はてなキーワード: 小間使いとは
劇団内部の人間ではないものの、その近くで数年携わり、生活も精神も壊した身として、心当たりが多すぎる。
便乗ファンによる創作だと思ったら、どうか読んだら忘れてほしい。
固有名詞や用語の意味が分からない人は、そのまま一生分からずにいてほしい。
でも、どこかに、仲間がいると思うから。自分以外にも壊れた人がいるはずだから。
まとまりもないほどの書きなぐりになるだろうけど、腹を決めた今、匿名で言わせてほしい。
もう無視できないところまで来ていると、心当たりのある各位に気付いてほしい。
該当劇団には、公式ファンクラブ以外にもジェンヌ個人の私設ファンクラブ(以下「会」と呼ぶ)があることは有名だと思う。
いわゆる代表やお付きと呼ばれるマネージャー的責任者と、スタッフやお手伝いといわれる他数名の小間使いが組織を運営している。
自分は新人公演にも出演し、何度か主演も演じた人気ジェンヌの会運営スタッフを数年担当した。
明確な時期や個人名の明言は避けるが、当ジェンヌは現役在団中とだけ書き記しておく。
毎朝晩の入出待ち立ち会いからお茶会などイベント企画・運営、チケットの取次配席およびグッズ作成など...
会所属経験のあるファンなら思いつくであろう業務、全部に携わった。会員数百人に対し、片手以下のスタッフで。
無給は当たり前、経費も持ち出し、24時間365日ジェンヌや関係者の呼び出しに応えながら平日フルタイム会社員。
睡眠時間も金も体力も心の余裕も何もかもなくなった。倒れて運ばれ、スタッフを辞めた。
・入出立ち会い
よく日比谷の劇場前で見るようなスクワットでジェンヌのお迎え・お見送り。あれをやる時に暴走するファンが出ないか見張ったり、一般人のクレームに頭を下げたりする。
毎朝7時前後、早いときは6時前に毎朝集合場所で立ち合いをして会社へ出勤。ジェンヌから翌朝の入り時刻連絡が来るのは平均深夜1-2時。
それを待ってファンクラブ会員へ見送り場所への集合時刻を配信、他ファンクラブ運営へ報告したりするので自分が寝られるのは3時を回るのもザラ。
毎日5時前には起床、始発の電車に飛び乗り現着から動き回ってフルタイム勤務で夜にはまた出待ちに立ち会う日々。
大体毎日何かしらの細かすぎる指導が上級生会から入り、寝不足により回らない頭で必死の謝罪文をしたためお送りしていた。しんどい。
お茶会や新人公演出待ち後のミニお礼グリーティング、季節や誕生日の入出イベントなどなどあらゆる企画・運営。
ただ企画すればいいだけでなく、上級生会に逐一お伺いを立て、実施許可を得、内容も重箱の隅を最早ぶっ壊れるまでつつかれまくる。
あらゆる方面の顔色を窺い、企画や台本が出来上がるまで気が遠くなるほどの時間と神経を要する。
それでようやく実施まで漕ぎつけたと思ったらジェンヌ本人の機嫌ひとつで全部イチからやり直しになる。
三徹で必死に準備を間に合わせたお茶会を、本人会場到着までのタクシー内で「やっぱ嫌」の一言でひっくり返されたときは殺意が芽生えた。しんどい。
・チケット取次・配席
ファンクラブ会員はジェンヌ個人の販売成績に結び付くよう、会からチケットを取り次ぐ。
が、限られた座席数、入団年数が長い上級生に多くのチケットが劇団より宛がわれる、入団から5年くらいは1公演で2席しかチケットがないこともザラ。
それでも会員はもちろん贔屓の舞台姿をたくさん見たい、当たり前だ、たくさん申し込んでくださる、だがしかし席がご用意できない。
そんな限られたチケットと大量の申込データ(自会は全部エクセルに手打ち管理)を照らし合わせ、ファンクラブへの貢献度諸々を加味し、どのお席にどなたへお座りいただくか決める。
こちらも最大限のチケット確保に奔走するものの、ご用意できなければ面と向かっての罵倒はまだ良し、掲示板に名指しで役立たずと晒される始末。
データ捌いて配席悩んで胃を痛めているところにジェンヌ本人や関係者からも配席や取次内容に文句を言われ身内用にチケットを攫われていく。しんどい。
・グッズ作成
お茶会のお土産、総見のおまけ、お茶会で販売する小物や舞台写真、お礼状、グリーティングカード、挙げればキリがないほど準備物が多い。
ジェンヌ本人にイラストや手書き文字の提供協力を頼みこむも多忙の一言で切り捨てられ、こちらでロゴなど用意すれば会員やジェンヌ本人からすらもダサいと文句を言われる。
しかも当たり前だがこれらすべて事前の商品発注で毎度結構な金額が必要とされる、が、ジェンヌの家族が会運営の経費用口座を管理していて前借も楽ではない。
結局毎回数万~場合によっては数十万円(お茶会会場費用など)も立て替える。そうじゃないと間に合わないほどすべてのスケジュールがカツカツなため。
しかも公演終わりの経費精算まで数か月待ったりする、携わっていた最後の公演では大卒初任給くらいの経費が返ってこなかった。
グッズの売り上げは全て会運営費としてジェンヌ家族が持っていくため、スタッフに一切の還元や儲けはない。公演期間中は飯が食えなかった。しんどい。
ファンクラブ会員、つまりジェンヌを愛し会活動に貢献してくださっている方々は熱量も並のものではない。そこは覚悟してスタッフ就任を引き受けた。
そのため会員から妬まれたり文句を言われたり、会の中での派閥争いや揉め事などは(楽ではなかったものの)捌くのもまあ堪えられた。
しかし何故か同じ運営という立場で苦楽を共にしている他会運営陣やジェンヌ家族・関係者対応など、これが本当に一番きつかった。
ジェンヌたちが厳しい上下級生文化に生きているというのは既報の通りだが、ほぼその文化がそのまま会運営にも持ち込まれる。
朝は上級生会スタッフより早く出動・席および場所取り・雑用使いっ走り・全ての解散前には「ご指導」というクソ細かい姑のような小言...
