はてなキーワード: ヒステリックとは
多重派遣プログラマを20年以上やっていた就職氷河期高卒増田が出会ってきたパワハラ上司、パワハラ顧客たちの記憶。全部昔の話。
増田が結婚した時のこと、新婚旅行で1週間休むと伝えたら「派遣社員なのに結婚するんだ?」と高笑いした某銀行システム部の50代社員。
そうなんすよーと答えつつ、ホントにこういう奴っているんだ!と感動した。
タクシーで帰ることが認められていた。
プロパーのリーダーは毎日15時すぎに出勤して24時にタクシーで帰るのである。
私は朝9時に来て、毎日21時~終電あたりで帰っていたが、タクシー男、自分より早く若者が帰るのが気に入らない。
ある日嫌がらせで、後に聞いた話だと「あいつは絶対出来ない」と他者に語っていた課題を渡された。
アホくさいのでその後は毎日昼すぎに出勤してタクシーで帰る生活にした。労働時間はさほど変わらなかったが何も言われなくなった。
ゴルフ経験者増田。若手の時は手取りが17万円なのに、参加費が4万円(名門コースのプレー代込)かかる年2回の自社ゴルフコンペにしつこく誘われた。
出向先に総務部長、常務、社長から電話がかかってきて、最終的にはゴルフをやれるほど給料貰っていないと言ったが、1度、老いた会長のキャディをやらされつつ回ることになった。
その日のコンペの準備も当然全部若手増田。楽しさなど微塵もない。苦行。
現場に入った直後、いきなり仕様書を渡され今週中にやれとだけ言われ、他は何も教えてくれない。
今であれば開発環境、システムの概要など現場に入ってまず何を見れば良いか解るが。
まず何をどうしたら良いかを尋ねるとブチギレ。他の社員に助けられる。
「田舎に帰って頭の使わなくていい缶詰工場で働け。業界にいたら迷惑だ」
強く叱責された後、地下鉄の電車に飛び込みそうになる自分が居た。
その10年後、別な現場の上司(プロパー会社の社員として転籍していた)として缶詰男が登場。
だが仏のような性格に変わっていて、当時の俺は頭がおかしかったと謝られ、2人で昼飯を食う仲に。
だがそのおかげで他人が死にかける事もある。
不具合多発のシステムの開発現場、SEを奴隷としか思っていない顧客システム部。
その中で25歳くらいの女性がいたが、まだ若手なのでシステムの知識が浅い。
顧客システム部の方針で指摘をいくつか上げなければならないのか、ドキュメントの語句のどうでも良いツッコミが多い。無駄なテストのやり直しも多数要求。そして性格が偉そうでヒステリック。周囲も止めないしわりと偉そう。
開発側にメンタルを壊される人間が現れ、一次受けのSI会社の営業が「お前が〇〇を壊したんだよ!!!」と客である姫にお前呼ばわりで超ブチギレ。
というPJの端に目立たないようにして座っていた。
リモートワークになった時、自堕落な増田が働いているのか、下手すると1時間おきに起きてます?働いてます?と聞いてくる年下現場リーダーがいた。
全く失礼なやつだが、わりと寝てたし、仕事してるときもアニメ見ながらプログラム書いてた。ごめんな。
これも20年前の話。
某巨大システムの現場の打ち上げ、1次会は普通に居酒屋だったが、二次会に連れて行かれたのがPMの大好きなフィリピンパブだった。
逃げれず、自分の前についたのは20歳の若い子だった。 だが、日本に来たばかりで日本語が喋れない。増田はコミュ障で喋れない上に英語が喋れない。今みたいに携帯で翻訳も出来ない。
次に行くぞ!の号令が聞こえた時に逃げ帰ってきた。
