はてなキーワード: 判別とは
だから何ってことでもないんだけど、同じ体験している人が周りにいないので誰かいないかな。
30過ぎたおじさんだけど、高校生ぐらいの頃から「夢の中で起きる夢」あるいは「夢の中で寝ている夢」をよく見る。
例えばベッドで眠りに着いたとする。すると朝になってそこから起きるという「夢」を見る。
夢が始まった直後、夢の中の自分はそれが夢だと気付かずに1階のリビングに降りていくんだけど、気がつくとまたベッドに戻っている。そこからまた起きて、リビングに降りていって……を繰り返す。
しばらくすると「これ、夢じゃん」と夢の中で気づく。が、そこから抜け出すのが大変。夢の中なのに、むしろ夢の中だからなのか、とにかく眠気がすごい。
夢の中の自分はその眠気に打ち勝ってベッドから起き上がったのに「それは実は夢でした」状態、そしてまたベッドに戻っている。絶望。
フェイク(夢の中)の眠気を打ち破って、本当の(現実世界でまだ寝ている自分)の眠気を打ち破らないと起きることができない。
さらに例えば会社。会社の自席で昼休みに軽く眠った時。あるいは(はるか昔の)高校時代。テストが早く終わり、暇なので居眠りを始めた時。そこでもこれが発生する。
ただ家とは大きく違う点がある。それは「自分が眠ったままお昼休みやテストの時間が終わった夢」つまり「夢の中で寝ている夢」になる。
自分は席でまだ寝ている、しかし周りは昼休みが終わり仕事を始める。あるいはテスト終了の鐘が鳴りクラスメートが騒ぎ始める。
一方で夢の中の自分はまだ寝ているから、周りに「こいつまだ寝てるぞ」と笑われる。
この時の夢の中の視点(映像)は大きく2種類。1つは寝ている視点、つまり目の前は真っ暗で周りの音だけ聞こえている。2つ目は夢の中の自分は眠っているのに、なぜか目を開いている時と同じ主観的な映像。
特に前者は周りの音しかないので、夢なのか現実なのか判別しにくい。
何回も繰り返しこんな夢を見るので「またこのパターンか!」と夢の中で気づいて一生懸命起きようとするのだが、なかなか目を覚さない。現実世界でも本当に昼休みが終わってしまうのではないか、と心配になってくるが、実際にそうなったことは無くて、何だかんだで時間前に起きることはできる。
ってことが良くあるんだけど、分かってくれる人いるかな?
日本でも当然なる。
https://twitter.com/buvery/status/1665838420034191360?s=20
buvery
@buvery
スウェーデンでイスラムが強姦宗教になっている理由は、2つ。まず、イスラム法では強姦の立証には4人のイスラム教徒の目撃者が必要だから。物的証拠があっても目撃者がいなければ強姦はし放題。次に、イスラムは部族地域と重なっており、女は部族の所有物だから、他部族の女に
buvery
@buvery
手を出せば、当然自分の部族が報復を受ける。死人が出たり、自分の部族の女が強姦されたりするわけだ。だから、部族に属している女に手を出すのはためらわれる。だが、そういう報復がなければ、弱いものと見れば強姦して良く、しかもイスラム法ではノーカン。だから、事実強姦しまくっている。
buvery
@buvery
これにスウェーデンが対応するためには、イスラム移民を排除するか、イスラムに耐えがたい報復を加えるしかない。それができなければイスラムと共存はできない。
buvery
@buvery
イスラムが神社を壊すなら、モスクを破壊する。イスラムが異教徒を強姦するなら、ヘイト強姦として、縛り首にする。イスラムが違法行為を行うなら、違法行為を止めるまで懲罰を加え続ける。イスラムと共存するとは、イスラムと常に力で対抗するという意味だ。
buvery
@buvery
人類には相容れない仕組みが存在する現実を受け入れ、住み分けることで平和を選ぶべき、というのが私の考え。だが、イスラムが侵略を続けるなら、力で対抗する他はなく、早ければ早いほど良い結果になる。
強靭猫🐈⬛💨
@TsuyotsuyoNeko
私ムスリムですけど強姦宗教なんて言われるの嫌です。強姦なんて許されない犯罪として当然教えられてますし。
