はてなキーワード: 心頭とは
でも、どうしても吐き出したくてもう一度載せる。何通か書いたものをまとめて載せる。追記の項に書いたけど、吐き出したいだけで、それ以上の意味はない。
思うままに書いたエントリを縦につなげただけなので、論理構成は無茶苦茶。
長男が発達障害だ。療育手帳は上から3番目の等級。これは、身体障害で言うと指の欠損とか嚥下障害とかと同じくらいの重さ。ただ、どこがどうと言うと、説明が難しい。
多動でもなければ注意欠陥でもない。ステレオタイプな目を合わせないような自閉症ではない。むしろかなり人懐こい。
知恵も遅れてなさそうだし、人と目を合わせられないとかでもない。
説明しやすい違いというと、喋らないことだけだ。5歳が近づいてなお、意味のある単語は喋らない。イーッ!アーッ!ばかりだ。手帳はほとんどそれで貰えたに近い。しかし、言葉を喋らないことは、育てにくさの一端でしかなく、本質じゃない。
彼の場合、ただただ、コミュニケーションに対する考え方が、行動が定型児とは違うのだ。無敵の人なのだ。
みな「うちの子もそうよ」みたいな話をする。そりゃ、どの子だって、自分の世界に入って周りの音が聞こえないことってあるだろうさ。我を通したいがためにスーパーで寝転がって駄々をこねるということもあるだろうさ。でも、頻度と質が違うんだ。
彼は楽しさを共有しようとする意思がある。テレビをみて、今のみたか?というふうに視線を送ってくる。無視していると、髪を掴んで強制的に鑑賞させられる。
その一方で、他者からの働きかけには興味がない。まず名前を読んでも反応がない。問いかけに対する反応もない。聞こえてないわけでも理解してないわけでもない。なぜなら、自分の利害と一致するような言葉はちゃんと拾うのだ。「買ってあげるから(スーパーの)カゴに入れて」とか、「児童館行くからおいで」という言葉にはちゃんと反応する。
そんななので、口頭試問という手段が使えないので、知能を測ることは難しいんだけど、親バカだがむしろ賢い。ひらがな、カタカナ、アルファベットは2歳くらいから読めてる様子。3歳になるとPCのキーボードでタイピングするようになった。数字は100くらいまで理解し、足し算のような演算記号も理解してる様子。機械の仕組み、道順、人の顔もすぐ覚える。
知能が測れないというのは地味に厄介だ。
何ができて、何ができない、何を知ってて、何を知らないのかが親にわからない。
ある日突然できている。いきなり意味のある文章をタイピングしたり、いきなりそれとわかる絵を描いたり、いきなり1人で着替えてる(もう一度してと言ってもしてくれないし、再現されることはまずない。いまだに手で食べ、オムツで、着替えは人任せだ)。
しかし、嬉しい驚きばかりじゃない。むしろ、それが一番困るところだ。
1歳で1人で外に出た。3歳くらいのとき1人でスーパーから消え近くの踏切にでた。やはり3歳で包丁で野菜を切ってたこともある。
目を離した親が悪いというけれど、本当に、「ある日突然なにかができてる」なのだ。
そして、これが特徴だけど、どんなに怒鳴っても、ほとんど響かない。嫌われることへの恐怖心というものが皆無だ。すごい剣幕に、近くにいた次男はギャン泣きなのだが、当の長男はというと、なんか耳元でうるさいなくらいの顔しかしない。
拳や足による制裁が加わっても、なにか面白いものを見つけると、次の瞬間に天使の笑顔である。憎しみや怒りに対して笑顔をぶつけられるチートスキル。明らかに不機嫌がおさまらず噴火寸前触るな危険な妻にも、キャッキャ寄っていく。価値判断が自分が楽しいかどうか、自分がしたいかどうかだけで、他者評価を一切気にしない。つまり、無敵の人なのだ。
袋詰めの一瞬の隙をついて、消えた。まさかの店外に出ていて、近所の踏切で確保された。何人かの大人に囲まれ詰問されていたが、喋れない。警官が駆けつけたところで、パニックになった妻が到着。地獄絵図だったそうな。
本人的には「俺は一回くれば道くらい覚えてるからさ、1人で踏切にくらい行けるし、車道や踏切の中で止まるほどバカじゃないよ」
って喋れたらそう言ってるだろう。
自分は、彼のことを95%くらい信じてる。口頭試問できないが、かなり賢い。たぶん信号を理解してるし、車道や踏切というものをたぶん理解してる。でも5%くらいは信頼できない。5%、つまり20回に1回はなにかある、そのくらいの信頼度だ。そういう意味でも、親は子供の「はじめて」の側にいたい。何度かの練習で失敗を繰り返し、99.99%成功、万が一くらいの危険度になってようやく1人でやらせたい。だが、彼の初めては、常に突然だ。気がついたらなにかしてる。無敵の人だからだ。幸いに事故はないのだけど、大人がすり減る。
こだわりの強さの話をしよう。
こだわりとわがままは違う。
我が家の場合、定型っぽい次男のイヤイヤ期のほうがよっぽど理不尽だった。
例えば、次男が牛乳のお代わりを要求するのに対し断ったとする。イヤイヤ泣く。渋々お代わりを与えても、「欲しかったのはさっきの瞬間で、今じゃない!あの時の俺の気持ちをどうしてくれる!」みたいな泣きがはじまる。
発達っ子の長男は、こだわりは絶対に譲らない。どんなに拒否されても、コンコンと要求を取り下げない。激しく叫んだり暴れたりしても、パニックではなく、伝えるためにそうしてるだけだ。30分でも1時間でもやめない。ちゃんと要求さえ通れば、それきりだ。要求を飲んでくれたことへの感謝もなければ、要求をしぶられたことへの恨みもない。
他のことに気を逸らすことが非常に困難で、まず無理だ。いわゆる子供騙しが通用しない。
本当に、無敵なのだ。
この子の母、自分の妻は、長男と180度違う。妻の性格はちびまる子ちゃんみたいと言えばいいだろうか。おだてられたら調子に乗り、怒られたら凹む。他人の成功を妬んだり、目の前の餌に釣られたり、ふと冷静になって後悔したり、劣等感にさいなまれたり、仏様に憐れまれそうな典型である。
妻は憐れな衆生の1人、お気持ちファーストなので、妻が長男を叱る時、響かないのはストレスらしい。凹ませるのが目的じゃないって正論を言っても、理性ではわかっても行動をアップデートできない。反省の色が云々は裁判官でも言っちゃうので、怒られてすぐヘラヘラされて正気でいるのは、解脱が遠そうな性格の妻には無理のようだ。
妻と衝突した時、次男は判断が気持ちできまる。こんな気持ちにさせられたという自分の気持ちがファースト、相手が怒ってるどうしようという相手の気持ちがセカンド、それを天秤にかける感じ。多くの場合、なぜ怒られたかすら理解してない。
対して、長男は、「かくあるべし!」っという戒律じみた強い信念と、好奇心が行動規範。話が聞こえてないわけではない。そもそも悪いと思ってないとこはなにを言われても取り合わないが、失敗(はしゃいで走って牛乳をこぼしたとか)を咎められると、バツが悪そうな顔をする。言葉は通じてるのだ(自分でタオルを持ってきて拭きはじめるが、拭き終える前に別のことを始めるのだが)。
どっちかっていえば、長男が人類のあるべき姿で、定型の定型たらしめる妻と次男の人間臭さこそ、現世の生きづらさな気がするのだ。長男はこだわりや好奇心の邪魔をされなければ、妻や次男に八つ当たりや理不尽な攻撃をされてさえ、「やれやれだぜ」くらいの顔しかしない。
でも、悟るのは成人してからにしてもらわないと困る。お釈迦さまだって結婚や育児が一段落してから出家したように、まずは社会通念に従ってくれないと、この世で生きられない。
社会のルールとか、貨幣制度というのは、幻想を共有することだ。長男はその能力が著しく低い。「僕が鬼で君が隠れる。見つかったら負け」こういうのはたぶん長男は理解しない。というか理解する必要性を感じない。鬼とか負けというのは、幻想だから。
理解するとしても、アルゴリズム体操のように、そういうアルゴリズムとして理解して、前後の文脈や場の空気からの理解じゃない。
長男はよく星のカービィ(WiiUのバーチャルコンソール)をしてるのだけど、ライフがゼロになるとか穴に落ちたら残機が減るというのは理解する。なぜなら、幻想じゃなく仕様だから。ゲーム機の充電、ゲームを起動、多彩なアクション、テレビゲームのルールこういうのは得意。
