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はてなキーワード: ブログ記事とは

2022-05-16

いまのはてなブログで本しゃぶりのような才能ある人間記事を書きはじめても、二度と発掘されることはないだろう

https://blog.hatenablog.com/entry/2022/05/16/123000

はてなブックマークの「面白いコンテンツを発掘する能力」が完全に死んでいる

なんだこのつまらランキング

記事面白くないんじゃなくて、いつものメンツしかいない。

はてなブックマーク面白いブログ記事を探す機能が完全に死んでしまった。

2022-04-18

東京秋葉原ガンプラ売り場見て確かに少ないけどこれくらいラインナップされてたらそれでいいじゃない、みたいなブログ記事があって、そうそうこれくらいでいいんだよって流れになってたけど・・・

そんな日本一品揃えのいいエリアで観察してこれでいいんだよっててめえ地方民なめてんのか!(泣)(ここすごく大文字にしたい)

ブログ記事内にあるような品揃えが当たり前だと思うなよ(怒)!

2022-04-16

今日ネットびとが騒いでおるな……」

眼の前の翁は憂いを帯びた目でディスプレイを見つめながらコーヒーをすする。

「わざわざ言わなくても、そんなのいつものことでしょう。インターネットなんて有象無象罵詈雑言を浴びせ合うつまらない場所です」

「昔はそうでもなかったのだよ」

翁はゆっくりと首を振り、そしてため息を吐いた。

集合知web2.0といった言葉が持て囃され、ゲーム2chまとめwikiは充実し、数々の名コピペブログ記事が日々刻々と生み出されていた。

今の腐海に沈んだインターネットしかたことのない君には信じてもらえぬだろが、かつてのこの場所は、殺伐としながらも輝きに満ちた場所であったのだ」

「とてもじゃないですが信じられませんね」

アーカイブすら失われた今となっては、それを証明する手段もない。仕方のないことだ」

翁はコーヒーを淹れてくると言って席を立ち、後には俺だけが残された。

集合知? 輝きに満ちた場所? バカバカしい。

検索結果はゴミのような記事汚染され、人々は争いを求め、自分こそが正義でありお前らは悪なのだ糾弾しているばかりの、踏み潰された犬の糞のような日常

人間本質の片鱗が表出せずにはいられない場所、それがインターネットだ。

いや、たしかに中には人格者もいるだろうが、それは大多数の愚かで醜悪で、かつ自分がそうである認識できない、そんな救いがたい人間たちの濁流に飲まれしまう。

私はコーヒーカップの縁をなぞりながら、自分はあのような人間共のようには絶対にならない、と思いを新たにする。

やがて戻ってきた翁は、空になっていた私のカップに素晴らしい香りのするコーヒーを淹れてくれた。

翁の手で挽かれドリップされたものだ。

ああ、願わくばインターネットなどには関わらず、いつまでもこのような穏やかな日常を過ごしたいものだ。

しかし、そのような日常を私に提供してくれる翁もまたインターネットからまれ存在ということも事実なのである

その矛盾に私は目をつむる。

愚かでもダブルスタンダードでも構わない。ただ穏やかに、安逸な日々を送れさえすれば、それで十分なのだから

2022-04-12

そもそも100文字縛りでまともなコメントなんて出来るわけないんだよ

ブックマークコメントってのは本来タグ機能の亜種でしかない。

個々人がブックマークするに当たって管理のために残すコメントしかなかった。

でもそれがいつからSNS的に使われるようになってきた。

でも10年前は今みたいになんでも100文字圧縮して語ろうとして滅茶苦茶なレッテル論や茶化しに走るだけの連中ばかりじゃなかった。

何故か。

それは「具体的に言及したいとき自分ブログ記事を書いてそのURLコメントする」という文化があったから。

特定話題について本気で語ろうとする連中は皆なにかあるとこぞってブログ記事投稿してそれをバチバチに投げつけあった。

戦場ブクマじゃなくてそれぞれのブログであり、あくまブクマはそこに誘導するためのリンク集しかなかった。

それがいつからブログなんていちいち投稿しているよりも適当に100文字で下記散らかして絨毯爆撃的にスターを集めたほうが気持ちいいって考える連中の巣窟になっていった。

あんまりにもその有様が酷いものからはてなブログをメインで使ってたユーザーは他のSNSへと逃げていって、ブログ記事への誘導もそっちでやるようになった。

結果として今ブクマカとして元気にやってる連中の大部分は100文字以上の文章を書けない白痴の群れと化した。

こう言うと「あの人がいる」「この人もいる」って名前が挙がるわけだが、同じ程度の投稿頻度を持っているブクマカのうちでそうやってブログも一緒に使っているユーザー割合を考えてみて欲しい。

