はてなキーワード: Facebookとは
真実を伝えたい。約70年前に結婚の約束を交わした日本人女性を探しています。
当時のペギー・ヤマグチさんの写真
アメリカのアイオワ州に住む91歳のデュエイン・マンさんは、海軍時代に駐屯していた日本で出会った女性、ペギー・ヤマグチさんを、約70年間探し続けている。
2人は愛し合い結婚まで約束していたが、ある出来事がきっかけで結ばれることはなかった。
マンさんはヤマグチさん、もしくはその家族を見つけ、真実を伝えたいという。
彼はその願いを込めて、Facebookに自身のストーリーを投稿した。
海軍に所属していたマンさんは、1953年から1954年にかけて日本に駐屯。1952年に日本政府に一部返還され「東京国際空港」(羽田空港)となった「ハネダ・エアベース」で海軍連絡係として働いていた(全面返還は1958年)。彼は空軍の下士官クラブの利用を認められており、ヤマグチさんはそのクラブでクローク係として勤務していた。
自由時間にはそこでスロットマシンの修理係としても働いていた22歳のマンさんは、ヤマグチさんとダンスを通じて仲を深め、恋に落ちていった。
約14カ月の交際を経て、式の準備が出来しだい結婚しようと計画していた2人だったが、当時、アメリカの軍人と日本人が結婚するのは容易なことではなかった。
そんな時、予定より数カ月早くマンさんに帰任命令が出た。結婚する間もなく、マンさんはアメリカに帰る飛行機に乗ることになった。
残されることとなったヤマグチさんはその時、妊娠していたーー。涙する彼女にマンさんは「心配しないで。貯金があるから、すぐに君をアメリカに呼び寄せるよ」と話した。
しかし、帰宅すると思いもよらぬ事態が起こっていた。すべての貯金が父親に使われていたのだ。彼はヤマグチさんに手紙でその旨を説明し、仕事を見つけて必ず早く呼び寄せると伝えた。
マンさんは高速道路の建設会社で仕事を見つけ、週6日必死に働いた。その間ヤマグチさんと手紙のやりとりをしていたが、約1カ月後には返信が来なくなった。
約3カ月後、妹が渡してくれたヤマグチさんからの手紙には、赤ちゃんを流産してしまったこと、そして日本で出会ったアメリカ軍人の男性と結婚したことが書かれていた。
実は、その間実家に送られてきていたヤマグチさんからの手紙は、日本人との結婚に反対だった母親によって燃やされていたのだ...。
会って真実を伝えたい
母親に手紙を焼かれて彼女の連絡先を失い、連絡の方法がなくなってしまったマンさん。それから約70年たった今も、未だにヤマグチさんを探している。
「彼女にもし会えたなら、見捨てたんじゃない、ということを1番伝えたい」とマンさんはハフポスト日本版の取材に答え、ぜひこのストーリーをシェアして欲しいと語った。
5月2日に投稿されたマンさんのFacebookポストはすでに700回以上シェアされており、400件以上のコメントが寄せられている。その中には、「見つけられますように」などの応援メッセージだけでなく、情報提供や捜索手段のアドバイスも多くある。しかし、未だに確実な情報は得られていないとマンさんは語った。
彼はすでに2度結婚を経験しており、6人の子どもと18人の孫、そして6人のひ孫がいる。彼らも今回の調査を手助けしている。
【ヤマグチさんの手がかり】
現在ペギー・ヤマグチさんの手がかりとしてわかっていることは、
・1953年~1954年に「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)の空軍の下士官クラブ(Air Force Non Commisioned Officers Club)でクローク係(Hat check girl)として勤務していた。
・当時の写真(↑)
・当時、「ハネダ・エアベース」(東京国際空港)すぐ近くの寮に住んでいた。
残念ながら、マンさんは 彼女を「ペギー」と呼んでおり、正確な日本語名を覚えていない。Facebookで彼は「Iyackoだったと思ったが...」と述べており、コメント欄ではAyakoやIchikoではないかとの憶測がなされている。結婚後の姓もわかっていない。
現在、アメリカでもこの投稿は広くシェアされ、ニュースでも取り上げられ調査の輪が広がっている。
【ヤマグチさんは米軍の男性と結婚したとのこと。その後、渡米しアメリカにいる可能性も高いですが、もし何かご存知の情報があれば、件名に「ヤマグチさん情報」と記入し、news@huffpost.jpにぜひご提供ください。編集部からマンさんに連絡いたします】
https://news.yahoo.co.jp/articles/27578dd76d48b1fc7dfe50e37769b7f496f77c7c
闘犬に襲われて女性が重傷の日本はどんなヤバい犬も飼い放題…最も凶暴な種類とは?
