はてなキーワード: 大悟とは
視聴者・芸人含め千鳥を「理想の芸人像」みたいに見てる人が多いのは
千鳥がロケが評判になって売れたというのが大きいだろうなと思う
M-1決勝4回、THE MANZAIで3位・2位・2位って成績もめちゃくちゃ凄いんだけど
それの切り抜きとかが出回ったのが一番の理由だと思う
(YouTubeで「千鳥 ロケ」で検索すると数百万再生の動画がゴロゴロ出てくる。違法アップロードだけど)
一般人の店員と絡むとなるとガチガチ台本みたいなのは疑いづらい
(実際台本かもしれないんだけど、スタジオ収録のバラエティ番組に比べたら難しい)
それに加えて千鳥の2人の一般人に対するボケ・ツッコミがかなり自然体であることも重要
思った感想とか思いついたボケをそのまま言う、という姿勢自体が評価されてる
長文でたとえツッコミした時の「家で考えてきただろ?」みたいな違和感が
ノブが「クセがすごい」みたいな具体的な説明を省いたツッコミが受けるのも
本当に困った時ってこうなるよな、みたいな感情を受け手に与えているから
千鳥の2人はこういう「技術を感じさせない技術」にめちゃくちゃ長けてる
この「裏表がない」ことを最近のお笑い用語では「ニン」と言ったりする
つまり「客前でも素の自分が出ているか?」「これはこの芸人本来の姿か?」というのを視聴者が気にするようになった
芸人同士がプライベートで仲が良いかとか、キャラクターに嘘がないかとかまで評価されるようになっている
千鳥でいうと大悟は酒・煙草・女・ギャンブル好きみたいなあからさまに昭和の芸人チックなキャラクターを早い段階からアピールしたおかげで
浮気が週刊誌で報道されても大してイメージダウンしなかった、というのがその証拠
まとめると、
過去にも信念を持ってお笑いジャッジしてた人は沢山居るし、みんな正解を求めたり別解を評価したりで笑いとは? というのを突き詰めた来た
だけど、今までは賞レース審査、かなりの格下相手、芸人同士の飲み会等ではともかく、おもろいか否かについて、特にテレビ等で気軽に触れられる人は少なかった(ラジオだともう少し多そう)
怖いんよ、正解なんてないから。間違ったことを言ってしまうと自身の過去が全部崩れるから
ダウンタウンの松本とかも、これが正解これは別解、これは違うというのをあまり公言してこなかった
というかどちらかというと自分が正解を見せるからそれを見ろっていうスタンス(もちろん世間の評価が得られない方向性も多々あった)か
それ以降、というか、トップ層がそんなスタンスでしかも打率がそこまで高くないので、それ以下の芸人はどれだけうけてもこれが正解だとは言い出しにくい
一部には、自信自意識過剰で俺が笑いのど真ん中というスタンスも居たが世間で受け入れられるほどではなかった(痛かった)
千鳥はどちらかというと、世間一般では受け入れられにくい笑いの属性を持ったコンビだ
尖り気味
M-1決勝には何度か残ったが、点数が伸びず一般評価を得づらい
関西の笑いには適応したが、そのまま関東で通用するようなコンビではなかった
なので考え方を変えたんだと思う
アジャストできた、というか、そもそも根底には全国区というか基礎のお笑いがあった
それを恥ずかしがらずに表に出せるようになった
コンビの代名詞ともいえる、イカ二貫もクセがすごいも、ボケは奇天烈だが(寿司屋はそれ以外は特徴的だがイカはあえての前振りが無ければ受けないぐらいのシンプルにしてる)ノブの特徴的な突っ込みで笑いを誘うスタイル
もちろん、ネタの構成力があるからこそあの突っ込みが活きるわけで、だが、若かりし頃の千鳥だと、ボケが強すぎてあれほどのパワーのある突っ込みにはならなかったんだろうと
ノブの力を信頼したというのもあるだろう
話を戻すというかここからが本題
かつて、ベタなな笑いをやってる人は、大衆に一時的に受けてもそこまで芸人には評価されず、ブームが過ぎ去る前でも、笑いについて言及するのはリスクがありすぎた
シュール系というか変わったネタをやってる人でそこまでカリスマ的だったり、公に人の笑いの是非を評価できる人は居なかった
(ダウンタウン以前には沢山色々あったかもしれないが、あれだけ影響力のあった松本が結果で示す方向だったため、リスキー)