昔と比べて驚くほどに少なくなっているから。

みんな100文字以上喋れなくなってしまったんだよ。

不射の射の如く技を極めてその必要がなくなったというわけではない。

単に楽な方へ楽な方へと進んでいくうちに能力が退化していっただけなんだ。

でも今のはてなで楽しく遊ぶにはソレで十分なんだな。

だがな、それは酷く幼稚で知性を感じさせないクソの投げ合いに落ちぶれているんだ。

既に便所の落書きでさえなくなってるんだよ。

そのことに気づいているなら良いが、気づいていないままでいる危険ブクマカが多すぎるように思う。

2022-04-10

anond:20220410224346

太陽光設置したっていうブログ記事漁ってると故障したって記事も腐るほど出てくるよ

2022-04-09

ウィルスミスはとうとうクリスロックに謝ったし、一件落着で良いのでは

https://wezz-y.com/archives/94620

ジェイダも怒ってないみたいだし(怒ってたらなんか言うだろう)

ウィルスミス全面的謝罪したし、これでまだクリスロック問題があると言うのなら…

それは同じ病気を抱える視聴者への罪だ。観ている人を傷つけてしまって申し訳ない、と。

アカデミー特に問題視していないようだから、観客が声を上げる必要がある。

「観ている私たちが傷ついたぞ!!」

あるブログ記事の主張、誰も傷つかない笑いなんてない、に対して人気のコメント

開き直るな!

だった。オレは「どうとでも言えるよな🤔」と感じた一方で、可能性にも思い至る。

誰も傷つけない笑いは存在しうる。まだ追求されていないだけだ。アメリカが現状に甘んじるならば、日本がそれを目指そうぜ。

2022-03-31

何故友松直之が問題視されないのかわからない

榊英雄に続いて園子温是枝裕和映画監督の性暴力問題視されている中、何故「レイプゾンビ」の友松直之が無視されるのかわからない。有名監督ではないからか?カルト映画からか?

彼は「女に男を選ぶ権利拒否する権利を与えるから少子化になる」「レイプ合法化して少子化解決

「男の自殺率は女の三倍。レイプされた女性よりやらせてもらえない男の方が三倍苦しんでる」「ヤらせてもらえなくて死ぬくらいならレイプしろ。ヤらせない女の罪はレイプと同じくらい重い」など、独特で異常な思想を持ち、自らの息子にも「自殺するくらいならレイプしろ」と教えているらしい

レイプゾンビ」の友松直之監督「女に男を選ぶ権利拒否する権利を与えるから少子化になる」?

https://togetter.com/li/739000

また、彼はブログで「性犯罪前科二犯」で、レイプした事があると明かしている

こちらは片思いの末に刑務所覚悟しての決死レイプだったのですが、不起訴どころか泣き寝入りされて、そんな事実さえなかったことにされてしまいました。傷ついたのは誰の心でしょうか?」などと、自分被害者のように書いている

http://blog.livedoor.jp/n_tomomatu/archives/39696964.html

また、こちらの恐ろしいタイトルブログ記事を見てほしい

女性セクハラを指摘されて逆ギレしている他、『何が「レイプしてもいい女性なんないません」なものか。女の三割は「レイプされても文句の言えない」女だし、残りの七割は「レイプされるべき」女だろうが。』『「レイプしてもいい女なんかいません」とは女にヤラせてもらえなくて自殺してゆく哀れな男たちへの配慮カケラもない暴言であろう』

『折りにふれて思い出し、怒りに震えがくる。そのまま戸外に飛び出して最初に目についた女を可能な限り残酷手段で殺してやろうかと思う』『女が絶滅せずにすんでいるのは、一重に俺を含む男たちの寛容さのお陰であることに女どもは気づいているのか。思うに殺人罪という法律は、これがないと、あまりの女どもの馬鹿ぶり暴虐ぶりに腹を立てた善良なる男たちが、女どもをすべて殺してしまうから、それを抑止するために作られたに違いなかろう。』

などと、激しいミソジニーを炸裂させている

女はみんな死ねいいね。| 友松直之のブログ

https://ameblo.jp/n-tomomatu/entry-11268438285.html

こんな危険思想公言しているにも拘らず、否、だからこそ、彼は一部でカルト的人気を博している。

ミソジニスト達に支持を受けている

だが今、こんな性暴力扇動するレイプ監督をのさばらせておいて良いのだろうか?

