はてなキーワード: 進歩的とは
122 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.13] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 07:37:24.43 ID:bP3MfYX70
お前らみたいな壺に脳みそ支配されたミソジニーの愚民は小池のマンカスでも食ってろ
嫌儲はあらゆる保守的な価値観や言説を否定する自由な言論の空間だ
133 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.15] (ワッチョイW ebaf-mItC) 2024/07/23(火) 07:42:39.51 ID:SPlEWeE70
>>122
145 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.13] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 08:03:28.07 ID:bP3MfYX70
>>133
アファーマティブアクションも知らない愚民
もうさ、大卒以下の知能の人間からは選挙権も被選挙権も取り上げたらどうだ?
お前らみたいな後退した知能の人間しかいないからいつまで経っても進歩的な民主主義が達成されないんだよ
もう疲れたわ
152 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.16] (ワッチョイW ebaf-mItC) 2024/07/23(火) 08:08:47.84 ID:SPlEWeE70
>>145
選ばれた人が気にしたり、それを公約に持って来る人を支持するなら分かるけど
女だから入れるってのは完全に違うよ
固まってもない欧米文化持ち込んじゃ都合のいいように使おうとするところも大嫌い
159 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.13] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 08:16:10.10 ID:bP3MfYX70
>>152
この国の人間の知性に見切りをつけつつ俺としてはこれがむしろ最大限の譲歩だ
俺からすると高卒以下はネトウヨ(あるいはその予備軍)で日本語を喋れるだけが取り柄の愚民にしか映らない
リベラル的な価値観の持ち主なら女性の権利を守ることはアプリオリとして認めて当然なのは国際的にも常識だからな?
160 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.16] (ワッチョイW ebaf-mItC) 2024/07/23(火) 08:17:35.54 ID:SPlEWeE70
>>159
反論になってないなあ
女だから投票するってのは女性の権利を守ってるとは言えないって話なんだが
164 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.13] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 08:20:23.74 ID:bP3MfYX70
>>160
これまで抑圧された、今も抑圧されている女性の歴史を鑑みてもそんなこと言えるならやっぱりお前はネトウヨだ
どうせ壺価値観に凝り固まって女は家内として家に閉じ込めておけとか言ってるんだろう
253 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です 警備員[Lv.14] (ワッチョイ 1f38-s2Ct) 2024/07/23(火) 10:28:57.72 ID:bP3MfYX70
一番最初に多かったのは、アーリーアダプターの類。テック進歩主義者。
そいつらと、そいつらに感化されるのは、文系思想面でも進歩主義者。言い換えればリベラルかぶれが多かった。人権が大事ですとか、ネトウヨがクソですとか、湾岸戦争には反対ですとか、海外を見習えとか言いたくなってたタイプのやつらね。
で、そいつらリベラル進歩主義者の中から、時流に敏感なやつは、はてなが古びると抜けていく。
更にのこったやつらから、マトモな知能のあるやつは、場が進歩的ではなかったと見て抜ける。
残ったのは、若い頃リベラルにかぶれてたものの、実は最新情勢とかには興味がなかったし、知能のアップデートとかとも無縁だったヤツよ。つまり共産支持者だね。
こんな予想でどう?
