はてなキーワード: 特効薬とは
半ゾンビ化した彼氏のもとに特効薬を持って駆けつけたらゾンビ女と浮気している現場を目撃して怒りに震えるアラサー女子向けきれいめ冬カジュアルコーデ【着回しDiary】
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昨日急いで彼の家に行こうとすると「今日は用事が…」と言われた理由がコレかぁ!ベルト¥23,100[参考価格](アトリエ アンボワーズ/アマン)バッグ¥165,000(ボナベンチュラ)パンプス¥17,050(ダイアナ/ダイアナ 銀座本店)イヤリング¥6,820〈イットアトリエ〉ネックレス¥14,850〈エイチ アッシュ〉(ともにフォーティーン ショールーム)
[タツノリ]シャツブルゾン¥63,800(デザインワークス/デザインワークス 銀座店)Tシャツ¥9,350(レミ レリーフ/ユナイト ナイン)パンツ¥19,800(アウール/アウール阪急メンズ大阪)その他/すべて私物
今月の主人公は…
マユ
ブラック企業勤務(30歳)。どんなに辛い仕事も持ち前の超ポジティブ思考で乗り越えてきたものの、残業続きの毎日はさすがに限界…。そんな中プライベートでも、彼氏・タツノリ(製薬会社勤務・イケメン)の浮気が発覚。ただ長年付き合ってきた情もあって、別れられず…。好きな言葉は「逆境の時の友が真の友」「睡眠」「激辛」。
世襲を防ぐための側面が強いんだよ。
若いうちから選挙に出れる状態の人、つまり3バンがいきなり備わっているのは世襲だけ。
天才若手社長として結果を出している人でも、選挙権を持つ中心年齢層から支持を得れるかというと難しい。
中高年は現状維持バイアスが強いので世襲に投票したがる傾向が強いので、若年対決で世襲と戦ったらまず勝てない。
逆に世襲の場合は親からの引き継ぎや世代交代アピールをすることによって中高年の現状維持バイアスを引き出し、若い内から当選を狙っていけるようになる。
若くして当選してしまえばそのあとは本人そのものが現状維持バイアスをくすぐれるようになるのでドンドン在籍年数を稼げる。
そして在籍年数を稼ぐほどに現状維持バイアスの強い中高年から支持されやすくなっていく。
世襲じゃない人間がある程度のカードを揃えてから戦う頃には、同じ年齢の世襲はとっくに十年二十年と居座ってきた安定感のあるベテランという扱いになってしまう。
これを少しでも軽減するためには、被選挙権のスタートを遅らせるのが一番の特効薬になる。
世襲の相続式スタートダッシュを防止して、非世襲の議員が準備をし終わるまでの間縛り付けておく事ができるからだ。
被選挙権の年齢制限がそももそも間違っているから取っ払えという意見は、一見平等な社会を推し進めるように見えて、実際にはより格差の強い社会を作り上げることになる。
この手の政策が今まで何度かあったとおもうけど、1円たりとも貰ったことはない半端な年収の健全な労働者ですこんにちは。
最近のニュースってこういう話題が多いけど現役世代とそれ以外の隔絶を煽っているようにしか思えない。わざとやってんのか?