レイプゾンビ」のキャッチコピーは「ヤらせない女の罪は地球より重い」

蜜月」「ハザードランプ」よりも公開停止されるべき映画ではないかと思う

2022-03-29

anond:20220328140312

元のブログ記事を読んだが、男性に非が無いラッキースケベを「性暴力の許容」とか言ってるのが全く理解できないんだがみんな同意してるの?

フェミニストおよび平均的な読解力を持つ読者には自明」らしいけど

それとも男性側に非がある状況だけをラッキースケベと呼んでるのかな。ラッキースケベって言葉にそんな意味は無いと思うんだが

2022-03-26

10年前くらいのブログ記事を見て、作者Twitterに飛んで変化見るの好き

アイドル好きだった人が全然違う趣味にハマってたり

ゲーム好きな人はそのままゲーム好きなままだったりで人生垣間見てる気がして好き

Twitterも何もなくて音沙汰がない人とかTwitter更新がない人いてかなしい

2022-03-22

しり探偵下品でない

そう訴えていたブログ記事が消えていた。

なにかしら炎上したのか…??いやなにか心境の変化か。

とりあえずみんな大好きおしり探偵メモしておく。

しり探偵が嫌われる理由

1.顔がおしり

(しゃべっていても肛門が喋っているようだ、不潔、とのコメントがある)

ただ、あのおしり探偵はお尻のような顔であって口から放屁するものの、もはやそれはゲップ…。

どっちみち下品ではあるが、おしり探偵はご両親も同等の形状のため、そういう生命である

しりと言っている箇所も彼らからするとほっぺであるかもしれない。

2. とくになし

それ以外ないんだよなぁ…。

しろコンテンツとして優秀な分、「なぜお尻にしたんだ!?」と1が攻められている(ごく一部さ)

なぜ「おしり」だったのか

どんな良質なコンテンツターゲットが手に取ってくれなければ意味がない。

そして子ども下ネタが大好きだ……。

このため、子どもがつい手にとってしまキーワードとして「おしり探偵選択したのかと推察している。まあ、この点は下ネタだよね。

実際、うんこドリルはこの観点からして成功している(おしりたんていはコンテンツとしては2007年くらいからしており、息が長いようだ)

手にとってみれば楽しい面白い、ゆえに息の長いコンテンツとして愛されている。

しり探偵そもそも紳士

しり探偵紳士である放屁することが凶器である理解しており、ちゃんとオナラする前は『しつれいこかせていただく」との前置きがある。

あとうちではオナラの前には断ること、でたらごめんね、がわりと定着した。

別にナラは悪いことでもない。この微妙ラインを教える時にちょうどいい。おしり探偵、オナラしてもかっこいいしな!!

しりたんてい絵本もいいぞ

児童書はよんでないが、絵本は一通り読んだ後にもう一度読んで、さらに謎々や追加の〜探し要素があってよかった。

アニメもそうだが、同じ街であの話で出てきた子がここで?!みたいなかんじになるので、割とどこから読んでも大丈夫になっている。

2022-03-20

[]家系ラーメンが好きすぎてスリランカカレー好き

[追記解決しました]

うおおおーーっ!

ありがとうございます

まさsikuそれです

ラーメンライス麺抜きおかず付きとしてのダルバート沼 - 太陽がまぶしかったから

探してくれたでいだらさんまじでありがとう。でいだらさんでいだらすぎてまじででいだら。、、

あなたはでいだらですけど、ぼっちなんかじゃなくて増田はてなを盛り上げる英雄にして先導者ですよ!!

しかしながら、私のkぃおく違い甚だしくて恥ずかしいであますよ。

ほんの1か月ほど前の記事だったなんて、しかスリランカカレーではなくてネパールカレーダルバートだったよ。

記事中にリンクを張っている過去記事2015年だったのでそれと混じって記憶いたのかな?

天下一品の「こってり」はスープカレーである - 太陽がまぶしかったから


ちなみにスリランカカレーはうまかったであります

ビーフンを短くカットたかのように長い形のタイ米の食感がたまらなかったでうまかったで。

そこに、様々な具材ちょっとずつタイ米と混ぜて食べて、最後は混然一体のグチャグチャでうまさもグチャグチャでカオス的うまさでありましたよ。

今度はネパールカレーを食いに行くぜ。


うわっつ。ハイ天書nのままお例の文章を書いていたら誤字がひどすぎるけど、私のパッションをそのまま伝えたいからこのまま追記します。

でいだらさん b:id:daydollarbotch  まじでありがとう。!!