buvery
@buvery
コーラン4:15と、アイーシャのハディースが元になっていて、性交を立証できないから、強姦が認められないんです。イスラム法と、その結果どういう事態を招くのか、調べれば簡単に分かります。
buvery
@buvery
英国には、ソマリア系やパキスタン系のイスラムがいます。英国白人の貧乏少女を何百人も薬と酒漬けにして、イスラムに売春させていた事件があり、いつもイスラムの起こす問題で、犠牲者は異教徒の弱者です。イスラムに本質的な誤りがないのか、真面目に考えた方が良いと思いますよ。
@9ninebraker9
最近耳にする話が酷すぎるところにこういった情報まで加わると、イスラム教徒って理性が無いんですか?となる
全体がそうではないのかもしれない
しかしそう思われるような事をしているのは他ならぬイスラム教徒なのだ
buvery
@buvery
理性がないのではなく、コーランとハディースから導いたイスラム法で暮らして来たので、それが正しいと考えているだけです。
@gigsstars
buvery
@buvery
詳しく知りませんが、シーア派はほぼイランに限られるので、シーア派のせいなのか、イラン人のせいなのかが判別できません。
@ryu___FX
無法地帯というわけではありません
buvery
@buvery
「子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった」
そんなニュースを聞いてあなたはどう思う?
――そいつは何て心の狭いやつなんだ!せっかくの遊び場を、どうせ使いもしない奴が文句言いやがって!
――死にゆく老人がこれからを担う子供の遊び場を奪うな!
そう感じるだろう?俺も同感だ
子供はしっかり外で走り回り、きゃっきゃと声を上げ、草や土を掴み、全力で遊ぶのが何よりだ。本当に心からそう思う。
だが、そんな俺も公園を管理する市に対してクレームを入れたことのある1人なんだ。勿論、騒音について。
つまり傍から見れば、俺は「公園で大きな声を上げて遊ぶ子供を愛しながら許容しない」不思議な存在だということになる。
日本各地にあるこの問題、まず確実に言えることがある。
「公園クレーマーと非公園クレーマーが見ている公園の姿は違う」。
そして、「現状、公園クレーマーたちはクレームを上手に世間に伝えられていない」。
次に、これを読んでいるあなたが「公園クレーマーってちょっとオカシイよね」と思っていることを前提に、以下の事実を列挙したい。
・公園クレーマーは必ずしも子供の声が無条件に嫌いな偏屈ジジイではない。
・非公園クレーマーが公園クレーマー化するのは、一部の非常識な利用者のせいである。
・非常識な利用者だけを除外する仕組みを、行政は持ち合わせていない。よって、公園クレーマーは全ての利用者を敵視するしかなくなる。
・公園クレーマーは、クレームをつける行為に負い目がある。
さて、じゃあ早速冒頭の文章をニュース原稿だとして、続きを想像してみよう。
――子供や家族連れで賑わう公園が突然の閉鎖。そのきっかけは、子供の声がうるさいという近隣住民からのクレームだった。
とすれば、次に来るのは男性ナレーションの低音ボイスであえて野暮ったく読み上げられる次の語句だ。
――「子供の声が、うるさい」
その次は行政の記者会見のシーン。
――「近隣の方との話し合いを続けてまいりましたが、双方の納得には至らず、やむを得ず閉鎖の判断を致しました」
で、そこからが問題だ。恐らくここで、普段の公園の様子か、或いはイメージ映像などで、元気よく遊ぶ小さな子供たちが映し出されることになる。
――「家族連れで賑わう平和な公園で、何が?」
これが大問題なんだ。
少なくとも俺は、こうした元気よく遊ぶ小学生、保育園児、幼稚園児は、好きなんだ!癒される!
きゃっきゃきゃっきゃと楽しそうにおいかけっこをして、たまにミ゛ャー!と寄声を発して、あーあーと泣き出して、しばらくすれば何でもなかったかのようにまたギャーギャーと走り回って…
心から平和を感じるんだ。
精一杯走りたまえ。あーあー、転んじゃって。大丈夫?