別に笑いって、テクニカルとかベタとかシュールとかベタとか明確に両極に分かれるわけではないが、どちらもバランス良くという存在はそもそも皆無だった
(少なくともテレビで見られる範囲では。ワンマンライブなどに行けば試行錯誤中とか後にハネる新たな方向性とかの萌芽を感じることはできたとは思うが)
千鳥が東京進出失敗して、独特の笑いだけで行くことを諦めて、ノブの普遍的な突っ込み力を再評価して武器として、全国区の芸人として売れた結果
そもそもコアなお笑いファンからめちゃくちゃ評価されてた感性と、志村けんのわかりやすいお笑いが融合してしまった
大悟にはそもそもベタというか、お笑い教科書の頭から数ページという笑いは重要なものだった
だがそれは、自分たちの売りになるものではないし、それで自分たちが売れる最大限の材料となるものではないという認識だった。今でもそうだろう
ただどこかの時点で、今の千鳥の笑いだけでもだめだし、わかりやすいベタな笑いだけでもだめ、ベタを避けることもマイナスという意識変化が起こったと想像する
長くなったので本題には入れずに終わる
この世の中でそういう層が男女問わず駄目にしてるわ
18禁サイトみたいな入場お断りシステムも廃れたしもうゾーニング無理だろ
声優とかVが誰々と熱愛とかマジでどーーーーでもいいけどそれでファンがアンチに変わる姿を見るのは面白い
全タレント総じて恋愛一切興味ねぇ 芸人が家庭に入って面白くなくなるかどうかだけだわ気にしてるの
大悟とか浮気してもノーダメだけどそういう世の中になってもいいと思う ワーキャー多いけどガチ恋勢居ないのも強いな
渡部だってスポンサーが許さないだろうけどネタに出来てイジれるならもっと出てもいいと思う 嫁の稼ぎで制作費出せば良い
俺だ。
今もこれを書く前にあらためて決勝ネタ2本見てきた結果、合計で一回だけ笑えた。う~~ん。
ボケのまさのりのバカすぎる発言にツッコミの渡辺が的確にビシバシとツッコミを入れるわりかし王道な漫才だと思う。自分の唯一の笑いどころはまさのりのボケの一つだったけど、世間では渡辺のツッコミの技術を評価する声が結構多い。間の取り方や発声が素晴らしいらしい。
でも、なんか、個人的に錦鯉のツッコミ自分の予想を"超えてこない"んすよ。
例を挙げると、
ま「こ~んにちは~!!!」
渡「こんばんは だよ。お前」
ま「俺ね、街中に逃げた 猿を捕まえたいんだよね」
どうすか。聞いてもそりゃそうだろとしか思わないワードでのツッコミが多くを占める印象がある。拙い原稿に対する編集者の指摘みたいな。赤文字、付箋で訂正ポイントを指摘してるみたいなツッコミが多い。
これがなんかあんまり笑えないんだよな。自分はツッコまれて初めて腑に落ちたり、ボケの時点では見えてこなかった要素がツッコミによって発掘されるのが好きなのかもしれない。というかツッコミってそもそもそういうもんじゃないの?2018の霜降り明星のボラギノールも、2019のミルクボーイのツッコミ内海のコーンフレークのこき下ろしはどちらもそれに当てはまると思う。マヂカルラブリーはちょっとパっと出てこないけど。(というかまだマヂカルラブリーのネタの面白さにピンときてない奴がいる。)
立ち戻って、錦鯉のツッコミは個人的にツッコミというより編集者なんだよなぁ。それがあんまり笑えない理由の一つなのかなと考えた。あとボケのまさのりのバカなふるまいがまだあんまり染みてきてない。もっと自分の中でまさのりとおバカなボケがしっかり混ざって自然なものとして、受け入れられたら笑えるようになるかもしれない。
あとこれはちょっと話変わるけど、最近ではラジオかなんかで言ってた千鳥ノブのツッコミ、というか一言がめちゃめちゃツボだった。
「真冬のロケの仕事でべろべろに酔った相方の大悟が上着はしっかり着て、下はパンツ一枚で駅の方から歩いてきた」ってエピソードの最後に、ボソッと
「ハンプティダンプティのシルエット」
良くないすかこれ。ありありと大悟の姿が浮かんできたし、なにより予想外だったから。これが錦鯉渡辺だと「下を履けよ、お前」になるんだろうか。
もう無理でその似てる男性芸能人の顔のほうに意識が引っ張られて体が反応しなくなってしまう
せっかくすごくタイプの顔なのに一度これが起こるともう何度見てもダメで
最近キツかったのはこの子似てる顔が全然出てこない、でもかわいい、いい!