家系ラーメン スリランカカレー コラム」とかで検索しても出てこない。

そのコラムにおいては、筆者は家系ラーメンライスと一緒に食べるのが好きで、どろりとした家系ラーメンスープチャーシューほうれん草海苔などの具材ライスがあれば麺はいらないという結論に至ったという。

から、濃厚なカレールー豊富具材を有するスリランカカレーは、実質的家系ラーメンと同じとのことだ。

上記のことは私が朧気ながらも記憶しており、個人ブログ掲載されてたことはかろうじて覚えているものの、筆者が誰なのかは覚えていない。

5年程前にバズったブログ記事であり、ブクマ数もそれなりについていたから覚えている増田ブクマカもそれなりにいると思うので、ここで尋ねてみる。

ちなみになぜ私がこのような質問をしたかというと、これからスリランカカレーを食べに行く予定だからだ。

2022-03-14

ブログランキング・新着記事フィルタ(拡張機能)作った

anond:20180609124213

ブログフィルタ - Chrome ウェブストア

https://chrome.google.com/webstore/detail/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BF/ljnpbbominfcpmeibilmpombbijelmfn?hl=ja

ブログフィルタ – 🦊 Firefox (ja)

https://addons.mozilla.org/ja/firefox/addon/%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%82%BF/

github

https://github.com/lvnkae/blog-collection-filter

概要

機能

使い方

基本設定
詳細設定

ブログURLミュート詳細設定

設定済みURLダブルクリックで詳細設定へ

 ・ブログ固有の非表示ワード設定

   絵日記ブログに突然現れる、創作実話漫画は見たくない

   PR記事回避したい

  など。

ワードミュートの詳細設定

 単語の頭に <> を付けると正規表現ON

 例)

  <>宇佐美 *定満

   宇佐美定満

   宇佐美 定満

   宇佐美 定満

   宇佐美  定満

  等、姓名間にスペースが0個以上ある定満はを含むツイートを削除

設定の簡易出力(export)/入力(import)

[対象サイト]

URL概要
https://blog.livedoor.com/ランキングブログ速報、カテゴリ編集部の「推し」、おすすめブログブログ速報
https://https://blog.with2.net/ranking/ランキング、新着記事
https://*,blogmura.com/ランキング

結果

各種ランキングからまとめサイトコンビニ漫画系(嫁姑DV、サレが云々)が消えてスッキリ

動機

twitterがどんどん改悪されてブログ更新が追いにくい

しかランキングサイトまとめサイト汚染されていたのだった

技術

ManifestV3

あとがき

今どきはLINE登録してスマホからブログ見るのが主流と聞き、需要は少なそうですがゼロでもないはず、と思い公開することにしました。amebloのことは忘れましょう。

アップデート予定

あれば

はてなNG代替品(はてぶフィルタ)とYoutubeフィルタにも簡易export/import機能を入れたい気持ち

2022-03-11

フェミニスト自分が受けた被害モヤモヤネットで晴らそうとするのではなく解消してからネット活動するべきだ

https://ishikawayumi.jp/metoobunshun/

twitterで完全にバーサーカーと化して、ひたすら理不尽なことを言い続けていた石川さん

Twitterをやめてしばらくしてからこうやって落ち着いた状態記事を書いたらまともな事を書ける人だったのだなと新発見

Twitterで暴れていたころはブログ記事もひどかったので、やはりTwitterがいけなかったのだろう。

記事の内容については数年前の石川優実さんは魅力的な人だったらしい。少なくとも榊さんがリスクを冒してでもこの女とヤリたいと思えるほどに。或いは榊さんがただの脳みそチンポ星人なんかもしれんが。それで性的被害にあった。石川さんは今までこういう自分が受けた性被害から目をそらすために別のものを叩き続けてきたわけだ。

理解はできるがこういう被害を受けてた恨みを別の場所で晴らそうとするのはやめてほしい、そんなことをしても相手にされなくて当然だ。

逆に今回の件は耳を傾けるに値する。今までの石川さんは言ってることが支離滅裂ですぐヒステリーを起こす精神が壊れてる人間だったと感じていたが今回こうやって吐き出したことによって、戦うべき相手をもう一度まっすぐ見れるようになってほしい。

