はてなキーワード: ステーキとは
食べ放題の日に行けばいいよ。
https://www.skylark.co.jp/steak_gusto/menu/steak_tabehodai/index.html
支援総額
25,381,000円
84%
https://congrant.com/project/kidsdoor/11823/comments
2024-07-21 23:44
暇空茜
2024-07-21 23:39
この度は多大なご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした
2024-07-21 23:13
2024-07-21 22:59
2024-07-21 22:50
こんな人たちに負けるわけにはいかない!
2024-07-21 22:30
育ち盛りの子供には腹いっぱい食ってほしい。いい活動ですから、前に進めてください。
安倍 晋三
2024-07-21 22:14
2024-07-21 22:12
2024-07-21 22:12
相手を誹謗中傷したって、皆さん、何も生まれないんです。あんな人たちに負けるわけにはいかない!
安倍 晋三
2024-07-21 22:10
高い倫理観を持て
あと仁藤が弱者女性にプレゼントする用のお菓子を欲しいものリストに入れてて、漫画の「タフ」語録使いながらタフグミ買ってあげるのも流行る
手のひらがおさまるぐらいの鍋(家で使ってる鍋はこんなもん)を用意する
用意した鍋にふちよりちょっと少ないぐらい水を入れる
コンロに置いて、火力調節のレバーを真ん中にする
水の上に小さな泡が出てきたら、その上でそうめんの束についてる紙(?)を取って、麺を先っぽだけ水にいれる
水に入れたら、くっつかないように麺をばらばらにする。そのうちくたっとなるからそしたら水に沈める
菜箸(長い箸)かお玉か木べらで5周ぐらいぐるぐるする
しばらくすると、白い泡が鍋から飛び出しそうになるので、火を消すか火力調節のレバーを左端にに寄せる
2分ぐらい待って、火を消す
ざる(銀色の小さな穴が空いてるやつ)をシンクに置いて、そこに鍋の中身を全部いれる
入れたらめちゃ熱いので、水をかけながらざるを
ぐるぐる回す
麺が冷めたら、とにかく麺をわしゃわしゃする
持ち上げて、水を垂らす
冷たくなったら、冷蔵庫に入れる
もしくは氷を入れてしばらく待つ
テーブルかなんかに皿を置いて(ザルと同じぐらいの多きさの皿)その上にざるを置く
おわり
(これで合ってるのかは知らない)
ボウルっていう銀色のハゲ頭をひっくり返したみたいな奴があれば便利なんだけど、別にどんぶりでもなんとかなる
そのみたいな奴に肉(豚コマでもカルビ用でもなんでもいい)なるべく薄っぺらいやつ
をいれてスーパーのどっかに売ってるステーキの素をいれて、ハンバーグ作るみたいに混ぜる
親指の爪の先から根元ぐらいまで出していれる
更にまぜる
しばらくたったら、手を洗ってフライパンを
コンロに置いて、油を垂らす
火をつけて一分待ったら、さっき混ぜたのをフライパンにいれてヘラかなんかでまぜる
しばらく混ぜたら、赤色が無くなってくる
一分ぐらいあっためる
ついでに香味ペーストも指の先ぐらい入れる
醤油も入れたら美味しいけど量の調節が難しいのであんまりおすすめしない
5分ぐらい(中火のままだと)炒めたらたぶん出来る。強火は早いけどおすすめしない
皿に盛る
真似してまずかった!って意見は受け付けてません
モデル名 | リリース日 | コンテキストウィンドウ | 入力料金(100万トークン) | 出力料金(100万トークン) | MMLUスコア |