ってけっこう時間をかけて確かめてきたつもりの女の子が、ふとした瞬間「千鳥の大悟の目の下のくま取ったらちょっと目が似てない?」と気づいてしまって
そこからはもう大悟にしか見えなくなってあーめちゃくちゃかわいい大悟だ、でも大悟だ
ウフって笑顔を見てももうコントやん、大悟のコントやんと思ってしまい思わずノブに寄せたツッコミをしたくなってしまう
どう考えてもかわいい女の子だ でもエッチな事をしてる想像をしようとするとどうしても大悟が出てきてしまうのだ
ただ話してるとか仲良くしてるだけならなんとか気配を消せるんだけど
エッチな事を想像した瞬間に限って大悟がスッと顔を出してくるのだ
セックスの最中によぎってしまって急激に萎えるという経験も何度もある
考えるにモテるような容姿の持ち主はそれだけ芸能人などで似てる人というのが思い浮かびやすいはずだ
芸能人というのは人に好かれやすい容姿をしていることが多いし、それだけパーツのどこかとか共通点が見つけやすいのだと思う
それがわかったところで、では誰にも似てなさそうな個性的な顔立ちの人なら大丈夫では?とも思うのだけど
残り二つは同一視しても良いが、敢えて分けるならゲームクリエイターに一人その表記のDaigoがいるらしい
元々はDAIGO⭐︎STARDUSTという名前だったが、BREAKERSというバンドを結成した時にDAIGOに改名
出生名は内藤大湖
よく本に囲まれて立ちながら早口で喋っている人の動画を見かけたらそれ、DaiGoです
弟が三人いる
配信を始めたことで割とフランクにズバズバ言ってくれるタイプだと判明
ちなみにウメハラがぁ!の実況の方はがまの油という人
俺はやったことない
絵は可愛い
大悟:
でもどっちもなんよって言うので
どっちかっていえば
なんよで目が細い方がノブで
この時代にタバコ吸ってるところが映っても「こんな阿呆がまだおるんや」で許されるタイプが大悟
しかも出演者がレミゼラブルなどに出演するミュージカルの中では一流と呼ばれる俳優が揃った。
信者は嬉しい!絶対見に行く!、よくわかってない人は推しが出るんだから見に行こう、大多数のミュージカルファンは何故寄りにもよって西野と手を組むのか?
更にはこの出演者の配偶者にミュージカル界を代表する俳優がいる。私はその俳優も好きだ。もちろん配偶者の仕事を全て管理するわけではないが間接的に関わってしまっているという事実、作品を見に行くのではないか宣伝を自分の番組でするのではないかとこちらも悲鳴の嵐だった。千鳥の大悟に捕まってないだけの詐欺師と呼ばれた男がミュージカル界を入ってくる。
実はミュージカルではない台詞劇のプペルを映画公開以前行っている。その際は主催がきちんとした舞台製作会社であった。演出家もプロの人であった。だがしかし、今回の主催は西野の会社、脚本演出は西野、公演の責任者であるプロデューサーは西野を愛してやまない23歳の若者だ。全てが西野の思うままの舞台なのである。
早速、演出助手が西野に悩みを相談する飲み会を「見るだけ」の権利が3万円で販売されていた。
今回の作品にクレジットされている人を調べてみるとミュージカル界において有名ではない人のほとんどが信者で構成されている。問題はそれ以外の人たちだ。
あるファンが映画公開の際に炎上した台本を大量に買わせる事件を例に挙げて本人に問題提議をしたところ「そんなことがあったんですか?」との返事があった。詳細を知らないという事態であった。ヒットした映画のミュージカル化、それをブロードウェイに持っていきたいという夢に共鳴でもしたのだろうか。(日本で行っているミュージカルは海外産のものが多く、国産を作らなければという思いが業界に数多くある)そのヒットしたカラクリも知らずに。もういっそのことなら信者ですって言ってくれたほうがいい。いいや最初から信者で構成してほしい。
ファンがごたごた言うな。離れればいいという意見もわかっているが、これできっぱり離れることができたらどんなに楽だろうか。それができたら本望でもある。
情報解禁時は悲鳴だらけだったネット上も今ではすっかり「やると決まってしまったものはしょうがない」という声が蔓延している。自分の推しは関係してないという人はもう触れないようにしている。触れるだけで損な案件なのである。