2022-02-28

子供が欲しくないのは刷り込み

「なぜ自分子供が欲しいと思うのか」の自己分析をしてるブログ記事を見かけた。それって幼少期から妊娠適齢期に至るまでの自分脳内刷り込みなんじゃないかと思っている。

子供時代からずっと「将来は家族をつくるんだ」「将来は自分も皆と同じように子供つのかな」と思ってる人は子供欲しいと思うんだろうし、逆に子供時代から「将来子供つくるのとかマジありえん」「大人になったらそういうプレッシャーあるのかな嫌だな」と自分脳内に語りかけてる人は欲しくないんじゃないだろうか。

自分小学生くらいの頃に生とか死とかに囚われて色々考えてた時に「えっこのまま生きてたら自分は女だし将来は子供産まなくちゃいけないのか?ありえないおそろしい絶対嫌」という発想に囚われたことを覚えている。ことあるごとにその考えを思い出しては、あー子供欲しくないと思っていた。中学高校大学でも思っていた。妊娠適齢期になったら変わるんだろうか、、と思ったこともあったが、そのままずっと子供ほしくない産みたくない気持ちは変わらなかった。

が、これはきっと、本当の自分性格とか向いてるとか向いてないとか本能とかでもなんでもなくて、数ヶ月おきに自分自身に子供産みたくないなとリマインドしまくった結果のセルフマインドコントロールなのかもなとおもった。そしてその脳回路は完全に固定された。感情嫌悪感ともガチガチにワイヤリングされてるのでこの先一生変わらないのだろう。変わるか?と思ってたけど適齢期になって本当にわかった。本当に欲しくない。

子供つくらないのはわりと簡単に実現可能からいいけど、これがもし逆で、子供がどうしても欲しいという気持ちだったら少しタイヘンだったなとおもう。ただそういう人の気持ちはわかる。自分子供欲しくない気持ちと同じくらい強い気持ち子供欲しいと思ってるんだろうなあと想像できる。もう脳内に刷り込まれてるのだ。だからなんで子供欲しくないの!?と言いたくてたまらん人の気持ちわかるなとおもっている。刷り込みなのだ

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-02-16

「跳ぶ前に見る」の可能化がネットゴミにした

ここ1年ほどで、インターネットにおけるテキスト動画マーケティングについて、それぞれ全く別に学ぶ機会を得た。そのどちらも大筋では同じであった。

まず、 検索数が多く、ライバルが強力ではないキーワードを選定する。
次に、そのキーワードを適度に含むコンテンツを作る。

 

これがインターネットをクソにしているのだな、と思った。特にGoogleにおけるキーワード選定に対しては、Google自身キーワードプランナーとして(時として有料で)提供してさえいる。If something is free, you're the product. であるなあと思った。

いわゆる「(今日起きた炎上事件)の(人名)の正体は?彼氏は?調べてみました!その結果……なんと……見つかりませんでした!」というブログはその代表であるが、それよりもっとまともな顔をして「オウンドメディア」なんて呼ばれているものも、デイトレードと中期投資の違いくらしかない。

かつて、コンテンツをめぐる状況はそうではなかったはずだ。確かに流行に乗る」という概念はあった。しかしそれは遙かに移ろいやすもので、決して月間35000検索で重み付けされたトータルスコアは89/100であるからこの流行に乗ろう、というものではなかった。

あるいは流行流行であって、「台東区 家賃 見積もり」が流行たことは未だかつて一度もなかっただろう。しかし、今ではこのワード検索すれば5件の広告が表示され、その下には「東京都台東区ってどんな街?家賃相場はいくらぐらい?」(本当に原文ママタイトル)というブログ記事風のサイトが待ち構えている。

台東区家賃見積もりでさえそうなのだから、我々の行う検索は全て先回りされている。そういえばサジェストや関連キーワードというものが登場したときは、大きなお世話、あるいは気持ち悪いと感じたことを思い出した。先回りは言葉の節々にまで及んでいる。なぜか「台東区 家賃 見積もり」と「台東区 家賃 相場」では検索ボリュームが10倍以上異なる場合があり(このケースが実際そうであるかは知らない)、マーケティングを行う際には間違いなく精査されている。

 

キーワードを選定したらそのキーワードを含んだコンテンツ外注でもよいのでともかく生成する。その際に重視されるのは、そのコンテンツが実際に価値がある(「情報量」という用語スラング的な使用法を思い出してもよい)ことではなく、検索エンジンがそれを見てどう思うかである。そのために、見だしタイトルキーワードを含まねばならず、また本文や説明文においては適度な分量のキーワードの繰り返しが求められる。