ちなみに支払いは大手SIの会社の若手が入社時に貴族カードを持たされていて巨額の支払いが来たと言っていた。
銀行システム部に出向(立場上は銀行員側になる)した際、海外の支店のシステム担当と毎日英語でやりとりをしなくてはならなくなった。
私は英語だけは本当に出来ないと伝えていて、出向する際はプロパーの営業から英語以外の仕事で大丈夫と聞いていたのだが、現場のリーダーにその事を伝えてみると、「そんなの(英語を使わないのなんて)許されないですよ」と笑顔で即答された。詐欺だ。
プロパーの営業に文句を言うと、ごめんね。じゃあがんばって。との返信。詐欺だ。
翻訳サイトを使い、泣きながら英語で文章を書いたが、高学歴の銀行員に文法の怪しい英語を嘲笑されつつ英語のメールを描き続けた。
とある現場の大手SI企業の40代後半リーダー、金曜日は早く帰って沖縄に発ち、月曜日の早朝に東京に戻って来る生活をしていて、月曜日は毎週のように雪塩ちんすこうをくれるのである。雪塩ちんすこうすき。
プロジェクトが終わった時には増田、韓国人中国人の部下達へ、南青山の高級フレンチで自腹で奢ってくれたりした。
人生楽しそうな人であった。仕事の振られる量も的確で嫌な空気になったことも無く、ほどほどの緊張感もある良い現場だった。
自腹で奢るのが良いという話では無い。
今は派遣プログラマを卒業して起業し、全く別の業種で働いているのだが、それから何故か更に8キロ太った。おかげで高血圧。
もっと酷いことが色々あったはずなのに、辞めてから2年以上経つともう記憶があやふやだ。
どうやら喉元を通り過ぎてしまったらしい。
こういうことを言うと警察の肩を持ってるみたいなヒステリックな陰謀論者に叩かれそうだがよく考えてほしい。
当該事件の警察の担当者、要は調書を取るレベルの捜査官なんて本当に数人しかいない。
入れ代わり立ち代わり登板で何十人もの取調官がやってることなんざあり得ない。
国民が注目してる事件だけにただの無理心中ではない警視庁でもトップの集団が慎重に情報も管理している。
そんなエリート集団が芸能マスコミごときに数万から数十万程度で情報を売るだろうか?
まあどの組織でも不良人員が居たとして万が一捜査情報を流したら?秒で特定されて懲戒処分だろう。
マスコミとズブズブで情報交換してるんじゃないの?っていうのもちょっとフィクションの観過ぎである。
よく政治家の汚職事件なんかで検察と新聞社が情報を交換しあってるなんて話はある。
ただこういうのも昔の捜査トップが絶大な権力を持っていたごく一部の例だろう。
そもそもマスコミにメリットはあっても警察側にメリットが薄すぎる。
このコンプライアンスやらに厳しい世の中でそんな情報取引が他のメディアに報道されたりしたらどんなエリート捜査官でもクビが飛ぶだけではすまない。
お硬い上の組織がオーケー出すはずもないし何十人の部下、ライバルである同僚のうち一人でも、そのマスコミとスタンドプレー決めた上司を嫌いな人間がいたらライバルメディアに告発されれば終わりである。
要はもっと警察組織が絶大な権力を持ってスタンドプレーが許された昔の時代でしかまずあり得ない。
まあ現代でも相当なカリスマ的な捜査官がいて上も下も掌握しきってるとか、よほど警察組織とメディアの利害が一致しているならあり得なくもないが、
今回のような芸能やらスポーツ新聞を賑やかすような三面記事で乱発されるようなことではない。
じゃあ今回の猿之助の「両親に薬を飲ませてビニール袋被せた」なんてどうやってかけるんだよ!メディアはエスパーか?