反対意見を曲げずに怒りを持ち続けることはとても体力が必要だ。まるでレミゼラブルに登場するバリケードを築く学生たちが「(加勢すると信じていた)市民は来ない 僕らは見捨てられたのだ」と諦めたとの同様に。
https://anond.hatelabo.jp/20210213230410
こちら、2児の父であり育児に全ステ振っている感じの父です。老増田心ながら、いろいろ伝えたい。
あなたと同じようなことがたくさんあった。ぱっと思い出すことを書いておく。今はこのようなことはない。過去の話だ。
保育園の送り迎えをしたくらいで褒められる。
雨の日、電動の子どものせ自転車に子ども2人を乗せて帰るときに、保育園の先生に「パパすごいわね」と声をかけられた。たしかに、これはかなりきつい。冬場は特にきつい。でもね、その発言がなされたとき、俺の隣にも雨の中で自転車に2人の子どもを乗せている別のママがいたわけ。そのママも同じだけすごくない?遅くまで残業している男女がいたときに、「ママすごいね」と言うのと同じ構図。褒めているようで侮っている。ちなみにその時は言いましたとも。「こちらのママ様も同様にすごいですよ」と。そしたら「あ」という顔をしていた。年配の保育士さんだったが、大悟したはず。
保育園の年配の先生の二人称複数形が「ママたち」「お母さんたち」
保育園の保護者会の役員をやったとき、自分一人だけが男性で、それでも「(ほぼ)ママたち」というくくりで呼ばれることがたびたびあった。「俺、ここにいるよ!」と毎回心の中で叫んでいた。
子どもを迎えに行ったら、「今日、トイレで汚してしまったんです。ママに伝えてください」と言われたこともある。
ん?俺が今、しかと聞いたぞ?
つまり、父親が育児における二級市民に序せられているという事実に、いろいろなところでチクチクされる。
しかし!以下の点から、そんな杞憂の8割くらいはなくなると思う。これを伝えたい。
第一に、そこまで育児ワークを多くこなしていれば、日常的に見ている人からの侮りやズレた褒めは減ってくる。
第二に、自分自身が慣れて気にならなくなってくる。
第三に、相手の言動がある程度予測できるようになってくるので、「事前に予測が立つ」 <- これポイント
ちょうど先日、近所にある学習塾が何周年記念とかで営業の人が家にピンポンきた。ノートをくれるというので、ひょいひょいとドアを開けた(ちなみに増田はコロナ前からずっと在宅勤務)。軽く前口上を聞いた後、営業さんは「お母様がいる時間にもう一度来る」と言う。そう来ると思っていた。マンション営業で夫がターゲットになるが予測できるのと同じで、学習塾・習い事系では母親がターゲット=意思決定者という前提になる。
「我が家の場合、これ系の窓口は私なんです。どうぞ私に話してください」などと伝えて、話してもらい、丁重にお断りしたらすんなり帰っていった。
一瞬、相手が「え?」という顔をするが、別に気にならない。そんな場面はたくさん見てきた。
保育園の入園説明会、保護者会、学校行事などなど、母親が来ることが想定されていて、父親がオマケ扱いされることが事前にわかっていれば、どのように切り返してそこに居座り、メインキャラクターであることを認識させるかを考えておくのがよい。
こんな感じで、切れることなく、男女平等だとかそういう高尚な話をすることもなく、ただ偶然、「うちの場合はこう」ということを伝えれば、角も立たずに丸く収まること請け合い。
父母のどっちか1人が担当になりそうな場面では、父が担当者になるよう事前に取り決めておくのもよいと思う。元増田の入園説明の場面を考えると、「あー、では妻が娘の相手をしますので、私がお話を聞きますね」などと言えば良い。その場で妻に向かって、「それでもいい?」と優しく付け加えるところを見せたりすれば、園長先生は誰か保育士を1人よこして娘の相手をし、父母の2人に話をしてくれるんではないかと思う。そして、園長先生には「俺はオマケじゃねー」というメッセージをしっかりと伝えることができる。希望的観測だが、その後は一級市民として扱ってくれるかもしれない。
瞬時のレスポンスを早くしようとするあまり、鼻息が荒くなってはいけない。大事なのは想定問答を用意しておくことだ。それにはある程度の失敗体験も必要。今回はそんな失敗体験の1つだ。