そうして作られたコンテンツが、実際に価値があることはまず、ない。「コンテンツを作る」作業の大半は、コンテンツの中身が他のサイトの寄せ集めを、検索エンジンにそれ(コピペ)とは気づかれないように「コンテンツを歪める」作業ありさえする。

 

昔はこうではなかった。というか、15年前でさえそうではなかったと思う。あの頃の検索エンジンは今に比べて遙かにゴミであった。しかし今は検索エンジンが進化した代わりに、コンテンツゴミになった。かつて「見る前に跳べ」という言葉世界のほぼ全てに当てはまった。今は、跳ぶ前にコスト計算上司承認必要とされる。そこに「独自研究」の余地はない。あるいは、「インターネット上にない情報書物から持ち込む」という手間さえ惜しまれる。その結果としてこんにち存在するのは、「キーワードプランナー提案するキーワードのために歪めてコピペした記事を、キーワードプランナー提案するキーワードのために歪めてコピペした記事を、……」の果てしなき連続によって生み出されるゴミの山である

 

この状況に対して、私が出来ることは何もない。あるいは私は私のエゴのためにその状況を助長しさえするだろう。かつてを懐かしむ人間としての私に出来るのは、ゴミの生成過程コピペではないコンテンツとして、この検索性ほぼゼロネットの片隅に放つことぐらいしかない。

 

 

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2022-02-11

新型コロナウイルス感染して分かったけど、やっぱり「ただの風邪

某ピシュさんのブログ記事タイトルが悪目立ちしてバズったけど、わたしのは本当にただの風邪だった。

独身、ほぼ在宅ワークで外出は1日1回。徒歩2分のスーパーに買い物にいってその前後ドトール読書し行くのが日課

2月8日火曜日

予兆はあった。火曜日夜の就寝前、喉が乾燥気味だった。

2月9日水曜日

ノドの違和感以外は朝から快調だったけど、昼前ぐらいにインフルエンザにかかったときのような節々の痛みに気づく。幸いにも身体の痛みは昼寝をしたら消失した。この時点で熱を何度も測っていたけどずっと36℃台で、風邪コロナかただの疲れか判断できず、水曜日は自宅でおとなしく仕事していた。

しかし、その日の深夜から猛烈なノドの痛みが襲ってきた。嚥下できない。口にたまる唾液を飲み込むのすらつらい。断続的につづく咳でまたノドがさらに痛くなり、眠りが浅いまま朝を迎える。

2月10日

ノドの痛みは継続あいかわらずノドが痛いだけで熱はない。さすがにコロナ診察を受けようと決心し感染時の受診案内を確認した。

市のコロナ受診相談窓口に電話したのち、自分病院電話して予約することになっている。ふとここで手が止まった。電話する理由はなんだ?

2月11日

今日休日相談窓口は開いているらしいが病院は休診。週明けに病院に行ったとしてPCR検査の結果判明までもう2−3日。意味あるか?

それならば軽症だしわざわざ行く必要はもうないと思い、もう電話するのをやめた。検査受けなければ感染したことにもならないし外出制限もされない。

よかった、わたしがかかったオミクロン株はノドが痛いだけのただの風邪と同じぐらいだ。

いまだにノドはまあまあ痛いけど、我慢できないほどじゃない。

それよりも去年ワクチンの2回目を打ったとき悪寒と高熱の方が命の危険をおぼえたぐらい苦しかった。

無症候性の人、軽症の人はこんな感じで街にでてるんじゃないだろうか。

身体的な異常や不都合がないなら手間と面倒がかかるだけの診察や検査をうける理由がない。軽症だと薬もないし、まちがいなく自宅療養対象になるし、PCR検査を受けてやっぱり陽性でしたーって確認のためし病院行く理由がない。どうせじぶんで買い物行くことになるしね。

そういうわけで自主自宅療養生活に入っているのだけど、どんな理由であれ、咳をしている人を見かけたら要注意です。

2022-01-15

無自覚有害な振る舞いをする人

ちょっと前にはてブ話題になっていたこんな記事があった。

https://qiita.com/muumu/items/1da55b3c8760cec6d25c

うちの会社には有用情報を共有するためのグループチャンネルがあって、頻繁にこういった記事シェアされてる。そんで、この記事も「非常にためになる。皆でソフトスキルを高めていこう」って注釈と共にあるメンバーシェアされてた。

それ自体はありがたいことなんだけど、難しさを感じたのはこのメンバーこそが「有害な振る舞いをする人」とチームで認識されてる人なのよね。指摘に対してすぐ怒りを滲ませ反論する、やり方にこだわりがあり周囲のペースに合わせない、攻撃的なメッセージチャット投稿する、等、自分も正直あまり関わりたくない。