中華ゲーのガチャはガチャというより別の概念のシステムなんだよな
国産ガチャが石を溜め込んで(または課金して)物量で運を乗り越えるギャンブル的キャラ配布システムだとすると
中華ガチャは一連分貯まるごとに回してようと貯めて一気に回そうと得られる限定キャラ数や獲得周期は変わらない
なんなら特定の強キャラを何体も重ねるよりも満遍なく確保していったほうがゲーム性を楽しみやすいからユーザーのガチャへのスタンスが真逆になる
特定のキャラを狙おうとするときも、物量に頼るんではなく、排出周期(天井カウント)を見ていれば天井引き継ぎによって計画的にキャラ取得できる「ゲーム」へとガチャ要素が昇華してる感じなんだよ
国産ガチャは「ガチャはガチャでしかないギャンブルもどきだよ」と割り切って公然とevilをやってる感じで、その射幸性ゆえに「ガチャを回すこと」が主目的になりやすい
中華ゲーは「ガチャはゲームの追加要素にすぎんから本編をちゃんと遊ばないと回せないよ、その分中身凝って作ってるからね」という意思を感じる
実際にガチャを一切まわさずに配布キャラだけでも攻略可能なように作ってあることを節々に感じる
その分、育成要素がキツくて時間をかけるか石割って育成リソースを集めるかバトルパス等を頼るかって感じになっている
でもそういう月額的な課金を継続してくれるファンを増やす作りの方が、ギャンブル性を煽って理性を失った0.何%の廃課金者をカモにするソシャゲビジネスよりも未来があると思う
ガチャが主目的になっちゃう古いソシャゲ的な作りだと、ログインだけでもらえるようなインスタントな石バラマキをしたり、毎日10連無料みたいなことをして呼び込まなきゃいけなくなるが
まあ中華ゲーも広告上は日本の頭の古いソシャゲユーザーに訴求するために配布アピールの広告を出してたりはするけども、実際は日本ユーザーが想像するような直接的な配布はなくって、ゲームをやり込んで石回収すると○連分になる、的なオチだったりする
でもそのほうが逆に良いと思うんだよ
インスタントなバラマキが恒常化するってことは、過去に課金して得たキャラの価値がすごい勢いで毀損されていく(インフレ前提)ってことだから
中華ゲーは全体的にコツコツプレイが最重要な積み重ねゲーになってて、国産みたいにぽっと出の新規ユーザーが人権キャラを無料ガチャで○凸できちゃったらモテモテみたいなことはあり得ない
後者は一見いいことのように思えるけど、既存ユーザーを蔑ろにしてることの裏返しとも言える
ビジネスだけを考えるならスマホゲーはいかに新規を取り込むか、いかに新規を優遇するか、という部分が重要なのは分かるんだけど
それが行き過ぎてゲーマーとしての心を失っているかのようなものが量産されてきたから「ガチャゲー」「ゲー無」「ソシャゲはダメ」みたいな刷り込みにつながっていく
モバゲーグリー時代からシナリオだけは評価できる作品等はあったにせよ、ゲームとしてどうなのって意味ではPay2Winの札束ゲーかつ廃課金のカモが無課金乞食を蹴散らすくだらん構造のものとして侮蔑は免れなかった
でも今のモバイルゲームで存在感を示してるタイトルってのはちゃんと時代の変遷とともに悪い部分を脱却して進歩しているものも出てるんだよ
まあ日本のマーケットでは未だにちょっと古い時代古い作りの「ソシャゲ」がセールス上位に来てることもあるから「変わらんなあ」と思ってしまう人が多いのは分かるんだけど
一番進歩的な二次元、アニメ調、このへんの作品の在り方を正しく評価できる人がいないってことならまさに老害化しているとしか言えんよな
ーーー追記ーーー
これでも中華ガチャの何が優れてるか分からんって人のために一目で設計思想の違いが分かるグラフを紹介しとく
https://starrailstation.com/jp/warp#global 統計サイトだが、ここの中段にある「引く回数別の星5跳躍」に注目
低い基礎確率と確率変動によって獲得周期がコントロールされることでギャンブル性を抑えてるわけだな
ただ中華アニメ調ゲームの本当の良さは中身が作り込まれてること
モバイルというハードウェア制約があってもなおコンシューマを超えるようなゲーム体験がある
さらに運営型であることを最大限に生かしてて更新のたびに、動画公開のたびに、想像以上の感動をくれる
漫画連載やドラマをリアルタイムで追っているときしか味わえない類の感動があるだろう?