2020/7/9(木) 8:00
千葉県で、自宅の敷地にいた女性が闘犬に襲われ重傷を負い、彼女が抱いていた飼い犬は亡くなりました。動物好きの筆者にとっては、このような悲惨な事件を見る度に心が痛みます。たまたまなのか、それとも起こるべくして起こったのでしょうか。日本にいる凶暴な犬種を見ながら、今回の事件の問題点を探りましょう。
同署によると、男は1年ほど前から自宅で雄のピットブル1頭を飼育しており、自宅の敷地内で放し飼いにしていた。5月15日午前6時半ごろ、男が買い物に出ようと自宅の玄関を開けたところ、当時1歳のピットブルが逃げ出し、11時半ごろに約200メートル離れた民家の敷地に侵入。住人の女性=当時(66)=と抱いていた飼い犬にかみつき、女性は腕や腹に全治約40日の重傷を負い、かまれた犬は死んだ。
出典:女性が闘犬にかまれ重傷 抱いていた愛犬も死ぬ 放し飼いの男を書類送検 千葉
女性が自宅の敷地にいたところ、いきなり闘犬が侵入してきて、人も飼い犬も襲われました。想像しただけで、恐怖で足元がすくみます。命の危険さえあったのですから。日本にいる凶暴な犬を見ていきましょう
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishiimasumi/20200709-00187021
「あ、つながった?」
「あ、はじめまして。××社の△△と申します〜。〇〇様でよろしかったでしょうか?」
「はい、〇〇です〜。」
「お願いします。」
「〇〇様、この度は、ユーザーインタビューへのご協力ありがとうございます。」
「ん、お茶……?」
「あ、いや、な、なんでもないです。Amazonギフト券の方、よろしくお願いします(笑)」
「はは(笑) では、質問、早速、質問のほう、はじめさせていただいて、よろしいでしょうか。」
「はい、どうぞ。」
「まず、〇〇様は、はてなブックマークを初めて利用したのはいつ頃でしたでしょうか。」
「はい、えーっと、正確には分からないですけど、はてなブックマークが出来てすぐ、ぐらいの頃からじゃないですかね。」
「なるほど、そんなに前から使っていただいてるんですねー。あ、ありがとうございます。」
「いえいえ。」
「今年でサービス開始から17年になりますので、十数年くらいはご利用いただいてるのですね。」
「ええまあ、はい。」
「次に、きっかけ、はてなブックマークを最初に使い始めたきっかけというようなものは、何かあったのでしょうか。」
「元々、はてなアンテナを使ってたんですよね。」
「なるほど。」
「あと、あの、質問とかできるやつもかな、ヤフー知恵袋みたいな……」
「人力検索はてな?」
「そうそう、それです。」
「とにかく、そういうはてなのサービスを使ってて、新しくはてなブックマークが始まって、サービス開始と同時だったかは覚えてないですけど、そんなに間があかないうちに、いつの間にか使ってた、という感じです。」
「なるほどですね〜。それからずっとご利用いただいてるのですね。」
「まあ、そうですね。ただ、ずっと途切れずに、というのでもなくて、最初に使い始めたのはまだ学生、大学生の頃だったんですけど、就職してすぐとかは忙しくて、あんまり使ってなかったりして、そのあともアカウント、消したり作ったりで、いまのアカウント自体は多分四、五年前くらいからのですね。」
「なるほどです。」
「次に、はてなブックマークのご利用シーンについてお伺いします。まず、はてなブックマークをご利用される頻度はどの程度でしょうか。」
「頻度、そうですね、ほぼ毎日ですかね。」
「えっ、あっ……なるほど、ほぼ毎日ですね。どのようなタイミングでご利用されているのでしょうか。」
「通勤で電車に乗ってる時とか、家で暇つぶしにとか、ですかねー。」
「なるほど〜。はてなブックマークを利用、ご利用される主な目的、はどういったところでしょうか。」
「もく、目的……。まあ、暇つぶしとか、面白い記事を見つけるためとか……ですかねぇ……。昔はそれこそ、英語の勉強法とか、ブクマしてぇ、ちゃんとブックマークとして使ってましたけど(笑)、最近はもう見返したりはしてませんね(笑)」