社会のルールは理解しないくせに、長男独自の数多のマイルールに縛られてる。多くの人がキッチンスポンジのほうが便器より汚いといわれても便器を舐められないように、長男としては譲れないポイントがそこらじゅうにある。親は全てに付き合わされる。例えば、妻がどんなに怒り心頭してても、次男が頭から流血してても、散歩のルーチンは譲らない。
それに加えて、子供の好奇心と目覚めた知能をフル活用した想定外の行動を起こす。無敵の人だから叱ることが抑止力にならない。
よく発達障害について、こだわりが強いとか、注意散漫とか、他人の気持ちを理解するのが下手とか、そういう説明がある。
言葉としてはあってるけど、ちょっとズレてる。そんなもんじゃなくて、生物として、もっと基本的なところでなにか違う。
天才も多いと言われるけど、たぶんそれも違う。認知や学習の方法が全く違うから、定型の知能と長男の知能の優劣はつけられない。
たぶん、長男は学業優秀に育てば、国語のテストで満点を取れるようになったりはするだろう。でもそれは文章は理解できるというだけだ。心がわからないというのではない。小説や映画に感動できるようになっても、この子が物語から感じる感動の質は、定型の人のそれとはおそらく違うと思う。寄生獣という漫画で、犬を看取った直後に、その犬をゴミ箱に捨てるシーンがある。ヒロインが「あなた普通じゃないわ」と言うが、主人公は「死んだら肉だ」と噛み合わない。この子は将来、そういう違和感を周囲に与え続ける。
どこまでいっても彼は異星人だが、寄生獣のミギーのように愛される存在になってもらいたいと親としては思ってる。
定型児は、音声の模倣から入る。最初は原始的なオウム返しだけ。そこから、過去の経験、前後の文脈から、それらしい語をつないで出力するようになる。
GPTのモデルと同じ。次にくる語を確率的に予測してつなぐだけ。「吾輩は」の後には「猫である」がくる。そこに理由などなく、確率論、経験則で。でも、それを高度に行えるようになると、知能と呼べるような振る舞いになる。
定型児の知能の獲得はコレに似てると思う。
ヒトは噂話をするために言語をさせたという説がバカバカしいが一番有力らしい。
サルの毛繕いのような、コミュニケーションをとりたがる本能があって、その延長に噂話、言葉と言葉をつなぐことによって、知能と呼べるようなものが生まれたと考えると、なるほどと思う。
定型児は、自分の言葉や行動が、前後の文脈や周囲の空気の中にから紡がれ、その言葉や行動が他人にも自分自身にも影響することを意識する。
知恵がつくから意識するのかと思ったが、GPTの仕組みを聞くと、意識することそのものが知恵の本質のように思う。
少し別の話。
長男の前で、ぬいぐるみを手に持ってぬいぐるみが喋ってるふうにして喋ると、怒る。
定型児にはごっこ遊びでも、彼にとっては「嘘」なのだ。やめろ気持ち悪いと感じてる様子。
ホモサピエンス全史がいうところの、「妄想を信じる力」が抽象的な概念の獲得なら、長男の知能は頭打ちしそうなんだけど、むしろ数字や文字は幼い時から好きだった。
どういうふうに育つのか、親としても興味はある。
ここ2週間くらいで、ようやく強く呼べば名前に振り向くようになった。
今までは、用があるときは長男から働きかけてくるが、こちらが何を言っても無視だったものが、進歩だ。
遊びに行った先でもう帰るよって言っても、抑えつけて車に放り込んで車が動き出すまで聞かなかったものが、すんなり諦めるようになった。
彼なりに、成長してる。
この駄文は、発達障害育児エントリに触発され沸き上がった心の叫びでしかないので、何が言いたいかわからんという感想はごもっとも。
目を離さない以外できることがない。
あと、言わせて欲しい。
座って待ってられるようになって食べられる食材が増えたら子連れで外食に行けるようになりたい。
列に並んで待てるようになったらテーマパークに行きたい。
身寄りのない高齢者 https://anond.hatelabo.jp/20230329152826 を書いた者です。ここ数日は朝晩先生のところに行き、おむつを替えたり水筒にお湯を汲んだりそうめんを茹でて届けたり恨み節を聞いたりしておりました。
コメントで、築50年、1970年代に作られたマンションの様相についてイメージしずらい(しづらい)方がいるようなので書いてみようと思いました。
このマンションは1970年ごろ、23区内の都心ではない地域に建てられた。8階建て、64戸。間取りは3LDK。私鉄の駅から続く商店街を徒歩五分といった立地だ。私は昭和55年、1980年くらいから住み始めた。幼稚園生だった。
小学校に入学するとなったとき、この地域には集団登校というものがあり、そこに参加することになった。マンションの一階のたまりに50メートル半径くらいに住む小学生が集まり、6年生の班長を先頭に行列して登校していた。下駄屋のせがれが班長、レストランのせがれが副班長。スーパーのむすめにはよくからかわれていた。この集団が30人ほどで、うち15人ほどがこのマンションの子供だった。統計を見るとこの区の当時の小学生の数は今の倍で、同級生が5人いた。幼稚園のころ、鉢合わせるといつもいじわるをしてくる「とおせんぼうのおねえちゃん」と私が呼んでいた子が、入学式で同い年だと判明した時の驚きは今も覚えている。親同士も入学式を機に急激に関係を深めていった。それぞれ多様なルーツと職をもつ家庭同士が「同級生の子育て」という繋がりで協力関係を築きはじめた。地元の零細土建屋の社長、理工系の技術者、保育士、共産党員、福祉従事者、学者など様々な職種の親たちだった。仕事の忙しい時は子供をあずけたり、おかずを分け合ったり、土建屋のおやじが釣ってきた魚をさばいて集まってみんなで宴会したり、うちの母が子供たちに勉強を教えたり、醤油や砂糖がないときは借りに行ったりというつきあいがはじまった。そういう関係性は同級生以外の世帯にも波及し、私が成人するまでは本当に長屋のような雰囲気があった。おばさまたちはたくましいコミュニケーション網で、マンションだけでなく地域の情報を過剰に共有していた。マンションが商店街に面していたこともあり、町内で起こったことはすぐに衆人の知るところになるような状態だった。救急車が来ればすぐに誰がどうなったかの情報が回り、火事が起きたら皆が集まり、私が近隣で悪さしようものなら、すぐに母の耳に入るような、そんな街だった。
おそらく80年代はほぼ全世帯が持ち家だった。新築で購入した住人ばかりだった。私の両親も、新築で買った父の弟が海外に赴任になり、譲り受けたものだった。なので高齢者はほとんどいなかった。近所にワンルームマンションというものができたという話が広まり、住民がいぶかしがるような時代だった。独身者はアパートに住み、地元民は一軒家に住み、新興の移民がマンションに住むという構造だったのだと思う。商店街にコンビニやレンタルビデオ店が出現したのは80年代後半だったか。街が進化しているという雰囲気があった。(しかし資料をみるとこの街の全盛期は遥か昔にあり、戦前から駅前には映画館や集会場があり、商店街はその枝葉の脇道にまで飲食店や遊興施設にあふれていたらしい。私が知る商店街はメイン通りだけだ。映画館なんて想像もつかない)90年代後半に私が実家を出るまでは、商店街には勢いがあったように思う。オリジン弁当のはしりのような店で私はバイトしていたし、中規模の本屋ができたり、中古ゲーム屋ができたり、インディーズのコンビニができたり、まあたらしい店舗が次々に出現した。外国人も増えていった。皆が東京の未来を信じていた時代だったのだと思う。