ブログ記事を読んで自分は真っ先にこの人が思い浮かんだのだけど、当の本人は周囲のソフトスキルの低さを懸念してるのだと思うと(はっきり言ってそのメンバー以外のソフトスキルは高い)、ああいったメッセージは届けたい人には届かないんだなと改めて感じた。

2021-12-22

男らしさから降りた人の書いた記事面白かった

これ。

https://mgkkk.hatenablog.com/entry/2021/02/25/221556

書いたのは好きな漫画家さんで、過去ブログ記事を読んでいたら見つけた。

男性でもそうなんだ。わかるなぁ」と思ってしまった。

とくに共感したのは、この部分。

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これは一般化はできない話だと思うんですけど、少なくとも僕は「男たるもの女にこう接するべき」という話を女の人からとにかくされまくっていました。そして、僕があまりその男像に合わせられないことでひたすら叱られていました。それが知り合いぐらいなら距離をとればいいだけの話なんですけど、付き合っている相手かになってくると、もはや逃げ場がなくかなりしんどい気持ちになってしましました。

 僕は結局その人たちの望むように変わることができなかったのですが、それは向こうからすると僕がカスなんだという話なんだと思うんですけど(そもそも人間関係は歩み寄りなのでそれができない僕に良くないところが当然ある…)、それでも僕はどうしてもその人たちの望むように振る舞うことができなかったということがありました。

 そのような関係は最終的に、僕がどれだけダメかという説教罵倒をくらって人間関係が壊れるので、とにかくキツい気持ちになっていた覚えがあります

 「こういう男はダメ」という言い方で、とにかく「自分たちの言うことを聞かないと、アナタを低く評価します」という態度をとられることを当時は繰り返されたので、そういうふうに扱われるがマジで無理だなと思っていました。それを引きずっているのか、中年になった今でも、女の人のことは基本的に怖く感じてしまます

 そうなってしまったのは、人と仲良くなっていく過程で、男の人相手よりも、女の人相手の方がこちらに踏み越えてくることが、早くて大きかったことが多かったからかなと思います。これは異性だからかもしれません。こういうことも一般化はできないでしょうし、僕の社会性が乏しく拙いというのが、そうなってしまった主因なんでしょうけれど、とにかく、「女の人には怒られる」というトラウマのようなものがあり、その後、女の友達ができても、この人もそのうち僕を怒るのだろうか?ビクビクしてしまっているところがあります

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大学生ときバイト仲間から「女なのに料理しないなんて引く」と言われたことが未だに忘れられないのと、異性と仲良くなる過程一方的に女らしさを押し付けられて関係が終了したことが何度もあるので、「男たるものこうあるべき」は男性も困っているんだと知れてよかったです。

男性本音って、女性はなかなか知ることができないので…。

大体こうゆう押し付けをする女性って、男性経験が乏しいか世間一般価値観とか自分の両親から受けた影響みたいなもの相手に求めてしまいがちなんですよね。

男慣れているというか、男性経験豊富女性は色々な男性と付き合って色々な男性が世の中にはいるということを知っているから、あまり男性理想押し付けない傾向があると思うんですよ。

理想に近い男性を探して付き合うか、付き合った男性にうまく「わたしこうゆう男性理想からあなたもこうなってほしい」と交渉できるテクニックがある(だから色々な男性と付き合える)ので。

まぁ、もちろん経験豊富女性の中にも付き合った男性理想男性像を一方的押し付け女性はいるとは思いますが…。

なので、男らしさを押し付けられたくない男性理想男性像に縛られている女性と付き合うと地獄かもしれないです。

というか、ちゃんと話し合いができる相手かどうかが付き合う上では大事だよ、という話かもしれません。

わたしも女らしさを押し付け男性が無理なので、三次元男性との恋愛は避けていて、結果的にそれで幸せなので、生きづらい男性も男らしさから降りてほしいと心の底から思いました。

みんな、早く異性に男としての役割を求められることから降りよう!