そういう要素が運営型オンラインゲームにあることを思い出させてくれたのが中華ゲー
なぜ古いソシャゲにそれがなかったのかというと、ないことはなかったんだが
古いソシャゲは揃いも揃って「イベントを走らせる」。つまり毎日特定の作業に長時間拘束される
そこで消耗してしまい、ゲームが与えてくれる芸術的余韻に浸ってる間もなく性能や効率に向き合わされる
これが(青少年保護に手厚い)中華ゲーにはなくて、イベントで反復的な張り付き周回を求められない
まあスタミナ消化部分は反復になるが、スタミナという上限があるしすぐに終わるようになってて、古いソシャゲほど頻繁なログインが求められない
DAUを上げるために古いソシャゲが執心してた小細工部分を、膨大な開発力によりゲーム本体への魅力を感じてもらうことで持続力に代えて、一定の成功をしてる
(片山さつきをフォローしてるような)右派が反対なのは当たり前で、それは昔からの価値観を支持する立場だから
ターフが異常なのは自分たちは進歩的な価値観であると自負し、多様性を擁護するべきだと言いながらMtFトランスにだけ攻撃的なこと
方言がきついと炎上した「Still Wakes the Deep」
https://store.steampowered.com/app/1622910/Still_Wakes_the_Deep/
公式公認の翻訳なのに文句言ってるsteam民。もうこんなの文化弾圧でしょ。
先に結論を言っておくと、こいつらゴミが言いたいことはゴールデンカムイあたりで有名になったアイヌは同じ日本として認めるけど、
マイナーな九州弁なんか知りたくもねーから同じ日本語ではない、の言い換えでしかない。
これを理解しない人間によって今後も乱用され続けると、その内”多様性”という言葉そのものが傲慢な思想の押し付けと同義にされ、それ自体が排斥の対象になりかねない事を理解できないのだろうか。
本来多様性とは個々の性や感性を認めようという寛容を示すものであって、主張し認めない人間を悪と断じる踏み絵ではない。
最初に言っておきますがこのゲームはグラフィックや音楽そして演者共に高いクオリティであり
これによりゲームの雰囲気がぶち壊され没入感が大きく損なわれています。
翻訳者は方言の多様性を訴えてるがこっちはそんなもの求めていない
自分の独善性とエゴは許されると思ってるバカ。押し付けないでください。
日本語の翻訳家は方言での日本語化は多様性といっているが選択肢を与えないホラーゲームとしての雰囲気をぶち壊しにするこの一方的な字幕は多様性とは言わない。ただの押し付け。選択肢を用意してからそのように発言して欲しい。
方言のせいで内容が入ってこない。
自分の無知さを盾にしてるクズ。選択肢がない?オリジナルでプレイしてろ。節穴かよ。
前置きしておくと、私は本作を購入後プレイの前に方言翻訳の問題とその翻訳担当の不遜な態度を先に目にしました。その上で、結論ありきとはならないよう心がけたつもりですが、内容は予想以上に酷かった。主に人物表現とローカライズに関して酷評します。クソ長いです。最後の段落だけ読めば足ります。
...(省略)
独善的な正しさの押しつけ
Steamプラットフォームの対応言語「日本語」の表示に期待されるのは、標準語または標準語でスムーズに理解できる言語のことです。そんなことはいちいち指摘するまでもない。この標準語を期待するユーザーに対し方言を強制すること、そしてその押し付けを受け入れないユーザーは正しさに背く者であるかのように翻訳担当自らがネットでチクチクと後追い示唆を続けるのは、端的に言って独善的で幼稚です。
ここまで示した通り、人物表現でのリアリティの追求、他の方言に翻訳する際の配慮、押し付けではなく丁寧な手段を講じること、検討すべき内容は他にいくつもある。にもかかわらず、それらをなおざりにしたまま方言翻訳で注目を浴び「多様性で御座い」と偉ぶるのはお笑いという他ないのです。最後にハッキリ言っておきますが、こんな目障りな実装なら方言による主張など無い方がマシだった。標準語でも文脈くらいは読み取れますよ。馬鹿にしないでほしい。
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この目で確かめるためとはいえ、正しさごっこに付き合わされた時間は苦痛でした。主張するのならもう少し見識と覚悟と気配りを持つべきというのが私からの評価です。まぁパブリッシャー自身も正しさに浸って気持ち良くなっておられるようなので、少なくとも今は何も耳に入らなさそう。逆にこんなチャチな仕掛けで「わぁ方言翻訳だって!すごぉい進歩的!」などと文化人ポイント稼ぎに乗っかってみせるのも私には難しいですね。恥ずかしくて。
