして産休に入った為、久しぶりにお茶でもどうかと招待を受けたのだ。
「可愛くない訳じゃないんだけどね、時々イライラが止まらないの。本当にひどいんだよ。なんで何回言ってもわからないんだろう」
自分の家にはない、物珍しいおもちゃの数々に目を輝かせているユウを横目に、ヒロコはまた溜め息をつく。
「片付けは出来ないし、気付いたらすぐ散らかすし、昨日もリビングに水をぶちまけるし、トイレットペーパーは全部出しちゃうし…。毎日毎日片付けに追われてる…!すぐにビービー泣いてうるさくて頭おかしくなりそう。この子、私のこと嫌いなのかなって本気で思う事がある」
サキは時折自身の体験を交えながらヒロコの言葉にうんうんと耳を傾ける。
ヒロコがアドバイスなどを求めていないことはよくわかっている。
まだ意思の疎通もままならない子供と一日過ごしているだけでどれだけ気力と体力が削られるかサキもよく覚えている。
久しぶりに人と話をしている高揚感と充実感に夢中になるヒロコの気持ちはよくわかった。
「…そろそろ保育園のお迎えに行かないと」
時間が過ぎるのはあっという間だ。
「長居してごめんね」
ヒロコも席を立ち、ユウの散らかしたおもちゃを片付ける。
「帰るよ」
その一言でユウの顔がぷうと膨れた。
「やだ」
ヒロコの目が吊り上がった。
「また始まった…!ワガママ言わないで!!」
「やあぁー!あそぶ!あそぶの!!」
小さな手から乱暴におもちゃを取り上げると、ユウはわぁっと泣き声を上げた。
「はぁ…。もううるさい!泣かないでよ!行くよ!」
ヒロコはユウを抱き上げようとしたが、ユウは泣いて暴れ、その手から逃がれようとする。
カァッと目の前が赤くなるような感覚に襲われ、反射的にヒロコの右手にグッと力が入ったが視界にサキの姿が入り、ヒロコは震わせた拳を抑えた。
その分声はヒートアップする。
強引にユウを引き寄せ、そのまま引きずるようにして玄関へ向かう。
「みっともない所見せてごめんね。いつもこんなで…ホントごめん」
辛そうに頭を下げるヒロコにサキは困ったような笑顔を返すと、本棚から一冊の本を取り出してヒロコに渡した。
「ね、良かったらこれ、読んでみて」
──
ヒロコは疲れていた。
「こんなはずじゃなかったのに」
お母さんだからメイクもお洒落もちゃんと出来なくて、髪を振り乱して鬼の形相で子供に怒鳴り、お母さんだから子供の為に我慢ばかりで辛い事ばかり。
ユウの寝顔を見て愛しいと思っても、朝になればまたあの1日が始まると思うと恐怖すら感じた。
この子を産んでいなければ…考えても仕方のないifが頭の中を駆け巡る。
恨めしい。子供の事など考えず、仕事だけしていればいい夫が恨めしかった。
独りの時間はとても長く、虚無で満たされていた。
(絵本か…)
本屋へは何度か行ったが子供に何を選べばいいのかわからず、無難そうな物を数冊買ったきりだ。
読み聞かせをしてもユウはすぐに飽きてしまい最後まで読み切れた事もなく、読んでいる最中に絵本を破かれて怒って以来、開くのをやめた。
鞄から取り出し、表紙を撫ぜた。
「えぇ…どういうこと?」
口の端に自然と笑みが浮かんだ。
静かなリビングにページをめくる乾いた音が響く。
いたずらで母親を困らせる可愛くない子供が、デフォルメされた絵柄で描かれていた。
嫌な感情が胸を巡る。
気分が悪くなり、一度は絵本を閉じようかと思った。
しかし、めくるごとにヒロコの手が震えだした。
(あ、このママ…)
(私だ…私がいる…)
あたしがあんたをうんだんだもん!
大好きすぎるからおこるのよ!あんたにはママよりしあわせになってほしいの!!
それがおこるってことなのよ!』
ヒロコの目から知らずに涙がこぼれた。
(うん、私、怒りたいんじゃない。ユウが大好き。大好きだから怒ってしまうんだ…!私、間違ってなかったんだ…!)