その後私は実家からそれほど遠くない、もうすこし大きな駅で自立する。歴史も規模も地元とは一味違った。そこではじめて都市生活者としての暮らしがはじまったように感じた。近隣に知り合いなどおらず、非常に個人的で閉鎖的な生活がはじまった。恋人と同棲していたのでそんな環境でも寂しさはなく、気楽で自由な暮らしを謳歌していた。文化的な地域だったのでアーティストやら文人やらといった有象無象とのつながりもでき、地元とは違うコミュニティでの生活は心地よかった。新興サッカークラブのファンの繋がりなどもあり、自立して新たな人生をこの地域で歩んでいるという満足感もあった。今思うとJR沿線と私鉄沿線では街の成り立ちが違っていた。どちらがいいのかはわからない。
そんな2000年代。わが地元のマンションは活気を失っていく。子供たちが出て行って高齢化したからだ。私が実家を見切った大きな動機の一つに衛星放送問題があった。マンションの世帯は四方にあり、衛星放送のアンテナを南西だか南南西に向けられる世帯は限られていて、我が実家はどうしても衛星放送が受信できなかった。90年代後半に普及したCS放送を見るためにどうすればよいのかと苦心していたとき、マンションの理事会が開かれるという。私は屋上に衛星アンテナを設置し、各戸に配線することによってどの向きに位置する住人でも衛星放送を視聴できる環境を実現するべきとの議案を提起した。私は住人のおじさまおばさまへ向けてプレゼンしたのだが、投票の結果は否決だった。そのとき、長老のひとりのおばさまの「わたし意味がよくわからなかったけど、反対にしちゃった」というつぶやきが耳に入り、ああもうここに住んでいてはいけないと思った。ここは朽ち果てるのだと本気で思った。この街には何の魅力も感じなかった。若い方には意味が分からない話かもしれない。固定電話でインターネットに繋いでいた時代の話だ。
「マンションの向かいの部屋」という記述がわからないというコメントがあったので、マンションの構造について記す。我がマンションはいわゆる「内廊下」である。エレベーターはマンション中央部にあり、廊下も完全に屋内にある。外から各戸のドアは見えない。ホテルのような構造だ。階段も内部にあり、非常階段だけが外部に設置されている。一階のロビー(といってもたまりと集合ポストがあるだけなの空間)に受付のようにガラス窓の事務室のような管理人室があり、そこは居住空間にもなっている。管理人は住み込みで管理会社が雇っている。部屋の所有者は管理会社だった。初代の管理人は私が物心ついたころにはおじいちゃんだった。気のいいおじいちゃんで、前述した「先生」もこの管理人とは懇意にしていたそうだ。彼が引退した後、何人か後任が変わり、今の管理人は勤続20年くらいか。気さくな夫婦で住民とは打ち解けている。数年前、管理会社の方針で住み込みでの雇用は打ち切るとなったとき、マンションの自治会が自治会費で管理人室を買い取り、管理人を雇用することになったとのことだ。そのときの声明文で「高齢者が多くなっているこのマンションにおいて住み込みの管理人は不可欠」といった文言があったそうで、先生はそれを根拠に管理人に介護を強いろうとしているところもある。管理人はそれを個人の裁量で判断する領域だと主張しており、それに対しては他の住民も管理人に同情的な態度でいる。介護するほどの給料は払っていない。
マンションのふもとには公園がある。サッカーコートくらいの広さに、20メートルほどの高さの木々がぽつぽつとたっている。子供の頃は木々をよけながら野球やサッカーをよくした。さして広くない公園なので、子供の打球でもしばしばボールは柵を超える。超えた先は民家や我がマンションの一階世帯だ。植木や窓や壁を破壊することもある。住人としてはたまらない。子供たちをどなりつけにくる。われわれ悪ガキはそんなこと関係なしだ。ホームランを打つと出てくるモンスターとしか思っていないので、どうやって攻略してやろうかという遊びの延長としてとらえ、慣れてくるとからかったりする。怒り心頭の大人は行政に働きかけ、公園には「サッカー野球等の球技は禁止です」の看板が立つ。そんなものも我々にはなんの効力もなかった。そんな折、被害にあっていた一階の住人である医師の夫人が、先生の師範学校の先輩だったそうで、先生に「あなた現役の教員なんだからここらの悪ガキに説教して頂戴」という指令が下った。先生はしかたなしにひきうけ、我が家に集められた子供たち親たちを前に話をすることになった。先生はそのとき、野球だサッカーだ窓を割るなとかいう話は一切せず、私が教えている学校には、いろいろな子供がいて、それぞれ固有の好奇心があり、自由時間には絵を描いている子もいれば、本を読んでいる子もいる、おしゃべりをしてる子もいるし、折り紙をしている子もいる。子供というのは自由な環境があってこそ成長するものであるという話をしたらしい。私は覚えていないのだが、聴いていた父はいたく感心したらしい。先生にはそういう一面もあったようだ。
たまに実家に帰るたびに衰退し活気を失っていったわがマンションも、2020年代から変化が訪れた。年寄りが死んで子育て世代が移り住んでくるようになった。私の幼少期とは数が違うが、小さい子供をよく見かけるようになった。外国人も増えた。賃貸の住人も増えた。私は離婚しひとり身になっていたところに、父の介護が必要になり再びこのマンションに戻ってきた。父を自宅で看取り、そのまま母との二人暮らしがはじまった。職場も近いし、近隣にはなじみの人々がいて、それなりに快適に暮らしている。スーパーのむすめも今となってはわたしをいじめないし、買い物に行けば談笑くらいはする。先生は最近どうなのという話題は常にあがる。先生はスーパーや下駄屋の軒先で店主をつかまえて延々と話し込むのが日常だったし、出歩けなくなってからは困るとスーパーにも電話してきて助けを請うので、みな戦々恐々としているのだ。なぜ先生のことをそんなに詳細に知っているのかというコメントもありましたが、こんな地域では先生の詳細なくらしぶりなど、個人情報というより災害情報のように扱われているのです。ケアマネもすぐにその輪の中に取り込まれる。そんな地域なのです。
先日、私と友人2人で話してた時。
友人1人が「こういう小物作れる?」と尋ねてきた。内容としては簡単なものだ。
聞くところによると友人はちょうど今大変な時期を乗り越えたばかりらしい。なので祝ってあげたい気持ちがあった。
私たち3人は物作りが趣味で、分野もわずかに被っていた。その依頼物は見覚えがあったし、作り方も見当がつく。ただ、作ったことがないものなので自信がなかった。なので本当は口出ししないでおくつもりだった。不恰好なものを贈るのもきまり悪いし。
だが、残りの友人が「あー、そういうのはコイツが詳しいよ!」と言ってしまった。私はやんわり断って、逆にその友人に促そうとした。しかし「確かに自分もものづくりをやっているが、その分野は門外漢だから。お前は得意でしょ?」と自身を卑下していた。
別に多少不細工でも機能さえすれば良いということだったので、良い気持ちで私は製作を引き受けた。
その翌日。休日に私は早起きして、ホームセンターに行き、材料を揃えた。最初は数時間程度で終わる予定だって。
しかし、ネットで調べたところ、先例がなかったため試行錯誤から始まった。思う通りに行かないところもいくつかあって、その度に設計を考え直した。急いで贈りたかったから、ご飯もおざなりにして一日中没頭した。
そして完成した時、いつしか夜になっていた。自分の知らない分野に触れられた充足感に満ち足りていた。これだけ新しいことに挑戦したのは久しぶりだったので骨が折れた。しかしその分、良いものができたと思っていた。
私は半ば上機嫌で友人2人に完成物を見せた。
依頼してくれた友人はとても喜んでくれた。「えっ、それどうなってるの!?」「ありがと〜!ちょっと後で作り方教えてよ」などととても嬉しい言葉を言ってくれた。私としても満足だった。
ただ、気になるのがもう1人の友人だ。私が完成物を取り出すやいなや、ゴソゴソと何かを探している。何か失くしたのか、急な連絡が来たのか。不審に思いつつも私は完成物の説明に入ろうとした。
その瞬間「あー。これ動いてるね」と友人の声が聞こえた。見てみると、何かの動作確認をしているところだった。なんとなく聞いてみた。
「え、それ何?」
「これ?(友人)が作って欲しいって言ってた〇〇」
…?