非課税世帯って食うにも困るようなろくでなしの甲斐性無し連中ってことでしょ?生きてるだけで我々現役世代に迷惑をかける連中のために我々の社会保険料が使われると思うとムカつきすぎてどうにかなってしまいそう。
毎月の支給額からとてつもない控除額を引かれて支給される給料。悲しくなりますよほんと。
別の話題だとアルツハイマー用の薬が保険適用されるとかなんとか。しかも特効薬じゃなくて進行を遅らせるってやつ。
は~~~~~~????だれがその保険料払うと思ってんの?????もちろん現役世代です。殺すぞ。
飲ませるべきはアルツハイマー用の薬じゃねーだろ。楽に死なせてやれる薬でも処方してやれや。自分の面倒すら見れなくなったらそれはもう寿命だよ。
高校生の扶養控除を減額とか大学学費支援(ただし到底適用させたくない気持ちが漏れ出している悪意に満ちたルールあり)とか、なにかを拡充するためにじゃあ増税ね!っていうのはどう考えてもおかしいって。
予算の枠組みが決まってんだから何かを増やしたければ何かを削れよ。医療費とかさぁ!国民皆保険制度なんてやめちまえクソ野郎。
国民に平等に公平にっていうなら保険料負担率が偏ってるのはおかしいだろ。納税額が今の年金受給者が払ってきた額より遥かに高いのはおかしいだろ。シルバー割だとかいって何もかも優遇されているのはおかしいだろ。
サービスを受けたければ相応の金を払って然るべきだし、金が無いならサービスは受けられない。これ社会のルールちゃいますの?
老人は家の隅っこで大人しく茶でもすすって終活と遺言書でも綴って死ぬまでのカウントダウンでもやってろ。
なんで俺が!見ず知らずのクソ老害どものために!必死で働いた金を取られてしまうのか!
金が無いから我慢、という我々の傍らで楽しそうに遊びに行くクソ老害どもに殺意しか湧かない。
ブレーキ踏み間違いで老人同士が事故を起こすと嬉しくてしょうがない。ウジ虫が死んだぐらいしか思わない。
逆に、クソ老害どもが原因で現役世代および学生、児童を巻き込んだというニュースが流れるたびに殺意が湧く。どこまで苦しめれば気が済むんだ?
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文章が変と検索すると、読点が多すぎとか、そういうをそうゆうと書くみたいなタイプに対して変と言ってる知恵袋の質問が出てくるが、これらは変な文章の本質を突いてない思う。
それか他の分野ならともかく、redditでたまに単発で気まぐれに誰かが支援絵が流すようなパターンを抜きにして、ここに書き込まれたことがあるようなehen獣等以外でこれらにアップされてない作品があってしかも品揃えも豊富ってところはもう残ってないのかな?
下は推敲後
それか他の分野ならともかく海賊版エロ漫画界隈は開拓されつくされてるのかね?
redditでたまに単発で気まぐれに誰かが支援絵が流すようなパターンを抜きにして、ここに書き込まれたことがあるようなehen獣等以外でこれらにアップされてない作品があってしかも品揃えも豊富ってところはもう残ってないのかな?
実際はまだましになったという程度かもしれないがとにかく上の方はひどいと思う。文の流れになんとも言えないおかしさがある。
これは匿名掲示板に書き込んだ文章なのだが、下の方がまだ掲示板の空間になじむものになっていると思う。上は完全にもろ発達障害こじらせてる感じ。
ようするにネット検索でトップに出てくる例は単なる知識不足が意図的にファッション感覚でそういう「書き方」をしてるだけで、書き手本人が悩む対象という意味での変さじゃないのよ。
そうじゃなくてどうしたって不自然ななんかすわりの悪い文章になってしまう、本人は泣くほど大真面目に推敲してるのにってのが一定数あるわけで世間はそちらに注目するべきだ。
情報を文章の組み立てに最適化される形で整理する力、適切な構文の取捨選択みたいな力が絶対的に低いんだよね。そしてそれは一朝一夕で磨かれるものでもなければ努力で才能優位な側面があるので埋め合わせできるものとも限らない(単に文法的におかしいとかならいくらでも参考書があるけど、この手の変さは体系的かつチャート式で推敲できるようにするような特効薬的な事例集、参考書が皆無)。
(義理父母含む)家族が4人インフルにかかり母屋と離れの食事洗濯掃除高熱の子どもの夜中の付き添い嘔吐処理布団干し食べられる物飲み物の買い出し等をしていたら、自分に症状が出始めたのが遅い上に高熱にもならず身体はポカポカとあたたかい程度(37度台)頭痛(あ、痛いなー程度)関節痛(なんかコチョコチョするくすぐったい)鼻水、咳、くしゃみ、喉の痛み(まああるけどあるな、くらいの感じ)という全体的に薄味の症状で、明らかにもう先週から4人の世話をしていたから48時間は経過しているし特効薬は効かないだろうし。とはいえインフルだろうから仕事にも行けないし(特効薬出ないだろうに満員の病院に行っても…と思って全員病院につれていって特効薬飲ませて高熱が寛解した段階で自分は漢方飲んで寝ている)困ったなあ
そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たちは私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?