GPT-3.5-Turbo | 2022年3月 | 16K | $0.5 (約¥74) | $1.5 (約¥220) | 70% |
GPT-4 | 2023年3月 | 32K | $30 (約¥4,400) | $60 (約¥8,800) | 86.4% |
GPT-4 Turbo | 2023年11月 | 128K | $10 (約¥1,500) | $30 (約¥4,400) | 70% |
GPT-4 omni | 2024年5月 | 128K | $5 (約¥735) | $15 (約¥2,205) | 88.7% |
GPT-4o mini | 2024年7月 | 128K | $0.15 (約¥22) | $0.60 (約¥88) | 82% |
Multi-task Language Understanding on MMLU
https://paperswithcode.com/sota/multi-task-language-understanding-on-mmlu
この気持ちはよく理解できますが、少し違った視点で考えてみるのも良いかもしれません。
まず、夫が美味しいものを一緒に楽しみたいという気持ちは素晴らしいことです。食事は単なる栄養補給だけでなく、コミュニケーションの場でもあります。夫が「一緒に美味しいものを食べよう」という気持ちで献立を決めているのであれば、その気持ちを大切にするのも大事だと思います。
ただ、同時にあなたが感じる「贅沢すぎるかもしれない」という感覚も無視してはいけません。これまでの食事スタイルに対して少し不安を感じるのは自然なことですし、その気持ちを夫に伝えることも大切です。
「最近ステーキが続いているけど、たまには違う料理も楽しんでみない?例えば和食とか、ヘルシーな料理も取り入れてみたらどうかな。新しいメニューに挑戦するのも楽しそうだし。」
「ステーキは美味しいけど、毎日続けると健康面が心配になってきたの。バランスの取れた食事も取り入れたいな。夫の健康も気になるし、私も少しヘルシーな食事をしたいなと思って。」
「いつも美味しいものを一緒に食べてくれてありがとう。ステーキも本当に美味しいし感謝しているんだけど、少し変化をつけてみるのもいいかもしれないね。新しい料理に挑戦してみたり、たまには違うものも食べてみたいな。」
こうしたアプローチなら、夫もあなたの気持ちを理解しやすくなり、食事のバリエーションを増やすことにも賛同してくれるかもしれません。
最終的には、夫婦のコミュニケーションが大切です。お互いの意見を尊重しながら、より良い食事スタイルを見つけていけるといいですね。
平日は調理する時間がないので、粉末だしと醤油とみりんを小さじ1/2とお湯300mlでうどんを煮るだけ。
たまたまほうれん草の湯がいたやつがある場合はうどんにほうれん草がトッピングされる。
最近は週末も塩やきそば、カレー、肉じゃが、ポークステーキ、親子丼、小松菜と厚揚げを煮たやつ、野菜マシマシラーメン、ペペロンチーノ、カルボナーラ、何か野菜とベーコンを入れただけのコンソメスープ、サラダを付ける場合はポテトサラダもしくはレタス中心の適当なサラダ、夏は冷しゃぶ、冬は湯豆腐のはずが具が多すぎる謎の鍋、シチューといった指で数えられる程度のローテーションになってきた。
人参、玉ねぎ、キャベツなどの指定野菜とかいうやつ以外の野菜は高いよね。だからこれ以外には手が出せない。
ご飯はある程度炊いて冷凍する。あの炊きたてご飯の味を僕はまだ知らない。
昔は唐揚げやコロッケやエビフライやとんかつや天ぷらを作ってみたけど、揚げ物はコストの割にベネフィットが少ない。
大量に作って冷凍して1ヶ月これだけで生きるとかやればベネフィットがコストを上回るのか?