俺はこれを、うるさいとは思ってはいないんだ。
じゃあ、「子供の声がうるさい」と言ったクレーマーの気持ちはなんなんだ?
俺はそのクレーマーの気持ちを理解しようと努めることができる。恐らくその人も、最初からそれがダメだったわけではないんだ。「ダメになった」んだ。
(一応補足しておくが、この日記では「俺」と「公園クレーマー」という主語をほぼ同一として扱う。いわゆる「主語がでかい」状態だが、便宜上許して欲しい)
俺が公園クレーマーになった原初のきっかけは、とある夜のことだった。
当然すぎて端折っていたが、俺の家の目の前には公園がある。住所はとりあえず北関東ということでボカさせてほしい。
大きくはないが、追いかけっこは勿論、キャッチボールやフットサルくらいなら十分できる広さがある。
2階の窓からすぐ見下ろせるところにベンチがある。そこに、夜な夜な中学生か高校生くらいの男子連中がたむろし、談笑しながらボール遊びをするようになった。
変声期を終えた男子の声は、かなり通る。そして、ボール遊びの中でもとりわけサッカーボールを蹴る音というのも、実はかなーり、通る。
少なくとも俺の家の窓は全く防音性という面で貢献しなかった。
ボン、ボン。ギャハハ。ボン。ボス。ギャハハ。ボン。
不規則なリズムで、しかし短い間隔でリビングに響くその音を聞いていると、30分も経たないうちにまるで面白半分に自分の頭を蹴られているような気分になり、怒りが湧いてくる。
ここで、自明の事実を書く。
こうしたたむろ連中は、必ずしも「迷惑をかけるつもりで」やってはいない。
彼らは、「自分達の発している音が、目の前の家の中にまで達していることを想像できない」のである。
壁を隔てた向こうに、自分たちの存在が察知されていることを知らないのである。
これは誰しもが陥りがちなことであるが、どうも人間と言うのは「見えていないならば聞こえていない」と認識しがちである。
自分から見て、近くの家の中など当然透視はできない。ならば聴覚も届かぬ場所であると錯覚するのだ。
要は、「想像できないことは認知できない」のである。
結局その日は警察を呼び、お帰り願った。(夜9時台だったので世間一般的にも迷惑案件だと判断した)
翌朝、その場所にはペットボトルやカップ麺などの大量のゴミが散乱していた。
夜の騒音はその日で終わらなかった。
ここでのポイントは、「同じ連中が毎晩たむろしに来るわけではない」ことである。
とにかく色んな人が来る。
金もなく公園に行くしかないカップル。
夜しか時間が取れないのであろう、子供を引き連れてバッティング指南をするおっさん。
花火をしに来た家族連れ。
先程の件と別の男子学生グループは幾つもいた。
中には缶チューハイで酒盛りする中学生男女グループというのもいた。世の中的に見れば全く珍しくもない、可愛い非行の一種だが、目の前で見せつけられるのはさすがに弱った。
そしていずれの人達も、当人らが思っている以上にその声や動作音は聞こえてきた。
中にはTikTokの流行りの動画を大音量で流す奴もいた。
ただ、それですら、彼らはこちらのことを認識していないのである。
単に「流行りの音楽を好きな音量で鳴らす俺」という環境を欲しているのであり、それが他者に聞こえているとは思っていないか、考えたこともない。
彼らにとって俺の家は書き割りの背景と同じなのである。
そのうち、夜に公園に来るすべての人間がバカに思えてくるようになった。
先ほど書いた通り、「自分の出した音がどのくらい遠くまで聞こえているか」「それが思いもよらぬ誰かの耳に届いているか」というのは「想像力」の話である。
なので、彼らは「想像力の無いバカ達」だということになる。
一方こちらは常に公園の音が耳に入ってくる。
自分の感知エリアの中に公共の場があるのだ。自分の感知エリアの中にバカが入り込んでくる可能性が常時あるのだ!