2021-12-15

Log4J問題について貢献って結局金しかないっていう事がよくわかる

Log4Jについてなんだけど、結局金がないので働いてもらえなくてどん詰まりになっている。世界プログラマ暇つぶしによって支えられているといっても過言ではない。開発者たちは寄付金がなくて回らないということをいい機会だからと訴えている。

一方で「金を払う以外の貢献もある」と強弁する人がちらほらいて、「いやいやお前、それはもう違うだろう、少なくともLog4Jはもうそういう段階じゃないだろう」と思ったので書いてみる。

これからクール世界を変えるOSSを作る、いろんな人に知ってもらいたい、というフェーズならば、いろんな人に使ってもらってフィードバックをもらってひたすらブラッシュアップすればいい。何ならライセンス違反上等なところもあるかもしれない。そういうOSSにとっては雑で間違いだらけのブログ記事だって貢献になる可能性がある。

だが、Log4Jみたいに世界中に広まったものに対してその貢献は単なるおせっかい自己満足しかない。そんなんいいから月100円でも寄付しろよ、というのがこの問題本質だ。もうLog4Jメンテナンスフェーズだ。

そしてこの問題は実は漫画村と同質でもある。

漫画村を使っている人々も「こうやって名前を広めている、買うばかりが漫画に対する貢献じゃない」といっていた。要は同じことがOSS界隈でも起きている。OSS界隈はライセンスすることで無償利用を許可しているからこそ厄介だ。解決不可能漫画村問題だ。だって提供側が無料で使っていいよと言っているわけだからOSSソフトウェアで金を生み出すことができない。金儲けを考えなくていいので自由に作れるというメリットがあるが、このポイントが逆手に取られているのが現状だ。

OSS界隈では、もしかしたら、「人々は善意積極的寄付する存在だ」という性善説的な考えが浸透しているかもしれない。だが、人の本質は「払わなくていいなら1円も払いたくない、たとえ10兆円持っていても」が答えだった、ということでもある。そしてこれまでは「寄付金かいいですからどんどん使ってください」という強がり通用していた世界でもあるが、ここまでIT化が進んでしまえばボランティアベースでやるのも物理的に不可能になってきている。数人のメンテナーに何億人ものユーザーを支えることなどできない。当たり前だ。

そして一方で「あれ、寄付しなきゃ不味いんじゃないか?」と思っている人にはあまりお金がないという問題もある。お金儲けの一部にでもLog4Jが入っているならば、ある程度の寄付検討してもいいだろうが、善意寄付したい人は善意で動くので金儲けができない。どちらかというとお金とるのやだからOSSを使うという人が多いだろう。サイト広告収入が手に入っても生活費の足しになって消えるならやはり寄付はできない。

まりOSS界隈の金回りで起きていることは想像の域を出ないが、寄付ができるほどもうかっている人々は「しなくていい寄付はしない」という態度を決め込んでおり、寄付をしたい善意の人々はそのOSSを回せるだけの寄付などとてもではないができない程度に収益が少ない、もしくは無い、という事なのかもしれない。

例えばIBM製品でもLog4Jを利用している。この会社はだれもが知っている世界的な企業であり、売っているソフトも何千万円もすることも珍しくないようだが、そこからASFに寄付をしているのだろうか?eclipseには寄付をしているだろうが、どうなんだろうか?

一方でASFのプロジェクトの多さも目立つ。一体いくつあるのかもう誰にも分らない。ここまで多くなってしまうと寄付金分散されてしまうので、受け取った寄付金の分配が正常に働いていない可能性もある。

まりOSSというソフトウェア自体は素晴らしいものだ。多くの人々に知見を共有することで世界を何段階も進歩させうるものだ。だが、金回りのことを考えないといけない段階になった。要はOSSも「どこまで無料で使っていいのか」という線引きが必要な段階に入ったといっていいだろう。

2021-12-02

開示請求どこまで無茶な要求でも通るのか検証してほしい

例えば適当ブログ記事書いてその記事ウンチッチってコメントが来たとして

ウンチッチとは投稿者名誉を著しく毀損している」とか適当理由つけて開示請求したら通ったりするかな、

大喜利でめちゃくちゃな開示請求理由考えてどこまでのラインまで開示してくれるのかっていうの知りたい

2021-11-15

anond:20211114125922

ロジカル思考ロジカル議論全然できないけれど、

そこそこ体裁の整った長めのブログ記事を書くのは素人とは思えないくらい上手い(内容が正しいというわけではない)。

あと、言葉の瞬発力や批判されても黙ってしまわず言葉が出てくるのも常人離れしている。これはまあ意味のある議論ではなく、口喧嘩とかフリースタイルラップみたいなスキル

というように、言語スキルアンバランスさが特殊な人だなあと前から思っている。

思想リーダーに担ぎ上げるべき人ではないのは誰の目にも明らかなので、まわりの人も持ち上げるのやめてやれよと思う。

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