ゲーム部分は歩きとインタラクトの繰り返しで進む、よく言えば雰囲気を味わう、悪く言えば抑揚を欠いた一本道のホラー小説。プレイした範囲では探索も謎解きも勝手に進むので迷うこともなかった。物語もありがちな展開で特にこの先を見たいとも思いませんし、一週間程度様子を見て返金申請します。
自分の弾圧行為を正当化したい糞長レビュー。”Steamプラットフォームの対応言語「日本語」の表示に期待されるのは、標準語または標準語でスムーズに理解できる言語のことです。”>インチキ解釈乙。そもそもオリジナルが標準英語ではない上での翻訳なのを理解してないアホ(そもそも標準英語ってなんだ?って話でもあるが)。アプデで翻訳が追いつかない未翻訳を見つけただけで全否定してきそうなゴミ。多様性や文化を何も理解してない。
この増田のおかげで、ネットで無料公開されてる「エドモンド・バークの帝国論」って論文読んで、勉強になった。バークは植民地自治を主張したけど、帝国主義自体を否定しなかったみたい。
>偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統や文化と結びついた自分たちの偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。
>つまり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化や価値観で自己実現をしたいひとだっているってことだよ。
でもさあ、伝統的な文化や価値観が人を蔑ろにしてる場合はどうするのって疑問が浮かぶ。「奴隷貿易という伝統や文化と結びついた自分たちの偏見を生かした社会を目指すべきだ」はいくらなんでも正当化しづらいように思う。それがOKなら、お前らを奴隷化して貿易していいんだな、そのための戦争を仕掛けていいんだな、ってことになる。みんな幸せにならない。
なんでも進歩的なものがいいわけじゃないけど、伝統的な文化や価値観が何でもいいわけじゃない。克服するためには一定の進歩主義が必要ってところは握りたい。
とはいえ、ミセスを声高に批判してみせるのが、必要な進歩主義かというと、俺も懐疑的。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/56c1893d4e0a2360eb32cc1d31f5fbf13bb3998c
あと、これは完全にフランス贔屓視点からのいちゃもんだけど、バークを生んだ国(であるアイルランドを支配した国、バークが言論を展開した国)イギリスもヤバいよ(元増田が賛美してるとは言ってない)
また長いので要約すると
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前記事でコロンブス問題について取り上げた際、現地の当事者目線を強調し、説得力のある解釈に直面した。Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題や感謝祭に関する記事では、先住民視点の重要性を感じさせられたが、ファクトチェックが難しく、一部は陰謀論のように感じられる部分もあった。特に感謝祭の起源に関する記述には疑念が残る。感謝祭はアメリカの文化・経済に深く根付いており、その負の歴史を直視することは容易でない。感謝祭をやめることは難しいが、少なくとも先住民の立場を認識する必要がある。フランスの植民地主義も同様に、進歩的な価値観と結びついており、正義の名のもとに歴史を再評価する動きに対する警戒が求められる。正しさのもつ危険性を認識し、多様な視点を大切にするべきだと感じた。
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慎重な立場で検証すべきという姿勢には同意するけど、結局「現地民を類人猿として描いている」ように見える時点でアウトに違いないので、それ以降はキャンセル側も批判側も重箱の隅をつついているだけなのではないのかね。
「知性的な判断とは、できるだけ詳細な知識による理解に基づくべきだ」「そのための学習と、当人による体験を重視すべきだ」という点は見習うべきだと思った。
前記事で、コロンブス問題、サヨクめ!と散々書いて、当事者目線を強調しつつ最後に野沢直子の回答で締めくくっていたら、
まさに現地の当事者目線で、ぐうの音も出ない解釈を目にすることになった。
先住民目線で語る、Mrs. Green AppleのMV「コロンブス」問題 | ユロックの母