大劇場のチケット出し前には劇場内レストラン施設の一部(クリスタルルームでわかる人は仲間)を陣取り、謎の待機時間が発生する、もうこれが本当に耐えられなかった。
上級生会代表の飲み物をお持ちし、その時通るルートや差し出し方全てに厳格なルールがあり、数時間も使いっ走りに待機するのに作業および会話禁止という苦行。
2回公演の日ほど朝も早く夜が遅い、業務も溜まっていて限界なところにこの謎待機と小言で5-6時間は奪われる。
それもこれもすべて「上級生会の様子を見て学び、自分たちが将来は組の会全体を取り仕切れるように指導する」という、どこかで聞いたことのある理論。
劇団への、ジェンヌへの、下級生会への愛があれば全ては指導という建前のもと許される。代表は毎日きついいびりに泣いていた。本当に、本当に、しんどい。
ジェンヌでもなく、会運営の委託契約を結んだわけでもない、ただの一般人がこのザマである。
会に所属したことがある人は、多少なりこの空気感をわかっていただけると思う。あの、「私たちも御贔屓の一部」と見做されるような感じが。
全ての言動の根底には愛があり、清く正しく美しいジェンヌ像やファンダムイメージを求められていた、それにそぐわないものはすべて闇に葬られていたあの感じが。
無給でいつ何時でも労力を捧げてくれる。常に最善最良の案を考え前向きに運用してくれる。寝る暇がなくてもそれだけ携われることが幸せ。
妬み僻みも有難いご意見として真正面から受け止める。上級生会からの理不尽な指導も意味あるものとして理解・昇華する。
仕事よりも私生活よりも会運営を何よりも最優先してくれる。どんな無茶ぶりや激務も手を取り乗り越え逞しくなってくれる。
そんなことがあるわけないだろ。
平日フルタイムで8時間の仕事に会運営10時間以上を兼業し、公演期間中は1日1時間眠れたら御の字。仕事のパフォーマンスはそれはそれは最悪だった。
盆や正月の連休はもちろん全て会運営に求められ、ロクに身体を休めることも実家に帰省することも友人と会うこともかなわなかった。
急いで来いと急な呼び出しがかかり、内容も知らされないが仕事を無理言って早退し駆けつけると「明日からの公演で必要なものを近所のドラッグストアで買ってきて」という内容だった。
社会人数年目で貯蓄もさほどなかった頃に無給の会運営で全国を飛び回り、立て替えの嵐、慢性的な寝不足で眠気も止まらず、安価で血糖値の上がらないもやしやカット野菜しか食べられなかった。
周りのすべての人から「早く辞めろ」と言われ続けたが、もはや洗脳のように愛や貢献という言葉に縛られ何も自分で判断できなくなっていた。
死にたいという気持ちが募り、毎朝駅で線路に飛び込もうか悩み始めた頃、千秋楽の出待ち後に倒れ運ばれた。栄養失調だった、この現代社会で。
入院で強制的に劇団や会と離れられなければ、いずれ自ら命を絶っていたと思う。亡くなった彼女の生活円グラフは、まさに会運営に携わっていた時の私のようだった。
鬱も発症し精神的にも不安定になっていたことをやっと自覚し、ジェンヌ本人にスタッフを辞める旨申し出た。代表も鬱で会から去ったと聞き、LINEを送ったが既読がつくことはなかった。
もう一度繰り返す。ジェンヌじゃない一般人にすらこれほどまでに異常な文化がまかり通っている。劇団内部はいかほどばかりか、想像するだけで息苦しくなる。
携わっていたジェンヌ本人も、本当に寝る時間もないほど過酷な環境に身を置き、公演前夜の3時に稽古から帰るところも目撃したことがある。
会運営に携わるようになってからは度々言葉を失うような「指導」の様子を伺うようになり、いつの間にか自分は一切観劇する気力が湧かなくなっていた。
何が愛だ。何が清く正しく美しくだ。何も清くも正しくも美しくもない。ただのパワハラ過重労働異常上下関係いびりしごきいじめ。
社会的な常識が一切通用しない、異常な文化が形成され受け継がれ、異を唱えるものは全て排除され隠ぺいされてきた、ただそれだけである。
亡くなった彼女のおかれていた環境や報道の事実関係は知り得ないため、それに関しては軽率な発言はできないものの、でも、遂にこうなったかと思った。
その手前でぎりぎり退団していった人を、何人も知っていたから。
巨大企業やファンダムに抗う力を持ち合わせていないがため、ただ黙って去っていった人たちを見てきたから。
彼女の死は、自分も無関係じゃないと、毎日罪悪感に涙が止まらないから。
溢れ出る記憶も思いも止まらず、何が書きたいのか、どこまで書けそうか、もう分からなくなってしまった。
このあたりで切り上げることにする。いつか追記や修正をするかもしれないし、しないかもしれない。もうこの編集画面に戻ってこないことが最良と分かりつつ。
自分は今後二度と件の劇団に関わらないと決めているが、報道の行く末はしっかりと追おうと思う。
もう誰もこんな目に遭わない未来を願って。同じ罪悪感を抱えることがないように。誰かに手を延ばし声を上げられるように。
かけがえのないいのちを、薄っぺらい言葉で葬ることがないように。
助けてあげられなくて、ごめんなさい。
立命館大学学友会は日本最大の学生自治組織である。というよりも、勝手に日本最大になった。
早稲田大学は自治を放棄し、日本大学にはそもそも自治組織が存在しなかった。
私は学友会が進んでいるとさえ思っていた。他の大学が諦めたことを立命館は不断の努力によって続けてきたのだ。最近になって自己批判に晒されている。それがまやかしなのかという疑問が沸々と湧いてきて、組織として上手に隠して運営されていると結論に至る。
学友会と関わりが深かった先輩の言葉を思い出した。「学友会とは時代遅れの組織である」と。