このような問いは、歴史を通じて真剣な思想家や活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:
意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等の起源についての本ではないのか」と。
この本の中心的な主張のひとつは、不平等、ヒエラルキー、暴力は、あらゆる人間社会を組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等は空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。
これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類の祖先や初期の人類が平等であることによって見出した適応、つまり生態学的ニッチについて説明する新しい注目すべき学問を無視している。つまり、かつて人類は平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的な無政府主義者やマルクス主義者の見解も無視しているのだ。
保守派の主張は、農耕や都市生活、経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論に抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。
彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家に支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義、奴隷制、階級差別、人種差別、性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。
グレーバーとウェングローが主張する政治的論点は、太古の昔から、人は常に支配と自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。
彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである。
この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会を運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。
グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会が存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーとホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。
さらに重要なのは、19世紀の社会ダーウィニズムや、より最近のスターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンド、ナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学の現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要な対象であり、私たちはその両方を共有している。
社会ダーウィニズムと歴史の段階説。ハーバート・スペンサーとルイス・ヘンリー・モーガンの19世紀の社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初の人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会の夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的・知的進歩のシグナルであると理解されている。
しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代の人種差別主義や新植民地主義を支え続けている。
左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論の解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。
そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスとエンゲルスの仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論的説明も暗黙のうちに否定しているのだ。
これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族の起源 私有財産と国家』において最も顕著である。エンゲルスはそこで、人間は平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。
しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーとモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。
「アーリア人とセム系民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富に供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコのプエブロ・インディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。
エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。
フランツ・ボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論を破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたかも自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツ・ボアスは、太平洋北西海岸のクワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。