「これ、見て、ここの機構。凝ってるでしょ〜」
……??
「一分間に一回更新が走るようにしてるんだ」
信じられなかった。
何を言っているんだ。お前は。
「いやそうじゃなく、どういうことですか」
「あ?あー…これ、半年前くらいに作ってたんよね」
何を言っているのかわかりたくない。
でも思い出してきました。たしかに依頼物に見覚えがあったんです。ただ、見た場所を忘れていました。とはいえTwitterで流れてきたのかなと気にとめていませんでした。それが、今、思い出しました。そうだ。こいつが作ってた。
俺は思わず半狂乱になりそうだった。というか、なっていた。その場の雰囲気で面白いキレ芸になり下がっていたと思うが、今もその時も俺はガチギレである。
最初からお前が作れば話が早かったんじゃないか、と怒り心頭に発しました。しかし「俺、一回作ったもの忘れちゃうからさ」と。半年前に一回作ったものを思い出すのと、1から情報を少ない中で組み立てていくのと、果たしてどっちが大変なのか。
さらに見たところ向こうのほうがクオリティが高く、ディティールにこだわっていた。つまり、俺の小物は大したことないというのが明確になった。もちろん機能的には満足であるが、精神的に「これ大したことないんだよな…」と思いながら使われていくのだ。
1日かけて心血を注いだ小物。精一杯作った小物を信頼してた友人から無碍にされた。そんなのたまったものじゃない。
さらに最悪なのが、請け負ってしまったのは自分ということ。唆された時によく確認していれば回避できた、という点で落ち度がある分、より一層モヤモヤしてしまう。悔しかった。
ボクサーを撲殺したのは僕さ
これから満で数つけるわ
ナンを何枚も食べるのなんて、なんでもないよ
新患の新幹線に関する新刊に新館を立てて震撼し信管が作動する。
ケニアに行ったら生贄や
柑橘類の香りに歓喜し、換気を喚起したが乾季が訪れたので、寒気がした。
塗装を落とそうか。
観光客がフイルムに感光させた写真を刊行することが慣行になった。
サボってサボタージュ
景気が良くなりケーキを食べる契機を伺う徳川慶喜(とくがわけいき)
夫を成敗するオットセイ
つまらない妻の話
竹の丈は高ぇなー
餅を用いて持ち上げる
ロストしたローストビーフ
サボテンの植え替えサボってんな
過度な稼働は可動範囲を狭める
伯爵が博士の拍手に拍車をかけて迫真の爆死をし白寿の白人を白紙にもどす。
紅葉を見て高揚する
甲子園で講師をする公私混同した孔子の実力行使には格子窓も耐えられない。
死んでんのか?「心電図を取ってみよう!」
夜祭で野菜を食べる。
信玄餅を食べながら震源を特定するように進言する新元素を発見した人。
蜂の巣(honeycomb)を見てはにかむ
五反田で地団駄を踏む
ようやく要約が終わった
海溝で邂逅
豪華な業
甲板で甲板をかじる
甲板で乾パンをかじる
店頭で転倒
大枚をはたいてタイ米を買う
醤油をかける人「えっっ?」
神田でした噛んだ
少食な小職
牛の胆嚢の味を堪能する
あの娘にはどう告っても(どうこくっても)慟哭する結果に終わるだろう。
キーンという高音の起因が掴めない。
こんな誤謬は秒でわかるだろ
壊疽した箇所が治るというのは絵空事だ
経口補酔液
痴的好奇心
セントーサ島に行くのは正恩が先頭さ
軽微な警備
冬眠する島民
ベットは別途用意してください
The deserted desert in desert desert.
九尾のキュービズム
罹災者へのリサイタル
画家の画架
不納が富農になるのは不能だ
理工がRICOHに利口な履行
I sensed tha it is in a sense sense.
私はそれをある面では扇子だと感じた。
鯖を食べている人と、それを見ている人の会話
鯖 ça va?
ça va 鯖
ça va
ゆめゆめゆめをみるわけにはいけない
早漏で候
凪に難儀
東上線に搭乗した東條が登場
高校を後攻で煌々と口腔で孝行
蝉が転んでセミコロン
道徳をどう説く
写真はフォトんど撮りません
ダリ「絵ぇかくのだりぃなあ」
華美な花瓶のカビに過敏に反応
檻に入っておりいった話をする
夏のおサマー
夜は寝ナイト
渦中のカチューム
渦中のカチューシャ
リスボンでリスがborn
どうないはどないなってんねん
苫小牧でてんてこ舞い
市内を復旧しないと
石狩の石を借りる
おが置いてあるのを見た人「おはおっかねぇーから置かねぇ方がいいぞ」
砂がどしゃーw
東上線に登場した東條が登場
飽きない商い
おなか吹田市
観劇で感激する
側転に挑戦し即、転倒
別件を瞥見
凹地のお家
魚を初めてみた人「うぉー」
カラヤンの頭の空やーんw
豚をぶった仏陀
只見線をタダ見w
菊名でそんなこと聞くなよ
五秒で死んで御廟に埋葬
がらんとした伽藍
有給を使いすぎて悠久の時が流れた
長谷に想いを馳せる
Thinkerの真価
不具の河豚
暗記のanxious
半世紀にわたる半生での藩政を反省
タンチョウが単調増加
ショック死内親王w
カルカッタの石軽かった
天皇のこと知ってんのー
蒋介石を紹介した商会を照会した商會の船で哨戒する
其方のソナタ
先王に洗脳される
防潮堤で膨張した傍聴人
砂漠で鯖食う鯖を裁く
筒に入った膵島
サイコロを使った心理テスト(psychological test)
カラシニコフが辛子個踏んだ
皇帝の高弟が公邸の校庭の高低差を肯定する工程に拘泥した記録を校訂
にようかで酔うか?
うるさい人が売るサイ
どんなもんだい、を、どんなムンバイ、と言い間違える人
透徹した饕餮の眼球
チャカで茶菓を破壊
slimyなすり身
ゆうほど広くない遊歩道
いにしえのイニシエーション
コーランをご高覧ください
K殻の傾角を測定する計画
協賛した共産党員に強酸をかける
負けたのは聖者の静寂のせいじゃ
裏地見るウラジミール
カミオカンデの上に紙置かんでw
県大会がおわり倦怠感を感じる
夕暮れのユーグレナ
ストライキをする公務員に呼びかける人「 Stay calm(公務)」
エド・はるみの穢
祭壇を裁断
腐卵ダースの犬
全然人が集まらないクラブの人「参加数人は我々の十八番ですから。だけに。」
四苦fuck
都バスが人を跳ね飛ばす
怒るカロテン「なにカロテンねん」
嫌がる慰安婦「いやんっ」
かえるがえる帰る蛙
沈厳な青梗菜
トリコロールの虜
布陣を組む夫人
栗けっとばすクリケット🦗
婉容と遠洋漁業
アマルガムで余るガム
ハラスメントの疑いを晴らす
滋賀を書けない人を歯牙にも掛けない
他意はないタイ人の鯛の態度
鯛が蛇足
ダジャレではない↑
割と面白い
ハラッパーの原っぱ
紫に関して思案を巡らす
Huluが夏の風物詩だと思っている人「Huluですなぁ」(風流)
下調べのムニエル
わからないので
意味ない諱
よく分からんリポーター「うわぁ〜美味しそうですね!少なくとも不味そうには全く見えません!」
どうしても下がりたくない人「黄色い線の内側は、境界を含みますか??」
計算ができない人
着ていく服を決めた高橋是清「これ着よ」
enough、enoughは工夫がenough
負け負け山(カチカチ山)
薬師丸せま子
トーマス・マンの書いたふるさと「うさぎ〜おーいし、魔の山〜♫」
その心は
焼結が猖獗を極める
これはstaleだから捨てるか
衒学的な弦楽を減額
完全な勧善懲悪
イボ人の疣痔
イブに慰撫
(訳 ぬるぬるしてるありふれた魚)
盲いるのに飯いるの?