ラタトゥイユやら炊き込みご飯やらオムライスやらチャーハンなども作ってたけど飽きた。
貰い物のだし醤油を、付いてきたレシピで使い切ってみたりもしたが、そのだし醤油を日常的に買わないので続かなかった。
お好み焼きは1回で4〜5枚程度作って冷凍するのだが、フライパンで1枚ずつ作るよりホットプレートで複数枚ずつ作る方が時間的にお得じゃね?と思い始めて、ホットプレートを買うまで作れなくなった。
ハンバーグは昔は手作りで、今は焼くだけのやつを買ってくるけどチーズを乗せたいから、チーズがクソ高くなって食べられなくなった。ハンバーグだけのためにケチャップを買うのもねえ。
バージョン1、主体性をもって週4でヒレステーキを出してくる妻
https://anond.hatelabo.jp/20240715162127
これだと対称性がイマイチな気がしたので、「主体性をもって週4ヒレステーキを却下する妻」バージョンを作ってみたお
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夫が食べたいと言うからだ
近所の肉屋で買ってきたちょっと良い肉でとても美味しいけど、段々嫌になってきた
決して飽きたというわけではない。しかし何かしらの違和感を感じるのだ。
今の日本の社会通念に照らし合わせても、何か普通ではないと感じる。
いや、社会通念とか「普通」とか、そんな定義が難しいもののことはどうでも良い。
ただ私がこれまで生きてきた中で培った価値観にそぐわないのだ。
私がこれまで日本で生きてきた中では、食事はバランスが大事との情報が大半であり、私はそれを内面化してきた。
また昨今では、科学的に証明された食事として地中海式が推奨されていて、そこでは赤身肉の摂取は少量が好ましいとされている。
ただこれも絶対的なものではない。昔のイヌイットは野菜を食べず、ほとんど生肉だけの食生活を送っていたらしい。なのでどのような食事が最適かは環境や条件に依存するものであり、絶対的なものではない。先の地中海式にしたって、アジア人に当てはめた場合は若干異なる可能性もある。この先地球の気候変動が更に進み、テクノロジーも今と異なり、私たちはまったく異なった住環境に生きているかもしれない。そうなった場合、地中海式ではない〇〇式が最適とされる世界になっているかもしれない。
そうなのだ。すべては相対的で、突き詰めれば突き詰めるほど、普通も絶対もないのだ。
またこの地中海式云々に関しても、健康に焦点をあてた場合の話であって、味やその他の事柄に価値を置いた場合、話は異なってくる。夫においては味やそのときの気分が優先されるのであろうし、腸内環境が昔のイヌイットと同じという可能性も排除できない。
一方私においては、味も健康も総合し「週4でヘレステーキは何かがおかしい」という感覚値が出力されているように思う。
ともあれ私は、私が感じる違和感、あるいは感覚値において、「週4でヘレステーキはありえない」と結論づけ、それを握りしめて夫と交渉にあたるしかないのである。
しかし夫の決めた献立に私が口を挟むと「もういい、もういい」という感じでまともに取り合ってくれずに怒る。
「もういい」の中身はまったくもって不明だ。「もういい」に具体性は1ミリもない。
私は先のように、「週4ヘレステーキ」への違和感という感覚的なものを、最大限言語化する努力をした。食事という夫婦の共同作業にあたって、夫側も同じ努力をするべきではなかろうか。
しかしここにおいても個人の自由がある。何に価値をおき、何を優先し、何を選択するかは自由である。「もういい、もういい」と言語化を放棄し感情的になる自由を(共に生活する身としては不快は拭えないが)、私は彼から奪わずにいようと思う。
そのかわり私にもふわふわした言葉で、匿名掲示板に週4ヘレステーキへの違和感の理由を明確に言語化することなく垂れ流す自由くらいはあるであろうし、それを読んだ誰かが不快になる自由もあるであろう。
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USJに先を越される前に蜜月関係にあるレゴ側がマイクラをアトラクションにしてくれないかな
もはや小学生人気・知名度はマリオ<マイクラになってるし小学生は殺到すると思うけどな
入り口は草原バイオームでそこから洞窟探検エリア(廃坑あり)、ブランチマイニングダイヤ探索、古代都市(音を立てると退場)
紫色のゲートをくぐるとネザーになっててマグマ池一本橋渡り、ピグリン要塞での金ブロック集め、ネザー要塞でスケルトンから逃げるアトラクション