って話なんだけどなんのことはない。こういうのは捜査担当者以外の関係者たちが喋ってる場合が99%である。
誰かって言うと現場に行ったマネージャー、救急隊員、一報を受けて駆けつけた警備会社の社員や近所の警察官(警官じゃねーかって話もあるが報道されているような取り調べに当たった捜査官ではない)、担ぎ込まれた病院で問診した医師、看護師などなど。
これぐらいの事件ならまあ一次的に情報に当たる人だけで数十人いる。
そして二次的にビニール袋云々程度の情報ならこの数倍の人間に共有される。
病院関係者はもちろん、芸能事務所も対応に追われるし対策を話し合うために人数は絞るとはいえ決めることは決めなければならないのでそれなりの人数に情報が共有され検討される。
結果100人、もっというと数百人程度は知っている話なのである。
これだけの人数で誰一人情報の漏洩がないっていうのはまあ無理な話である。
「警察とか医療関係者っていう守秘義務がどーのこー!」ってキレたところで芸能事務所やら警備会社やら病院の関係者なんかは特別高い職業倫理感を持ってる人ばかりではない。
ふつーの務め人でありたいしてお給料があるわけでもない。
それは喋っちゃうのである。マスコミではなくても周りに。家族や本当の仲のいい友達なんかもあるだろう。
こんだけの大事件だ。話題に上がったら「実はさ…」なんてなるのが人情ってもんである。
そうなったらもう分かるね?マスコミが知ることになるのは時間の問題である。
文春やらフラッシュが三面記事の捜査関係者の談話って書いてるのはほぼ間違いなくこういう関係者の話を少し裏取りしたものだ。
裏とりは簡単だ。こういう何百人いる関係者に「ビニール袋被せたんですよね?」って聞けば頷く。
自分が漏らしたわけじゃなくメディアが最初から知ってたんだから。
最後にマスコミがなんで捜査担当者って嘘書くかと言うとそっちのほうがそれっぽいからである。
それでなくても取材源の秘匿ってのは週刊誌レベルでも最優先の事項でありそれを無視した原稿は校正の段階ではじかれる。
芸能事務所の電話番のパートさんの家族から情報を得て裏とりをした場合でもその人を特定されるようなことは絶対に書かない。
なんならそこだけフェイクを入れたい。別にビニール袋云々が正しければその部分は誰でもいいのだ。
というわけで一番説得力が増し、読者が納得し、なおかつ反論をしてこない「捜査関係者によると」が乱発されるのだ。
「マスコミがそんな気を使うかよ。テレビで雑に人の入れ違いとかしてるじゃん」とか言われそうだが、
それは昨今のテレビ業界が金がなさすぎて制作会社に丸投げで無能で全くスキルも何もない素人のスタッフが取材も裏とりもチェックもしてるからである。
別に文春やらフラッシュを持ち上げる気はさらさらないが活字メディアの叩かれやすい週刊誌のデスクがそんなことはしない。
スポンサーは気にしないかわりに訴訟リスクは常に抱えてるし実際に訴訟されている。
そしてテレビみたいにありネタじゃなく常に新ネタで勝負する関係上、リークする側に「文春とかに漏らしたら酷い目に合う」なんて思われたらもう食っていけないのだ。
読者や広告主に嫌われても情報提供者は守る。それが週刊誌の生きる道である。
よくマスコミと一括りにされるが活字とテレビで気を使うポイントがまるで違う。畑が違うんです。
じぶんに都合がわるいことにだけヒステリックに難癖つけるのってよくないなー
人生が詰んでしまったので年内には死ぬ予定なんだけど、その前に両親を旅行に連れて行こうと思ってる。
大学の英米文学研究会で出会ったうちの両親はイギリス文学が大好き。母は家にやって来た頃から家事をしながらウォルポールの「on modern gardening」やワーズワースの「Lucy Gray」を口ずさんでいた。父はシェイクスピアが大好きで、中学生の頃「お前は知らないだろうけど、母さんにはレディーマクベスのような冷酷さと残忍さがある。優しいだけ、綺麗なだけの女性には魅力なんてないんだ。覚えておけよ」と言われたのを今でも覚えている。