胸が、身体中がカァッと熱くなった。
堰を切ったようにとめどなく涙が溢れてくる。
ヒロコは絵本を抱き締めて嗚咽を上げた。
ヒロコは昨夜泣き腫らしてむくんだ瞼をこすりながらも、穏やかな気持ちでいた。
今朝も早くからユウは冷蔵庫の野菜室に積み木を放り込むいたずらをしていた。
いつものように怒鳴り付けたヒロコだったが、泣いているユウを自然に抱き締める事が出来た。
「あのね、ママはユウが好きだから怒ったんだよ。わかる?ユウの事がどうでもよかったら、怒ったりもしないの。だからユウが悪い事をしたら怒るのよ」
今はまだ全ては伝わらないかも知れない、けれどきっとわかってくれるはず。
心持ちが違うだけでこんなにも余裕を持っていられるなんて。ヒロコは晴れやかさすら感じていた。
──
追い詰められていた自分の気持ちを理解し、黙って絵本を渡してくれたサキに感謝を伝えようとヒロコは電話を掛けた。
「何て言うか、助けられた気持ち。私、いっぱいいっぱいだったんだと思う…」
「私もそうだよ」
サキの声は安堵したような響きがあった。
「いい絵本だったでしょう?私も辛いときに読んでるんだ。怒るのは悪いことじゃない、子供の為だって思えると気が楽になるよね」
「うん。ユウにちゃんと向き合えた気がする」
しばらく話を続けたあと、あぁそうだとサキは言った。
「あの絵本を書いた作家さんの講演会が再来週あるんだけど行ってみない?」
「講演会?」
「ユウも騒ぐしそんな所に連れていけない…」
「大丈夫!子供連れでも安心して行ける講演会なの。作家さんが子供と遊んでくれたり、絵本の読み聞かせをしてくれたりするんだ。親も子供も楽しめていい息抜きになるよ」
本を一冊読んだだけ、どんな人かもわからない絵本作家の講演会に3000円も出すのは専業主婦のヒロコにとっては少し高いなと思う金額だった。
だが、子供も沢山来ると言う話だし、ユウにもいい刺激になるかも知れない。
熱心に勧めてくれるサキに押され、せっかくだからと参加を決めた。
講演会と聞いて構えていたが、会場に入って拍子抜けした。
椅子も置かれていないホールにブルーシートが敷かれているだけ。
「なんなの、これ?」
「知らないとちょっと驚くよね。まぁ座って座って」
「ユウちゃん、これから楽しいお兄さんが来て遊んでくれるよ。ご本も読んで貰おうね」
サキの息子ケンタは場馴れしているのか、サキに寄り掛かるようにして静かに座っていた。
「そんなことないよ。全っ然ダメな子なんだから!今日はユウちゃんがいるから良い子のフリしてるだけ。もうすぐ赤ちゃんも産まれるんだからもっとお兄ちゃんらしくして貰わないと困っちゃう。ね?ケンタ?…あ、ほら始まるよ!」
それはヒロコが想像していた作家の講演会とは全くかけ離れたものだった。
絵本作家と聞いてかなり年配なのだろうと勝手に思っていたヒロコは、40半ばに見える気取らない格好をしたこの男性が絵本作家その人であることも驚いた。
作家本人が壇上を降りて子供と触れ合い、子供達が楽しめるように趣向を凝らした様々な遊びが繰り広げられた。
時には大人も一緒に歓声をあげるような賑やかなもので、気付けばユウもキャッキャと声を上げて遊びの輪の中で満面の笑みを浮かべていた。
(凄い…)
「この人は特別だよ。こんなに子供の為に自分からやってくれる作家さんなんて聞いたことないもの。生の意見を聞きたいって日本中回って年に何本も講演会開くんだよ。絵本も発売前に講演会で読み聞かせして、感想を聞いて手直しするの。凄いでしょ?」
「前にね、仕事でこの人のイベントに関わった事があって。妥協しないでこだわりを貫く姿勢とか、誰に対してもフランクで、作家なのに偉ぶらない所とか、凄く温かみがあって純粋な人だからファンになっちゃったんだ。しかも、ちょっとかっこいいじゃない?」
子供達は食い入るように作家の手元を見詰め、声を上げて笑っている。
(これがプロの読み聞かせ…!ユウなんて私が読んでも最後まで聞かないのに、こんなに子供の心を掴むなんて。やっぱりプロは違うのね。私もあんな風に感情を込めて読んでみたらいいのかな)