なぜ多くの大学が学生自治を放棄したかは自明の理である。それが生徒会に堕落してしまったからだ。
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2014/0331.html『雑談(105)今時の学生たち(2)――大学に生徒会?,2014年3月31日』
この文献が端的でわかりやすい。大学で学位取得を目指す人間は学生なのである。決して生徒ではない。自らの力で、学生の地位向上のために動く組織が自治組織たりえるのだ。生徒会とは、学校の小間使いでしかない。近年、多くの大学が生徒会になった。私は単にナショナリズムの欠如だと思っている。大学に不満を抱いても、インターネットでそれを補完できてしまう。大学側も少子化によって学生を選抜するのではなく、お客さんとしてきてもらうためにサービスを拡充させて学生数の維持及び向上を目指している。今の学生に学生全員が一致団結して争議できる議題は何もない。かくいう立命館大学学友会も前年度、これまで一致団結のスローガンとしてきた学費争議からリタイアした。値上げ反対の姿勢を崩し、学費増額を致し方ないとした上で「未来に向けた議論をしたい」と言い切った。最後まで学費増額に反対する立場を取り続けたのは教職員組合だった。
いまの立命館大学学友会を学生組織として機能させているのは、会費の代理徴収制度である。大学の学費と同時に自治会費を徴収し、学生のみで扱える金銭を自治会に差分するものだ。他の大学は権限を放棄させられた。学生に責任を握らせることはできないと。立命館大学学友会は、代理徴収の権限をひたすらに守った。代理徴収がなくなれば学生で学生を自治する、学生自治で無くなるために、必死に制度を守った。その頃はまだ学費増額への提議、反対勢力の一翼を担う力があった。だが、大学の融和政策に堕ちた。学費増額への反対は、もはやハリボテだったから理念を変えた。その先は学園共創という大学に都合の良い存在にしかなりえない未来である。
学園祭・新歓行事、スポーツなども含む課外活動、学生間の互助活動、大学との学園共創活動、財政の公開、それら役員の選挙。
その全てを、
無給で、
取り組んでいる。
渦中の損保の元社員。ビッグモーターのような大手ではないけれど、モーターチャネルと言われる中小の整備工場の保険代理店を主に担当してた。
損害保険会社と保険代理店は組織対組織なら商品のサプライヤー側が強いのだけど、現場の営業部門ではそうはいかない。今どきの代理店は複数の保険会社の取り扱いがあるところがほとんどだし、代理店の思惑一つで自賠責と任意保険を他社に切り替えられちゃうわけよ。もちろん、顧客側がネット系を含む保険会社を指定することはあるけど、ディーラーで車を買うと同時に勧められるがままに加入している人はかなり多いよね。
なので、代理店を担当する営業社員はまぁ完全に首に縄をつけられた小間使いと化すわけ。相手の機嫌を損ねたら他社に数百万の挙績が移るし、その結果は上席者からの鬼詰なわけだからそらなんだってするよ。自動車保険の商品力の差なんて知れてるし、営業の人間力(=滅私奉公)に全てがかかってるからね。自分の場合も土日のお祭りや草野球、ゴルフや商店街の旅行と散々額に汗を流しました。営業時に必ず家族との夕食に同席させてくれたIさん、今も元気で過ごしてるかな?
サービスが行き渡ってる以上、保険会社がトップラインを伸ばすには他社のシェアを奪う必要があるし、そのためには乗合代理店から顧客への切り替え提案を引き出すのが一番手っ取り早い。危ない橋ながらも目先の利益に飛びつくインセンティブは少なくとも営業社員にはめちゃくちゃある。今回のケースもそういった中で火中の栗を拾いに行ったのでしょう。
もちろん、保険会社にもリスクを査定する部門はあるし、そういったところからブレーキがかかった可能性は高いと思う。ただ、往々にして保険会社は営業が強いし(査定や本社を非現業と下に見る文化は各社にあるのでは?)、話題の損保は昔から強烈な営業偏重姿勢で有名。営業社員は報告時に後ろぐらさを伏せるのでどこまで社内に危機感が共有されていたのかはわからないが、まぁ起こるべくして起こった事件だなと感じた。
カビゴンの重みがデカすぎませんか?体重の話じゃないです。ゲーム全体における割合の話。アイコンにカビゴン置くのは分かるんですよ。ケーシィやケッキングやスリープをイメージキャラクターにしたら初動が半分以下になってたと思うので。でもゲームの中央画面までカビゴンに専有され続けるのはちょっと厳しい。
しかもプレイヤーも他のポケモンもカビゴンのお世話するのが基本になってる。王ですよ。神ですよ。ポケモンスリープ界の皇帝であるカビゴン様にお肥えになっていただくためにプレイヤーは飯を作って他のポケモンはきのみを集めているわけですよ。んでカビゴン様は成長すると変なフェロモンを強めて配下となるポケモンをより集めやすくなるんです。虫のコロニーみたいな生態してて気持ち悪くないですかこの世界観?なんでピカ様やゼニガメちゃんがクソデブ居眠りニートの世話をするためだけの存在になってるんです?ちょっとマジで意味が分からん。
真ん中にいる皇帝を変えられるんだったら私も納得しましたよ。パチリス様やサーナイト様の優雅な暮らしを支えるためのお世話し隊を結成するゲームなら。なんでカビゴンで固定なんですか?マジでなぜ?もういっそ空位の玉座とかに出来ないんですか?謎フェロモン出してるニートの世話をするっていうのが本当に意味不明で無理。このゲームの中心にあるのはプレイヤーの睡眠じゃないんですよ。「カビゴン様」なんですよ。ファーーーッッッッック!!!!