そんな2人だが、なんとイギリスに行ったことがない。俺が生まれたのは南ア・ハウテン州の郊外だったし、そこから東京を挟み母を加えてシンガポール、また東京を挟んでニューヨークと各地を転々とした。他にも様々な国を旅行で訪れているのに何故かイギリスだけは行ったことがない。予定していたことはあったが、不運が重なって行けなかったらしい。ちなみに両親がニューヨークにいる間俺はニューハンプシャー州エクセターのボーディングスクールに入れられていた。ここでは食事のマナー、言葉遣い、服装の着こなしなど全ての所作が教師たちの理想通りに矯正される。数学の授業ではトップだったが英語の授業ではいつもローラ・ブッシュの友人だというテキサス出身のヒステリックな女教師に発音や文法を矯正されていた。この授業では英文学を扱うので俺は英文学が大嫌いになった。
2人が行きたい所は決まっていて、イングランド北西の湖水地方。湖水詩人と言われる多くの詩人がこのちをテーマにした詩を作り、或いは旅行に訪れている。両親は昔からここに憧れていた。
秋に2人を旅行に連れて行くべく、現在アルバイトに励んでいる。8月までの稼ぎにもう1人の母方(現在の母は継母である)の祖父が亡くなった時に代襲相続したお金を合わせれば予算のことを気兼ねせずに2人を連れて行ける。両親は一人息子の俺が人生に詰んだことを除けば仲睦まじい幸せな夫婦だ。そんな2人の人生の中間地点に一輪の花を添えるべく最後にして唯一の親孝行をしたい。
多分同じ感じ、突然CMの曲を往来で歌い始めたり興味のあるもの目掛けて逃げ出したり、たびたび買い物の隙にいなくなったり、6歳の頃には電車で15分のところに出かけてる最中に行方不明になり、警察にもお世話になり散々探し回った親が憔悴して家に戻ったら目の前の公園で遊んでたり、奇言を叫び回って散々同行者を恥ずかしい目に遭わせてくれたりした。
母親は若干私にヤングケアラーとして下の子を押し付け気味、小学校から配られるプリントに書かれている障害向けの講座に連れて行けばと言ったらヒステリックにキレ散らかした。
本当に本当に本当にたいへんだった。
4歳で見よう見まねで「10歳から始めるBASIC」という本に書かれたプログラムを打ち込んだりしてたものの理解しているからどうかはよくわからず(でも、ちゃんと描画を始めて動いてたから仕組みは最低限理解してた様子)、たまに奇声を発したりおかしな挙動をするくらい。同級生にもバカにされているようで何回も助けに行った。
叱られても、何かされても、気にも止めずに飄々と自分の興味のみに突き進み、目を合わせて話せるのは1秒もてばいい方、とにかく没頭と多動を行き来してた。
そんな彼が頭角を表したのは中1。当時高2の私が数学を親に言われてしぶしぶ見に行ったら、すごい速さで応用問題を解く、すぐに私ができる範囲を彼は超えてった。高校の頃にはほとんどの問題が解けるようになっており、受験はどこの大学も数学だけは解けた。そう数学だけ突出して、でも他の教科も国語以外はまあまあ取れてた。英語も高校レベルでは大丈夫だった。(その後、院に入った時に書いた論文の下書きを見せてもらい書かれてる文法に頭を抱えた。)政治家と選挙区と任期についても全国の衆参ほとんど覚えていて会派まで覚えてた。まるで意味がわからない。
結果希望の進学はできなかったものの、転入する形で希望大学の希望学部に。その年の転入合格者は少なく、英語の点数が足りていなかったものの数学などで入れて貰えた、らしい(面接時にそう言われたらしい)
