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はてなキーワード: 罹患とは

2018-06-12

WHOの発表によれば、加工肉を1日に50g食べていると、死ぬまでに大腸がん罹患する確率が18%上がるという。50gはベーコン2〜3枚、あるいはホットドッグ1本分だ。

2018-06-10

anond:20180610161949

残念ながら不摂生している人間罹患して余命数か月で死ぬという病気になるよりも、

成人病など苦しむし体も不便になるがなかなか死ねない病気になるほうが確立は高い

2018-06-05

anond:20180605215327

こうして謝ったら死ぬ病罹患者同士に上下関係が発生すると「五年前に消しゴムを2mm使ったことに謝罪がなかった」「1.85mmしか使っていない」みたいなくだらない軋轢死ぬまで…

2018-05-28

anond:20180528154919

水虫って、ある日急に襲ってくるんですかね・・・

どうやったら罹患するのか。

2018-05-26

anond:20180526211734

子宮頸がん罹患数は国内1年10000人、死亡数は3000人前後ワクチンではこのうち半分ぐらいを予防できる。

全ての女性に接種するとしても、質量共に今のところワクチンの益を上回る被害が発生するとは考えづらい。

調査をするにしても接種と並行しながらすべきだ。

anond:20180526191245

調査対象が7万人以上いて、1%なんていう大きな単位なら隠れようがないレベル調査が既にあるんだ。

子宮頸がん罹患数は日本国内だけで1年に1万人前後いる。

率だと1年に100万人あたり700人前後だ。

anond:20180526090858

この手のネトウヨネット言説ひりだすやつらが、今の自民が出してる改憲案知ってるとは思えないんだよなぁ。

なんかの記事で、ネトウヨ罹患する人は何でもいいかマウント取りたいだけだから権力におもねるみたいなのを読んだが、まさにそんな感じだ。

2018-05-25

anond:20180525222923

まあ不安につけ込んだ商品から健康体で必要がないと判断したなら入らなくて良い

いつどこで癌に罹患しても他人無関係から

誰も助けになってはくれず貧困に喘いで一家路頭に迷うだけで

anond:20180525124802

多分現時点で元増田も友人も高校生なんじゃないかなと思うんだけどこっちからするとどっちも高二病罹患しちゃったか

という感想しかない

2018-05-21

Q.なぜあなたは生きているのか?

A.

交通事故に遭わず、致命的な病気にも罹患せず、心臓発作等も起きておらず、通り魔に襲われてもおらず、雷にうたれる事もなく、腐った食品を口にもしておらず、高いところから落ちたわけでもなく、逆恨みか何かで刺されているわけでもなく、線路に落ちたわけでもなく、テロリスト爆弾で吹っ飛ばされる事もなく、寒い日にうっかり外で寝込んだ事もなく、熱中症でそのまま倒れたわけでもなく、乗っていた飛行機が墜落したわけでもなく、赤ん坊の頃変なものを飲み込んだわけでもなく、餓死するような飢饉に遭遇することもなく、乗っていた電車脱線事故を起こしておらず、頭上から看板なり植木鉢なり何なりが落ちてきた事もなく、風邪インフルエンザ悪化してそれきりになんて事もなかったため。それが幸運な事なのか不運な事なのかは知らないし知ったことでもないが。

2018-05-14

anond:20180514213620

ちなみに、生涯でがんに罹患する確率は、女性で46%。

そのうち、子宮頸がん罹患する確率1%(78人に1人)。

46%のうちの1%は78人に1人じゃないと思うけどなぁ

ざっくり200人に1人とかそういう数字だと思うけど

anond:20180514212304

ちなみに、生涯でいずれかのがんに罹患する確率は、女性で46%。

子宮頸がん罹患する確率1%(78人に1人)。

https://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/stat/summary.html

2018-03-29

母が躁鬱になった~寛解した記録

ドワンゴを二回やめた人のブログに対し

鬱じゃなくて躁鬱なのでは、躁鬱は統合失調症と並んで不治の病というブコメがあったので、

そういえば躁鬱って不治なんだっけ?どうなんだっけ?と不思議に思った。自分思考整理と記録のために書き残す。

なまえをかくしてたのしいにっき。

母が躁鬱になってからかれこれ10年がたった。

■誤診期

「誤診」と書いたが、診断確定の難しさは他でもない私が知っているので、「誤診」よりもイメージの良い、精神科医名誉を傷つけないワードがあったら教えて欲しい。

時期:十年前~七年前

症状:元々パワフルで仕事人間しかし分配された家事はきちんとやる母であった。共働きフルタイムだったが、食事ははおいしかったし、稼ぎもそれなりにあり、仕事も好きだった。趣味があまり無かったが、車は嫌いではなく毎日通勤に乗っていたのでストレス発散の手段ゼロではなかったと思う。