「そうなのですね。」
「次に、何か機能などについてご感想、ご要望はございますか。」
「そうですね……。あ、なんかあの、建設的……なんとかみたいなのあるじゃないですか。」
「えーっと……。」
「内容によって、人気……コメントに出なくなったりとかの……。」
「あ、ヤフーさんの建設的コメント順位付けモデルのAPIですね。」
「はいはい、それです。あれってどうなんですかね、ちょっとなんというか……。」
「ご意見、さまざまなご意見をいただいていたところではありますが、先日、比較的平和な話題においては、APIの作用が小さくなるように調整が、先日、行われたところではあります。」
「そうそう、多少はね、マシになったみたいなんですけど、まだね、なんというか、文字数だけで足切り、されるみたいなところがあって、それはどうかと思うんですよね。」
「ご意見ありがとうございます。」
「なるほど。」
「最後に、はてな以外のネットサービスはどのようなものをご利用でしょうか。」
「はてな以外……。」
「例えば、SNSとかですね。」
「あー、Facebookは登録だけしてますね。ほとんど使ってませんが。」
「はい。」
「あとはTwitterは使ってますね。はてブで連携、Twitter連携はしてないですけど。」
「はい。」
「それぐらいですかね。」
「なるほどですね。では、ユーザーインタビューは以上になります。本日は、お忙しい中、ご協力いただきありがとうございました。」
「ちくわ大明神」
「誰だ今の」
リアルで知り合ったジジイやババアと連絡するために、ずっと避けていたFacebookを始めたんだけどさ。
恥とリテラシーのないババアやジジイのすくつ(何故か変換できる)
例えばこんなの
最近はそう言うことは無いのは、その後の世代はリテラシー教育がちゃんとされているから減ったよな。
しかし、日本のFacebookはそれより上の世代なのな。ジジイババアしか使ってない。
奴ら大脳が衰えて恥を忘れてるからか、無茶苦茶やってるのも見かける。
学校でネットのリテラシー教育がされている世代、概ね30歳ぐらいまでと、40際手前ぐらいまでのうち、実地で色々とやらかしてきたインターネット老人会の連中はまだいいんだよまだ。
しかし、30過ぎて仕事からネットを触り始め何かに目覚めたような奴や、その上はヤバイ。
最悪なのは、ある程度社会的地位を得て、誰も止める奴がいなくなってからネットを覚えたような世代。
そんで、その中にコメントデザインやってジジイババアを転がして商売してる奴らが少なからずいることもやばい。
こんな環境なら陰謀論でもなんでも出てくるわって思うわ。ザッカーバーグが理想とした世界はこれなんかな本当に。イーロンマスクはTwitterで言論を守るとか言ってるがその前に愚民共に英知を授けろよマジで
幼少の頃、俺には親友がいた。
そいつと出会ったのは30年以上前、幼稚園の年長の時だ。俺たちはすぐに仲良くなった。
未熟児で早生まれだった俺は人一倍体が小さく、何をするにも周りに遅れを取っていた。いじめられることも多かった。
そいつはそんな俺にいつも付き合ってくれた。何をするにも二人一緒だった。
一緒に行った入学式。校門で一緒に写真を取り、ドキドキして列に並び、名簿を見た。
俺たちは同じクラスだった。
放課後は補助輪の取れたばかりの自転車を漕いで、お互いの家を行き来した。
家に遊びに行く前には必ず電話をした。
当時は携帯電話も無かった時代だ。きっと電話の前で待っていたのだろう。
「今から行っていい?」「いいよ、早く来てね!」
社宅の庭で、よくボール投げをした。縄跳びをした。鬼ごっこをした。かくれんぼをした。
休みの日、ドラゴンボールの映画に行った。二人で特典のジャンボカードダスを片手に、20円のカードダスを回した。
まだ小学校2年生になったかならないかの頃だ。どうすればいいかわからなくて困っていた時、なんとなく俺が言った一言。