色々端折るけど、その後発達障害なのがわかった。そもそも彼が子供の頃、何かの障害はあるように見えてもそれをはっきり定義づけるものが成立してなかった。考えてみたら父親もアスペルガー気味(キレると叫びまくって手がつけられない。モラハラ傾向。小学校で高校の数学は終え、成績が異常によかったと複数人の同級生は私に語り、留学中にメンザに誘われたらしい)母も何かしらあると思う(常識がどこかに飛んでる。目を離すとゴミ屋敷を作る。問題多々あるのにコミュ強。人の顔と名前を50人くらいなら数分で覚える。一瞬見たら定着するらしい。意味がわからない)
弟は今人生うまくいってるかというと微妙だけど、明らかに上のレイヤーで戦っていけるだけの力がついてる。羨ましい。
両親も7歳になってもろくに会話にならないし、字は書けるのに本をちっとも読まないし、彼が12歳になるくらいまでは本当に弟については悩んでた。
彼が色々困難にぶつかりながらもうまく生きていけてるの、多分私のおかげだと思う。
冗談はさておき、母や祖父母が私の目から見ても甘やかしてるぐらい温かく見守っていたのも大きいと思う。
父は忙しすぎてややこしい子育てほぼ放置だけど叱る時はこっぴどく、甘やかす時はとことんで、休暇毎に海や山へと連れて行き無理難題を提示した。
自分で感情の整頓がうまくできなかったりして小学校で意地の悪い教頭に目をつけられたり、いじめに遭いかけたりしてたけど、母は弟の好きなものを夕飯に出したりしてた。
彼には家でそういう環境が必要だったのだなと今なら振り返って思う。
母は小学校高学年の私に障害向け講座の参加を勧められた時、本当は必要だと思ったけどその事実が受け入れられなくて苦しんでたらしい。すぎたことはしょうがないしその頃は分からなかったけど、本当に悪い事をしたと思った。
ともあれ、元気に大きくなって本当に良かった。親父お袋グッジョブ。
今本人は風変わりではあるけれど穏やかで少し臆病で正直で悪さ出来ないくらい大人しいおっさんとして暮らしてる。友達も少しだけならいるらしい。
人事の人にはバカだと思われてるのかなってエピソードとかあって聞いてて不安になったけど、チームではうまくやってるみたい。
できる事を伸ばして頑張れる場所を見つけてて本当に良かった。
でも、本人も周りと比較できるようになった後、もっと大変。普通にしているつもりで誰かに目をつけられる。多分人よりも疲れるし、子供の時は特に辛い。大事にしてね。これだけよく見てる増田だもの。大丈夫。七五三はやってみたら案外上手くいくものよ。増田と増田嫁の祝いの区切りとしても是非トライしてほしい。もし残念なことがあったとしても、きっと10年後にいい思い出になるよ。その頃には上の子も大きくなって笑えるようになってる。色んな事を教えられるのは増田たち。トライしなかったら何も残らない。
障害が出てない方の子であまり周りに構ってもらえなくて放浪してた記憶があるんだけど、下の子がお兄ちゃんを大事にしてくれるように、でも平等に楽しく元気に育ててあげてほしい。
書いてくれてありがとう。
あの時期はそれぞれにとって本当に修羅だったのかもしれないけど、過ぎてしまうと懐かしい思い出だし、当時悩んでた家族みんなを思い出した。
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(そろそろ誰もみてないかな。)
元増田の苦労がわかる気がするのは俺だけ、と思って書き込んだけど、コメントがついてて&過分な褒められでびっくりした。ありがとうありがとう。
全然えらくないよ。弟で一緒に暮らしてたから、意思疎通がままならない時代はまあなんとかしないといけないけど、別に同じ親の子ってだけで四六時中真摯に向き合ってたわけでもないし。
32時間やってたFFⅤの記録を手違いで上書きされてた時は飛び蹴りしたし。普通に喧嘩もよくやったよ。
その後親に怒られるのこっちが多かったのを今思い出して不服はあるけれど。
今は色々話し相手にもなるし、専門知識もかなり長けているからアドバイスしあったりする間柄だよ。