母は突然、朝起きれなくなった。仕事に行けなくなった。

涙を零すとか不満をぶちまけることはなく、全てのことに無気力になってしまった。

休職期間が切れ退職扱いになるまでの一年はあっという間で、家族(父、増田を含む兄妹二人)は通院をはじめとした外出に抵抗を示す母を引きずって病院に通いながら、減った収入補填すべくがむしゃらに働いた。

診断:鬱病。加齢によりが少し体のある器官のせいで、全盛期に比べ仕事効率が目に見えて落ち、生きがいだった仕事への活力が失われたことが原因ではないかとの意見

まだ地獄ではなかった。


躁転期(地獄

時期:六年前

症状:何をするにも無気力食事を採らせるのも一苦労、10キロ以上体重が落ちほぼ寝たきりの状態だった母から仕事中の増田電話がかかってきた。

内容は「お前を大富豪にするビジネスプランを考えた。今すぐに実行しろ、金は私が出す」。

我が家に金なんてない。

妹に対しては「お前を玉の輿にのせるプランを考えた。」という電話があったらしい。

その後、仕事中に着信が1分1件ペースで入る。

躁鬱に対する知見が全くないので家族パニックに陥り、全員が仕事を早退し家に帰ると、見違えるほど元気な(元気すぎる)母がいた。

躁転時にやらかしたことは下記に箇条書き

投資マンション契約をしようとする(一番やばかった、本当に手付け金が帰ってきてよかった)

キッチンをめちゃくちゃにする

風呂場に調味料をぶちまける

アドレス帳のすべてに電話を何度も何度もかけまくる(母本人の希望で疎遠にしていた人含む)

テレビを壊す、壊れたからといって過剰に大きいサイズテレビを買う

・そのほか高額なものを買いまくる

・「私の考えた最高のビジネスプラン」を話しすぎて、喉が切れて血が出る。血が出てもまだ話すので、口元からずっと血が垂れ落ちている

などなど。今から考えると「自殺こころみる」が含まれていないのは、本当にラッキーしかいいようがない

診断:「わたし鬱病は治った」と言い切る本人をなんとかだまくらかして病院に連れて行くまで半月、その間に家の中は大惨事。様々なものクーリングオフ迷惑をかけた方々へのお詫び行脚に明け暮れる。

医師は「躁鬱の波が長いタイプ。鬱が最初に来てしまったので、診断できなかった」とのこと。

なんと躁鬱に効く薬と鬱に効く薬は全く別で、医者家族も効くわけもない薬を無理やり嫌がる母にのませていたのである。「効果ありませんね~」じゃねーよ、とこの時は思った。暴れるのを抑えるための措置入院を経て、三年間見たこともなかった名前の薬に変わる。

回復

時期:五年前~

症状:正しく躁鬱の薬を処方されてからはかなり早く、措置入院は1カ月、その後はテンション上下自体はあるものの、順調にその波はおさまっていった。勿論きちんと薬を飲むか等、かなり細かく監視必要はあったが、「鬱だな」「躁だな」と判断出来るようになったことで、家族全員がだんだんそれぞれのパターンでより刺激しない接し方を覚えていった。

また、この頃、自分が通院する必要性について自分でやっと理解できたように見えた。激しい鬱期は被害妄想が強く、躁期には「治った」と思いこんでいたため。

少しずつ少しずつ安定した生活習慣を取り戻し、知り合いのツテで仕事にも一部復帰。(突発的に休む可能性がかなり高いにも関わらず専門性の高い仕事に復帰させて貰えたのは奇跡しか言いようがない。復帰後の職場の皆さんには、今でも、母も自分も頭が上がらない)仕事をするようになってからは、自己肯定感が増し、安定している頻度が増えたように感じた。働くことはプレッシャーであると考えていた自分には意外だった。

寛解

時期:三年前

診断:「寛解

精神病には、基本「全治」はないという。

骨がくっつきました、とかと違って明確な基準がないため。

勿論再発しない限り、引き続きの治療必要ない。

が、家族から見ると、一度病気を経た母は少し罹患前より変質しているようにみえた。9割5分、記憶のままのマトモな母だが、やはりどこかしら違ってしまたことがあるように感じた。