「その緑のやつ話しかけたら仲間になるんじゃない?」
知っていたわけじゃない。ただの偶然だ。
でもその緑のやつ、クッキーという名のサマルトリアの王子は本当に仲間になった。
「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺は仲間になったこと、役に立てたことが嬉しくて泣いてしまった。
2年生の夏を過ぎた頃、残念そうな顔をした親から告げられた。
そいつが転校するということを。行き先は海外だということを。帰ってくるのは6年後だということを。
俺は泣いた。嫌だと喚いた。7歳の子供にとって、6年は永遠に近い時間に感じられた。
楽しかった。俺とそいつは手をつないで館内を回った。もうすぐ会えなくなるなんて信じられなかった。
船の舵の前で、2人で一緒に写真を取った。それは宝物になった。
3月、ついに別れの日が訪れた。俺は成田空港まで見送りに行った。
「バイバイ」「手紙書いてね」「6年後絶対会おうね」「約束だよ」
5年生の頃だ。
俺には障害のある伯母がいる。障害は軽度ではあるが、少し言葉が不自由だ。
クラスメイトが、その伯母の口真似をしだした。
俺は子供ながらに、これは絶対に許してはいけないことだ。人として怒らなければいけないことだ、そう思った。
そして口真似をされたら、瞬間湯沸かし器のように怒り、殴りかかった。
当時の俺は学年で一番体が小さく、力も弱かった。
殴りかかられても怖くもなんともなかったのだろう。皆面白がって伯母の口真似をするようになった。
その度に俺は泣き、顔を真っ赤にしてそれを言ってきたやつらを追いかけた。
辛かった。親や教師には言えなかった。泣いて帰って来ても、「チビと言われた」と嘘をついた。
その時自分を庇い、寄り添ってくれる友人や大人は一人もいなかった。
俺は思った。そいつが、親友がいればこんな辛い思いはしなかったはずだ。
泣いている俺に寄り添ってくれたはずだ。皆に止めろと言ってくれたはずだ。
俺はそのシールを、自分にとって一番大切なものだったスーファミの本体に貼った。
シールにはにっこり笑ったイラストと、「ゆっくり育っていくんだよ」と文字がプリントされていた。
なんて返事をしたかは覚えていない。
時は過ぎ、中学2年生になった。
その頃はもう周りも悪いことだと気づいていたのだろう、伯母の口真似をされることはなくなっていたが、
俺はそいつと早く会いたかった。親友と再会すればきっと人生はまた楽しくなる、そう思っていた。
始業式の日、ドキドキしながら学校に向かい、クラス分けの名簿を見た。
教師からの紹介が終わり、下校の時刻になった。俺はそいつのところに行った。
俺たちは手を取りあって再会を喜んだ。
どんな音楽を聴いていたのかを知らない、どの野球チームが好きだったのかを知らない。
そいつが誰と仲が良かったのかも知らない。いや、どうしても思い出せないんだ。
そいつは昔とは変わっていた。カッコつけたがりで、多少勉強ができることを鼻にかけ、
スクールカースト上位グループに絡みたがる、いわゆるキョロ充になっていた。
いや、それは俺の負け惜しみかもしれない。実際にそいつはリア充だったのかもしれない。
そいつは部活も同じテニス部に入った。俺がいるから入ったと、初めにそう聞いたような気がする。
俺は部活に熱心では無かったが、それでも何回も一緒に練習しているはずだ。
他校に試合に行っているはずだ。一緒に合宿に行っているはずだ。
でも俺にそいつと話した記憶は、笑いあった記憶は、共に時間を過ごした記憶は、一つも残っていない。
何故そうなってしまったのか。拒絶したのはどちらだったのか。恐らく、お互いに失望していたのだろう。
俺は当時、歩み寄らなかったのはそいつだと思っていた。自分の気持ちは変わっていないと思っていた。
でも本当は拒絶したのは俺だったのかもしれない。変わってしまったのは俺だったのかもしれない。
いけ好かないやつになってしまった、そう思うことで、自分のプライドを守っていたのかもしれない。