あと、振り返ってみてうちの親は多分自分がいなかったとしても、それはそれでうまく回していけるだけの別のルートを辿ってたんじゃないかな、まあ自分がいた方が絶対幸せだったと思うんで(?)、先に俺産んでおいて親父お袋グッジョブ、とは思う。
ただ、世の中に弟みたいな人で生きづらい思いをしている人、単に自分が気づきやすいだけなのかもしれないけど、結構いると思う。
そして本人がうまく社会とコミュニケーション取れないから、それだけで酷い扱いを受けたり暴言吐かれたりしているシーンもあってさ。
それでもまだ、弟の時代は枠から少しはみ出ていても、まだ周りの大人が得意不得意はあるから、って目こぼししてくれているありがたい人たちが多かったけどさ、
今は、コミュニケーションがうまくできて、それ以外のやつは社会の荷物、みたいな雰囲気があるでしょ。
多分、コミュ強の反対はあまり人馴染みが良くないのかもしれないけど、弟も、元増田の長男も、私自身ですら、今のそういう雰囲気にうまく馴染めているかわからない。
そんなことに、たまにとっても辟易する。
そういう風に切り捨てていくのは本当に豊かな社会なの?って。
コミュ強ばかりで成り立つ社会って、それはそれで強いものになり得るのか、と思うとそうでもないと思うし。
だから。
えらいね、すごいね、って言われるよりも、こういう人もいるけれど、少し自分の興味に突進しがちの人がここにいていいんだ、って雰囲気の社会になるようにできたらいいな。って思う。
多分これは私が幸せ、というか、気になってしょうがない事が軽くなるための一つの解決の糸口。
なので、ちょっと変わった人だなって思っても、別に積極的に助けてあげよう、とか気負ったことはしなくていいから、
変に攻撃的になったり、無視したりするようなネガティブな態度を取ったりしないで欲しいのと、
周りでもしそういう図式でのコミュニケーションを見つけたら、それとなく少し緩和する勇気を持ってくれると嬉しいなって思ったりした。
そりゃあもう白熱してたんだわ。
そしたら嫁さんが「玄関の鍵がしまってなかった」みたいなこと言ってきて
「聞いてる?」としつこく言うので「聞いてない」といったら
そのあともぐちぐちぐちぐち。
たまの、父親と子どもたちの団らんをぶち壊してまで言うことちゃうやろ。
とは思ったが、もう平謝りだよ。とほほ。
https://twitter.com/wasanbong/status/1655726721193365504
このツイートを読んだ後
https://twitter.com/Rairai_Baby0517/status/1656088314280296448
このツイートを読んだんだが、文章力の違いに泣いてしまった。あんなにもダラダラツリーをつなげているくせに、「僕は何も悪くないけど、趣味を奪われました。ヒステリックな妻のせいです、あーあ。」しか伝わってこない。彼の小説のさわりの部分を軽く読んだだけでも面白くなさが伝わってきてしまう。
悲しいことに彼の文章はなろうの中ではかなり読みやすい(誤字脱字が少なく、無理に装飾的な表現を使わない)のだが、それゆえになろう特有の駄文から漂う疾走感や欲望を煮詰めた気持ち悪さが失われており、なろうの良さを打ち消してしまっている。もっと無職転生とかありふれみたいに絶望的な気持ち悪さを出せよ!!なろうの誇りを捨てるな!!
何年か前になると思うが、増田で夫婦円満の秘訣みたいなエントリで、
「揉め事はだいたい[言い方]の問題から始まるので、私達は[言い方]について喧嘩することはナシと決めてます。常に発言の内容についてのみ議論します」
みたいなことを言っていて、なるほどそれは素晴らしい、ぜひ見習おうと思い、妻とも共有したのだが、
結婚生活5年目、どこまで行っても<言い方>から始まる喧嘩がなくならない。
本当に別れる別れないみたいな話までいく喧嘩でも、起こった出来事だけ取り出すと本当にしょうもないことだったりする。
自分も妻も、お互い[言い方]から逃れられずにいるのだが、どうしたらいいんだろう?