作家は、二冊の本を読み終わり、次が最後の読み聞かせだと告げた。
もう終わってしまうのか…と残念な気持ちになるヒロコは気付かないうちにもうこの作家のファンになっているのだ。
新作だと言うその黄色い表紙の絵本は、作家が渾身の思いを注いで全国のママ達の為に描き上げたのだそうだ。
この明るくて楽しい、優しさに溢れた人が私達ママの為に描いてくれた絵本とは一体どんなものなのだろう。
ヒロコの胸は期待に掻き立てられた。
読み上げられた一文にヒロコは頭を殴られたような気がした。
周りを見れば大人しい子供もいるのに何故ユウのようないたずらばかりする子だったのかと妬ましい気持ちになることもあった。
子供が親を選んで産まれてきただなんて考えたこともなかったのだ。
作家は感情を溢れさせた独特の声音で絵本を読み進め、ページを捲っていく。
ひとりぼっちで寂しそうなママを喜ばせたいんだと飛び込んでいく魂。
ヒロコの心は激しく揺さぶられた。
気付けば茫沱たる涙が頬を濡らしていく。
母に喜びを与える為に産まれるのだ。
ヒロコは肩を震わせしゃくり上げて泣いた。
作家を中心に会場の空気が一つになったような感覚をヒロコとサキは味わった。
同じように感じる来場者は他にもいたのではないだろうか。
(自分の絵本を読みながら泣くなんて、とても繊細な人なんだ…)
作家が自分に寄り添ってくれるような気持ちになり、ヒロコはその涙が温かく感じた。
「ママ…?」
ヒロコが泣いている事に気付いたユウが、どうしたの?と母の頬に手を伸ばす。
ヒロコは反射的にその小さな体をギュウと抱き締めた。
「ユウ、ありがとう」
講演後に開かれた即売会でヒロコは迷わずに黄色い表紙の絵本を買った。
感動と感謝を伝えているとまた涙が溢れてきた。
作家はにこにこしながら『ユウひめ、ヒロコひめへ』と言う宛名の下に2人の似顔絵を描いて手渡してくれた。
──
翌日からヒロコはユウに、そのサインの入った絵本を積極的に読み聞かせた。
講演会で見た絵本作家の姿を脳裏に思い浮かべ、それと同じように読み聞かせをしたのだ。
冗談を言うシーンでユウは笑う。
もう一度ここを読んでとヒロコにせがむ。
こんなこと今まで一度だってなかったのに。
「ユウもこんな風にお空の上からママを選んだんだって。覚えてる?」
「うん。おじいちゃん」
「このおじいちゃんにユウも会ったの?」
「うん」
幾人もの子供たちから聞いた話を元に絵本を描いたとあの作家は言っていた。
本当だ、ユウも産まれる前の記憶を持っているんだ、とヒロコは確信した。
「どこが良くてママを選んだの?」
照れたように小首を傾げながら舌足らずに答えるユウをヒロコはきゅっと抱き締める。
「ママ嬉しい~!ユウも可愛いよ!可愛いママを選んだんだからユウが可愛いのも当たり前だよね~!」
子供からこんなにも愛を貰えると気付かせてくれたこの絵本は、ヒロコにとって正にバイブルとなったのだ。
後半はこちら↓
先日、金魚すくいのアルバイトをすることになり、子どもにはポイ(金魚すくいで使う網)の枠色を選ばせてあげるんだけど、女の子の半数以上が水色を選んだからちょっと驚いた。
そこで私は「女の子はなんだかんだいってもピンクが好きでしょ」とバイアスがかかっていたことに、やっと気づいたと思う。
しかし、よくよく考えると自分が小学校低学年の頃には水色を選ぶ女の子が多数派だったと思い出した。大体の理由は「ぶりっ子と思われたくないから」だった。
ピンクが女の子らしさの象徴であり、それが好きだと表すこと=異性に媚びている
それは屈辱であるし、苛められるかもしれない。自意識過剰…。しかし小学校は閉鎖的で、小さな小さなコミュニティで上手くやっていくには色々と気を遣わなければいけないのだ。
もちろん水色が本当に好きな女の子も多かったと思うが。
女子校に入ると、ピンクが好き!ふりふりした可愛らしいものが好き!という子は増えた。ここで異性は存在しないから、どんなものが好きでも「あの子はそういうスタイル」で片付けられるのだ。仕草や声音がとても可愛らしく、共学ではぶりっ子と囁かれたかもしれない子も、女子校では「もう誰に媚び売っているの」と笑われながらも、女子も愛想の良い子が好きなので結構好かれていた。