アーヘンで阿片を吸った人「あー変」
毒吐く独白
明借りるアスカリ(車)
丁寧な砂浜「Could you九里浜」
ゴーンと奉公
その心は
サンクチュアリに山窟あり
熟れたウレタンは売れたんか?
清澄な声調を静聴し成長
プエルトリコで増える虜
象さんを増産
兄弟が今die
Dose heで始まる疑問文に答える京都人、Yea, he どす
ソフィカルのソロカル
美人局に筒持たせる
十把一絡あげ
篤信な特進が涜神を得心
これは何という植物かな?ムユウジュでは?あそっか、なるほど。
クートゥを食うとぅいいよ
マイソールで昧爽に埋葬
ドクサは毒さ
暗殺で朝死んだ
クラシックについて語る人をそしる人「弦楽なんてペダンチックだなあ」
凛々しいリリシズム
衛生的な俳人
御髪も亂とはオクシモロンだ
コロナ後の世界を分析する学問→postcoronialism
影響が色濃いイロコイ諸族
あてのあてないアテナイ
ガストでのひどい体験。この不愉快な気分は、おそらくコロナが始まってからの3年のすべての経験としては私の中ではダントツなものであったのでここに記録しておく。
隣の4人席の家族が、かなりの長時間にわたりマスクなしで大声でしゃべっていた。小さなこどもが複数いたが、特に大きかったのは母親の声。その声の大きさだけでも非常識なレベルで大きく迷惑だったのだが(①-1)、現在のコロナの状況を考えると輪をかけて迷惑(①-2)。隣のご家族と私の家族は、仕切りで空間的に区切られており、このブースと私の家族のブースは同じ狭い区画の中で2家族のみの区画であったこともあり、母親の大声の話の内容がはっきりと聞こえてきて、それはそれはうるさいものであった。「あの女が不愉快だ、きにくわない」とかいう話の内容まではっきり聞こえてきて、感情的に大興奮していることが明らか。まさに「口角泡を飛ばす」勢いの喋り声なのだ。父親の声の大きさは並レベルで話の内容までは聞こえなかったが、煽る感じで迷惑(マスクはもちろんしていなかったが)。そんな話を静かな区画で大声で延々とされるのであるから、たまったものではない。
それだけでも迷惑なのだが、時は第8波もたけなわ、感染力の極めて強いコロナが蔓延し、一日あたりの死者数がこれまでで最大となっている今である。となりのご家族の飛沫が狭い区画の中で飛び交っていたことがイメージされた。
そこで、店員さんをお呼びし、もう少し声を落としていただくよう、また大きな声で会話をするのであればマスクをするように注意をしていただくようにお願いしたいと思い、タブレットで店員の方をお呼びした。呼んでから、すぐに対応いただくことができず、かなり待たされた(②)。タブレットで呼んでから、ようやく5分くらいしたところで店員がいらしたが、こともあろうか、隣の当該の家族がその店員さんを呼び止めて追加注文を行ってしまい、そして店員さんは、その注文をとって戻ってしまった(③)。週末で客が多く人員不足なのだろうが、店員をお呼びしてから来るのは遅いし、誰が呼んだかを確認もせず、隣の家族の注文を聞いて不注意にも戻ってしまった。この待時間の間にも、隣の家族は大きな声で喋り続けていて、その会話の内容も品のない内容(というか、かなり下品)なもので、私の家族のイライラは募るばかりであった。
そこで、もう一回、タブレットで店員をお呼びしたところ、さらにその5分後くらいに、ようやく来た。
「隣のご家族、声がとても大きいので、もう少し声を落としていただくようお願いしてもらえないでしょうか。また大きな声で会話をするのであればマスクをするように注意をしていただけないでしょうか。」
と隣に聞こえないように小声でお願いした。
するとその店員さんのおっしゃったのは、
「注意をすることはできません。別のところへ移動していただきますので、お願いします。」
と。つまり、私の家族に移動しろ、ということを命じてきたのである(言い方として「命ずる」印象のイライラ感のあるぶっきらぼうな態度で;④)。
「なぜ私たちが移動しないといけないのでしょう?ちょっと声を小さくしてもらうよう、言ってもらえばそれでいいのですが。」
という私の言葉に対して、
「それはできません。」
とキリッと。
と申したところ、
「それはやめてください。」
とまた命令調(⑤)。人が他者に何をお願いしようが、それは自由なはずで、なぜ店員さんに命令されないといけないのか?
私も、上の①〜⑤があってイライラが募って頂点に達していたこともあり、堪忍袋の尾が切れてしまい、
と。店員さんは、
「やめてください。」
とのことでしたが、ここまでの積み重ねで、私も怒り心頭に発するレベルに達していたので、隣のご家族に直接、
「会話はもう少し小さな声でお願いします。マスクもお願いします。」
と自分でお願いをした。以上のような経緯だったので、私の声は大きくなってしまっていたこともあり、そこで、現場の責任者の方がご登場された。
「申し訳ありません!謝ることはありませんよ。何も悪いことはされてませんので。」
と、これみよがしに、こちらに聞こえるような大きな声で言ったのである(⑥)。しかも、その責任者、私の家族には何も言わず無視しつつ、というか敵対的な視線を送りつつ、である。
その後、私も声が大きくなり(マスクはしてました)、お相手のご家族の父親・母親も大きな声で、
「気分が悪い!もう帰る!!」
というような口論に。まわりの方々も驚いていらした。
まあ、ちょっとした「事件」になってしまったと言って差し支えないであろう。
私は普段、怒って大きな声を出すことなどは人生の中であまりないのであるが、あまりの普通でない条件(①から⑥)が重なったからだと思うが大きな声を出してしまって、こんな事件の当事者になって大きな声を出してしまったことが悲しいやら不愉快やらで本当にやるせない気持ちとなった。
なお、後でガストを運営するすかいらーくのウェブサイトを見ると、
「
お持ちでないお客様へは店内でご利用いただけるマスクを無料でお渡し
健康上の理由などでマスクを着用できないお客様に、会話や離席の際にハンカチ等を口元に当てていただくようご協力を要請
」
https://www.skylark.co.jp/en/company/news_covid19.html
上の店員の方々の対応は、この防止策にまったく反するものであると言えるだろう。
あと、上のこととは関係は直接ないが、この店舗は、かなり小汚い印象で(壁が剥がれているなど)、「へえ、東京なのにこんな場末感を出しているんだ」とお店に入ったところで少しびっくりしたことは、申し添えておく。割れ窓理論というのがあるが、こういう小汚い店には、常識を欠いたヤンキーのような人々が集まり、それ相応の雰囲気になってしまうのかな、と。
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上の苦情をすかいらーくの窓口に送ったところ、すぐに店長さんからご連絡をいただき、
・上の苦情の事実確認をしたが、店員の不適切な対応を確認したこと、
・ひとえにマネジャーであるこの店長さんの監督不行き届きであり、弁明のしようもないこと、
などを含むお詫びをしていただいた。
お電話でお話しをお聞きしたところ、上の案件が起きた時間帯は、この店長さんは不在で、「責任者」も含め全員アルバイトであったとのこと(ちなみに、調理をしている人もアルバイトとのこと)。
私は、レストラン業界の事情は全く詳しくなかったのだが、かなり東京の住宅地の大きめで混雑するファミレスでも、社員が不在の場合が多いのだな、と。ガストでは、1店舗に社員が一人のみであることは普通であるので、社員が不在となる時間帯はかなりあるとのこと。そういうものなのか、とちょっと驚いた。また、こういう事案が生じてしまったわけであるが、当該のアルバイトの方々は店長や本社に対応をどうすればよいかについて問い合わせるということはしなかった、とのこと。
まあ、時給1000円ちょいのアルバイトの方々に、対応をきちんとしてもらうことは容易ではないかもしれない。オペレーション全員がアルバイトでは、食べ物や接客が「安かろう、悪かろう」は仕方ないかもしれないが、感染対策はきっちり企業の規則や厚労省のガイドラインは遵守するよう徹底してもらいたいものである。
インタビュアー(以下イ):4回目となりますがよろしくお願いします。
コトノハオールスターズ(以下 KAS):よろしくお願いします。
イ:前回のなっくん氏に続き、今回はもう一人の二大コトノハ問題ユーザーであるクリスたん氏について伺いたいと思っていますが、彼の印象は?