大抵の場合、
俺は妻の[いきなり喧嘩腰の物言い]、[ヒステリックな言い方]が嫌で、正直態度に出てしまう。
妻の方は、俺の言い方が[遠回しな嫌味や皮肉]、[正論で追い詰める]、[人を小馬鹿にしている]と感じることがあるようだ。
中学校の合唱コンクールの練習で、私の前で歌っていた合唱部の子に一部分、音が外れてるから直せと何回も注意をされたことがあった。最初は直そうとしてみたのだけど何回やっても上手くいかず、たしか最後は声を小さくするか、口パクで歌っていたと思う。
その時に、音楽の先生に、注意されている事を話したら、CDを貸すから家で練習をしてこいと言われた。でも、その時に私は正直、学校の合唱コンクールでなぜわざわざ家にまで持ち帰って練習しなくてはならないのかと思った。もちろん、音楽の先生は練習してこいしか言うことはないだろうなと今なら分かる。
他にも、中学生の体育のリレー授業で、私の足の遅さが原因でペアの陸上部の子を怒らせてしまったことがある。
その子は別に怒っていた自覚も無いのだろう。ただ3年生の時期だったから内申点に響くのが不安でヒステリックに私にあたったのだと思う。中学生だから仕方ないと今は思う。
その子は仲間の陸上部の友達と3人で、リレーが終わる度、集まって、なんであの子のペアなの?なんで出来ないの?とか、私のことをこそこそ陰口を言っていた。プリントにはタイムを記入しなくてはいけないけれどタイムも見せてもらえなかった。3対1の圧で、当時の私は怖さと劣等感と恥ずかしさで、授業終わりまで涙を堪えることができず、リレーが終わり次第、授業終わりののチャイムが鳴るのを待たずに、体調が悪いと言って保健室に行き、泣いた。保険室の方が同級生に見られない、次の授業に遅れても大目に見てもらえると思ったからだ。
保険室の先生は優しかったけれど、そんなに泣くなら足を速くする努力をしたら?と言われた。でも、やっぱり私は、なんでそんなことに時間を使わないといけないんだろうと思った。相手が劣っていたらぞんざいな扱いをしていいのだろうか。
ここまでの話だと私は全く努力しない人間に見えるだろう。いや、実際私の努力なんて他の人から見たらゴミみたいなものの可能性だって大いにある。
こんな私でも運動が苦手なのに、結構ガチな運動部で毎日練習していたし、毎朝走る練習をしていた時もあった。水泳も泳げなくて授業で晒し者にされて、自分でプールに練習しに行った。(下手くそすぎて友人や知らないおじさんに馬鹿にされまくったけど)
進学後は絵が上手くなりたくて苦手なデッサンを勉強し、毎日授業後も残って描いていた。
苦手な接客がうまくなろうと、人と関わるバイトをしたり、発表のときに大きい声が出せるようにとカラオケで練習したり。
他の人の努力に比べたら些細なものだけど。(複雑で文章に出来なかったけどもちろんチームワークのために努力したこともあったよ。寧ろ、お節介だから、そっちの方が多いよ…)
何が言いたいのかというと、努力できることは人によって違うということだ。
私も、一応、苦手なものに立ち向かう意識はある。けれども、あまりにも苦手なことが多い人や、過去のトラウマで頑張る気持ちが潰されている人は、努力できない分類のものもあるのだと思う。
もちろん、なにもかも頑張ることができたらそれはそれでいいし、運動も勉強もリーダーシップもなんでもできる子はたくさんいた。その子達は努力していた。でもみんながみんなそうではない。一位がいたら最下位がいる。
社会に出たら、運動神経なんか必要なかった。なんでもできる子だけが輝いているわけじゃなかった。
今でも怒られたあの時私は、走るのを早くする練習をしなくてはならなかったのか?と考える。自分が選んだ道なら、ある程度のレベルまで引き上げる努力は必要なのかもしれないけれど、選んでもいない体育の授業、ましてや昔からからかわれて嫌な思い出しかない体育で、そこまで頑張ることはできないなと。私に強くあたったその子が美術の授業で足を引っ張っていたとしても(そんなグループワークはほぼないけれど)その子は改善する努力をするのだろうか。