最後に黒いゲートに飛び込んでエンドに行ってエンドラ討伐、エリトラ体験(VR)
レストランでは牛肉ステーキとベイクドポテトにパンのセット、金ニンジンと金リンゴも食べられて、牛のドリンクバーから牛乳飲める
うんうん、御託並べてるけど「自分の同類が攻撃されてて自分が攻撃されたと感じて辛かった」んだよね
それを延々正当化する言葉を並べて責任を取らない形にしたかったんだよね
わかるようんうん
頭ポンポンしてあげるよ
元増田の言い方がモヤモヤしていて、無責任な感じにイラッとくる、という気持ちはわからないでもないが、この増田の方がはるかに攻撃的な印象を受けるし不快だ。
元増田は夫との暮らしに基本的には満足していて仲も良く、ステーキを食べるのも自分にご馳走したい気持ちがあるのかもしれない、感謝もしている、と明言している。だけれども週4ステーキはちょっとやり過ぎではないか?というフワッとした気持ち、不安を綴ってみたに過ぎない。
あるいは「普通は週4もステーキを食べない」といった「普通」の押し付けに反感を覚えたのかもしれない(別に元増田は「普通」を強く主張しているわけではなく、自分の気持ちをなんとか表現しようとしているだけだと思うが)。
確かに世の中には、言及対象を一義的に明確化し、明瞭な論旨と責任をもって語ることが期待・要求される分野というのはある。医療や軍事などは最たるものだろうが、もう少し広く取ってビジネスや科学の領域でも、言いたいことが明瞭で誰にでもわかるとか、責任の所在がはっきりしているとかは、少なくとも好ましいことで、場合によっては強く求められると思う。
しかしこれらを全部合わせたとしても、人類史的に積み上げられてきた広く複雑で豊穣な生活の極々一部に過ぎず、圧倒的大部分の人間的(動物的)コミュニケーションは井戸端会議とか時候の挨拶とか全然内容のない雑談とか芸能人の噂とか家庭の愚痴とか、フワフワして何も生み出さないものでできている。そちらの方が元々の土台で、科学・軍事・医療的な厳格さなどポッと出で出てきた上澄みの部分に過ぎない。
この上澄みの部分が現代生活の中でそれなりに重要な位置を占めており、だからこそ教育で叩き込まれるのは間違いないし、決してどうでもいいなどと言うつもりはないが、逆に言えば教育で頑張らないと身につかない「不自然」な能力だと割り切った方がよい。
そして遥かにアホでフワフワしたコミュニケーションの方で何千年何万年と人類はやってきたのだから、一見して理不尽で不合理に見たとしても、それはそれで結構「うまくいく」のだと受け取るべきではないか。フワフワしている方がずっと「枯れた」技術だ。
人(動物)の生活の多くはなんとも不合理で言語化しにくいモヤモヤとしたものでできていて、それを明晰判明な言葉だけで切り出そうとすると、豊穣な大部分を無情に切り捨て単調化してしまうことにもなる。
元増田には夫への感謝や今の生活への満足がありつつ、「でも…」といううまく言えない部分があり、矛盾と知りながらそれをうまく言葉にできないか、表現できないか、奮闘している。うまく言葉にできているかと言えば、あまりできていないと思うが、重要なのは言葉にできてしまうことではなく、しようとしてもがくことだ。なぜなら端的に言いきれてしまったら、その瞬間に肝心のモヤモヤした大部分ははじめからなかったかのように捨てられてしまうからで、言葉というのは「射当てる」ことより「その周りを回る」ことに重要性がある。
ズバリ一言で言えてしまうような簡単なことなら、わざわざ文章にしてダラダラ語る必要などない。何なら記号や数式で表した方が合理的だし、実際、どんどんそうやってスリム化している領域だってある。
しかし、何度も同じことを繰り返して恐縮だが、人の生の圧倒的大部分はそんなにスパッと言えないことで、多くの(おそらく増田ほど頭の良くない)人々がスパッと言わない暮らしを何千年も続けているのは、それはそれで大局的には一つの合理があり、恒常性があるからだと思う。
そうした風習(のようなもの)に気に食わないものがあったとしても、「人間のクズ」などと強い言葉で人を非難するのはどうなのか。
不快な点、納得のいかない点があったとしても、増田は元増田を個人的に攻撃したわけではないのだから、読むのをやめて放っておけば済む話で、さらに譲って何か一言言うにしても(もちろん言ってもよい)、言葉を選ぶということができないのだろうか。こんな言い方しかできないのだとしたら、増田の方が元増田よりかなり深刻にコミュニケーション能力が欠けているように見える。もし能力に不足がないのだとしたら、事態はより深刻で、人間性として攻撃的で危険な人物だということになりはしないか。