これは結構大変なことで、つまり自分自身が「公園の24時間警備システム化」してしまったのである。
これは良くないと思い、市に電話を入れた。
クレームではない。「夜間の大声やボール遊びを禁じる看板を立てられないか」という要望としてだ。
「あくまで自分は要望のつもりだったんですがねえ」と言い訳したいのではなく、あらゆる体裁において実際要望として伝えた。
いわゆる公園クレーマーとしての立場になりたいわけではないし、日中の利用のマナーは良く感じているというようなこともできるだけ言った。
結果、1週間内には夜間早朝のボール遊びや集会、騒音を立てる行為はご遠慮ください、といった旨の即席看板が立った。
この看板にはある程度の効果があった。
ありがたいことに地域の全体的な民度は低くなく、夜の利用者がこの看板を見て「もう1個の広い公園行こうか」などと発言する様子も見られた。
だが、それでも無視する者も少なくなかった。
そして、俺ももう手遅れだった。
警備システム化した神経は、最早日中の音ですら気になるようになってしまったのだ。
常時テレワークであるため、在宅せざるを得ない中、ボールを蹴る音や子供の騒ぎ立てる音が聞こえる。
いや、それでもやはり冒頭書いたような、「小さな、天使のように朗らかな子供たちの駆ける音」は何の問題もなかった。
中高生男子の声とサッカーボールの音が、いかにもたむろ連中を想起してしまい、聞くだけで頭痛がするようになった。
大半の少年たちは育ちが良く、騒ぎ立てはするものの、辺りが暗くなればささっと帰ってくれる。
だが恐ろしいことに、「そもそもいること」が許せなくなった。夕陽が沈みかけ、薄暗くなったあたりで「早く帰れ早く帰れ」と念じるようになった。
そして――どうにかベンチを撤去出来ないか?一部の区画だけでも閉鎖できないか?
いつしか「クレーム」を入れるようになったのだ。
ここで、非公園クレーマーであろうあなた方に問いたい。
あなたが想像する公園クレーマーが「子供の声がうるさい」と言った時、あなたが想像する声の主はどんな姿だろうか?
小学生や、幼児たちを想像していないだろうか?
そのうえで「まさかこんな子供たちを排除するなんて!」と憤っていないだろうか?
また、「勝手に昼間で想像している」のではないだろうか?
違うのだ。
もう少し上の年齢の、「自我が目覚め、夜遊びもしたい、生意気盛りの子供たち」なのだ。
そして、俺には今自宅の目の前にいる利用者が「良い利用者」なのか「悪い利用者」なのか判別がつかない。
全ての音を拾うしかないのだ。
そうなれば俺が言うことはただひとつ、「子供の声がうるさいんだ」である。
しかしその言葉から逆引きされる「子供」とこちらのいう「子供」には隔たりがあるし、経緯はいっさい伝わらない。
さて、そろそろあなたには幾つかの疑問、というより「ツッコミ」が生じていることだろう。
――引っ越せばいいのでは?
――家の防音性能を上げればいいのでは?
――イヤホンとか耳栓でなんとかならない?
――他の住民が気にしてないなら気にし過ぎなのでは?