KAS:なっくん氏は自称古参加ユーザーと言っていましたが、クリスたん氏は私が参加した頃から確かいましたね。当初は大人しくて毒にも薬にもならない感じで名前からして女性だと思っていました。
KAS:2018年4月に彼のお父様がなくなり、しばらくしてお世話になった病院を誹謗中傷し始めた頃ですね。内容からしてあからさまに嘘だと思いましたし身内や知人にも医療従事者はいるので許せず、
病院を擁護したりクリスたん氏を叩きました。遡ってみると亡くなった直後からFacebookやTwitter、知恵袋や掲示板で病院を誹謗中傷していたようですね。
KAS:自分の父親が亡くなった直後に各所であんな書き込みをするなんて異常ですよね。知恵袋や掲示板では現役の医療従事者から矛盾点を指摘されていましたし明らかにクリスたん氏の思い込みや逆恨みで
名誉毀損や営業妨害となっているので病院も彼を訴えたりするなど毅然とした態度を取ってほしいなと思います。
イ:その他にも様々な疑惑が出てきましたね。
KAS:お父様が亡くなった翌年の2019年にはスーパー駐車場で車と接触し足の小指を骨折する怪我を負ったようですが「車が自分の方に逃げても突っ込んできた」と言って他のユーザーからも当たり屋ではないかと疑われ、
それを指摘されると「病院の口封じの隠蔽工作だ」と訳のわからないことを言っているので脳に障害があるのだろうと思います。
イ:デート商法で何度も騙されお父様に呆れられたり、仕事で何度も労災を起こし解雇されているようですね。
KAS:あんな出来の悪いのがデートすら出来るわけがないのに考えが甘いですね。屑ダイヤを買わされたこともあるようですが、お父様がダイヤモンドの加工の仕事をしていたようですが顔に泥を塗った形ですよね。
労災もいくらなんでも起こしすぎでわざとやっているのではと思うくらいですし、使えず迷惑をばかりかける役立たずは解雇されて当然だと思います。
イ:自分が結婚できないのは病院やコトノハオールスターズさんのせいだと言っていますね。
KAS:結婚させてもらえないと言っていますが、自分が甲斐性がないだけですし行動的ではないので自分の至らなさを他人のせいにするしかぶつけようがないんでしょうね。
解雇されたのも会社にハメられたと言い訳していましたし、デート商法も親父は心配していたと言っていましたがバカ息子に怒り心頭だったと思いますよ。
自分で期待の子とか神童だったとほざいていますが、両親からすると作らなければよかった産まなければよかったと思う程の失敗作でしょうね。
KAS:某ラーメン店店主やなっくん氏と違い個人情報がバレても相変わらず誹謗中傷を続けていますからね。職も両親も失い、嫁も子も孫も出来なかったので失うものがこれ以上ないので怖くないのでしょうね。
そのまま孤独死して野垂れ死しそうだなと思います。出来が悪いので働きようもないのだと思いますが、一生懸命働いている病院のスタッフを誹謗中傷するのは許せませんし止めてほしいと願っています。
クセが強いほうの人間ではあったけど面白い奴でもあったので友達は多かったし、妻子持ちとなった同級生とも30歳過ぎでも結構つながっていられてた。
でも33歳で気が狂ったのかってくらい有害になったので、つい最近、既婚組からは完全に縁を切られた。
縁切りを決意した既婚組たちから「これから集まりあるとき、あいつがいる場合はもう呼ばないでくれ」と相談を受けた時に俺は延々と理由を聞かされた。
・予定があるからと遊びの誘いを断ると
妻子で出かける予定があるんだよ、と行けない理由を具体的に告げると
1ヵ月前にでも誘ってくれたら頑張って空けとくからまた今度でほんと頼む
「お父さん!!俺だって〇〇家の人間なんだから仲間外れにしないでくれよ~!(笑)」
……という感じで何往復かするまで引き下がらない
・既婚組の家に”とんねるずを泊めよう”のマネしてしつこく突撃しようとする
・新居を建てた仲間に対して「全自動卓を買え買え」とうるさい。車を買ったと知られたら「はあ!?お前、雀卓買わないで車買ったんか!?」とずーっと不機嫌になった
・年収自慢をする。
「俺がなぜ彼女すらできないのか」という考察を自虐ジョークの体で突然解説し始めたとき「男の年収にふさわしい階級の女っていうのがいてですねえ。ほら、君たちみたいなのにお似合いの女は腐るほどおりますけど、私の戦闘力は1000万ですからね(※増田註:こいつは本当に年収1000万円ある)!!!同格の女も少ないんですよ!!!」と発言
・もともと親しみを込めてバラエティっぽい失礼芸に走るタイプではあったけど、最近は今までとレベルが違ってきてもはや恐怖でしかない。自分だけじゃなくて妻もまとめて見下しているのも伝わる(「サッカー観戦の帰りに『じゃあ、我々夫婦は夜の街に消えるとしますか(笑)』と俺の妻の肩に手回した」、とのこと)
・娘(赤ちゃん)に対して「あっ、こんなところに俺の許嫁がいる!ごめんウソウソ間違えた!!!!!俺の娘だった(笑)」と発言
正直、本気でキレて愛想尽かせている既婚組を見て俺は「しまった」と思った。
守るべきものが自分しかいない独身彼女無しの俺のほうですら、歳を重ねるごとに陽気に失礼な言行の限りを尽くすようになった彼に怒り心頭だったから、シレっと距離を置こうとまさに思っていたところだったからだ。
自分の寂しさを埋めてくれる駒が多いときに縁を切られるのと、少ないときに縁を切られるのとでは、後者のほうが執着の度合いが桁違いだろう。
俺は結婚を全く諦めていないので来年から婚活を頑張る気満々なのだが、こうなると結構な高確率でこれまで既婚組が味わってきた「かまって攻撃」の矛先が俺を含む数少ない独身組に向くとしか思えない。
自分が寂しさで同じように気が狂う恐怖よりも、すでに気が狂った彼のような独身者にへばりつかれる恐怖のほうが圧倒的にでかい。
もう2年くらい「彼女できたらお前絶対に会わせろよ?」とか「お前の結婚式の友人代表スピーチ俺じゃなかったらマジでありえないからな?」とけん制され続けている。
コメント欄で普段から表現規制を仕掛けてくるフェミに関して怒り心頭な人々が
それどころかフェミと同じ様に自分達以外の他のものに必死で責任転嫁を繰り返し
https://togetter.com/li/2016293
彼らは何故素直にごめんなさいが言えないのか
彼らは何故自分達を戒めようとしないのか
それは党派性によって彼らが盲目になりブーメランを投げる自動機械になってしまっているからなのです
フェミとそのアンチの戦いは表現規制派vs表現規制反対派の戦いではなく
党派性に支配された表現規制派vs党派性に支配された表現規制派の蠱毒なのです
島国大和さんみたいに最後までプレイしてない時点でゲームに感想を言うのはナシだと思う話 - 空白雑記
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/kuuhaku2.hatenablog.com/entry/2019/12/04/041606#bbutton
貴重なご指摘、ありがとうございます。
私の両親が誠実でなかった故の怒りというのは確かにその通りかもしれません。そもそも私の両親は裕福でもなく、そこで学費を出せないことを誤魔化すために女に学歴は必要ない、などと言っていたのではないかと思います。