元増田の言い方がモヤモヤしていて、無責任な感じにイラッとくる、という気持ちはわからないでもないが、この増田の方がはるかに攻撃的な印象を受けるし不快だ。
元増田は夫との暮らしに基本的には満足していて仲も良く、ステーキを食べるのも自分にご馳走したい気持ちがあるのかもしれない、感謝もしている、と明言している。だけれども週4ステーキはちょっとやり過ぎではないか?というフワッとした気持ち、不安を綴ってみたに過ぎない。
あるいは「普通は週4もステーキを食べない」といった「普通」の押し付けに反感を覚えたのかもしれない(別に元増田は「普通」を強く主張しているわけではなく、自分の気持ちをなんとか表現しようとしているだけだと思うが)。
確かに世の中には、言及対象を一義的に明確化し、明瞭な論旨と責任をもって語ることが期待・要求される分野というのはある。医療や軍事などは最たるものだろうが、もう少し広く取ってビジネスや科学の領域でも、言いたいことが明瞭で誰にでもわかるとか、責任の所在がはっきりしているとかは、少なくとも好ましいことで、場合によっては強く求められると思う。
しかしこれらを全部合わせたとしても、人類史的に積み上げられてきた広く複雑で豊穣な生活の極々一部に過ぎず、圧倒的大部分の人間的(動物的)コミュニケーションは井戸端会議とか時候の挨拶とか全然内容のない雑談とか芸能人の噂とか家庭の愚痴とか、フワフワして何も生み出さないものでできている。そちらの方が元々の土台で、科学・軍事・医療的な厳格さなどポッと出で出てきた上澄みの部分に過ぎない。
この上澄みの部分が現代生活の中でそれなりに重要な位置を占めており、だからこそ教育で叩き込まれるのは間違いないし、決してどうでもいいなどと言うつもりはないが、逆に言えば教育で頑張らないと身につかない「不自然」な能力だと割り切った方がよい。
そして遥かにアホでフワフワしたコミュニケーションの方で何千年何万年と人類はやってきたのだから、一見して理不尽で不合理に見たとしても、それはそれで結構「うまくいく」のだと受け取るべきではないか。フワフワしている方がずっと「枯れた」技術だ。
人(動物)の生活の多くはなんとも不合理で言語化しにくいモヤモヤとしたものでできていて、それを明晰判明な言葉だけで切り出そうとすると、豊穣な大部分を無情に切り捨て単調化してしまうことにもなる。
元増田には夫への感謝や今の生活への満足がありつつ、「でも…」といううまく言えない部分があり、矛盾と知りながらそれをうまく言葉にできないか、表現できないか、奮闘している。うまく言葉にできているかと言えば、あまりできていないと思うが、重要なのは言葉にできてしまうことではなく、しようとしてもがくことだ。なぜなら端的に言いきれてしまったら、その瞬間に肝心のモヤモヤした大部分ははじめからなかったかのように捨てられてしまうからで、言葉というのは「射当てる」ことより「その周りを回る」ことに重要性がある。
ズバリ一言で言えてしまうような簡単なことなら、わざわざ文章にしてダラダラ語る必要などない。何なら記号や数式で表した方が合理的だし、実際、どんどんそうやってスリム化している領域だってある。
しかし、何度も同じことを繰り返して恐縮だが、人の生の圧倒的大部分はそんなにスパッと言えないことで、多くの(おそらく増田ほど頭の良くない)人々がスパッと言わない暮らしを何千年も続けているのは、それはそれで大局的には一つの合理があり、恒常性があるからだと思う。
そうした風習(のようなもの)に気に食わないものがあったとしても、「人間のクズ」などと強い言葉で人を非難するのはどうなのか。
不快な点、納得のいかない点があったとしても、増田は元増田を個人的に攻撃したわけではないのだから、読むのをやめて放っておけば済む話で、さらに譲って何か一言言うにしても(もちろん言ってもよい)、言葉を選ぶということができないのだろうか。こんな言い方しかできないのだとしたら、増田の方が元増田よりかなり深刻にコミュニケーション能力が欠けているように見える。もし能力に不足がないのだとしたら、事態はより深刻で、人間性として攻撃的で危険な人物だということになりはしないか。
元増田の言い方がモヤモヤしていて、無責任な感じにイラッとくる、という気持ちはわからないでもないが、この増田の方がはるかに攻撃的な印象を受けるし不快だ。