私が好きだった母と全く同じものは、もうどこにもいないかもしれない。それは少し寂しかったし、それこそが「寛解」と「治癒」の差かもしれないと感じた。再発のリスクは、限り無く少ないが、ゼロではない。


最近

おまけ。

寛解から三年たってようやく、「あのころこうだったね」等の振り返りを当人含めてできるようになってきた。妹は良く「玉の輿に乗る方法」の話をして笑いをとっている(※妹は未婚)。

しかしたら病気になるまえの母はストレスを押し殺していて、本当の母ではない=今の母が本当の彼女の姿なのかもしれないと漸く思うことができた。確かに記憶の中の母よりもほんの少しだけセンシティブである

でも我が家はこれを乗り越えられてよかった。家族みんなが、自分ストレス閾値を考えられるようになり、出来ないことを頑張りすぎないようになった。そして家庭の外でも、頑張り過ぎようとしている人に優しく出来るようになった。人間的成長ではなく、壊れたらより損失が大きいことを身を持って知ったかである

結果、皆母のために暫くの間キャリア犠牲にはしたが、最終的には職場での評価はあがった。

振り返ると家族の中に三人働ける人間いたこと、子供二人はまだ未婚で家族以外にかける迷惑が最小限で収まったこと、そして三年の膠着期間を経たとはいえきちんと正しい診断がおり寛解に至れたこと、様々な幸運に助けられたんだなと思う。

かなりベストに近い形だとは思うが、それでも躁に転じたとき二段回目があるのか、この先もっともっとおかしくなるかもしれないという底知れない恐怖ははかりしれない。母がどうこうというより自分だっていつかは、ああなってしまうかもしれないと恐ろしかった。

これはただの日記から伝えたいメッセージとかは無いけど、

周りにもし近い状況になっている人がいたら情報共有したい経験ではあるし、我々のように幸運が重ならなかったとしても、何からセーフティーネット患者家族がなんとか生きていける社会であればいいなと思う。

2018-03-28

うつ病なのにうつ病に冷たい

自分職場うつ病人間に冷たい。

直接何か言うわけじゃないけれども、なんだこいつってどこか冷めた目で見てしまう。

その昔、6年ほど精神病罹患していた。

3度ほど自殺未遂をして長らく精神科に通っていたが、今はそんなことがあったのが嘘のように普通にホワイト企業で働いている。

そんなホワイト企業でも一定うつは出る。そんな時、こんな状況でなぜうつに?と心から疑問に感じてしまう時がある。

(本人が仕事が原因でうつになっていると申告した時だけ)

残業も大したことないし、まっとうな人間が多いし、本人の業務量や質も把握しているのでなんら業務過多なこともないのも知っている。

1度傷ついた人間は人の痛みが分かるなんて言うけれど、自分はそんなこともなかった。

逆に「こんな環境でなぜ?」と心から理解することが出来ない。

人格が冷たいのか、実はまだ何かしらの精神的な病のままなのか。

2018-03-14

ハタノヒロシ氏の死生観おかしい件

かつて山中遭難しかけた彼は、猟銃とカメラどちらかを捨てなければならないという岐路に立たされた。

彼は生きる為の道具である猟銃を手離さなかった。若い鹿を撃ち、心臓を抉り出し、血を飲んだ。

人間エゴイズムが彼を活かした。彼がカメラを捨てていなかったら、ハタノヒロシという人間一人の命が喪われただけで済んだのだろう。

その彼が、生還カメラを手にするようになった。今や幼い息子の親となっていた。

34歳で癌に罹る。彼の中で生き続けた鹿の怨念、そんな非現実的な物は存在しないがSNS上で自らに得となる意見だけRTして生にしがみ付き写真家を名乗る。

命を殺めた手でカメラを持つ。病気罹患するのも因果応報とも思えるような出来事だと個人的には思う。

2018-02-25

anond:20180225145303

どちらかというと「貧困者専用の格安アパート」とか「特別バリアフリー化されたり酸素吸入装置がつけられた病室」みたいな

ハンディを抱えた人のための施設なので、そのハンディがない人は使うのはご遠慮ください、という種類のものに感じている

痴漢被害者専用車両」なら、その理屈が通じると思う。

痴漢被害に遭ったことのあるひと、遭うことを恐れるひとなら男女問わず乗れる、というのなら理解する。結果として乗り込むひとの大半が女性になったとしても、それは差別ではないと思う。