👆これでよくないです?なんで間にカビゴンが挟まってくるんですか?意味が分からん。百合の間に挟まるおじさんってやつですか?気持ち悪いんですよ。そもそもキャラデザの元ネタが「職場にいたデブでねぼすけなオッサン」って時点でなんかこう身内乗りがキツくて昔から嫌いなんですよ本音言うと。はーマジで加齢臭しそうなんすよねあのポケモン。せめてゴンベならな……。マジで無理だよ。なんで寝転がってるオッサンニートの世話するためにこっちが早めの就寝を意識せなアカンねん。ピカ様と約束したはずなのに、実際にはピカ様を小間使いにしたカビゴンのためかよ。はーほんま無理だ―。アンインスコー
腹が立ったから書く。同僚が俺に業務のことで話しかけてきて、それに答えたけど、実は元を辿れば更に別の女社員が分からなくて困ってただけってことがあった。
つまり、女社員は直接俺に聞かず、別の男の同僚に頼んで、俺に聞くように仕向けたわけだ。俺と直接会話するのが嫌だから、一回同僚を挟んでの伝言ゲームを仕掛けてきたのだ。
こうしたことは大学でもあった。俺はある講義に毎回ちゃんと出ていて、ノートも取っていた。試験前になって、男の学生が俺に声をかけてノートをコピーさせてくれるよう頼んできて、俺はそれを承知した。でも、蓋を開いてみればその男の学生はその講義を取っておらず、男の友達の女が講義を取っていたわけだ。俺のノートのコピーはそのまま女友達に渡って、女友達は俺に対しては一言も感謝の言葉はなかった。
学生時代から、何回か(片手で足りるくらいだが)こういう経験をしている。こういう経験をするたびに腹が煮え繰り返りそうになる。
女の子のなかには「自分は下賤の者とは会話しない」という貴族意識のようなものがあり、だから小間使いを使って俺と会話を試みようとするんだろうが、そういうのされる側の気持ちはわからないのか?きっと永久に分からないんだろうな。
タイトルどおりだ。あの事件から5年以上が経った。心の傷も癒えてきた。そろそろ増田で語ってもいいだろう。予防線で悪いが、あまり長文を投稿することはない。読みにくい箇所はテキトーに読み流してほしい。
悪いけど、思い出したくないことだから、わりと書き殴らせてもらう。推敲はほぼしない。
花見シーズンの日曜日だった。当時は地元の市役所に勤めてて、労働組合主催の新人歓迎会だったんだが、皆でレジャーを楽しんでいた。組合のお金で遊びに行けることもあって、幹事連中は食料品やお酒をガッツリ買い込んでた。
標高でいえば1kmはあるだろうか、そんな高い山にテニスコートとかサッカー場がある公共施設があって、そこのテニスコート(クレイコートだった)でみんなでテニスをしたり、森林公園を散歩して遊んでたよ。羽高湖だったかな。懐かしい。
メンバーは、比較的若手の職員が20人ほどだった。そこまで詳しく覚えてない。昔のことだしな。で、昼が近づいてきて、さあ湖に行ってバーベキューだ、という時になった。当方はテニスを満喫して気分が高まっていた。といってもスポーツやるようなタイプじゃないし、なんなら今風の言葉でいうとチー牛とか言われるタイプの人間になる。
すでに誰かが管理棟からバーベキューセットを借りてきてるのが遠目に見えて、テニスコートの前面道路を横断しつつあった。それで、さぁメシの準備だというところで、テニスのボールが自分のすぐ目の前に飛んできて、右を向くと同期の女がラケットを振ったと思ったら、その子がしゃがみ込んで、胸を押さえて、そのままクレイコートに倒れ込んだ。
自分は捉え切れてなかったんだが、テニスのボールが胸のあたりに命中したのだ。当たり所が悪くて、こんなことになってしまった。
当時二十代だった自分は、大慌てで声を出して、その同期の子に駆け寄った。ほかの集まりの参加者は遠目から見てる感じで、何人かがこっちに小走りできていた。
自分はすぐに、見様見真似で心臓マッサージを始めた。焦っていたので呼吸の確認はしてない。マッサージは、その子のTシャツと厚手のトレーナーの上からだったが、何とかなるだろうと思っていた。近づいてきた人の中にひとりだけ40代ほどの女性がいたから、「代わってくれ」と言ったけど、首を横に振ってるような、なんとも言えない様子だった。
その後も心臓マッサージを続けたけどダメだった。意識を失ってる人って、間近で見るとマジで人形みたいだった。呼吸がなくても生きてるのはわかるけど、でも異常に脱力していて、本当に人形みたいだった。
厚手のトレーナーが邪魔なのか?? と思ったから、脱がしてシャツだけにして、消防の講習で習ったのを思い出しながらマッサージを続けた。でも、ぜんぜん意識が戻らない。テニスコートの入り口を見ると人がまばらだった。まずいと思った(※焦っていたからわからなかったが、みんな対応に走っていたのだと信じたい)。
人工呼吸をやるしかないと思って、さっきの40代ほどの女性を見た。傍に人だかりが増えていた。その女性は、めっちゃビビった様子だった。諦めて視線を同期の子に戻して、人工呼吸を始めた。気道は確保したが、医療関係者じゃないからできていたかは不明だ。
何回か人工呼吸をした後に、また心臓マッサージに戻って、「戻れ、戻れ」と口ずさんで、三回目の人工呼吸をしようとしたところで、「おい」という別の男の声が聞こえて、AEDを持って来ていた。
「やってくれん?」
と自分が言うと、「やり方がわからんけえ。お前がやるんど」と言い返された。自分もやり方はわからなかったが、AEDの箱を開けると、何やら説明の音声が始まって、同期の子のシャツを脱がせて、下着の横に電極パッドを嵌めて……。AEDの指示どおりにはやれたと思う。いや、わからんけど。やれたとは思う。で、真横や真後ろを見たら、もう参加者全員がこっちを見ていて、どうしようかと思っていたら、救急車じゃなくって、管理棟の人が乗った軽バンがテニスコート内に入ってきた。
施設の職員に同期の子を渡すと、軽バンの後部座席を倒して、横に眠らせるみたいにしてバンの後ろ扉が閉まって、そのまま全力ダッシュで車は走って行った……。(追記 救急車じゃないのか?と自分も感じたが、固定式の車止めの幅の関係で、救急車が施設内に入れなかったのが理由になる。書いてなくて申し訳ない)
この時、周りからはどう思われていたんだろうか。それはわからない。わからないということにしたい。みんな、今日はもうこれで終わりだな、みたいなどんよりとしたムードだった。自分に声をかける人はいなかった。いや、元々親しい人が参加してなかったのもあるが。
次の週からは、針のむしろみたいな感じになった。視線でわかるんだ、同じ階の男性職員は自分を見てクスっと笑ってるし、女性はあからさまに自分のことを避けてる。それが仕事上のコミュニケーションにまで影響していた。
イベント用品を取りに行く小間使いすら任せてもらえないし、何人かで集まって会議のセッティングをする際もハブられるようになった。連絡や報告も、口頭でのやつはあまり回してもらえない。
苦しかったのは、ある時だったか、エレベーターで書庫にあるファイルを運んでいて、職場近くまで下りた時だった。エレベーターの扉が開いた時に聞こえてきた。
「あいつキスしてたよ」「変態みたいだった!!」「ハアハア言ってたって……まじキモイ」「ブラまで取ろうとしてたって」みたいな自分に関する噂が直接、聞こえた。30代ほどのやや上の世代の職員が噂をしていた。あの時ほど救命活動を後悔したことはない。
あの時、無理をしてでもあの女性に代わってもらえばよかった、と当時は思っていた。そうすれば、こんな思いをせずに済んだのに。
結局、同期の子は命は助かったけど、しばらく入院が必要になったと聞いた。その子が復帰するまでの間に、自分は会社に行けない状態になっていた。事故から三週間くらいだったか?