結局は分からないけれど、
ただ私は逆上がりができない子がいても、絵が上手く描けない子がいても、勉強ができない子がいても、それを馬鹿にして揶揄う、ぞんざいに扱うような人が一番良くないと思っている。
できないことがあっても、無駄に劣等感を感じず、前向きに取り組める教育になっているといいなと思う。
【追記】
こんなに反応を頂けると思っていませんでした。なのでタイトルが大雑把ですいません。皆さんの意見、興味深いです。
体育は苦手でしたが、スポーツは好きで楽しめました。苦手なくせに、なぜか好奇心で部活をしていたから運動の楽しさを味わえたけれど、していなかったら味わえなくてもっと体育が嫌いだったのかなぁ。
最近の体育はタブレットで動画を撮って教え合うって聞いたことがあります。できないを揶揄するのではなく、できるように互いに教え合うって、最近の子は出来ないことがあっても対等の関係性を築けるのか。すごいなぁ、大人だなぁと。
タイトルは、努力は必要か?にしてしまいましたが、人に合わせて無闇矢鱈に努力することは必要か?できないからといってぞんざいに人を扱うことは仕方がないのか?ということが言いたかったのだと思います。結論を出すというよりは考えたくて、書いていました。
出来ないことがあるからってぞんざいに扱ってはいけないとか言ったけれど、私自身、相手に、なんでこんなことが出来ないんだろう?なぜ努力しないんだろう?と思い、腹を立ててしまうこともあります。でも、その人にとってそれは努力するべきことじゃないのかもしれない。実はそれでも努力しているのかもしれない。努力できる環境や、状態じゃないのかもしれない。自分の価値観で人の努力を測ってはいけないなと思ってはいます。
それでも、授業だと評価基準に努力点を入れるから何を見て評価すべきか難しいし、社会だと、もうちょっとなんとかならない?って人もいるし、努力してない人の支援は気持ちが進まないところも正直あるし…(でもそーいう支援はとても大事だとは思っている)なかなかハッキリと線引きはできず…
不安を煽られ、努力するのではなく、ポジティブに自分の理想のために努力できたら1番だなぁということをよく考えていたのでこんな古い昔の話を書きました。
あと、話は少し逸れますが、コメント欄にもあったように、私も努力のことについて考える時に障がいを持つ方を思い出すことがあります。
障がい支援にほんの少し携わったことがあるのですが、本当にその多用さに考えさせられました。良い場所だとそれぞれにあった支援をしていて、努力するための支えがしっかりしていて、そのような環境は、もっと他の場所でも成されるといいと思っています。
身内に障がいがある人がいたのですが、環境次第で大きく良くも悪くも変わったことがあったので…
長々とすいません。
自分の子供が独身で、子育てせずに楽してるのが許せないという気持ちもあるんだろう
親の自分は子供のためにあれこれ尽くして子供の犠牲になったんだ。なのに、どうしてお前は苦労せずにのうのうと過ごしている。お前も同じ苦しみを味わえ
自分の場合は、出産も子育ても大変で苦しかったから、自分の子供が「結婚も子育てもやりたくない」と言えば、孫が見れなくて寂しいけれど子供が結婚や子育ての苦痛を味わうことなく毎日楽しく暮らせるなら、その選択を受け入れるしかない。
だって、モラ配偶者や発達障がいの子供の育児に苦しんでいるお母さんの姿にぞくっとするから。日本の母親はまだ夫や子供の奴隷になってる人がうじゃうじゃいるからね。夫や子供からただの飯炊き女、掃除婦と思われて、都合よく使われてる女性がね。そんなふうに扱われるくらいなら独女のほうがましだから