引っ越しはそう簡単にできるものではない。膨大なローンが残っているし、自分ひとりの問題ではなく家族を巻き込んだ話になる。
窓を増設するという手がある。しかしこれも公園に面した各窓に処置するだけで100万円はカタい。マインクラフトみたいに素材があればポンと設置できるものではない。
イヤホンや耳栓というのは応急処置として有効である。しかし「自分の家で行動を制限される」ストレスの方が強い。なぜ自分の家で、家族との会話もシャットアウトし外界の音に我慢させられているのか、ということになる。
それに、これはまた派生的な「症状」なのだが、俺のようになると音だけでなく「窓を開けたら人がいる」という状況ですら悩みの対象になるのだ。目の前のバカがいつバカをやり出すかわからない恐怖が発生してしまうのだ。
大体、「夜間の集会はご遠慮ください」という看板がある状況で集まっている時点でそいつはルールを自己都合で無視できる人間なのは確定しているのである。
そんな奴が自宅から10m強先にいること自体がストレスになってくるのだ。
そして最後。
ここがまた、公園クレーマーと非公園クレーマーの隔たりの原因である。
公園クレーマーとは、恥ずかしいものなのだ。
だって、公園は良いものである、という世間の認識があるのだから。
そして既に、公園にクレームを入れるのは「わからずやの偏屈ジジイ」だとする一般通念があるのだから。
俺だって、もし街を歩いていてテレビの取材にあたり、「公園にクレームを入れるのってどう思いますか?」と聞かれたら、
「ウフ、うん、まあその、公園って子供たちがねえ、元気よく遊び回る場所だからねえ、その、それをねえ…」
などと口ごもるだろう。
「アッ、こいつ公園クレーマーの仲間だぞ!」と思われたくないので。
恐らくだが、インタビューで公園の騒音を肯定的に捉えている人の中にも、「実は参ってるんだけどね…」という人がいる可能性はゼロではないと思う。
こうして、公園クレーマーの印象は「誰にも理解できないキチ○イ」へとどんどん先鋭化されていく。
とはいえ、この日記では解決策を示して欲しいわけではない。
あくまで公園クレーマーとは何なのかを公園クレーマーの立場から書いているだけである。
ということで長くなったが、それでも、俺のような公園クレーマーに対して「偏屈」「気にし過ぎ」と感じる人は多いだろう。
それはそれで問題ない。何せ事実、神経過敏になっている。
最早俺は、バカが来て騒音を出すのがダメなのではなく「常にバカが来て騒音を出す可能性がある」ことがダメになっている。
もしかすると、今はまだ俺が愛おしく思っている小さな子供たちすら、今後は煩わしくなっていくのかもしれない。
そうなれば、次にニュースに登場し、世間から罵られるのは俺ということになるだろう。
だが、非クレーマーたる皆さんには、少しだけ想像をしてもらえないだろうか。
あなたがイメージする「公園」「公園の騒音」は、クレーマーの思うそれとは時間帯も対象人物も在り方も違っていないだろうか。
また、あなたは公園の目の前には住んでいないのではないだろうか。
ならば、「自分が自宅に居ながら公共の場の音を感知する警備システム化する」という感覚を知らないはずである。
何も公園クレーマーを理解しろとは言わない。
ご推察の通り、精神疾患的な症状は少なからずあるので、そこを含めて理解しろというのは傲慢であろう。
ただ、公園の騒音という社会問題について何か語ろうと言う時、少しだけ、想像をしてほしいのである。
最後に余談として。
あなた方が考えるツッコミにはもう一例あると思う。
――自分が若い時もやんちゃしたのに、今の若い子のそれは許せないの?
これはこれでデカいテーマなので書くなら別の日記として書くべきだろうことだが、正直に言えば「許せない」が「心の慰めにはなっている」という程度だろうか。
俺も学生のころ、男子連中で友人の家に寝泊まりし、近くの公園でバカ騒ぎした記憶がある。
下校時に彼女を連れ立って、公園の木の陰でいい思いをしたこともある。
迷惑をかけたし、その近隣の住民に我慢を強いたうえで「仕方なく許された」のが今の俺であることは解る。
実際それらは個人的には「いい思い出」として処理されているし、懐かしく思うこともある。
だが、「ならば自分も許そう」はそもそも道理でない。単に個人の思想の一種でしかない。