当時、憂鬱を通り越してうつ病寸前になっていた。メンタルクリニックにこそかからずに済んだが、有給を半分ほど使ったところで、市役所を辞めると職場長に伝えて、それから二度だけ人事課に出勤すると、離職の手続きが終わった。AEDのことは上の人には言わなかった。なんかもう、どうでもよくなっていた。人間が信じられないという気持ちだ。わかるだろうか。
今は、市役所があったのと同じ広島県の東の、さらに端っこにある中規模工場で働いている。相当地味な仕事だけど、自分には合ってる。自分は優れた人間じゃないけど、父親や祖父が優れていたためか家にお金はある。つまんない人生になったけど、老人になった後はそれを頼りにしたい。
今日、自分が伝えたいことがひとつだけある。確かに、法律とか倫理とかいう観点からすると、自分の行いは正しいし、あの市役所の連中は間違ってる。今でも惨めな気分だ。でも、それは理念のうえでの話であって、現実は違う。
現実世界だと、自分みたいに見た目がいまいちなヤツは、イジメを受けたり(あいつキッショとか職場で言われたり)するわけだろう。それが現実だ。だから、状況を見て判断する必要がある。
自分は、あの同期の子を助けたいと思った。だったらあの時、自分じゃない誰かに託さないといけなかった。助けようとしてはいけなかった。それだけだ。
嫌な話を聞かせてしまって申し訳ない。でも、死ぬまでにはどこかで話したいと思っていた。当方、はてなは好きだけどブログは開設していない。ここしかないと思った。
コンサルティングはやめとけって他のみんなからも聞いてるんだけど、やっぱりそうなのかな。
選択肢の中で、最後の現職に残ると言う奴と、3のコンサルはマイナス批評(やめとけ)が複数いただいている。
増田のアドバイスをいただいて、もうちょっと考えてみる。違ったら突っ込んでほしい。
コンサルティングというのはどういう仕事なのか、自分なりに調べた感じだと
「問題(≒あるべき姿との差)を埋めるためにどのような事が必要かを考えて提案し、システム(ITに限らない・仕組みと言っても良い)を作り上げる手助けをする」
と言うのがメインの仕事で、分解していくと
と言う事らしかった。ただし、コンサルティングと名乗っていても、ガートナーやNRIの様にゴリゴリの上位概念だけを考えてやっていくところもあれば、アクセンチュアみたいにシステムインテグレータに数えられるところもある。またアビームや富士通総研のように行政向けのコンサルティングもある。
ほか、財務コンサルティングと言った様に、ピンポイントに専門領域に入るコンサルティング、建設コンサルティングや、M&Aコンサルティングのように上流のプロジェクトマネージメントを担う実務的コンサルティングもある。
俺が内定を出していただいたコンサルティングファームは、いわゆる技術コンサルティングと、戦略コンサルティングの両方の領域に跨がるコンサルティング会社のようだった。
なお、コンサルタントと名乗っているだけで、とてもじゃないけれども雇えないような技術者を導入してアドバイスや技術を得ると言うような人脈をつなぐために動かすようなケース(その道の第一人者のような方が、副業でやっている様なコンサルティング事務所とか、大企業出身者が人脈でやっている様なところとか)もある。逆に、実際にはお客様から言われた事をやっているだけと言うような高級派遣社員というか、小間使い的なケースもあるというのは、ネットで読んだりしたのだが、実際はどうなのだろうか。
さて、分解した業務の内、1から3はAIのほうが強くなるのはもう間違い無い。
というのは、AIはコピーがいくらでもできるので、人間を超えていくからだ。
世界中の知恵を集めたツールが作れるんで、人間は絶対に敵わないんだよな。
これはウサインボルト選手でも素人が運転した自動車に勝てないみたいなもので、どうやっても変わらない事実であると受け入れる他ない。
仮に情報収集を鍛えても、昭和初期に人力車の車夫を極めた人みたいな感じになって、実用品としてはタクシーの運転手には勝てないと言う事が起きる気がする。
使う人は残るだろう。しかし、この辺りはそれを専門にするプロというのは消えていきそうなレベルになる気がする。たとえば1ヶ月かかっていた調査が、数分で済むと言うようなレベルになっていく可能性が高い。
そうなるとトライアンドエラーを繰り返す事ができるようになるので、昔よりもか圧倒的に短い時間で経験が積めるようになる。
例えば、AI相手に練習ができる様になったプロ棋士ががそれ以前の棋士とは違う成長曲線を示していく、といったことが発生してくるだろう。
こうあんると、もうコンサルタントという職業ではなく、AIのシステムに一定の金額を支払った上で、それをユーザが自ら操ってやっていくようになる、気がする。
つまり、情報をとりだして探すパートナーとしての機能は、AIに変わっていくと思う。5年以内には来る気はする。もちろん自ら道具を使えないと言うような人々向けに代替するという商売はあるだろうが、そんないわゆる「情報弱者」に付け込むような仕事は、将来性があるのだろうか。
あと、5と6もちょっと怪しい。ただ、こちらは効率化はされるだろうが、専門職として残っていくのではないかという気はする。
ただし、必要な人は減る。
例えばコーディングの世界ではオープンソースソフトウエアで質の高いコードを使って学んだAIがコードを提案してくるものが出てきている。これはこの間漫画家・イラストレータのこげ*とんぼ先生がAIが出してきたレイアウトを利用して仕上げる、と言う実験をやっていらっしゃったが、恐らくそういう時代になっていくのだと思う。すると仕事は
と言うことになっていく気はする。その前の段階に恐らく情報収集も入ってくるので、その前段階は消えていく気がする。
しかし、こういったツールが出てきたとき、果たしてコンサルタントは仕事はどうなっているだろうか?