ほらみろや、と今頃、新たに手にしたポリコレ棒で気持ちよく机をバンバン叩いているに違いないと思うと、うぐぐ、な思いはあるが、この記事はとても説得力があった。
ファクトチェック全部はできないし、3割程度は陰謀論ばりのこじつけかなぁ?という印象ではあるものの、確かにそう見える、というのは、正直、とても説得力がある。
それにしても、この当事者目線というのはとても大切だと思うし、亜希ダウニングさんの他のアメリカ先住民を取り扱った記事も大変興味深いものだった。
特に、おお、と蒙を開かれたのは、感謝祭に関するアメリカ先住民の視点。
【感謝祭の本当の起源】ネイティブアメリカンの悲しい真実の物語とは | ユロックの母
これは考えるヒントがたくさん詰まっている記事だと思った。
ただ、これもコロンブス記事同様、3割程度はエイヤと断定してしまっている部分が少なからず見受けられ、必ずしもファクトを確認できない感じではあった。
(例えば、1637年のピクォート族虐殺=John Winthropマサチューセッツ湾植民地知事による征服祝いが感謝祭の起源である、と同氏は断定しているが、アメリカ先住民よりのメディアを検索しても「このピクォート族の虐殺と土地を奪ったことを讃える1637年の宴が最初の感謝祭であると、後に公式に決定」とまで断定しているものは見つけることはできなかった。もっとも保守派よりのファクトチェックサイトでは、1637年の征服を祝福、感謝したのが感謝祭の発端とする説に「事実無根だ!」と、それこそむきになって根拠なく反論しているのもみつけたので、右派にとって、痛いところを突かれれているのだろうとは思う)
というのは、感謝祭という、入植したアメリカ人の原点ともいえる巡礼始祖の心温まるエピソードで、かつ「アメリカ人」というネイションとしてのアイデンティティ形成にも寄与してきた感謝祭、そして現代では商業的にもブラックフライデーなど非常に重要な感謝祭が、実はアメリカ先住民の視点からみると、自分たちが虐殺されてきた血塗られた歴史の一コマだったというのは、ポリコレ的にどう扱うんだろうと。アメリカ先住民の立場としては、感謝祭の日は喪に服す日だとして、負の歴史を直視するよう求める主張も行われている、という。
これは、ポッと出てきたアニメやMVなどのコンテンツと違って、ポリコレ的にあかんから、といって引っ込めるわけにはいかない。
感謝祭はそれほどまでにアメリカの文化・経済社会に深く浸透している。巡礼始祖の思いというのはある意味、合衆国憲法起草にも関わってくるものなので、巡礼始祖の神話をその一部であれ、修正する、というのは容易なことではない。いかにキャンセルカルチャー全盛の昨今といえども、感謝祭、裏側からみれば虐殺の歴史、というところに目をつぶり続ける時代はしばらくは続くだろうと思う。
だから、アメリカ先住民としては、感謝祭やめろ、とまではいえないが、少なくとも私たちは喪に服すよ、ということをアピールする、というところなのだろう。
問題は、自分たちのアイデンティティ形成に欠かせないものをキャンセルできるのかというテーマだ。
そもそも、植民地主義の反省というのがアメリカのみならず、ヨーロッパ社会でもなかなか直視されないのは、それが自分たちのアイデンティティに組み込まれているからだというのは、例えばフランスの植民地主義を振り返るとわかる。
例のコロンブスMVでは、類人猿に音楽を教えたり文字を教えたりする場面があるが、ダウニングさん的にはネイティブアメリカンの歴史が最初に思い浮かぶのだろうけれども、俺はどちらかというと、未開な社会を文明化する、というテーマはむしろ、フランスの植民地政策がどんぴしゃりなイメージだったりする。前記事でそんなことを書くと、そういうお前も知識ひけらかし野郎だろが、といわれるので書かなかったが。
ひとつ前の記事で永井陽右氏の言葉を引いて、「外付けされた人権」という安易さを戒めるようなことを書いたんだが、外付けの元祖は実はフランス革命だ。
人権の出発点のひとつともいえるフランス革命では、当時、海を隔てたイギリスからこの革命の様子をみていたエドモンド・バークは、革命で掲げられたフランス人の新しい概念について、外付けはおろか、「発明されたもの」とまでいっている。褒めているのではない。「発明された概念」のもと、フランス革命では、反革命派が次々と断罪されている様をみたエンモンドバークは、なんでも進歩的なものが素晴らしいわけではないし、なんでも理性的に判断できる、偏見を解消できると考えちゃう傾向はヤべえと考えた。
偏見なんてなくならないんだから偏見をなくそうという発想をやめて、伝統や文化と結びついた自分たちの偏見を生かした社会を目指すべきだ、という考えを進めた。