あえて極端な例を言えば、過去にゲーム感覚で万引きをした経験のあるヤンチャ坊主が成長して小売店の店長になったとして、自分の店の万引き犯に対して「でも自分もやったことだしなあ」と許せるかという話である。
学生の頃イジメを働いた人間が社会人になって会社でイジメられて「でも俺もイジメっ子だったしなあ」となるかという話である。
そういう因果律で人生を捉える人がいてもいいが、それがイコール正しい考え方ではない。
あと5㎏で100㎏の壁を突破するがなかなか太れないでいる。
とある広い公園で、年配の女性をナンパしてるスポーツ新聞片手じっじがワイ氏の後ろをついてくることに気が付いた。
ちらっと、ベンチに腰掛け隣に座れとジェスチャーしてるのが見えた。
ワイ氏は非常に麗しいツラをしている。
ハンターでいうところの優しい顔のミルキがボンレスハムと思ってくれればいい。
これが15-20歳ぐらい年上の一部の男性の性癖にずっきゅん刺さるらしい。
職場で、電車で、街角で、初対面であるというのに初手「ホテル行こう」という直球を投げてくる輩がいる。
道を歩いてても、いきなりジュースを買ってくれたり、小遣いを上げようと財布を出すおじさんもいる。
すぐスケベ話をしてくるので、そういう目的だ。
昭和生まれの男に、女のデブデブ脂肪が好きな層が一定数いるようだ。
もしくはデブ女はすぐヤれる、という成功体験をもっているのかもしれない。
平成、令和ときて、もろアウトなセクハラではあるが、ワイ氏はちょっと興味を持った。
スルーしていたが、戻って、ベンチの隣に座った。
じっじに比べれば若い女だ。
大喜びである。
会話は、競馬、競艇、どこに住んでるのか、独身か、男はいるか、などと個人情報を探ってくる。
じっじの一方的な会話と質問に、ワイ氏は嘘を並べて、真実は何ひとつ語らない。
嘘だらけのワイ氏の個人情報を聞き出して、じっじから結論であるところの「ヤりたい(意訳)」という言葉が出てきた。
先に、ワイ氏は興味を持った、と書いた。
興味は満たされた。
ワイ氏は少女時代からホワイトカラーからもブルーカラーからもお誘いを受けてきたが、
今回の60代半ばじっじも、隣に座れと席をべしべし叩いてみせたが、ワイ氏には指一本も触れないことが確認できた。
彼らは前時代の性規範で生きているが、痴漢行為と受け取られるような行為はしない。
これは失敗から学んだ学習成果か、それとも一応道徳心ある紳士であろうとしているのか。
判別がつきづらい。
『なぜ触らないのか』
誤解を恐れて尋ねることはできない。
「結婚したけど別れた。寂しい。女が欲しい」
「いいえ。いりません」
道を行く年配女性をナンパし、初対面のワイ氏をベッドに誘うようなじっじの人間性には間違いなく問題がある。
野良猫の交尾でもあるまいし、良識ある人間は名前も知らない異性と寝ようとは思わないのだ。
恋人でも結婚相手でもない男と金銭のやり取りもなくセックスする女はまずいない。
じっじの提案は「ガストで飯を奢る」という他愛ないものだった。
お互いに安いですねえ、とワイ氏は一人でちょっと笑った。
空の雲行きも怪しいし、帰ると告げて席を立ったら、また付いてくる、まだ話しかけてくる。
警告のちに面倒くさいけど警察コールかと思ったら、ヘルパーさんとそのお世話になる品の良いおばあ様が車椅子でやってきた。
ワイ氏はぱああああっと顔が明るくなる。
いいところに来てくれた。
じっじの目の前でその二人に話しかけた。
付きまとい終了。
何度か付きまとわれてるが警察が来る前に逃げてしまうパターンがほとんどだ。
一応、逃げてしまった場合でも警察に通報していいことになっている。
今回はワイ氏が付きまといに応じてしまったのがアカン要素で、本来ならば厳しく拒絶が望ましい案件である。
警察に通報した場合も、ワイ氏はたぶん怒られるか注意を受ける。
人間の食べ残しの味を覚えたクマが人里に降りてくるようなもので、
性欲と孤独に負けたじっじが再び年配女性や勢い余って未成年に近づいて警察に通報され、性犯罪者となり、逮捕される事態を招きかねないからだ。
一日の終わりに書き記して覚えられたら覚えていようと思う。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20230518235915
(削除後の元記事)
https://anond.hatelabo.jp/20230518235915