残るのはやっぱりコミュ力なのかなあと思ってしまう。
例えばAIが今の仕事は今後は厳しいと言う結果を出してきたとして、それを受け入れるかどうかは別で、それをインプットするのがコンサルタントの真の仕事である、みたいなことを聞いたことがある。
あるいは受け入れられないにしても、その間を取り持って落とし所を探るといった仕事なのではないか。
コンサルタントというのは、日本語では「相談相手」と言う意味があるらしい。
そして、ここにおける相談というのは、だいたいは相談する側の意見を洗練させるためにあると言って良い。
自分の会社の事に最も詳しいのは、ぽっと金で雇ってきた人手はなく、その会社の社員や経営者であるはず。なので、そこでの相談とは、決して自ら話すことが得意では無い人、言語化することが得意とは言いがたい人が話しやすいように環境を作り、適宜、タコツボ化しないように外からの視野を供給しつつ。話された内容を咀嚼すること。
そして、その場で「こう言う内容ですよね?」とフィードバックするような、鏡のような役割になるはず。
さらに、そうして出てきた情報をまとめて、レポートとして整え、やるべき事を決めて、持ち帰り、フィードバックするという事になるのだと思う。
この妄想が当たっているかどうかは別として、これは人間が残るのだろうか?
書いていて思ったのは、これは、残らない気がしてきた。
他の方で、ChatGPTに入力してくださった方がいるが、
もうかなりピンポイントに総論をまとめている。もうみんなこれでいいなじゃないかなと思う。人間相手と違う所は、何回でもためせるので、多少精度が悪くても良いと言う事がある。
自分のペースでできるので、ちょうどバッティングセンターとか、テニスの壁打ちだとか、将棋のAIだとか、そんな感じで自分でできる様になっていく領域は広がっていくのではないか。
あと、実態としてはともかくとして、人間ではなくコンピュータが出してきたと言うところで、逆にコンサルティングの「胡散臭い」臭が抜けるので、コンピュータが出してくれた結論の方が、すっと受け入れられる人もいるのではないだろうか、とかも思う。
つまり、急激に進歩してているこいつらに対抗する事になるわけだ。
個人に対するコンサルティングという事で考えると人間の数だけあるとも言える膨大な需要があると思うところに、対抗しながらの領域が残る事になる。
こんな感じのシステムが今後出てくる事を考えると、今の俺が入りこむような余地はない気がしてきた。
一部のトップクラスのコンサルタントは別として、将来的にはアシスタント的な業務はどんどんAIに持って行かれると思う。しかし、俺が入りこむとしたら、そのアシスタントなんだよなあ。
そのコンサルタントの下の方で情報を整理したり、あるいはお客の要望に応じて細かい技術的な検討、仕様を作ると言う事になると思う。いわゆるアシスタントなんだけど、ここら辺は結局AIに勝てない戦いを挑むことになりそうな気がするんだよなあ。それ俺は無理でしょ。そんで、特に中小のコンサルタントってイメージ商売でやるような所があると思っていて、そういう点で俺のクソザコ履歴なんてマイナスにこそなれどプラスになる事はない。
また、増田のみんなのアドバイスで、要介護者を擁護しなければならないという点でも、冷静に考えるとやはり厳しいと感じる。
一方で、このように技術的ロードマップを見ていくと、コンサルタントの人たちが使っているツールや能力というのは、今後は民主化されていく気がする。
そうなると、ここのスキルを鍛える事を求めてコンサルティング業界に飛び込むのは、コスパが悪いというか、それらのノウハウが含まれたシステムが今後出てくる事が予想されるならば、無理にそこに特化する必要は無いのかも知れない。
実は、正直憧れがあるのだ。ぼんやりとしたイメージで、コンサルタント!というと凄い人たちというイメージが合って、事実そうだと思う。そんなところからスカウトがきたもんだから、喜んで面接した。他社の内定が出て、日程的に合わないと伝えたら最終面接繰り上げて急遽内定出してくれたりしたんで舞い上がっていたんだけど、やっぱり無理そうだという気がしてきた。
もし将来、技術でしっかり喰っていくなら、まずは事業会社でしっかりスキルを積み上げるという事だし、その可能性を残すなら、中小企業診断士なり、技術士なりの資格をとって勉強していくという事なのかもしれないと思った。
みんなありがとうございます。
https://www.asahi.com/articles/ASR1S0BMPR1KDIFI00M.html
俺が知る限りの成功例を書くよ。
特定されないようにフェイクを入れるけど、たぶん分かる人には分かっちゃうと思う。けど、分かっても黙っていてくれると助かる。
心機一転ゆっくりしたいと思い、地域おこし協力隊に応募して採用。正直場所はどこでもよかった系。
任務は、地域団体の常勤職員。地域の有償ボランティアベースで仕事をしてくれる人や会社と一緒になって、草刈りや放置竹林、荒れ地などの整備や、地域の人が出したアイデアを実際にハンドリングするのがお仕事。要するに小間使い。
既に着任している地域おこし協力隊の人と、役場から出向に来ている人の3名の職場。
最終的に、そこで知り合った地元企業の高齢社長に会社を引き継いでくれないかと依頼されて、任期終了後は解体・廃棄物処分業者の事業継承に向けて就職した。
仕事自体は、はっきり言って小間使い。年収も200万円ぐらいになってしまうんだが、忙しさだけで見たら正直それでは割に合わない感じがする。
ただ、周辺がもう都会から若い子が来たと言うだけで神様仏様扱いされるような環境。ガチで拝まれる。リスペクトされてる。
勤務は週5日日給制なのだが、実際には、地域おこし協力隊隊員はケータイに出られる場所で、何をやったかをLINEで報告すれば大抵何をしていても勤務扱いになると言う待遇。
今日は家の整理をしてました、みたいなのでも勤務扱いになる。まぁ若人が住んでいるだけで地域貢献担ってるという解釈だな。
一方で、地域の行事とかやるときには、さらっと事務局や会計など地味だけど重たくて面倒くさい役割にアサインされてやらされることになる。
ただ、日曜日にボランティア集めて何かするとか、夕方の会合に出るとか、そう言う時には漏れないように丁寧に時間外がつくそうな。