フランツ・ボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年にヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命の指導者の一人であったソフィー・メイヤーの息子である。1851年までに、彼女の読書グループはマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。
ボースは人類学者になった。カナダではバフィン島のイヌイット族やバンクーバー島のクワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークのコロンビア大学の教授となった[2]。
1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造的であると主張した。1913年当時、ボースは母親の政治を否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民の党派として、人種差別を憎んでいた。
ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクト、マーガレット・ミード、ゾラ・ニール・ハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類の文化の進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。
しかし、私たちはもはや1913年の時代ではない。1982年、エリック・ウルフの皮肉なタイトルの『ヨーロッパと歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史を真摯に受け止める人類学の波を起こした。
人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進、先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗と宗教、伝統と現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しかし悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民の大量虐殺、アフリカの奴隷貿易、白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争を正当化するために展開され続けている。
人類学者や考古学者たちは、現在、人類の不平等の起源について、まったく妥当な説明を構築している。ケント・フラナリー、ジョイス・マーカス、ジェームズ・C・スコットがその中心人物である。
残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類の進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究を無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類の比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会は存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろ愚かにしてしまうことである。
グレーバーとウェングローは、かつて人類が狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境や人間存在の物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会が必然的に平等であったことを否定している。
彼らの主張の第一歩は、人類の進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。
過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類や霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代の狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。
化学的微量分析、DNAサンプリング、放射性炭素年代測定、質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちのヒーローの中には、読み応えのあるクリストファー・ボーム、フランズ・デ・ワール、R・ブライアン・ファーガソン、サラ・フルディ、マーティン・ジョーンズ、ローラ・ライヴァルの広範な出版物がある。
このような研究は、人類の進化と人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たちは平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察である。しかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である。
現在、さまざまな類人猿やサルを対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定の環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係、子育て、攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類の進化を理解するための私たちの方法でもある。
時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類の祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。
・校長は労働の対価を相場の3倍女の子にブローカーに内緒で払ってた
・校長は女の子の性病のために特効薬を多数揃えて女の子に渡し、次に来た時には薬を渡した女の子指名して横流ししてたら叱ってた
・校長は女の子の水揚げ担当者としてブローカーからは信頼されていた
・校長は1万2千人もの女の子と関係を持っても誰一人として被害届が出なくて警察が頭を抱えた
・校長は冊子で「政府の援助は中間搾取のため、末端には行き渡らない。直接末端に金をばら撒くべき」と主張していた
・校長はいつか姉ちゃんの為に学校を作りたいと、ブローカーに相談していた