ちょっと前まで貧困者だったひとでも、安定して高収入を得られるようになったら貧困層専用住宅の入居資格を失う。逆にちょっと前まで裕福な暮らしをしていたひとも、文無しになったら入居権を得る。だからそれは差別ではない。

「○○病に罹患した患者」を相手にして特別措置を執ることは、その特別措置が「○○病」の治療にとって必要なことだと証明されており、その措置が○○病の患者のみに対して行われるなら、差別ではない。

でも、「女性専用車両」は違う。男性でも痴漢被害に遭うひとは(女性と比べて圧倒的少数であるにせよ)存在し、ごくごく稀ではあるが女性性犯罪者存在する以上、「女性のみに対してアクセス許可を与える車両」は、それらと同列に扱うことは難しいと思う。

現状、都市部電車通勤・通学をする女性のかなりの割合被害に遭っていて、その加害者がかなり高い確率男性なのは事実だけど、それは「男性排除する」正当な理由たりえるか? というと違うような。

それが差別化差別じゃないかは難しいから分からないけど、そういう風に考えたら男性からしても不快感がやや減るってことは無い?

私は不快から女性専用車両に反対してるわけじゃない。個人的には、あれだけ痴漢が多発していたら女性専用車両みたいなのは必要だよな、そこが唯一のシェルターっていうひともいるんだろうな、気の毒だな、って思う。怖がる女性はどんどん乗ればいいとも感じる。女性専用車両不快感特に感じない。私はあまり端っこの車両使わないというのもあるし。

あくまで、これは差別じゃないの? って言ってるだけ。

差別だけど今はこれしかやり方がないんです」って言われたら納得する。でも「差別じゃない」は納得できない。

だってこれが差別じゃないってことになったら、「○○人は犯罪率が高いからうちの近所に引っ越してこないでほしい」が通ってしまう。「ゲイは部屋を汚すことが多いか男性2人でのラブホテルご利用はお断り」も通ってしまう。「女性結婚出産を機に退社する可能性があるので幹部候補にはしません」という理屈正当性があることになってしまう。

もちろん、それらの例と違って、ここで排除されている男性女性より社会的権力を持っている。だから一緒にはできない、というのはその通りかもしれない。でも、形式としてはおんなじだ。生得的な条件によって定義されるある集団に好ましくない者がいるから、その集団の成員をまとめて排除してよい、という理屈はおなじだ。それは差別的発想だ。それに基づいて公共空間への出入りを制限しようとするのは差別だ。

繰り返すけど、だから女性専用車両なんて廃止しろ、とは微塵も思ってない。これは差別だよね、と言ってるだけ。でもこの程度のことに差別じゃないって猛反発が飛んでくるのは本当に不可解。

そこを共有できないなら、これは差別です、という原理原則論を繰り返すしかなくなるし、これを差別だと周知しようという団体が出てくることも当然だと思う(当然、啓蒙目的ひとつである以上、利用者に向けて示威行動をすることも正当な抗議行動の範疇ということになる。ストで電車が止まって利用者迷惑かけるのと同じ)。

2018-02-14

安倍首相、諸問題「丁寧に答える『はず』」が野党質問時間削減

安倍首相、諸問題「丁寧に答える『はず』」が野党質問時間削減

そして増やした時間自民党安倍総理に仮病で仕事サボるように提案

インフルエンザ罹患するという手もある。」

2018-01-27

anond:20180127005128

まあ絵師には顕著な傾向だよね。

それで化粧品マニアも並行して罹患してたら悲惨

2018-01-26

anond:20180126143950

西暦2040年東京では新種の難病細胞硬化症」に罹患した青年水原怜人が、兄・龍、妹・まひる、幼馴染・橘絵理沙に見送られ、治療のためのコールドスリープに入る。5年後、目覚めた怜人の前に絵理沙似の専属担当官・周防美来が現れ、新種のウイルス「MKウイルス」によって男性の99.9%が死滅たことや、その免疫を持つの細胞硬化症を治療した怜人たち5人「ナンバーズ」のみであることを告げ、女性たちとの子作りを要請する。

先に目覚めた青年・火野恭司が子作りにセックスのみで成功たことも告げられた怜人は、龍がコールドスリープ中、絵理沙行方不明であることを、「UW日本支部」の施設で再会したまひるにそれぞれ知らされたうえ、コールドスリープ中の男性たちがあと1年でMKウイルスによって死亡することを、美来に知らされる。怜人が絵理沙を捜し出すまで1か月間の猶予を求める一方、早々に現状を受け入れていた恭司は、施設内で美女たちとの優雅な子作り「メイティング」の日々を満喫する。