そして、そんな仕事だから無茶苦茶地域の人たちに顔が売れる。それもボランティアや地域活動に参加している人たちに顔が売れるので、強固な人脈ができる。
実は、自治体は顔をつなぎ、孤立させない事を目的に、何があっても孤立しないようにこの仕事を与えているような所がある。
最終的にはその人脈で任期終了後の就職先をゲットした訳で、この施策は人を選ぶけど、よいアイデアだと思った。
かなり実績があり、普通に村役場に入った人や、就職した人もいるし、他には、喫茶店を開いた人(イベント出店大杉で店は殆ど閉まっているが)、寺が開いてると聞いて仏門に入ってお寺を継いだ人(本業:塾講師)、お土産屋に就職して配達なのかチョークアート書いてるのかどっちが本職かわからん人、など個性豊かな面々がいる。
アラフォーの家族。当時子どもは中学生だったはず。前職は別の地方都市で商社に勤務していたが、前から自分の会社を持つ事が夢であり、探していたところ、起業型地域おこし協力隊というものがあると知って応募して採用。
自分でためていた金と、地域おこし協力隊の報酬(と言っても200万とか)を使って生計を立てながら、起業の準備をして融資を受けて任期2年目で食品加工工場を作り、その経営者になる。現在もその経営者として商売している。
前職の伝手で大手食品メーカから仕事を持ってきていて、最近は地元建設屋と共同で農業をやり始めた。
この人は明らかに起業をするつもりで、それができる場所を探していた感じ。こう言う人はたぶんあちこちにいて、そう言う人を地元に取り込むために協力隊制度を使ったって感じだね。企業誘致に近い。
本来の地域おこし協力隊の趣旨からは若干外れると言う議論はあるらしいのだが、最近、定着率が高いのはこう言う起業を前提とした移住だぞとも話題に上がる。
まぁ、こう言う目的がはっきりしている人は受け入れ側もありがたいやね。
他にも、パン屋さんをやりたいと応募し、ちょうど住んでた人が亡くなった直後の出物の古民家があり、そこを改造してブランディング、通販をメインにしたパン屋なんてのもいる。週末1日だけ限定のレストランとかもやってる。
その地域は昔、陶芸が有名な地域だったそう。しかし、台規模工業化に後れを取ってかなり衰退していた。そこで、自治体は一念発起して陶芸家を養成する学校というか訓練施設を作った。
そこには地元の若い人なども通うんだが、それだけではやはり難しい。
そこで、知恵者がいて、地域おこし協力隊の制度を使って、事実上2年間はお給料が貰えながら学び、独立語1年は所得が保障される環境を作り上げた。
まず、根性やら寝技やらで有名な芸術大学の名の知れた陶芸家との提携をゲットした。
そして、その先生の弟子、大学院生が地域おこし協力隊の制度を使って、お金をもらって移住してもらう。
その人が非常によい成果を出したために、話題になってあちこちから集まるようになり、毎年2名の枠にかなりの応募がくるのだそうな。
協力隊の任期は3年間あり、最初の2年が訓練所に加代追い、その後1年は身の振り方を考えるという構成。
その間にじっくりと学び、また作った作品は自分で売って自分の収入にできたりもするので、それで感触を確かめたりできる。
自立した陶芸家も多く出て、地域には高密度に陶芸作家がいる町という事でブランディングが行われ、愛好家が多く集まるようになったそう。
正直、制度はほとんど脱法的な使われ方だと思われるが、かなり有名な成功例として総務省も紹介しているからいいんだろと言う感じ。
地域資源と上手く填まった例で大変うらやましい。そもそも最初の提携が最も大変だと思うので早々真似はできないと思う。
だが、もう地域おこしの方向性が決まっていて、それを強化したい場合、伝統芸能の継承などと言う場合には、このメソッドは使えるのではないかと思われる。
地元出身者で、大学を卒業して首都圏で働いていたが、アラフォーになって心配になって、と言う事でUターンを決意。
そうしたら、たまたま農業従事と条件とする地域おこし協力隊の募集が、たまたま出身の村から出て、たまたま村議会議員をやっていた親父からそのことを聞かされてたまたま応募したら、たまたま受かったそうな。
応募後はたまたま開かれていた地元の農協がやっている新規就農者向けの講座を活用して融資をうけ、たまたまあった県の新規就農者助成金を受け取りつつ、たまたま求人を出していた第三セクターの農業の会社に勤めながら、実家の農業を……。
偶然ってすごいなー(棒読み
まぁ、色々と批判があるのは分かる。が、こういった紐付きコネのありが一番定着率が高いのも事実だと思われる。そして、確実に地域進行ができる訳だから、まぁ悪い事じゃない。
かわいそうなのは、もう紐付きで結果が決まっているとも知らずに、形だけ出された公募に応募した他の志望者だよな。
今、新規移住者向けの助成金とかあるんだけど、移住者・Uターン向けの生活保証金としては地域おこし協力隊が最も金は出る。そして、性質上他の補助金と重複申請ができたりするので、まぁいろいろできるのである。
地域おこし協力隊は、このような成功パターンを掴んでいる所と、駄目なのと頃の差が大きい。格差が開いている。
成功している所は
と言う好循環を生んでいる一方で、
駄目なところは殆ど改善されず、また改善する機会もなく、定着が進まない場所も多く、格差が開いているように感じる。
というか、応募者の数という点でかなり差がある。定着しているところは応募殺到して驚くこともあるが、定着率が悪いデータがある所は殆ど応募がないらしい。
移住者目線としては、とにかく地元でウェルカムな姿勢で募集している所や、既に定着している協力隊の先輩がいるところが良いと言うのが王道だ。
付け加えるならば、任務や勤務体系が柔軟で幅広く選べるところを選択するのが良いと思う。普通の就職みたいに仕事ががっちり決まっていてそこで勤めなさい、と言う様なケースだと単に補助金が出る労働力としてしか見られていない可能性がある。
目的がキッチリある場合なら、本当にその目的に適しているかをよくよく考えた方が良い。
そして、その目的にピンポイントに募集をかけているところにマッチングできればいい。考えているうちに違う考えになっていってもよいが、妥協だけはしてはいけない。
大きなミッションを与えられて、それをやりなさいと言うものもある。その時、これは本当に自分がやりたい事なのか、とにかく見極めとマッチングを大事にしてほしい。