・校長は「抱かなきゃ失礼」と言って70歳の売春婦も抱いてきっちり10代の姉ちゃんと同じ金を払ってた
・校長は写真やビデオに嫌がる子には決して写真やビデオを回さなかった
胃どころか口に入れた瞬間、なんか違う!って喉の違和感があるんだよな...何に反応してるんだ。
マタニティサプリに亜鉛、ビタミンB6、生姜摂取毎日奨励したがまあ本当にダメだった。ところてん吐いた時は絶望した。あと8週から辛すぎて妊娠中断が何度も頭をよぎった。
とりあえず5週〜15週の記録。
☆いけそうだが全くダメだった
・真水、ミネラルウォーター
・牛乳単体
・豆乳
・麦茶
・オレンジジュース単体
・豆腐
・うどん
・そば
・お粥
・塊肉全て(鶏胸肉など低脂質のものも)
・白菜
・海苔
・ふりかけ
・煎餅
・生のりんご
☆安定していけた
※吐く時は吐く
・ところてん(辛子抜き)
・ひき肉(豚、鶏)
ゴミ捨てに階段を降りるだけで、なんなら立位をとるだけで吐いた日々よ。24時間終わることのない船酔い二日酔いの日々よ。
ようやく最近縛りが減ってきた。毎日激務帰りに買い物してきてくれた夫本当にありがとう。一生感謝します。つわりの完璧なメカニズム解明を期待します!一刻も早く特効薬できてくれ
「人類はコロナを乗り越えた」みたいな雰囲気あるけど、コロナ関係の救急出動も未だにチラホラあります。
「発熱・頭痛、コロナ陽性の診断あり」などといった内容の通報が年齢・性別問わず頻発していますが、救急隊として出動する際にいつも思うのが、
「なんで陽性ってわかってて救急車呼ぶの?」
です。
検査してコロナ陽性ってわかって解熱剤もらって家帰ったのに、なんで救急車でまた病院行くの?
病院なら特効薬でコロナを一瞬で治してくれると思ってる?そしたらこんなにコロナ禍が長引いてないよね。
辛いから仕方ない?病院もできることないから余計な医療費払って帰らされるだけだよ。
もう3年もコロナの症状やら医療体制やらテレビやネットでさんざん見てきたはずなのに、それでも救急車を呼ぶ人は多い。
自分の車で行ったほうが早いよ。診てもらえるかはわかんないけど。
自分もコロナ患者からコロナに感染したから、辛いのはよくわかってる。けど薬飲んで寝て治すしかないのよホントに。
命の危機が迫ってる人のもとへ行くのが遅れることが一番つらい。
薬飲んで寝てても治らない人たちのために、救急車の適正利用にご協力願いたいです。
https://anond.hatelabo.jp/20230721113322
これもまた正解じゃないから書く
これ みんな疑ってないけどさ、まずこのカロリーというのは便宜上の目安として算出されたもので、実際にそれが人体で代謝されてエネルギーになる量を正確に反映した数値ではない。
炭水化物とタンパク質と脂質それぞれに含まれるであろう熱量をあらかじめ決めてその合計を計算しただけの数字でしかない。
消費カロリーのほうも、仮にいろいろな生活活動強度に応じて「メッツ値」とかいうやつを決めたり、目安となる基礎代謝を決めたりで便宜上算出されてるだけで、その通りにエネルギーが使われるわけではない。
実際に、食べる量を減らすと体は省エネモードになって使われるエネルギーは減るし、逆にドカ食いした場合十分に消化されないうちに排出されてしまったり、飲み食いしたものを消化するだけでもエネルギーは使われるから、差し引きの計算は数字通りにはいかない。
余分な熱量を摂らないというのは「太らない」ためには大事だけれど、「痩せる」には直結しないんだよ。
ダイエット業界ってそこについて漠然としたことしか言わない。「脂肪を燃やす」だのなんだのいうけど、人体の中で脂肪組織だけを選択的に代謝して排出するような仕組みはないじゃん。(脂肪吸引手術とかクールスカルプティングみたいな外科的手法は別として)
何にしても 「もともと体に蓄えられてるグリコーゲンをエネルギーとして使い切り、不足したエネルギーを作るために体組織を分解する」 これが唯一の脂肪を減らす経路である以上、脂肪と同時に筋肉が減ることは避けられない。
エネルギーが不足すると筋肉が分解されるっていうけど、それを避けると脂肪は分解されないし、筋肉のためにタンパク質を摂ってもそれが余剰であれば結局は中性脂肪になって体に蓄えられる。
メディカルダイエットとかいうやつも、なんか脂肪の代謝を上げる特効薬があるわけではなく 「食欲を抑える」か「糖質・脂質を吸収させなくする」かだから、結局は食事制限。
エネルギーを不足させて、体の組織を分解させることだけを考える。分解されるのが脂肪か筋肉かなんてコントロールできないから考えても無駄。筋肉は後からつければいい。
食事制限と筋肉つけるってこと自体が本当は矛盾する。このバランスを必死でやれるボディビルダーはすごいけど、これはすでに体の土台ができてる人だからできるのであり、デブのダイエット法とは違う。
日本にはそこまでガチで脂肪減らさないといけないデブがそんなにいない。
腹だけ出たオッサンの場合、内臓脂肪はちょっとの糖質制限でわりとすぐ改善する。(そもそも糖質をとり過ぎてることが多い)脂肪がちょっと落ちたら筋肉が浮き出て見栄えもするようになる。
「ダイエットしたーい」っていってる女子もたいていは標準体重だし、脂肪がそんなに過剰にあるわけではない。
動画見ながら筋トレやストレッチをして、やっぱり糖質ををちょっと控えるぐらいで水分が抜けて2ー3kgぐらいは減る。ストレッチで前肩や反り腰を矯正するだけで見た目の「浮き輪肉」は消えたりする。
これが痩せる動画の正体だし、世界的にも肥満者が少ない日本におけるマジョリティの最適解はそういうダイエットごっこなんだろうと思う。
デブ向けメソッドに従ってまじめに食事制限したらかえって危険。
実は本格的な減量ってそこまで必要とされてないし、それが必要な人にとっての減量はマッチョが偉そうに語れるジャンルではない。
そんなセックスしたくないよ
勿論人によるだろうけど、年取ったり疲れてたりして体力ないと全然だよ。寝たい。それか他の事のが楽しい、変に男とか女とか意識しなくて済むし、らしさとかリードとかテクとか、求められる事自体もう面倒くさい
あのレス解消増田に余りにも賞賛集まってて違和感ありまくり。セックスに夢見すぎなんだよ
2人の間で納得できる家事育児収入分担できる方が全然ありがたい。その辺偏らせておいて、相手が疲れてるのに「やりたい」とか無理だよ
安心できる家庭を営みたいから結婚したのであって、そこに必ずしも性行為は必須じゃない。それをいつまでも求められるのは正直キツい。離婚したいならしてもいい。その位、これ以上何か求められたくないほど疲れてるし、現状で手いっぱい。