(魚拓)
https://web.archive.org/web/20230519152111/https://anond.hatelabo.jp/20230518235915
もう元ネタ消されてるけど、本気だか釣りだか分からない色覚異常ディス増田が話題になってたので、実際の2型色覚(赤と緑が判別しにくいけど、ぶっちゃけ日常生活への影響はほぼない、一番人数の多いタイプ)当事者
ちなみに「赤と緑が区別できない」っていっても、凝視すれば全く分からないわけではないです。赤と緑を並べて比較できれば区別はつく。でも、それぞれ単体で出されて「赤?緑?どっち?」と特定するのは難しい感じ。一番影響があるのは、Excelで作ったグラフの凡例が、どの色が何を指しているか分からなくなることかな。
結論から言えば、この増田のような差別を受けた体験なんて皆無に近いし、子供時代ですら一切からかわれたこともなかった。世の中はそんなに地獄じゃないです。友人も大体私の色覚については知ってる。
でもたった一つ、会社の関係者にだけは一度も明かしたことがないんです。それは、入社試験で色覚検査をされ、その検査を丸暗記で乗り切った経緯があるから。
私は、多くの会社が普通に入社試験で色覚検査を行っていた最後の世代に当たります。私たちの後輩からは、特定の職種を除いて入社試験時の色覚検査は禁止になったらしい。
ちなみに業種は某メディア関連で、一応「色を扱う仕事」ではあるんですね。でもデザイナーではないから、シビアな色彩センスを問われる場面なんてないわけです。そういう部分はデザイナーに依頼して、私はディレクションする立場なので。
結果として10年をはるかに超えて私はこの仕事をこなしており、色覚異常が仕事に悪影響を与えたことなんて全くありません。でも、入り口で“不正”をしてしまった関係上、なんか言い出しにくい。退職まで秘密を持っていくかもしれない。
他の人の仕事で、「この色遣いだと2型色覚には見にくいなあ」と気づくこともある。けど指摘したくても、「なぜお前にそれが分かるのか」を問われると面倒なので指摘しないままスルーしている。
カミングアウトしたらどうなるのか、少しだけ興味がある。でも、特に言い出す理由もないし、一応「試験で不正した」ことも否定できないので、少し怖さもある。まあ、今の部署じゃ低い評価がつくわけないくらい成果も出してるので、恐怖と呼ぶほどのレベルではないんだけれど。
「インターネットのくだらねーネタ」ってあるじゃん。なんJネタとか淫夢ネタとか。
ああいうのってまあ内容自体のくだらなさ不道徳さはあるけど脳機能としては結構高度なんだよね。
色んな文脈が絡み合ったものを理解して再構築できる人間と出来ない人間がいる。
林修自身も自分がそういうネタになってるのを認識してて言及してる。
発端として林修はメジャーリーグファンであることを公言してて、
松井を評価してるけどイチローは微妙っていうポジションも匂わせてたわけ。
これは当時なんJで開催されてた「松井とイチローどっちが凄いか」っていう党派性ゲームのポジションに似てた。
「いつも『ゴキロー』とか書き込んでる口汚いイチローアンチは林修」
みたいなネタに発展していった。
なんJの松井VSイチローのアホ丸出しなレスバに参戦してたら面白い
っていうそういう発想。
参考資料として、野球関連の林修ネタのまとめがあるから各自でチェックしてみて
https://wikiwiki.jp/livejupiter/%E6%9E%97%E4%BF%AE
ここまでは誰も不幸になってなかった。
林修自身自分がなんJで捏造されて遊ばれてるのをテレビでネタにして笑わせてたぐらいで。
なんJで捏造された林修像は支離滅裂でイチローとイチローファンを煽りまくるお下劣クソ野郎だったけど
「林修の書き込みが見つかった!」みたいなネタスレが立てられてて。
「チンコビンビンですよ 神」とか後にミームになったような頭わるそーな書き込み繰り返してる人物のIDを林修だって言ってて。
勿論何の根拠もないしイメージ的に林修がそういう人だっていう訳でもない。
普段の本人とかけ離れたバカな書き込みの数々だからこそ「これが林修だったら面白い」って言うそういうネタなわけ。
誰もそんなの説明しないけど暗黙知でみんなが面白みを理解して乗っかるっていう場。