俺の部屋の、シールの貼られたスーファミが置いてあった場所は、その頃にはもうプレステに代わっていた。
先日の話だ。登録しただけで何も書いていないFacebookに気まぐれにログインした。
ドラクエVをやって、隠し部屋のヘンリーを見つけて、「あいつ仲間になるんじゃない?」って言い合って、
そうして育んだ絆の上にこそ、「それ以降」が続いてほしかった。
今でもドラクエで誰かが仲間になった時の音楽を聴くと、少し涙が出そうになる。
「あの緑のやつ、話しかけたら仲間になるんじゃない?」「すげー!」「なんでわかったの?!」
俺には幼少の頃、親友がいたんだ。
日本的な考えからすると、稼げたとしても、会社のものに投資するじゃん。
ソフトウェアは、数人の天才によって利益が違うんすよ、って指摘もあるだろうが、
膨大なサーバーやらハードやらの資産があって、それを活用するからこそソフトで利益がでる。
1人の天才がソフトを作って世の中が覆るのだったら、Google/Amazon/Facebook/Netflixなんてすぐ覆されるはずだが、そうはならない。
マスコミによる見せ物、吊し上げの場、一般庶民の溜飲を下げる場に成り下がっている。
質問も同じようなことを何度も繰り返し訊くし、質問の仕方も洗練されていない。
全て説明したとしても、マスコミが「納得」するまで何時間でも延々と続けられる。
何を説明すれば「納得」してもらえるのかもよくわからない場で、何時間も記者の下手くそな質問に付き合わなければならない。
謝罪会見を開かないと、公の場できちんと説明したことにならないという考えもよくわからない。ホームページやブログ、Twitter、Facebook、YouTubeなど、利用可能なメディアがあふれる中でなぜ記者会見という形式だけが特別視されるのか。同じことをホームページ等で説明するのと、記者会見で説明するのと何が違うというのか。
まぁその答えはなんとなく想像はできる。責任者と目される人に公衆の面前で直接質問をぶつけたいのだろう。そしてその責任者と任される人が額に汗をかきながらしどろもどろに説明する様を映像に残したいのだろう。責任逃れと思われるような発言があれば、そのシーンを繰り返しテレビ放送し、往生際が悪いとこれでもかと強調したいのだろう。それが見せ物、吊し上げでなくてなんだというのか。
上手な謝罪会見のノウハウのようなものが流通していることも一つの病理のように思える。
今回の知床の件で言えば、謝罪会見の場で社長が何を語ったとしても、警察や国土交通省がその発言をもとに事実を認定して処分を下すことなど考えられない。
警察や国土交通省などしかるべき機関が法律の手続きに則って淡々と調査・捜査を行い、処分すれば十分である。それ以上に謝罪会見などという、具体的ルールがあるのかないのかよくわからない場で数時間も語る必要などない。
謝るのであれば被害者やその遺族に一人一人頭を下げればよいのであって、マスコミや一般庶民、ましてや世間などという実態のよくわからないものに謝る必要はない。
「増田をやめよう」とかいうつまらんツッコミが沢山されるんだろうけど、ぶっちゃけ増田は「元増田に徹する」なら優先的に辞める意味は無いと思う。
ただ「5chを辞めたならはてブも辞めるべき」はガチだと思う。
間違いなく今のはてブは最悪な状態の5ch、いや……もっと酷くてふたばやバクサイの肥溜めスレに等しい。
TwitterやFacebookの方が酷いみたいな事を口にして必死に誤魔化してるけど、フォローする相手を間違えなければ普通のTLも作れる他のSNSと違って、はてブはどんなときも肥溜め状態。
その中で「非表示機能を使いまくれば良い」なんて言ってるのがもう完全に狂ってる。
だってそれって「ここはウンチがいっぱい落ちてるけど酸素ボンベを背負ってれば別に臭いってわけじゃないからあとは踏まないようにするだけだよ」みたいなもんじゃん。
「流行ってる記事は読んでもいいけど、ブックマークは絶対に見るな」
でもそれならもういっそ見るの辞めたほういい