そんな恭司の姿に複雑な思いを抱く怜人のもとには、大柄のナース龍造寺朱音や小柄のボディーガード・翠が現れる。翌日、動物研究所で何者かによって解放されたクマに襲われるも翠に助けられた怜人は絵理沙研究を知り、自分がMKウイルス特効薬を作ることを決意する。

終末のハーレム面白そう…w

2018-01-25

anond:20180125111128

http://conia617.hatenablog.jp/entry/town-for-woman

これとか、ネタのものはどうでもよくて、ただ苦しい気持ち共感してほしいだけなら、

なんでお前はつまらないツッコミにいちいち反応して想定問答集まで作ってんのかすごい気になる

男の言うこと聞いたら死ぬ病に罹患してそう

2018-01-24

anond:20180124084528

トラバありがとうございます

薬は飲み続けないと効かなくなるんですか!本人は薬を飲んだところで症状はおさまらないと言っていますが、やめてしまうともっと大変なことになりそうですね。

薬は一緒に住む旦那さんが飲ませてくれてると思うのですが、病院には受付の女性が苦手で本人が直接行けないそうです。

(自分と歳の近い若い女性が苦手。)

外出先でも家のなかでも悪口幻聴がおさまらず、電話で話してる最中も私に悪口を言われたと思ってしまうことが多々あって、本当にしんどい病気なんだなあと思います。(そうじゃないよと納得してもらうのも苦労です。)

罹患されているご親戚も同居されてるご家族毎日とても大変と思います病気がよい方に向かうといいですね。

anond:20180123213120

統合失調症罹患した親戚がいるけど、その人が同居しているご家族は、服薬が習慣化できないとどんどん悪化する(というか薬が効かなくなる)と心配していた。

なので、何よりも大切なのは、効かないと言い張っていても(場合によっては騙してでも)薬を飲ませ続けることと、通院を続けること。

同居していないとサポートは難しいと思う。

幻覚幻聴の症状が出てしまってるうちは、遠隔操作はまず無理だよ。症状が落ち着いて来れば出来ることはあるだろうけど…。

2018-01-21

anond:20180120165046

現状の解決策にはならないけど、男女の産み分けに話が何故か限定されてるが原則的には出生前診断とそれに基づくアレをどこまで認めるかという話なので、それをしたいと思うことは不自然じゃないし法的にどうすべきかは議論がされてるし、倫理的にどうかも色々だいじな問題だし、で少なくとも一方的糾弾されるような発想ではないと思います。大げさに言えば人類全体で葛藤すべき問題

一応大きい病院で「遺伝カウンセリング」とかそういう感じの部署があったらこういう問題(実際にどのくらいありそうなのかとかも)の相談ができるところなので調べてみてもいいかも。実際にどのくらいありそうか、というのは遺伝性があるはあるけど他の要因も大きいから、パッと思うほど罹患可能性が高いわけでもないよみたいなこともあるので

anond:20180120165046

結論から言うと、あなたがするべきなのは、男女の産み分けではなく「子供を産まないこと」だと思います

知的能力障害は、軽度の平均的男女差が 1.6 : 1 、重度の平均的男女差が 1.2 : 1 とされています(出典:DSM-5)。

ですが性差の報告は研究により大きく変動しています

自閉スペクトラム症/自閉症スペクトラム障害ASDは、男性のほうが女性よりも4倍多く診断されていますが、臨床的に女性ASDには知的能力障害を伴うことが多く、これは知的能力障害言語の遅れを伴わない女児は診断されない傾向示唆しています女児場合コミュニケーション問題がより軽微であることも関係していると考えられます

統合失調症性差調査対象母集団によって異なり、明確な結論は出ていませんが、「統合失調症の全体の罹患率としては女性のほうが若干低い傾向」にあるという控えめな表現にとどまっています(出典:DSM-5)。

これらの性差に関する研究から分かることは、女性であることは知的能力障害リスクは下げるかもしれないが、少なくともASD統合失調症罹患リスクについては大幅に下げるとまでは言えないということです。

また、ASDリスクは両親の高年齢、低出生体重などと関与していると現在は考えられています

統合失調症リスクは、子の父親が高年齢であることと関連しています

そしてご存知でしょうがASDおよび統合失調症精神疾患の中でも特に遺伝要因が強く寄与するとされています

よって、「絶対障害者を産みたくない」のであれば、男女の産み分けはそれほど決定的に重要とまでは言えず、「産まない」という選択肢が最も安全であると考えられます

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

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