やってることはくだらないけどこれはやっぱりある種の高度な脳の機能なんだよね。
いわゆるハッタショとか言われる人たち。
(ここでなんでハッタショという差別用語っぽい俗語で書くのかというと
各発達障害の人に不用意な迷惑を掛けない配慮でハッタショと書いている。)
で、理解できる人は説明されなくても理解できる話の構造が説明されても全然理解できない人。
(はてなブックマークもそういう人の割合が多い傾向を感じるけど。)
林修が「年収〇〇以上でない人間は足手まとい」と発言したっていう画像の数々も
元々は「言うはずのない発言を言ったってことにしたら面白い」っていうネタなわけ。
巧妙な切り抜き画像を最初に作った人間は誰かを騙すつもりも林修への害意もなかった。
「林修が2chのエロ画像スレに『チンコビンビンですよ 神』と書き込んでいる」と同じで
「林修が低所得者を容赦なくdisって足手まとい扱いしている」が面白かっただけなのよ。
”林先生がそんなこと言うわけない”が前提にあり、”毎度バカな捏造されてる林先生”の面白みが下敷きにあったわけ。
でもそれが拡散していくうちにネタの分からないハッタショが入ってきちゃって
そいつらは「本当に林修がこういう発言をした」って信じ込んでしまったり、
あのネタ臭い画像を「低所得者を叩くためのシリアスな武器」って思い込んだりするわけ。
ジョークグッズをマジ使いし始めるわけ。
ザ・ハッタショ。
面白いネタや盛り上がってる場に最終的には後追いハッタショが現れて
学校でも居たでしょ。感覚的なネタが理解出来ないけどみんなの輪に入ろうとして
同じネタをただ大声で連呼する、みんながうわつまんなって冷めちゃう、みたいな子クラスに数人は居た。
高校ぐらいだとそのズレかたも受容されるようになるけど、中学ぐらいまではいじめられたりハブられたりしがち。
今回の件であれば後から寄って来たやつによって
→「林先生は実はこんな差別的な発言をする奴だった!許せん!」
みたいなことに最終的になった。
どっちのルートも事実ではないし、ネタの意図でもないし、ハッタショ丸出し。
これが流布されだしたら林修も黙ってられないよね。
全然ネタじゃなくなって実害が出るようになっちゃってるんだもん。
自分の名誉も傷付くし、自分が棍棒にされて低所得者を傷つけてるし。
つまり現在林修の名誉を傷つけるようなデマ散布者になってる人間も
大半はおそらく悪意とか嫌がらせの意図はない。だからキツいというか。
外には必ずハッタショがいてそいつが同じネタを(理解出来ないので)一番つまらない形で(低所得者ヘイト)使い出して
挙句、平和に閉じてたなんJみたいなところが「デマを撒き散らした!」みたいに叩かれる。
いやいやいや。
わりーのは輪の中の人達じゃなくて輪の外にいるハッタショやんけって言う。
あらゆるコミュニケーショントラブルにはこういうハッタショトリガーが多い。
ハッタショみが強い人間ほど「なるほど、後追いハッタショが悪いんだね」という納得にはならない。
それもある意味当たり前で、
最初にそういうネタやってた人間達が何故そんなことしてたのか理解できないから。
どうしても最初の奴等に悪意や落ち度があったということにしたがってしまう。
単なるネタを自分達やその同類が深刻にしてしまったということも受け入れられない。
で「お前等が悪ノリをしたのが悪いのに居直るな!」みたいに怒りだす。
あれは何言ってるかというと「マジとネタの見分けがつかない我々に責任持ってこられたら困る!」って言ってる。
「それは自分達が悪いんじゃなくてこんなネタを作った奴が悪い」って言いたくなってしまう。
大事故起こした人が「トヨタはもっとちゃんとした自動車作ってほしい」って言ってたけど
原因作ってるのは100ぱーハッタショ達なんだよね。
ハッタショが居なけりゃ誰も不幸になってなかったんだもん。
「うわーネタって言えば何やってもいいと思ってる奴がまだいる!!」「幼稚!」とかだと思う。
けど実際ネタだったわけだしネタがわかる人間しかいない間はみんなハッピーだった。
林修当人だってあくまでネタと了解されたうえでであれば、捏造怪人「お林」がネットに暴れ回るのを面白がって見てた。
もしここまで読んでる最中に既に
「ネタって言えば許されると思ってるのか!」と言いたくなってた人、
あなたはハッタショの疑いが濃いです。