受け入れ側目線としては、とにかく移住者を孤立させるな、コミュニケーションを取れという所があると思う。
地方移住の話をするときに、地方の人間関係はめんどくさいという話はよく出るが、ぶっちゃけ、田舎の人間関係が完全に嫌な人はそもそも応募してこないのでノイズである。
そして、何かあったらこの人に相談してね!と言う人を、数人。数人!話をつけておくことが大事だ。それも役人では無くてそれ以外の人。そしてできたら一番最初に、変な人のところに行く前に話をしておくのが良い。
というのは、人間関係にトラブルがあって辞めると言う案件、調べてみると、そもそも変な人に依存してしまっておかしくなると言うケースが結構ある。
外から来た人に最初に近付いていく人は、地域の顔役みたいな人でなければ、だいたいその地域で孤立しがちな人だったりする。
そう言う人は、何か問題を抱えているケースが多々ある。新興宗教に勧誘されてしまうと言うと言う様な分かりやすいケースならまだしも、
発生した問題に「それはきっと○○さんの嫌がらせだよ。あのジジィしつこから」みたいな事を吹き込んだりして、単なる事故が一瞬で陰謀論になり、疑心暗鬼を生んだりする。
(愛媛県の話がこれだと言っているわけではない)
そう言う事を防ぐ為にも、とにかく最初に頼りになるひとをつける事が大事だ。できたら先輩移住者と、地元で何かあったときに仲介ができる人と言う組合せがベスト。
色々書いたが、気楽に構えてやったらいいと思う。任期付きだけど給与は保障されるし、その間役所が面倒見てくれるし、リスクはそんなに無いのだ。
地域おこし協力隊の受入には落差があるけれど、実はさらにその前には「そもそも地域おこし協力隊みたいな制度を使う気すら無い」という場所が存在していて、そういう所に比べると、公募をしている所はそれなりに進んでいるところなのだ。
まずは気楽に話を聞いてみて欲しい。
山月記を
「頭脳明晰で大企業勤めをしてた友人がいきなり作家になると言って仕事をやめたが、一作も書き上げられずに失踪した。数年後、たまたま見かけた底辺Vtuberが友人だと気づいた」
と例えたツイートhttps://twitter.com/u68854731/status/1593781437031157761が流行ってるみたいだけど
全然違うでしょう
しかし所詮は保身しか考えない閣僚や政治家たちの小間使いであることに萎えてきた、って感じ
「下吏となって長く膝ひざを俗悪な大官の前に屈するよりは、詩家としての名を死後百年に遺のこそうとした」と書かれている通り、
政治家に尽くしても空しいだけなので、それよりも自分自身の名を残せる生き方をしたかった、ってこと
今の時代は詩人になっても名は多分残らないので、例えるならば純文学作家になるかもしれない
作家と言っても決してベストセラー作家になって一発当てて大金ゲット!とか思っていたわけではない
「一作も書き上げられず」
これは全然違って、例えるなれば「芥川賞にノミネートされたけど受賞を逃した」くらい
いまそこそこに評価されるくらいなら十分だけど、歴史に名を残すレベルからは程遠かった、ってこと
ここが一番ダメ
ところが前は国家のエリート官僚だったのが、今度は現地採用職員とか、地方公務員で戻っている感じ
その状況にプライドが耐えきれなくなって、こじらせて人じゃないものになってしまった、ということ
その人じゃないものというのが今で言えばvtuberとかじゃなくて、ネット論客とか、駅でぶつかりおじさんとか、悪質クレーマーとか、その手の類かと思う
歴史に名を残すだけの能力が自分にあったわけではないことに気付いたのに、少しでも今より良い作品を生み出せるよう努力するでもなく、今活躍している商業作家を俗物と批判し、エリート官僚や政治家を犬畜生と呼び、今の自分の状況を認められず社会を恨んで大暴れしている、こじらせたやばい人になってしまったんだ
で、今日も駅で上等なスーツ着てるおっさんにジュースでもかけてやろうと思って近づいたら、それがかつての親友だった
一瞬、我に返って自分語りをしたあと、最後に書いた小説の原稿(文芸誌に載せれるか載せれないかレベル)を友に託し、俺はもう戻れないんだと言って雑踏に消えていった
そんな話なんだよ
簡潔にまとめるなら、
「エリート官僚だった友人が文学史に名を刻みたいと言って仕事をやめたが、芥川賞を取れずに断筆し、その後は地元の駅やネットでの過激な言動でヤバイ人として有名になってしまった」
あたりかな
あることを問い合わせするだけのことに、わざわざ他人を介する意味ってあるのだろうか。
職場では上司がよく「○○の件、××さん(組織名または個人名)に聞いておいて」と指示してくる。
それが私と上司と相手方と、共通・共同して取り組んでいるようなことならまだしも、上司個人・固有のことについて、他人である私を介在させることには果たしてどれほどの意味があるのだろうか。
例を挙げると、「私(=上司)の使っているPCの△△がおかしいのだけど、解決方法をシステム部門の■■さんに聞いておいて」というような指示。
いや、それ直接聞いたほうが早くね?
状況によってはスクショや写真などを添えて社内チャットツール等で直接尋ねたほうが確実じゃね?
尋ねる相手方が上司にとって苦手なヤツ、嫌いなヤツの場合は単に接触することから逃げているだけだろうが、そうでない場合でわざわざ他人である私を介在させることには果たしてどれほどの意味があるのだろうか。
こういうのみるとうちのお父さん変わり者なんだなあと思うわ
観光施設で働いている。沢山の観光客が訪れるので、必然的に質問が多くなる。
夫婦で来館して質問してくる時、必ず妻が質問しに来る。ほぼ100%と言っても過言ではない。
質問が終わった後、「お父さん。○○だって」と夫に報告している。夫はその間館内をブラブラしているか、スマホを見ている。
追加で質問がある場合も、目の前に職員がいるのに妻を通して聞いてくる。
妻を小間使い代わりにしている夫の多さに唖然とするが、これは50代以上の話。
特に若い夫婦は平等な関係が多い様に見える(家の中ではどうか知らないけど)。
50代以上の夫婦で、夫が妻に尽くしているのを見かけたことがない。観光施設の中でのお話。
でもこれって、高齢の男性が孤独になるのも頷ける行動だと感じる。
プライドか何かが邪魔をして、低姿勢で物を聞いたりコミュニケーションを取ることができないのだろう。