元増田は夫との暮らしに基本的には満足していて仲も良く、ステーキを食べるのも自分にご馳走したい気持ちがあるのかもしれない、感謝もしている、と明言している。だけれども週4ステーキはちょっとやり過ぎではないか?というフワッとした気持ち、不安を綴ってみたに過ぎない。
あるいは「普通は週4もステーキを食べない」といった「普通」の押し付けに反感を覚えたのかもしれない(別に元増田は「普通」を強く主張しているわけではなく、自分の気持ちをなんとか表現しようとしているだけだと思うが)。
確かに世の中には、言及対象を一義的に明確化し、明瞭な論旨と責任をもって語ることが期待・要求される分野というのはある。医療や軍事などは最たるものだろうが、もう少し広く取ってビジネスや科学の領域でも、言いたいことが明瞭で誰にでもわかるとか、責任の所在がはっきりしているとかは、少なくとも好ましいことで、場合によっては強く求められると思う。
しかしこれらを全部合わせたとしても、人類史的に積み上げられてきた広く複雑で豊穣な生活の極々一部に過ぎず、圧倒的大部分の人間的(動物的)コミュニケーションは井戸端会議とか時候の挨拶とか全然内容のない雑談とか芸能人の噂とか家庭の愚痴とか、フワフワして何も生み出さないものでできている。そちらの方が元々の土台で、科学・軍事・医療的な厳格さなどポッと出で出てきた上澄みの部分に過ぎない。
この上澄みの部分が現代生活の中でそれなりに重要な位置を占めており、だからこそ教育で叩き込まれるのは間違いないし、決してどうでもいいなどと言うつもりはないが、逆に言えば教育で頑張らないと身につかない「不自然」な能力だと割り切った方がよい。
そして遥かにアホでフワフワしたコミュニケーションの方で何千年何万年と人類はやってきたのだから、一見して理不尽で不合理に見たとしても、それはそれで結構「うまくいく」のだと受け取るべきではないか。フワフワしている方がずっと「枯れた」技術だ。
人(動物)の生活の多くはなんとも不合理で言語化しにくいモヤモヤとしたものでできていて、それを明晰判明な言葉だけで切り出そうとすると、豊穣な大部分を無情に切り捨て単調化してしまうことにもなる。
元増田には夫への感謝や今の生活への満足がありつつ、「でも…」といううまく言えない部分があり、矛盾と知りながらそれをうまく言葉にできないか、表現できないか、奮闘している。うまく言葉にできているかと言えば、あまりできていないと思うが、重要なのは言葉にできてしまうことではなく、しようとしてもがくことだ。なぜなら端的に言いきれてしまったら、その瞬間に肝心のモヤモヤした大部分ははじめからなかったかのように捨てられてしまうからで、言葉というのは「射当てる」ことより「その周りを回る」ことに重要性がある。
ズバリ一言で言えてしまうような簡単なことなら、わざわざ文章にしてダラダラ語る必要などない。何なら記号や数式で表した方が合理的だし、実際、どんどんそうやってスリム化している領域だってある。
しかし、何度も同じことを繰り返して恐縮だが、人の生の圧倒的大部分はそんなにスパッと言えないことで、多くの(おそらく増田ほど頭の良くない)人々がスパッと言わない暮らしを何千年も続けているのは、それはそれで大局的には一つの合理があり、恒常性があるからだと思う。
そうした風習(のようなもの)に気に食わないものがあったとしても、「人間のクズ」などと強い言葉で人を非難するのはどうなのか。
不快な点、納得のいかない点があったとしても、増田は元増田を個人的に攻撃したわけではないのだから、読むのをやめて放っておけば済む話で、さらに譲って何か一言言うにしても(もちろん言ってもよい)、言葉を選ぶということができないのだろうか。こんな言い方しかできないのだとしたら、増田の方が元増田よりかなり深刻にコミュニケーション能力が欠けているように見える。もし能力に不足がないのだとしたら、事態はより深刻で、人間性として攻撃的で危険な人物だということになりはしないか。
知り合いのパワフル爺さん、苦労続きの人生で晩年ようやく芽が出てお金持ちになり、15歳差くらいの凄い美人な米国人妻と美男美女の子宝に恵まれ毎日ステーキ食うとる。肌艶よくて聞いたら「とにかく老人は肉を食べろ!」ってさ。
そんな爺さんが「俺は女だったらまず老い先短い年寄りの金持ちと結婚して楽な生活して遺産がっぽりもらって、次は若いイケメンと結婚する。それが一番得策だ。」って言ってた。
まぁ週4ステーキなんてどう考えても体に悪いやろ。