女の子が周りの女の子を気にせずピンクも水色も何の色でも選べるようになったらいいなと思うがそれが難しいんだな。
ちなみに男の子はほぼ水色を選んでいました。なんでだろうね。個人的には男の子の方が「男の子らしく」を強要される場合が多い気がする。
「日本人の耳には「スプレッ」って聞こえて」は違うだろう。/spred/の母音[e]は有声音[d]の前に来ているから「スプレェ」のようにやや長めに発音され、日本人の耳にもそう聞こえる。一方、/swet/の母音[e]は無声音[t]の前に来ているから「スウェッ」のように短めに発音される。
他の増田が有名な話を書いてるけどこれは実は間違い。確かに日本語には「促音+濁音」で終わる単語は少ない、だから清音になるという説(※1)。
だけど、これには簡単に物凄い数の反例が出る。
「エッグ」のこと「エック」って言う?
「ゴッド」のこと「ゴット」って言う?
「マッドサイエンティスト」のこと「マットサイエンティスト」って言う?
こんな間違いする人1度も見たことないよね。
実のところ、この現象が起こるのって「ベッド」と「バッグ」だけなんだ。他にあるとしても、ごく一部の単語に集中する。「ビッグ→ビック」も、ビックカメラがbic cameraって社名にしたから。
実はこれは単に明治期の単語の輸入と誤用の問題なんだ。音声学的な説明は一応最後に書いとくね。
なんで「ベッド」と「バッグ」でだけこんなことが起きるのさ、ってのは、明治期の日本がドイツからかなりの単語を輸入してたのに由来する。
「ベット」はドイツ語なんだ。他の増田が書いてるこっちが当たり。「バック」は少しめんどくさいけどこれもドイツ語のせい。
ドイツ語が残ってるのは結構広範に渡って残ってる現象で、化学で"oxide"(英語読みならオクサイド)を日本で「オキシド」って呼ぶのも、化学をドイツから輸入した名残りだったりする。(※2)
どっかの予備校講師はクメンヒドロペルオキシドという名前に文句つけるのやめたのかな。hydro-もper-も英語読みならハイドロとパーだけど、ドイツ語だとヒドロとペルで良い(※3)。
話が少し逸れたけど、英語の"bed"はドイツ語では"Bett"。これがそれぞれ違う時期に輸入されたので、「寝台」をbedと呼んでもBettと呼んでもよくなった。でもそんな経緯を知らない現代の我々は混乱する。
荷物入れの「バッグ」を「バック」って言う話は少し面倒くさい。"bag"と"back"は英語だけど、"Rucksack"(リュックサック)がドイツ語。このせいで、「体のbackに背負うbagをRucksackと呼ぶ」という物凄いキメラみたいな構図が発生する。ここからリュックサックに限らず、荷物入れ(bag)を、backに背負わないものでさえ全部backと呼んでしまうようになってしまったのではないか、と思われている。Rucksackという単語が輸入されてなかったらこの混同は起きなかっただろう。
ただ、これだと、「でもやっぱ、ベットよりベッドの方が、こう、言いづらくね!?」っていうモヤモヤ晴れないよね。音声学の方から引用しとく。
話を凄く簡単にしちゃうけど、まず、日本語のtとdの音は、音の強さ・大きさが、他の言語のtやdと比べると平均から見てかなり弱いんだ。
これだけなら問題は起こらないんだけど、厄介なのは「ベッド」の「ッ」、促音と呼ばれているもの。これは実のところ「後ろの子音を長く発音する」という記号なの。いきなり聞くとえー?って思うかもしれないけど、これは実際波形取ると分かるんでそういうものだと取り敢えずわかって欲しい。(※4)
子音を長く発音するにはその分息がいっぱい必要。「ベッド」と言おうとするとき、「ベッ」の瞬間、貴方の口の中には次の「ド(do)」を出すのに必要な空気がいっぱいいっぱい溜まってるの。
だけど、さっきも言ったけど、日本語のdの音って弱いの。すっげえ弱いの。みこすり半で出ちゃうくらい弱い。そんな弱さに見合わないくらいの大量の空気を放出しながらデカエアに負けないでdの音を維持するのはすっげえキツいの。