子どもの望む進路を歩ませてやれないことを恥じて、それを誤魔化したくなる気持ちは親になった今では理解できますが、当時は相当怒り心頭でした。
今のところは娘が私立医大や私立音大に行きたいと言わなければ何とか学費を賄えそうですが、それで十分だろうとも思っていません。
そう思ってはいますが、それはフェミニズムではなくただの親心なのかもしれません。
もし娘が望む進路を私と夫だけでは用意してやれない事態になったとしても、そこに至るまでには手を尽くしたいですし、それをすることが誠実な説明をするための前提条件だと思っています。
学生時代に友達と3人で深夜にドライブしていたときに起きた事件だけど。
ドライブの途中から後部座席でずーっと爆睡していた俺がふと目覚めると、根っからの車オタクのB君が運転初心者のA君に対して助手席からなにやら怒っていた。
「120出せ!!いいから出せよなにやってんだよ!!」
とA君がイライラしながら返すとB君は
「バカお前、こんな夜中の幹線道路じゃ飛ばすのが当たり前なんだよ。せめて100出せ!!周りに迷惑するから!!」
と呆れて言った。
真に受けたA君がアクセルを踏み込み100くらい出したら、真後ろについて走ってたシャコタンのヤン車がすぐさまF1グランプリみたいな挙動で僕らの車をぶち抜き一瞬で真ん前を陣取って急ブレーキを踏んできた。
続けてそのヤン車がかっ飛ばして遠く先へ行ってしまったかと思うと、今度は真っ赤なブレーキランプを凄い速さで点滅させて急減速し、僕らを追いつかせた。
その後、急発進、急減速を何度か繰り返してようやくヤン車は本当にどっかへ行ってくれた。
運転席のA君がわなわな震えながら
「お前の言う通りにしたらめちゃくちゃ怒らせたじゃねえかよ……」
「プリウスごときがいきって飛ばしてんじゃねえよって向こうも怒るよそりゃ」
と完全に他人事でつぶやいた。
A君はしばらく絶句していた。俺も衝撃を受けていた。
前々から疑ってはいたけど多分B君は発達障害だったんだと思う。今でもそう思う。
A君は黙って車を路肩に停めると、
「おめえ降りろ。二度と連絡してくんな」
と凄んで車外に出ると、喚き散らすB君の襟首をつかんで本当にそのまま引きずり下ろし、俺だけを乗せてとっとと車を出してしまった。
俺にはこういうことが絶対にできない。
「こんな目に遭わされたら相手をやっつけて当然だ。その行動をもっともらしく非難なんてされたらとてもじゃないけど許せねえ」
的なシチュエーションで
↓
②「ていうかカッとする奴とか軽蔑するわー」と敵に回られて冷めた態度でヘゲモニーを握られる
こういうコンボをかまされて絶望のドン底に落とされた幼少期のトラウマがあって暴れたり揉めたりが本当にできない人間になってしまった。
つい数か月前に俺自身凄い理不尽な体験をしたのだけれどやっぱり怒りをぶちまけられずに終わった。
突然友達から「明日俺の草野球チームの試合があるんだけどどうしても9人揃わないから来てほしい!」と頼み込まれて野球素人だけどしぶしぶ了承し、当日そいつと一緒にグラウンドに出向いたら、
13人くらい普通にそろっていて、他のメンバーから「誰こいつ」的にひたすら困惑され、仕方なくベンチでぼーっと試合を見守っていたら、
メンバーのオッサンから「黙って座ってないでバット引きに行けよ!」とか「ファールボール取りに行けよ、相手チームにだけやらせて悪いと思わねえのかよ」と普通に怒られまくる、
という理不尽の塊みたいな目に遭わされたけど、俺が実際に取れた行動といったら
程度にすぎなかった。
その場でブチ切れるとかやっぱりどう考えても不可能だった。
だから、酷い目に遭わされたときにその場で暴れたり大揉めできるタイプの人が本当に羨ましい。
そういう人のほうが人間として正しいとすら思える。
そういうタイプの人間になるにはどういうコツがあるんだろうか?
またそういう行動を取ってもあとあと社会的な損を被らないテクニックにはどんなものがあるのだろうか?
ちなみに前述した運転手のA君は「あいつにこんな酷いことされた!!」とB君によって触れ回られていたけど、A君自身は周囲からの評価をなんら下げていなかった。
色々あってもう死ぬか!ってなった時に、自分の出生について知らない部分があったため
出生の経緯を知る数名に「教えなきゃもう死ぬぞ!」と脅迫したら思ってもなかった真実が語られて
死ぬ気は失せたけど生きる気力も湧かないふにゃんふにゃん状態になってしまった話。
この出来事は数年前のことなんだけど、カウンセリングに行ったり投薬治療したりしても
ふにゃんふにゃん状態から抜け出せず漠然と生きていることが辛いのでここに書き出していく。
数年経った今でも、気持ちがぐちゃぐちゃで整理できない状態なので、途中気持ちが爆発して読みにくいかもしれない。あと長い。スマソ。
これは私の家庭に深く関わる話なので家族構成と生い立ちから話したい。
物心ついた時から、母はとにかく厳しくて、私はだらしない人間だった。
何事も白黒はっきりつけなきゃ気が済まない性分の母と自分の気持ちを優先する自己中な私はとにかく喧嘩が絶えなかった。
父は私が生まれる前に亡くなり、母1人子1人フルタイムで働く母は、仕事と育児の両立で忙殺していた。
なんらかの事情で幼い頃は引っ越しを繰り返し、1年以上同じ場所に定着できたのは小学校低学年の頃だった。
我が家には叔母や祖母といった家族の交流はなく、私は預かり保育の常連だった、でも似たような家庭の子がたくさんいたので寂しくはなかった。
幼稚園の頃、母が急病で即入院となってしまい母の友人宅に数ヶ月お世話になったのだが、そこで私は苦労の多い母と可哀想な子という扱いを受けた。
私は父がいないこと、母以外の親族との交流がないことで多少寂しさは感じることはあったが、そこまで可哀想だと自分では思ってなかった。
だけど、この時からなんとなく違和感を感じるような出来事が何度かあり、ただその正体に気づくことも探ることもなくすくすく育っていった。
とにかく自己中な私は、母を怒らせることが多く、1度言っても聞かないため罰として布団叩きで叩かれたりビンタされたり大事な物を壊されたりした。
でもこれは言って理解しない私が悪いので、当然のことだった。母は私を「お前は人間ではない。早く猿から人になれ」と言った。これは口癖だった。
いつからかはもうわからないけど、たくさん怒られて、痛みと恐怖でなんで怒られているのか何を反省しなければならないのかわからなくなっていった。
とにかく殴られたくない、怖い思いから解放されたい一心で謝った、何が悪いかわからず謝っていたので、その場しのぎで嘘の謝罪に意味はないと、さらに叱られ続けた。
これは大学生になっても続き、私が人間になれることはなかった。
母は用事が多く1人で過ごすことが多かった。そんな時は児童向け施設でよく遊んでいた。
広場にある時計を見て、◯時まで遊んでいいよと言われ、その時間になったら母が迎えに来ていた。
ある日、そこで知り合った同い年くらいの子と仲良くなり、一緒にイベントに参加しないかと言われた。
だけどそのイベントは母との約束の時間を過ぎてしまうもので、母の許可なく参加することはできなかった。
その子の母親が、私の母が広場に来たら声をかけてあげるから遊んでおいでと言ってくれたため、どうしても遊びたかった私はその言葉に甘えてイベントに参加した。