つまり、「伝統的な価値観のなかでは自己実現できないひとがいる」一方で、伝統的な文化や価値観で自己実現をしたいひとだっているってことだよ。
進歩的な価値観に基づいて偏見を解消しようすると、社会のどこかで肩身の狭い思いをする人が出てくる。それをかつて中島みゆきは「世情」という歌のなかで、
学生運動のシュプレヒコールの情景をみながら、「世の中はいつも変わっていくから頑固者だけが悲しい思いをする」とうたった(哀しい思いをするのは学生たちに打倒される守旧派側でもあり、衰退する運動にしがみつく左翼くずれの末路でもある。あ、俺の解釈ね)。20代の頃の中島みゆき、すごいぜ。
エドモンド・バークに戻ると、彼はいわゆる、保守主義の元祖みたいに言われることが多いが、フランス革命による激しいポリコレにビビったというのがそもそもの出発点なのだ。
*教養なんて外付けだろうってブコメに★がたくさんついているが、エドモンド・バークの見方は、そういうことを少し考えるヒントになったりしないかね。
もうひとつ興味深いのは、フランスの人権の歴史は、実は植民地主義と深く関わっている、ということだ。
フランス革命後、自ら編み出した自由博愛平等という「人権」という概念をより普遍的な価値に高めるために、文明化の推進という旗印のもと、未開社会の啓もうにいそしんだのがフランス植民地主義の大きな側面だからだ。特に、フランス語の普及は博愛の精神の名のもとに、当時フランスが支配下においていたアフリカ地域で推進された。確か、昔読んだ本で手元になく記憶があいまいだが、当時の知識人ヴィクトル・ユゴーは奴隷制に反対しつつも、フランス語の普及にはむしろ賛同していた、と聞いたことがある。ユゴーではなくジャン・ピエールだったかもしれないが。いずれにしても当時の一級の知識人が植民地におけるフランス語推進の旗手だった。
こうしてユニバーサリズムの名のもとに、フランス人の精神の普遍化を推し進めた、というダイナミズムがあったこと、そして、隣国の保守知識人からはフランス革命のその後の経過は「発明された概念」による野蛮なポリコレとして映じていたりしていたことは、「人権を普遍的なもの」として習ってきた学生が、次のステップとして教養として知っておいてもいいことだと思っている。
人権の普及と植民地支配が地続きであるというのは、フランス社会での植民地支配への反省の足かせになってきただろう。それは博愛を友愛とポリコレ的に言い換えても同じことだと思える。
これはある意味で、感謝祭が国民意識の醸成に関わってきたことと、その負の側面を直視しにくいアメリカの状況と、状況は異なるが、抱えている課題は共通する。
昨今のコロンブスMV叩きについて、得体の知れない違和感を覚えるひとは、俺も含めてなんだが、恐らくどちらかというと、人権の普遍化のプロセス(進歩主義)と植民地主義が一心同体というところに気持ちの悪い類似性をうすうす見出せるのではないかと思う。エドモンド・バークほどはっきりと「人権よりむしろ偏見のほうが大事!」と180度振り切るまではいかなくとも、正しさのもつ禍々しさを何か表現できないかというモヤモヤがあるはずだ。
自らの存立基盤をポリコレ的に正す究極が革命というものだとすれば、それに対する警戒感というのは埋もれてはならないものだと思う。
そういうモヤモヤは大切にしてほしいし、アメリカ先住民の立場からみたらやっぱり、という記事を見つけたとしても、そこまで確信をもって解釈できなかったし、寄り添えない、という部分は残しておきたいと思う。それに対して「貴様、アメリカ先住民の心情をないがしろにする気か」という反応は、ある意味、表現の自由の乏しかった80年前の戦時中に、「兵隊さんご苦労さん」といって国民を一斉に同調させたダイナミズムとよく似てくる。大東亜共栄圏の思想は、欧米の帝国主義がアジア諸国の文化や経済を搾取し、独立を妨げているという考えから出発している。何が正しいかについて翌々考えず、適当にポリコレ棒を拾って叩いていると知らず知らずのうちに、みなが操られた正義に踊らされてしまうというのは危機感としてもっていい。
Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」Official Music Video
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.youtube.com/watch?v=XsIQmqXylZU
このPVのコメント、ブクマカたちの映像の読解力がなさすぎてめまいがした
マジで言っているのか?