それに比べるとtって音はdよりはまだ強いから楽だ。dの無声音なんだけど、とりあえずもう今パンパンにお口の中で溜まってる空気そのまんまぶちまけたら出ちゃうような音。気の強い音は空気に弱い。
「ベッ」の時点でパンッパンに空気が溜まってるから、本当は「ト」ってtの音を思いっきりぶちまけて出したくてたまんないのに、「ド」っていうふにゃふにゃした放出で我慢しないといけないの。すごく、すっごくつらい思いをすることになるの。
これが「ベッド」が「ベット」より言いづらい理由だったりする。
でも「ゴッド」を「ゴット」って言う奴はいないように、これは言いづらいけどきちんと普通に発音できるもの。
結局、「ベッド→ベット」「バッグ→バック」の例って、他にあるとしても似た音の単語の輸入や誤用に起因するものであって、構図が日本語に稀とかそういう問題ではないんだよね。
「ドラック」の誤用のルートは自分知らんけど、いずれにしても「バック」とかわざと書いてる人は間違いが慣用化したのを使ってるだけで、脳の中で変な処理は起きてないと思っていいよ。
(※1 本当は促音+有声破裂音+母音とか書きたいよね。ここでいう清音も本当は無性破裂音+母音と書いた方が正確に近い)
(※2 なんで「オクシド」じゃないの?って思ったら鋭い。現代日本語は外来語に後続する母音のない子音が含まれないときuを挟むのが普通だけど、iを使っていた時期があった。これはインクのことをインキって呼んだりするあたりに今にも名残がある。)
(※3 ドイツ語のrの発音が変わって[x]になったので今は正しくないけど当時は正しかった。)
(※4 後ろに子音が無い場合は1モーラ分のglottal stopが発生する。息を呑むような音だと思ったら良いよ。実は促音はすごいめんどいので流石に割愛。)
※追記
なんかとんでもないことになっててビビってて、到底手が回らないものの、とりあえず一番重要で言及しないと思ったこのあたりだけ:
>(この増田は否定してるけど)トラバへの回答で出てる『語末有声子音が強制的に無声化されるのはドイツ語の方のルール』を脳内にインストールした(してしまった)人の影響はあると思うけどどうなんだろ?
これについては似たようなことを言及してる方がいたので所感を下に書いておいた。言及先含めて興味があれば。私がいない間にたくさんの反例(反反例?)を見つけてくれた皆様、ありがとうございました。普通に有難いです。
「ベッド」と「ベット」等を混用する現象については書いた通りに思われますが、それだけではもう済まないですね。しかしながら、純粋に音声学的に解決出来る問題でもないように思います(以下追記したURL)
https://anond.hatelabo.jp/20190720173216
これは専門っぽい方を相手に言及したので、普通の人でも読めるように簡単に纏めると、
「歴史的な誤用の重なりや、似たような外来語の氾濫、音声学上の発音のしづらさ、ぶっちゃけどっちでも何を指してるのか通じるやんという多数の要因が相まって、現代人の脳内で促音+破裂音の組の処理自体に対して変化が起きつつある」という所感です。
現代はまだ「有声破裂音を無声化してもしなくてもいいし、無声破裂音を有声化してもしなくてもいいし、しかも適用される確率について単語によって非常に差がある、おまけに個人差や方言差やシチュエーションでの差も高い」という過渡期にあるようです。
しかしながら上のURLで書いたように音韻規則化されつつある事は(音韻規則というのは音の文法だと思ってもらえれば良いです)、頂いたデータ等から最早疑いようがないように思います。
これが最終的にどういう形に落ち着くかについては、マジで数十年待って何世代か先でどのように変化するのかを見て確かめるしかないでしょう。結果に関係なく楽しみです(そしてこういう変化は結構誰の予想も裏切る形に終わったりするから面白いのです)。ブコメや言及等頂いた皆様、ありがとうございます。