イベントが始まり、これまでやったことのない遊びに心から楽しみ大興奮したことを今でも覚えている。なんでこんな楽しい遊びを知らなかったんだろうと思った。
そのイベントの途中、怒鳴り声をあげてイベント会場に入ってきた大人がいた。母だった。
友人の母親とおそらく施設のスタッフに止められながらも、母は私の髪を引っ張って会場を後にした。
帰宅後、私がしてしまった行為がいかに愚かなものか叱責された。
普段は2、3回殴られる程度で済むのだが、今回ばかりは罪の重さから3日食事抜きで母は家から出たまま帰ってこなかった。
母が帰ってこなくなって2日目、痛みと空腹で私の気持ちはぐちゃぐちゃだった。
約束を破ってまで遊んでしまったことへの罪悪感とそれでも楽しかったこと、遊びたかったことと色んな気持ちでいっぱいだった。
母に強く言われたのが、もし友人と母親が悪人だったらどうするつもりだったのか、誘拐されるリスクがあるのになぜ他人を信用したのかと。
私は友人とその母親が悪人だったらという話にすごく腹を立てていた。なぜなら2人は優しくて、誘拐なんてされなかったからである。
そんな怒りと罪悪感とでぐちゃぐちゃになっていた時に、一本の電話が入った。
普段、私が電話に出ることは禁止されていたが人と喋りたかった私はまたしても約束を破りその電話をとった。
母に用事があった教師は、泣きじゃくる私の声を不思議がり「何があったかゆっくり話してごらん」と言ってくれた。
私はこれまでの出来事と痛みと空腹で辛いこと、もっと遊びたかったこと、友人とその母親を悪く言われて腹が立ったことと思っていた全てを伝えた。
要領を得ない私の話を黙って聞いていた教師は話終わってなく私にこう言った。
「よくわかったよ。辛かったね。お母さんと話してみるね。」
次の日、眠っていたら水をかけられ起こされた。
怒り心頭の母が目の前に立っていた。
「お前は反省していないようだな」と言われた。
教師から、私が電話に出たこと、電話口でとにかく自分が可哀想だと自分のことしか話さず全く反省していなかったことを伝えられたらしい。
どうしてお前はここまでしてもまだわからないのか、申し訳ないと思わないのかとさらに殴られた。
お前なんて産むべきじゃなかったと言われ、今回のことから自分が徹底的に悪であるということを言われ続けた。
この出来事と電話をきっかけに私は常に自分が悪い、自分の非から話させなければならないと強く思うようになった。
反応あれば続き書きます。
ちょいとフェイクも入ってる事を先に明言しておく。内容がだいぶアレなので。
もう別れて6年ほど経つが、当時付き合ってた男が若干DV傾向のある自称バイセクシャルだった。過去に彼氏がいた事もあったそうだしまあ実際そうだったんだろう。あけすけな性事情を今カノに話しまくるのもどうなんだと今にして思うが、当時は恋は盲目だったので人生大変だったね、と同情していた。
そんな盲目女が現実に開眼するに至った原因が、彼の変身願望?だった。
ぶっちゃけるとネカマである。それもSNS上で、彼は唐突にLGBTs問題と和歌に興味のある架空の若いレズビアンOLとして活動を始めたのだ。細かい設定シート、好きな化粧のブランドから住んでいるマンションの間取り、働く会社の給与や平均残業時間まで作り上げられた。
いや理解できん。
理解できんが彼の変身はパーフェクトだったらしく、本当のレズビアン女性から人生相談されたりしていた。その顛末がどうなったのかは知らない。
30代後半のDV男に相談を持ちかけてしまった見知らぬ彼女が良い結末にたどり着いた事を願うばかりだ。
やがてSNS上にだけ存在していた女……仮にアユミとしておくが……彼女の存在が現実に侵食し始めた。私はアユミの恋人ミキ(仮名)という事になり、日々アユミの設定資料的なあれこれについて語る彼を眺めるだけになった。時々写真投稿のため手だけ出演させられたりした。決まって場所はお洒落なカフェだ。「ミキとデート♡」というシチュエーションらしい。
そろそろついていけなくなってきた。アユミはLGBTs問題についてめちゃくちゃ真剣に語っている。実際彼は真剣に勉強して語っている。レズビアンのOLの皮を被って。和歌に関する蔵書も増えた。本の感想について語り合ったりもしているらしい。
彼女持ちの30代バイセクシャル男性では受けないと思ったのだろうか。なりきりにハマる前、彼の口癖は「女はこれだから」だった。
真面目に今でもよく分からない。
架空のアユミに侵食される日常だが、稀に現実に戻ってくる。そうなると彼は単なるDV気味の男になり、皿を床に叩きつけ私にハサミを含む文具を投げつけ目の前で布団に包丁を突き立てたりした。下世話な話だが、彼との性行為は暴力に近く強姦に近い状況も多々あった。ミキとラブラブもくそもあったもんじゃない。
付き合いたての頃は何やら洗脳されて「私が悪かった、嫌がったのも悪かった、怒らせてごめんなさい」と平謝りしていたが、この頃になるともはや嵐が過ぎ去るのを待ち、怒り心頭の彼がパソコンの前に座ってアユミになるのをスン顔で見届けるばかりになっていた。
というかアユミのお陰で萎縮洗脳状態から目が覚めたのかもしれない。
そんな訳であれこれあったがとうとう別れた。彼はミキと別れた報告をするのが嫌だと渋っていたがそんなもん知った事か。
6年が経ち、その間特に連絡も無く私は実家に戻って人生再スタートしていた。
していたのだが、先日いきなり連絡があった。携帯電話番号を変えていなかったからだが、まさか今更連絡があるとも思わずうっかり出てしまったのだ。
どうやらアユミは今インスタグラムの世界にも手を出し元気にしているらしい。そして電話は実家の近場へ行く用事があるので手タレ(???)として久しぶりにミキと会うというシチュエーションの写真が欲しいという依頼だった。
要するに久々に会って手だけ写ってる写真が欲しいとの事だ。どうやらミキとは別れたけれど今では良い友人という設定らしい。
知らんがな。
無論お断りした。アユミさんこれからもお元気でと挨拶したらもはや40代のDV気味男は嬉しそうだった。
この男と付き合って1番の弊害は、ネット上で見かけるバイセクシャルやレズビアン、性同一性障害など性自認が女性と名乗っている人の裏に40代の男が潜んでいるんじゃないかと一瞬考えてしまう事だ。我ながらど失礼なのだがどうしてもアユミが頭をよぎってしまう。
そろそろ忘れたい。
というか、そろそろ忘れてたところに電話がかかってきたので思い出してしまった。着信拒否にしてなかった私が悪い。すぐに設定した。
ここまで散々書き散らしてしまったけれど、変身願望を持っている人がここまでちょっと……だいぶアレとは思わない。同居人にカッターを投げつけ、ほぼ非合意の性行為を暴力ちらつかせながら強要する男がセクシャルマイノリティに対する性暴力被害について語っているという割とグロい状態は相当特殊だと分かっている。
分かっているんだけど私の中にはささやかな偏見の種が埋め込まれてしまっていて、それが大層悔しい。
そして、偏見とかそういうのを抜きにしてしみじみ思うのが、変身願望理解できないな……という事なのだった。好悪とか抜きで真面目に理解できない。何が彼を、彼女を、そういう行為に駆り立てるのだろうか。