ピアノやテレビが置かれた家に猿たちがいて、そこにコロンブスが訪れる
コロンブスよりもはるかにいい暮らしをしている猿に出会うって描写だぞ
明確な描写はないけれど、コロンブスたちはタイム・スリップしてきたってことだろう
500万年前の猿がコロンブスたちよりもはるかに進歩的で、それに驚いているって映像なんだよ
コロンブスが猿にピアノを教えているんじゃなくて、猿にピアノを習っているんだよ
お前らの解釈はまったく逆なんだよ
このレベルの読解力で他人に説教できると思っているところにゾッとする
お前ら、国語の点数、低かっただろ?
映像に猿が出てきたときは、まず猿だと解釈するのが真っ当な見方だ
はっきり言ってこれに文句言っているやつは自身に差別心があることを吐露しているだけだよ
お前らが先住民を猿だと思っているから、猿が出てきたときに先住民だと誤認するんだよ
終わってるよ、お前ら
また彼は人生に対する快楽主義的な姿勢が持つ欺瞞性を理解していた。
先の戦争以降、西洋思想のほとんど全て、特に「進歩的」思想は皆、人類は安楽、身の安全、苦痛の回避以上のことを望んではいないと暗に仮定していた。
こうした人生観においては、例えば愛国心や軍事的な美徳といったものが存在する余地はない。
兵隊の人形で遊ぶ我が子を見た社会主義者は普通、不安に駆られるものだがブリキの兵隊の代わりを思いつくことは決してできない。
どうしたわけかブリキの平和主義者ではその代わりにはならないのだ。
自らの喜びなき精神によって並外れて強くそれを感じ取るヒトラーは、
人類が欲するのは安楽と安全、短い労働、衛生状態、避妊、一般化して言えば常識に適ったもの、
それだけでないことを知っているのだ。
少なくともときおりは闘争と自己犠牲、そして言うまでもなく太鼓と旗、忠誠を誇示するための行進を人類は求める。
経済理論としてはともかく、ファシズムとナチズムはどのような快楽主義的人生観よりも心理学的にずっと堅固なものである。
書評 アドルフ・ヒトラー著「我が闘争」 ジョージ・オーウェル
https://open-shelf.appspot.com/ReviewOfMeinKampfByAdolfHitler/chapter1.html
もちろん養育費とかDVとか共に解決すべき問題があるよね、というエクスキューズは必要だし実際にそのように動いてる(振り上げた拳を下ろした人も散見される。下ろせて偉い)。
でも共同親権自体に関してはもろ手を挙げて賛成一択だろ。養育費の問題を解決するまでDVの問題に手をつけちゃいけないみたいなバカな話ないだろ。
ましてや国際社会で怒られが発生しているこの状況においておや。未だに外圧がないと変われんのかという失望は置いておいてな。
賛成派に変なやつが多いのは認めるけど反対派にだって変なやつはいるし、人で判断するのバカみたいだからやめたほうがいいよ。
なんか共同親権が家父長制の推進みたいに言う人までいて、全然意味わかんないからちゃんと説明してほしいわ。
生む機械として嫁に入り、長男を生んだ後不要になり放逐され、こっそり実の子に会いに行くが親権がないため連れ回しで逮捕されてしまう。みたいな昭和的家父長制単独親権ストーリーだって作れるわけ。
共同親権のない国ってインドとトルコと日本だぜ?これ、女性の人権がばっちり保証された進歩的な国か?
俺は父親の顔も知らないのにお前の父親はクズクズだからお前もクズクズ言われて育ってもちろん実母にも継父にも殴られて、布団たたきでたたかれて、裸で締め出されて、数日家にも入れてもらえなかったり、飯もなくて、カップ麵勝手にくったらボコボコにされてたが。これは女がやったらDVじゃないん?あるいは受け手が女じゃなければDVじゃないのかな?
共同親権があったら助かったとは別に思わんよ。けど単独親権が守ってくれることなんてなんもないし、同じような境遇の子で共同親権があったら防げることもあるのかな、って思う。
今だって調停して親権きめてんでしょ。DVが離婚事由なら争って剝奪すればいいじゃん。自分が会いたくない程度の問題なら我慢しろよ。あんたは会いたくもないかもしれんが、子供にとっちゃ親だぞ。
ちなみに調停だか手続きだかちゃんとやってないからか知らんけど俺の戸籍父親んとこなの。ウケるよね。俺は関係ない人にボコボコにされてたってわけ。